月刊サティ!

Web会だより

  2016年8月号~12月号  

『ヴィパッサナー瞑想との出会い』 森 健一郎
  
  私は、妻、子供2人の4人家族で暮らす43歳の公務員です。外からみれば一見、ある程度完成された一人前の男性と見えるかも知れません。しかし、私には学生の頃より20年以上、先天性の身体的理由により夢が断たれた所から始まる葛藤がありました。

  それは、「自分の一度しかない人生、本当にこれで良いのか?」という葛藤です。
  このような葛藤は、世に生まれ出た皆が感じることであるかも知れません。そして人それぞれが自分なりのやり方で受容していく、それが大人になるということだというのが一般的な考えかたと思われます。しかし、恥ずかしながら私にはそのことがいつまでも受容されることがありませんでした。
  受験、就職、転職、結婚、子供の誕生、昇進と時は流れ、子供の障害、難病の発覚等々いろいろありましたが、人生において何か一つ好きなことに打ち込んで何事かを成し遂げたい、いや、そうであらねばならないという考えが頭を離れることはありませんでした。
  幸か不幸か器用にも、表面上は浮世離れすること無く、現実を守りつつ生きていました。自分は五体満足で働けて、障害児を育てながら、こんな幼稚な悩みを持つ旦那を非難することのない妻に頭では感謝しつつも、最近は、この年になってもまだ自分探しをしている自分、この世の雑事に追いまくられている自分に、苦しさ、あせりというより、混乱、諦め、怒り、若干の寂しさ、を感じるようになっていました。
  そんな生活の中、自己啓発系の本を読み漁っているうちに、何冊かの本に「瞑想をすると本当の自分に出会う」という趣旨のことが載っており、瞑想について興味が湧いてきました。ただ、後にヴィパッサナー瞑想はそのような目的のものではないことを知るのですが・・・。
  勇んで参加した短期合宿の面接では、地橋先生より、身体的理由により挑戦すら出来ずに夢が断たれたのは、カルマが良くないこと、そして思考、妄想から夢や成功に執着して、自分から苦しくなる生き方をしているとの指摘を受けました。先生の一言一言に、両親のこと、子供たちへの接し方、目を逸らしてきた自分の醜い部分など思い当たる節があり、自分探し以前の問題でガックリしている自分に、「あなたのようなタイプの人は仏教の勉強をすると良いですよ」と励まして頂きました。
  初めて瞑想会に参加してから、1年が経過し、ようやく一日15分程度の瞑想が定着してきましたが、最近になって感じていることがあります。それは、ずっと自分は「貪」「瞋」のタイプだと考えていたのですが、どうも「痴」のタイプなのではないかということです。どんなに法に触れ、知識を吸収し、理解をして、反省したつもりになっていても、自分の想定を超える現実に不意に直面した時にはサティが入らず、入っても対象化はされず、あっさりと現象を掴んでしまうのです。
  「どうやら残念ながら自分には物事の理が見えておらず、智慧無き反応を繰り返してしまっている」とようやく気づき始めてきました。それからは、やったりやらなかったりだった瞑想も毎日続けるようになり、常に、「この考えこの行動は、真に智慧ある人間の考え、行動だろうか?」と自問する日々です。
  今までの人生の過程で様々な成功哲学、人生論、願望実現、自己啓発、スピリチュアル関係などに興味をもってきて、それらで救われることもありましたが、残念ながら根本的な解決には至りませんでした。しかし、解決に至らなかったおかげで、ヴィパッサナー瞑想と原始仏教の教えを学ぼうという気になりました。また、若い時であれば、原始仏教のちょっと厳しい考え方について行こうとは思えなかったかも知れませんが、思えば最良のタイミングで出会うことが出来たのかも知れません。

