月刊サティ!

Web会だより

  2019年  

『人生が集約する瞑想』R.Y.
  私は61歳女性、瞑想を始めて7年になります。正直言ってあまり出来の良くない瞑想者です。地橋先生が「素晴らしい瞑想体験が羅列されている原稿よりも、失敗談や瞑想が遅々として進まない話の方が、誰にとっても身近で共感を呼ぶものです」と勧めて下さいましたので、それでお役に立てればと、拙い筆を取りました。
  私が瞑想を始めたのは、娘が試験に落ちてばかり、しかも心がけが悪い。夫はテレビを見てばかり、当然コミュニケーションがない。ぜんぶ相手が悪いと心の中で責めていましたが、これは私に問題があるのではと思ったからです。その2~3年前に『瞑想クイックマニュアル』を知人から頂いて読んでいました。少し読んで「これだ!私がずっと求めていたのはこれだ!」と思っていました。しかし、それでなぜか安心してしまいました。実際に実行し出したのは自分に問題がある?と気づいてからです。
  瞑想を始めたばかりの頃には一生懸命出来ましたが、少し慣れると、妄想や散漫な心や退屈や慢の心で行き詰まりました。エゴワールドへの執着が強いのではないか・・と、瞑想会で先生に言われてもいました。
  瞑想を始めて2年目の頃、2泊3日の短期合宿に参加しました。「歩行瞑想をしてみて下さい」と先生に言われました。少し歩行瞑想したものの見られていると意識すると、集中力はぶっち切れ、「出来ません」とふてくされて坐り込んでしまいました。でもそうしながらも、昨夜も遅くまで、そして今朝も早くから音がしていたのを思い出しました。多分先生とスタッフの方が準備して下さっている音でした。こんな私の為にあんなに一生懸命・・と思うと感謝の心が自然に湧いてきて、涙ぐんでしまいました。瞑想は集中力を欠きましたが、素直に感謝できたのが嬉しく今も思い出します。感謝の気持ちが湧いてから、少し気合を入れて瞑想するようになったかと思います。
  瞑想を始めると妄想が山のように出てきます。その奥にはものすごい恨みのような怒りがあり、さらにその奥の院には怖い顔をして立ちはだかる父の姿がありました。私の心の奥底にわだかまっていた父のイメージでした。
  父は私を大変可愛がってくれました。しかしその可愛がり方は、私の先回りをして、悪いことから私を守り、父が良いと思う方へ導こうとするレールを敷くものでした。要するに過保護なのでした。それは心地良い時もありましたが、成長と共に窮屈で息詰まるものとなっていきました。成績は良い点を取れ、映画や歌は低俗、美術館はOK、など戦前の古めかしい教養主義でした。あまりにも古すぎて時代に合わず、次第に私は父を殺したいと思うくらい憎むようにさえなっていました。しかし父は全く気付かず、良い事をしていると完璧な自信を持っているかのようでした。
  私の希望は、真っ向から否定しないで、私の意見を聞くだけでも聞いて欲しい、私の自由や意志を尊重して欲しいというものでした。良いことも悪いもことも経験したい、そして自分で判断したいというものでした。
  「お父さんの姿は、前世のあなたの姿と考えるのです。自分が過去にしてきたことを、今度は逆の立場で受けることになるのがカルマの法則です」と瞑想会で地橋先生に言われました。
  びっくりして目が覚めました。前世の私というのは理屈としてよく分からないのですが、腑に落ちるものがありました。腹の立つことに、私と父は似ているのです。「イヤだ!嫌いだ!こんなの自分の人生じゃない!」と怒りまくっていたのに、私の今の幸せはやはり父の恩恵によるものが大きいと認めざるを得ませんでした。父に感謝せざるを得ません。
  考えれば、父も祖父に同じような仕打ちを受けていたのでした。もっと虐待に近く酷いものでした。お父さんはどんなに辛かったか!私など比べものにならない!守って欲しかったし、良いことをいっぱいしてもらいたかったんだ・・。父の立場を思いやることが出来て初めて父を赦せると思いました。
  私は、「一生懸命育ててくれてありがとう」と父を抱きしめることが出来ました。
  「そう言われたら嬉しいわ。本望や・・」、うれしい言葉が父から返ってきました。
昔から、訳もなく寂しい、疎外感のようなものを何となく感じていました。どうしてこんなにしーんと寂しいのか? どうしてこんなにひがみたくなるのか不思議だったのですが、わからないままでした。母のことを思っても、母に不満はないはずでした。
  「幼少期の愛着障害の問題がありませんか。本当にお母さんに不満はないのですか?」と先生に訊かれました。
  瞑想していると、幼少期の忘れられない思い出が蘇りました。母と弟がいつの間にかいなくなり、私は、母が嫌っていた祖母(父の継母)の膝に抱かれてテレビを見ていました。私は置き去りにされてこれは大変!と駆け出し、弟にミルクをやっている母を見つけました。そして私もミルクをもらうのでした。ミルク代が嵩むので、母はこっそり弟にミルクをあげていたのでした。私は何も分からず、弟ばっかり可愛がられていると思っていました。その頃母は舅姑に大変いじめられていました。ぼんやりと分かっていましたが、寂しい私は祖母や近所のお婆ちゃんの所に遊びに行って紛らわしていました。
  瞑想会の後、思い切って母に、「小さい頃弟ばっかり可愛いがられて、もの凄う寂しかってんで」と話しました。
  「そら、すまんかったな。実はなあ、お祖母さんに懐くお前が憎らしかってん。虐待しそうやった」
  母が涙ながらに話しました。私はびっくり!幼い頃の私は、聖母マリア様を見るように母を見ていました。母は平凡な人生経験も浅い女性であるというのに。
  大好きなお母さん、想像できないほど辛く悲しい日々だったんだね。私を虐待したってかまわない、それでお母さんの気が晴れるなら・・そんな気持ちが湧いてきて私は母を抱きしめていました。
  言ってもらってスッキリし、得心しました。私の寂しい気持ちの理由が分かりました。いつの間にか寂しさを忘れていました。
  「でもな、おかあちゃんも小さいとき寂しかってん。おばあちゃんが弟を産んだ後、歳の離れた姉さんの嫁ぎ先に預けられてて。小学校に入学するので家に戻ったけど、最初はなにか馴染めなくて、いつも一人で川を見に行ってたんよ・・」
  歴史は繰り返すのだと思いました。
  「平等性に問題があったとしたら、自分も過去に人を差別し、平等に扱わなかったはずなのですが・・」と先生。
  しました!してます!お寺に生まれて、仏道を歩まずんば人に非ず、なんて感じでした。人の欠点を見つけ喜んで、人の不幸に同情しつつ自分の幸せを喜ぶ。人にしたようにされる、です。
  母に命をもらい、父に人生をもらったような気がします。そして、私の悩みは親の悩みでもありました。
  一日瞑想会で歩行瞑想を見て貰いました。「間の取り方がうまく出来ていませんね」と先生。後でどういうことなのか考えていました。間が取れてないって・・。「これは瞑想が全部出来ていなかったんだ!!」「概念で瞑想しているんだ」と気付きました。「ああか?」「こうか?」と考えて感覚をちゃんと取れていなかった。また、ラベリングのあとで次の一歩に移る前に、一拍間を取るのを軽視していました。そう気付いてから、しばらくは感覚が良く取れました。注意されるとは良いものですね。
  「セオリー通りにできているんだけど、瞑想する覚悟のようなものがねえ」。
  最近の1Day合宿で先生に言われました。最後のまとめの時間で、他の参加者の方から、「わざわざ奈良から来られたんですか?どうして?」と聞かれ、「帰りにデパートにも寄れますし」と思わず答えました。照れ隠しの積りでしたが、「私は遊びで瞑想してる!」と思いました。やるぞという心構えは昔から無い。何となくやるのですが、真剣さは少ない。瞑想で流れが良くなると、快楽的なものに溺れていました。瞑想が趣味になり、遊びになっていました。苦しい瞑想を続けるか?やっぱり求めている快楽の方へ行くか?分からなくなって来ました。
  「考えるより、身体に任せよう」と決めました。何も考えず、自然に任せました。すると、日常の瞑想が出来る時が増えました。感覚が少し鮮明になりました。50:50の取り方や中心対象への戻り方が甘かったとも気付きました。
  要するに、身体は瞑想を止めなかったのです。びっくりしました!身体の選択に任せて瞑想を続けることにしました。しかし、気づきは直ぐに薄まり忘れてしまいます。いつまでも変わらないエゴの塊の私が、ドーンと居坐っているようです。ただ、嬉しいことに、家族が穏やかに、幸せそうになってきたのです・・。
  以上がボチボチ瞑想を続けている私の歩みです。また、今回この文章を書くことで、気づいたことや整理出来たことがいっぱいありました。機会を与えて下さって、感謝いたします。


