月刊サティ!

Web会だより

2012年7月号~2012年12月号


『本当の仕事と瞑想』 YN


  3.11それは人生の根底が揺るがされる大事件でした。それまでの自分は、精神世界と社会生活をあたかも両立しているかのように生きていました。ポジティブ思考、願望実現など、自分にとって「心地良い」イメージを措くことで、なんとなく仕事の流れが順調に展開しているかのように錯覚していたのです。
  しかし3. 11以降、仕事の流れがつかめず、閉塞感に苛まれました。その中で手を出したのが、「願望実現」を更に強化するような自己啓発プログラムでした。しかし能力開発に取り組めば取り組むほど、お客様との心理的な距離は遠のくばかり。
  お客様に提供した資料や内容は充実しているはずなのに、聞こえてくるのは嫌悪に満ちた批判や不満ばかり。最終的に自分が渾身の思いを込めてまとめたプロジェクトの報告書が「事実認識を疑う」と一喝されると、ショックとともに何かが音を立てて崩れていきました。しばらくは、もぬけの殻のようになり、無気力で何もできない日々が続きました。そのような状況でたどり着いたのが、ヴイパッサナー瞑想のホームページと『瞬間の言葉』でした。
  今年の4月に初めて朝日カルチャーの講座に参加しました。瞑想を実践し講話や皆さまのレポートを拝聴しながらの時間はとても刺激的で、かつ精神的に充実するものでした。それ以降、自宅でもヴィパッサナー瞑想に1 2時間程を費やすようになりました。坐る瞑想は楽しく、あっという間に時間が過ぎていくのですが、歩く瞑想に関しては、その本質的な意義が今ひとつ飲み込めずにいました。
  そこで、友人の勧めもあり、「泊まらない1Day合宿」に参加しました。この時、歩く瞑想について技術的な修正をしていただき、その日は歩く瞑想にひたすら専念しました。終盤でようやく坐る瞑想になり、お腹の膨らみと縮みを感じつつも、足の痛みにサティを入れる時間が続きました。ところがその後、予想だにしないことが起こったのです。
  坐りの瞑想から、慈悲の瞑想に移行し、揮身の力を込めて参加者の方々へ愛念を送りました。その慈悲の波動が過去の記憶を呼び起こしたのか、目の前にとある光景が拡がり始めました。
  2010年の暮れ、縁があってペルーの聖なる谷で起きた洪水被害の救済支援に携わっていました。その活動中、共に支援活動をされていた方のお宅を訪れ、その土地の美味しい食べ物や、被災者の方が提供くださった焼き魚をありがたく頂きました。その時、マチュピチュに伝わる豊穣を大地の神々に感謝する儀式を体験しました。
  慈悲の瞑想中、大地と自然と自分があたかも一体になったかのような当時の記憶が鮮明に蘇ってきたのです。気がつくと両目からポロポロと涙が溢れていました。「自分はこんなにも多くの愛を受け取っていたのに、どうして忘れてしまったんだろうか!」自分の心の奥底に眠っていた、たくさんの人々からの恩愛の記憶が一気に呼び覚まされた瞬間でした。
  その数カ月後、苦々しい思いとともに物別れになってしまったお客様をイギリスにご案内する機会がありました。不安な気持ちにひたすらサティを入れ、自分の中にある「嫌悪心」を慈悲の瞑想で溶かしながら、準備を整える日々が続きました。
  実際に現地に到着すると、思いがけないアクシデントに見舞われ、頭の中が真っ白になりました。それでもその状況に淡々とサティを入れ、「今できること」に精一杯集中して対策に当たりました。すると、会社の同僚たちがいたたまれなくなったのか、大きな憐れみの念と様々な善意をもってその苦境に対応し始めてくれたのです。結果、お客様の置かれた苦しみが和らぎ、最終的には大きな満足感とともに帰国の途につかれたのでした。
  
