月刊サティ!

読んでみました

2018年7月~12月  

パール・バック著『母よ嘆くなかれ』(1993年、法政大学出版局)

  ノーベル文学賞の受賞者で『大地』などの名作によって世界中に名の知られているパール・バックに知力にハンディキャップのある娘さんがいたことを知ったのは友人からのメールに添付されていたサイトの情報からだった。
  そのサイトに紹介されていた本の抜粋に、私の目は射抜かれたのだ。それは、次の文章だった。
  「もしわたしの子どもが死んでくれたら、どんなにいいかと、わたしは心の中で何べんも叫んだものでした!このような経験のない人たちにとっては、これは恐るべきことのように聞こえるにちがいありません。でも同じ経験をもっている人たちには、おそらくこれはなにも衝撃を与えるようなことではないのです。わたしは娘に死が訪れることを、喜んで迎えたでしょうし、今でもやはりその気持ちに変わりはないのです。もしそうであれば、娘は永遠に安全であるからです」
  私は、30年近く前に、心臓に重度の障害のある子どもを産んだことがある。
  健康に生まれたと信じていたわが子が明日をも知れぬ命だと知った時、私はあまりのショックから混乱状態に陥った。
  そしてその時に、「なぜこの私がこんなひどい目に会わなければならないのか?私にはこんな子どもは育てられない。親としての情が移ってからこの子に死なれたら私は生きてはいけないだろう。まだ何もわからない生後間もないうちに死んでほしい」という思いが心を去来したのだった。
  結局、次男は生後4カ月目に手術を受けて、術後感染のため命を落とすことになったのだが、その時に自分が心の中で思ったことが息子に伝わり、そのために親に迷惑をかけたくないと思って死んでしまったような気がした。そしてそれからの私は、たとえ心の中であっても、わが子に死んでほしいと願った最低の母親だという自責の念に苛まされることになった。
  私が地橋先生の瞑想会にたどり着き、そこで特に心の反応系に重きをおいた修行を積み重ねてきたのも、このような経緯による。
  自分が次男の命を奪ったという罪悪感を手放せない限り、私は死ぬに死ねないという思いがあったからである。そして、ヴィパッサナー瞑想の明確な修行システムの中で、自分なりに必死で鍛練を繰り返した甲斐があって、ようやくその課題を克服できつつあると実感されてきた今日この頃、私の目に飛び込んできたのがこのパール・バックの言葉であった。
  「私だけじゃ、なかったんだ!パール・バックのような偉大な女性さえ、自分の子どもに死んでほしいと思ったことがあるんだ!」
  パール・バックの赤裸々な告白の言葉は、私には次男からの赦しのメッセージのように感じられ、思わず涙がこぼれたのだった。この本をすぐに取り寄せて、貪るように読むことになったのはいうまでもない。
  パール・バックの子どもは、身体的にはとても健康に生まれたように見えたのだが、3歳になっても言葉を話すことができなかった。外見的には、まったく問題のないどころか、むしろ飛び抜けた美しさを持つわが子が、ひょっとしたら何か発育上の問題を抱えているのかもしれないという疑念は日に日に大きくなり、彼女はその原因の解明のため、娘と一緒に名医を求めて世界中を探し回ることになる。それは、長く悲しい旅の始まりだった。
  当時(1920年代)の医療水準は、現在ほどは発達していなかったせいもあり、どこに行ってもはっきりとした病名もわからず、それゆえに治療法の手がかりさえつかめないままに、途方に暮れるしかなかった。しかも、どの医者も診断の最後には、「回復の希望はないことはないと思いますので、諦めることなく養育を続けてください」というようなことを言う。この言葉に残されたわずかな希望を胸に、彼女は厳しさを増す経済事情の中、なりふり構わず各地をたずね歩く破目になったのだ。