『闇から光へ -そして信の確立へ』M.K.
  「あなたからはじめてご主人の話を聞いた時から、変わってないんだなあ」
  1Day合宿の帰り道、ご一緒した方からこう言われた。
  わたしたち夫婦の関係に影響を受けた長男の問題を何とかしたくてヴィパッサナー瞑想に出会い、朝カル講座に飛び込んでから3年近くが過ぎた。その間、両親と祖母への見方、長男の問題の改善と、目覚ましい変化が起きた。しかし夫へ抱く思いは相変わらず変わらなかった。何度かもう捨てられると思えた時もあったが、少しすると元に戻ってしまう。そんな日々をもう3年も送っていた。
  きっかけとなった出来事以来、私は日常生活のコントロールが思うようにできなくなる時がある。学生以来どうにかなだめすかしていた過食症もぶり返した。夫があんなひどいことをしなければ。自分のしたことに気づいた時、ちゃんと謝ってくれていたら。一向に安定しない自分自身の心の原因を夫の中に見出し、彼が心の底から反省して変わることができた時に自分も立ち直れるのだという思いを延々と心の中で回転させ、何度も夫を責めたり謝罪を求めたりした。
  自分の言葉が、心が、何も変わっていない自覚はもちろんあった。この瞑想を、原始仏教の教えを学んでいるのにと思うと情けなかったがどうにもならない。世間では食や日常生活を整えるために瞑想が有効だと言っているようだが、そもそも瞑想ができなくなっていた。先生は生活が整わないと瞑想はできない、瞑想のために生活を整えるのだとおっしゃった。
  一体どっちが先なんだ、と思った。だったら自分は瞑想なんかできないじゃないか。瞑想よりも食のコントロールをすることの方が先だし、はるかにそちらの方が重要だと思った。幸せになれるのなら、なにも瞑想でなくてもいいのではないか。解脱や悟りなど、今この状況にある自分には到底目指すべきものには思えなかった。
  自分には瞑想は必要ないのではないかという思いがちらつき始めた。長男との関係が改善して苦が去り、とりあえず楽になったので修行する気がなくなってしまったのだろうか。あれだけ求め、ようやく出会えたと感激していた自分の心はこんなものだったのかという思いと、一体自分はどこまで求めているのだろうかという思いのなかで迷っていた。
  そんななか数か月ぶりに参加した1Day合宿だった。思っていたよりも瞑想に集中できてうれしかった。合宿というものの威力を強く感じた。その帰り道で言われたのが冒頭の一言である。それまで電車の中でずっと私の主人に対する思いに耳を傾けてくださったあとに出た言葉だ。
  そして、気づいた。カルマが一つ読み解けたのだ。朝のルーティーンを夫に奪われたことだ。私にとってそれは自尊心を保つためにとても大事な行為だからやらないでほしい、と何度も夫に説明し懇願したがやめてくれなかった。とうとう意味をなさなくなった途端、やらなくなった。何故そんなことをしたのか、何度夫に聞いても「分からない・・・」と言うばかりだった。この出来事が私が長男にしたことのカルマだと解ったのだ。長男の代わりに夫が私に返したのだ。
  それが分かったら、変化はすぐに訪れた。因果関係が見えたことで夫を責める必要がなくなったのだ。
  なぜ、何年ものあいだ見ることのできなかった因果関係が見えたのか。それは合宿で一日中サティを入れていたからに他ならない。やっぱり瞑想は必要なんだ、と思った。そしてここにはもう一つのカルマが関係している。
  なぜ私がこのタイミングで、その一言を言ってもらうことができたのか。それはちょうど一年前、朝カル講座の食事会の後、仲間の方々とお茶をしていた時である。かねてよりご主人への思いで悩まれている方がひとしきり語られたあと、私の一言でその方は翌日ハッと気が付いたとメールをくださった。まさに同じ状況で、今度は私が気づかされたのだ。法友の存在とはこういうことなのかと思った。
  これまで10日間合宿で両親と祖母への、そして一年前に長男に対する視座の大転換を経験した。その瞬間まさに頭の中が交通整理され、途端に瞑想がうまくいった。だからといって問題が一挙に片付いたりはしなかった。今回の合宿前、長男に「おれはお母さんに壊された。でも恨んでいない」と言われた。長男の問題が完全に解決を見たから、夫の問題に着手することができたのだと思う。そして必ず視界が開ける直前には、それまでで最も暗い闇の中に在った。他の方にどのようにそれが訪れるのかは知らないが、自分はこの過程を通らなければならないようだ。とても苦しいが。
  この文章を書くための構成を考えた後、夫と待ち合わせて外で食事をするため駅に向かう道をサティを入れながら歩いていると、ふと4年前の背中の痛みを思い出した。それがこの道に出会うすべての始まりだったのだなあ、と、存在するはずのない痛みを感じていると、突然「感謝!」というサティが飛び出した。
  まさか、この痛みに感謝する日が来るとは!もしこの道に出会えていなければこの先もずっと「どうして?どうして?」を繰り返し、夫を責め、家族を、自分自身を苦しめたに違いない。しかし、本当に分かると一瞬で終わりにできる。ダンマを知的に理解することも、種々の方法で心を方向づけすることも必要であり有効なことである。しかしながらそれはエゴをなくし正しく見ることができなければ叶わないということ。そしてそのためには瞑想が必要なのだ、ということを理解することができた。瞑想への「信」の確立に一歩近づくことができたと思っている。

『瞑想8年目、日々是修行』Y.T.

  8年前から地橋先生のご指導のもと、最初の変化以降(「月刊サティ!20134月号」投稿)、さらにいくつかの変化があった。
  特筆すべきは、怒りの激減だ。職場にポケットカウンターを忍ばせ、怒りの感情を確認するたび、ポチッと押すことをやった。8年前には、一日100回以上あったものが、最近はゼロに近い状態になっている。因果論で怒りの恐ろしさを了解し、発する怒りは苦しみの裏返しということを体得できたからだろうか。他人の怒りに向けて自ずと慈悲が湧くこともある。
  いまだに回想されるのは10年前のこと。その頃は、義母や妻から「家出れば!」と罵声を浴びていた。あらゆることにおいて攻撃的な私は崩壊寸前だった。ダンマの学びから必死に視座の転換を図る。周囲に原因があるのではなく、そのようにさせる何かが自分の内にこそあるのだと。そして連日、慈悲の想いを注ぎ、ヴィパサナー瞑想に賭けた。時を経て一昨年。妻が、原始仏教に取り組む私の姿を見、私の歩みをそのまま受容してくれるように、そして惜しむように「出家でもするの」と、あの頃とは真逆の言葉を言ってくれるようになっている。
  ところが、反省しきりのエピソードもある。昨年の春先、妄想に疲弊し尽くしてしまったことだ。その発端は、遠く平成元年に遡る。同じ職場で、私と新人同士机を並べた女性がいて、4年間の交際後にプロポーズ。しかし、断られる。職場異動となりそのまま長い年月とともに記憶も薄れた。
  ところが昨年の春のこと、その女性が再び私と同じ職場になるという。それは前代未聞、県内数百もある職場で確率的に皆無。その時だ、若かりしかつてのマドンナが、思いのほか頭に蘇ってきてしまうこととなってしまった。数日間、妄想の甘美が襲い妄想に嘔吐しそうになり、現実生活が頓挫することも。
  4月、いよいよ25年ぶりに対面したのは、マドンナならぬまったく別人の容貌だった。その現実が妄想を木っ葉微塵に打ち砕いた。今、彼女は隣の机でマツコデラックス然として君臨している。妄想は気づいた瞬間にゴミ箱へ、と肝に銘じた一件だった。
  さて、この8年間の体調について。瞑想以前は、医療費が月ごと増えていくような健康不良体だったが、瞑想を始めて以来、体調は崩していない。生命を傷つけないようにし、半年に一度、朝カルの講座の前に新宿献血ルームに足を運び、月ごと医療ボランティアや動物保護団体へ寄付をしているからか。職場でも断酒宣言をした。「飲まなくとも、人生は酔うから」と軽口を叩いて。実際、人生など放っとけば自ずと二日酔いになるのではなかろうか。今、週末は、気づきを入れながらのジョギングを楽しんでいる。
  結びとして、一昨年亡くなった父について述べたい。私は父とはもの心ついてから親子の交流はなく、挨拶程度の言葉すらめったに交わした記憶がない。余りに無口無反応な父は、私に卑小な存在としてしか映らなかった。その息苦しさに高2で家を飛び出してしまった。数年後、父は倒れ、右半身不随失語症となる。その不自由な体で20年余りを過ごしていたが、しだいに食べることが困難になり、じっと横たわるだけとなり、意思表示も厳しくなっていった。いよいよの時、私たち家族は延命を望まず、父を見送ろうとした。しかし病院より、体に結核菌を有すので拡散を防ぐため、胃瘻によって服薬せざるを得ないと言われ、以来、薬と栄養が直接胃に注がれ続けることとなった。
  痩せさらばえる父の身近に添うこと4年が続く。ところがその日々は、私が求めていた親子の交流というものを初めて体験できたような不思議な感覚にとらわれる。そして父はその不器用な眼差しで、私を遙か昔からずっと見ていただろうことをも気付かせてくれることとなる。それなのに私は千万無量の心労をかけ続けてきたのだ。ひたすらに赦しを求め続け、懺悔の瞑想に明け暮れた。死の際に、遠く懐かしい父の声が心に響いた、「もういいよ。頑張れよ」と。私は嗚咽とともに合掌した。
  以上のような私のヴィパサナー瞑想8年間となる。掛け替えのない日々。ただしほとんどは反省ばかりで、遙かなる清浄道、一歩すら進めていないのではないか・・が実感だ。為すべきことに集中できない力のなさを省みつつ、ここで頑張るしかない。


