月刊サティ!

Web会だより

  2018年7~12月号  

『瞑想を始めて3年』
  瞑想を始めて3年が過ぎました。
  私は何となく、瞑想と出会いました。もともと興味をもっていた仏教について調べていくうちに、上座部仏教を知り、瞑想をスタートしました。瞑想のやり方について詳しく知りたいと本を読んでいた所、このグリーンヒルにたどり着きました。
  瞑想で特別な体験があるわけでもありません。日常生活においても、瞑想を始めてから、自分ではそこまで大きな変化を感じていませんでした。けれども先日、20年来の親友と3年ぶりに会い食事をした別れ際、こんなことを言われました。
  「お前はずいぶん変わったな。これで5年後に会ったら、どうなってるんだろうと思うよ」
  この言葉が、自分の来し方やこの3年間を振り返るきっかけとなりました。

  私はルールを守らないことや、マナー違反に対して激しい怒りを感じるたちでした。理不尽だと思ったことはすぐに口に出し、相手を攻撃することが多くありました。電車で騒いでいる子供を見れば、その保護者へ聞えよがしに「こんなのが大きくなって、みんなが苦労するんだよ」と言っていました。歩きタバコをする人の後ろからチッと舌打ちをして「煙たいんだよ。副流煙で肺ガンになったらどうするんだ」と因縁をつけ、喧嘩も辞さないといった様子でした。通行人の多いところを通る自転車に、わざと当たりに行ったこともあります。いつでも怒るタイミングを見計らっていたように思います。
  さらに、心身に障害を抱えている人を見下し、嘲笑していました。私が小学校4年生の時、友達として接していた自閉症の子供がいました。ある時、その友達がふざけて私を階段の上から押しました。落下することはありませんでした。しかし、落下するかもしれないという恐怖が、怒りに変化しました。「心身に障害があるからといっても、やっていけないことはやってはいけない。そっちがその気なら、もう友達でもなんでもない。ふざけるな」もとより、その子に対してさげすみの心があったのでしょう。それ以来、そのような方々を嫌悪し、蔑視するようになりました。

  グリーンヒルと出会い、一番に意識したことは、因果論についてです。良いことも悪いことも、自分が出力したことは、縁に触れて自分に帰ってくる。自分が理不尽に怒りをもって相手に接すれば、相手からも理不尽な怒りをぶつけられる。
  以前は、わけのわからない怒りをぶつけられることが多くありました。突然、道から飛び出してきた自転車がぶつかりそうになりました。運転手は私に気付くと舌打ちをして、暴言を吐いて通り過ぎていく。脇見運転の車にぶつけられること、2回。朝、何気なく職場の掃除をしていたら一番上の上司から「私のポイントを稼ごうとしてやってるんでしょ」と難癖をつけられる。思い返せば、きりがありません。その時は「こいつら何て性格が悪い奴らだ」と思っていましたが、何のことはありません。全て自分がやってきたことです。
  「その人がそのような行動をとってしまうのは、仕方のない流れがあってそのように行動してしまうのだ。行動した瞬間を切り取るのではなく、なぜそのように行動してしまったのかを俯瞰してみる」
  因果論の話を何回か聞くうちに、そのように考える癖が付きました。
  3年ぶりに会った親友は、文句ばかりでろくに自分の仕事をしない職場の同僚を批判していました。
  「その人もさ、そうなっちゃうだけのことがあったんじゃない? 今、オレは仕事で自閉症の人に接する機会が多いんだけど、すごく勉強させてもらってるよ。みんな、自分なりのベストを尽くしてやってるんだよ。でも・・そうなっちゃうんだよ」
  なぜか目をうるませて、見ず知らずの人を擁護する私を見て、親友は少し狼狽していました。受け売りの因果論の話を、私の3年間の体験談とを交えて語るうちに、親友の目の奥が湿っぽくなってきました。
  瞑想のやり方を深く知ろうとして、グリーンヒルの門を叩きました。瞑想が深まっている実感は、あまりありませんが、性格は変化しているような気がします。瞑想でのゴールを人格の完成と考えれば、少しの進歩はあるのかもしれません。まだまだ暗中模索のような状態ですが、あわてず騒がず、一日一日、瞑想を続けていきます。



『朝カルで叩き込まれた因果論』平明 創 
   私が初めて地橋先生の朝日カルチャーセンターの講座を受講したのは5年前の4月でした。
