月刊サティ!

2020年3月号   Monthily sati!   March 2020


 今月の内容
 
  認識論のモデルを活用した人材開発手法の体系化に関する一考察(1)

     ―サティの技法、内観法とフラクタル心理学を中心として

                               (加藤雄士氏論文)

  ダンマ写真
  Web会だより:『体を整え、心を整え、人生を整え』(後)
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
  読んでみました:『自然農法 -わら一本の革命-』
         

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  
   

おことわり:
 『巻頭ダンマトーク』および『実践アドバイス』は先生の執筆専念のため少しの期間お休みさせていただきます。


             <お知らせ>

  今月号より3回にわたって、加藤雄士氏による論文『人材開発手法の体系化に関する一考察 ――サティの技法, 内観法とフラクタル心理学を中心として――』を掲載することになりました。
  加藤氏は現在、教授として関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科アカウンティングスクールに在籍されており、税理士、中小企業診断士、社会保険労務士の実務家としても活躍され、また、全国の地方自治体、民間企業、中小企業大学校、税務大学校など多岐にわたって人材開発に携われています。

  本論文は、関西学院大学経営戦略研究会『ビジネス&アカウンティングレビュー
第23号』(2019年6月)に掲載されたもので、『月刊サティ!』への転載をお願いしたところ、ご快諾をいただいものであります。
  内容は、要旨にも見られるとおり、人材開発に効果的な3種の手法を、地橋先生の提唱する入力系・出力系の詳細な認識論を枠組みとして考察されたものです。瞑想修行を進める意味を明瞭にし、確かな理解を促すものとして、『月刊サティ!』の読者の方々にぜひ熟読されることをお勧めいたします。
  ここに改めて加藤雄士氏に対し深く謝意を表するものであります。(編集部)


   

  認識論のモデルを活用した人材開発手法の体系化に関する一考察(1)

 
―サティの技法、内観法とフラクタル心理学を中心として―
                              加藤雄士
 
   
 
                              要   旨
            本稿では、多様な人材開発手法を1つの枠組みで比較考察しようと試
          みた。具体
的には、地橋秀雄の認識論のモデルの入力(受容)系と出力系
          の心という枠組みを
用いて、3種類の人材開発手法を体系的に位置づけた。
          入力(受容)系の手法とし
てヴィパッサナー瞑想のサティの技術を、出力系
          の手法として内観法とフラクタル
心理学のインナーチャイルド療法を位置づ
          け、それぞれについて考察した。



Ⅰ はじめに
  人材開発については、様々な場面が想定され、その手法も多種多様なものがある。ただ し、人材開発手法について、どのような場面でどのような手法が効果的なのか、どの手法とどの手法を組み合わせると効果的なのかなど人材開発手法の活用について、ガイドとなるような体系的な研究成果は多くない。そこで、本稿では、人材開発手法の体系化の試みとして、地橋秀雄の認識論のモデルにおける入力(受容)系の心の修正と出力系の心の修正という枠組みを使い、3種類の人材開発手法を体系的に位置づけることを試みる。具体的には、入力(受容)系の手法としてヴィパッサナー瞑想のサティの技術を、出力系の手法として内観法とフラクタル心理学のインナーチャイルド療法を位置づけ、それぞれについて考察する1)


Ⅱ 入力系と反応系(地橋の認識論)のモデル
  地橋秀雄(2008)の認識論のモデルの入力(受容)系の心と反応系の心という枠組みで人材開発手法を体系化しようというのが本稿の目的である。そこで、本章では、地橋の認識論のモデルについて概説し、そのモデルに沿って、入力系と反応系という2種類の「心」とその修正法について考察する。

 1 地橋の認識論のモデル
   地橋(2008)は、「認知とは、対象が知覚され、心に認識されることをいい、『対象()』と『六門(感覚受容器)』と『識』の3要素が矢印でつながる瞬間に、意識が生まれ、認知の最初のステージが始まる」2) という。そして、人の認知について以下のように段階的に説明している3) (図表1、図表2参照) 
 
   
    


 

 2 入力(受容)系と反応系の2種類の心
  (1)認知のプロセスと2種類の心
  地橋は認知のプロセスを入力(受容)系の心と反応系の心の2種類に分けて(図表1、2参照)、それぞれを以下のように説明している(下線筆者、以下同じ)

