月刊サティ!

2023年12月号  Monthly sati!     December  2023

 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:今月は休載いたします
   ダンマ写真
 
Web会だより ー私の瞑想体験- :『転職と瞑想』
  ダンマの言葉 :『四人の友(慈・悲・喜・捨)』・・・5
  今日のひと言 :選
   読んでみました :吉川浩満著
     『理不尽な進化 増補新版-遺伝子と運のあいだ-』(筑摩書房 2021)
  文化を散歩してみよう:今月はお休みいたします
   ちょっと紹介を!:カール・エリック・フィッシャー著
    松本俊彦監訳、小田嶋由美子訳『依存症と人類』(みすず書房 2023)

     

【お知らせ】

  ※近刊される地橋先生の新しい単行本が現在最終的な段階に入っておりますので巻頭ダンマトークは少しの間お休みさせていただきます。

    なお新年号は1月中旬発刊の予定です。

           

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。

 
     

 今月のダンマ写真 ~
 

筑西 プラッタンシー寺院の曜日別守護仏

 先生より



    Web会だより ー私の瞑想体験-

『転職と瞑想』 永井 陽一朗

  前回、20239月号では、工場で働き始めたところまでを書かせていただきました。今回はその続きです。
  工場では妄想でぼーっとしてしまい、仕事の説明をされているのに全く頭に入ってきませんでした。そんなわけだから、他のみんなは仕事を任されているのに私には全然仕事をもらえませんでした。作業らしい作業をしないままひと月が過ぎた頃、ほとんど立っているだけだった為に足が痛くなり、早退や欠勤を繰り返すようになってそのまま退職。

  入社して間もない頃に、同じ時期に入社した人のうちの二人に私の寮で鍋パーティーをやらないかと誘われ、鍋パーティーをやらされ、また次の予定としてタコ焼きパーティーも約束する羽目になってしまいました。
  私には二人の人間としての質は高いとは思えませんでした。で、そんな二人と関わりを持つのはどうなのかと思い地橋先生に相談したところ、先生は原始経典のブッダの言葉を引いておっしゃいました。
  「自分と同じかそれ以上の者と歩めないなら、ひとり犀の角のように歩め」
  先生のインストラクションを受けた私はその二人とは関わらないことにしました。

  瞑想はというと、一人暮らしなのだから結構出来そうなものですが、初めの頃は妄想多発の為にあまり集中が出来ませんでした。そこで断っていた薬を再び服薬し始めると妄想が和らいできて、少しは瞑想に集中することが出来るようになってきました。しかし、退職する1週間くらい前からは、工場で知り合った先ほどの二人とは別の方を毎日のように寮に呼んで鍋を食べていたので、瞑想する時間はほとんど取れませんでした。

  実家に帰ってから職探しを始めました。ある工場の仕事を見つけて1LDKの寮に入った時には、1LDKで一人暮らしが出来るようにとアラン・ピーズのブレイン・プログラミングを行っていて、願望実現が果たされました。

  ブレイン・プログラミングというのは「引き寄せの法則」を科学的に説明したもので、アラン・ピーズという人が書いた本のタイトルでもあります。「引き寄せの法則」とは、簡単に言えば願望を実現させるのに使える法則です。私はニート生活を続けていた為、生活基盤を整える必要がありました。生活が出来ないと瞑想も出来ません。ブレイン・プログラミングはあくまで、瞑想修行、ヴィパッサナーヴァーヴァナーを行うために使ったのでした。自分の欲を達成させるためにブレイン・プログラミングを使うことは、原始仏教の教えからすれば逸脱していますが、私の場合にはこのような理由から必要だろうと考えたのです。

  今回は、天職が見つかるようにブレイン・プログラミングを行いました。何が天職か分かりませんでしたが、希望のWeb制作やSNS関連の仕事を探しました。また、私は万年筆が好きなので、万年筆の仕事も探しました。なぜ私が万年筆が好きなのかというと、実はジャーナリングが関係しているからです。

  去年2022年の5月頃から、私はジャーナリングを行っていました。
  ジャーナリング(書く瞑想)というのは、ダンマトークでも以前に説明されていたことがあると思いますが、紙にペンで自分の思考を書き出して可視化するやりかたです。文字にするという段階を入れて可視化された思考を読み返すことで、客観的に観察することが出来、その結果、自分の思考の癖や思考パターンを明らかにしようということです。

  私のジャーナリング体験を少しお話ししましょう。
  ある時、私は瞑想中に妄想に囚われてしまいました。サティが入らなかったのです。ジャーナリングで書いたものを観察してみると、サティが入らない自分を情けないと思っていることが分かりました。
  「サティ入らなくても、まあいっかあ・・・」
  私はサティが入らないことを受け入れました。すると自分のことを情けないとジャッジしなくなったのです。自分を受容することが出来たのです。

  去年、2022年の6月頃に高級筆記具でジャーナリングがしたいと思い、Parkerというブランドのソネットいうボールペンを買ったのでした。その後、10月の誕生日に友達から万年筆のインクとコンバーターをいただきました。コンバーターとはインクを入れる機器で、万年筆に装着して使います。元々、万年筆を1本持っていたので、それ用に買っていただいたのでした。
  使ってみると、書き心地がそれまで使っていたカートリッジ式というものよりも格段に良くなり、そのことに私は驚きました。こうして私は万年筆に興味を持つようになります。万年筆専門店に試し書きが出来るよう、置いてあったグラフ・フォン・ファーバーカステルというブランドのアネロというシリーズの万年筆を使ってみると、そのあまりの書き心地の良さに驚き、感動し、私はそのシリーズの色違いの万年筆を購入したのです。以後、万年筆の沼にハマっていくことになりました。