  しかし、その苦悩の旅も、ある冬の日に終わりを迎えることになる。それは、ミネソタ州のある病院で、これまでと何も変わらない曖昧な診断結果を知らされた後、診察室を出てホールの方へ歩いて行った時に起こった出来事だ。その病院に勤務していた別のドイツ人の医師が部屋から出てきて、彼女に助言を与えたのだった。パール・バックにとっては、「生きている限り、感謝しなくてはならない一瞬が、幸運にも訪れたの」である。
  私にはこのくだりが、本の中では最も印象に残ったところでもあるので、その部分を詳しく書き出したい。
  「『わたしの話すことをお聞きください』と、そのお医者さんは、命令するように、こういわれました。『奥さん、このお嬢さんは決して治りません。空頼みはおやめになることです。あなたが望みを捨て、真実を受けいれるのが最善なのです。でなければ、あなたは生命をすりへらし、家族のお金を使い果たしてしまうでしょう。お嬢さんは決してよくならないのです。おわかりですか。わたしにはわかるのです。わたしはこれまでにこのような子どもを何人も何人もみてきました。アメリカ人はみな甘すぎるのです。しかし、わたしは甘くはありません。あなたがどうすればよいかがわかるためには、苛酷なほうがよいのです。
  この子どもさんは、あなたの全生涯を通し、あなたの重荷になるはずです。その負担に耐える準備をなさってください。この子どもさんは決してちゃんと話せるようにはならないでしょう。決して読み書きができるようにはならないでしょう。よくて4歳程度以上には成長しないと思います。奥さん、準備をなさってください。とくに、お嬢さんにあなたのすべてを吸い取ってしまうようなことをさせてはなりません。お嬢さんが幸福に暮らせるところを探してください。そしてそこにお子さんを託して、あなたはあなたの生活をなさってください。わたしはあなたのために本当のことを申しあげているのです』」
  一見しただけでは、残酷きわまりないこの助言が、パール・バックには絶望から希望への大転換となった。パール・バックはその時の自分の内面の変化を次のように表現している。
  「わたしはそのときのわたしの感情を筆で表すことはできません。同じような瞬間を通ってきたことのある人には、語らずともわかっていただけるでしょうし、またその経験のない人には、たとえどんなことばを使ってみても、わかっていただけないことですから。それを表現する道があるとすれば、ただそのとき、わたしの心は絶望して血を流している、そんな感じであったと、申しあげるより他ありません。
  娘は広いところに出たのがうれしかったのでしょう。跳んだり、踊ったりしていました。そして涙にゆがんだわたしの顔を見て、大きな声を立てて笑うのでした」
  「これはすべて遠い昔に起こったことでしたが、しかし、わたしが生きている限り、わたしはことが終わったなどと思うことはできないのです。あのときのことは、今でもわたしのもとにとどまったままなのです。
  わたしはもちろん、あの小柄なドイツ人がわたしにいってくださったことばによって、すべて諦めたわけではなかったのです。
  でも、あのとき以来、わたしの心の奥底では、あのお医者さんのいわれたことは正しかったのであり、もはや望みはないのだ、ということがわかっていたのです。
  あの最後の審判が下ったときにわたしはそれを受け入れることができました。すでにわたしは無意識のうちにそれを認めていたからです。
  わたしは、娘を連れて、また中国の家に帰ったのです。
  お名前も存じ上げないあのお医者さんにたいするわたしの感謝の気持ちは決して消え去ることはないでしょう。あのお医者さんは、わたしの傷を深く切開しましたが、その手際は鮮やかで、しかもすみやかでした。わたしは一瞬のうちに、避けることのできない真実に直接顔を合わせることになったのでした」
  なぜこの場面が私の心に最も響いたかというと、それこそがヴィパッサナー瞑想の本質だと直感されたからである。
