月刊サティ!

2022年9月号  Monthly sati!  September  2022


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:『懺悔物語 ⑥ -輪廻転生-』
  ダンマ写真
  Web会だより ー私の瞑想体験-:『10泊11日 手術入院リトリート顛末記
  ダンマの言葉:『悟りの道への出発』(7)
  今日のひと言:選
   読んでみました:
   安本美典著『データサイエンスが解く邪馬台国
           -北九州説は揺るがない-』( 朝日新聞出版 2021)

【お知らせ】
 編集の関係により、7月号、8月号をお休みさせていただきました。お待たせいたしましたことをご了解願います。

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。

 
  

     

              巻頭ダンマトーク
 『懺悔物語 ⑥
 -輪廻転生-』

  お釈迦様が弟子を伴って托鉢のためにある町に入られた。その姿を見た一人の老人が近づいて言った。
  「おお、息子よ、なぜこんなに長い間逢いに来てくれなかったのだ。さあ、行こう。お母さんにも逢ってやってくれ」
  家に着くと老人の妻はお釈迦様を一目見るや感激し「お前達の大きいお兄さんだよ」と自分の子供たちに紹介した。
  面食らった比丘達の問いかけに、お釈迦様は驚くべきことを答えた。
  「比丘達よ、私は過去世でこの二人の息子だったことがあり、また甥だったこともある。その回数は長い輪廻転生のなかで1500回であった」
  ブッダは、この父親が預流果に達するまでこの地に3ヶ月留まったとも記されている。
  この逸話の出典は「ダンマパダ(法句経)」のコメンタリーだが、果たして真偽のほどはどうなのだろうか。
  ブッダは常に真実を語っただろうが、伝承の正確さに疑念を挟めばきりがなく、仏教にもキリスト教にも膨大な偽経が存在し、ブッダやキリストの言動を伝える資料も後世になるほど誇張され神格化され伝説化されて信憑性が失われていくのが通例である。

*紫色のカラス
  ヴィパッサナー瞑想者に理系や技術系の方が多いのは、万人に知覚され共有される現実を正確に観察していく技法の清潔さに魅力を感じているからである。妄想と事実を厳密に識別していく瞑想は科学の方法と酷似しており、根拠の不確かなものを信仰する要素が入り込むのを好まないのは当然である。
  輪廻転生論は科学的実証が難しく、最後は信じるか信じないかの問題に帰着するので、仏教の素晴らしさに感銘を受け、ヴィパッサナー瞑想を真剣に修行している方でも否定的な見解を持つ方が少なくない。
  一方、誰しも人生経験を重ねるにつれ因果応報の現実が身に染みてくるし、現象世界の事象の転変は因果法則に貫かれていることが覚られてくるので、業論を真っ向否定する人は少ない。ところが輪廻転生論は経験則で納得することも、科学的な検証も極めて難しく、あるのか無いのか解らないと回答する人が多くなる。
  輪廻転生を全く信じない、と全否定する人もいるが、存在しないことを立証するのは限りなく不可能に近く、いわゆる「悪魔の証明」になってしまう。
  例えば、紫色のカラスが存在することを証明するには紫色のカラスを一羽見つければよいが、存在しないことを証明するには地球上をくまなくシラミ潰しに調査しなければならない。「輪廻転生なんか、ある訳ないやんか」と言う人は多いが、実証的な物言いではないだろう。

*科学的立証
  なぜ輪廻転生は科学的な立証が難しいのだろう。
  まず、実験や客観的な観測が非常にやりづらいのだ。例えば、遺伝学や分子生物学で使われるショウジョウバエは、飼育が容易でライフサイクルが2週間と短く「生きた試験管」と呼ばれるほどさまざまな実験をするのに都合がよい。しかし平均寿命が80年にもなるヒトの世代交代を観察するのも、被験者の死の瞬間に立ち会うのも極めて難しいし、そもそも人権に関わる意図的な実験や観察そのものが不可能なのだ。
  臨死体験の事例は膨大に存在するし、死後に継続されていくであろう命の営みを強く示唆するものではあるが、「臨死」は「死」そのものではなく、輪廻転生を完璧に証明したと断言するのには少し無理がある。

*前世を記憶する子供達
  輪廻転生の科学的研究と呼ぶに値するのは、米国のイアン・スティーヴンソン教授のフィールドワークだろうか。インドや東南アジア、ヨーロッパなどで前世の記憶を持つ子供達の事例を2300例ほど収集し、輪廻転生の強力な実証例と言い得るものが存在する。
  前世の家族の名前、居住環境、自分自身が死んだ瞬間、居合わせた人や情況などを語る子供の証言が、調査した事実とぴったり符合する例が多い。「先天性刻印」と呼ばれる母斑や身体部位の欠損が過去世で死ぬ瞬間に負傷した傷跡と合致したりもする。過去世で死亡した時の様子を記録したカルテが発見された事例などは物的証拠となるだろう。
  さらに、前世を記憶する子供の中には、前世の言語だったスウェーデン語やドイツ語で意思疎通できる者が確認されている。今世で習得するはずのない「真性異言」は輪廻転生を立証するものとして説得力がある。
  しかし仏教の輪廻転生論からは問題もある。
  例えば「盲亀浮木」の喩えで知られるように、仏教では人間から人間へのダイレクトな転生は極めて稀有とされているが、スティーヴンソンの研究はすべて人間から人間への転生であり、仏教の輪廻転生論に疑義が呈されている。
  大きな反響を呼んだイアン・スティーヴンソンの研究は後継者のジム・タッカーに継承されており、こうした厳密なフィールドワーク研究が重ねられていくと輪廻転生論が広く承認されていくかもしれない。

