月刊サティ!

2023年7月号  Monthly sati!     July  2023


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:今月は休載いたします
   ダンマ写真
 
Web会だより ー私の瞑想体験- :
    『
ニュー・ニューシネマパラダイス(脳内映画館からの脱出)』
                                   ― シーズン2 ― (3)
  ダンマの言葉 :『段階的に進めるブッダの修行法』(8)
  今日のひと言 :選
   読んでみました :奥野克巳著
     『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして』
                                  (亜紀書房 2018)(後)
  文化を散歩してみよう :プライドそして人と人との間(4)
   ちょっと紹介を! :シャルル・ダレ著『朝鮮事情』(平凡社 1979)
           イザベラ・バード著『朝鮮紀行』(講談社 1998)

     

【お知らせ】

  ※近刊される地橋先生の新しい単行本が現在最終的な段階に入っておりますので巻頭ダンマトークは少しの間お休みさせていただきます。
 

           

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。

 
     

 今月のダンマ写真 ~
   

下館道場近傍のタイ寺院『プッタランシー』
 

地橋先生提供

    Web会だより ー私の瞑想体験-

『ニュー・ニューシネマパラダイス(脳内映画館からの脱出)』
                ― シーズン 2 ― (3)
                        by セス・プレート

(承前)
・どう生きるか ー Reality Bites(俗世間はツライ?)
  肩の痛みは無くなり、医者通いは止まった。でも、相変わらず会社には行きたくない。まだ何か向き合っていないこと、気づいていないことがあるに違いない。このまま少しでも瞑想とサティのある生活を続けていこう、そうすれば、何億劫年後には阿羅漢さんになっているかもしれない。もう、今世は今までみたいじゃなくて、刺激と欲のない生活を慎ましく生きよう。でも、本当?本当にそれが望むこと?
  迷っている頃、地橋先生がある本を紹介してくれた。この本を読んでうまくいくと瞑想に戻って来ない可能性もあり、諸刃の剣らしい。その本は、『自動的に夢が叶っていく ブレイン・プログラミング』で、著者はあの世界的超ベストセラー『話を聞かない男、地図が読めない女』で有名なアラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ夫妻である。端的に説明すれば、この本は願望実現の本だ。叶えたいことを欲望順、時系列にリストアップする。達成期限を付けて、紙に書いて目に付くところに貼って置き、それを頻繁に見る。決して、具体的な方法を「考えてはいけない」。

  やらない手はない。私は瞑想自体は続けるだろう。叶った先から失うことが約束されているこの俗世間で、瞑想は役にたつと思うからだ。すぐに本を買って読んで書いた。毎日必ず目に入るように一番叶えたいことが書かれた紙を時計の上にセットした。リストアップに使ったノートはA4版で、これも時々自分のノートなのにチラ見する。「考えすぎない」ためだ。

  期限11/30/2022、願いごとランクA、『自分をゆるす』
  これが一番期限の近い願いごとだった。この諸刃の剣本の威力は凄い。いや、意図(チェータナー)の威力は凄い。必要なモノ(本や動画)・ことが急速に立ち現れてくる。
  何が起きたのかと言えば、前述の同僚Aさんに対する悪口を言ってしまったのである。なんだ、単なる悪口か、ではないのだ。ずーっと言うまい、言うまいとブレーキをかけてきたのに。同僚Bさんは堂々とAさんが嫌いで、そんなBさんがAさんの悪口を怒涛のごとく私に訴えかけてきたのだ。
  「ああ、そうか、釣られて悪口を言わないテストかな?言わないよ。」と心の中で流した。しかし、Bさんからの悪口はヒートアップ。耐えて、耐えて、耐えたのに、今度はチャットでテレワーク中にBさんからAさんの悪口が来た。自宅で、しかもチャットに向かって書くものだから人目のバリアも緩んで、ついに堤防が崩れた。ザザザーザーっと書くわ、書くわ、いままで貯まってきた我慢を。慈悲はどこへ行ったのか。

  地橋先生に、「慈悲の瞑想をしても懺悔しても、なかなか許せない同僚(Aさん)がいるのです、昔の自分より悪いというか、そっくりだから気持ちは分かるのに許せません」と朝カルで相談すると、「それは(私の)プライド(高慢)の問題ですね。傲慢さを無くすには、下座の修行がイチ押しですね。世間から低く見られている下賤な仕事を敢えてやるんです。公衆便所のような一番汚いところの掃除なんかがいいですね。身を低めてゴミを拾ったり、人がやりたくないことを率先してやる修行です」とのことだった。
  なるほど、Aさんはとてもプライドが高いのである。それが私を刺激して、怒りの元になっていたのは確かだった。つまり、私の抑圧しているプライド(高慢)が怒りになって爆発したくて、今か今かとチャンスを窺っていたのである。まんまと感情に乗っ取られたのであった。Aさんは会計士なのに、まだ私は合格していないことがずっと悔しかったのだ。私を含めた、資格を持っていいない人達へのバカにした態度がとても嫌で、でも、有資格者でない私は、引け目を感じていた。
  その二日後、急に発熱が始まった。コロナかなと思いPCRを受けに病院へ行く。コロナでもインフルエンザでもない、と薬を処方される。熱が下がって働くとすぐにまた高熱が出て、の繰り返しが2週間ずっと続いた。うすうす、あの悪口が原因かなあ、と思っていたが認めたくなく、単純に風邪をこじらせたんだろうということに帰結した。

  地橋先生に2週間風邪だった旨をいうと、「私(地橋先生)は何十年も風邪をひかないんですよ。正確に言うと、風邪をひきそうになると瞑想で治してしまうのです。体調が少し悪いなあと思うと、懺悔モードになるんです。直近の1週間ぐらいを振り返って、何か過ちがなかったか、思いちがい心得ちがいをしていなかったか、と自問すると必ず反省すべき点が見つかります。それを懺悔しているうちにみるみる鼻水が引いていき、瞑想が終わる頃には良くなっているのです。・・・体調が悪くなる前に、何かありませんでしたか?」。あああ、やっぱり。そうですよね。「同僚の悪口をかなりワルく書きました」。

