月刊サティ!
2014年7月号~2014年12月号
『下座行との出会い』
匿名希望
私は、33歳の時に胃癌になり、そのまま入院・手術・半年以上の自宅療養をすることになりました。それまでの私は、いわゆる一流大学を出て、それなりの就職や出世もしたところでした。しかし、人付き合いがうまくいかず、優れた人に対してはびくびくと恐れをなし、劣った人には腹を立て見下していました。そして、「ごまかしごまかしやってきてはいるが、いつまでも続くものではない」との漠然とした虚無感を人生全般に抱いていました。
そんな折にヴィパッサナー瞑想を知る機会があり、朝日カルチャーの講座等に参加しました。仕事がずいぶんはかどる等、一応の瞑想成果を実感したところでしたが、そこで油断をして瞑想から離れてしまいました。
そんな経緯を経ながらも、瞑想に再度取り組んでみようという思いがわき、10日間合宿に参加する機会を得ました。合宿ではそれなりの収穫はありましたが、しかしその後の1年半ほどは、「なぜ瞑想をしているのに、事態は好転しないのか?」とあせる日々が続きました。たとえば、上司や先輩のいい加減な仕事ぶりなど、他人の欠点ばかりが目についてなりません。上司らの欠点を緻密に分析し、「お前はこの辺が間違っているのだからこのように修正せよ」というふうに、自分なりに合理的なアプローチをしたつもりでも、かえって反発や怒りを招き、理解を得られませんでした。そもそも自分でも、「自分の発言自体は正しいはずだが、結局相手を変えることはできないだろう」との感はあったのですが、具体的にどう改めれば良いかはわかりませんでした。
そんな折に、2度目の10日間合宿に参加でき、地橋先生から「あなたは他人を見下す慢が強いから、他人の嫌う仕事を率先して行う、下座行をしてみては?」とのアドバイスをいただきました。
「自分の受けるすべての苦受は、自分の不善行から発したものと心得て、自分にとってふさわしい結果と受け止める。そして不善行を繰り返さぬように心に刻むのだ」と自分なりに理解しました。でも内心では「心に刻めるのか?俺の心に刻んでどうなるのだ?問題は上司だろう?」と思ってはいたのですが・・・。しかし、これまでの自分のやり方がことごとく失敗していたので、半ばお手上げという心境で、以下のようなことを実践してみました。
・近所の公園や自宅周辺を掃除する。
・バスの中では常に立つ(あらかじめ席をお譲りする)。
・(行列に割り込まれたときに)「他人をだまし、押しのけてきた自分にはふさわしい結果だ、しかるべきことと受け止めます」と念ずる。
すると、だんだんと自分の物事の感じ方が変化してきました。たとえば、路上で人にぶつかって「すみません」と言われた時に、「この人は謝罪することによって、私が怒りを発するのを防いでくれた。世の中にはこんなすごいことを易々とやってのける人がいるのか」という気分が自然と湧いてきたのです。
また、バスを降車して料金を払う時に、「このバス代は、私が社会の一員としてこのバスのなかに存在する事を許された、社会参加のための料金として、ありがたく支払います」と思えました。元来私はかなりのケチなのですが、何かにお金を支払うことが私の所属する社会や人々に対する当然の義務であると感じられ、苦ではなくなりました。
思うに、下座行で一応の成果を得ることができたのは、これまでの自分のやり方ではどうにもならないという行き詰まりの中で、さらに下座行という理解不能の課題を与えられ、「もはやただやるしかないのだ」という神妙な気持ちになれたからではないかと感じます。そして、この神妙な気持ちがある限り、瞑想が停滞することはないのではないか?とも感じており、このことを今後の人生の中で検証したいところです。
この神妙な気持ちを常に保持するためには、戒を念入りに守ること(特に不妄語戒)、また、サティの瞑想においては、決められた方法を厳密に守り、自己流に陥らないことが必須であると、やっと理解できました。これらは非常に困難な課題ですが、困難であり、心の抵抗感を発生させるからこそ奥が深く、修行のターゲットとして汎用性があるものだと思います。
遅まきながら、今やっと瞑想が少しおもしろくなってきたところです。今後細々とでも、方向性を誤らず進んでいきたいと願っています。
『無明長夜に差す光明』
匿名希望
「触れた→ (目を)開いた→新聞→女性→縮み→膨らみ→・・・」
先日の通勤電車でのできごとです。いつものように『慈悲の瞑想』の後、『坐る瞑想』を実践していた私の額に女性の乗客が広げた新聞が当たったのです。以前でしたら電光石火の速さで怒りが全身を駆け廻ったものですが、この時は怒りを感じることなく瞑想を継続することができました。
私は10数年間、早朝覚醒、途中覚醒の睡眠障害、深い落ち込み、漠然とした不安に苦しんできました。特に睡眠障害には数種類の睡眠薬も卓効がなく途方に暮れていたのです。家族、健康、仕事に特段の問題を感じていなかった私にはこの苦しみの原因が特定できず、「自分は繊細な感受性をもった人間だから普通の人よりも強いストレスを感じるのだろう」と考えていました。