*霊能者キューブラ・ロス
  生涯に2万例もの死者の看取りをしてきたキューブラ・ロスは、膨大な体験例から死後生=輪廻転生を確信していた。ロス自身の数々の霊的体験は霊能者として相当なものであり、ロスの確信は、ブッダやモッガラーナと同じ次元の直接知覚による検証が根拠となっていたように思われる。
  このような特殊能力の持主たちにとっては生々しい現実も、われわれ一般人には知覚することも共有することもできない世界であり、追認できなければ科学の対象にはなり得ない。科学者の多くがこの問題を敬遠する所以だろう。
  ブッダや大阿羅漢達が言明しているのだから、輪廻転生は存在するに決まっていると断定するのは、信仰の世界であり、ヴィパッサナー瞑想の世界ではない。存在するものは存在すると知り、存在しないものは存在しないと、事実をありのままに観ていくのが原則である。
  特殊なセンサーの持主だったキューブラ・ロスは、事実をありのままに観察した結果、霊視した世界も死後に転生していく世界も明確に存在することを知っていたのであろう。ロスは、ブッダやモッガラーナと同じ立ち位置にいたのではないかと思われる。

*六道輪廻
  人間シッダールタが身を削って修行し、煩悩の束縛から解放され、ドゥッカ()を終滅させたことを自ら証し、ブッダになられた。のみならず後に続く人々も同じ境地に到達できる道を具体的に示された。それがヴィパッサナー瞑想だが、実際に修行してみると認知のプロセスも、法として実在する対象が概念化され妄想と混同され実体視されていく消息も、なるほど、なるほど・・・と腑に落ちて方法論としての正しさと美しさに感銘を受けてきた。
  そのブッダの直説とされる最古層の経典「スッタ・ニパータ」には地獄の生々しい描写がある。「神々との対話」や「悪魔との対話」と訳されている「サンユッタ・ニカーヤ」に登場する霊的生類も、凡夫の知覚センサーを超越したブッダにとっては現実そのもののやり取りだったことが窺われる。
  原始経典のいたるところでブッダは死と再生について繰り返し語り、六種の領域を転生する「六道輪廻」を言明している。「地獄・餓鬼・動物・人間・修羅・天」の六趣である。われわれ凡夫衆生には人間と動物しか知覚できないが、超感覚的知覚(ESP)の持主たちには他の4種の生類も実在していたはずである・・・。

*知覚の延長と拡大
  顕微鏡の精度が上がるにつれ極微の世界が可視化され、病気の原因が精霊や悪魔の仕業ではなく、細菌の増殖によるものだったことが判明した。電子顕微鏡が発明されると、極小のウイルスも視認されるようになり、さらに謎の解明が進んだ。
  また、ハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられることによって、地球の大気や天候の影響を受けない極めて高い精度の天体観測が可能になり、膨張宇宙やブラックホールの存在証明にも繋がった。
  従来の光学顕微鏡の回折限界をはるかに凌駕する量子顕微鏡の開発が目覚ましい現代である。技術的な知覚の拡大によって対象認識の次元が変われば、一部の者の特殊な「超感覚的知覚(ESP)」が万人に共有されて科学となるだろう。
  ブッダやモッガラーナ、キューブラ・ロスが知覚し経験していた世界が可視化されれば、ニュートリノのような微細身の霊的生類の存在証明がなされ、輪廻転生の構造が科学的な研究対象になっていくことを期待したい。

*悟りと神通力
  霊視や輪廻転生の構造を目の当たりにする能力は天賦の才ではなく、修行の賜物と考えるべきだろう。おしなべて天与の才というものは、過去世で死ぬほど努力して得た才能が持ち越されたものとして理解すべきである。遺伝子の宝くじを偶然引き当てた者が天才として誕生するという考え方には美も論理も品格もない。
  ブッダの直弟子達は、高度なサマタ瞑想の一環として神通力の修行をしていたことが知られているし、解脱した時には、煩悩が滅尽し二度と再生しないことを知る「漏尽通」という神通力の他に、「神足通」「天耳通」「他心通」「天眼通」「宿命通」など六種の神通力が開かれて阿羅漢になったという。
  <六神通>と称されるが、とりわけ重要だった「漏尽通」「天眼通」「宿命通」を<三明>とも呼ぶ。最初期の阿羅漢は必ず三明六通を得て解脱したようだが、後世になると、神通力の伴わない「漏尽通」だけの阿羅漢も認められるようになった。
  <三明>の中でも、死後、再生に導く煩悩が滅尽されたことを知る智慧は輪廻転生を終滅させる解脱の要なので「漏尽通」が最重要視されるのは当然である。
  「天眼通」は、一切衆生が業によって輪廻転生していく姿を遍く知る智慧であり、輪廻のメカニズムと業の関連が明確になることは自身の解脱に直結する重要な認識であることは言うまでもない。
  「宿命通」は、自身の過去世の記憶が鮮やかに想起される能力だから、輪廻転生が生々しい実感とともに現実のものとなる。一切皆苦の構造の中の輪廻は当然ドゥッカ()に満ち満ちたものであり、解脱の仕事を完成させる原動力になるだろう。

*過去世を想起する神通力
  六種の神通力がどのように発揮されるかと言えば、一点集中のサマタ瞑想を極め、第4禅定を完成した時点で神通力の修行を開始するのが通例だったようだ。  
  ブッダがかの老人との1500回にも及ぶ関係を告げたのは、「宿命通」の神通力で過去世の記憶を想起したからだろう。ブッダのこの能力はどんな大阿羅漢たちも及びのつかない圧倒的なものであり、阿羅漢の宿命通がロウソクの炎だとすると、ブッダの神通は赫赫と照り輝く真昼の太陽に譬えられた。ビデオテープを再生するかのような克明さで遡れる過去世の数は500生前、1万生前、数劫(カルパ)前、数十劫前生と、無限に続く輪廻の環の一つ一つを鮮明かつ自在に想起することができたという。

*懺悔の範囲は過去世に及ぶのか
  石をぶつけられている比丘の映像を見たBさん。あるいは首筋の痛みが劇的に消失したAさんは前世をかいま見ていたのだろうか・・・。設問②のポイントは、懺悔の範囲は過去世に及ぶのか否か、輪廻転生は存在するか否かである。
  劇的な懺悔効果を暗示で説明しても業論で解釈しても、現象を生滅変化させている根本は意志(チェータナー)であることに変わりはないだろう。意志に端を発する「サンカーラ()」の現象生起力が過去世や未来世にも及ぶのか否か、がここでは問われていると言ってよいだろう。
  まず、業論そのものを否定する偶然論者は、仏教の立場からは「縁なき衆生は度し難し」ということになり論外である。
  「そのようにお考えなのですね。なるほど。私らは仏教をやってますので、考え方は違いますが、お互いに否定せず、尊重し合って仲良く棲み分けていきましょう」と挨拶して敬遠するしかない。

