月刊サティ!

2023年1月号  Monthly sati!  January  2023


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:今月は休載いたします
  ダンマ写真
  Web会だより ー私の瞑想体験-:『脳内映画館からの脱出』
                   (New New Chinema Paradise)
(3)
  ダンマの言葉:『段階的に進めるブッダの修行法』(2)
  今日のひと言:選
   読んでみました:ショーン・エリス+ペニージューノ著
       『狼の群れと暮らした男』(前)   (築地書館 2012)
  (新)文化を散歩してみよう ―言葉から文化を見ると―

                

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  
  

     

              巻頭ダンマトーク
 

【お知らせ】
 近刊される地橋先生の新しい単行本が現在最終的な段階に入っておりますので巻頭ダンマトークは少しの間お休みさせていただきます。




 今月のダンマ写真 ~
 
「慈悲のブッダ」(女性仏師による)

先生より

    Web会だより ー私の瞑想体験-

『脳内映画館からの脱出』(New New Chinema Paradise)』(3)

                             by セス・プレート

★瞑想に出会ったのに() Cells at work(働く細胞/全然できない)
   合宿が始まる前も、「私は一個の細胞です」と仕事をした。イライラは減っていた。ずっと失っていた「やる気」が出てきた。仏教はすごい、と実感していた。
   仏教なんて、欲を捨てろという割には高級車に乗って酒を飲むお坊さんを見て、言ってることと行動が合ってないと思っていた。が、テーラワーダ仏教というものがあったのだ、日本の仏教とは違うものがあったのだと、魅了された。

   合宿が始まると初心者だけ別室で瞑想を教わった。拍子抜けするほど簡単だが、出来ないのだ。出来ない、というのは2段階あって、まずその姿勢が取れなかった。座禅のように足を組んで背骨を伸ばして頭のてっぺんを天井に向ける、という簡単なことが、デスクワークで股関節と肩が凝り固まった私には出来なかった。座布団で調整してなんとか態勢を整えた。
   次の出来ない、とは、とにかく痛みに耐えられない。不思議なもので、なぜか両肩だけが痛かった。座る瞑想の時も、歩く瞑想の時も、とにかく肩が痛い。痛みが出てきたら、痛みにラベリングするのだが、ラベリングしても、痛みは消えない。たっぷり瞑想するために来たのに、痛みに向き合うことになるなんて。痛みのせいで、他の雑念が出てこなかった、という意味では良かったと言える気もするが・・・。
   合宿中の毎朝の読経と長老の法話が楽しみだった。読経はパーリ語だが日本語訳が付いていて、それが興味深い。「この身体は厭わしい、身の毛もよだつ悪臭を放つ汚物です」って、こんなに的を得た面白い表現があるだろうか。生物の教科書にもこのように書いたらいいのに。
   大人数で行う慈悲の瞑想も好きだった。でも、欲深いくせに自分の幸せを願うことには違和感があった。自分の幸せを願えないとは、一種の病気であると知った。魚が泥水よりも、よりきれいな水の中に住みたいと願うように、自分の幸せを願うことは当たり前のことだと知った。
   約一週間の瞑想合宿は、瞑想がちっともうまくいかず、痛いままで終わった。でも、仏教の面白さに出会えて幸せだった。これからも、「一個の細胞です」で生きるのだ。

★瞑想に出会ったのに() Mad Max (阿修羅の仲間入り)
   何しろ肩が痛いので、瞑想をしなくなってしまった。でも、私には魔法のフレーズがあった。「私は一個の細胞です」と一生懸命に仕事した。それに、瞑想合宿の最終日、何年も参加されている女性が「慈悲の瞑想を寝る前にすると、いつの間にか、周りの問題がなくっていたんです」と言っていた。だから、やらない理由はない。私も慈悲の瞑想をしたし、長老の本や法話のブログを読みまくっていた。うまくいっていた。イライラも減って、順調に行っているように見えた。ところがである。
   何度も繰り返し同じ質問をしてくる人事部長に怒ってしまったのである。心の中のイライラではなく、声に出して怒ってしまったのだ。信じられなかった。評価に響くであろう「人事部長」にである。
   呆然とした。仏教を知り、慈悲の瞑想を実践しても、これかい!?せめて人間として生きてたつもりだったのに、怒りの阿修羅の世界から出ていなかった。何が間違っていたのだろう。うまくいっていたと思ったのに・・・。

