月刊サティ!

Web会だより

2011年5月号~2011年12月号


『第二の人生を開くヴィパッサナー瞑想』 稲葉青治

朝日カルチャーで地橋先生にご指導して戴いてから2年、東京瞑想会に参加させて戴くようになってから1年半経ちました。今までを振り返ってみたいと思います。
  3年程前に定年退職しました。そのしばらく前から退職後はそれまで趣味としてきたことを心ゆくまで楽しむつもりで、それなりに準備をしてきました。しかし実際に退職してみると、他にするべきことがあるように思えました。今まで重要だと思っていたことが、どうでも良いことで、どうでも良いと思っていたことがとても重要なことのように思えました。生活のテンポが遅くなったためでしょうか、今まで気付かなかったことに気付くようになったような気がします。それ以来、仕事としてきた技術とは違う分野(哲学、宗教、歴史等)のことを勉強しています。
  仏教については定年前に4年程京都に住んだこともあり、日本の仏教について多少勉強していました。定年の少し前に、原始仏教の本に触れる機会があり、お釈迦樣の真の教えは南伝仏教にあるのではと漠然と感じていました。
  さて定年後1年程して、たまたま立ち寄った本屋で地橋先生の本が目に留まりました。『ブッダの瞑想法』を読み納得することが多く、Web会のホームページから朝日カルチャーの瞑想の講座があると知り、早速受講しました。それ以来少しずつ瞑想をして、昨年の2月に初めて東京瞑想会に参加しました。昨年は余り参加できませんでしたが、今年は瞑想の時間を延ばしたいと考え、できるだけ参加しています。
  瞑想をするようになってからの変化ですが、劇的なことは無いのですが、少し変わったのかなと感じることはいくつかあります。ただ退職してゆったりとした生活になったことが影響している部分もあると思われ、瞑想をしなかったときとの比較が明らかでないので多少割り引いて考えた方が良いかもしれません。
  1日の出来事を明瞭に記憶できるようになりました。私は心配性で鍵をしたか、元栓を閉めたか等心配になって、よく戻って確かめたりしていたのですが、最近は鍵を閉めた時等の状況が明瞭に思い出されるので安心します。日常の行動を常にラベリングできなくても、なるべく気付きながら動作をしているためでしょう。ただ記憶は段々薄れるようで長期的な記憶に役立っているかどうかは判りません。
  ③寝る前に慈悲の瞑想を行う時、初めのころは最後まで唱えられなくて、私の嫌いな人々・・・のあたりで眠ってしまうことが多かったのですが、今は最後まで何回でも唱えられます。
  ③落ち着かない時、元気が出ない時は、きちんと坐れなくても、椅子に腰かけて10分間の瞑想でも、霧が晴れてすっきりするような気がします。映画を見たり、音楽を聴いたり、美味しいものを食べるより効果的で、役に立っていると感じます。
  ④気管支喘息の持病があるのですが、瞑想を始めてからこの2年間発作を起こしていません。薬も 4種類から1種類へと減りました。瞑想がどの位効いたのか判りませんが、坐る瞑想で腹部の微妙な感覚を捉えようとすると自然とゆっくりとした深い呼吸になるのが良いのではないかと考えます。
  ⑤元々妄想好きの質だったようで、よく考え事をしていて乗り越したり、通り過ぎたりすることが多かったのですが、最近は余りしなくなりました。
  ⑥地橋先生のお話で、ラベリングにどういう言葉を選ぶかということが重要である、ということの意味が判らなかったのですが、脳科学の本を何冊か読むうちに言葉は単なる記号ではなく、思考、記憶、感情と深い関係があることが判り納得できました。特にエピソード記憶等の映像も言葉に分解して記憶しているというのは驚きです。最近は注意深く言葉を選んで使うよう心がけています。自然とテレビ等のメディア、宣伝・広告等は正語に反することばかりなので避けるようにしています。
  まだ瞑想がきちんと出来ているとはとても思えません。また、仏教の教えについても、四聖諦、七覚支、八正道、十二縁起等の理解はほとんど出来ていません。しかし長年、科学技術の仕事をしてきた者から見ると、お釈迦様の教えは論理的、科学的であるように思えます。瞑想が生活の役に立っているのは確かだと感じます。妄想を止め、貪・瞋・痴の汚れを落とし、自我を捨てることは至難なことで、どこまで出来るか自信は無いですが、少しずつ瞑想と経典の勉強の時間を増やして精進し、雑事に煩わされず、さわやかに生きたいと考えています。合掌。