  私たち人間の生きる苦しみとは、二元対立の価値観に翻弄されることからくると私には思われる。次男の心臓の疾患がわかった時の私のネガティブな反応も、源をたどっていけばそこにぶち当たるのだ。
  進化の頂点と考えられている人間の脳は、思考やイメージという概念を発生させることで、この世の真理の探求の有力な手段を獲得したことと引き換えに、世界を善と悪、優れたものと劣ったもの、重要なものとどうでもいいものというように、自分が勝手につくり出した価値判断軸という妄想の基点に振り回されることを運命付けられることとなった。(これは地橋先生の持論でもある)
  そして、自分の知能に誇りを感じている者ほど、そのエゴの持つ極端性に心が引き裂かれることになる。なぜなら、二元対立という矛盾のバランスをとるために、自分がプライドを置いている対象と真逆の存在に必ず斬られるからだ。
  パール・バックの場合も、知的なものをことのほか重んじる家系に生まれ、たぐい稀なる人並み外れた文才に恵まれたゆえに、正反対の現象に襲撃されたかのようであった。
  自分自身の明晰な頭脳に多大な満足感を覚えていたパール・バックにとって、知能の発育が遅れたわが子の存在は、最初は地獄のような苦しみをもたらしたが、ドイツ人医師の言葉によって、その逃れることのできない運命を受け入れるしかないと腹を括った時に、地獄から天国への転換が始まったのだと思われる。そしてこれもまた二元論のエゴの性質ゆえに発生していたものなのだ。
  後になって、自分の子どもに知能の発育に問題があると知った時の激しい苦悩の理由を、パール・バックはこのように分析している。
  「わたしの家族はみな、愚かなことや、のろまなことを黙って見ていられないたちでした。しかもわたしはとくに、自分よりも感受性のとぼしい人にたいして我慢できない、というわたしの家族の癖をすっかり身につけていました。そのわたしのところに自分でもどうしても理由のわからないハンディキャップを受けた娘が授けられたのです」
  私の場合もパール・バックとまったく同じだった。
  人一倍、虚栄心が強くて、この自分には健康で優秀な子どもが与えられるのは当然だと考えていたのだ。そして、その子の能力を伸ばして、社会的に立派だと認められるように育てるのが自分の役目であり幸せなのだと信じて疑わなかった。それがどれほど傲慢な考え方であったのか、ヴィパッサナー瞑想の精神を受け入れることができた今ならはっきりわかる。
  自己中心的な二元論の価値判断軸を肯定している限り、私たちは生きる苦しみからは決して解放されないということも。
  ヴィパッサナー瞑想では、「捨(ウペッカー)」の心が何より大切だとされる。「捨」とは「平等性」と訳されることが多い。これは、百パーセントの希望は、百パーセントの絶望からしか転換されないということを教えてくれているのではないだろうか。
  だからこそ、無慈悲にも感じられるドイツ人医師の絶望的な宣告は、わが子の状況が何も変わらないままで、暗闇から希望の光を呼び込むきっかけとなったのだ。
  知能に障害のあるわが子の存在を完全に受容し、自分が死んだ後にも子どもが安全に幸福に生きていける施設を見つけたパール・バックは、そこの生活に娘が馴染み、家に帰ってきても間もなくその施設に戻りたがるようになったことに気づいて、ようやく子どもとの長い闘いに終止符が打たれたことを知る。
  しかし、それはわが子との闘いではなく、自分自身のプライドとエゴ妄想に対する一人相撲に他ならなかったことを理解するのである。私には、この心の変容の過程が、まさにヴィパッサナー的だと感じられたのだ。
  パール・バックは自分の思い込みが根本的に間違っていたことに気づいた時のことを次のように記している。