英語のCompany(会社)という言葉には「仲間」という意味もあります。皆にとって喜びをもたらす、真に意義深いことを仲間とともに創り上げていく、それが本当の仕事なのではないか。そんな気づきに至りました。私たちの心の奥底に眠っている「善心」は目覚めたがっているのだと。
  また、今まで同僚に対して、勝手な偏見のイメージで決めつけていたことに気づかされ、「こんな側面があったのか?」 とまるで別人と出会っているような感覚がありました。「サティを入れる」、それは頭の中の勝手なイメージや思い込みをリセットして、瞬間瞬間のありのままの現状認識から慈悲に至る世界なのだと実感できた貴重な経験となりました。

 

 

 

 

『火種が消えるまで』 RY

  「君は上司とうまくいかないねえ」以前、職場の人から言われた言葉です。確かにこれまで心から尊敬し、慕うことのできる上司などほとんどいませんでした。
  振り返ってみると、気の弱い人や動物を見ると、とても情け深い優しい気持ちになる一方、立場が上の人に対しては厳しい目で批判したくなり、特に上司から理不尽な言動をされると怒りの感情でいっぱいになりました。
  ちょうど1年前もそのような状況で苦しい毎日が続いていました。その頃、活字に救いを求めていた私は、原始仏教関係の本がきっかけとなり、ヴィパッサナー瞑想に興味を持ち始めました。インターネットで数あるヴィパッサナー関連のHPの中からグリーンヒル Web会を見つけ、朝日カルチャーでの地橋先生の講座が第一歩となりました。
  その後、東京瞑想会や泊まらない1day合宿、23日の合宿に参加し、また幸運にも今年のゴールデンウイークに内観研修所へ行くことができました。内観では感謝への転換が上手にできませんでしたが、折り合いの悪かった家族との関係を見直すいい機会となりました。
  思い出した出来事の一つに、私が5歳の頃、4歳下の病弱な弟が夜中に急病となり、私一人を残して家族が病院に行ってしまったことがありました。夜中に目を覚ました私は誰もいないことに動転し、玄関の外で泣き叫んでいるところを近所の方に保護されました。当時のことを思い出すだけで、寂しさと苦しさで胸がつまり体が硬直するなど、私にとって大きなダメージとなりました。
  後に母からは、寝ている私を起こすのが可哀想で置いて行ったと説明してもらいましたが、「私のことは二の次、弟の方が大事」とネガティブに解釈し、家族全員に対して恨みの感情を持つのと同時に、自分が存在してはいけないような気持で生きてきたことが見えてきました。
  内観を終え今までの自分を見直してみると、親に対する不満を職場の上司へ投影してきたこと、また怒りの感情の直前に引き金となるパターンがあることに気づくことができました。
  そのパターンとは、心の奥底に刷り込まれた「見捨てられ不安」です。一人ぼっちや存在を無視されているように感じる出来事があると、5歳当時の感覚が蘇り、怒りのスイッチが入ってしまうのです。
  たとえば、待ち合わせ場所に長時間一人でいなければならなかったり、誕生日を祝ってもらえなかったり、自分のものを知らない間に捨てられた時など、激しい怒りの感情がわき起こり、両親だけでなく、結婚後も夫に当たり散らしてきました。
  ヴィパッサナー瞑想に出会うまでは、このモヤモヤした感覚が理解できず息苦しい日々でしたが、今ではこの感情に対して素早くサティを入れ、怒りの炎が大きく広がらないように心の動きを見張ることができるようになりました。発火の原因を特定できたことで対処がしやすくなったと感じています。
  早い時期に内観を体験でき、内観で明らかになった自分のあり樣をヴィパッサナー瞑想とのセットで強く意識化できたことは、穏やかな毎日を過ごすために大変役に立っています。
  私はこれまで自分が犬で、親を飼い主のように考え、「親(飼い主)としての責任を果たしなさい」とリードの取っ手を父や母に無理やり持たせて生きてきたように感じます。リードでつながれた関係は、お互いの距離を狭め、吠え合い、噛み合うなど、多くの苦しみをもたらしてきました。
  しかし、これからはお互いが幸せに生きるためにも、この恨みと依存の象徴であるリードを親から自らの手に持ちかえ、自分が自分の飼い主でありたいと考えています。そして、自らをしつけ、愛情を注ぎ、正しい方向へ導いていきたいと思っています。
  ヴィパッサナー瞑想は、これらを実践するために私にとって大切なメソッドです。この瞑想に出会えたこと、地橋先生や法友の存在に心より感謝しています。そして、未来の自分がどのように変わっていくかは自分次第だと心に誓い、今できることに集中して今後も心の清浄遺に取り組んでいく所存です。

