月刊サティ!


 巻頭ダンマトーク

死が輝かせる人生

 


 第1章 これが最期・・・

 昨日は、春秋社という出版社の社長がお亡くなりになり、葬儀に参列しました。春秋社は、私が初めて書いた『ブッダの瞑想法』という本を出してくれた出版社で、その最初の本が好評だったので、その後何冊か刊行していただいたというご縁があります。私がこうして瞑想や仏教の話ができるのも、無名の私の本を上梓してくださった春秋社のお蔭さまでもあり、法事ではこれまでの思い出がよみがえり、感慨をもよおしました。今回はダンマトークで「死」についてお話しようと思っていたところ、はからずも死者に思いを馳せ、人の生き死にを考えさせられた翌日の講座になりました。


*人生が苦しくなる構造
 さて、ヴィパッサナー瞑想で最も大事なのは、現在の瞬間です。今この一瞬に鋭くサティを入れて、正確な対象認識を目指します。それが人生の苦しみを乗り超えていくブッダの方法なのです。なぜ正確な対象認知なのかというと、実在するリアルな世界と、思考がまとめあげた概念世界をゴッチャにすることから人生の苦しみが始まるからです。普通に生きていれば、人は誰でも事実の世界と想いの世界を混同する傾向があります。脳内フェイクの妄想世界と真実の世界を取り違えやすい認知システムで生まれてきたからです。事実であっても誤解であっても、反射的に怒ったり、貪ったり、嫌悪するので、その瞬間に不善業が作られ人生が苦しくなると見ているのです。どうしたらよいか。意識を研ぎ澄ませて、一瞬一瞬をありのままに、正しくとらえることから始めればよい。その具体的な方法を、ヴィパッサナー瞑想が教えてくれるということです。

 

*崩れ去っていく事実
 心に止めておいていただきたいのは、リアルな実在として存在するのは、たった一瞬の刹那でしかないことです。今この瞬間に確かに実在していたものが、次の瞬間には過去になってしまう。そして過去になった瞬間、記憶イメージや妄想と同じ素材になってしまうのです。目の前の事実が、一秒後には無いのです。リアルな現実が次々と崩れ去って、妄想と同じものになっていく・・・。
 よく考えれば、これは驚くべきことです。ボーッとしていたら、真実の一瞬をありのままに捉えることはできません。事実と妄想の混乱状態である「無明」に陥りやすいのは当然であり、一瞬の洞察に命を懸ける真剣さが求められる所以です。
 その通りだ。よし、命懸けでがんばるゾ。とヴィパッサナー瞑想を始めてみても、どうでしょうか。ものの5分も経たないうちに、眠気に襲われたり、妄想に巻きこまれたり、急につまらなくなったり、あーあ、と溜息をついてみたり・・・、結局かけ声だけで、本気の命がけになど簡単になれるものではありません。


*メメント・モリ(死を想え:死を忘るなかれ)
 ではなぜ、本気になれないかというと、なんの根拠も保証もないのに、だらだら長生きする予定でいるからなのです。() 人は基本的に未来を楽観視する傾向があり、自分だけは大丈夫と考える「正常性バイアス」を搭載して生まれてきています。大変だ、大変だ!と頻繁にパニックを起こしたり、過剰反応をしていれば疲弊してしまうので、多少のことでは大騒ぎしないように楽観視する心のメカニズムが備わっていると考えられています。
 瞑想必死でがんばろうと思っても、まあ、人生百年時代やし、今からスパートかけられへん。のんびり、マイペースで行こうかい・・・となる訳です。()
 でも、もし本当にあと一年しか生きられない、いや、半年後に確実に死ぬとなったら、どうでしょうか。だらだらお笑い番組観てられますか? 無駄な時間は一瞬たりともないはずです。


*死随念ー死を想う仏教の瞑想
 アップル社のCEOだったスティーブ・ジョブズも「今日が人生最後の日だとしたら、今、本当にやりたいことをやろうとしているか?」 と自らに問いかけていたようです。癌告知をされて以降のジョブズにとっては、「今日が人生最後の日・・・」は冗談でも想定でもない、本気の実感だったことでしょう。自分が死んでいくのは確実で、その最後の日、終末から振り返って今日やるべきこと、やらなければならないことは何かと考えてみると、けっこう真剣さが出るような気がします。
 しかし今日も元気でご飯が美味しい人が想定すると、その瞬間は身が引き締まりますが、たちまち甘い考えが浮かび、なーに、まだまだ・・・と正常性バイアス包まれてしまうでしょう。そこで修行法が必要となり、原始仏教では「死随念」という念仏やマントラ系の瞑想法が今でも実践されています。
 これはサティの瞑想とは異なり、イメージや思念に集中し続けていく瞑想です。仏を念じる「仏随念」や、甘い欲望に打撃を与え貪りタイプを修正する「不浄随念」、慈悲の心を定着させる「慈悲随念」など、瞑想者の資質や反応系の心を組み換える修行と考えてよいでしょう。
 私がスリランカで習った死随念は、「死は確実、生は不確実」という意味のパーリ語を唱え続けるものでした。しかしパーリ語が苦手な人には、意味もイメージも心に刺さってこないので、随念効果が弱いと感じました。一瞬一瞬、死んでいくのだ、ボーッと生きてられないゾ、と自分を戒めるメメント・モリの効果がないと死随念の修行としては弱いのです。
 そこでグリーンヒルの道場での合宿では、瞑想者の方々に、例えば「死にます、死にます・・・」と日本語で唱えるように提案したら、多くの人に効果的でした。昔、10日間合宿で「死にます、死にます、死にます・・・」と一日中、死随念に取り組んでいた人がいました。その人は真剣だったし集中力もあったので、本当にそんな気持ちになって、食事の時間になっても、とても食べる気がしない、と食堂に降りてこられなくなりましたね。()
 随念の修行をやってみると、言葉やイメージに強く反応するタイプの人とそうでない人とがきれいに分かれます。言葉に反応するタイプの人には、ラベリング効果も随念効果も鮮やかな傾向があります。
 言葉の脳とイメージ脳のどちらを多用するかで、概念重視派と実感派に分かれますが、どちらも一長一短です。両方の脳がバランスよく使われるに越したことはなく、その訓練に最適なのがラベリングありのヴィパッサナー瞑想と言えます。概念のフィルターを通さずあるがままに観る訓練と、ラベリングで言語化する訓練が並行して繰り返されていくからです。
 心の反応パターンを根本から書き換えるには他の修行が必要ですが、それほど深刻な問題を抱えていなければ、随念系の瞑想によって反応系の心は上書きされていきます。
 死を想定するだけでは、実際に死を宣告されたような衝撃はありません。どうしても甘くなってしまうのですが、一日中えんえんと「死にます、死にます・・・」と繰り返していると、心に去来する連想や妄想が必ず影響され、否応なしに死について想いを馳せることになるでしょう。理論的に納得しなければ先に進めない人は「エンディングノート」などがよいかもしれませんが、同じ言葉とイメージを繰り返し心に上書きしていく随念が効果的なタイプの人もいるのです。

 

*想定から本気
 先ほどのスティーブ・ジョブズの言葉は、正確には次のようなものです。
 If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today
 「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは、本当に自分のやりたいことだろうか?」
 これは、2005年スタンフォード大学の卒業生に贈った有名なスピーチの一節です。この時ジョブズは50歳でしたが、30年間毎日、この言葉を鏡に向かって語り続けたとも言われます。
 若い頃から座禅の修行をしていたジョブズは、真剣にこの言葉を呟いたでしょう。しかし48歳で膵臓癌を告知された2年後のこのスピーチでは、「もし今日が人生最後の日だとしたら」はもはや想定ではなく、リアルな本気の詰問となって自身に迫ってくるものだったはずです。その後、56歳で亡くなるまでの6年間の人生は、不安や怖れと戦いながらも一日一日、一瞬一瞬、完全燃焼しようとした日々だったように思われます。まさに「メメント・モリ(死を想え:死を忘るなかれ)」の有無を言わさぬ力に支えられもよおされ、人生を輝かせたであろうし、瞑想をする一瞬一瞬も命を懸けた真剣勝負だったのではないでしょうか。
 人は本能的に死を怖れ、忌み嫌い、縁起でもない、と考えようとさえしない傾向があります。メメント・モリの正反対で、死を想うな、死を忘れろ、自分だけは大丈夫、と何の根拠もない正常性バイアスで楽観的になり、愚かな煩悩に振り回されて不善業を作りながら死んでいきます。ダラダラした気持ちで瞑想をしても、睡魔に襲われ、妄想に巻きこまれ、どうもノラナイな、やる気が出ない、と怠けてしまいます。() もしジョブズのように、真剣に死を想うことができれば、いかなる人生の現場であれ、その一瞬一瞬を最高に輝かせられるのではないでしょうか。


*暗闇に独り漂う・・・
 最近私は、保山耕一というカメラマンを取材した番組を観ました。この人は、生まれ育った奈良の風景を美しい映像の詩のように撮っている方です。ヴィパッサナー瞑想者として、どうしたら今この一瞬に命を懸けられるか、と自らに問いかけるときに参考になるのではないかと思い紹介します。
 この方は、2013年に直腸癌の告知を受けました。腕のいいカメラマンでしたが、ある日突然倒れて、診断結果は、このまま放置すれば余命はあと二カ月と言われたそうです。放射線治療や化学治療を受けて手術ができる状態になり、いちおう成功したのですが、5年後の生存率は、わずか5%から10パーセントと告げられました。死の宣告同然の確率です。
 印象的だったのは、仕事ができなくなった時、この方には友達と呼べる存在が一人もいないと気づいたことです。「仕事でつながっている人間関係はあったけれど、心でつながっている人は、誰もいてなかった」と愕然としたのです。仕事仲間は結局お互いにライバルばかりでしたから、保山は癌でダメらしいとなれば、ただ忘れ去られていくだけです。
 ご家族がいるのか不明ですが、映像で観るかぎり、結婚指輪もしていないし家族の話がまったく出なかったので、独身なのかもしれません。もし妻も子もいない上に、心の通じ合う友達がゼロだとしたら、その孤独感はいかばかりかと思いました。「暗闇の中でたった一人ポカーンと漂っているような、社会の中で自分の存在が孤立しているような印象を持った」と述懐していました。


*研ぎ澄まされていく眼
 そんなある日、スマホで動画が撮れることに気づいたのです。プロのカメラマンなのに、スマホに動画機能があることを知らなかったのだそうです。() 体調も悪いし排便障害もある今の自分にできることは何だろうと思いあぐねていて、ふとスマホで映像が撮れるやん、と閃いたのでした。スマホだったら軽くて持ち運びに負担がかからないので、毎朝始発電車に乗り、その日の直感にしたがい、生まれ育った奈良の美しい風景が撮れそうなところを訪ね歩くようになったのです。
 ほどなく撮影された動画を、その日のうちにインターネット上にアップロードすることも始めました。すると、それまで生きているのか死んでいるのかわからないような灰色の毎日だったのに、何かが変わり始めました。
 カメラマンの仕事しかできない自分が、お金やビジネスとは無関係の動画を撮影している。ただ純粋に撮りたいと思う大好きな奈良の、最も美しい一瞬をカメラにおさめていく。子供のように無心に没頭している。「ああ、こんな感じ、久しぶりだ!生きてるやん!」と実感したといいます。
 死期の迫りつつある人の感覚が鋭く研ぎ澄まされてくるからでしょうか。仕事を離れて純粋に風景の中に立ってみると、ああ、風が吹いている。雨が降っている。歩いたら、落ち葉の音がザッ、ザッ、ザッと鳴る。曇っていて寒いなと思っていたのに、日が差してきたらこんなに暖かいのか・・・。それまで気にも止めなかった当たり前の光景が新鮮に感じられてくる。まるで生まれて初めて世界を眺める幼児のように、極上の美の瞬間を見出して撮影していることがすごく幸せだったのです。
 この番組は、絶望的な5年後生存率を告げられてから6年経過した頃のものです。もう亡くなっていてもおかしくないのに、保山さんはとても元気そうでした。本当にやりたいことが見つかり、それが存分にやれているからでしょう。生き甲斐が感じられ、心が充実している時の体の細胞は活性化し、はた目にも生き生きと輝いて見えるのではないかと思います。
 保山さんは天職に選んだカメラマンを30年間続け、死の宣告をされて初めて自分の人生に本気で向き合うことになり、最後に見出した答えは、長年続けてきた同じ撮影でした。仕事やお金や何かのためではなく、純粋に自分の心に響いてくる瞬間をカメラに切り取っていく作業でした。迫りくる死が意識されると感覚は鋭敏に研ぎ澄まされ、保山さんの目は一瞬の美を逃さずにとらえ、おそらく彼にとって最高傑作の映像をカメラにおさめ撮っていったように思われます。喉元に短刀を突きつけられたように、死と向き合った時に生が最も輝くメメント・モリの力だと言えるでしょう。

*鉛筆で描いた月
 保山さんの奈良の映像には繊細な美しさが感じられました。
 「自然の移ろいはすごく正直で、規則正しくて、春が来て、夏が来るというように、ちゃんと順番を守っている。でも、春が来たり、夏が来たり、そのように季節がめぐっていることは、今の自分には当たり前とは思えなくなった。春が来るのは奇跡だし、花が咲くのも奇跡だし、この環境がずっと続いているのがものすごくありがたく感じられる」。
 このような言葉は、死が迫りくる人に特有のものでしょう。来年この桜が見られるかどうかはわからない。これが最期の桜・・・と思えば、今この一瞬に命を懸けて向き合えるでしょう。十五夜の月がきれいだと言う人は多いが、保山さんにとって一番美しい月は少し違うのです。
 昔、ミャンマーの森林僧院で修行していた時に、満月の夜がどれほど明るいかに驚きました。煌々と照らし出される月光の世界に、夜の美しさを感じました。ところが新月になり月明かりがゼロになった夜は、ミャンマーの山奥ですからね、太古の昔を思わせる凄まじい暗闇にすべてが包まれるのです。漆黒の闇の世界の広がりです。しかし頭上を見上げると、夜空一面に物凄い星が息を呑むような輝きで燦めいて、文字どおりギンギンギラギラ状態です。あの満天の星々の輝きには思わず立ち尽くしたのを覚えています。
 そんな真っ暗闇の新月の翌日が、保山さんにとっていちばん美しい月なのですね。それは、先の尖った鉛筆で描いたような淡く、細い月なのです。西の空に沈んでいった太陽を追いかけるように、繊細な月が微かに現れてくるのを見た瞬間、ゾクッと身震いするような美しさを感じるのだそうです。この状態の月は真剣に探さないと見つからないのですが、存在感の最も希薄な極細の月に最高の美を感じる感性は素晴らしいと思いました。
 たいていの人は三日月くらいで月の存在に気づくのでしょうが、保山さんは誰も注意も払わない新月の翌日の細い線のような月に目が吸い寄せられていくのですね。春日大社の社殿の軒先に深まっていく黄昏の中に、淡い微かな極細の月が映し出されている美しい映像でした。
 なぜ、このような繊細な美しさに目が吸い寄せられていったのでしょうか。そのポイントは次のようなことだと思われます。
 真っ暗闇の新月は全ての存在がかき消された暗黒の死の世界の象徴です。しかし、その闇の中から復活し、再生してくるものがある。闇の中に消滅した命が甦ってくるかのように、鉛筆で描かれたような月が微かに姿を現してくる・・・。死が迫りくる中で最後の仕事をしていた保山さんなのでしょうが、それでも再生してくる微かな月の美しさに一縷の望みを託しながらカメラを回し続けたのではないかと私は解釈したのです。
 死が命を輝かせ、一瞬の刹那をとらえる無常の美学につながっていく。遠からず冷たい闇の中に沈んでいく自分の人生の最期に、真実の瞬間を焼き付けておきたい。死は覚悟しているが、それでも命ある限り生きていきたい・・・。
 そんな保山さんと同じ感覚で、一瞬一瞬に命を懸けてサティを入れていくのが真の瞑想者ではないか。存在の究極に迫り、生存の流れから解脱する一瞬に向かって修行しなければならない。そう教えられたように思いました。

 

 第2章 かけがえのないもの

*神様の藤 
 死を覚悟した人の心象が見事に描き出された映像がもう一つ、保山さんの故郷、奈良春日大社の朝まだきの藤棚の美が感動的でした。
 藤の季節の一時期、春日大社の藤棚は神秘的なかそけき美しさを醸し出すらしいのです。一年に一度だけ、日が昇る直前、暁の闇が破れて薄っすらと空が白み始め、金星と月はまだ視界に残るが、他の星は姿を隠したような束の間、空は明るみ地上は薄暗い、そんな瞬間に藤はひっそりと咲き始めるのだそうです。
 暁の薄闇の中で咲き始めたほんの5分か10分間だけ、春日大社の藤は特別な美しさを放つのです。夜が終わり朝が始まろうとする狭間で、人しれず花開いた藤が、わずか数分間だけ自ら微光を放って輝く・・・。まさに「神様の藤」と言われる稀有な映像が映し出されていました。
 そんな繊細な一瞬に目が吸い寄せられるように、保山さんは風の匂いや温度や湿度の感じから、その日の直感で今日はどこに行けばいいのかを察知しているようです。自分が撮っているのではなく、何かに撮らされているようだと言ってましたが、とても偶然とは思えない本当に美しい一瞬の風景を逃さないで撮影しているわけです。
 迫りくる死を覚悟すると、自ずから我執が落ち、無我の感覚が強まるのでしょうか。エゴの計らいや欲で狙っても、このような美の瞬間には到底立ち会うことはできないだろうと思われました。

 

*投げ返されてきたボール
 保山さんは、こうした美しい映像を「時の雫」というタイトルで毎日、インターネットのYouTubeにアップロードしているのです。すると、当然のことですが、いろんな人からメールが届くようになり、大きな反響が得られるようになりました。彼は自分が末期癌であることを公表しているため、同じ病を得て余命宣告をされた人からもメールが届き、
 「保山さんの映像で励まされました」
 「いま病気で健康な時と同じようなことはできないけれども、そんな自分でもいいんだよって言ってもらえたような気がした・・・」
 と共感を伝えてくるのです。
 あるいは、「一日嫌なことがあったけど、保山さんの映像を見たら全部忘れて、幸せな気持ちで眠れました」
 「東京で毎日働いて、夜遅く帰宅して保山さんがその日撮影した奈良の風景を眺め、故郷の美しい景色に癒されました」と、そんなメールが来る。
 保山さんにとっては、遊び半分で戯れに始めたスマホの動画撮影は、死の恐怖を忘れさせてくれるものでしかなかったのに、いつの間にか世間に評価され、多くの人の励みになっていることが知られたのです。そんな手応えが感じられたら、もう止められなくなったと述懐するのも当然でしょう。
 ここで保山さんは極めて重要なことに気づきました。自己有用感です。当初は「癌にすべてを奪われた。悔しい、悔しい、悔しい・・・」と書き記すことしかできなかったのに、自分の存在は無価値ではなかった。何もかも失ったはずの自分が今、ささやかながら人様のお役に立てていると感じられる・・・。これはすごく大事なポイントです。

 