*来世を否定すると・・・ 
  来世が存在しなければ、現象世界の因果の帰結は今世だけに限られる。死ねば全てが無に帰し、善人も悪人虫けらもおしなべて涅槃を得たのとほぼ同じ状態になる。来世もなければ再生も無いのだから、悪をなそうが汚いことをしようが、悪因悪果が帰結する前に逃げ切った者が勝ちという発想が浮かびやすくなる。それを依りどころに、大量虐殺や粛清を平然と敢行してきた暴君や独裁者たちは星の数ほどいたが、因果が来世に及ぶと知る者には、そんな極悪の出来ようはずがないのである。
  因果が否定されれば、悪を怖れず(無愧)、恥を知らず(無慚)、煩悩を抑止する歯止めとなる倫理が失われていく。蒔いた種は必ず刈り取らなければならない。勝ち逃げはあり得ず、来世で必ず報いを受けるし、責任を取らなければならないと理解することによって、人間の残酷さや野蛮さがどれだけ引き算されるか量りしれないだろう。

*過去世を否定すると・・・ 
  苦しい人生を生きてこられた多くの方々が、不遇な環境に生まれ育ち、幼少期に深く傷ついた経験をされている。長じてからは「自業自得」の業の構造に納得できても、何の罪も犯していない幼児期に虐待や理不尽な扱いをされてきた事実が許せず、怒りや恨みに苦しんできた。
  幸福な人生になるか不幸な人生になるか、人の幸・不幸を分ける最大の要因は<ネガティブな過去の受容>である。苦しい過去の経験がゼロだった人はいない。程度の差はあれ、誰もが苦受を受け傷ついてきたし、無傷な心などどこにもないのである。
  問題は、ネガティブな経験をどのように認識するかである。苦の経験は真っ平だが、それを嫌悪し否定し、怒りの心で打ち消している限り幸福にはなれないと心得なければならない。腹を立て怒っている状態が幸せであろうはずはない。怒りを感じる一瞬一瞬、新たな不善業が蓄積され、やがて必ずネガティブな苦の経験にも遭遇するだろう。
  幸せになりたければ怒りを手放し、否定し打ち消す心を受容する心に転換しなければならない。

*不幸な星の下に
  四肢の欠損したサリドマイド奇形児だったドイツ人男性がテレビカメラに向かって怒り狂っている映像を観た衝撃は忘れがたい。
  「神はなぜ、俺にこの体を与えたのだ!」と、頭の禿げあがった50代後半の男が激怒し、どれほど苦しい人生を生きてきたか怒鳴り散らしていた。
  この方は何十年も、こんな強い怒りを垂れ流して生きてきたのか、と胸を衝かれる想いがした。いかなる理由があろうとも、怒りのエネルギーを出力すれば破壊的な結果がもたらされてしまうのだから、怒るべきではないと伝えたかった。
  苦受を経験する一瞬一瞬、不善業が現象化して消えていくのだから、カルマ的な負債が返済されていくのだから、軽くなり、楽になり、これから良くなっていくのだから・・・、ネガティブなエネルギーを出力するのは止めよう。自分に与えられた運命を甘んじて受け切っていくことができないだろうか、と知らせたかった。
  人は心底から理解し、納得し、腹に落ちないことは受け容れることができないものだ。本音では理不尽と感じていることを、いくら赦す、受け容れる、水に流す、と言っても、否定的なエネルギーが洩れ出てしまうだろう。ネガティブな事象を受け容れるためには、納得できる思想が必要不可欠なのである。

*不平等だから公平
  誕生時の不平等や理不尽な苦境をきれいに説明できる思想は存在しないと哲学の教授に言われた。科学的な証明はできていないが、仏教には輪廻転生論がありますと答えた。
  不幸な星の下に生まれたのは、過去世の不善業の結果が誕生時に反映されたと考えることができないだろうか。なぜ劣悪な人生のスタートになったか納得がいくのではないか。
  現象世界を貫いているのは業の法則であり、誰もが蒔いた種を刈り取らされながら、悪因悪果・善因善果の自業自得の世界を生きている。健康も容姿も才能も貧富も親子関係も社会的ステータスも、実に千差万別であり、絶対的な不平等は歴然としている。いかなる環境の下に生を享けるのも、過去世の業によってもたらされた結果なのだと見れば、因果応報の法則は一貫しており、不平等だから公平なのだと理解されるだろう。

*闇から光に・・・
  過去世が否定され、輪廻転生が絵空事として一蹴されてしまえば、後に残るのは永久に受容できない苦しみに対する嫌悪と怒りと怨念である。なぜある者は銀の匙を加えて生まれてくるのに、自分の手足は根元から無いのだ。忌み嫌われ、差別され、不当な扱いを受けなければならないのだ、と死ぬまで呪い続けるかもしれない。
  たとえ輪廻転生が真実には存在しない妄想であり戯言だったとしても、自分に与えられた運命を完全に受容して怒らず、恨まず、なすべきことをなしながら生きていくことができるならば、立派な良い人生だったと言えるのではないか。
  輪廻は、有るか無いかのどちらかである。
  輪廻転生が存在した場合には、苦から苦に向かい闇から闇に向かう流れはなんとしても変えなければならないだろう。嘘と盗みと不倫と聖者冒涜を重ねながら悪の生涯を繰り返してきたような者が、闇から光に向かう決定的な方向転換をなし遂げることができるとすれば、それは懺悔と新しい決意によってである。
  無知ゆえに犯してしまった悪は痛切に懺悔し、二度と同じ誤ちを繰り返さずに、五戒を完守して正しく生きていこう、という決意(アディッターナ)が新しい人生の流れをスタートさせるのである。
  懺悔の修行はまちがった過去の生き方を断ち切るクサビの一撃なのだ。 (以下次号)




 今月のダンマ写真 ~
 
タイ森林僧院の食事供養

先生より

    Web会だより ー私の瞑想体験-

『10泊11日 手術入院リトリート顛末記』 K.I.