  しかしとても有難いことに、ここで、寝込んで仕事してを繰り返しながら腑に落ちたのである。自分の外側に悪口の対象が登場してくる理由は、内面でまだその悪者(自分)を責めているからなのだ。自分をゆるさない限り、ずーっと外側の世界(俗世間)に投影し、悪役が現れ続けるのだ。先生、ありがとう。アラン・ピーズ夫妻ありがとう、チェータナーよ、ありがとう。ようやく、自分をゆるすということの意味がわかった。
  言葉に惑わされて分からなかったけど、ここの精神的な文脈でのゆるすは、「悪い自分が存在していてもいいよ、それを責めないよ」だったのだ。悪い自分を責めている限り、その投影は必ず外の世界(俗世間)に現れる。そして、私が有資格者でないという負い目は、恰好の餌食になる。
  ランクAの願いごと『自分をゆるす』の期限11/30に間に合ったのかと言えば、間に合っていない。11/30以降に会った人達に対して慈悲喜捨の状態でいられたのかといえばそんなわけない。相変わらずイラっとしたり、全然聖者みたいに崇高な生活を送ってはいない。でも、これを書いているいまの気分は幸せなのだ。なぜなら、私は、そういうダメな自分がいてもよくて、そんな自分を切り捨てなくていいと思えるようになったからである。
  この短期間のうちに奇跡のように現れてくれた沢山の情報のうち、特に学びがあった三冊の本を紹介する。自分を責める癖のある方、怒りの発散方法が自虐に向かう方、生きることに悩んでいる方にお勧めである。働く女性目線で書かれている体験本はとても参考になる。
  * 『女性のための「逆ギレ」のすすめ』(斎藤一人、舛岡はなゑ著、マキノ出版 2016年)
  * 『喜びから人生を生きる!-臨死体験が教えてくれたこと-』(アニータ・ムアジャーニ著、ナチュラルスピリット 2013年)
  * 『もしここが天国だったら?-あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる-』 - アニータ・ムアジャーニ著、ナチュラルスピリット 2016年)

  テーラワーダ仏教とヴィパッサナー瞑想だけでラクになれたら瞑想者冥利につきるのかもしれない。けれども、出家しているわけでもなく、普通に俗世間で生活している私に出来ることは、サティを保ち、毎瞬浮かんでくる悪い感情、思考を『私のせい』にして『悪い私』を独立させないことだ。いい自分と悪い自分の両方があってOKで、いつでも私にはその両方を選ぶ自由がある。そしてもし、悪いほうを選ぶことがあったなら、その時こそ、ゆるしの練習にもってこいである。『私は、私をゆるします』と、事実なのだから、ありのままに認める。認めるが、開き直って居直ることはしない。

  最後に。映画好きの方は気づいておられると思いますが、この連載の章タイトルはseason1の最初から全て、実際にある映画名と同じです。意図的に各章の内容と映画の内容を紐づけてあります。
  私の人生は意図から紡がれたストーリーの連続であり、いつでも私にはストーリーを変更する自由があります。人間であれば、その点は他の方も共通しているかと存じます。ブッタの法の六徳の一つにある、Ehipassiko(「来たれ、見よ」と、何人も試して、自分で確かめてみよ、といえる確かな教え)がありますが、瞑想は「自分で実践して確かめる」ことができる素晴らしいツールです。自分が苦しくなる考え方の癖を客観的に観て手放せる手法であると確認できましたので、こちらに記載させていただきました。ご縁があってお読みいただいた方の瞑想が順調に進み、幸せになり、悩み苦しみから解放され、願い事が叶い、知慧が現れますよう心からご祈念申し上げます。皆様がそれぞれの場所で最高に幸せでありますように。 ()
    


黒山三滝の木立 
Y.U.さんより
 






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ダンマの言葉

               『段階的に進めるブッダの修行法』(8)

8.決定
  私たちが育てる必要のある次の資質は、決定(決意)です。決意なしには、私たちは何も成し遂げることができません。朝、起きることにすら、決意がいるではありませんか。
  他のものよりも多くの決意が必要なものもあります、たとえば、瞑想です。初めのうち、瞑想することはほとんどの人々にとって、何ら興味を引くものでもなく、快適なものでもありません。あまりワクワクするようなものでもないし、すぐためになるようにも思えません。
  私たちは、即座に結果を求める社会に生きています。ボタンを押すだけで、買い物リストの合計が出ます。別のボタンを押せば、フアンが回って、空気を冷やします。また、別のボタンを押せば、電灯が消えたり点いたりします。あらゆることの結果がすぐに出ます。私達の社会は以前にも増して、早急な結果の出ることを期待しています。それで、効果が現れるのに時間のかかる漢方療法よりも、鎮痛薬のほうがはるかに好まれるのです。
  瞑想は、ゆっくりですが確実に効果の出る治療法です。瞑想を実践するには、決意、言い換えれば、気骨ある性質が必要です。揺れ動く、ゼリーみたいな心では、たいした決意はできません。強敵で断固とした心にこそ、十分な決意を備えることができます。私達は坐るたびに、そこに留まる決意をしなければなりません。うろついたりせずに、心をその場所に留め、自分がしていることに注意を払い続けなければなりません。
  決意は日常生活でも必要です。物事が起こるのを待つという姿勢でいては、起こる見込みはまずありません。起こるように、何らかの行動を起こさなければなりません。瞑想コースに来るにも決意がいります。家にいるほうが快適でしょうからね。
  私たちは、いままでお話してきたような波羅蜜の資質を、自分の中にすべて持っています。「戒を守る」という道徳的な資質も確かに持っています。もし、ほとんどの人が持戒の資質を持っていなければ、世界はいま以上に大きな混乱に陥っているでしょう。私たちは「決意」という波羅蜜も確かに持っていますが、これらの波羅蜜が私たちにとって最良の友なのだという智慧が、心に深く根づいていません。
  私たちは、もろもろの波羅蜜に親しみ、それらが常に自分と共にありつつ、はぐくまれるよう努力しなければなりません。それらは、幸福で平和な人生に必要な要素であり、精神の向上に欠かすことができません。
  実際のところ、人生が私たちにもたらすことのできるものは、精神の向上だけなのです。それ以外には、つかの間の快楽しかありません。つかの間の快楽は、私達を自己満足に陥らせるので危険です。このことをはっきりと理解するなら、精神の向上を第一にしようという決意が生じるはずです。
  そのために僧院や洞穴に住む必要はありません。どこにいようと、私たちは向上することができるし、また堕落することもあり得ます。すべての出来事は、自分自身の教材として利用できます。例えば、病いや死、悪意、所有物の喪失、身体の不調や痛み、愛と名声などです。他者への執着や、他者についての心配も、教材です。何ごともありがちなこととして軽視せず、すべての出来事を成長への糧として役立てましょう。
  精神的成長と最終的な解脱以外に、人生が私たちにもたらす、価値あるものは何もないと気づくとき、決意が生じます。私たちは、ライフ・スタイルを変える必要はありませんが、自分自身の周囲や内部で起こっていることに対するアプローチ、反応、理解を変える必要があります。そのような決意をすると、正しい道を歩む喜びが生じ、幸福がもたらされます。そうした決意は、自己再生していきます。
  普通の決意は生じては滅してしまい、復活させるには奮闘努力が必要です。しかし、「精神的な道」への決意である場合には、幾度も呼び起こす必要はありません。精神的道への決意は、喜びをつくり出すのでそこに留まるのです。

