月刊サティ!
2014年1月号~2014年6月号
『見えてきた貪瞋痴の塊の私』 篠原知子
初めて「坐禅」をしたのは一年半前。「集中力を高めるのに良い」と本で読んで、自室で軽い気持ちでやってみました。
10分と持ちませんでした。坐って目を閉じた瞬間、恐怖に近い感情が湧き上がってきて苦しくてたまらず、目を開けた時には肩で息をしていました。まぶたの内側の闇で溺れそうな感覚がありました。しかし、その日から毎日坐り始めました。苦しくてたまらないけれど、自分にはこれが必要だと思ったのです。
半年ほど独学でやっていましたが埒があかず、2012年の11月に初めて東京瞑想会に参加しました。次いで1day合宿や2泊3日の合宿に参加するにつれて、なぜ私が瞑想しなくてはいけなかったのかが分かってきました。
私は自分のことを、無意識のうちに上の人間だと思っていたのです。平均よりは上、目の前の人よりは上、親よりは上、友人よりは上・・・でも、それは妄想でした。
1day合宿の数日後、歩行瞑想の途中でよろけた時に、「よろけたりぶつかったりした時の直前の心に気をつけなさい」との地橋先生のアドバイスを思い出し、心に注意を向けました。合宿で面接していただいている時の場面が浮かび、そこに「いい人でありたい」という字幕がかぶさってきました。同時に「ありたい」の文字が「見せかけたい」に変わったのです。そしてまた次の瞬間「いい人」は「いい娘」に変わりました。私は自分を「いい人/娘に見せかけたい!」。その文字が見えて、自分が貪瞋痴の塊なのだという事実を突きつけられ、恐ろしく臭い匂いが鼻を突きました。なんのサティも入らず、茫然とするばかりでした。
その後地橋先生に勧められて2013年の9月に内観を体験。「いい娘」とはとんでもない、一人娘で大切にされたのに「まだ足りない」と餓鬼のように親に求め、満たされないからと逆恨みする鬼の自分を分からせていただきました。亡くなった夫に対しても、「長い闘病生活を逃げずに寄り添った私は偉い」という慢の心が分かり、結局は自分のためにしか生きてなかったことが明白になりました。
同時に、いろいろなことが楽になりました。それまでは愚かなプライドを盾にして自分で自分を苦しめてきたのです。
具体的には、人と会っても疲れなくなりました。どんな楽しい予定でも出かける直前になると気が重かったり、どんな親しい友人とでも、別れの挨拶をして一人になったあとにほっとする感覚があったりしましたが、今はただ淡々と出かけて、淡々と別れる。そして別れたあとに今まで一緒にいた人の幸せを祈る。とても楽です。
そして人と話している時の自分の声が聞こえ、歩いている時に周りが見えるようになりました。人によく思われたいという焦りと自分の話を聞いて欲しいという渇愛に駆り立てられていたせいで、自分が何を話しているか本当には分かっていなかったのです。話すスピードはそれほど変わらないはずですが、今は自分が真実でないことを話していないか、多少意識できるようになりました。
また、歩行瞑想の途中で、突然視野が顔の脇まであることを自覚しました。普段歩いている時に景色ではなく妄想を見ていたため、ハンカチ一枚分位の視野しかなかったのです。
ボランティア活動も始めました。それまでは他人事だと思っていた善行が、自分のための自然な行いであり、「させていただけること」が有り難いと思えます。
一年前の私に「一年後あなたはこうなっている」と今の状況を説明したら、薄気味悪がって決して信じないと思います。が、今のほうが遥かに幸せです。
まだ一歩を踏み出しただけで、私の中にはまだまだ多くの問題、無明があります。果たしてこの体の寿命が尽きるまでにいかほどのことができるのでしょうか。逃れられない苦をほどく手がかりを与えられた幸せを思いながら、日々努力を続けたいと思います。
全てのヴィパッサナー瞑想者が幸せでありますように。全ての衆生が幸せでありますように。
『総力戦としての清浄道』 匿名希望