 


 

『生活に沁みていった瞑想』 関根かつゆき

  ヴィパッサナー瞑想と出会い、2年が経ちました。この 2年で私にどんな変化があっただろうか?と考えました。
  怒りが少々、いや大分減った。気持ちの許容量が増え、慌てる精神状態が減った。とにかく「なんとかしなきゃ」と思っていたことが減少し、「良い」と思えることが増えた。そう感じます。以前は気持ちに余裕がなく、すぐ焦ったりしていました。実際12年前に電車の中でパニックになり「パニック障害」と診断されたこともあります。
  私の場合、直ぐ行動に出たのが良かったと思います。書店で地橋先生の本が目にとまり、帰宅しネットで調べたら自宅から近い場所で月例瞑想会を行っていると知り、「よし、近くだし自転車で行ってみよう」くらいの気持ちで瞑想会に参加。そしてその2カ月後には短期合宿に参加できる・・・と今考えると、恵まれすぎてました。ありがたいことです。
  若いときは、どちらかというと宗教的なものにアレルギーをもった、ちょっとモノを斜めにみる癖のあるタイプでした。というのは私が小学生、中学生のとき両親が続けて癌で病死、そうすると周りで、何か新興宗教的な勧誘の空気が漂い、子供心に何か「嫌だな・・・」と心に残ってしまったのかもしれません。
  歳の離れた兄がいたのですが、その兄も精神的な病に犯され、数年前、孤独死。小さい時から「病気と死ばっかりだな・・・」なんて感じていました。ただその思い出がどうしようもない思い出ばかりかというとそんなことはなく、どちらかというと楽しい思い出が多いのは不思議です。両親、兄弟に感謝の気持ちが起こります。
  そんな境遇からか、高校の進路相談の時、担任が「君はお坊さんになってみる気はないの?」と何回か開かれました。自我が出てきた思春期、当然答えは「ありません」でした。でも今思うに、担任は当時の私に他の学生とはちょっと違うタイプを感じていたのかもしれません。
  瞑想会に参加して一番驚いたのは地橋先生のインストラクションぶりでした。実は私も、物、技術を数えるインストラクターを仕事にしているため、先生のエネルギーには圧倒されました。私といえば、「・・・だからしょうがない」的な感覚で、「仕事だからしょうがない」「お金を貰ってるんだからしょうがない」「プロなんだからしょうがない」等、何か理屈をつけて仕事をしていたような気持ちになり反省させられました。先生に「納得し、理解してもらうことです」とアドバイスされました。この言葉は慈悲の心とやさしさに溢れていて、その後の支えになっています。
  原始仏教や瞑想の実践はこの後から始めたので超初心者ですが、比較的早く合宿に参加できたことや、月例や自主瞑想会での先輩や法友の方の姿勢が励みになり、瞑想が習慣化したのは嬉しいことです。
  また、先生をはじめ皆さんが、充実した瞑想を進めていくための食事方法や健康面の知識がもの凄く、仏教というのはオールラウンドだな、と感じています。
  「一切皆苦」「苦諦」という言葉を知った時、何故かほっとした、と言うか「ああ、やっぱりそうだったのか・・・」と心が軽くなったことも驚きでした。
  漠然と感じていたが、釈然としない事柄を原始仏教は理路整然と説明してくれました。それらを超えていく方法論やシステムまで完成されているとは、ショックでした。この段階で自然と「受け入れよう」という気持ちが強くなり、自分の気持ちの中で仏教が大きな存在になってきました。
  ウォーキングが日課だったので、ついでにゴミを拾う。そうすると、帰って来てからの瞑想の集中が良かったり、それを狙ってやるとイマイチだったり、でもやらないよりは拾ったほうが良い・・・なんて考えながら少しでも善行していこうと思っています。日々の生活のなかで慈悲の瞑想をいつも心がけ、日々瞑想ができる環境に感謝し、地橋先生が言っておられた「仏法のある世界」にいることに感謝し、生活していければと思っています。
  瞑想の実践はトントン拍子に成果が出るとは最初から思っていないので、らせん階段をゆっくり、少しずつ上って行くように、と心がけています。気がついたら、「こんなに景色の良い山の頂上にいたんだ」なんて思う日がいつかくると良いのですが。
  気がついたら、「こんなに景色の良い山の頂上にいたんだ」と思える日が必ずやってくるのを信じて・・・。

