月刊サティ!

2024年6月号  Monthly sati!     June  2024


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:【ラベリング論】 第2回 「」
   ダンマ写真
 
Web会だより ー私の瞑想体験- :『ゆるしの航海』(前)
  ダンマの言葉 :『四聖諦』(5)
  今日のひと言 :選
   読んでみまし:た:“タモリ・たけし・さんま”の仏教的言葉
  文化を散歩してみよう :『食の周辺』 (1)
   ちょっと紹介を! :松里公孝著
   『ウクライナ動乱-ソ連解体から露ウ戦争まで』(ちくま新書 2023)

                

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。

 
     

 今月のダンマ写真 ~
 
モザイク聖堂

地橋先生提供

    Web会だより ー私の瞑想体験-

『ゆるしの航海』 (前) 静華

  通知表はほとんど5、稀に4
  通知表はほとんど5、稀に4

  児童会長をやったりしちゃう。
  友達も不自由しない程度にいてくれる。
  勉強もそこそこにできて、有名な大学に入る。
  名の通った企業に勤める。
  私のこれまでの人生を振り返ると、大船に乗って順風満帆な人生を送っているように見えるかもしれません。しかしその実態は、形ばかり取り繕った外装で、中にはゆらゆらカヌーで人力で漕いでいる不安定な生身の舵取りがいました。

  みんなが幸せにしてくれていたらいい。それをただ見ているのが好きです。
  大人しくしている人たちから、感情を全部出してはしゃいでいる人たちまで。
  それなのに、本当は「勝手に好きなようにしていたい」というわがままな自分がいることを知っていました。それを出すとみんなハッピーでいられないかもしれない。それが怖かったのです。

  例えば、悪口が嫌い・噂話や流行りのテレビの話が苦手だったので、周りの友人がちょっと嫌な先生の話や最近盛り上がっているドラマの話をしているなかで、「そんなことより...」と自分の話をするのは、既に繰り広げられているみんなの楽しい時間を奪ってしまいます。
  だからこそ自分に自信がもてず、自分が積極的に関わるとその幸せを壊してしまうかもしれないから、距離をとり、一匹狼になり、人が好きなのに人が苦手という不器用な自分に、酷く悩まされてきました。
  自分がやることをある程度ちゃんとやって、体裁や笑顔を整えておけさえすれば、誰も悲しみません。余計な心配もかけません。完璧な自分の出来上がりです。

  その綺麗な外装は、教育熱心な母の教えと、順風満帆”風”な学生時代の中に起きた出来事によってどんどん強固に塗り固められていきました。

  テストは100点じゃないと褒められない、習い事や学校を休んではいけない。
  仲良くしていたお友達からの急な「本当に自分勝手だよね」という怒りの乗った言葉と別れ。
  昨日まで一緒にお昼を食べていたグループが突然いなくなり、孤立。
  言葉と力の暴力をふるうパートナー。

  自分が素直に動くと、誰かが傷つく。
  どうしたら周りが傷つかないか?求められている役回りはなんなのか?人の目を気にして、私の船の舵は見えない誰かがいつも取っていました。というより、見えない誰かに委ねた方が、自分がもっと傷つかないで済むから、そうさせていたんだと思います。

  見かけだけは豪華客船のまま、社会人も4年目になった頃、そんな脆い自己像のバランスを壊してくれた出来事が立て続けに起りました。
  その時はもちろん知る由もありませんが、これが私の人生を大きく変えてくれる、瞑想と出会う入り口でした。そして、当時は壊してくれたなんてもちろん思っていません。辛くて仕方なかったですから。瞑想に出会って変わることができた今だから、そう言えるようになっています。

  ・・・
  最近、気をつけてたんだけど太っちゃったんだよね。触ってみてよ、このお腹。」
  母にそう言われ手を触れてみると、明らかに、「太ったお腹」ではありませんでした。
  パンパンに皮まで張った、私の知らないお腹。得体の知れない感覚に、わずかに戦慄が走ったのを覚えています。
  「これ、太ってるお腹じゃない。怖いから、早く病院行って。」
  母は、ステージ4の腹膜がんを患っていました。これまで病気一つしたことのない母の突然の闘病生活が始まりました。

  その最中、私の心が折れる出来事が起きます。代表を務める社会人サークルである出来事が起きてメンバーの1人を辞めさせるという、私にとってはこの上ない苦渋の決断をしなければいけなくなりました。大好きなメンバーでした。「みんな一人一人が幸せでいてくれればいい」という気持ちがベースにある中で、自分から苦しみを与えなければならなかったことをきっかけに、これまで責任感で繋ぎ止めていた自分の心を保つ糸がプツンと切れた音がしました。チーム運営で悩んでいたり、多忙な仕事で心身疲弊していたところに、トドメを刺された形となりました。

  それ以来、酷い自己嫌悪に苛まれ、対人恐怖症になり、睡眠障害などで苦しめられました。「ごめんなさい」が口癖で、寝床から起き上がれないことがあったり、人と目を合わせるのが怖かったです。
  とはいえ、母が頑張っていますから心配はかけられません。
  どうにかして自分を救えないかと、貪るように自分の心のケアに走り始めます。心理学や脳科学などを自己流に学びながら、ここで初めて瞑想に出会います。