『苦の中に菩提心あり』 宝田 誠
1.ヴィパッサナー瞑想に出会う前の人生
  自分の辿った道が法施となり皆様の修行の一助になればと祈念し寄稿させて頂きます。
  私の学生時代は、絶対真理の探究や願望実現のため、禅定体験による超人化を目指すことが興味の対象でしたが、定力がなかったので中途半端なもので終わりました。今思えば戒定慧の三学の中で定のみに取りつかれていた時代だったと思います。
  社会人になり大乗仏教を社是とした会社に縁があり転職しました。その会社は、宗教と経営を一体化した新しい会社を作ろうとしていた初代社長が亡くなり、その次男が二代目として事業を承継する時期だったので、二代目の社長と一緒に会社の財務の健全化を数十年に渡って取組みました。
  会社での修行は、朝礼の代わりに経典を読誦し、また、年明から毎朝七時に三部構成の経典を一時間読誦し十三日間かけて完読するというものでした。十三日間皆勤するためには精進力と、経をかなりの速さで読むため集中力も必要でしたが、修行としての達成感もあり自信も持てました。そして、それが生きる上での精神的支柱になっていたと思います。

2.初期仏教との出会い
  私が初期仏教に初めて出会ったのはスマナサーラ長老の『ブッダの実践心理学』を読んだ49歳の時です。そこには曖昧なところはなく合理的で、実際どのように修行をしていけば解脱に到達でき、また解脱や涅槃の概念が世俗的な言葉で平易に説明されており衝撃を受け、仏教に対する認識が変わったことを今でも覚えています。その後、大乗仏教と初期仏教の相違点や、どちらが釈尊の伝えたかった真理に近いのかなどの考察を続けました。
  51歳の時には、アビダンマ講義を受け、座禅も取り入れ、死をいつでも受け入れられる境地に近づいてきたと思い込んでいました。しかし2011311日の大震災で、生に対する執着から死への恐怖が生まれ、自分は死を大変恐れており心の浄化も進んではなく、ただ理想のあるべき状態を夢想して心に貼り付けていたに過ぎなかったと気づいたのです。それから放心状態となり、震災のショックを引きずりながら日常の生活や仕事に追われ、修行は一時中断状態となりました。しかし釈尊の教えから離れないように日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌などを読み、情報の切断だけは避けていました。

3.ヴィパッサナー瞑想との出会い(転機)
  そのような時、二代目社長の兄弟間に問題が起こり、私も巻き込まれ奮闘するなか、第二の父と慕っていた二代目社長が亡くなり、また、私の実父も亡くなり、頼りの部下も退職し環境的にもかなり追い詰められ、60歳を間近に、ついに自律神経を患い血圧サージとなりふらつき感と不眠に悩まされました。その治療のため人間ドック、漢方、鍼灸、整体など色々なものを試してみましたが、たいした効果はなく、結局かかりつけ医の変更をして薬を見直し一時の安静を得ました。
  しかしこの時、過呼吸や脈動異常による死の恐怖を体験してから、このまま死んではロクなものに転生しないと心底恐怖しました。そして、この病苦の真因は心のあり様から来ていると思い、これからは初期仏教を軸にした本格的な瞑想修行を実践し、少しでも死近心を良質なものにして来世に繋いでいこうと思い定めました。病苦があったからこそ病苦から逃れようと必死になり、ヴィパッサナー瞑想の修行を本格的に始動できたことは人生の終盤で最大の果報を得たと言えます。
  ヴィパッサナー瞑想は、それまで『大念処経』などの経典を読んで独学で行なっていたので、本格的に取り組むにあたり、師の選択を慎重に行ないました。気をつけたことは、自分を正覚者と言う方、慢心のある方、論理性や一貫性のない方は避け、実践経験があり、人格者である方の講演や講習会に参加しました。
  しかし今まで人に学んだことがない者が未知の講習会などに参加するには、相当な意欲と精進力が必要でした。いつも何かの障害が起こり、心が萎え、行けない理由探しを始めるという、いわゆる「掉挙」の散乱状態になりました。そんな時は、理由はどうあれ身体だけその場所に運ぶことを実践しました。それから先はやめるなり帰るなり心の自由に任せることにしたのです。
  健康面での不安もありましたが、脈や血圧が上がり倒れたらそれまでのことと割り切ることにしました。実際にその場に行くと身体は辛くても精神的にスッキリし、「行って良かった!」といつも思いました。ダンマの力や「場」の力が働いていたのでしょうか。それ以後、心がどんなに「掉挙」になっても身体だけは会場に運ぶことを実践しています。

4.出会った後の生活や人生の変化(修行への取り組み)

  60歳前後で日本テーラワーダ仏教協会での初心者への実践指導や地橋先生の朝日カルチャー講座で初めてきちんとした歩きと坐るヴィパッサナー瞑想のやり方を学び、以後11カ月が経ちます。勤務も修行時間を増やさねば罰が当たるような恵まれた条件となりました。
  修行は長くやれば良い結果になるというものではないのですが、それでも時間を費やせばその分は必ず蓄積されていくと思っています。お釈迦様が数え切れない輪廻を経て悟られた真理を追体験しようとするのだから、時間はかかるものと思い定め一歩一歩前に進むしかないと思います。
  現世で残された時間は自分が思っているよりはるかに短いのですが、瞑想の成果を得ようとあくせくするのは逆に欲に囚われ後退してしまうものだと思います。人間に生まれることは至難なことで、健康で、思慮深く、さらに法に出会い、瞑想の時間を持つことはとても有り難いことだと思います。もちろん様々な障害や欲望に邪魔され修行から遠ざかり濁業悪世に身を委ねても、一度修行した経験者はきっと戻って来ると思います。立ち止まってゆっくり考えてみる時間も大切な修行の一部だったと、遠回りしてしまった自分は今思っています。

5.瞑想により心がどのように成長したか
  うつ病は、心が作った妄想という心身を蝕むエネルギーなので、妄想が起こらないようにサティで後続を切断し、それでも湧き起こる妄想には対立しないで、そうなのか、と受容してあげることでそのエネルギーは留まらず流れて消えていくものだという実感が、曖昧ではありますが掴めかけている気がします。
  また、現実で押さえ込んだ怒りなどが夢で実現し、怒り狂った夢を見ようとする時、これは怒りで不善業だ、と、それを制御する自分が現れるようになりました。
  最近、雨の降る日に公園で歩く瞑想をしていると、足裏の血流が鮮明に感じられ、数分でしたが落ち着いた楽を感じ、雲の上を歩いているかのような気持ちの良い感覚になりました。また、雨からの連想で過去に家族と喧嘩した時のことを思い出し、瞋恚の感情が沸き起こった瞬間、足元が滑って転びそうになりました。瞋恚の不善業が今の歩行時の瞋恚を縁として正に実現したことを体感できた瞬間でした。
  カルマは常に蜘蛛の巣のように張り巡らされ、今の怒りや欲や愚かさはその縁となり、同種のカルマを集めて実現させてしまう。正に、この心身は「業異熟体」なのだという深い洞察ができました。
  病苦はほぼ克服したとはいえ油断するとすぐに揺り戻され、体も心も諸行は無常に変滅し苦に向かっているのだから、常に怠ることなく精進努力せよとお釈迦様から言われている気がします。今は朝日カルチャーの講座と1dayセミナーで地橋先生のご指導と個人面談を受け充実した修行生活が送れています。
  還暦でやっと満足のいく修行法にたどり着いた今、常に不断の精進力を持ってダンマに触れ続けていける環境と体力づくりを残りの人生の最優先課題として、衆善奉行・諸悪莫作を念頭に一所懸命コツコツと捨の心で修行し、常に今に気づいていきたいと思っています。


『瞑想との出会い』 りんご

  今から2年ほど前、仕事はマンネリ、趣味もなく、このまま時間を浪費するように人生が過ぎていくことに、何とも言えない閉塞感を感じ、それを打ち破りたい衝動に駆られていた。そして、そんな時期に見つけたのが、マインドフルネスと某IT企業が開発したプログラムである(ただし、この時点では某IT企業のネームバリューに吸い寄せられているところが大きい)
  そのプログラムが、私の初めての瞑想体験となるわけだが、とりわけ私が興味を持ったのは、Emotional Intelligence Quotient(EQ)を養うことで、職務遂行能力が向上し、そのEQを養う方法がマインドフルネス瞑想であるということであった。図らずも、以前より、アンガーコントロールには課題があることは認識しており(怒ってしまった後の自己嫌悪は苦でしかなかった)、それが、マインドフルネス瞑想を通して、コントロールができるというのである。
  この頃、アンガーコントロールというと、本屋では特集コーナーができ、ネットでもいくらでも情報が入手できた。しかしながら、私が見た多くの情報は怒りを感じた際の考え方や見方であり、知りたかった怒りが浮かんで反応する、その一瞬の反応を止める方法ではなかった。一方で、マインドフルネス瞑想ではその一瞬の反応に気がつき、止めることができるというのである。これは、やるしかないと思い、私の瞑想生活が始まったのである。
  しかしながら、マインドフルネス瞑想を10分間毎日するように心がけても、うまく習慣化できず、そして効果もあるような、ないような感じで、半年が経った。そんな時に、プログラムに参加者が集まって、近況を報告する機会があった。そこで、習慣化と効果について苦慮していることをトレーナーに相談すると、その方も1週間か10日かの瞑想の研修に参加し、そこでやっと習慣にすることができたという。それで、私もそういう強制的に瞑想をする場に参加したいというと、仏教に抵抗がないのであれば、地橋先生のヴィパッサナー瞑想で、10日間合宿をしていたので、調べてみると良いと勧められたのである。
  この頃、私の中では、アンガーコントロールを達成するには、瞑想が唯一の手段だろうと考えていた。だから、習慣化したいと強く思っていたが、それと同時に紀元前450年ほど前から脈々と受け継がれてきた仏教が瞑想を修行の1つとしているのに、その仏教を知らずに、本当に瞑想の効果を得ることができるのかと思い始めていたからである(効果の実感ができていなかった言い訳であったことは否定できない)
  そして、ついに地橋先生のヴィパッサナー瞑想に巡り合うことができ、残念ながら10日間の合宿はしていないということだったが、朝日カルチャースクールと1day合宿に参加させていただくことになった。