 

 

 

 

『尽日春を尋ねて』 荒金和美

  私が原始仏教を知ったのは、今から56年前、次兄に勧められたことがキッカケでした。
  その頃の私は、職場でたった3人の部下もまとめられず、日々の業務や会議をこなすことに精一杯で、精神的にも肉体的も限界ギリギリの状態でした。
  夜になれば酒をあおり、ありとあらゆる愚痴や悪口、意識を失うまで飲み続け、そして朝を迎えて出勤する。原始仏教関連の書籍を読んだり、グリーンヒルの瞑想会にも時々参加していましたが、ただ何となくそうしているだけだったように思います。
  そんな中途半端な取り組み方で、何かが好転する筈もありません。 1人で仕事を抱え込み、思い通りにならないストレスを部下たちに向け、憎み、恨み続けました。
  そのうちに仕事の能率は目に見えて落ち始め、やり甲斐も全く感じることが出来なくなりました。身も心もボロボロになり、「私は管理職に向いてないんだ」、そう自分に言い聞かせ、そして職場を去りました。
  退職後 2週間ほどは、抜け殻のような生活でした。
  
「このままではダメになる・・・」、漠然とした焦りから導き出されたものは、ミャンマーへ渡り、大学で原始仏教を基礎から学んでみようという決意でした。全ての段取りを整え、あとはミャンマーへ行くだけ、という所までこぎつけました。
  しかし、万全を期す為に受けた人間ドックで、腹腔内 8cm大の腫瘤が指摘されました。検査上は良性が強く示唆されましたが、半年前の検診では全く異常なし。急激に増大したその病変に、勝手に悪性の可能性を疑い、苦しみ、悩みそしてミャンマー行きを中止。
  今思えば、何一つ善行など積んでこなかった私に与えられたチャンスを、自らの思い込みで断念するという、本当に浅はかでお粗末な幕引きでした。
  その後、新しい職場で働き始めましたが、発生する問題はどれもこれも以前の職場でのそれと酷似していました。
  「人生の中でクリアー出来ていない問題は、操り返し生じ同じように苦しむことになります」。地橋先生がダンマトークでお話されていた言葉を思い出しました。
  苦しみの中から再び瞑想を始めましたが、これ程までに業の深い私を取り巻く環境が、そう簡単に変わる筈がありません。
  愚かな私は、苦しみが無くならない原因を、今度は瞑想法や地橋先生に向け始めました。 そして次第にグリーンヒルからは遠のいていきました。サマタ瞑想を試したり、法話が聴けるとあれば、様々な場所へと出かけました。
  しかしどこへ行っても、自分が抱える問題は一向に解決せず、何も変わらないまま苦悩の日々が続き、寂しさと悲しみで心が折れそうでした。
  そんな時、かつて私に温かい笑顔で接して下さった地橋先生を思い出しました。藁をもすがる思いで再びグリーンヒルの門を叩き、先生に泣きながら面接して頂いたことを今も覚えています。ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の相違点、在家としてのあり方など、先生は私の疑が晴れるまで丁寧にお話して下さいました。
  そして今、再びヴィパッサナー瞑想に取り組む日々です。中途半端な知識の集積、実践を伴わない試行錯誤は、単なる独り相撲でしかなかったと痛感しています。
  一連の経験で学んだこと、それは、仏教に触れさせて頂くご緑に手を合わせ、瞑想できることに感謝する謙虚さがなければ、何も始まらないということです。今までの私は、土足で胡坐をかき、胸の前で腕組みしながら瞑想していた様なものです。
  何かを求めて探し回るのではなく、目の前にあるものに気づくこと。私はやっとスタートラインに立てた気がしています。頭で理解したのではなく、お腹のずっとずっと奥の辺りで、やっとそれに気づかせて頂いた、そんな幸せを今しみじみと感じています。