  その2、3年前から先生の著書やその他のヴィパッサナー瞑想に関する書籍を読んでは自分なりに瞑想実践をしてきましたが、直接指導者から教えてもらうということはありませんでした。
  しかし6年前に大腸がんを患い、入院中に退院したらボランティア活動とプロから直接指導を受けて、瞑想修行を本格的にやろうという決意をしました。退院後、ボランティア活動はすぐに始めることができましたが、当時毎日のように飲酒をしていた小心者の私はテーラワーダのお寺の敷居が高くて、なかなかお坊さんのところへ瞑想を習いに行く気になれませんでした。そしてカルチャーセンターだったら本格的かどうかわからないけど、飲酒までは咎められないだろうという気軽な気持ちで受講を決めたのでした。
  初めて先生にお会いした時の印象は「本に載ってた写真と違って怖くて厳しそうじゃん」というものでした。
  初回の講座で歩きの瞑想の説明が一通り終わって「それでは実際に歩いてみましょう」となった時に、一人の受講者が遅れて教室に入って来ました。他人を見下してばかりいた私は「アホかこいつは?初回の一番大事な説明を遅刻して聞き逃すとは」などと心の中でその人を批判していたのでした。
  その後私は衝撃的な経験をしました。みんなが歩きの瞑想を始めている最中、なんと強面の先生が、その遅刻して来た人を教室の隅に連れて行って、たった今20人近くの受講生に説明したとおりに同じことをマンツーマンで丁寧に教え始めたのです。
  「なんてやさしい人なんだろう。この先生に教えてもらえば、間違いない」などと直感的に私の先生に対する信頼がその瞬間芽生えたのでした。
  それからリピーターとなり、現在まで朝日カルチャーセンターの講座を連続して受講しています。
  5年に渡って講座を受けてきて、私が一番良かったと思うことは、徹底して因果の法則を先生から叩き込んでもらったことです。なにか不愉快なことが起きると、すぐに他人のせいにする癖があった私は、自分の正当性に執着してばかりいて、心の中で相手を延々と批判しまくってばかりいました。
  仏教の本を読んで、なんとなく因果論を理解しているつもりだった私でしたが、所詮ただの知識ととして頭の片隅に存在する程度のものでした。そんな私にとって、「自己責任」、「起きたことは正しい」、これらの言葉が腑に落ちたことによって、自分の人生の苦しみ、怒りがどれだけ減少できたか計り知れません。
  先生の講座では特化して因果論を説明される回が必ずあります。当初私はこの因果論の回を受講するのが苦手でした。
  自分の犯した悪業を思い出し、因果論を聴けば聴くほど目の前が暗くなるといった感じになったからです。
  幼少期から劣等感や屈辱感にまみれていた私は小さくて弱い昆虫やカエルなどを見ると怒りがこみ上げてきて、踏みつぶしたりして数えきれないくらいの殺生をしてきました。ですから悪因悪果の話を身が縮みあがる思いで聞かなくてはなりませんでした。小学生の時にはよく近所のお兄さんとバッタやイナゴをたくさん捕まえては密閉された容器などに詰め込んで、爆竹で吹き飛ばすなどの遊びをしていました。ちなみにその遊びを教えてくれた近所のお兄さんは高校1年の時にバイク事故で踏切で電車に飛ばされて亡くなりました。
  そんな絶望的な私にも、その悪業を反対の善行によって相殺ができるという、願ってもない明るい話を先生はして下さいました。
  それ以来、人命、殺処分されそうな犬猫を救う団体、海外で臓器移植を希望されている方々、医療をうけるのが困難な難民や被災者等にお布施をしたり、スーパーで活きているシジミ、アサリ、ハマグリ、カニなどを買っては、川や海に放すなどのライフダーナをやるようになりました。そのおかげでしょうか、大腸がんも完治して、今のところ健康に生きることができています。ただこれらの事は、単に因果論に恐れをなした小心者の私が、自分の利益のためにやってる劣善に過ぎません。しかし劣善でも、何かしらの結果は出ると実感しております。実際、不衛生で水洗トイレのないカンボジアの村に水洗トイレを寄付した途端、自分で排泄できなかった知的障害の次男が自分で排泄できるようになったり、戦闘地で紛争予防活動をしている団体に継続的にお布施をしているおかげか、誰かと敵対するようなことも起きなくなりました。
  これらは全て表面的な事象ですが、私が先生から因果論を叩き込まれて最も感謝していることは怒りと心の苦しみの減少です。