*マインドフルネス瞑想とヴィパッサナー瞑想の違い
  あくまでも私の感じたことではあるが、マインドフルネス瞑想とヴィパッサナー瞑想の大きな違いは、瞑想のやり方というよりは、五戒、カルマ論、輪廻転生の有無だと思う。そして、個人的にヴィパッサナー瞑想を学んでよかったことは、その五戒とカルマ論があったことである。
  ヴィパッサナー瞑想を始めた頃は、五戒の内、アルコールは絶対やめられないと思っていた。なぜなら、その頃、いろんなワインを試飲して、お手頃で自分の好みのワインを探すというのが何よりも楽しいと感じていたからである。ただ、鋭いサティを入れようとすると体を整えないといけないし、そのためにはアルコールが残っていたらできない。そう思うと、いつの間にかワインも飲みたいと思わなくなった(外では飲むが量は明らかに減った)。お陰で、家の冷蔵庫にある約20本のワインは、未だ野菜庫を占領しており、減る気配もない。
  そして、カルマ論については、私にとっての安全装置だと捉えている。カルマの存在を検証したいと思って、あるところに毎月の募金をすることにしたが、その結果が出るより前に、最近、自分がしたことは戻ってくると思うと、人への対応に注意している自分に気がついた。よって、検証結果は得られていないが、カルマの存在を信じたからといって悪いこともないので、私の中では、カルマはあるということにしたのである。
  ただし、募金による効果の検証は、個人的興味として続ける。そして、なぜカルマ論が安全装置かというと、私のアンガーコントロールの理想は、サティで反応を止めることであるが、未熟者の私にはうまくサティが入らないことがあり、そうした場合、「自分がしたことは自分に返ってくる」と日々考えていることで、怒りの反応を止める第二のブレーキとなってくれるからである。
  ちなみに輪廻転生は、来世があるとするとまたこんな苦があって、それを克服するための修行をしないといけないのかと思うと、がっかりしてしまうので、今はその存在は保留にしている。

*ヴィパッサナー瞑想を始めての変化
  いつのことだったか覚えていないが、最初に感じた変化は、電車の中だった。私の沿線は、通勤時間帯はすし詰め状態になるので、電車の中は常に殺気立っている。私もいつもイライラしていた。しかし、ある時から、それを流せるようになっている自分に気がついた。むくっと怒りが浮かびはするが、すぐさま、私のためだけの電車ではない、と切り換えられるようになったのである。 
  そこで、私の怒りに関する分析を行ったところ、①期待に応えてもらえなかったとき、②上から目線で何かを言われたとき、③仕事に口を出されたときに発生すると分類された。
  この内、①に関しては、電車で感じたように怒りを抑えることができているように思う。期待をしなくなったというより、私が他の人に与えた影響だけで、反応が返ってくるものではなく、その他にも私の知らない影響が含まれた上での反応であると考えると、私ごときの影響がそれほど大きなものとも思えず、そうなるとイライラもしなくなった。
  問題は②と③で、主に仕事上での克服課題である。もう少し説明すると、怒りを感じるのは、私の腕の見せ所と思っている業務に、上から目線や、これでいいと決めた後に口を出されるとイライラとするのである。地橋先生にも指摘されたが、これは、私の中で仕事のウェイトが大きいため、口を出されることで存在価値を否定されたように感じてしまっているようなのである。しかしながら、最近、視座の転換を行うことで、これに対する格好の練習相手をみつけた。主にイライラの源は上司であるが、その上司が、有難い練習相手と考えられるようになったのである。上司によっては、私が怒りを示すことで関係が壊れ、指示をしない、重要なことを連絡しない場合もあるが、今の上司は、私が反応に多少失敗しても、諦めずにイライラの源を与え続けてくれるのである。それに気がついた瞬間、そのことに甘えてはいけないと思うと同時に、私のサティの入り方やアンガーコントロールを実際に確認させてもらえるありがたい相手となった。

*これからの私の瞑想との付き合い方
  ある人に聞かれた。毎日瞑想して、2週間に1度の土曜日の午前中と月に1回終日瞑想するなんて、どうしてそこまでするの?と。どうしてと言われるとアンガーコントロールにはこの方法しかないと思っているからだけど、どうしてこの方法しかないと思うのかの答えは持ち合わせていない。そして、理由はわからないが、アンガーコントロール以外の自分の可能性も向上させてくれるだろうと思っている。
  とは言え、瞑想が今日は面倒くさいなと思う日がないことはない。そんな時は、いつも自分を戒める。人生のうち、与えられた課題は克服するまで、手を変え、品を変えやってくる。そして、それを後回しにすればするほど、逃れられない形で苦の度合いが増してやってくる。今、それをやめて逃げ出せば、さらなる苦しみが未来に待ち構えている。それであれば、我が身にやってきた苦は、今克服する以外の選択肢はない。
  10年以上前、あまりにも似たような状況が執拗に繰り返されるので、そんな風に感じたことがあった。ずっと忘れていたが、瞑想を通して、再認識し、心が折れそうになった時の戒めとしている。そして、さらにこの原稿を締めくくりになって気がついたことがある。この有難い状況は、過去に自分の行った善業がなせる技なのか?それであれば、良くやった過去の自分と思うと同時に、未来の自分には、ダメ出しされないように今を生きようと考えている自分がいる。このように考えるのは、カルマ論の静かなる影響か、それとも保留中の輪廻転生の考え方が、実は私にじんわりと浸透しているのだろうか・・・。



『十年目の私の瞑想修行』K.U.

  私は、グリーンヒルの瞑想会に参加し始めてもうすぐ十年目になります。修行の一つの節目であり、これまでの歳月を振り返って、学び得たことについて書き留めておきたいと思いました。
  
私は一人息子を持つ母親ですが、ヴィパッサナー瞑想に出会うきっかけとなったのはこの息子のことでした。息子は、幼い頃から持病のアトピーがあったのですが、それが悪化し浪人時代に最悪の状態に陥りました。それまで何の疑問もなく使い続けていたアトピーの薬の副作用が噴き出して、息子はもがき苦しむことになったのです。とても人間の肌とは思えないまでに荒れて爛れ、目も白内障になりかかって本を読むことすらできなくなりました。アトピーの激烈な痒みに、四六時中苦しむ息子を目の当たりにした私は、もう受験どころではない。この子は社会で生きていけないのではないかという危機感さえ覚えました。
  そのような絶望のどん底に落とされた時、息子の苦しみをアトピーの薬のせいにしてはいけない。これは、息子に重圧をかけてきた母親の私のせいだと認めざるを得なくなったのです。いったんそう認められたら、すぐに自分の気持ちを息子に伝え土下座して謝っていました。そして毎日毎日、お仏壇に手を合わせて「自分の命が短くなってもかまわないから息子を助けてください。息子の体を元通りにしてください」と祈り続けました。
  奇跡が起こったのは、それから間もなくのことでした。これ以上酷くなりようがないとさえ感じていた息子の肌が日に日に良くなり始め、半年後にはすっかりきれいな肌に生まれ変わりました。予備校にはほとんど通えなかったのにもかかわらず、大学も希望通りのところに合格できました。その半年間は、何か人智を超えたものに突き動かされているような感じがしていました。