   ググった。会社帰りに寄れるクラブではない。瞑想会はないだろうかと探して、見つけた。大都会の飲み屋街の真ん中で、タイのお坊さんが教えていた。渡りに船だ、とすぐに参加した。参加者は私を入れて3人。初参加の方はちょっと待っていてと言われ、他の二人に教えている待ち時間にボロボロ泣いた。相当追い詰められていたのかも分からない。理由も分からずにとにかく泣いた。
   場所が狭いので立つ瞑想と椅子での瞑想を習った。言葉のラベリングをしないタイプの、呼吸や感覚を感じる瞑想だった。水を飲む観察をする瞑想もした。落ち着いた。
   帰り際にお坊さんに「あなたは連れてきているよ」と言われた。聞き間違えたのかと思ったが、もう一度言われた。「あなたがお寺(お坊さん)に行くことを知って、成仏したい存在が一緒にここに来ているよ」と言われた。勘弁してくださいよ。もう御免だ、そんなスピリチュアル的なことは、と思った。
   だが、なぜ理由もなく泣いていたのか。ひょっとして私じゃなくて霊が泣いたのかな、なんて、言い得て妙なところがあったし、戒を守り出家しているお坊さんがわざわざ嘘をつくだろうか、とも思い、とりあえず保留にして、何回か通った。
   参加人数が少なかったこともあり、お坊さんとも参加者達とも、とても仲良くなった。お坊さんの家のそばの法華経の寺院へ行って一時間も太鼓を叩いて、喜んだ住職にお茶をごちそうになったり、タイのお坊さんが出かけていく先に同行して読経したり、一緒に過ごす時間が多くなっていった。
   怪しい人ではないと分かってきたので、お祓いをしてもらった。1時間以上お経をあげてもらった。その間、私はずっと身体がおかしな風に動き、泣きっぱなしだった。これが、思い込みの催眠的なことだったのか、本当に憑いていたのか分からない。

   この期間は座る瞑想をけっこうやった。ラベリングをしないタイプだったので、瞑想しているつもりで妄想に耽っていた時間のほうが多かったかもしれない。
   イライラが減ったことは確かだった。
   しかしである。ここで、お坊さんと法友(だと思っていた人)を拠り所にするのではなく、ブッダの「教え」を自ら確かめなければならないと痛感する出来事が起きた。『自灯明・法灯明』を実践しなければならない。お坊さんと法友に依存していては成長しないと反省する事柄を体験し、ここへは通わなくなった。
   そして、人事部長に怒った件は、怒りを消したのではなくて怒りを抑えつけただけだったのである。慈悲の瞑想をしているという自分に酔い、効果がゼロではなかったが、我慢が高じて爆発したのだった。(続く)

       月影  (Y.U.さん提供)
 


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ダンマの言葉

                           『段階的に進めるブッダの修行法』(2) 

1.「布施」
   私たちが培っていくことが必要な精神的資質として、まず「布施」が挙げられます。この最初の資質が身につかないと、悟りへの通が開かれることもまたありえません。私たちはどこかでこの道に踏み出さなければなりません。布施はそのための第一歩であり、最初の資質なのです。そしてこの最初の資質こそが、私たちの始まりとなるのです。
   ブッダは三つの布施について語りました。乞食の布施、友達の布施、王子の布施、です。
   「乞食の布施」とは、家の中に散らかっているものを片付けたいときそうするように、いらないものを与えることです。何も与えないよりはましですが、いらないから与えるというのは、あまり寛容とはいえません。形はどうあれ、欲や執着をなくしていないからです。
   「友達の布施」とは、私たちが持っているものを分かち合うことです。私たちが出会う多くの人々と共有します。いくらかを手元に置き、いくらかを与えて等しく分かち合います。
   「王子の布施」とは、私たちが持っている以上に与えることです。これは非常に稀なことです。たいていの人々はこうはいきません。

   布施は、正しい動機を伴うことが必要です。もしあなたが利益や評価、感謝など何かしらの見返りを求めて布施をするなら、それはうまく行きません。「得る」ことを期待して「与える」のは、矛盾というものです。得るために与えるのではなく、与えるために与えるのです。この意味を深く調べ、洞察したとき、はっきりと理解できるようになるでしょう。もし与えるために与えるなら、たとえば、幸福や満足、心の平安を得られることは明らかなのです。必要以上のものを所有していると感じて布施をする人もいるでしょう。あるいは、自分の富と繁栄を他者と共有する必要があると感じて布施をするかも知れません。慈悲の気持ちで布施をする人もいるでしょう。ブッダは慈悲の心から布施をされたのでした。
   布施は、物を与えることのみにあてはまるわけではありません。時間や思い遣り、気配り、世話といった布施が出来ますし、あなたが持っている技術や能力も分かち合うことができます。それらを、見返りを期待せずに提供するなら慈しみの布施です。ブッダは慈悲の思いからダンマを布施したのでした。