*愛着と自己有用感
 自分は存在する価値があるのだろうか。自分のような者が、生きていてよいのだろうか・・・。そんな自問自答が絶えず繰り返され、自己否定感覚に苛まれている人が少なくありません。もしこの世に誰ひとり自分の存在を認めてくれる人がいないと思えば、その孤独感や無価値感は耐えがたいものとなり、生きる力が失われていくでしょう。
 自分に自信が持てず、人間関係が苦手な人たちは、いつからそうなったのでしょうか。ほとんどの場合、そうした傾向や資質は幼少期に端を発しています。母親など重要な養育者との間に健全な愛着形成がなされないと、いわゆる「愛着障害」と呼ばれる問題が発生します。
 赤ちゃんと特定の養育者との間には、強い心理的な信頼関係や絆が生まれ、他者とのコニュミニケーションの第一歩となる対人関係の原型や基盤になっていきます。ところが、母親が不在であったり毒親だったり、頻繁に養育者が替わったり、何らかの不具合や不安定要素が生じると、愛着障害が起きてしまいます。乳幼児の母親自身が発達障害や愛着障害を抱えている場合は、同じ問題がコピーされ世代間連鎖になることもしばしばです。
 生まれてから母親に一度も褒められたことがない。この歳まで、母親に褒められたのはたった3回だけです・・・などと洩らす方に、瞑想の指導を通して何人も会いました。
 幼い子供にとって一番大事な人が、自分の存在を常に見守り、励まし、褒めてくれ、絶対的に丸ごと肯定してくれる。愛されていると確信できる。そうした体験が繰り返されなければ、情緒が不安的になり、自分の存在には何の価値もない、と慢性的な自己否定感覚と無価値感に苦しむことになるのが人間です。
 赤ちゃんが最初に出会う「重要な他者」である母親との間に安全・安心・信頼が十二分に形成されなければ、自信も、自尊感情も、人を信頼することもできなくなるのです。不完全では存在している資格がないし、誰にも認められないし、なんの価値もない。愛情と安全と安心を得るには、がんばって頑張って、完璧でなければならない・・・と、子供は考えてしまうようです。
 自己肯定感が低いので、人から認めてもらいたい、必要とされたい、褒めてもらいたい、と承認欲求が強くなり、次々と難しい資格を獲りまくり、お免状や証明書や免許が山積みになっていく資格マニアも珍しくありません。揺籃期の愛着障害が根本原因なので、どれほど難関の資格をゲットしても常に不全感が残り、心底から自分を承認しきることができないのです。
 恋愛相手に体当たりで愛を求め、承認を求め、永遠の愛を誓わせることを繰り返す人もいます。「おまえは、重い!」と疎まれ、深く傷ついて次の恋に臆病になり、心やさしい人に出会っても、心を閉ざし、自我防衛の体制を布いてしまうこともあります。
 愛着障害は、人間関係の根本に関わる問題です。自己肯定感が持てないので、自信がないし、他人も自分も信頼できず、人との関係を上手に築けない障害です。
 どうしたらよいのでしょうか。
 愛着障害は回避型・不安型・混乱型など、いくつかのタイプに分かれるし、根本治療は専門家に任せるべきです。自分が愛着障害であることに気づかぬまま、ただ人生が苦しくて瞑想にたどり着くケースも少なくありません。私の仕事は、瞑想のできない人に瞑想ができるようになる道を示すことです。これまでの経験から、愛着障害全般に有効性のある対処法が3つあると考えています。
 ①は安全基地の代替えになる存在を見つけること、②はトラウマの解消と過去の受容、③は善行です。ここでは本稿のテーマに関連する③の善行についてお話します。

 

*利他行
 善行とは、人のため世のために善い行ないをすることです。他人を利する行為なので「利他行」とも言います。ささやかな小さな善行から始めると定着しやすく、例えば、座席を譲る、コンビニの募金箱に釣銭を寄付する、路上のゴミを拾う、ボランティア活動、何もしてあげられなかったら、心のこもった挨拶や慈悲の瞑想だけでもよい・・・等々。

英国のホームレスの老人が語っていました。「一番うれしいことは、道行く人が挨拶をしてくれた時だね」。
  まるでそこには何も存在していないかのように無視する通行人ばかりなのに、挨拶の言葉を投げかけてくれる人は、少なくとも自分の存在を認めてくれたということです。そんなささやかなことが一番嬉しいと感じる人がいるのです。
  ありがた迷惑だったり、上から目線の善行が却って相手を傷つけたり、心から人に喜んでもらえる善行は、なかなか見つからないものです。お金もないし時間もないし善行など出来ないという人も少なくありません。しかし、雑踏の路上で一言挨拶するだけで、こんな風に受け止めてくれる人がいて、素晴らしい双方向の善行が成り立つのです。

 自分のためになることよりも利他的行為の方が、心理学的には幸福度が高くなると言われます。欲しいものが手に入り願望が実現すれば、誰でも嬉しいものですが、所詮、それは欲が満たされた満足感に過ぎません。しかるに、人のお役に立てたり、喜んでもらえたり、他者の幸福に貢献できたときの満足感は、自分の人格全体に関わってきます。まして相手から感謝をされたりすれば、それは、あなたのお蔭で助かりました→あなたの存在は私にとって掛けがえのない価値あるものでした、と自分の人格や存在全体が認められ感謝されたような印象になります。
 これが善行の気持ちよさです。自分のような者でも、人のお役に立てる。無価値な存在ではないのだ、と自分を肯定し、自分を信頼できるようになる訓練の一環なのです。
 愛着障害を本格的に乗り超えようとすると、自己否定感覚の発端となった直接原因に向き合い、トラウマやネガティブな過去を受け容れる難しい仕事に取り組まなければならないでしょう。抜本的な認知の転換が必要です。
 しかし問題の深刻さは千差万別、程度もピンからキリまでです。善行などの新しい反応パターンが上書きされていくだけでも、傷ついた旧い反応系が色褪せて、いつの間にか風化していく場合もあります。善行の爽やかさが繰り返されていくにつれ、ある日、生きるのが苦しくなくなっていたと気づくことも少なくありません。
 話がちょっと横道にそれたので戻しますが、保山さんが愛着障害だと申し上げているのではありません。余命宣告をされて仕事もなくなり、誰とも心が通じていない孤独感は、自己否定感覚や無価値感につながっていたのではないか。自分は無用の存在ではないかと苦しんでいたさ中に、見知らぬ人たちから思わぬレスポンスがあり、自己有用感が確かめられたことは生きる力を奮い立たせてくれたことでしょう。自分も人のお役に立てる有用な存在だと感じられたことは、病気だけど生きるに値するのだとストレートに確かめられたはずです。善行の価値に目覚めた保山さんに、新たな生き甲斐が生まれたのです。

 

*役割なしの者なし
 こう言うと、人のために善行のできる保山さんは結構だが、寝たきりで人に介護されながら暮らしている者は役立たずで生きるに値しないのか。どこを探しても自己有用感など見出せない者はどうなのだ、という疑問が出るかもしれません。そういうことではないのです。100%お世話されるだけの赤ちゃんが、周りのみんなの生きる拠りどころになっているように、無力な弱者の存在が周囲の人に優しさや「悲(カルナー)」の心を発露させていることも多々あるのです。
 重度の障害者が扇の要になって、家族全員を一致団結させている事例も数多く見てきました。一見すると周囲の人に迷惑をかけながら、ただ介護されている無力な人たちにも立派な存在理由があり、何らかの役割を果たしているのです。
 アイヌには、「天から役割なしに降ろされたものはなし」という格言があるそうです。美しい言葉だと感銘を受けました。弱者も強者も、悪に悪を重ねて破壊しまくる者も、遠大な視野におさめて眺めれば、見事にそれぞれの役割を果たしながら調和の相の下にあることが知られるでしょう。
 人の体の中では日々、骨を破壊する破骨細胞と新しく作り出す骨芽細胞が同時進行しています。創造と破壊は同格で、壊れなければ新しいものは生まれてくることができないのです。災害で破壊し尽くされた直後は悲劇以外の何物でもありませんが、必ず立ち直っていくし、復興が完了した時には改善や新しい価値でバージョンアップされた街並みが現れるものです。
 害毒を垂れ流すだけの悪者は皆殺しにして、この世から抹消すべきだという考えは間違っています。「社会の悪」と決めつけ取り締まって排除しようとするのは、自己中心的な視座から滑稽な理想を掲げる愚か者です。この世は、健康で美しい善人だらけにすべきなのでしょうか。傲慢なエゴの視座から発想された強者の論理です。どんなものも一時的な存在に過ぎず、あらゆるものは無常に変滅していく真理にも盲目的です。
 ヒットラーは害虫のユダヤ人を600万人、ポルポトは都市部の知識人を中心に300万人、スターリンは自分の政敵や危険分子を2000万人も虐殺したと言われます。もとより正確な数字は不明ですが、悪を滅ぼせ!という妄想に同調する者たちが実行者になっていくのです。
 では、ヒットラーのような大量虐殺者こそ抹消されるべきでしょうか。巨悪を犯した極悪人にも存在理由があり、反面教師として何らかの役割を果たしていたはずです。終戦になるや否や、軍部にダマされていた、と自分達は被害者であるかのような態度を取る人の多かった国もあるようですが、戦後ドイツは様相を異にします。ナチスを容認し、支持してしまったのは自分達の責任だとして、国民レベルで懺悔モードになり、二度とナチスを輩出させないシステムを作りました。
 ヒットラーを経由することによって、ドイツが進化し成熟したのであれば、歴史的に存在した意味があるのかもしれません。
 無益と観るのも有益と観るのも、しょせん小賢しいエゴの猿知恵です。やれ賤しいの貴いの、下流の人だ上流だ、凡夫だ聖者だ、とつまらぬエゴの判断を差しはさむ視座を超えなければならない。
 荘子なら万物斉同と言うでしょうが、仏教では「捨(ウペッカー)」の心で万物を等価に観る、と言います。善も悪も何もかも、存在しているものは全て正しい、と私は言いたいですね。あらゆる価値判断を超越し、万物を捨の心で眺めれば、ただ「あるがまま」に存在しているだけであり、心底からそのように観られるのはエゴの視座を捨て去り、無我の境地とそこからの視座を体得している人たちでしょう。
 そのような心境に達すれば、死を超越した領域に参入し得るのでしょうが、残念ながら保山さんも私たちと同様、まだそこまでは到り得ていないようです。

 

*国際映画祭への出品
 自己有用感を持てないままネガティブ妄想に圧し潰されるように自滅し、孤独死する人が後を絶ちません。保山さんも際どいところでしたが、偶然という名のカルマの良さから、無力な自分になってもできることを見出して、無償の行為として積み重ねていくことで活路が開かれていきました。
 奈良の風光を無心に撮影した動画がしだいに評価され、保山さんの映像作品の上映会が開かれるようになったのです。やがて病と向き合う自らの心の内を描いた作品が奈良国際映画祭に出品され、2018年に春日大社に奉納する形で上映されるまでになりました。「映像詩、春日大社ー私の命と春日の神様」という作品です。
 迫りくる死の足音を聞きながら、万感の想いを込めて撮影していった春日大社の美しく、はかなく、森厳な風光の一瞬一瞬が切り取られているのです。・・・春日の森、朱塗りの本殿、藤の花、水谷川、氷柱と霜に凍てついた手水舎の柄杓、万燈籠、二の鳥居・・・。いずれも、保山さんの瞬間の美学に貫かれた珠玉の映像でした。
 何を撮るべきか。今日しか撮れないものが、必ずある。今日しか撮れないものが、一番美しいはずだ。本当に美しいものは、その瞬間にしかない・・・。そう語る保山さんの美学が完璧に盛り込まれた傑作と感じました。静かで、はかなく、鬼気迫る映像が一つの無駄もなく連続する様に、死の迫った者が見る最期の光景を残そうとする覚悟が伝わってくるようでした。
 その峻厳さと、かそけさと、美しさに見事にマッチしたBGMが、川上ミネの独奏する繊細なピアノでした。保山さんの心情を何もかも心得たかのように、ピアノ独奏が紡ぎ出す透明な美と、燦めきと、鋭さと、静けさが、映像と音の類まれなるハーモニーを生み出しているのに感銘を受け、個人的には川上のピアノだけでも繰り返し聴きたくなる傑作だと思いました。

 

*言葉と、映像と、音の、最期の饗宴・・・
 この作品には、映像の合間に字幕が現れてきます。
 「余命を宣告されて、5年後に生きている確率は10パーセントだと告げられる。でも、今は生きている」
 と、白い文字が闇の中に音もなく提示されるのです。そして、枝垂桜の一枝が静かに浮かび上がり、川上のピアノが鋭く、静かに鮮烈な響きを奏で、朱塗りの拝殿に石灯籠、枝垂桜の大木、と美しい絵が続き、再び暗転し、
 「生きるのも、死ぬのも、怖くてたまらない」
 と沈黙の中に文字が白く浮かび上がります。さらに、朱塗りの鳥居のかたわらに屹立する銀杏の大木から、風もないのにハラハラと雪が降るように金色の落葉が舞い落ち、辺りは一面銀杏の落葉で埋め尽くされている。古色蒼然とした石灯籠の上にも黄色の落葉が重なり、水谷川の水底に張り付いた銀杏の葉の上を清冽な急流が流れ続け、再び暗転し、
 「でも、私は生きている。その意味を探し続けた・・・」
 と字幕が浮かび上がり、真冬の白いガラス破片のような霜の鋭さと、そのかたわに佇む鹿の体から湯気が立ち昇る・・・といった塩梅です。
 春日大社の折々の風光と川上の鮮烈なピアノだけでも、観る者に瞬間の美と、滅していくもののはかなさと、死を連想させる厳粛さを十分に感じさせるでしょう。その一因は、保山さんが捉える被写体のはかなさです。・・・朝靄に薄っすらと煙る池、樹々の葉の上に束の間ふくらんで光っている水滴、舞い落ちていく落葉、水面に反映する色鮮やかな紅葉、不意に風が立ち、さざ波とともに崩れ去っていく紅葉の色彩・・・。
 保山さんの眼がはかなく消滅するものに吸い寄せられていくのは、自身に迫り来る死を覚悟しているからに他ならないでしょう。映像の力だけでも十分に伝わるのですが、字幕の言葉が決定的に観る者の認識を、死とは何か、死と隣り合わせながら生きるとは何か・・・に向かわせます。保山さんの視覚と、川上の音と、どこにも逃げ場のない強制力で言葉が問いかける、死と、生と、瞬間と、美・・・。

 

*この世とあの世をつなぐ虹
 春日大社に奉納する映像詩がほぼ完成し、締め切りが間近に迫ったある日、春日大社の宮司さんが今まで聞いたこともない話をされました。
 自分には彩生(サキ)という名前の女の子がいて、三歳の時に小児癌を発症したというのです。一番かわいい盛りに小児癌を宣告されたが、治療の甲斐があり奇跡的に5年間生きながらえて亡くなったというのです。その5年間、サキちゃんは天真爛漫に生きて、逆に両親や家族を始め学校の友達や先生、周囲の人たちを喜ばせ、楽しませ、勇気づけ、みんなに生きる希望をばらまいて短い生涯を閉じたということでした。
 その話を聞いた保山さんは、これはアカン、もっと自分をさらけ出さなければダメや、と思ったのです。全部さらけ出して神様に見てもらうのが奉納作品ではないか。宮司さんの遺児サキちゃんに捧げるような映像を加えて製作し直さなければならない。〆切までに残された時間はわずかだが、やってみよう、と。
 そこで閃いたアイデアは、御蓋山(みかさやま)に虹がかかる光景を撮影できないだろうかということでした。宮司さんは、「あの子は、ほんまに春日大社の好きな子やった。飛火野のベンチに座って、いつも御蓋山を見ていた」と洩らしていたのです。それなら、サキちゃんの大好きだった御蓋山に虹がかかるのを撮影して、あの世にいるサキちゃんをびっくりさせてやりたいと考えたのでした。
 さらに保山さんには、虹はこの世とあの世を繋ぐ懸け橋のようなイメージがありました。宮司さんのためにも、あの世のサキちゃんとこの世を繋ぐ懸け橋の虹を撮りたかったでしょう。そして、その虹は、遠からずこの世を去り行く自分とあの世を繋いでくれる象徴にもなるだろうと秘かに思うところがあったのではないか、と私には感じられました。

 

*死者からの激励
 虹がいつ出るかなど予測もできないことでしたが、可能性が1%でもあったらやってみよう、と保山さんは飛火野に日参したのです。サキちゃんの愛用ベンチに座り続けて待つこと1週間から10日、ついに一瞬だけ、わずか10秒間ぐらい虹のかかった瞬間を見逃しませんでした。淡い、うすい、はかない虹が御蓋山に束の間かかるのを、保山さん以外だれも気づかなかったでしょう。でも、カメラに収められた稀有な映像が作品を見事に飾ってくれたのです。
 一度も会ったことのない宮司さんの遺児、サキちゃんと一瞬心が通じて、虹を撮らせてもらえたのではないか、と保山さんは思いました。
 「御蓋山にかかる微かな虹。そこにはあるけれど、見ようとしなければ見えない一瞬」
 という字幕が現れました。
 あの世にいてる人に、これだけ影響を受け、励まされ、自分の持っている力以上のものを出させて頂いた。この世にはいない、あの世にいてるサキちゃんと繋がることができたという、凄い喜びがあったのです。何が喜びかというと、自分も死を意識して毎日過ごしているが、死んだ後も、こういう風にいろんな人と繋がれるということが体験されたことでした。死んだところで終わりじゃないんだ、という事実が心に響いて残ったのです。
 考えてもみてください。サキちゃんがいつも座っていた飛火野の愛用ベンチから、御蓋山にかかる虹を撮影したいと願い、終日ベンチに座って待ち続けているのです。いつとも知れない虹の出現する瞬間を、来る日も来る日も、どんな緊張と集中で待ち続けていたのでしょう。そして、わずか十秒間くらいの本当に微妙な虹の出現を見逃さなかった保山さんの一瞬に懸ける覚悟と、運の良さに感銘を受けました。残された命を、一瞬一瞬、全力投球で生きているという迫力が伝わってくると同時に、なぜ私たちは、この保山さんのように生きられないのだろうかと溜息を吐きたくなりました。

 

★完全燃焼
 19歳で亡くなった書家の作品に感動した保山さんは、歩くのも辛いほどなのに、その書家の額が掲げられた寺からその年の桜をどうしても撮りたくなりました。
 「いつかは止めな、ダメって時が来ると思うので、今年が最後の桜やと思っています」
 その最後の力を振り絞るように、カメラを通して向き合った「桜」と「命」の作品は多くの人の心を動かしたものの、やりきった! 桜を撮れました!とは思えなかったそうです。砂時計の残余の砂がどれほど残されているのか神のみぞ知るですが、このままでは終われない。終わりたくないと思い、「石にかじりついてでも続けて、もう1年がんばります」と語っていました。
 このようにリアルに死を覚悟した者でなければ、本気で、一瞬一瞬に全てを懸けることは出来ないことを誰もが知っています。保山さんの人生は、死と向き合わざるを得なくなった時から輝き始め、完全燃焼しながらの今が最も充実しているのではないでしょうか。
 「散ったあとの花なんか、誰も見いひんかも分からへんけど、目を凝らしてよく見ると、思いもしなかったような美しいものがそこにある」
 と述懐する保山さんは、もう来年は到来しないかもしれないと覚悟しているようにも思われます。最後まで力を尽くして生き切ろうとする意志と、静かに死を受容しようとする思いが相克しながら去来しているのでしょう。仏教的な究極ではありませんが、見事な人生の最終章ではないでしょうか。
 死をいかに受容するか、は輪廻転生からの解脱に直結します。その問題はさておき、保山さんの物語から痛感するのは、死がリアルに迫らないかぎり、人は本気になれず、ダラダラ生きてしまうということです。癌にならなくても、どうしたら保山さんのように、一瞬一瞬に命を懸けて輝いて生きられるのでしょうか。その素晴らしい答えの一つを次号で紹介しましょう。

 

第3章 死のラーメン哲学

*本気になる・・・

  もし本当に自分の余命宣告がなされたなら、誰でもカメラマンの保山さんと同じように残された人生の一瞬一瞬に命を懸けざるを得なくなるでしょう。死期が宣告されカウントダウンが始まってしまえば、否応がないのです。泣こうが喚こうが何をしようが、残された命に向き合って一日一日を必死で生きるしかなくなります。

 だが、「メメントモリ」をモットーに死を想い、日々命を懸けようとしても、健康時の想定はしょせん想定に過ぎず、実際に死を宣告されたインパクトと同じになることはあり得ないでしょう。「今日が人生最後の日だとしたら・・・」 と自らに問いかけてきたスティーブ・ジョブズも、果たしてどこまで本気になれていたのか。48歳で癌告知をされ56歳で亡くなるまでの6年間の本気と、同じレベルだったでしょうか?。

 火事場の馬鹿力にスイッチを入れるのは、火災が本当に起きてしまった現場の力であり、現実が人を本気にさせるのです。

 

