月刊サティ!

読んでみました

2015年7月号~10月号

黒川祥子著『誕生日を知らない女の子 虐待  -その後の子どもたち』(集英社 、2013

11回開高健ノンフィクション賞(2013)の受賞作。
  200821日に行われた「児童養護施設入所児童調査結果」によれば、養護施設児の場合、両親の虐待・酷使を理由とする入所が14.4%にのぼる。虐待がいかに子どもの発達に惨い影響を与えるか、それは脳全体の成長という物理的なものから、世代を継いでの虐待の連鎖にまで及ぶことを迫真の筆致で綴っている。
  本書では、親から激しい虐待を受けて児童相談所に保護された後に里親やファミリーホームに引き取られた子どもたちとその養育者の、言語を絶するほどの壮絶な苦闘の様子がリアルにそして衝撃的に語られる。著者は言う。「虐待とはこれほどまでに人間の根幹を歪め、損ねてしまうものなのか、そのすさまじさを改めて思わずにはいられない」「虐待によって人間としての基盤をもらえなかった子供たちに、どれほど困難な人生が待ち受けているか、その残酷さに胸が震えた」
  「あいち小児保健医療総合センター」の心療科部長杉山登志郎氏は、虐待によって発達障害のような状態を呈することを「発見」し、その上で、第一の精神遅滞・肢体不自由などの古典的発達障害、第二の自閉症や高機能広汎性発達障害、第三の注意欠陥多動性障害(ADHD)及び学習障害(LD)に続いて、子ども虐待を第四の発達障害と位置づける。例えば、第一章で描かれた美由ちゃんの『・・・あたしね、七月十日生まれなのを、五歳まで知らなかったんだ』という“お話”。第三章では、実態を知られると困るから知的障害と偽り、里親に出させない施設で育った小学4年の男の子が、『・・・大人になっても、どうせ俺はバカだから、お仕事は出来ないし、今、死んだ方がいい。大人になるってつらいことだろう』と体を震わせて泣きじゃくる。「虐待そのものが、子どもの脳に器質的な変化を与え、広範な育ちの障害をもたらして、発達障害と言わざるを得ない状態を作り出している」のだ。
  しかし最後に筆者が、「壁になったり解離して生き残ったサバイバーである子どもたちそれぞれが、愛してくれる人たちの中で、弾ける笑顔を取り戻していた。自分のことを理解し、受け止めてくれるあたたかい存在がいれば―それは実の親でなくても―その子の人生が救われるのだということを、ファミリーホームの子どもたちの“今”に見た」と記しているところに、わずかな光があった。
  それにしても、家庭や施設での暴力から逃れ、保護されて生き延びた子供たちを待っているのは、重い虐待の後遺症。果たして心から生きていて良かったと思える日がやって来るのだろうか・・・と、切なく、悲観的にさえ見えてくる衝撃の一冊でした。(内田)

 

 

 

『花に遭はん』伊波敏男著( NHK出版、1997

著者は 8歳か9歳頃にハンセン病を発症、14歳から療養所で生活を始め、沖縄、鹿児島、岡山の療養所での治療を経て全快。「社会の営みの中で普通に生きたいと、カミングアウトする道を選んだ。そして、社会福祉を職業とした人生は25年・・・。私の前には、少数者の課題がつぎつぎと押し寄せてきた」 (著者のプロフィールより)
  社会の偏見に正面から向き合い、力の限り闘ってきた。著者は言う「格印を押された人たちの苦しみは、今も続いている。ハンセン病への歴史的、社会的偏見が存在し、また、存在した事実がある限り、われわれは時間の経過に任せて、忘れ去られる道を選ぶべきではない。・・・『らい』が『ハンセン病』に呼び方を変えただけで、われわれが、もし、黙っているだけで、何かが解決し、何かが前進するのだろうか?」
  ハンセン病療養所に勤める看護婦と結婚した著者を待っていたのは、著者の家族の他には埋まらない職員専用のアパート、職場内保育所の子どもの受け入れ拒否という現実であった。社会の『科学的認識』と『感情』との大きな隔たりが思い知らされ、疲れ果てた結果、「もうハンセン病を口にしないでください。子どもたちのためにも、ただの手足の不自由な障害者でいいですから、過去が知られない土地で暮らしましょう」と、ついに妻子は著者のもとを去ってしまう。
  この葛藤は、1907年制定の「癩予防ニ関スル件」以来の法律が1996年、89年ぶりに廃止される時に起きた患者の中での論争と不安にも見ることが出来る。特別な法律によって患者は強制的に療養所に収容されたために必要な費用はすべて国が負担していたものが、それが廃止されるとどうなるかというのだ。普通の病気なら公費の負担もなく治れば療養所から出されるという不安、つまり、人生と人権を全否定された法律を最後の拠り所としなければならない矛盾である。
  付論に『文芸広場』(198710月号)での八幡政男氏の言が紹介されている。
  「患者(および元患者)は、偏見による悲劇をくりかえさぬためには、正しい啓蒙活動が必要だとする反面、個人的には無用の波風を立ててもらいたくない、そっとしておいてほしい、という気持がつよいのです。いわば本音とたてまえの矛盾をかかえて悩みながら生きているのです」
  この問題を個の面から見れば、『あるがままに観る』ことと問題との対峙を回避して『見たくないものに蓋をする』ことにあたる。では、社会のレベルではどうか。厳しく問われているように感じた。()