 

 

『数百万円つぎ込んだ果ての瞑想』(1) 徳龍童子

  5年前のちょうど今頃、私は計3回の手術を受け、トータル一カ月余りの入院生活を経験しました。最悪一歩手前で何とか踏み止まったものの、どうしてこういう人生なのかと自らを呪う術もありませんでした。少なからず死というものを考えざるを得ない状況の中で人生観の転換を期待したものの、凡夫にはそんなことは起ころう筈もなく、自らに降りかかった「苦」を、ただ淡々と受け入れるだけでした。
  退院した後は、さらに現実世界の「苦」に対時しなければなりませんでした。私が12年前に起業した会社の経営のことでした。何とか勢いで起業して、ある程度のところまでは来たものの、決して平坦な道のりではありませんでした。経営者の方なら誰でもが経験する売上の問題、資金繰り、営業活動、人事面での問題など、頭を悩ませない日の方が少ないものです。そして、解決策を求めてマーケティング、営業研修、自己啓発セミナーなどありとあらゆる勉強会に参加してきました。
  関連の本やCD DVDを買いあさり、出来る限りの知識、情報を追い求めました。これまでに費やした額は数百万円以上になると思います。しかし、その効果といえば、一時的なものであり、過ぎ去れば、また新しい知識、情報を求めて彷徨い歩く状況でした。経営にとって、あるいは人生にとって何が本当に大切なものなのか、知識としての真理はいくらでも得ましたが、肚に落ちるまでの納得の行く答えが見つかることはありませんでした。
  仕事も会社経営も全てこの世の出来事の一部であるに過ぎないと頭ではわかっていても、実感として認識する余裕が全くありませんでした。その結果、常にイライラ、怒り、心配、不安に苛まれ、その一時を紛らせるためにアルコールの力を借りなければなりませんでした。その結果が大病へとつながって行ったのです。
  カルマの法則を理解し始めている今だからわかることも、当時は全くの無明の世界にどっぷり浸っている我が身には、ただ闇雲に様々なことに手を出し、もがき苦しむだけしかなかったのです。
  そんなある日、毎月定期購読している日経のビジネス誌の中に、ある記事が目に留まりました。「一日10分の瞑想で、ストレス解消!」それまでのビジネス中心の記事には、まったく見あたらなかった内容で、20代の頃に瞑想の体験を持っていた私には、とても興味を引かれるものでした。そして、その記事の内容にちょっとしたカルチャーショックを受けたことが、さらに私を引き付けることになりました。それというのも、ヴィパッサナー瞑想、サマタ瞑想、サティなどというそれまでの私の瞑想の知識には全くなかった言葉を見つけたからです。
  歩く瞑想?それまでの瞑想に対する概念が打ち砕かれる思いでした。早速、地橋先生の本やDVDを購入して独習を始めました。そして、すぐに東京の一日瞑想会に参加、10月からは朝日カルチャーの講座も受講し始めました。家族が寝静まった深夜、10分間の歩く瞑想と坐る瞑想は、今まで経験してきた瞑想とは違って、とても新鮮な気持ちで実践することが出来ました。しかし、一日10分というのは、あまりに早とちりで、しまった!と思った時には既に遅かった(笑)。
  清浄道のためには、善行、慈悲の瞑想、懺悔の瞑想、五戒を守るなど、やるべきことが盛り沢山です。しかし、そうこうしているうちに、なぜか会社の業績も向上して行きました。これは、偶然なのか、あるいは、本当にヴィパッサナー瞑想の効果なのか、実際のところわかりませんでした。これまでにしてきたマーケティングの手法が徐々に成果として現われてきたのか、瞑想修行の効果なのか、はっきりとした実感は持てませんでした。
  このことは地橋先生にも、何度かレポートさせていただきました。不善心所にならないこと、善行を続けることとアドバイスを頂きました。そして、出来ることから善行を続け、不安、心配などが心に生じた時には、サティを入れて不善心所にならないようにしました。また、気分的に深く落ち込む時には、「それなら、この機会にヴィパッサナー瞑想を試してみようではないか。本当に効果があるのかどうか、いいチャンスではないか!」と、ある面開き直りました。そして、徹底的にヴィパッサナー瞑想の実践をしました。瞑想、善行はもちろんのこと、通勤時間の往復2時間以上は、CDDVDのダンマトークをウォークマンで聴き、慈悲の瞑想も事あるごとにしました。特に五戒のお酒を飲まないことは、私の健康管理にとっての大義名分となりました。(続く)