*ゴールが見えれば

  私たちは本気になりたいのであって、死を宣告されたがっている訳ではありません。ダラダラといたずらに日を送るのではなく、一瞬一瞬、仕事に、生活に、瞑想に、真剣に集中し、全力で取り組み、完全燃焼して人生を輝かせたいのです。

 どうしたらよいのでしょうか。

 死期が定まり、終わりが見えれば、何事にも命懸けにならざるを得ない。それなら、取り組む仕事の余命宣告をして、終わりを定めれば命懸けになれるのではないか、と考えた人がいます。

 余命宣告とは、死期が確定し、終わりが見えることです。ザ・エンドの終焉の日までに残された時間がカウントできる構造があれば、人生全体の死であれ、個々別々の仕事の死であっても同じ力が働くのではないか・・・。

 

*自ら死を与える

  2018年にアメリカでラーメン店をオープンし、営業は1000日で打ち止め、5年後に店を畳むと決めた日本人がいます。連日1時間待ちの行列ができ、地元のグルメサイトで 「今、最も熱いレストラン」第1位を3ヶ月連続で獲得した「鶴麺(Tsurumen Davis)」の大西益央さんです。ボストン最大の日刊新聞「ボストン・グローブ」の1面を飾ったのは、ラーメンの味もさることながらユニークな経営哲学にもあるようです。

 どれだけ流行っていても1000日しかやらない、と店の余命宣告をした潔さについて、新聞のトップには「Nothing is permanennt(一切のものは、無常に変滅する)」と巨大な見出しになっていました。

 録画されていたTV番組を消去する前に早送りしていたのですが、ラーメン職人として一瞬に命を懸ける姿に思わず目を瞠りました。

 「終わりを決めたら、人間、本気になれる」

 「ずっと続くものには、本気になりにくい」

 「1000日しかこの店やれへんのに、今日、一日でも本気になれなくていいんか・・・」

 40代前半の大西さんの人生はまだ続くでしょうが、手塩にかけた我が子のような店の命が尽きる日は確定しているのです。

 わずか17席の店に入ると、壁板には「Enjoy1000days  (今日は) 198/1000」と表示されています。この店が死ぬ日までに残されたのは802日です。しかも週の半分は、営業時間が一日わずか2時間、18時開店の20時閉店。もっとやりたい、働きたい、と思っても、一日2時間しか働けないのですから、誰もが全力投球にならざるを得ない体制です。

 よくぞこの経営システムを思い至ったものだ・・・と感銘を受けました。人生の余命宣告は自分で決めることができず、まさに死期が不明であるが故に、怠惰と甘えと煩悩が垂れ流しになる。それは、これまで見てきたとおりです。しかるに、命を懸けて本気になるために、お店の仕事そのものに死を与えるという発想・・・。

 

*一瞬に生きる

  店の寿命を1000日と宣言した大西さんの哲学に一貫性が感じられるのは、大人気のメニューにも200日限定の余命を定めていることです。201日目にはメニューを一新するというのです。最低気温マイナス10℃以下、極寒のボストンで1時間待ちの行列ができるラーメンです。美味求真に心血を注いで作り上げた鶏ガラスープの醤油ラーメン15ドル(1660)。もう一品はスパイシー白湯ラーメン(17ドル、約1880)です。この日が198日目ですから、あと2日でボストン「鶴麺」のこのラーメンは二度と食べられなくなるのです。傑作ラーメンの死が定まっている・・・。

 映像で観る限り、全員の客が箸を使って食べながら、心底から『美味い!』と呟いているのが聞こえてくるような様子です。

 週に3回通ってくる客が言います、「いつ来ても満足して帰るよ。食べ終わると、いつも幸せいっぱいの気分なんだ」

 「こんな美味しいラーメンはないと皆に言ってるの」という女性客。

 一人で3杯のドンブリをスープまで飲み切った若い男性客・・・。

 だが、そのラーメンもあと2日で永久に食べられなくなる・・・。作る方も命懸けだが、余命が定まっているが故に、食べる方も人生最後のラーメンのように、本気の真剣勝負になっていく・・・。

 「一期一会」「一瞬に生きる」とウンザリするほど言い古されてきましたが、その奥義に参入できる人がどれほどいるでしょうか。しかるに日常的なものの代表のようなラーメン。そのドンブリ1杯のラーメンを介して、作る方も食べる方も、これほど全力で今の一瞬一瞬に向き合うことができるのです。見事なまでに美しいシステムの力だと思いました・・・。

 

*一事が万事

  開店は18時なのに、大西さんは朝の6時半に店にやって来ます。それから何をするかというと、店の床の雑巾がけです。アメリカ人が普通に靴でやってくるフロアーなのですが、彼は四つんばいになって一人で床面の雑巾がけをするのです。禅僧が寺の廊下を雑巾がけする姿が連想されました。

 その日の営業が終了すると、スタッフ全員でまたキッチンの雑巾がけをします。「モップよりもきれいになる掃除の仕方だ」とスタッフに説明し、大西さんが自ら率先して行なっているのです。

 ここにも大西さんの哲学が一貫しています。「雑巾がけが好きなのは、床との距離が近くなり、小さい汚れやホコリにも気づけるからです。徹底的にきれいにすることによって、他の仕事も細部にこだわる妥協のない仕事ができる習慣が身につきます」と明確な理由があったのです。

 当たり前のことだからと、習慣的に掃除をする人も多いでしょう。顧客に気持ちよく来店してもらうためというモチベーションもあるでしょう。だが大西さんの掃除哲学は、よりクオリティの高い美味しいラーメンの追求に絞り込まれています。

 

*美味求真の行者

  肝心のラーメンの味は、平飼いされている鶏ガラのスープがベースです。アメリカの鶏ガラにはモモ肉がかなり残っているので、スープがいちだんと濃厚になるのですが、圧倒されるのは鶏ガラの分量です。利尻昆布の出汁の入った大鍋に山のような鶏ガラを縁まで投入し、2時間煮込むと隙間ができるので、さらに大量の鶏ガラを投入して6時間煮込むのです。添加物を使わないので、このくらい贅沢に鶏ガラを入れないと極上のコクが出ないらしいのです。

 スープが完成するまでの時間、大西さんはヨガマットを広げて倒立やアサナで体を整えます。体調が万全でないと、いい仕事はできないと言うのです。瞑想にとって体調がどれほど重要かを熟知する私には、最高のラーメンのために心身を絶好調に整える大西さんの、美味追求に命を懸けている本気度が伝わってきました。

 食材の麺もチャーシューもメンマも自家製、注文が入ってからチャーシューをスライスするのは切断面の鮮度を重視しているからでしょうか。腕や肩の負担が大きくても平ざるを使って麺を泳がせムラなく湯切りする姿にも、最高の味に全力投球しているのが感じられました。

 

*なぜ飽きるのか

 料理人に限らず一流の職人であれば誰でも、自分の技を果てしなく磨き上げていこうとするでしょう。そんな職人気質の88歳のラーメン店主を、大西さんは自著「ドンブリ1杯の小宇宙を」で紹介しています。創業60年余のその店には醤油味の「中華麺」一種類のみ、メンマとチャーシューの増量があるだけです。しかし味覚に頂点はない、と老店主は味に改良を重ね、時代に合わせて食材を探し、常にお客の期待を上回る「味変え」をしてきたといいます。

 お店を長く続ける秘訣がここにある、と大西さんは自身のラーメン哲学から共感を示します。「最初は美味しいと思っても、だんだん飽きてくる。そのうちお客さんから味が落ちたのでは?と言われるようになります。そこで店は味を良くする努力を怠ったらお客さんは離れてしまうのです」と書いています。

 どれほど完成度の高い美もパフォーマンスも美味しい味も、永遠に人の心を満足させることはできません。寸分たがわぬ同じ美や快感が提供されても、人の心は飽きるのです。なぜ飽きるのか。理由は2つあります。

 

 ①どんな対象も、常に同じ状態で受け止めきれないのが人の心です。快感や驚きや感動が強烈であればあるほど、その快感ホルモンの受容体は数を減らして強い刺激に防衛反応を取ることが知られています。初回と同じ感動や快感を得るには、さらに刺激を強烈にするしかないというメカニズムが、なぜ人は飽きるかの生理学的説明です。

 

 ②もう一つは、人の心は常に妄想しているからです。音楽を聴きながら、絵や彫刻を眺めながら、ラーメンを食べながら、いかなる妄想も排除した無の心で、一瞬一瞬の対象認知ができるでしょうか。できないのです。必ず何かを想いながら、連想しながら、思考モードが働いて視覚や聴覚や味覚の情報を受け取っているのが私たちです。

 作品についての背景やエピソードを思い出し、前回食べた時の印象と比べ、他の客の美しい横顔が気になったり、連れの者の冗談に笑ったり、法として知覚される六門の情報と脳内情報がミックスされた自分だけの認知ワールドに浸りながらラーメンのスープを飲み干しているのです。

 法として直接知覚されたあるがままの事実よりも、記憶や脳内のイメージは必ず誇張され、美化され、ネガティブな印象が付着し、歪むのが人の心の常です。前回の美しい感動が過ぎったりチラついたりすれば、目の前の事実に正しく向き合えません。期待値が高いほど感動は薄らぎ、思ったより大したことないな・・・と感じてしまうのです。

 瞑想合宿の食事のサティのように、厳密に妄想を排除して味覚や嗅覚の直接知覚に徹すれば、あるがままのラーメンを体験することができるかもしれません。セオリー上そうなのですが、普段はまあ無理でしょうね。そもそも本気でサティを入れたら、芸術鑑賞は成り立たなくなるし、美味しいラーメンも不味いラーメンも、ただの味覚として等価に見送られてしまうでしょう。

 心の中を激しく駆けまわる妄想を使って楽しむのがこの世です。エゴワールドの中に形成される仮想現実の印象に対して貪ったり、怒ったりしながら苦の種を撒き散らしていることに気づかず、輪廻を繰り返しているのです。

 

*無常の構造

 さて、なぜ大西さんは、絶えずラーメンの味を変えていくかです。どんな快感も美も、存在するものは全て劣化していきます。無常に変滅し、必ず崩れ去っていく宿命です。その無常に逆らって、同じクオリティを維持するためには、「変わらないために、絶えず変わり続けなくてはならない」。老化した細胞は新生細胞と入れ替わり、壊れていくものと作られていくものが平衡を保っているので見かけ上の同一性が維持されるのです。これは存在を固定したものとは見ず、現象の流れとして捉える仏教の無常観に通じています。

 皆さんが今日も元気で瞑想したりダンマトークを聞いたり、昨日と同じように歩いたり笑ったり、見かけ上ほとんど変わらないように見えるのは、体の中で常に「恒常性維持(ホメオスタシス)」が働いているからです。暑くなれば発汗して体温を下げ、寒ければ鳥肌が立って毛穴を閉ざし、常に体温を36度くらいに保とうとします。

 カルシウムが食物から摂取されなければ骨から血中に放出し、多過ぎると骨に貯蔵して平衡状態を保っています。骨の世界も端的に存在の仕組みを説明しているように思われます。破骨細胞という骨を壊す細胞と骨を作る骨芽細胞が、分解と合成、破壊と生成を繰り返しながら、見かけ上の同一状態を保とうとしているのです。

 宇宙の根本原理である無常性は、「同一の状態を保つことの不可能性」と定義されます。素粒子の生滅に象徴されるように、たとえ1億分の1秒のレベルであっても、存在は「生・住・異・滅」のプロセスを経ながら変滅しています。しかも「秩序のあるものは、秩序のない方向にしか動かない」というエントロピー増大の基本法則に貫かれています。台所も机の上も必ず散らかっていくし、整っていた髪の毛も乱れていきます。

 乱雑さに向かって崩壊していく流れに逆らい、クリーンな状態を保とうとすればエネルギーを費やして絶えず掃除をしなければならず、髪に櫛を入れなければなりません。生命現象を維持しようとすれば、間断なく外界エネルギーを取り込み、細胞を作り替え、老廃物を排泄しながら新陳代謝を繰り返していかなければならないのです。

 静止する独楽が高速回転に支えられているように、安定している人体も組織も情況も、その内部では必ず動的な変化が進行して平衡状態が保たれています。そのように、美味求真の果てに完成したラーメンも、微妙に味を進化させていかなければ徐々に飽きられ廃れていくということです。

 

*なぜ命を懸けられるのか・・・

 200日毎のメニュー更新で、自作ラーメンに死の宣告をする大西さんがインタビューに答えています。

 「今日食べて頂いたラーメンは出し始めて35日目の味です。つまり、あと165日もの間成長し続けるラーメンなんですよ」

 「めちゃくちゃ美味しかったやつが、さらに美味くなる・・・と」

 「約束します。そのめちゃくちゃを超えますから。本気で毎日改良を重ねると、『次はどんな味なんだろう』とか『また食べたい』って思ってもらえるはずなんです」

 大西さんがリスペクトする88歳のラーメン職人のように、一日一日さらに「味変え」をしない限り人気店としての命脈が保てない・・・。ラーメンの動的平衡と言ってよいでしょう。

 なぜ、大西さんは今の瞬間に命を懸けるような人生が送れるのか。その要因を分析してみました。

 

①〆切の力

 終わりを定めた力、〆切の力、余命宣告の力が、強力に背中を押しているからだと思われます。

 店の余命は1000日、メニューの寿命は200日、そして今日のラーメンの味も明日は微妙に変化し、似て非なるラーメンに生まれ変わっていく構造・・・。

 この三重に仕掛けられたシステムの力で、一日一日、一回一回、これが最後の覚悟を更新せざるを得ない背水の陣に自分を追い込んで一瞬に命を懸けようとしている・・・。

 

②好きになる力

 好きになれば意欲が出るし、もっと知りたい、研究したい、深めたい、と絶えざる進化が自ずから推し進められていきます。

 好きになると、情報の集め方が変わります。人に言われなくても、好きなことはもっと知りたくなり、知れば知るほど面白くなり、楽しくなり、深みにハマっていくのを止められません。

 好きになると決めれば、対象のネガティブな側面には注目しなくなります。好きなところ、おいしい部分、楽しい個所、美点や価値あるポジティブな側面に自然に目が行くようになります。こうなると滑り出したスキーのように「ヤメラレナイ、止まらない」の勢いがついて日々進化を遂げる流れが形成されるでしょう。

 変化が向上心とセットになるのです。大西さんも、最初はただ好きだったラーメンが、やがて美味しいラーメンを作る→美味しいものは人を幸せにする→美味しさを限りなく進化させる、向上する→その一回のラーメンに全てを懸ける→それが生きる意味であり、誇りであるという人生哲学・・・。

 

③新奇探索性

 一時停止のテレビ画面を何時間も見続けられるでしょうか。「この電話は現在使われておりません」のメッセージを延々と聞き続けられるでしょうか。できないのです。更新されることのない同じ情報はすぐに色褪せ、飽きられ、無意味に思われ、耐えがたく感じるのです。

 人の脳は、レーダーのように危険を察知したり、新しい、珍しい、面白い情報を得ることに飢えています。これを新奇探索性と言います。新しい情報や珍しいもの、面白いもの、価値あるものを探し求める傾向です。おそらくこれは人類が生き延びるのに、危険回避と食料&生活物資の調達に全神経を使ってきたことによるのでしょう。

 この新奇探索性が強い遺伝子と、それほどではない弱い遺伝子が特定されているようです。ドーパミンのD4レセプター、DRD4の遺伝的なタイプによって決まるらしい。

 19歳で渡米した大西さんも、刺激を求める傾向が強いことを告白しています。携帯電話もない時代に、ガイドブックと出会った人からの情報を頼りにアメリカを旅してワクワクしたのですが、その刺激に慣れると飽き足らなくなり、アメリカに住んでみたい、起業してみたい、とさらに刺激を求めていたと当時のモチベーションを分析しています。

 新奇探索性が強く人一倍変化を追求するタイプは、見るのも、食べるのも、作るのも、常に新しい感動を求め、果てしなく向上しようとするでしょう。それは、その日、その時、その一瞬に全てを懸けようとする大西さんの生き方に直結するように思われます。

 

④手本の力

 霊長類の脳にはミラー・ニューロンと呼ばれる神経細胞が搭載されており、他者の行為を鏡に映すように「真似る」能力が備わっています。人類の「真似る」「学ぶ」能力は突出しており、子供はスターに憧れ、ヒーローの真似をし、敬愛する大人のようになりたいと願うものです。良い師、良い手本に巡り会えるか否かは、人の一生を左右しかねません。

 ラーメン屋が大西さんの天職になったのも、素晴らしいお手本との出会いがあったからです。例えば、伝説のラーメン職人、佐野実との出会いと、その「最高の味の追究」は大西さんに衝撃を与えました。佐野の鬼気迫る美味求真の様子を私もテレビで観たことがありますが、まさにラーメンの鬼でした。

 もう一人、少年の大西さんを魅了したのは、伊丹十三監督の映画「タンポポ」の主人公ゴローです。冴えないラーメン屋に立ち寄った長距離トラック運転手ゴローが、西部劇のさすらいのガンマンのごとく、未亡人の女店主を助けながら究極のラーメンの味を求め、行列のできる店に変身させていくラーメン・ウエスタンの物語です。大西さんは、その「ゴローと自分を重ね合わせて、ラーメンだけを武器に世界を渡り歩こう」とアメリカで出店し、味の進化に命を懸けるようになったのです。

 大西さんの父親も、二重の意味でお手本でした。末期癌で食べられなくなった父親が最後に大西さんのラーメンを所望し、麺をすすりスープを飲んで完食し、幸せそうな笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。美味しい料理は人を幸せにする。食べた人も、料理を作った人も幸せになる、という大西さんの「仕事幸福論」の原点になった出来事でした。

 死に行く父親の姿は反面教師でもありました。

 ノースキャロライナ州の雇われ店長として、安いラーメンを数多く売らなければならず、このままでいいのか?と、自問自答している時に父親が他界しました。臨終間近の父親がさまざまな後悔を吐露する姿は、絶対に後悔してはいけない、という暗黙の遺訓となり、大西さんはすぐにその店を辞め、美味求真の行者になったのでした。

 

*終わるラーメン、始まるラーメン

 「鶴麺」に200日目が来ました。その日のボストンは寒波に見舞われ、予想最低気温マイナス12Cでしたが、開店1時間前から長蛇の列でした。お客さんは誰も今日が最後のラーメン、二度と食べられないと知ってやって来ているのです。

 大西さんの目標は一日に110杯でしたが、最後のこの日は330杯でした。スタッフが帰った後、大西さんは「大雪なのに、僕が人生を懸けたラーメンを食べに来てくれた・・・」と一人で泣いていました。やるべき仕事を全力でやり遂げ、完全燃焼した男の姿に、私ももらい泣きしそうになりましたね。

 実際の死の宣告をされたカメラマンの保山さんと同じ一日一日、一瞬一瞬の生の輝きがあり得ることに感動しました。

 大西さんの第1章の200日が終わり、一旦お店を休んで帰国し、第2章の新しいラーメンの試行錯誤が始まりました。訪れた京都の老舗店主から重要なヒントを授かりました。「(料理の極意は)、香りと、テクスチャー(食感)と、Wow(驚き)だと思てんねん」と。日本料理を世界に広めてきた第一人者でした。大西さんも「鶴麺」の弟子達に、極意を隠さず教えてきた業の結果のように、私には見えました。

 新作ラーメンは、干し松茸を戻したスープと鶏ガラスープを合わせ、麺は平麺、戻した松茸は粗く潰してから鶏ミンチ、白ネギと合わせてワンタンの薄皮で包みました。見事に、松茸の香り+平麺の食感+松茸ワンタンのWow!が活かされています。食材のコストが高いのでお値段は20ドル(2210)、それでも笑顔で帰り、また食べたいと言ってくれる味にしなければならない。命懸けでラーメンを作るしかない、と自分を追い込んでいくのでした。

 シーズン2の店を再開すると、初日から行列ができ、アメリカ人にとって松茸の香りはWow!と絶賛され、「キノコの風味がすごく気に入ったよ」「レベルが高い。すごく濃厚だ。この代金を払う価値があるよ」と言われていました。

 番組の最後は、笑顔の大西さんが「この緊張感を保っていくぞ、ていう気持ちですね」と語り、「一期一会にかける気迫が大西益央の隠し味だ」のナレーションで結ばれました。

 