  その時出会った瞑想は、イメージ瞑想でした。それは、なりたい理想になっている自分を想像し、暗示をかけるように自分に肯定的な言葉を繰り返し投げかけて叶えていこうとする、アファメーションに近いものです。ある程度、効果がありました。頭の中の妄想から解放されて、どっしりと安心感と安定感を持ちながら、自分軸で生きていく。自己嫌悪の声もおさまり、人の目を見て落ち着いて話せるようになりました。悪夢も見なくなりました。ただ、その瞑想は自分の嫌な出来事や思い出、嫌な感覚を消すイメージをするもので、そういったネガティブな感覚にダメ出しをされているようで、自分の全てをゆるして上げられない、どこか空虚でまだ苦しい感覚が残り、いつしか遠のいていきました。

  立ち直る自分とは裏腹に、母の病状は悪化していきます。もともと気丈な母は、すぐに治してまた普通の日常を送る、仕事に戻ることを目標に明るく必死に闘っていましたが、治りかけたところでの2度の再発、腸穿孔、脳転移、リンパ浮腫、蜂窩織炎、交通事故など、ことごとく母の前向きな気持ちを無情にもへし折り続ける出来事ばかり起きました。

  次第に、母と家族との関係も悪化していきました。助けたい父と私は、わからないながらに手を差し伸べますが、「病人扱いしないで、自分でやりたい」と、その思いを尊重して見守ろうとすると「なんで手伝ってくれないんだ」と言われたり、支える側の、分かってあげられない中なんとかしてあげたい気持ちと、母の頼りたくないけど頼らざるを得ない無力感、自分でできることがどんどん減っていく辛さが噛み合わなくなります。それぞれの気持ちがすれ違っていて、家庭崩壊です。
  母は毎日鏡を見ては、病気になって変わってしまった自分の姿に涙をしたり、怒りをぶつけてきたり、自分を受け入れることができなくなっていきました。(つづく)
    


Y.U.さんより
 






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ダンマの言葉

                       『四聖諦』(5)

  20051月号から連載されました比丘ボーディによる法話『四聖諦』を再掲載いたします。今月はその第5回目です。

7)正念
  正念(正しい気づき)をもって生きることは、幸福と精神的成長にとっての基礎です。それは大いなる祝福であり、最も大きな力によって護られることです。人間は概してある程度の気づきは持っているものです。しかしそれは多分に散漫なものなので、正確には正念と呼べません。
  正念は、簡単に得られるというわけにはいきません。良いものは簡単には手に入らないのです。正念を発達させ身に着けるには、大きな努力と決意と自己献身を必要とします。正念とは「今の瞬間に心を留めておく」ことです。これは何かの仕事をしている時に、その行為に完全に気づき、マインドフル(註)であることを意味します。
  例えば歯を磨く時は磨いていることに注意を払い、その過程を見守り、考えごとが入り込んでくるのを許しません。食べる時は静かに気づきながら食べます。食事中におしゃべりすれば、それは気づきが抜けているということです。
  この二つの単純な例を取って見ても、正念をもって生きることは、そんなに簡単ではないと分かります。同時に二つや三つのことを行うのは良い技量とは言えず、不器用なことです。一度に一つのことを行うのが本当の技量であり本当の達成です。
  正念を発達させるには、決意が必要です。単純な訓練をこつこつと実践していくと、次第に進歩していきます。特に、内面的なものに気づいていることが必要です。ほとんどの人は外面的なものに注意を向けますが、幸福を得たければ心の内側を見るべきです。

  内面的なものとは、次のものを意味します。
  1)身体に気づく(身)
  2)感覚に気づく(受)
  3)心の状態に気づく(心)
  4)心の内容に気づく(法)

  これらは、気づきにおける四つの基礎です。気づきながら生きる人が頼りとする四つの領域です。これらの能力を入念に発達させ続けると、自分を護る大きな力の源となります。
  正念を十分に発達させると、人は何をすべきかすべきでないか、あるいは、話すべきか話すべきでないかを知るようになります。話す時は、何を話し何を話すべきでないかが分かってきます。正念は、知識と智慧と満足を得て最上の幸福へと向かわせます。それは八正道を成長させるための基礎です。

8)正定
  正精進と正念という要素は、八正道の八番目にある正定(正しい集中)の成長を目的としています。正定は、心を一つの対象に向け、心を統一することと定義されます。集中力を高めるためには、普通一つの対象物から始め、心が他のものに揺れ動くことがないようその対象物にしっかりとつなぎ止める訓練をします。
  正精進によって心を対象物に集中し続け、正念によって集中の障害となるものに気づきます。そして障害を除去することに努め、集中力が強くなるのを助けます。繰り返しの訓練により、心は次第に静かに穏やかになります。さらに訓練を重ねることにより、禅定と呼ばれる深い専心状態に至ります。

  静止した心 ―智慧の入り口
  心が静止して落ち着いている時、洞察力が発達します。正定が成長し心が洞察のための強力な道具を得ると、静止した心の中に、気づきの四つの基礎である身体と感覚、心の状態と心の対象が熟視されます。
  心が身体と、心に起こっている過程の流れを調べていくにつれ、瞬間瞬間の流れに同調していきます。そして少しずつ段階的に洞察が生まれます。洞察は、発達して成熟し、深まって智慧へと変容します。それは、解脱をもたらす智慧、四聖諦を洞察する智慧です。
  発達の最高点にあっては、四聖諦を直接に即時に経験することになります。それは、煩悩の消滅、心の浄化、束縛からの心の解放をもたらします。
  その名が示すように、聖なる八正道は八つの要素により構成されています。八つの要素は、順に連続して行う必要はありません。それらは同時に働く八つの要素から構成されています。それぞれの要素は独自の働きにより、その独特の方法をもって苦の終焉を達成することに貢献しています。
  ※訳注:マインドフル(mindful)はパーリ語、「サティ(sati)」の英訳です。一般的には「気づき」と訳されますが、次の三つの意味を含んでいます。
  1)気づき
  2)注意深さ
  3)熱心さ
  これらすべてを一つで表せる訳語が見当たらないので、「マインドフル」のままにしておきます。

