月刊サティ!

2022年3月号  Monthly sati!  March  2022


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:『懺悔物語 (2) -悟れないのか…- 』
  ダンマ写真
  Web会だより ー私の瞑想体験-:『怒りの根源の発見』(3)
  ダンマの言葉:『悟りの道への出発』(3)
  今日のひと言:選
   特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (10)
  読んでみました:『証言 我ラ斯ク戦ヘリ 兵士たちの戦争秘史』(ビジネス社 2021年)  ほか

                

【お知らせ】
 「Web会だより」は1月号より「Web会だより -私の瞑想体験-」といたしました。
なお、検索の便宜のため、バックナンバーについては変更を加えておりません。

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。

 
  

     

              巻頭ダンマトーク

       『懺悔物語 (2) -悟れないのか…-
★タイの僧院で修行していたとき、どうやっても悟れないと心の折れかかった比丘が、惰性で修行を続けていた。黄昏時に長時間の座禅から立ち上がり、回廊の手すりに両肘を突き、虚ろな眼で夕陽の残照を眺めながらペットボトルの水を飲んでいた。
  『今日も虚しく暮れていくのか・・・』という内語が聞こえてくるかのような、たまらなく寂しい悲しい波動が全身から漂っていた。夜の闇が迫り黒ずんだ夕焼けを背景にシルエットになって浮かび上がっている姿を何度も目撃したのは、この比丘のすぐ隣に私のクーティがあったからだ。
  外国人の私が寺に入り必死に修行している姿を見て刺激され、断念していた修行を再開したのだと私に教えてくれた修行者は、「He is a hopeless monk.(彼は道を見失っている)」と評していた。
  今世で悟れる見込みはまったくないが、何度生まれ変わっても必ず解脱する!と明るく、前向きに眼を輝かせている比丘も多いのだが、負け戦と知りながら投げやりに出陣する将のように打ちひしがれた比丘にも何度も会った。

  牛歩のごとく漸進的ではあっても、日々修行が進んでいく手応えがあれば、仏道を歩み抜く覚悟が揺らぐことはないだろう。モチベーションが維持されるのは、通常は脳の報酬系が刺激されるからだ。ワクワクする結果や褒美があれば頑張れるのだ。
  報酬系の問題点は、快情報が得られなくなるとアホくさくなり止めてしまうことだろう。しかるに褒美なしで始めたお絵描きや瞑想修行は、ただそのことが好きだから続けるという展開になることが多い。
  心が折れるのは、報酬系よりも、もっと積極的にネガティブな出来事が経験されたからではないか。妨害要因に打ちのめされるのは不善業の帰結であり、カルマの問題である。

*妨害要因
  「カルマの悪い人は今世では悟れませんから・・」と修行を諦めていく人がどのくらいいるのだろう。必要十分な徳がなければ、解脱はおろか出家することも、10日間のリトリート(集中修行)に入ることすら難しい。衆善奉行を旨として、あらゆる善行を心がけて波羅蜜をたくわえ、円滑現象の流れに乗れる因を作るのも修行の一環である。
  善業の力で修行態勢に入れても、修行の妨害要因である五蓋に襲われ悩まされて集中できないのは不善業の結果と心得なければならない。
  五蓋の①「瞋恚」も、②「欲貪」も、③「掉挙&後悔」も、④「惛沈・睡眠」も、⑤「疑」も、原因や切っ掛けもなしにデタラメに発生してくるのではない。悪業が因となり、寺に入ってからも不祥事に巻き込まれてイラついたり、不満や後悔、落ち込み、痛み、眠気・・と次々と浮上し、想いが乱れ、サティが乱れるのである。
  インストラクタ-として五蓋の対応策は数々用意してあるのだが、万策尽きて手の打ちようがなくなる時もある。掉挙(妄想多発)や痛みの場合もあるし、異様な惛沈・睡眠がどうしても消えないケースも多い。
  スリランカ屈指の名僧ニャ-ニャナンダ長老の下で指導を受けるまでは、そうした最悪のケースにはお手上げだったのである。
  何かの不善業だろうと推測はできても、さてどうしたらよいのかが分からないのだ。タイやミャンマ-では、ひたすらサティの修行に専念するように、という指導ばかりであった。だが死ぬほど頑張ろうとも、修行が頭打ちになってしまえば、いかんともしがたいのである。