仕事の多忙とともに苦しみが募った昨年の夏、偶然、『ヴィパッサナー瞑想』を知りました。苦しみから脱け出すのに有効かもしれないと期待し、朝日カルチャーセンターの地橋先生の講座を藁にもすがる思いで受講することにしました。受講回数を重ねるうちに瞑想に専念できる環境で瞑想したくなり『東京瞑想会』、各種の『合宿』にも参加するようになりました。
地橋先生の御指導に従い毎日30分程度瞑想を続けて3箇月ほどたった頃、私は自分が怒る予兆を感じられるようになり、他人に対して怒ることがほとんどなくなってきました。その後、不安、落ち込み等についても同様で、徐々にこれらの予兆を感じるとサティを入れられるようになりました。その結果、これらの感情にとらわれることが少なくなりました。
また、瞑想会や合宿、インタビューでの地橋先生のダンマトークは私の苦しみの原因を突き止める大きな手がかりを与えてくださいました。その一例が『我所(私のもの、俺のもの)』に関することです。
私が合宿で瞑想する場所を他の修行者の方に占められていて『怒り』を感じたことをインタビューで地橋先生に報告すると、「それこそ、まさに『我所』ですね」との御指摘を受け、目が覚める思いがしました。私は『我所』の気持ちが大変強い人間だったのです。
電車の中での乗客のささいな振る舞いに腹を立てたり、会議で自分の能力を参加者に認めさせられなかったと感じて落ち込んだり、仕事で多忙が予想されるからと不安になったり・・・これらの『苦しみ』は勝手に自分のものと思い込んだ『空間』や『地位』、『時間』などを他人に侵されたと感じる『妄想』から発生しているのだとわかってきました。「感受性が繊細だから」云々とは笑止千万、私の精神は『縄張り』に執着するサル山の雄ザル以下であることを自覚せざるを得ませんでした。
睡眠障害を解決する手掛かりも得ることができました。私は日常の生活で感じた多くの『怒り』『落ち込み』『不安』を、毎夜毎夜、何度も飽きることなく繰り返し反芻していたのでした。あたかも、魔女が夜通し『魔女鍋』を掻き回しているかのように・・・。このような精神状態では安眠できるはずがなく、長い眠れぬ夜を過ごしていたのです。睡眠状態を改善するためには日常の『怒り』『落ち込み』『不安』をサティにより根絶やしにすることが有効であると考えるに至りました。
『ヴィパッサナー瞑想』を続けてから一年余りが経過しました。宿痾と諦めていた睡眠障害はいつのまにか全快しました。また、日々、心穏やかに過ごせる時間が増えてきました。これらは『ヴィパッサナー瞑想』の実践の成果です。
『ヴィパッサナー瞑想』は無明ゆえに苦しむ私に現れた一筋の光です。私は幸運にもこの光の源への道の入り口に立っています。この道は長く険しいことは承知しています。いつになったら目標にたどり着けるかはわかりませんが、今生での道案内は地橋先生にお願いすることにします。その御指導を頼りに法友の皆様と道を進む所存です。
『気づきの瞑想で超えたいこと』 匿名希望
初めてヴィパッサナー瞑想に出会ったのは、今から7年程前になります。当時は、父が急逝して一人になった母のケアをしながら、起業した夫の仕事を手伝い、同時に義母との同居も始まって何年か経った頃で、気がつくと、私は自分の居場所が無くなったような感覚に襲われてパニックの発作を繰り返すようになっていました。
そんな時、書店でふと手に取ったのが初期仏教の瞑想の本です。「苦から救われる瞑想がある?」それから先はまるで導かれるように、朝日カルチャーの講座で地橋先生に出会い、受講することになりました。
瞑想をして心の奥底が浮き上がってくると、いつも人の目を気にして過剰に反応しながら自分自身を苦しめている私に気づくようになりました。初めての短期合宿で、先生から「お母さんや義母さんとの確執で苦しむのはすべて因果の法則によるものです。やはりその原因は自分にあるのです」との指導を受け、考えてみると、子供の頃、母はいつも私の耳元で「ほら人が見ているよ。ちゃんとしなきゃ笑われるよ!」と囁いていたことを思い出しました。大人になるにつれて、私はいつの間にかそんな母を疎ましく思い、嫌うようになっていたのです。
佐賀で1週間の内観を受けた際には、幼い頃の病気がちな私を心配そうに上から見ている父と母がありありと目に浮かび、私のための雛飾りや七五三の晴れ着姿などが次々と想い出されてきました。こうして内観を終えた時には、いつもどこか不安を感じていた自分の心が、幼い頃の根っ子のところで父母に繋がったという実感が湧き上がり、安心感と感謝で胸が一杯になっていました。
