月刊サティ!
2017年7~12月号
|
『やっと出会えたヴィパッサナー瞑想』(ピーマン) |
私は、ヴィパッサナー瞑想の指導を、今年の4月から朝日カルチャーセンターで受け始めたばかりです。まだ全くの初心者なので瞑想について十分に知識も持っていませんし、実践においても本当に少しの時間しか行っていません。でも、こんな短い時間でも随分と人生が楽になりました。私がどのようにヴィパッサナー瞑想に出会ったか、そしてどんな変化があったかを書きたいと思います。
私は一人娘として神戸で生まれ育ちました。父は独裁者みたいな人で、私はとても苦手でしたが、会社経営に忙しくてあまり家にいることがなく、ほとんど関わらずに済みました。そのかわり、近所に住む母の大親友が頻繁にやって来て、ほとんど家族同然、私には母が二人いる感じで、なんの不満もなく楽しい満ち足りた毎日でした。 二十歳の頃、バレエで痛めた膝と腰のリハビリのために始めたヨガで瞑想のことを知りました。今まで知らなかった深遠な精神世界が新鮮で合宿にも参加しましたが、対象にうまく集中できない→集中しようと頑張るとなぜか眼が痛くなる→苦しい、の繰り返しでいつしか疎遠になってしまいました。 そして結婚。でもその1年後、神戸の中心部で阪神淡路大震災に遭い、私は最愛の母を亡くしました。母の遺体を引き取りに行こうにも、街が壊れていて車も出せず、ようやく警察のご厚意で遺体と対面したときは既に悪臭が漂っている状態でした。急ピッチで作られた母の棺とともに火葬場に行きましたが、そこは火葬の順番を待つ人たちの長蛇の列で、悪夢のような光景でした。 ほんの数日前までは永遠に続くかのような楽しい毎日だったのに、元気だった母は亡くなり、美しい神戸の街は壊れ、周囲の人々は泣き悲しんでいる。私は世の中のはかなさを痛いほど感じました。それと同時に、こうして生かされているからには明るく生きていこうと決意したのです。 震災から4年後に息子を授かりました。変わった考え方をする子で、私は結構気に入っています。でも学校に通うようになってからは先生や同級生に誤解されることも多く、いじめにも遭い、私は対応にくたくたになりました。息子も段々と頑なになっていき、トラブルの最中には彼がデビルに見えたこともありました。そして、「何で私だけこんな目に!」とひがむことも。 私は、以前のような明るい生活を取り戻すため、海外の豪華リゾートに行ったり、ホテルでランチしたり、バーゲン巡りをしたりをするようになりました。そしてそのうち、もっと豪華なところ、もっとおいしい食事、もっと素敵なお洋服、と、もっと、もっと、もっと・・・、どんどんエスカレートしていきました。でも、その時には楽しく笑っていながら、心の奥底では乾いた虚しさも感じていました。世の中にはもっと透明で深遠な世界があったはずなのに・・・。あれ?こんなんじゃなかった?なんだったっけ? そんな状態が続いているうちに、だんだんと周囲の人との関係も良くなくなり、体調まで崩すことが多くなっていきました。健康には人一倍留意していろいろなボディワークを行い、高い漢方薬を飲んで鍼灸にも通っていたのに、です。「これはひょっとすると精神的な問題?」と感じ始めたころ、私は原因不明の病気になり寝たきりになってしまいました。その時、瞑想のことを思い出したのです。 Googleで採用されたマインドフルネス瞑想のことが気になっていたので、ヴィパッサナー瞑想の翻訳本を取り寄せてみました。そして、最初の数ページ読んだだけで、これが私の探していたものだと解かりました。 私は早速実践してみることにしました。病気の症状による背骨の痛みでゆっくりしか動けない為、かえって痛みの観察とラベリングには最適でした。また、先の見えない状態から心は不安でいっぱいでしたが、すぐにその不安も少なくなって痛みも和らいでいきました。 ベッドの中で、慈悲の瞑想も繰り返しおこないました。驚いたことに、速効的に家族との関係が今まで以上にとても良くなり、落ちついた安らぎを感じ始めたころ、身体も徐々に回復していきました。発病からは3か月ほどが過ぎていました。 すでにそれまでに、「元気になったら瞑想を習いに行く!」と決めていましたので、迷わず朝日カルチャーセンターに飛び込み、今に至っています。