月刊サティ!
2021年1月~6月
|
佐藤由美子著『戦争の歌がきこえる』(柏書房 2020年) |
米国認定音楽療法士としてホスピスケアの音楽療法を専門としてきた佐藤由美子氏は、戦争によって心に重大な傷を負ってきた人たちの存在を知った。それはまさに「日本人が知らない『もうひとつの戦争』の記憶」であった。
著者によれば、音楽療法(Music Therapy)とは、臨床かつエビデンスに基づき、「クライエントの身体的、感情的、認知的、精神的、社会的なニーズに対応するために、音楽を意図的に使用する」療法であり、「終末期の患者さんやご家族の場合は、音楽を通じての精神的サポート(不安、怒り、うつ状態の軽減など)、社会的サポート(孤立や孤独の軽減など)、身体的サポート(痛みや息切れなどの症状の緩和)などが中心」になると言う。 本書は、著者の祖父について書かれた第7章を除いて、ホスピスでの経験を元にしている。それらの事例は次のようなものだ。 ・日本兵を殺したことを、日本人の私に告白した退役軍人。 ・フィリピンで日本兵に親友を殺され、その後、広島で焼け野原を見た男性。 ・罪悪感に悩まされつづけた原爆開発の関係者。 ・ドイツ系アメリカ人として、「自由」 のためにナチスと戦った兵士。 ・PTSDに悩まされた退役軍人と結婚した女性。 ・ホロコーストの記憶に悩まされつづけた三人の患者。 ・日本占領下の中国で生まれ、日本からもアメリカからも忘れられた人・・・。 第1章「良い戦争という幻想」はこうして始まる。 |
ナオミ・オレスケス、エリック・M.コンウエイ著 『世界を騙しつづける科学者たち』上・下(楽工社、2021年) |
緻密かつ膨大な研究と事例が網羅されている本書の著者ナオミ・オレスケス氏は、カリフォルニア大学サンディエゴ校教授で専門は科学史、エリック・M.コンウェイ氏はNASAジェット推進研究所(JPL)研究員である。著者は本書の主旨をこう述べる。 「自然界の真実を明らかにすることに身を捧げた科学者がなぜ、仲間の科学者の研究について間違ったことを故意に伝えたりするのだろうか。何の根拠もない非難をなぜ広めようとするのだろうか。正しくないことが明らかにされてもなお、自説を訂正しようとしないのだろうか。そしてマスコミはなぜ、何年経っても彼らの言葉を引用し続けるのだろうか。彼らの主張が間違っていることは次々と明らかになっているのに」・・・「私たちがこの本で取り上げるのは、そういう物語だ。科学的な証拠と戦い、われわれの時代が抱える最も重要な問題の多くについて混乱をまき散らした、科学者のグループについての物語。それは現在も続くパターンについての物語でもある。事実と戦い、疑念を売りつけることについての物語だ」 本書はタバコの害から始まり、スター・ウォーズ計画、酸性雨、オゾンホール、二次喫煙、地球温暖化、そして『沈黙の春』への恣意的な非難など、かつては高名で権威をまとった科学者であった人々がいかに誤った主張を声高に繰り返してきたかを明らかにしている。これは日本も例外ではないだろう。本稿では詳細を記す余裕はないので、機会があればぜひ読まれると良いと思う。なお冒頭には全体を通じてのキーワード、人物が掲載されている。 通読した感想では、本書は下巻の「結論」と「エピローグ」から読むのが良いかも知れない。なぜなら、そこに著者の主張がまとめられているからだ。著者はそこでこう述べている。 「本書を書くために、われわれは何十万ページにも及ぶ文書を調べた。歴史の研究を続ける中で、さらに数百万ページの資料に目を通して」きた。しかし結局、「当事者だった人たちに語ってもらうのが一番だと思うことが多い」と。 そして、ブリティッシュ・アメリカン・タバコのリサーチ・ディレクター、S・J・グリーンの言葉を引用する。彼は、タバコ業界が倫理面だけでなく知的な意味でも間違っていたことを最終的に認めた人物である。それは、「科学的証明を要求するというのは、常に何もせず対策を遅らせるための方便だ。またたいていの場合、罪悪感からくる最初の反応でもある。もちろん、こうした判断をするための正しい基盤は、ごく当たり前ながら、その状況において合理的なものかどうかということだ」というものだ。 本稿の告発対象は次の二つにまとめられよう。 第一に、かつて権威ある地位に就いていた本書の主人公(と著者は言う)の科学者たちが、「疑念の売り込み(懐疑論)」によっていかに人々を欺いてきたか。そして第二に、型に嵌まったバランス意識と、また、こうあってほしいという安全バイアスに囚われて人々を誤った認識に導いてきたジャーナリズムである。 科学を装った政治的な主張に対して、なぜ、真っ当な科学者たちは異議を唱えてこなかったのか。その理由は、現代科学の成果はチームワークによるものであり、また、政治的な論争に関わると客観性をないがしろにしたという非難を受けかねないからであるという。しかし最もよく理解し得るのは、彼らが、「科学を愛しており、最後には真実が勝つと信じているから」ではないかと。 懐疑論に沿った報告書についてある指導的な科学者はこう言ったそうだ。 「ゴミだと分かっていたから単に無視したんだ」 本書の主人公に擬された人々はすでに科学研究から離れており、また、彼らが主張した分野の専門家だったことも、一度もない。それら分野の、「すべてについて本当の専門家であろうとすれば、疫学者、生態学者、大気化学者、気候モデルの専門家のすべてになる必要がある。しかし、現代の世界でこうしたすべての分野の専門家になれる人などいない」のだ。 ということは、たとえ権威ある人物が言ったとしても、決して客観的な事実を無視してはならないということを意味している。