月刊サティ!
2015年1月号~2015年6月号
『ダンマの鏡に自分を
映しながら』 Y.K.
子供の頃、兄弟に大きな病気があった影響で、自分は親に心配をかけないように、いつも良い子でいました。幸い勉強しなくても成績は良かったので、学校でも優等生でいることができました。
高校卒業後は、周囲の期待に応えて難関大学に入学しました。すると、周囲の人達は、自分より優秀な人達ばかりでした。それまでたいした努力をしたことのなかった私は、だんだん周囲についていけなくなり、授業に出られなくなってしまいました。人生で初めての大きな挫折でした。
大学は中退し、その後少しずつ社会復帰しました。就職して簡単な仕事から始めて、だんだん専門的な仕事ができるようになりました。また、様々な資格試験を受けて、自分のレベルを上げようと努力していました。しかし、一緒に仕事をしている周りの人はミスをすることが多く、私が間違いを発見して修正してもらうことの繰り返しでした。自分がレベルアップすればするほど周囲の人が自分より下に見え、「その人達のせいで自分の仕事が進まない」と、いつもイライラしていました。
そんなイライラが最高潮に達していたある日、本屋で偶然原始仏教の本を見つけました。「生きることは苦である」という内容に衝撃を受け、すぐに買って何度も読みました。その後朝日カルチャーの地橋先生の講座に通い始め、法話を聞き瞑想をしていくうちに、いろいろなことが分かってきました。
まず、自分の高慢さに気が付きました。思い起こせば、優等生だった頃からだんだん高慢になり始めていました。周りの人を見下していて、人を傷つけるような発言もしていました。さらに、挫折で自信を失くした後は、自分は人よりも上だと思うことで安心を得ようとしていました。不安になればなるほど高慢の度合いが増していたのです。
また、今までたくさんの人に迷惑をかけ、傷つけてきたことにも気が付きました。人を傷つける発言、自分勝手な行動・・・などなど、思い出せるものだけでもたくさんあります。これらの出来事がネガティブな記憶として残っていて、後悔や不安となって自分を苦しめているようでした。
このような思いはもうしたくない、自分が幸せになって周囲の人を幸せにしたい、と思い、五戒を守り慈悲の瞑想をしようと決心しました。
その後、五戒を守る努力を続けています。家の中で虫を見つけた時には、捕獲して外に逃がしています。また、職場の懇親会などでは、いつもお茶を飲むようにして、ここ2年ほどは全くお酒を飲んでいません。お酒を飲まなくても楽しく参加できています。
慈悲の瞑想は毎日するようになりました。電車に乗ったら必ず1セットすると決めました。今では、電車が発車するのと同時に頭の中で自動的に文言が流れ始めるようになりました。余裕がある時には乗り合わせた乗客一人ひとりの幸せを願います。道ですれ違う人一人一人に対して慈悲の瞑想をすることもあります。本当に心をこめてできた時には、心がとても温かくなっているように感じます。
このように毎日少しずつではありますが継続していると、いつの間にか自分が大きく変わっていました。
まず、困った人に対してイライラすることはなくなりました。その人の来し方に思いが至るようになり、自分と同じくその方も苦しんでいるのだと思えるようになりました。むしろ問題のある人こそ、自分の人格向上のために現れた師匠であると考え、存在を歓迎することができるようになりました。
それから、人を思いやった反応が自然とできるようになったことからか、対人関係に自信がつきました。苦手だった人とも普通に話すことができるようになり、初めて会う人とも自然と会話ができるようになっていました。
このような感じで、原始仏教に出会ってから三年が経とうとしています。今では、心はだいたい穏やかで、しみじみと幸せを感じることも多くなってきました。とはいえ、まだまだ修行の途中です。これからも毎日少しずつ続けていきたいと思っています。
『呪縛から解放された
瞑想』 (1) 匿名希望