 

 

『数百万円つぎ込んだ果ての瞑想』(2) 徳龍童子

  それまでは得てきた仕事の知識や技術が空回りしてなかなか結果として現れなかったものが、瞑想の実践から、人生全般の流れが滞ることなくスムーズになったことによって、効果的に働きだしたのかもしれません。過ぎ去れば、全て必然、必要なこと、過去にした失敗の数々はすべて今の自分に生かされていると言えるのかも知れません。
  そして、12月には過去最高の売上、通常落ち込む1月も何とか順調にやり過ごし、2月は稼働日の少なさも影響し多少の落ち込みがありました。しかし、3月には特需もあり、さらに最高の売上を記録し、お蔭様で現在も順調な売上で伸び続けています。
  商売人としてお客様に喜んで頂くためには、研修や本で得た知識は確かに正しいことを言っているのかも知れません。しかし、上っ面のことをやっても一時的であり、継続しにくいものです。智慧として活かすためには、慈悲の心でお客様に接することによりはじめて、本心からお客様に喜んで頂けるのだと思えるようになりました。毎日お客様へお送りするハガキの一枚一枚に慈悲の瞑想の言葉を発するようにしています。
  その成果なのかどうか、これまでの小手先のテクニックを弄することに四苦八苦せずとも、リピーターのお客様が増え、新しいお客様も増えて来ているように感じています。また、ブッダの教えは、経営の判断や日常生活での判断を行うときの大きな指針となるので、あれこれ悩むことも減りその分ストレスも軽減されます。会社を通して、本当の意味での世のため、人のために、我が身を捧げることの楽しみを享受出来る一歩を踏み出すことが出来た、と最近思っています。「私が、(本当に)幸せでありますように!」と慈悲の瞑想の冒頭の文章が始まるように、私からで始まる「幸せ」がなければ、人の幸せを願う心の余裕が育たないのだとわかり始めました。
  家庭面においては、子供(男の子二人)に接する態度が変わりました。それまでは必ず叱ると同時に手が出てしまっていたのですが、今では声で叱るにとどまり、直接手で叩くことはほぼ皆無になりました。子供は親にとっての写し鏡だということを芯から理解することが出来るようになりました。親の怒りが子供の怒りとして現われる。子供の将来を憂うる前に、現在の我が身の心に気づくことがいかに大切なことであるか、ということに気づかされました。そして、それまでは、仕事の多忙さを言い訳に家のことはほとんどしなかった私も、お風呂やトイレの掃除、食器洗いなど、出来るだけ家事もするようにしています。
  善行は、道端のゴミ拾い、近所の施設周りの草取りなど、出来る範囲で始め、定期的に寄付するなど、善行ノートをつけながら毎日続けています。善行を行うことは、自分の行動に対する確かな自信となる効果があると思っています。特に、仕事を行う上で、これだけのことを行っているのだから、良い成果が必ず現れるという確かな実感です。俗物的な考え方ですが、こう考えることによってモチベーションが上がります。そして、現象として良いことが起こった時ほど、意識的に、一層善行に励むように心掛けています。
  まだまだ煩悩の塊の未熟な初心者ですが、出会って7カ月での体験を書かせていただきました。実感として、ヴィパッサナー瞑想の効果はとても速いと思っています。それは、私がヴィパッサナー瞑想の体験が進んでいるというのではなくて、今までに私が経験した研修やセミナーと比べて、その効果の出方がとても速いと感じています。そして、持続的です。また、会社の経営にはお金がつきものですが、お金の問題もすべて、人の心の問題に根差したことだと今さらのように実感している今日この頃です。
  いくらかでも日々の仕事に活かせればというのは、本来の仏教の道を極めようとする方からすると、あまりに俗物的なのかも知れません。しかし、このことがきっかけで、ヴィパッサナー瞑想に出会えたことは、私にとって残された人生を全うするのに相応しい生きる拠り所になっております。
  この時期に、この年齢で出会っていたからこそ、これからも一所懸命続けていこうという気特になれるのだと思っています。もし、これがもっと若い時ならば、飽きっぽく新しもの好きの私にとって、きっと一過性のこととしてやり過ごしてしまったかも知れません。この年齢で出会えたことに、とても縁を感じています。
  今回、体験談を書かせていただく機会をいただきましたことに深く感謝いたします。ありがとうございます。

