1.はじめに
今日は「赦し」のための瞑想についてお話しようと思います。
ヴィパッサナー瞑想のキーワードは、あるがままに観ていくことです。快情報も不快情報も、快感も苦痛も、どちらにも等しい距離感を保って、淡々とサティを入れていくことです。苦楽に反応しないで静観し続けるということは、どのような現象もありのままに受け入れていくのと同じでもあります。これが、サティの瞑想の基本です。
しかし、一瞬一瞬心に届いてくる情報というものは、どちらかというとネガティブで不快な情報が多いのです。瞑想中であれば、うるさい音が聞こえる。足が痛くなる。お腹が空いてくる。血糖値が下がればとろーんと眠気に襲われる。さらに心を過る雑念や妄想も圧倒的にネガティブなことが多く、嫌なことを思い出せば心は暗くなります。
このように、私たちの日常生活では、ネガティブで不快な情報が多く、「一切皆苦」と言いたくなるのも無理からぬことです。苦を嫌うのは当たり前だし、受け入れたくはありません。苦はイヤだし、排除したいし、否定したいのです。人間にとってこの否定する心というのは、ほとんど基本搭載ではないかと思われます。
実際に、「嫌悪」の数を朝から晩まで数え続けた人がいます。どんなわずかでも嫌悪の気持ちが立ち上がったらカチッ、カチッとカウントしていきました。すると、朝の目覚めから「起きたくない」と嫌悪が出る。寒ければ嫌悪、暑くても嫌悪、腹が減れば嫌悪、食べ過ぎたと後悔し嫌悪、一日中嫌なことだらけで、道を歩いても電車に乗っても膨大な数の嫌悪がラッシュで出てきたそうです。
もちろん、時には嬉しいとか、楽しいとか、気持が良い、など幸せを感じる快感系の情報もあります。そんな情報にはつい執着してしまいますが、実際にカウントするまでもなく、私たちの周りには不快に感じる情報の方が圧倒的に多いのです。
私たちの瞑想の現場ではどうでしょう。不快な情報が入ってくれば「音」とラベリングしながらも「うるさいな」という気持ちが入っているし、「眠気」とラベリングしながら実は眠気にイライラしているという具合に、とてもニュートラルな心で苦楽を等価に観じきっていくどころではありません。一応サティは入っていても、反射的なエゴの反応が立ち上がり、執着も出れば嫌悪も出ていて、純粋にセオリー通りのヴィパッサナー瞑想にはなっていないことが多いのです。
このような面からも、ネガティブな現象を受け入れるというのは大きな課題であり、今回のテーマである「赦し」がたいへん重要になってくるのです。
2.「赦し」について
「ゆるし」にはいろいろな字があります。まず許可するという意味の「許し」があります。「恕」という言葉もあります。寛恕というように、心が寛く(広く)過ちを咎め立てないでおおらかに「ゆるす」という意味で使われています。カルナー(悲)の本質である憐れみの優しさが入っているようにも思われます。情け深くて思いやりがあり、どんな子でも受け入れてしまう母性の優しさのように、相手を憐れんで「ゆるす」というニュアンスの時にこの恕を使うようです。
一方、恩赦とか赦免という言葉で使われる「赦」の方は、罪科などマイナスの度合いが強いものを「ゆるす」という意味合いが濃いように思われます。これは、ヴィパッサナー瞑想の根本にも関わることで、非常にネガティブで嫌なことをいかに「赦せるか」、つまり受け入れられるかというのは、怒りの煩悩を根本的に乗り超える課題にも直結しています。
対象を嫌い、否定し、赦せない、受け容れられないというのは、怒りが強烈に働いているということです。つまり、他人を赦し、自分を赦し、あらゆるネガティブなものを受け入れる「赦し」の瞑想は、怒りの煩悩を根絶やしにする修行でもあり、仏教の究極とも言うべき煩悩をいかに滅尽させるかのテーマに通じているのです。
3.ネガティブなことに対する反応について
ところで、ネガティブなことに対して人はどのように反応するかというと、大きくは逃避、代償、赦しという三つがあると思います。まず逃避と代償について観てみましょう。
(1)逃避
一つ目の逃避。嫌なことがあった時に、それを直視して受け入れるという厳しい選択をするよりも、そこから逃げてしまえば傷つかないし、心は平安で落ち着いていられる、それは結構なことだということで人は逃避します。
この逃避反応が典型的に現れるのは抑圧している場合です。ネガティブな現実に対する嫌悪感は自分の心の中のことですから逃げ出すことはできません。ですから抑圧して無いふりをします。そうすると、一応、表面上では心の傷などは顕わには観えていない状態になりますが、これも逃避の一形態に過ぎません。
逃げ続ける人生というのはある程度は可能でしょうが、どこまでも逃げ切ることはできず、やはり最終的には不可能です。真実の状態に目を背けながら逃げていれば、当然苦の度合いは増していきます。そして、ついに逃げ切れなくなり、負債も利子もまとめて強制徴収されるかのように、どうしようもない苦境に陥っていくのです。無責任に逃げ続けてきたツケはどこまでも追いかけてきますから、返すべき負債はきちんと返し、やるべきことは必ずやらなくてはならなくなるの業の世界です。自分では気づかずに、あるいは気づきながらも抑圧することで逃避する人が少なくないのですが、長い目で見ればまことに愚かな選択をしてしまっていると言えるでしょう。
(2)代償
二つ目は代償です。受け入れがたい嫌なことがあり、解決もつかないし逃避もできないとなると、それに取って代わる価値あるものを手に入れて「良し」とする発想です。
例えば、運動神経が劣っているというコンプレックスがあるとしましょう。そこで勉学の方で頑張って見返すことができたとしても、スポーツが不得意という劣等感そのものが完全に乗り超えられたわけではありません。もちろん勉強を頑張ること自体はたいへん結構なことですが、それでスポーツで負けた悔しさや屈辱感が根本的に無くなったかというと、そういうわけにはいかないのです。それはスポーツ以外の何か優勝劣敗のある世界で勝利を得たという話であって、運動コンプレックスが根底から解放されたわけでもなく、やはり最終的な解決とはなり得ません。