  その頃のことを改めて思い出してみると、あの「奇跡」を起こしたのは、私自身が自分が毒親だったことに気づき、それを認めて心から息子に謝ったからだとわかりました。もちろんそれまでにも、自分のやってきたことは全て息子のためと思いながらも、本当は自分のプライドを満足させるために息子の教育に必死になっていたのではないか・・・と薄々は感じていたのです。しかし自分の子育てを否定することは自分の人生が否定されるのと同じであり、どうしても自分は正しいという信念を捨てることができませんでした。
  例えば、これからは英語が必要な時代になるからと、幼い頃から英語の勉強を強制する母親の気持ちになんとか添おうとする健気な息子の姿を見て、私は一生懸命に子育てをしている立派な良い親だと思い込もうとしていたのです。しかし、母親の期待に応えようとして長年抑圧してきたものが、浪人生活のプレッシャーが極まった時についに決壊し、あの恐ろしいまでの姿に変わったのだと思いました。息子の全身の爛れた肌は、「もう嫌だ!」という声にならない叫びであり、私自身のエゴの心を映し出す鏡だったのです。まるで地獄図のような光景を否応なしに見せられることによって、私の頑強なプライドは木っ端微塵に粉砕されざるを得ませんでした。
  「世間体のいい大学なんて入らなくてもいい、何年浪人してもいいから、とにかく体を治そうね。生きていてくれたらお母さんはそれでいいから」と言うと、息子は眼を潤ませながらうなずいてくれました。今でも、あのときの息子の顔を思い浮かべると涙がこぼれそうになります。そして、それ以降、私は本当に変わろうと決意しました。この機会に変わらなくては、私のせいで家族共々不幸になる。今度のことで、息子も自分も一度死んだはずの命だから、もうつまらない見栄なんかに振り回されるのは終わりにしたい。これ以上、息子に迷惑をかけたくないと真剣に願ったのです。
  そうはいっても、言うは易く行なうは難しで、実際に変わるのは文字通り死ぬほど大変でした。なぜ私は、こんなに教育ママになってしまったのか。いつも私を何か世間的に立派とされる目的に向かってせき立てているのは何なのか。それが怒りだとしたら、その怒りの根源はどこにあるのか。そういうことを徹底的に知らなければ、根本的には変われないような気がしたのです。そこから私の心の改革の遍歴が始まりました。
  心理学や精神分析などの分野の本を読みまくって、少しでも興味をそそられるものがあったら、その著者や団体の話を聴きに出かけたりしました。お金もいっぱいかかったけれど、そんなことを気にかけていたら心の変革などできないと思って、気のすむまでやろうと決めました。そして、いろいろな経験を踏まえたあげく、最終的に行き着いたところがグリーンヒル瞑想研究所の瞑想会だったのです。
  地橋先生の瞑想会に来て、最初に感じたのは、「ここは他のところと決定的に異なるものがある」ということでした。それが何かはその時には曖昧でしたが、ようやく、自分が求めていた場所はここなのだとはっきり直感することができたのです。「この先生を信じられなかったら、私はもう行くところがない」とさえ思いました。なぜ、そんな直感が得られたのか、その時はよくわかっていなかったように感じます。でも、今ならはっきりわかります。同じヴィパッサナー瞑想なのですが、地橋先生は、心の反応系の修行を何よりも重要だと強調され、エゴが一番嫌がる内観の修行をすすめられていたからなのです。

  
私たちは、自分が傷つけられたり苦しめられた記憶を繰り返し思い出しては、しょっちゅう怒ったり恨んだりばかりしています。でも内観では、自分が迷惑をかけられた記憶は思い出すことが禁じられ、逆に自分が両親を苦しめたことや家族にかけた迷惑だけを克明に思い出すことが求められるのです。私は被害者だと喚くのではなく、自分こそ大切な家族に苦しみを与えてきた加害者ではないのかと黒い自分に向き合わされる辛い修行です。
  「私の親は毒親だった」とか、「私は毒親に育てられたから、自分も毒親になったのだ」という話はよく聞きますが、「すべては自分のせいなのだ」と責任の鉾先を自分のみに向けることをうながした本は見当たりません。そんな本があったら、誰も買いたくないし売れないでしょうから。でも、先生は徹底して、内観を勧められてきたのです。
  私も最初は、内観にはどうしても行きたくなくて、内観よりもいい修行が他にもあると思っていました。自分以外のものに責任を負わせようと躍起になっていたのです。それで、いろんな理屈をこね回しては先生に抵抗していました。でも、先生は逃げようとする私に、「内観に行かないのであれば、これ以上はあなたには教えられない」とはっきりおっしゃったのです。その厳しさに何度泣いたことか。この先生は底意地が悪いのではないかと、恨んだことも何度もありました。だけど、私のためを思ってあえて憎まれ役になってくださっていることも、本心ではわかっていたため、重い腰を上げて九州の佐賀にある内観研修所に行くことにしました。
  そこでの修行は、一瞬一瞬が自分のエゴとの戦いの日々であり、途中で逃げ出そうとも思ったほどの過酷さだったのです。内観の先生が厳しかったわけではありません。自分との戦いが苦しかったのです。エゴにとって、すべての苦しみの根源を自分だと認めることが、どれほど難しい行為なのかをいやというほど痛感しました。内観は、自分のエゴと向き合い、欲と怒りと我執の元凶を滅ぼそうとする仏教の修行の本質に通じるものだと感じたのですが、1週間でそんな大仕事ができるはずもなく終りました。
  内観の修行に行ってきたことを報告した途端に、先生は「次はいつ行くの?」と訊かれたのです。ええーっ!また、行かされるの!?何でわかっちゃうの?と思いましたが、私が何も変わらないで帰ってきたことをたちまち見破られてしまったのです。愕然としましたが、アトピーで死にかけた息子のことが頭に浮かんだら、ここで後には引けないと思い直し、間を置いて再び九州まで内観の修行に行ったのです。
  二度目の修行に入り、なぜ1回目では成功しなかったのか私なりに省みて、母に対する感謝の気持ちと裏腹に、体の弱かった母は入退院を繰り返して幼い私との接触が乏しかったことに怒りの感情があることに気づきました。これがセオリー通りの内観の修行を阻んでいたのではないかと思い、まずそれを吐き出してから内観の修行に入りました。後日これはロールレタリングの技法に通じるものだと気づくのですが、ネガティブなもやもやした感情が整理されてからの2回目の内観は手ごたえがありました。
  人のせいにしたくなるエゴの誘惑をふりきることは身を切られるようにつらいことでしたが、最後の最後は、やはり自分が元凶だったと認めざるを得なくなったのです。それを認めてしまったら、自分が根本から崩壊するのではないかという恐怖にも襲われました。崖から身を投じるような怖ろしさでしたが、それをやりきったと思えた瞬間、心が一気に解放されるのを感じることができたのです。それまでは逃げ出したくて、本当に苦しかったけれど、そうなってはじめて、先生のこれまでの指導に納得することができました。
  内観は原始仏教のオリジナルな修行法ではないのに、なぜ先生がこれを「反応系の心の修行」という呼び方で私たちに勧めてこられたのか。トコトン自己中心的な醜い自分の姿をありのままに直視しない限り、エゴの息の根を止めることなどできる訳がないし、心の清浄道もあり得ないからです。
  この修行をやりたがらない瞑想者がなぜ悟れないのか。それは、高慢な人ほど内観を嫌がる傾向があり、汚い心を抑圧したまま高度な瞑想をやろうとしているからではないかと思いました。たとえルーツが大乗仏教の「身調べ」の技法でも、それが有効な修行法として機能するなら、ヴィパッサナー瞑想に取り込んで補完させて良いとするのが地橋先生のやり方なのだと思いました。脳科学も認知心理学も精神分析も、どんな知見や技法も、ヴィパッサナー瞑想に役立つなら総動員して修行の完成に向かうべきだという考え方なのだとわかりました。

  私が先生の瞑想会にうかがう前に、自分の心の改革のために出かけていったところは、キリスト教系の講演会やスピリチュアル系の講演会などでした。そういうところでも、勉強になるお話はたくさん拝聴できたと思っています。でも、そこで語られることは、「あなたは悪くありません」「あなたは今のままで愛されているのです」「すべては宇宙の営みにゆだねればいいのです」等々の癒し系の言葉ばかりでした。そういう自己肯定感をあおるような言葉からは、確かに感動をもらえ、その時はありがたい感じがするのですが、しばらく経つと、また日常の出来事や人間関係に対して怒りが出るという悪循環しかありませんでした。そのため、ここにいても何も変わらないと見限ることの繰り返しだったのです。「おまえがすべての元凶なのだ」「全部おまえのせいなのだ」「おまえの心が一番腐っているから苦しいんだ」なんて言ってくれるところなどは皆無でした。そのような失望体験を積み重ねていたからこそ、先生の瞑想会しか私の苦しみは手放せないと直感できたのだとだんだん明瞭になっていったのです。
  大勢の人が瞑想会に来られますが、最初は先生の瞑想会に熱心に通っていてもいつの間にか消えてしまう人も少なくありません。
  それは、苦しみの原因である真っ黒な醜い自分の心を直視させようとする先生の実践の厳しさに耐えられなくなったからなのではないでしょうか。エゴを無くすというのは、プライドも自信も希望的観測もズタズタにされ、エゴ=私が殺されるような恐怖に耐え抜かないと、明るい光の世界が開かれてこないのですから。私も耐えられなくなって止めようとしたことが何度もあります。でもその度に、多くの法友が私を叱咤激励し支え続けてくれました。私にとって法友こそが宝物であった、と万感の思いがします。常に適切なご指導をしてくださった地橋先生をはじめ、私に関わってくださった法友の皆様に対して、心からお礼を申し上げたいと思います。
  内観も含め反応系の心の修行は、しょせん概念を操作して心を整えていく行法でしかありません。死ぬほど難しいと言われるサマーディも完成させなければならないし、何よりも妄想を止めてサティを連続させていくことが苦手な私にとって、道は果てしなく遠い遥かはるかの彼方です。それでも、反応系の修行に私なりに命がけで取り組むことができたお蔭で、この世の苦しみは激減させていただきました。だから、どんなに瞑想が苦手でも、この道を最後まで歩み抜いていきたいと思うのです。
  ヴィパッサナー瞑想を始めて十年、過ぎ去ってみれば夢のようであり、進むことができたのはわずか一歩か半歩に過ぎませんが、これからも皆さまと互いに支え、支えられ、共に歩んでいけますよう願っております。ありがとうございました。

  
1:内観は、吉本伊信によって開発された自己の内面を観る方法。 母親や父親など自分と深い関係のある人物に対して「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の三つに焦点をしぼって内省するやり方。全国各地に、一週間かけて集中的に行うための内観研修所もある。

