月刊サティ!

読んでみました

2015年1月号~6月号

 『トラウマ返し ―子どもが親に心の傷を返しに来るとき―』小野修著(黎明書房、2007
(その一)

「仏教の平和論と対立し、これまで他の人にしなかったインストラクションであるが、母に自分の辛かった気持ちを伝えて謝ってもらいなさい。そして母を許して終わりにしなさい」。昨年のゴールデンウイークの10日間合宿の終盤で私は地橋先生にこのように告げられた。後述のように、これがまさに「トラウマ返し」であると間もなく気付くことになった。
  私は若い時から鬱などの心の病に苦しみ、それを克服するため、ここ数年ヴィパッサナー瞑想の合宿や内観に通い詰めていた。それにも拘わらず、心の奥底で自分は「絶対に治らない」と確信し、さらには「絶対に治ってやるもんか」と固く心に誓っていたことが、瞑想とインストラクションの結果、露わになった。一番お世話になり、迷惑をかけた母に対して感謝もしているが、統合失調症の父に怒りをぶつけ、「お前もしっかりしなければこうなる。世間の笑い者になる」と鬼気迫る表情で私を脅してきた母への復讐、そして辛かった自分の過去に対する恨みから私は「絶対に治ってはいけない」と思い込んでいたのである。
  合宿から戻り、妻にこのことを告げて、紹介されたのが『トラウマ返し』であった。「この本をお母さんに見せたら、あなたの意図をよく理解してもらい、お母さんのショックも和らぐかもしれない」と妻が言った通り、これは「トラウマ返し」を受けた親がまず読むべき本である。親の言動によって傷ついてきた過去に関して子供が親に反撃する「トラウマ返し」は親にとり辛い体験であるが、それによって子供が救われ、かつ自分が子供に対してかけた迷惑を「内観」するきっかけにもなる。
  私の場合、一方的に母を責め立てず、自分の思いを整然と母に伝えたところ、あっさり母は涙を流し、私に懺悔した。実は母も私に苦しい思いをさせてきたのではないかという罪業感をずっともっていたのである。2時間程の「トラウマ返し」の間、何度も母は「ごめんね」と言い続けていた。その間、私はまるで内観の面接者のように母の話を聞いていた。「何も卑下することはないんだよ。お前は弱そうで強い。よくやっている。お母さんのことはいいから、あんたはまだまだ生きなければならないから、幸せになってもらわなければならないから、頑張って」と母は私に対して何度も繰り返しそう訴えかけた。
  「トラウマ返し」の結果、私は母に対して自分の本心を一生隠したまま「良い息子」を演じ続けるという心理的抑圧から解放された。親子の間で嘘偽りの無い関係を結ぶために「トラウマ返し」が必要となった子供にも是非読んでもらいたい一冊である。(つづく)(Y.T. 






 


『トラウマ返し ――子どもが親に心の傷を返しに来るとき――』小野修著(黎明書房、2007
(その二)

前号では主に私の「トラウマ返し」にまつわる体験をお話しさせていただいた。ここではそれを踏まえつつ、より俯瞰的な視点から「トラウマ返し」を捉えてみたい。
  人は成育期間に親から数知れない心の傷を受けたことによって、認知の歪みや問題行動で苦しみ続ける場合がある。子供が幼児期から現在までの間に親の言動で傷づいたことを列挙し、親を非難・攻撃することで、心の傷を親に返しに来ることを本書では「トラウマ返し」と呼んでいる。親が子供の「トラウマ返し」をしっかり受け止め、傾聴し、親としての自分のあり方を振り返り、子供に心からの謝罪をする時、子供は人生を元気に歩み始めることができると言う。この本は「トラウマ返し」を受けた親がそれを糧に、親そして人として成長するにはどうしたらよいかという「親業」について学べる内容となっている。
  言うまでもなく、親子関係は各々の人格形成に大きな影響を与えている。温かく受容的な関係を親と築けた子供は自己への信頼感を育み、自分の人生を力強く歩んでいけるのに対して、親から怒りを向けられ、緊張感を強いられた体験が多い子供は、否定的な世界観と強い不安感を抱くようになると考えられる。
  このような親子関係によって生じた問題を解決する方法の1つとして「内観」がある。「トラウマ返し」は一見その対極にあるものと言えよう。「トラウマ返し」は「内観」を繰り返しても、親子関係によって生じた心理的しこりが解消しない人にとっては試してみる価値のある方法の1つである。このような場合、まず親に自分の辛かった気持ちを理解してもらい、謝ってもらうことによって、子供は親とこれまでの人生を受け入れられることがある。また親にとっては、子供の「トラウマ返し」が自分の来し方を「内観」するきっかけとなる。子供の「トラウマ返し」を真摯に受け止めれば、親としての自分のあり方を振り返らざるを得なくなる。そして親自身も実は子供に辛い思いをさせてきたのではないかという、長年密かに抱え続けてきた罪責感を吐露し、子供に懺悔することによって、心理的に解放される場合がある。自分が良い親であろうとして子供にしてきたことが、逆に子供の心を傷つけてきたというエゴと愚かさに気付き、二度と同じ悪業を繰り返さないという智慧と決意に繋がることもありうる。
  私は、子供と親が直接対面し、お互いの来し方とそれに対する思いを共有し、赦し合うことが理想的な「トラウマ返し」の展開の1つであると考えている。大人になった子供が「トラウマ返し」を行う場合、感情的に親を非難・攻撃するのは「切り札」としてとっておき、まずは理性的にかつ情感を込めて親にこれまでの思いを伝えてみてはどうだろうか。(Y.T.

