月刊サティ!

認識論のモデルを活用した人材開発手法の体系化に関する一考察

    ―サティの技法, 内観法とフラクタル心理学を中心として―

加藤雄士


 
今月号より3回にわたって、加藤雄士氏による論文『人材開発手法の体系化に関する一考察 ――サティの技法, 内観法とフラクタル心理学を中心として――』を掲載することになりました。
  加藤氏は現在、教授として関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科アカウンティングスクールに在籍されており、税理士、中小企業診断士、社会保険労務士の実務家としても活躍され、また、全国の地方自治体、民間企業、中小企業大学校、税務大学校など多岐にわたって人材開発に携われています。
  本論文は、関西学院大学経営戦略研究会『ビジネス&アカウンティングレビュー
第23号』(2019年6月)に掲載されたもので、『月刊サティ!』への転載をお願いしたところ、ご快諾をいただいものであります。
  内容は、要旨にも見られるとおり、人材開発に効果的な3種の手法を、地橋先生の提唱する入力系・出力系の詳細な認識論を枠組みとして考察されたものです。瞑想修行を進める意味を明瞭にし、確かな理解を促すものとして、『月刊サティ!』の読者の方々にぜひ熟読されることをお勧めいたします。
  ここに改めて加藤雄士氏に対し深く謝意を表するものであります。(編集部)


   

  認識論のモデルを活用した人材開発手法の体系化に関する一考察(1)

 
―サティの技法、内観法とフラクタル心理学を中心として―
                              加藤雄士
 
   
 
                              要   旨
            本稿では、多様な人材開発手法を1つの枠組みで比較考察しようと試
          みた。具体的には、地橋秀雄の認識論のモデルの入力(受容)系と出力系
          の心という枠組みを
用いて、3種類の人材開発手法を体系的に位置づけた。
          入力(受容)系の手法としてヴィパッサナー瞑想のサティの技術を、出力系
          の手法として内観法とフラクタル心理学のインナーチャイルド療法を位置づ
          け、それぞれについて考察した。



Ⅰ はじめに
   人材開発については、様々な場面が想定され、その手法も多種多様なものがある。ただし、人材開発手法について、どのような場面でどのような手法が効果的なのか、どの手法とどの手法を組み合わせると効果的なのかなど人材開発手法の活用について、ガイドとなるような体系的な研究成果は多くない。そこで、本稿では、人材開発手法の体系化の試みとして、地橋秀雄の認識論のモデルにおける入力(受容)系の心の修正と出力系の心の修正という枠組みを使い、3種類の人材開発手法を体系的に位置づけることを試みる。具体的には、入力(受容)系の手法としてヴィパッサナー瞑想のサティの技術を、出力系の手法として内観法とフラクタル心理学のインナーチャイルド療法を位置づけ、それぞれについて考察する1)


Ⅱ 入力系と反応系(地橋の認識論)のモデル
  地橋秀雄(2008)の認識論のモデルの入力(受容)系の心と反応系の心という枠組みで人材開発手法を体系化しようというのが本稿の目的である。そこで、本章では、地橋の認識論のモデルについて概説し、そのモデルに沿って、入力系と反応系という2種類の「心」とその修正法について考察する。

 1 地橋の認識論のモデル

   地橋(2008)は、「認知とは、対象が知覚され、心に認識されることをいい、『対象(情報)』と『六門(感覚受容器)』と『識』の3要素が矢印でつながる瞬間に、意識が生まれ、認知の最初のステージが始まる」2) という。そして、人の認知について以下のように段階的に説明している3) (図表1、図表2参照) 
 
   
    


 

 2 入力(受容)系と反応系の2種類の心
  (1)認知のプロセスと2種類の心
  地橋は認知のプロセスを入力(受容)系の心と反応系の心の2種類に分けて(図表1、2参照)、それぞれを以下のように説明している(下線筆者、以下同じ)

          十二処の認知のプロセスは、電光石火、一瞬にして展開していきますが、「想」を
     分水嶺として、性質の異なる二種類の心の流れがあります。対象を認知し、情報を
     受容する入力系の心と、受け取った情報に対する反応を起こして、エネルギーを出
     力していく反応系の心の二種類です。(地橋、2006
p.88)

  本稿はこの入力系の心と反応系の心という枠組みで人材開発手法を体系化することを目的とする。

  (2)入力(受容)系の心
  地橋は、「対象」から「受」までのプロセス(「対象」→「六門」→ 「(触→)識」→「受」)を「入力(受容)系の心(異熟心)」と呼び4)、以下のように説明している。

          情報を受容する入力系の心は受動的なのが特徴である。隣家で天ぷらを揚げ始
     めれば、換気扇から排出される油の匂いが知覚されてしまう。「ガチャン!」と音が鳴
     れば、否応なしに耳の門が情報を入力してしまい、「聞いた」という「耳識」の発生と微
     かな「苦受」が生じるのは止められない。
受容系(入力系)の心は、 成起した現象によ
     って引き起こされる「結果の心」とも言えるでしょう。(地橋、2006p.88)

  (3)反応(出力)系の心
  他方、「反応系の心」は基本的に三層構造になっているとして、地橋は以下のように説明する。

      後天的な学習全般で作成されたプログラム(人生観・世界観・価値観・ものの見方)
      刷り込みのプログラム(決定的な環境因子によって刷り込まれた反応パターン。例
      えば、狼に育てられれば、狼の行動パターンが刷り込まれてしまう。第二の天性)
      DNA情報による生命の根源的なプログラム(本能や遺伝子の命令する反応系)
      (
橋、2006p.92)

  (4)反応(出力)系の心の修正法とその必要性
  地橋は、「反応系の心には、自由裁量の余地があり、汚れるのも清らかになるのも、自分の意思によって決めることができる」5)、「反応系の心の内容はその人の生き方全体によって変化していくもの」6)と説明し、三層の修正法について以下のように説明する。