  比丘ボーディ『四聖諦』を参考にまとめました。(完)(文責:編集部)

       

 今日の一言:選

(1)我執が深くエゴが強い人の中でも、自分を嫌悪し怒りを持っているタイプの方は慈悲の瞑想がノラない、上手くいかない、苦手だ・・ということが多い。
  対策は、怒りとエゴを引き算することだ。
  他人を利する利他行や善行を課題にするとよい。
  エゴ感覚を弱め、他人を思いやる練習・・・。

(2)反射的な衝動に従ってしまえば・・、浮かんだことをそのまま言ってしまえば・・、人は必ず愚かなことをしてしまう。
  人格完成者でもなければ、悟りを開いたわけでもない凡夫が、自分のされてきたことを無意識に再現しながら子育てをしているのだ。
  よく気をつけておれ、とブッダは言う。

(3)堂々めぐりになった思考回路では、何も書けず、途方に暮れるばかりだ。
  歩く瞑想をすると、思考が止まり、頭の中を空っぽにできる。
  余計な回路が閉じられれば、脳内の全データが使用可能の状態になる。
  すると、意識下の必然性が必ず一瞬の閃きをうながしてくれる。
  歩けば、智慧が出る・・・。

(4)歩くことは、極めて高度な脳の働きによって支えられている。
  ギリシアの賢者達が歩きながら哲学していたのも、脳科学的に理に叶っていたようだ。
  私も、原稿の筆が渋り、アイデアに行き詰まると、歩く瞑想をしながら近辺での所用を果たすことにしている。
  ほぼ確実に閃きが得られている。

(5)若い頃、バイトで貯めたお金で旅に出た。
  新幹線が東京駅から滑り出した瞬間、日々の生活に完全に呑み込まれ、自分を見失っていたことに気づき、感動した。
  今、定番の仕事で毎月乗車する新幹線には、来し方を振り返り、自己客観視に誘う力はない。
  旅の力がなければ、サティの力を使う。

(6)人生に迷い、道を求めて東に西に遍歴しなければならなかった。
  カルマが悪かったのだろうか。
  その結果、デタラメな情報やネガティブな経験を重ね、膨大にデータ化されていった。
  それは、瞑想ができない人を教える上での宝物になった。
  カルマが良かったのか、悪かったのか・・・。

(7)因果関係がしっかりしていれば、どんなことでもあり得るのが業の世界だ。
  成功の瞬間がある。
  失敗の瞬間がある。
  ただその状態が一瞬あっただけなのに、心の中に焼き付いた「静止画」が苦の元凶となる。
  事実を握り締めることはできない・・・。

     

   読んでみました
“タモリ・たけし・さんま”の仏教的言葉  文献は末尾に
   「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表しています。『これでいいのだ』と」
  これは、タモリによる赤塚不二夫への弔辞。当日、タモリは師匠から学んだ人生観をこのように(白紙の紙を見ながら)語った。さて、後日、タモリは加えて次のように語る。
  「その時点、その時点で時間が生きていなきゃいけないんですね。その時点で時間が生きるということは、その前と後ろが切れていなきゃ絶対生きてこないわけですね。未来とか過去とかあって、その連鎖の中に時間があったんじゃ、その瞬間瞬間の時間は絶対に生きてこない」
  ここには過去や未来への楽観も悲観もない、それゆえ妄想に縛られることもないだろう。まさに、ヴィパサナー的ではないだろうか。今を「これでいいのだ」と、潔く受け入る。

  『見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことは考えられただけのものであると知り、また識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば、苦しみが終滅すると説かれる』(『感興のことば』P.242
  タモリのなんと自由なことか。

  交通事故に遭ったビートたけし。
  「あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかないもの」
  この了解のもとで、たけしは次のように語る。
  「与えられた時代と場所で最善を尽くせ」
  「当たり前だけど、人間が生きているのは今でしかない。過去のことはどうしようもないし、未来のことを考えたって確実に自分の希望通りになるなんて誰にも言えない。今のこの瞬間をわかりもしない未来の夢に使ったってどうしようもない」
  とはいうものの、世間は、夢だ、成功だ、と邁進する。しかしながら「どんなに金持ちになって高いワインを飲んだとしても、喉が渇いた時に飲む一杯の冷たい水のほうがうまいし、どんな高級レストランの料理でも、母ちゃんが握ってくれた飯に勝るものはない」。膨大な収入を得た果てに、たどり着いたビートたけしの思いだけに説得力がある。

  『もしも、一切の安楽を受けようと欲するならば、一切の愛欲を捨てねばならぬ。一切の愛欲を捨てた人は、実り窮まり無い楽しみを受けて、栄えるだろう』(『感興のことば』P.168)

