2023年4月号 | Monthly sati! April 2023 |
今月の内容 |
【お知らせ】
※近刊される地橋先生の新しい単行本が現在最終的な段階に入っておりますので巻頭ダンマトークは少しの間お休みさせていただきます。
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
『脳内映画館からの脱出(New New Chinema Paradise)』(6) |
(承前) 次は食事の観察。先生からの宿題は、同じ食物を目を開けた状態と閉じた状態の両方で食べ比べてみてください、というものだった。目を閉じた瞬間に、噛むスピードが速くなった。普段こんなに速く噛んで食べてないので驚いた。おそらく視覚が閉ざされて、噛むことに集中したからだと推測。同じものを食べているのに、味も濃く強く感じられた。 舌の働きにも驚いた。舌というのは、味と熱さを感じるためのものだと思っていたが、食べものを右の奥歯へ、左の奥歯へ、せっせと動かしていた。それから、頬の内側と歯茎の外側の間に食べ物が落ちるのが不快らしく、それを舌が取りに行こうと働いていた。あとは、いつまで噛むのかという判断。これは顎なのか、歯の下の神経なのか、それとも頬なのか、どこなのか場所は分からなかったが、これなら飲み込めるという柔らかさになるまで指令している箇所があることは分かった。こんなに面倒くさいことをえんえんとやり続けて太っていくんだから、食べることへの執着はすごいな、と思った。 座る瞑想をする。一人で自室でするよりも仲間のいるほうが場の力が働くのか、集中が続く。妄想は出るがとにかく丁寧にラベリングをした。多少ラベリングの言葉が違ったとしても、不完全なサティを「怒り」で打ち消すのはやめようと努めた。「滅を視よう」とした。 不意に、大嫌いな相手のことが浮かんだ。本当に嫌なことをされたので、思い出すと怒りが出るのが分かっていたため、普段は感情がエスカレートしないように即消す相手だった。でも、今回は違った。出てきたときに、幸せであるように即座に祈れた。そして、すぐに謝った。私が受けたことは相当に嫌な出来事で、その事実は変わらないのだけど、でも、相手にそれを実行させたのは紛れもなく私の欲と高慢が原因だった。それに、あんなひどいことを実行できたということは、あの人の作った悪業も相当なものだろうし、もしかすると他の人達にも同じことをやっているかもしれないと思うと、いたたまれなかった。 そして、これは一瞬で起きた。無理やりあの人を赦そうとして考えたことではない。瞬間に立ち上がって、完了した。証拠なんてないけど、参加者の皆さんの慈悲のパワーだと思った。誰かがちょうど私に慈悲の瞑想をしてくれていたのかもしれない、そんな気がする。 ★瞑想よ、こんにちは(3) Return of the Jedi (始まりの終わり) 合宿の面談で先生に確認してもらうため、ラベリングを声に出しながら歩行瞑想を行った。「この歩行瞑想をしている最中の妄想の出方はどうでしたか?」と聞かれ、ああ、そういえば妄想は出ていなかった、と気づいた・・・。安堵、安堵、安堵!ここまで、本当に長かった・・・。歓喜、歓喜、歓喜!!ようやく始まりが終わったのだ。 合宿が終った当日の夜、驚いたことに、また家で瞑想をした。いつもなら、せっかく瞑想で落ち着いた心を乱すように、YouTubeか映画に走るのだが、全く見たいと思わなかった。信じられなかった。 翌日会社に行くと、普段は「何それ? 宗教?」と言われるのを恐れ、決して瞑想の話をしないのだが、一番言うことがないだろうと思っていた同僚に、休憩中に話の流れで言ってしまい、意外にも、その同僚が「どうやるの?」と興味を持ったので、そのままそこで歩行瞑想の説明をした。 ちょうど会社でクラブ活動が推奨されていた時期だったので、瞑想クラブのようなものを作り、社長と人事に相談してお昼休みに会議室を借りられるように頼んでみようと思いつき、プランを立てながら様子を見ている。 それから、昼休みに歩行瞑想をする日と椅子で瞑想する日を分けて行うようにした。午後になんとなく落ち着いていられるし、怒りのキャッチが早くなって火消も早くなった。 これで仕事中もずっと落ち着いていられると思った、その数日後。