9.10.「慈悲」と「捨」
  最後の二つの波羅蜜については、これまでに何度か触れてきました。すなわち「慈悲」と「捨」です。「捨」はすべての感情の中でも、最高の栄誉を与えられているものです。
  「捨」という波羅蜜は、エゴの創り出す幻想を無くすことを必要とします。エゴがすべての騒ぎや混乱を作っているという事実に、私たちがうすうすでも気づかないならば、本当に「捨」をはぐくむことはできません。不安や落ち着きのなさを抑圧しても、心の平安を感じることはできないのです。「捨」の根底には、洞察と智慧がなければなりません。
  これら十の波羅密は、一つの生から次の生へと何生にもわたって、培われていきます。やがてそれらが,「聖なる道」に至る解脱をもたらすほど強くなった時、私たちは、ダンマという法輪の中心にある四聖諦を、自らの内なる洞察となし得るのです。()
  (アヤ・ケーマ尼『Being Nobody, Going Nowhere』を参考にまとめました)

       

 今日の一言:選

(1)劣等感が強い人ほど、人の恩を忘れていくものだ。
  お世話になり、導いていただき、やっとここまで来られたのに、何もかも自分ひとりの力で成し遂げてきたかのように認知が変わってしまう。

  屈辱の過去に復讐するかのように、傲慢な上から目線になっているのに気づかない・・・。

(2)言われたとおり丁寧に、セオリー通り修行するビギナーの初々しい姿に、タジタジとなる古参。
  解ったつもりになったダンマは、何回耳にしても、ああ、あの話か・・と同じ理解が右から左に素通りだ。
  ボロボロになった座右の書から、果てしなく新たな意味を汲み取る智慧の人もいるのだが・・・。

(3)ハカライというものは、必ず破れていくものであり、いつか行き詰まっていくものだ。
  仮に最後まで、人に知られることがなくても、作られていった業が噴き出て来る日がやって来る・・・。

(4)ああ、自分はひどいことをしている・・と自覚しながら悪いことをする人は少ない。
  これは良いことだ、当然のことだ、と思いながら、好きなこと、やりたいこと、信じていることをやっているのだ。
  ・・こうして誰も、毎日、嫌な人に出会い、不快な出来事に苦しむ人生になっていく・・・。

(5)地獄の極悪人にすら、蜘蛛の糸が垂らされてきた。
  本当は誰にでも、チャンスは訪れているのだ。
  ぼんやり見送ってしまう人。
  自ら断ち切ってしまう人。
  紙一重で救い出される人・・。
  カルマが現象化するのを助ける支持業があり、邪魔をする妨害業がある・・・。

     

   読んでみました
奥野克巳著
 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(後)                                  (亜紀書房 2018年

(承前)
(4)死者の悼みかたと名前
  プナンは身近な人が死ぬと、死者ではなく残された親族関係のある生者の名前を変えるという。これをデス・ネームと言い日本の風習とは正反対だ。
  ある時著者は、「おまえのところでは、父親が死ぬとどんな名前に変えるのか?」と聞かれた。そこで、「たいていの場合は死者に対して戒名(法名)が与えられる」というようなことを答えたら、「おまえのところでは不思議なことをやっているのだなあ、とでも言わんばかり」だったそうだ。
  今日まで色濃く残っているその習慣をプナンは「名前を変える」と呼び、理由を聞いても、たいていは「そうなっている」だけしか返って来ない。その答えだけでは納得がいかなかった著者はことあるごとに尋ねたところ、おおむね次のようなことではないかと理解された。
  一つは、死者が生前呼んでいた遺族の名前を、いっとき死者にあの世に持って行ってもらうことで悲しみを表すというもの。もう一つは、名前を変えることで、後を追って死のうとするほどの熱い悲嘆の心を静めるため、ということらしい。
  ではプナンにとって名前とはどのようなものなのか。著者によるとプナンはこのように考えているらしい。人の身体と魂というふたつの要素の結合は不安定なので、名前は「それらをしっかりと結びつける接着剤のような働きをするもの」、そしてなにより身体と魂と並ぶきわめて重要な「構成要素」なのだ。しかもそのうえ、「重篤な病気に罹った場合に個人名を変える」ことを含め、「名前を次々と変えていくという『刺激』のようなものを与えてやらないと、身体と魂はしっかりと」定まっていないかのようになる。このようにプナンは「変化する名前のうちに」暮らしているとも言える。
  こうして生者にとって名前は重要な働きをしているが、その反面、死者に対しては新しい名前を付けるどころか生前の名前を口に出してはならない。しかし、やむをえず死者に言及しなければならないような時がある。ではどうするかと言えば、「死体を埋葬するためにつくられた棺の素材である樹木の名前を用いて、『ドゥリアンの木の男』、『赤い沙羅の木の女』などという言い方で仄めかされ」、そうして死者は虚ろであやふやなものとなり、次第に無名化されていく。

