月刊サティ!

2019年2月号  Monthly sati!  February 2019


 今月の内容

 
 
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~


   
今月のテーマ修行上の質問:理論編(2)-ウペッカーの育て方-
  ダンマ写真
  Web会だより:『人生が集約する瞑想』(後)
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
 
読んでみました:『宿命の戦記 -笹川陽平、ハンセン病制圧の記録-』
                

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  

    

おことわり:『ヴィパッサナー大全』執筆のため、今月の「巻頭ダンマトーク」はお休みさせて頂        きます。ご期待下さい。


     
  ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 
                                                             地橋秀雄
  
   今月のテーマ:修行上の質問:理論編(2)
                     -ウペッカーの育て方- 
 
                     (おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 

Aさん:ウペッカーは聖なる無関心と訳されたりしているとのことですが、それと単なる無関心とはどのような違いがあるのでしょうか。また、なぜそのような心が大切なのでしょうか。

アドバイス:
  「聖なる無関心」と「単なる無関心」の違いは、一言でいうとエゴの有無ですね。エゴの強い人は基本的に利己的ですから、自分の利害に関係ある事柄には敏感に反応しますが、利益にならないことや不利益を被りそうなことには無関心を決めつけるのが普通です。自分さえ良ければ他人のことはどうでもよい、という無関心です。
  一方、ウペッカーが「聖なる無関心」と呼ばれるのは、我執やエゴイスティックな片寄りがないので、全ての対象に無差別平等なスタンスが取れるからです。利己的な振る舞いも、敵か味方かという発想もないので、対立するどちらか一方に加担したりしません。公平で公正な無我の立場を取るので、一見すると無関心のようにも見えるということです。眼前の全ての対象への優しさや慈悲のあるのがウペッカーで、可愛いのは自分だけという冷淡さが単なる無関心とも言えます。
  自己保存の欲動に支配され弱肉強食の苦の世界を展開させている凡夫衆生が理想とすべき「無我」や「慈悲」を体現するものがウペッカーであるならば、ヴィパッサナー瞑想や仏教の実践で最も大切なのはウペッカーの心ではないでしょうか。

Bさん:自分勝手な思い込みから好き嫌いの感情が生まれて、それによって自分も苦しむことになるというのは良く理解できるのですが、だからといって容易にウペッカーの心を実現できるかというとなかなか難しいように感じられます。ウペッカーの心を養っていくためのよい方法がありましたらご紹介ください。

アドバイス:
  仰るとおり、不正確な対象認知や間違った思い込みから感情的な反応をして苦を招くのは愚かしいことです。だからサティの瞑想をして妄想を排除し、脳内をクリーンな状態にする必要があるということですね。
  しかし、眼前の対象を正確に認識しても、こちらの心の反応パターンが煩悩に汚染されていたりエゴイスティックだったりすると、悪い反応をしてしまうので、最終的に他人も自分も苦しめることになります。サティの瞑想と並行して、反応系の心の修行をしなければならない所以です。欲望や怒り、間違った考えへの固執、妬みや高慢など不善心を引き算していく修行は当然ですが、同時にウペッカーに特化したトレーニングも必修課目です。

  どうしたら良いのでしょうか。


①視座の転換
  まず、視座の転換から始めましょう。
  自己中心的な視座から一方的に物事を見ていると、人は利己的になりエゴイスティックな行動をしてしまいます。だから視座を意識的に転換する練習をするのです。
  目の前の出来事や案件を自分の立場から受け止めた自然な反応が、今、自分の心に起きている訳です。そのことに気づいてサティを入れ、ラベリングすることによって自分自身が対象化されます。これは基本的な瞑想として毎日おやりになっていると思います。それに加えて、意識的に相手の脳内に入って相手の立場から事態を眺め、受け止め、相手サイドの心の内を想像してみるのです。相手には相手の言い分があり、理解の仕方も求めていることも、こだわっていることも、こちらとは違うのです。自分の視座をいったん離れてみると、見えなかったものが見えてくるでしょう。

  これが視座の転換です。


②サティが最初の視座の転換
  「このヤロー、ふざけやがって!」 と感情的になっていてはできる仕事ではありません。あ、自分は怒りに駆られている・・とクールダウンして冷静にならなければ、相手の立場から観るなどという発想がそもそも浮かびません。一貫して冷静沈着なら結構ですが、そうでなければまず、カッとなった自分を対象化するサティの瞑想が優先されるのです。その瞬間の自分を自己客観視するのも、視座の転換なのです。これができないのに、相手の立場から全てを眺め直すなどという高度な仕事はできないでしょう。できないから練習し、修行するのです。