そして、地橋先生にご指導いただくようになって4か月、様々な変化がありました。 ①慈悲の瞑想で人間関係がとても良くなりました。また、苦手な人にも過剰に気を遣わなくて済むようになりました。何より自分自身がとても暖かく柔らかいベールに包まれたような優しい気分になります。 ②歩く瞑想で、こころに浮かんだことを掴まず手放すことが少しできるようになりました。とても気持ちの良い感覚です。 ③日常生活でのラベリングで、くだらない妄想に巻き込まれることが少なくなり、結果心配ごとが減りました。 ④因果論を知り、息子を心から受け入れられるようになりました。いままでも心理学を学んだりして、息子を理解しようと努めてきましたが、根っこのところでどうしても受容できていませんでした。それが原因で起こっていたトラブルも激減しました。 ⑤知らなかった自分が少し見えてきました。おっかなびっくりしています。 ⑥地橋先生のダンマトークで新しい人生の見方を知ることが出来ます。毎回ワクワクしています。 こんな面白いものに出会えちゃった、というのが私の今の正直な感想です。でも、これから修行が進んだらきっと嫌な見たくない自分も出てくるでしょう。怠け心も起きると思います。それでも今の気持ちを忘れず、明るく楽しんで自分を観ていきたいと思っています。 最後になりましたが、この原稿を書く機会を与えていただいたことに深く深く感謝申し上げます。ありがとうございました。 |
『怒りと恐怖と調和と: ヴィパッサナー瞑想の「見えざる手」と繋がって (1)(2)(3)』(Abe-chan) |
1 感謝 まずは私に執筆の機会を提供してくださいました【月刊サティ!】編集部の方々に、この場を借りまして感謝申し上げます。ヴィパッサナーについて、瞑想について、ひよっこの私ですので、誤用がある場合はどうかご容赦ください。2017年がもう、3分の2を終わろうとしています。250日余りの間に、なんとたくさんの出来事があったことか。改めて振り返ってしまいます。 3カ月の朝日カルチャーセンター(以下朝カルと表記します)のヴィパッサナー瞑想の講座を終えた直後でした。いっしょに仕事をしている同僚のSさんから、「僕らを信じられないみたいだから・・・(仕事の)モチベーションが下がりました」と突然言われ、私の心は大混乱でした。(いや、まだ鎮火しきれていませんが)。 結局、最終的には協同で行っていた仕事を中断放棄することになりました。国からの委託事業のようなものですから、そのダメージは覚悟しなければなりません。しかしながら、どうしようもない「量子のもつれ」ならぬ「心のもつれ」は不可逆的でした。 そんな大事件の勃興期に【月刊サティ!】への執筆の依頼をいただきました。上記の大騒動のさなかでしたが、頭のどこかで、この騒動と向き合う良いきっかけを与えてくれたのも朝カルかもしれないと思い、原稿を執筆してみることにしました。 私の直感と直観から人生には「川の流れ」みたいなものがあって、その流れにいかに乗るかが大事だと思ってきました。流れをつかむときに大事なのは「感謝」とも感じてきました。感謝すると何かが変わるって。ですので、私の拙文も、まずは感謝から始めさせていただきました。でも、執筆依頼のメールに、こうも書かれていました。プレッシャーとも言い換えることができますが・・・。 「Abe-chanの人生経験の豊かさからは、優に2、3回の連載になる素材がおありになるのではないでしょうか」 光栄かつ過分なお褒めの言葉でした。でも、過去の【グリーンヒルWeb会だより】を拝見すると、いやいや、私の人生の出来事なんてちっぽけな気がしてきます。みなさん、とてもたいへんな山あり谷ありの人生を送ってこられて、乗り越えたり、乗り越えようとしていることがひしひしと感じられ感動するばかりでした。 それに比べると、私の人生は平坦なものであったでしょうし、なによりも、ヴィパッサナー瞑想によりドラスティックな変化が起きていないと思っています。なによりも、ヴィパッサナー瞑想によってドラスティックな変化が起きているというわけではありません。ですので、読者の方には感動的な経験を語れませんが、今、進行中の自分自身と向き合う、もう一人の自分との対話を書かせてもらえればと思います。そして、WEBをご覧になった方々が、自分でも実践できそうとか、瞑想はおもしろそうと思ってもらえたら嬉しいです。 