*禅も瞑想もラーメンも・・・

 禅の世界では、調理を担当する炊事係の僧を「典座」と言います。道元禅師は「典座教訓」で、古来より典座には修行経験が深く、信任のあるベテラン僧が担当してきたことを記しています。修行の浅い者に典座はできないのです。ややもすると調理や飲食業は低く見られがちですが、職業に貴賤はなく、仏教の「捨(ウペッカー)」の観点や、荘子の「万物斉同」の立場からも、人生のいかなる現場も等しい価値を持つ修行の場と心得るべきでしょう。

 禅の作務は日常生活の中で実践される修行であり、ヴィパッサナー瞑想では日常のサティと言います。禅堂での歩く瞑想や座る瞑想よりも、猥雑な日常茶飯事の中での修行の方が難易度ははるかに高いのです。今回、大西益央という人物を知るにつれ、私の知るどんな瞑想者よりも厳しく自分を律しながら修行している行者に見えてきました。

 残念ながら、仏教のダンマも悟りについての心得もない大西さんが解脱することはないでしょう。しかし、果てしなく高みを目指していく大西さんの向上心や、一瞬に命を懸け完全燃焼しきろうとする精神は、出家も在家も襟を正して刮目して見なければなりません。

 

*ラーメン屋に明日はない

 「今、ここ!」「Be, Here, Now!」などと、刹那に生きることを説く人は腐るほどいますが、大西さんは紛れもない本物だと思いました。それはボストン「鶴麺」の1000日限定営業が終了した後はどうするのか?という質問に対する答を聞いて、確信に変わりました。

 「1000日後のことは、1000日後に考えるのが、今を本気で楽しむ鶴麺のスタイルです。

 今を本気で生きてないと、将来が不安になるのです。

 本気で成長していたら、未来はなんとかなる!と思ってます。

 1000日後に死ぬわけではないですが、死んでも後悔しないくらいのつもりで、この1000日を本気でやっているので、その後は生きてるだけで丸儲け状態です」と笑いました。

 さらに、同類の質問に、こう答えています。

 「(5年後のことなんか)まったく考えてないですね。だって、今の一杯に本気で向き合っていますから。先のことなんて考えたら、死ぬ気の本気は出せませんよ。もしかすると、ラーメン屋じゃなくなっている可能性すらあるかもしれませんね。

 ただ、何をするとしても、死ぬ気の本気を出せば必ず成功できると思います。だから、これから社会に出る人にも、その準備をしている人にも、何か挑戦してみたいことがあったら後先なんて考えずに本気でやってみてほしいです」

 素晴らしい。天晴れな、見事なご名答です。

 お前は、ここまで本気で修行しているのか、と喝を入れられたように恥じ入りました。「ラーメンの方が、瞑想より上やで。あんたは、本気の、死ぬ気で、瞑想しているんか・・・」という言葉が、大西さんの声でいつまでも鳴り響いています。(4章に続く) 

 

第4章  輝く命、消えゆく命・・・

*感動すること

 朝日カルチャー講座と1Day合宿の仕事が終わり、茨城の道場に帰ると、隣家の老婦人が前夜に亡くなっていました。2年間、町内の役員を一緒に担当し交流のあった方だけに、一瞬、胸を衝かれました。思わず居住まい正し、自分に残された修行人生を想い身が引き締まりました。

 何事もなく淡々と平穏無事に日常が過ぎていくと、私たちの心はいつの間にかだらけて、小人閑居して不善をなし始めるものです。煩悩が支配するこの世の流れに逆らって、ブッダの瞑想を孤独に続けていくのは容易なことではありません。

 修行がマンネリ化しモチベーションが低下した時に、励まし合い切磋琢磨できるダンマフレンド(法友)の存在は最高です。しかし欲望の足し算のために瞑想で磨きをかけている人は多くても、煩悩を引き算していく独り犀の角のように瞑想している者はどうしたらよいのでしょうか。いちばんにお勧めするのは、ダンマブックやブッダの言葉に触れて感動することです。

 くだらない妄想に巻き込まれていた低次元の意識が、瞬時に高められ、ダンマの世界に引き上げられるでしょう。ブッダの言葉には、死をテーマにしたものが数多くあります。例えば、『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳・岩波文庫の以下の言葉などは、深く心に沁みるものがあります。

 

 【朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない】

 【「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が(自分の)生命をあてにしていてよいだろうか? 若い人々でも死んで行くのだ。―男でも女でも、次から次へと】

 「或る者どもは母胎の中で滅びてしまう。或る者どもは産婦の家で死んでしまう。また或る者どもは這いまわっているうちに、或る者どもは駈け回っているうちに死んでしまう」】(「感興のことば」第1章 無常) 

 

 現実の出来事は心に焼き付きますが、本の感動の賞味期限は2日もないのではないでしょうか。() しかし、たとえ一日でも気持ちを引き締めて瞑想ができるなら結構なことです。粛々とした気持ちで修行に取り組めるなら、採用すべきでしょう。

 

*死んでいく若者

 私の父親の葬儀の時、火葬場には遺体を焼く火葬炉が四つありました。父の享年は74歳でしたが、あとの三つの炉は全部十代の若者でした。炉の上に掲げられた、まだ稚なさの残る遺影を見て『歳の順ではないんだ・・・!』と、ちょっとショックを受けて火葬場の職員の方に訊いてみたのです。

 「今日はたまたまこんなに若い人が多いのですか?」

 「いや、いつもですよ」

 「そうなのですか・・、なぜそんなに多いのですか?」

 「だいたいバイクですね・・・」

 バイクの好きな若者はどうしてもスピードを出すので、交通事故で亡くなってしまう人が多いのだそうです。まさに老少不定、ブッダの言うとおり、年寄りから順に死んでいくどころか、若い健康な人が短い生涯をあっけなく閉じてしまうのだと改めて思いました。明日は我が身かもしれないのです。

 

*祖父の死

 二十歳の頃の私は、やがて自分も死んでいくという実感がしませんでした。不滅を錯覚させる程の生命エネルギーを持て余していたようです。しかしその年の冬に他界した祖父の死は、私にとって父性の崩壊そのものだったので深刻な衝撃を受けました。自宅の屋敷で大往生を遂げていった祖父の死の一部始終を、つぶさに目撃したことは掛けがえのないことでした。「死」というものを、若者だった私の心にこれほど強烈に焼き付けてくれた経験はありません。遺された家族が各人各様、大黒柱だった祖父の死をどのように受け止めていったかの人間模様も経験知を高めてくれました。

 死を身近に感じる時、人は真剣に生きることを考えます。人生のスタート地点に立つ若者こそ、死を知らなければならない。人生を自覚的に生き始めた青春時代こそ、必ずやって来る終末を心に焼き付けておくべきなのです。自然放置された人の命は欲しいままに貪り、怠惰に流れ、ブッダの警告を無視して放逸を重ねながらアッという間に老いさらばえてしまうからです。

 

*高校生のホスピス授業

 そんなまだ二十歳にもならない米国の若者達が、ホスピスの授業を通して死を学ぼうとするドキュメンタリーを観て感銘を受けたことがあります。人の命が美しく輝く絶頂期の若者が、まさに命が燃え尽きようとしている老人達の最期の日々を看取りながら、お互いに掛けがえのない時間を分かち合うのです。

 これは2014年に製作された「Beginning With The End-ホスピスに学ぶ高校生たち」(<終末から始める人生>)という番組です。ニューヨークのハーレイ・スクールでは、高校3年生のほぼ全員がホスピスの授業を受講しています。延命処置を行わず、静かに死んでいくことを選んだ人達のホスピス病棟で、米国の高校生男女が1年間、老人達のターミナルケアをしながらさまざまなことを体験を通して学んでいくのです。

 番組はソローの「森の生活」の一文から始まります。

 「私は常に目的をもって生き、人生の本質に向き合おうとしてきた。死の間際に、自分は本当の意味で生きていなかったと気づくのが嫌だからだ」

 この言葉は、授業を担当するロバート・ケイン先生の座右の銘なのです。ケイン先生の独白が続きます。

 「人生において最も大切なことを生活の中心に据える。意識的にそうすることで、人は生きることにきちんと向き合っていると確信できるのです。

 私は若い頃に多くの親しい人の死に直面しました。若い時に愛する人を喪うと、人生についてより深く考えることになります。自分に与えられている時間がどれくらいなのか知りたくなり、一瞬一瞬を大切に生きることの重要さに気づかされます。これは私の信念であり、この信念が私を教師という仕事に導いたのだと思います」

 

*死を分かち合う

 この講座の最初の授業は、クラスの全員がこれまでに経験した身近な人の死を語り合うことから始まります。

 「僕は途上国の出身なのでたくさんの死を見てきました。交通事故とか。でも一番の死因はエイズでした」

 「祖父は家族にとってとても大きな存在だったのに、弟が祖父のことを全く覚えていないのが悲しいです」と目を真っ赤にしながら話す女子生徒。

 「僕の住んでいるエリアでは、死は日常です。毎日人がピストルで撃たれたり、ナイフで刺されたり、襲われたりしていました」と語る黒人の生徒。

 「死んでゆく祖父に毎日会いに行ってたんです・・・」と話し出し、泣き崩れてしまった女子をフォローするように「・・多分先生は、死が私達の人生の一部だと教えたかったんだと思います。みんなが誰かの死を経験しているし、愛する人に死なれることがどんなことかを知っているんだ、と教えようとしたんだと思います」と述べた女子生徒もいる。

 生徒たちが死についてさまざまな経験を語り合う場は、それだけで何か深いものを共有し心が通じ合った感じになります。これは実際のホスピス病棟で介護の仕事を始めるにあたり、チームとして互いの絆を深めるのに欠かせない授業になっていると思いました。

 また、この場面を観ていて私が個人的に感じたのは、日本でもアメリカでも、孫たちがどれほど祖父母に可愛がられているか、それ故に自分を心から愛してくれた祖父母の死がどれほど痛切な悲しみになっているか、ということでした。人が人らしく育ち、普通に大人になっていくまでには、こうして愛を受け、死を悼み、悲しみを経験しなければならない。優しく愛されることと、それを喪う悲嘆は完全にワンセットで、通過儀礼としてそれを経験しなければ、本格的な仏教の瞑想には参入できないだろうということです。

 

*信頼を得る

 ホスピスの現場に入る前に教室で心構えや介護技術を学ぶのですが、歯磨きひとつ取っても明確な技術があり、生徒たちが自信を持って作業できるようスキルを習得させます。やり方がわかっていれば、患者さんの体に触る時にためらわずにすむので、実際の介護に必要なことをまず教室で学んでおきます。

 歯磨きを手伝ってあげる。ベッドで体の向きや位置を変えてあげる。手や背中のマッサージをしてあげる。靴下を履かせてあげる。トイレに行くのを手助けするなど、具体的な目的のある作業はどれも他人に触れなければならず、それには患者さんの信頼を得なければなりません。一番のテクニックは、患者さんに触る時にそっと優しく触ることなのです。絶妙の優しさで触れると、相手も自分に手を差し出し世話することを許してくれるのです。

 生徒たちはみんな最初は不安なのです。もし何か変なことを言って患者さんを傷つけ、それが最後になってしまうのが怖いとか、もう謝る機会がないと思うと不安になる、など。しかし18歳の適応力の柔軟さには素晴らしいものがあります。自分が勤務中に誰かが死ぬのが恐怖だと言っていた男子は、間もなくこう言うようになります。

 「もう恐怖はありません。よく分からないけど、こう思えたんです。この人達はとても素敵な人達だ。彼らの残り少ない時間を僕は一緒に過ごす。いなくなったらそれで終わり。それだけだって。辛いけど、その事実と向き合うことは出来るって・・・」

 

*ただ居るだけ・・・

 ひとりの女子生徒が、さりげなくこんなことを言っていました。

 「最初はホスピスに来て何もしないでいると、自分がお荷物で役立たずというか、何も助けになっていないような気分になっていました。でも、今はそんな風には思いません。ただ患者さんのそばにいるだけで十分なんです。時には誰かがいるだけでいいってこともあるんです」

 このさりげない言葉は、人はなぜ生きるのか・・という問いの答えを暗示しているように思われました。

 ホスピスに限らず人生の最終章を生きる人達にとっては、ただ存在していることが生きることの全てであり、本人にとっても周囲の者にとっても、それでよいのです。

 赤ちゃん時代はただ生きているだけ、存在しているだけで立派な人生でしょう。長い人生を終えようとしている老人も、静かに存在しているだけでよいのです。本当は、青春時代も熟年時代もいつだってそうなのです。路傍に繁茂している雑草がそうであるように、生きることに意味はないのですから。

 何かの役に立つとか助けになるから価値があるというのは、功利的なエゴの立場からの物の見方に過ぎません。人間に役立てば益虫と呼び、不利益をもたらすものは害虫や害獣としてレッテルを貼っているだけです。有害な人種は、殺虫剤のようにガス室で大量殺戮してしまうのでしょうか。人類こそ環境を破壊し、無数の生物を絶滅させ、森林や野生動物の生息地を恐ろしい勢いで奪い取りながら異常増殖している地球史上最も有害な極悪生物のレッテルを貼られるべきでしょう。そんな価値やら仕分けやらは、宇宙からも、自然からも、地球の生態系からも、何の意味もないエゴ妄想のたわ言です。

 意味のない命の世界でドゥッカ()とともに生きていかなければならないのだから、死が間近に迫りつつある老人達には、何事もなく、静かに、穏やかに、一日がただ過ぎていくだけで最良のエンディングではないでしょうか。中には子供や孫から見捨てられてしまった老人がいるかもしれません。そんな孤独な老人にとっては、輝くような若い人が寄り添ってくれているだけでマル儲けではないでしょうか。

 まさしく「ただ患者さんのそばにいるだけで十分なんです。時には誰かがいるだけでいいってこともあるんです」

 

*老いの現実

 この講座を長く受講してきた方のお父さんは九十歳過ぎてもピンピンしているというので、「昼間はデイサービスに行ってらっしゃるんでしょう?」と訊いてみました。

 「それがですね、うちの親父はデイサービスに行きたがらないのですよ」

 「どうしてですか?」

 「あんな年寄りばっかりのところには、行きたくねえよって言うんですよ」()

 九十過ぎの老人がなぜ「年寄りばっかりのところには行きたくねえ」と言うのでしょう。老いて死の足音が迫り来るからこそ、老いを見たくないし、老いを意識するのが嫌なのでしょう。

 中年や熟年ですら、自らの老いが意識された途端に若い人が輝いて見えてくると言います。若いキラキラしたアイドルの「親衛隊」や「追っかけ」に夢中になるのも、老いに対する抵抗なのかもしれません。

 高齢であればあるほど、小さな子供や元気な若者の姿を見るのは嬉しいことです。ハーレイ・スクールの高校生たちが老人に寄り添っているだけで存在意義のある所以です。

 老人ホームで見た忘れられない光景があります。母親の介護をしている頃は、東京や関西で瞑想会をやることが私にとって最高の気分転換であり、束の間の休息になっていました。張りつめた善心所モードでダンマトークやインストラクションに没頭するだけで、これ以上はないリフレッシュになっていたのです。

 私が留守にしなければならない2、3日間、母には施設でショートステイしてもらわなければなりません。施設に置き去りにされるのではないことを何度も説明し、ショートステイに段階的に慣れてもらうために、朝から夕方まで母に付き添って施設で一日を過ごしたことが何度かありました。

 子供や孫が訪ねてくる方はわずかで、私が連日母と過ごしているのを羨ましそうに見ている老人たちが印象的でした。みんな死ぬのをただ待っているだけという感じがしました。昼間はデイサービスのいろいろなプログラムが用意されているのですが、惰性でやっているのか仕方なくなのか、なんとなく受け身で覇気がないのです。

 夕方になり、その日のプログラムはすべて終了し、夕食までの一時間はテレビも消され、何もないただの自由時間になっていました。終了を告げた職員が立ち去った後に続く沈黙の時間に、私は圧倒されました。メインルームで二十人くらいの老人たちが集まっているのですが、誰ひとり会話もせず、向き合いもせず、本当に何もしていないのです。ただ椅子に座り、無思考状態のような顔で食事が来るのを待っているだけの静寂が一時間続いたのです。最初から最後まで誰ひとりしゃべらないし、動きもしない。石と化した人物が並ぶ蝋人形館のような印象に、私は慄然としました。

 寂寥感を通り越した虚無の印象は、ただ死ぬのを待っているだけの人達というより、生きたまま死んでいるようにすら思えました。老いのドゥッカ()を目の当たりにしたかのような衝撃を覚えたのでした・・・。

 

*煙草のおばあさん

 「タバコの時間!タバコの時間!」と二十分ごとに叫ぶイザベルというおばあさんがいました。すると担当の男子生徒が「今はダメですよ」とやさしく諭すのです。そう言うのは、いつもその男の子ばかりなのですね。その理由を訊かれて、「たぶん僕が一番やさしく声かけできるからではないでしょうか」と答えていました。

 「タバコの時間!タバコの時間!」と叫ぶイザベルにその時間が来ると、二人で外に出ておばあさんが車椅子でタバコを喫っている間、他愛もない話をするのです。

 「天気のことや風に揺れる木のことなんかを話してくれます。ベッドの上では見られない心の中を見せてくれるんです」

 普段はしないような話をしながら、両者の間には「捨(ウペッカー)」の清潔な距離感が保たれた優しい時間が流れていることでしょう。実際の孫と祖母の関係になると、過度の愛着や心配など不善心の因子が苦の原因になりがちです。ホスピスで最期の時間を過ごしている老人と介護の授業の高校生の束の間の関係だからこそ、純度の高い透明なやさしさが発露しているのではないかと思われました。もしイザベルが身寄りのない孤独な老女だったとしたら、若者とこんな素敵な最期の時間を過ごしながら静かに逝くことができるのは本望でしょう。

 

*さまざまな出会い

 ある日の授業で、ホスピスの授業が始まってから一番よかったことと、一番嫌だったことを話してくださいと言われた女子生徒がこんな風に答えました。「良かったことは、脳卒中のキャロルはもうしゃべれないのに、一所懸命に私の名前を呼ぼうとしてくれたことです」

 嫌なことは、患者さんにダメと言わなければならなかったことでした。例えば、患者さんが「サンドイッチを食べたい」と言っても、「今は流動食しか食べられないからダメですよ」と答えなければならない。

 あるいは、「ベッドから出たいの」って、人生最後のお願いみたいに言われるのに、「私は『だめです』としか言わなければならなくて、思い出すとつらくなります」などと一人ひとり語り合っていくのです。

 私がちょっと心を打たれたのは、あるおばあさんが自分を大切にケアしてくれる女の子に語りかけたシーンです。

 「よい人生だったわ。姉には子どもはいなかったけれど、私は4人の子供に恵まれた。そして、あなたと出会えたこと。私にとってあなたは数少ない特別な人よ」と涙ぐむのです。

 すると、その女の子も「私にとっても、あなたは特別な人になりました」と言い、おばあさんにキスしてあげると「ありがとう」と言って流れ落ちる涙をぬぐうのです。人生の最後の最期にできた若い親友に看取られながらこの世を去ろうとしている老女の姿が印象的でした。

 

*吹雪の中で

 リアンドラという女子生徒が語るアメリカ北部の冬は、雪の女王アナのような銀世界でした。

 「あれは大雪の日でした。私はハリーの部屋へ様子を見に行きました。ハリーは最期の段階に来ていました。私は部屋に入って、つらくないかをハリーに確認し、掛け布団をかけ直して部屋を出ました。その後エイダというおばあさんのいるメインルームに行きました。窓際で車椅子に座ったエイダは吹雪が作り上げる美しい外の風景に釘付けになっていました」

 私もその壮観な光景に見惚れました。ホームの窓の外に拡がる樹木がすべて凍りついて、雪と氷柱で覆われた一面の銀世界を横なぐりの吹雪が渡って行くのです。

 エイダには、これが最後の雪景色になるかもしれません。

 「私はエイダに寄り添って一緒に雪を眺めていました。エイダは私に、今まで自分が行ったことのあるいろんな場所や、今まで見た動物、出会った人などいろんなことを話し始めて、私は彼女と心の通いあった素敵な時間を過ごすことができました。