まして、「その人物がすでに現役を引退していて、不満を抱いていたり、何にでも反対する性癖の持ち主だったり、明らかにイデオロギーに基づく目標を掲げたグループや、経済的利益を追求するグループから資金を提供されている場合」には特にそうである。盲目的な信頼は、全く信頼しないのと同じくらい有害なのだから。 タバコの害に対して初めのうちは懐疑的だった指導的な疫学者の一人が、証拠の重みを受け容れて意見を翻したことがある。タバコの害についてはさらに多くのデータが必要だとの声高な主張に対して、その疫学者はこう答えたという。 「観察に基づくものであれ、実験に基づくものであれ、あらゆる科学研究は不完全だ。すべての科学研究は、知識の発展によってひっくり返されたり、修正されたりすることが避けられない。だからといってわれわれに、すでに持っている知識を無視し、特定の時点で要求されているように見える行動を先延ばしにする自由が与えられるわけではない」 では、ジャーナリズムはどうだっただろうか。著者は、建国の父が合衆国憲法修正第一条に報道の自由を入れたことから、その結果「公正の原則」が確立され、「同等の時間」という考え方を大切にする傾向が残ったのだと言う。つまり、意見の異なる人がいれば、「その人の言い分にも十分耳を傾けるべき」ということで、実にまっとうな考え方だと思う。 しかし、こと科学においては、異なる意見の取り扱いには慎重でなくてはならないケースがある。それは、検討がすでにし尽くされ明白な結論が出ている場合であり、今ひとつは、異なる主張をする人物が特定の業界とつながりを持っている場合があるからだ。 例えば、「タバコ業界の見解も同等に考慮すべき」という主張がまかり通ったた時、多くのメディアは、その見解に引用されている「専門家」が「実はタバコ業界とつながっていたり、イデオロギーに動機づけられ、タバコ業界から資金を提供されているシンクタンクと提携していたり、あるいは単に何でも反対する人種で、普通でない見解を提示して注目を浴びるのを楽しんでいたりする」事実を、読者や視聴者に知らせていなかったという現実がある。 これらについて著者は、ジャーナリストも、「真実であってほしくないと願う情報を受け容れたくないのだと考える以外に、うまく説明がつかない」と言う。そして、「酸性雨がたいしたことでなく、オゾンホールが存在せず、地球温暖化が問題にならない世界を望まない人間がどこにいるだろうか。このような世界は、われわれが現実に暮らしている世界よりもずっと安心できる。われわれは困難な状況に直面したとき、何もかもうまくいくと安心させてくれるものを歓迎するのだ。われわれは酔いが覚めてしまうような事実より、むしろ安心できる嘘を好む。しかし、この本に登場した人々によって否定された事実は、酔いを覚ます程度のものではない。それは掛け値なしに恐ろしい事実だった」のだと述べる。 特にタバコの害については前々から結論が出ており、業界もすでにどういう危険があるかを知っていた。にもかかわらずメディアは、「1992年から1994年までに掲載された全記事のうち62%が、研究は『論議を呼んでいる』」と締めくくり、相変わらず論争は決着していないと報じ続けたのだ。 酸性雨についても同様、10年以上も前に明らかだったにもかかわらず、「まだ原因がはっきりしていない」とか、証拠のない「酸性雨を抑制するコストの方が得られるメリットより大きいという」主張に肩入れした。また、1990年代に入っても、オゾンホールの要因は「たぶん火山だろう」と報じていたし、地球温暖化についても大きな論争の的として最近まで提示していたのである。 つまり、本書に出てくる懐疑論者たちは、「意見を述べる権利」を常に要求し、「大衆は両陣営に意見を聞く権利」があるから、メディアには、「バランスをとってそれを提示する義務がある」と主張し、「それこそが公正で民主主義的な方法」だと訴え続けた。しかし彼らはそれで何をしたかったのだろうか。著者はこう述べる。「彼らは民主主義を守ろうとしたのだろうか。そうではない。問題は自由な言論ではなく、自由市場だった」と。 科学における主張は、ピアレビュー(査読)を通過するまでは単なる主張でしかない。それを通過してはじめて科学の「知識」として受け入れられる。その点からも、彼らの主張は科学的だとは言えないのだが、「ジャーナリストは彼らの名声に欺かれてしまった」のだ。 「われわれは誰でも、頭のいい人間はどんな問題でもこなせるとつい思い込む。物理学着たちはミツバチのコロニー崩壊から、綴り字改革、世界平和の見通しに至るまで、ありとあらゆる問題について意見を求められた。そして、もちろん喫煙とガンについても。しかし、喫煙とガンについて物理学者の意見を求めるのは、空軍大尉に潜水艦の設計について意見を聞くようなものだ。多少のことは知っているかもしれない。しかし、知らないかもしれない。どちらにしても専門家ではない」 では、そのような状況で私たちに出来ることは何だろう。それは、あくまでも客観的な視点に立って確かな情報源を吟味し、できる限り正しい情報に接すること以外にないのでは、と思う。 以下各章に沿って、本書に盛られた情報の一部を紹介する。 序章は「地球温暖化」についてなので、第6章でまとめて取り上げる。 第1章はタバコの害についてである。 ドイツの科学者たちはすでに1930年代に、タバコの煙が肺ガンを引き起こすことを明らかにしていた(→ナチスは喫煙を禁止した)。1953年にはマウスの皮膚にタバコのタールを塗るとガンが発生することが実証され、1970年代後半までに喫煙による健康被害の訴訟が個人によって何件も起こされていた。 それに対し業界が採ったのは、「『タバコのせいとされている慢性変性疾患(肺ガン、肺気腫、心血管障害など)の原因や進行の機序(メカニズム)』について、タバコ以外のものに焦点を合わせた研究を取り上げて論じる」ことであった。 