月刊サティ!

2024年10月号  Monthly sati!     October  2024

 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:ラベリング論(2)
   ダンマ写真
  Web会だより ー私の瞑想体験ー:
         【グリーンヒルのベスト瞑想者賞をいただきました(笑)】(1)
  ダンマの言葉:『私たちの真の家―死の床にある老在家信者への法話』(2)
  今日のひと言 :選
  読んでみました :加藤直樹著『ウクライナ侵略を考える
                   ー「大国」の視線を越えて」(アケビ書房 2024)

  ちょっと紹介を!:キム・ウォニョン著、五十嵐真希訳
     『だれも私たちに「失格の烙印」を押すことは出来ない』(小学館2022)
        

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。

 
     

 
     巻頭ダンマトーク  
   【ラベリング論】 第2回 「言葉の力」

 *智慧と直結するラベリング
  ラベリングにはさまざまな機能があり、「気づき」が持続するのも、認識の正確さが増すのも、一瞬の経験に対して心理的な距離が取れるのも、メタ認知や自己客観視が可能になるのもラベリングのおかげだと言ってよい。
  瞑想の智慧が発現してくるプロセスとは、「気づき→観察→洞察」とサティの瞑想が深まっていく一連の流れのことだが、その重要な進行役を担っているのもラベリングである。「見た」「聞いた」「感じた」「考えた」とサティを入れた次の瞬間、意識が何にフォーカスされていくか。無意識に次の知覚対象が選ばれているようだが、ラベリングの言葉の影響を大きく受けているのである。
  例えば、電線から鳩が飛び立つのが目に入ったとする。次の瞬間、鳩にまつわる連想や、電線の連想からムクドリやスズメが浮かぶのはごく自然な展開である。
  このとき「見た」とラベリングすると、心のドミノは鳩や電線に向かって倒れず、「自分は見たのだ」という印象が強化される。これは「見た」という言葉が、視覚的な経験をした事実に意識をフォーカスした結果である。
  あるいは、「見た」の言葉に反応し、さっき輪ゴムが床に落ちているの見たのを思い出す人がいてもおかしくはない。一瞬にして脳内では、視覚体験にまつわる出来事の検索に意識がフォーカスしたからだろう。
  さらに、「見た」とラベリングした瞬間、ただ視覚が情報処理をしただけに過ぎないと確認しながら中心対象に戻っていく瞑想者もいる。
  このように、意識が絞り込まれる方向はさまざまだが、心が次に経験すべき事象はラベリングの言葉によって大きく左右されていく。自分のラベリングの影響を、自分自身が最も強く受けていると言ってもよい。

*煮豆を落とした
  ラベリングが浮かぶ一瞬には、その人の知性や人生の来歴全体が関わっているので、どんなラベリングがなされるかで瞑想者の内面が深堀りされてもいくだろう。
  例えば、食事の瞑想で煮豆を食卓に落とした瞬間、「失敗」とラベリングした人がいる。面接で「落とした」のラベリングのほうが自然なのに、なぜ「失敗」とラベリングしたのか訊いてみた。すると厳格な家で育ち、立居振舞や箸の上げ下ろしなど非常に厳しく躾けられてきた背景が浮かび上がってきた。外面的なことを気にしたり、完全主義で苦しんできた由来が垣間見えてきたのである。
  煮豆を落とした瞬間、失敗した事実よりも失敗を嫌悪する心が強かったら「嫌悪」とラベリングしただろう。上手くやれなかった自分に対する嫌悪よりも、完全主義で苦しんできたことに対する「怒り」のラベリングもあり得ただろう。失敗を恥じる心が優勢だったら「羞恥心」「人の目を気にしている」「見栄」などとラベリングしたかもしれない。
  いずれにしても、言葉の力を使わなければ漠然とした心の状態を明確化しながら観察を深めていくことは至難の業となる。その言葉の力とは、言語の特性なかでも「分析」と「抽象」がラベリングとしての中心的な役割りを果たしている。そこでまず、言語を持たないが賢くて知能の高い動物と比較することによって、「分析」と「抽象」について考えてみたい。

*タイの象画伯

  霊長類をはじめイルカや豚やミヤマオウムの知能は非常に高く、最も頭のよい犬とされるボーダーコリーは異なる玩具の名前を1022個も記憶する学習能力や優れた問題解決能力を持っている。象も非常に知能が高く、鏡を見て自分であることを理解する鏡像自己認知テストにも成功している。象が鏡を見ながら口の中を点検している記録映像を見て「へえ」と感心したことがあるが、それ以上に驚いたのは、象の空間認識能力と視覚処理能力の高さである。タイには素晴らしい絵を描く何頭もの象画伯がいて作品を購入することもできるのだが、ほとんどが売約済みのようだ。

  

              

  上記の写真のように、象は器用に絵筆をふるい観光客の前で絵の製作過程を披露したりもする。骨や関節がない象の鼻は約10万にも及ぶ筋肉と腱から成っており、巨大な丸太だけではなく地面に落ちた1本のつま楊枝を拾い上げることもできるほど柔軟に動かすことができるのだ。

  下の写真の花の絵には、象のやさしさが構図にも色彩にもあふれているように思われる。白く中和されたピンクの花、繊細に描かれた山道、山肌の緑が黄緑色の叢につながり明るい黄色に輝いている。驚くべき画伯たちの絵は、象の色や形に対する視覚能力が人間と変わらないことを示唆している。

                 

  象の優れた認知能力は、分析力や抽象能力もふくめ、こうした視覚能力に基づく映像思考によって司られていると考えてよいだろう。
  イメージを中心とした思考システムがすべての動物に普遍的なのは、駅舎やどこにでもいる鳩が数千の視覚パターンを認識し、記憶し、区別できることからも納得できる。鳩の高次視覚概念研究は数多く行われ、図形、パターン、個体、食物、絵画などの認識能力が示されていて、例えば、ピカソとモネの絵を識別する訓練を受けた鳩は、初めて見る両者の絵でも見分けることができるのだ。ピカソとモネの特徴を分析し、映像思考で抽象化した結果とも言える。

*カラスもササゴイも考える
  ササゴイの擬似餌漁(ルアーフィッシング)は、言葉を持たない動物でも分析力や抽象能力を立派に活用している証左だろう。熊本県の水前寺公園で、人が魚にパンやポップコーンを投げ与えるのを観察していたササゴイが独自のルアーフィッシングを編み出して人気となり、多くの観光客がやってくるようになった。
  ササゴイがパンのかけらなどを拾って水面に浮かべ、魚をおびき寄せては一瞬にして捕食する背景には、「観察」「分析」「抽象化」「一般化」など高度な認知的処理能力が認められる。ササゴイは人間の行動と魚の反応との因果関係を分析し、その本質を独自の狩猟行動に応用しているのだ。
  岐阜や福島のササゴイは葉っぱや羽毛や小枝を撒き餌に使っているし、クチバシで水面を突いて波紋を作り出しては魚をおびき寄せるササゴイもいる。この波紋漁法は、水面に落ちた葉っぱや昆虫が作る波紋に誘われた魚を観察して編み出されたと推測されている。つまり魚の餌の概念を一般化して自然物の小枝や葉に拡張され、さらに波紋にまで抽象化と概念形成能力が及んだことを示唆している。