 

 

『ヴィパッサナー瞑想とのご縁』 匿名希望

  今から十数年前に坐禅会に参加させていただきました。これが私にとって仏教との最初の接触でした。そこでは仏教の基礎知識と、坐禅をして心の静けさを得ることの大切さを学ぶことができました。
  それから数年後、仕事を退職しました。増えた自分の自由な時間を使って、それまでとは異なった観点から仏教の勉強をしたいという気持ちが強くなりました。たまたまその頃、インドとミャンマーに旅行する機会に恵まれました。この時の仏教巡拝ツアーを通じて、次のようなことが、自分の気持ちの中ではっきりしてきました。
  第一に、ブッダの教えとその実践である瞑想の根幹を学ぶ。その方法として、テーラワーダ仏教によって、二千数百年にわたって伝持されて来たパーリ語の経典を読み、瞑想の背景についての理解を深める。
  第二に、ブッダが覚られ、弟子たちにも勧められた「ヴィパッサナー瞑想」を習得する。そのために、まず「ヴィパッサナー瞑想」を訓練する機関を探し出す。
  こうして、長い間いろいろ回り道もしましたが、最終的には地橋先生にご指導をいただくことになりました。私は、特に次のような点に魅力を感じました。
  ①法話と瞑想実践の二本柱のカリキュラムで、その二つのウェイトは瞑想の方に重点が置かれている。
  ②法話は、世間で実際に起こったことや、メディアで報じられたこと等幅広く、印象に残るものが多い。また、仏教はそれらについてどう考えているか分かりやすく解説し、説得力がある。
  ③受講生一人一人との公開インタビューでは、各人に適した問題解決の対応策を例示される。
  毎回出席する度に、私は多くのことを学ばせていただきましたが、その中で特に印象的であった一例を述べたいと思います。
  半年ほど前のこと、当時私はサティ、特に心随観の習得に励んでおりましたが、壁に突き当たって苦しんでおりました。そこである日の公開インタビューで、その壁をクリヤーできるようなヒントを下さいとお願いしました。その時及び前後の質問者の回答の中から、私の問題にも示唆的だったものを選んでみると以下の通りです。
  ①「ヴィパッサナー瞑想」のやり方が正しければ、成果は必ず上がるものである。
  ②厳密なサティの基礎が身についていないのではないか。
  ③よいサティを入れようとするのは邪道である。上手くいかない時こそ、自分の本質が見えてくるものである。
  ④サティは、最初から入らないものと考えていた方がよい。特に、他人と比較して一喜一憂することはしないように。
  ⑤自分に与えられた条件の範囲内で生きていけばよいと達観してみる。
  ⑥課題追及型の生き方は、「ヴィパッサナー瞑想」の目指す世界とは無縁である。
  ⑦本来、心は徐々に変わっていくものと心得るべきであって、速効性を求めるべきではない。
  清浄道を歩むこと(例、善行、慈悲の瞑想、五戒を守ること等を含む総合的な「ヴィパッサナー瞑想」)によって、反応系の汚れた心を浄らかな心に変えていくことができる。

  これらの話は、思い当たることも多く、特に強く気付いたのは次のようなことです。
  ①サティの技術面の向上に執われ過ぎていたこと。
  ②現代人に共通する価値観や心の傾向(例、競争原理、課題追及型、他者との比較重視等)に対する批判、修正を手つかずのままにして、慈悲と智慧の仏教を学ぼうとしても、仏教の知識量が多少増える程度である。したがって、仏教の根幹に照らした生き方をするには、清浄道を歩むことによって、汚れた反応系の心を浄らかなものに変えていく努力が、最重要であること。
  私は、今ようやく清浄道の入口まで辿りつき、及ばずながら、その道を歩みはじめたところであります。未熟者ではありますが、今後とも清浄遺を歩み続けるつもりでおります。