  散々悪行を積み重ねてきた私ですので、不快な現象には常に遭遇します。そんな時、怒りが起きないと言えば嘘ですが、先生から教わった「自己責任」「起きたことは正しい」といった言葉を思い出すと自分が蒔いた種を刈り取っているんだからしょうがない、と思えるようになりました。実は私は散髪中に耳を切られるということが2回あったのですが、最初の時はまだ因果論など知らなかったので、ものすごい怒りを味わい不快な思いに苦しみました。しかし2回目の時は因果論を知った後だったので、自分の悪業の結果だ、あれだけ多くの生命を傷つけてきた私が「自分が傷つけられるのだけは理不尽だ」などという道理が通るわけもない、と納得することができました。そして、これで悪いカルマが1つ清算できたと思えて、怒り苦しまずに済むことができたのでした。
  それどころか、客の耳を切ってしまい、すっかり落ち込んでしまった熟練の床屋さんにカルナーの念すら覚えたのです。
  このように因果論の理解によって怒りが減少し、生きるのが楽になった私ですが、なぜ因果論が身に染みてきたのか考えてみますと、理由はやはり先生の情熱のこもった講義とそれをくり返し聴いてきたからだと思います。1回聞いただけでは腹に落とし込むところまではいかなかったでしょう。5年間、3か月に1回はこの因果論の講義を受けてきたので20回以上情報が上書きされた賜物にちがいありません。そしてこの因果論の理解が終生にわたり、そして来世にまでも私に恩恵をもたらしてくれるものと確信しております。




 『私のヴィパッサナー瞑想体験記』(前、後)K.U. 
   地橋先生の瞑想会で修行をさせていただくようになってから、いつのまにか8年が過ぎようとしている。ここで、ひとまずの区切りをつけるためにも、ヴィパッサナー瞑想に出会ってから今に至るまでの自分の修行を総括的に振り返ってみたいと思う。
  先生の瞑想会を知ったのは、『DVD版ブッダの瞑想法』がきっかけだった。それまで瞑想というと、何時間も不動の状態で坐り続けていなければならない苦行のイメージがあり、集中力のない私には無理だと思い込んでいた。
  しかし、このDVDを見ると、坐る瞑想だけでなく、歩く瞑想や立つ瞑想、さらには日常モードの瞑想など動きながらできる瞑想が紹介してあるではないか。
  「なんだ、瞑想って実は簡単なものだったのね。こういうことで悟りも得られるならやってみようかな」とこの上なく軽い気持ちで瞑想会に出かけたおめでたくも哀れな私。
  初めての瞑想会で、先生は初心者の我々に、まず「認知のプロセス」についての説明をされた。これは後に、ブッダのヴィパッサナー瞑想の理論の中核であり、先生の瞑想理論が凝縮されたまさに智慧のエッセンスであると知る。
  次に、瞑想の詳しいやり方を、先生ご自身が丁寧に説明してくださった。これは後に、ヴィパッサナー瞑想の具体的な実践方法であり、智慧のエッセンスがそのまま身体的に表現されたものだと知る。
  これほど密度の濃い内容を、瞑想のことなど何も知らない我々に一度に教えてくださったのだ。当然、何のことかさっぱりわからない。でも、要は、自分の身体の一部に意識をフォーカスさせて、他の感覚や思考やイメージなどの妄想にサティを入れることを繰り返していけばよいということは理解できた。
  早速その日から瞑想の実践を開始した。ところが、いざ実践しようとしてみると、まったくできないことに戸惑った。妄想が気になって、身体の中心対象になかなかフォーカスできないのだ。歩く瞑想なら、中心対象がはっきりつかめそうなものだが、坐る瞑想と同様、ほとんど集中できない。
  「離れた」「移動」「着いた」「圧」とラベリングだけはしっかりと口をついて出てくるが、実感を伴わない言葉がただ空回りしているだけの状態だった。
  その時、私の集中を妨げている最大の敵は、思考であったことに気づく。すなわち、思考を封じ込めようとすればするほど、過去の記憶にまつわる後悔や怒りが、心の奥底から噴き出す感じになるのだ。それを訓練で何とかしようと、それから丸2年の間、来る日も来る日も一日2時間瞑想の実践を行なった。
  瞑想を開始して間もない頃に、2度だけ、歩く瞑想と坐る瞑想中に、サマーディらしきものを体験したことがある。ところが、その体験をしたがゆえに、心は至福体験の再現を求めるようになり、妄想がいちだんと強化されてしまい、ますます思考の泥沼に巻き込まれるという悪循環が始まった。
  結局、2年間がんばったところで、燃え尽き症候群のようになり、瞑想の実践はできなくなってしまったのだ。