          十二処の認知のプロセスは、電光石火、一瞬にして展開していきますが、「想」を
     分水嶺として、性質の異なる二種類の心の流れがあります。対象を認知し、情報を
     受容する入力系の心と、受け取った情報に対する反応を起こして、エネルギーを出
     力していく反応系の心の二種類です。(地橋、2006
p.88)

  本稿はこの入力系の心と反応系の心という枠組みで人材開発手法を体系化することを目的とする。

  (2)入力(受容)系の心
  地橋は、「対象」から「受」までのプロセス(「対象」→「六門」→ 「(触→)識」→「受」)を「入力(受容)系の心(異熟心)」と呼び4)、以下のように説明している。

          情報を受容する入力系の心は受動的なのが特徴である。隣家で天ぷらを揚げ始
     めれ
ば、換気扇から排出される油の匂いが知覚されてしまう。「ガチャン!」と音が鳴
     れ
ば、否応なしに耳の門が情報を入力してしまい、「聞いた」という「耳識」の発生と微
     かな「苦受」が生じるのは止められない。
受容系(入力系)の心は、 成起した現象によ
     って引き起こされる「結果の心」とも言えるでしょう。(地橋、2006p.88)

  (3)反応(出力)系の心
  他方、「反応系の心」は基本的に三層構造になっているとして、地橋は以下のように説明する。

      後天的な学習全般で作成されたプログラム(人生観・世界観・価値観・ものの見方)
      刷り込みのプログラム(決定的な環境因子によって刷り込まれた反応パターン。例
      えば、狼に育てられれば、狼の行動パターンが刷り込まれてしまう。第二の天性)
      DNA情報による生命の根源的なプログラム(本能や遺伝子の命令する反応系)
      (
橋、2006p.92)

  (4)反応(出力)系の心の修正法とその必要性
  地橋は、「反応系の心には、自由裁量の余地があり、汚れるのも清らかになるのも、自分の意思によって決めることができる」5)、「反応系の心の内容はその人の生き方全体によって変化していくもの」6)と説明し、三層の修正法について以下のように説明する。

      ①は、いわゆる心の清浄道で、心をきれいにしていく作業の中心となるものである。
      学習によって作られたプログラムを書き替えることは充分可能だし、それによって
      人生が大きく変わっていくだろう。多くの人に実証されている、最もポピュラーな自
      己変革である。

     ②は難易度の高い仕事だが、幼少期のトラウマ(心的外傷)など、悪しき反応パターン
      を修正できなければ心の清浄道は完成しない。心随観で深層意識まで洗い出し、
      徹底して心の問題点を自覚し、理解することによって、組み替えていく作業をする7)
     ③の遺伝情報の最深部に組み込まれている生存そのものに対する渇愛が、私たちに
      輪廻を繰り返させている元凶である。その盲目的生存への渇愛を滅ぼすためには、
      あらゆる存在を貫いている無常・苦・無我の真理を体験する智慧が不可欠である。
      (地橋、2006
p. 92
)
  
  本稿では、この①と②についての修正法を考察する。なお、反応系の心の修正がなぜ必
要かという問いに対して、地橋は次のように答えている(下線は筆者)
  
       人は何らかの現象に出会った時に、どういう連想が飛ぶかでその人の心のくせ、
     煩
悩の傾向というのが良く分かります。(中略)気づきの訓練によって常に「欲」「怒り」
       とサティを入れていけば、とりあえず不善心からは撤退できます。しかし一時的に抑
     えられて隠されても、
煩悩はまた浮上してきますから、サティの瞑想だけでは根本的
     な解決が難しいのです。(中略)「煩悩は現象そのものから生まれるのではなく、その
     現象を経験したことに対する判断や解釈が妄想によって汚染されているために生ま
     れる」ということです。そういう意味からは、先ず、妄想や思考の世界に入るなという
     訓練がサティであり、さらに根本的な解決のためには汚染されたプログラムを正しく
     書き替える作業が必須であるということです。(地橋、2015
p. 3)

  そこで、入力系の修正法であるヴィパッサナー瞑想のサティの技術を第Ⅲ章で、反応系の修正法として2つの人材開発手法を第Ⅳ章と第Ⅴ章で考察する。


入力系の人材開発手法 ―ヴィパッサナー瞑想のサティの技術―
 1 ヴィパッサナー瞑想のサティの技術とは
  地橋は、入力系の心の修正法として、ヴィパッサナー瞑想8)を指導しており、そのサティという技術9) について次のように説明する(下線は筆者、以下同じ)