  ササゴイよりも頭がよいとされるカラスは鏡像自己認知にもマシュマロ・テストにも合格するし、道路に硬いクルミを置いて走行車に割らせて中身を食べることもできる。クルミと路面とタイヤとの因果関係を理解し、車の走行頻度や速度を視覚情報から判断し、最も効率的な位置にクルミを設置することができるのだ。
  情況を把握し、分析し、推論し、問題を解決するカラスの能力は動物たちのなかでもトップクラスだが、こうした高度な抽象能力や分析力も、人間と比べれば雲泥の差があり、足元にも及ばないことは言うまでもない。その決定的な違いは、人類が進化させた言語能力に由来する。ものごとを概念化し、どんな対象も記号化して自在に操作できる言語の特性は、動物たちの映像思考による分析力や抽象能力を異次元のレベルにまで飛躍させたのである。

*言語の奇跡
  視覚的情報や身体感覚の体験に基づく動物たちの映像思考は、イメージの個別性に制約され縛られるので、シンボル操作は限定的にならざるを得なかった。しかるに約7万年前に言語能力を得た人類は、記号として言葉を使い、あらゆるものに無制限に名辞できるようになったのである。
  今まで個別のイメージで認識していたものに「山」と名づけ、「太陽」「月」と名づけ、「手」「頭」「闇」「稲妻」・・・と、どんなものにも名前を付けてシンボル操作ができるようになったのだ。その結果、凄まじい抽象化の進化が起きたことは言うまでもない。
  それまで視覚や聴覚、嗅覚、触覚などによって直接とらえていた対象が概念として頭のなかで再編され始めたのだ。例えば、「雨」「川」「滝」「滴」など個別のイメージが【水】という一つの言葉に集約されることで、異なったものに共通する概念が抽象されて自在にシンボル操作ができるようになったのである。人類史上最も激烈な認知的革命が始まったといえるだろう。
  映像思考では、「魚」は秋刀魚やホオジロザメやチョウチンアンコウなど特定のイメージが付随してしまうが、言語思考では、メダカから巨大なジンベエザメまで魚類全般を普遍的に示すことができる。さらに「動物」や「生物」といった上位概念のカテゴリー化が可能となり、漠然としていた世界が構造化されて認識できるようになったのである。

*名前の衝撃・・
  冷たい井戸水を手に受けたヘレン・ケラーが、「water(ウォーター)」が「水」を意味することを知った瞬間、あらゆるものに名前があることに衝撃を受け、帰り道で一気に30もの単語を覚えたという。手に触れたどんなものにも名前があり、その意味を知り、言葉という記号を使って自在に表現し、伝え合うことができる認知世界に分け入ったのである。ヘレンの人生にとって、最大の革命的な瞬間だっただろう。どんな物にも、感情にも、状態にも、関係にも、名前があり、意味を知り、理解することができ、大切な人たちとコミュニケーションできることを知った感動である。
  ヘレンとは逆に、7万年前に言葉を得た人類は、ありとあらゆるものを次々と無制限に名辞できる感動に打ち震えただろう。ピンポイントで対象を指示し、狩りの現場でも日常生活でも、互いの意志を正確に伝達し合うことができるようになったのだ。のみならず、目の前の物や現象を正確に、詳細に理解し、分類する能力が飛躍的に向上し、その結果、記憶する能力も、記憶世界を整理し、構造化して認識世界を構築できることにも、欣喜雀躍したと思われる。
  ヘレン・ケラーはあらゆるものに名前があることに感動し、7万年前の人類はあらゆるものに名前が付けられることに感動したのである。

*マージ(併合)
  それだけではない。言語の最大の特性の一つは、複数のシンボルを結びつける「マージ(併合)」という機能である。例えば、「白い」と「犬」を組み合わせて「白い犬」と表現することができる。単語を自由にマージ(併合)しながら複雑な概念を果てしなく生成し、感情や時間、因果関係、法則性など、高度な抽象概念が操作できるようになったのである。
  例えば、「うっかりミスに対する執拗な自己嫌悪はプライドに由来していた」という心理状態は、マージがなければ「うっかり」「ミス」「執拗な」「自己嫌悪」「プライド」「由来」と情報が断片化され、全体の概念が把握できなくなるだろう。しかるに、マージの併合する力によって相互関係や因果の流れまで分析して正確に表現することができるのだ。
  動物たちの分析力や抽象能力がいかに優れているかを見てきたが、どんなものにも名前が付けられる言葉の無限の生成力とマージの機能によって、人類の認知能力は異次元のレベルへと爆発的な進化をとげていったのである。

*一本の帯のように・・
  かつて森林僧院に籠もって修行していたある日、計画どおり、ラベリング無しの歩く瞑想を開始した。集中力が高まり、「離れた」→「進んだ」→「触れた」→「圧」とセンセーションが常ならぬ鮮明さで感じられた。ところが、歩行感覚が4つの分節に区切れなくなったことに戸惑い、ショックを受けた。身体実感が、離れた進んだ触れた圧・・・、はなれたすすんだふれたあつ・・・と一本の帯のように、ただ滑らかに推移し、起伏しながら流れる水流のように変滅していくだけになってしまったのだ・・・。
  言葉がなければ、区切ることができない! 

  このとき連想されたのは、脳卒中で左脳の言語野に深刻なダメージを受けた脳科学者ジル・ボルト・テイラーの述懐だった。
  浴室でシャワーを浴びていたジルの脳卒中が進行するにつれ、彼女は文字が読めなくなり、しゃべろうとしても動物のうなるような声が洩れるだけになり、やがて壁や周囲のものと一体化する不思議な融合感覚を経験していった。
  言語野が停止すると、言葉を失うと、ラベリングがないと・・・、対象と自分を明確に分別することができず、自我感覚が崩壊し、存在と自分が融け合い渾然一体となってしまうのだ。(「奇跡の脳」)

*仏教の分析論
  ものごとを個々別々の要素や分節に区切ることができるのは、言語野が司る言葉の力に由来している。人類の分析力が他の追随を許さないレベルにまで爆発的に進化したのも、言語に固有の仕分ける力に端を発している。言葉がなければ世界はカオス状態となり、何がなんだかわからない「無明」のなかに逆戻りするだろう。
  その混沌状態を構成因子や要素に仕分けて明確にしていく手順が原始仏教の分析論であり、智慧の技法でもある。得体の知れない無明の塊を分析し、要素に仕分け、その本質を抽象して真実の状態を洞察していく観察の瞑想である。気づき→観察→洞察・・・と智慧の瞑想を深めていくのに、ラベリングの力を使って分析や抽象化の方向へ視座を導いていくプロセスが不可欠となる。
  言語には分析や抽象だけではなく、伝達性や共感性、再帰性、自己観照機能など、多くの特性がある。その言語の構造に深く根ざしているラベリングについてさらに考えていこう。(以下次号)

 今月のダンマ写真 ~
  
   
念持仏

先生より

    Web会だより -私の瞑想体験-
 【グリーンヒルのベスト瞑想者賞をいただきました(笑)】(1)
                                           飾間浩二
①瞑想に出会うまで
   今年の2月に朝日カルチャーのオンライン講座を受けたとき、先生に今の瞑想修行の現況を報告すると、すごく褒められ驚きとともに、とても嬉しい出来事でした。
   その時送ったメールというのは以下の内容です。