その後、ヴィパッサナー瞑想を日常的に続けていると、パニックの発作もほとんど起きなくなっていきました。また苦手な人に会う前に心を込めて慈悲の瞑想をすることで、緊張せずに自然体で接することができ、場の空気も和むというのを何度も経験したのは驚きでした。
けれども、母のケアで講座に通えなくなると、徐々に瞑想からも遠ざかってしまい、日々の生活の中でまた怒りや不安で心が汚れていくのを体験しました。このようなことはもう繰り返したくない、必ず心を綺麗にして安心したい。その思いをしっかり持って再び瞑想を始め、幸運にも1Day合宿に参加することができました。
現在、週末には母の所に通い、母の若い頃や、私の幼い頃の思い出話をして過ごします。また、夕食を一緒に取りながら、義母の話に耳を傾けます。こんな風に穏やかな気持ちで母に接する日がくるなんて・・・。気づきの瞑想に出会い、地橋先生に教えていただいたお蔭と、心から感謝しています。
二人の母も高齢になり、あとどれだけ一緒に過ごせるだろう。しっかり心を通い合わせて、ありがとうと伝えたいと考えています。まだまだ迷いが多く、不安定で自信の持てない私ですが、因果の法則をよく理解し、瞑想をして丁寧に毎日を過ごしていきたいと思っています。
-皆様が幸せでありますように-
『私のヴィパッサナー瞑想』 匿名希望
「瞑想」と言えば「坐禅」という概念しかなかった私が「ヴィパッサナー瞑想」という言葉を知ったのは今から8年前のことです。
あの頃は日常的に夫婦喧嘩をよくしておりギクシャクとした重苦しい空気が家中に充満して家族は窒息状態だったと思います。それなのに私は子供達がどんな気持ちでいるのか気遣い、思いやる優しさもなく、主人に対しては歩み寄り仲直りしようともせず「私は悪くないのだから、怒っていたいのならいつまでもどうぞ」と、可愛げのないふてくされた態度をとっていました。そんな時、日帰りの一人旅に出かけ地橋先生の本に出会ったのです。
電車の乗り換えの時、駅構内にある書店の店頭に何冊も積み重なっていた『ブッダの瞑想法』という本が目に飛び込んできたのです。
私は以前から「ブッダ」には大変興味があったのですぐに手に取りました。今までに聞いたことのない「ヴィパッサナー瞑想」という言葉に好奇心が湧き、また「頭が良くなる云々」というフレーズにひかれ、本の内容もみないまま購入しました。電車の中で早速読み始めましたが、だんだん専門的になり難かしくなってきたので、途中で読む事を止めてしまいました。コツコツと粘り強く向き合うのが不得手な私は、その本に対して一気呵成に自分自身を変革させてくれるような摩訶不思議な、あるいは超越的な何かを期待していたのかも知れません。
凄い本なのにそのときから3年もの間一度も開くこともなく、また私達夫婦は相も変わらずケンカを繰り返しながら虚しい歳月を送っていました。
そしてついに決定的な事が起きました。主人の浮気が発覚したのです。主人にはすぐに自宅から出ていってもらい10カ月間の別居生活がスタートしたのです。私は早速パートの仕事に就き、精神安定の為にヨーガ教室に通い始めたのです。私はとても傷ついていたので、無意識のうちに心に蓋をしてしまっていたようです。「私は健康だから幸せな方」「私にはかわいい子供達がいるから幸せ」等々と、陽気に振る舞って折れそうな心を鼓舞して自己防衛をしていたと思います。でも心の中はいつも重く鬱々としておりました。
そんなある日、突然に思い出したのです。本棚の奥に追いやられていた「ブッダ」の本のことを。
一気に読み終え、東京瞑想会、朝日カルチャーセンターにやっと繋がり、縁ができました。
地橋先生の法話は感動的ですのですぐに引き込まれ、我を忘れて聞き入りました。気負っていた心は、回を重ねるうちに段々に解けていき、心が軽くなっていくのが分かりました。
瞑想会は私の一番の癒しの場になり心の拠り所になっていました。
今まさに私の身に起こっていることは、苦受・楽受を等価に見るということなのだと心から納得することが出来るようになりました。「塞翁が馬」、地橋先生からよく聞く言葉です。私がこの瞑想会に辿り着いたのは、耐え難い程の苦受があったから!別居生活がなければ絶対にこの場にはいなかった筈です。だから主人も感謝すべき人なのです。
両親には甘やかされてワガママ放題に育った私は自己中心的で未熟な人間でした。人の心に優しく寄り添うこともあまり出来てなかったと思います。子供達には毒親でいた時期もあったようです。
もしかしたら夫婦喧嘩の原因は私の方にあったのかも知れない・・・。唖然としました。
今、私は緩やかではありますが変わりつつあるのではないかと思っております。それは自分自身の欠点を自覚し直すよう努力し始めたからです。
三宝印の一つであります僧は、私にとりましては地橋先生であり、瞑想会であり、おばさんスタッフを含めた法友の方々です。
その僧のお蔭で「ヴィパッサナー瞑想」と「気づき」の大切さを実感することが出来ました。とても感謝しております。
『瞑想わらしべ長者』
T.O.