この代償を求める行為は非常に多くの人が行なっている茶飯事で、いくらでも例を挙げることができるでしょう。本当にイヤだと思っているコンプレックスやネガティブな現実は結局受け入れることができず、過ぎ去ったことでも終りにできません。肝心のことに終止符が打てないまま、その代わりの代償をいくら得ても、それで本心が納得するはずもなく、自分は幸せなのだと思い込ませることはできないでしょう。程度の差はあれ、誰でもこうした代償の経験があるのではないでしょうか。
心の底から完全に解放された状態にならない限り、心が翳り、本当の幸福を味わうことができません。代償によって勝利感や達成感や優越感に浸っても、虚しさが残り、心の中の傷は癒えないままだからです。やはり代償は正解にはなり得ません。
①
マリリン・モンローの場合
かつてダンマトークでマリリン・モンローの例を取り上げたことがあります。彼女は皆さんもご存じのように歴史に残る大女優で、ケネディ大統領やその弟の司法長官からも愛されました。2度目の結婚相手はジョー・ディマジオというベーブ・ルースに並ぶ野球の殿堂入りをした大リーガーで、50試合以上連続ヒットなどの記録を打ち立てた名打者です。
また彼女は、アーサー・ミラーという有名な劇作家とも結婚し、多くの浮き名を流した銀幕の歴史に残る女優として大成功を収めました。けれども私は、結局彼女は幸福な人生ではなかったのではないかと思っています。
それは、彼女の生い立ちに起因していると言えるかもしれません。お父さんが誰だかわからないような父無し子的な要素もあり、また母親が精神病院に入ってしまって彼女の養育がうまく出来なかったせいもあるでしょう。そのために、あちこちに養子に出され、しかもそこで虐待があったり性的な暴力があったり、あるいは養子に対する政府からの補助金目当てに次々とたらい回しにされたようです。これでは幸せな少女時代とは言えません。しかも15歳でレイプされ最初の子供を産んだという説さえあります。16歳で結婚して4年ほどで別れ、その後は苦労しながらやっと大スターにはなりました。
大スターになってからも、彼女は狂ったように役柄に没入したようです。自分ではない者になろうとする情熱ゆえに一途に努力し、結果的に女優としては成功したのかもしれません。
印象的なエピソードですが、彼女が自分の母親と非常に境遇が似ている役をやった時のこと、1シーン撮るたびに吐いていたそうです。演じるたびに思い出して吐き気を催して吐くという、それほど嫌だったということでしょう。それくらい母親のことを受け入れていなかったのです。これによって、彼女が母親に対してどのような認知を持っていたかは想像がつくというものです。
最期は自殺と言われていますが、そうではなく殺された、口封じをされたとも言われました。表面の華やかさとは裏腹に、本当の幸福からは見放された、一種哀れな人生だったようにも思えます。
いくら有名になっても、どれだけ喝采を浴びても、本当の自分と折り合うことができなければ、自信も自己肯定感も得られません。あるがままの自分を肯定し受け容れることができなければ、人と心から愛し合うこともできないでしょう。結婚離婚を何度繰り返しても真の安息は得られず、華やかに言い寄られいくらチヤホヤされても、心は渇いたまま孤独なのではないでしょうか。名声を得ても巨万の富を手中におさめても、それが何かの代償である限り、心底から満足することも、与えられた全てに感謝することも、真の幸福感を味わうこともできないのではないでしょうか。
②
ジェーン・フォンダの場合 -1- 摂食障害
もう一人似たような境遇ですが、マリリン・モンローとは対称的なハリウッド女優、ジェーン・フォンダの場合を見てみましょう。彼女のお父さんはヘンリー・フォンダという名優で、弟はピーター・フォンダという俳優です。
映画界のサラブレッドのような家族で、弟のピーターは『イージーライダー』という一世を風靡したアメリカの若者に熱狂的に支持された映画に出演、ジェーン自身もアカデミー主演女優賞を2回取っています。他にもゴールデン・グローブ賞などたくさんの賞を取っていて、押しも押されもせぬ超一流の女優として大成功をおさめています。
そのほか、世界でベストセラーになるほど膨大な本数のエクササイズのビデオテープを製作する一方、ベトナム反戦運動などの政治的、社会的な活動もしています。離婚したものの3回結婚し、子供も産み、誰が見ても圧倒的に輝かしい個人史を持つ女性です。
ところが、そんな大スターの彼女は、40歳を過ぎても食べては吐く、食べては吐くの繰り返しをしていたそうです。なぜそのようなことをするのか、彼女自身がこのように言っています。
「私の摂食障害は完璧という不可能を求めていたことの裏返しで、食べ物を体に『入れる』ことで、自分の中の空虚を埋めようとしていたのだ」(『ジェーン・フォンダ わが半生』下 ソニー・マガジンズ、2006)
とにかく自信がない。これだけの業績をあげてあらゆる分野で大成功をおさめていても、自信がないのです。虚しいので食べ、いくら体に食物を詰め込んでも虚しさは埋まらず、その心の空虚感を埋めようとしてさらにまた食べては吐く、食べては吐くという繰り返しになる。そんな食べ吐きを12歳で覚えて、40歳を過ぎてもやっていたというわけです。
彼女の摂食障害の原因の一つは父親との関係にあります。父親であるヘンリーは結婚を5回もしていて、ジェーンに対してまったくと言っていいほど無関心だったそうです。それでよくある話ですが、お父さんに認めてもらいたい、完璧にならなければ愛されないと思い込んだ。それが、彼女が完璧主義になった原因です。彼女の生きづらさには父親に愛されたいという欲求が大きな要因としてあるように思われます。