  話をブレイン・プログラミングを使った職探しに戻します。万年筆やWeb制作の仕事を探していると、万年筆の通販サイトのデザイン、バナー制作、SNS発信の仕事の求人が見つかりました。好きな万年筆の仕事で、しかも希望のWeb制作とSNS発信の仕事だったので、すぐに応募しました。結果、その仕事に決まりました。退職してからひと月くらいのことでした。ブレイン・プログラミングによる願望実現だと思われます。まさに「引き寄せの法則」どおりでした。

  すぐに神奈川県から職場のある千葉県に引っ越し、一人暮らしを始めました。その頃、地橋先生から「会社、職場の人たちに慈悲の瞑想を行うように」とインストラクションを受けました。
  しかし2ヶ月経った頃、専務から社会人としての基本がなってないだとか、仕事の進みが遅いだとか、職場の人間に認められることが重要だが認められていない、といった指摘を受け、このままでは雇用の継続は難しいと言われてしまいました。直属の上司は入社当時から私に冷たかったのです。私は会社側はもう私を雇う気がないのだと踏んで、退職することにしました。コーディングの仕事は3日しかやりませんでしたが、バナー制作の仕事は3回くらいやりました。あとはPCを使った単純作業でした。

  この職場で働き始める前、地橋先生から慈悲の瞑想をやるように言われていましたが、私は慈悲の瞑想があまり上手く出来ない為、ほとんど慈悲の瞑想を行なっていませんでした。
  「慈悲の瞑想を行なっていれば、職場の人間から嫌われて退職することになどならないだろう。これは慈悲の瞑想を実践するように、という天の計らいかもしれない」というようなことも言われました。
  それを聞いた私は、慈悲の瞑想を行うことにしました。余計な妄想が湧いてきて、なかなか出来ない慈悲の瞑想でしたが、実践に努めました。スマナサーラ長老の慈悲の瞑想のフルバージョンをYoutubeで見ながら一緒に念じていると、心が暖かくなりました。

  退職する旨を会社に連絡した日、Web制作会社のオンライン面談があり、その日のうちに採用が決まりました。
  この万年筆の通販サイトの仕事の期間、瞑想はというとあまり集中できず、帰ってからは疲れてしまい、また妄想も多発しており、あと気概が足りない為、あまり質の高い瞑想を行うことは出来ませんでした。頻度も少なかったです。
  オンライン瞑想スタジオのMelonオンラインで週3回くらいはクラスを受けていたので、全く出来なかったというわけではありませんでしたが、坐る瞑想は週1時間かそれ以下、歩きの瞑想はほとんどやっていませんでした。Melonで行われている「動きの瞑想」という坐りながら、比較的ゆっくり上半身を動かしつつ、その感覚を観察するものは週1時間かそれ以下の頻度で行なっていました。
  ジャーナリングはほぼ毎日行っていたのですが、今年の春頃からは、ほとんど成果が感じられない日ばかりでした。ただ、この原稿を書いている直近では、ジャーナリングによる気づきが得られることが多くありました。書き留めたものがありますので、以下に紹介します。
 <いつも心のもやもやを解消しようとジャーナリングを行なっていた。だが、心のもやもやは晴れないことがほとんどだった。私はジャーナリングを行う動機が「心のもやもやを解消しようとしていること」だと気づいていなかった。だが、そのことに気づくと、心のもやもやが晴れた>
  無自覚だった自分の心を自覚することで上記のことが起こりました。

  妄想ですが、何ヶ月か前に、それまでは、妄想をジャッジして嫌悪し、排除しようとしていたことに気づきました。気づいてからは、妄想をジャッジせず(価値判断せず)、ありのままに見ることが数回出来ました。
  ありのままに見ると、数回とも妄想が1秒くらいで消えました。それは私にとってはかなりの進歩でした。妄想をジャッジして嫌悪していることに気づいたばかりか、妄想を価値判断せずありのままに見ることが出来たのです。

  瞑想を始めるようになってからの変化ですが、グリーンヒルに来ている皆様やマインドフルネスサロンMelonの皆様から「変わった」と言われるようになりました。「明るくなった」「人に接する時の表情が柔らかくなった」「大らかになった」「メタ認知しているようになった」「メタ認知が高まった」といったことを言われました。
  他には、ニート生活をやめ、再び働くようになったことや、一人暮らしをするようになったこと、瞑想ライフを送るようになったこと、法友が出来たこと、グリーンヒルやマインドフルネスサロンMelonの方たちとの良縁に恵まれたこと、地橋秀雄先生という尊敬する師が出来たことです。
  1day合宿には去年2022年の7月頃から毎月通っています。スタッフとしても3回参加させていただきました。瞑想を始める前は、生きがいや生きがいを感じる気持ちが少なかったのですが、今は瞑想が好きで、瞑想が楽しく、瞑想が生きがいです。
               

                  苗場の朝  
        N.S.さん提供
 






このページの先頭へ

『月刊サティ!』
トップページへ

 