③本番前の練習
  問題が発生したホットな現場にいながら、普段やったことのない試みを実行するのは難しいでしょうから、落ち着いた日常意識モードの時に練習した方がよいかもしれません。岡目八目というように、自分以外の他人のことはよく見えるものです。最初は、自分とは関係ない第三者の問題を使って練習するとよいかもしれません。例えば、自分とは何の利害関係もない他人の夫婦喧嘩を、夫の立場からと妻の立場からそれぞれの言い分に耳を傾けてみる時など、公平な視点から判断できるのではないでしょうか。お互いに自分の視点からしか物事を見ないで言い争っているのが夫婦喧嘩です。まず妻のの立場から事態を理解し、次に夫の言い分に耳を傾けます。将棋を指している途中で、盤面をクルリとまわして相手の陣営から眺めるような感じです。

  もちろん思考実験で、直接関わってはいけません。犬も食わない他人の夫婦喧嘩などに首を突っ込むのは愚の骨頂ですから、テレビやインターネット、あるいは人生相談を読んだりしている時など、飽くまでも第三者のスタンスで練習するのです。ポイントは、ものごとを見る視座を自分の側からも、相手の側からも、両者を俯瞰する上空からも、とさまざまな角度から眺め、見直す練習です。脳内シミュレーションが難しい人は、ロールプレイングのように実際に芝居や寸劇を演じてみるやり方もあります。


④母親の眼差し
  私が昔よくやった方法を一つ紹介しましょうか。

  例えばムカつくほど嫌な人に出会ってしまった場合、そんな相手の立場から眺めてみるシミュレーションにも抵抗を感じてやりたくない時があります。そんな時、この人にも母親がいただろう。その母親ならこの人をどのように見るのだろうか・・と想像してみるのです。ムカつく相手の脳内になど入りたくないと感じても、その母親の心の中になら入れるかもしれません。世間から嫌われ者になっているどうしようないクズ男でも、それでも、母親にとってはやはり可愛い我が子であり、見捨てられないのです。その母の目線で眺めれば必ず美点が見えているだろうし、好ましい肯定的なイメージが脳内に保存されているはずです。良い点しか見ようとしない母親の眼差しではあるが、その母はいったい何を見ているのだろうか・・。

  そんな風に想像をめぐらしてみると、お乳を飲み終わってぐっすり眠っている赤ちゃんの頃や、クリスマスの夜に家族と笑いながらケーキを食べたりしている情景が浮かんできたりします。いつの間にかその母と一緒に、相手の肯定的な良い面を見ようと、優しい気持ちが芽生えていたりするのです。

  まあ、私が個人的にやっていた方法なので、普遍性があるかどうかわかりません。感情的になっていると、実際に視座を転換するのは簡単ではありません。だから何か工夫をして視座を変え、気持ちを変え、印象を変えないと、自己中心的に片寄った状態を是正できないのです。ウペッカーというのは公平なニュートラルな視座を確立することですから、具体的な修行現場では自己中心性をいかに弱めていくかの仕事になるでしょう。


⑤情報の力
  いずれの場合も、大事なのは情報の力です。視座が換わると認識が一変するのは、今まで見えなかったものが見えたり、誤解が正されたりするからです。つまり新たな情報が得られた結果なのです。ガチガチに固まってしまった考えや情報に縛られている人を「固定観念にとらわれている人」と言います。新しい情報は見ようとも聞こうともしないで、自分の脳内情報だけに固執している「聞く耳を持たない」状態です。判断の根拠となる情報が変わらなければ、結論も反応も何も変わりません。嫌な人のまったく違った一面を垣間見たときに、つまり新たな情報が得られた瞬間、ネガティブな印象が肯定的なものに塗り替えられる可能性があります。

  例えば、嫌悪すべき相手がなぜ、どのような経緯でそこまで性格が悪くなっていったか、哀れで気の毒な過去の履歴の一端が知られれば心を打たれるし、こちらの受け止め方も変わる可能性があります。

  情報が乏しく、しかもネガティブな情報だけだったら、好きになることも受け容れることもできません。嫌な相手について良い情報が得られれば得られるほど、嫌う心は減少します。さまざまな情報が詳細に知られれば知られるほど、客観的な見方や多角的な見方ができるようになります。