仕事や人間関係がどうにもうまくいかなくなって仕事を辞め、無職だったころに美容院で読んだ雑誌に『ブッタの瞑想法』が紹介されているのを見つけたのが、ヴィパッサナー瞑想との出会いでした。
他人が怖く、何もする気になれない毎日でした。家事と通っていた英会話教室の宿題は効率が悪いながらなんとか続けていました。外出の前に戸締りと火の元の点検を始めると何度やっても安心できず、家を出るまでに数十分要することも珍しくありませんでした。
家があり、家族がいて、毎日食事を摂れることのありがたさを頭では理解していましたが、心でそれを感じることができませんでした。生きていることをやめたいというのが本音でしたが、自ら命を絶てばこんな自分と付き合ってくれている家族、親戚、友人たちを苦しみに陥れることになってしまうと思い、できませんでした。自然に死ぬ日をこのまま何年も待つのかなと思っていました。
図書館で地橋先生の本を探したところ、『瞑想クイックマニュアル』が見つかりました。読んで心に光が差し込んだ気がしました。それまでにも心に響く本に何冊か出会いましたが、本に書いてある素晴らしいことに少しでも近づくために自分がどんなことをすればよいのかわかりませんでした。でも『瞑想クイックマニュアル』にはそれが具体的に書いてありました。購入して何度も繰り返し読みました。
地橋先生の本を読み始める前から、自分の心と今自分が実際に向き合っているものがズレていることに気付いていました。例えばキッチンでサツマイモを切っていても、頭の中では過去に起きたつらい出来事がエンドレスで回り続けるというような具合です。頭と行動がシンクロしていないところが問題だと思っていました。でも、自分一人でそれを直す方法を見つけることができませんでした。
5か月後に朝日カルチャーの講座に通い始めました。先生のお話はどれも心にしみました。でも歩く瞑想も坐る瞑想も、自分一人で毎日実践するに至りませんでした。「ゆっくり歩いたりお腹の感覚に集中することで何が変わるんだろう」と思うこともありました。
数か月経ったころ、朝カルのレポートの時に先生から内観に行くことを勧められました。そのあとの食事会で先輩たちが詳しく内観についてお話してくださり、資料を送って下さいました。毎日がつらくて藁にもすがる思いでしたので、すぐに佐賀の池上先生に電話して内観の予約を取りました。内観では私のために両親や祖母がしてくれたこと、それに対し自分はどれだけ恩知らずでいたかに気付くのと同時に、他の家族の内観をしているときにいつも母の影が私の前に立ちふさがるような感じを受けました。
父は3年8か月前に他界しましたが、おそらく軽度の発達障害であったと思います。私がそれに気付いたのは父が亡くなる1年くらい前でした。父は他意なくいわゆる「常識」とは異なる行動や言動をとることが多い人でした。姉と私にへんてこりんなあだ名をつけ、歌までつくって毎朝毎晩歌いました。
私たち姉妹は泣きながらやめてほしいと父に頼みましたが、耳を傾けるどころか、ますます大きな声でその変な歌を歌うありさまでした。その反面、東大卒のエリートで、仕事もよくできたと聞きます。父は好ましくない有名人や知人のことをよく批判していました。逆に自分から見て立派な人は褒めちぎりました。
こんな父との関係では、母にすがるしかありませんでした。結婚するまでは母は私を守ってくれる唯一の親だと思っていました。結婚後、主人の実家と付き合ううちに、母が時に都合よく私を支配していることに気が付きました。思い返してみれば子供の時は激しく叱責されたり、叩かれたり、家から閉め出されることがよくありました。
母のシナリオ通りに行動しないで失敗すると、母は「だから言ったでしょう。ママの言うとおりにしないからこうなるのよ」と言いました。社会人になってからも洋服の趣味や休日の過ごし方まで口をはさんできました。自分はまるで母が造った池で飼われている魚みたいだと思いました。池を飛び出して川から海に泳いで行きたいと心から願いました。