 

 

 

『作務衣のボランティア』 沙門全道

  ふだんから、頭を剃り、作務衣を着て、雪駄を履いて、過しています。誰が見ても坊主です。少ない風体なので、ジロジロ見られることもあります。一度会うと、二回目には思い出していただけることが多いようです。ですから、前に来たときに何をしたかがベースとなって、次の出会いが始まります。いつも現世での輪廻を思いながら振舞っています。
  私は、次のようなボランティアをさせていただいています。東日本大震災の避難所訪問・電話相談、自殺対策に取り組む僧侶の会での遺族の分かち合いの会・自死希念者からの手紙相談、老人ホームでの傾聴。法話や傾聴のときには、作務衣の上に改良衣を重ね絡子(略式の法衣・袈裟)を掛けます。
  僧侶や法衣に嫌悪感を持つ人がいます。福島“いわき”の避難所を訪れたときは気難しそうな顔つきの人には予め挨拶しました。歌や笑いの出し物の間に、「慈悲の瞑想」を紹介しました。避難が続くなかで、チョッとしたことでトラブルになると開いていたからです。
  その後個別に話を伺いました。とくに、一人ぼっちの人と話すよう心がけました。
  なお、ここには、地震・津波で被害を受けた人たちばかりではなく、原子力発電所の放射線漏れ事故で避難させられた人たちがいます。東京電力や行政の対応が良くないとして怒りをブツケられ戸惑うこともあります。でも、たいていの方は瞑想の話を好しとされ、個別に話ができることを喜ばれ、来て良かったと思いました。
  心の中の悲しみを訴えられることが少ないのは、体育館でプライバシーがないからでしょうか。
  五月連休中に、震災死による遺族からの相談を受ける電話が設けられ、電話を受けるボランティアにも加わり始めました。肉親が津波で行方不明でニカ月近くなっても先へ踏み出せないでいると訴えられる人がおられ、震災報道を見ていままでの精神障害が悪くなった人もおられました。
  でも、深刻な悩みや苦しみを聴くとこちらまで辛くなり、みずからの死別の悲しみは気にならなくなります。
  クーサラを始めたのは、母と弟とが相次いで肺炎で死に、心が乱れて事故に遭ってからです。地橋先生が勧められている多布施(佐賀)で池上先生の集中内観を受けました。離れて住んでいたため、亡くなった人に尽くし足りなかったのではと悔やむよりは、代わりにいま困っている人のために自らの身や心を布施することが大切と思うようになりました。
  クーサラして感謝されると自らが力づけられます。日常内観を続けて、手のかかる肉親が亡くなって肩の荷が降りたと思っていることにも気が付きました。おかげでクーサラできて充たされて生きられるので、母・弟に感謝しています。
  また、ヴィパッサナー瞑想に集中できないときに、その因を内観による心の随観で気づき、手放すことで中心対象の無常を観られるようなりました。
  坐禅は、40年前勤め先での人間関係でトラブルがあって仕事に差し支えるので、自らを変えてみようと思って始めました。道元禅師の「只管打坐」を30年間も励んだのに、坐禅中は心が静まっても覚りにはほど遠く、日常生活の変り方は足りないと思うようになりました。
  10年ほど前から、釈尊の瞑想を試みようと上座部仏教の瞑想を始めました。ヴィパッサナー瞑想で、指導者に瞑想状況を話して助言を受け、瞑想が進みました。数年して、腹の膨らみ縮みあるいは鼻の穴を出入りする空気に集中することで、三昧に入れることがありました。それでも、常に心が鎮まる覚りに行き着くまでは至りませんでした。
  グリーンヒルで日本人から日本語で指導を受けられるようになり、地橋先生の的確な応答により腑に落ちるようになりました。また日常内観するようになり、ヴィパッサナー瞑想が進みました。ありがたいことです。

 

 

 