      ①は、いわゆる心の清浄道で、心をきれいにしていく作業の中心となるものである。
      学習によって作られたプログラムを書き替えることは充分可能だし、それによって
      人生が大きく変わっていくだろう。多くの人に実証されている、最もポピュラーな自
      己変革である。

     ②は難易度の高い仕事だが、幼少期のトラウマ(心的外傷)など、悪しき反応パターン
      を修正できなければ心の清浄道は完成しない。心随観で深層意識まで洗い出し、
      徹底して心の問題点を自覚し、理解することによって、組み替えていく作業をする7)
     ③の遺伝情報の最深部に組み込まれている生存そのものに対する渇愛が、私たちに
      輪廻を繰り返させている元凶である。その盲目的生存への渇愛を滅ぼすためには、
      あらゆる存在を貫いている無常・苦・無我の真理を体験する智慧が不可欠である。
      (地橋、2006
p. 92
)
  
  本稿では、この①と②についての修正法を考察する。なお、反応系の心の修正がなぜ必要かという問いに対して、地橋は次のように答えている(下線は筆者)

  
       人は何らかの現象に出会った時に、どういう連想が飛ぶかでその人の心のくせ、
     煩悩の傾向というのが良く分かります。(中略)気づきの訓練によって常に「欲」「怒り」
       とサティを入れていけば、とりあえず不善心からは撤退できます。しかし一時的に抑
     えられて隠されても、
煩悩はまた浮上してきますから、サティの瞑想だけでは根本的
     な解決が難しいのです。(中略)「煩悩は現象そのものから生まれるのではなく、その
     現象を経験したことに対する判断や解釈が妄想によって汚染されているために生ま
     れる」ということです。そういう意味からは、先ず、妄想や思考の世界に入るなという
     訓練がサティであり、さらに根本的な解決のためには汚染されたプログラムを正しく
     書き替える作業が必須であるということです。(地橋、2015
p. 3)

  そこで、入力系の修正法であるヴィパッサナー瞑想のサティの技術を第Ⅲ章で、反応系の修正法として2つの人材開発手法を第Ⅳ章と第Ⅴ章で考察する。


入力系の人材開発手法 ―ヴィパッサナー瞑想のサティの技術―
 1 ヴィパッサナー瞑想のサティの技術とは
  地橋は、入力系の心の修正法として、ヴィパッサナー瞑想8)を指導しており、そのサティという技術9) について次のように説明する(下線は筆者、以下同じ)

         ヴィパッサナー瞑想は、思考を止めて、事実をありのままに観ることができれば、
     一切の「ドゥッカ()」から解放される、という理論に基づいている。苦の原因は、妄
     想にあり、その妄想は一瞬一瞬の事実に気付く「サティ」の技術によって止められる
     思考が始まった瞬間、「妄想」「イメージ」とラベリング(言葉確認)されると、連鎖しよう
     とする思考の流れが断たれてしまう。こうして思考が止まれば、心に入った情報が編
     集されたり歪められたりすることなく、ありのままに認知される
     (地橋、
2006
pp.72_73、筆者一部加筆修正)

  このサティの技術には2種類あり、地橋は以下のように説明する。

          いま経験している出来事を一瞬一瞬気づいて確認していくのがヴィパッサナー瞑
     想である。気づきがあれば「サティ」があるが、気づきを
言語化して認識確定をする
     仕事を「ラベリング」という。ラベルをペタペタ貼っていく要領で、現在の瞬間の出来事
     を「言葉確認」していく。「識」の段階(「受」がセットで伴う)での「サティ」
(
図表1参照)
     は、「眼識が生じた(見た)」「耳識が生じた(聞いた)」とやるもので
「法(ダンマ)(真実
     の状態)に触れている瞬間でのサティである。但し、ここでラベリングするのは、非常
     に難しい。他方、「想」の段階での「サティ」(図表1参照)は、例えば「(コーヒーだ) と 
     思った」「(蛇だ) と思った」とラベリングするものである。この段階で「サティ」が入れば、
     後続が絶たれ尋が対象に分け入れることはない。
     (地橋、2006
p. 127p. 81pp. 84_85、筆者一部修正)

  ヴィパッサナー瞑想では、入力系の心の修正法として、一瞬一瞬の気づきにラベリングしていく「サティ」の技術を用意している。認識のプロセスの入り口(ともいえる「識」「受」、「想」) の段階でラベリングし、妄想や思考の世界に分け入らないようにする訓練法である。


 2 本章の考察
  前章では、 まず地橋の認識論のモデルを紹介した。地橋はこのモデルを入力(受容)系の心と反応系の心の2種類のプロセスに分類して説明している。そして、それらの修正法として、「思考を止めて事実をありのままに観るサティの技術と情報処理された直後に反応する心のプログラムを正しい清らかなものに書き替えていく10)ものとがあるという。
   前者の入力系の心の修正としては、ヴィパッサナー瞑想のサティの技術がある。ヴィパッサナー瞑想は、マインドフルネスの源流とも言える初期仏教の瞑想法であり、人の苦の原因を妄想にあるとし、その妄想を「サティ」の技術で止めようとする。
   ただし、全ての思考を止めることは不可能なので、後者の反応系の心の修正も同時に進めることが必要であり、その修正は、ヴィパッサナー瞑想の他の方法以外にもあらゆる方法を試す総力戦になると地橋は言う。次章以降では反応系の修正法に関する人材開発手法について考察していく。



反応系の人材開発手法 ―内観法―
  地橋はその認識モデルに沿って入力系と出力系の心に分類し、「入力系の心」にはヴィパッサナー瞑想のサティの技術が効果的だが、「何万回も繰り返して脳の中でできた電車道のような反応バターン」11)、つまり反応系の心を修正していくには、「総力戦」となり、その有効な方法の一つが「内観法」だという12)。本章では、内観法の手法と機序について考察する。