 

 

 

『奪う人から、与える人へ』 (1) 匿名希望

  私の弟は中学の頃、「いじめ」がきっかけで、不登校になりました。さらに、高校の時に「強迫神経症」が悪化し、高校を中退して以来、現在も 「引きこもり」状態が続いています。
  これまで、弟は二度の自殺未遂に加え、交通事故にも二度遭い、家族内暴力の時期もあり ました。 こうして、当初の 「強迫神経症」という診断は、「境界例(=統合失調症と健常状態の境目)」に変わりました。
  弟の「引きこもり」問題に対して、当初は母が奔走。その後、訳あって母の取り組みが中断した後は、父が、私に促されて、引きこもり支援のNPOに何力所も通いましたが、事態は何ら好転せず、行き詰まっていました。
  そのうち、今度は、母が大病を患った後、足が立たなくなり、介護を要する身となってしまいました。そのため、父はNPO通いを中断せざるを得ませんでしたが、それを知った私は、「お父さんは、能力はあるのに、いつも“やる気がなくて”、その結果、成果が出せない」と<認識>して、<怒り>を覚えました。
  そこで、今度は、私が、弟の「引きこもり」問題を解決するための手立てを探し回り、 2010年、ついに「原始仏教」と出会いました。そこには、まさに求めていた「正しい生き方」が説かれていました。目を見開かれるような思いがし、これだ!と思いました。
  それからは、原始仏教に関する本を読み漁り、法話を聞く日々でした。そんな中、原始仏教には「正しい生き方」のみならず、そのための実践方法もあるようだ、ということが分かってきました。そこで2011年末に、一日瞑想会に参加しました。以後、弟と母に向けた「慈悲の瞑想」と「サティ」を入れる練習をし、その翌年、短期合宿への参加が決まってからは「歩行禅」にも取り組み始めました。
  そして、この合宿中に転機は訪れました。面接で地橋先生に、「お父さんが、弟さ んの引きこもり問題を解決できないのは、“やる気がない”からではなく、不得手な問題のため、“対処力がない”からではないか」と言われたのです。その瞬間、私の過去の<認識>の枠組みが、ガラガラッと、音を立てて崩れました。
  さらに合宿終了後、それが、私の独自の<認識>であって、その<認識>に基づく、 「<怒り>の反応パターン」を私自身が繰り返していることを明確に示す事件が、起きました。
  当時の勤め先で、別の女性社員と組んである業務を行う場面がありました。その業務は、この女性社員には不慣れなもので、その結果、ミスがいくつもありました。そのミスを目にした私は、とっさにサティを入れる間もなく、<怒り>で一杯になりました。
  そのまま帰宅すると、今度は、腰痛が出ました。 私は、<怒り>を覚えると、腰痛になるのです。この腰痛を何とかしようと「歩行禅」をしたところ、突然、洞察が入って、バサッと、腰痛が消え去ったのです。つまり、その<怒り>は、当日の出来事それ自体への<怒りではなく、実は、父に対する過去の<怒り>に由来するものだったのです。
  ところが、この合宿の後参加した「内観」で、私の過去の<認識>が、完膚なきまでに引っくり返されることになります。
  人は、過去の事実を、感情とともに、記憶に収めます。「内観」は、過去の事実と 感情のセットを、現在の自分の目(心)で、感情を抜きに過去の事実のみに基づいて、<真実>を検証していくものです。瞑想合宿後に参加した内観で見えてきた過去の事実によって、私は、衝撃の<真実>を知りました。
  私は、ある事件をきっかけに、父を嫌うようになりました。その事件は、私が小学六年のときに起こりました。 父が、突然、会社を辞め、借金をして商売を始めたのです。まもなく、店はたたみ、大きな借金だけが残りました。(つづく)