 私がエイダと雪を見ている間に、ハリーは息を引き取りました。その時、私はそういう瞬間にこそ意味があると気づいたのです。やっていることは、特別すごいことでも偉大な事でもなく、ただ自分を必要としている人と時を過ごしているだけです。それは、時には母親だったり親友だったり長く連れ添ったパートナーだったり、みんな必ず誰かにとって大切な存在で、誰もがこの世界で自分の役割を持っているということに気がつきました」

 リアンドラの言うように、人生とは、自分を必要としている人と一緒にただ時を過ごしていけばよいのです。

 

*生きる意味

 ベッドで寝ているウエンディというおばあさんの赤い靴下が脱げてしまうので履かせてあげる。すると、いたずらしているのかまたスポッと脱けてしまい、また履かせてあげるのを繰り返しているシーンがありました。ウエンディは靴下を履かせてもらいながら微笑み、何度でも履かせてあげる男の子も爽やかな笑顔で心から楽しんでいるのです。

 これを観ていて私は、「セラピードッグ」という介護犬を連想しました。セラピードッグは病院や老人施設で患者さんとアイコンタクトをしながらおとなしく撫でられているだけなのですが、みんな癒されていくのです。誰に対しても心を閉ざしてしゃべらなくなったおばあさんが大笑いを始めたり、重病の子ども達を勇気づけ元気にさせてしまうのです。

 庭の樹木も同じだと思いました。私の自宅の庭には、シマトネリコ、木斛、ヤマボウシ、土佐ミズキ、山茶花、銀木犀、黒文字、紅珊瑚紅葉、アオダモなど、いろいろな樹木が植えられています。東京の仕事で留守にする時には水をたっぷ与えてきたり、落葉もかなり出るので世話が大変です。しかしどんなに世話をしても、庭木はありがとうの一言もないし、私が困ったところで助けてもくれません。

 庭の木々は、ただ存在しているだけなのです。風に枝が揺れたり、雨に濡れた葉群が光ったりしているだけです。手入れをして美しくなっても黙っているし、放置して枯らしても文句ひとつ言わずにひっそりしています。

 私は幼い頃から、祖父が丹精した美しい繊細な庭を見ながら育ったせいか、庭なしで生きていくのは耐えがたいと感じます。仕事の合間に庭を見るのが最大の癒やしになっています。ただ存在しているだけの庭に、生きる力を与えられているのかもしれません。

 庭木も石も、セラピー犬も、末期の老人も赤ちゃんも若者も、万物は意味もなく等価に存在し、気づかずに誰かを癒したり支えになっていたりするのではないでしょうか。

 そうだとしたら、いかんともしがたい因縁によって自分に与えられたものに100パーセント満足し、あるがままに、なすべきことをなしながら、その時が来たら流れに従って死んでいけばよいのです。

 

*卒業

 番組の最後の追悼式で、生徒たちが1年間を振り返って所感を述べていました。

・「ケイン先生のホスピスに学ぶを受講したことで、愛や友情について、生まれてから18年間学んできた全てよりずっと多くの事を学びました」

・「始まる前はこの講座を取るのが嫌でした。途中で辞めるだろうと思ってました。でも、最初の授業が終わった時には夢中になっていました。とても変わった、他にはない体験だったし、今までにない気持ちを味わえるんです」

・「人を好きになるのが怖かったんです、いずれその人が死ぬと思うと・・・。だけど、それでも人を愛することには価値があります」

 このホスピス授業で最も深い学びを得たのは、リリーという女子生徒かもしれません。リリーは、悪性の癌でもう助からないと判明した中年女性のシェリと親しくなりました。

 「ある日キッチンで話しているうちにシェリの癌の話になり、その時彼女は私たちに大切なことを伝えようとしてくれたのだと思いました。

 ・・外からの力で自分の内面が変わることはない。あなたはあなたなんだから、自分自身とうまく付き合っていかなくてはいけないし、それが自分なんだと認めることが必要なんだって。

 他の人は、そのままのあなたを愛してくれるのだから、あなたもそのままの自分を愛しなさいって・・・」

 あるがままの事実を観察し、ありのままの自分を受け容れていくヴィパッサナー瞑想者のような深い言葉の響きを感じました。

 しかし誤解されかねない一面もあります。仏教の「あるがまま」には厳しい倫理が貫かれています。煩悩だらけの自分の現状はありのままに認めて、事実として受け容れますが、そのまま容認し居直ることはあり得ません。必ず、悪を避け善をなす方向に新たな意志決定がなされて、未来に向かって歩みを進めていくのが仏教です。煩悩にまみれた不善心だらけの自分を「あるがままに」容認してしまう危うさが入り込む余地はないのです。

 光陰矢の如し。人の命はアッと言う間に燃え尽き、私も間もなく死んでいきます。自分に与えられている全てを出し尽くして、悔いのない終わりを迎える覚悟でおります。 

 

第5章 キューブラー・ロスの死と癒し

 死の専門家と言えば、スイス人の精神科医キューブラー・ロスの右に出る者はいないでしょう。代表作『死ぬ瞬間』が世界的なベストセラーになりましたが、ホスピスやターミナルケア(終末期医療)の草分け的存在として知られています。ロス女史は一万人もの人を看取ったと言われ、医師として科学者として死のプロセスを明らかにし、死の迫った人たちと心を分かち合い、不安を取り除き、安らかに死んでいく道を示した画期的な仕事をされた方なのです。

 当時の医学界では、死は医師たちにとって失敗であり敗北でしかなく、死にゆく患者への告知も、その心に寄り添った対応も配慮もなかったようです。残された幼い子供たちを案じて途方に暮れながら死んでいく末期癌の女性に対して、医者たちは肝臓の肥大がどうのこうのとしか言わず、心のケアはなされていませんでした。救えない命、助かる見込みのない患者に向き合うことは、治すことしか教えられていない医師たちにとって、自らの敗北とプライドの失墜を直視する苦痛が伴ったのでしょう。

 赤ちゃんが毎日必死で生きているように、助かる見込みがなくなった人もまだ生きているのです。人生の最期の一瞬一瞬を生きながら、自身の死を受け容れられず苦しみ、自分が死んだ後に残される家族を案じて苦しみ、医者から見捨てられていることに絶望して苦しんでいる人に、どうしたら救いの手を差しのべることができるだろうか。何がしてやれるのか。キューブラー・ロスの生涯に一貫していた苦しむ人たちに対する慈悲心が彼女を駆り立て、対話し、観察し、安らぎを与え、模索しながら独創的な死にゆく者へのターミナルケアを確立していった功績は不朽のものでしょう。

 

*優しさと強さ

 キューブラー・ロスの自伝「人生は廻る輪のように」を読むと、彼女の強さと優しさが印象的です。花も動物も人間もあらゆる生きものの命を大切にし、苦しんでいる者を助けずにはいられない生来の資質に加え、さまざまに苦悩する人たちとの出会いが差別のない優しさを培っていったように思われます。

 ロスが無我の境地に到達した人物とは思えませんが、こと愛に関しては博愛精神が強く、公平性や平等性の伴った「慈悲心」が感じられます。公平性は、自己中心的な発想とは正反対の無私の精神に由来するものですが、彼女には反抗的な自我の強さや頑固さが一貫しており、不思議な矛盾した印象を受けます。たとえ孤立無援になろうと何ものにも屈することなく、正義と分け隔てのない博愛を貫き通す強靭な精神が、優しさの塊りのような母性的なイメージと不協和音を奏でるのでしょうか。

 キューブラー・ロスには男性性と女性性の両面があり、男性顔負けの不屈の闘争心と、母親の血を引いた優しさと、癒やしを天職とする宿業がミックスされていたかのようです。

 小学生の頃から弱者の味方をすることで知られ、弱い子や障害のある子を守るのが役目でした。弱い者いじめをしている男子の背中を拳でしたたかに殴りつけるのもしばしばでした。放課後、「また男の子を殴っているよ」と肉屋の息子が言いつけにきても、両親が叱ることはありませんでした。弱者を守ろうとする優しさと、暴力も辞さずに立ち向かう闘争心の同居。この二面性は、先駆者として道を切り拓いていくロスの後年の姿を髣髴とさせます。

 

*人生を変えたボランティア

 父親に縁を切られても医学の道を志したロスは、自力で学資も生活費も稼がねばならず、苛酷なメイド仕事を経て病院の皮膚科研究室の見習いに雇われました。ある日所長が、性病末期の悲惨な売春婦たちの採血仕事をダメ元で依頼すると、ロスは二つ返事で引き受け、全身を病毒に冒され座ることも寝ることもできずハンモックに吊り下げられている患者たちに献身的に接しました。彼女たちは家族からも社会からも見捨てられ、頼るべきものが何もない哀れな存在であることを知ると、何とかしてあげたい気持ちに駆られ採血後に何時間も話し相手になり、友情と共感に飢えていた彼女たちに癒やしを与えたのです。

 1944年当時はナチスと戦う連合軍がノルマンディーに上陸し、傷ついた老人や女子供の難民が大波のようにスイスに押し寄せ、病院に溢れました。ロスは自分の食事も睡眠も後まわしにして、彼らのシラミを駆除し、消毒し、疥癬の手当に追われ、子供たちを抱きしめ「もう大丈夫よ」と慰めの言葉をかけました。研究室に雇われた本来の任務を放り出し、貴重な病院の食糧を難民に横流しして配給を続けた挙句、全額弁償か解雇を迫られるに至りました。無一文で医学部受験のためにやっと得た仕事だったのに・・・。

 彼女のこの無謀な優しさの結末はどうなったでしょうか。室長の博士から「あんなに献身的に、嬉しそうに子供たちの世話をする人は見たことがない。難民の子供の世話は、君の運命だ」と激賞され、翌年、戦火の続く中で休暇を得たロスは国際平和義勇軍に志願し、ヨーロッパ各地の被災者への支援活動に向かったのです。

 「行くべき場所があり、助けるべき人たちがいるかぎり、私は前に進まなければならなかった」と言う二十歳のロスは、地雷と空腹と疫病が待ち受ける危険地帯で波乱万丈の経験を重ねました。この命懸けのボランティア活動での経験値こそ、終生に渡る癒す力の原点になったように思われます。

 中古の自転車で国境を越え、ヒッチハイクをし、農家で干し草を刈り牛の乳を搾って旅費を稼ぎ、阿鼻叫喚の列車の煙突につかまってワルシャワに向かい、ドイツ軍とロシア軍に破壊され尽くした村の家を建て、遊園地を建設し、煉瓦職人も石工も屋根葺き職人もしたのです。やせ細った白血病末期の娘からポーランド語を学び、病院も保健所も医者一人いない村で、ありとあらゆる病気に苦しむ人たちのために、爆弾の破片を摘出し、手足の切断をし、妊婦の腹の腫瘍を無我夢中で取り出してから胎児の出産を成功させ、自身も炊事場で大火傷を負いながらお金もビザもない一人旅を続け、恐ろしいロシア軍に怯えながら野宿をし、夜の闇で出会った言葉の通じないジプシー達と愛と音楽で心を通わせる経験の連続・・・。

 

*怒り狂う優しさ・・・

 キューブラー・ロスには、少女時代から並外れた「悲(カルナー)」の精神が確立していました。苦しむ者を救わずにはいられない利他的本能に圧倒されていたかのようです。しかし、頑固で、怒りっぽく、闘争的で、断固として正義を貫き通すロスの優しさは、悪ガキを殴って弱い者を守るのです。「悲(カルナー)」の利他的本能と、「慈(メッタ―)」の純粋な優しさが衝突しているような奇妙な印象です。苦しむ者を救いたいという「悲」の心は優しさの発露以外の何ものでもありませんが、悪ガキを殴る瞬間の心に怒りの破壊的要素が含まれていなかったでしょうか。

 とてもやさしい幼稚園生の女の子が友達にぶたれたと泣いて帰ってきました。「たまにはやり返してあげなさい」と母親が言うと、「そんなことしたら、ミホちゃん、痛いじゃない」とまだ泣きながら答えたそうです。ロスだったら、ぶたれる前にサッと身をかわし、カウンターパンチをくらわしていたかもしれません。()

 晩年になり孫を心から慈しんでいるロスを眺め、娘のバーバラが「母にもこんな優しい一面があったのだ」と述懐しているのも、ロスの一筋縄ではいかない優しさの証左ではないでしょうか。

 壊すエネルギーと慈しむエネルギーが同居したキューブラー・ロスという偉大な人格を構成していたものは、「怒り」と「優しさ」と「正義」だったように思われます。怒りのエネルギーが父親や上司への反抗心となり、優しさを実現するための闘争心となり、医療体制を改革する原動力になり、孤独に堪える力になっていたのでしょうか。彼女の矛盾した性向は、怒りのホルモンも優しさホルモンもどちらも大量分泌するキャラクターだったと理解すればよいのでしょうか。

 

*ポーランドの体験

 「怒りのエネルギーで具現化されていく優しさ」という矛盾を示す一例は、ポーランドの破壊された無医村での出来事です。シャーマンのようなヒーラーしかいない診療所で毎日何十人もの患者を診ていた二十歳のロスは、真夜中に瀕死の赤子を連れた農家の女性に起こされました。薬も消毒液もないのでどうしようもないと言うと、ナチスに家族を殺されたった一人残ったこの子を死なせる訳にはいかないと食い下がられ、やむなく30kmの道のりを歩いて隣町の病院に連れていくことにしたのです。赤ん坊を交代で抱きながら翌朝たどり着いた病院では「助かる見込みのない者を診る余裕はない」と断られ、怒りが込み上がってきたロスはその医師に啖呵を切りました。

 「ポーランドの人達を援助するために、スイスから歩きとヒッチハイクで来たのよ。毎日50人の患者を診てるわ。あなたがこの子を診てくれないならスイスに帰って皆に言ってやるわ。ポーランド人は冷たい連中だって。12人の子供を強制収容所で殺され、生き残った最後の子供が死にかけている母親を、ポーランド人の医師が見殺しにしたってね!」

 すると、ロスの怒りに気圧された医師は「入院させよう。三週間後にまた来るように」と言ったのです。命を救おうとする慈悲の行為が、怒りのエネルギーによって完成されるのか・・・という矛盾を感じましたが、こう考えるべきでしょう。

 強い力と弱い力があり、物事を創り出すのも、改革や変革をなし遂げるのも、人の心を動かすのも、弱い力ではなく強い力によるでしょう。怒りは破壊的な強いエネルギーを出力させますが、怒りの心をまったく使わない強いエネルギーもあり得ます。怒鳴ることと大きな声で話すのは違うし、建設現場でビルを解体している人たちは怒りの心で破壊している訳ではありません。

 正義の怒りを爆発させれば、正義をなした業も作られ、怒りを発した業も作られるでしょう。怒る者は怒りを向けられ、怒りのエネルギーは身体を傷つけ、心を傷つけ、関係性を壊し、苦の因になります。怒りをゼロにして、冷静に、力強く言うべきことを言い、やるべきことをやるのが仏教の立場ではないか・・・と。

 波乱万丈だったロスの生涯には、破壊的な出来事がたびたび起きています。怒りのカルマが帰結したように、私には見えるのです。

 

*晩年の怒り

 そもそも私がキューブラー・ロスをダンマトークで取り上げたいと思ったのは、脳卒中に倒れた最晩年のドキュメンタリーを観たことがきっかけでした。彼女は2004年に78歳で亡くなるまでの9年間、左半身麻痺に苦しみましたが、その憤懣をカメラに向かって赤裸々に告白しています。それは、聖女のイメージとは程遠い衝撃的なものでした。

 「私は神に、あなたはヒトラーだと言った。神はただ笑っていた。40年間神に仕えてきて、引退したら脳卒中の発作が起きた。何もできなくなり、歩くことさえできなくなった。本当にいまいましい!だから私は烈火のごとく怒って、神をヒトラーと呼んだ」

 やっとこれから自分のやりたいことを始められると思った矢先に、一日15時間ただ寝椅子に坐って窓から鳥籠と雑木林を眺めているだけなのです。どんな苦境も自分の力で切り開いてきたロスが人生の最後に、自力ではいかんともし難い牢獄のような環境に置かれて怒り狂っているのです。

 インタビュアーが、「あなたは苦しむ患者を助けてきたのに、なぜ自分を救えないのですか?」と訊くと、「私はただ現実を直視しているだけよ。今の自分に満足なんて、そんな振りはできないわ。・・・自分ではお茶一つ入れられないのよ。最低の毎日だわ。こんな状態を薔薇色だなんて言えるわけがない!」

 「あなたは自分を愛すべきだと本に書かかれてますよね?」

 「それには触れないで!愛の話なんてしたくないわ」

 「なぜですか?」

 「気分が悪くなる!自分自身を愛せって?よく言ったもんだ。大嫌い!誰がそう言ったの?殺してやる」

 「でも、あなたが書いたことでは?」

 「そう、私が学ぶべきだとされていることよ。だからと言って、好きにならなきゃいけないことじゃないでしょ。自己愛なんて、部屋の隅でマスターベーションしてるようなものよ!」

 

 これが、生涯に渡って苦しむ人たちに寄り添い献身的に救ってきたあのキューブラー・ロスか、と目を疑いました。テレビカメラの前でわざと露悪的な態度を演じているのだろうか。それとも、生涯に渡って偽りを嫌い虚栄や虚飾は微塵もなかった彼女の真っ正直な人柄から、ただ本音をさらけ出しているのだろうか。真相を追求したくなりました。

 

*死の受容プロセス

 この晩年のキューブラー・ロスを評して、死の看取りの専門家が自分自身の死を受容できずに怒り狂っているというコメントが目立ちましたが、お門違いでしょう。彼女が提唱した「死の受容の5段階モデル」(キューブラ―・ロスモデル)に当てはめて、「否認」や「怒り」の段階にいる姿と見るのは的外れだと思います。

 死を待ち望んで楽しみにしていたロスが死を怖れたり、怒りを覚えたりするはずはないのです。きれいにさっさと死ねないことに腹を立てていると見るべきなのですが、その前に、彼女の提唱した有名な「死の受容のプロセス」を紹介します。

 これは、膨大な死にゆく人を看取った経験則から彼女が見出した「死の受容の基本的パターン」です。

 

 まず第一段階は、ショックと否認です。え!嘘だろう。自分が死ぬなんて、何かの間違いだ。あり得ない、と事実を否定するのです。

 第二段階は、怒りと憤りです。死んでゆくことが否定しきれなくなると、なぜ死ななければならないんだ!と怒りや憤りを誰彼かまわず爆発させるのです。

 第三段階は、取引です。「娘の結婚式が終わるまで、生きさせてください」とか、「今まで自分のためだけに生きてきたけど、これからは寄付もしますし、人のために何でもやりますから、今回は見逃してください」などと、何とか死を免れようとして、神仏と取引きのようなことをやるのだそうです。

 ちなみに、この取引がたまたま上手くいき死が延期されると、次は必ず「孫の顔が見られるまで」「下の息子が就職するまで」などと最初の約束を破って、第二、第三の取引を持ちかけるそうです。

 第四段階は、抑鬱です。やはり奇跡は起きないのだ・・・と絶望し、どん底に叩き落され打ちひしがれるだけになります。どんな励ましも慰めも耳に入らなくなるのです。こんな時のロスの対処は、患者の悲しみを認め、祈り、優しく手を触れ、傍にいてあげることだそうです。

 最後の第五段階は、受容です。怒りも抑鬱も、死への抗いもなくなり、諦めて穏やかに死を受け容れる段階です。

 

 全ての患者がこのようなプロセスを経るとは限らず、怒り狂いながら、絶望に押しつぶされながら死ぬ人もいるし、さまざまです。

 この「死の受容の5段階モデル」をロスに当てはめて、彼女は自分の死を受容できず怒りを露わにしたと見るのは滑稽な誤解です。この5つの段階は死の受容に限定する必要はなく、人はネガティブなもの全般をどのように受け容れていくかのプロセスと理解すべきです。