 1 内観法とは
  内観法について、村瀬は次のように説明する。

           内観法は日本において吉本伊信が浄土真宗の「身調べ」という方法を参考に宗
     教色を排し完成させた手法である。内観にはいくつかの方法があるが、そのなかで
     も基本といえるのが集中内観法である。これは原則として1週間宿泊して、1日約15
     時間継続しておこなう。場所は和室の隅に、二開きの屏風を置き、それに囲まれた
     半畳ほどの静かな場所に、楽な姿勢で座る。その間おおよそ1時間から2時間おき
     に、1日7~8回、指導者が内観面接に来る。この面接は1回にせいぜい4~5分くら
     いのごく短いものであり、この1週間は、ラジオ、テレビ、音楽や新聞はもちろん、日
     常的な会話は厳禁である。3度の食事も屏風の中でとる。
     (村瀬、1993
pp.14_15、筆者一部修正)

   集中内観で具体的に何をするかについて、村瀬は次のように説明する(下線は筆者)

         内観は、自分の身のまわりの人びとに対して、自分が何をしたか、どういう態度を
     とったかを、以下に述べる3つのテーマ(項目)に沿って、できるだけ具体的な経験や
     情景を思い出しながら調べていく。

       (1) していただいたこと
       (2) して返したこと  
       (3) 迷惑をかけたこと
          どのような動機、目的で、内観を始めるかにかかわらず、無理のない限り、母親
     (
母親代わりに育ててくれた人)から始め、父、兄弟、姉妹、配偶者、子ども、友人……
     といった具合に、自分と関わりのあるさまざまな人に対して自分はどうであったかを
     時間の許す限り調べていく。この際、過去の自分の歴史を一枚一枚ていねいにめく
     っていくように、他者からみた自分を前述の3点からのみ想起する
     (村瀬、1993
pp.16
、筆者一部修正)

   この想起について、森下も次のように説明する(下線は筆者)

          まず母に対して自分はこれまでどういう態度や行動をとってきたか。母の立場に
     立って、子どもである自分を調べる。実際にあった具体的な出来事を、できる限り細
     かく、丁寧に思い出す。お母さんに『お世話になったこと』、『して返したこと』、『ご迷
     惑をかけたこと』(このテーマは、最も重要かつ困難なので、特に重点を置いて調べ
     る)」の内観3項目に沿って、「
母との具体的な出来事を思い出し、その出来事を内観
     3目にそって調べる。検事(自分)が被告(自分)を取り調べるがごとく厳しく調べる
     (森下文、2018、筆者一部修正)


   幼少期に一番影響を受けた母との出来事を客観的に他者の視点から厳しく調べることは実際には簡単ではない。この点に関して村瀬は次のように説明する(下線は筆者)

          これは簡単なようで実際には難しい作業である。誰しも自分では、 日頃から反省
     感謝を多少なりとも心掛けているつもりでも、「自分がしてあげたこと」「迷惑をかけら

     れたこと」は、しっかり記憶にとどまっているものだが、「自分が迷惑をかけたこと」は
     きれいに忘れているのが常である。それは、ある面では、人間の本性ともいえるもの
     なので、仕方がないことである。内観では、日頃の自分中心の視点からガラリと変わ
     って他者から見た自分の態度・行動を、 具体的に細部までまざまざと思い出すとい
     う作業を進める。
     (村瀬、1993
p.1618)

  人は通常「自分がしてあげたこと」、「迷惑をかけられたこと」はしっかり記憶にとどめているが、「自分が迷惑をかけたこと」はきれいに忘れている。つまり、「記憶」を自分の都合のよいストーリーとして保存している。それに対して、内観では日頃の自分中心の視点ではなく、他者の視点から客観的に厳しく自分の態度・行動を、具体的に細部までまざまざと調べる。その作業により自分本位に作られた「記憶」を作り替える。(つづく)

(承前)
 2 内観法の機序の考察
 過去の「記憶」の影響について, 橋本は次のような例をあげる(下線は筆者, 以下同じ)

      受け入れたくない過去の出来事が, 気がつかぬ間(無意識) に症状や生き難い癖を
    形成している場合がある。例えば「お母さんはおねえちゃんのことばかり可愛がる。
    のことも見て欲しい。」と思った時, 「弟が病気でお母さんが弟の傍にいるから, 無理を言
    わない, 我慢しなくては。」と決める(橋本章子, 2018, 筆者一部加筆)


 幼少期の体験から決めたことが大人になっても生き難い癖を形成して, 成人になっても
行動に影響を与える。さらに, 橋本は次のように説明する(下線は筆者)

      子供の感性は鋭く, 親の顔色や場を読みすぎ, 子供の視点で認知が進む。また,
    が不安定で子どもが安心できない環境にいた場合は, 自己主張や親に逆らうことが苦
    手になる。子ども時代に身につけた「生きる癖」は成人になっても対人関係に影響を
    える
(橋本章子, 2018, 筆者一部加筆)

 子供時代の認知をもとにして身についた「生きる癖」は大人になっても対人関係に影響
を与える。橋本(2018) は「子供時代の体験では親・大人の言葉は絶対だった。この経験
が苦手意識の芽生えになった。ただし, , 成人して振り返ると言葉の背景や真意が見え
てくる13) といい, 子ども時代の体験について次のように説明する。

      「海辺で親に怒鳴られて, 泳ぎが苦手になり親を恨んでいる」という記憶も,「実,
    海が台風で荒れていて危険を教えるために父は大声をあげた」だけのことだった。「父
    に暴力を振るわれ, 父に似たタイプの上司が苦手である」という記憶も, 実は,
ベランダ
    から落ちそうだったので咄嗟に掴まれ部屋に放られただけだった。「本当は
食べたくな
    い嫌いな野菜を口に詰め込み食べていた」という記憶も, 「野菜をちゃんと食べなさい
    が母の生前の口癖」であった。集中内観によって「ずっと思っていたことと, 内観をして
    思い出したことでは場面の理解が異なった」という体験ができる。
(
橋本章子, 2018,
    筆者一部加筆)


 大人の立場に立って, 決められた方法で子供時代の体験を振り返ること(内観法),
の体験に違う意味付けが行われ, 記憶が作り変えられる。高橋美保は, 内観法を「“問題
を”前提としたストーリーからの自己解放」と表現し, 次のように説明する(下線は筆者)