*信仰と懺悔
  スリランカに来て驚いたのは、懺悔が本格的な瞑想修行の一環であることを厳しく教えられたことである。
  いつの世も煩悩のエネルギーを力いっぱい放ちながら生き、煩悩の心で死に、再生すると再びその煩悩を引き継いで輪廻を繰り返してきた私たちである。自覚しようがしまいが、不善業を作らなかった人はひとりもいないのだ。悪業の負のエネルギーを相殺しながら、修行を阻む要因を取り除いていかなければ修行の成功はおぼつかない、というのである。

  カルマの世界を貫いているのはエネルギー不滅の法則などの物理法則である。過ちを犯し不善業を作ってしまったならば、正反対の善なるエネルギーを出力することによって正しく修正し、償うのが懺悔の修行である。
  悪をしても神を信じれば、神が罪を赦してくれる。「神を知らずに犯したあなたの罪科は、唯一絶対の神の存在を知った今、全て消滅する」などと言われれば、感動し、嬉し涙にむせび泣きながら入信するかもしれない。
  だが、体験に裏打ちされていない「根拠なき信仰」を維持するのは難しい。疑惑が生じれば、抑圧されていた罪業感が浮上して苦しむだろう。何よりも、それまでの悪業が縁に触れて現象化すれば様々なドゥッカ()が襲来するだろうし、そうなれば神に赦され守られているという信仰が揺らぐのではないか・・・。

  信仰は、常に疑惑との戦いである。科学的根拠で実証されたものを「信仰する」とは言わない。存在証明できない神を信じるか否かが問われるのだ。
  「お母さんは女性だと信じている」「今日も夕方になれば陽が沈むのを信じるね」「手を放せばガラスのコップが床に落ちて割れるだろうと僕は信じています」などと言うだろうか。
  私たちは、事実として確定しているものを信じ仰ぐことはしない。実証されず、不確定なものに対して、信じるか、信じないか、という信仰の問題が発生するのだ。かのマザーテレサですら、晩年、いくら呼べども沈黙し続ける神に対する疑念に悩み苦しみ抜いたことが赤裸々に告白されている。信仰に内在する根本的な問題だろう。

  しかるにヴィパッサナー瞑想は、およそ信仰の世界とはかけ離れていて、科学の実証性との親和性が深い。理系の瞑想者が多い所以だろう。
  存在証明できない不確かなものを信仰することには、限りなく妄想に近い際どさがある。「神は、存在しないが故に万能であり得る」とさえ考えられる。あらゆることが解釈の問題で片づけられるからだ。
  この世の事象が生滅変化しているのは、神の意志によって差配されているからではなく、物理法則や業の法則に則った因果性に支配されていると見た方が理にかなっているだろう。
  生命を傷つけたなら命を慈しみ、奪い取ったなら与え、傲慢に人を見下したなら謙虚に身を低め、敬うべき人を敬う心のエネルギーを放つ・・・。
  不善業とは、過去に出力したネガティブなエネルギーが現象化することによって、苦受が経験されるのを待っている状態である。
  何もしなくても、苦を受ける瞬間に因果がひとつ帰結するのだから、ひたすら苦しい人生に耐えていくのもよい。だが、積極的に不善業のエネルギーを抹消していくやり方もある。
  どんな不善業に対しても、まず非を認め、反省して謝罪することから始めるのが懺悔である。殺し、盗み、欺き、裏切って、人に苦しみを与えた行為を潔く認めて謝るのだ。さらに、人に苦を与えた行為が不善業を作ったのだから、正反対の楽受や幸福を与えれば相殺されるだろうと考える。

  愚かな人は、訳も分からずただ苦受を経験することによって無自覚に不善業を返済している。賢い人は、懺悔の修行によって、不善業のエネルギーを相殺する方向を目指すのだ。
  訳も分からず苦受に耐える人は、無知ゆえに同じ過ちを繰り返すだろう。不善業の再生産がエンドレスで繰り返される所以である。
  因果の理法を心得た人は、懺悔の修行によって苦の発生メカニズムに終止符が打てる可能性がある。懺悔修行は、明晰な構造的理解に支えられてなされるのが望ましい。