私はこの瞑想に出会う前は、頭の中に概念でしかない「ねば」や「べき」を勝手にこしらえ、その自分で作った概念に縛られ苦しむという生き方を繰り返してきました。内に向けては、ねばべきを達成するため強烈な貪りの心で必敗の戦いに挑み苦しみ、外に向けてはねばべきの達成されない強烈な怒りが他人に迷惑をかけまた自分を苦しめてきました。
具体的には、例えば、本は常に新品のようにパリッとした状態であるべき、というねばべきを勝手に作る(この時点で何の根拠もなく、そして当然読めば折れ癖もつくしシワもよるため、ねばべきと現実との齟齬に苦しむ)。
現実から目をそらし概念を優先させるため同じ本を何度も買い換えては一時の喜びを貪る(がそれもまた読めば必ず傷むため現実を受け入れない以上お金が尽きるまで同じことを貪り、繰り返し、そして苦しむ。お金が無くなれば買い換えることもできなくなりさらに苦しむ)。(また他人が本をラフに扱おうものなら脳内のねばべきとの齟齬に怒り心頭に発し、相手を怒鳴りつけ害しまた自己も苦しむ)。
・・・何を言っているか理解いただけたでしょうか。愚かで、迷惑で、哀れな生き方です。
やることなすことみな苦しいという無明の闇の中、自分がどうしたって何か間違っていることだけはわかっていたので、経典や注釈書、法話の類をすがるように読んでいましたが、いくら頭で「諸法は無我、諸行は無常、あるのは名と色だけ、そもそも執着できるものなどないのだ、云々」と知っても、ただ自分を縛る新たなねばべきの材料が増えただけで、さらに苦しむという有様でした。
このいかんともしがたい苦しさを乗り越える道を作ってくださったのが、地橋先生の「“総力戦”としての清浄道(ヴィパッサナー・バーバナー)」でした。
それは五戒を守る決意から始まりました。時には歯を食い縛りながらも戒を守ることが、そのまま私を新たな愚行から護ってくれました。
そして、たとえ劣善からでも善いことをするとどのような果が廻るか、その反対はどうかということを注意深く観察し納得することで、心の側面、環境の側面の両面から、因果論、業論の実感が起こりました。
このことは私に、自発的に悪を避け善をなす信を起こさせてくださいました。
また、懺悔の瞑想や内観によって、過去を歪んだ認知のフォルダに抑圧せず手放す術を与えていただき、慈悲の瞑想や全託の受容によって、いまここから紡ぐ未来をエゴで汚さない決意を与えていただきました。
他にも、正確なダンマの知識の体得や食の適量の強調、定力の重要性を十分に説いたうえでのなお不善心の削減が瞑想の進捗を示すとの理解など、瞑想以前の環境設定や心構えまで説いていただけました。
その上に、厳密に正確な集中瞑想の技術の実習と、集中瞑想の時間を最高のものとするための日常のサティという二本立てのサティをご指導いただき、人生をマインドフルに生きるという道を歩かせていただています。
これらの清浄道の一つ一つが、多角的に、そして一体として、私の苦を減じる力となってくれました。
地橋先生は、この総力戦としての清浄道を「心の便所掃除」に喩えられます。
この心の清浄道の素晴らしいところは、やればやるだけ心の汚れがくっきりはっきり見えるようになることだと思います。あんまり汚いので目を背けたくもなりますが、汚れがはっきりと見え、ピントが合うから掃除もできます。
汚れが見えなければどこが汚れているかもわからず、掃除することもできず、苦に苦しむことしかできませんでした。
心の汚れをしっかり観、そしてそれを掃除する術を与えていただいたことで、私は少しずつ苦から解放され、穏やかで生きやすくなりました。
私はまだ、広大な仏門をノックさせていただいた程度の段階なので、瞬間定から始まるといわれる涅槃へ至る解脱道としてのヴィパッサナー瞑想については何も言うことはできません。
しかし、仏語にもあるよう、苦への義務は苦しむことではなく遍く知ること、集滅道への義務が、断つこと、完成させること、実践することだそうです。
まずは苦に苦しむことをやめるところから、苦を遍く知るところから始めたく思います。千里の道も一歩から、毎日こつこつ心の便所掃除をさせていただく、これが今の私の清浄道です。
『「母のせい!」ではなかった』
M.M.