   このような布施によって得られるものがあります。あなたが慈悲の心で与えれば与えるほど、必然的により多くの慈悲を得られるのです。これは自明で道理に叶ったことですが、この点まで思いをいたす人はなかなかいません。他者からの好意が欲しくて布施をする人もいるでしょう。しかし、心からの慈愛で布施をすればするほど、その人はより多くの慈愛を得られるに違いないのです。
   どんな類の布施もエゴを減らしていきます。だからこそ、身に付け守っていかなければならない十の波羅蜜の最初に挙げられるのです。
   ブッダがまだ悟りを目指していた菩薩だった頃、これら波羅蜜の資質こそ、完成をめざしていたものなのです。これについては、ブッダの前世に関しての「ジャータカ」という話の中に多くの逸話が残っています。
   菩薩の布施は、自分の生命を提供することにさえ及びます。自らの命を他者の為に差L出すのは、最も尊い布施です。普通の人が同じことをするのはほとんど不可能でしょう。布施にはさまざまな程度があり、少しでも布施をすれば、エゴが少し減るのです。もし正しい動機を伴うなら、多くの布施はエゴをより多く減らしていくのです。
   エゴをなくしていくことは、清浄道の本義であり、それは最終的に無我という実体験へと導きます。自己中心性について何らかの取り組みを始めていない限りは、無我を体験できることを期待したり願望したり、あるいは想像することすらできないでしょう。どうすればそれが可能でしょうか。布施はそこへ向けて最上の出発点なのです。(続く)

       

 今日の一言:選

1)こちらから何事かをしようとすると、うまくいかないだろう。
  ただ与えられたものを黙々と受け入れていく感覚……

2)すべてを等価に見ようと捨(ウペッカー)を目指し、投げやりになり、冷淡になり、パワーレスになることもある。
  何も目指さず、どこにも拠りどころを持たず、ただ揺るぎのない信に支えられ、情熱も精進のエネルギーも失わない……

3)普通に生きているかぎり、記憶の世界はエゴによって編集され、変容していく……
  自己中心的な立場からの発想が乗り超えられなければならない。

   慈悲の心と捨(ウペッカー)の心が満ちあふれた無我の感覚の体得を目指す。

4)何もしなければ、誤認と錯覚が当たり前になってしまうのだ。
   ……厳密に、正確に、サティを入れなければならない。

5)間違った事実認識と、保存中に変わり果てていくその記憶。
   経験もメチャクチャ、思い出もデタラメ……
   酔ったように生き、夢のように死んでいく人生の真実とは……

6)記憶内容が変化していくだけではない。
  そもそもの認知の瞬間に、最初の誤解と誤認と歪みが発生している。
   脳内で待ち構えていた先入観念と思い込みが、外界から心に飛び込んでくる情報に向かって投射され、絵の具を混ぜたように融け合って別の色になってしまう……



   読んでみました
ショーン・エリス+ペニー・ジューノ著 『狼の群れと暮らした男』(前)
                           (築地書館 2012年)

 内容はとても衝撃的だが読後感はすがすがしい。群れのなかで秩序を保ちながら自らの役に徹して暮らしている狼は、貪ることで自ら苦しんでいる人間のレベルには落ち込んでいないようだ。「霊長類」というのは「万物のなかで最も霊妙ですぐれたもの」を意味するけれど、それは本当だろうか。
   著者はともに暮らした狼から学んだこと、そこから思う自然と人間とのつきあい方、さらには犬のしつけの話までを語っているが、それらはすべて体験に裏打ちされていて、侵しがたい説得力をもっている。
  本書のカバーから著者を紹介する。(一部略)
  著者ショーン・エリスはイングランド、ノーフォーク州の農場に生まれ、自然に親しみ、狩猟犬ほか多くの野生動物に囲まれて育った。さまざまな肉体労働や厳しい軍隊生活の後、米国アイダホ州のネイティブ・アメリカン、ネズパース族が管理する狼の群れに交じり、仲間として受け入れられる。その後、野生狼との接触を求めてロッキー山脈に決死的な探検に出かけ、飢餓と恐怖、孤独感にさいなまれながら、ついに野生の群れとの接触に成功し、人間として初めて2年に及ぶ狼との共棲を経験した。 
   現在は自然動物園を本拠にして、飼育狼の養育、ヨーロッパ大陸の野生狼の保護、講演、対談、ドキュメンタリー映画、等々の活動をしている。著者は「自分の人生を言葉で表現すること」や、「狼と暮らした奇跡を人間の目を通した言葉で甦らせること」はほぼ不可能と思っていたが、本書に共著者として名を連ねているペニー・ジューノが、その「心の奥に秘めた考えを紙面に写し取ってくれた」という。但し、本稿では「著者」はショーン・エリスを指している。
  本書ではまず子ども時代からこれまでの人生の歩みを振り返り、次第にそれらの過程で得てきた知見や自らの考えを語るという構成になっている。すべてが臨場感に溢れて大いに惹かれるが、本稿では多くを割愛せざるをえなかった。