こうした目くらまし的なやり方は他にも応用された。日本でも公害事件で企業側の主張に使われたことを私たちは知っている。 1954年当時、業界は次のような疑問点を並べた。 実験ではタバコのタールを塗ったマウスに皮膚ガンができたが、タバコの煙の充満した部屋に入れたマウスは肺ガンにならなかったのはなぜか? 喫煙率に大きな差がない都市の間で、ガンの発生率に大きな違いがあるのはなぜか? 近年、女性の喫煙が増えたのに、肺ガンの増加が男性に多いのはなぜか? 喫煙が肺ガンを引き起こすのなら、唇、舌、咽頭のガンが増えていないのはなぜか? 英国の肺ガン発生率が米国の4倍も高いのはなぜか? 米国の紙巻きタバコには(英国では使われていない)被覆材料が使われているが、これがタバコの有害な効果を防いでいるか? ガンの増加のうち、単に平均寿命が伸びたことと、診断が正確になったことによる割合はどれだけあるのか?等々。 筆者は、「これらの疑問そのものはどれも間違っていないが、いずれも不誠実な問いだった。なぜなら、答えは分かっていたから」として概略次のように述べる。 都市や国によってガンの発生率が異なるのは、ガンの原因は喫煙だけではないから。 ガンには潜伏期間があって、喫煙を始めてから10年、20年、30年も経って発生するらしい。なので、女性の喫煙量が増えたのは最近なのでガンが増えるのもこれからだ(→実際にそうなった)。 正確な診断が下せるようになったこともガンが増加した理由の一部だが、全部ではない。 紙巻きタバコが大量に販売されるようになる前には肺ガンは非常に珍しい病気だった、等々。 しかし、一般にはまだ論争があるかのような印象を与えられていた。その理由の一つは、私たちが原因と結果とを単純に結びつけやすいことによる。「タバコはガンの原因」ではあるが、生命はもっと複雑だからガンにならない人もいるのは事実である。しかし科学的には「統計的に原因」と言える場合があり、それは、「タバコを吸うとずっとガンに罹りやすくなる」ということだ。例えば、「けんかの原因は嫉妬」と言っても、嫉妬が必ずけんかの原因になるわけではない。しかしそうなることは多いということ。つまり、「喫煙者のすべてが死ぬわけではないが、半数くらいは喫煙のせいで死亡する」のも事実なのだ。 もう一つの理由は、科学というのは明確なものだと考えられていることだ。つまり、「これは確実ではない」と言われれば、それだけで疑問視してしまう。しかし、研究途上の科学には常に不確実さが含まれているのは当然なのだ。なぜなら、科学は「発見のプロセス」だからである。喫煙がガンを引き起こすことを知ってはいても、その仕組はまだ十分わかっていないし、喫煙者の寿命が短いことはわかっていても、特定の喫煙者の死に喫煙がどれだけ寄与したかについて確信をもって述べることは難しい。 科学にとって懐疑は重要だが、不確実な部分をあえて取り出してすべてが未解決だという印象を作り出すのは詐術である。タバコ業界のある幹部が1969年に、「疑念がわれわれの売る商品だ」と書いた悪名高いメモがあるという。 第2章の戦略防衛構想(SDI)と言うのは、当時のソ連に対するためのものであった。それは、「ソ連は・・・・かもしれない」「ソ連は・・・・らしい」というのではなく、「ソ連は・・・・である」とされた。 冷戦の最中、ソ連が対潜戦システムに膨大な金額を費やした証拠が見つかり、それは音響に頼らないシステムの開発と考えられたが、それを配備した形跡はなかった。とすると、論理的には未だ開発途上か、あるいは開発したシステムがうまく機能しなかった可能性が高いと考えられるけれども、当時の対ソ連検討部会はどのような結論を出したか。それは、ソ連は「機能する非音響システムを実際に(秘匿)配備しており、今後数年間でさらに多くを配備するということかもしれない」というものだった。自らの都合に合わせたまさに結論ありきの解釈、「特定の能力を達成していない徴候を、実は達成した証拠である」とみなしたのだ。これほど極端ではなくても、こうしたことはうっかりすると私たちの日常でも見られないとは言えない。十分気をつけなければならないと思う。 第3章の酸性雨。すでに19世紀から人間活動によるものと知られていたのを、あえて自然活動、それも火山の噴火に原因があると主張した。しかし、この主張は、硫黄の同位体が地元で採掘されるニッケル鉱石の中の硫黄と同一のものであることが明らかにされ、誤りであることが証明される。 「スウェーデンでの研究は、降水の酸性化によって森林の生長が減少していることを示唆していた」し、「米国でもほかの場所の研究でも、植物の生長、葉組織の発育、花粉発芽が酸性化によって損なわれていることが記録され」、「スウェーデン、カナダ、ノルウェーでは、湖と河川の酸性化と魚の大量死増加との間に相関があった」。 酸性雨と同様、地球温暖化、オゾンホールの研究などについて著者は次のように言う。これらの研究は、「被害が察知される前に予測することが含まれる。人々が被害をチェックする動機づけになるのは予測だ。研究目的の一部は予測を検証することであり、また一部は、手遅れにならないうちに行動を起こすきっかけを作ることだ」と。 第4章はオゾンホール。大気中にただようクロロフルオロカーボン(CFC、フロン)が大気循環によって成層圏に移動し、そこで紫外線によって分解して最終的にフッ素化合物と塩素化合物となり、それらの化合物のいくつかはオゾンの除去物資であることが知られてきた。問題は大量のフロンが、スプレー缶、エアコン、冷蔵庫などに使われていることだった。 ここでも業界は抵抗をし、オゾン層の破壊を、ほとんど科学的証拠のない「脅し」であって「人間の活動はわずかなものだから大気に影響を与えることはない」という証言を学者から引き出した。