  たけしは「いつも人生で今が最高の時期だと思っている。老いるのがちっとも苦にならない」「人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだよ」と。なんと泰然たることか。
  「満点は星空だけで十分や」という明石家さんまも、今に生きる。
  「常にその日がベストシーンや。生きていて今日という日が頂点。昨日はもうベストじゃない。昨日の経験を踏まえて今日、だから、毎日、ベストシーンは塗り替えられている。今日がベスト。明石家さんまのベストシーンは今日、今!」
  「人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」
  「楽しいとか辛いとか分けたり、不幸とか幸せを決めるからオカシなんねん。人生いつでも今がすべてなんや」
  苦受楽受に囚われることなく、今、この瞬間瞬間に全力を注ぐさんま。スランプに落ち込んだことがないという。「振り返るのはイヤ、もの凄い嫌い」

  スマナサーラ長老「私たちはいつでも、『明るい明日がある』と自己暗示をかけて生きています。そうやって死ぬまで暗いみじめな人生を過ごすのです。明るいのはいつでも『明日』ですからね」

「お釈迦様は『そんなもの放っておけ』と仰るのです。この瞬間瞬間で充実していればいいのです」「瞬間瞬間、選択肢などないのだ、と思って生きれば、充実感を味わって、いつでも穏やかに生きられるのです」 (常)

<本稿は次の諸著作その他による>

○北野武著『人生に期待するな』(扶桑社2024年)、ビート タケシ著『ニッポンが壊れる』(小学館 2023
○戸部田誠著『タモリ学-タモリにとって「タモリ」とは何か?-』(イースト・プレス2022)、樋口毅宏著『タモリ論』(新潮社 2023
○エムカク著『明石家さんまヒストリー 2 生きてるだけで丸もうけ-19821985-』(新潮社 2021

文化を散歩してみよう
                                       第17回:食の周辺(1)
  
  私の韓国滞在中(198788)、韓国語の練習をお願いし、また伝統的な結婚式にも招かれた申さん(女性)に、今年になって「月刊サティ!」の韓国に関する記事を読んでほしいと依頼したところ(韓国でも「月刊サティ!」はそのまま閲覧できます)、いくつかのコメントを寄せられましたのでまず紹介したいと思います。現在彼女はソウルで日本語その他言語の翻訳、通訳の事業を運営しており、たいへん心強い存在です。
  一つは、王氏の生き残り戦術の箇所、申さんの本貫は王氏からの改名とは関係ないということでした。そこで、申、全、玉、田氏などについて調べてみると、申氏の欄には3系統があり、彼女の系統はその中の一つだそうです。全氏は8系統、玉氏と田氏は1系統です。ただそれらと王氏からの改名が今も結びついているのかどうかはわかりませんでした。
  二つ目は第四代世宗大王の子供時代の暗殺未遂事件の件。ドラマのプロローグとしてのフィクションで、まあ普通に考えればあり得ないことでしょう。
  三つ目は、百済をなぜ日本では「くだら」と言うのかとずっと思っていたそうです。日本では日本史の授業で始めから読み方をすり込まれていますから、せいぜい「(なんか変だけど)そう言うものなのか!」と特に疑問を持つこともなくそのまま(私もそうでした)です。でも考えてみれば、韓国語を母語とする人が日本では「クダラ」と読むことを知れば「なぜ?」となるのは当然だとあらためて思いました。
  以上、少し補足しました。では、今回のテーマに入ります。

  衣食住と言いますが、食については「食文化」という言葉があるように、自然環境とともに歴史やタブーなどの影響は無視できません。たとえばパン食の広まりが戦後の食糧難とアメリカ小麦との関連だったことはよく知られています。ただ私の場合、これまで食べ物については特に関心はありませんでした。最近同年代の方から聞いた話ですが、子どもだった頃は(親が取り分けない限り)兄弟が多く自分の分を守るのがたいへんだったそうです。そういうわけで、食についての話は私にはあまり向いていないと思うのですが、韓国での経験を交えて少し話を進めてみようと思います。まずその点にご理解を!

○肉食、胡椒
  韓国食の特徴としてすぐに思い浮かべるのは唐辛子がたくさん使われていることでしょうか。ご存じでしょうけれど唐辛子はもともと南米原産です。ではなぜ韓国で広まったのか、ですね。
  4回でも触れましたが、仏教国(非肉食)の高麗にモンゴルが侵入してきたのを契機に朝鮮半島に肉食文化がもたらされました。そして日本に攻め込むためだったと言われていますが馬も持ち込まれ、今も済州島では放牧されて一つの風景となっているそうです。

  ところで、なぜ肉食なのかを簡単に言えば、食糧として穀物だけでは不十分なところでは、人が食べることができない餌(牧草)を動物に与え、その生産物を人間が利用するしかなかったからです。そしてそのための工夫、文化が生まれました。例えば乳や肉の保存や加工、あるいは飼育、管理のための去勢や牧羊犬などもその一つです。
  加えて肉食にはスパイスがとても重要になります。なぜなら、牧草も一年中あるわけではなく、特にヨーロッパの場合には冬には足りなくなります。ですからその前にある程度の屠殺も必要となるわけで、その肉を保存するためにどうしても欠かせないのがスパイスでした。
  ※なおスパイスと言えば、植物由来のうち茎と葉と花を除いたものを指します。従って、たとえばハーブであれば「香辛料」となりますが、胡椒はスパイスです。また、英語の“Pepper”はサンスクリットのピッパリイ(Pippali)という長胡椒を表す言葉から出てきたそうです。