  そこで、やむをえず、戦法を変えることにした。
  今度は、ヴィパッサナー瞑想の理論からのアプローチである。「認知のプロセス」には、先生がご自分の瞑想修行で得られたすべてが詰め込まれている。この認知のプロセスの本義を知ることがブッダの教えのすべてであるという直感を抱いていた私は、その暗号を解くことに一生懸命になった。瞑想会での先生のダンマトークと本などの文字情報を中心に、理論面での修行()の始まりである。
  そして、ほどなくして、このアプローチの方が私には合っていることがわかり、それから6年間は瞑想の前座修行()に没頭した。元々読書が生き甲斐になっていたこともあり、ありとあらゆるジャンルの本を片っ端から読んでいくことになる。哲学や心理学の分野はもちろんのこと、物理学や数学、生物学など理系の分野、さらには経済学など以前の自分だったら見向きもしないような分野にまで及んだ。
  瞑想会スタッフとして毎回参加させていただきながらも、瞑想実践はほとんどしないで本ばかり読んで知的ワークに専念している自分に若干の後ろめたさを感じてはいた。しかし、ヴィパッサナー瞑想の理論の真髄である認知プロセスの意味を自分なりに納得しなければ実践には移れないような気がして、「これでいいのだ」と自分に言い聞かせるようにしてこのやり方を貫いていた。
  この間、善行の修行にも情熱を傾け、自分のできる範囲で徹底的に財施や身施などの布施行を始め、多くの方々にダンマ情報の提供も心がけた。また、先生が反応系の修行として推奨されている内観の修行にも、間隔をあけて2度行くことになる。
  この内観修行は、私にとって最も辛いものであり、同時に最も効果のある修行になった。そして、瞑想の理論からのアプローチもまた、苦しみを伴った修行であり、だからこそ、苦をなくしていけるのだと実感することができた。精神的・身体的・知的な障害や病を持つ人たちに、心から共感できるようになれたのも、内観修行のおかげである。
  そして、9年目に入ったある日、不思議な現象を経験した。なんと、この私にすんなり瞑想ができたのだ。意外なことに、中心対象に意識が自然にフォーカスできるようになっていた。また、思考やイメージなどの妄想、音、匂いなど、外部からの情報にも中心対象と同じくらいの自然さで意識が向けられていく。なぜかその時は、瞑想の実践に対する苦手意識が消え、実践に苦を感じなくなっていたのだ。これはたぶん、中心対象とそれ以外の感覚を等価に観られるようになっていたからだろう。「それ以外の感覚」には思考も含まれる。
  自分の集中力を妨げていた最大の敵であるはずの思考が、実は中心対象と何も違いがなかったということが不思議に実感され、思考が出ても全然気にならなくなったのだ。それゆえに、中心対象に集中しなければならないという強迫観念も現れてこなくなった。どこに集中しても同じだとわかったら、止のサマタ瞑想と観のサティの瞑想は、見かけは異なっていても、本質的にはその二つを分ける境界線などないように思われた。そのような自覚がベースにあると、努力しなくても自然に中心対象に意識を向けることができていた。
  たまたま特殊な意識の高揚から体験しただけだが、これこそが、サマタ瞑想とサティの瞑想の統合なのではないだろうかという気がした。先生は以前に、集中には2種類あると教えてくださった。一つは、中心対象以外のものをすべて封印して、強引に意識を一点に集中させる方法。もう一つは、中心対象以外のものが出現するたびに一つ一つ静かに見送ることを続けながら、最後に残された中心対象に意識が自然にフォーカスしていることに気づく引き算的な方法。そして、前者は典型的なサマタ瞑想、後者はサティの瞑想を軸にしながら集中力を養っていく方法ともおっしゃっていた。
  私は、理論面からのアプローチに必死で取り組んでいるうちに、いつのまにか引き算的な集中力を養っていたのかもしれない。また、ヴィパッサナー瞑想の修行の流れの一つに、身随観→受随観→心随観→法随観という順番がある。今になって思えば、私が8年間やっていた修行はこの流れに即していたかもしれない。そして先生は、反応系の心の修行に直結する心随観を、戒の修行が未熟な初心者には最重要と位置づけられているが、私も6年間念入りに取り組んでいたというわけだ。そして、そのおかげなのだろう、拙いながらもやっと身随観ができるようになったと喜んだ。