  母はシングルマザーで収入のために離れて働き、彼は祖父母の農場で育てられる。ノーフォーク州の田舎の自然に囲まれた暮らしでは大好きだった祖父の存在も大きく、いっしょの散歩は「すべての発見を心躍るものに」した。鳥の巣がどこにあっていつどれだけ卵を産むのか。アナウサギはいつ仔を産むのか。狐やアナグマの穴はどこか。動物たちの足跡はどう見分けるのか。祖父は「50ヤード(約45m)離れていても、乳を与えているメスウサギを見分けられた」という。どれを捕りどれを生かすかという種の持続と自然のバランスの維持が祖父の考えの土台だった。

  ただそのころは、大型で危険な野生動物は本や童話の中にいるだけで身の回りにはいない。だから狼は「悪賢くて、邪悪で、凶暴で、命を奪う」と思っていたし、祖母の話から想像力を膨らませて恐怖を感じていたという。しかし一方では、恐ろしいという評判だったキツネにはなじみが深かったし、恐ろしくもなかった。なぜなら、ある夜をきっかけにキツネの親子と親しくなって、キツネについての悪いストーリーが作り話であることを知ったから。そしてたくさんのことを学びながら、もはや彼は観察者ではなくキツネの子どもたちの遊びの一部にまでなっていた。
  ところがある日、彼は悲しみと恐怖で震えあがるような光景を目撃する。最も勇敢な子ギツネが足を怪我し、死んだまま木から吊されていたのだ。「あんなに神々しく、美しく、元気一杯だったこの生き物が、こんなひどい卑怯な方法で命を奪われたという事実」に彼は申し訳なさでいっぱいになり、「仕掛けを知っているというだけの理由で、どこかの無知な人間がこの生き生きとした若い命を奪った」ことに無性に腹が立ったという。
  のちにネイティブアメリカンたちはそれが著者の「運命を決定づけた瞬間だ」と言い、次のような意味のことを語ったという。それは、人は幼い頃に経験した動物との関係が、成長した後の自然との向き合い方を暗黙のうちに決めることになるのだと。著者は、「振り返ってみれば、あの勇壮な若いキツネ――わが友――が、あの木から吊るされているのを見たときのショックで、同類の種である人間に対する嫌悪感と人間から距離を取りたいという欲望が生まれたことは疑いない」と言っている。

  中学を卒業して屋根葺き会社で働いていたころ、地元の動物園で一頭の狼と目が合う。
  「私たちは互いを見つめあったが、その何秒間かの間に彼は私の魂に触れたと感じた。()それはめったにあり得ない魂の結びつきで、私は自分が人生で求めているものが目の前にあると悟った」
  「それが生涯続く契約の始まりだった。私がこの動物について聞いてきたことは全部嘘で、彼と私は多くの共通点があり、ともに時代からずれた生き方をしていることがわかった」

  そののち著者は軍隊に入り7年間を過ごす。そこで彼は精神的にも肉体的にも鍛えられ、あらゆる面で願ってもない経験を積むが、のちに狼の群れの中で役に立たなかったことは何もなかったという。一つの例が狼たちも行なっている生き残りの技術、セ氏マイナス20℃にもなる真冬のノルウェーの凍土の原野での訓練だった。
  雪中で長距離を徒歩で踏破する時、先導者はだいたい500mほど前を歩くと速度を緩めて後ろに下がる。そして次の人がさらに500m先頭に立つことを順に続ける。その理由は、深い雪の中での先頭は誰かの足跡に従うよりよほど疲れるからで、「さらにいったん目的地に着いたら戦闘が始まるという前提で、すべての兵士が等しく体力を温存している必要があるから」だ。
  のちに中央アイダホの山中で野生の狼と暮らしていた時、狼が雪の中で全く同じ方法を使っているのを知る。それは、「しばらくするとリーダーが離れて隊列の後尾につくのだが、これは狩猟のときすべての狼が十分なエネルギーを残してすばやく戦闘につけるようにするためだった」。