 

 

 

『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健著(ダイヤモンド社、2013

本書は、心理学の三巨頭の一人である、アルフレッド・アドラーが提唱した「個人心理学」を対話形式で分り易くまとめた一冊である。タイトルから推測すると、『他者から嫌われることを恐れずに好き勝手に生きれば、悩み苦しむ必要はない』と安易に考えてしまいそうになるが、決してそうではない。アドラーが説く思想は部分的にはダンマにも通じる奥深さがあり、ダンマの現代的な解釈という風にも私には感ぜられた。
  アドラー心理学は「人生とは連続する刹那である」と捉える。よって今ここに強烈にスポットを当てて生きるべきである。また、すべての悩みは「対人関係の悩み」だと規定する。面白いのは劣等感も優越感も言うなれば対人関係に端を発するという発想だ。
  悩みは、他者の存在ではなく、他者を通じて成される諸々の主観的な解釈(妄想)によって生じるのだとアドラーは解く。「自分唯一人宇宙に存在するならば悩みは消える」という彼の言葉は言い得て妙だ。
  アドラーは、人が幸福に生きるには「共同体意識(森羅万象を含む)」、「自己受容」、「他者貢献」が必要だと主張する。そして、何よりも自分が幸福へ向けて一歩踏み出す「勇気」が大切であると。紙幅の関係で中途半端な紹介となったが、愚輩から法友諸賢に本書を勇気を以てお奨めしたいと思う。(静山)

 

 

『なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?』志賀内泰弘著(ダイヤモンド社、2010

地橋先生の『実践アドバイス』に部屋の整頓と心の整理について書かれており、また瞑想は心の便所掃除ともよく語られる。本書は、実話をベースに日本初の「そうじ小説」と銘打って、掃除と人生とが係わる3つのストーリーを紹介しているが、「小説」というところを割り引いても、なかに出てくる寸言には納得させられるものが多い。
  曰く、「すべてはたった1つから始まる。その意味で『0と1の差』はとてつもなく大きい」「そうじとは『気づき』を教えてくれる最も安上がりで、最も簡単なトレーニングなんだ」「人の目の前でポイッとゴミを捨てる人を、あなたは『信用』できるでしょうか。・・・吸い殻を歩道に捨てる人は、自分の一番大切な『信用』を捨てているのです」「新しい行動を始めるのに最適な時期は今以外にないのです。その後で、より効率的な方法を考えればいいのです」等々。
  特に瞑想には触れてはいないが、これも日頃から実践を促されている清浄道の一つではないかと思い、またさわやかな読後感のある一冊として紹介させていただいた。()

 

 

 

アガサ・クリスティー著『春にして君を離れ』 (ハヤカワ文庫、2004

作者は有名なミステリ作家アガサ・クリスティーです。しかし、この作品には名探偵ポアロやミスマープルは出てきません。殺人事件も起きません。犯人もいません。
  「優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバクダットからイギリスへ帰る途中で出会った友人の会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる・・・女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス」(裏表紙のあらすじから)という内容です。
  素晴らしい作品の常でいろいろな解釈感想があると思います。新しい知見を持つこともできます。読む人によっていろいろな解釈考えを持てる小説だと思います。
  私にとっては、ありのままを見るというのはどういうことか、いろいろと考えさせられる小説でした。読後この小説は瞑想の体験と似ているという感想を持ちました。何が似ている云々というとネタバレになってしまうのであまり書きませんが、きっとみなさん同じ感想を持つのではないでしょうか。内観の体験ではないかという方もいました。
  とにかくあまり先入観を持たず、小説についていろいろな知識を入れず読んでほしいです。瞑想体験者なら必ず得るものがあったと思ってもらえると思います。(H.H.

 

 

梅原勇樹/苅田章著『超常現象―科学者達の挑戦』(NHK出版、2014

2014 年、NHKで放送されたドキュメンタリー番組を書籍化。番組は NHKでは、いわゆるオカルトとして忌避されそうな主題だが、企画からおよそ10年の歳月をかけて真摯な取材を重ね、ようやく完成した労作。
  本書全体は二部構成で第一部では、幽霊、臨死体験、生まれ変わりなどを、第二部ではテレパシー、超能力などが紹介されている。
  慈悲の瞑想の不思議な人間関係の円滑化なども一般的な常識に照らせば超能力とも言えそうだが、本書の第二部、episode3の『テレパシーと脳』、episode4『すべての鍵は人間の“意識”』の章でそのような以心伝心を「脳の同期現象」として「量子もつれ」という科学的知見から説明の可能性が示唆されている。
  書籍は番組の内容を補完的に網羅しているが、 NHKオンデマンドで番組自体の視聴も可能。(奥田 )


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