『「怒らないこと」から始まりました』 TN

  今年2011年は手塚治虫のアニメ映画「ブッタ」の上映や「ブッタ展」の開催により原始仏教やヴィパッサナー瞑想に興味を持つ人も多くなることでしょう。私自身もヴィパッサナー瞑想と出会ってかれこれ一年半になりました。
  私の父親は意外と短気でその遺伝を受けたのか、私自身何気ない事に「イラッ!」ときたり、両親に「~は、前に言ったじゃん!」などと、他人に対しては怒ったりする事はほとんどありませんが、身内には平気で怒る事がある「外面が良い」典型人でした。
  そんな子供の頃のある日、テレビで比叡山の千日回峰行を満行された酒井さん(後に二度日の回峰行を満行され大阿闍梨になられた)が、「早朝に修行のため小走りで進んでいると目の前に身の丈以上の“アシ”の茂みにぶつかりました。そのアシは朝露でたいそう濡れていたのです。『この中を進むのは嫌だなー』と一瞬思ったのですが『いや!待てよ。この朝露の滴が地面に落ち地下水となりやがて琵琶湖に入ると我々の飲み水になるのではないか』と考えるとアシの茂みに入って滞れても『なんとありがたい事か』と思えるのです」との話を開き、「心の使い方」の僧侶と一般人の違いを知って心の正しい使い方に興味を持ち、宗教書や哲学書を読み進み、その時に(書物の上で)出会った哲学者曰く「私も人間だから当然<怒りもするし<悲しくもなる。ただ、それをいつまでも引きずってはいけないよ。すぐに心をパッと切り換えるの。心は一度に二つの事は考えられないからね。よい事を考えるの。自分の心を汚す様な事はしてはいけないよ」。
  この教えを受けて、「怒る事があってもこれはしょうがない。ただ、それに執らわれてはいけない」と長年これを実践することにより、心に「怒り」をとどめる事が少なくなりました。しかし、「怒り」をとどめることは少なくはなったのですが、下手をすると心の片隅に追いやっていた「怒り」が復活したりすることもあります。これでは瞬間でも「怒らない」自分にはなれません。「怒り」の芽を摘むことは不可能なのです。そこで自身の「イラッ!」とする感情を無くすことを「自分の課題」とすることにしました。
  そんなある日、スマナサーラ長老の書かれた『怒らないこと』を知り、いくつかの著書からヴィパッサナー瞑想が有効であることが判り、インターネットを通じて朝日カルチャーの瞑想教室を見つけました。もともと大型ロボット「AIBO」の開発者が瞑想の効能を紹介していた著書を見て興味があったのと、集中力を付けるのに効果があるのではないかと思い、地橋先生のご指導を仰ぐ事となりました。
  ヴィパッサナー瞑想を始めての効果ですが、仕事の処理時間が早くなったことが挙げられます。それまでは、集中力が欠けている時など、過去の仕事の成果にひたったり、失敗事項を反芻したり、週末の予定を考えたりと仕事をせずに妄想に浸っている時間が多々あり、またそれを悪いとも思いませんでした。今では妄想が始まり、気がついた瞬間「妄想!」とサティを入れることにより仕事に自分を引き戻すことが出来、効率よく仕事が進むようになりました。
  「怒り」についてですが、地橋先生から「魂は存在しないのだよ」と指摘を受け、自分なりに「そうなのかなー」と思っていたのが、ある日突然「魂は存在せず全ての物は同一」と考えるようになってから、自分も他人も考え方の基本は一緒、人の何気ない行動による自分の「イラッ!」は、自分の気が付かない行動による他人の「イラッ!」でもあり、他人の事は見えるが自分の事が見えない「我」の強い自分に気が付きました。
  今までは、「我」の強さゆえに他者との競う気持ちが強く、「自分」の中で「他者」との間隔がくっつきすぎて他者の反応の直撃を受けていました。それが、慈悲の瞑想による自分の嫌いな人をも思いやる気持ちの強制で「我」が弱くなったのか、一歩離れて相手を見ることが出来、距離を置いたがゆえに反応の直撃を受けることなく相手を理解できる余裕が備わったような気がします。
  それにより今までは「イラッ!」としていた事象でも「怒り」を他に振り向けるのではなく、「怒り」そのものが湧かない「怒り」の芽を摘むことがかなり出来るようになったような気がします。これも慈悲の瞑想のお陰ではないかと思います。
  とはいえ本来怠け症の自分ゆえに瞑想時のサティの精度もいまひとつ・・・・・・、真剣に瞑想に取り組まねばと思う今日この頃です。まだまだ原始仏教の入り口に立ったばかりで、難解な原始仏教ゆえに判らないことだらけ、瞑想についても初心の域を出ることが出来ませんが、法友の皆様と共に修練の道に励んで行きたいと思います。