二つ目の原因は、母親との関係です。彼女の母親は躁鬱病などの精神病で入退院を繰り返していたような人で、ジェーンが12歳の時に入院していた病院から一時帰宅で家に帰ってきます。その時ジェーンは弟のピーターと2階でお手玉のような遊びをしていたのですが、なぜか母親に会いに行きませんでした。その間に、一人になったお母さんはカミソリで自殺してしまったのです。母親が自殺して亡くなっていくその2階で彼女は遊んでいた・・という衝撃的な事実もトラウマになっていたそうです。
母親の自殺の原因は父親の浮気だったそうです。そのため父親との関係もまたこじれてしまいました。母親に対する罪悪感と父親に対する不信感があいまって、「自分はダメな人間だ」「完璧にならなければ愛されない」という思い込みを抱くに至ったのです。
結局、62歳までこの問題は乗り超えられませんでした。逆に言えば、62歳で乗り超えられたことになります。この例からも、どれだけ成功しても、自分自身を赦し受け容れることができなければ幸せではないことがわかります。ジェーンの成功も代償に過ぎなかったのです。
ジェーン・フォンダとマリリン・モンローが似ているのは、生い立ちが与えた影響です。幼少期の幸せとは言えない家庭環境や、そこで受けたネガティブな体験を完全に受け入れて乗り超えることができないまま、存在の確証と真の自信の替わりに賞賛と喝采を求め、銀幕の大スターになっていきました。
私たち一般人には、アカデミー主演女優賞を2回も取り、経済的にも大きな成功をおさめ、子供も生み、社会活動にも参画し、富も名声も美貌もゲットしている輝かしい完璧な人生にしか見えないのに、そのいずれもが、もっと大事なものの代償でしかなければ、心は渇いたまま満たされず、自分の無価値感と戦いながら食べ吐きをやめられなかったのだ・・と嘆息が洩れます。代償は虚しいものだという事例としてこの二人の女優を挙げました。
③ ジェーン・フォンダの場合 -2- 自伝
彼女が60歳を過ぎて書いた自伝を読むと、おそらく彼女は「赦しの瞑想」をやり遂げることができたのではないかという感じがします。マリリン・モンローとは異なり、彼女は自分の過去を受け入れるという非常に難しい仕事ができた人だと思われます。
ジェーン・フォンダは5年ほどかけて自伝を著しましたが、その本に自分のすべてを書こうとしました。光よりも闇を暴き出すように、我が身に起きたすべてを包み隠さずありのままに書くと決めて、相当悩みながらもそれを実行したのです。
その頃彼女は、テッド・ターナーというCNNの創始者である大富豪と3回目の結婚をしていたのですが、自伝の執筆が契機となり最終的には離婚に至ります。真実のジェーンを受け止めきれなかったのです。
彼女が最初に結婚したフランスのヌーベルヴァーグの映画監督ロジェ・ヴァディムは、彼女と同じベッドに娼婦を連れ込んだりするような男でした。当然のことながら彼女は嫌がったのですが、ノーと言えませんでした。「捨てられたくない」とか「男に捨てられたらお終いだ」と感じていたからです。自信の無さがそう思わせていたと彼女は自伝に赤裸々に書いており、インタビューで訊ねられた時にもできれば書きたくなかったと述懐しています。
ではなぜ書いたのでしょうか。それは、過去の嫌なことを書かなかったら、今の自分を語ることも受け容れることもできないからです。ネガティブなことを誰にも言えない、書けない、表現できないということは、黒いドロドロしたものをどこにも吐き出すことができず、心の奥底に抱え続け、否定し続け、葛藤し続けるということを意味します。
本当に嫌なことは、誰かに語ることによって心の奥底から外に吐き出され、話すことによって対象化され、客観的に語ろうとして自ずから整理され、また相手に理解してもらい、共感してもらうことによって癒され、手放され、完全に終りにすることができるものです。
トラウマに終止符を打つとは、そういうことです。トラウマから目を背けるのではなく、直視することによって正しく理解し、納得して受け容れることができるので完全に乗り超えていけるのです。
それゆえ彼女は、固い決意をした上で、多大なエネルギーを費やして自分のすべてをさらけ出し、自伝を書くという作業に立ち向かったのでした。普通ならそんなことまで書くことはしないでしょう。誰だってネガティブな過去は人には見せたくないし秘めておきたいものです。しかし口に出すことも書くこともできないまま、ドロドロしたものを独りで抱え続け抑圧していれば、いつでも誰かに恫喝されているような怯えを感じながら自分の怒りに押し潰されていくでしょう。
比較的軽症のトラウマなら、忘れたフリをし続けることもできないことはないかもしれません。しかし、反吐が出るほど嫌な経験や深刻なトラウマを秘めたままにしていては、完全に忘却することも終りにすることもできないのです。心の奥底で葛藤に悶々とし、抑圧することにヘトヘトになり、苦しい人生から解放されないでしょう。問題の真相に向き合うことから逃げ続けている限り、完全に解放され満ち足りた人生にはならないのです。
問題に終止符を打ち、完全に終りにするためには、本当は何が起きていたのかを正しく理解し、事実を事実としてすべて認め、承認する仕事に立ち向かわなければならないでしょう。直観的にそれが分かっていたジェーン・フォンダは、勇気を出して自伝を書く決意をし、ありのままに真実を語り、書き表わしていく作業に取り組んだのです。グチャグチャなまま嫌悪し目を背けていた事実を事実として冷静に、客観的に認め、その意味を新たな視点からとらえ直し、受け止め直していけば、心に落とし込むことができ、事の全容を納得了解して解放されていくからです。
5年の歳月をかけてジェーンはこの難事業を最後までやり遂げ、自伝を完成させることができました。そして「私はダメな人間だ 完璧にならないと愛されない・・」と思い込んできた彼女が、62歳でこ自伝を出すことによって初めてありのままの自分を受け容れることができたのです。「一番大きかったのは、許す気持ちになれたことよ。自分自身をね」