それが効力を失うと、今度は、火山が原因だという説を唱えるようになった。それは、大規模な噴火によってマグマに含まれる塩素は成層圏にまで吹き上げられたはずなのに、オゾン層がまだ破壊されていないとすれば、塩素は重大な問題ではあり得ないというものだった。この主張はアラスカの火山の観察によって退けられた。 さらに抵抗は続く。業界は、「フルオロカーボンが成層圏に到達する証拠はない」「分解して塩素ができる証拠はない」「たとえ塩素ができても、オゾンを破壊する証拠はない」と言ったが、一酸化塩素(CIO)の存在が証明されたことで、オゾン層が破壊されていることが明らかとなった。(→本書にはその仕組みが書かれている) 第5章は二次喫煙、いわゆる副流煙の問題である。アメリカの保健社会福祉省は、「リスクがない二次喫煙のレベルというものは存在しない。わずかな量であっても・・・人々の健康を損なうおそれがある」と述べている。くすぶっているタバコの方が燃焼温度が低く、有害成分がよけいに生じるためだ。タバコ業界は1970年代にはすでにそのことを知っていた。そこでなにをしたか。 「彼らはフィルターを改良し、紙巻きタバコの紙を変え、もっと高い温度で燃えるような成分を加えて、副流煙を比較的害の少ないものにしようとした。彼らはまた、危険の少ない副流煙というより単に見えにくい副流煙を出すタバコを作ろうと試みた」のである。 この章では、業界寄りの人物や組織を通じて「環境保護庁(EPA)」を貶め、副流煙に関する規制を止めさせようとしたこと、自然の危険に関する議論に使われるべき閾値の考え方を人為的な危険の擁護に使うなど、あらゆる手段を使って副流煙の擁護を行ってきたことが明らかにされる。 手段を選ばずの擁護にもかかわらず副流煙の排除が社会的に受け入れられたのは、それによって子どもたちの気管支炎、肺炎、ぜんそくのリスクが高まり、またそれが自然によるリスクではない上に同意なしに他人に押しつけるものであると言う事実だった。 第6章および序章は地球温暖化である。 本書で述べられている地球温暖化の原因が人為にあるという主張は、2019年12月号でとりあげた『環境問題のウソ』(池田清彦氏著)での太陽活動による自然起因説とは真っ向から対立する。2005年に出版された当著における池田氏の主張には説得力が感じられたが、それから15年を経た現在、さまざまな現象を検証する科学の知識を踏まえると、人間活動によって温暖化が進み、地球環境が一層深刻化し、近未来に想定される危機的状況は否定できないと思う。 本書ではまず20年以上にわたる調査の結果から、自然の気候変動によるものと温室効果ガス[二酸化炭素、メタン、フロン等]によるものとでは温暖化のパターンが異なることが示される。調査の結果は温室効果ガスが原因の場合に予想されるパターンと一致していた。 重要なのは対流圏と成層圏という大気の分布である。物理学の知識によれば、「もし温暖化の原因が太陽にあるのなら、熱は地球の外からくるため、対流圏と成層圏の両方とも温かくなるはず」であり、一方、「大部分が大気の低いところに留まる温室効果ガスに温暖化の原因がある場合は、対流圏は温かくなるが、成層圏は冷たいはず」なのだ。 事実は、対流圏は温かくなり成層圏は冷えている。これは言い換えれば、大気全体としての構造が変化していると言うことだ。「このような結果は、太陽が原因だと考えるとうまく説明できない。これは大気に生じている変化の原因が自然なものではないことを示している」。 この温暖化を論ずる時に注意すべき点がある。それは「ヒート・シンク(吸収源)」と言って自然から要素を奪うプロセスを表す。海洋と大気との関係で言えば、大気の熱が海洋に吸収されるため、「海水が大気の温暖化を数十年遅らせるのに十分なだけ混ぜ合わされている」ことが入手可能なデータからわかっている。 ということは、温暖化の影響が目に見え、感じられるほどになるには数十年かかることになり、それによってきわめて深刻な結果がもたらされる。なぜなら、「実際には温暖化が進んでいるにもかかわらず、そのことを証明できないかもしれない」し、証明可能になった時にはすでに手遅れだからだ。 1988年には、ゴダード宇宙科学研究所(GISS)の所長で気候モデルの研究者でもあるジェイムス・E・ハンセンが、データを示して、「人間活動に由来する地球温暖化はもう始まっている」と発表した。ところが懐疑論者たちは、そのデータの一部を恣意的に使って原因は太陽だと主張した。 それは、太陽の黒点と木の年輪から得られた炭素14を引き合いに出して、「太陽は19世紀にエネルギーを多く放出する時期に入っており、この太陽エネルギーの増加(約0.3%増加)が現在の温暖化の原因になっている」「データ200年の周期を示しているため、温暖化の傾向はほぼ終わりにさしかかっており、まもなく寒冷化に向かうだろう」というものだった。 1940年から1975年にかけては寒冷化したのは事実だが、それは、データの一部と6つのグラフのうち1つだけを使い、あたかも太陽だけが影響しているように見せかけたものだった。20世紀半ばには太陽の放出エネルギーは増加していないので、1970年代半ばからの温暖化を説明できるのは二酸化炭素だけなのだ。 もし、「化石燃料を何の規制もなく使い続ければ「21世紀中の地球の平均気温の上昇率は10年あたり約0.3℃になる。これは過去1万年の上昇率よりも大きい」のである。これはこれまで人類が経験したことのない変化を生み出すことになる。 第7章。ここで取り上げられたレイチェル・カーソンに対する否定の数々は、「いちゃもん」そのものに聞こえる。