  短期合宿の最終日に先生は「さて、森さん、これからどうしますか?」と尋ねられました。
  1年経過した現在の答えは、「今のところ、ヴィパッサナー瞑想と仏教の教えを学び続け、実践すること以外になすべきこと、やりたいことは見当たりません」ということです。いつの日か自分の人生はこれで良かったのだと真に理解する日が来ることを信じて・・・。
  ん・・これも「執着」・・・なのかな?
  最後になりましたが、すべてのヴィパッサナー瞑想者の修行が進みますように。


『ケンタウロスへの道』 中野 祐三郎
  私は、人生の目標をケンタウロスになることに置いてきました。ここで言うケンタウロスとは、ケン・ウィルパーが意識の成長・進化のサイクルの中で記した後期自我→成熟した自我→生物社会的領域→ケンタウロス→アートマン→ブラフマンのケンタウロスの段階を指したもので、自我を手放した状態、或いはありのままの自分を受け入れた状態を示します。天外伺郎氏によれば、後期自我から成熟した自我或いはケンタウロスに進むには、努力や頑張りでは難しく、瞑想がその助けになると瞑想を勧めていらっしゃいます。
  また、数年前に、私にとって幸せとは「こころ安らかに過ごすこと」だと気づきました。その後巡り会ったスマナサーラ老師の本に同じことが書かれていてそうなんだと確認しました。スマナサーラ老師も著書の中で瞑想を勧められていらっしゃいます。
  2年前、60歳を迎えた時、死ぬまでにやっておきたいことはないか、今までやり残していたことはないかと人生を振り返り、学生時代から興味がありながら今まで縁がなかった瞑想を経験してみようと考えました。これが瞑想を始めたきっかけです。
  さて、瞑想を始めてこの2年間で変化したことは、何か。
  まず、事実として確認できることは、競馬を休めるようになったことです。これまで何十年と週末に欠かさず馬券を買ってきました。一時は、一年365日毎日馬券を買っていた頃もありました。それが、最近、週末、時に競馬を休んでいる自分を発見します。大きな大きな変化です。
  また、母との関係にも変化が現れています。以前は、些細なことで互いに激高し口論しておりましたが最近めっきり口論が減りました。80歳を過ぎた母の側にも変化があるのでしょうが、母から「最近、優しくなったね」と言われました。この変化には、慈悲の瞑想が大きく関係していると考えます。母以外でも、慈悲の瞑想により、嫌いだった方が余り嫌いではなくなり、苦手だった方に対する苦手意識が薄くなりました。
  朝日カルチャーセンターの『朝の瞑想』に通い始めた頃、意識の成長が後期自我に達し、成熟した自我に一歩足を踏み入れた段階にあると自覚しておりました。今、振り返ると成熟した自我に足を踏み入れている「ふり」をしていただけだったと推察します。何故そのように推察するかというと、瞑想を始めた当初、時に集中が高まり良い瞑想状態に入ったと思えた日があったのに、日が経つに連れてそのような状態に入る日がなくなり、その頃は瞑想状態に入った「ふり」をしていたに過ぎなかったと考えるからです。
  現在は、瞑想に良い瞑想も悪い瞑想もなく、ただ、ありのままの自分に気づくだけであると考えています。まれに集中が良い時、足裏や腹のセンセーションがはっきり意識できるような日もあります。妄想だらけの日も多いです。でも、ほんの少しずつ妄想を手放せる様になってきました。知らないうちに成熟した自我に一歩踏み出しているのではと考えています。
  現在は、ケンタウロスの様な超自我へ進むことは、幻想であり、まずは、一歩ずつ成熟した自我に向かって歩んでいければと考えています。また、瞑想していて気持ち良くなるような日は無いものの、生活の中に少しずつ変化が現れています。一歩前に歩むため必要なことは、道元禅師が説いた、目的を持たずただひたすら瞑想することだと考えます。
  未だ私は苦しみの中にあります。仏陀は、四聖諦で苦しみを滅する道があると説かれました。瞑想は、その道に通じています。
  瞑想者として、3年目を迎えました。師と法友に恵まれたことを感謝しております。

『四つめの山に出会う』 M.K.