 嫌なものは誰でも受け容れたくないし、否定したり、憤ったり、回避の方法を探ったり、絶望し抑鬱状態に陥ったりしながら、いかんともしがたい事実として最後に受容するのが人の心です。もちろん欲のタイプも怒りのタイプも人さまざまですから、怒りの段階や取引の段階がない人もいるだろうし、受容できないまま死んでいく人もいる訳です。

 

*待ち望まれる死

 寝椅子に座って庭を眺めながらキューブラー・ロスが怒り狂っていたのは、やがて訪れる死に対してではなく、思い通りにならない現状に対してです。やりたかったことが何もできない現実、人から愛を受けるのが苦手だったのに、何もかも人のお世話になるしかない現実、自我の強い彼女が自分で自分のことを意のままにできない、いまいましい現状に腹を立てている姿と見るべきでしょう。

 「死後の真実」の中でロスはこう言ってます。

 「死とはただ、一つの家からもっと美しい家へと移り住むだけのことなのです」

 「死ぬときの経験は、誕生の時の経験とほとんど同じです。死とは、別の存在への誕生であり、このことはいとも簡単に証明することができます。何千年もの間、私たちはあの世に関するものを『信じる』ように仕向けられてきました。しかし、私にとってはもはや信じるかどうかの問題ではありません。知るかどうかの問題なのです」

 三つ子同士だった姉妹の家で最初の発作に倒れた前夜にもこう語っている。

 「たぶん将来は、誰かが人生を卒業したら、みんなで祝うようになると思う。人が死んで泣きわめいたり、馬鹿げた儀式をやるなんてことは無くなると思うわ。悼んで泣くんだったら、誰かが生まれてきたときに泣くべきよ。またこの愚劣な人生を最初からやり直さなくちゃならないんだから」

 まるで一切皆苦のこの世から解脱したいと願っているかのようなセリフです。

 「死は怖くない。・・・死はこの形態の命からの、痛みも悩みもない別の存在形態への移行にすぎない」と確信していたロスが、どうして自身の死を受容できずに怒り狂うでしょうか。

 「私を直接知っている人なら、この世の苦から全き愛の存在への移行を、私がいかに熱烈に待ち望んでいるかを証言することができる」と述べているのです。

 キューブラー・ロスモデルが死に限定されているのであれば、ただそれだけのものに過ぎないでしょう。「死の受容のプロセス」は、「怒りの煩悩を超克するプロセス」と捉えるべきです。誰もが忌み嫌う死は、人類に最も普遍的な怒りの対象であり、その死を受け容れる仕事は、怒りをどのように乗り超えて根絶やしにするかのプロセスに通じるものです。

 晩年のロスに与えられた難問は、死の受容ではなく、怒りの超克です。死を待ち望んでいたロスにとって、自身の死の問題は解決済みでした。嫌悪や否定の対象ではなくなっていたのですから。

 問題は、思い通りにならない現実に怒りを覚える彼女の心の構造改革であり、怒りの煩悩を乗り超える仕事です。それこそが、彼女の全人格的成長であり、「幸運に恵まれれば、私はもう地球にもどってきて学び直す必要のないレベルに到達するかもしれないが・・・」という悲願の達成です。

 

*表と裏

 ロスの天才的な癒しの能力を要因分析すれば、生来の資質(宿業)に愛情深い母親に養育された刷り込み、国際義勇軍や医師の経験値などの総和ということになるでしょう。どんな気難しい孤立した患者もロスに対しては心を開いてしまったと言います。

 例えば、治る見込みのない患者たちを薬漬けにしている絶望的な精神病院で、統合失調症患者の94%を退院させ自立した生活に導きました。目を瞠った上司たちが、どんな学派のどんな理論の治療法なのか訊ねましたが、理論など何もない。人間として接しただけでした。話しかけられたら必ず応え、訴えに耳を傾け、もう孤独ではないし、怖がらなくてよいと感じさせたのです。ハンモックに吊り下げられた性病末期の悲惨な売春婦たちを癒やした少女時代と同じでした。

 またロレツの回らない癌患者が、死ぬまでに何のためにこんなに長く生かされているのかその訳を知りたいと訊くと、あなたは娘さんとは話すことができている。夫や息子とも話せるようになるはずだと励まし、「こうやってあなたのお世話をすることで娘さんたちにも得るものがあるのです。病気と戦うあなたの勇気や愛は、子供たちへの贈り物ですよ。どうかたくさんの贈り物をしてあげてください」と絶妙の癒しをもたらします。

 子供たちへの感動的なケアも枚挙に暇がありません。キューブラー・ロスは、掛け値なし筋金入りの看取りと癒しの達人だったのです。しかし、脳卒中に倒れた自分自身は受け容れられず、口汚く罵り、怒りを露わにしているのです。愛する達人でしたが、自己否定感が強く、自分を愛することも、人の愛を受けることも下手くそな人だったのです。

 

*真実を求めて・・・

 良くも悪くも、これがキューブラー・ロスなのです。どちらも本当のロスなのだから、あるがままを観る瞑想をしている私たちは、彼女をありのままに理解し、学ぶべきは学び、手本とし、彼女の課題は私たち自身に突きつけられた問題でもあると観るべきです。

 正しいことを語っていた人に過ちや人間的欠点が見出されると、多くの人はダマされたと憤り、見向きもしなくなります。愚かなことです。誰が語ろうが、正しいことは正しいのです。チャラチャラした薄ぺらな人が偉大な人の言葉を受け売りしていても、内容が真実であり正しければ耳を傾け、実行すればよいでしょう。

 人は、無数の善業と悪業のゴッタ煮であり矛盾の塊なのに、エゴ妄想で一つのレッテルを貼りたいのです。「ねえ、この人、いい人?悪い人?」と子供が登場人物を一つの色に決めたがるように。

 アメリカの田舎町で強盗犯が逃走中に、溺れかかった子供を飛び込んで助けてしまった逸話があります。偽善者め!と否定しますか?盗みに入らざるを得ない因縁因果があったのも真実であり、小さきもの、弱き者を助けずにはいられなかったのも真実でしょう。悪からも善からも、成功からも失敗からも、賢者からも愚か者からも、学びを得ることができるのです。

 

 私は、修行時代に、この人になら命を預けてもよいと思えるような完璧な師匠に出会えませんでした。どこかに不完全性が見出されてしまったのです。一器の水を他の一器に移すような師子相伝の師に恵まれる因縁の人もいますが、私はそうではなかったようです。だから、善財童子の求法の旅のように、7歳の子供であっても、修行などしていない煩悩の残った比丘であっても、やるべき修行や進むべき道を示してくれるなら、出会う人は皆、師と見なすことにしたのです。経典の知識を正確に語ってくれればそれでよい。情報の価値だけに注目し、自分はその実質を修行するだけだと決めていました。

 これが、グルを持たず、寺にも帰属せず、孤独に修行を続けながら、ゴミの中にも真実を拾い集めていく私の修行のやり方でした。ヒトラーの語録の中に、一行でも真実がまぎれているなら、皆さんは、それを学びますか?全否定しますか?

 キューブラー・ロスの愛と癒しの人生は、私たちの素晴らしい手本です。彼女に残された「怒り」と「エゴ」の問題は、悟りを得ていない全ての人の修行課題ではないでしょうか。否定する精神からは、何も得られず、何も学べません。怒りの煩悩を一つ垂れ流すだけです。

 

*ラストメッセージ

 なぜキューブラー・ロスはTVカメラの前で、隠すことだって出来たはずの怒りや罵倒の言葉を吐き散らしたのでしょう。功成り名を遂げていたのだから、いくらでも名声は守れたはずなのに。何の意図もなく、ことさらネガティブな姿をさらすとは思えません。

 ロスの愛の深さが本物だったように、偽りを嫌い、最愛の夫や家族を失おうとも、真実を見極めようとするロスの姿勢は終始一貫していました。「あまりにも頑固で反抗的な私は」、「辛辣で、怒りっぽく、病気を愚痴る」が、「いま、辛抱すること、従順になることを学んでいる・・・」と自伝に記しているロスと、映像のあの姿に矛盾は一つもありません。私には隠すものなど何もないのだ。このとおり裏も表もさらけ出している、という暗黙の意志がひしひしと伝わってきます。

 こういう真っ正直な人だから、私はキューブラー・ロスを信用できるのです。この人は、絶対に嘘や偽りを語る人ではない。そして、そのロスが確信をもって語った「死後の真実」の世界も、霊的体験も、全部本当のことだろうと受け止められるのです。となれば、彼女の著作が提示した死後の世界の問題を追求しなければならない。彼女がネガティブな自身の側面をさらけ出すことによって、「死後の生はある!」という彼女のラストメッセージの真実性が揺るぎないものとなって迫ってきます。キューブラー・ロスに仏教の知識があったなら、「死後の生」ではなく「輪廻転生」と言ったことでしょう。

 

第6章 死後の生の検証

 輪廻転生は原始仏教の最重要テーマですが、その是非を科学的に証明することは難しく、事実をありのままに観るヴィパッサナー瞑想の根幹にも関わってきます。ブッダの悟りとは、果てしなく繰り返される輪廻転生から解脱することであり、ヴィパッサナー瞑想はその唯一の方法論として提示されたものでした。(大念住経)

 死後の世界や輪廻が存在しなければ、原始仏教もヴィパッサナー瞑想も根柢から崩れ去ってしまうので、「人生を輝かせる死」に直結するこの問題を考えてみましょう。

 

*死ぬ瞬間から、死後の世界へ・・

 死後の世界や輪廻転生などまったく信じていなかったロスが、なぜ実在することを確信するようになったのでしょうか。当時の医学界では、命を救うことしか教えられていない医者の側に、死にゆく者の苦しみを救おうとする発想もノウハウもありませんでした。死が定まった患者は、医者から真実を告げられずに死の恐怖と絶望に苦しみながら見捨てられたも同然だったのです。

 苦しむ人を救わずにはいられないロスは、現実をありのままに観察するリアリストでもありました。死が迫った患者に寄り添い、その声に耳を傾け、思いやりと慰めの言葉をかけ、やがてそれは「死の受容の5段階モデル」に結実します。

 「カルナー()」の精神がロスを死にゆく患者に寄り添わせ、事実をありのままに観るリアリストの精神が膨大な死の事例を集積させ、科学する精神が個別性・具体性の中に一貫する法則性を抽出したと言うこともできるでしょう。

 こうした業績によって、ロスは終末期医療を確立した死の看取りの達人として名を残すこともできたでしょう。しかし宿命に導かれるように、ロスは死んだ後の世界の真実を極める方向に歩を進めます。

 

*開かれた霊能

 きっかけは、ロス自身に霊視する能力が開けてきたからでした。

 ある日、エレベーターの前で同僚の牧師に語りかけた瞬間、10ヶ月前に亡くなったS夫人が現れ、ロスは凍りつきます。牧師には見えないのに、ロスには半透明のS夫人の姿が見えたのです。霊的存在なのか、幻覚なのか、「S夫人」はロスの研究室のドアを自分の手で開けると、病院を辞めないで死のセミナーを続けてほしいと懇願します。

 精神科医のロスは、ヴィパッサナー瞑想者と同じ方法で幻覚なのか現実なのかを確認します。瞑想中に集中が高まって、ニミッタと呼ばれるさまざまなヴィジョンが見えることがあります。そんな時の対策は、意識的に外界の音を聞いたり、目を開いて「見た」とサティを入れて現実感覚を取り戻すことです。

 同じようにロスも、机や椅子などに触れて現実であることを確認します。さらに、「S夫人」の肌が冷たいのか温かいのか触ってみたり、科学的証拠として、紙とペンを渡して伝言を書き残すように言いました。すると、S夫人は微笑みながら紙を取り、ペンを走らせ「これでご満足いただけましたか?・・・ロス先生、(セミナーの継続は)約束ですよ」と念を押し、「分かったわ、約束する」とロスが答えると消えていったのです。

 

*霊的存在の証拠

 こうしてロスは、科学の検証が難しい霊的な世界に足を踏み入れていきますが、物理的な現実を優先する科学者としての姿勢は一貫しています。S夫人の手書きメモは物的証拠として残り、別のケースでは霊的存在の写真を撮影したこともありました。

 「もし(ロスの)守護霊がいるなら、次の写真に姿を現して・・・」と念じてシャッターを切ると、背が高く筋肉質で、ストイックな顔をした先住民の男が腕を組み、真っすぐにカメラを見つめている姿が撮影されていました。やはり本当なんだ、とロスは狂喜し、この写真はロスの宝物になりました。しかし後年、ロスの自宅が放火らしき原因で全焼した際にあらゆる研究資料と共にこの写真も灰燼に帰してしまいます。

 合成写真もフェイク動画も巧妙に捏造できる現代では、物的証拠も疑わなくてはなりません。まして本人の証言しか証拠がない場合には、その人格や人間性や正直さを信頼するしかありません。ロスのように信頼に足る人格だからこそ、彼女の言葉を基にして考察を続けることができるのです。

 

*輪廻転生はあるのか?

 ロスの意志とは関係なく、突然襲いかかった霊的体験によって、ロスの人生の流れは変わります。スピリチュアルな世界に傾倒したことで、愛する夫も名声も研究の拠点だった自宅も失っていきますが、真実を追求する精神が何よりも勝っていました。

 どのような事象にも生起してくる原因があり、変化するのも滅していくのも、いかんともしがたい必然の力によって、そうなるべくしてなっていくのです。自由意志で新たな方向を選ぶことも多少はできますが、どんな人も過去に組み込んだ業の集積エネルギーが押しやる力に逆らうことはできないのです。

 この世に誕生した瞬間の健康も、美醜も、貧富も、賢愚も、親の愛も虐待も、あまりにも違い過ぎる千差万別は、当人が過去世に組み込んだ業の結果であり、仏教ではこれを「宿業」と言います。過去世が存在するからこその宿業であり、輪廻転生が大前提になっているのは言うまでもありません。

 仏教では、全ての生きとし生けるものは死後、六つの領域のどこかに転生するのを繰り返しており「六道輪廻」と呼ばれています。原始仏教の悟りとは、この果てしない輪廻の流れから解脱することなので、もし輪廻が否定され、過去世も宿業も存在しないことになれば、仏教は成り立たなくなります。輪廻を惹き起こすカルマも因果論も崩れ、輪廻が妄想なら、その輪廻からの解脱も寝言・戯言になるでしょう。妄想を離れよ、物事をあるがままに観よ、と悟りの修行システムを説いたブッダ自身が、実在しない輪廻の妄想に捉われていた馬鹿者だったことになり、そんなブッダを信じて修行してきた私たちは大馬鹿者ということになり、全てが総崩れになってしまいます。

 果たして、輪廻転生はあるのか、死んだらどうなるのか、死後の真実はどうなのかを考えていきましょう。

 

*霊的存在の検証

 10ヶ月前に亡くなったS夫人は、どこかに転生し霊的存在としてロスの前に現れたのでしょうか。ドアを開けたり紙に字を書き残したからには、S夫人はニュートリノなどの素粒子よりは粗大な物質で構成された生類なのでしょう。写真フィルムに姿が撮影されたロスの「守護霊」も、光を反射して感光させるだけの微細な物質が存在していた証しと言えるかもしれません。少なくともロスの妄想や勘違いではなく、現実の外界に何ものかがいたようです。

 通常これは「幽霊」と呼ばれ、命の流れが死後に引き継がれたスピリチュアルな存在ということになりますが、仏教では死後の輪廻転生は6つの領域に分類されています。下から、地獄・餓鬼・畜生・人間・修羅・天(神霊)の六道輪廻です。動物と人間以外の生類はほとんどの人には知覚されないし、幽霊を視認できる人も少ないでしょう。

 人間のセンサーで知覚できるのは、音なら20ヘルツ~20,000ヘルツが可聴範囲なので、犬笛もコウモリやイルカの超音波も人間には認識されず「存在しない」のと同じです。また、人間が知覚できる視覚は赤外線と紫外線の間に限定され、昆虫には見える4番目の原色も人間には見えず、三原色しか存在しないことになります。知覚できなければ、存在しないことになり、無いものとして扱われるのが通例です

 科学は、誰が検証しても同じ結果が確認されるので法則性として成立するものです。稀に、五感のセンサーが突出して敏感な「超感覚的知覚」(ESP)や神通力の持主がいて、ブッダやモッガラーナ(目連)がその達人だったと伝えられていますが、常人とは共有されないので科学の対象にはなりません。

 「霊視」など霊的存在の知覚も特殊ケースなので、自然科学を拠りどころにした立場からは幻覚と見なされがちです。現に、統合失調症患者の語る幻覚と霊能者が語る霊的世界は、物的証拠や客観証拠が出しづらく識別が難しいでしょう。S夫人を霊視したロスの最初の反応は、自分も幻覚を見る患者の側になってしまったかという疑念でした。

 万人の共通感覚と厳密な物的証拠で客観性を保証する科学の精神は、事実無根の宗教的妄想で苦しむ暗黒時代から人類を解放してきました。しかし物質のレベルに還元されないものは、存在していても無いことにされてしまう危うさもはらんでいます。

 大気圏外のハッブル宇宙望遠鏡や電子顕微鏡などで知覚が増幅され、物的証拠が得られた結果、宇宙の膨張もダークマターも細菌やウイルスの存在を実証したのは科学の手柄です。しかしカミオカンデで観測されるまでは、ニュートリノも幽霊粒子扱いされていたのです。

 万人の五感で共有できる証拠が示せなければ否定されるのが科学ですが、新たな検証方法で実証された途端に、声高に否定していた人が肯定し始める変わり身の早さも科学の世界では当たり前です。真理と信じられていたものが誤解や勘違いだったと修正され、書き換えられていくのが科学の歴史です。

 

*死後の六道

 ロスが視認したS夫人はどこから来たのか考えてみましょう。

 死んだ後に再生する世界に関しては、インドのヒンドゥー教全般、仏教、古代ギリシャ思想、正統派ユダヤ教、北米ネイティブアメリカン、神智学などにさまざまな考え方があります。キリスト教とイスラム教が死後の輪廻転生を否定する立場ですが、永遠の天国や地獄に一度は再生する考えです。仏教の最上層の天界に住する梵天は、その寿命のあまりの長さに永遠と錯覚してしまうとも言われます。極楽浄土を永遠と誤解するのも、タイムスケールの巨大さ故にでしょう。

 ともあれ、古代の人類の多くが世界各地で信じていたのは、死後の世界が存在する肯定論でした。考えてみれば、自然の生態系をありのままに観察すると、あらゆる生命が必ず死んで土に還り新たな命が育まれ、餌食にされた命は捕食者やその幼獣に受け継がれていきます。生命現象も存在の世界も、エネルギーが不滅に循環しているのが見て取れるのですから、多くの民族が輪廻思想を抱いたのも理にかなっているように思われます。

 死後の世界構造を説明する各民族の神話には、幼稚な空想の域を出ないものもありますが、仏教の六道輪廻を簡単に見てみましょう。S夫人の幽霊が死後、何ものかに転生したスピリチュアルな存在としてロスの前に現れたのだとすれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六層構造の領域のどこかです。

 六道の最下層、地獄は間断なき苦痛に満ちた世界なので、絶叫する以外には瞑想したりこの世にアクセスする余裕はないでしょう。餓鬼は激しい飢餓状態に苦しみ続ける世界ですが、ピンからキリまで多層構造に棲み分けられています。人の祈りや回向を受け取ることができるのは上層部の餓鬼(ペータ)に限られますが、この餓鬼道の霊が地上の人間と最も頻繁に交渉していると言われます。修羅は闘争系の生類が分布し、天界は徳の高い方々が集積した善業の力で再生していく領域ですが、業が尽きれば他の世界に転生しなければならないと言われます。天界も大きく三層構造に分かれ、上層の無色界天や中間層の色界天はサマーディを完成した神々、下層の欲界天は眼耳鼻舌身の五感の情報を楽しむ世界と言われます。

 なぜ六層なのかという疑問が浮かぶかもしれません。私が妄想するに、階層構造は分類の問題であり、要は、同じ波動のものが共振する法則は物理も心理も変わらないだろうということです。暴力や怒りの破壊的傾向も(地獄)、貪る傾向も(餓鬼)、慈愛や利他的傾向も(天界)、類は友を呼び、同質で同類の波動が惹かれ合い響き合って棲息する領域を、仏教では六種類に大別したのではないか。