さて、Sさんからの突然の告白。それは、私の中にたくさんの「大波」を起こしました。きっと、今までの自分だったら海の大波の波頭のはじけ飛んだひとしずくになってしまっていたでしょう。 地橋先生が御著書(DVDブック『実践 ブッダの瞑想法 -はじめてでもよくわかるヴィパッサナー瞑想入門』、春秋社、2008)のDVDの中で、海の波の一部に自分がなってしまうというのは刹那的な感情に飲み込まれてしまうこと、海の波が寄せたり返したりするのを島から見ているようにするという趣旨のことを語っておられました。たいへん印象深く、私の心をぐいっと掴んだ一言でした。 この本に出会わなかったらば、きっと上に書いた知り合いの一言で私の心は大混乱になり、次々に押し寄せる疾風怒濤の刹那的なエモーショナルエネルギーのウエイヴのはじけ飛ぶ水の一滴となってしまったことでしょう。様々な感情、しかもそれはネガティブで破壊的な感情でした。ヴィパッサナー瞑想の実践は私に、感情との向き合い方を諭してくれました。 2 怒り 上記のSさんの言葉で私の中に起きた感情は、まずは怒りでした。強い怒り。最初は何に怒っているのかわかりませんでした。ただただ強い怒り。 私はどうも変わったイメージ力があるらしく、強い怒りは視覚化されてイメージされるのです。たいていは、ダークグレーの煙が左向きに渦を巻いている状態です。今回もそれが見えました。何に対して怒っているかわからないので、当初は「怒り」と気づきを即言葉でラベリングする(以下、サティを入れると表記)ことしかできませんでした。歩く瞑想をしても坐る瞑想をしても、すぐに怒りが感じられました。 何日かしてある夜、怒りのサティを入れたとき、その怒りが二つであることに気づきました。一つは、Sさんの私に対して言った言葉の使い方に対する怒りです。ありありとその会話の場面が思い出され、そのときの言葉の使い方、声のイントネーションに対する怒りでした。「妄想」とわかっていましたが、当時は注意を「妄想」に奪われてしまいました。 もう一つは、「信じられない」ということの内容についての怒りでした。つまり、Sさんの態度への怒りと仕事の打ち切りについての怒りでした。仕事の打ち切りについての怒りはすぐに、「Sさんは自分勝手であることへの怒り」というサティに変わりました。 さらに何日かして、もう一つ怒りがあることに気づきました。それは自分自身への怒りでした。Sさんのような人を仕事のパートナーとした自分への自責に由来する強い怒り。これもすぐにサティを入れました。自分への怒り、自分への自責・・・・・・あらあら、たくさん自分への感情が芋づる式に出てきたじゃない・・・と、どこか他人事のようにサティを入れ続けられるようになっていました。 青年時代から、私は「貴方は短気だよ」とか、「すぐに怒る」と他人から言われてきました。話し方も攻撃的で語気が強いと。本人は全くそういう自覚がありませんでした。若い頃はそういうわけで、同世代の女性から敬遠されることばかりでした。いつも私は怒りの感情をあまり自分の中で消化することなく、即、表面に出してしまうようでした。 怒りは対人関係を悪化させるだけではなくて、自分の身体も壊すことがよくありました。強い怒りが続くと、不眠になり、胃はきりきりと痛くなるし、そして、暴飲暴食。果てには、耳の聴こえの異常にもなりました。ヴィパッサナー瞑想の練習の中で、「怒り」を感じたら、まずは「怒り」とか、「怒っている、いらいらしている」とサティを入れることを修習しました。否定的な感情がわき上がったらすぐにサティを入れる。これはとても効果的でした。4月からの朝カル講習に通うようになってからは、それ以前よりもずっと怒りに飲み込まれないようになりました。それでもなお、怒りが収まらないことは今でもあります。地橋先生が講座の中で「絶対に怒らない」と決意して、絶えず「怒らない」と意識するようにしていたとお話しされていました。私も見習おうと思って心がけてはいるのですが、なかなか全ての怒りの感情を冷静に見つめることは未だできません。 さらに何日かして、もう一つ怒りがあることに気づきました。それは自分自身への怒りでした。Sさんのような人を仕事のパートナーとした自分への自責に由来する強い怒り。