   【現在一日の行いとして、朝起きてからはなかなかサティが入らず、通勤は車で25分ぐらいですので、乗ったらまず慈悲の文言を唱え、その後はスマホで先生のYouTubeを聞くか、月刊サティを音声アプリで聴いています。
   月刊サティはバックナンバーを順番に、ひとつの号を23回繰り返し聴いています。
   会社の手前でもう一度、慈悲の文言を唱え、仕事中は日によりますが、わりとサティの入れやすい仕事なので、特に午前中は56割はサティを入れています。
   帰りも、車のラジオで少しニュースを聞いて、また月刊サティを音声で聴いてます。
   夜はほぼ毎日、三帰依で始まり、懺悔の瞑想、慈悲の瞑想、呼吸法をしたりヨガのアサナをする日もあり、その後メインは歩く瞑想、集中できそうなら最後に座る瞑想(サティの瞑想は30分程度)が、だいたいの日課です。
   今までほぼ座る瞑想ができなかったのですが、最近少しだけお腹の感覚がつかめるようになったのと、眠気が出ない日も時々あるようになりました。
   今は、もう少し1日の中でサティを入れるようにしたいと思っています】

   私は軽い気持ちで現状報告しただけで、ダメ出しされるかあるいは もっとこうした方が良いと指導を受けるとばかり思っていました。
   ところが内容をご覧になって先生から「グリーンヒルベスト瞑想者賞を上げたいぐらいです」と笑いながらだがおっしゃっていただき、さらに「もう言うこと無しですね、素晴らしい。ここまでやるとは思っていなかった」とも付け加えていただきました。
   まさか自分が・・・?
   この年(62)で人に褒められることも、認めてもらうことも、ほぼ皆無になって久しく、ほんとに驚きました。
   そこで先生にも勧められ、ここに至るまでのお話を今回投稿させていただくことになりました。

   私は若い頃からスポーツをするのが好きで、結構練習熱心なのですが本番に弱く、プレッシャーにいつも負けて好成績が出せないことがあり、心を強くしたいという思いがいつもありました。
   そんなときに速読というものを知り、集中力が高まる説明があったので、通信教育の講座を受けました。
   その講座の中にイメージトレーニングや、集中力を高めるために、白い紙に直径2㎝ぐらいの黒い点を書いて、30分ぐらいじっと見つめるというのがあって、それが瞑想らしきものとの出会いで、ずっと続けていると紙が歪んで見えたりして、とても気持ちがよくなり、速読そっちのけで点ばかり見つめていました。
   ちなみに、半年ぐらいの講座終了後、読書スピードは2倍〜3倍にはなっていたのですが、自分の思うスピードには遠く及ばず、こんなものかと諦めてしまいました。

   その後30歳のときに高校からずっと付き合いのあった友達が自殺をして、このとき始めて死というものを意識し、生きるとは?死ぬとは?人はどこから来てどこへ行くのか?と頭のなかをグルグル回っていました。
   このことがあってあたかも現実逃避をするようにいろんなものに手を出しました。マラソン、空手、山登り、それに元々ソフトボールもしていましたし、バイクにも若い頃からずっと乗っていました。が、何をしても氣が紛れることもなく、友達の死をなかなか受け入れられないで、1年ぐらい過ごしました。
   そのころ初めて山登りをしたとき、息も絶え絶えで頂上付近でふと振り返ると、空に大きな仏像が3体ぐらい表れ、その中の1体の大きな仏様に優しく微笑みかけられ、その姿を見た瞬間、「すべて許せる」というような気持ちになり、穏やかな気持ちになったのを今でも覚えています。
   意識はハッキリしていたので、幻ではないと自分では思っていますが、脳のいたずらなのか、未だに何が起きたのかわかりませんが、あのときの平安な気持ちをずっと追い求めています。
   これが最初の神秘体験でした。
   友達の死をキッカケに「何か」を求め、さまよっていたとき、36歳で氣功に出会いました。
   以前から心が強くなりたいという思いと、病気を治したり、触れないで人が飛んでいくことに興味を持ち、氣功教室を探し、その時もほんとに不思議なご縁で東京の先生との出会いがありました。(私は大阪在住です)
   氣功をやればやるほど、不思議なこともいろいろ体験しました。

   氣功の先生も不思議な人で、俗に言う神のお告げが降りてくる人でした。世のため人のため日本全国の神社仏閣を祈り歩いておられ、何度か同行させてもらいました。
   ただ、ほとんど氣のことも信仰も、何がなにやらわからないまま月日は経ち、その間、非常に面白い時間になったのですが、ある時ぐらいから「それが何?」と疑問を持ち、氣功の先生と距離を置くようになりました。
   最近、物理学者などがこの世に起こる不思議な現象を、素粒子の話を用いて説明したりしている本やYou Tubeなどを見て、ずっと不思議に思っていたことも、そういうことも起こるのかなと少しは理解できました。
   
   ちょうどこの頃ヴィパッサナー瞑想と、自分の中では奇跡の出会いと思うような出来事がありましたので、そのへんの話をさせていただきます。
   私は、ある会社の下請けの小さな工場を経営していましたが、43歳のとき親会社の近くの工場が空いたので引っ越しをしてこいと言われ、それを断ったらこの先は取引をしないぞ、とのニュアンスをちらつかせてきました。
   その社長とは元々馬が合わないし、もう仕事も辞めたいとも思いましたが、生活もあったので辞めることも出来ず、行くしかない状態に追いやられました。
   頭の中はずっとそのことで一杯で、寝ても覚めても他に仕事はないか、なんとか行かなくていい方法はないか、引っ越し費用、移転先の工場の改装費用や設備投資等々で、借金が膨れ上がって、あーなって、こうなって、ペシャンコになって、と悪いことばかり考える日々が続き、とうとう軽い鬱になりました。(つづく)

    

   五行川蓮池@下館

先生提供
 






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ダンマの言葉

          
 『私たちの真の家―死の床にある老在家信者への法話』 (2)
アチャン・チャー 

「月刊サティ!」20051月~20055月号に掲載されましたタイの名僧アチャン・チャーによる法話の第2回です。

私たちの真の家―死の床にある老在家信者への法話(1)
   さあ、法に敬意を払いながら話を聞こうと心に決めなさい。私が話をしている間、ブッダご自身があなたの前に坐っておられるかのように、私の言葉に集中しなさい。目を閉じて、リラックスして、心を落ち着かせ、一点に集中しなさい。完全なる覚者に敬意を示すために、智慧、真理、清浄の三宝を、謙虚な気持ちで心にとどめなさい。

   今日、あなたに渡すような物質的な物は何も持ってきていません。持ってきたのはブッダの教えである法だけです。良くお聞きなさい。あなたが理解しなければならないことは、大いなる徳を積み上げたブッダ御自身でさえ肉体の死を避けることができなかったということです。ブッダは老齢に達されると、肉体を捨て、その重荷から解放されました。ですから、あなたも多くの年月を自分の肉体に頼ってきたことに満足することを学ばなければなりません。もう十分だと感じるべきなのです。
   このことは、あなたが長い間使ってきた食器――例えば、皿やコップや受け皿――に例えることができます。最初に手にした時にはきれいで輝いていたのに、長い間使うと傷み始めます。既に壊れてしまった物もあるし、無くなってしまった物もあります。残っている物はますます痛んでしまいます。食器には安定 した形状などありません。食器の本性はそういうものなのです。