  不確かな伝聞ではなく、事実に基づく正確な情報が多いほど正しい認識となり、ウペッカーの心が確立してくる可能性が増すでしょう。これを「情報の力」と、私は呼んでいます。


⑥因果を知る
  原始仏教の特徴の一つは、分析論です。曖昧模糊とした混沌状態は訳の分からない無明と言っていいでしょう。しかし、その状態を構成している要素や要因が分析され理解されると、よく分からなかったものが文字通り「分けられ」「分かる」状態になり、智慧の光で明るみに出された状態になります。ヴィパッサナー瞑想の現場では「択法(分析的な見方)」が機能している状態です。

  非常にネガティブな事態や人物を否定せずにはいられない時でも、つまり怒りに駆られている時でも、さらに言えばエゴの立場からしか物が見えなくなっている時でも、その発生した事態や人物がなぜ、どのような理由や原因からそうなっていったのか、背景や必然の力で展開していったかの詳細が理解されれば、受容する力が増します。つまりエゴの視座からしか捉えられなかったものが、別の角度から受け止め直されるようになったということです。自己中心的な視座がウペッカーの視座に近づいたと言ってもよいでしょう。

  結論も現状も何も変わらないけれども、事の詳細と因果の展開が理解されるとウペッカーが強まるのです。なるほど・・そういうことだったのか・・と全てが判明し了解されると、なぜか事実は何も変わらないのに、不思議に受け容れることができたりするのです。これを「情報の力」に分類することもできますが、私は「因果を知る」ことの重要性として強調したいのです。

  私も長年にわたってこの訓練をしてきました。そのせいで、人の話でも報道される事件やニュースでも、何か事態が発生した時には何故に、どうして、どうのような経緯で、そうなったのかという問いが反射的に浮かんできます。のみならず、分析し解析するのが大好きで、その答えも即座に浮かんでくることが多くなってきました。こうして因果関係が読み解けるようになると、表面的な現象だけを見て好きとか嫌いとかいう感情的な反応は起きなくなってきます。もし感情的な反応が起きたとしても、すぐになぜその反応が起きたのかが解るようになってきました。

⑦修行の熟成
  私の場合は、長年修行しながら、どんなことも心底から納得了解して腹に落とし込まないと気が済まないので、ものごとを分析し因果を詳らかにしようとしていただけかもしれません。ウペッカーの心はヴィパッサナー瞑想の奥義とも言うべきものであり、技術的習練だけで得られるものではないと思います。さまざまな知識や経験の積み重ねによって作り上げられていく全人格的なものです。インスタントに身に付けられるものではないと心得ておいたほうがよいでしょう。ウペッカーの心が完成するのは、ほぼ悟りと同じと言っても過言ではありません。遠大な計画で心の清浄道を歩みながら体得されていくものです。
  熱心に瞑想修行全般に取り組んできたのですが、自己中心的な見方がどうしても変えられないと悩んでいた方がいました。ものの見方を変えなければならないのは分かっていたし、知的にはよく理解できるのですが、いくら修行してもどうしても自分の視座に執われてしまい、絶望しかかっていたそうです。しかし、それでも諦めずに、瞑想もダンマの学びも続けていました。するとある時、初めて俯瞰的な見方ができたと感動する体験をしました。自分が考えてきたことや行なってきたことの全体が明瞭に見渡せる感覚を体験したのです。それまで頭でしか理解できなかったことが、全身の体験で「わかった!」という状態になり、完全に視座が変えられたという印象になりました。この体験以来、家族や難しい人間関係が一変するという不思議なことが起き、自分の認知や認識が変わったのは本物かなと思えたそうです。

  これは、視座の転換が起きてエゴ感覚が弱まると、自ずからウペッカーが機能して他者のエゴ感覚にショックを与えるのではないか。その結果、人間関係が好転するという不思議現象に繋がったのではないか、と解釈したくなります。ブレずに、諦めずに、歩むべき道を歩み抜いていけば、努力が報われる日が必ず来ると教えてくれているように思われます。