タバコを擁護し地球温暖化の要因を疑った人物が、今度は、「レイチェルは間違っていた」「世界中で何百万もの人々がマラリアで苦しみ、しばしば命を落としている」と主張する。のみならず、「これまでに病気予防のために合成された中で、おそらく最も貴重な化学物質であるDDT」が、「カーソンに影響されたヒステリーによって、その必要もないのに禁止された」とまで言っている。 DDTを始めとする殺虫剤の危険性についてはすでに広く知られていることなのでここでは省略するが、マラリアの根絶が部分的にしか成功しなかった最も大きな理由は耐性の獲得であって、その原因の一部は農業での過剰使用によるものであった。また、DDTの禁止が何百万人ものマラリアによる死をもたらしたという主張には十分な証拠はなく、それに反して、DDTの禁止によって、「人間に対する、そしてこの惑星をわれわれと共有しているさまざまな種に対する多大な被害が回避されたことを示す科学的証拠はたくさんある」のである。 本章ではこのあと、自由市場資本主義の弱点を認めること、負の外部性、市場の失敗を論じている。そして最後にこう述べる。「最近になって科学は、現代の産業文明が持続可能でないことを明らかにした」と。 繰り返すが、興味を覚えられたらぜひ通読されることをお勧めしたい。私たちが抱える課題に対する見方を深める糧になると思う。本書を読んで、いかにある主張を正確に見ることが難しいか、そして重要なことかを痛感させられた。(雅) |
頭木弘樹、NHK<ラジオ深夜便>取材班著 『絶望名言』(飛鳥新社、2018年) |
本書は「NHK<ラジオ深夜便>」の中の「絶望名言」を収録したもので、頭木弘樹氏と番組を担当した川野一宇氏との対談に捕捉を加えたものである。
頭木氏は20歳の時に潰瘍性大腸炎という難病を発症し、13年間に及ぶ療養生活を送ったが、その時に救いとなったのは、明るい言葉ではなく絶望の言葉だったと言う。氏はその時の経験をもとに、それらの言葉を「絶望名言」と名づけ、のちに、『絶望名人カフカの人生論』や『絶望読書』(ともに飛鳥新社、後に新潮文庫および河出文庫)を著した。そしてそれらを契機にしてNHKの<ラジオ深夜便>に「絶望名言」コーナーが生まれ、書籍化されたものが本書である。 頭木氏は療養中に、人を励ます「名言」もたしかに必要だが、悲しい時に悲しい曲を聴きたくなるように、辛い時には絶望的な言葉の方が「自分と一緒にいてくれて、気持ちをわかってくれて、それが救いに」なることもあるのではないかと感じたと言う。そして、希望を抱かせ前向きに生きるように促す本も「もちろん素晴らしい」のだけれども、絶望的な言葉が胸に入ることでかえって救いになるような本も、「あってもいいし、あってほしいと」思ったそうである。 対談の相手である川野氏もまた脳梗塞による闘病の経験を経ている。その際、ある先生からいただいた「あわてず、あせらず、あきらめず」という言葉の3つの「あ」を肝に銘じて日頃から暗唱していると言う。 <ラジオ深夜便>のディレクターである根田知世己氏によれば、絶望名言とは簡単に言うと「絶望した時の気持ちをぴたりと言い表した言葉」とされる。それは、「言葉にしたところで目の前の現実が変わるわけでもなく、即座に解決策が見つかるわけでもない」けれど、「言葉にすると少し距離ができ」「その間にかすかに風がそよぐ、ちょっとやわらぐ」ものでもあると言う。 たしかに、困難を乗り越えた体験談も感動的だ。しかしそれが自分にとって救いとなるかどうかは人それぞれだろう。反対に、赤裸々に苦しさや絶望が綴られたものに対しては、自分が絶望している時には共感も生まれやすいのではないか。頭木氏の場合はそれが悲常に救いになったと語っている。 頭木氏の取り上げている文学にはそのような文章が綴られている。もちろん、同じ境遇、同じ状況とは限らない。しかしそれを読むことで苦しいのは自分だけではないという思いが生まれ、「みんながそれぞれいろいろな苦労をしているので、自分もその中の一人になれる」し、それによって、「一人で苦悩している孤独とはずいぶん違う」ことが実感されたと言う。 本書は第1回から第6回までの放送で取り上げられた、カフカ、ドストエフスキー、ゲーテ、太宰治、芥川龍之介、シェークスピアの作品によっている。ここでは一部であるがそれらを紹介し、あわせて頭木氏がそれらの言葉をどう受け取ったかを見てゆくことにする。なお、「」内はことわらない限り頭木氏による。 まず、頭木氏が病院のベッドで寝たままなっている時に読んだカフカから。 「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」(『フェリーツェへの手紙』) これには、「絶望的すぎるというか、もう突き抜けてしまっているので、一緒に落ち込むというよりは、むしろ救いに」なったそうだ。 過酷な経験をしたことで成長する人もたしかにいる。しかし、「これはもう笑うしかないですよね」で、「倒れたまま生きていく、あるいは半分倒れたままに生きていく人生もあり」ではないかと悟ったと言う。 ところで、カフカには特段の不幸があったわけではない。それどころか、裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ち、大卒で、役所勤め、恋愛もし、親友もあり、亡くなる前に病気になるまでは健康で、まさに、平穏無事なごく普通な人生だったそうである。 しかしそれでも絶望している。そこがいいと言う。平凡で日常的な人生から出てきた言葉だからこそ誰でも共感できるのではないか、と頭木氏は考える。さらに、だいたい作家の日記や手紙は作品ほどには面白くないけれど、カフカの書いたものは、「作品はもちろんですけれど、手紙や日記も、作品と言っていいぐらい」だと言う。 「僕には誰もいません。ここには誰もいないのです、不安のほかには。