  動物園での出会い以来、狼のことをもっと知ろうと本を読んでいくと、狐から学んだことが狼にも多く当てはまることを知るようになる。そこで連隊の休日には狼の群れが飼われている近くのダートムア野生動物公園に連日通い、ついに休暇を利用して柵の中で過ごすこと思いつく。それも初めは昼間だったのを夜間へとシフト。前代未聞で飼育係たちは気が狂ったのではないかと思ったらしい。
  彼はそこで狼たちの習性の段階を踏みつつフィードバックを繰り返し、ついに彼は狼たちに受け入れられた。
  「あんなに長い間私にとって恐ろしかった動物が、今はいなくてはならない存在になり始めていた。(略)少しずつ昼と夜が合体し、気がつくと一週間が過ぎていたが、私が狼から離れる唯一の時間は食べ物のため抜け出すときだけだった」
  この狼たちと過ごした経験は彼の人生観を完全に変えてしまう。
  「狼は殺戮の力をもっておりいつでもそれを使えると示すが、どうしようもないときにしかそれを行使しない。彼らは家族を守るためと、家族が冬を越せるだけの食糧源を確保するためには徹底的に戦う。他の狼の群れは宿敵だが、彼らはライバルをも尊重し、ライバルの行動ゆえに彼らを大事にする。私たち人間は敵の価値を認めない。(略)戦闘に参加している我々のほとんどはなぜ敵が敵になっているのか知らない。殺戮は見当違いで必要ない――そして倫理的にきわめて問題がある。私はもうたくさんだった」

  軍隊を辞めてまもなく彼はアイダホに渡り、そこで彼はネズパース族のレビ・ホルトのやっている狼教育研究センターで実習訓練に携わる。
  そのセンターで飼育されている狼たちは、人間にはよく慣れていたし、生物学者たちも限定的だが頻繁に柵の中に入っていた。しかし3週目が終わるころになると、「私にはこれが狼だという感じがしなかった。彼らは狼の影のようだった。(略)もし私が夜、狼の最下層の仲間として彼らの中に入り、彼らに本当の狼としてふるまわせ、私を支配させたらどうなるだろう」と考えるようになっていた。
  彼は6週間後にはマネジャーたちを説得し、最下層のメンバーとして狼の群れの仲間入りをする実験させてもらうことになる。それは、「彼らの世界について教えてほしかったのであり、その逆ではなかった。私は彼らの一員になりたかったので、もし私が彼らを支配しようとしたら、その願いは絶対叶わないだろう」と考え、「本当に狼の生態を理解したければ彼らの中に入って住まなければだめだと知っていた」からだ。また、「もし狼の視線で考えることができれば、野生の狼が公園の境界を超えて家畜を襲う(生物学者を含めて誰でもいつか起こりえると危惧していた)ことを防ぐ手立てを講じることができるだろう」と考えたからでもあった。
  この11匹の狼の群れには当然序列があり、やがて彼らは著者を家族の一員として受け入れた。狼たちは彼らの世界について次のように言っているように感じたという。
  「まだ一緒にいるのなら、我々のあげる違った声や、家族全員の違った匂いや、身の安全のため毎晩かかさず決めている縄張りの境界を教えてあげる。ここがお前の寝るところ、ここが俺の寝るところで、問題があるときはあいつのところに行きなさい、俺のところに来るんじゃないよ、このメスとは絶対ふれあってはいけない、こっちに来ていいときは俺が教える、あいつのところにはいつ行ってもいいし、あいつの毛づくろいをしてもいいし、ふざけて喧嘩しているときはあいつの体を咬みついてかさぶたを外してもいいが、もし俺にそんなことをしたら、俺はお前の顔を咬んでそんなことはできないぞとすぐお前に教えてあげる」
  この経験を通して、オオカミたちが教えてくれた彼らの世界がどんなに貴重なものかを知った著者に明確なビジョンが生まれる。「誰かがオオカミに我々の世界のことを教え、仲立ちをしなければ、彼らを野生の世界に返してもそれは長続きしないだろう。私がその誰かになるのだ」と。(続く)

                          
     

   
         文化を散歩してみよう
 
  はじめに
  過日、地橋先生を囲む場で言葉と文化が話題になりました。その時、とくに意図もせず私が多少理解している韓国語の特徴を話したところ、それをコラムとして書いてほしいと、先生はじめその場にいた方からもかなり強くリクエストされてしまいました。
  直後にいただいた先生からのメールには、「日本語の将来」とか「日韓比較文化論」などを軸に書いたらどうかとあったのですが、私自身は韓国語やその文化の研究に特に携わってきたわけではありません。しかし、そうは言ってもせっかくのお話ですので、「もう知っているよ!」という方もおられるのは承知の上で、あえて思いつくままに書いてみることにいたしました。ただ、すでにもとの職場から離れて10年を越えていることもあり、またもともと寄せ集めなので体系的に整理したり深く掘り下げたものでもありません。そこのところを理解くださるとともに、出典等は一部を除いては明記しないこと、また不定期となることをご承知ください。