*心の解放
  懺悔は不善業を根本的に解消していく最初の修行である。懺悔のカルマ的効果の事例は枚挙に暇がないが、その前に、なぜ懺悔が瞑想修行たり得るかを考察してみよう。
  まず何よりも、懺悔をすれば心が安らぐという効用がある。
  どんな人も、悪いことをして良心の呵責をまったく感じない、完全にゼロということはあり得ない。自覚に上ろうが上るまいが、たとえ1パーセントでも良心が痛み、自責の念が潜在意識に影響を及ぼしているはずである。人間とは、そういうものだ。
  ライオンが殺生をしても、微塵も罪業感を覚えることはないだろう。ライオンにとって殺すことは生きることであり、それに対して否定的印象を形成するようにはそもそも設計されてはいない。しかるに人間は、殺しや盗みや嘘に対してネガティブな印象を持つように刷り込まれており、悪いことをすれば心が翳り、微弱であっても良心の呵責に苦しむのだ。
  その証左が、心の抑圧である。悪いことをしたというネガティブな印象を自覚するのは苦しいので、自動的に抑圧して眼を背けようとするのだ。これは学んで身に着けたものではなく、誰の心も自動的にそうしてしまうものであり、万人に普遍的である。

  かくして心の葛藤が多層的に複雑化していく。人の心は常に矛盾した命令が葛藤を起こすように設計されている。本能の脳が命令する貪瞋痴を、大脳の新皮質が制御するように命じてくる。「やりたい」と「やってはいけない」の永遠のバトルが繰り返されるのだ。
  のみならず、利己的な煩悩反応を否定し抑圧する第二の葛藤が意識下で絶えず展開している。かくして人の心は落ち着かず、翳り、一点の曇りもない青空のように澄み切るのが難しくなる。最清浄の心を目指す瞑想者が戒を厳守しなければならない所以でもある。
  生きていくことは汚れることであり、日々黒いものが心の底に沈殿していく。海底の泥を浚渫するように、懺悔の瞑想は人の心を浄らかにしていく。

  女遊びの居直り論を展開しながら放蕩していた男が、老いさらばえてヨイヨイになった頃「妻には苦労の掛けどおしでした」などと言ったりするが、遊蕩していた時代でも、本心では妻に対する罪業感を抑圧していたはずである。
  眼を背けるためには、自分を客観視して内省的に振り返ってはならない。その反対に、次々と新しい刺激を外界に求めて我を忘れ、自身の内奥の心を自覚しないようにするのだ。これが、悪事をはたらき、遊興に耽り、暴力と色と欲に溺れる無頼の徒の心中である。
  ギンギンの強烈な原色の世界で生きている渡世人や煩悩マンは、些細な罪業感など屁とも思わず無視することに長けている。
  だが、瞑想者はそうはいかない。心に刺さったわずかなトゲのようなものですら、瞑想の修行には多大な影響を及ぼしてしまうのだ。五蓋の遠因であり、サマーディの完成を阻げる妨害要因になってしまう。
  心を完全に清浄にするというのは並大抵のことではない。生きていくだけで汚れていく心を守るには、諸悪莫作、衆善奉行、自ら心を浄め、総力戦で力を尽くさなければならない。どのようにか。懺悔の瞑想によってである。
  懺悔が本気でなされるとき、心的状態は一変する。本当に非を認め詫びる気持ちになった者の心は、善心所で満たされ安らぐのである。修行が進み始めるのだ・・・。(以下次号)



 今月のダンマ写真 ~
 
タイ森林僧院白亜堂内脇侍仏

先生より

    Web会だより ー私の瞑想体験-

『怒りの根源の発見』(3) K.M.