  「わたしは、この歩んで行かねばならない最も悲しみに満ちた行路を歩んでいる間に、人の精神はすべて尊敬に値することを知りました。人はすべて人間として平等であること、また人はみな人間として同じ権利をもっていることをはっきりと教えてくれたのは、他ならぬわたしの娘でした。どんな人でも、人間である限り他の人より劣っていると考えてはなりません。また、すべての人はこの世の中で、安心できる自分の居場所と安全を保証されなくてはなりません。わたしはこのような体験をしなければ、決してこのことを学ばなかったでしょう。もしわたしがこのことを学ぶ機会を得られなかったならば、わたしはきっと自分より能力の低い人に我慢できない、あの傲慢な態度をもちつづけていたにちがいありません。娘はわたしに『自分を低くすること』を教えてくれたのです」
  「娘はまた、知能が人間のすべてではないことも教えてくれました。娘はわたしにはっきり話すことができなかったのですが、その意思を通じさせる道はありました。娘の性格にはきちんと一貫したものがありました。彼女にはすべての嘘がはっきりわかるようで、どんな嘘でも決して許しませんでした。娘の精神はあくまでも純粋だったのです」
  「親は、自分の子どもの生命は決して無駄ではない、たとえ限られた範囲内であっても、人類全体にたいして重大な価値をもっている、ということを知れば、慰められるはずです。わたしたちは、喜びからと同様に悲しみからも、健康からと同様に病気からも、また利益からと同様に不利益(ハンディキャップ)からも、おそらく後者のほうから、より多くのことを学ぶことができるのです。
  人の魂は、十分に満たされた状態から最高水準に達することは滅多にありません。むしろ逆に、奪われれば奪われるほど、最高水準にむかっていくものなのです」
  人生のほとんどすべてであった茨の道を歩き通した果てに、パール・バックが得た洞察も、エゴレスの心しか救いはないということであった。エゴレスとは百パーセントの平等性という意味である。
  私には、それは、プライドだけでなく、何かがあるという存在妄想ですらも徹底的に否定すること、そしてそうだからこそ、完全なる平等性とは思考やイメージによっては決して伝えることは不可能で自分自身の修行によって覚るしかないということだと解釈された。そして、これこそが、ヴィパッサナー瞑想の本質に通じていると思われるのだ。
  『母よ嘆くなかれ』のこの本に出会ったことで、次男が姿を変えて、もう一度私のもとに現れてくれたような錯覚を覚えた。自分の傲慢さをなくすため、これまで一所懸命に修行を続けてきた私の努力を認めてくれたかのように。
  「お母さん、もう十分だよ。ありがとう」
  そう語りかける息子の声が、パール・バックの文章の行間から聞こえてくるような気がした。その声に向かって「・・生まれてきてくれて、ありがとう」と呟くと、感謝と喜びの涙が溢れ出て、一瞬、目の前が真っ白になった・・・。(K.U.)


映画『ゲッベルスと私』を観て

  先日、岩波ホールで『ゲッベルスと私』というドキュメンタリー映画を観た。
  この映画は、第二次世界大戦中、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書として働いていたブルンヒルデ・ポムゼルという女性の独白を主軸として制作された作品である。
  彼女が映画のためのインタビューに応じたのは、103歳の時。106歳で亡くなるのだが、その年齢にしてはあり得ないほどの研ぎ澄まされた記憶力で、当時の出来事を淡々と語っていく。そのモノローグの合間に次々に映し出されるホロコーストにまつわるアーカイブ映像も衝撃的だ。
  虐殺されたユダヤ人の死体が道端に転がっている映像。
  それを荷車で運んで、死体置き場に投げ捨てる場面。
  死体置き場に積まれた屍体の山
  私も今までにテレビなどでこの種の映像は数多く見てきたつもりだが、これほど悲惨で生々しい映像ははじめてだったのでショックを受けた。
  しかし、目をそむける気にはなれなかった。それどころか、これはめったに見ることができない貴重な映像だから、この機会にしっかり目に焼き付けておこうとさえ思った。