 

 

 

『それでも、私は憎まない』イゼルディン・アブェライシュ著(亜紀書房、2014

筆者はガザ地区のジャバリア難民キャンプで生まれ育ったパレスチナ人の医師。キャリアの大部分の期間、ガザに住みながらイスラエルで働いてきた。
  2009 1 16日、イスラエル軍による砲撃により目の前で三人の娘と姪を失うという言葉を失うほどの悲劇に遭った。
  「しかし彼は報復を求めもしなければ、憎しみに駆られることもなかった。代わりに、『わたしの娘たちが最後の犠牲者になりますように』と言い、同地域の人々に対話を始め、行動を起こすよう訴えたのだ」(カバーコピーより)
  報復を求める声が止まないなか、彼は「たとえイスラエル人全員に復讐できたとして、それで娘たちは帰ってくるのだろうか?憎しみは病だ。それは治癒と平和を妨げる」「憎しみや暴力より、優しい言葉や知恵の方が強いのです」「報復と憎しみを追求すれば、分別を追い払い、悲しみを増幅させ、争いを長引かせるだけだ」と言い、「壁ではなく、架け橋が必要なんだ」と訴える。
  自らの口から語られる筆者のライフストーリー、想像すら許されない悲劇には言葉もない。しかし、崇高の志はその後の氏の人道的活動に結実している。彼のこれほどの固い決意を見る時、省みて自分の修行や五戒への決意はどうであったか、衝撃は少なくなかった。(雅)

 

 

 

『雨上がりに咲く向日葵のように』山下弘子著(宝島社 、2014

「エゴの存在の承認」これが彼女を楽にしたと言う。
  2年あまり前、18歳で肝臓癌のために余命半年という宣告を受けた山下さん。テレビのインタビューでの明るさに驚き、早速著書を読んでみた。
  家族の会話から余命宣告を知り、手術を受けて甦った希望、そして再発という現実、縁あって講演をするようになった今日までの記録と生き方の変化が綴られている。
  なぜ明るく生きられるのか?彼女はその核に「ま、いっか」精神があったと言う。それでもなお、癌になったからこそ「今生きているこの瞬間を大切に生きようと思うようになったし、些細なことにも感謝し、幸せを感じるようになった。そう考えれば、癌は私の味方でもある」と考えられるようになった。今はどのような治療も受けていないと言う。
  講演も「社会の役に立ちたい」だけでは続かないと気づく。そのような承認欲求、「私は、『誰かに認められたいと思うこの欲求こそ、自分のエゴ!』と直視しました。『誰か、私を必要として!誰か私を認めて!』というエゴの存在を認めてみました」。
  日々の行動も講演も、あるがままを観ることで、心が折れることもなく幸せな毎日を送れるようになったと言う。すべては受け取り方によって心の解放に繋がる、改めて印象に残った。(雅)

 

 



『反省させると犯罪者になります』岡本茂樹著(新潮社、 2013)