  こうした風習がいわゆる死の儀礼とどう繋がるのか、著者の経験した例からその一端が述べられる。
  著者にはフィールドワークでできたプナンの「父」がいたが、半年ぶりに訪ねたところ前月に亡くなっていた。その「父」は共同体のリーダーだったが、「父」のいた部屋の壁は取り払われ、大金を払って運び込まれた応接用のソファーセットは片づけられ、「だだっ広い何もない空間が広がっていた」という。ソファーは土葬の直後に庭先で燃やされ、死者が遺した品々はことごとく処分されていた。それらは遺品化されることはなく、「死者がこの世からいなくなったのと同じように、滅却された」。
  このような、まるで「生きていた痕跡をすべて消し尽くしてしまうような死への激しい態度」はどこからくるのか。
  1980年代まで、プナンは森の中で生活の場を変える暮らし方(遊動)をしていたが、それは単に食糧のためばかりではない。例えば、集団メンバーの誰かが死ぬと、それが誰であれ「生活の場である小屋の炉の下に」棺に入れた死体を埋葬し、住まいを破壊し、衣服など死者の個人所有物も埋葬されるか燃やされ、そしてそこから速やかに立ち去った。
  その理由は、「死が引き起こす心痛を遠ざけるため」に「死者を生きている者たちからできる限り遠ざけようとするのではないか」と著者は考えている。
  例えば以前撮った写真を訪問時に持ち込んだ際、もしそこに「新たに死んだ者が写りこんでいる場合、多くの人の目につく前に処分される」という。なぜなら、「写真の中の死者は、近親者に心痛をもたらす」から。そして残された生者に対しては、「どこかから名前がやって来て、自分と周りの人々の名前を取りかえてしまう。プナンはデス・ネームによって、死者への視線を生者へとずらし、意識を生者へと向けさせようとしているのだとも言える。そのようにしているうちに、残された者たちの心痛はしだいに癒されていく」のだと。

(5)子育てはみんなでということ。
  英語のアロペアレンティング(alloparenting)というのは生物学的な親以外の大人(たち)が子どもたちの世話をして養育することを表す用語だが、プナン社会でも広い意味でこれがおこなわれている。
  ふつうの親子関係が営まれているすぐ隣で、血のつながりのない一組の男女と子どもの間にも親子関係が結ばれ、養育の場が養親のもとに移り、それら二組の親を含む多数の大人たちによって子育てがおこなわれている。それは基本的には生みの親と養親の意志つまり合意による。ただ乳呑み児の場合には完全に場所を移ってしまうのではなく、近くにいる生みの母親のもとで母乳が与えられるという。
  子どもがいない夫婦が養子を迎えることもあるが主ではない。もちろんそれは家のためでもない。主眼は実子か養子かを問わず親たちが共同で子育てをすること。なので、すでに子どもが何人もいるのに養子を迎えたり、祖父母が娘の息子を養子として引き取って育てたりすることがある。また子どもから見れば、生みの親が近くに住んでいれば養親と生みの親のどちらとも頻繁に行き来をすることになる。
  本書でそのような一つの例が紹介されている。少しややこしいけれど。
  「スリンは20歳代で、ジャガンのいとこにあたる女性とパートナーになった。第1子は女の子で、生まれるとすぐに隣住の子どものいない夫婦のもとに養子に出された。第2子、第3子は女の子で、スリン夫婦のもとで育てられた。第4子は女の子で、すでに何人かの子どもがいる別の隣住の夫婦のもとに養子に出された。第5子は男の子で、スリンたちのもとで育てられた。女の子であった第6子は、上で見たジャガンのもとに養子に出されたが、幼くして死んでしまった。第7の女の子は、第一子と同じ夫婦のもとに養子に出された。第8子である男の子は、スリンが育てている。スリンは、8人の子どものうち4人を養子に出しているが、養子先はすべて近隣の家族である。子どもたちの側からいえば、いつでも実親・養親のどちらとも会える距離にいたことになる」

  このように、養子であっても子どもたちは共同体に出入りする多数の大人たちによって開放的な空間の中で養育される。これは親の側から見れば子育ての負荷が少ないことにもなり、また誤った育て方は多数の目によってチェックされることにもなる。こうして子どもたちは早くからいろんなタイプの人と交わって人間関係を学び、精神的にも成長していく。
  このように、養子と実子がひとつの家族の中で互いに混ざりあって親子となっているため、どれが本当の親子関係だと言うことはまったくできない。ということは、ただ<親と結ばれる>ことそのもの、それが親子関係ということになる。

  ではなぜプナンではこのような子育てがなされるのか。著者によれば、「プナン社会に深く広く浸透している共同所有の原理に根ざしているという見方もできる」のではないかという。
  前回にもあったように、人間には共同所有の観念が生まれながらに植えつけられているわけではない。人が「本能」(仏教的には「煩悩」)として持っている所有欲は、プナンはそれが芽生えた瞬間に徹底的に殺いでしまおうとする。その結果としてシェアするという精神が後天的に養われる。そのような意味では、養子も新たな所有を目指しているわけではなく、プナンの根本原理に沿っていると言える。
  そればかりではない。著者は、養子を取ることはむしろ「個人的な所有への本能を緩めるカ」として働くのではないかとも言っている。つまり養子システムそれ自体が「子どもを共同体で、みなで育てる」ことにつながっているので、そこでは「子どもを個人的に所有するという考えは否定され、共同所有というプナン社会を支える根本原理が強められている」と考えられるからだ。

(6)学校とは、教育とは
  1983年にブラガ川の上流域に州政府によって小学校が建てられた。しかし著者は、「この30年強の間に、プナンの子どもたちのうちで、その小学校を卒業したのは20人そこそこ」「小学校を終えて、町の中学校に行って勉強し、そこを卒業したプナンは、私の知る限り皆無である」と言う。子供は学校へ行かないのだ。なぜだろうか。
  それは貧しいからでもないし、働かなければならないからでもない。ただ「行きたくないから行かない」だけ。「行きたくなければ行かなくてもいい」というのが親たちの共通の考えなのだそうだ。
  「親は子どもたちといつも一緒にいて、狩猟や採集の仕方を含め、薪の割り方、火の熾し方、小屋の建て方など、狩猟採集の民として、森の中で生きていく上で必要となる様々な事柄をことさら伝えようとするのでもなく伝承する。教えるというのではない。どちらかと言うと、ゆっくりと時間をかけて、子どもたちに染み込ませるように、様々な事柄を」身につけさせていくという。
  狩猟キャンプは「それなりに苦労や困難もあるが、現実に役に立つし、よっぽど行く末のためになる。そのことをプナンの親たちも子どもたちも、よく知っている。その意味で、学校は森の中」にあると言えるし、その「ほうが学校よりも格段に面白い」はず、ということだ。
  これは、外の世界で経験を積むことに意義を見いだす社会とはあきらかに違う。ここから著者は、そもそも「学ぶ」のは何のためか、その制度としての「学校」とはと言う問題に行き着き、その根源的な問いを日本の教育と対比しながら考えを進める。
  今日の日本では、○○学校も○○教室も何かを学び身につけるための効率的なやり方の一つになっていると言えるだろう。しかし著者は、プナンではそのような意味では「学校が学びの場として確立されてない」と見ている。しがって、今日私たちが教育現場で直面している登校拒否、いじめ、校内暴力、引きこもり、非行、自殺などの深刻な問題はプナンでは無縁ということになる。