  ところで、私たちが励んでいる「一日10分!」(最低ラインですが)を基本とするなら、日常生活で自分のありように気づくことはその成果の一つです。刺激によって心に生まれたネガティブな反応に気づいてそこから先の展開を避ける、そう私たちはいつも心がけてはいます。ただ理想から言えばそんな反応は最初から生まれない方がいいのは言うまでもありません。
  そこでそのために少しは役立つ可能性の一つが、たとえ知識としてでも人によっていろいろな「考え方」があることを知ることだと思っています。単純なように見えますが、それはけっこう大切なのではないでしょうか。また加えて、そのことは私たちが目指している客観的な見方を養うことにも通じるのではないかとも考えています。そこでここでは、これまでの私的な経験や学んだことの範囲内ではありますが、ものの見方や考え方の違いの様子を紹介させていただきます。興味を持っていただけたら幸いです。

  さて、私たちはよく「〇〇は□□だ」というような言いまわしで人や国、あるいは他の文化などを一口にしてしまうことがあります。一見すると明快で、いかにもわかったような気になることも否定できません。しかしよく考えてみれば、人は時と場合でさまざまな面を見せますし、集団や国というようなレベルでもそれは同じはずです。
  その意味でおことわりしておきたいのは、今後も含めてこの欄でとりあげるテーマについてもそれがあてはまるということです。つまり、あくまで私的な経験や学んできたことによるものであって、固定的な見方にとらわれないように心がけながら、客観的な視点を養おうとする上での一つのパーツになればと考えています。このような点を踏まえた上での話であることをあらかじめご承知おきください。

                           第1回:言葉から文化を見ると

1.文化とは
  少々理屈っぽい話になりますが、この欄のタイトルに使った言葉でもありますのでちょっとお付き合いください。
  そもそも文化とは何を指す言葉でしょうか。また文明という言葉もありますが、どう関連するのでしょうか。厳密な検討はさておき、次のように考えられます。
  文化も文明も人によって作り出されたもので、自然現象ではないと言うことです。そして個人的なものではなく集団にあてはめて言われます。また文化と言えば精神的なものをも含んでいて、時には政治や社会と並んで言われたりもします。かつては「文化住宅」とか「文化包丁」などと言う言葉もありました。なおここではおおよそ「ものの見方、考え方」に関連することを対象にしていくつもりです。
  ついでに文化と文明ですが、それについてはいくつか考えられています。
  第一は、これらには本質的な違いがなく、文化が発展して文明になったとか、文化が拡大したものが文明であるとするものです。
  第二は、文化は個別的なもので文明は総合的なものだというもの。例えば、道具としてのスマホは文化であって、スマホを利用したいろいろなシステムは文明に該当するというものです。
  第三は、文化は民族的なもので文明は普遍的なものという捉え方。
  第四は、いわゆる「精神文化」とか「物質文明」と言うように、内面的なものと外面的なもの、心のありようと生活の仕方、あるいはソフトとハードなどのような違いに目を向ける見方です。

2.異文化を知ろうとする時に
  いずれにしても、ここでは心の内に「自分とは違う」と感じるような場合について取り上げます。やや形式張った言い方ですが「異文化理解」ということになるでしょうか。
  よく、外国(つまり異文化の中)に入ると日本とか自分のことがわかると言われています。ですが、なにもことさら外国に行くまでもありません。ただ隣の人と接するだけでも「自分のこと」がわかるのではと思います。「兄弟は他人の始まり」と言いますし、家族でも一人一人考え方が違うでしょう。ですからここでは「自分以外の人」すべてを隣人、つまり「異文化の人」というふうに捉えてみたいと思います。
  作家の陳舜臣さんはこんな言葉を遺しています。「隣人と仲良くしたいのであれば、私たちは基本的な一つの原則を忘れてはならない。隣人と自分とは違うものであり、自分の頭の中で勝手に隣人のイメージを作ってはならない」と。(『日本的中国的』徳間書店 1983
  これはおそらくどなたも否定なさらないのではないでしょうか。個人でも集団でも同じことで、人の考えや価値観はそれぞれだということ、普通に考えればごく当たり前のことです。ですから、無意識的にでも「相手も自分と同じ」となってしまうと間違いを犯すことになります。
  さらに、私たちは「ものごとは常に変化しつつある」ということを学んでいます。そしてそれが単なる知識を越えて身につくように努めているところです。たとえそこまでいかないとしても、単に社会を少し見回しただけでも、時代によって正義や不正義が覆ることはよく知られています。新聞やテレビの報道コード、あるいはハラスメント関連の意識等々、そんな事例には事欠きません。
  このように「違い」と「変化」の二つを常に心に留めておきたいと思います。なぜなら、私たちが本当に客観的な観方を志向する時には、この二つは欠かせないと思うからです。ともあれ、まずはこれらを踏まえているものとして異文化を話題にしていこうと考えています。