でも、どうやって池を出たらよいかわかりませんでした。池を出た後、どんなふうに泳いだらよいのかもわかりませんでした。池を飛び出した後、うまく川に入れなくて息も絶え絶えになったら、また母に池に連れ戻され、それみたことかとあざ笑われてしまうだろう。そんなことを恐れていました。
とりあえず経済的に自立することを目指しました。結婚と同時に専業主婦になって仕事からしばらく離れていたので、簡単なアルバイトをしながら資格試験の勉強に励みました。資格を取ると仕事を変え、収入も少しずつ上がっていきました。心の中は不安だらけでしたが、弱い部分を見せると仕事の面接を突破できないので、空元気を振り回しました。自信のないことを正直に言うと門前払いをくらうので、さも自信があるように振る舞いました。社会人として前進しかつ階段を1段ずつ上っているつもりでしたが、傲慢さの階段もどんどん上っていました。
正社員として勤務していた会社が破綻し、再就職した会社でひどいパワハラを受けて仕事を辞めました。前の会社が破綻する前から、私の心の崩壊は始まっていたと思います。何を見ても聞いても心にしみこまないし、そこからは何も湧いてこないようになりました。でも、社員だから、責任があるから、給料をもらっているから、弱音は吐けない。義務感だけで仕事を続けていました。仕事をしていればもちろんたくさんの困りごとに出会いますが、どう対処してよいかわからないことは心を凍らせて、一番効率の良い方法を選択しました。その結果、人の心をたくさん踏みにじりましたが、その当時それは「仕方のないこと」でした。(つづく)
『呪縛から解放された
瞑想』 (2) 匿名希望
再就職した会社でパワハラを受けて仕事を辞めたのは当然の結果です。過去にそれだけひどいことを私も他の人にしたのですから。
内観に行き、朝日カルチャーセンターの地橋先生の講座に通い、妄想だらけの瞑想をさぼりながらも続けるうちに少しずつ心が落ち着くようになりました。先生のダンマトークの心に響いた部分をメモして、気持ちが荒れたときやふさいだときに読み返しました。
慈悲の瞑想はなかなか始められませんでした。「私のような残酷な人間がこんな言葉を唱えても嘘でしかない。偽善でしかない」と思ったのです。でも、実際に始めて続けるうちに、残酷な人間だからこそ慈悲の瞑想が必要だということがわかりました。
そうやって何とか心を落ち着ける方法を身に着けつつありましたが、もっと困ったことがありました。反射のパターンが傲慢すぎて、先生から教わったことを実行しようとしても、私の実際の言動のトーンとかみ合わないのです。子供のころから見栄っ張りで、実際の自分よりも大きく見せようとする癖がありました。仕事をしているころは周りからダメなやつと思われたくなくて自信のあるふりをし続けました。
自分は特別な人間という根拠のない万能感も心の片隅に併せ持っていました。だから「高慢」とラベリングしても効果はなくて、「傲慢」とラベリングするとようやく妄想が止まるくらい本当に「傲慢」でした。だから、朝カルの後の食事会も行けませんでした。正直で優しい人たちの輪に加わるには自分は傲慢すぎると思ったからです。
それゆえ、先生がダンマトークでお話しされていた通り、1つずつ反射のパターンの修正作業をすることにしました。気の遠くなるような作業でしたが、それしか方法が見つかりませんでした。周りの人たちとのコミュニケーションでこれはよろしくないということが起きたときは、その都度瞑想会で教わったことや先生の本の内容に照らして、何が原因でそうなったのかを考えました。わからない時は朝カルのレポートの時間に先生に質問しました。
五戒もちゃんと守るように努めました。お酒は外で人と会った時しか飲まないし、泥酔することもありませんでしたので、この程度なら大丈夫だろうと思いやめていませんでした。でも1年前にひどい頭痛に悩まされたのを機に本当にやめました。五戒を守ろうと意識し始めてから、修行にもちょっとはずみがついたような気がします。