         ヴィパッサナー瞑想は、思考を止めて、事実をありのままに観ることができれば、
     一切の「ドゥッカ()」から解放される、という理論に基づいている。苦の原因は、妄
     想にあり、その妄想は一瞬一瞬の事実に気付く「サティ」の技術によって止められる
     思考が始まった瞬間、「妄想」「イメージ」とラベリング(言葉確認)されると、連鎖しよう
     とする思考の流れが断たれてしまう。こうして思考が止まれば、心に入った情報が編
     集されたり歪められたりすることなく、ありのままに認知される
     (地橋、
2006
pp.72_73、筆者一部加筆修正)

  このサティの技術には2種類あり、地橋は以下のように説明する。

          いま経験している出来事を一瞬一瞬気づいて確認していくのがヴィパッサナー瞑
     想である。気づきがあれば「サティ」があるが、気づきを
言語化して認識確定をする
     仕事を「ラベリング」という。ラベルをペタペタ貼っていく要領で、現在の瞬間の出来事
     を「言葉確認」していく。「識」の段階(「受」がセットで伴う)での「サティ」
(
図表1参照)
     は、「眼識が生じた(見た)」「耳識が生じた(聞いた)」とやるもので
「法(ダンマ)(真実
     の状態)に触れている瞬間でのサティである。但し、ここでラベリングするのは、非常
     に難しい。他方、「想」の段階での「サティ」(図表1参照)は、例えば「(コーヒーだ) と 
     思った」「(蛇だ) と思った」とラベリングするものである。この段階で「サティ」が入れば、
     後続が絶たれ尋が対象に分け入れることはない。
     (地橋、2006
p. 127p. 81pp. 84_85、筆者一部修正)

  ヴィパッサナー瞑想では、入力系の心の修正法として、一瞬一瞬の気づきにラベリングしていく「サティ」の技術を用意している。認識のプロセスの入り口(ともいえる「識」「受」、「想」) の段階でラベリングし、妄想や思考の世界に分け入らないようにする訓練法である。


 2 本章の考察
  前章では、 まず地橋の認識論のモデルを紹介した。地橋はこのモデルを入力(受容)の心と反応系の心の2種類のプロセスに分類して説明している。そして、それらの修正法として、「思考を止めて事実をありのままに観るサティの技術と情報処理された直後に反応する心のプログラムを正しい清らかなものに書き替えていく10)ものとがあるという。
  前者の入力系の心の修正としては、ヴィパッサナー瞑想のサティの技術がある。ヴィパッ サナー瞑想は、マインドフルネスの源流とも言える初期仏教の瞑想法であり、人の苦の原因を妄想にあるとし、その妄想を「サティ」の技術で止めようとする。
  ただし、全ての思考を止めることは不可能なので、後者の反応系の心の修正も同時に進 めることが必要であり、その修正は、ヴィパッサナー瞑想の他の方法以外にもあらゆる方法を試す総力戦になると地橋は言う。次章以降では反応系の修正法に関する人材開発手法 について考察していく。



反応系の人材開発手法 ―内観法―
  地橋はその認識モデルに沿って入力系と出力系の心に分類し、「入力系の心」にはヴィパッサナー瞑想のサティの技術が効果的だが、「何万回も繰り返して脳の中でできた電車道のような反応バターン」11)、つまり反応系の心を修正していくには、「総力戦」となり、その有効な方法の一つが「内観法」だという12)。本章では、内観法の手法と機序について考察する。

 1 内観法とは
  内観法について、村瀬は次のように説明する。

          内観法は日本において吉本伊信が浄土真宗の「身調べ」という方法を参考に宗
     教色
を排し完成させた手法である。内観にはいくつかの方法があるが、そのなかで
     も基本
といえるのが集中内観法である。これは原則として1週間宿泊して、1日約15
     時間継
続しておこなう。場所は和室の隅に、二開きの屏風を置き、それに囲まれた
     半畳ほど
の静かな場所に、楽な姿勢で座る。その間おおよそ1時間から2時間おき
     に、1日7
~8回、指導者が内観面接に来る。この面接は1回にせいぜい4~5分くら
     いのごく
短いものであり、この1週間は、ラジオ、テレビ、音楽や新聞はもちろん、日
     常的な
会話は厳禁である。3度の食事も屏風の中でとる。
     (村瀬、1993
pp.14_15、筆者一部修正)