異常に私のボスが怒り出した。もともと、とても怒りっぽい人で私以外に対してもすぐよく怒る人だった。ただこのボスは、本人が転職をした後に私を呼び寄せたくらいなので信頼してもらっているのを知っているし、八つ当たりはあっても意地悪で怒ることがないというのは重々承知していた。それにしてもよく怒るようになった。よくある「お試し」というやつなのか?本当に私が怒りに対して気づいていられるようになったか試すテストなのか?そして、ボスが落ち着いたと思ったら、今度は同僚がよく怒るようになった。なんだこれは?またテストなのか? そして、外部業者のいつも問題を起こす人がいつも以上にややこしい問題を起こした。これがお試しなら、いつまで続くんだろう。そして、次。そして、次。そして、次・・・。嫌だなと思うことはずっと起きた。 でも、これは元々起きていたのだ。私の反応が変わっただけなのだ。ヴィッパサナー瞑想はうまく行ってないしサティもうまく入ってないけど、でも、客観性が上がってきたのだろう。「お試しなのか?」と受け止める余裕が出てきたのだから。 そして、問題はたいがい自分のせいだと思われたし、エゴを脇において、相手の言っていることを丁寧に、正確に理解すれば、解決できるのだった。実際に自分の認識ミスが問題を起こしていることが多い。相手が敵だ、自分が攻撃されている、という捏造をして、本当はそんなことはないのに、怒りで私の客観性が曇っていただけなのだ。 相変わらず家で一人で瞑想をしていると、集中は途切れるし、サティが入らないことのほうが多い。やっぱり、隙あらば瞑想サボりたいなあと思っているし、映画の誘惑に負けそうになることもある。でも、完璧に理想通りになることはあきらめた。だって、サボりたい気持ちがなくなる日はきっと来ないのだと思う。晴れて輪廻の輪から出られたら最高だが、誘惑に勝ち続けて聖者みたいに生きる日も来ない。承認欲も、高慢さも、稼ぎたい欲も、きっと無くならない。 でも、第一歩は、そういう欲望まみれの自分を否定しないで、とにかく、ありのままに客観視できるようになること。懺悔する相手が一人もいなくなること。そして、みんなの幸せを心から祈れる優しい人間になりたい・・・と切に思う。 最後に、これまで私に関わってくださった先生方、しごき役のトレーナーをしてくださった方、支えてくださった方々、皆々様に心から感謝申し上げます。皆様がどうかお幸せでありますように。皆様に心の平安が現れますように・・・。(fin) |
読者の方より |
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『段階的に進めるブッダの修行法』(5) 5.精進 |
長谷川櫂著『俳句と人間』(岩波新書 2022年) |
著者は俳人で多くの句集、評論集、エッセイ集、新聞連載があり、また俳句関連の代表や主宰に携わっている。 時々テレビで俳句の番組を見ることがあるけれど、「なるほど!」とただ感心するばかり。しかし本書のおびに「俳句は俳句だけで終わらない」と記されていたので読んでみたところ、これもまた「なるほど!」。そこでこの欄で取り上げてみようと思った。 著者は癌を宣告され、そのことが自分に死と人生について「あらためて考える絶好の機会」をもたらしたと考え、岩波の月刊誌『図書』に2年間連載していたエッセイをまとめたと言う。エッセイということから話題の幅もかなり広いので、ここでは全体に流れているテーマとして「時代の空気」と「言葉の影響力」の二つに絞ってみたい。 〇「時代の空気」について まず著者は正岡子規と夏目漱石を例にあげる。自覚のないまま思考や行動が支配されてしまうものを「時代の空気」と言い、ある時代の人々はその中に生きている。そうした見方をしてはじめて、当時の人々の生き方や考え方が理解されるし、個々としてそれに順応するか逆らうかにかかわらず、どちらもその影響下にあることに変わりはないと著者は言う。 「小説であれ詩歌であれ優れた文学は時代の空気、時代精神を映し出す。時代の空気が作家に乗り移って書かせる、それが優れた文学なのだ。作品の登場人物だけでなく作家自身も時代の空気の中で生き、死んでゆく」 子規は「時代の空気」に沿った生き方を志したのであり、漱石はそこから自覚的に離れざるを得なかったのだと著者は見ている。 