道端のゴミを拾うとか、人に親切にするといったいわゆる「善い行い」の集積のことを波羅蜜と呼び、それが瞑想の決め手となると知り、智慧と倫理は別物ではないかと思っていたので不思議な気がしました。グリーンヒルで瞑想を始めて3年ほどになりますが、今やそれらは渾然一体であると確信を持っています。
瞑想を始めて間もないある日、ゴミ置き場で犬の糞が異臭を放っていました。善行の例として「他の人の犬のうんちを拾う」とあったので「やってみようかな」という気になりました。紙の切れ端ですくって、捨てました。そのことを瞑想会で報告すると、「じきにわらしべ長者のようになりますよ」と言われました。
「金塊でも拾うのかな」とぼんやり思って家に帰ると、部屋がいつもより綺麗なのです。奇跡が起きたのでしょうか。違います。私が掃除したのでした。「ゴミ置き場の糞を拾うのに自分の部屋が無茶苦茶に散らかっているのは何か変だ」そう思って掃除したのです。
片付いた部屋は怠けるのに不向きで、瞑想には向いていました。弁当ガラ、雑誌、割り箸、ゲーム機、空き缶、ペットボトル等が散乱していたフローリングは歩く瞑想のスペースとなりました。瞑想する時間が増えるうちに、もっと詳しく知りたいと思うようになりました。
そんな折、10日間合宿に1名分空きがあるとアナウンスがあり、経験の浅い私にもできますか、と訊ねたところ、「まっ、大丈夫でしょう」と先生が仰られたので、半ば飛び入りのような形で間近に迫った合宿に参加させて頂けることになりました。
「決め手は波羅蜜・・・」という言葉をまた思い出し、合宿前に何か善行を、と思い、初めて献血に行きました。人の為に針を刺されて、痛い、恐い思いをする意味が分からないと思っていましたが、待合室で、偶然持っていた「感興のことば」のたまたま開いたページにこう書いてありました。
『執著する心がなくて施し与える人は、幾百の障害に打ち勝って、敵である物惜しみを圧倒して、勇士よりさらに勇士であると、われは語る』
帰りがけ、絶縁状態だった家族と連絡を取りたいと痛切に思いました。あらゆる人間関係に嫌気がさした私は、誰にも会いたくないと思い、数年の間、都会の片隅で痴呆のように暮らしていました。家族に会いたいと思わないこともありませんでしたが、いまさら会わせる顔が無いという思いから、一生このまま、だれにも知られず虫けらのように死ぬのだと自暴自棄になっておりました。
しかし今まで少しずつ積み重ねた瞑想の効果からか、自身が作り上げた最悪のシナリオは「妄想」に過ぎないのではないかと思えるようになっていました。よしんば父は事業に失敗し首を吊り、母は精神を病んで狂乱状態、姉の結婚は破談、全て私のせいだと恨みまくる妹、そのような事態になっていようとも、「自分の撒いた種だ」「ツケを支払う時が来た」と、事実を受け入れる勇気がまだ私にあったことも驚きでした。あるいは瞑想によって育まれたというべきなのかもしれません。
サティを入れながらダイヤルをしました。「 (ボタンを)押した、押した」「 (呼び出し音を )聴いた、聴いた」と、今まで怖気づいて出来なかったことがサティの技術で克服されていきました。姉の「もしもし」という声に最後のサティを入れた後は、駅前のパチンコ屋の前で土石流のように詫び言を述べる自身はさすがに客観視できませんでした。
私が描いた最悪のシナリオはまさに「妄想」であり、現実には、父の事業はすこぶる順調、三期連続黒字決済とニコニコしており、母とはしばしば旅行に出かけ夫婦円満、姉婿は私のことなど気にしておらず、妹はただ私のことを心配していました。
犬の糞を拾うことが数年来の懸案を晴らすにまで至りました。金塊は手に入りませんでしたが、抱きしめていた「妄想」という糞を捨てることが出来ました。ヴィパッサナー的わらしべ長者は執着を無くしていくという形で幸せを得て、その極まるところに「悟り」もあるのかな、と思いました。この道をどこまでも歩んで行きたいと、今、心から思っています。