 

 

 

『法施の代わりに』 高橋秀典
  「まあ、これでいいか」とネットで瞑想教室を探して、軽い気持ちで200910月からの朝日カルチャーに参加しました。その前年の春、転職による環境変化で一種の五月病になっていた時に、書店である瞑想本と出会い、慈悲の瞑想による効果はすぐに理解することが出来ましたが、ヴィパッサナー瞑想の説明がちょっと抽象的であったために本気で取り組むことはなく、一年半ほどの空白期間が経過していました。それでも瞑想には興味があり、勉強できる環境があるならばやってみようと思い申し込みをしました。
  甘い考えで新宿に行ったため、グリーンヒルのホームページを下調べもせず、地橋先生がどんな方なのかも知らない上に、周りの方々がリピーターばかりとはつい知らず、初回終了後は一種の危機感と同時に瞑想に対して大きな期待感も抱いたものです。
  翌日には『ブッダの瞑想法』を購入し、毎日晩酌をする暇があるなら瞑想を、と不飲酒戒を徐々に、そして三カ月後には完全に戒を守るようになりました。大酒飲みの私があっさりと酒を断ったものですから、友人からは随分と不評でした。
  瞑想を初めて一カ月後ぐらいに伯父が再発した癌で亡くなりました。葬儀を終えてからも疲労感が何故かなかなか取れませんでした。しかし、ふと「怒り」とサティが入ると同時にすべてが氷解してしまい、非常に驚いてしまいました。「伯父に対してもっと治療することが出来たのではないか?」という、行き場のない怒りの感情が私の心の中に「有る」ことに気が付いたのです。これをきっかけにサティの技術が持つ力の素晴らしさを理解することになりました。
  自分自身が持っている倣慢さに気が付いてからは、ゴミ拾いなどの善行を厭わず、行く道を人に譲り、より積極的に財施を心がけました。ダンマ系の情報も求めれば書籍や仏典、さらにネット上で読める法話に不思議とその時に必要とするものと都合よく出会うことが出来ました。足を組む時の痛みに悩めば真向法の存在を知り、瞑想前のストレッチとして行うようになってからは楽に真っ直ぐな姿勢で足が組めるようになりました。また瞑想中に「サティが嫌い」と思ったこともあります。しかし、残念ながら時すでに遅し、もう信が定まっていました。
  こうして瞑想会でまた仏典などでダンマを学び続けることによって、そもそも何故瞑想することを求めていたのかを漸く理解しました。前述の空白期間に、さらにそれ以前からあった壮絶な苦の存在にやっと気が付いたのです。それまでただ漠然と辛いと感じていただけでしたが、そこに苦が有ると客観的に観ることが出来るようになったのです。それまで四聖諦の苦諦すらも本当に理解出来ていませんでした。
  それからは子供の頃から学生時代、社会人になってから瞑想を始めるまでに至った経過を丁寧にトレースして思い返し、また可能な限りその地に足を運びました。遠くは出張先だった高松まで飛びました。懐かしい風景とともに苦しい感情を思い出しましたが、それはすべて終ったこと、恐れていたのは自分自身が作り上げた幻影に怯えていただけだと気付く、そんな行程となりました。いつの間にか、あるがままに妄想を介在させずに事象を観ることが出来るようになったものです。
  私と仏教との最初の接点は小学二年生の頃、曾祖父の死に対して見様見真似で始めた般若心経の読経から始まります。今思えば曾祖父の死に対する対処を幼いなりに求めていたのだと理解できます。以来、付かず離れずの関係が瞑想を始めるまで続いていました。また、父が先祖供養に非常に熱心で、このような家庭環境に生まれたこともアビダンマ(論蔵)に接すればそれも単なる偶然だとは思えません。この頃になってこれまでの全てはこの一本の道に繋がっていたのでは、と思うことがあります。まだ妄想、渇愛、執着がなくなった訳でもなく、捨てられないモノは山ほどありますが、これからもこの道を一歩一歩、淡々と進んで行きたいと思います。
  皆様に三宝のご加護がありますように 合掌


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