2:ロールレタリングとは、自分の両親をはじめとする家族や友人、会社の上司や同僚などの身近な人たちに対して、実際には出さない手紙を感情を吐き出すようにして書く、そして相手の立場に立って自分宛の手紙を自分で書くことによって、共感能力や自己客観視の能力を養う手法。


3:文中にある九州の佐賀内観研修所は、指導者の先生の引退により現在は閉鎖されています。

『検証しながらの瞑想実践』H.Y.
  ヴィパッサナー瞑想を始めて以来、心が徐々に解放され、楽になっていると感じています。その反面、自分を振り返ってみると、引っかかっている気持ちの一つに、他人に認めてもらいたい気持ちが強いと改めて思いました。
  瞑想に出会う前ですが、大学のOB会の世話人をやっていたことがあります。世話人はOB会の組織運営を行い、仕事はOB総会の準備や会費の集金など多岐に渡ります。大変でしたが、やりがいのあるものでした。そのやりがいとは、仕事を達成したというよりも、人の為に役に立ったという気持ちが強く、結局は人に認めてもらいたいという思いが昇華したものでした。居心地の良い反面、その心地良さをさらに得ようと仕事を頑張っていました。当時はそうした心の矛盾に対し、本当は何が正しいのか、そもそも改善すべき事象なのか、何も分かりませんでした。
  初めてマインドフルネス関係の書籍でグナラタナ長老の本を読んだ際、ここに今までの人生の疑問を解決してくれる道があるのではないかと思ったときは衝撃的でした。原因分析とその背景、そして方法論が書かれていたからです。理路整然に論理展開され、そのやり方まで明確に提示されているとは、晴天の霹靂でした。それ以来ヴィパッサナー瞑想にかなり興味を持ち、それから地橋先生・スマナサーラ長老はじめ多くの本を読みあさりました。
  ただ瞑想を始めるには抵抗がありました。自己流でやると癖がつくので、瞑想会に通って学んでから始めた方が良いのは頭でわかっているのですが、瞑想会に行く決心がなかなかできません。瞑想自体が胡散臭いという思い、宗教はお金もうけであるという先入観、世話人での反省があったからです。そのため原始仏教をしっかり学んでから、一人で瞑想を始めていこうと思っていました。
  そういう思いで原始仏教を学んでいたのですが、スマナサーラ長老にお会いしたいという思いが衝動的に生まれました。この世のありのままを直観するとはどのようなことなのか、それを日本で指導される原始仏教の第一人者の方に直に会ってみたかったからです。そこで長老が主催する朝日カルチャーセンターの講座に出ることにしました。カルチャーセンターであれば、宗教色は強くないのではないかと思ったからです。そして長老の講座を聞いて、瞑想を始めなければという決心が生まれました。瞑想修行を始めるのであれば、日本の中でも瞑想実践の第一人者である地橋先生に教えを乞おうと思い、朝日カルチャーセンターの講座で瞑想を学び始めました。
  今では瞑想を胡散臭いと思っていた気持ちはなくなりました。心が軽くなるという効果を実感すれば、瞑想に対する疑いはなくなっていきました。
  また宗教は金もうけであるという思いもあったのですが、原始仏教ではそれが無いことも私の心の中で実証されました。多くの原始仏教の本を読みあさっている時に、上座部仏教の組織運営はどうなっているのかを調べたところ、教団が経済活動をしていないことを知りました。信徒からの布施で成り立っているのであれば、その信徒たちはどのような信仰心で布施しているのかと疑問が湧きました。彼らが心の奥からお布施したいという気持ちでやっているのを知ったとき、世の中にはこのような人々がいるのかと驚きました。また布施する行為がブッダの教えにつながっていて、自分や周りの人々を幸せにしていくことにつながることを知りました。
  実際に私もお布施をやってみたいと思い、やってみると効果を感じました。最初はお金ではなく、人への奉仕を行いました。大学時代の世話になった先輩に迷惑をかけたせいで長年音信が途絶えていました。そこで全く関わりのない職場の人に、自分が迷惑をかけてしまったことを償うような形でお世話しました。すると音信が途絶えていた先輩から連絡があったのです。たぶん一生お会いすることはできないと思っていたので、これには驚きました。
  日常生活では布施をするように心がけていますが、普段は良くなってきているかなという程度です。しかしある日、募金の振込をしにATMのボタンを押した瞬間に、歓喜が全身を駆け巡ったことがありました。これは生涯でも滅多にないすごい体験だと実感し、布施への信が生まれるきっかけにもなりました。
  世話人での反省ですが、あるとき私が役に立って皆さんから感謝されることがありました。他人に認めてもらいたい気持ちが心の奥で生起されるのがわかりました。すぐに喜んでいるとサティを入れると、昔のように喜びや頑張ろうという衝動が少なくなってきました。それ以来、自分の気持ちが落ち着いてきていると感じています。
  今までは瞑想や宗教に興味があっても信じられず、宗教理論を学びそのエッセンスを見つけることで、真実を知ろうとしていました。その反面、このやり方では見つからないとも心の隅で感じていました。ヴィパッサナー瞑想と出会い、これこそが真の道だと自分の心の中で思っています。この思いを確信に近づけるために、まずは戒の修行を重視して頑張っていきたいと思っています。
 



『真っ黒い心を吐き出したら・・・』H.T.
  地橋先生のご著書から朝日カルチャー講座に出会い、1Day合宿に参加し出してから1年半ほどになります。
  現在私は55歳ですが、ブッダの瞑想法に興味を持ったのは30代後半でした。その頃はヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の違いなどまったく知りませんでした。動機は願望をかなえるため、何か超人的な能力をつけたい、成功したいといった欲が心を占めていました。
  38歳の時にそれまで勤めていた会社を辞めて独立し、スピリチュアル療法を中心とした心理セラピーを開催すべく相談ルーム・セミナールームが確保できるビルのスペースを借りて事業を始めました。動機は自らの知名度の向上や金銭欲を満たすためであり、サラリーマンから脱出したことだけで満足を得ているようなどうしようもない自分でした。真面目に宣伝活動をするわけでもなく、技を磨くわけでもなく独立した自分に酔い、それをブログに投稿し、知人が反応してくれることで優越感を満たす、といった毎日でした。当然事業はうまくいきません。1年も経たずに事務所閉鎖に追い込まれ、後に残ったのは借金と尻切れとんぼになった人間関係でした。

  妻はそのころ精神的な苦しみのどん底であったといいます。3人の子供を育てるための生活費がどんどん消えていくことに心を痛め、夜眠れない日々が続いたといいます。
  私はと言えば、そんな妻の苦しみにはまったく気づかず、ただただ自分が有名になればいい、と思っていたのです。
  会社員に戻ったことでやがて家計はもとに戻りましたが、私の中で成功願望はずっとくすぶっていました。「自分は世に出て名声を得る特別な人間だ」といった意識がずっとありました。
  私は20代の頃よりスピリチュアル療法や成功実現技術といったものに興味があり、本やセミナーなどを通じて様々な手法に出会いました。自己啓発詐欺も体験しました。ブッダの教えにも出会ってはいたのですが、ブッダの教えは「人生は苦」であり、成功してお金持ちになりたい私とは相容れない思想であると捉え、当時はなじめませんでした。
  私には訳もなく急に激怒する、という課題がありました。特にそれは妻に対して出ていました。妻と普通に会話をしているときに、妻の何かの言葉をきっかけに、突然怒りが爆発し、コントロールできなくなるのです。しばらく時間がたって怒りが治まった後、振り返ってみてもなぜあんなに怒りを爆発させたのか理由がよくわかりません。怒りを爆発させた後は決まって気分が悪くなり、この癖をなんとか止めたいと思っていました。
  怒りの爆発が原因で、仕事で取引先への出入りが禁止になったり、知人との関係が破綻することも何度かありました。痛みを味わうと反省はするのですが、しばらくするとまたやってしまうのです。
  52歳を過ぎて、子供3人のうち2人が社会人として独立、子育てが完了に近づくにつれ心もすこしずつ静かになっていったようでした。そんな折に、スマナサーラ長老の本に出会い、原始仏教、ヴィパッサー瞑想を知り、興味を持って調べていくうちに地橋先生の講座にたどり着きました。
  講座に何度か通ううちに、怒りの原因は、自分の心の歪みの問題ではないか?と思うようになりました。ただ、具体的にどう対処すればいいのかわからずにいたときに、地橋先生から内観を勧められました。内観については40代のころから興味はあったのですが、7泊8日の間、屏風の内側にこもりっきりで修行するというプログラムを完遂する自信がなく、申し込みに躊躇していました。
  地橋先生に推薦されたとき「いよいよ実施する時がきた」という思いが浮かんだので、素直にそれに従い、年末年始の休みを利用し静岡の内観研修所に行きました。
  7泊8日の内観研修の前半は内観することが難しかったのですが、なんとかこの機会に怒りの原因を知りたいと真面目に取り組んでいたところ、4日目くらいから気づきが深まり出しました。
  もう少し詳しく説明しますと、最初の3日間は母と父と妻に関して①「していただいたこと」②「して返したこと」③「迷惑をかけたこと」を順番に振り返りました。そこそこの気づきはあったのですが、心が揺れ動くところまではいきませんでした。
  4日目から「嘘と盗み」というテーマで振り返りを始めてから、気づきが深まっていきました。嘘と盗みについては、本当にどんどん出てくるわけです。子供の頃もいろいろ出ましたが、仕事を開始してからは、仕事で経費をごまかしたこと、仕事をさぼったこと、人との約束を守らなかったこと、妻に嘘をついたことなどなど、出るわ出るわ、とめどもなく出てきて、自分の人生は嘘と盗みで出来ているのか!と思えたほどです。
  真っ黒な自分を見せつけられ、途中かなりしんどくなったのですが、ここはなんとか踏んばって、ごまかさずに、自分がやってきた嘘と盗みを全部吐き出そうと思い、ひとつひとつ丁寧に思い出しました。嘘と盗みを一通り吐き出したあと、再度母と父に対する内観に戻りました。
  この後半の内観中に大きな気づきが来ました。
  他界した母については元々感謝の思いがあったのですが、今回の内観に参加できたのも、実は母の死という導きがあったという事実に気づけました。
  父についてはできる限り接触を避けてきた自分がいました。その父が若い頃、当時の父を取り巻くある事情によって大変な苦労・苦しみを味わってきたことに思いをはせることができ、それを実感できた時は、心からの労いと私を育ててくれたことへの感謝の涙を流すことができました。内観の福田先生も一緒に泣いてくださいました。
  7日目、8日目と幾度か懺悔と新たな事実の気づきへの感謝の涙をこぼし、8日目終了時点ではとても爽やかですっきりしている自分がいました。
  内観を通じて怒りの原因がひとえに自分のモノの見方が逆さまであったこと(自分は周りのおかげで生かされてきたのに、まるで自分が周りを生かしてきたかのごとく思い込んでいたという本末転倒の見方)であったと深く気づくことができました。
  内観から帰宅し妻の姿を見たとき、土下座をして過去の怒りの行ないを詫びました。その時、私の内面はとても素直でした。
  それからはさらに精進しようと思い、ヴィパッサナー瞑想に真剣に取り組むようになりました。以前は気が向いたときに時々瞑想するといった程度でしたが、毎日実践するようになりました。
  それから8カ月ほど経ちました。妻に怒りをぶつけることはもう無くなりました。以前だとムカッと来ていたような場面でも怒りを出さずに、穏やかに対処している自分がいました。それまで毎日外か家で飲んでいたお酒もまったくと言っていいほど飲まなくなっていました(私が発するアルコール臭に悩まされていた妻も喜んでいます)。妻や子供も前より私に接しやすくなったようで、ペットの犬も以前より私になつくようになっていました。