また、彼女は優秀な人でしたから、自分の経験に普遍性があることもわかっていたようです。つまり、自分はジェーン・フォンダという大成功をおさめた者ではあるけれど、そういう成功者であっても過去には食べ吐きをやっていたという事実、コンプレックスを抱え、自分の無価値感と戦いながらこれほどまでに苦しんでいたという事実の普遍性です。
たとえ大女優と思われていても、自分に対して自信がない人生の実情はこんなものでしたよということを明らかにする、その影響力というのも考えていたのです。どれだけ多くの人が劣等感や自信のなさで苦しんでいるか知る由もありませんが、正直に自伝を書くことは、代償を求める人生はダメだというメッセージを力強く伝えることにもなるわけです。
そして彼女は、自分の真実をすべて語ることによって、仮面の人生に終止符を打ったとも言えるでしょう。私はジェーン・フォンダを演じていただけで、私の本当の人生を生きていなかった。だから幸せではなかった、と言っているのです。なぜなら、いくら成功をおさめても、心には常に空虚感があって食べ吐きを止められず、自己否定感覚に苛まれていたわけですから。
彼女は2005年の「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で次のように語りました。
「すべてを話すための勇気を出すのに2年かかった。そして話した。結果、独りになった。最愛の夫は受け止めきれなかった。大切な結婚生活が終わってしまったが、本当の自分であることの方が大切だし、自分にも子供たちや友人にも正直に生きたなら、人生をひとりで終えたとしても後悔しないとわかっていた。つらかったが、正しいことだとわかっていた・・」
④
ジェーン・フォンダの場合 -3- 父親との映画出演
彼女が本当に自分の過去を受け入れることができた、赦しの瞑想が成功したと思える証しのエピソードを一つ紹介します。
彼女の父親ヘンリー・フォンダは名優だったのですが、その頃彼はアカデミー賞をまだ一度も受賞していませんでした。ジェーン自身は主演女優賞を2回も取っているので、そういう意味では父親を乗り越えてしまったのですが、彼女は父親にもアカデミー賞を取らせたかったし、また父親もそれを望んでいることを知っていました。
そこで彼女は『黄昏』という映画の版権を自分で買い取って、自分でキャスティングして父親を主演にした上で、キャサリン・ヘップバーンと自分も出演して、この映画によって父親にアカデミー賞を取らせたのです。
アカデミー賞の受賞の時は、ヘンリーはもう死にかかっていて式には出られなかったのですが、ジェーンが代理で賞を受け取ってその足で病院に駆けつけ「愛しているわ、パパ。苦しめてごめんなさい。精一杯やってくれたわ。感謝してる」と声をかけたのです。そして、父親に尽くしてくれた奥さんは永遠に自分の家族だと約束し、父親は泣き崩れたということでした。
それは作られた美談かもしれないという疑いも残ると言えば残るのですが、彼女はインタビューで「天国があるとして、もし自分が天国に行けたとしたら、神様に何と言って迎えられたいか」という質問をされた時に「『両親がお待ちだ』と神様に言ってもらいたい」と答えていました。これには感動しました。
このエピソードからは、彼女は完全に父親も母親も受け入れることができ、確執は本当に終わったのだな、という印象を受けます。つまり、彼女は相当に難しかったけれども、自分の過去を完全に受け入れる仕事ができたのではないかと感じられるのです。実際に父親と和解することができ、アカデミー賞を取らせて、心から感謝を述べ、父親は泣いて、天国で待っている両親に「両親がお待ちだ」と神様に言ってもらいたいということが語られるということは、タテマエの綺麗事ではなく本当に乗り超える仕事ができていたのではないかという印象を受けました。
4.認知の歪み
ジェーン・フォンダの人生は素晴らしいと思うのですが、彼女はなぜこの赦しという困難を極める仕事ができたのでしょうか。それは、彼女がこれまでの一つ一つの経験をありのままに自伝に記すことによって、ヴィパッサナー瞑想の本質である事実そのものを客観的に観るという作業が実行されたからだと思います。その結果、人生の流れが変わるほど大きな認知の変化が起きました。エゴの立場から一方的に眺めていた視座が変わって、自分自身を赦し受け容れることができたとき、父親との長年の確執が終わり、全てを受け容れることができたわけです。
では、どうすればこうした認知の変化がわれわれの身にも起きるのか、ということが問題になります。
人は、ネガティブな経験が激烈であればあるほど、認知全体がそれに圧倒されてしまう傾向があります。仮に100のうち98は問題なく愛されていて、嫌なことは2ほどだったとしても、その「2」がどうしようもなく嫌なことであったら、絶対に赦せないと思い込んでしまいます。たった一つのネガティブ経験のせいで、大切に養育され愛されてきたはずの98がブッ飛んでしまい、頭の中ではそれだけがリフレインのように繰り返され、恨みや怒りを持ち続けるといったことが起きてしまうのです。
普通の考え方をしている限り、私たちは「良いことは空気のように当たり前、嫌なことは一生恨んでやる」といった自己中心的な傾向になりがちなのです。
そのくらい認知の歪みというのはありきたりに起きていますから、自分の考えに執着して頑として譲らないとなると、ネガティブな過去を怒りと恨みで捉える認知も一向に変わりませんから、赦しや受け入れなどという話にはまったくなりません。
しかし、もし事実を客観的に視ることができたなら、双方の言い分を精査し、過去の事実をあったがままに正しく眺め、今の一瞬一瞬を正確にありのままに客観視して、自分にばかり好都合な自己中心的な事実認識を改めていくことができたなら、ネガティブな経験は100分の2に過ぎなかったことが分かってくるでしょう。そうすれば、一方的に偏った認知にとらわれて受け入れようとしなかったものが赦せるようになり、怨みや怒りといったものが手放せる可能性があります。