3.言葉から異文化を垣間見る
  歳を取ったせいか、テレビなどで時々耳にする言葉が気になって仕方がありません。「他人事」を「たにんごと」と言うのを聞けば「ひとごと!」、「○○が開始しました」とアナウンスされると「『されました』だろ!」とつぶやくので家人にいつもたしなめられています。「こだわりを捨てよ」と教わってはいますが、「塩味」は「えんみ」ではなく「しおあじ」だし、「がっつり」などはとうてい受け入れられません。(許容性に欠けていてしかもアタマが柔らかくないのでしょうか・・・?)
  もし「すべては変化しつつある」という真理が心から身についていたなら、すぐに消える「若者言葉」は別にして、上にあげたような言葉もいつかは気にならなくなるのでしょうか。「新しい(あらたしい)」が「あたらしい」になり、「自堕落」が「しだらない」から「だらしない」となったように。
  それはともかく、「目は口ほどにものを言い」と言います。でも、この社会ではほとんどは言葉によってコミュニケーションを取っているわけで、そこに相応の配慮がなければならないのは「身口意」を大切にせよと教わっているとおりです。同じことを言っているつもりでも、表現の仕方によっては互いに壁や溝が生まれてしまいます。ましてものの見方や考え方が違えばなおさらです。
  かなり前ですが、上前淳一郎氏の読むクスリ」(「週刊文春」)に、アサヒビール中興の祖といわれる当時社長だった樋口氏廣太郎氏が、イギリスのある投資家を通訳と一緒に訪ねた時の次のようなエピソードが載っていました。
  「話は佳境に入り、先方はとても好意的で、これから長くお付き合いしたいといってくれました」
  ところが一点だけどうしても引っ掛かる問題がある。そこで樋口さんは言った。
  「その点を、なんとかお願いできませんでしょうか」
  すると、現地で育った日系二世だという通訳はしばらく考え込んだあとで、樋口さんにボールを投げ返した。
  「それは、英語には翻訳できません」
  「えっ」
  「その意味は、私が得をしたいから、今回はあなたは損をしなさい、ということですね。そう英訳していいですか」
  なるほど、と樋口さんは頭を叩かれた思いがした。
  日本でならアウンの呼吸‥‥
  しかし、国際ビジネスの場では、そうした曖昧さは決して通用しない。
  「いつまでも日本式思考にしがみついていたら、海外へは出ていけなくなります。国内でも二度と、ひとつなんとか、とはいうまい、と決心して帰ってきました」

  これはまさしく言葉のすれ違いの例です。最近読んだ『今日拾った言葉たち』(武田砂鉄著、暮しの手帖社、2022年)にも、2016年から2022年の「ことば」をめぐるさまざまな事例(本質を鋭く穿つ言葉、意味をなさない言い訳、本性が透ける言葉、等々)が満載です。もし機会があればぜひ読まれるといいと思います。いかに言葉がその人の本質を表してしまうものか、そして大切にしなければならないのかと言うことがよくわかります。

4.韓国での経験から
  ところで、縁あって1969年にはじめて韓国を訪問して以来、少しずつ韓国語を習いながら毎年のように夏休みを利用して韓国を訪れ、さまざまな方々とのお付き合いを重ねてきました。とくに1987年から1年間、ソウルにある韓国農村経済研究院でお世話になる機会をいただいたことは何よりでした。今回はそうした経験の中から韓国の人々の言葉や話し方について感じたことを、「早まった一般化」や「ステレオタイプ化」等の認知バイアスに陥らないように注意しながら、少々床屋談義的ではありますがお話ししてみようと思います。