   あなたの肉体も同じです――生まれたまさにその日から、幼年期、青年期を経て、老人となった今に至るまで、常に変化し続けてきました。そのことを受け入れなければなりません。ブッダは、「諸々の条件(行、サンカーラ)は、内的条件であれ、身体的条件であれ、外的条件であれ、無我であり、その本質は変化することである」と言われました。はっきりと理解するまでこの真理についてよく考えなさい。
   ここに衰弱して横たわっている非常に小さな肉の塊はサッチャダンマ、すなわち真実です。この肉体の真実はサッチャダンマ(真理の法)であり、それはブッダの不変の教えなのです。ブッダは私たちに、「肉体を見て、肉体についてよく考え、その本質を受け入れなさい」とお説きになりました。私たちは、肉体がどのような状態にあろうとも、肉体と平和に共存しなければなりません。ブッダは、「牢獄に閉じこめられているのは肉体だけであって、肉体と共に心も閉じこめられてはならないことを私たちは確認すべきだ」とお説きになりました。
   ですから、歳を取るにつれてあなたの肉体が衰え、朽ち始めたとしても、それに抵抗してはいけません。心を肉体と共に朽ちさせてもいけません。心は切り離しておくのです。物事のあり方の真理を理解することによって、心にエネルギーを与えるのです。ブッダは、「これが肉体の本性であり、他のあり方は存在し得ない――すなわち肉体は、生まれたからには、歳を取り、病にかかり、そして死ぬ」とお説きになりました。これが、あなたが今直面している大いなる真理です。知恵をもって肉体を見てそのことを理解しなさい。

   あなたの家が洪水に流されたり、全焼してしまうなどどのような危険に脅かされようと、関係するのは家だけにしておきなさい。洪水があったとしても、あなたの心まで洪水に流されてはいけません。火事があったとしても、あなたの心まで焼かれてはいけません。洪水で流されたり火事で焼かれたりするのは、あなたの外側のものである家だけにしておくのです。心が執着から離れるのを許しなさい。機は熟したのです。
   あなたは長い間生きてきました。目はとても多くの形や色を見てきました。耳は非常に多くの音を聞いてきました。あなたはとても多くの経験をしてきたのです。そして、それはそれだけのこと――単なる経験でしかないのです、あなたはおいしい食べ物を食べてきましたが、おいしい味はすべて単なるおいしい味でしかなく、それ以上のものではありません。まずい味は単なるまずい味、それだけのことです。目が美しい形を見たとしてもそれだけのこと、単に美しい形でしかありません。醜い形は単に醜い形でしかありません。耳は魅惑的で美しい音を聞きますが、それ以上のものではありません。耳障りな不協和音も単にそれだけのものでしかありません。

   ブッダは、「金持ちであろうが、貧乏人であろうが、若かろうが、年寄りであろうが、人間であろうが、動物であろうが、この世のいかなる存在も自分自身を長い間ひとつの状態に維持することはできず、すべてのものは変化と分離を経験する」と言われました。これは私たちが変えようとしても変えられない生命の真理です。しかし、ブッダは、「私たちにできることは、心と体についてよく考え、心と体が無常であることを理解し、心も体も『私』や『私のもの』ではないことを理解するようになることだ」と言われました。

   心も体も一時的な実在でしかないのです。それは、この家と同じです。あなたのものであるのは単に名義上のことでしかなく、どこにも持っていくことはできません。これはあなたの財産や所有物や家族についても同じです――名目上あなたのものであるにすぎません。本当はあなたのものではありません。大自然のものです。でも、この真理はあなただけに当てはまるのではありません。誰でも、ブッダやブッダの解脱した弟子たちでさえ同じ立場にいます。ブッダと私たちが違うのはただ一点にあります。それは物事をありのままに受け入れる、という受容の仕方であり、それ以外にはあり得ないことをブッダたちは理解していました。

   ブッダは私たちに、「この肉体を足の裏から頭の上まで、そして今度は逆に頭の上から足の裏まで入念に見て、吟味しなさい」とお説きになりました。肉体をちょっと見てご覧なさい。どういうものが見えますか。そこに本質的に清らかなものがありますか。変化しない本質を見つけることができますか。この肉体のすべては着実に朽ちつつあるので、ブッダは私たちに、「肉体は私たちのものではないことを理解しなさい」とお説きになりました。
   肉体がこのように変化するのは当然のことです。なぜなら、すべての条件付けられた現象は変化するからです。どうやって肉体のあり方を変えることができますか。実際、肉体のあり方に問題はありません。あなたを苦しめているのは肉体ではなく、あなたの間違った考え方なのです。正しいものを間違った見方で見れば、必ず混乱が生じます。
   これは川の水と同じです。水は、低い方に流れ下るのが自然であって、高い方に上ることはありません。それが水の本性です。ある人が川岸に行ってそこに立ち、水がすみやかに下流に流れて行くのを見て、愚かにも上流へ流れ戻ることを望んだとしたら、その人は苦しみます。その人が何をしていようとも、考え方が間違っていれば心の平安は得られません。間違った見解を持っていると、流れに逆らう考え方をしているので、その人は不幸です。その人が正しい考え方を持っていれば、水は必ず低い方へ流れるものだということを理解します。この事実に気づき受け入れるまで、その人は動揺し、狼狽します。
   必ず低い方に流れる川の水は、あなたの肉体と同じです。かつては若かったのが、歳を取り、今では死に向かって曲がりくねりながら流れています。このようでなければいいのに、と望んではいけません。それはあなたの力で変えられることではありません。ブッダは私たちに、「物事のあり方を理解し、物事に対する執着を手放しなさい」とお説きになりました。この手放すという感じ方をあなたの依り処としなさい。(つづく)
   Ajaan ChahOur Real Home」よりまとめました。(文責:翻訳部)

       

 今日の一言:選

(1)若い頃、毎日、宇宙と一体になる瞑想に耽っていた。
   宇宙の全てと一つになると、あらゆるものが自分のものという印象も生じた。
   当然、地球も日本もこの東京の界隈も私であり、私のものだという錯覚を楽しんだ。
   金はなかったが富裕感に満たされ、変哲もない日々が、妄想で輝いていた・・・。

(2)災害に見舞われたり、大きな苦難が訪れると、ハッと我に返り、ただ普通に暮らせていることのありがたさが身に沁みる。
   夢や目標に向かっていく努力も、向上心も、悪いことではない。
   だが、淡々と過ぎていく今日が、今の瞬間が、ツマラナイ駄目なものと見なされていないか・・。
   サティを!

(3)物作りも芸術もどんな創造や創作も、その技が極められていった果てには、ただ創造されたものだけが存在し、表現者のエゴが感じられない神業のような印象になるだろう。
   「創造している私」「表現しているこの自分」というエゴ妄想が微塵も入らないからだろう。
   「サティを入れている私」という感覚を微かに持ちながら瞑想している人には、頂門の一針である。

(4)日々の瞑想とダンマの学びによって、エゴが納得すれば、表層の心は変わるだろう。
   ディープな瞑想や心底から揺さぶられる衝撃の体験があると、第2層の心も変わり、土壇場での反応にも矛盾がなくなってくる。
   過去世から持ち越した性根のような第3層の心を、どこまで変えていけるだろうか・・・。

(5)下等哺乳類や鳥のように、丸ごと正確に覚えてしまう「写真記憶」の能力。
   人類はそれを捨てた替わりに、記憶情報をバラバラに並列保存し、概念化したり全体から本質を抽象する能力を得た。
   事実を正しく観るサティの瞑想と、ダンマに基づいた情報の編集で、人生は一変する・・・。

(6)経験した出来事が問題なのではない。
   どのように脳内再生を繰り返すか、だ。
   ムカつく言動に絞り込んだ恨み篇。
   感謝のフィルターをかけてつなぎ合わせた感動篇。
   断片化された記憶が編集された脳内物語・・・。