  怒りが爆発していた時は「イライラの元」とも言えるものがお腹の奥に実感として存在していました。そのイライラの元に触れられると、「イラッ!」として怒りが出てくるのです。触られるとイタッ!となる皮膚にできる「痛いおでき」のようなものです。それが今は、消えました。実感として存在しなくなったのです。
  仕事においても生活においても感情が揺れ動いたときに、サティ(気づき)を入れて、「今不愉快に感じている」「それはどんな心だろうか?」と探るようになりました。例えば、心が穏やかではない状態のときに「怒り・イライラ」とサティを入れても、心が静まらないときに、さらに心を探っていくと「さみしさ」というサティが入り、それによって心がスーッと治まっていくこともありました。ああ、自分がイライラしていたのは、実は人にかまってもらえず寂しさを感じていたのか、と。何度かそのように実践していくうちに、自分の感情が乱れるパターン・癖があると気づけるようになりました。エゴが前に出てきて力を増すと、偏った思考を展開することにも気づけるようになりました。
  地橋先生からは「内観を通じて人生の流れが変わるような大きな気づきが起こり、その後も瞑想修行が続き、具体的に行動が変わって成果が出ていますね、素晴らしい」と言われ、うれしく感じました。
  長年にわたり私自身も苦しめていた原因不明の怒りが沈静化し、今は毎日穏やかに過ごせています。以前はいつ自分の怒りが爆発するかと思うと、気が気ではありませんでしたが、今はサティを入れることで、怒りの後続切断ができるとわかりました。原因と対処法がわかり、自分が楽になっていることにも気づけました。
  まだ短い期間ですが、地橋先生が推薦されるヴィパッサナー瞑想を実践してきて、大事だと思った点を5つあげます。


1. 五戒を守る
  まだまだ油断できませんが、とても重要です。最初はどうしてもお酒が止まりませんでしたが、飲まないでいると頭がクリアになり、心も静寂になることがわかってからだんだんと飲まなくなりました。先ほど述べたイライラの元とアルコールは関係があります。イライラの元があると怒りや痛みがしょっちゅう出てくるので、それらをアルコールで麻痺させようとしてしまうのです。ほかの4つもとても重要だと感じます。地橋先生がおっしゃる通り、五戒を守らずして瞑想が深まることはないと感じます。


2. 毎日の生活そのものにサティを入れる
  瞑想の時間だけにサティを入れるのではなく、実生活においてサティを入れること。とても難しいことですが、実生活こそがサティの本番と自分に言い聞かせています。


3. できる限り放逸しないで生活すること
  前回の1Day合宿の時、前々日に見たTVビデオの音楽が頭の中で鳴り続けていて、瞑想に集中できませんでした。ブッダは音楽の視聴も禁止していますが、理由がわかりました。TVなどの視聴の時間を意識的に減らし、食事も多くを食べないようにすること(食を抑えることは難しく、今後の私の課題です)、無駄話に気を付けることなどが心を整えることにつながります。


4.とにかく毎日瞑想態勢に入る
  瞑想がうまく進むときもあれば、気乗りしないときもあります。特に気乗りしないときでも、なんとかして歩き瞑想か座り瞑想を始めてしまうこと。


5. ダンマに触れ続けること
  地橋先生の講座でのダンマトークや法友との会話が良い刺激になり、継続力を与えてくれます。

  私はもともと本を読むことが好きですが、ダンマ関連の本に毎日触れることで、新鮮さを保てると感じています。一人だとついサボりそうになりますので、ダンマの言葉に触れることで自分に活を入れることができます。
  瞑想を長い期間継続するには、なんらかの形で常にダンマに触れ続けることが大切だと思います。触れないでいるとダンマから遠ざかっていく自分がいます。
  ブッダの智慧を緻密に、分かりやすく、実践的に伝えてくださる地橋先生のガイダンスを軸に、今後も瞑想を続けていきます。長期間続けていったその地平線の彼方の先に何が見えてくるのかとても楽しみです。ご縁に感謝いたします。 


 「なんだ、あったじゃないか」N.F.