ダンマの言葉

              『四人の友(慈・悲・書・捨)』・・・5

(承前)

 4.捨(平静さ)
  「四人の友」の最後は、すべての感情の中で一番すばらしいもの、すなわち、「平静さ」、「物事を公平に見る心」です。
  「平静さ」にとっての遠くの敵は「不安」や「落ち着きのなさ」、そして近くの敵は「無関心」です。
  ですが「平静」さとこの近くの敵の「無関心」は混同されがちです。無関心な心の状態とは、「問題が我が身や我が家族にふりかかるのでなければ構わない。知りたくない。わずらわされたくない」というものでず。無関心は冷たく拒否的な態度であり、その中に愛情や慈悲は見出せません。私たちはとにかく自分を守りたいと思い、そのため無関心な態度をとろうとするのです。

  しかし、公平に物事を見る心の基礎にあるのは、すべては変化するという智慧と洞察、そして、あらゆるものは永遠ではないという理解です。どんな出来事にも終わりがあります。
  いかなるものにも「本質的な重要性」はありません。不変でないものにもとづく「不死にいたる道」などは標識のない道であり、何の意義もありません。解脱以外に、全宇宙において真に意義あるものはないのです。
  「すべてのものは絶えず変化している。起きたことがよく思えようが悪く思えようが、それによって有頂天になったり落ち込んだりする必要はない」という洞察から、平静さが生まれます。物事はただ起きているだけです。
  私たちはこの宇宙に住む人間として、恐らく60年か70年か80年、ここに存在するだけです。どうして押し合いへし合いしているのでしょうか。何を得ようとしているのでしょうか。どこへ行こうとしているのでしょうか。すべてはただ起きているだけなのに。
  私たちに真の平静さが備わっていない原因はただ一つ、自我(エゴ)を守りたいからです。「私は何か危険にさらされるかもしれない。攻撃を受けるかもしれない。それによって私の命は安全でなくなるかもしれない」と、私たちは恐れています。しかし、皆が探し求めている安全は絵空事であり、妄想です。安全などあり得ません。人は皆、死を免れないし、持っているものもすべて必ず壊れるときが来ます。
  私たちが愛している人も皆、老・病・死を免れず、いなくなってしまうし心変わりもします。これらのものはどれも安全ではありません。
  自分にとって好ましくないことが起こったときに平静さがなくなるのは、妄想するからです。その妄想とは、自分の幸福にとって本当に大切なものを失ったと思うことです。これが自我防衛というものです。しかし幸福でさえも妄想です。なぜなら、私たちを本当に満足させ、永久に安全を保証してくれるものは何もないのですから。
  平静さを得るには、ただ平静な心でいようと決意するだけでは足りません。決意は役に立ちますが、その決意が抑圧とともに行なわれる場合があります。私たちは自分の激しい感情を抑圧しがちです。それはまったく私たちに利益をもたらしません。なぜなら、抑圧された感情はいつかは外に出てしまうからです。ある面で抑圧されたものは他に出口を見出そうとします。

  抑圧していると、病気になったり落ち込んだりすることがあります。抑圧されたものが、他の面で噴出してくることがあります。そうなると、私たちはある状況では動転しなくても、別の状況で混乱させられることになります。
  平静さには洞察力が必要です。完全な平静さが培われたならば、悟りを得るための七覚支の一つが培われたことになります。もっとも、完璧な平静さは、悟った人のみにもたらされる恩恵です。とはいえ、私たちがいま修行せずに、どうして進歩し成長することができるでしょうか。
  私たちは瞑想を通じて、変化と流転、すなわち、いかに私たちの心が絶えず変わっているかがようやく分かり始めます。自分が10分前に考えていたことを思い出せるでしょうか。一番最近の瞑想で考えていたこと、その前の瞑想で考えていたことを思い出せる人がいますか。誰もいません。私たちはいかなる思考、いかなることも留めおくことはできないのです。すべては一時的なものです。
  自分が30年にわたって家を持っていた、あるいは誰かと一緒にいたからと言って、その物や人をずっと持ち続けることはできないのです。物や人が長年自分とともにあると、それらが永久に存在するように思えるものです。しかし瞑想をすれば、自分の思考が現われては消え、決して自分の中にとどまっていないことに容易に気がつくでしょう。すべてが変化し消えてしまうのなら、何を心配することがあるでしょうか。すべては絶え間なく変化し、絶え間なく流転するのです。

  変化や流転が起きている間だけ、私たちは人間として存在します。呼吸し、血管が脈打ち、思考や感覚が変化している間、体内のすべての細胞が朽ち果てつつある間だけ、私たちは人間でいます。それらが止まった時、私たちは骸(むくろ)になるのです。変化と流転なくして、私たちは存在しません。ところが私たちは、変化し流転するものを、永久不変のものに変えることを望みます。私たちはそれらを固定したものにしたがるのです。「これが私だ。私は、これが私だということを皆に確実に知ってもらいたい。私には名前があり、私に属している人や物もある。私には私の見解があり、皆がそれらの見解を間違いなく知ってほしい」。
  このような考え方によって、「永久不変」という概念が人間のなかにしみこんで行きます。しかし、人は絶えず変化しているからこそ、人として存在しうるのであり、最後には骸に変わってしまうものなのです。そうして私たちはまた最初から繰り返します。
  平静さが芽生えるためには、ある程度の基本的な洞察力が備わる必要があります。受容も必要です。受容がなければ、苦が存在します。苦はかならず抵抗を伴っているからです。受容の反対は抵抗であり、抵抗は痛みをもたらします。何かに逆らって押そうとすると、手に痛みが生じます。逆らわずに協調すれば、痛みはまったく生じません。物事をあるがままに受け入れると、平静さが生まれ、平静さから安心が生まれるのです。