  集中内観で具体的に何をするかについて、村瀬は次のように説明する(下線は筆者)

         内観は、自分の身のまわりの人びとに対して、自分が何をしたか、どういう態度を
     とったかを、以下に述べる3つのテーマ(項目)に沿って、できるだけ具体的な経験
     情景を思い出しながら調べていく。

       (1) していただいたこと
       (2) して返したこと  
       (3) 迷惑をかけたこと
          どのような動機、目的で、内観を始めるかにかかわらず、無理のない限り、母親
     (母親代わりに育ててくれた人)から始め、父、兄弟、姉妹、配偶者、子ども、友人……
     といった具合に、自分と関わりのあるさまざまな人に対して自分はどうであったかを
     時間の許す限り調べていく。この際、過去の自分の歴史を一枚一枚ていねいにめく
     っていくように、他者からみた自分を前述の3点からのみ想起する
     (村瀬、1993
pp.16
、筆者一部修正)

  この想起について、森下も次のように説明する(下線は筆者)

          まず母に対して自分はこれまでどういう態度や行動をとってきたか。母の立場に
     立って、子どもである自分を調べる。実際にあった具体的な出来事を、できる限り細
     かく、丁寧に思い出す。お母さんに『お世話になったこと』、『して返したこと』、『ご
     惑をかけたこと』(このテーマは、最も重要かつ困難なので、特に重点を置いて調べ
     る)」の内観3項目に沿って、「
母との具体的な出来事を思い出し、その出来事を内観
     3目にそって調べる。検事(自分)が被告(自分)を取り調べるがごとく厳しく調べる
     (森下文、2018、筆者一部修正)


  幼少期に一番影響を受けた母との出来事を客観的に他者の視点から厳しく調べることは 実際には簡単ではない。この点に関して村瀬は次のように説明する(下線は筆者)

          これは簡単なようで実際には難しい作業である。誰しも自分では、 日頃から反省
     感謝を多少なりとも心掛けているつもりでも、「自分がしてあげたこと」「迷惑をかけら

     れたこと」は、しっかり記憶にとどまっているものだが、「自分が迷惑をかけたこと」は
     きれいに忘れているのが常である。それは、ある面では、人間の本性ともいえるもの
     なので、仕方がないことである。内観では、日頃の自分中心の視点からガラリと変わ
     って他者から見た自分の態度・行動を、 具体的に細部までまざまざと思い出すとい
     う作業を進める。
     (村瀬、1993
p.1618)

  人は通常「自分がしてあげたこと」、「迷惑をかけられたこと」はしっかり記憶にとどめているが、「自分が迷惑をかけたこと」はきれいに忘れている。つまり、「記憶」を自分の都合のよいストーリーとして保存している。それに対して、内観では日頃の自分中心の視点ではなく、他者の視点から客観的に厳しく自分の態度・行動を、具体的に細部までまざまざと調べる。その作業により自分本位に作られた「記憶」を作り替える。(つづく)
                                    