       内観では“問題”は扱わない。つまり, 症状不問である。従って, 「こんなことをして
    いて良くなるのか?」と思うクライエントもいる。「“問題”はストーリーの中で作られ,
    実となる」ものであり, 人は「自分のストーリーの中の自分を生きる。しかし, そのスト
    ーリーを作っているのも自分」なので, 「“問題”を除去するのではなく,
問題を”前提
    としたストーリーからの自己解放」をし, 「問題を作っていたのは
自分であることに気付
    く」のが内観法である。「他者の目を通した自分を観ることで」「“見ているもの”ではなく
    “見落しているもの”を観る」視点の変化が起きる。(高橋, 2018, 筆者一部加筆修正)


 問題はストーリーの中で作られ, 現実となるので, 問題”を前提としたストーリー
から自己を解放していくのが内観法だと高橋はいう。この「“問題”を前提としたストー
リー」が, 過去の自分本位に作られた「記憶」である。そして, 内観の作業は日常とは対
極の非日常だとして高橋は以下のように図示する。

    

  内観によって, 相手ではなく自分を, 感情ではなく事実を, 主観的ではなく客観的に捉
える。過去のイメージ(自分の作ったストーリー) ではなく, 記憶を正確に辿り, 過去の
「記憶」を作り変える。

 3 内観法の事例からの機序の考察
 ここでは, 集中内観の具体的な事例を村瀬(1993) から紹介し(下線は筆者, 以下同じ),
その機序についてさらに考察していく。

       中学生最後の初春に, M子さんは初めて内観した。内観を決心した動機は,小学生
     
の頃からずっといじめられてきた原因を突き止めたいといった気持ちからだった。し
     かし実際に内観を始めてみると, 脳炎後遺症の弟さんを中心とする家族と自分自身と
     の長い長い葛藤の歴史が中心的なテーマとなった。幼かった頃の自分を具体的に調
     べ
ていくうちに思い出が次々と鮮明に浮かび上がり, むしょうに懐しく有り難い気持ち
     になった。三日目あたりで, それまでずっといじめてきた弟が急に愛おしく感じられた。
     以下は彼女の言葉である。なぜ私はこんなにまで弟をいじめてきたのかという疑

     持ち始めました。(村瀬, 1993,
pp. 4
_5, 筆者一部修正)

 小学生の頃からずっといじめられてきた原因をつきとめようという気持ちから内観を始
めたM子さんは, 逆に自分が弟をずっといじめてきたことを思い出したという。

       そのとき, 今までずっと何か胸の奥に引っ掛かってすっきりしないものがあるのに
     気がついたのです。……幼稚園に行っていた頃, 私は, 病気がちで父母から大事にさ
     れ好きなように甘えていた弟がうらやましく, 祖母に甘えようとすると「あなたはお姉さ
     んなのだからしっかりしなさい。弟は病気なのだから」といわれ, 大きなショックを受け
     たことが思い出されたのです。(中略) その祖母の一言で今までずっと苦しんできたこ
     とに気づいたのです。しかし内観に来るまでの私はとにかく「良い子でなくちゃ」という
     ことだけを考えて必死に頑張ってきました。

     (中略)
       私はいつも, 弟に両親を奪われてしまうという疑心暗鬼と寂しさとずっと戦っ
てきまし
     
。……この寂しさが私を苦しめてきた全ての原因と結びついてきまし。そのこ
     とに気づいたときのくやしさ, 空しさ, 言葉では言い表せません。私は内
観の場所でひ
     とりで泣きました。これで今まで弟をことごとくいじめてきた原因が分
かった
わけです。
     (村瀬, 1993,
pp. 5
_6, 筆者一部修正)

 弟に両親を奪われてしまうという疑心暗鬼と寂しさが小学生の頃から弟をいじめてきた
原因であり, そのことは, 自分がずっといじめられてきたことにつながるとM子さんは気
づいたようである。この事例を受けて, 村瀬は, 次のように解説する。

       内観での『自分を調べる』という方法自体は, 事実を客観的にとらえる”という感
     情を切り離した作業ですが, 内観が進むにしたがって, 「こだわり」「怨み」「怒り」が消え
     て, 気負ったり, 背伸びをしたり, 斜に構えたりといった態度から解放されていきます。

       先にご紹介した高校生のM子さんのように, 人間はどこか心にひっかかってきた出
     来事が積み重なっていくにつれて, ものごとをあるがままに感じとることができなくなっ
     てしまいます。内観によって, 人生それまでのアカのようなものがすっきり洗い流され
     たようなすがすがしさが戻ってきます。(村瀬, 1993,
p. 34)

 内観の「事実を客観的にとらえるという感情を切り離した作業」によって心にひっかかっ
ていた幼少期の出来事の意味づけが変わり, “問題”が“問題”でなくなったようである。

       人が根底から変化するときには, 一度は幼かったときの自分に立ち戻ることがすご
     く必要なことが多い。内観の場合は, これがわずか一週間という短い時間の間に起こ
     ることがある, という点で他の方法よりも優れているといえるかもしれない。(村瀬,1993,
     p. 8, 筆者一部修正)

 また, 内観で子供時代の自分に立ち戻ることについて, 「過去のことばかりふりかえっ
ていても進歩がないと思います。将来のことを考えるほうが大切ではないでしょうか。」
という質問に対して村瀬は以下のように回答する。

       現在は過去の積み重ねですから, 現在の自分を知るためには, 過去を見る必要が
     あ
ります。したがって, 過去のことをふりかえることは, 自分の将来にも大きく影響す
     るのです。それに, 現在の行動が, 過去に縛られている場合も多いのです。どのよう
     に縛られているかを発見できないと, その束縛から抜け出すことができません。内観
     をしてみるとわかりますが, 私たちは子どもの頃からよく同じ行動を繰り返し, 同じよう
     な迷惑を人にかけてきています
。ですから, そのことに気がつくということは,自分の本
     質に迫ることになるのです。過去の出来事のなかに現在の自分を発見するわけで
     す。それができないうちは, 同じことを何度も繰り返すことになりかねません。
(
村瀬,
      1993,
pp. 55_
56)