不安とぼくは互いにしがみついて、夜通し転げ回っているのです」(『ミレナへの手紙』) 頭木「これは、じつは恋人への手紙の中の言葉なんです。普通、恋人にはなかなかこんなことを書かないと思うんですけど、カフカは恋人への手紙にも、こういう絶望的望口葉ばっかりなんです」 川野「受け取る側の恋人としては、ちょっと待ってよと言いたくなるような内容じゃないですか」 頭木「そうですね。だから付き合っていた女性のほうもたいしたものだと思うんです」 絶望というのはきわめて個人的なもので、たとえば病気になると、たとえ親身な家族であっても病人の気持ちはなかなかわかるものではないし、また、同じ病気を抱えていても症状や状況が違うから、なかなか本当には共感し合えないのではないだろうか。それは災害に遭った場合も同じだと思われる。そうなると、ひどく落ち込んだ時には、「自分の気持ちは誰にもわからない」という心境になり、「絶望するだけでも辛い」のに、おまけに「孤独がもれなくついてくる」ことになる。 川野「そうすると、絶望している人には、どう接したらいいんでしょうか?」 頭木「普通、皆さんが思うのは、励まして立ち直らせようということではないでしょうか」 しかしなかなか立ち直れない。時には何年ということもざらにある。そうすると、最初は励ましていても、「いつまで経っても立ち直らないので、だんだんイライラ」してきて、「そんなふうに、いつまでも落ち込んでいるから、いけないんだ」などと責め始め、ついには、「もう知らない」などと見捨てるような展開になってしまうのではないだろうか。 でも、「誰しもが右肩上がりに真っ直ぐ立ち直れるわけじゃない」から、「できれば、もっとあせらないようにしてほしいですね。当人も周囲も、なるべくあせらずに」、「それでも時々は連絡を取って、『立ち直れそうになったら、いつでも力を貸すよ』という形でそばにいてあげるのが、一番いいと思いますね」。 ドストエフスキーの回では、「われわれは、自分が不幸なときには、他人の不幸をより強く感じるものなのだ」(『白夜』)を紹介したあと、次に正反対のような表現を取り上げる。 「僕がどの程度に苦しんでいるものやら、他人には決してわかるもんじゃありゃしない。なぜならば、それはあくまでも他人であって、僕ではないからだ。おまけに人間ってやつは、他人を苦悩者と認めることをあまり喜ばないものだからね」(『カラマーゾフの兄弟』) この言葉は人の心のありようが単純ではないことを示している。 頭木氏は、辛い体験をした人ほど他の人の辛い気持ちもわかるからそれだけ優しくなるのは、「辛い体験をしたからこその、いいことのひとつかもしれない」としながらも、「じつはそうとは限らないんです。自分が苦労をしたせいで、よけいに人に厳しくなって、冷たい人間になってしまうということも、けっこう多いんです」とも述べている。これはその人の傷の深さと辿ってきた人生とに色濃く関係するのではないだろうか。 これは『絶望読書』によるが、長期入院していた時にドストエフスキーを読んでいたときにこんなこともあったそうだ。 はじめのうち、「よくそんなものを読むねー」と言っていたあまり本を読む習慣のないような同室の人たち。ところがまず一人が、「ちょっと貸してくれる?」と言いだしたら、次々に、「オレにも貸してみて」となって、それがどんどんハマっていき、ついには6人部屋の全員が読みふけることになったという。その様子を病室に入ってきた看護師が見てビックリ、なにしろ、「ぐるっと見回すと、みんながそろって『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』を読んでいるのですから」。 ゲーテの回からは次の言葉。 「わたしはいつもみんなから、幸運に恵まれた人間だとほめそやされてきた。わたしは愚痴などこぼしたくないし、自身のこれまでの人生にけちをつけるつもりもない。しかし実際には、苦労と仕事以外の何ものでもなかった。75年の生涯で、本当に幸福だったときは、1カ月もなかったと言っていい。石を上に押し上げようと、くり返し永遠に転がしているようなものだった」(『ゲーテとの対話』) 頭木氏は、ゲーテの伝記映画がほとんどないのを、あまりに人生がうまくいっているのでドラマにならないという理由から、らしいと言う。若い時に書いた『若きウェルテルの悩み』がヨーロッパ中で有名になり、「あのナポレオンまで本を持って、わざわざ訪ねてきたくらいです。いい友達もたくさんいましたし、たくさんの女性から愛されましたし、ヴァイマルという、当時、国だったんですが、そこの大臣になって、貴族の称号をもらうんです。82歳の誕生日の前に、生涯をかけて書いた大作の『ファウスト』を完成させて、数カ月後に亡くなるという、もう大往生ですよね」と。しかし、それはあらすじからの見方であって、細かく見ていくと違った面も見えてくると言う。 「ゲーテの周りでは、大切な人が次々亡くなっていくんです」。4人の妹や弟を亡くし、1人残ったとても可愛がっていた1歳下の妹も26歳の若さで亡くなってしまう。10歳年下のシラーという親友も亡くなって、ゲーテはその時、「自分の半身を失った」と言った。その後母も亡くなり、妻も亡くなり、そして晩年の81歳の時にはたった1人の子供である息子のアウグストが、まだ40歳だったのにイタリア旅行の途中で急に亡くなってしまう。ゲーテはショックのあまり大量の血を吐いて倒れたという。 常に日の当たる場所にいたゲーテだったが、自身が、「『光の強いところでは、影も濃い』と言っているように、多くの喜びの一方で、多くの悲しみも経験しているんです」。 人生を「あらすじ」で生きている時には気づかずにいても、大きな挫折を経験したりするとこれまで気づかなかったことに否応なく気づかされる。