(7)迷えば、ブレれば、ためらえば、正と反、肯定と否定の意志を交互に、あるいはデタラメに放つことになる。
  やるのかやらないのか、行くのか戻るのか、壊すのか創るのか、自分が放ったエネルギーを自分が相殺している愚かさ。
  諦めれば、起きない。
  願い続ければ、いつか必ずそうなる・・。

(8)日暮里の路地に入った瞬間、ゴキブリを目撃した。
  踏まれたのか、飛び出した体液で路面に貼りつき、虚しく手足を動かしていた。
  死んでいこうとうしている命のはかなさに心が傾き、嫌悪感が微塵も生じなかった。
  「目撃」「情況の認知」「憐れさ」と反応した心。

     

   読んでみました
  加藤直樹著『ウクライナ侵略を考えるー「大国」の視線を越えて』
                                      (あけび書房 2024)

  
   これまでウクライナについてほとんど知識も無く考えたこともなかったというフリーランスの著者が、本書を著わした動機は「はじめに」に集約されている。
   「私がウクライナという国について学び、考えるようになったのは、2022224日以降のことだ。門外漢もいいところである。本来であれば、こんな本を書く資格はないのかもしれない。それでもなお、無理を押して書いたのは、いま侵略されているウクライナの人びとに対して、本来であれば彼らの側に思いを寄せるべき人びとが、むしろ歪んだ認識に立った非難や冷笑を向けている状況があるからだ。『いや、その認識はおかしい』と急いで言わなくてはいけないと思ったのだ」

   本書をこの欄で紹介するにふさわしいと判断した理由は次の4点から。
   第1点は、ウクライナとか世界政治のいわゆる専門家ではないこと。おそらく私たちの多くも、ロシア侵攻以前にはウクライナについてはチェルノブイリと福島との関連で結びつけられた以外にあまり知識もなかったのではないだろうか。
   2点は、日ごろ声高に即時停戦を唱える中には、その根底に認知の偏りがみられるものがあり、本書の前半で著者はこれを浮き彫りにしてはっきり批判していること。(「即時停戦」という働きかけ自体は基本的には否定されるものではないと思うが、ここに示された例は本欄の筆者にとっては「目から鱗」だった)
   3点は第2点からの展開で、あくまで事実に則してものごとの本質を捉えるよう強く主張していること。これは私たちが日ごろ目指す客観的な観方と通じ、一方的で観念的な偏りから決別するものだと言えるだろう。
   4点は、巻末にある一覧を見ればわかるとおり、膨大な量の資料の読み込みをそれも短期間で行なっていること。これはむしろ、著者がいわゆる「専門家」ではなかったからこその結果かもしれない。面目躍如だと思う。

   私たちにも新聞、書籍、マスコミその他から連日情報が入ってくる。なかには「なるほど」と思わせるものがある一方、「どうなのか・・・」と釈然としないものもある。読後感としては、さまざまな情報に対して受け手側にも考えの深さが必要なことを改めて自覚させられた。

   本書は、膨大な諸資料のいずれもが著者の主張とその論拠としての役割を担っている。とはいえ、広くフォローすることは不可能なので、本欄では本文ともども一部のみの紹介になる。機会をみて読み通すことがあれば、情報に触れる側の立ち位置の明確化と上記第3点についてかなり気づかされるのではないだろうか。そうした期待にふさわしい著書だと思う。

   カバーにはこうある。本書を貫いているテーマだ。
   「反侵略」の立場から侵攻を相対化する議論を批判し、歴史的主体としてのウクライナを考え、二重基準を超えた『世界的公平性』への道を探る。それは私にとって、東アジア諸国の近現代史の中から聞き取ったさまざまな声を思い出させるものだった。ウクライナ人は、CIAの操り人形でもなければネオナチの悪魔集団でもない。プーチンの救いを待つ哀れな人々でもない。彼らは、彼ら自身の歴史の主体なのだ」
   ウクライナと東アジア、相互に関連させつつ本書はまさにこのことを論証している。

   5章以降の紹介はこの欄の趣旨から省略したが、それでもかなりの字数になってしまったので了解を。本書の目次は次の通り。読む便宜のためレイアウトに多少手を加えた。

   「はじめに」
   1:侵略されたウクライナへの「嘲笑」
    2:歴史の主体してのウクライナの人びとを知る
    3:私の原則は「反侵略」
   1章「ウクライナ戦争」 とはどのような出来事か
    1:中国民衆の抗戦意志を軽視した日本軍
   2:歴史を補助線に本筋を見いだす
    3:本筋ーこれは二国間戦争である
    4:本筋ーこれは大国による小国への侵略である
    5:本筋ーこれは支配-従属関係の回復を目指す侵略である
    6:まとめーウクライナ戦争とは何か
   2章「ロシア擁護論」批判①ーそれは大国主義である
   3章「ロシア擁護論」批判ーそれは民族蔑視である
   4章「ロシア擁護論」批判③ーそれは「平和主義」の倣慢である
   5章「ロシア擁護論」批判ーそれはどこから来たのか
   6章ロシア擁護論は「2014年」をどう語っているのか①
   7章ロシア擁護論は「2014年」をどう語っているのか
   8章「マイダン革命」をウクライナ人自身はどう見ているのか
   9章ウクライナ・ナショナリズムは「危険」なのか
   終 章「ウクライナの発見」と世界の行方
   資 料:パレスチナの人びとへの連帯を表明するウウライナからの書簡
   あとがき:いかなる爆弾も砕くことはできない、その水晶の精神は
   引用資料一覧

1章の「6:まとめ」から
   「ウクライナ戦争とは何か。その『本筋』はロシアとウクライナの二国間戦争であり、大国による侵略戦争であり、かつての抑圧民族と従属民族の衝突である。それはロシア側にとっては他者としての、主体としてのウクライナを否定し、かつての支配-従属関係に戻そうとするものであり、ウクライナ側にとっては自国の独立を守り、ウクライナ人としての主体を破壊されないための抵抗である。
   このことは、両者のナショナリズムの評価にも当然、関わってくる。隣国の他者性を否定して再び『帝国』に呑み込もうとするナショナリズムと、これに抵抗してすでに独立を認められた国民国家を完成しようとする側のナショナリズムを、同列に、同様に見ることはできない。
   こうした本筋に立てば、なぜ冒頭に示したような日中戦争との相似が現れるのか、すっきりと理解できるはずだ。
   この『本筋』に何度でも立ち戻りながら、付随する『枝葉』のディティールを検証していく姿勢を堅持することで、枝葉と枝葉をつないでしまう歪んだストーリーに巻き込まれずに済むだろうと考える」(p.47

