2020年3月号 Monthily sati! March 2020 |
今月の内容 |
認識論のモデルを活用した人材開発手法の体系化に関する一考察(1) ―サティの技法、内観法とフラクタル心理学を中心として― (加藤雄士氏論文) |
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ダンマ写真 |
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Web会だより:『体を整え、心を整え、人生を整え』(後) | |
ダンマの言葉 | |
今日のひと言:選 | |
読んでみました:『自然農法 -わら一本の革命-』 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
おことわり: |
<お知らせ>
今月号より3回にわたって、加藤雄士氏による論文『人材開発手法の体系化に関する一考察 ――サティの技法, 内観法とフラクタル心理学を中心として――』を掲載することになりました。 加藤氏は現在、教授として関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科アカウンティングスクールに在籍されており、税理士、中小企業診断士、社会保険労務士の実務家としても活躍され、また、全国の地方自治体、民間企業、中小企業大学校、税務大学校など多岐にわたって人材開発に携われています。 本論文は、関西学院大学経営戦略研究会『ビジネス&アカウンティングレビュー 第23号』(2019年6月)に掲載されたもので、『月刊サティ!』への転載をお願いしたところ、ご快諾をいただいものであります。 内容は、要旨にも見られるとおり、人材開発に効果的な3種の手法を、地橋先生の提唱する入力系・出力系の詳細な認識論を枠組みとして考察されたものです。瞑想修行を進める意味を明瞭にし、確かな理解を促すものとして、『月刊サティ!』の読者の方々にぜひ熟読されることをお勧めいたします。 ここに改めて加藤雄士氏に対し深く謝意を表するものであります。(編集部) |
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~ 今月のダンマ写真 ~ |
先生より |
『体を整え、心を整え、人生を整え・・・』(後半) E.K. |
(承前)
今、これを書いていて思うのは、「ヴィパッサナー=あるがままを観る」というのは、結局のところ、目の前の全てを受け容れていく、自己受容、他者受容、全受容の訓練なんじゃないかということです。 私は結婚して23年になるのですが、子供はおりません。世間には子供ができなかった、という体裁をとっていますが、子供が欲しいと思えなかったのです。こんなにも生きていることが苦しくて、自分自身が生きていくだけで精一杯なのに、別の命を育てるなんて、私にはとうてい無理なことのように思えました。また、こんなに苦しい世界に新しい命を作りだすことの意味がわかりませんでした。生まれてきたら、その子がかわいそうだ、とも思いました。幸い主人も同じ考え方だったので、子供を持たない人生を選択しました。それが正しかったのかどうかはわかりませんが、自然に子供が欲しいと思えない自分が、人間として、生物として、どこかに欠陥があるような気がずっとしていました。 先日2回目の1DAY合宿で、心随観を徹底して行ったところ、私の中のこの「嫌生観」の根っこのようなものに気がつきました。 それは母との関係でした。私の母は精神的に不安定な人で、何かのきっかけで取り乱すと、子供の目の前で自殺未遂をしたり、家に火をつけたりするような人でした。小学6年生の時、薬とお酒で錯乱していた母から首を絞められ、その母を思い切り突き飛ばして逃げた日以来、私には母はいない、と決意して生きてきました。 18歳で上京して家を出て以来、表面的にはそつなく接してきましたが、心を通わせたことはありませんでした。母が死んでも涙は出ないだろうと思っていました。 そんな母とも、ヴィパッサナー瞑想と出会って、慈悲の瞑想を行ったりしていくうちに、私の中で心境の変化が起き、手紙を書いたり、プレゼントを送ったり、一緒に食事をしたりすることも増えてきました。昔の私からすれば、驚くべき変化です。 しかし、1DAY合宿のインタビューで地橋先生から、再び内観へ行くことを勧められ、またその後の座りの瞑想の中でも、自分がいつも何かに急き立てられるように頑張りすぎてしまうのは、根底にある無価値観のせいだ。それは、母との関係を清算しない限りなくならないだろう。そう、気づかされたのです。 ただ、そう感じる一方で、心の中には大きな抵抗感がありました。特に合宿後、一週間くらいは自分でも驚くほど、大きく心が動揺しました。 「ヴィパッサナー瞑想のおかげで、やっと毎日が楽に生きられるようになったのだから、もう十分じゃないか、このままでもいいじゃないか」 「内観なんて行って、わざわざ傷口を開くようなことをする必要があるのか?」 「なぜそんなことを勧めるのか?」 そんな怒りさえ沸いてきました。 エゴが抵抗していたのです。 瞑想したくない。そんな気持ちにさえなりましたが、直観的に、だからこそ、今、必要なんだ、と思い、とにかく続けていると、ある時「手放したくない」という言葉が浮かんできました。一瞬、何を?と思ったのですが、さらに観察を続けると「アイデンティティ」という言葉が浮かんできました。そこでやっと納得がいきました。 私はこれまで「ひどい母親に育てられたけれど、健気に頑張って生きてきた子」というアイデンティティにしがみついて、それを心の拠り所にして生きてきたのです。それを手放すことは、人生を根底から覆すことになり、だからエゴはこんなにも必死で抵抗していたのです。 全てがつながりました。私はこれまで母親を憎むことをエネルギー源にして、いろんなことを頑張ってきたのだということ、そんな健気な私を認めて欲しいとずっと願っていたこと、上手く行かないことがあれば、これを言い訳に自分を憐み、慰めてきたということ。過去の自分の行動や言動が次々と思い出され、あれも、これも、すべてそうだったんだと、いろんなことが腑に落ちました。 数日間そんなふうに検証を続けていたのですが、ある時なんだかそんな自分が、可笑しいというか、愛おしく思えたのです。「笑っちゃうな、私」って。すると、これまでずっと重たかったお腹のあたりがふっと軽くなりました。「内観に行こう」、そう素直に思えました。 面白いことに、そう決心した翌日に、実家から宅配便で荷物が届いたのです。段ボールの中に小学1年の時の絵日記が数冊入っていました。掃除をしていたら押し入れから出てきたということで、父が私に送ってくれたのです。そこには、母との日常を楽しそうに描いた私の下手な絵や文章のほかに、その文章に対しての母からの返事が赤のサインペンで綴られていました。自然に涙がこぼれました。 「こういうことなんだ」、と思いました。私は自分で勝手に捨ててしまった思い出を取り戻したい。偏った記憶じゃなくて、まっすぐに世界を観たい。そのために内観に行くんだ。そう思ったらとても明るい気持ちになりました。 先週ようやく仕事のスケジュールが調整できたので、さっそく内観合宿の予約の電話を入れました。まだ少し怖い気持ちはあるけれど、今は自分がどんなふうに変化するのかが楽しみです。 最後に、私をここまで変化させてくれたヴィパッサナー瞑想と、地橋先生、朝日カルチャーや合宿で出会ってくださった皆さまとの出会いに、心から感謝申し上げます。先生や皆さまの存在が私をいつも励まし、勇気づけてくれています。これからも、ヴィパッサナー瞑想を人生の杖として、歩んでまいりたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。(完) |
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福岡正信著『自然農法 わら一本の革命』(春秋社 1983年) |
「有機農業」という言葉が注目を浴び始めて久しい。しかし、日本における有機農業の普及率はいまだ0.3~0.4%と言われており、1%にも満たない。農薬も化学肥料も、使わないに越したことはないと誰もがわかっていながら、なぜやめられないのか。半世紀近く前に書かれた本書が問題の核心をついている(本書の初版は柏樹社 1975年)。 |
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