  これは、普段は怖がりの私にとっては非常に珍しいことである。だからこそ、その翌日、目覚めた瞬間に、この映画の中のブルンヒルデ・ポムゼルさんの表情とアーカイブ映像が鮮明に頭に浮かんできたのだろう。
  ・・・不思議だと感じたのは、頭に浮かんできたのが言葉ではなく映像だったこと。思考優位の脳の持ち主である私の場合、今までだったら、夢にしても言葉でのメッセージばかりだったからである。その時に感じたのは、「思考より映像の方がより事実を直感できる」ということだった。
  映画の中で、ポムゼルさんは「なにも知らなかった私には罪はない」と断言していた。その言葉は、それを聴く者の心に突き刺さるような印象を与える。だからこそ、映画のポスターにもはっきりと明記されているのであろう。
  しかしながら、そのポスターに全面的に映し出されているポムゼルさんの顔の写真は、その言葉は本心からのものでないということを如実に物語っているように私には感じられるのだ。実際に、私はこのポスターを目にした時に、激しい違和感を覚えた。
  言葉は便利なツールであり、人は軽々しく口を開き思ったことを口にする。だが、その言葉が本心からのものかは言っている本人にもわからないことが多々あるのではないだろうか。そういう意味では、自己保身に一番便利なのは言葉のような気がする。
  自分自身を省みても、言葉では立派なこと、模範生のようなことを語っていても、実態はそれとは真逆で、本心ではそういう理想的な状態になりたいと切望しているだけということがよくあるからである。それに対して、映像、特に人の顔の表情は本心をそのまま伝えていることが少なくないように感じる。
  ドキュメンタリーの賞をとるような写真などを見ると、言葉では言い尽くせないありのままの情報が込められていると感じることがよくあるからだ。ポムゼルさんの場合もそれに当てはまると思った。
  彼女が記憶の糸を手繰り寄せるようにして絞り出す一言一言よりも、その言葉を発している時の表情の方が強烈に印象となって残っているからである。話の内容はほとんど忘れてしまっても、映像だけは記憶に残っているといった方がいいかもしれない。
  ポムゼルさんの表情で特に特徴的なのは、顔の隅々にまで刻まれた無数の皺である。その皺の深さと数の多さに衝撃を受けた私は、もはや人間の皮膚ではないとさえ感じたくらいだ。あまりの心の葛藤ゆえに、人間を通り越して樹木になってしまったかのようにも見えた。そのような表情が2時間近くも映像として映し出されるのだから、記憶に焼き付くのは当然のことかもしれない。
  それに、その表情の合間には、これ以上ないほどのやせほそった死体の山がこれでもかこれでもかというように迫ってくるのだから。そのような映像にさらされながら、当時の記憶を淡々と語るポムゼルさんとそれらの生々しいアーカイブ映像の対比に、ある意味、芸術的だとさえ感じたのを覚えている。
  ・・・しかし、映画を見ながら思ったのは、私はそこにいない、だから本当にはわからないのだということだった。なぜなら、当時その現場にいる人たちには、死体の山が否応なく目に飛び込んできただろうから。肉片が飛び出している状態だとか、宙に浮いたような視線の死体の目もそうだし、それにあたり一面に漂っている死臭からはどうやっても逃れることはできなかったにちがいない。
  そう思ったら、岩波ホールのような近代的で清潔な映画館で映像を見ているだけの自分には、いくら映像からリアル感を感じられるといっても限界があると悟った。ただできるのは、想像することだけだというように。
  ポムゼルさんも、当事者といっても、そのような極限的に悲惨なホロコーストの現場に立ち会ったわけではないだろう。だからこそ、「私には罪はない」と言って目をそらすことができたのではないか。ヒトラーやゲッベルスのように、逃れる道を断たれたものは自殺する他なかったのだから。
  そのように考えれば、ポムゼルさんもまた時代の生き証人にはなれなくて、あくまでもその時代の断片の一つにすぎないということではないだろうか。