  2020年暮れのこと、93歳の母の自宅介護、二人目の孫の出産、体調を崩した姪一家を引き取って世話、などなど、獅子奮迅(と自分では思っていた)の毎日を送っていたなか、右肩の痛みが日々増してきた。
  肩凝りの酷いもの…と思っていたが、夜も眠れぬ痛みとなって、また挙げた腕が自分の意思とはかかわりなく「パタン」と落ちてしまうに至って、しかたなく近くの整形外科を受診した。
  できるだけ、病院に行きたくない、薬は飲みたくない、ということで今まできてしまった。
  「おそらく肩腱板断裂でしょう」と言われて、精密検査。そして手術のできる地域の中核病院へ紹介された。
  病院の専門医の意見で、即刻入院手術を決めた。
  笑顔の医師は「内視鏡で手術するので危険は少ないですし、体への負担も少ない。上腕骨にアンカーを打ち込み、切れた腱を糸で引っ張ってきてつなぐ手術です」と説明されたので、簡単な手術なんだと安心した。
  「全身麻酔で、術後も首からカテーテルで局所麻酔を続ける」という説明に「?」ちょっと大げさだな、と思ったことと、術後2ヶ月外転送具で固定、その後半年かけてリハビリ、通院終了まで約1年というのはずいぶん長いな、とは思ったのだが。
  手術後、その痛みに七転八倒することになるとは、全く思っていなかった。
  手術入院となって、私はむしろワクワクしていて、「これこそ天が私にくれたギフト!家事も仕事も全部忘れて、瞑想に打ち込む機会をいただいた!」と喜び勇んでいた。
  上げ善据え膳、24時間自分の時間、期間も1011日とは、グリーンヒルの瞑想合宿と同じ日程ではないか!
  さあ。やるぞ…と思い、この入院中に何か修行上でも画期的な何かを掴むことができるのではないか、とすら思っていた。
  ということで、122日、PCR検査を済ませて意気軒高で入院。個室だったので、瞑想にちょうど良い環境がそろった。
  入院当日は、地橋先生の「Satiという名の動物」に徹するつもりで、医師と看護師との会話以外はSatiを入れ続けることができた。
  翌日、手術を待つ間も、運ばれて行くときも、全身麻酔で意識を手放す時まで六門開放型のSatiを入れていた。しかし辛うじて修行と言えるのはここまでだった
  麻酔から覚めてからの痛みは激しく、「痛み」「痛み」「激痛」「波状」「痺れ」「激痛」…というばかり。そのうち「痛い」「痛い」「痛いはSatiではない、と思った」「激痛」となり、脂汗を流し、痛みのあまり過呼吸になる状態に、Satiを入れることで疲労困憊してしまった。
  それでも手術当日はまだ体力があって、何とかSatiをつないでいたのだが、翌日からは気力体力共に落ちて、集中力が無くなってしまった。
  そういう中でつくづく思い知ったのは、今までの1Day合宿で何度も繰り返してきた「喫茶の瞑想」や「食事の瞑想」「排泄の瞑想」などはできるということだ。(食事や喫茶ができたわけではないけれど、そのノウハウで)
  脳内に自然とできていた回路だけが非常事態のときにも役に立つ。体に染み込んでいなければ、いざという時には役に立たない。
  少しも進歩していないのでは?と思ってきたけれど、目に見えないところで積み上がっていたものは確かにあったのだということだった。
  頭で理解していたことは役にたたない。淡々と体で覚えたことだけが役に立つ。
  私は本を読むことが好きで、瞑想の本や原始仏教の本を読んで納得した気になっていたけれど、追い込まれたときには全く役に立たなかった。
  ピアノの演奏などで「頭が真っ白になっても、指が覚えているから大丈夫」と思えるところまで追い込め、と言われていたけれど、まさにそういうことだった。
  そして、毎日の瞑想の練習は、何か特別な変化を期待したり、目覚ましい進歩を感じることを目指すのでは無くて、本当にただ淡々とやりつづけることが大事なのだ。そうすれば体の中に自然と変化が起きている。
  術後数日はバイタルチェック、傷の消毒やガーゼ交換、点滴、と細切れに通常モードになり、とうとうモードチェンジをすることにした。
  「ずっとSatiを入れ続ける」のではなく「次の看護師さんの訪れまでSatiを切らない」というモード。
  これで精神的にはずいぶん楽になった。
  うつらうつらしたら、それも良しとする。「うつらうつらしている」とSatiを入れて。
  抜糸ができてからの最後2日は痛みもずいぶん楽になったが、痛みのため横になって眠れないため消耗が激しく、弱弱しいSatiがとぎれとぎれに入る程度のクオリティーになり、そのまま退院となった。
  目指していた成果には程遠い散々なできのリトリートだった。勇んで「これぞチャンス」と思って飛び込んだだけに、自分のダメさ加減と思いきり向き合うこととなった。
  それでも、最終日まで自暴自棄になることなく、お粗末なSatiを入れ続けたことのみは収穫と言えるかもしれない。
  終わってみて思うことがいくつかある。
  まず1点目、体力気力が充実してこそ良い瞑想ができるのであって、手術を受けて良い瞑想をしようなんてとんでもない心得違いだったということ。
  2点目、日々、当たり前のように短い時間でもやっていたことは、こんな状況でもできる、ということ。
  3点目、カルマ論を何度も聞いて理解できていたので、自分の痛みについての怒りは一切なかったこと。たとえナースコールに反応が無く激痛をこらえながら長く待たされていても、怒りはかった。
  集中できないときは、医療スタッフに、入院中の患者に、慈悲の瞑想をしていた。お陰で病棟の雰囲気はとても良かったように思う。
  そして食事や清拭、その他の世話をしてくださるスタッフの人たちに心からの感謝ができた。首を垂れて「ありがたい」と心から思えた。
  思っていたリトリートとは程遠い10日間だったけれど、「地味な毎日の修行こそが大事」と腹に落ちたことが何よりの収穫だったと思う。
  進歩の実感など無くて良い。
  完治まで1年近くかかってしまう長いリハビリ生活だが、これからは全托の修行をさせていただくつもりでいる。
  痛みもまだかなり残っているけれど、前世で積んできた不殺生戒のカルマや、今世さんざん殺してしまったゴキブリやハエや蚊へ
の業が少しは解消できたと思えば、ありがたいことだ。自然にこう思えることも、この5年の修行の成果のひとつだろう。