これもすぐにサティを入れました。自分への怒り、自分への自責・・・・・・あらあら、たくさん自分への感情が芋づる式に出てきたじゃない・・・と、どこか他人事のようにサティを入れ続けられるようになっていました。 青年時代から、私は「貴方は短気だよ」とか、「すぐに怒る」と他人から言われてきました。話し方も攻撃的で語気が強いと。本人は全くそういう自覚がありませんでした。若い頃はそういうわけで、同世代の女性から敬遠されることばかりでした。いつも私は怒りの感情をあまり自分の中で消化することなく、即、表面に出してしまうようでした。 怒りは対人関係を悪化させるだけではなくて、自分の身体も壊すことがよくありました。強い怒りが続くと、不眠になり、胃はきりきりと痛くなるし、そして、暴飲暴食。果てには、耳の聴こえの異常にもなりました。ヴィパッサナー瞑想の練習の中で、「怒り」を感じたら、まずは「怒り」とか、「怒っている、いらいらしている」とサティを入れることを修習しました。否定的な感情がわき上がったらすぐにサティを入れる。これはとても効果的でした。4月からの朝カル講習に通うようになってからは、それ以前よりもずっと怒りに飲み込まれないようになりました。それでもなお、怒りが収まらないことは今でもあります。地橋先生が講座の中で「絶対に怒らない」と決意して、絶えず「怒らない」と意識するようにしていたとお話しされていました。私も見習おうと思って心がけてはいるのですが、なかなか全ての怒りの感情を冷静に見つめることは未だできません。 一つ例を出させてください。6月のある日、直島という島にある地中美術館に見学に行きました。すると、美術館の敷地内には盲導犬は入ることができないと言われたのです。(後に書きますが私は目が見えず、盲導犬を同伴しています)。遠方からはるばる行ったのに見学できないのは後悔するので、仕方なく、美術館から1キロ弱離れた駐車場近くの屋内に盲導犬を係留して見学しました。犬がかわいそうでした。犬への不安と、それに勝るベネッセホールディングスに対する強い怒りで胸が張り裂けそうで、胃袋がひっくり返りそうでした。 帰宅してからも怒りは収まりませんでした。一人になると、そのときの怒りが再度わき上がってきました。すぐに「地中美術館が許せないという怒り」とか、「不本意に扱われた事への怒り」など、いろいろとサティを入れてみました。でも、なかなか収まりませんでした。カルマの話を講座でお聞きして、なるほどと思う一方で、理不尽なという気持ちも起きます。それでも今はずいぶん、その怒りをまるで空の上から眺めるように客観化できるようになっています。きっと、怒りもエネルギーですから、そのエネルギーに負けずに根気強くサティを入れることをした結果、破壊的な事態に至らなかったのだと思います。怒りの感情とのつきあい方は私の瞑想鍛錬にとって大きな課題です。 3不安、恐怖 Sさんとの仕事のトラブルは怒り以外に、不安や恐怖の感情も起こしてくれました。「協同で行う仕事を突然キャンセルしたら周囲の人々、特に雇用主からの評価が下がるのではないか」、「どうやったら自分の仕事をいっしょにやってくれる人を探せるのだろうか」という恐怖と不安が心の中にわき上がってくるのでした。「他人からの評価への不安」、「(アシスタントを)見つけられないという不安」というように、思い浮かんだら間髪入れずにサティを入れるようにしてみました。だから意外に心は平安でした。 実は、ずっと私に貼りついてきた不安と恐怖があります。ふと、自分一人になり、ぼうっとしているとき、まどろんでいるとき、あるいは夢かうつつかわからないような状況でそれは突然に浮かんできます。真っ白な壁、真っ白なベッドシーツ、四畳半くらいの細長い部屋、奥には窓がある。小さい子どもは一人で白いベッドの上にいる。よく見ると、うずくまっている私。冷たい空気、曇り空の窓、音もなく、とても寂しい。この情景とともに、強い不安、恐怖が首をもたげて心を覆う。直感的に私の幼少の頃の光景だと感じる。おそらく、病院のベッドの上でしょう。この情景が過去の事実の出来事なのか、それとも空想(妄想)なのかはわかりません。母が情景に含まれていないことから、おそらく空想だと思います。風景とともに立ち現れる感情、不安や恐怖が重要なのでしょう。
|