  地橋先生の『ブッダの瞑想法』に出会い、1年近くが経ちました。本を読んですぐに初心者講習会に参加し、その後、朝日カルチャーセンターでの講座を受講し続けています。修行はまだまだこれからですが、ヴィパッサナー瞑想を始めて以来、苦しい場面は少しずつ減ってきているように思います。この瞑想法や原始仏教の教え、そして地橋先生に出会うことができ、とても幸運でした。
  私を瞑想と出会わせてくれたのは首の痛みでした。デスクワーク中心の仕事を始めると、数か月で首に痛みが出始め、整形外科に行くと、軽い椎間板ヘルニアと診断されました。しばらくは服薬治療をしていましたが、あまり効果はありませんでした。姿勢や血流の改善で対処しようと思い、対策のひとつとしてヨーガを始めました。DVD付きの簡単な本を買って、見よう見まねでの実践でした。
  そんななかで、ヨーガ関連の本もよく読むようになりました。そこでたびたび出会うようになったのが「瞑想」というキーワードでした。思っていたよりも科学的な実践であり、現実的なメリットがあることを知り興味を持ちました。夜、考えごとをして寝つけないことがしばしばあったため、同じことを繰り返し考える後帯状皮質の活動が抑えられるという説明に特に惹かれました。仕事が忙しくなり始めていたので、集中力を高めたいという気持ちもありました。
  その後、絶妙なタイミングでマインドフルネス瞑想の本に出会い、付属のCDガイダンスを聞きながら3か月ほど実践しました。ちょうど早起きの習慣が定着したころだったので、瞑想の時間を確保しやすい環境が整っていたのが幸いしました。
  「なんとなく頭がすっきりする」くらいの効果は実感していたように記憶していますが、より集中を高めようと思うと、どうしてもガイダンスの音声が邪魔になりました。かといって一人でそのまま続けていくにも方向性が定まらず、きちんとした指導者に教わりたいと思い始めました。インターネットで検索し、グリーンヒルのサイトも見つけました。しかし、宗教的なことに全く無知だったため、なんとなく抵抗を覚え、いったんはスルーしてしまいました。
  地元の書店で『ブッダの瞑想法』を見つけたのは、そのすぐ後のことでした。地橋先生の名前を見て、二度も出会うのだから何かのご縁だろうと思い、読んでみることにしました。そして、詳細に体系化された方法論に驚嘆し、さっそく初心者講習会に申し込んだのでした。そこで「何が起こっても良い」というヴィパッサナー瞑想と地橋先生の懐の深さに惚れ、今に至るまで修行を続けています。
  修行は、歩きの瞑想と座りの瞑想を毎朝10分ずつやることを基本としています。それほどまとまった時間が取れているわけでもないですし、まだ集中もさほど良くないので、瞑想そのもので何か劇的な体験を得たというようなことは今のところありません。しかし、瞑想で養った気づきの力と仏教の知的な理解が両輪となって、日常の流れは少しずつ良くなっているように思います。なかでも、カルマ論が腑に落ちたことは大きなことでした。
  朝日カルチャーセンターでの講座に出始めたころ、私はストレスからくる過食に悩んでいました。仕事でちょっとした問題に巻き込まれていたこの頃、帰宅すると満腹を超えて甘いものを貪り食い、落ち着かぬ心をごまかすことが習慣になっていました。超満腹状態で床に就くので、眠りは浅くなって疲れは取れず、よりイライラを募らせるという悪循環に陥っていました。
  ある週の講義で先生にそんな話をすると、「苦しい時は人を助けるといい。ゴミを拾うとか、小さなことでいいから」と言われました。帰り道、最寄駅の近くで赤十字の方が献血への協力を呼びかけていたので、これはチャンスと思い、何年ぶりかで献血をしました。駅から自宅までは自転車で移動しているのですが、献血後に駐輪場に行くと、私の自転車のカゴに身に覚えのない空き缶が入っていました。
  いつもなら「誰だ、ふざけるな!」と怒りの感情が出るところでしたが、これをきちんとゴミ箱に捨てればゴミ拾いをしたことになると思ったら、穏やかな気持ちで受け止められました。このとき、「そうか、これがカルマを良くしていくということなのか」と腑に落ちました。
  少しでも怒りが出れば、心にも身体にも悪い影響が出る。それは人にも伝わり、人間関係にもマイナスに働く。今の一瞬が次の一瞬に悪影響を及ぼし、それが無限に連鎖していく。でも、今、自分は空き缶をゴミ箱に収め、爽やかな気分でいる。これから会った人には気持ちよく接することができるだろう。怒っていたらどうだっただろうか――? ほんの些細なことではありましたが、あったかもしれないもうひとつの展開に思いを馳せたとき、心を汚さないことの大切さ、汚れる前に気づく力の大切さを理解したのでした。自分の心の持ちようひとつで、人生の展開は大きく変わっていく、そんな確信もありました。
  今起きていることはあらゆる因果関係の上に成り立っていること、今この瞬間の心のありようと意思決定が未来を形づくっていくこと。それが腑に落ちると、戒や慈悲の瞑想、布施の意味も自然と理解できました。どれも大切な実践ですが、特に慈悲の瞑想にはよく助けられています。
  現在勤めている会社に就職して以来、ずっと苦手な先輩がいました。とても仕事ができ、頼りになる先輩ではあるのですが、何事も自分の思いどおりにならないと気が済まないタイプの方で、いつもピリピリした雰囲気を身にまとっていました。ヴィパッサナー瞑想に出会う前のおよそ1年間、この先輩とコンビを組んで仕事をしていたのですが、私は毎日この先輩に怯えていました。先輩の方もピリピリしているのに私の方も怯え、委縮していたので、よけいに緊張感が高まり、どことなくぎくしゃくした関係になっていたのです。
  ヴィパッサナー瞑想を始めてすぐに、この先輩は慈悲の瞑想の対象の定番になりました。「私の嫌いな人」パートの登場人物でした。毎日慈悲の瞑想をしていると、先輩には先輩の苦しみがあり、それが攻撃的なエネルギーとして表出している(ように見える)だけなのだと理解できるようになりました。
  気づきの力で自分の緊張感や怖れを客観的に観察できるようになったこともあり、少しずつこの先輩とも自然に接することが(少なくともそうしようと努めることが)できるようになっていったように思います。そして、瞑想を始めて3か月ほど経ったころ、ごく自然な流れで先輩は私とは別の業務を担当することになり、コンビ関係は解消となりました。その流れが慈悲の瞑想によって導かれたものかどうかはわかりませんが、今ではごく自然に話せる関係となりました。それは間違いなく慈悲の瞑想の成果だと思います。人間関係の問題は、相手に原因があるのではなく、自分の関わり方が問題なのだということがよく理解できました。
  瞑想を始めてからの生活は概ねうまくいっているのですが、法の中途半端な理解で苦しい展開を招いたこともありました。心を汚さずにいることさえできればそれでいいのだ、地橋先生が言うとおり「起きたことはすべて正しい」のだと開き直って、ただ流れに身を任せて仕事をしていると、いつの間にか業務量が膨れ上がり、残業が激増したのです。疲労し、睡眠リズムは崩れ、瞑想どころではなくなりました。
  今はそういう流れなのだから仕方ないと諦めていたのですが、何気なく先生にそんな話をすると、「瞑想ができなくなっては本末転倒。自分のキャパシティをわきまえ、優先順位をつけて、やるべきことをやりなさい。それでだめならカルマだと思えばよい」と言われ反省しました。よく言われる「ありのまま」を都合の良いように解釈して無気力に生きてはいけないのだと気づきました。
  その後、仕事の忙しさは少しずつ改善していきましたが、この問題はまだ根本的には解決できていません。今回はたまたま改善したような印象です。流れに身を任せるべきところはどこなのか、自分で舵を取るべきところはどこなのか、それをきちんと見極め、為すべきことを為す。そう簡単にできることではないと思いますが、そんな生き方を目指したいと思います。
  神よ、願わくばわたしに
  変えることのできない物事を
  受けいれる落ち着きと
  変えることのできる物事を
  変える勇気と
  その違いを常に見分ける知恵とを
  さずけたまえ

  キリスト教にそんな祈りがあるそうですが、まさにそのような思いです。先生からは、「涅槃経の中でブッダは、どんな教えや戒律であっても、八正道がありさえすれば解脱する人が現れるだろう、と言明している。宗教的なセクト主義にこだわる必要はないので、仏教以外の教えや行法であっても、清浄道の完成に役立つなら実践すればよい。もし<神よ>という言葉が気になるなら、<三宝>に置き換えて祈ればよいのではないか」と言われていますが、喉元過ぎれば熱さ忘れ、最近は真剣に実践できていません。正直に言えば、ときどき何のために仏教を実践しているのかわからなくなり、漫然と瞑想をしてしまうこともあります。そうならないためにも、ひとつの道しるべとして、日々この祈りを実践していきたい。今回、1年間の修行を振り返りながらそう思いました。
  何のための仏教かわからなくなることがあると書きましたが、曲がりなりにも修行を続けているのは、無意識にもその効果を感じているからだと思います。

  寝つけない夜はいつの間にか激減していました。仕事に対する集中力は「劇的に改善」とまではいきませんが、不毛な怒りやイライラに悩まされることはずいぶん少なくなったので、そのぶん妄想の世界ではなく現実の世界での仕事に費やせるようになったと思います。
  瞑想に出会うきっかけとなった首の痛みは、ヨーガで多少やわらいでいますが、なくなったわけではありません。それでも、痛みは痛みとして受け止められることが増えたので、ほとんど気にならなくなりました。過食の悪循環はいつの間にか終わっていました。そして、レポートを書き始めるまで忘れていたのですが、ヴィパッサナー瞑想を始める前は、毎朝会社で先輩の足音にさえ戦慄していました。それもなくなりました。
  瞑想によって劇的な体験をしたことはないと思っていたのですが、こうしてきちんとまとめてみると、小さなことの積み重ねながら、大きな成果が出ているのでした。事実を正確に捉えられない自分の未熟さを痛感します。正確な自己評価ができるようになりたいものです。
  苦しみが減ったことは、仏教のセオリーどおりの効果ですが、瞑想を始めてから、個人的にはもうひとつの変化を感じています。それは、以前より、やりたいことをやりやすくなったということです。何かをやりたいと思ったとき、以前なら人にどう思われるかや、どのようなメリットがあるのかなど、どうでもよいことばかりを気にしてなかなか行動に移せませんでした。
  しかし、最近では何かで悩んでいるとその心の動きを仕分けて、つまらない感情は切り捨てられることが増えてきました。当然、気づけていない時もあるでしょうし、「見栄」「打算」などと鋭いサティが入るわけでもないのですが、観察するということは習慣になっているのだと思います。
  いわゆる「いい子」で過ごしてきた時間が長かったので、自分についてきた嘘は無数にあるように思います。言ってしまえば、嘘の集大成としての今を生きているので、当然苦しいこともありますが、これから時間をかけて、自分のカルマを正直なものに入れ替えていきたいと思います。それが、これから修行を続けていくための大きなモチベーションのひとつです。
  ときどき、何もかも捨ててリセットしてしまおうかと夢想することもありますが、「革命を起こそうとすると血が流れる」と何かの本に書いてあったので、少しずつ、地道に、何事も修行だと思ってひとつひとつ乗り越えていきたいです。何歳まで生きられるかなんて誰も保証してくれませんが、人生の比較的早い段階で仏教に出会えたので、(たぶん)まだまだ時間はある。それはありがたいことだと思います。時間があると思ってダラダラと生きないように気をつけないといけませんが・・・。
  仏教や瞑想に関することに限らず、私はずっと良い情報に恵まれてきたように思います。ちょっとしたことを知らずに恥をかいたことはいくらでもありますが、基本的には良い師や良い本に恵まれ、生きる気力をもらい、ここぞというときに助けられてきました。それもカルマなのかもしれませんが、そんなに有益な情報を人に与えた覚えはありません。受け取るばかりの人生に申し訳なさを覚えます。

 私は20代半ばなので、まだまだ受け取る方が多くなるのは仕方のない部分もありますが、少しずつでも返していきたい、与える側に回りたい。そんな思いを先生にお話ししたところ、今回このような機会を頂けることになったのでした。私のレポートが、瞑想に関する情報を探している方や、現在ともに修行に励んでいる方たちにとって、何かひとつでも役立つものになれば幸いです。 



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