先日の東京瞑想会で地橋先生がダンマトークでとりあげられた本を紹介いたします。
  この本を読んで、自分が今まで正しいと思っていたことが生き辛さの原因となっていると知り衝撃を受けました。読み進めると、まさに目からうろこの連続で、今まで信じていたものを手放しながら、新たな認知を組み換えつつ読んでいかなければなりませんでした。読み終わった時、それまでイライラしていた子どもたちの姉弟げんかをみても、穏やかな気持ちで見守っている自分に驚きを感じました。
  筆者は、囚人の方々にロールレタリングという手法をつかって更生の支援をおこなっている方です。多くの犯罪者は、不遇な幼少時代を過ごし親に大切にしてもらった経験がほとんどないそうです。自分が受けた心の傷に鈍感になっていたり、悲しみや寂しさなど弱い部分を抑圧し、強がって生きてきた人が多いそうです。
  心底反省している受刑者でも、自分の奥底に押し込めた負の感情を吐き出さない限り真の更正は決してないというのが筆者の持論です。
  ロールレタリングとは、投函されず誰にも読まれないという前提で、本音で手紙を書く心理技法です。例えば<思考>による「作文」では「私の父親は、私が小さいとき、いつも酒を飲んで暴れ、暴力をふるわれたこともありました。・・・」ですが、<感情>を前面に押し出した「手紙」では、「お前はなんでいつも酒を飲んで暴れていたんだ!お前になぐられて、俺はどんなに嫌な思いをしていたか、お前にわかるか!・・・」となります。
  このように、被害者や親宛に、時には被害者の立場に立って加害者である自分宛に、押し込められていた感情をむきだしにして手紙を書くのです。それによって閉じ込められていた否定的な感情や思いに気づき、次第に自分の内面の問題に向き合えるようになり、それが苦しみを取り除くことになっていくといいます。
  辛い過去に向き合い、心にためたネガティブな感情を外に吐き出すその苦しい行為に対して、支援者の存在は必要不可欠で、吐き出した感情を他者に受容してもらうことも重要な体験と筆者は述べています。人は大切にしてもらって初めて自分の内面に向き合うことができるのです。犯罪者の更正に使われる手法ですが、生き辛さに苦しむ人々を救う手立てにもなっています。
  私はこの本に出会い、今までけっこうないがしろにしていた自分の感情を大切にしようという気持ちになりました。そうすると、他人の気持ちも尊重したいと思えるようにもなりました。犯罪者と私の心のメカニズムはほぼ同じ、同じ苦しみを背負いながら、ただ育った環境がほんの少し違うだけだと感じました。(穂)

 

 

 

水谷もりひと著(ごま書房新社、20102011

読者数1万人というミニコミの全国紙「みやざき中央新聞」、いろいろな講演会を取材して、面白かった話、為になった話、役に立ちそうな話、感動した話、心温まる話ばかりを載せる。政治、事件の記事は一切なし。著者は編集長。
  カー用品の専門店『イエローハット』の創業者で「日本を美しくする会」の鍵山秀三郎さんは、小さくても心温まる新聞記事に目が止まると、「そういう記事は繰り返し読んでも心にほのぼのとした感動を与えてくれます」と切り抜いて保存しているという。「いつも心をきれいに、身の回りをきれいに」という心掛けを助けてくれる情報のキャッチは、トイレを掃除しながら磨いた感性と謙虚さによるものだろうと著者。
  また、メンタルトレーナーの西田文郎さん。「何か失敗したとき、普通の人はがっかりしたり、落ち込んだりするのに、『一歩成功に近づいた』とワクワクできる人」がアホなのだと。さまざまな分野の挑戦者が成功するための最後のハードルは「アホになりきれるか」どうかに掛かっているそうだ。
  人生というのは後悔の連続だけれども、「ただ、後悔ばかりしても何も始まらない。・・・『しまった!』と思った瞬間は、何か大事なことに気付いた瞬間でもある」。これは恩田睦の小説『夜のピクニック』から。
  「目が覚めたら生きていた。朝起きたらもうご飯ができていた。窓を開けたら美味しい空気があった。毎日ご飯が食べられる。買い物に行ったら欲しいものが買えた。美味しいものを食べて美味しいと感じる。結婚して子どもが生まれた。子どもがすくすく育っている。『こんなこと、当たり前だと思ったら大間違いです。世の中に当たり前のことはたった一つしかないんです。それは、産まれてきたすべての命には必ず終わりがあるということ。それだけが当たり前のことで、それ以外のことはすべて奇跡なんですよ』」助産師の内田美智子さんの話。
  このほか、住所がほとんど読めなくなっていた手紙が届いた話、抱っこの宿題の話、「世界一ステキな障害者になろう」と決意した女性の話、等々。
  著者は、「人生に役立つ情報というのは、探そうとする意志がないと出会えない」し、「読んでいると、何でか分からないけれど、人生が豊かになる、そんな情報をお届けしたい」と結ぶ。
  ヴィパッサナーのための環境設定の一つとして、ほのぼのとした話の束はよく似合うのではないかと思った。(雅)



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