  ・・・では、本当の事実、本当のリアルを知っている者は誰なのかというと、そんな存在などどこにもいないということにならないか。
  確かに体験は言葉や映像よりも強烈である。でも、その体験も瞬間的なもので、人それぞれの主観的なものにしかすぎないのだ。それに、ポムゼルさんも、渦中の現場にいる時には、実際に何が起きているのかは当事者にはわからないという意味のことを話されていた。自分がどのようなことをしていたのかを、客観的かつ理性的に把握できるのは、すべてが終わった後のことだと。その時に変だと薄々は気づいてはいても、時代の流れに逆らうことは最悪の事態を覚悟しなくてはならないことを意味するから、あえて突き詰めて考えないようにしていると。
  つまり、そのような非常事態のまっただ中にいる者は、思考停止に陥らざるをえないということだ。
  東日本大震災の場合も同じことが言えるだろう。
  津波に巻き込まれそうになった人たちに冷静な判断を求めるのは、安全圏にいる部外者の発想なのだと思う。そういう事態の時に、思考優先の理性的な判断などできるわけがないのだから。生き延びようとする本能に身をまかせ、体が勝手に動くのについていくのが精一杯なはずで、判断をしたと認識できるのはその後のことなのである。
  ・・・この映画から学んだことで、私にとって一番大きかったのは、思考なんて所詮遊びなんだなと痛感したことだ。思考よりイメージ、イメージより体験の順番で、リアル感は増していく。でも、その体験すらも、また瞬間的に移り変わっていく幻なのだということかもしれない。
  ホロコーストの犠牲になった多くのユダヤ人の方々でさえ、死んでしまえば、忌まわしき記憶も消え失せる。殺される瞬間の恐怖や苦しみの感覚さえ、刻々と変化していくものなのだから。
  そこまで突き詰めて考えたら、思考やイメージや体験に対して赦せないという怨念が執着心と言えるのかもしれないと思った。その執着が手放せない限り、ありもしない幻覚を自分が作り出してそれに自分が苦しむことになるだろう。
  だが、そのことに気づけるのは、遊びの次元のものである思考ができるようになってからなのかもしれない。つまり、すべてが終わって、何もかもが関係なくなってからということだ。
  そういう意味では、進化の頂点をきわめた人間しか持てない思考能力というのは、この世には意味はないとはっきり自覚された後に確かな意味を与えてくれる、矛盾の極みなのかもしれないなと思った。
  ・・・最後に、ポムゼルさんがなぜ驚異的な記憶力と思考力を晩年まで持ち得たのか、その理由を私なりに分析してみたい。
  それは、「なにも知らなかった、私には罪はない」と思いたかった自分の表層意識と、「なにも知ろうとしなかった、私には罪がある」と本心では感じていた自分の深層意識のギャップを埋めるために、トラウマの記憶を忘却することができなかったからだと思われる。じっとしていると当時の記憶がよみがえり、常に自分で自分を責め続ける人生だったのではないのか。
  「自分には罪はない」とさわやかに言い切れるのは、ヴィパッサナー瞑想を始める上での基本となる五戒を厳守することと関係する。地橋先生によると、戒の瞑想が完成することは仏道を完成したことと同じ次元であるということだ。私たちは、はたして「自分には罪はない」と言い切れるのか。
  今、この時代にあって、ポムゼルさんと同じ轍を踏まないと自信を持って胸を張れるだろうか。「トランプ米大統領が演説しているのをテレビで見たら、昔を思い出しましたよ」とは、106歳で死去したポムゼルさんがクレーネス監督に電話で伝えた言葉なのだそうだ。
  その言葉の重さを知るものは、ヴィパッサナー瞑想の修行に真剣に取り組むようになるだろう。勇気をふりしぼって、人生の最期に全世界に向けて独白をしてくださったブルンヒルデ・ポムゼルさん。ご自分にできる最大の使命を果たされたその行為に心から感謝を捧げたい。(K..  