法友の方々からも大切なことをたくさん学びました。みなさんは良かったことだけでなく、自分の弱い面、よくない部分を正直に話して下さいます。
ある方はご自分の嫉妬心について詳細に語ってくださいました。おかげで私も自分の嫉妬心に気が付きました。私は傲慢なので、「嫉妬なんか自分に関係ない」と思い込んでいたのです。しかし、いったん自分の中に嫉妬心を見つけると、そこにもここにも嫉妬があり、私の心には青かびだらけの餅みたいに嫉妬が根を張っていることに気が付きました。傲慢さだけでは割り切ることができなかった私の汚い心の根源は嫉妬であったのです。いろんな人に嫉妬しまくっていました。自分をよく観察して、嫉妬を見つけた瞬間「嫉妬」とラベリングすると、今まで苦手だった人ともすんなり話せるようになっているから不思議です。
朝カルのレポートでは、私が疑問に思いながらもどんなふうに先生に質問してよいかわからずにいたことを、他の方々が的確な言葉で質問されることがあり、それにより先生のアドバイスを聞くことができて何度も助けられています。また、長い間、足踏み状態の修行が続きましたが、朝カルではいつも励まし合える方もいて、気持ちが不安定な時でもその人の姿を見るだけでほっとすることができました。
初めのころは人が怖かったので、合宿に参加なんて無理と思っていました(内観は面接の先生と1日に数回お会いするだけであとは1人きりで行うので抵抗がありませんでした)。内観の後、1DAY合宿なら大丈夫かなと思い参加しました。翌年も1回だけ1DAYに参加しました。朝カルで法友の方々と徐々にお話するようになり、その方々のおかげで3年目には短期合宿に参加することができました。
自分の嫉妬心に気付きサティを入れられるようになると、何をするにしても怒られないようにいつも逃げ惑っている自分に気が付きました。
母はしつけに厳しい人でした。代々地主の古い家に育ったため、人から後ろ指を指されないようにすることが母にとっては大事なことだったようです。きっと母もかつて私と同じ恐怖におびえていたのではないかと思います。でも自分が親になったとき、それしかお手本がなかったので祖母と同じように私たち姉妹に口やかましく何事も注意するようになったのでしょう。
また、父が自分の好ましくないことをする人を痛烈に批判するのも恐ろしかったのです。反応系の修行をするようになってから、自分の心が「こわいよー」と叫び続けていることに気が付いていました。でも、何を恐れているのかわかりませんでした。嫉妬心のふたが開いてようやく、両親に嫌われないように怒られないように、消去法で行動を選択している自分に気が付きました。
両親に「してはいけない」と言われたことは、しないように努力し続けていました。「そういうことする人間は他人から相手にされない」と言われたので、恐怖もありました。でもその「してはいけないこと」をしている人は結構いて、嫌われるどころか周りの人たちから温かく受け入れられているところを何度も見てきました。その都度その人や周りの人に対して激しい憎悪と嫉妬を覚えていたのです。
「私はいろんなことを我慢して両親に言われた通りいい子にしているのに、誰も褒めてくれない。それなのにしてはいけないことをしている人が私よりも周りに受け入れられている。なぜ?どうして?ずるいよ」
怒られないために選択した行動は、自分の心に根差したものではなく、行動と心のギャップが自分を疲れされていたことにも気が付きました。
私にとって母は神様のような存在だったと思います。でも母は人間です。優しさの裏にしっかりエゴも隠し持っています。私も善行をするときしっかりその裏にエゴを潜ませていました。だから慈悲の瞑想に異常なほど抵抗感を持ったのだと思います。母も私も自分のエゴを正当化することをやめられないのだと思いました。