子規も漱石も慶應3年生まれだが、その「時代の空気」とはどのようなものだったのか。 明治というのは、「五箇条の御誓文」の中の一つの条に、「官武一途庶民二至ル迄、各其志ヲ遂ゲ、人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス」とあるように、「天皇から庶民まで一丸となって国家建設の役に立つ『有為の人』になる」しかない、つまりみんなが「国のために生きる」ことが求められた、著者に言わせれば「国家主義」の時代だった。 子規は子どものころ「政治家になって明治の新国家建設に役立ちたいと夢みた」が、出身が賊藩のうえに病弱であったためにあきらめるしかなく、そこで彼は文学の世界で新国家建設の役に立とうと志す。「子規の業績とされるものはみな子規のこの悲願から生まれた」のだと言う。 「病床の我に露ちる思ひあり」これは死を目前にしていた明治35年秋の句。 これは、「日本の役に立ちたいという大望を抱いているのに、病気のせいでそれができない。これが子規のやむにやまれぬ『露ちる思ひ』」の句なのだと著者は解している。 子規が『万葉集』を賛美したのも、それが「貴族や武家が政権を握っていなかった奈良時代のもの」だったから。つまり、明治政府が天皇親政モデルを過去に求めたのと軌を一に、『万葉集』を誉め称えることが子規にとっては「文学の世界で『有為の人』となる」ことだったからなのだ。 しかし漱石はそうではない。漱石は「国家主義からの自覚的な脱落者となった」と著者は見ている。なぜか。それは第一には生い立ち(母と縁が薄かった)からとされるが、決定的にはロンドン留学だ。「そこでの挫折が漱石を国家主義とは別の位置に立たせる」ことになったと言う。 ロンドン留学は官費によるものだったが、漱石はノイローゼになって帰国を命じられる。このことはよく知られている。 「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり」(『文学論』) 漱石の挫折は明治の「国家主義」からの脱落を、すなわち明治の新国家が求める「有為の人」にはなれないことを意味していた。 漱石帰国の後に起きた日露戦争の最中に高浜虚子に朗読会の文章を書くよう勧められ、最初の小説『吾輩は猫である』が生まれる。 著者によれば、「明治の国家主義からの脱落が漱石を小説家に」し、そして漱石をして「世間に距離を置いて斜に構える苦沙弥先生の位置に立たせ」、「その後、漱石は時代を灸り出す、この皮肉家の苦沙弥先生をさまざまに変奏させて名作を書きつづける」ことになる。 漱石は明治40年に東京帝国大学の講師(官職)を辞め朝日新聞社(民間)に入る。これも「当時としては非常識な反国家的な選択だった」が、「明治の脱落者の熔印が何よりあざやかに見てとれるのは『三四郎』(明治41年)の一節だろう」と言う。その一場面。 日露戦争直後、熊本の五高(第五高等学校)を卒業した小川三四郎が東京へ向かう列車の中。乗り合わせた四十くらいの髭の男が、「日本はいくら日露戦争に勝って一等国になっても駄目だ、富士山よりほかに自慢するものは何もない」という話をする。そこで三四郎は、「『然し是からは日本も段々発展するでせう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『亡びるね』と云った」のだ。 著者は、「日露戦争の勝利に浮かれる日本人の頭に冷や水を浴びせる髭の男は漱石その人だろう」としている。私たちはその後の歴史を知っているが、「亡びるね」の一言は、あたかも日本がそれからたどる歴史を見通しているようだ。 「董程な小さき人に生れたし」 明治39年、日露戦争の翌年の作。「小さな菫の花とは明治の国家主義から外れた漱石のささやかな理想だった」のだ。 「時代の空気」と言えば、渋沢栄一の『論語と算盤』には「経済における明治の国家主義がみごとに要約されている」文章があると言う。 「事柄に対し如何にせば道理に契ふかを先づ考へ、而して其の道理に契つた遣方(やりかた)をすれば国家社会の利益となるかを考へ更に此くすれば自己の為にもなるかと考へる、さう考へて見た時、若しそれが自己の為にはならぬが、道理にも契ひ、国家社会をも利益するといふことなら、余は断然自己を捨て、道理のある所に従ふ積りである」 さらに時代は明治の「国家主義」から昭和の「国粋主義」へと移り変わっていく。 