  思考への執着を手放すために、長年悪戦苦闘してきたおかげで、思考へのサティも身体感覚へのサティも匂いや音へのサティも、基本的には等質なものだという漠然たる理解が生じてきている。
  誤解を恐れずに言えば、身随観も法随観も、対象が意識に触れただけのことであり、同じではないか。少なくとも、私が8年前に始めた身随観のセンセーションと、このとき私が感じていた身随観は質的に異なり、より純粋な身随観ができていたような気がするのだ。
  うわー!私にも瞑想ができる!とすっかり感動していたが、なんと、翌日からはまたもや元の木阿弥。私の脳味噌は同じようなお腹の感覚や歩行感覚に注意を注ぎ続けていくことがどうしてもできないらしい。猿が木の枝から枝へ飛び回るように、頭の中では妄想が激しく駆けめぐり、自分でもギョッとするような面白い興味惹かれる妄想に飛びついては、キャーキャー喜んでしまうのだ。新奇探索性が生まれつき強力なのか、前世で修行を放っぽり投げて、妄想に耽ってばかりで次々と思索に夢中になっていたのか。
  それでもなんとも不思議なことだが、これだけ瞑想ができないと普通はさっさと止めてしまうものなのに、断じて私は止める気がないし、やり抜くしかないという揺るぎない確信が定まっているのだ。これも妄想だが、前世で修行もせずに哲学的妄想に耽っていたが、死ぬ間際になってやっと心の底から瞑想修行の実践以外に救いの道はないと気づいて来世に託したのかもしれない。今世ではその決心どおり修行しようと思っているのだが、あまりに何度も同じ脳味噌の使い方を繰り返したせいで、気持ちとは裏腹に、いざ瞑想修行を始めると自動的に妄想のスイッチが入ってしまい言うことを聞いてくれないのかもしれない。
  しかし、この世の一切は無常であり、どのような事象も存在も状態も永遠にそのまま固定していることはない。先生も仰るように、ブレないで決意を貫いていけば必ずその通りになっていくのが現象世界というものだと確信している。だから、私は断じて諦めずに、このヴィパッサナー瞑想を続けていくし、やり抜いていく。
  最後に、地橋先生に改めてお礼を申し上げたい。私が地橋先生の瞑想会にたどり着いた原動力となったのは、次男を赤ちゃんの時に亡くした体験による罪悪感を手放したい一心からの情熱だった。この罪悪感をなんとかしなければ、死ぬに死ねないという思いにとらわれていたのだ。数多くのスピリチュアル系の本を読み、いろいろな会にも顔を出したが、どれも○○を信じることが前提条件となっているものばかりだった。私には、その前提条件となっている○○を無条件で信じることにはどうしても抵抗があった。だからこそ、○○を押しつけないところ、○○が前提条件となっていないものを私は無意識に求めていたのである。そして、先生の瞑想会に初めて参加したとき、自分が望んでいた通りのところに私はやっとたどり着けたと直感した。それが、どんなつらい修行にも耐えることができた理由なのだ。
  そして8年間かかって、私は自分の直感が正しかったことを実感している。○○を必要としないどころか、○○を必要としないというその気づきさえやがて自然に生じなくなるのだろう。ちなみに、○○とは二元論を意味し、それがどのような概念であっても苦であることに変わらない。○○を手放し続けていく過程こそが、認知のプロセスであり、ヴィパッサナー瞑想なのではないだろうか。
  ・・と、また妄想してしまう私だが、ヴィパッサナー瞑想に興味を抱き、これから瞑想を始めようと思っていらっしゃる方々。そして、瞑想に何年も取り組んでいるのに、なかなかこれといった成果が出せなくてスランプに陥っていらっしゃる方々に、転んでも転んでも絶対に諦めずに瞑想に立ち向かおうとする私のような者もいるのだということが、少しでも励みになってくれればこの上ない喜びである。
  瞑想に不可欠な集中力がまったくない、箸にも棒にもかからない落ちこぼれの劣等生の私だが、修行の情熱は変わらないのだ。人の才能も、弱点も、自分に与えられた資質というものは、どうしようもない業の結果であり、そのあるがままの自分を認め、受け入れて、与えられた独自の道を最後まで歩み抜いていくことこそ、自分にとっては最高の生き方なのではないでしょうか。それこそが、どなたにとっても、究極に至る唯一の道なのだと、仏教から学んだ9年でした。
  先生、法友の皆様、本当にありがとうございました。そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




『瞑想が振り返らせた半生』T.G. 