 私たちは子どもの頃からよく同じ行動を繰り返し, 同じような迷惑を人にかけ続けてお
, 幼かったときの自分に一度立ち返ることが必要になる。内観での過去の想起について,
長山・清水(2006) は次のように説明する(下線は筆者)

       中盤以降, 内観が深まるについて, 「してもらったこと」の想起は「して返したこと」よ
    り, むしろ「迷惑をかけたこと」の想起と結びついて, 一つのゲシュタルトを
形成する

    たとえば「母親から注意されていたにもかかわらず, 母の目を盗んでアイ
スクリームを
    買い食いしてお腹をこわし, 発熱して, その晩, 母親は私をしかることもなく一晩中寝
    ずに看病をしてくれました」というように。この場合, してもらっ
たこと
」は行為の主体
    が相手(母親) にある出来事だから, 母親がお腹をこわした
私を一晩寝ずに看病し
    てくれたことが「してもらったこと」に相当する。一方,
惑をかけたこと
」は行為の主
     体が自分側にあり,しかも自分の不注意や不心得,悪意,
ひねくれ等の「心ぐせの悪さ」
    で相手に負担を強いた出来事を指すのだから, この場合, 母親の目を盗んで買い食
    いして, お腹をこわして, 一晩中母親に心配をかけて安眠を妨害したことが「迷惑をか
    けたこと」になる。(長山・清水, 2006,
p. 128)

  「してもらったこと」が「迷惑をかけたこと」と結びついた結果, 自分の「心ぐせの悪さ」に気
づく14)。幼少期に迷惑をかけた「心ぐせの悪さ」は, 修正しない限り大人になっても同じよう
なことを何度も繰り返すことになる。


 4 本章の考察
 本章では, 反応系の心の修正法として内観法を紹介し, その方法と機序について考察し
た。内観法のポイントは他人に対する自分を調べる(3つの質問をひたすら考える) こと,
感情を切り離し事実を客観的にとらえることにある。M子さんの事例は, 「小学校の頃か
らずっといじめられてきた原因を突き止めたい」という動機から内観を決心したが, 「弟に両
親を奪われてしまうのではという疑心暗鬼と寂しさ」が「弟をこんなにまでいじめてきた」原
因であったと気づいた。私たちは子どもの頃から同じ思考回路で現実に対応するために,
同じ行動を繰り返し, 同じような迷惑を人にかけている。過去の出来事のなかに自分を発
見できないうちは, 同じことを何度も繰り返すことになりかねない。内観法は,地橋の反応
系の三層モデルの①と② (特に②) の修正に相当するものと考える。


反応系の人材開発手法 ―フラクタル心理学のインナーチャイルド療法―
 1 フラクタル心理学のインナーチャイルド療法とは
 フラクタル心理学は, 一色真宇(宮崎なぎさ) , 「フラクタル現象学」をもとにして開発した
ものである。0
6才までの思考回路が原因となって, 大人になっても同じような現象を引
き起こす(フラクタル) 構造になっていると考えて, その思考回路を修正していく。その中心
的な修正法が誘導瞑想を使ったインナーチャイルド療法である。

 一色真宇は, 「幼少期に父親から暴力を受けた男性がいるとする」として以下のように
明する(下線は筆者)


       このような人は暴力の体験がトラウマとなり, 自分が大人になったとき, 妻に暴
     力
をふるうかもしれない。(中略) フラクタル心理学のカウンセラーは, このような認
     識のもと, クライエントを父親が暴力をふるったというシーンに催眠療法を使って意
     識を戻す。そして, そのシーンを体験した後, そのシーンの前に戻すのである。する
     , クライエントは(子どもの) 自分が父親を見下していたり, 物を壊すなどの破壊
     行動を繰り返していた
のを見るだろう。つまり, 父親に八つ当たりで暴力を振るわ
     たと思っていたのは間違いで, そういう暴力的な行為を止めるために父親が自分を

     殴ったのだと認識するだろう15)(中略) 父親に愛を見ることになれば, 父親が理由
     なく怒るはずがないからである。そして, 自分が父親にとても愛されていた「本当の
     事実」を発見するのである。
       事実, フラクタル心理学のセラピーを受けたクライエントの多くが, 今まで虐待さ
    たと信じてきた親に対して, 土下座をして自分の間違いを詫びに行く。そして親が,

    分が思っていたような未熟な親ではなかったことに気づくのである。すると, 心から
    自信や信頼感があふれてくるのである。(一色, 2016,
pp. 58_59)

2 フラクタルの心理学と一般のインナーチャイルド療法の比較からの考察
  ここでは, フラクタル心理学のインナーチャイルド療法の理論と目的, 誘導法を, 一般
なインナーチャイルド療法と比較することで, その特徴を考察していく。


  () 理論と目的の相違点
  一般的なインナーチャイルド療法とフラクタル心理学のインナーチャイルド療法の理論
, 以下のように異なる(下線は筆者)

        一般的なインナーチャイルド療法は, 過去の記憶から同じ体の反応を再体験し,
     題となっている相手に謝罪をさせることで, 理論的に過去と折り合いをつけるという
     意図がある。現在の感情が実は過去のものと結びついていたと体感することのでき
     る理論である。幼少期の過去のトラウマが現在の出来事をひどいものにしている
     考える。

        それに対して, フラクタル心理学のインナーチャイルド療法は, 同じように幼児期
     に戻るのだが, 考え方が少し違い, 過去のトラウマが現在の出来事をひどいものに
     していると考えるのではなく, 過去も現在も同列に扱う。つまり, 現在起きていること

     は過去にも起きたことで, そのときの考え方のパターンが現在も過去も同じ(これが
     「フラクタル(相似形)」という意味である) と考える。(沼田, 2015, p. 81, 86, 93, 86, 93,
    筆者一部修正, 加筆)