国粋主義は「国家への貢献を理想とする点では国家主義と同じ」だが、「しかし明治の建国者たちの広い視野と健全な平衡感覚を失った、いわば狂信的な国家主義だった。明治の国家主義は『国のために生きる』ことを求めたが、昭和の国粋主義は『国のために死ぬ』ことを強いたのである」。 そこには、言葉の持つ大きな力が働いていた。 〇言葉というもの それは第一に人に大きな影響を与える力を持っていること。著者は例として南北戦争時のリンカーンの演説を取りあげる。 「87年前、私たちの祖先は自由に憧れ、すべての人間は平等に造られているという信念のもと、新しい国をこの大陸に建国しました。私たちはいま激しい内戦の渦中にあります。この内戦はこの国が、あるいは同じ理念と信念にもとづく国がはたして永続できるかどうかを問う試みなのです」 著者は、実は兵士は北部の資本家のために戦っていたのだが、それを理想に命を捧げる英雄として士気を鼓舞したと言う。つまり、「言葉で人間を描くのが文学なら言葉で人間を動かすのが政治である。そしてリンカーンは政治家だった」。 ただ、他本に以下のようなものがあった。言葉の内容とそれを発する適切な時期について、上にあげた面に加えてたいへん重要だと思うので紹介したい。 内戦の期間、「リンカーンはつねに連邦を守る立場を貫き、その目的のために奴隷解放を宣言することになる」が、彼は「完璧なタイミングが来るまで宣言を発しようとはしなかった。妥協の余地のないことは一切曲げずにいながらも、それらを選択的に表明することにかけて、リンカーンほど巧みだった人間はいない」。 そして、「1863年1月1日に、合衆国に対し謀反の状態にある州あるいは州の指定地域の内に奴隷として所有されているすべての人は、その日ただちに、また以後永久に、自由を与えられる」という宣言では、連邦側についた奴隷州の奴隷には言及していない。それは「戦争をしていない州に対して戦時権限を発動することはできなかったし、その必要はないとも承知していた」からであり、「連邦が流す血が多くなるほど、奴隷解放はより正しく、したがってより法に適うものになるだろう」からだった。 その結果、「見かけはペンの力以上のものは何も使わずに北部が主導権を振り、南部はこの瞬間から守勢に回ることに」なったとされる。(ジョン・ルイス・ギャディス『大戦略論』早川書房、2018年より) 第二に、言葉の影響は白紙の状態への刷り込みによって知らぬ間に定着していくこと。幼い頃から「教育」することで、やがて「国のために生きる」から「国のために死ぬ」という「時代の空気」に何の疑いもなく順応する人間を作っていく。その影響の深さ、あるいは恐ろしさも時代場所にかかわらず決して見過ごせないと思う。 そのなまなましい例として、ここで山中恒著『戦時下の絵本と教育勅語』(子どもの未来社、2017年)をあげたい。それは、戦時下における教育勅語や著者の直接体験をもとに、かつて子どもたちに与えられたさまざまな絵本からその背後にあるものを詳細に追ったもので、ここでは目次の一部のみを紹介する。 【2】では「歴史観をすり込む絵本」として、✶紀元二六〇〇年祭と『講談社の絵本 国史絵話』 ✶『講談社の絵本 国史絵巻』 ✶神話以降の歴史を語る『学校エホン 国史ノ巻』が取り上げられる。 【5】では「戦う子どもの教育」として、✶遊びも戦争『ヘイタイゴツコ』 ✶理想の男の子像『僕ハ男ノ子』 ✶『クルマハマワル』などなど。 【8】では「撃ちてし止まむ」として、✶「勝ちぬく僕等少国民」と『ウチテシヤマム』 ✶『テキキサアコイ』 ✶子どもも竹槍持って『日本ノコドモテキゲキメツ』といったもの。 これを見ただけでも背筋がうすら寒くなる。 小さいうちにこのように刷り込まれるのは本当に恐ろしいし、今も世界のどこかで行なわれているのではないかと想像させられる。 第三に、その性質の一つとして著者は「言い訳」に使われることをあげている。人は言葉によって自分の考えや行動を正当化しようとするが、「その滑稽な姿を描くのが文学ということになるだろう」と指摘し、漱石の『こゝろ』に出てくる先生の言動はこれにピッタリと当てはまるという。 