「私の場合、母を恨むことでもう安定しているのでいいんですが・・・」
「いいえ、それは絶対によくないことです」
地橋先生の瞑想会に参加するようになって3カ月たった頃、先生はきっぱりとそうおっしゃいました。戸惑いつつもうれしかったです。本心ではそう言ってくださる師をずっと探していたのだと思います。それから一年半たった今、その言葉の真意を実感することができました。
私が生まれた時、父親は大学の助教授で、母親は洋装店を経営していました。当時、母の店はとても繁盛していて、一日の売上げが父の一カ月分の給料と同じだったそうです。母は土日も休まず毎日夜中まで働いていたため、私の世話は日中はお手伝いさん、夕方からは父がしてくれていました。父は細かいことによく気がつく温厚な明るい性格で、私を愛情深く育ててくださいました。食事、お風呂、着替え等の身の回りの世話はもちろんのこと、小鳥を飼ったり、ピアノを一緒に習ってくれたり、休みには必ず動物園や海に連れて行ってくれました。
そんな父が、私が八歳の時に病気で亡くなり、私の生活は一変しました。朝はひとりで支度して登校し、帰宅後塾へ行き、夕飯はお手伝いさんが作ってくれたものをひとりで食べて、夜遅い母の帰りを待つ日々が続きました。そのストレスで、外ではイイ子を演じていても、家に帰ると近所のお菓子屋で買い食いし、テレビを見たいだけ見て、窓からオシッコしたりしていました。そして母の洋服の臭いを嗅いで寂しさを紛らわしていました。
当時母は、隣近所とは喧嘩してしまうし、やっと慣れた頃にお手伝いさんを替えてしまうので、私はいつも不安でした。その上変質者のような男性から私に変な電話が2年間続いていたのですが、誰にも言えずに怯えていました。また、当時としてはまだ珍しい中学受験の為に、日曜日も塾に行かされていて、母への不満は溜まるいっぽうでした。
そしてとうとう、風邪で寝込んでいる私を置いて店に行ってしまう母を見送った時、「この人の老後は絶対に看ない」と心に誓ってしまったのです。そして「こんなに辛いのに我慢しているのだから、両親のいる温かい家庭で育った人には絶対に負けたくない、そのためなら何をしても許される」とまで思うようになってしまいました。
この思いをベースにして生きてきたので、ろくな人生ではありませんでした。受験失敗、いじめ、新興宗教、自己啓発セミナー、歪んだ異性関係・・・と続き、その全てから逃げるようにして26歳で結婚。結婚してしばらくは今までの辛い過去はリセットされたかのように思われましたが、それは必死で蓋をして隠していただけで、無くなってはいませんでした。その証拠に、その後も不妊、二度の流産、夫の病気と悪いことが続きました。そして誓いどおりに母を寂しい老人病院へ入れ、その一年後に母が亡くなると、その後7年間は毎晩のように遊び歩きました。そして、挙げ句の果てに投資で失敗し、唯一心の支えにしていた貯金を半分以上失いました。そして体調を崩し、めまいの病気になりました。
そんな時、ちょうど今から4年前に出会ったのが原始仏教でした。ダンマとその実践法に惹かれ、今までの生活を改め、早速瞑想を始めました。しかし妄想だらけで一秒もお腹の感覚に集中できていない、というのが本音で、限界を感じ、もっとしっかりと瞑想を習いたい、と思っていた矢先に知ったのが地橋先生の講座でした。
そして本のあとがきにあった『父親との間に確執があり・・・』という文章に目がとまり、この先生なら私の苦しみを理解し、乗り越える道を示してくださるのではないかと思い、申し込みました。
先生の丁寧なご指導のもと、瞑想中の妄想の殆どが怒りと不安であるとわかりました。そしてサティを入れ続けているうちに、ものすごい発見をしました。それまで自分は時々怒っていると思っていたのですが、そうではなくて、「サティを入れている時以外はずっと怒り続けていた!」のでした。そして、この瞑想をやる動機も、あの「負けたくない」という子供の頃からの思い以外の何物でもないことに気づき、愕然としました。そして、「土台ができていない上に家を建てても駄目です」というお言葉を先生から頂き、内観に行くことを決めました。
内観では過去の出来事を一つずつ違う角度から観ていくので、今まで考えなかった事実がどんどん浮上してきて、自分のエゴで作り上げたストーリーの書き換えが自然となされていきました。子供の頃病気で寝込んだ日は決して1日ではなく20日くらいはあったはずです。そして母と近所の医者に行った記憶もでてきました。・・・ということは、母は確かに1日は私を置いて店に行ってしまったけれど、あとの19日は家にいて看病してくれていたのかもしれない。そして父親が一緒に習ったピアノも、小鳥も、遊びに連れて行ってくれた費用も、全て母親が働いたお金から出ていたのでした。