  
今月のダンマ写真 ~
   

 
                タイの森林僧院の食堂(じきどう)兼講堂  

                            先生より      
                    
  Web会だより 
『体を整え、心を整え、人生を整え・・・』(後半) E.K.
(承前)
  今、これを書いていて思うのは、「ヴィパッサナー=あるがままを観る」というのは、結局のところ、目の前の全てを受け容れていく、自己受容、他者受容、全受容の訓練なんじゃないかということです。
  私は結婚して23年になるのですが、子供はおりません。世間には子供ができなかった、という体裁をとっていますが、子供が欲しいと思えなかったのです。こんなにも生きていることが苦しくて、自分自身が生きていくだけで精一杯なのに、別の命を育てるなんて、私にはとうてい無理なことのように思えました。また、こんなに苦しい世界に新しい命を作りだすことの意味がわかりませんでした。生まれてきたら、その子がかわいそうだ、とも思いました。幸い主人も同じ考え方だったので、子供を持たない人生を選択しました。それが正しかったのかどうかはわかりませんが、自然に子供が欲しいと思えない自分が、人間として、生物として、どこかに欠陥があるような気がずっとしていました。
  先日2回目の1DAY合宿で、心随観を徹底して行ったところ、私の中のこの「嫌生観」の根っこのようなものに気がつきました。
  それは母との関係でした。私の母は精神的に不安定な人で、何かのきっかけで取り乱すと、子供の目の前で自殺未遂をしたり、家に火をつけたりするような人でした。小学6年生の時、薬とお酒で錯乱していた母から首を絞められ、その母を思い切り突き飛ばして逃げた日以来、私には母はいない、と決意して生きてきました。
  18歳で上京して家を出て以来、表面的にはそつなく接してきましたが、心を通わせたことはありませんでした。母が死んでも涙は出ないだろうと思っていました。
  そんな母とも、ヴィパッサナー瞑想と出会って、慈悲の瞑想を行ったりしていくうちに、私の中で心境の変化が起き、手紙を書いたり、プレゼントを送ったり、一緒に食事をしたりすることも増えてきました。昔の私からすれば、驚くべき変化です。
  しかし、1DAY合宿のインタビューで地橋先生から、再び内観へ行くことを勧められ、またその後の座りの瞑想の中でも、自分がいつも何かに急き立てられるように頑張りすぎてしまうのは、根底にある無価値観のせいだ。それは、母との関係を清算しない限りなくならないだろう。そう、気づかされたのです。
  ただ、そう感じる一方で、心の中には大きな抵抗感がありました。特に合宿後、一週間くらいは自分でも驚くほど、大きく心が動揺しました。
  「ヴィパッサナー瞑想のおかげで、やっと毎日が楽に生きられるようになったのだから、もう十分じゃないか、このままでもいいじゃないか」
  「内観なんて行って、わざわざ傷口を開くようなことをする必要があるのか?」
  「なぜそんなことを勧めるのか?」
  そんな怒りさえ沸いてきました。
  エゴが抵抗していたのです。
  瞑想したくない。そんな気持ちにさえなりましたが、直観的に、だからこそ、今、必要なんだ、と思い、とにかく続けていると、ある時「手放したくない」という言葉が浮かんできました。一瞬、何を?と思ったのですが、さらに観察を続けると「アイデンティティ」という言葉が浮かんできました。そこでやっと納得がいきました。
  私はこれまで「ひどい母親に育てられたけれど、健気に頑張って生きてきた子」というアイデンティティにしがみついて、それを心の拠り所にして生きてきたのです。それを手放すことは、人生を根底から覆すことになり、だからエゴはこんなにも必死で抵抗していたのです。
  全てがつながりました。私はこれまで母親を憎むことをエネルギー源にして、いろんなことを頑張ってきたのだということ、そんな健気な私を認めて欲しいとずっと願っていたこと、上手く行かないことがあれば、これを言い訳に自分を憐み、慰めてきたということ。過去の自分の行動や言動が次々と思い出され、あれも、これも、すべてそうだったんだと、いろんなことが腑に落ちました。
  数日間そんなふうに検証を続けていたのですが、ある時なんだかそんな自分が、可笑しいというか、愛おしく思えたのです。「笑っちゃうな、私」って。すると、これまでずっと重たかったお腹のあたりがふっと軽くなりました。「内観に行こう」、そう素直に思えました。
  面白いことに、そう決心した翌日に、実家から宅配便で荷物が届いたのです。段ボールの中に小学1年の時の絵日記が数冊入っていました。掃除をしていたら押し入れから出てきたということで、父が私に送ってくれたのです。そこには、母との日常を楽しそうに描いた私の下手な絵や文章のほかに、その文章に対しての母からの返事が赤のサインペンで綴られていました。自然に涙がこぼれました。
  「こういうことなんだ」、と思いました。私は自分で勝手に捨ててしまった思い出を取り戻したい。偏った記憶じゃなくて、まっすぐに世界を観たい。そのために内観に行くんだ。そう思ったらとても明るい気持ちになりました。
  先週ようやく仕事のスケジュールが調整できたので、さっそく内観合宿の予約の電話を入れました。まだ少し怖い気持ちはあるけれど、今は自分がどんなふうに変化するのかが楽しみです。
  最後に、私をここまで変化させてくれたヴィパッサナー瞑想と、地橋先生、朝日カルチャーや合宿で出会ってくださった皆さまとの出会いに、心から感謝申し上げます。先生や皆さまの存在が私をいつも励まし、勇気づけてくれています。これからも、ヴィパッサナー瞑想を人生の杖として、歩んでまいりたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。(完)
 