この怨みや怒りを手放して「赦し」に至るプロセスが心の清浄道の真骨頂です。嫌だったものが嫌でなくなっていくプロセス、絶対に赦せないと怒っていたものが赦せるようになり、拒絶していたもが受け容れられるようになっていくときの心の変容・・。それが認識革命であり、ものごとの見方、事の意味を理解し解釈する仕方、納得の仕方、受け止め方、どのように反応するかその反応の仕方・・等々に決定的な変化が生じるのです。起きてしまった事実がまったく異なった様相で意識に映じてくるとき、人生の苦しみも乗り超えられていくのです。ヴィパッサナー瞑想の真髄とも言うべきものです。
とはいえ理念に賛同はできても、いざ自分の人生の現場でこれを実践するとなると途端に難しくなり、言うは易く行なうは難しの現実に愕然とするのが通例です。よほどのドゥッカ(苦)に叩きのめされた人たちが、もはや他に選択の余地もなくこの困難な仕事をやり遂げていく傾向が見られます。まさに身につまされるように、四聖諦の真理が浮かび上がってくるかのようです。
「苦の現状の真理(苦諦)」→「苦の原因の真理(集諦)」→「苦が超越された真理(滅諦)」→「苦を超越する具体的な8つの方法論の真理(道諦・八正道)」の公式です。この苦を乗り超えていく八正道の一つが、正しいものの見方であり「正見」と呼ばれます。因果法則と四聖諦の構造を心得て、事実を正確にありのままに観じていくサティの修行によって得られる「如実智見」が体得された状態です。
ジェーン・フォンダは自らの血を流して自伝を書き切ることによって、事実をありのままに観る「如実智見」の一端に触れていたのかもしれません。
5.ネガティブな体験は宝物
さらに私が強調したいことは、ネガティブな体験というものは必ず宝物になるということです。宝物どころか人生の必須アイテムと言うべきかもしれません。そもそもネガティブな体験がなければ、人は成長できないかもしれないのです。
人が心底から反省し我が身を振り返るのは、連勝街道を順風満帆に突き進んでいる時でしょうか、それとも挫折し失意のどん底で打ちひしがれている時でしょうか。何もかもうまくいっているときには、上手くいったプロセスを再生しながら、勝利の方程式を確認しがちです。自分の問題点や欠点に目を向けたり、謙虚にそれを改めようと考えたりはしないでしょう。そういう人も時にいるかもしれませんが、レアケースです。そしてそういう人たちはほとんど例外なく、人生の節目で痛切な失敗体験を乗り超えてきているものです。
なぜそんな失敗をしてしまい、痛恨のミスを犯してしまったのか。どのような経緯と由来でそれが起きたのか。その原因を徹底的に究明し、これから何をどうすれば良いのかを胆に銘じて再び立ち上がった経験があったはずです。「最悪のネガティブ体験を、人生最大の学びにしてきた」という共通項があることに気づくでしょう。
どの世界でも超一流の人物は、挫折や失意のどん底を乗り超えてきています。自分の失敗体験だけではなく、生まれつきの障害や先天的なハンディキャップがあったので、逆に成功したという人たちも少なくありません。
例えば、100メートル短距離走で世界最速の伝説を作ったウサイン・ボルトは先天的脊柱側湾症という障害を持っていました。脊髄がS字状に湾曲し、左右に大きく揺れながらしか走れないのです。上半身が揺れ過ぎると力が分散し、効率の悪い走りになり、その結果、左足のスライドが右よりも20cmも長くなってしまうのです。大腿の筋肉が負担に耐えかね何度も肉離れを起こし、そのハンデを筋肉の強化で補うしかなかったのです。しかしまさにそのお陰で、太股の筋力測定数値ではボルトの右に出る人はいないのです。ボルトはこう語ります。
「曲がった背骨は僕に困難を与えた。だが、その背骨が僕を育て、速く走れるようにしてくれたのかもしれない。自分の肉体に感謝し、僕はこれからも受け容れていく。
生きていれば思うようにいかないこともあるが、立ち止まってしまったら、チャンピオンでい続けることはできない。もがいて、そして前に進み続けていく」
ボルトが日頃どれほど厳しいトレーニングをしているかを紹介したTV番組を観たことがあります。常人にはとうてい耐えられない過酷な筋トレに挑んでいました。なぜ、それほどまで凄まじい修練を積むことができるのでしょう。言うまでもなく、アスリートとして致命的欠陥を持っていたからです。ハンディキャップというマイナス要因がなかったら、ボルトのモチベーションが維持されることはなく、伝説の男になることもなかったでしょう。
心に刻んでおくべきことは、ネガティブ体験もハンディキャップも、マイナス要因というものは全て宝物なのだということです。ネガティブ体験こそ智慧の眼差しで受け止めるべきです。それは価値ある情報の宝庫であり、最高の個性や特質になり得るものです。
医学の進歩は、最悪の病気という現実を克服してきた歴史です。病というネガティブな現実が乗り越えられていった輝かしい成果だったとも考えられるでしょう。あらゆるものごとが改善されるのも、困り果て途方に暮れるような最悪な事態が引き金となって乗り超えられているものがほとんどです。何も問題がなければ享楽的になりがちだし、人が最大限のエネルギーを出力し努力するのは、ピンチに陥った時でしょう。
ネガティブな出来事は決して好ましい事態ではありませんが、それがキッカケでもっと良くなっていく法則を見抜けば、宝物という意味が納得されるでしょう。
それだけではありません。苦しいネガティブ体験が骨身に染みているが故に、やさしい人になれるとも言えるのです。苦しんでいる他者の痛みに心から共感してあげられるのは、かつて自分も同じ苦しみを体験してきたからこそです。人の苦しみに心から共感できるやさしさこそ、慈悲の瞑想の2番目、カルナー(悲)の瞑想の真髄です。