  一般的なインナーチャイルド療法が, 「過去⇒現在」と考えるのに対して, フラクタル心理
学のインナーチャイルド療法は, 「過去=現在」と考える。目的も以下のように異なる(下線
は筆者)


       一般的なインナーチャイルド療法は, 「現在の出来事は過去のトラウマの結果であ
    る。それが恐怖となって, 似た出来事に対して, 同じ感情が繰り返されているものであ
    る」という考え方から幼児期にもどる。だから, 過去を再体験して, その環境で自分が
    能動的に何かをすることによって, そこでたまってしまった感情のエネルギーを解放す
    るのが目的である。たとえば, 当時言えなかった心の思いを父親にぶつけたり,「父親
    に謝らせる」ということをさせたりする。しかし, 激しい感情回路を刺激し,相手に謝罪さ
    せ, 認知回路も活動させるという修正を何度も繰り返せば, トラウマに感じていた感情
    回路をより太く強固な回路となるよう結合させてしまう16)。そして,感情回路からでてく
    るアドレナリンに中毒を起こして,日常生活のさまざまなシーンで見捨てられたと感じ,
    イライラすること, 感情的になることが増えてしまう。感情
回路が相手を謝罪させた

    かげで満足し, 感情回路をより強固にしてしまうだけで,
感情回路から認知回路へ移
    行することができていない。

       それに対して, フラクタル心理学のインナーチャイルド療法は, 感情回路を自主閉
    したうえで, 認知回路を開拓する理論
である。現象にからみついた感情を引き離し,
    象を理論的に判断できるようにする
。フラクタル心理学は, 「親には必ず愛がある」
    主張するが, 新しい認知回路を通ることで, 今までなかった新しいニューロンをつなげ
    ることができ, 「親には必ず愛がある」世界を出現させることができる。視野が
狭く子ど
    もだった部分を成長させる
ことができる。(沼田, 2015, p. 85, 78, pp. 83_84, 96,
    者一部修正, 加筆)


  (2) 誘導法の相違点
  一般的なインナーチャイルド療法とフラクタル心理学のインナーチャイルド療法の誘導
法を比較すると以下のようになる。

 


  フラクタル心理学のインナーチャイルド療法では, トラウマとなる出来事の前に戻り,
(大人) の中に入ることにより, もともと自分が未熟だったということを見つけ, 未熟な脳
で出来事を判断したために, トラウマとなったと考える。それに気づけば親に愛されていた
と知り, それが真実だと思える。そして, 修正文(数百文字の文章) を繰り返すことで, 自分
の思考回路の修正をするものである。(つづく)

 
                                                             
(承前)
3 フラクタル心理学の事例からの機序の考察
  ここではフラクタル心理学の事例を紹介し, その機序についてさらに考察する。1990年に渡米し,
92年からアメリカでハリウッド女優として活動をするNさんは, 華やかな世界に身をおく一方, 家に帰る
と, 自分は取るにたらない, 生きている価値のない人間だという思いに苛まれて, 自信を失い, 過食嘔
吐を繰り返す摂食傷害に陥った時期もあったという。そのNさんの事例を考察する(下線は筆者, 以下
同じ)。

        フラクタル心理学の初級講座のワークで, 最初にその思いを抱いた子どもころの意識を見
      こととしました。誘導瞑想をすると, ある状況が浮かんできたのです。そこには, 母を独り占
      めしたくて, 母が姉や弟に使う時間を横取りしたり, 成績が良いのを父に褒められたくて, 父の
      仕事の邪魔をして叱られたりしている私がいました。そのとき, 私の深層意識のなかの未熟
      な自己であるインナーチャイルドは「私は親に愛されていない」と思い込み, 「自分を褒めてく
      れない人や, 欲しいものはすべて敵」という信じ込みをもったという。(「TAW PRESS」NO. 50,
       pp. 1-2.)

  Nさんは, 子ども時代に「私は親に愛されていない」「自分を褒めてくれない人や欲しいものはすべて
敵」という信じ込みを持ち, 大人になってもこれが影響していたが, その前のシーンに戻ると, 自分がほ
かの兄弟に意地悪をしたり, 父親の邪魔をしたりしている自分を見つけた。本当の原因はこれだったよ
うだ18)

        アメリカに来て女優の仕事をするようになると, 役者の世界は競争も厳しく, 厳しい評価を
      受けることも多いため, 子どもの頃につくったこの信じ込みが発動したのでしょう。オーディシ
      ョンではいつもまわりは敵だらけと感じ, まるで敵陣に斬り込みにいくように, 憤りと恐怖が入
      り混じった感情に飲み込まれました。(中略)
        私のなかのインナーチャイルドは, まわりに敵をつくり, 「欲しいものを得るためには戦わな
      くてはいけない」と信じ込み, 戦ってでも手にいれようとしてきたのです。(「TAW PRESS」NO.
      50, pp. 1_2.)

  Nさんは, 子ども時代に作った思い込み, 信じ込みがプログラムとなって発動し, 大人になっても同じ
感情をもち, 同じ行動をとり続けてきたことに気づいた。そして, Nさんは修正文を繰り返し読む修正法
により, 思い込み, 信じ込みを変えていったという。

        深層意識のインナーチャイルドの思い込みや信じ込みを解いて思考が変われば現象も変
      わると講師から言われ, フラクタル心理学の修正法を使って深層意識を変えていきました
      両親と姉や弟へは, 傲慢な態度をとってきたことを悔い, 心の中で謝罪し続けました。特に,
      母に対して「ごめんなさい! 許してください!」と唱え続けると, 目から鱗が落ちるように, 両
      親に対して抱いていた, たくさんの思い込みが剥がれ落ちて, 私がいかに両親から愛されて
      大切にされていたかを思い出したのです。(「TAWPRESS」NO. 50, pp. 1_2.)