 



☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。
 

 

一瞬の春の陽射し(下館道場玄関)

先生より
 







 

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ダンマの言葉

 私たちは、即座に結果を求める社会に生きています。ボタンを押すだけで、買い物リストの合計が出ます。別のボタンを押せば、フアンが回って、空気を冷やします。また、別のボタンを押せば、電灯が消えたり点いたりします。あらゆることの結果がすぐに出ます。私達の社会は以前にも増して、早急な結果の出ることを期待しています。それで、効果が現れるのに時間のかかる漢方療法よりも、鎮痛薬のほうがはるかに好まれるのです。
   瞑想は、ゆっくりですが確実に効果の出る治療法です。瞑想を実践するには、決意、言い換えれば、気骨ある性質が必要です。揺れ動く、ゼリーみたいな心では、たいした決意はできません。強敵で断固とした心にこそ、十分な決意を備えることができます。私達は坐るたびに、そこに留まる決意をしなければなりません。うろついたりせずに、心をその場所に留め、自分がしていることに注意を払い続けなければなりません。アヤ・ケーマ尼『Being Nobody, Going Nowhere』を参考にまとめました。(月刊サティ20035月号より)  

       

 
  
今日の一言:選

(1)オスが子育てに一切かかわらないのがほとんどの哺乳類だが、出産と育児に膨大なコストと時間がかかる人類は、父親はもちろん母親以外の個体が子育てに参加する共同繁殖の道を選ばざるを得なかった。
  何よりも、集団での狩猟、大型肉食獣に対する防衛、果実や魚貝類の採集、調達した食物の分配と調理など、集団の協力と分業の体制を取らなければ生きていけないのだ。
  母子関係にも、家族の絆にも、仲間との協力と分業にも、ヒトの優しさは高度に進化しなければならなかった……

(2)妄想が完全に排除された直接知覚の世界は、狸よりもカマキリや蛙の経験世界に近いかもしれない。
  「想(サンニャー)」がイメージとしてまとめ上げる直前の状態で、本能の指令が機械的に実行されている。
  そんな昆虫や両生類になるために、サティの瞑想をしているのではない。
  妄想を排除するために、対象世界の本質を正しく認識するために、あるがままの情報を正確に認知しなければならない人間……

       
   読んでみました
    福岡正信著『自然農法 わら一本の革命』(春秋社 1983年)