   

凜々しく夏を乗り越えて

 (K.U.さん提供)
 









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ダンマの言葉

  本欄では、本誌2008年2月号から連載されましたアチャン・チャー長老による1978年レインズでのリトリートの半ば、夕べの読経の後に行われた新参の修行僧を対象とした非公式の法話(悟りの道への出発)を掲載しています。今月はその第7回目です。

覚りの道への出発

8.結び目を解く
  サマタ瞑想により落ち着きを得ると、心は透明で輝くようになります。心の活動はよりいっそう少なくなります。心に浮かぶ様々な印象がより少なくなります。このような時には強い心の平穏と幸福感が現れます。この事福感に執着してしまうこともあるかもしれませんが、幸福もまた不確実なものであるとみなすべきです。また不幸も同じく不確実で永久には続かないとみなければなりません。感情は全て永続するものではないから、執着すべきものではないとわかるでしょう。智慧のおかげでこのように物事を見ることができるのです。物事はすべてその性質に応じて存在するだけであると理解するのです。
  このように理解することは、縄の結び目の一端を手にするようなものです。正しい方向に引けば結び目は解け、もつれが取れ始めます。結び目はもはやそれほどきつくもなく、張り詰めてもいません。結び目は必ずしもきつく締まっている必要はないと理解することもできます。これまでは、物事は常に期待される通りでなければならないと考え、そのため結び目をよりいっそうきつく締めていたのです。
  この結び目の緊張が苦しみです。このように緊張して生きることはとても窮屈です。だから結び目を少し緩め、リラックスするのです。なぜ緩めるのでしょうか。なぜならきついからです。執着がなければ結び目を緩めることができます。結び目はいつもきつく締まっている必要はありません。
  私たちは無常の教えを拠り所とします。幸福も不幸も永続的なものではないと見ます。変わらないものなど何一つありません。このように理解することで、心に浮かぶ様々な気分や感情を絶対的なものと思い込まなくなり、それにつれて私たちの誤った理解も減っていきます。これが結び目を解くという意味です。結び目はどんどんゆるくなります。執着は徐々に根絶やしとなるのです。

9.幻滅
  自分の身体や心、この世に「無常、苦、無我」を見るようになるとある種の退屈が生じてきます。これは何も知りたくない、何も見たくない、あるいは誰ともかかわり合いたくないという日常的な意味での退屈とは異なります。これらは執着を伴っており、真の退屈とは言えません。私たちはいまだ嫉妬や拒絶の感情を持ち、苦をもたらす物事に執着しているので本当の退屈がわかりません。
  ブッダが説かれた退屈は怒りや欲望を件いません。一切は無常であると見ることから生じるものです。心に楽しい感情が表れても、それが長続きしないと見ます。これが、ここで言う退屈です。それを厭離(nibbidā)ないし幻滅と呼びます。官能的な貪りや衝動とは懸け離れたものであることを意味します。何も欲に値するものはないと見ます。好みに合おうと合うまいと、物事を自分と同一視することがありません。物事に特別な価値を置かないのです。
  このように修行実践すると、物事が苦の原因となる土台が崩れます。私たちは苦を見てしまったのです。感情を自己と同一視することは真の幸福をもたらさないということを見たのです。感情を自己とみなすことは幸不幸、好き嫌いに執着するということを意味します。そしてそれが苦の本質的な原因なのです。執着を続けている間は、偏見のない心で物事をみることができません。ある心の状態を好ましいと思い、他の心の状態を嫌います。好き嫌いを続ける限り幸福も不幸も苦しみの原因となります。執着が苦しみをもたらすのです。
  ブッダは私たちに苦しみをもたらすものは何であれ本質的に不完全なものであると教えられました。

10.四つの聖なる真理(四聖諦)
  このようにブッダは苦しみを知り、苦しみをもたらす原因を知ることを教えられたのです。
  次に知らなければならないのは苦しみからの解放と、解放に至る修行法です。ブッダはこの四つの真理を知ることを説かれたのです。この四つの真理を理解すれば、苦しみが起こった時にその本質を知り、苦しみに終わりがあるとわかるでしょう。苦しみがただ舞い込んできたものではないと知るでしょう。苦しみから解放されたいと願うとき、その原因を取り除くことができるようになるでしょう。
  なぜ私たちは苦しみ、満たされないという感情を抱くのでしょうか。それは私たちが好き嫌いの感情に終着するからだと分かるでしょう。自分自身の行為のために苦しんでいることが分かるようになります。物事に価値を置くことによって苦しむのです。ですから、苦しみを知り、苦しみの原因を知り、苦しみからの解放を知り、苦しみからの解放に至る道を知りなさいと言うのです。
  苦しみを知ることで、私たちは結び目のもつれを解き続けます。しかし結び目を解くためには正しい方向に縄を引かなければなりません。
  つまり物事はただあるがままに存在しているだけだということを知らなければなりません。そうすれば執着は引き裂かれてしまうでしょう。これが苦しみに終止符を打つ修行です。
  苦しみを知り、苦しみの原因を知り、苦しみからの解放を知り、苦しみの無い状態へと至る道を知る、これが道(magga)です。正しい見方(正見)、正しい考え(正思惟)、正しい言葉(正語)、正しい行動(正行)、正しい職業(正命)、正しい努力(正精進)、正しい先づき(正念)、正しい集中(正定)が道です。この八正道を理解することが正しい道であり、それにより苦しみを終わらせることができるのです。八正道が正しい行いと集中と智慧(戒・定・慧)へと私たちを導くのです。
  私たちはこの四つの真理を明確に理解しなければなりません。理解したいと思わなければなりません。自分の目で観察したいと思わなければなりません。この四つの真理を観察することは真理の法(sacca dhamma)と呼ばれます。内を見ても前を見ても右を見ても左を見ても、見えるのはすべて真理の法です。すべてがただあるがままに存在しているだけだと見るのです。法に達した者、法を真に理解した者にとっては、どこへ行ってもすべてが法なのです。(了)