⑧偉大なフンコロガシ
  スカラベという、俗にフンコロガシと呼ばれる昆虫がいます。アフリカのサバンナで王者のごとくタテガミを風になびかせているライオンと比べると、他人のウンチを転がして丸めたりしている情けない奴と思われるかもしれません。しかしいかにも蔑視されそうなこの虫がどれだけ重要な生態系の一端を担っているかは、情報の力がなければわからないでしょう。もしスカラベがいなかったらアフリカの草原は大型草食哺乳類の糞だらけになってしまいます。エチオピアの牧畜民もケニアのマサイ族も、フンコロガシのお陰様で家畜と共生する生活が成り立っているとも言えるのです。
  それまで存在していなかった羊や牛などの家畜を人為的に移植したオーストラリアなどでは、家畜の糞が処理できずにやむなく糞虫を持ち込まなければならなかったほどです。フンコロガシはただ糞の始末をしてくれるだけではなく、哺乳類の糞に含まれる植物の種子分散にも大きな役割を果たしています。フンコロガシによって地中に埋められ発芽率が上昇するのです。フンコロガシがいなかったら、アフリカの草原が砂漠化し、エサのなくなったヌーやシマウマやガゼルなどの草食獣が死に絶え、それを食糧としていたライオンもチータもハイエナも餓死してしまうかもしれません。こうした驚くべき情報に接すると、フンコロガシが偉大な存在に見えてこないでしょうか。ライオンとフンコロガシは、どちらがより重要な立派な生物なのでしょうか・・・? いかがですか? もし両者の存在が等価に見えてきたなら、情報の力によって視座が換わり、ウペッカーがちょっと養われてきたのです。


⑨弱肉強食の世界
  もう一つアフリカの話をしましょうか。野生動物の中では、私はチータなどは好きな方です。自分も痩せていますから。()

  そのチータのお母さんは狩りをする時には全力疾走するので、獲物を捕らえてもその後かなりの時間、息を整えて体温を下げないと獲物が食べられないほど消耗してしまいます。その戦利品を虎視眈々と狙うハイエナやライオンに横取りされることも多いので、もし狩りに失敗して何日も獲物が取れないと、何頭かの子供たち共々餓死寸前の状態にもなります。そんな時にガゼルの狩りに成功する映像を見ると、思わず「ああ、よかった・・。ハイエナよ、今は来るな!」という気持ちが起きてしまいます。そこで、いつの間にか感情移入して、チータを応援しながらテレビを見ていたと気づくわけです。

  こうしたドキュメンタリーでは、どちらかというとネコ科の大型肉食獣を主役にする企画が多いようです。しかし時にはガゼルのような草食動物を主役にしたものもあります。そうした番組はさすがに突っ込みが深く、種の異なる草食動物がどれだけ知恵を使って相互に助け合いながら肉食獣を見張り、追跡をかわしたりしているか、興味がかき立てられるように作られています。

  そうすると、無意識のうちにガゼルを応援するような感じになり、チータに追いかけられているような場面では、つい「ガゼル頑張れ!つかまるな!」と心の中で叫んでいたりするわけです。()

  昨日の番組では狩るチータを応援し、今日は狩られるガゼルを応援しているのです。映像に引き込まれて夢中で見ていると、いつの間にか主観的な眼差しになり、露わになったエゴ感覚が一方のガゼルやチータに投影されてしまうということです。

  どうすれば良いのでしょうか。最後の力を振り絞って狩りをするチータの母親も幼い子供達もなんとか生き残ってほしいし、これから人生が始まっていくガゼルの若者にも敵の牙から逃れてほしい・・。ウペッカーの視座で眺めると、弱肉強食の非情な論理に貫かれた怖ろしい生命の世界が展開しているのです。

  誰かが笑えば誰かが泣かなければならない存在の世界を前にして、なんとか自分も勝ち組に入ろうと弱者を食い物にしながらカルマを悪くしていく人たちもいるでしょう。こんな一切皆苦の構造を持つ世界から完全に撤退しようと、解脱を目指し瞑想修行に命を懸ける人たちもいるでしょう。いかんともしがたい苦界を前に、「生きとし生けるものすべてが幸せでありますように」と、絶対にかなうはずのない絶望的な慈悲の瞑想を捧げながら黙って見ているしかない人たちもいるでしょう。
  解脱する覚悟も定まらないし、弱者を蹴落としながら不善業を重ねていくこともできないし、どうして良いのかわからないまま何もしない人たちもいるし、絶対に不可能な慈悲の瞑想を渾身の力で捧げる人たちもいます。この世は、出力されたエネルギーが何かの仕事をして何らかの結果をもたらす世界です。慈しみのバイブレーションを強く発信する人と、そうでない人がまったく同じ結果になるだろうとは考えづらいのです。