   自分はどうのような人間なのか、と最近自問しました。まじめ。思いやりがある。根に持たない。親切。周りへの配慮を忘れない、などなど。
  同時に、自分に利があるか否かを計算し、人から受けた苦痛を忘れず仕返す機会を伺い、 体を横にしだらだら過ごすことを好み・・という面も否定できず、むしろそちらの方が本来の自分の性質なのだと思い至りました。
  このような事を考えていたのは、うつ病による7ヶ月の休職から職場復帰してしばらく経ってのことです。
  ヴィパッサナー瞑想のおかげで職場に復帰できたものの、足ることを良しとしない競争の環境は貪りの世界そのものに感じられ、逃げたい気持ちが強くなっていきました。同時にその競争の世界に染まりきった方が楽なのでは・・とも考えていました。
  そんな折に参加した1day合宿で歩く瞑想を行なっていると、いつもなら集中が高まる絶妙のタイミングで眠気に襲われました。初めての現象で驚きましたが、地橋先生より瞑想を忌避している心があるのでは・・とご指摘を受けました。
  自分を救ってくれたヴィパッサナー瞑想を拒否しようとする心が自分の中にある、という事実に衝撃を受けましたが、この瞑想の前ではとことん本心が顕在化する、という地橋先生の言葉を受け、前述のような考察を行なった次第です。
  自分の本音(怠けたい・望むものを手にしたい)を棚に上げ、後付けで加えたまじめさや奥ゆかしさこそ自分の性格であり、人となりであるとして自身に暗示をかけていたような気がします。競争社会の猛々しい現実を否定することで、私自身の中には貪りの心などないかのように偽装していたのです。
  悪いのは周りであり自分ではないという言い訳を直視するのが怖く、瞑想を忌避していたということでしょうか。弱肉強食の非情な世界に抗い続けていくよりも、巧妙に適応しようとする自分の本心を見たくなかったのかもしれません。とはいえ、そこまで自分を取り繕い続けてきた背景というものも、霧が晴れたかのように見えてきました。
  小学3年の頃、父親の財布から現金がなくなったことがあり、それを自分のせいにされた事がありました。もちろん身に覚えのないことなので否定しましたが、怒鳴られ(オモチャのバットですが)殴られ、父親の言うとおり頷くほかありませんでした。父親は、自分の単独犯行ではなく近所の悪童に脅されたのだろうという考えで、自分の子供を救おうと必死でした。
  ただ、自分としては「その場をしのぐために、していない犯行を認める嘘をついた」「無実の人間に罪を被せた」「結果的に父親に不善業を作らせる形となった」と自分を含めた多くの人を不幸にする行ないをしたことに大変な恐怖を覚えました。
  以来、自分は大きな罪を犯した。故に罰せられる。という考えから、罰せられるべきだ、という内罰的傾向に変化していきました。進学や仕事など人一倍の努力をしてきましたが、それも「苦しむ手段」として用いてきたのではないかと思います。
  物事がうまく進んでいるような状況でも内心は、大きな不幸に見舞われるのでは、と常に怯えていました。学業や仕事では常に高い目標に挑むよう心がけてきましたが、それも今の自分ではない自分になることで、「罪を犯し」「いずれその報いを受ける」事実から逃れようとしていたのです。
  1day合宿に参加者が感想などを述べ合う時間がありますが、あるスタッフの方に「お話がいつもドラマチックですね」と指摘されたことがありました。劇的というのは極端な落差があるということだと思います。
  瞑想、仏道修行においても自身を否定するような、実現できそうもない目標を設定するクセが抜けていないと、そのスタッフの方のご指摘で気づきました。成してしまった業、それらの報いをあるがままに観察し、受け入れ、認める。今現在の自身の課題というか、宿題と考え日々を過ごしています。
  過去世から続く過ちと後悔の輪廻は、今生で終わりにすることなど到底叶わないと思います。それでも、地橋先生をはじめとするグリーンヒルの皆様や、合宿で共に修行に励む法友の方々とご縁ができたのは、奇跡に近い幸運と感じています。
  先ははてしなく遠いですが、道の上に立って少しでも歩みを進められればと、祈るような気持ちで今を過ごして生きています。



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