  著者は、「プナンのやり方は、現代日本における学校教育制度が唯一絶対のものではないことを、あるいは別のやり方があること、別の解決の可能性があることを暗示しているのではないか」とし、次のように述べる。
  「現代日本の教育再生をめぐる今日の実践的な議論からすっぽりと抜け落ちているものがあるように私には感じられる。それは、『教育とは何か、学校とはそもそも何なのか?』という問いである。学校教育に対するプナンの無関心とでもいうべき集合的な態度を知れば、教育をめぐる根源的な問いが発せられなければならないのではないかと思えてくる」。さらには、「学校教育に対して期待も評価もしない態度が、この地球上に現に存在することは、重く受け止められるべきではないだろうか」と。
  そして、今一度「学校教育制度を相対化して考えてみることはできないものかとも思う」し、「学校から目を反らし、一顧だにしないプナンには、人間に不幸をもたらす世界の不完全さへの拒絶という、森の民ならではの直観があるとは考えられないだろうか」と結んでいる。

(7)ニーチェとプナンについて 
  ここでは、著者はそれまで述べてきたもろもろの事柄の奥にある一つの考え方について、ニーチェを踏まえて語る。先月号で見たように、私たちは概ねそれが何であれ、何らかの目的なり意味なりを見いだしながら生を営んでいる。しかしプナンは「生きることの中に意味を見出すことはない」。これはニーチェのいう「永遠回帰」の思想に通じると著者は言う。
  著者によると、永遠回帰とは第一に、「何かをしても何もしなくても、明日には今日と同じ日がやって来て、そのことが永遠に繰り返されること」を意味するという。そして第二に、「ある一日がどんなにつらい日であっても、いつかは終わりが来ると信じてその日をやり過ごすことができるが、それには終わりが決して来ないということ」なのだという。プナンが「生きることの中に意味を見出すことはない」のであれば、明日に向けての「反省」ということがそもそも成り立たないのは当然なのだろう。
  さらに著者はここで、「遠近法主義」という「ニーチェ哲学の重要な概念のひとつ」を踏まえて考える。絵画の遠近法はよく知られているが、「認識にもこれと同じ遠近法があるとニーチェは言う。知識、経験などといった自分なりの事情で世界を眺め、重要と感じるものは大きく扱い、そうでないものは小さく扱う」ということだ。そうであるなら私(この稿の筆者)は、これは極めて強力な認知バイアスではないかと思う。検索してみたところ、「遠近認識は認識主体の立場によって制約され,普遍妥当的認識は不可能とする相対主義的立場」との説明があった。ただ私たちは、そうした制約をあらかじめ理解した上で、その制約自体をも客観的に視てしまおうとしているのだとも思う。

  それはそうとして、「反省」とか「感謝を伝えるべき言葉」など、私たちにとって「あるべきこと」がプナン社会にないのはなぜか。著者によえば、それは単にプナンの見方が私たちの見方と異なる、つまり視点が違うことでしかないとする。つまり、「どちらかが正しくてどちらかが間違っているとか、どちらかが善でどちらかが悪ということでもない。真実はないのだ」と。
  とすると、たとえプナンが「生きることの中に意味を見出すことはない」ように見えても、だからどうでもいいということにはならない。視点を変えてみれば、「何の意味もない」というのはむしろ「力強く、積極的に考え、そして生きてみなければならないことになるのではないだろうか」と述べ、次のように本書を結んでいる。
  「過失に対して一切ごめんなさいと言わないことを不思議がるのと同じように、ごめんなさいと次から次へと公的な場で謝る自分を私たちはもっと不思議がってもいいだろう。
  ありがとうという言葉や概念がないことの背後に謝意を示す仕組みがないことを知りえたのであれば、私たちが使うありがとうの意味をより明瞭にすることもできるだろう。
  プナンと暮らして考えたもろもろのことは、ニーチェ的に言えば、何ひとつこうであるということができない、あらゆる価値観が消失した世界の発見へとつながっている。だがそれでもやはり、いやだからこそ、それらには、ストレスをためこんで将来に対する言いようのない不安を抱えながらも、自らのうちに閉じ籠ってしまう社会状況を生きていると薄々感じている私たちに届いて、より自由になって考え、力強く、愉しく生きてみるための手がかりが埋もれているのだと感じられてならないのである」

  本書はこの他、贈与交換の仕組みとビッグマン、アナキズム以前のアナキズムとは、獲物に対する平明な態度の意味、ヤマアラシやリーフモンキー鳥と人間との関係、またこれら以外にもさまざまかつ詳細な著述がある。それぞれ、私たちがこれまで意識の外にあったものに改めて気づくきっかけになるのではないか、機会があればぜひ読んでみられると良いと思う。(雅)
  