  こんな妄想が浮かびます。慈悲の瞑想をしながらチータとガゼルのバトルを黙って眺めていると、ぎりぎりセーフでガゼルが逃げのびることができたとします。精魂尽き果てたチータの母親は打ちひしがれて子供達の待つ叢に帰っていきます。すると、アカシアの大木を通り過ぎようとした時、なんと木陰に豹の獲物だったヌーの子供が落ちていたのです。なぜか豹も見当たらなかったので、急いでヌーを運んでチータの親子は辛うじて命を長らえることができました・・・。慈悲の瞑想をする人には、そんな稀有な命の場面を目撃するかもしれません。苦の世界に存在している限り、完全に絶望的であっても、それでも「生きとし生けるものが幸せでありますように」と優しさと慈しみの波動を放つのがブッダの瞑想をする者のやるべきことです。

⑩サマーディの力
  ここまで申し上げてきたのは、反応系の心の修行の一環である発想の転換によるウペッカーの心の育て方です。知識やイメージや情報が飛び交う思考モードでのトレーニングです。「戒→定→慧」の「戒」の修行に分類され、その意味では瞑想修行の前座と言うこともできます。

  最後に、瞑想を深めることがウペッカーを養うことだという話をしましょう。一点集中型のサマタ瞑想も純粋観察のヴィパッサナー瞑想も、本格的な瞑想が始まったら、思考モードを離れてナンボの世界ですから、雑念に巻き込まれず妄想を止めなければなりません。サマタ瞑想では一点に集中することによって、ヴィパッサナー瞑想では去来する妄想にサティを入れて見送ることによって、最初の関門であるサマーディを深めていく方向に修行を進めていきます。

  足元にまつわりつく子犬のように、払っても払っても飛来してくるうるさい蝿のように、止めどなく浮かんでくる妄想を鎮静化するのはなかなか大変です。瞑想の初期段階では思考モードに悩まされるのですが、定力が高まりサマーディ感覚が深まってくると、急に妄想が遠のき、深海から水面間近に浮上したような感覚が訪れます。妄想を追い払う努力が不要になるのです。集中がよくなり、中心対象が安定し、体感も意識の透明度も静かに気持ちよく澄み切ってくる感覚です。さまざまな光や色など「ニミッタ()」というヴィジョンが見えてくることもしばしばです。

  このくらいでは、まだサマーディが確立したとは言えませんが、サマーディに近づいた近行定ぐらいになっているかもしれません。しかしこの程度のサマーディ感覚の初期状態でも、瞑想が安定してくると、この世のことはどうでもよい・・という感覚が心にも体にも全身的に拡がってくるものです。人生のさまざまな苦しみや悩みごとが、他人事のように達観して感じられてくるのです。粘りつく水の抵抗をかき分けながら泳いでいた飛魚が、水面に浮上し空中をしばし滑空するように、禅定感が深まると、思考レベルでも体感レベルでもウペッカーの感覚が強く、深く、強化されていくのを感じるでしょう。

  思考モードでどれだけ発想の転換を練習しても、この定力がもたらすウペッカーの感覚は圧倒的に強烈で全身的なものです。これを繰り返し繰り返し味わい尽くしていくことが、ウペッカーの確立には必須アイテムになると言ってよいでしょう。思想の入れ替えや発想の転換など脆いものです。魅力的な新たな思想に遭遇すれば、それまでの考えなどあっさりブッ飛んで乗り換えてしまうものです。

  瞑想者は、瞑想の修行によってウペッカーを養い深めなければなりません。これは強烈なもので、心を根底から変えていくのに大きな役割を果たしますが、完全ではありません。賞味期限があるのです。サマーディという特殊な変性意識状態によって支えられている感覚ですから、禅定から出て日常意識モードに戻れば、高まったウペッカーの感覚も消えていくでしょう。エゴ感覚の束縛から解放されたかと思ったのも束の間のことで、元の木阿弥という印象に誰もが失望します。

  仕方がありません。サマーディには限界があるのです。サマーディに入定しただけで、煩悩から完全に解脱できるなら、ブッダは「戒→定→慧」の三学を説きませんでした。「定」だけでOKとしなかったのは、サマーディの力に支えられた洞察の智慧の一瞬が必要不可欠だからです。輪廻の流れに最後のトドメを刺すのは涅槃の一瞬であり、そのとき確立されたウペッカーは不動のものとなり、これがウペッカーの修行のゴールであり、瞑想修行の完成です。