2章から
   著者は宇山智彦による「なぜプーチン政権の危険性は軽視されてきたのか」のなかで記されている「論理的なつながりや釣り合いを欠いた話でありながら、ウクライナや欧米の非を言い立ててロシアの責任を相対化させる議論」という文章を、「そのまま『ロシア擁護論』の定義として使おうと思う」と言い、次のように述べる。
   「『論理的なつながりや釣り合いを欠いた』とは、論理の歪みや視界の歪み、事実に反することを含むものとしていいだろう。つまり、ウクライナやアメリカの問題を指摘することそれ自体ではなく、その中でも、①論理や事実に照らして歪んだ論法によって、②ロシアの侵略責任を相対化する議論――を『ロシア擁護論』と呼ぶということだ。
   念のために言っておけば、ここで言う『ロシア擁護論』の『ロシア』とは、ロシアという国やロシア人一般を指すものではない。正確を期すのであれば『ロシア・プーチン政権のウクライナ侵略について擁護したり相対化したりする議論』ということになる。
   宇山はその背景に、『対立が起きている時には両方に程度の差はあれ必ず非がある』『どっちもどっち』という『確証バイアス』を見ているが、私はそれだけではないだろうと思う。(略)
   なぜ侵略したロシアではなくウクライナの側に非があるかのように語る議論、あるいは『どっちもどっち』として侵略の責任を相対化するような議論が、侵略戦争を否定していたはずの人びとの側から出てくるのか。そこにはどのような誤りや歪みがあるのか。侵略者擁護の根底にある思想性はいったい何か。さらに言えば、そうした傾向は、どこから生まれて来たのか。それを考えてみようということだ。
   結論から言えば、私は『ロシア擁護論』の根底にある思想的問題を、①大国主義、②民族蔑視、③日本的平和主義の倣慢の3つに見る」(p.5354
   この①②③はそれぞれ第2章~4章となっている。

2章の節立て
   1:思考の歪みをどう見抜くか、2:「ロシア擁護論」の定義、3:「モスクワには責任がない」という主張の衝撃、4:大国ロシアの責任を不問にする、5:被害当事者ウクライナの不在、6:「主権線」と「利益線」、7:「代理戦争」は誰のためのロジックか、8:ミアシャイマーの大国主義的世界観

3章から
   ここでは近年日本で大人気だというフランスの知識人エマニュエル・トッドを中心としてとりあげているが、著者が問題にしているのはそれ自体と言うより次の点だ。
   それは、トッド自身の思想以上に、「こうした民族蔑視に満ちた本を10万部のベストセラーに押し上げ、その著者を『知の巨人』と持ち上げる日本の言論空間の人びとである。多くの知識人が、この本を肯定的に引用してきた。私は、この本の中に民族蔑視があると指摘する声すら聞いたことがない」(p.94
   ※本書に引用されたトッドの文章だけでも「エッ!」というところが多々見られるようだ:本欄筆者。

   「西欧や日本の進歩的知識人たちは、こうした言説を受け容れ、『反米』や『平和主義』を免罪符として、誰にもとがめられずに嘲笑できる対象をウクライナに見出している。ウクライナ蔑視の言説が嫌韓論者や歴史修正主義者とそっくりになるのは、同じ民族差別の視線がそこにあるからだ。

   大事なのは、そうした蔑視がロシアの宣伝に由来するということではない。問題の本質は、そもそもそれを受け容れる側に、ウクライナに限らず、困難を抱えた途上国に対する蔑視があることだ。そうした蔑視を、進歩派を含む知識人たちが拒否するどころか享受していることだ。問題はロシアではなく、私たちの側にあるのである」(p.103

3章の節立て
  1:日本で大人気の工マニュエル・トッド、2:支離滅裂な論旨、3:ウクライナ人への強烈な蔑視、4:問われているのは日本の読者、5:「破綻国家」言説の底にあるもの、6:「反米」「平和主義」が劣情の免罪符に

4章から
   この章も同様、以上の文脈から日本の問題点を取り上げている。著者の論点として重要と思われるので少々長いが紹介する。
   「ロシア侵略擁護論は、すなわち日本侵略擁護論だということだ。ロシアの宣伝に騙されているといった表層的な次元の話ではないのだ。百歩譲って、あえて『騙される』といった次元で語るなら、騙されてしまう側」の思考こそを問題にすべきだろう。侵略者の自己弁護の言説に手もなく丸めこまれているのは、日本の侵略戦争の意味を理解してこなかった結果である。
   ロシアの『安全保障の問題』に同情するのは、山県有朋の『利益線』を批判し得えていないからである。ウクライナがロシアを『挑発』したから戦争になった、ウクライナの側にも責任があるという議論は、90年代に右翼が盛んに言っていた『併合された韓国の側に責任がある』という恥知らずな議論と同じである。『ロシアはアメリカにはめられた』という議論は『日本は騙されて真珠湾攻撃をさせられた』という例の主張と同類である。
   一部のロシア擁護論者が唱える『ブチャ虐殺否定論』に至っては、ロジックの組み立てが『南京大虐殺否定論』とほとんど同じである。私は左翼系メーリングリストで『ブチャ虐殺されたという人びとの死亡日時はいつだ。DNA鑑定はしたのか。それが分からなければ何も断定できない。法医学の基本だろう』という驚愕の書き込みを読んだことがある。南京の犠牲者の『死亡日時』は法医学的に解明されているのだろうか。
   ウクライナ戦争をめぐって、多かれ少なかれこうした錯誤をはらんだ言説を受け容れたり、自らも吹聴したりしている人は、市民運動の活動家や知識人の中に少なくない。(略)
   ここには戦後日本の平和主義の歴史的問題が現れている。つまり、①『侵略と抵抗』という基準の不在、②自国認識の不在、そして③日本的進歩主義に由来する他国への蔑視である。それは、安全な大国日本の、傲慢な平和主義である」(p.128

   著者はウクライナ戦争の即時停戦に向けて日本、中国、インド政府に介入を求めた「憂慮する歴史家の会」の2度にわたる声明を批判する。
   ※声明そのものも批判に値する内容だと思う:本欄筆者。
   ところが、その国際的な声明主体のサイトには、「英語はもちろん、スペイン語やフランス語、韓国語から中国語(簡体字)、中国語(繁体字)まであるのに、被害当事者たるウクライナの言語だけがないのである。
   何らかの理由はつけられるだろう。ウクライナ語の翻訳者が見つからなかったとか、ウクライナ人はロシア語が読めるから必要ないとか。だがこれは、そんな軽い問題ではない。ロシアとウクライナの間に入って停戦を呼びかけるという声明の倫理的資格に関わる大問題のはずである。(略)
   『外務省、ロシア大使、インド大使と面談してきました』とサイトで報告する彼らは、しかしウクライナ大使館には行っていない。最初から行こうとしなかったのか、打診したが拒否されたのかは分からないが、いずれにしても、ウクライナ語の不在に加えて、その事実自体が、この声明の政治的性格を語っている。つまり、被害当事者の不在ということだ」(p.132

   そしてその延長線上にある「今こそ停戦を」運動サイトにおける「なぜ撤退ではなく停戦なのですか?」という質問に対する回答。
   「ロシアヘの『撤退』の呼びかけだけを続けることは、両国の現状を考えると、『停戦』の呼びかけと実現よりも、時間がかかり、その間にも犠牲になる人が増えてしまいます。
   『撤退』は『特定の領域が帰属する国』を定める必要があります。このとき、歴史を参照して『特定の領域が帰属する国』を定めることはできません。なぜなら参照する歴史上の時点によって、どちらの国にも帰属しうるからです。過去もまた多様なのです。
   『撤退』がなされる時は、中立で公正な国際監視のもとに行われる住民投票によって決められる必要があります。しかしそれには段階と時間を要するので、まず無条件に『停戦』をして、その交渉を開始する必要があります」(p.133