 この世でもあの世でも、自分と同じ波動の者が自然に群れ集うのです。指名手配された凶悪犯罪者たちも、新興宗教の青年部の信者の集団も、競馬場から一斉に帰途につく群衆も、みな同じ顔をしているでしょう。同じ考えや同じ欲望や望みの同じ心の者たちは、顔も似てくるし、死ねば、自分とそっくりの人が群れている所へ再生すると考えればよいのではないか。そうか、俺と同じなら、みんな凄えヤツらだ、と全員が自己陶酔している群れに行く人もいるでしょう。()

 

*ブッダが語ったのは・・

 後世に創作された大乗経典とは異なり、最古層の「スッタニパータ」は確実にブッダが語った言葉と学問的にも認められていますが、その中には神霊も登場するし、生々しい地獄の描写も出てきます。同様の「サンユッタ・ニカーヤ」は「神々との対話」と邦訳されています。ブッダが悟りを開く前から涅槃に入る直前まで干渉したマーラという悪魔は、欲界天に帰属するとも言われ「サンユッタ・ニカーヤ」の後半は「悪魔との対話」と訳されています。

 もし輪廻も地獄も神霊も存在しなかったら、こうした経典を残したブッダはハリーポッターのような空想力豊かなファンタジーの語り部だったことになり、そのブッダの瞑想に命を懸けてきた私はお伽噺の妄想を信じたオタンコナスということになるでしょう。

 死後の生も輪廻も存在しないとすれば、誰もが絶命した瞬間、全員おしなべて存在の流れが絶え果てた涅槃と同じ状態になるはずです。解脱した聖者も悪の限りを尽くした犯罪者も、煩悩の人生も修行に命を懸けた人生も、キリストもヒットラーも、肉体の死と同時に完全に同じ状態になるという訳です。

 現代の認知科学も凌駕するヴィパッサナー瞑想の緻密なシステムを提示したブッダが、在りもしない死後の輪廻についてデタラメな空想世界を喋りまくっていたとは到底考えられないのです。しかしブッダの言葉を信じて仰ぎ奉れば、「私の言葉を信じるな、自らのこの眼、この手で検証せよ」と説いた教えに反するでしょう。ブッダが言うのだから多分そうなのだろう、と有力仮説の一つに止めておくしかありません。

 

*アラン・サリバンの体外離脱

 ともあれ、死んだS夫人がロスの前に現れたのです。S夫人の死亡は確定しており、物的証拠のメモを残したり、意味のある会話がロスとの間になされているので、S夫人のアイデンティティ(自己同一性)を保った何らかの意識体が肉体の死後に存続していると考えられます。ドアを開けたり、ロスの網膜に視覚像を結ばせるS夫人の微細身は、臨死体験で体外離脱する幽体と同じものだろうかという疑問も浮かびます。

 幽霊は言うに及ばず、体外離脱も脳内幻覚に過ぎないと否定する医者や科学者が多いのですが、「プルーフ・オブ・ヘブン」の著者エベン・アレグザンダーのように高名な脳外科医自身が激烈な臨死体験に襲われて以来、意識現象は脳に限定されたものではなく、肉体の死後も意識が存在し続けると確信するようになった人もいます。

 幽霊も体外離脱する幽体も妄想だとする脳内幻覚説を一蹴する鮮やかな事例があるので、立花隆「臨死体験」から紹介しましょう。

 心筋梗塞で臨死体験をしたアランという運送業の男性が、麻酔で昏睡状態だった自分の様子を上空から眺めて正確に描写し、その全てが事実と符合していたことが執刀医や同僚によって証言されています。懐疑派の立花がアラン本人と執刀医に直接取材しているので、この事例は脳内幻覚説を強く退ける証拠能力が高いものです

 アランは手術を受けた経験も手術室に関する知識も皆無で、手術室に搬送されるや直ちに麻酔をかけられたので、その場で観察することも不可能でした。しかるに意識不明のアランが、執刀医や副主の医師、看護婦の正確な位置関係、服装、白い帽子、特殊なブーツなどを正確に描写し、全てその通りでした。

 さらに体外離脱したアランが上から見ると、自分の両目が変なもので覆われていたので、この検証の時に執刀医に訊ねると、誤って目を傷つけないように卵形のアイパッチをテープで固定したものでした。これで、麻酔が途中で弱くなり、意識を取り戻して辺りの様子を目視した可能性はなくなりました。

 その他、手に細菌が付着しないように執刀医が肘で指示するゼスチャー、黒い特殊な拡大鏡、ライトの位置、巨大な人工心肺装置、血が大量に流れていると思いきやほとんど流れていなかったこと、取り出された心臓が白っぽい紫色で血の気がなかったことなど、聴覚や他の感覚器官から得た情報を脳内でまとめたイメージとは考えられない証拠が次々と上げられます。

 この事例の明白さには、私も驚きました。麻酔による昏睡状態では意識不明なのだから、こうした見聞が成り立つはずはないのです。脳神経細胞の電気的やり取りから意識が生まれ、その脳細胞が死ねば、意識も絶滅する。心が絶え果てるのだから、死後の再生などあり得ない、という輪廻転生の否定論は大きく崩れるのです。

 幽体かエネルギー体かはさておき、体外離脱している何かが実在することは疑いを容れません。問題は、この意識体がそのまま輪廻するのか、S夫人の微細身と同じ材質なのかです。体外離脱した意識体が、この世の手術室を正確に目視していることは、このような物的証拠で証明できます。しかし、体外離脱してあの世を垣間見てきた報告事例は膨大に存在するものの、物的証拠で立証することは難しいのです。果たして、あの世は存在するのか・・。

 

*死後の世界か

 アランが体外離脱した事実、手術室を物理的に見ていた事実は実証されたと言ってよいでしょう。エベン・アレグザンダーの主張するように、意識現象は脳に限定されず、脳や肉体が死滅しても存続する可能性は極めて高くなります。

 この鮮やかなアランの事例の後半を見てみましょう。手術台の上で切り裂かれている自分を眺めているのに飽きたアランは、さらにトリップして闇の中に入っていったのです。すると死神のような気配が感じられ、『こっちへ来い』と執拗に言うのを退け、やがて明るく光り輝く場所に出ました。

 そこは全く次元の違う世界で、愛と安らぎに満ち溢れ、光とエネルギーが渦巻き、美しい音が鳴り響いていました。アランはそこで7歳の時に死に別れた母と会い、言葉を介さずに気持ちや考えを伝え合い、アランのどんな疑問にも直ちに答えが与えられ、知らないものはなくなったというのです。さらに3年前に亡くなった義兄にも会い、後半の見聞は手術室から一転、あの世に再生していた死者との遭遇を報告したものです。

 この別次元の世界に関する物的証拠はないので、アランの主観的体験談を信じるか否かです。しかし、体外離脱したアランの手術室の描写は現実のものだが、こちらの別次元世界の描写は幻覚で、寝言戯言だと言い張るのは難しいでしょう。手術室をあれほど正確に見ていたアランなら、この異界での体験も現実の知覚だったと解釈するのが妥当ではないかと思われます。

 

*科学的反証

 臨死体験や体外離脱を否定する科学的根拠は、脳幹幻覚説も再起動説も精神病理も快感ホルモン分泌も、エベン・アレグザンダーやラウニ・キルデなど実際に臨死体験をした一流の科学者に退けられています。それでも脳内幻覚説に与する科学者が強調するのは、臨死体験者の経験の多くはそれに対応する脳領域が特定されており、その領域を電気刺激したりすると臨死体験と同じような現象が再現できるというものです。

 さまざまな試みがなされていますが、臨死体験を惹き起こしている脳領域がいくら見つかっても反証にはならないのです。例えば、体外離脱は大脳のシルヴィウス溝が司っていることが、カナダのペンフィールドによって何十年も前に見出されています。シルヴィウス溝に電気刺激を与えれば、体外離脱が錯覚として経験される。だから幽体離脱など幻覚に過ぎない、と否定しているのですが、それは変でしょう。

 人の顔を認識する脳神経細胞も、ピーマンや唇を認識する脳細胞も特定されており、顔認識細胞が損傷すれば人の顔が見分けられなくなります。ピーマンを認識する神経細胞に電気刺激を与えれば、ピーマンの視覚像が出現します。

 当たり前のことです。ピーマンを認識する神経細胞が遂に見つかったぞ!ピーマン細胞がちゃんと存在するのだから、畑でピーマンを見たなどと言っている人は脳内現象を現実と錯覚しているに過ぎないのだ!

 「世界中でピーマンが実在するなどと言っている人達がおりますが、体外離脱が幻覚に過ぎないように、ピーマンも脳内幻覚を現実体験と見誤っているのだ、と脳科学の立場からは言わなければなりません」などとコメントするのでしょうか。

 ピーマンを見ることは日常茶飯事であり、あまりにも頻繁に認識するのでピーマンを認識する神経細胞が割り当てられたのではないでしょうか。ピーマンが厳然と存在するから、ピーマンを認識する脳細胞が必要になってきたのです。ピーマンを認識する神経細胞を見つけて批判するのは滑稽でしかありません。

 死に瀕した時には誰もが体外離脱を体験し、この世からあの世への移行を納得し了解しながら死んでいかなければならない。だから、人類700万年の歴史のなかで、シルヴィウス溝のような専属の領域を搭載する必要に駆られ、必然の力で生み出された順番ではないか、と私は推測というか妄想しております。

 それとも、突然変異か何かである時シルヴィウス溝が偶然作られてしまい、それ以降多くの人が体外離脱体験をするようになったのでしょうか。死後の世界なんか存在しないのに、たまたま出来てしまったシルヴィウス溝を使ってみんながよく遊ぶようになったので、退化させることも廃用性委縮も起こさず今に至るまで多大なエネルギーを使いながらシルヴィウス溝を温存させてきたのでしょうか。脳は、そんな無駄なことをやっている暇などありません。不要なものはサッサと刈り込まれ、捨てられていくのです。

 臨死体験に相当する脳機能が発見されたということは、メカニズムの解明に寄与した功績があるだけで、臨死体験を否定する科学的根拠になどなり得ないということです。

 

*なぜ心が変わるのか

 臨死体験で光明世界を見てきた人達はおしなべて人格が変容しています。この世的な欲望が少なくなる傾向が顕著で、物質的・経済的欲望も名誉欲も他人の思惑を気にすることも少なくなります。

 それに替わって、人を助けたい、人世のためになりたい、他人を理解し受け容れて上げたい、など利他的精神や寛容な心が増大しています。全ては一つであるという全一感や、高次の意識を得たいという欲求が強くなるのも特徴的です。

 なぜでしょうか。光明世界に入った臨死体験者の多くが、超越的な光の存在に受け容れられ、絶対的に許され、愛されているという強い実感を感じていることが一因でしょう。

 身勝手なエゴイストの生き方をしていた米国のハワード・ストームの臨死体験でも、光に包まれて浮き上がり上昇しながら、力と愛に心が満たされるのを感じると、それまでの生き方が恥ずかしくなり慙愧の念に堪えられなくなります。そして光の存在が量りしれない愛情で自分を受け入れてくれていることが実感されると号泣が止まらなくなります。以来、ハワードの生き方は一変し、聖者のような人間になってしまい、ブレることがないのです。

 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、受け入れられ、許され、完全に愛しぬかれている。これが愛の極致なのだ」と表現した鈴木秀子やエベン・アレグザンダーを始め、あまりにも多くの臨死体験者が同じ愛と赦しと受容の体験をして、その後の生き方に強烈な影響が及んでいます。

 人の心が根柢から変わるのは滅多に起きることではなく、変わっても、時間が経てばゼンマイが巻き戻されるように凡夫に逆戻りしてしまうものです。

 なぜ、臨死体験者達はブレないのでしょうか。彼らの心の変容が本物だったからではないか。真正の体験だけが、人の心を根底から変えるのです。この点に、私は、臨死体験が脳内幻覚ではない根拠を見出します。

 幻覚が人の心を永久に変えることはないと断言できるでしょう。覚醒剤によるハイテンションも、感動的な小説や映画も、もの凄い明晰夢も、知的納得感も、概念やイメージによる脳内現象は一時的な昂揚をもたらしますが、人の心を根底から変える力はないのです。真の悟り体験に後戻りはないが、サマーディの力で悟りの似非体験をした瞑想者は、やがて化けの皮が剥がれて凡夫に戻った自分に愕然とするのです。

 

*地獄篇

 臨死体験者が報告する光のトンネルや光り輝く光明世界は天国を予見しているのでしょうか。臨死体験が転生予定地の下見だとすると、こんなに簡単に誰でも天界に行けるのかという疑問が浮かびます。仏教の六道輪廻によれば、天界は聖者の如く徳を積んだ稀有な人が赴く領域のはずです。

 調べてみると果たして、臨死体験の地獄篇も数多く見出されます。こちらは震え上がるような怖ろしい世界で、絶対に行きたくないと誰もが思うでしょう。死後、人間から人間に再生することは極めて稀だとブッダは言明しています。ほとんどの人は煩悩に耽り、五戒を破って悪業を重ねているのですから、欲のタイプは餓鬼の世界へ、怒りと悪のタイプは地獄へ、武闘派は修羅の世界へ、愚かなタイプは畜生界へ再生することになります。光明世界への再生は少なく、地獄や餓鬼の世界への再生がはるかに多いと覚悟しておくべきでしょう。

 臨死体験は飽くまでも死に瀕した体験であり、死そのものではありません。真の転生が未完だからこそ、この世に帰還できるのでしょう。死後の世界に真に再生してしまった人は戻って来られないし、巻き戻せる無常はないのです。

 

*死近心

 死の本番では厳然たる再生のメカニズムが働くので、死に方を心得ておかなければなりません。生前どれほどの悪をなそうが、徳を積もうが、「死近心」が次の再生を決定すると原始仏教では説かれています。死ぬ瞬間の心を「死心」と言い、その直前に、今世で業を作る最後の心が生滅します。これを「死近心」と言い、その内容が怒りなら地獄、貪りなら餓鬼、というように善心か不善心かによって次に再生する世界が決まるといわれています。

 善行を重ね、徳を積むだけでは間に合わないのです。死ぬ瞬間にもよく気をつけて、仏を憶念し、不善心所モードで死んで地獄や餓鬼など悪趣に堕ちないように心がけなければなりません。死ぬ瞬間までサティを入れる覚悟で日々の修行に取り組めるでしょうか。

 

*ロスの死に方

 苦しむ人に救いと癒しをもたらす生涯だったキューブラー・ロスも、仏教の死と再生のメカニズムからは、天界への片道切符を持っている訳ではないのです。怒りが強く反抗的だったロスの「死近心」が嫌悪や怒りだったら悪趣に堕ちるしかありません。果たして、ロスはどんな死に方だったのでしょうか。

 脳卒中になり神を呪ったロスでしたが、晩年、最愛の孫を可愛がり、娘のバーバラはそんな母を見て幸せに感じ、息子のケネスは最後の10年間を、子供の頃にできなかった母との触れ合いを埋め合わせる時間だったと語ります。

 やがて最期の時が近づき、「旅立ちの準備はできた?」と友人が訊ね、「まだよ」とロスが答えます。

 「どうやって、行く準備ができたとわかるの?」

 この問いに対するロスの答えに、私は感動しました。

 「旅立とうという準備ができた時には、頭の先からつま先まで体中で、全身でわかるわ」

 こんな名答は、1万人以上の死者を看取ったキューブラー・ロスにしかできないでしょう。

 やがて、駆けつけた娘のバーバラが「私たちここにいるのよ」と言い、母の背中を息子が抱き、娘が手を握り、親子は3人で環のようにつながりました。

 後日、バーバラが述懐します。

 「あれ以上うまくはできないという看取りでした。それは、母がいちばん望んでいた理想の死に方でした」

 ロスの死近心は、間違いなく最高の善心所だったように思われます。

 あれほど人のために生涯を捧げきったロスには、どうしても天界に再生してもらいたいと思わずにはいられません。

 解脱するまでには、まだハードルをいくつも越えなければならないのは確かですが、死の真実について、彼女ほど私たちに多くを教えてくれた人はいないでしょう。

 200484日、ロスは78年の生涯を閉じ、輪廻していきました。

 「死を怖れることはないのだ。死とは別の存在への誕生であり、死は事実上、存在しない」

 と、ロスはいまだに私たちに力強く語りかけ、誰もが立ち向かわなければならない死を安らかなものにしてくれているようです。

 

第7章 生きている死者

*瞑想ができない・・・

 ストレス・ランキングでは、どの調査でもトップは配偶者の死、次いで離婚や肉親・友人の死が必ず上位5位に入ります。掛けがえのない人を喪った悲しみは、瞑想修行が不可能になるほど深刻です。悲嘆や絶望のどん底ではサティは入らないし、たとえ入ったとしても、一時停止ボタンを必死で押し続けているに過ぎません。一身上の重大問題を抱えた状態では、瞑想中の妄想を止めることはできないのです。

 瞑想をしたければ、瞑想ができる環境設定をしなければなりません。愛する人を喪うという人生最大の苦しみと悲嘆を、どう乗り超えていけばよいのでしょうか。

 

*悲しみは癒えず・・・

 どんな激烈な悲嘆も、通常2年半から3年経てば、悲しみの先端が鈍くなり、身を裂かれるような哀傷の日々も徐々に色褪せ遠のいていくと言われます。鈍化するのは記憶の本質なのか、あるいは、生存本能のなせる業なのかもしれません。

 しかし東日本大震災から10年経過しても、いまだに悲しみが癒えず苦しんでいる人も少なくありません。

 「・・3/11からもう10年になるのに、目指すゴールがない。ゴールを見出せないでいるのだ。

 【めぐりくる また三月は 一里塚

  ゴール捜しの 人あまた往く】(3.11万葉集 詠み人知らずたちの10)

 

  悲しみに区切りをつけられた人と、終わりにできない人を仕分けている分水嶺は何なのでしょう。何が問題なのでしょうか。悲嘆を乗り超えた人も、いまだその渦中にいる人も、大切な死者の思い出が去来しない訳がありません。日に何度も断片的な記憶が飛び交っているのは誰も変わらないはずです。

 悲痛な記憶が浮かんでくることが問題なのではなく、その受け止め方や意味付け、残された者の心の中で死者はどのような立ち位置に納まっているのか、過去をどう捉えて生きていこうとしているのか、とどのつまり心の交通整理がどのようになされているか、が両者を分ける分水嶺になっているのではないかと思われます。

 人は今の瞬間ではなく、過去のことで苦しむのです。ネガティブな過去の経験が許せず、忌まわしい過去を受け容れることができないから生きるのが苦しく、今の瞬間に立ち往生しているのです。

 サンユッタ・ニカーヤ(神々との対話)には、次のような一節があります。

 神がブッダの傍らに立って、呼びかけます。

 「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」

 ブッダが答えます。

 「彼らは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。

 ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために萎れているのである。ーー刈られた緑の葦のように」(神々との対話ーサンユッタ・ニカーヤ)

 悲しいかな、森に住む聖者のようにはなれないが故に、私達はいまだに凡夫でいるのです。いつまでも死んだ子の歳を数えて苦しむのです。どうしたらよいのでしょうか。

 

*承認されない死

 48歳の若さで先立った寺山修司の母親が、「死んだ気がしない。ひょっこり帰ってくるような気がする・・・」と、老いが深まってもなお十年一日の如く呟いていたのが印象的でした。

 これは、愛する者の死を受け容れることができない人に共通の所感です。共に生きていた往時の妄想が際限なく繰り返され、頭では理解していても、死んだ事実を情緒的に受け容れることができず、心の底でその死を否定し続けているのです。

 訃報に接した瞬間の衝撃と混乱、その混沌状態のまま思考が停止してしまったかのような方もいます。母親ととても仲の良かった女性が、ある日突然、母親を喪い、父親と二人取り残されて傷心の日々を重ねることになりました。家の中は以前と変わらず綺麗に整えられていたのですが、亡母の居室だけは散らかったまま時間が止まってしまったようでした。