  ところで、胡椒に代表されるスパイス(ほかに丁子やニクズクなど)は熱帯の産物なので温帯では自給できません。そのため、ヨーロッパに入る胡椒の値段は金の重さと同じだったと言われるくらいです。なぜそんなに高価だったのかと言えば、運ばれる途中で通行税や有力者への献上など、さまざまな形で莫大な経費がかかったためでした。
  そこで、なんとかそれを抑えたい、そんな支出はしたくないのが人情です。そのためには生産地と直接取引をと考えました。そこで、危険は十分承知のうえであえて未知の外洋に乗り出します。つまり、ヨーロッパに航海時代が生み出されたのはスパイスを求めることも大きな動機の一つでした。
  ※ちなみに当時東洋とはアラブ商人が、地中海ではベニスの商人が取引をしていたそうです。

  朝鮮半島の話に戻ります。
  高麗時代に肉食文化が入ってきたと言っても、モンゴルと言えば家畜は羊で豚ではありません。草原の草は豚の食料にはなりませんし、馬のように乗り回せるわけでもありませんから。ところが朝鮮半島では肉といえば豚なのです。もっとも牛もいますけれども、牛は農耕用の労働力として貴重でしたからなかなか食べるわけにはいきません。
  ではなぜ羊ではなく豚だったのか、そこにはおそらく中国との関係もあったと思います。中国では肉料理と言えばまずは豚だそうですから。豚は今述べたように労力としてはまったく役には立ちませんが、残飯など何でも食べてよく育ってくれ、肉を提供してくれる(豚には大迷惑な話ですが)という意味でも好まれたのではないでしょうか。

  それについては次のようなことからも推察できます。
  十二支の最後は日本では亥(イノシシ)ですが韓国では豚、縁起が良く幸運をもたらすとされています。それに「豚」という字の読み方の「トン」がお金の意味の韓国語「トン」と同じなので、語呂合わせのようですが豚の頭の貯金箱でお金を貯めたりします。今でも冠婚葬祭などでは豚肉が必需品ですし、市場で豚の頭が売られていたり何かの行事で豚の頭を供えている映像を見たことがある方もおられると思います。

  私はこれを直接見たことがあります。衝撃的と言うほどではありませんでしたが、けっこう驚きました。ただ一方では日本文化にも通じるところがあるとも感じました。
  当時お世話になっていた研究院に新しいコンピューターが導入された時のことです。80年代の終りですからまだパソコンなどが広く普及している頃ではありません。導入した少し大型のコンピューターの前に豚の頭を供え、それが故障もなく順調に働くように、院長自らが先頭に立って職員がうしろに揃ってならび頭を下げるという、そんな儀式があって私も参加しました。院長は神社の祝詞のような感じ(調子は違いますが)で文章を読みます。何というか日本で家を建てるときの地鎮祭みたいな感じでした。「えーっ、こんなことするんだ!」とは思いましたが、また一面「なるほどなあ」と思ったことも事実です。
  説明するまでもなく、日本でも機械に名前を付けて擬人化したり、物に魂があるように取り扱ったりする文化があります。仏教で言うところの生命と物質の違いはともかくとして、モノを粗末にしないで大切に使う、そんな気持ちからそのような儀式を行うのだとすれば、それはそれで(あじ)のある風習なのだと思います。

  モンゴルの侵略がきっかけとなった朝鮮半島の肉食文化はその後どうなったでしょうか。しっかり定着しました。では、肉食に欠かせないスパイスは?ということですが、初めのうちは山椒が使われたと言われています。しかしそこに中国を経て胡椒がもたらされ、やがて琉球から対馬を通して入って来るようになりました。はじめは朝廷が中心だったようですが、それがだんだんと庶民にまで広がり、朝鮮時代になるとなんとか自国で生産できないかとの試みがあったことは第4回で述べたとおりです。

○唐辛子
  ところが例の秀吉の侵略があって、胡椒が手に入らなくなってしまいます。でもちょうどそのころ唐辛子がもたらされます。初めのうちは毒があるとされていましたが徐々に広まっていきました。
  4回に述べたように朝鮮半島への伝わり方には諸説あって、代表的には秀吉軍が持ち込んだとされていますが、逆に朝鮮半島から秀吉軍が日本に持ち帰ったとの説もあるようです。また日本へはポルトガルの宣教師が伝えたとの記録もあるとか・・・。
  いずれにしても胡椒が入らなくなったその時期に温帯で栽培可能な唐辛子がもたらされる、今考えるとぴったりのタイミングだったと言えそうです。

  余談ですが、同じころに入ってきたのが煙草です。これも例の『芝峰類説』に載っていて、「淡婆姑草名亦號南靈草、近歳始出倭國」と記されています。つまり、毒があるから軽々しく試してはならず、南蛮の国には長期に服用して死んでしまった女性がいると言っています。同時に「管」を意味するカンボジア語「khsier」(キセル)も伝わりました。朝鮮服を着た老人が悠々と長いキセルで煙草を吸っている図や写真などを見たことはないでしょうか。キセルの長さが権威を示しているそうです。
  さらに余談を重ねてすみませんが、日本で「一味」といえば唐辛子だけです。そして「七味」と言えばいろいろブレンドしたものを指します。その内容を調べてみると、山椒、麻の実、胡麻が共通で、陳皮、芥子の実、青のり、生姜などに違いがあると出ていました。ただ、その読み方が「しちみとうがらし」となっていたので、ちょっとひっかかりました。
  実は、ずいぶん前に浅草に行った時の話です。そこに露店を出している威勢のいい小父さんが、「『しちみとうがらし』というのは間違い、ほんとうは『なないろ唐辛子』と言うんだ」とえらく強調していました。その時は「ふーん、そうなんだ!」と思っただけでしたが、今回これも調べてみると七味唐辛子というのは上方風の名前で、江戸・東京周辺では七色唐辛子、七種唐辛子(なないろとうがらし)と言っているそうで、「近代以降の多くの辞書では『なないろとうがらし』を標準語形とした」ともありました。なるほど、あの小父さんは江戸っ子だったのですね。
  その小父さんに聞いて以来、私は「七味」と書いてあっても「しちみ」ではなく「なないろ」と読むようにしていましたが、今回調べてみてスッキリしました。皆さんはこんなことを気にする方ですか?