「ああ、可哀想やな、この人は今、あの苦しみの渦中にいるのだ・・」と一緒に泣いてあげられるのは、自分も同じ苦しみを味わってきたからです。どのように優しさの手を差し伸べてあげればよいのか熟知しているが故に、「悲(カルナー)」の瞑想が深くなるのです。
こうして嫌悪すべきマイナス体験を宝物として見ることができ、認知を根底から変えることができれば、一切を受け容れていく赦しの瞑想が可能になるでしょう。全てのものごとを等価に観る、より高い視座が得られているからです。ポジティブなこともネガティブなことも、快い情報も不快な情報も等しいものと観て、両者ともただの現象にしかすぎないと、公平に達観する視座の確立です。どちらも大事だし、またどちらもどうでもいいという心境は、仏教の奥義とも言うべき「捨」の心に通じています。どのような出来事も経験もありのままに受け容れて心がいささかも乱れなくなったなら、仏教の到達点に限りなく近づいていると言えるでしょう。
人間であるかぎり、ネガティブな経験がゼロだったという人は一人もいないし、もしいたとしたら、そんな薄っぺらな人とは付き合いたくないでしょう。どんなことであれ、起きてしまったことは、起きなかったことにはなりません。ものごとが破綻するのも、崩壊するのも、致命的ミスを犯してしまうのも、ネガティブな事象が起きてしまうだけの原因があり、それが帰結していった結果なのですからどうしようもありません。失うものは失うし、得られないものは得られないし、やってしまったことはやってしまったことです。それを否定すれば「対象を嫌う心」と定義される怒りや恨みに苦しむことになるし、否定する精神からは何も生まれてきません。
では、どうしたら認知を一変させ、ネガティブなものを受容していくことができるのでしょう。今までと同じものの見方や受け止め方をしている限り、何も変わりません。エゴに固執し自分中心の視座を捨てないかぎり、人生はこれまで通りです。
ネガティブなものを受け容れ、認識革命を起こすには、大人にならなければなりません。お子さまのエゴのままでは、歳を取るほど人生はさらに苦しくなっていくでしょう。欲しいものは手に入れたい、嫌なものは排除したい、敵対するものは潰したい・・。自分の好き嫌いで思い通りにしたいという自己中心的な小児的エゴイズムに固執している限り、ネガティブなものはいつまで経ってもネガティブなままです。認知を変えるということは、お子様を卒業して大人になるということです。与えられる側から与える側になることであり、他人のわがままを黙って受け容れることもできるようになるということです。
昔、若い頃、向上心の強かった私は、もっと教養を身に付けたい、豊かになりたい、成長したい、価値あるものを限りなく得たい・・と自己実現に固執していました。するとある日、「お前は、与えるだけでよい!」と天から声が聞こえてきて、衝撃を受けました。とても空耳とは思えない、厳かな強い響きの声でした。この言葉の意味を繰り返し反芻しながら、そろそろお子様を卒業しろということか、と腹を括りました。
思えば、あまりにも自分中心の考え方で生きていたのではないか、と我が身を振り返り始めた頃から、視座の転換ということが本格的に起き始めたように思われます。これが大人になるということか、と納得がいったのでした。もう自己チューの発想はこのへんで止めよう、と本心から決意しない限り、認知が変わることはないでしょう。物理的にも心理的にも、本気で思ったことしか具現化していかないのがこの世です。
エゴの立場に固執する力をゆるめ、相手の立場から観てみようと視点を変えてみれば、すべてが異なった様相で観え始めるものです。認知が変われば世界が変わり始め、嫌だったものが嫌ではなくなり、否定せずにはいられなかったものをありのままに受け容れることができるかもしれない・・。なるほど、一切を赦し、すべてを受け容れるとはこういうことか・・。「大人」にならなければ、赦しの瞑想はできないと腑に落ちてきました。
自我を確立していくことが大人になっていくことですが、真の大人になったら、諸悪の根源であるその自我=エゴを乗り超えて無我を目指すのが仏教であり、智慧ある人の進むべき道ではないでしょうか。
この世にはどうにもならないことがあるのだと受け容れた上で、嫌なことが嫌でなくなるように認知を変えていくことが賢明な生き方です。そしてやがて気づいていくことでしょう。ネガティブなことが本当にあるのではなくて、ネガティブな認知があるだけなのだと。
よく知られている譬えに、人間の目に映っている川の流れは、餓鬼の世界の住人には血の膿が流れているように見え、天界の住人には砂金が燦めくように光り輝いている流れに見える・・と言われます。死ねばいいのにと思うほど憎んでいた人と最終的な和解ができたとき、一転して無二の親友になれた、などという話は枚挙に暇がありません。同じ顔をした同じ人なのです。その人物を見る目が変わり、いったん認知が変われば、まったく異なる世界が開けてくるということです。
世界は血の膿であり、燦めく砂金の流れであり、ただの流水なのです。そのように眺める認知が変われば、同じ現実が異なったものに映じてきてしまう。そんな認知にこだわって、人を憎み、愛執にとらわれ、激突したり争ったりしながら、歳を取って死んでいくのです。その虚しさに気づいて、視座の転換を自在に行なえるようになると、嫌なことが起きてもそれが乗り超えられたときには宝物になる、と説かれていることが検証されるのではないでしょうか。
6.要素に分けること
さて、どうしたら視座を自在に転換し、認知を変えることができるのでしょう。その練習法、修行方法を考えてみましょう。
さまざまな方法がありますが、どんな場合にも必ず、相手の立場に我が身を置いて、そこからこの問題や状態がどのように見えるだろうかと想像し、シミュレーションしてみる習慣をつけることが助けになるでしょう。うまく置き換えられなかったら、実際にロールプレイングをしてみるとハッとさせられるかもしれません。相手の立場に視座を置き換えてみることができないのが子供であり、大人になるということはこの視座の転換ができることです。自己チューの人が小児的な印象を与えてしまう所以です。