  Nさんは, 子どもの頃, 両親や姉弟に傲慢な態度をとってきたことに気づき, その思考回路を修正し
たところ, 親から愛され大切にされてきたことを次々と思い出したという。自分の欠点をごまかすために
作った「過去のかわいそうなストーリー」を, 「正しい記憶」へと塗りかえることができた。

4 本章の考察
  本章では, フラクタル心理学のインナーチャイルド療法を一般的なインナーチャイルド療法と比較す
るとともに, Nさんの事例を紹介することでその特徴と機序について考察してきた。フラクタル心理学は
0_6歳の間の思考回路が大人になっても似たような現象を引き起こすと考え, とくにトラウマの前にあ
る未熟な思考回路に根本的な問題があるとする
。その思考回路を修正することにより現象を変えるこ
とを目指す。新しい認知回路を通ることで, 今までなかった新しいニューロンをつなげることができ, 「親
には必ず愛がある」世界を出現させることができ, 視野が狭く子どもだった部分を成長させることができ
る。
  地橋の反応系の心の3層モデルで説明すると, ①後天的な学習全般で作成されたプログラムと②
刷り込みのプログラム(特に②)19) の修正に相当するものと考える。内観法の考察でもふれた「子ども
の頃から同じ思考回路で現実に対応するために, 同じことを繰り返す傾向にある」という考え方と類似
しているが, フラクタル心理学はトラウマ以前に存在する不適切な思考回路を重視する。2つの手法は
全く異なるものの, 考え方は類似している。


お わ り に
  本稿は, 地橋の認識論のモデルの入力(受容) 系の心と反応系の心という枠組みに沿って, 人材開
発手法を体系化しようと試みた。まず第Ⅰ章で本稿のテーマについて説明した後, 第Ⅱ章で地橋の認
識論のモデルを紹介した。地橋のモデルは, 入力系の心と反応系の心の二種類に分けている。第Ⅲ章
では, 入力(受容) 系の心の修正法として, ヴィパッサナー瞑想の「サティ」の技術を紹介した。「サティ」と
は, 身体の動きに伴いセンセーション(身体的実感) が生じた時に, 「見た」「聞いた」とラベリングすること
をいう。これにより, 思考を止め, 妄想の連鎖を断ち切ろうとする。
  地橋は, 力(受容) 系の心の修正をするためにヴィパッサナー瞑想のサティの技術を指導しながら,
「反応系の心」の修正も同時並行的に取り組むことを推奨する。そちらの修正は総力戦となり, 特に内
観法が効果的だと言う。
  そこで, 第Ⅳ章で内観法(集中内観) について考察した。集中内観では, ①していただいたこと, ②し
て返したこと, ③迷惑をかけたことという3つのテーマについて集中的に調べていく。日ごろの自分の視
点ではなく, 他者から見た自分の態度, 行動を感情を切り離し, 事実を客観的にとらえて想起していく。
子供の頃から同じような行動を繰り返し同じような迷惑をかけているとしたら, 子供の頃から同じ思考回
路で現実に対応するためである。内観法は, 前述の3つのテーマに関して, 繰り返し調べていくことで身
についた思考のクセを修正してく。
  第Ⅴ章では, 反応系の心の2つ目の修正法として, フラクタル心理学についても考察した。フラクタ
ル心理学のインナーチャイルド療法は, 0_6歳の間の思考回路が似たような現象を創りだしている(フラ
クタル構造に現象が創られている) と捉える。そこで, 誘導瞑想を行うことによって, 子ども脳の感情的
な回路を自主閉鎖し, そして大人(他人)の視点に立つ。そして, 大人の脳で当時の出来事を調べなおし,
そのとき持っていた未熟な回路や, トラウマとなった出来事によって作られた誤った思考回路を修正す
ることができる。また, 修正文を唱えることで, 今までなかった新しいニューロンをつなげ, 「親には必ず
愛がある」世界を出現させ, 視野が狭く子供だった部分を成長させることが期待できる。
  内観法とフラクタル心理学は, その手法こそ異なるものの, 考え方が似ており, 両方とも子どもの頃
に作った誤った思考回路を修正することが期待できる。2つの手法とも, 地橋の反応系の心の3層構造
のうち, ①後天的な学習全般で作成されたプログラム(人生観・世界観・価値観・ものの見方) と, ②刷り
込みのプログラム(決定的な環境因子によって刷り込まれた反応パターン) の2つ(特に②, 脚注19も参
照されたい) を修正していく方法と考えることができる。これらを, スキーマ療法20) の「早期不適応スキ
ーマ」の概念を使って説明することもできるだろう。早期不適応スキーマとは「人生の早期に形成された
当初は, 適応的だったかもしれないが, その後のその人の人生において, むしろ不適応的な反応を引き
起こしてしまうスキーマの総称」である。そして, スキーマ療法は, 18の不適応スキーマと4つの治療戦
略を有している21)。この療法と比較して考察することは, 今後の研究課題としたい。
  また, 他の人材開発手法を, 今回紹介した入力系の心と反応系の心という枠組でどのように位置づ
けることができるのかという点も興味が沸く。例えば, 筆者が前稿(2018a)で取り上げたNLP (神経言語
プログラミング) のビリーフ変容のアプローチや認知行動療法の「7つのコラム」については, 言語化さ
れた後の変形プロセスに焦点をあてた手法であるため, 地橋のモデル図では, 反応系の心の修正に該
当するものと考える。これらをコージプスキーの一般意味論のモデル図(図表5参照) 22)を使って考察
すると, メタ言語の言い換えについて修正する手法と考えることができる。

           

  人材開発については, その必要とされる場面や, その手法は無数といえるほどに多様であるが, そ
れらの手法について体系的に捉えることができれば, 適切な手法の選択ができ
るようになるだろう。筆
者の各手法の理解の不十分さにより, 誤った考察もあるだろうが,さらに各手法の理解を深め, 人材開
発手法の体系化の研究をする意義はあるものと考える。