『あなたの脳のはなし』デイヴィット・イーグルマン著(早川書房 2017年)

  学校では色や光の三原色、そして波長の違いによって色の違いが生まれると学ぶ。その時はその先は無かった。しかし、実は、「外部世界に色は存在しない」「私たちは何百万という波長の組み合わせを区別できるが、そのうちのどれかが色になるのは、私たちの頭の中だけのことだ。色は波長の解釈で有り、内部にしか存在しない」のだという。また、「私たちに見えるのは、生物学的に限定された、現実の一部でしかない」ということ、ダニ、コウモリをはじめとして、「生物が感知できるのは生態系の一部」であり、「実際に存在する客観的現実そのものを経験している生物はいない」。
  著者はスタンフォード大学の神経科学者。本書は、情報を受け取った脳による認識、理解、決断の、行動という「プロセスの大部分は意識に上らず、本人も気づかないうちに終わっている。本書は、このような脳と意識や意思決定のことが歯切れよく語られてく」(「訳者あとがき」による)。
  このように、わたしたちの行動、信念、偏見もすべて、「意識的にアクセスすることができない、脳内のネットワークによって、決定される」のではあるが、しかし、脳は自らそのネットワークを書き換えることができる。それは脳の最も強力な特徴のひとつであって、良くも悪くも脳の回路に刻み込むことで考えたり意識することなしに実行されるようになる。まさに「反応系」の書き換えに希望を置くところの所以である。そしてついには、「新しいスキルは意識のおよばないところに沈む」ことになる。
  これは、脳は前頭葉抑制の状態になること、そしてその状態は「心中のおしゃべりによって気を散らされることがなくてはじめて、実現できる」し、「意識は傍観者になっているのがベストである場合が多い」。これはあらゆる修練と言われるものにあてはまることであり、ヴィパッサナー瞑想の訓練にも重なる。
  また、興味深い指摘は、共感が人類の進化の上で培われてきた有益なスキルだと言うことである。「私にあなたは必要か~」の章では、正常な脳の機能には周囲の社会ネットワークが欠かせないとする。「あなたは他人が苦しむのを見るとき、それは彼らの問題であって自分のことではないと、自分に言い聞かせようとするかもしれない――が、脳の奥深くのニューロンには、その差がわからない」「他人の痛みを感じるこの生来の能力は、私たちが自分の立場を離れて相手の身になれる理由のひとつである。しかし、そもそもなぜ私たちにはこの能力があるのか、(中略)人が感じていることをうまく把握できたほうが、人が次にやることを正確に予測できる」。
  その他、「時間的な差のある複数の情報を同時に感じるために、私たちは過去に生きることになる」ことや、決定に関する神経のネットワークは「自我消耗」と呼ぶ心理学者が呼ぶところの生物学的なニーズにしたがっていること、アイオワ州の小さな町の教師が教室で子どもたちに「他者視点の取得」と「ルール体系は恣意的」なことを体験させ、「自分自身の意見を持つ力を与えた」こと、さらには、最終章「私たちは何ものになるのか?」では、これからのテクノロジーの進歩の方向を予見するなど、興味は尽きない。
  最後に、「人類の明るい未来を望むなら、人間の脳がどうやって相互作用するかを研究し続ける必要がある――その危険と機会の両方を。なぜなら、私たちの脳の配線に刻み込まれた真実を避けることはできないから。私たちは互いに互いを必要としているのだ」と結ぶ。今まで学んできたことをさらにいろいろな面から補ってくれる一冊であった。(雅)
 
 

『人類は何を失いつつあるのか』山極寿一、関野吉晴著(東海大学出版部 2018年)

  「ゴリラ社会と先住民社会から見えてきたもの」という副題の本書は、山極氏と関野氏による対談で構成されている。山極氏は1978年以来、アフリカ各地でのゴリラの野外研究を通じて、初期人類の生活や人類に特有名社会特徴の由来を探っている。関野氏は1993年から約10年間、南米からアフリカまでの「グレートジャーニー」完遂で有名。その後もシベリアやヒマラヤからの陸路の旅、インドネシアから沖縄までの手作りカヌーの航海などを行っている。