  ※本稿の()内の小見出しは必ずしも本書に沿っていないし、また内容は極めて多岐でありかつ膨大なので、その一部に過ぎない本稿に不十分な理解や誤解があればご寛恕を。

文化を散歩してみよう
                              第7回:プライドそして人と人との間(4)
4.自ら手を下さない
  先月号で「君子は器ならず」と言う言葉を紹介しました。「君子」とは一般的には学識があって人格に優れた人ということ、そして「器ならず」とは「一つに限定されることなくあらゆることに通じている」という意味です。今の言葉で言うなら「人格者でバランス感覚をもったジェネラリスト」というところでしょうか。
  そうしてみると、「君子=文筆に優れている」とか、あるいは技術も含めて「現場での作業や労働を低く見る」などは本来なら別のことだと思うのですが、それが朝鮮王朝時代の社会では結びついてしまっています。なぜでしょう。たしかに中国には「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」という魏の文帝曹丕の言葉や、「良い鉄は釘に打たず、良い人は兵隊にならない」という俚諺もあり、やはり強い影響を受けているということだと思います。
  このような文化的な特徴をよく示している例が「士」という字の意味です。日本ではこれは武士の士であり「さむらい」を意味しますが、朝鮮では「士大夫(ソンビ)」の「士」を表します。士大夫というのは簡単に言えば理想的な文人、知識人のことで、狭い意味では儒学者を意味しています。そしてその人たちには、肉体労働や職人のする仕事に対しては考えるまでもなく卑しいものという価値観が染みついているようで、たとえ知識はあっても自分の手を染めることは決してしません。

  士大夫がこのような価値観を持つようになった理由は単純ではないのですが、結果的に次第に社会全体で共有するようになっていきました。なにしろ、時代が進むにつれ自分の先祖は両班(貴族・支配階級)と称する割合が多くなったと言いますから。(一説には日本との併合間近には100%近くになったとも言われます)
  この影響がどう現れているかと言うと、今の韓国では就職の面から逆転しているようですが、かつては大学も理系より文系の方が人気がありましたし、経営者の子息が先ず下積みからスタートするというような発想もないようです。それは、韓国ドラマを見ていてもわかります。大企業一族の後継者が現場を経験することなくいきなり中枢の経営に携わる場面が多々ありますから。それに日本でよく言う「手に職を付ける」というような言葉も聞いたことがありません。
  こうしたことと関連するのではないかと思うのは、私が滞在していた当時、探したわけではありませんが“Do it yourselfの店とかホームセンターのような大型店舗を見かけることがなかったことです。今はわかりませんが、当時もし金槌や釘といった工具や材料・部品などを手に入れようと思ったら、それを扱う店(いわゆる個人商店)を探すしかありませんでした。要するに仕事としてならまだしも、趣味で日曜大工のようなことをするとは思えませんし、ちょっとしたことでもそれを引き受ける人に頼んでいたようでした。

  対して日本の場合、たとえ後継者であってもはじめは現場を経験させたり、周りも自分も納得して技能や技術を先ず身につけることには違和感もありませんし評価もされると思いますが、ここは日本文化論ではありませんのでこれくらいにしておきます。
  ところで、先の「士」に関連してちょっと余計なことですが。日本史で習った「兵農分離」という政策は戦国時代から江戸時代にかけて出てきたものだそうです。ということは、それ以前は分離していなかったということでまさに「一所懸命」です。この言葉は自分たちが開拓した土地は命をかけて守るというところから生まれました。なので、韓国では会話で「一所懸命」と韓国式に発音しても(日本語を習っている人で無い限り)通じません。対応する韓国語は普通には「熱心に」(yolshimi)と言ってだいたい同じように使います。
  あまり知られていないと思いますが「所侍(ところざむらい)旅坊主」という言葉を聞いたことがあります(ついでで恐縮です)。「所侍」というのはつまり、「その土地に根ざした地侍が最も強い」という意味、「旅坊主」というのは最もありがたいのは見知らぬ土地から訪れる坊さんということ。その土地出身の坊さんは、「今でこそ偉そうにしているがオレは昔あれが洟を垂らしていたころを知っているぞ」などと、ありがたみが薄くなるのだそうです。
      ところで、この写真をご覧ください。1988年に温陽民俗博物館で撮った古い農具、カレ(kare)と言ういわゆる一本棒のスコップです。今回検索してみましたが、残念ながら公開されている写真には見当たりませんでした。
  中に柄がずいぶん長いものがあります。長さを示す基準となるものが写っていないので正確には言えないのですが、一見して長さにびっくりしたことを覚えていますので、少なくとも六尺、180センチを越えていたと思います。で、そんなに長い柄のものをどう使うのか不思議に思って理由を訊ねたところ、柄の長さが地位の高さを表しているということでした。
  
   どういうことかと言うと、両班とか地主(兼ねているかも知れませんが)という身分の高い家の者がそれを持って畦道から農作業を監督するのだそうです。両班であれば決して自ら労働することはないのですから、監督されながら農作業をするのは雇い人か小作人ということでしょう。
  柄の長いカレを持って畦から監督している姿を想像するとちょっと面白そうですが、ただ、その長い柄の中ほどを持って作業している図もありますから、本当のところは少々疑問でもあります。今にして思えば、ことによればそこの館員にちょっとからかわれたのかと思わないでもありません。もちろんユーモアの類いですが。でも半分くらいはそんなこともあり得るような・・・。ただ長い柄を立てて畦から監督している写真や図は見たことはありませんので、今のところここでは保留と言うことにしておきたいと思います。

  

   ただ、「ちょっと紹介を!」欄の『朝鮮紀行』にこんな文章がありましたので紹介します。「人が使う木製の鋤も刃は鉄製で、重作業に広く用いられる。この鋤は、なぜわざわざ人力をむだに使うのか外国人の目にはこっけいに映るもので、刃に何本かロープがついており、ひとりが長い柄で刃を土に切りこませ、他の者がロープを引っ張るのである」
  ※カレ作業の図は金光彦著『韓國農機具攷』韓国農村経済研究院 1986年より

  このような状況のもとで上流階級の理想と言えば、自分で肉体労働をすることなく悠々と田舎で暮らすことでした。
  ところがここに例外中の例外と言ってよい人物がいます。それが、第4回の『昆陽漫録』に出ていた古農書『衿陽雑録』の著者姜希孟です。私はかつて『衿陽雑録』を全訳したことがあります。(日本国際地域開発学会会誌「開発学研究」34361990.101991.10
  姜希孟は名門の出身でもあり日本で言えば内閣の一員とも言える地位にあった人物です。彼はそれまで農事に携わったこともなく、農業関係の行政に係わったこともありませんでしたが、それが52歳の時にソウル南方の郊外の衿陽県という別荘に隠退し、自らの農作業体験に加えて老農の言葉を吟味し考察して著わしたのが『衿陽雑録』です。当時の農書は中国のものを底本に再編纂したものが多い中で、そのころ(1400年代後半)の朝鮮半島中部地方で行なわれていた農法を背景に、しかも自らの文章で綴られていてたいへん価値が高いと認められ、後の農書にも多く引用されています。
  本文にはその姿を彷彿とさせるものがありますので、一部だけですが紹介します。
  「民には士農工商の4種があるが、このうち農業が最も辛い仕事だ。けれどもむかしの君子たちが多く農事に従事してしかも恥ずることがなかったのは、農が国の根本だったからである」(農者対三)
  「私はこれから官職を辞めて農事をしようとしているがどうだろうか。農夫たちが手を叩いて笑いながら言う。『ああ先生もわかっていらっしゃらない。身分のある人は政をするのが仕事で、やはり農事は農夫の仕事です。朝廷からしめだされて農事をするなんて言うことは聞いたこともない』」と。(同上)