       

 今日の一言:選

(1)お互いに大好きだったのに、今はもう顔も見たくない、と憎んでいる人がいないだろうか。
  良いこともあった。楽しいこともあった。だが、嫌なこともあったわけだ。
  暗転し、忌まわしい結末になってしまったが、素晴らしい時代もあったのだ。
  自分の人生を飾ってくれたお方ではないのか・・・。

(2)「肩凝り」という言葉がない国には、肩凝りがない。
  アフリカには虹が2色にしか見えない部族がいる。
  へえ、と驚く日本人には1つの色にしか見えない草原が、彼らには何色ものグラデーションで見分けられている。
  言葉を知り、概念を理解すると、存在が立ち現れてくる・・・。

(3)ああ、なんて綺麗なんだろうと感動している心が、花にも伝わるのだろうか。
  賞賛されてもされなくても、愛されても愛されなくても、見られても見られなくても、ただひとり咲くべき花を静かに開いて森閑としている・・・
 見返りを求めない潔さと捨(ウペッカー)の精神に心打たれた黄昏だった。

(4)不善心所モードで帰宅した人も、瞑想することによって、必ず善心所モードに切り替わっていく。
  だが、バリバリの善心所モードになって瞑想を始めたほうが、よい瞑想ができるだろう。
  例えば、ダンマ系情報に感動した直後は、最もよいタイミングの一つだ。
  ブッダの珠玉の言葉を読む・・・。


       

   読んでみました
安本美典著『データサイエンスが解く邪馬台国 
         -北九州説は揺るがない-
』(朝日新聞出版 2021年)

  著者は元産業能率大学教授で『季刊・邪馬台国』の編集顧問。古代史研究者として多数の著書がある。
  本書は邪馬台国が北九州にあったことを科学的に検討されたデータに基づいて検証したもの。客観的視点の重要性の一例という意味で、本欄で紹介することにした。これまでの本欄とは少々趣を異にするところもあるが、ぜひおつきあい願いたい。
  本書には著者の主張の裏付けとなったデータが多岐にわたり、また詳細に開示されている。ただ本稿ではそのなかの一部に絞らざるを得なかったので、関心のある方は直接読まれることをお奨めしたい。

  覚えておられる方がいるかも知れないが、2018514日付けの毎日新聞に、「邪馬台国論争『畿内説』に画期」として、次のような記事が掲載された。
  「邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の中心的施設跡で出土した大量のモモの種について、放射性炭素(C14)年代測定で「西暦135230年の間に実った可能性が高い」との分析結果が出た。遺跡は邪馬台国より後の4世紀以降とする異論もあるが、卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の活動時期と年代が重なる今回の分析は、遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする「畿内説」を強める画期的な研究成果といえる。
  今回の放射性炭素年代測定と、従来の考古学の基礎研究で得られた成果を合わせると、纒向遺跡の大型建物群は西暦230年までの2030年の間にあったと絞られそうだ。邪馬台国の「畿内説」をより強める成果で、近畿か九州かという所在地論争は終息に近づいていると言っていい」

  実は私はこの記事を読んで、「ウソだろう!」と思った。興味本位ではあったがこれまで読んだことのある関連する本からは、私のような素人から見ても九州以外には考えられなかったからだ。この記事は検証に耐え得るデータを基にしたものなのか?そしてそれらを公平に検討した結果なのだろうか?あるいは奈良県説を唱える専門家に乗せられたにすぎないのか?いずれにしても、「異論もあるが」としながらも「画期的」と断定し、「所在地論争は終息に近づいている」と結ぶとは。オピニオンリーダーとしての記事ならまだしも、まがりなりにも「科学的」に扱われるべき分野ではないかと。残念ながら偏った見解としか思えなかった。

  本書の著者によれば、このような「畿内説のほうが優勢」とするマスコミの記事はかなり見られるそうだ。もちろん著者はそれらに対して大いに異議を唱えている。その理由は先ず第一に、その判断には客観的根拠があるのかということ、第二には、実際に発掘に当たった専門家による「邪馬台国九州説」がなぜか優勢にならないという、そのことについてだ。つまりは、このような記事は執筆者の「主観的判断」であって、科学的検証に耐え得るものではないと著者は断じている。
  この「科学的検証に耐え得るものではない」という著者の見解は、私にはきわめて妥当に見える。そして当該記事からは、よく言われる「人は都合の良い特定の証拠だけに着目し、それ以外の不都合な証拠を無視する傾向がある」という認識が浮かんだ。それは前号で紹介した『認知バイアス事典』の「チェリー・ピッキング」に当たるであろうし、「信念バイアス」「信念の保守主義」「心的制約」「確証バイアス」などにも関連すると思う。やや大げさかも知れないが、仏教用語の「見」までも思い浮かべてしまった。
  本書で著者は邪馬台国が北九州にあったことは「揺るがない」と主張している。なぜならそれは、何種類にもなる古代鏡をはじめ、数々の出土品や遺物という客観的データをもとにし、それらに対してあくまでも科学的な考察を行ったうえでの結論だからだ。では、このような著者の指摘に対し、「畿内説」を主張する、あるいは肩入れする人たちはどのように応ずるのだろうか。個人的には自分も、先入観を持たないことをしっかり胸においてそれらを待ちたいと思う。