 今月のダンマ写真 ~

                                          

生きとし生けるものの幸せを

N.N.さん提供


    Web会だより  
『人生が集約する瞑想』(後)T.Y.
  昔から、訳もなく寂しい、疎外感のようなものを何となく感じていました。どうしてこんなにしーんと寂しいのか? どうしてこんなにひがみたくなるのか不思議だったのですが、わからないままでした。母のことを思っても、母に不満はないはずでした。
  「幼少期の愛着障害の問題がありませんか。本当にお母さんに不満はないのですか?」と先生に訊かれました。
  瞑想していると、幼少期の忘れられない思い出が蘇りました。母と弟がいつの間にかいなくなり、私は、母が嫌っていた祖母(父の継母)の膝に抱かれてテレビを見ていました。私は置き去りにされてこれは大変!と駆け出し、弟にミルクをやっている母を見つけました。そして私もミルクをもらうのでした。ミルク代が嵩むので、母はこっそり弟にミルクをあげていたのでした。私は何も分からず、弟ばっかり可愛がられていると思っていました。その頃母は舅姑に大変いじめられていました。ぼんやりと分かっていましたが、寂しい私は祖母や近所のお婆ちゃんの所に遊びに行って紛らわしていました。
  瞑想会の後、思い切って母に、「小さい頃弟ばっかり可愛いがられて、もの凄う寂しかってんで」と話しました。
  「そら、すまんかったな。実はなあ、お祖母さんに懐くお前が憎らしかってん。虐待しそうやった」
  母が涙ながらに話しました。私はびっくり!幼い頃の私は、聖母マリア様を見るように母を見ていました。母は平凡な人生経験も浅い女性であるというのに。
  大好きなお母さん、想像できないほど辛く悲しい日々だったんだね。私を虐待したってかまわない、それでお母さんの気が晴れるなら・・そんな気持ちが湧いてきて私は母を抱きしめていました。
  言ってもらってスッキリし、得心しました。私の寂しい気持ちの理由が分かりました。いつの間にか寂しさを忘れていました。
  「でもな、おかあちゃんも小さいとき寂しかってん。おばあちゃんが弟を産んだ後、歳の離れた姉さんの嫁ぎ先に預けられてて。小学校に入学するので家に戻ったけど、最初はなにか馴染めなくて、いつも一人で川を見に行ってたんよ・・」
  歴史は繰り返すのだと思いました。
  「平等性に問題があったとしたら、自分も過去に人を差別し、平等に扱わなかったはずなのですが・・」と先生。
  しました!してます!お寺に生まれて、仏道を歩まずんば人に非ず、なんて感じでした。人の欠点を見つけ喜んで、人の不幸に同情しつつ自分の幸せを喜ぶ。人にしたようにされる、です。
  母に命をもらい、父に人生をもらったような気がします。そして、私の悩みは親の悩みでもありました。
  一日瞑想会で歩行瞑想を見て貰いました。「間の取り方がうまく出来ていませんね」と先生。後でどういうことなのか考えていました。間が取れてないって・・。「これは瞑想が全部出来ていなかったんだ!!」「概念で瞑想しているんだ」と気付きました。「ああか?」「こうか?」と考えて感覚をちゃんと取れていなかった。また、ラベリングのあとで次の一歩に移る前に、一拍間を取るのを軽視していました。そう気付いてから、しばらくは感覚が良く取れました。注意されるとは良いものですね。
  「セオリー通りにできているんだけど、瞑想する覚悟のようなものがねえ」。
  最近の1Day合宿で先生に言われました。最後のまとめの時間で、他の参加者の方から、「わざわざ奈良から来られたんですか?どうして?」と聞かれ、「帰りにデパートにも寄れますし」と思わず答えました。照れ隠しの積りでしたが、「私は遊びで瞑想してる!」と思いました。やるぞという心構えは昔から無い。何となくやるのですが、真剣さは少ない。瞑想で流れが良くなると、快楽的なものに溺れていました。瞑想が趣味になり、遊びになっていました。苦しい瞑想を続けるか?やっぱり求めている快楽の方へ行くか?分からなくなって来ました。
  「考えるより、身体に任せよう」と決めました。何も考えず、自然に任せました。すると、日常の瞑想が出来る時が増えました。感覚が少し鮮明になりました。50:50の取り方や中心対象への戻り方が甘かったとも気付きました。
  要するに、身体は瞑想を止めなかったのです。びっくりしました!身体の選択に任せて瞑想を続けることにしました。しかし、気づきは直ぐに薄まり忘れてしまいます。いつまでも変わらないエゴの塊の私が、ドーンと居坐っているようです。ただ、嬉しいことに、家族が穏やかに、幸せそうになってきたのです・・。
  以上がボチボチ瞑想を続けている私の歩みです。また、今回この文章を書くことで、気づいたことや整理出来たことがいっぱいありました。機会を与えて下さって、感謝いたします。(完)   