  1969年に釜山から慶州、江陵をへて束草に泊まって雪岳山に行きました。何のアポも取らずに行ったので、今考えればけっこう無謀だったかなと思います。きっと若かったからでしょう。まだ一般の日本人観光客があまりいないころでした。草束の旅館で同志社大学の二人の学生と出会い、彼らの部屋で話をしていました。するとそこに二人のおばさんが、A4くらいの大きさで底の浅いガラスケースに綿を敷き、紫水晶をいくつも並べて売りに来たのです。紫水晶はそのあたりの特産品です。
  少し日本語のわかる人たちだったのですが、私たちは学生でお金がないと言っても帰りません。そのうち、お二人とも水晶の数を何遍も数えているのです。何をしているのかな?という感じで見ていましたところ、突然二人で大声で言い合いを始めました。言葉の喧嘩です。そっちがいくつ、こっちがいくつのようなことを言い合っているのは大体わかりました。要するに水晶玉の数が合わなかったのです。すごい迫力で、私たちは唖然としてしまいました。
  そのうちに誰が呼んだのか宿屋の主人が出てきて、双方から話を聞くことになりました。互いが自分の言いたいことを主人に大声で訴え、それが済んだら主人が裁定を下しました。結果がどうなったのか私たちにはわかりませんでしたが、互いに言いたいことを十分に言い、第三者がそれを聞いて裁定を下したらそれに従うというのがルールだということを後で知りました。
  次の日、雪岳山へ登りましたが、その道でその二人がまた仲良く観光客に水晶を売っていました。なにか微笑ましい感じで。また、なるほどとも思いました。対日本と言うことになるとまた別でしょうけれど、個人的には言いたいことを言ったあとはスカッとして後を曳かないようなのです。
  もしかするとそれは、こちらの韓国語が未熟だったために細かいニュアンスを感じられなかっただけなのかも知れません。でもこのように、自分の考えをストレートに表現しながらも後を曳かない、そんな印象はそれからもよく受けました。
  80年代の終わりころ、知り合いの二十歳ぐらい女性とたまたま喫茶店に入ったことがあります。こちらはコーヒーを注文したのですが、その方は「水だけ」と言ったのでびっくりしてしまいました。もし日本でなら義理でも何か頼むだろうと・・・・。
  イエスかノーか、好き嫌いがはっきりしているのです。自分の意見、主義主張、言いたいことははっきり言う。「沈黙は金なり」などはまったく美徳ではありません。言いたいことがあるのに遠慮したり、黙っていて察してくれるのを待つなんていうのは考えられもしないようです。
  韓流ドラマをよく見られる方は感じているかも知れませんが、互いに自分の意見を主張する場面では的を射た言葉(もっとも台本にあるのでしょうけれど)がしっかり出てくるものだと感心します。揺るぎない意思から次々と出てくる言葉はどう喩えたら良いのでしょうか。奔流のようでもありボクシングの打ち合いのようでもあります。
  でも韓国で生活してみると、やりとりする言葉からは裏とかその外に何かあるようにはまったく感じられませんでした。すべての会話がそのまま内面を表しているようで、「韓国人はスパイに向かない」などというジョークがあったりしています。そのようなことから、こちらの韓国語の理解の及ぶ限りですが、言葉の意味としては余計な気を回さずに済むので大変ありがたかったことは事実です。ただ、意味はわかっても、それがこちらの考えと一致するかどうかは別ですけれども・・・。
  一方、日本ではどうでしょう。言霊という言われ方もするように言葉には力があるとされています。饒舌さは敬遠され、また「眼光紙背に徹す」と言うことからも、込められているニュアンスを察することが求められたりします。短い言葉でもそこに何かしら深いものが・・・という意味では、俳句がその典型かも知れません。
  どこに住んでいようと、凡夫である以上人の心の内はだれも変わらないはずです。自覚の有無は別にして、欲も怒りも楽しみも恐れも十分に持っています。そして言葉を大切にするのもやはり同じでしょう。でも、その表し方や力の入れ方の方向が日本と韓国の文化ではずいぶん異なっているように感じられました。

5.おわりに
  今回は言葉を通してでしたが、いろいろな場面で私たちはその奥に文化の一端を感じることがあります。ですが、それはあくまで主観的なものだということを忘れてはならないでしょう。まして単純な一般化や決めつけはもちろん、好悪の対象化にはよほど注意しなければと思っています。
  情報学者ドミニク・チェンさんへのインタビュー記事が新聞に載っていました。ごく一部ですがその中にあった言葉を紹介したいと思います。
  「人間の分かり合える部分は氷山の一角に過ぎませんよね。ですが分かり合えて当然、分かり合えることが最大のゴールと捉えている人も案外、多い」
  「分からないことは分からないまま受け止めていいし、否定も肯定もせずに受け流したり、一緒に考えたりする選択もあります。結論を必ずしも探さなくていいことだってある。分かり合えなくても、つながる。コミュニケーションとは、分かり合うための手段ではなく、分からなくても相手を受け入れ『共に在る』ための技法なのです」(202314日、毎日新聞夕刊)
  この欄のテーマは「客観的にものごとを見、判断することを心掛けましょう」ということでした。しかしそうは言っても、「完璧な客観視」は概念としては存在していても現実にはなかなか難しいのではないでしょうか。そうであれば、やはりそれなりの偏りは避けられないことは先ず認めなければ、と思います。
  そしてそのことを踏まえたうえで、たとえ断片的な知識としてでもさまざまな「考え方」があることを知れば、少しでも「客観視」に近づけるのではないかと考えています。ですからたとえ迂遠のようであっても、文化の様子を一つ一つ見ていきたいと思います。(M..
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