3年間朝カルの講座に通いながら修行を続け、長い間わからなかったことがわかりました。今は前より落ち着いて修行ができそうな気がしています。頭の中の過去の記憶の再生にとらわれ続けるのではなく、目の前の出来事をLiveで感知できるよう、毎日歩く瞑想、坐る瞑想、慈悲の瞑想を続けていきたいです。
『一年目の総括』
yama
両親が熱心なキリスト教徒であった為、私は幼い頃から教会へ通った。洗礼も受けたが信仰に馴染めず、二十歳の頃教会を離れた。後年、癌で亡くなった母の最期は、痛みと妄想と恐怖が溢れ、本人も家族も辛いものであった。「安らかに天国へ旅立った」とは言い難く、私の中で信仰に対する疑念が深まった。
私には、「きちんとしていたい」「正しく在りたい」と云う思いが心の何処かにあり、ある程度そのような生き方が出来ていると思っていた。しかし、別れた妻だけでなく、深く付き合うようになった人からも、「何を考えているのか分からない!」と言われ、場当たり的で表面だけを取り繕っていることを自覚するようになった。
変えたいと思いながらも、どうすれば良いか分からず、只々時間だけが過ぎていた。宗教を否定しつつも、宗教に期待するところもあり、模索する中でダライ・ラマの著書に出会った。そこには「宗教に依らなくても心の訓練によって精神を高め倫理的な生き方が可能だ」と説かれ、私は『心の訓練』と言う言葉に惹かれた。
そんな時に、会社から転勤を命じられ、事故と失敗続きの事業所の所長になった。大変重い気持ちで転勤したが、着任早々に部下が大きな失敗を引き起こし、気持ちは落ち込む一方だった。
今何かを始めなくてはいけないと思い、瞑想に関する本を読み、独りで試した。しかし全く思うように行かず、朝日カルチャーの地橋先生の講座に申し込む決意をした。一年間はこれをやろうと決めて、上手く出来ても出来なくても、毎日1回は瞑想するようにした。しかし、中心対象が分からなくなると鼻腔を中心対象にしたり、朝に瞑想した日は夜に酒を呑んでも良いとしたり、蚊を叩くのは仕方ないとしたり、自分で勝手にアレンジしていた。
講座も2シーズン目に入り、戒を守り、悪を避けて善をなすことで条件を整えて瞑想するという理屈が分かり、一切の飲酒を止めて合宿に参加した。また仕事では、直ぐに声を荒げることで有名な客先の担当者に、慈悲の瞑想をした。以来、私はその人から理不尽な物言いをされることはなくなった(勿論、業務上の努力は続けている)。これによって、出社する時の漠然とした不安感が消えた。今考えると、自分の利益の為にやっていたことで、本当の慈悲心でしていたことでは無いが、十分な効果はあった。
毎日淡々と瞑想を続けているが、目に見える素晴らしい変化は感じていない。かえって日常生活の中でイラッとすることが増えた。前を歩く人のタバコの煙、携帯をいじりながら歩いてぶつかってくる人、通勤途中のイライラが増えたと思ったのだが、実は以前からイライラしていたのに気付いていなかったのだ。自分は穏やかな人間だと思っていたが、瞑想を始めて、自分は怒りの多い人間だということがやっと分かってきた。
修行を進めるためには徳を積まなくてはいけないと知り善行を始めたが、善行をしながら怒りが湧いてくることに気付いた。ゴミを拾いながら捨てた人への怒り、虐げられている人々への寄付をしながら虐げている側への怒り。業・因果を教えられて、怒りが如何に恐ろしい結果を生み出すものか少し理解でき、取り返しのつかないことを為し続けていたと気付いた。
瞑想を始めて一年経ったが、やっと自分の本当の状態に気づいたところだ。お試しのつもりで始めた瞑想を、私は生涯続けるつもりになっている。今は、仏教に依って修行することを、不完全ながらも受け入れることができた。どこまで行けるかは分からないが、1mmでも心を成長させることができれば良いだろうと思うことにした。
徳の無さを痛感する毎日だが、地橋先生の『今日の一言』から「自分のしてきたこと、してこなかったことを正しく心に留めているならば、いかなることが起きようとも、我が身にふさわしいことばかりだ・・・」この言葉をモットーに修行をさせて頂いている。
『瞑想、生涯の修行』 F.T.