  これまで述べてきた、四つの心の状態―崇高な価値のある境地―は、心に安心をもたらしてくれます。この「四人の友」をある程度まで育めば、私たちは安心と平安が得られ、安らかになるでしょう。なぜなら、たとえ世間が自分を非難し傷つけようとしても、自分はそれに巻き込まれる必要はないということが理解できるようになるからです。ブッダはこう言っています。「私は世間と喧嘩しない。世間が私と喧嘩しているのだ」これが平静さという安心なのです。

慈悲の瞑想
  集中するためにほんの少しの間、呼吸に注意を向けてください。
  
  あなたの心を観察して、心配、恐れ、悲しみ、嫌悪、恨み、拒絶、不愉快、不安があるかどうかを見てみましょう。もしそのうちのどれかを見つけても、それらは暗雲と同様、流れ去るものですから、流れ去るがままにしてください。
  あなたの心の中に、自分自身に対する暖かさと友情を呼び起こしてください。あなたにとって自分自身が最良の友であることを思い起こしてください。慈しみの思いと自らが満たされた感覚で、あなた自身を包みましょう。
  部屋の中にいるあなたにもっとも近い人を慈しみの思いで包み、その人が平安で幸福でありますようにという願いでその人を満たしましょう。ここにいるすべての人々を慈しみの思いで包みましょう。
  平和の感情をここにいる皆に広げて、あなたが皆にとっての良き友であることを思いましょう。
  あなたの両親を思ってください。両親がまだ生きていてもいなくても、慈悲の思いで両親を包みましょう。両親があなたにしてくれたことへの感謝の念と平安さで両親を満たし、あなたが両親にとっての良き友であるようにしてください。
  あなたにとってもっとも身近で親しい人々のことを思ってください。見返りを期待せずに、彼らを慈悲の思いで包み、あなたからの贈り物として彼らを平安で満たしましょう。
  あなたの友達のことを思ってください。心を開いて、見返りを期待せずに、彼らにあなたの友情、思いやり、慈悲の思いを示しましょう。
  あなたの近くに住んでいる隣人のことを思ってください。仕事場や通りや店で会う人々をあなたの友達にしましょう。彼らが気兼ねなくあなたの心の中に入ってこられるようにしましょう。
  あなたが嫌っている人々、口論したことのあるような人々、あなたに困難をもたらした人々、あなたが友達とは考えていない人々のことを思ってください。あなた自身の反応について教えてくれる先生として、感謝をもってその人のことを思いましょう。彼らに心から同情を寄せてください。彼や彼女も困難をかかえているのです。許しましょう。そして忘れましょう。彼や彼女をあなたの友達にしましょう。
  私たちよりも生活がもっと困難である人々のことを思ってください。病気で入院している人々、刑務所に入っている人々、孤児院にいる人々、戦争で分裂された国々の人々、飢えた人々、障害を持った人々、目の見えぬ人々、友達や避難所を持たず、決してダンマを聞くことのできない人々のことです。その人々みんなにあなたの心を開きましょう。彼らをあなたの友達にして、慈悲の思いを示し、彼らの幸福を願いましょう。
  あなたの注意を自分自身に戻しましょう。正しい努力をすることで生じた満足と、慈悲の思いを示すことで生じた幸福と、与えることから生じた喜びを感じましょう。これらの感覚に気づくようになりましょう。これらの感覚があなたの中とあなたの周りに創造する暖かさを経験しましょう。

  生きとし生けるものが幸せでありますように。(完)
  アヤ・ケーマ尼『Behg NobodyGoig Nowhere」を参考にまとめました。

       
今日の一言:選

1)これは、手のかかる、厄介な人だな、と溜息を吐きたくなるような修行者もいる。

  だが、例外なく、そんな苦労したインストラクションを通して、最も深い学びを得ることになる。

  善きにつけ悪しきにつけ、出力したエネルギーに比例した甘美な果実、もしくは苦い果実を刈り取らされる法則だ・・。

2)「なぜ私は、サティの瞑想が続かないのでしょうか?」

  「この世のことに囚われているからです」

  「私は、この世を捨てたいと思ってます」

  「それなら、思考にサティを入れ、見送りなさい。

  思考の中身は全てこの世のことです。

  概念の世界を世間と言います。

  あなたは、世間が大好きなのです」

3)どのような苦しみも、脳内に固着した「渇愛」という名の執着が手放されれば、終わるだろう。

  望みのものが手に入り、報復に成功し、「夢が叶う」場合もある。

  諸般の事情と因縁の流れを見て、「妄執だった・・」と静かに諦める場合もある・・・。

4)嫌なものがイヤではなくなっていくプロセスが、心の成長である。

  お膳を引っくり返す。

  斬り捨てる。

  戦争を始める・・・。

  ストレートに怒りを露わにするのは、幼稚なことだ。

  環境ではなく、認知を変え、心を変え、生き方を変えていく・・・。

5)「この世のことなんて、どうでもいい。私は悟りにしか興味がありません」

  「あなたが求めているのは、思考で考えた悟りです」

  「嘘です。 私は本当に悟りたいのです」

  「それなら概念の世界を一切捨てなさい。本気でこの世から出離する覚悟があれば、妄想は止まるでしょう・・」

6)諸法無我の対極にあるのは、我を張り、私が俺がと自慢し、差別し、人を見下す、エゴイズムの世界だ。

  駆け巡る思考、多発する妄想、荒ぶる心、昂り、暴れまわる心・・。

  その興奮と混乱が静まり、心に沈黙が拡がっていくと、見えてくる存在の本質、この世界の真相・・・。

  瞑想しよう・・・

     