       
 






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ダンマの言葉

  役に立つものや人を喜ばすものを与えることは、布施(寛容)の行ないです。しかし、外側に現れる行為だけに目を向けていては、心から寛容であるかどうか分かりません。行動を動機づけている心について、私たちはもっと学ばなければなりません。真の布施(寛容)とは難しいものです。
  何かを与えているとき、私たちは良いことや崇高なことばかり考えているとは限りません。与えようとする動機がすべて純粋なものとは言えないのです。何らかの見返りを期待したり、相手から好意をもたれようとしたり、寛容な人物であると思われようとしたりなど、利己的な動機で与えることもあります。(ニーナ・ヴァン・ゴルコム「布施と寛容」、『月刊サティ!』20044月号より)

       

 今日の一言:選

(1)人の心は矛盾だらけで、常に正反対の想念が渦巻き、葛藤している。
  嫌う心も愛する心もどちらも本当なので、迷いが生じ、やりたいと思い、やりたくないとも思う。

  感情を司る脳の指令も、理性に従い抑止する命令も、去来する万感の想いも、どれもみんな本物だが、下される結論は一つであり、その言葉をひるがえすことはできない。

  ……事実なのか、ダンマに恥じるところはないか、と問いかける……

(2)自我を確立しなければならない。
  幸せにならなければならない。

  無我を目指し、禍福を超えるために……


(3)意志が未来を変えていく根源的な力ではあるが、どんな些細な現象も万物と相関関係でつながり合っているではないか……
  何かが成就したかのように見える一瞬がないわけではない。

  広大な海辺の波打ち際に、泥んこの砂で築いたお城のように……


       

   読んでみました
  『宿命の戦記 ―笹川洋平、ハンセン病制圧の記録―』高山文彦著
                                 (小学館 2017年)

  「すごい人がいるな!」と思わせた本書は、地球規模でハンセン病の征圧に全力を注いでいる日本財団会長笹川陽平氏の活動に、足かけ7年間20カ国で密着取材した大部の記録である。1年の3分の1を海外活動に充てている笹川氏の差別撤廃の運動は、「国連総会決議に結実し、各国に提示するガイドラインも承認された。彼がいなければ、各国のハンセン病対策と差別の緩和は100年遅れただろう」と著者は述べている。氏は2001年にWHOから、国連大使と同級の立場と権限を有するハンセン病制圧大使に任命された。
  すでに知られているように、ハンセン病は癩菌によって生じる病気であり、伝染率のきわめて低い伝染病で、1981年に3種類の薬を同時に処方する多剤併用療法MDTが開発され、現在ではほぼ完璧に治癒可能になっている。1995年から99年までの5年間、日本財団がこの治療薬を無償提供し、200年以降はMDTを作っているスイスの製薬会社ノバルティスが無償提供を引き継いでいる。