  それはさておき、唐辛子の成分のカプサイシンは胃液や唾液の分泌を促して食欲を増進させ消化を助ける効果があるそうです。また肥満防止、血行促進、発汗作用などにも効果があるとか。ですが、胃に問題がある方はちょっと気をつけた方がよいと思います。私も昔はあまり気にしないで辛いものを食べていたのですか、実は大失敗したことがあります。
  30年ほど前に筑波大学で開かれた研究会に参加した時のこと、留学生が多いからか食堂には各国特有のランチが用意されていました。その中にカレーがあり、そのそばに緑のものがあったので普通の野菜だと思いちょっとプラスしたのですが、実はそれは青唐辛子でした。うっかり食べたところ、胃が猛烈に痛くなり牛乳を飲んでも治まらず冷や汗が出て、顔色も真っ青だと同僚に言われ、ついには救急車で運ばれてしまいました。そのうえ保険証を携帯していなかったというおまけまで。
  それ以来カレーと唐辛子は食べ合わせないように(当たり前ですよね)、とにかく辛いものには慎重にしています。(つづく)(M.I.

                                      

               ちょっと紹介を!
 

  松里公孝著
     『ウクライナ動乱-ソ連解体から露ウ戦争まで』(ちくま新書 2023)

  著者は東京大学教授。専門はロシア帝国史、ウクライナなど旧ソ連圏の現代政治。著書に『ポスト社会主義の政治―ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの準大統領制』(ちくま新書)など。

  今年1月号で紹介した『キーウの遠い空』の著者は日本に長期留学した経験があった。それに対して本書は、2012年度から開始された研究プロジェクトによってウクライナを担当した著者によるもので、「命がけの現地調査と100人を超える政治家・活動家へのインタビューに基づき、ウクライナ、クリミア、ドンバスの現代史を深層分析。ユーロマイダン革命、ロシアのクリミア併合、ドンバスの分離政権と戦争、ロシアの対ウクライナ開戦準備など、その知られざる実態を内側から徹底解明する」ものという。(カバーより)

  ただ、本稿に入る前に少し付け加えたい。
  最近、飯山陽著『ハマス・パレスチナ・イスラエル メディアが隠す事実』(扶桑社2024)を毎日新聞24日の「今週の本棚」欄に触発されて読んでみた。書評は一部が有料記事なのでそのままでは掲載できないが、要するにハマスはテロ組織でありパレスチナの代表者ではないということ。ハマスはむしろ抑圧者であってアラブ諸国はハマスを危険視し、イスラエルと国交を結んでいること。しかし西側にはハマスに甘くイスラエルに厳しい人々が多くみられ、さらに、そこから浮かび上がる日本の外交レベルの深刻な問題点をも指摘している。これが当該書の主張の9割以上を占めているが、そのほか私には二つのことが印象的であった。それは第一に、「弱者は正義」「弱者こそ善」というのは一つの偏見であって実情に無知のまま安易に決めつけられないということ。第二に、それと関連してウクライナは「主権国家」であってテロ組織とはちがうということだ。これらの情報は仏教に言う「痴」に陥る危険を緩和してくれるのではないだろうか。(これだけではおそらく「?」なのでぜひ直に読んでほしい)

  戻って、戦争が始まった時『ウクライナ動乱』の著者は、「多くの専門家と同様、『プーチンがここまでやるか』ということに驚いたが、同時に既知感、『またか』という感覚は否めなかった。このような戦争はソ連末期からコーカサスや環黒海地域で繰り返されてきたものであり、今回の戦争は、一つの事例が付け加わったものにすぎない」と述べている。そして、不幸な出来事をきっかけにしてではあるが、日本社会の関心が高まったこの機会に、ウクライナの「歴史、地理、政治体制などについての基礎知識を提供したい」ということも執筆の動機となったと言う。ただし、それは「決して、価値中立、両案併記的な姿勢をとるということではない。しかし、現に対立があるのに、片方の言い分だけを聞いて書いたものを学術的な労作と認めるのは難しい」と強調している。

  その意味で本書は、多面的で奥深い研究報告書であり、さらに一般の読者に向けての詳細な解説書にもなっている。しかしここでは「ちょっと」という本欄の方針に従って一部だけを紹介する。読み通した結果としては、私たちが日頃伝えられる情報(やむを得ない面もあると思うが・・・)がいかに表面的であり断片的であるかがわかり、また国境が海に囲まれた日本に住む限りは芯からの実感はとても不可能ではないかと思った。
  ※以下、漢数字は基本的に算用数字に改めた。