5.会食の支払いもプライドから?
  80年代の終わりころの話です。今もあるかどうかは定かではありませんが、当時公務員の管理職には給与の他に「品位を保つための手当」(月10万ウォン。当時の定食だったら145人分くらい?)というのがあるということを、当の管理職の方から聞きました。つまり部下との会食の支払いは当然上司のなすべきことというわけです。
  日本ではどうでしょうか。一般的に会食の際は基本的には割り勘です。もっとも少し差を付ける場合もあると思いますが、普通は一回ずつけりをつけて貸し借り無し、それで終わりです。
  ですが韓国では、会費制のパーティは別でしょうけれど、複数で会食した時には一人が支払います。その一人は今述べたような上司や先輩、あるいは言い出した人と言う具合です。一緒に会食した者がめいめいに支払うようなことは情けない、つまり「情」がないものに見えるわけです。ただ、お金が無いときは助かるという本音も聞いたことがありますが・・・。
  
  私がお世話になった研究院に、日本語を習いながらアルバイトでツアーガイドをしている女性がいました。あるときその方が私に言いました。
  日本の若い4人のグループをレストランに案内したことがありました。そのグループはたまたま機内で知り合っただけで、私は若者というのはそういうこともあるのかと思ったものです。ところが会計の際、その人たちは女性も含めて細かいところまで完璧に料金を4等分したのだそうです。それを見た彼女は、「なんと冷たい人たちだろう・・・」と思ったと言っていました。
  どんな状況だったのか、私が見たわけではないのでなんとも言えませんが、彼女からはそう見えたのでしょう。単純にはここで話は終わりですが、少し考えてみると文化の違い、あるいは人と人との距離の取り方の一つの表れかも知れないとも思えます。もちろん、強引にそうした概念に結びつけることは避けなくてなりませんが、韓国文化の中では一人が勘定を持つのがしっくりくるし、日本では割り勘がちょうど良い距離感を保つことになるのだろうとは思います。
  と言うことで、「冷たい」かどうかは韓国文化から見てのことで、家内にそのことを話したら、「そんなことないんじゃないの」と言っていましたし・・・。私も日本から韓国に旅行に来た若い女性が困っているのを見て話しかけた(ナンパではありません。念のため)ことがきっかけで、その後30年以上も年賀状のやりとりに繫がっています。ですから、そのグループもそれぞれ良い想い出を作ったのであればそれでいいのでしょう。

  何ごとも一概に断定できないと思うのは、『徒然草』(第十段の中頃)にこんな一節があるからでもあります。
  それは、後徳大寺の大臣が正殿の屋根に鳶を止まらせないよう縄を張っていたのを西行が見て、「鳶が止まって何の不都合があるのか。ここの殿は心の狭い人だ」と言ってその後は訪ねなかったという、そんなエピソードを兼好法師は聞いたことがあるというのです。ところがある日、綾小路の宮が住んでいる小坂殿の棟に縄が張られているのを見てその話を思い出したところ、「烏がたくさん来て池の蛙を捕るのを宮さまが悲しまれ」(縄を張られた)と人が言っているのを聞いて、「それはとてもけっこうなことだと思われる。徳大寺にも何か理由があったのであろうか」と結んでいる部分です。
  何につけても、わけも知らずに一方的に決めつけるのは客観視する姿勢とは言えませんので、自分でも気をつけなければと思っています。
  ※なお『徒然草』は『方丈記』とともに、201910/11月号の「読んでみました」に取り上げられています。合わせてご覧ください。

  ただ、こんなシーンを韓国のテレビで見たこともあります。それは、数人での会食が終わってのレジの前、勘定書きを「俺が」「私が」と奪い合いをしているのを横目に中年の男性が悠然と靴紐を結んでいる場面です。また、お金がないのに無理して支払いを続けたあげくスッカラカンになったのに、それでもおごることをやめようとしないハチャメチャな青年の話。いずれもコメディですけれど。
  こんなシーンを見ると、プライドも時と場合によるの?などとちょっとからかいたくなりますが、恐らくそれは社会的な慣習や傾向と無縁ではないと思います。結びつけていいかどうかは少々ためらわれるのですが、次のようなこととも関連するように感じます。

6.面倒を見ること
  1年間滞在していた時の話です。以前から校友会の会報などを送っていた先輩の方が、なんと東大門市場で生地を選んで背広の上下を仕立ててくれたのです。本当に×2驚きました。もちろんとてもお返しのしようがありません。それまでのおつきあいと出身大学の後輩と言うことだったのだと思います。また当地で開かれる同窓会にも誘われたり、いろいろ面倒を見ていただきました。その方ばかりではなく、大学や「人生の先輩」にあたるたくさんの方々のお世話になりましたが、すべてお世話になりっぱなしでした。
  一般的な話ですが、意識するかどうかは別に、何かしてもらったらやはり少しは心に負担を抱えるのではないでしょうか。ですから日本でのお中元やお歳暮なども、普段のお付き合いとのバランスの上でそれなりに神経を使いながら成り立っているのではないかと感じます。
  ところが韓国では「お返し」とか言うようなことは、先ほどの割り勘と同じで(おそらく)始めから発想にないような印象でした。その結果、私も一年経つうちには自然と溶け込んできたらしく、こんな社会も悪くないなと思うどころか、ちょうど力みが消えてしまったような、違和感のない心地良さを感じるようになりました。