   第一段落はともかくとしつつ、これに対して著者は、
   「第二段落以降に書かれていることを読むと、彼らが『撤退』と言わないの(ママ)理由が、占領地も本来はウクライナの領土であるが、やむを得ずそういう手続きを取るしかないといった現実的な方便からではなく、ロシアが占領したウクライナの諸地域について、それがどちらに帰属するものであるか判断できないからというものであることが分かる。『なぜなら参照する歴史上の時点によって、どちらの国にも帰属しうるから』だというのだ。いわば原理的な国境不可知論とでも言うべき立場である」(p.134
   ※この『』内の回答が成り立たないことは少々歴史を学んだだけでもすぐに思いつく:本欄筆者。

   そして、
   「だがそんなことを言えば、ウクライナ西部はかつてはポーランド領だったし、ポーランドの一部はドイツ領だった。アメリカとインドはイギリス領であり、朝鮮や台湾は日本領であった。そしてプーチンの高名な論文『ロシアとウクライナの歴史的一体性』によれば、『今日のウクライナは完全なるソ連時代の産物』であり、『今日のウクライナの大部分が歴史的ロシアの土地で形成されている』ことになる。では、『参照する歴史上の時点によって、どちらの国にも帰属しうる』から何度でも『多様な過去』を蒸し返して国境線を漂流させるべきなのだろうか。(略)
   実際には、ウクライナの国境線は1991年の独立時に確定している。その後、ウクライナの領土的一体性と国境不可侵はブダペスト覚書で確認され、さらに1997年のロシア・ウクライナ友好協力条約によって二国間でも確認されている。『多様な過去』のどこかに恣意的にさかのぼるのではなく、そこに戻るべきだ。そうした前提を認めない『停戦』運動は、圧倒的な武力によって隣国の一部を併合したロシアの侵略を追認し、これまで積み上げられてきた国際法の規範をあっけなく否定しているのである」(p.134

   さらに著者は、この説明の第一段落が「現実論のみに立った『撤退』否定論であれば、一理ある」としながらも、「それでも、一国の運命に深刻に関わる不正義の容認という道義的に難しい判断について、他国の市民運動や知識人がそこまで踏み込んだ口出しをするべきなのだろうか」と疑義を呈する。
   加えて、
   「私は外部の人間が停戦を求める運動があり得ないとは思わない。ていねいに考え抜けば、倫理的に可能な何らかの道筋はあるのかもしれない。しかしそれが知識人や市民運動の課題として行われるのであれば、侵略や併合の追認を前提にすべきではない。端的に言えば、日本の市民運動は『ロシア軍の撤退を求める』という原則的な立場を放棄すべきではないのだ。(略)
   私は、他国の人びとに不利益を求める場合は、それがヒューマニズムから行われるのであるとしても、その国の人たちに向けて、どのようにそれを語り得るか、あるいは語りかけ得る内容になっているかを自省しなければならないと思う。
   その意味で、この『停戦』運動が(略)ウクライナ語だけを避けていることは、その資格を最低限にも満たしていないことを示している。もし『ウクライナ人のほとんどはロシア語も読めるから』というのがその理由であれば最低である。(略)
   声明をウクライナ語には翻訳しないということは、こうした声に応答する気がないということである。そうした最低限の手続きすら踏まないまま、侵略された他国の領土の処分法を第三者が論じる一連の声明に、日本の進歩派を代表するそうそうたる知識人たち、『名誉教授』たちが名を連ね、賛同している。日本の『平和主義』が行き着いた傲慢さを示す一つのエピソードだろう」(p.136

4章の節立て
   1:「ゼレンスキー」が攻撃対象となる理由、2:困難と闘う歩みが「荒廃」と見える視線、3:無自覚な「日本擁護論」、4:領土の代わりに金を受け取れ、5:「侵略」への反省不在の「平和主義」、6:尹泰吉の爆弾投榔をめぐって、7:日本的進歩主義の倣慢、8:「騙される」側の問題、9:「即時停戦」運動批判、10:ロシア軍撤退を求める原則を捨てるな

   以上いかがだろうか。これだけでは著者の主張は尽くせないが、あくまで「ちょっと」欄なので。繰り返しとなるけれども、ぜひ直接読まれることをおすすめしたい。(文責:編集部)

 ちょっと紹介を!

キム・ウォニョン著、五十嵐真希訳
 『だれも私たちに「失格の烙印」を押すことは出来ない』(小学館 2022)

   著者は作家、パフォーマーで弁護士。骨形成不全症のため車椅子を使っている。著書に『希望ではなく欲望―閉じ込められていた世界を飛び出す』『サイボーグになる―テクノロジーと障害、わたしたちの不完全さについて』など。
   図書館に紹介されている欄には、「障害を抱えた子どもが、生まれてこない方がよかったという考えのもと、親が子どもを代理して、医師に対して損害賠償を請求する『不当な生』訴訟。障害者である自身の経験を交え、『不当な生』という概念を語り尽くす」とある。
   また新聞の書評には「タイトルは人権派のような印象だが内容はそうではなく、障害のある身体やその動きの持つ魅力について語る。なぜなら、当事者が欲しいのは、義務感から障害者を受け入れることではなく、その魅力に惹かれることだから」とあった。

   「訳者あとがき」によれば、著者は「障害や病気のある人をはじめ、マイノリティの人々」に対して「日常に潜んでいる様々な差別が、社会の慣行や構造によって産み出されていること、それに人々が無意識、無自覚になってしまっていることに、読者は気づかされる」と言う。
   さらに著者のメッセージには、「本書で使用した『私たち』という主語は、もちろん私を含む障害者たちを意味していますが、障害者ではない読者も本書を読みながら、みなが『私たち』という主語の中に自分自身を含めて理解してくださることを希望しました。障害の有無に関係なくほとんどの人は、この社会で生きていく資格がないという、何かしらの烙印を押されたことがあると考えるからです。本書は、障害者から出発してすべての人の経験へと広がり、つながっていくことを望んで書いたものです」とあった。

   本書は19章からなっている。
   1章:障害の熟練者、第2章:品格と尊厳のパフォーマンス、第3章:私たちは愛と正義を否定する、第4章:ロングフルライフ――不当な生、第5章:喜ばしい責任、第6章:立ちはだかる法の前で、第7筆:権利を発明する、第8章:魅力不平等の問題、第9章:怪物になる必要はない

   著者自身によると、「人間の相互作用(123章)」、「倫理的な決断(45章)」、法律と制度(67章)、「愛と芸術という特殊な文脈(89章)」という構成にしたという。
   本書はとても奥の深い課題を取り扱っているが、その一部だけでも紹介することに意味があると考える。おそらくものの見方や考え方について新しく目を開かれるところがあると思う。

   先ず「不当な生」とは何かについて。
   「不当な生」とは、善良でないとか悪いことをした「生」ということではなく、「尊重されない生、一個人の存在として認められない『失格とされた生』」のことで、「そういう意味では、どんなに善良に誠実に生きていても、貧しく、教育も受けられない人々や、重い障害や病気のある人々、偏見を抱かれがちな性的指向や性自認のある人々は、『不当な生』と思われやすい」のだという。
   さらにまた、「他者に魅力を示せない人」の場合は、たとえ「道徳と法規範に基づいた尊重は受けられたとしても、他者と心から深くつながる機会」は得にくいうえに、「憲法と法律が差別を禁止し、いわゆる『政治的妥当性(ポリティカルコレクトネス)』が共同体に浸透していても」それは「不当な生」と決めつけられやすいとも言っている。(「まえがき」より)
   ここから著者は自身が当事者として「障害や病気のある人々」をあげて話を展開していく。