   読んでみました
吉川浩満著『理不尽な進化 増補改訂版 -遺伝子と運のあいだ-』
                                    (筑摩書房 2021)
  著者は鳥取県米子市生まれの文筆家、編集者で、書評サイトおよびYou Tubeチャンネル「哲学の劇場」を山本貴光氏とともに共同主宰している。著書には『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(河出書房新社)、『その悩み、エビクテトスなら、こう言うね。』(筑摩書房)、『脳がわかれば心がわかるか』(太田出版)などがある。

  すべての生命は遅かれ早かれ例外なく活動の終わりを迎える。著者はまず、こうした個体としての生物のたどる道と、種としていなくなること(絶滅)とを混同すべきではないとする。つまり、死は個体としてはあらかじめプログラムされているが、種の場合はそのまま世代を重ねて「存続していっても原理的にはかまわない。シーラカンスやカブトガニ何億年も同じような姿形を保っているように」と。
  このように、何億年も同じ姿を保っている生物(あるいは生命とも)もあり、またそれと並んで進化論も学校の教科書に載っていた。そして進化の要因は「適応」だとされていた(ように記憶する)が、「進化」の意味には「より優れたものへ」というニュアンスが伴っているようでもあった。
  しかしいつのころからか、「進化」と言っても「より優れたものへ」と簡単につなげるのはちょっと違うのではないかと、アンモナイトや視力を失った洞窟の魚、あるいはアスリートが「進化」の途中だとかの使い方に違和感を覚えるようになった。
  たまたまテレビを見たら秋の天皇賞をやっていて、イクイノックスという馬がぶっちぎりで一着、競馬を全く知らない私でもさすがに「すごいなあ!」と思った。ところが、次の日のスポーツ欄に「進化し続ける『完璧な馬』」と見出しにあった(毎日新聞)のを見て、「完璧ならなぜ進化するのか?」とイチャモンをつけたくなった。どうやら私(この欄の筆者)の性格は「望ましくない方向」へ「進化」しているらしい・・・。

   「だからどうなの!」と言われそうなので屁理屈(?)はここまでにして、この本の題名を見たときは、おそらく望ましい方向から外れてしまったような「ヤバい」ありさまを呈している動物についての話しではないかと思った。なぜなら、『ざんねんないきもの事典』とか、『わけあって絶滅しました』、『くらべてびっくり!やばい進化のいきもの図鑑』などの本も出ているので。
  ところが、本書はそうではなく、語り口は軽くしかも実に綿密に進化について真っ向から論じていた。著者によれば本書は、「進化論と私たちの関係について考察することにある。いいかえれば、進化論を通じて私たち自身をよりよく理解しようとする試み」であって、「未知の進化的事実や新たな進化学説を教えるものでもない」。「とはいえ、詳しい人や専門家にも読んでもらいたいとは思う。これは専門家と非専門家との接点を提示する本でもあるから」と言っている。

  著者は全体の構成をおおよそ次のように述べる。第1章は「絶滅という観点から生物の歴史の理不尽さを」、第2章は専門家でないものが漠然と描く「通俗的な進化論のイメージの内実と問題点」、第3章は専門家による「本物の進化論がもつ意義と有効性をスター研究者たちの大論争」、終章は、第2章と第3章とで描かれた論点が「ともに私たちの自己認識と歴史認識をめぐる同じ難問に由来する」ということを論じるという。
  本書は膨大な分量と内容を含んでいて、本稿でそれらすべてを紹介することは出来ない。まして第2章からは専門家であってもなくてもその理解にはかなりの知識を要するように思われる(私の個人的感想)ので、ここでは序章「進化論の時代」と第1章「絶滅のシナリオ」からとくに惹かれた部分についてのみ紹介することにしたい。おそらくそれだけでも新たな知見となるのではないかと思う。それは、生物が絶滅する理由についてであって、地球の上での争いごとがいかに卑小なものであるかを教えてくれる。なお○印小見出しは本稿筆者が便宜のためにつけた。

○絶滅という視点から
  地球上に何十億年も昔に発生した生物はこれまで大量絶滅を5回経験しているという。最新の恐竜絶滅は5回目だそうだ。そこで著者は先ず、進化というものを生き残ったもので見るのではなく、絶滅と言う観点から見てみようと強調する。理由は二つある。
  一つは、これまで地球上に出現した生物種のうち99.9%は絶滅しているから。そして、残りの0.1%も「まだ絶滅していないというだけで、いずれは絶滅することになるだろう」から。
  二つ目は、著者の言う「私たち自身をよりよく理解しようとする試み」のため。なぜなら、なぜか私たちは個人から国家までその生き残り率0.1%の希な成功例を手本にしたがるけれど、私たちがその生き残りの0.1%に属しているという思い込みはただの願望に過ぎないということを理解するため。