  このようなことと表面的には多少似ているように思った新聞記事を見ましたので紹介します。タンザニアを研究フィールドにしている小川さやかさん(立命館大学大学院教授)の話からです。
  贈与の理論というのは「贈る」「受ける」「返す」の三つが義務で、お返ししきれないプレゼントは相手に負い目を与えるとされます。しかしタンザニアの路上商人たちは、もしいろいろな商売に手を出して失敗したりしても、「『なんとかなる』とおおらかに構えています。そして、誰かに助けてもらった『借り』は、自分ができる時にまた別の誰かに返す」らしいのです。(2023322日毎日新聞夕刊)
  時間的なスパンなどはそのまま当てはまるとは思えませんが、どうでしょうか。

  とても面倒見が良いというのは、おそらく韓国文化をテーマにしたほとんどの本に書かれていると思われます。韓国文化の特徴のひとつが「情」だと言われるのももっともです。そして面倒見の対象は、家族や一族という血の繋がりに限らず、同窓、同郷、親しい友人から知り合いへと広がっています。
  私的な面ではいくら面倒を見たとしても外野からとやかく言われるいわれはありませんが、もし脇が甘ければ公私を混同に繫がってしまうことはやはり否定できません。現実の社会にはさまざまな側面がありますから。
  例えば、「会社の金を横領して祖先の墓を仰々しく建てる、民族の言論史に長く残るほど決定的な瞬間に家門のほうをためらいなしに重要視できるというのが、そのような例に属する」とあって、元大統領の全斗煥氏が「大統領に就任するや、即刻実施したことが、故郷にいる両親の墓を仰々しく建てて、そこに軍を動員し、ヘリコプター着陸場まで設置することだった」。そしてその時代、「名刺に、『本籍慶尚北道陜川全斗煥の親戚』とはっきり書いて持ち歩いた者までいたくらいだ」とも述べています。(金容雲著『韓国人、大反省』徳間書店1993より)
  いくら先祖や家門を大切にと言っても、これはやり過ぎでしょう。もっとも今は撤去されていると思われますが。
  公私混同と言えばもちろん日本でもしばしば話題になります。でもこのような例に比べればちまちました印象を与えるのはスケールが違うからでしょうか。ただ、仏教的には明確に五戒に触れることですから、大きさにかかわらず公を私することはあってはならいはずです。(つづく)(M..


                                      

               ちょっと紹介を!
 

シャルル・ダレ著、金容権訳『朝鮮事情』平凡社東洋文庫367 1979年
イザベラ・バード著、時岡敬子訳『朝鮮紀行』講談社学術文庫 1998年

  前者は1874年に出版されたシャルル・ダレ著『朝鮮教会史』の序論の全訳、後者は『日本奥地紀行』で有名なイザベラ・バードが189497(日清戦争は94/795/4)における4度の朝鮮旅行の記録です。今号の「文化を散歩する」を補う意味で取り上げました。
  両書ともに横暴な両班の様子、そして面倒を見る風習のネガティブな面について述べています。また、後書p.558の農民の描写など、もし秀吉の侵略時とあまり変わらないとすれば、当時帰国を望まなかった理由の一つとして十分考えられると思います。
  なお、もちろん両書ともこの外多岐にわたる描写があり、当時の様子を知る上で貴重な文献となっています。

<前書から>
p.192 
  朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。大両班は、金がなくなると、使いの者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまで笞打たれる。両班のなかで最も正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて無いからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払なしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。

p.195
  両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、最も遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、みずから金銭を得るためにさまざまな手段を使う。ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には一文の金もないと主張する。すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎ取る。のちに守令がこの事件を知っても、略奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、今の地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。
  官職が、両班にとって唯一の名誉ある職であり、またしばしば生きるうえで唯一の手段であるため、おのずから、多くのへつらい者、寄食者、請願者、不運な志願者や猟官者たちの群れが、昼となく夜となく、大臣や人事権をもつその他の大官の舎廊房〔書斎兼応接間〕にあふれるということは、容易に理解できるであろう。この飢えた乞食の群れは、大臣たちの感情をくすぐってその騎慢心を満足させ、卑劣な人間のみがなし得るあらゆる術策、あらゆるへつらい、あらゆる甘言、あらゆる手管をいつも何のためらいもなく行ない、粘り強く喰いさがっては、多少の成功を得るのである。

<後書から>
p.137
  朝鮮の災いのもとのひとつに、この両班つまり貴族という特権階級の存在があるからである。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。
  両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけかき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。

p.556558
  朝鮮の重大な宿癖は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。
  それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。居候をおおぜいかかえている男にとって、そこから逃げだすひとつの道は官吏になることなのである。下級にせよ上級にせよ官吏になれば、公金で居候たちを養っていける。であるから官職がどんどん新設される。目的は、国を治める者たちの親戚や知り合いを食わせるため、にほかならない。だからこそ朝鮮では政治の内紛や暴動が頻繁に起きる。(略)
  いまこの瞬間にもソウルでは、何百人もの強壮で並みの知力のある男が、たばこ銭にいたるまでの生活費をすべて身内または知り合いの高級官僚に頼り、日に三度ごはんを食べ、雑談にふけり、よからぬことを企んでいる。自立の誇らしい気分は無縁のものなのである。(略)
  朝鮮語辞典の編者によれば、朝鮮語の「仕事」ということばは「損失」「悪魔」「不運」と同義だといい、また怠惰な生活を送れるのは貴族の一員たるあかしなのである。(略)
  これまでわたしは最終的に食いものにされるのは農民層だといやになるほど繰り返してきた。農民はほかのどの階層よりも懸命に働いている。いくぶん原始的であるとはいえ土壌と気候によくマッチした手法を使っており、土地の生産性を楽に倍増できるはずなのである。
  ところが働いた分だけの収入を確実に得られるあてがまったくないため、農民たちは家族に着せて食べさせられるだけの作物をつくって満足し、いい家を建てたり身なりをよくしたりすることには恐怖をいだいている。無数の農家が地方行政官や両班から税を強制取り立てされたり借金を押しつけられたりして年々耕作面積が減り、いまや一日三度の食事をまかなえる分しか栽培していない。搾り取られるのが明々白々の運命である階層が、無関心、無気力、無感動の底に沈みこんでしまうのはむりからぬことである。
  改革があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人は文字どおり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。 (文責:編集部)
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