  「はじめに」で著者が述べる各章の概要をそのまま以下に引用する。
  1章では、ソ連末期以来の社会変動がこんにちまで続いているという本書の基本思想を経済、分離紛争、安全保障の三分野にわたって検証する。章の性格上、ウクライナ以外のソ連継承国に数多く言及する。
  2章で、ユーロマイダン革命およびその後のウクライナの内政史をまとめる。ユーロマイダン革命以前のウクライナ政治史については、同じちくま新書の拙著『ポスト社会主義の政治』(2021年)を参照されたい。
  3章はクリミア、第4章はドンバスの現代史である。第5章は、2014年に成立し2022年にロシアに併合されるまで続いたドネツク人民共和国の歴史である。
  クリミアとドンバスの歴史を描くとき、2014年の決定的な出来事の叙述が主内容になるのはやむを得ない。しかし、ソ連末期に始まる変動の継続性という観点から、大事件の間の時期(19892013年、201521年)の両地域史にかなりの紙幅を割いた。そもそも大事件が起きたときだけクリミアやドンバスに注目するのでは、これら地域でなぜ大事件が起こるのかはわからないのである。
  6章は、ドンバス紛争管理とその失敗後の露ウ戦争を分析する。

  読み始めてすぐに驚いたのは、「キーウ」と発音してもウクライナ人には何のことかわからないということだった。日本のメディアが一斉に「キーウ」と表記は始めたのは一体何だったのだろうか?著者が表記する「キエフ」というのは「原初年代記にもあるこの都市の歴史的呼称」だと言う。(p.16
  「ウクライナという国、地域が現れたのは、ソ連時代の共和国を含めても1922年」のこと。だから、それ以前の歴史を今の「ウクライナ領土から見ようとしても無理」があり、「近世まで広く受け容れられていた地理単位、人間単位はルーシ(人)なのだから、この視点から東スラブ地域の広域史を見直さなければならない」と言うし、そもそも、「このような背景を背負った今の広大なウクライナはソ連連崩壊後に生まれたもの」なのだ。(p.502
  つまり、「たなぼた式で生まれた広大なウクライナは、先祖伝来ウクライナ語ではない言語で話し、書き、考えてきた住民、ウクライナ民族史観で英雄とされる人物たちに祖先が迫害された住民も抱え込んでしまった」。(p.485-486)
  こうした経緯はなかなか日本にいては理解できないのではないだろうか。

○クリミア
  2014316日実施の住民投票、圧倒的多数が独立を支持(本書には数字が掲載)。17日にクリミア最高会議がクリミア自治共和国の独立を宣言、ロシア大統領がそれを承認した。セヴァストポリ市でも同じプロセスを踏んだ。318日にはクレムリンで、両「国」のロシアヘの編入条約が調印される。ここまでは日本でも報道された。ただ、著者は言う。
  これは「ウクライナ憲法に定められた領土変更手続きを躁潤」し、「国連も、316日の住民投票の法的効力は否定している」。しかし、「ウクライナのソ連からの独立も、当時のソ連の離脱法を蹟潤して行われたので、因果応報という印象は禁じえない」。(p.243

○ドンバス
  「ドンバスとは『ドネツ川流域』あるいは『ドネツ炭田』という意味」で、「現代の行政区画としてはドネツク州、ルガンスタ州からなる」。
  「なぜこの州で、マイダン革命に対する対抗革命が起こり、それまでマージナル層であった活動家が人民共和国を打ち立てたのか。それまで州を思うがままに支配してきた富豪層が追放されたのはなぜか。
  素朴な発想としては、勝利の中に敗因があったのではないかと問うてみたくなる。それが本章の課題である」。(p.274

○プーチン大統領が行なった2022222日、24日の演説について
  「プーチンの2演説をまとめると、ロシアが対ウクライナ戦争で実現すべき目的は、ロシアの安全保障上の脅威除去(NATO拡大の阻止)、ドンバス住民の救済、ロシア語系住民の保護、ウクライナの脱ナチ化とまとめることができる。
  これら目的はすべて自家撞着している。実際、この戦争によって、NATO拡大は加速し、ドンバスでの民間犠牲者数は増大し、ドンバス外でもロシア語系住民は大きな被害を被ったのである。脱ナチ化についても、まさにこの戦争によって、ウクライナ政治における右派民族主義者の地位は揺るぎないものになり、野党は撲滅され、ウクライナ正教会は激しい抑圧を受けているのである。戦後にウクライナが民主化する見通しはほぼないと言わなければならない」。(p.450

○ドンバスなしのウクライナ
  2015年、ハルキウの社会学者は、同州住民の2人に1人は、『ドンバスなしのウクライナ』というスローガンを支持していると言っていた」。なぜなら、前年の内戦中、市民は血まみれの負傷兵がドンバスからハルキウ市の病院に多数運び込まれるのを目撃したから。つまり、「ミンスク合意を実施してドンバスを取り戻すということは、内戦の火種を再び抱え込むということ」になるからだ。
  「しかし、『ドンバスもクリミアもないウクライナ』という主張は、およそ2016年頃からか、心では思っていても口には出せないものになってしまった。国境線を変えられては困る欧米や国際機関が、援助を挺子にウクライナを『励まして』、強硬姿勢に戻したと思う」。(p.490

○背景には貧困や怒りが
  「ウクライナの分離紛争を、米露の地政学的対立の一事例とみるのは間違っている。ユーロマイダン運動がそうであったと同様、クリミアの分離運動にも、人民共和国運動にも、その背景には、社会主義解体後のウクライナの貧困化に対する不満、社会的不公正への怒りがある」。(p.491