このやり方を掘り下げるのは別の機会に譲り、ここでは原始仏教が非常に重視する分析論の発想について考えてみましょう。
混沌としていてよく分からないものごとを要素に仕分け、分析し、その問題を構成しているファクターを精査し、事の真髄や問題の核心部を詳らかにしていく方法です。何がなんだか分からないということは、「分からない」→「分けられない」→「仕分けられない」のです。それがどのように成り立っていて、どんな経緯でそのような問題に展開していったか、真の原因を明らかにするためには、徹底的に分析し、構成因子を洗い出して、なぜそのようなことになっていったのか究明するやり方です。
いろいろなものをゴッチャにして混ぜてしまうことが「法としての事実」からかけ離れていく原因です。例えば、大事な人を失ったとします。病気で亡くなったとしたら、何の病気だったか、亡くなったときの年齢、闘病期間、経済状況など、さまざまな条件によって残された者の気持ちは異なっていきます。治る見込みのない病気だったのか、若すぎる死だったのか、天寿をまっとうした年齢だったのか、突然死されたのか、長年に渡って介護を続けてきたのか・・。そうした要因がごった煮状態になって、故人に対する思惑が複雑なものになっていきます。
一人の人が死去したという事実に、さまざまな出来事や愛憎の記憶が上乗せされ、ごちゃ混ぜになって印象が作られ、事実の意味がさまざまに変わってしまう。人は事実を見ない、自分の見たいものだけを視ている・・と言われる所以です。
人生の苦しみや愛執や憎しみや怨恨は、こうして人の心が形成していくものです。心が化作したパパンチャ(心に拡がっていく概念の世界)で、人は苦しんでいます。それ故に、心がさまざまなものを自分好みに編集した概念世界と、法としての事実を仕分けることが、苦しみを乗り超える技法になるということです。
もし亡くなった方が病死ではなく、何らかの事件による死だったらどうでしょう。普通は喪失という事実に加害者への怒りが足し算され、とうてい加害者を赦せなくなるのではないでしょうか。さらにその加害者が今まで信じていた人だったりすれば、裏切られた無念さが怒りに上乗せされていくでしょう。
では、人の手にかかったのではなく、自然災害による事故死だったらどうでしょうか。不可抗力の災害死も加害者の手による死も、大切な人を喪った喪失の事実は同じです。しかし、純然たる自然によって惹き起こされた出来事に対しては怒りや仕返しの持っていきようがありません。大自然に怒りを向けることはできないと誰もが心得ているので、悲しいことですが、喪失という事実だけに向き合うしかありません。怒りようがないので、悲しみだけになるのです。恨みも復讐心も起こしようがありません。
このように、失ったものは同じなのに、エゴの思惑で編集された妄想がミックスされると、受ける悲しみの質も深さも衝撃の度合いも千差万別に異なってしまいます。かけがえのない人を喪った悲しみに向き合い、受け容れ、乗り超える仕事に専心すべきなのに、上乗せされた付帯条件に対する怒りや闘争に矛先を向けて、歳月が過ぎ去っていく人たちも少なくありません。大切な人を喪った悲しみと、加害者に報復を企てる怒りは、別々の2つのことです。さらに裏切られた無念さなどが足し算されれば、ネガティブな感情が複雑にコジれて肝心な喪失の悲しみを乗り超える仕事が難しくなっていくでしょう。
なぜヴィパッサナー瞑想が、感覚の実感ではっきり確かめられる事実と、頭の中でまとめ上げられた概念世界とを厳密に仕分けることを重視するのか、その理由の一端がここにあります。純粋に我が身に起きた事実に向き合い、ネガティブな体験を受け容れ、乗り超えていくのに瞑想が必要不可欠な所以です。
9.最後に ―サティの重要性―
これまで述べてきましたように、自分の考えや信念、人生観、世界観に執着している間は、ネガティブな経験を受容することはできません。なぜなら、起きてしまった事実を否定し拒絶する根拠になっているのは自分の信念や価値観であり、それを手放さない限り、嫌なものは永遠に嫌なまま変わりようがないからです。
捨てるべきものは、目の前の現実ではなくて、自分の心の中の考え方や価値観や信念なのです。しょせんエゴの猿知恵で作り上げた認知ワールドです。そんなものにこだわって握り締めていれば、ただ苦しい人生がいつまでも続くだけです。その空しさを心得て手放し、こちらの認識を変更しない限り、黒いものは永遠に黒いままだし、白くなければ嫌だと固執すればいつまでもイライラするだけです。
エゴの立場を離れて、相手の立場に立って観る。ネガティブなことを受け容れる瞬間は嫌な感じがしても、それがやがて宝物になると心得ているのだから、結局「どちらでもいいではないか」と発想が変えられないでしょうか。
もし出来たなら、その達観は「捨」の心に限りなく近づいているかもしれません。こうした視座の転換こそがエゴを捨て去る修行であり、ヴィパッサナー瞑想の本質であると申し上げてきました。
とはいえ、こうした話は聞いている時にはスラスラと頭に入るだろうし、おそらく納得されるのですが、いざ自分自身のことになるととたんにわからなくなり、眼が曇ってしまうのが悲しいところです。頭で理解している100分の1もできないのが私たちです。しかし、もし頭で理解することもなければ、情報すら知らないとなると、もっと絶望的でしょう。たとえ実践できなくても、理念としてダンマを学び、聞法していないと次の展開につながりません。ヴィパッサナー瞑想の進むべき方向性や、心の清浄道として何をなすべきかの基本的理解がなければ、必死でサティの瞑想だけをしても、心は変わらないし、苦しみから解脱する可能性も見えてこないでしょう。サティの瞑想とダンマの学びは並行して習得されるべきものです。