 何年かの歳月が流れ、あるきっかけから、女性はやっと母親の死を受け容れることができました。すると、その時から亡母の遺品整理に着手することができ、母親の居室は片づいていったと言います。

 

*別離のプロセス

 問題は愛する者を喪ったことではなく、死んでしまった事実が認められず、受け容れられないことです。「なぜ、なぜ、なぜ、死んでしまったの!」と声にならない絶叫が心の空洞に木霊し続けて固まってしまう・・・。

 こうした悲嘆が起きてしまうのは、多くの場合、心筋梗塞で急死したり、トラックに轢かれて即死したりの頓死や不慮の死です。何の心の準備もなくある日突然、死の事実に不意打ちされ、叩き伏せられ、言葉を失ったような状態です。

 朝、「行ってくるよ」と元気に出かけた家族が、その夜、霊安室で冷たくなっていた・・・。そんな突然の別離に、人の心は耐えられないのです。大切なものと別離するために必要なプロセスや手順を踏まず、一瞬にして絶望の谷底に突き落された衝撃に混乱すれば、立ち往生するのも無理からぬことです。

 もし死をあらかじめ覚悟して、心の準備を整える時間があれば、来し方を振り返り、共に過ごした歳月を語り合い、感謝を述べ、存分に惜別の時間を費やすことができれば、掛けがえのない人との永遠の別れを受け容れることができるでしょう。

 仕方がない。誰の身にもいつか必ず起きることが、起きたのだ・・・と諦めることができるのです。諦めは「四聖諦」の「諦」であり、悟ると同じ意味の「諦る」なのです。ブッダが讃える森の聖者ならぬ私たち凡夫でも、時を得て、無常を受け容れる充分なプロセスを経ることができれば、掛けがえのないものの喪失を乗り超えることができるのではないでしょうか。

 

*母の死

 私の経験をお話しすると、実家の母を2年間介護してその最期を看取り、オリジナルな家族葬で告別の会を催した後、私は檀家だった寺で墓の解体式を執り行なってもらいました。原始仏教では、人が死ねば直ちに転生すると考えられています。その輪廻転生論に基づいて瞑想を教えてきた者には、墓も仏壇も無意味なので、母の遺骨は散骨し、私の代で墓を閉じ、檀家を離れたのです。

 最愛の家族が他界し、葬儀やさまざまな後処理もすべて完了すると、自分自身に向き合う余裕が生まれてきます。通常このタイミングで初めて、心が悲しみに領され、喪失感や虚しさに襲われるものです。

 しかし私の場合、母を喪った悲嘆を最小限にできたと感じています。それは、まる2年間、母と起居を共にしながら、自分にやれる介護は全てやりきったという達成感と、日々心の中で告別を繰り返したからだろうと思われます。

 熟した果実が自然に落下していくように、80代後半の母が死んでいくのは確実なことでした。日に日に弱り、それまで出来ていたことが出来なくなり、自然の摂理のまま老い衰えて、死に向かっていく母の姿をスナップ写真のように心に焼き付けていったのです。

 例えば、母と夕方の散歩に出かけ、人影のない神社の境内で一休みする母の姿を眺めていました。母の頭上には、満開の枝垂桜の大木が枝を拡げ、ピンクの桜花が迫り来る夕闇に鮮やかさを失い、しだいに色褪せていく束の間の時の流れを感じていました。認知症が始まっていた母は、桜の木と同じように何も考えていない風情で、黙ってこちらを見ていました。老いて小さくなった母の姿と、色褪せていく枝垂桜が重なり合い、一瞬、落涙感に襲われました。ああ、これも見納めだ、もう二度と見ることがない最後の光景だ・・・と、無言で別れを告げながら心に刻み付けていました。

 何の景品だったのか、大きな紙風船をバレーボールのように飛ばして、子供のように喜んでいた母の笑い顔も、その後、急速に筋力が衰えて二度と同じ遊びはできなくなり、見納めになりました。

 「お母さん、死ぬことが人生最後の大仕事なのだから、きれいに、立派に、明るく死んでいこうね」と毎日のように話しながら共に暮らした2年の歳月・・・。それは、死の不安や怖れを母からぬぐい去っていくプロセスであり、私にとっては、生きながら緩やかに死者になっていくかのように、母の死を受け容れていくプロセスでした。

 

*死の受容

 3歳の娘がふと手を離れて横断歩道を走り出し、目の前で車に跳ね上げられ、即死するのを目の当たりにした母親は半狂乱となり、癒えることのない悲嘆が何年も続いたと言います。

 一方、小児癌の愛娘に死の宣告が下された母親がいます。この方はその後、娘のためにしてやれる全てのことをやり、残された歳月の一日一日を愛おしむように我が身を捧げ尽くし、悔いのない看取りと葬送ができました。

 愛児を喪った二人の母親の悲痛に大差はなかったでしょうが、その後の心の変化は大きく分かれました。

 母親の我が子に対する渇愛ほど強烈なものはない、とも言われます。この上なく無防備で生まれてくる人類の嬰児を、何としても守り抜くために組み込まれた本能のプログラムなのでしょう。子に対する親だけではなく、夫婦の絆も、兄弟姉妹や祖父母との関係の深さも、人類が群れを形成して生き延びるために必要な愛着であり愛執なのでしょう。

 掛けがえのない存在を喪ったドゥッカ()は誰でも同じでしょうが、そこから長く悲嘆を引きずる人と、乗り超えて自分の人生を生きていく人を分かつ分水嶺は、<死の受容>に尽きると思われます。

 死を受け容れることができなければ悲嘆が続き、死の事実を認め受容することができた者には、死者との新たな出会い直しがあるのです。

 

*受容の条件

 私の母の看取りをお話したのは、掛けがえのない人の死を受容するポイントが明確だと思われたからです。

 ①心の中で、存分に別れを告げること。

 ②ゆるやかに、時間をかけて看取ること。

 ③死は誰にでも必ず訪れるものと覚悟すること。

 ④やるべき介護や看取りを逃げずに引き受けて、悔いを残さないこと。

 時間をかけて、ゆるやかに高齢者の死を受け容れていく。これほど容易な死の受容はないでしょう。

 私の母は享年89歳でした。早すぎる死とは、誰も思わないでしょう。人生を十分に生き、天寿をまっとうした人の死を受け容れるのは難しいことではありません。死を覚悟した上で介護が始まり、心の中で告別を繰り返すことができるのです。

 不慮の死、早すぎる死、無残な死、理不尽な死、許しがたい死、無念な死・・・。いずれもその死が受け容れがたい不当なものと感じられるからこそ、癒しがたいグリーフ(悲嘆)となって苦しむのです。受容しがたいから、死の事実を否定し、それがおかしいことだと分かってもいるのでますます混乱し、混乱するので正しく理解できず、混沌とした悲嘆がさらに深まり固まっていき、時が虚しく過ぎていくのではないでしょうか。

 

*死すべき定め

 あらゆるものが因縁によって成り立ち、原因があって生起し、因果が帰結して壊れていくものがあり、滅ぶべくして滅んでいく・・・と仏教では考えています。あらゆることが、必然の力で生じ、否応のない力で滅していきます。

 どんな死にも偶然はなく、必然の力に催され、死ぬべくして死んでいくのです。アビダルマでは、死には4つの要因があると説かれています。

 ①寿命が尽きて死ぬ。

 ②業が尽きて死ぬ。

 ③両者が尽きて死ぬ。

 ④断業によって死ぬ。

 以上の4つが、ロウソクの火に譬えられて説明されています。

 ①の寿命が尽きる死は、ロウソクの芯が燃え尽きれば火が消えるように、生きものに本来定まった寿命が尽きれば死ぬということです。人間の場合は最長で122歳のフランス人女性がいましたが、それが限界です。単細胞生物は無限に分裂を繰り返しますが、有性生殖をする生物は細胞の分裂回数が定められているので、必ず死ぬように設計されています。

 ②の業が尽きて死ぬのは、ロウが無くなって火が消えることに譬えられています。ロウソクの芯(寿命)が残っていても、ロウが尽きれば火は消えるしかないのです。ロウは業の譬えです。人間本来の寿命は約120歳ですが、殺生戒を犯し、生きものの命を多く傷つけてきた人は短命になる業を荷って生まれてきます。命を大切にしてきた人は自らの命も大切にされる結果、長寿になるということです。

 ③は言うまでもなく、ロウと芯の両方が無くなって火が消えるように、業も尽き寿命も尽きれば当然死にます。 

 ④は、まだ十分燃えるだけのロウも芯も残っているのに、突風が吹いたり、水をかけられたりすれば火が消えるように、他の業を抹消するような強い不善業があれば、殺されたり、病死したり、不慮の死を遂げることになります。反対に強烈な善業が、短命に終わるはずの生涯を長らえさせることもあります。

 

*仏教の力を借りる 

 なぜ、こんなに幼くして死ななければならないのか。幼子を残し、自分を必要としている夫や病弱の親を残し、若い母親が死んでいくのは理不尽に見えるでしょう。しかし仏教的観点からは、家族を残して無念にも早逝しなければならない業を持った女性がいたということです。その子供には幼くして母を喪うカルマがあり、夫は人生の半ばで妻を喪い幼い子供と取り残される業を荷っていただろうし、愛娘に先立たれる業を持った老親がいたということでしょう。

 起きるべきことは必ず起きてしまうのが、業でありカルマです。何事も必然の力で生じ、否応のない力で滅していくのだから、起きたことは全て正しい、と我が身に生起した一切の事象を受け容れていく覚悟を定めるのが仏教を指針とする生き方です。

 一切の事象が業の力で作られていくプロセスを「行(サンカーラ)」と言います。行は業の別名でもあり、諸行無常とは、諸々のサンカーラによって形成されたものは必ず無常に変滅していく、ということです。仏教徒であろうとなかろうと、無常の真理にも因果の理法にも逆らえるものはなく、因縁によって生じたことは受け容れるしかないのです。無常に滅していくものに執着を起こせば、ドゥッカ()に苛まれるしかないでしょう。

 死が目前に迫ったブッダが、侍者のアーナンダに言います。

 「止めよ。アーナンダよ、悲しむな。嘆くな。私はあらかじめこのように説いたではないか。ーー全ての愛するもの、好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、作られ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということがどうしてあり得ようか。アーナンダよ、そのような理りは存在しない・・・」(涅槃経)

 執着が手放せず、悲嘆のさ中で苦しんでいても、目指すべき方向性が視野におさまっていれば、やがて手本の力で乗り超えることができるでしょう。

 

*父を看取る

 愛執を乗り超えなければ、瞑想は妨げられます。同様に、死者に対するネガティブな情念も妨害要因になるので、恨みも憎しみも後悔も手放さなければなりません。

 私の父の看取りは、母親とは異なるものでした。両親とも、やがて確実に訪れる死を覚悟しながら看取る流れは同じでしたが、私の心の中で展開したものは対照的でした。

 介護の苛酷さに耐え抜くために、父の看取りにはサティの瞑想が必要不可欠でした。母の介護も最終ステージになると、体力の限界ギリギリまで追いつめられましたが、ドゥッカ()を乗り超えるためのサティよりも、愛執にのめり込まないためにマインドフルネスが必要だったように思われます。

 瞑想の妨害要因である「五蓋」の1番と2番は「欲望」と「怒り」です。欲望系の愛執も怒り系のネガティブな情念も、心に刺さったまま残れば、瞑想は妨げられるのです。 

 肝臓癌の父が入院した時には、余命は3ヶ月、最期は肝臓で解毒できなくなった毒素が全身に回り混乱が生じるだろう、と明確に告知されていました。家の中に生涯引き籠っていた父が、死ぬために家を出るとは知らされずに車に乗り込む姿を眺めながら、落涙を禁じ得ませんでした。もう二度とこの家に戻ることがないのは確定しており、文字通り、これが父が家を出る最後の光景・・・と脳裏に焼き付けながら父の隣に同乗しました。鮮烈な記憶として、いまだにありありと思い浮かべることができます。

 以来3ヶ月、私は毎夜父の病室に泊まり、夜中に何度もオムツの交換をしながら、極めて苛酷な最後の日々を父と共に過ごしました。毎日、夕方になると家を出て、戦場に赴く兵士のような気合で病院に向かい、病室では厳密に、あらゆる動作にサティを入れまくり、ネガティブな妄想を徹底的に排除しながら父の世話をし、傍らのベンチに横臥して付き添いました。

 終末の刻限がはっきり予告されていたので、自分の体力のペース配分をしながら、一日一日、残りわずかになっていく砂時計の砂を眺めるように、長い確執のあった父との関係を総括しながら、心の中で別れを告げる日々でした。

 医者の宣告どおり正確に3か月後、父は逝去し、私の看取りは終わりました。ヘトヘトになっている私を見かねて、付添婦を雇う提案をしてくれた人もいましたが、長きに渡って激しく憎悪した父に償わずにはいられず、自分の手で父の髭を剃り、体を拭き、排泄の世話まですることによって罪滅ぼしの一環としたかったのです。

 もし父の介護を人任せにして、外国の僧院でどれほど奮闘しても、後悔や自責の念に苛まれ、必死で自己正当化する葛藤の日々になったでしょう。重要な他者とのネガティブな因縁を解かずに、聖なる修行が完成することはないのです。後悔という怒りの棘を抜き去り予見し、正しい選択をすることができたと考えています。

 後悔という怒りの棘が心に刺さらない手筈をととのえ、十分な別離のプロセスを経たことにより、父の死は完全に受容され、きれいに鬼籍に入って、私の中で過去形になっていきました。

 

*死者との出会い直し

 「死の事実を認め受容することができた者には、死者との新たな出会い直しがある」と申し上げました。「出会い直し」とは何なのでしょう。

 「死者は、二度死ぬ」と言ったのは、東工大教授の中島岳志でした。一度目の死は、肉体的に死亡した時。二度目の死は、残された者から完全に忘れ去られ、忘却の闇の果てに消え去った時だと言います。

 2011年4月に、中島は「死者と共に生きる」という文章を書き、東日本大震災の被災者を中心に大きな反響を呼びました。

 「死者はいなくなったのではなく、死者となって存在している。生者には必ず死者と<出会い直す>時が来る。関係性が変わるのです」と言う中島には、こんな体験がありました。

 ある日の深夜12時過ぎに帰宅した中島は、翌日〆切の原稿があったことに気づき、仕方なく過去の原稿を適当にアレンジして書き上げました。送ろうとした時なぜか1ヶ月前に亡くなった編集者の眼差しが感じられ、「見られている」という気がしました。特に道徳的なことを言うようなタイプではなかったのに、『そんな原稿を送っていいのか・・・』と言われたような気がしてハッとなったのです。それから思い直して、明け方までかかって納得のいく原稿を完成させました。ベッドに入って、これはどういうことだったのか考えた結論が 「彼はいなくなったのではない。死者となって存在しているのだ。私は亡くなった友人と<出会い直し>たのだ。これからは死者となった彼と一緒に生きていけばよいのだ」ということでした。

 

*死者と生者の共生 

 「生きている死者とは、かつてこの世に生きていた人達であり、死してなお、忘却されずに記憶の中で生き続けている人達である。彼らこそが、現在生きているわれわれを支え、世の中を支えている・・・」

 歴史学者でもある中島は、この「生きている死者」をさらに歴史のレベルにまで拡大させています。過去の賢者の智慧に学ばずして、今を正しく生きることはできない。「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく・・・」と言うポール・ヴァレリーに言及し、過去を直視しなければ、人は真っ直ぐ前に進めない。歴史に学ぶことは、死者と共に生きることだと強調します。

 確かに、ブッダは2500年前に亡くなりましたが、ブッダならこの場合どうするのだろう・・・と私も常に考えています。こんな場合にブッダはどう言っていたのかを必ず参照し、ブッダの言行録(「ダンマパダ」などの経典)が私の規範であり、行動指針になっています。つまり、私の中ではブッダは常に生きていて、人生を共に歩んでくださっているようなものです。2500年経った今でも、ブッダは私から忘却されていないのです。

 

*仏壇効果

 掛けがえのない人を喪った悲嘆を乗り超える仕事は、死者を心の中で真の「生きている死者」にすることです。愛執に目が眩めば、愛し合って共に生きていた過去に封印されたまま死が否定され、死者が死者になり切れず、死なせてもらえないのです。死を受け容れないとは、そういうことです。

 母が火葬されるまでの3日間、私は母の遺体と共に暮らしていました。真冬の庭石のように冷たくなっても、母の顔は生前の面影を失ってはいませんでした。火葬場の焼却炉の扉が開き、花に埋もれた母の棺を自分の手で炎の中に送り込んだ瞬間、胸が締めつけられました。2時間後、焼却炉の中から現れた母の姿は一回りも二回りも小さくなった骨と灰に化していました・・・。それを眺めた瞬間、母が消滅した!という印象が駆け抜けていき、私の心は完全に母の死を受容していることに気づきました。つまり、それまでは私の中で母の死は微妙に完成しておらず、真の死者にはなり切れていなかったということです。

 死の事実を受け容れない限り、死者は「生きている死者」になれず、死者との出会い直しが起きることもないでしょう。人は、肉親であれ歴史上の人物であれ、「生きている死者」と心の中で対話し、導かれ、影響されながら生きていくのが本来です。

 「勉強しない子は、鮎になりなさい」と魚類学者の誰かが言っていました。記憶や学習が継承されなければ、鮎と同じように遺伝情報だけで生きていくしかありません。人類は、先人の文化や知的遺産を最大限に活用しながら生きていくのです。知的な情報だけではなく、立派な家族が亡くなれば、ご先祖として子孫の手本となり情緒的拠りどころとなり、やがて氏神として神格化されていくこともしばしばです。

 私の立場では、墓石も仏壇も無意味だと申しましたが、「仏壇効果」の有効性は信じられるものです。愛する家族の死が受容され、生きた死者となれば、故人の遺影や位牌が納められた仏壇は恰好の対話の場所になるでしょう。日々、祈りを捧げ、守られている安心感が得られる効果もあるだろうし、悩みを打ち明ける心のカウンセラーにもなり得るでしょう。

 霊的直感に優れた人なら、スピリチュアルな存在となった死者とのコミュニケーションもあり得ますが、少数派の例外です。大方の人は、内面の自問自答が死者に託されているだけでしょう。それでよいのです。個人としての妄想は、利己的な煩悩にまみれたものがほとんどです。しかるに、生きた死者はなぜか立派になり、私達の良心を代弁する存在に変わる傾向があります。中島岳志の友人も、道徳的なことを言うタイプではなかったのに、倫理的であれ、と中島を諫める存在に変容しています。生きた死者というものは、私達の善なる側面を炙り出してくれる機能があるのかもしれません。人の目はごまかせますが、常に誰かに見られているという意識は、悪しき心を抑止する効果があることは間違いありません。覆面を被り正体が隠されると途端に悪心が露わになり、こちらを監視している畏怖すべき眼差しがあると思えば善心が現れるのです。「生きている死者」が、道を踏み外さないように導いてくれるかのようです。

 

*死者が引き継ぐいのち

 春日大社の宮司さんから、小児癌で亡くなった娘サキちゃんの話を聞いたカメラマンの保山さんがこんなことを言っていました。

 「自分が会ったこともないサキちゃんのために、何かいい映像を撮りたい。サキちゃんが一番大好きだった御蓋山に虹がかかるのを撮りたい。そうやって強く念じたら、十秒くらいしか出なかったその虹が撮れた。それはどう考えても、自分がやった仕事とは思えない。ということは、会ったこともなく、とっくに死んでいるサキちゃんと、心のつながりができたような気がするのですよ」

 さらに、こうも言っています。

 「自分はもうすぐ死ぬかもしらないけど、自分が死んだ後、自分の映像を見る人もいるだろう。ちょうど自分がサキちゃんとの間につながりが感じられたように、死者は誰かのために存在し続けるのではないか」と。

 赤の他人であっても、歴史上の人物であっても、いわんや愛し合い共に人生を生きた家族であるならば、死者は、後に続く者の心の中に生き続けるでしょう。死者と生者が正しく共生するために、死の事実をありのままに受容することが何よりも大切です。それは、執着という名の妄想に気づいて手放す営みであり、ヴィパッサナー瞑想の本質を実践することと同じなのです。

 

 




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