 

 

 

『奪う人から、与える人へ』 (2) 匿名希望

  「父の商売」事件に、母は動転して実家に助けを求め、母の実家が借金を返済したのですが、その後、生活は一気に困窮。母は、いつも暗い顔で溜息をつきながら、家計簿をつけていました。食事も貧しくなり、あるとき、母が「あなた達に食べさせるものが、もうこれしかない」と言って差し出した小さな玉子焼きが、今も忘れられません。そのとき、「貧乏はイヤだ!!(怒り)」、「もっとお金さえあれば!!(欲)」と、強烈に思いました。次いで、「その原因を作ったのは父だ!」と<認識>したのです。
  以後、私は、父に事あるごとに辛く当たるようになりました。
  その数年後、今度は、「父の株式投資」事件が起こりました。父は、勝手に自宅の土地と建物を担保に銀行から借金をして、株式投資を始めたのです。さらに数年後、その損失が数百万円に上ることが判明。
  このときもまた、慌てふためいた母が、実家の叔父と相談しました。ところが、今回は、母の実家ではなく、当時社会人として既に働いていた私が、貯金を取り崩して、父の借金を全額返済することになったのです。が、借金返済後、父から謝罪の言葉や借金返済の意思表示はなく、私は、そんな父に激しい<憤り>を感じました。
  そして、借金返済の後、二度にわたって、弟が自殺未遂をしました(「弟の自殺未遂」事件)。
  ところが、内観が進むにつれて、一転してこのような事件が次々と起きたカラクリが、見えてきました。
  一つ目は、「愛情飢餓」です。内観でまず注目したのは、父が会社員だった頃、仕事で上司と衝突して左遷された父が、浮気を繰り返していた時期があったことです。
  「父の商売」事件は、この「父の左遷」事件、「父の浮気」事件の後に、発生していたのです。
  つまり、当時、小児喘息で病弱だった私が、本来父に流れるべき母の愛情まで<独占>していたことにより、父は、徐々に「愛情飢餓」状態に陥っていたのです。
  そうだったのか・・・。父は、「“やる気がなくて”、成果が出せない」のではなく、「愛情飢餓ゆえに“やる気が出せなくて”、成果が出せなかった」のだ。この<真実>を知って、私は愕然としました。
  二つ目は、私の<欲>と<怒り>に駆られた言動です。例えば「オーブンレンジ」事件。当時社会人だった私が、家のためにオーブンレンジを買ったときのこと。そのレンジを嬉しそうに見ている父を見て、私は<怒り>を覚え、父に「お父さんが経済的に頼りないから、私が(代わりに)こういうことをするのだ」と言い放ったのです。
  内観でこの事件を思い出したとき、実は、こうした私の<欲>と<怒り>の言動こそ、父に、「家族の信頼を得るために、もっとお金を!」という思いを引き起こし、それが「株式投資」事件につながったのだと、その因果関係が分かったのです。
  その瞬間、私は、慟哭しました。 「父が悪い、という<認識>は、間違っていた。本当に悪いのは、この私の方だった。私の<欲>と<怒り>が、父を「株式投資」に向かわせ、その事件のストレスが、弟を自殺に追いやったのだ。私は、何てことをしてしまったんだろう!これを、一体どうやって償えばいいんだろう!」
  <懺悔>の嵐が、私の心を襲いました。しばらくして<懺悔>の嵐が収まると、心が静かに定まりました。
  