感情的反応を一時停止できるだけでも、サティの瞑想がどれだけ自己制御能力を高めるか量りしれません。しかし心の反応パターンを根底から書き換えていくには、サティの気づく力と洞察の智慧が必要不可欠です。この世の仕組みや存在の本質を目の当たりにする衝撃が、妄想だらけで苦しんできた愚かな人生の流れを変える原動力になっていくのです。あるがままの真実が視えてくるので、認知が根底から変わり、ネガティブなものがネガティブではなくなっていくのだ、と言うこともできます。
サティの精度を高め、学ぶべきを学んで認識の世界が熟してくると、一瞬一瞬のサティに洞察の智慧が伴ってくるということです。智慧の修行は、サティの瞑想やサマーディの確立よりも難易度が高く、総力戦になると心得なければなりません。総合的システムとしてのヴィパッサナー瞑想全体を修行していくことになるでしょう。具体的には、例えば、ネガティブな過去に終止符を打つための懺悔の瞑想や、自分自身を赦し、一切を赦して受け容れていくための赦しの瞑想が欠かせないのです。このようにして心を成長させていくのが清浄道の瞑想です。
心を浄らかにして、苦しみを完全に乗り超えていく瞑想は、一生ものと心得ましょう。究極のゴールに到達するのは無理でも、欲望や怒りや嫉妬や高慢などの煩悩が少なくなっていけば、それに比例して苦しみから解放されていくのは確かなことです。万人に検証されてきたからこそ、2500年の長きに渡って現代にまで継承されてきたその道を、私たちも一歩づつ歩み抜いていきましょう。(完)
<関連質問>
Aさん:起きたことを受け入れることと赦しの瞑想とはどう関係するのですか。
回答:
同じと考えて結構です。赦しの瞑想というのは、自分を赦し、他人を赦し、天地一切のものを赦し、受け容れていく瞑想ということになります。
「起きたことは全て、正しい」といつも私が言っているのは、赦しの瞑想の別名でもあり、真の受容ということでもあります。この世は因果法則に貫かれているので、我が身に起きる好いことにも悪いことにもすべて、それ相応の原因があってのことです。つまり無限の過去から自分が組み込んできた原因エネルギーが、たまたま縁に触れて現象化しただけのことで、善きも悪しきも起きたことは全て、自分にふさわしいことばかりなのだから受けきっていくしかない。善い現象は幸せなのだからそれで良いし、悪い現象もそれで不善業が消えていくのだからこれまたそれで良しとするのです。起きてしまったことは起きなかったことにはできないのだから、すべて受け容れていけばよいと考えます。これは「捨」の心の実践とも言えるでしょう。全ての現象を完全肯定して受け容れることができるのは、因果法則を心得ているからであり、一切のことを等価に観ているからです。
Bさん:赦しの瞑想と懺悔の瞑想の違いを教えてください。
回答:
赦しの瞑想の中に懺悔の瞑想が含まれています。
赦しの瞑想は、上述したように、一切のものを赦していく大きなコンセプトです。懺悔の瞑想は、ネガティブな過去の所業から解放されるために、自分の過ちをお詫びして謝ることが基本です。過去から解放される瞑想とも言えるでしょう。自分の犯した非を認め懺悔しないと、自分を責める心とそれを打ち消す心が葛藤を起こし、心の中でえんえんと言い訳を続けることにもなります。
怩たる思いがくすぶっていたのでは、とても瞑想に専念することなどできません。罪悪感に悩まされるということは、自分を否定する心があり、自分への怒りを抱えているとも言えるでしょう。自責の念にかられ、また別の瞬間には抑圧し、自分は何も悪いことはしていないとシラを切ったり、怯えたり、いつまでも過去に縛られて、なんとも晴れやらぬ心の内です。
そうした自己嫌悪や自己呵責や自責の念から解放されるためには、思いきって自分の非を認め謝ることです。自分はとんでもないことをしてしまった、愚かなことをしてしまったと、天に向かって、あるいは三宝に向かって心から謝り、二度と同じ過ちをくりかえさないと誓うのです。
ポイントは、自分という人間が悪い根性の腐った愚か者だったと考えないことです。そうではなく、仏教を知らず、ダンマを知らず、因果法則も業論も知らなかった無知ゆえに犯してしまった愚行であった。悪いのは自分という人間ではなく、ダンマ(理法)を知らない無知の状態が悪かったのだとするのです。
しかるに今は、ブッダの教えを知り、多少なりともダンマを心得、因果の法則も学んだのだから、もうこれからは殺さないし、盗まないし、不倫をしないし、嘘をつかないし、酩酊しないと、五戒をしっかり守って、仏弟子として正しく、きれいに生きていきますので赦してください・・と謝って、謝って、謝って、心からお詫び申し上げていくのです。
無知ゆえに愚かな所業をしてしまったが、これからは、正しくきれいに生きて償っていく、と未来に目を向けさせるのがポイントです。因果応報なのだから、過去の自分がやった通りのネガティブなことが必ず起きるだろうが、それは潔く引き受けていくと覚悟を定めることです。ネガティブな出来事は宝物になると心得てもいるので、何も怖れるものはないし、苦楽を等価に観じきって、一切のものをありのままに受け入れていこう。無知で愚かだった自分もありのままに認め、赦し、受け容れて、心ひろびろと爽やかに生きていこう・・。このように自分を赦し、解放されていくのが懺悔の瞑想です。
ネガティブな自分を赦し受け容れることができるからこそ、どんなネガティブな人も赦し、受け容れることができるようになるだろうということです。
過ちを認め心からお詫びして、そんなどうしよもない自分でも赦し、受け容れていくのが懺悔の瞑想。自分も、他人も、善いものも悪いものも、一切を赦し、受け容れていくのが赦しの瞑想ということです。(終)
(文責:編集部)
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