なぜか、子どものころから生きること死ぬことについて考えることが多く、非物質的な意味で、より高いものを志向する気持ちを強く持っていました。しかし、誕生日を迎えるたびに、ただ年を重ねている自分に焦りを感じ、目指すものからほど遠い現実にある自分を受け入れることができず、心身症に長年苦しんでいました。
大学生のとき、集中内観を経験させていただき、多くの人々に助けられ、あらゆるものに生かされていることに気づかされ、この人生でできるかぎりの高みに到達したいという思いを確認し、人と真実のために人生を使うことを決意しました。医療を職業とし、過疎地や大学での仕事を経て、途上国で約8年間の国際協力の仕事に従事していました。しかし、それらも、自分のエゴをカムフラージュしているだけではないかと、漠然とした不安が強くなっていました。そのような自分に“瞑想”が必要であることは気がついていました。本をたよりに瞑想を独学で試行錯誤していましたが、行き詰まり、信頼できる師に指導していただく必要があると感じていたときに、インターネットでヴィパッサナー瞑想を知りました。
途上国での仕事が終了し日本に帰国すると、地橋先生の『ブッダの瞑想法』を購入し、東京に滞在していた数カ月間の期間に朝日カルチャーセンターの「ブッダの瞑想法とその理論」の講座を受講させていただきました。
2年後、10日間合宿瞑想会で修行させていただきました。その翌年、地橋先生からご紹介いただいた先生のもとで再び集中内観をさせていただきました。
東日本大震災の日から東北地方のある過疎地の医療機関で働いています。関東で開催される瞑想会への参加は難しくなりましたが、ヴィパッサナー瞑想と内観を集中して経験できたことで、自信と安心を持って日常生活の中で修行を継続する手かがりを得られたと思います。現在の私の修行の日課は、朝徒歩出勤の約10分で慈悲の瞑想、日中患者様への慈悲のミニ瞑想、同僚の言葉や行為に対する自分の心の反応にサティ、帰宅時に徒歩帰宅の約10分で日常内観、帰宅後は洗い物・翌日の朝食準備・入浴等の動作にラベリングをして感覚へのセンセーションを取りもどしてから、10分間の歩く瞑想・10分間の座る瞑想。
仕事が終わった直後は、心が乱れていてすぐに歩く瞑想や坐る瞑想をしようとしても難しいので、なるべくこのパターンを守って瞑想を実践しています。仕事がら、どうしても時間が不規則になったり、予期せず長時間勤務になったりすることが少なくないのですが、とにかく継続することを心がけています。思うように瞑想できないときは、『CD・ BOOK瞬間のことば』にある「たとえ実感の伴わない、言葉だけのラベリングでもかまいません。必ず完全なサティに近づいていきます。何もしなければ、心は1ミリも成長しません」を思い出すようにしています。車を運転する機会は少ないですが、自分の車に『CD・ BOOK瞬間のことば』のCDをいつもセットしており、運転中の短い時間も心を整える機会にしています。
こつこつと修行を重ねてきました。まだサマーディの経験はありませんが、ヴィパッサナー瞑想の効果を感じています。具体的には、不安や焦りのコントロールが以前よりできるようになった。怒りが生じそうになる状態にサティをいれて心を落ち着かせることができることもある。等身大の自分を素直に受け入れることができるようになりつつある。周囲の幸せのために自分がお役にたてていると素直に思えるようになった、などです。さらに、内観の経験は慈悲の瞑想を深く豊かにしてくれたと感じています。
しかし、まだまだ智恵と経験の豊かな優れた先人からの指導が必要なレベルです。サマ―ディの習得、深い自己理解の実現、自分と生きとし生けるものの安らぎや幸せのために、今後も謙虚に生涯をとおして瞑想修行と研鑚を重ねたいと考えています。