 2ヵ月ほど前、私は急に腰痛になりました。この腰痛は心因性だとすぐにわかりました。日常生活でトラブルが起こり、もうこんなことが続くのは嫌だと思い、思い切って人生を転換したいと、糸口を求めて悶々と格闘していた中でそれが起きたからです。
 アドラー流にいえば、「現実に直面するのが嫌だから、私は腰痛を作り出した」ということになると思いました。現実に向き合うのが嫌でたまらないから、私の脳は身体のトラブルを起こし、不安や怒りや憎悪など心の葛藤を強制終了した・・・。腰痛でも、喘息でも、ヘルペスでも何でもよかったのだなと思い、脳のやり口にアゼンとしました。
 まる2週間、寝返りもできず、エビのようにベッドに丸まって過ごしました。出口が見えず、不安で気が滅入っていくので、寝たままひたすらロールレタリングをしました。
 ロールレタリングというのは、特定の相手に対し手紙を書く、という形の心理療法です。「小さな私から母へ」「高校生の私から母へ、その年の大晦日のこと」「母から私へ」など、その時の自分になりきって本当の思いを書きます。ネガティブな感情をむき出しに書きなぐる感じで、ナマの気持ちを紙にぶちまけるのがポイントです。一方的であろうが、読むにたえない罵詈雑言であろうが、おかまいなし。投函するわけではないので、噴き出してくるものをどう書こうと、本人も知ったことではないのです。
 ロールレタリングをするのは、これが初めてではありません。これまで何度かトライしましたが、うまくいったことはありませんでした。それどころか、内観をしても自力の認知療法を試みてもどうにもなりませんでした。今から思えば、その時点では無意識に自分を抑圧してしまい、ホンネを吐露するに至らなかったからではないかと思います。
 私には越えるべき山が3つあります。実母と妹の問題、婚家にまつわる問題、そして夫との課題です。それらは相互に絡み合っており、何から手をつけたらいいのかも見えませんでした。しかし、この2週間のロールレタリングで心に化学変化が起こりました。母と妹に対する気持ちが初めて緩んだのです。二人の影は薄くなって、遠ざかりました。母も妹も、そして私も、お互いに仕方がなかったのだと素直に思えたのです。「受け容れる」とはこういうことなのか、と心に落ちました。
 唐突に思えましたが、それは2週間のロールレタリングだけで起こったことではなく、縁あってブッダの瞑想の講座に出るようになってから今日までの積み重ねの結果ではなかったかと、後になって気づきました。
 この2年半、毎日10分の歩く瞑想を続けてきましたが、さしたる進展もなく、智慧もわかず、妄想にまみれてじたばたするばかり、忸怩たる思いがあります。「苦」のカラクリは論理的にはわかるような気がするけれど、適切なサティも入らず、瞬時に「反応」にまで至ってから「ああ・・・」と気づき自己嫌悪に陥る、その繰り返しにゲンナリしていました。
 一方、地橋先生のダンマトークと瞑想合宿でのご指導、講座のインタビューなどから、深い示唆をいただきました。加えて、法友の方々からはあふれるほどの価値ある情報をいただいてきました。そういうことがあって、このたびのことがあり、大元の山が小さくなったのだとわかりました。
 そして、これには続きがあります。4番目の山がせり上がってきたのです。それは自分という問題です。これまでいくら検証しても、相手がまちがっているとしか思えませんでした。けれど実際は、頼まれもしないのに相手に合わせて被害者意識をホコリのように溜め込み、慢の心を肥大させていったこの私自身が、ネガティブなものを引き寄せ、かってに苦しんできただけではないのかと気づき、戦慄しました。そのせいか、第2、第3の山はかすんでしまいました。迷路をさまよったあげく、自分が変わらなければ何も変わらないという、基本の「キ」にたどりつきました。
 瞑想を続け仏教を学ぶ、今後はこの両輪で自分自身という課題に取り組んでいこうと思います。法友の皆さまに心から感謝し、幸いをお祈りします。