「私は、これまで、“求める人”そして“奪う人”でしかなかった。これからは、“与える人”になろう」
  そして、最後には、こんな<欲>と<怒り>にまみれた愚かな私を見捨てず、終始、愛情とやさしさ、思いやりを与え続けてくれた父や母、弟に、<感謝>の思いが、どっとあふれました。そして、その瞬間、ハッと気づいたのです。
  「そうか…。私があの家に生まれたのは、私にはないやさしさや思いやりを、父や母、弟から学ぶためだったんだ・・・。ありがとう。本当にありがとう。おかげで、私は、生まれ変わることができました」
  あるがままの今の自分を観るサティの瞑想と、過去の事実をありのままに観ることで、猛省を促し、過去の感情への執着から解き放つ、懺悔の瞑想・・・。両者を見事に併せ持つ、「ヴィパッサナー瞑想」という偉大なシステムに導かれ、これからも、心の清浄道を歩んで行きたいと思います。

 

 

 

『求めていた道にたどり着いた不思議・・・』 T.T.

  私がヴィパッサナー瞑想に出会ったのは4年ほど前でした。ふとしたきっかけで瞑想関係の書物を手にし、「私が長年探してきたものがここにありそうだ」と感じたのです。
  若いときから悟りとか、人生の最終目的としての「何か」を求めて、そしてその「何か」に至るための方法・道を探してきました。
  しかし、年齢も 60代半ばを過ぎ、この世にそんな「何か」など無い、とあきらめかけていた矢先に、また修行するにも年齢的にこれが最後と思えるときに出会ったのです。
  私は学校でも、職場でも人間関係がうまくいきませんでした。何か問題が起きると、妄想に逃げ込む私の妄想癖も大きな障害になっていると、うすうす思っていました。人と話しているときも別のことを考え、妄想しているという悪い癖にも気づいてはいました。ヴィパッサナー瞑想は、その「妄想」をまさに最大のテーマとしていたのです。
  このヴィパッサナー瞑想が、私の探していた道に違いないと思ったのですが、具体的なサティの入れ方がよく分かりません。指導してもらえる所をインターネットで探し、地橋先生による瞑想会があると知りました。
  さっそく瞑想会に参加しましたが、その時の感動は今でも忘れられません。ただ単に、サティの技術だけを学びたいと思って参加した私にとって、先生と法友たちの真摯な姿勢に衝撃を受けました。
  瞑想のおかげで得た成果はたくさんありますが、サティそのものはなかなか上達しません。サティがきちんと入ったという実感が持てないのです。
  ヴィパッサナー瞑想の成果としては、肩こりが治った。首を傾げる癖がほとんど治った。妄想の団子状態が断ち切れるようになった。他人や生きものに対して優しい気持ちを持てるようになった。日々の生活に以前よりも安らぎを感じるようになった。等々たくさんの成果があるのですが、一方で次から次へと自分の欠点が見えてきます。
  悟りとか、道とかそんな理想を追いかける状態ではない。ずっとレベルの低い、人並み以下の人間だということが、心から納得させられてしまいます。これまで隠れていた私の貪瞋痴がどんどん見えてきます。
  自分でも不思議に思うのは、私がヴィパッサナー瞑想に導かれた動機・条件があまりにも揃っていて、それらが揃った丁度そのときにヴィパッサナー瞑想に出会ったことです。
  1.医者から癌だと告げられたのとほぼ同時期に出会いました。初期発見で軽かったのですが、私としては命の危機を感じました。
  2.多くの苦受を受けました。先生がダンマトークの中で「馬鹿なことをして、痛い目に会わないと分からないのですね」と話されたときは、まさに私のことを言われているような思いでした。様々な「馬鹿なこと」をして、多くの苦受が束になって押し寄せてきた、癌もその一つでしょうが、まさにその時期にヴィパッサナー瞑想と出会ったのです。
  3.完全に退職して転機に立ちました。退職して2年ほど経ち、解放感に浸る時期も過ぎて、生きていく上で何か心の柱が必要になってきた時期でもありました。
  これら多くの条件が重なった時機に出会った不思議を思います。たとえ来世においてどのような所に転生しても、決して精進を怠らない。そんな輪廻転生の第一歩に今生がなるならば、この上ない素晴らしい人生であった、と言えるでしょう。
  今願っているのは、「今ここ」という一所を「一所懸命、淡々と」歩んでいきたい、ということです。

 

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