  前置きが長くなったが、本稿では膨大なデータを含む本書の構成に捉われずに(私の考えるわかりやすい要点のみに絞って)紹介したいと思う。そこで、まず始めは「データサイエンス」とはどういうものかについて。次は古代鏡に絞ってその種類と年代および出土地とその変遷について。そして最後に著者の主張を記すことにする。(見出しの番号はあくまで便宜のため)

1.データサイエンスとは?
  著者がデータの面白さ、重要さを知るきっかけは谷崎潤一郎と志賀直哉との文章の比較、分析から始まったという。その内容は「長さ」「句読点」「品詞」「種類」「修飾句」などで、そこから「源氏物語」の分析を経て「文学作品の数学的分析」に進み、日本語の起源と形成から「邪馬台国の探求へ」と至ったそうだ。

 ①データを検討する際に心すべきこと
  データの検討や考察について。「鉄の鏃(やじり)の県別出土数からみての結論」に関連して統計学者松原望氏が述べた言葉が記されている。それは、
  「畿内説を信じる人にとっては『奈良県からも鉄の鏃が四個出ているじゃないか』と言いたい気持ちはわかります」としながら、「そういう考え方は、科学的かつ客観的にデータを分析する方法ではありません。私たちは、確率的な考え方で日常生活をしています。たとえば、雨が降る確率が『0.05%未満』なのに、長靴を履き、雨合羽を持って外出する人はいません」
  また毛沢東はこんなことを言ったことがあるそうだ。「揚子江は、あるところでは北に流れ、あるところでは南に流れ、あるところでは西にすら流れている。しかし、大きくみると、かならず西から東へ流れている」と。これは、全体的な状況をつかもうとする時、本人の「自信」と「結論の正しさ」とは比例するものではないということだ。
  さらに考古学においては、「技術」と「科学」の違いを明確に知っておく必要があるとも言う。つまり、いかに精密に発掘を行い、正確・詳細に観察して記録したとしても、本質的にそれは「技術」の範疇にすぎないということだ。もちろん、技術が優れているに越したことはないが、問題は、得られたデータからどのように過去を「構造的に推測・復元する」かにある。「科学」の意義はそこにあるのであって、それはそのまま技術とイコールではないということだ。

  また著者は、「洛陽発見の三角縁神獣鏡事件」「旧石器捏造事件」を例に、「肉眼観察主義」や「属人主義」に陥ることを諌めている。自分の説が正しくあって欲しいと強く願うと、客観性を失ってしまうことがある。そうすると、都合良くそれに合致するようなものが目に入ったり、あるいはそれを「発見してくれる」ような人物が現れたりする。そうなると、思わずそれに飛びつきたくなって、結果的には失敗する可能性が出てくる。
  加えて考古学の分野では、相応の立場にある人が強く主張すると、多くの研究者が「いっせいにそちらになびいてしまう風潮」があるという。つまり、「同調圧力、属人主義の傾向が強い」というのだ。
  こうした傾向は「邪馬台国畿内説」においても見られる。思い込みによる結論が先にあって、その結論に結びつくように解釈に解釈を重ね、「ほとんど、単なる連想か思いつきとしか思えない解釈による仮説を導入」し、「そのような仮説をどんどん上積みしていく。このようなことが、極端に多いようにみえる」と。
  つまり、「解釈」によって自説が正しいと主張している時には、認知バイアスがかかっているために、客観的な確率の差という事実が目に入らないのだ。こうした現象は出土品ばかりではなく、「楼観」や「城柵」などの遺跡などの解釈についても同様に見られるという。
  結局、統計学や確率論というのはそもそもどのように考えれば良いのだろう。それは、微細なものは顕微鏡、遠方のものは望遠鏡という「道具」を使って「見える化」するように、「過去」や「歴史」を可視化する道具だということである。そのことが理解されれば、邪馬台国の問題は基本的には「簡単な探索問題」に帰着することになる。

 ②複数の視点が必要
  ところで、よくものを見るためには多面的な視点が必要だとはよく説かれるが、その視点とはだいたい次のようなものになる。
  (1)虫の目で見る(ミクロの視点で見る。細部をよく見る)
  (2)鳥の目で見る(マクロの視点で見る。大局的に全体を見る)
  (3)魚の目で見る(潮の流れを見る。変化の傾向を見る)
  (4)コウモリの目で見る(逆さにぶら下がった視点で見る。逆の立場から見る)
  考古学においては特に(1)の傾向が強いという。いちじるしく詳細かつ「肉眼観察主義」によるために、他の視点が欠落したまま結論を導いてしまう。そのため、詳細に観察しているにもかかわらず、これまで何度もニセモノに騙されるという事態が起きている。
  確かに詳細な観察には価値がある。しかしそれだけでは不十分なのだ。(2)の大局的に見る観点、(3)の歴史の流れ、変化の様子を見る観点、さらには(4)の逆の観点も欠かすことは出来ない。
  例えば(4)について言えば、「勾玉」ならそれを肉眼で精密に観察するだけではなく、素材が「現代のソーダガラス」かどうかを調べることも必要になるということだ。
  これまでの諸点を踏まえると、「畿内か九州か」という問題においても、データにもとづいた考察を科学的に行うとはどうするべきかが見えてくる。それは、「畿内にあった確率」と「九州にあった確率」とをデータにもとづいて計算のうえ比べてみれば良い。それによって答えは機械的に出てくる。これが「データサイエンスが提供する方法論」ということになる。著者はこのやり方で邪馬台国の位置を考察する。

2.「邪馬台国の位置」をめぐる考察
  先に述べたように、ここでは煩雑さを避けて古代境に絞って紹介する。本書には古代境の「種類」「時代」「出土場所」(中国、朝鮮、日本では県別)についてのデータが詳しく示されているが、それを見ると、その種類と出土の中心地が、西暦320年~350年頃を境に、福岡県など北部九州を中心とする地域から奈良県など畿内を中心とする地域へと激変しているという。著者はこれを「大激変」と呼び、その前後の変化について次のように解明している。