また、母は父が教授になるまでと思い、必死で働いていたので、父が急死したことにショックを受け、周囲の人との関係がうまくできなくなっていたのではないか。中学受験も父親の果たせなかったものを子供に託したのではないか・・・。まるで次から次へとオセロのように思い出がひっくり返されていきました。母はその時できる限りのことを私にしてくださっていたのです。もう母を恨む理由も、人に負けたくないと思う理由もなくなりました。そして身体中の力が抜けました。
その一年後に二回目の内観を終え、3カ月たった今、日常内観を続けています。私の場合、歯みがきのように毎日続けないとすぐに元の姿に戻ってしまうからです。
最近はやっと、瞑想でお腹の感覚に集中できる瞬間が感じられるようになりました。今はまだ瞑想が怒りの見張り番の役目でしかありませんが、いつしか本当の解放である解脱に到る手段としての役目を果たせる時が来ると信じて、瞑想、内観、善行を続けていこうと思っております。
やっと清浄道の入口に立てたところです。こんな未熟者ではありますが、先生、そして法友の皆様、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
『真実が顕わになった…私の瞑想効果』
平明 創
私はかなり高慢な中年男性です。
初めて地橋先生からヴィパッサナー瞑想の直接指導を受けてから8か月を過ぎましたが、今でも高慢です。ただ、瞑想を始める前はそのことに気づいていませんでした。
今では一日に何回も“高慢”とサティを入れ、自分で気づけるようになりました。昔から他人を見下し、妻を見下し、自分の考えこそ正当なのだと信じて疑わない人間でしたので夫婦喧嘩もしょっちゅうでした。
ところが瞑想をするようになってから妻からは「やさしくなった」、息子からは「お父さんて、そんなにやさしかったっけ?」などと言われるようになり、びっくりするとともに以前の自分がやさしくなかったことに気づかされ、ショックも受けました。自分の中の微弱な怒りや嫌悪感も以前よりは気づけるようになったので、そんな時はなるべくエゴをださないように気をつけて、妻との衝突も少なからず回避できるようになりました。たまに言い合いになっても、以前は妻に対する怒りが尾を引いていましたが、今では、怒りを発する前に気づけなかった自分が悪かったのだと反省します。
瞑想を毎日やってきての個人的な感想ですが、成果は坂道を徐々に上っていくといった感じではなく、ひとつの大事なことに気づけると次のステップに行き、またがんばると次のステップに行けるように、階段を上っていくような感じがしています。私の場合、先生に初めてご指導していただいてすぐに“他人の評価が異常に気になる”とサティが入り、なぜか悲しくもないのに涙があふれ出るといったことがありました。
そのことに気づいて以来、人と接するのが以前より疲れなくなりました。しばらくして“いばりたい”“ほめられたい”自分に気づいて、自分の中にいわゆるアダルトチルドレンの要素があると認識するようになり、自己顕示欲が顔を出す度にサティが入るようになりました。そして今度は長年身体に感じていた感覚が怯えからくる恐怖感ではないかと気づくようになり、1Day合宿に参加させていただいたのです。
両親からの虐待やトラウマなどの記憶がない私には、自分の恐怖感がどこからくるのか思い当たる節はありませんでした。しかし先生とのカウンセリングでそれが解明されました。子供のころから父との間には確執があるとともに威圧を感じていましたが、暴力を振るわれたことはなく、父との不和の原因は不明でした。
先生のご指摘は、祖父から暴力を受けていた父が自分の子供(つまり私)に対して手を出すのを押しとどめるのはものすごい自制が必要なことであって、それによって怒りのオーラが出てしまい、それに対して幼かった私が怯えていたのではということでした。
まさに目から鱗でした。先生のご指摘は的確だったと思いました。なぜなら四半世紀近くほとんど毎日飲んでいた酒を合宿参加以来全く飲みたいとも思わなくなったからです。酒を飲み続けていたのは潜在的な恐怖感を紛らわすためで、その原因が分かったことで酩酊する必要がなくなったのだろうと思います。