○情報空間が単一なこと
  「大統領の下、国民は団結してロシアと戦っているというイメージは、判官贔屓の私たち自身にとって心地よい。しかし、これは事実ではない。ウクライナ住民の戦争評価は地域により様々である。
  そのうえ、交戦国間に言語障壁が存在しない。情報空間は単一である。国が築くネット上の障壁は簡単に突破できる。だから、両国の軍の司令部の戦況報告は、国民が敵の軍司令部の発表も視聴しているか、要旨は知っているということを前提にしてなされる」。(.495)

○ロシアとウクライナの関係
  ソ連解体時にクリミアをウクライナが抱え続けたことも問題となって残された。また、ロシアが占領地域を「ウクライナに返さなかったとしても、それらが普通のロシア南部州になるとは私は思わない。それらは、ロシアの中のウクライナになるだろう。()
  いずれにせよ、露ウは切っても切れない関係にあり、両者が普通の主権国家として綺麗に株別れすることはありえない」。(p.497

○分離紛争解決の5つの処方箋
  分離紛争の解決法としては歴史的に5種類が出されている。
  「①連邦化、②land-for-peaceパトロン国家による分離政体の承認、親(おや)国家による再征服、パトロン国家による親国家の破壊である。親国家とは当該分離政体が以前帰属していた国家、パトロン国家とは、外から分離政体を応援している国家を指す」。(p.421

  処方箋―連邦化
  これは分離政体が武装解除・自主解散して親国家に戻ってくる代わりに、親国家が連邦化して出戻りの分離政体に自治権を与えること。
  この政策は国境線を変えなくて済むので国際組織や仲裁国の受けが良いが、歴史上実績がほとんどない。なぜなら、第一に相手に対する不信であり、根本的には紛争当事者の利益に反しているから。
  ウクライナの場合はどうか。
  「分離政体(ドンバス2共和国)が出ていったことで本音ではせいせいしており、みずからの国制を変えてまでドンバスに戻ってきて欲しいとは思わない」。なぜなら、戻ってくると選挙バランスが変わってこれまでの政策が継続・維持できなくなるし、出て行ってくれたおかげで、「NATO加盟の憲法改正、2015年脱共産法、2019年言語法が採択され」得たので、「いまさら戻って来られても困る」から。
  なので、以前の国境は望んでいるが、「『今のウクライナが気に入らない人は、どうぞロシアに移住してください』ということは、大統領はじめウクライナの高官がしばしば発言する」という。
  他方、分かれようとする側は、もとの国の中で自治権を得て自らを合法化するより、たとえ「非承認でも独立している現状の方がいい」と考えるだろう。
  ただ、紛争の当事者は仲裁国や国際組織から財政援助・軍事援助を受けている場合が多いので、「連邦化政策には望みがない」と内心思っていてもそれを言わない。また仲裁国は、交渉が停滞する陰で危機が蓄積していることに気づかないか、気づかないふりをしていると言う。

  処方箋Land-for-peace
  分離政体が実効支配地の一部を親国家に献上することで独立を認めてもらう取引。
  「国境線さえ変えれば、親国家・分離政体双方が国制を変えなくて済む」ので、「連邦化に比べれば現実性がある場合が多い」が、「国境線を変えてしまうので国際組織や仲裁国の嫌悪感を呼び起こし、ドナルド・トランプのような奇人型の政治家にしか支持されない」ことが弱みとなると言う。

  処方箋③―パトロン国家による保護国化
  この長所は、パトロン国家が軍事大国である限り親国家が分離政体を武力で再統合することを諦める。その反面、親国家は観光など民生部門に力を注ぐことができる。
  短所としては、第一に世界で数カ国しか保護国化を承認しないこと。第二に親国家との関係は半永久的に悪くなること。第三に分離政体の国際的孤立はむしろひどくなり、パトロン国家ヘの依存がかえって深まること。その結果地域の安全保障は脆いまま、経済発展も妨げられる。
  例えば、人口約4万人の南オセチアならロシアが丸抱えで養い得るが、ドンバスは400万人でそうはいかない。「総じて、分離政体の一方的承認=保護国化は、ロシア自身にとって旨味がない」。

  処方箋―親国家による再征服
  今日支配的な「国際法解釈では分離政体は存在そのものが違法」であり、「親国家が停戦協定を破って開戦しても、勝ちさえすればその結果は国際的に承認される。敵対的な住民は追い出してしまうので、将来に禍根も残さない」。
  ただし、「親国家に分離地域を再征服する国力があるかという実現性の問題」がある。

  処方箋⑤―パトロン国家による親国家の破壊
  「これは分離紛争への最も暴力的・黙示録的な処方箋」で、「パトロン国家が、分離政体を『救う』ために親国家を破壊する」こと。この問題点は人命の犠牲と破壊が膨大になる。さらに「国際社会が絶対に認めないので、紛争は継続する」。(以上、p.421429

  いかがだろうか。わずか一部だが、これを見ただけでもとても一筋縄では理解されるようなものではないことがわかる。ただ、最後にあげた処方箋のいくつかの考え方を知っただけでも、少なくともロシア・ウクライナ戦争を一方的な視座だけではなく、いくつかの角度から見ようとするきっかけになるのではないかと思う。
  なお、49日の毎日新聞朝刊に、「終戦へ領土割譲案 トランプ氏 ウクライナ念頭」という記事が載った。この先どう展開するのだろうか。(文責:編集部)

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