 ①大激変以前
  三国志で有名な「魏」は、大激変以前にあたる220年~265年に存在した国だ。有名な『魏志倭人伝』(正確には『三国志』の中の「魏書」にある「倭人条」)。
  そこには、皇帝が卑弥呼に銅鏡100枚を与え、また他にも鏡を賜ったと記されている。実はそのころのものとみられる鏡が日本において多数出土していて、その数は福岡県からのものが最も多く、奈良県からは10分の1以下だ。(複数の調査者よるため枚数に違いがあるため確率のみが示されている)
  『魏志倭人伝』にはまた、倭人は「鉄鏃」を用いると記されている。その出土数は福岡県398個、奈良県4個。(これは本稿で鏡以外に挙げた唯一のデータ)
  この2点のみで比較してみても、邪馬台国が奈良県にあった確率は福岡県のそれのおよそ1000分の1と見積もられるという。

  以下はやや細かいが、出土した大激変以前の古代境の種類と年代は次のようになっている。(鏡の「型」「名称」は略す)
  〇前漢(前202年~後8年)系の鏡・・39
  〇後漢(25年~222年)、魏(220年~265年)系の鏡・・43
  〇大略魏(220年~265年)のころ、ほぼ邪馬台国の時代に日本国内で作られていると見られる鏡・・127
  〇日本古代史で「庄内期」とされる時代の鏡(ほぼ邪馬台国時代にあたるとする)・・71
  〇大略西晋(265年~316年)のころの中国の鏡・・89面(「伝」とされるものは除く)

  これらの鏡のうち、福岡県からは156面、奈良県では6面であった。このことから大激変以前の鏡は、福岡県を中心に北部九州から出土している事実がわかる。
  そしてこれらの鏡は、
  〇中国では、おもに、前漢(前202年~後8年)から、西晋(265年~316年)のころのものとして出土している遺物である。
  〇日本では、おもに、弥生時代・庄内期にかけてのころ、出土している遺物である。
  〇邪馬台国の時代も、この時期のうちに含まれる。

  以上のことから、邪馬台国が北部九州にあったことを指し示していることは自明だと思う。

 ②大激変以後
  大激変以後にはどう変わったか。
  鏡などの古代の遺物は奈良県をはじめとする近畿を中心に分布するようになる。時期的にみれば、中国では東晋(317年~420年)以後の時代、日本では古噴(前方後円墳)時代にあたる。土器で言えば布留式土器以後の時代にほぼあたり、また大和朝廷が成立し発展した時代なのだ。
  大激変以後の時代のものとされる鏡(「画文帯神獣鏡」「三角縁神獣鏡」など)は次のようなものだ。
  〇中国長江流域系の鏡・・155
  〇中国長江系だが中国では出土しない鏡・・425
  後者の「中国では出土していない」のが有名な「三角縁神獣鏡」だ。これは日本国内で鋳造されたものと考えられ、著者によって次のように論証されている。重要と思われるのでそのまま転記する。

  「中国の魏の時代の魏の領域はおろか、中国全土の、中国の全時代にわたって、確実な発掘によって、中国から「三角縁神獣鏡」が出土した例は1例もない。いっぽう、日本からは、確実な発掘による出土例だけでも(出土地が不確かなものをのぞいて)、すでに、400面以上出土している(本書には図が示されている)。彼我の出土状況の違いは、あまりにも、アンバランス、極端である」

  さらに面白いことがある。魏の国の年号で「景初」というのは、景初元年(西暦237年)から三年(239年)までであって、「景初四年」というのは歴史上存在しない。しかしその年号銘をもつ鏡がわが国の京都府の福知山市の古墳から出土しているというのだ。また中国では、「景初」の年号をもつ鏡の出土例はみられないという。このことから、著者は中国の工人が日本に来て制作した可能性、またその指導を受けて日本の鏡作り師が救った可能性を示唆している。
  そのほか、埋葬鏡の用途が日本と中国では違っていたらしい。中国では生前の使用品で一つの墓に12面なのに比べ、日本では葬具として面径が大きく立派に見えるよう、一つの墓に幾面も埋葬されている例が多いという。
  こうしたことから「三角縁神獣鏡」については次のように指摘される。
  〇「三角縁神獣鏡」が魏の時代のものなら北方系(魏の国あたり)の原料が用いられたはずなのに、青銅に含まれる鉛の同位体比から見ると長江流域の原料で作られ、文様も長江流域系の鏡に近い。
  〇「三角縁神獣鏡」に鋳張りや鈕孔を放置している例の多いのは、実用でなかったことを示している。
  〇「三角縁神獣鏡」にはコピー鏡が多い。また出土古墳ごとに仕上げの際の加工技術がまとまりを見せている。
などである。

3.結論
  本書には、極めて多くのデータ、検証、他の研究報告が記されている。本稿は著者の意図からするとかなり端折ったと感じられると思うので、繰り返すが、もっぱら日本の古代史に関心がある方はぜひ直接手に取られることお奨めしたい。ここは『認知バイアス事典』から発想を得た紹介なので、著者による結論を記して終了することにしたいと思う(言い訳になったけど・・・)。
  結論は次のようになる。
  「奈良県は、福岡県、佐賀県、岡山県、鳥取県、徳島県、神奈川県などにくらべて、なんら特別な特徴を示していない。奈良県や桜井市の公的機関の発表や報道は、フットライトのあてすぎの傾向が強すぎる。奈良県が福岡県よりも、邪馬台国の地としての考古学的根拠が多いなどとする発表は、まったくの誤りである。根拠がない」
  「鏡の地域的分布状況からは、西晋時代のころまで、倭国の中心、邪馬台国は、北部九州にあったようにみえる」

  安本美典氏の著作を私はこれまでにも何冊か読んだことがあり、また、邪馬台国に関連する本も興味の赴くまま読んできた。その結果、特に福岡あたりに肩入れしなくても、近畿というのはいかにも無理筋のように思っていたが、本書によりますますその思いが強くなった。
  いずれにしても、自分の「主観」に凝り固まることなく「客観的な視点」を持つことを心掛けている私たちにとって、こういった実際のデータや論点を公平に扱い整理することは、バイアスから離れるためには必要不可欠なのもだと思った。(雅)

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