  しかしながら、ハンセン病それ自体では死の原因とはならないが、侵された患者は姿形、外見が著しく崩れていく。そのため日本では業病とされたり、キリスト教世界では神の罰といった差別を受けてきた長い歴史がある。
  笹川陽平と日本財団は、1974年からハンセン病制圧運動に本格的に乗り出している。彼を動かしているのは何か。それは差別に対する怒りであり、差別との戦いであると言う。
  「僕がこうして世界各地を回ってハンセン病の撲滅、差別の撤廃を訴えているのは、(中略)父が受けた差別を晴らしてやりたい、と言う思いがつよいからなんです」。彼の父笹川良一は、右翼の大物、A級戦犯(正確にはA級戦犯容疑者であって無罪放免された)、博打の胴元をやってその金で慈善事業・・・という具合にマスコミからこぞってレッテルを貼られていた。
  彼は父に名誉毀損で訴えましょうと何度も言ったという。「そのたびにあの人は言うんだ。おまえ、なに言ってんだ。書くやつらだってメシ食って、女房子どもを育てなきゃならないんだぞ、てね」。良一氏には自分が差別されている意識はなかったという。彼は、父に対するレッテル貼りがいかに虚妄であったかを明らかにするために、東大の伊藤隆氏に依頼して7年掛けて父の資料を整理していった。誤ったレッテルで差別された父を正しく理解して欲しい、彼の事業はこの情念から出発している。それが、「するどい感性に裏打ちされた実感豊かな行動となり、(中略)力強いメッセージ性を帯びるであろう」と著者は記している。
  笹川氏のブログ(2017年2月8日)によれば、「記録に残っている1982年から2016年までの34年間に訪問した国・地域は119カ国、海外出張回数は466回、滞在日数は2954日、面談した国王・大統領・首相は181人を数える」という。本書の著者が本書でレポートした国、地域名を列挙すれば、インド、エジプト、マラウイ共和国、中央アフリカ共和国、ブラジル、ロシア、キリバス共和国、バチカン市国、そして中央アジア、西ヨーロッパ各国である。
  行く先々では、直接患者に触れ、抱き合い、時には優しく激励し、また時にはそこでの為政者、担当者に対して厳しい言葉をかけている。
  エジプトでは、テレビ局のインタビューで、「人類はたくさんの過ちを犯してきました。わけてもレプロシーの問題は、人類史にとって大きな籠の歴史です。人間として認めてこなかった。こんなことがあっていいのか」。そして老人の手をなぜながら、「この人の手はあたたかいし、血が通っています。こうして握っていても、病気は決してうつりません。まして、神様の罰だなんて信じたり言ったりすることは大きな間違いであると、テレビを見ているみなさんによく知っていただきたいのです」。そして、「社会は治った人を受け入れて欲しい」と。
  成功例がある。インドのチャティスガール州ライプールでのコロニーでは、優秀なりーダーによって立派な成功例が生まれている。
  「回復者代表のボイ氏が、その隣から顔を出して、
  『ここのコロニーは、じつはたいへん素晴らしいところなんです。お医者さんがふたり生まれています。IBMでソフトエンジニアをやっている人もいます。博士もでています』
  『へえ、そうなの』
  『それだけじゃないですよ』と、運転手氏が付け加えた。
  『外の町から健康な若い女の子がやってきて、尊敬するコロニーの若い男の子と結婚しました』
  『へえ、そんなことがあるの!』陽平の声は絶叫に近かった」。
  インドでは、ダリット(自分たちの呼び名。マラティ語で「砕かれた者」「虐げられた者」という意味。アウトカースト)に属せられた若者が、どんなカーストにも属さない職業のIT技術者を目指すのは当然なのだ。
  もちろん成功例ばかりではない。むしろこちらの方が多く、より深刻である。訪問先で元、現罹患者のインタビューが行われているが、その一つ、ブラジルアマゾンの奥地でその人たちが受けてきた扱いは、「収容所(このように彼女は言い換えた)の生活は、動物と変わらぬような」ものであった。これらり類する事例はとても膨大で、本書のあらゆる所に取り上げられており、とてもここで紹介し切れるものではない。
  「制圧」とされるのは、1991年にWHOが示した、「国民1万人当たりの患者数が1人を下回った状態」を指していて、これを達成すると拡大を押さえ沈静化できるとされている。しかし、国全体のデータはそうであっても、州や地方によってその数字は大きく異なっているのが普通であるし、また調査が進んでいないために低く出ている場合もざらである。表に出ない患者数はまだまだ多く、毎年新しく患者も発見され続けている。調査と正確な情報がいかに重要性か、本諸で繰り返し強調されているのもそのためである。
  ハンセン病対策には、国や地方組織の対応が肝心であり、またそれに熱意を持つ人々がいるかどうかに大きく左右される。消極的な政府要人もいれば、その反対に積極的に取り組む為政者、そして献身的な医師、看護師、その他たくさんの人々がさまざまな人間模様を見せている。
  最後に、高山氏によって書かれた補遺は、この病に対する日本の歴史をめぐって詳細な考察がなされており、それだけでも一読する価値がある。また、家族関係者の国に対する集団訴訟に関しては、ものの見方のバランスという点から考えさせられた。
  大部にも関わらず中身が非常に濃く、かつ多様で幅広く大量の情報が含まれている本書は、やや無謀とは思いつつあえて紹介したいと思った。なぜなら、もし自分であったら、家族であったら、知人であったらどうか、そして、無差別平等の厳しさについて考えさせられる一冊だったからである。(雅)
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