○絶滅理由に対する疑問
  で本書は、絶滅という視点から見たとき、それに対する「単純だが強力な疑問を提出することから」はじまる。それは、99.9%という生物の絶滅は「適者生存」の結果なのか「他の事情」なのかということ。端的に言えば、遺伝子が悪かったからか、それとも運が悪かったからかということ。これが「本書前半(序章~第二章)のテーマである」と著者は言う。
  アメリカの代表的な古生物学者であるデイヴィッド・ラウプがその著作で、「ほとんどの種は、運が悪いせいで死滅するのではないかと、私は考えている」と述べているのを受けて、著者はラウプがこのように言うまでの過程に興味を覚える。そして絶滅のシナリオは、(1)弾幕の戦場、(2)公正なゲーム、(3)理不尽な絶滅という3つの「シナリオに分類できると彼は考えた」という。先の2つは次のようなものだ。

  (1)弾幕の戦場
  まさにおびただしい爆弾が降ってくるようなもので、純粋に運のみ。例をあげればおよそ6500年前に起こった大規模絶滅で、地球外からやってきた天体が地球(ユカタン半島)に衝突したことが原因と考えられているもの。

  (2)公正なゲーム(ラウプの邦訳書では「正当なゲーム」)
  「同時に存在するほかの種や、新しく生じてきたほかの種との生存隣争の結果として絶滅が起こるという」もの。つまりは普通に考えられる生存競争の結果と言うこと。

  この2つの違いは(1)には「選択性」がなく、(2)には環境への適応の度合いという選択性があること。もしこの2つだけだったら話はわかりやすいが、ラウプの言う「運」というのはそれらを統合した第3のシナリオで、それが話をややこしくもし面白くもしているとも言う。

○理不尽な絶滅とは
  3のシナリオとして「理不尽な絶滅」が出てくる。
  これは第1のシナリオと第2のシナリオが組み合わさったもので、その面白さは「現在の生物の多様性が生みだされるうえで大きな役割を演じたのがこのシナリオだと考えられるから」だと言い、ひとことで言えばとして、「遺伝子を競うゲームの支配が運によってもたらされるシナリオ」としている。

  わかりやすくするために著者は恐竜の例をあげる。
  俗説的には、恐竜は天体衝突によって「一挙にこの世から消えてしまった」と思われていたり、「図体がデカくなりすぎたせいで自滅した」と思われていたりする。前者なら第1のシナリオのみ、後者なら第2のシナリオのみで説明がつくが、事実はそんな一度にかたがつくような単純なことではない。よく知られていないけれども、恐竜の絶滅にはそこに至る「過程」、つまりタイムラグがあったという。その過程のありさまを表わすのが第3のシナリオ、つまり「理不尽」な絶滅だったと著者は言う。
  著者はそこで、「惑星科学者の松井孝典と地質学者の後藤和久の記述をもとに、その次第を追ってみよう」としているが、ここではさらにそれをなんとか要約してみる。(※詳しい著述はぜひ直接お読みを! 大変面白いし納得されると思う)

○恐竜の場合
  ここからは勝手に箇条書きにする。
  ①白亜紀末に天体が衝突する(ユカタン半島)。
  大量の塵が上がり、一部の小さな塵は空間にとどまって太陽光をさえぎる。それは数か月から数年にわたって続いたと推定される。
  太陽光がさえぎられ、陸上植物や植物プランクトンといった光合成生物が死滅する。
  光合成生物の絶滅によって、それらを食べる草食恐竜が絶滅し、そして草食恐竜を食べる肉食恐竜も絶滅する。
  また太陽光が届かず、衝突後10年程度のあいだ地球規模の寒冷化が起こる。それは最大10度と推定され、これも恐竜たちを不利にしたと思われる。

  こうして見れば、「恐竜は遺伝子もわるかった」のではなく、「むしろ二重に運がわるかった」のだということがわかる。(※下線は筆者)
  どういうことかというと、「たまたま起きた天体衝突のときに、たまたま繁栄を迎えていたという点で、運がわるかった(たまたま繁栄していなければ被害は少なかったかもしれない)」。これが一つ目の運の悪さ。
  二つ目の運の悪さは、「たまたまもたらされた衝突の冬が、たまたま自分にとって徹底的に不利な環境であったというものだ(たまたま相対的に有利になった生物もいた)」。

  そして、「彼らはそこで、これまで自分の影に隠れて生きてきたような小物たちが生き延びるのを横目で見ながら滅んでいったのである。理不尽な絶滅の犠牲者はこのようにして二重の不運に見舞われる。これを理不尽と呼ばずしてなんと呼ぼう」と。
  泣きっ面に蜂のようなもので、まさに「トホホ・・・」の限り、これでは苦情の一つも言いたくなるだろう、手遅れだけれど。先ず、何らかの事件で運悪く痛めつけられたところへ、次に、自分の遺伝子のありようがその事件後の世界には合っていなかったという、そんなこんなで被害がダブルになったと言うこということだ。感覚的だkれども2倍と言うより2乗と言ったほうが相応しいかも知れない。