   第1章の「障害の熟練者になるには段階がある」から。
   著者は熟練によって車いすの車輪を1.8秒に1回ずつ規則的に押し出し、優雅に、「傾斜のある道でも、片手に本やコーヒーをもっていても、絶妙に方向とスピードを保ちながら移動でき」るという。だから、例えば手の代わりに口をなど、先ずは「自分の身体の制限を別の機能で代替する技術とアイディアをもつこと」が大切なのだが、でもそれらは、「よく言われる『障害の克服』ではない」のだと。
   つまり、「どんなに身体の機能を創意工夫しても、すべての制限を突破することは難しい」ということ。だから第2段階として相互作用の技術を洗練することが大切となる。

   どういうことかと言えば、例えば何かを頼んだ相手が「とまどうようなお願い事をするとき、『私の目が見えないこと、わかりますよね?』と付け加える図々しさ」だったり、あるいは通りすがりの子どもに「足、どこに行っちゃったの?」と聞かれたら、「『きみが見つけられたら、5000ウォンあげるよ。足がどこに行ったのか、1週間ずっと探しても見つからないんだ!』」と言えるような、皮肉のこもったユーモア感覚だという。

   さらに、「障害や慢性疾患を長らく抱えて生きてきた人々は、こうした相互作用技術の専門家といえよう。老年期に入って身体の機能が衰え始めた人は、こうした技術を障害者から教えてもらってもいいかもしれない」とも。
   「もちろん私たち障害者の人生は、『代替技術』と『相互作用技術』でスマートに生き抜けるほど生易しいものではない」けれど。(p.2226

   また、抄録にある「不当な生Wrongful Life)」訴訟とは何かというと、「障害を抱えた子どもが、生まれてこない方がよかったのにという考えのもと、医師に対して損害賠償を請求する民事訴訟の一つ」だという。これは第4章にある。
   990年代半ば、ある夫婦が産婦人科の医師と病院を相手に損害賠償請求の訴えを起こした。それは、羊水検査で健康だと診断された子がダウン症候群であることが分かったから。「夫婦は、ダウン症だと診断できなかった医師の過失のせいで自分たちが障害児を出産したのだから、これに伴う精神的苦痛と養育費の相当額を賠償せよと主張し」たそうだ。
   また両親が法定代理人として子どもも原告になった。つまり、「『あなたの過失で私が生まれたのだから、その損害を賠償せよ』という主張にほかならない。病院側は苦悶した。人間がこの世に生まれたことが損害になりうるのだろうか」。(p.99

   “すごいな”と思うが、著者によれば、例えば交通事故や労働災害で障害を負ったら、その程度や責任者の過失の度合いに応じて賠償額を議論することは非常にありふれていて、特に目新しいものではない。しかし、「障害者として生まれたことが損害であるとは、斬新な(?)主張と論点ではないだろうか」としている。
   どういうことかと言えば、「障害児の誕生は、膨大な医療費の負担、周囲からの負の烙印(略)、終わりのないケアワークなどを甘んじて受けいれなければならないことを意味」しているからでもある。そして、「極めて貧しい家庭環境、暴力と罵詈雑言を繰り返す親、障害や病気、『醜い』と評される外見のせいで嘲笑や排除の対象になる私たちは、『私の生は損害なのか』という疑いを簡単に強めていく」ことになるとも記している。(この部分は「まえがき」および第4章から)

   他者からの視線についてはどうか。「見られる私」と「見る私」の分離だ。
   幼い頃からの露骨ないじめをやり過ごし、やがて成人になり、ベストを尽くして障害の熟練者になったとしても、「バケモノ」とか「ちんば」だという事実は消えず、他者の視線から自由ではないのが障害者だ。そこで著者はウン・ヒギョンの小説『鳥のおくりもの』(橋本智保訳、段々社、2019)に登場する9歳のジニを引き合いに次のように述べる。
   「だれかに観察されていると思ったら、まず自分を二人に分離させる。一人は本当の自分として私の中にいて、分離したもう一人の私は身体の外で役割を果たす。
   身体の外にいる私は、人々の前にさらけ出された状態であたかも私自身のように行動するけれど、本当の私は身体の中に残ったまま外に出た私を傍観している。外に出た私に人々が望むように行動させ、もう一人の私はそれを眺める。こうして私は、『見られる私』と『見る私』に分かれるのだ。もちろん、二人のうちの本当の私は『見られる私』ではなく『見る私』だ。人々の強迫や侮辱のこもった視線を浴びるのは『見られる私』だから、本当の『見る私』はあまり傷つかなくてすむ。このように自分を二つに分離させることで、本当の私は人々の目にさらされないで、自分自身をありのまま守ることができるというわけだ。(略)
   自我を二つに分離すれば、『見られる私』を状況に合わせて行動させ、社会が要求する秩序を壊さずに自尊心を守ることができる」(第1章 p.3435から)
   これなどはヴィパッサナーに重なるところがあるように思われる。

   手話については知らなかったことばかりだった。
   手話は、右脳で空間を認識しつつ言語処理の左脳をも同時に使っている。「よって、手話を使う人々は、音声言語を使う人々とはまったく異なる『新しい種類の空間』を認識し、発見し、活用することができる」し、「同じ空間の中にいても、より『広く深い』世界を生きていく」のだと言う。だから、「聴覚障害者の友人は、三次元の空間を自由自在に動くだけではなく、同じ空間にいてもはるかに深くて複雑な空間の機微を認識し、それを礎にコミュニケーションを」取っているのだと。
   つまり「手話は、文化的な要素から分離した、障害者が使う単調で制限された意思表現の方法では」ないし、さらに、「手話は新しい世代によって発展し続けている。時代の変化に伴って単語も新しくつくられている」という。(第4章p.110111から)

  最後に障害と人について。

   例えば、障害には遺伝性のものがある。今は着床前診断によって検査し、特定の遺伝性疾患のない受精卵を女性の子宮に戻すことが出来るという。これは「妊娠中絶手術より身体に負担が少ないだけでなく、法的、道徳的な論争も少ない」という。
   しかし、
   「こうした『簡単な』手段が常に喜ばれるとは限らない。遺伝性疾患による視覚障害を抱える女性は、自分が産んだ子どもに障害がないとわかったとき、非障害者である夫がどう反応したかについて、次のように書き残した。
   『この子、前が見えてるよー』
   デイツグは興奮していました。彼は電話のところへ走り、両親にこのことを伝えました。おめでとうという声が聞こえてきました。私は言葉にならない感情に陥りました。だれも気づいていなかったと思いますが」
   著者は「彼女の感情をひと言では説明できない」としながらも、「私は彼女の感情の一部を共有することができる」という。だがこの女性の感情は普通には理解しにくいだろうとも言う。
   夫の反応が示したのは、「視覚障害のある『人』を愛したのであり、彼女の視覚障害そのものを愛したのではない」ことだ。それは分かっていても、「自分の障害について、単に克服しなければならない要素ではなく、人生の一部分として真摯に熟考しようとする障害者たちは、障害を全否定する言葉と態度に出合うと非常に心を乱される」。(第4章p.116118
   「私という人間は、尊重されないときは単なる一人の障害者でしかない。しかし、尊重されるときは、障害を抱える、そして、さまざまな物語をもったキム・ウォニョンとなる。
   ここでいう尊重が決して『尊敬』や『崇拝』ではない点に留意してもらいたい。尊重とは、その人を『一個人として認める』という意味である」(p.10

   いかがだろうか。本書にはさらに多くの課題が示されているので、もし関心をお持ちならご一読を。(雅)

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