『真実を見つめた先にあるもの』 M.N.
  昨年、夫婦の諍いがきっかけで長男が精神的に不安定になり、一時期は学校にも行けなくなりました。それまで積み上げてきたものすべてが崩れていく様を目の当たりにして、私は焦りと不安で一杯になり、それがさらに状況の悪化を招きました。そんな繰り返しの毎日を少しでも好転させたい、その一心で辿り着いたのがこのヴィパッサナー瞑想でした。
  すがるような思いで朝カル講座に飛び込んだのが今年3月、GWには初心者ながら10日間合宿に臨みました。はじめは帰りたくて仕方ありませんでしたが、すぐに気持ちを切り替え、真剣に瞑想に取り組みました。なぜなら、母親である私に10日も家を空けることを許してくれた主人と子供たちのため、何が何でも自己変革するぞ、との強い思いがあったからです。それは私の人生の素晴らしい転機となりました。
  ダンマトークでは原始仏教の教えの明晰さに何度も感激し、9回に及ぶ面接では、両親に対する視座の転換が起きました。私は親への不満から思春期の頃より精神的な問題を抱え、カウンセリングを学んだりと、20代はその解決のために使い果たしたと言っても過言ではありません。そうまでしても解決しなかった心の葛藤が、たった10日で両親、そして祖母(抑圧されていた本当の原因)への感謝に変わっていったのです。
  その後、すっきりとした頭で瞑想に取り組むと、ビシ!バシ!サティが入るようになりました。手足には電気が走っているかのような感覚があり、坐る瞑想では青白いほのかな光が見えました。これまで感じたことのない幸福感でした。この素晴らしい成果は何よりも地橋先生の全力のご指導と、これまで多くの方々に行った面接経験の結晶であることに深く感謝しています。
  その後6月に短期合宿、7月に1Day合宿に参加させていただきました。8月には静岡で集中内観をし、祖母に対する自分をさらに深く観ることができました。それ以来、祖母のことを思うと、涙の出ない時はありません。
  9月には悪天候のため持病が悪化、気持ちも後ろ向きでした。こんな時こそ瞑想だと分かっていても心は落ち着かず、5分もできない日もありました。そんななか、10月に2回目の1Day合宿に参加させていただきました。10日間合宿以来、こんなに憂鬱な気分で合宿に臨むのは初めてでした。何とか一日乗り切りましたが、特に成果を感じることなく歯がゆい思いで終了しました。しかし、帰宅後、いろいろと変化が起きたのです。
  まず、日常の動作にすんなりとサティが入るようになりました。いつも頭の中でおしゃべりをしていて、そこに居なかった私が<今、ここ>に存在している実感が得られるようになりました。これは私にとって大きな変化であり、かなり楽になったと感じます。また、子供の言動にイライラするような時でも、サティを入れることで乗り切れるような場面も出てきました。
  気持ちの上でも変化が起きてきています。瞑想に出会うきっかけとなった苦を受ける寸前の私と長男は、目標を持っていきいきと毎日を過ごしていました。その状態が忘れられず、ものすごく執着していることに気づいたのです。失ったものを嘆き悲しみ、そのことが次の悪いカルマを作っていると知っても、いつまでも手放すことができませんでした。ここにきてようやく、過ぎたことは仕方のないことだと、受け入れられるようになりつつあります。
  今、その時点から瞑想に出会うまでと同じ時間が経ちました。はじめに望んだように、そこを起点として私の心は大きく変遷を遂げています。息子も私との会話で笑顔を見せるまでになりましたが、ここまで困難な場面も幾度となくありました。しかし人は事実を事実として認識すれば、自然に頭を垂れ、感謝できることを内観で知りました。瞑想の修行と反応系の修行は、わたしにとっては車の両輪のようにそのどちらも必要なものです。いつの日か息子のおかげで私の人生が深い学びのあるものになったと感謝する日が来る。そう信じてこれからもこの道を歩んで行きます。そしてその先に何が見えるのか、楽しみに待つ自分がいます。


    『見えてきた、自らの課題』 Y.J.