  「有機農業」という言葉が注目を浴び始めて久しい。しかし、日本における有機農業の普及率はいまだ0.30.4%と言われており、1%にも満たない。農薬も化学肥料も、使わないに越したことはないと誰もがわかっていながら、なぜやめられないのか。半世紀近く前に書かれた本書が問題の核心をついている(本書の初版は柏樹社 1975年)。
  平成18年に策定された有機農業推進法によると、有機農業とは「化学的に合成された肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺伝子組換え技術を利用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業」を言う。
  一方、本書の著者である故・福岡正信氏が提唱したのは「自然農法」である。田畑を耕すこともせず、草取りもしない。化学的に合成されたものかどうかを問題にする以前に、そもそも肥料も農薬も施さない。有機農業以上にハードルが高そうな農法である。
  福岡氏は、農業を始める以前は税関の植物検査課に勤め、検疫業務の傍ら植物病理学の研究をしていた。勤務地は横浜。晩年の仙人さながらの姿からは想像もつかないが、研究室に閉じこもるばかりではなく、人並み以上に遊んでいたようである。
  あるとき、福岡氏は体調を崩し、肺炎を起こして入院する。孤独な病床で死の恐怖に直面し、寄る辺ない気持ちに襲われる。退院後も悶々とした思いは晴れなかったが、明け方の港で一羽の鳥が飛び去るのを見て「この世にはなにもない」と悟ったという。
  福岡氏は勤め先を辞め、全国を放浪しながら「世の中のあらゆることは無価値だ、無意味だ。人間っていうのは何やったってだめなんだ」と一切無用論を説いて回ったが、結局どこでも相手にされず愛媛の実家に帰ることになる。
  当時、福岡氏の父はミカンを作っていた。「人間は何もしなくていい」。そんな仮説を実証するため、福岡氏は父からミカンの木を譲り受け、自然農法の探求を開始したのだった。
  しかし、もちろん最初はうまくいかない。何もせずに放置した結果、ミカンの木は「枝が混乱して、虫がつき、みんな枯れて」しまったという。
  福岡氏は後に無剪定、無肥料、無農薬でのミカン栽培に成功する。何もしなかったら枯れるというわけではないようだ。では、失敗したときは何がいけなかったのか。父から譲り受けた木は、当然ながら手入れがされていた。剪定され、すでに不自然な状態になった木を突然「放任」した結果枯れてしまっただけだったのである。
  剪定せず、健康で自然な木に育てれば肥料も農薬も要らない。ここが福岡氏の農法の重要なポイントである。福岡氏は多くの農業技術について「そういうものが必要だ、価値があることだと思い、効果があるように思うのは、結局、人間が先に悪いことをしているからなんです。価値があるような、効果が上がるような条件を、先に作っているということなんです」と述べている。
  福岡氏の提唱する自然農法の原則は1)不耕起、2)無肥料、3)無農薬、4)無除草である。人間が耕さなくても植物の根や微生物、地中の動物の働きで土は自然に耕されるし、わざわざ肥料を与えなくても動植物が住みやすい環境であれば土は勝手に肥えてゆく。自然な環境と生態系のバランスが保たれていれば農薬が必要になるような病害虫の発生もない。雑草には雑草の役割があるのだから放っておけばよいし、どうしても栽培の妨げになるのであればそもそも生えないように工夫すればよい。
  しかし、よかれと思って雑草を殲滅し、農薬をまき散らせば田畑の生態系は貧しいものになる。土は次第に固まり、養分も外から補給しなければならない。人為的に環境を操作すれば特定の生物種に有利にはたらき、生態系のバランスが崩れる。病害虫が発生し、農薬を使わざるを得なくなる。弱った作物は雑草との生存競争にも負けかねないから除草剤が必要だという話にもなる。人間が余計なことをしたために、余計なことに価値が生まれるという負の連鎖が起こるのである。
  福岡氏の自然農法は「あれもしなくてもいいじゃないか、これもしなくてもいいんじゃないか」と引き算思考の末に生み出されたもので、徹底的に省力化されている。ミカンなどの果物のほかに米や麦も作っていたようだが、それもやはり不耕起、(ほぼ)無肥料、無農薬、無除草で実現されている。
  その栽培体系は米と麦の二毛作で、麦だけでなく米も直播きする点が特徴的である。苗づくりも田植えも要らず、大幅に労力が削減できる。もちろん種をまく前に耕起することはない。また、あらかじめクローバーを播いておくことで隙間を埋めて雑草を抑え、除草作業もしない。クローバーは土を肥やすのにも役立つ。さらに米も麦も収穫後はわらをすべて土に還し、土地がやせることを許さない。
  アヒルの放し飼いができない周辺環境だったからということで、「無肥料」を謳っておきながら鶏糞をまく点は気になったが、堆肥を入れる手間やコストを考えれば、肥料面も含め大幅にスリム化された栽培体系であることは間違いない。しかも、福岡氏の田んぼの単位面積当たりの収量は全国的に見てもトップクラスの水準だったという。
  さて、ではなぜそこまで楽で優れた方法が広く普及しなかったのだろうか。本書で指摘されている原因は分業化の弊害、農協の存在、そして消費者の欲望である。