こうして断酒できたのも(まだ5カ月ですが)瞑想によって自分の中に隠れていた恐怖をあぶり出すことができ、またその原因を先生の洞察によって明らかにしていただけた結果に違いないと確信しています。
瞑想をすればするほど、気づけば気づくほど自分の未熟さや幼稚さを痛感させられて、なんとも情けない思いになり自分がいやになることもしばしばですが、自分の内面に気づくことによって人生が大きく改善されるということも実感することができましたので、私にとってこの瞑想に出会えたのは何よりの幸運でした。そして50歳を前にして、ようやく自分のやるべきことが心の汚れを取り除くことであると自覚させられるのでした。
『暗黒のエゴワールドに差し込んだ一筋の光』
匿名希望
瞑想を始めた頃の私は〝子育て〟という人生最大の困難な仕事に翻弄され、怒っているか、疲労困憊しているかのどちらかでしかない、貪りや怒りと落胆を交互に繰り返す本当に辛く苦しい毎日を送っていました。子供の事を愛しているのに、取るに足らないほんの些細な出来事がきっかけで、叩き潰したくなるような衝動に駆られることが、度々ありました。
一旦怒りに火が付くと一気に燃え上がり、もう誰にも消せない大火災になります。鎮火した後も長い時間くすぶり続けるしつこくて暗い怒りが、私のエネルギーをじわじわと焼き尽くしていたのでしょう。そして「もうイヤだ。何とかしたい。誰か、誰でも良いから助けて」と全身から悲しみを放出しては、更に悪いカルマを作り、負の連鎖を延々と繰り返していました。
そんな暗黒のエゴワールドに、希望の光を差し込んでくれたのが、ヴィパッサナー瞑想です。自分だけの特殊な感情だと思い込んでいた悩みや苦しみは、お釈迦様によってすでに2600年も前に解き明かされていて、心に表れる悪感情は全て、お釈迦様が記された1510種類の煩悩の中に含まれている。しかもそれらを滅尽する方法まで説かれてあるのだと知った時、もう自分が進むべき道はこれ以外にはない!と思いました。仏教を学べば学ぶほど、その思いは深まるばかりです。
瞑想は2012年6月頃に地橋先生のご著書やDVDを購入して手さぐり状態で始めました。『ブッダの瞑想法』を読んだ直後にサティを入れながら入浴したら、意外と楽しくてウキウキしたのを覚えています。
ある時、子供に対して腹が立ち、お尻を叩いてやるぞとスリッパを手に取った瞬間にサティが入り、〝プツンッ〟という感じでその感情が消えてしまったことがあります。怒りがすっかりなくなってしまった状態に「こんな事、今までの私だったらありえない」と首をかしげながらスリッパを元に戻しました。
瞑想に着手して以来、怒りに火が付く直前か最悪でも点火直後にサティで見送るという訓練を繰り返し、不慣れな心随観でも運良く原因を突き止められれば根絶して、怒りそのものが弱くなるのだと分かってきました。
同時進行でダンマをたくさん聴くことで私の思考に仏教的な考え方がどんどん染み込んできているので、仏教に出会ってまだ1年余りですが、自分に対しても他人に対しても嫌悪感を抱くことがとても少なくなりました。心がとても自由になったと感じます。頭ごなしに相手を否定する癖はなかなか抜けませんが、サティを入れて〝一旦黙る〟という技術を覚え、大抵のことは「わざわざ言う程のことでもない」と流せるようになり、そんな自分に時々感動します。とは言え、消えたと思っても何度も何度も再発する異常な激しい怒りに対して油断は禁物です。サティが入らなければ、再び火がついてしまう可能性もまだまだ残っていると思います。
あと、仏教に出会う前にいつも感じていた心配・不安・憂いなどを生み出す犯人は〝妄想〟だったのだと発見できたことは、日常生活にとても大きな良い変化をもたらしてくれました。ドヨンとした空気が漂い始めてもサティが追っ払ってくれますから。いつも落ち着いていられることに幸せを感じています。
嬉しいことに、今では子供も私が実践する仏教に興味を持ち、慈悲の瞑想をしたり、時々気が向いた時にはサティの瞑想にチャレンジしたりしています。そして慈悲の瞑想の果報でしょうか、学校で友達に「優しくなったね、前はもっと自己中だったのに」と言われているそうです。
これからも心の清浄道であるヴィパッサナー瞑想に一生懸命淡々と励み、仏・法・僧の三宝に身をゆだね、五戒を守り、法友の方々・家族と共に、きれいに生きていくことを誓います。
生きとし生けるものが幸福で安穏でありますように。