「そういう細やかな部分にだんだん目が向くようになると、人生に対する感じ方も、ずいぶん大きく変わってくるなあと思います」。このようなことは私たちも数多く経験しているに違いない。 では、細やかな部分にだんだん目が向くようになるというのはどういうことなのか。頭木氏によれば、それは、元気な頃にはあまり関心を払わなかった味噌汁の味がとても沁みたとか温かかったとか、あるいは、普段はことさら気にすることなく越える段差も、足が弱くなると越えようとするたびに気づくとか、「そんなことが結構人生の大きな部分を占めたりする」ということだ。 太宰治の回には次の言葉。 「駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである」(『貧の意地』) 「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです」(『人間失格』) 「『綿で怪我をする』っていうんですから、もうどうしていいかわからないですよね。もう他にくるむものがないですよね、綿で怪我をされちゃあ」 この「弱さ」ということから敷衍して、世間で言われるような「弱さの強さ」という一見褒め言葉の背景には、「弱いより強い方がいい」という価値観があるのではないかと頭木氏は指摘する。さらに、「気弱い内省の窮極からでなければ、真に崇厳な光明は発し得ないと私は頑固に信じている」(『服装に就いて』)で太宰は、「弱さには、弱いからこそ価値があり、魅力がある、そう言っているんじゃないでしょうか」と推し測っている。 そしてこうも言う。 「思春期は、誰でも多かれ少なかれ、生きづらさを感じていると思うんです。(略)そういう生きづらい時は、やっぱり何か自分に問題があるんじゃないかなという心配も出てきます。あと、こんなに辛さを感じてるのは、自分だけなんじゃないかなという不安もあると思うんですよね。 そんな時に、太宰治が辛い辛いとさんざん言ってくれるわけです。これはやっぱり、ありがたいことだと思うんですよね」 で、太宰を「好きな人は、『本当に気持ちをわかってもらえる』『同じ気持ちだ』というふうになるんだと思うんですけど、一方、嫌いな人とか読まなくなった人は、そういう太宰を、『ナルシスト』だとか、『甘ったれ』だとか、『駄目な自分に酔っている』とか、そんなふうな言い方をして、けなしたりするわけです」。 この章には面白いエピソードが語られている。それは、太宰治を嫌いな人の代表として三島由紀夫をあげていることで、三島は、「最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしい」(『私の遍歴時代』)とか、「弱いライオンの方が強いライオンよりも美しく見えるなどということがあるだろうか」(『小説家の休暇』)と言ったそうだ。これについて頭木氏は、ライオンだからそうなるので、「ウサギやカピバラだったら弱々しい方がいいですよね。獰猛なカピバラとか嫌ですよね」と、少々冗談めかした言い方をしている。 また、三島が大学生の時に太宰を訪ねて行ったことがあって、「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」と言うと、太宰は、「そんなこと言ったって、こうして来るんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」(『私の遍歴時代』)と答えたので、三島はすごく怒ったそうである。 芥川龍之介の回には次の言葉が取り上げられる。 「どうせ生きているからには、苦しいのは、あたり前だと思え」(『仙人』) 若い頃、まだ名を成す前に芥川はすでにこんなことを言っていた。頭木氏は、「ちょっと偉そうな感じにも聞こえるかもしれません。上からお説教しているような。でも、じつはこれ、短編の中では、非常に貧しい男が、ねずみに向かって、こういうふうに言ってるんですね。もちろん、本当にねずみに説教しているわけではなくて、ようするに、自分に言い聞かせている言葉なんです」。 芥川は、生まれて8カ月後には母が精神病院に入ってしまい、母親の実家に預けられ伯母に育てられる。そして10歳の時に母親が亡くなる。その後、12歳の時から伯父の養子になり、芥川という名字になったのはその時からだという。 そういう生い立ちのせいもあって、この『仙人』を書く前に親友に手紙でこのように書いている。「『周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい』(井川恭・宛 大正4(1915)年3月9日付)」と。つまり、小さい頃から「生きるのは苦しい」ということを実感していたと言うことだ。 川野「なるほど。『生きるのは苦しい』が、ひっくり返って、『生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え』というふうになったんですね」 頭木「そうなんです。これ、同じようですけれど、じつはけっこう大きなちがいだと思うんです。 というのは、『生きるのは苦しい』っていうのは、本当に辛いじゃないですか。だけど、『生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え』と言われると、そうか、生きているんだから、もう苦しいのはあたり前なのかというふうに思えて、ちょっとね、救われるところもあるというか……」 また芥川は友人に残した遺書の中で次のように書いた。 「僕の場合はただぼんやりとした不安である。何か僕の将来に対するただぼんやりとした不安である」 たしかに、病気にもよるが、病名がついて対策がはっきりすれば、心を落ち着かせる効果も期待できるかも知れない。