  福岡氏の農法は比較的早い段階で一般にも紹介され、一部の技術者たちの間ではお墨付きが出ていたという。しかし、体裁を整え大々的に表に出てくるまでの間に、「骨組はいいけれどその上になお、機械も使った方が便利だろう、農薬も化学肥料も少しは使った方が収量が増えるだろう」という話になってしまい、そのままの形で普及することがなかったようだ。
  どうしても何かを足したくなるのは人間の性のような気もするが、福岡氏が問題にしているのは、自然農法を実践した際にトータルで何が起こるかということを多くの人が理解できなかったという点である。
  機械も農薬も化学肥料も、使ってしまえば自然農法は成立しない。しかし、労力、病害虫、植物生理、それぞれの側面を単独で取り出してみれば、やはり機械を入れ、農薬を使い、化学肥料を与えた方が楽だし収量も増えるだろうという話になるのはやむをえない。分業化の弊害である。科学は物事を分解していくことで世界を理解しようとしてきたが、それによって真実から遠ざかってしまうこともあるようだ。
  問題はそれだけではなかった。福岡氏の圃場には多くの研究機関の調査が入っていたようだが、自然農法に肯定的な結論が出た場合でも「そうは言っても、肥料も農薬も、さらに農機具も使わないなんていうと、現在の社会の中では、非常にあたりさわりが多いから、まあ時と場合によっては使ってもよかろうじゃないか」という話になってしまったようだ。無理もない話である。
  福岡氏は食品の汚染問題に触れた箇所で次のように述べている。「無農薬で、無肥料で、農機具を使わなくて、無公害の食品を作れといえば、現在ではできないことではないのであるが、それをやったら一番最初に困るのは農協なんです。農協がまずつぶれてしまう。農協は肥料と農薬と農機具を売って、それによって繁栄しているんです」。問題そのものは解決することができても、それ取り巻くシステムはそう簡単に変えられない。
  そして、そのシステムが維持されているのは結局のところ消費者の意思によるものかもしれない。「消費者は、形の整った、少しでもきれいな、少しでもおいしい、少しでも甘味の多いものを要求する。それが、そのまま百姓に、いろんな薬を使わす原因になっているんです」と福岡氏は指摘する。
  無農薬の安全な食品を求めながら、虫食いのないきれいな作物を求めるとは虫のいい話である。形の整ったおいしい野菜や果物は、人間の長年の努力の賜物である。しかし、品種改良の末に生まれるのは多くの場合、自然界では生きられないような貧弱な植物である。消費者がそうした品種を求めれば、農薬や肥料をやめることはますます難しくなる。安全か、見た目と味か。二者択一を迫られた消費者は、結局のところ後者を選択しているのである。
  「そうは言っても有機栽培や無農薬栽培の野菜は高い」という議論もありそうだが、福岡氏によれば、自然食品は「最低の費用と労力でできるはず」である。考えてみれば当然だ。できる限り何もしないのが自然農法であった。農家にとっては、多少安く売っても生産コストが下がっていれば商売としては成り立つし、余暇も増える。
  だが、こうした農作物が大量に流通するシステムが確立されない限り、農家が安心してそちらに舵を切ることはできない。そして、そのシステムが成立するかどうかは、結局のところ、消費者が見た目や味へのこだわりを捨てて「安くて安全ならそれでよい」という選択ができるかどうかにかかっている。
  見た目や味に囚われる現代人を、福岡氏はこう喝破する。「狐にばかされて、人間が木の葉や馬の糞を食べる話があるが、笑いごとではなく現代人は頭で食事をして、体で食事をしているのではなく、パンを食べて生きているのでもない。現代人こそ、観念というカスミの食物をとっているのである」。
  福岡氏の理想とした世界が実現するためには、各分野の技術者は自然現象をトータルで理解する知恵を備え、農業者はしがらみを乗り越え、消費者はこだわりを捨てなくてはならない。とても簡単なことではない。
  そもそも、自然農法で現在の人口を養うに足る食糧を生産できるのかという問題もある。福岡氏は肥料も農薬も使わずに標準以上の収量を上げたと主張するが、独自の手法を確立するまでに四十年近くを費やしている。長年にわたり試行錯誤を重ねるなかで土壌環境はかなり変容しているはずだ。自然を無視して化学物質で作物を合成していた田畑で同じ方法を取ったとしてもすぐにうまくいく保証はないだろう。
  また、農薬や化学肥料を使用する慣行農法は、戦後の食糧難と人口増大のなかで手っ取り早く収量を拡大するために合理的であったわけで、一概に否定されるべきものでもない。ただ、戦後の「more and more」の価値観のなかで形成された習慣をいつまで続けるのかという点は問題だろう。「慣行」ではなく「惰性」になっていないかどうかは点検されてしかるべきである。
  生産者と消費者、双方がさまざまな執着を手放すことができれば、流れは少しずつ変わっていくのかもしれないが、現在は有機農法や自然農法という概念に付加価値がつけられ、ある種のブランドとしてもてはやされている。古い妄想から新しい妄想に乗り換え、新しいカスミを生産し、食う時代がやってくるのだろうか。せめて、カスミは口に入れる前に気づけるようにしたいものである。(ふうた)

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