『心の治療としてのヴィパッサナー瞑想』 岡野悠
私が瞑想を始めたのはうつ病で苦しんでいた時期でした。大学院でうつ病を発症してから瞑想を始めるまでの4年間に、5回病院を変えてさまざまな医師の診察と薬を試しました。しかし一時的に症状が落ち着くことはあっても完治には程遠く、当時は仕事や人間関係の些細な問題でもひどい抑鬱状態に陥りました。不眠・吐き気・食欲不振・腹痛から始まり、何も手につかなくなるほどの強烈な不安や、自分にできることは何もないのではないかという自信喪失にたびたび陥り、肉体的・精神的にひどい苦しみに苛まれる生活がもう何年も続いていました。
そうした病苦の最中、ふと本屋でヴィパッサナー瞑想について書かれた本に目を留め、事実をあるがままに見るという従来の信仰型の宗教とは異なる原始仏教の考え方に興味を持つようになりました。それから瞑想や原始仏教の本を読み漁り、それらを参考に一人で瞑想をやるようになりました。
初めて坐る瞑想をした時のことをよく覚えています。本に書いてある通りに「膨らみ」「縮み」とラベリングを入れようとしたのですが、妄想・雑念が次から次へと際限なく出てきてラベリングどころではありませんでした。自分がいかに無意識の間に膨大な量の妄想をしているのかに気づき、文字通り愕然としました。それからできる限り毎日、起床後、通勤時間の電車の中、入浴中、就寝前など細かい隙間時間を見つけてはヴィパッサナー瞑想と慈悲の瞑想をするようになりました。
そうした自分を客観的に見つめるというヴィパッサナー瞑想を一年くらい続けていくうちに、瞑想中以外の普段の日常動作の中でも、自分の心の状態を客観的に気づけるようになりました。それにともなって、自分の中で無意識的に繰り返されてきた、抑圧されていた感情や思考のパターンが浮き上がって見えてくるようになりました。
それは「自分が大学院でアカデミックなキャリアを棒にふったこと」への怒りであり、「自分はそうした環境の犠牲であり、ただ耐えるしかないのだ」という被害者意識の拡大再生産でした。
私は、被害者としてあるかのように他者の言動を受け取り、語り、そして周りに振る舞うことによって、何年もの間心の病を引きずり続けていたのだということに気づかされました。ある意味では、私は自分自身で否定的な感情を何年間ももてあそんできており、その結果、自分自身が病気であり続けることを選択してさえいました。繰り返された思考パターンはやがて本人のアイデンティティの一部となり、ものごとの解釈の仕方、つまり人生で何を経験するかを規定していたのです。
そうしたネガティブな思考パターンが自分を苦しめている仕組みが見えてくると、自然と手放すことができるようになりました。手放すようになった結果、以前からずっと苦しめられていたうつ病の症状が消えていき、いつのまにか完治していました。うつ病は再発率が高く、私のように長期に渡る場合には統計的に9割近くが再発するということを考えると、まさにヴィパッサナー瞑想を続けたことの驚くべき成果であると思います。
うつ病の完治とともに自然ともっと本格的に瞑想に取り組もうという気持ちが生じました。そのため基本的に独学で瞑想していたのをやめて、直接の指導を受けることにしました。昨年の秋から東京瞑想会、1Day合宿、朝日カルチャーセンターで地橋先生から指導を受けるようになり今に至ります。
ヴィパッサナー瞑想を通じて、私は自分のネガティブな心のパターンのある部分に関しては治すことができました。しかしまだまだ自分の心には治すべき部分が多くあるのを感じています。これからもヴィパッサナー瞑想を続けていき、心の清浄道を進んでゆきたいと思います。