  著者はこのシナリオを理解する際の3つのポイントをあげる。
  1は、生存のためのルールの急激かつ大規模な変更。(衝突の冬の場合は太陽光の遮断と寒冷化)
  2は、新ルールはそれまでのルールとは関係がない。(旧ルールへの適応がまったく役に立たない)
  3は、新ルールが厳格に運用されること。(新ルールに適応するものだけが厳格に選択される)

  著者はこの「理不尽」という言葉を、「万人に公平なはずの運が不公平にもたらされ」「公正なはずのゲームが不公正にもたらされる」という意味で使っている。そして、「第三のシナリオが『理不尽な』絶滅と呼ばれる理由がここにある」と言っている。
「弾幕の戦場」も「公正なゲーム」もそれなりに苛酷なものにはちがいない。しかし、理不尽が理不尽であるというその理由は、旧ルールと新ルールとのあいだや、これまでの適応とこれから必要とされる適応とのあいだに関係性が無いからなのだと言う(下線筆者)。そして結論として、
  「それは苛酷なものである以前に、なにより不公平なものなのだ(しかる後に苛酷で厳しくハードルの高いルールが絶滅生物を追い詰める)。これが、理不尽な絶滅シナリオが理不尽であるゆえんである」と結んでいる。

  いかがだろうか。本書はこの後、第2章「適者生存とはなにか」、第3章「ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか」、終章「理不尽にたいする態度」、文庫版付録「パンとゲシュタポ」と続いており、養老孟司氏の解説によれば「終章がいわば本番になる」とされるが、とてもそこまでは断念せざるを得なかった。おそらく今回紹介した部分だけでも充分刺激的であり、絶滅の理由についてなるほどと思わせられたことには全く疑問の余地はない。
  さらに付け加えれば、もちろん本書を読んだからに限らず、この世の現象の原因、結果は決して単純なものではないことを肝に銘じなければと思った(雅)

                              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※前月号の「読んでみました」で紹介いたしました『PTSDの日本家族会・寄り添う市民の会』を設立された黒井秋夫さんの記事が、「戦争が壊した人生に目を」とのタイトルで去る1112日(日)付けの毎日新聞『語る』欄に掲載されましたのでお知らせいたします。

文化を散歩してみよう
                               今月はお休みさせていただきます
    ちょっと紹介を!

カール・エリック・フィッシャー著、松本俊彦監訳、小田嶋由美子訳
『依存症と人類』(みすず書房 2023)

  「われわれはアルコール・薬物と共存できるのか」を副題とする本書は、まがりなりにもブッダの教えを学んでいる人にとっては縁が薄いものかも知れない。しかし、知識として知っておくだけでも視野を広げるし、また客観的な感的な観方を養う一助となるのではないかと考え、この欄で紹介することにした。なお奥付に、「瞑想とマインドフルネスを用いた統合的アプローチによる依存症治療を中心に、精神科の個人診療を行っている」と記されていることもここに取り上げる動機の一つでもある。

  著者は自らもかなり深刻な(→本書を読むとそう思わないではいられない)薬物依存を経験した依存症専門医で、生命倫理学者でもあり、コロンビア大学臨床精神医学助教授、法律・倫理・精神医学部門に勤務している。

  本書の特徴は表紙カバーに次のように述べられている。適切な紹介だと思う。
  「ある時代には酒や薬物に耽溺することは『堕落』と見なされ、ある時代には『下級階層の流行病』と見なされた。またある時代には、たとえ同じ薬物でも、特定のコミュニティで使用すれば『医療』だが、別のコミュニティに属する者が使用すれば『犯罪』と見なされた。
  アルコール依存症から回復した精神科医が本書に描くのは、依存症の歴史であり、その概念の歴史である。自身や患者の体験、過去の有名無名の人々のエピソードに加え、医学や科学のみならず、文学、宗教、哲学にまで踏み込んだ豊饒な歴史叙述によって、依存性薬物と人類の宿命的な繋がりが浮かび上がってくる。
  依存症は『病気』なのか? それとも、差別や疎外に苦しむ者に刻印されたステイグマなのか――?圧倒的な筆力で依存症をめぐるさまざまな神話を解体し、挫折と失敗に彩られた人類の依存症対策史をも詳らかにする。

『本書は、米国のみならず、国際的な薬物政策に大きな影響を及ぼす一冊となりうる力を備えている。その意味で、依存症の治療・支援はもとより、政策の企画・立案、さらには啓発や報道にかかわる著すべてにとっての必読書であると断言したい』

  ただ、この紹介文の末尾に「松本俊彦「解題」より」と記されているが、この稿の筆者は「解題」内に同文を見つけることは出来なかった。ただ、松本氏の「解題」はたいへん親切で、専門的な知識がない者にとって本書を読む際に大いに手助けになることはあらかじめお断りしておきたい。
  この紹介文だけでも概要はだいたい掴めるように思われるけれど、本文から初めて知ったり意外に感じたところをぜひ紹介したい。なお「著者はしがき」によれば、本書には合成された人物は一人もいないし、また実在する人物にはプライバシー尊重のため仮名にしているとされている。