なるほどと思った。例えば、「誤解を招いたとすれば申し訳ありません」という言葉をよく聞くけれどどうだろうか。「前後がカットされ一部の発言のみ取りあげられた」というような言い分はあるかも知れない。しかし、まるで聞いた方が「真意を読み取る能力に欠けている」とでも言っているように聞こえる。次はその数例。 「政治と言葉の問題は、むしろ国政の次元で相次いでいるから深刻だ。言葉をめぐる文化状況が劣悪になっていることの反映だ。ネット社会における無責任な言葉の発信、その最悪のものとしてのネットいじめやヘイトスピーチなどが、今やネットの中だけでなく社会や政治における生身の言葉の世界にまで影響を及ぼしているのだ」 「『原発事故によって死亡者が出ている状況ではない』、『(憲法改正は)ナチス政権のやり方に学べばよい』など、その言葉の重大性を考慮しないで発言する例の何と多いことか」「現場の声も聞かずに、東京で『金目でしょ』という無神経さ」(柳田邦男著『この国の危機管理 失敗の本質』毎日新聞出版、2022より)。 終わりに、全部ではないが、本書で述べられている他の話題を簡単に。 〇「言葉と文化」について 自分たちの文化にはピッタリした用語を見いだせない時には、入ってきた言葉はそのまま使わざるを得ない。カタカナ語の氾濫と同様なことが漢字がもたらされた時にも起きている。それは目に見えるものに限らず、見えないもの、いわゆる「概念」についても同じだった。例としては「死(シ)」と「かくれる」などの和語の対比、「愛(アイ)」と「こい」との違いなど。 〇芭蕉の境地と静寂との関係 「古池や蛙飛こむ水のおと」「秋深き隣は何をする人ぞ」などを取りあげ、とくに「秋深き」の句について、かりに「秋深し」とした時、「し」と「き」というたった一字だが、そこには俳句の解釈に大きな質的な違いが現れることを述べる。 〇言葉の虚構性について 言葉は虚構を生む力を持つ。 「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」藤原定家 「花も紅葉もないといいながら、読者の心には薄墨色の夕暮れに重なって花や紅葉がほのぼのと浮かび上がる。これが言葉の幻術によって出現する虚の花、虚の紅葉である」 地獄の役割の一つは罪を犯そうとする者への威嚇だが、もう一つはこの世の不均衡を解消する因果応報としての仕掛け。刑務所はこの世でその不公平を精算するための装置。 「近代以降、人道主義者は罪人の更生、社会復帰こそ目的であるという。しかし勘違いしてはいけない。刑務所も刑罰も存在理由の第一は罪を犯した人間を野放しにしておくわけにはゆかない、罪人は罰を受けなければならないと誰もが考えるからである」 〇なぜ人は墓をつくるか 墓は「人間が魂の不滅を信ずる」がゆえの「永遠の命という幻想の器」。 では魂の不滅を信じようとしたのはなぜか。それは人間が言葉によって目の前にあるものだけでなく目の前にないもの、「空間ばかりか時間も超越して過去や未来まで想像できる」ようになったから。まさに「言葉という想像力の翼を得て人間は生死の境を越えてしまった」。 〇生死と言葉 人は「生きる」「死ぬ」という言葉によって「生」とは何か「死」とは何か考えはじめる。それに「喜び、楽しみ」より「悲しみ、苦しみ」のほうが多いし重い。「にもかかわらず『人生は喜びにあふれている』と考えるなら、それは生きていることを正当化しようとしているだけのことだろう。人間はいつも言葉によって自分を正当化しながら生きているのだ」。 |
文化を散歩してみよう |
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第4回:プライドそして人と人との間(1)
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ちょっと紹介を! |
編集部より: この欄は編集部に寄せられた情報をきわめてポイント的ですが紹介しようとするものです。もとより書籍に限るものでもなくまた毎号ではありませんが、関心のある方々の一助となれば幸いです。 森 万佑子著『韓国併合』(中公新書 2022年)
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