月刊サティ!

読んでみました

2013年11月号~12月号

『人間臨終図巻』山田風太郎著(徳間書店、19872010)

  古今東西、九百余名の人々の臨終に至る模様を、簡潔な伝記とともに亡くなった年齢別に記しています。はじめは上下でしたが現在は3分冊で文庫になっています。
  誰でもがいつかは迎える死ですが、頭ではわかっていても自分はまだ先だと、特に理由もなく思い込んで日々暮らしているのが多くの私たちのようです。でも、これをみると、ほんとうに年齢には関係ないということが、これでもかこれでもかと心に打ち込まれるようです。
  若くして不慮の事故にあったり、畳の上での大往生、またあっという間のお別れであったり、文字通り千差万別です。
  でもこの本を読んで感じたことは、これは「臨終」と銘打ってはいるけれど、実は「生き方」の本ではないか、ということでした。苦労の連続、波瀾万丈、功成り名を遂げた末の穏やかな晩年あるいはさびしい晩年、等々、当たり前ですがその人だけの人生が詰まっています。「意味のある人生を生きたい」、あらためてそう思わせてくれる一冊でした。 ()


『パンドラの種』 ―農耕文明が開け放った災いの箱―
                                     スペンサー・ウェルズ著(化学同人、2012

  筆者は、生物集団の遺伝子構成を調べ、人類の祖先が多様化していった経緯を読み解く研究をしています。人類は、1万年前に狩猟社会から農耕社会へと変化していきました。狩猟社会は平等社会でした。食糧は皆で平等に分け独り占めすることはありませんでした。
  農耕社会になって、食糧を蓄積することができるようになり、貧富の差が生まれました。そして、平等性が失われ、病巣の種が埋め込まれました。著者は、それを「パンドラの種」と表現しています。農耕社会は体に多くの病の種を埋め込みました。糖尿病は、狩猟社会の時代に効率よく栄養を貯めるようにした遺伝子が、農耕社会になって有害となったことに起因しています。
  農耕社会は心にも病の種を埋め込みました。「うつ病」もそのひとつです。人類の集団の適正サイズは150人程度です。農耕社会になって、その人数が150人を上回ると心理的なストレスが増し、「うつ病」の一因となりました。著者は、最終的には、現代の病巣に太刀打ちするためには、「多くを望まない暮らし」しかないと概観しています。私も「少欲知足」の生活をすることが、現代の病巣に立ち向かうことのできる唯一の方法だと思います。しかし、思うだけではその実現は難しく、ヴィパッサナー瞑想の実践こそが実現に導く鍵であると感じています。
  10 20日にNHKスペシャル「病の起源・うつ病」が放送になりました。現代の病巣である「うつ病」が、農耕社会になったことが原因という「パンドラの種」と重なるところが多々ありましたので、この本と一緒にご覧になられるとよいと思います。またNHKオンデマンドで視聴できます。(N.N.)




 

『日本兵を殺した父』 -ピューリツァー作家が見た沖縄戦と元兵士たち-                                                デール・マハリッジ著(原書房、2013

第2次大戦で海兵隊員として沖縄で戦った著者の父は、突然怒りの発作を起こすことが度々だった。著者はその度に強い恐怖を感じ、家族は苦しめられ続けた。父の死後、著者は父の発作のもとは何なのか、父は何に怒り、何に苦しんでいたかを知ろうと、すでに高齢となっていた父の所属した部隊の兵士から話を聞き、やがて沖縄を訪ねる。
  そして、父と同じように、兵士たちの多くが戦後、烈しい砲撃による脳損傷や脳震盪の影響を受けていたこと、また恐怖や怒り、苦しさを自分の胸に深く抱え込んだまま、家族にも一切語ることなく生き続けてきたことを知る。何人もが、インタビューではじめて戦闘体験を語った。その中で、シュガーローフの戦いは悲惨そのものだった。
  沖縄の視点から見た悲劇は言うまでもなく、勝者であったはずのアメリカ兵たちをもすさまじい恐怖が襲う。
  最前線には勝者も敗者もない、あるのは恐怖と消耗と精神の崩壊があるだけだということを改めて教えてくれる。()







『偽善の医療』里見清一著(新潮新書 、2009

著者は肺癌の専門医。日頃何となく見過ごしたり、また疑問も持たずにいる病気や医療にまつわる事柄の根拠のなさや偽善性を、医師の目を通して明らかにしていくもので、文字通り「目から鱗」になりました。
  目次には、「患者さま撲滅運動」「消えてなくなれセカンドオピニオン」「ホスピスケアはハッピーエンドか」「癌の『最先端医療』はどこまで信用できるか」「インフォームドコンセントハラスメント」等々、医師の本音と世間に流れる情報とのギャップにあらためて気づきます。
  そういえばブッダも、人から聞いたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分で考え検証することが大事です、といった意味のことを言われています。何ごともそうですが、世間の流れにつかっていると、知らぬ間にそれに染まってしまいがちです。ですが時には、「えっ、そうなの?!」というような見方を知っておくのも、大切なことだと思いました。 () 



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