しかし人生そのものは本来的に曖昧さに満ちているのが現実だろう。自身でも、「誰かを好きなのか嫌いなのかさえ、本当はよくわからなかったり。そういうことはいくらでもあるわけですよね」。だから、「恋愛とかでも、『本当に好きなの?』とか、はっきりさせようと問いつめたりするわけじゃないですか」。でも、「『曖昧さは、人間にとって非常に苦しいものである』というのは納得できる人が多いんじゃないでしょうか」。 名言の宝庫であるシェークスピア、多くの作品あるなかからの次の言葉。 「あとで一週間嘆くことになるとわかっていて、誰が一分間の快楽を求めるだろうか? これから先の人生の喜びのすべてと引き替えに、今ほしい物を手に入れる人がいるだろうか? 甘い葡萄一粒のために、葡萄の木を切り倒してしまう人がいるだろうか?」(ルークリース) 頭木「あとで大変なことになるとわかっているのに、目の前のしたいことをしてしまう人、そんな人がいるのかということを3回繰り返し聞いているんですけど、いるか、いないかっていうと、いるっていうことなわけですよね(笑)」 川野「そうですよね(笑)。いるから、そういうふうに言うんでしょう」 頭木「そうですね。実際には、ほとんどの人がそうだと思うんです。私自身もそうですし」 余談だが、植木等が「スーダラ節」を歌う前にかなり悩んだと言う。彼の実家は浄土真宗の寺で、父は僧侶、反対されると思ったらしい。ところが父は、「わかっちゃいるけどやめられない」は親鸞の教えに通じると言って賛成してくれ、息子を励ましたという。 しかし出来ないからと言って、しなくて良いということにはもちろんならない。そうではなく、「出来ないのが人間」ではないか、そのことを先ず認めることから始めなければならないのではないか、そう頭木氏は言う。 「明けない夜もある」(『マクベス』) 絶望している人をなぐさめる時によく聞かれるのが、「明けない夜はない」という言葉だ。これは『マクベス』に出てくると言う。それは、マクベスに妻子を殺されて嘆いている男に、別の男が「明けない夜はないよ」と言葉を投げかける場面で、実はその男もマクベスに父親を殺されている。つまり、マクベスに身内を殺された者同士だ。 頭木氏はこれにずっと違和感を覚えていたという。それは、妻や子どもをマクベスに殺されたことを、今聞かされて嘆き始めたところなのに、「明けない夜はないよ」と励ますのは早すぎるのではないかと言うことだ。 原文は“The night is long that never finds the day”。直訳すると「夜明けが来ない夜は長い」となる。でも、自然現象としての夜明けはいずれは来るわけで、「明けない夜はない」と言うのは意訳として間違いではなく、たいていはこう訳される。ただ、頭木氏は、「泣きだしたばかりの人に、『涙はいずれ乾くよ』って、いきなり言うのはおかしくないですか?」という思いがあった。 翻訳家の松岡和子氏は、ここはそんな楽観的な言葉ではなく、「覚悟をうながす言葉」ではないかと言う。その覚悟というのはつまり、「マクベスを倒さない限り、夜明けは釆ないと。悲しい夜がずっと長く続くぞ」ということだ。そして松岡氏は、「『朝が来なければ、夜は永遠に続くからな』(『シェイクスピア全集(3)マクベス』ちくま文庫)というふうに」訳しており、その訳に感激した頭木氏は、「こういう解釈もあり得るのか」と思ったそうである。 悲しみというのは、あたかも自然現象のように時間とともに消えていくと捉えてしまうのではなく、「大切な人を失ったというような深い悲しみは、いつまでも続くこともあるよと。そういう言葉としてとらえることもいいんじゃないか」。そして、「明けない夜もある」というふうに訳したいとも言っている。 時間では癒やされないような悲しみをいつまでもひきずっていると、「周囲も『これだけ時間が経つのに、いつまで悲しんでいるんだ』というふうになってきますし、自分自身も『いつまでも悲しんでいる自分はいけないんじゃないか』と、そんなふうに思いがち」になる。そうすると、悲しみが癒えない上に、自分で自分を責め周囲からも責められ、より辛いことになってしまう。 だからこそ、「現実にそういう悲しみがある以上、そういうこともあるんだよって知って」おくこと、「『明けない夜もある』『明ける夜もある』。両方知っておくほうが大事」なのではないかと言う。 頭木氏によると、最近のアメリカの心理科学会誌に発表された研究で、「時間の経過だけでは人は癒やされるとは限らない」ということが確認されたと言う。さらにこの研究チームは、「『時間が解決してくれる』と、当人や周囲が思ってしまうことで、かえって回復をさまたげたり、こじらせてしまう原因となっている」と指摘しているそうである。そして氏は、「それにしても、こうした研究のない時代に、時間が経っても癒やされない悲しみがあるということを描いたシェイクスピアは、やはりたいしたものだと思います」と結んでいる。 本書にはそのほかにもさまざまな言葉と体験が綴られている。そこでは、「死が救いに思われるほどの絶望をすくいとって言葉にしていく」ことを軸として、文豪たちが遺した名言と体験を重ね合わせられている。そして、「文豪たちの絶望名言がそうであるように、一人の苦しみをつきつめていくと普遍性を持つものです。この番組はそのプロセスの実践」であると結んでいるおもえt。本書は本当の共感とはなにかについて深く問いかけているように思える。 繰り返すが、興味を覚えられたらぜひ通読されることをお勧めしたい。私たちが抱える課題に対する見方を深める糧になると思う。本書は本当の共感とは何かについて深く問いかけているように思えたが、また私たちにとって他の意見や主張を偏りなく理解することの難しくまた重要なことかを痛感させられた。(雅) |