  特に瞑想との関わりを期待したわけでもなく、興味の赴くままに読み始めたが、なかには視野を広げられる見解が数多く見られ、情報を豊かにする一環として役立つものと思われるのでここに紹介したい。
  例えば、人間とチンパンジーのゲノムは1.2パーセントしか違わないことは今では広く知られている。また、ゴリラやオランウータンとも2パーセント以下の違いしか無いのに、サルとゴリラ、サルとチンパンジーでは3パーセント以上も違う。そこで、こう言うことになる。「正しい分類では、ゴリラのチンパンジーはサルの仲間ではなく『人間の仲間』なんですね」。
  また、食料の調理によって咀嚼時間が節約され自由時間を持つことが可能になり、その結果、「社会交渉」によって集団を大きくすることが出来るようになったと言う。これはしばしばダントークでも触れられているように、出産期間が短いこと、複数の育児や食物の分配をする必要性からの「共同保育」や「食物の共有」と大いに関係すると見られる。またそれが、男が集団を支える柱になると同時に子育てに参加する契機になり、人口増加への結びついたのではないかとされる。
  さらには、「勝つ論理」のニホンザルの社会と、「負けない論理」でできているゴリラの社会、そして誰もが負けないように作られた「社会の装置」である人類の家族の特徴も興味深い。また、森のなかの棲み分けという「勝ち負け」に関係しない精神風土、集団の維持のため食物を平等に分配する中で生まれた平等意識の規範化、狩りも道具作りも一人でできるのにわざわざ他人の力を借りて獲物を分け合うアフリカの狩猟採集民等々、役割分担と協力が人間にとってとても大切なことにあらためて気づかされている。
  おもしろいのは、初期の人類には「所有の意識」が無かったかというと、実はそうでもないらしいと言うことだ。例えば、アマゾン奥地に住む平等社会のはずのヤノマミ族が、野生のヤシの木を指して「あれはオレのものだ」と主張してそれを周囲も認めている。その反面、土地などのように自分の力でコントロールできないものを所有物だとは主張しないのだ。このように、野生の木には最初にみつけて利用した所有者はいるが、「その所有者はしかし、木の実を独占するわけでもなく、貯め込むわけでもなく、採ってくれば仲間に分ける・・・・。所有者が利用しなくなった時はほかの者に簡単に譲って」しまう。食料以外でも、「ナイフを3本持っている人は持っていない人にすぐにあげて」しまい、所有が独占や貯蓄には繋がっていない。「所有物でも、物とは本来、必要な人に渡っていくのが当たり前だ、と捉えている節がある」のだそうである。
  最後に、ゴリラには「他者をいたわる共感力や紛争の調停力も備わっていて、私たちの遠い祖先が偲ばれる」し、人間はそこからさらに進化して、「人間らしさ」を築き上げてきたにもかかわらず、それが今日失われようとしていることを憂慮しつつ、「家族やコミュニティーの崩壊、伝統技術や智恵の喪失、教育の変容、極端な個人主義の蔓延、奪われる平等、調停の効かない紛争などはその表れだ」と述べている。しかし、そう警鐘を鳴らす一方で、著者らは、歴史から学びつつ未来を展望し得るのもまた人間であると、ポジティブな捉え方も垣間見せる。
  本書はこれらさまざまの示唆を含んでいるが、特に「総合的な学力」に言及したところに共感を覚えた。それは、ある一つの分野だけではなく、「テーマや問題を大局的な視野で眺めることができる能力」であり、それは、「競争的な環境で鍛えられるわけがない。鍛えて発揮するには、さまざまな話をじっくり聞き、頭の中で整理して、過去に蓄積した知識や教養と照らし合わせていくことが求められ」るということである。まさにこれは、私たちがヴィパッサナー瞑想の一部に通じ得るのではないかと思われる。(雅)



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