1) 筆者(加藤) は, 日本内観学会会員であるとともに, フラクタル心理カウンセラーである。
2) 地橋秀雄(2006) p. 76.
3) 加藤雄士(2016) に一部加筆。地橋(2006) p. 76 をもとに, 筆者が作図した。
4) 地橋秀雄(2006) p. 93.
5) 地橋秀雄(2006) p. 93.
6) 地橋秀雄(2006) p. 201.
7) 「それと並行して, 衆善奉行に徹して, あらゆる善行を実践する積み重ねによって, 新しい浄らかなプ
ログラムを古い心に上書きする作業を進める。」(地橋, 2006, p. 92)
8) ヴィパッサナー瞑想は, 原始仏教の瞑想法(修行法) であり, ブッダが悟りを開いた時に最終的に拠
り所にした瞑想法として, そのまま伝えられたものである。「ヴィパッサナーという言葉は『詳しく観察す
る』『さまざまなモードでよく観る』という意味のパーリー語である。」(地橋, 2006, pp. 3_4, 筆者一部修正)
9) 「サティ」の技術について, 地橋は次のように説明する。「ヴィパッサナー瞑想は, まず体の動きに気
付くことから始める。心の現象よりも体の動きのほうが簡単に気付けるからである。この重要な目的の
一つは, 妄想を離れることだが, 妄想は止めようと思っても止められない。私たちの心は, 何を見ても聞
いても, 必ず連想や妄想が浮かんでしまう。だから, 一瞬一瞬の体の動きに注意を釘づけにしてしまう。
(中略) 体が動く。センセーション(身体的実感) が生じる。気づきを入れる。この『気づき』をパーリ語で
『サティ(sati)』と言う。現在の瞬間を取られる心である。このサティを連続させていくことが, 思考や妄想
を止めて『真実の状態』を観る技術である。」(地橋, 2006, pp. 125_126, 筆者一部修正)
10) 地橋秀雄(2006) p. 236, 下線は筆者。
11) 地橋秀雄(2006) p. 206, 229.
12) 大阪における瞑想会(2015年1月) での発言である。
13) 橋本(2018)。
14) 筆者の経験(2016年3月, 瞑想の森内観研修所で集中内観を体験した) でも, 4日目くらいから, 自
分が他人に迷惑をかけっぱなしできたことに驚き, 自分の過去の記憶が塗り替えられるようになった。
これは「他人に対しての自分」であり, 自分から自分を見るという視点とは全く異なる。
15) 「というのは, そもそも暴力的な性質から脱したいという悩みを持つのは, 反対側の『愛』が成長して
いるためである。その「愛」を父親に投影できるからである。」(一色, 2016, p. 59)
16) 「脳の回路は体験すればするほど(使えば使うほど) 太く強固になり, 使わない回路は衰退していく
という原則がある。」(沼田, 2015, p. 84)
17) 沼田(2015) p. 89 と一色真宇氏からの示唆を参考に, 筆者が図示した。
18) 図表4の解説, この解説, 次頁のNさんの事例の解説, Ⅵ章の「おわりに」の解説は一色真宇氏に
直接ご示唆をいただいた。さらに次のコメントもいただいた。「Nさんは, 一見, 子ども時代につくった『愛
されない』という信じ込みがプログラムとなって怒りが発動しているように思える。しかし, 実は姉弟に
対して抱いていた敵対心を, 大人になっても仕事のライバルたちに抱いていることに気づいた。つまり,
『愛されない』原因となった欠点は, 現在にもあるのである。」
19) 一色氏によると, これらに加え, 「もって生まれた性格の修正」が加わるという。
20) 米国の心理学者であるジェフリー・ヤングが構築した, 認知行動療法を中心とした統合的な心理療
法である。
21) 伊藤(2018)。
22) 加藤雄士(2018b)。コージプスキーの一般意味論のモデルを筆者が図示し, 地橋のモデルと比較し
た。


参考文献
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  研究』第14号。
一般社団法人フラクタル心理学協会(2017) 「フラクタル心理学TAW PRESS」NO. 50.
伊藤絵美(2018) 「スキーマ療法入門」(第19回日本認知療法・認知行動療法学会研修会資料)
加藤雄士(2016) 「認識論のレビューに関する一考察-人材開発の手法の理解に役立てるために-」
  『産研論集』第43号。
加藤雄士(2018a) 「ビリーフの形成・変容に関する一考察-クリスティーナ・ホール博士の手法を中心
  として-」『ビジネス&アカウンティングレビュー』第21号, 関西学院大学経営戦略研究科。
加藤雄士(2018b) 「認識論教育に関する一考察-5つの理論と2つのシートを中心として-」『ビジネス  &アカウンティングレビュー』第22号, 関西学院大学経営戦略研究科。
ジェフリー・E・ヤング, ジャネット・S・クロスコ, マジョリエ・E・ウェイシャー著, 伊藤絵美監訳(2008) 『ス
  キーマ療法-パーソナリティーの問題に対する統合的認知行動療法アプローチ』(株)金剛出版
高橋美保(2018) 「内観療法の作用機序他の精神療法との比較において」(第41回日本内観学会大会
  /第7回国際内観療法学会大会・第1回学会研修会資料)。
地橋秀雄(2006) 『ブッダの瞑想法ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』春秋社。
地橋秀雄(2015) 「ブッダの瞑想と日々の修行-理解と実験のためのアドバイス-」『月刊サティ!』月
  刊サティ編集部。
長山恵一, 清水康弘(2006) 『内観法―実践の仕組みと理論』㈱日本評論社。
橋本章子(2018) 「病院との連携リワークプログラムでの活用」(第41回日本内観学会大会/第7回国際
  内観療法学会大会・第1回学会研修会資料)。
沼田和子(2015) 『フラタクル心理学のインナーチャイルド療法アメリカの心理カウンセリング事情とフラ
  クタル心理学の特長』アクエリアス・ナビ。
村瀬孝雄編著(1993) 『内観法入門-安らぎと喜びにみちた生活を求めて』㈱誠信書房。
森下文(2018) 「内観体験談と内観療法の紹介」(第41回日本内観学会大会/第7回国際内観療法学会
大会・第1回学会研修会資料)。






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