   2年前、上座部仏教と出会い、興味本位で瞑想の実践を始めました。特に悩んでいることは、ありませんでした。
  仏教に全く理解を示さない家族、特に母親には閉口することがしばしばありましたが、悩みという程のことではありませんでした。職場でも悩みはありませんでした。
  それは、私が日々、自己中心的に言いたい放題、やりたい放題であったためです。ストレスフリーです。
  自分で言うのもおこがましいのですが、悪意ある言動では無かったため、周囲からは「変わったやつだけれど、ネタを提供してくれるし、害はない。まあいいか」というように受け止められていたように思います。
  私自身「特に趣味が合う者同士でもなし。適当にコミュニケーションをとって、仲が良いような感じであればいいや」と、この状況を楽しんでいました。今思えば、仏道を知らない他人を見下していたのです。
  その結果は、職場の同僚とのトラブルという形でやってきました。私の相手のことを考えない発言が、鬱気味の同僚Aの心をえぐったのです。
  そのAへの同情。日々、傍若無人に振る舞い、飄々としている私への鬱憤が一気に噴き出しました。
  大人の集団です。表立って何かあるわけではありません。ただ、私への無言の非難や悪意、疎外されているという感覚はありました。
  見下している相手からどう思われようが、何も感じないものなのでしょうか。私は、特に困ることもなく「勝手に嫌ってくる。私にも問題はあったけれど、相手の思考に問題があるのだから、どうでもいいか」と日々過ごしていました。
  「自分は泥の中にいる。愚人の中にいる。その中で咲く蓮だ・・・」
  この頃の私は、恥ずかしながら、そのように思っていました。
  法の力か、瞑想の結果か。多少の苦しみが降りかかってきても、心は落ち着く。しかし、反応パターンに大きな問題が残っているため、いつまで経っても多少の苦しみが降りかかってくるという状況が改善されない。そんな状態だったように思います。
  どうも瞑想が進まない感じがする。何かテクニックとして間違っていることがあるのではないか。そう感じて、グリーンヒル瞑想研究所の門を叩きました。そこで、「戒→定→慧」の順に修行を進めること、心の清浄道を歩んでいくことの重要性を痛感しました。
  同僚Aとのいざこざから、8か月程たった時です。何か縁があったのでしょうか。同僚Aとチームを組んで、仕事をすることになりました。
  後から聞いた話では、上司の決定にAは困惑し、上司に苦情を述べたそうです。私自身は、多少心に引っかかりを感じましたが、問題とは認識しませんでした。ただ、せっかく一緒に仕事をするので、同僚Aの名前を入れて毎日、慈悲の瞑想をすることにしました。また、幾度か、真剣に懺悔の瞑想を行いました。
  Aは、私のことを嫌悪しています。しかし、私はAを嫌うどころか、真剣に慈悲の波動を送り続けています。Aは、何かおかしいと感じていたことでしょう。
  Aとの関係が改善されたきっかけは、覚えていません。まさに氷が少しずつ溶けるように、わだかまりが無くなっていました。それはAへ慈悲の瞑想を始めてから、8か月程たった時のように思います。その後の結果は、劇的なものでした。
  Aとの関係が改善されたどころか、職場で一番親しい間柄になりました。マインドフルネスの話をすることもありました。「職場の人間とは趣味が合わないから、どうでもいい」と感じて、適当に過ごしていた日々は終わりました。トレンドとしてのレベルではありますが、瞑想の話をできる相手ができたのです。

  ①何も考えない自分本位の言動。
  ②他人を見下していること。
  同僚Aとの関係の改善から、自分の課題が浮き上がってきました。
  同時に、なぜ、大きな恩を受けてきた母親に閉口するのかが見えてきました。まさに自分の課題を、鏡のようにきれいに映し出していたのです。
  今、私は自分の課題に向き合っている真っただ中にいます。
  みなさんの瞑想修行が進みますように。
  生きとし生けるものが幸せでありますように。  
 



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