○タバコの例
  キューバ北東部の海岸に停泊したコロンブスが中国大陸に到着したと思い込んでいたことはよく知られている。ただコロンブスはのちに大金を生むことになるアメリカの農作物に巡り会ったことにはほとんど気づいていなかったという。
  しかし偵察隊として上陸したデ・ヘレスは「すぐにタバコに魅了」される。そして彼は、「この慣習をスペイン南西部にある故郷アヤモンテにもち帰った」。ところが「住民たちは彼が口からもうもうと吐き出す煙を見て恐れおののき、彼が魔術を使ったと異端審問の場へと引っ立てた。デ・ヘレスは七年間投獄された。
  彼が釈放されるころまでに、タバコは、悪魔の草からヨーロッパのエリートたちの間の新しい流行へと変貌していた。そして、瞬く間にユーラシア大陸に広がり、いたるところで使われるようになる」(p.25

1960年頃のカリフォルニアでは、依存症者というだけで犯罪になったそうだ。
  25歳の陸軍帰還兵ローレンス・ロビンソン(黒人)は、ガールフレンドと友人の運転する車に乗っていたとき二人の私服警官に止められ、腕に注射痕があって友人とともに逮捕される。ロビンソンはその時全身汗だくになっていた。その後の経緯は省くが、彼の裁判は最高裁まで持ち込まれ、弁護士マクモリスは依存症自体を審理の対象とすることに成功する。
  ロサンゼルス市側は有罪を主張したが、「裁判所は62でビンソンを無罪とする判決を下し、『風邪を引いたという“犯罪”のせいで、たとえ一日でも投獄されるのは残酷であり異常生別である』と判示した。(略)
  基本的に、判事たちは、依存症は医学的な問題であり、法律の問題ではないということに同意したのである。『依存症者は病人であり、法が“病気を犯罪とし、病人が病気であるからと罰せられることを許す”としたら、それは“残酷な行為”である。(略)
  改革の機運が再び高まり、依存症は治療的アプローチによって対処できるという、画期的で理想的なリハビリテーションの考え方が新たに生まれてきていた」(p.224225

○治療の方法と目標
  薬物治療法には直面化手法というのがあって今でも行われているが、それは緊張を強いるものだとされる。数十年にわたる調査結果では、そのやり方が治療の成果を高める証拠はほとんど見つからず、実際にはむしろ逆効果で反発を強めるという結果が明らかになっているという。
  「今日手に入るもっとも有力なエビデンスによれば、28日間のリハビリテーションや外来患者プログラムのような、短期間に行われる、しばしば過激ではない治療法が、同等の結果をもたらすとされている」し、「この治療法の核心は、痛烈な直面化ではなく、自己についての考えを再構成する機会にある、と彼らは主張する。これは、しばしば依存症治療の明確な目標とされる。すなわち、単に病状を改善するのではなく、自己のアイデンティティを再構築するという困難な課題なのである」(p.239

○そもそも依存症とは?
  「身体の病気なのか、人格の障害なのか、精神的な病気なのか、それとも、まったく別のものなのだろうか?」(p.250

○どうして?
  1971年代にベトナム派遣の兵士の間にヘロインが広がった。そこで帰国する全兵士に尿検査をおこない、毎月何百人という兵士が陽性と判定される。ところが、そののち何年もかけて系統的にその兵士たちを追跡して面接を行い、軍や病院の膨大な記録を綿密にチェックした結果は画期的なものだった。
  「ベトナムでヘロイン依存症の状態にあった人は、彼らの基準で20パーセント弱だったが、帰国後1年間も引き続き依存していた人はわずか6パ-セントだった。つまり、世界でもっとも強力薬物とされるヘロインに依存していた人々の95パーセントが、単に使用をやめていたということだ。もっと長い期間を対象とした場合、ベトナムで依存症だった人のうち、帰還後の3年間で再発した人は12パーセント以下だった。さらに驚くべきは、兵士のほとんどが何の治療も受けずにこのように劇的回復率を達成したことであり、回復した兵士の半数は米国に戻ってからときどきヘロインの使用を再開していたが依存症の状態に戻っていない。(略)
  まるで筋が通らない話だ。ヘロインを使用すれば自動的に依存症になり、そこから抜け出すことはできないはずだった。国防総省もマスコミも、この調査結果を信用せず、徹底的に否定した。これは、一般的固定観念に反するものであったようだ。依存症のような深刻で永続的な病態が、自然になくなってしまうことなどあるのだろうか?」(p.287

○ただし、この診断には問題も
  そもそも診断とは、「ある状態と別の状態を識別する技術である。しかし、何が正常なのかという境界は正確にどう定められるのか? この問いは、何十年もの間、依存症、そしてより一般的な精神疾患の学術調査に付いて回った」し、「従来の依存症疾病モデルは、依存症は個別的で比較的均一な症状であると仮定していたため、そのような微妙な差異はほとんど見過ごされていた」のも事実である。
  ただこの結果は、「治療しないでも高い割合で回復すると明らかにした点で」衝撃的だったが、また、その調査が「ロビンズと彼女のチームが身体的な依存と依存症を同一視し(彼らの依存症の診断基準は、使用頻度、耐性や離脱症状の有無に大きく依拠していた)、したがって、彼らの依存症の定義は、コントロールを失った主観的経験をもつ人と、困難な状況で頻繁に薬物を使用し、その後状況が変化したときに薬物をやめただけの人とを一括りにしてしまったため、やや雑然としている」ため
に、「ここから単純な結論を出さないことが重要である」としている。(p.288
文責:編集部)

 ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会)トップページへ

『月刊サティ!』トップページへ