(承前)
  地橋先生からのインストラクションで、「怒りの根源は幼少期の愛着障害にあると思われるので勉強するように。」とアドバイスいただき、愛着障害の本を読み、幼少期を振り返りました。


幼少期の振り返り
  自分が生まれた時の家族構成は、曾祖母・祖父母・両親・まだ嫁いでいなかった叔母の7人家族でした。曾祖母は私が1歳になるかならないかの頃に亡くなり、私が生まれて2年後に弟が生まれ、叔母は私が幼稚園の頃に嫁ぎました。祖父母は海苔の養殖、あさりの採取で収入を得て、父は会社員、母は祖父母の手伝いをし、冬は牡蠣の打ち娘(牡蠣のむき身作業に従事する者)で収入を得ていました。そんな経済環境の中、祖父母は朝早くから海に出て、海苔やあさりを採取して、海苔の加工やあさりをむき、むいたあさりをリヤカーに載せて隣町まで売りに行っていましたし、嫁いだ叔母達も手伝いに来ていました。母親は家業の手伝いは勿論ですが、祖父母の食事や洗濯、父の世話、家事全般をこなしていました。
  この様な状況だったので、母親も忙しく、愛情を受けたという記憶はほぼありません。祖父は寡黙なタイプでしたし、明治生まれの男だからか、存在はしているが接触という面ではあまり記憶がありません。祖母は私が内孫の男の子で跡取りの孫ということで、凄く可愛がってくれました。後年弟から、「おばあちゃんの兄貴に対する可愛がり方は、自分や他の孫たちとは全然違っていた」と言われました。父親は口数少なくて、怒られた記憶もないし、可愛がられた記憶もほぼありません。言えば、放っておかれた感じです。

  この様な、同居家族との関係の中、自分にとって悲しかったこと、気を使かわなければいけなかったことは、母親と祖母の関係です。俗にいう「嫁姑問題」です。表立って喧嘩をするわけではないのですが、母親と祖母は仲が悪く、仲良くしているところを見たことはありません。話をするにしても、事務的な感じの印象しかなく、両者が他の人と話をしている感じと、当人同士が話をしている感じは、幼い私が見ても明らかに違うとわかりました。
  よく祖母が私に昔話風にして、「酷い母親がいて子供を山において帰る」と言う内容の話を聞かされました。酷い母親とは私の母親であり、山に置いて行かれる子供は私であるということだと、子供心に薄々わかりました。
  そんな嫁姑関係や家業や家事の忙しさで、母親もイライラすることが多かったと思います。よく私は怒られていました。タイミング悪く私が母親に怒られているところを祖母が目撃して、「怒るなんてそんな酷いことしなさんな」と言って祖母が私を母親から引き離しました。母親は黙ってその場を去りましたが、子供心に、「これはいけない、やばいことになった」と思いました。案の定、その後母親が現れて、「あんたのせいで祖母にあんなことを言われた」と言われて、引きずり回されました。よく母親に怒られてはいましたが、そこまでの仕打ちは受けたことはありませんでした。
  兎に角、母親と祖母の二人に関しては、母親に対しては、自分が祖母と仲良くしているのを見せてはいけない、気づかせてはいけない。祖母に対しては、自分が母親と仲良くしているのを見せてはいけない、気づかせてはいけない。と警戒するようになっていました。
  そして、母親と祖母が「どう思っているか?何を考えているのか?」を気にするようになっていました。
  そんな祖母も私が小学生5年の時に癌で亡くなりました。亡くなる前に、いとこ達で病院にお見舞いに行きましたが、そこには別人の様に顔色が悪く痩せた祖母がベッドに寝ていました。誰かに言われて祖母の足を摩ってあげましたが、祖母は何も喋ることはなく、ただ別人の顔で私を見ていました。もう、喋る気力もなかったのか、祖母が私に喋りかけてくれない悲しさと、もしかして嫌われた?という不安。そんな混沌とした気持ちだったのを覚えています。
  可愛がってくれ、一度も怒られたことのない祖母が亡くなったと知らせが届き、当然悲しかったのですが、そんな時に母親にこんなことを言ってしまったことが今でも忘れられません。
  「おばあちゃんが死んでよかったね」
  祖母が亡くなったから母親は楽になる! もうどちら(母親と祖母)にも気をつかわなくてもいい! そんな気持から口をついて出てしまったのか? もしかしたら、両者(母親と祖母)に挟まれ苦しんだ怒りからか? 母親からの返答はありませんでした。理由はなんであれ、言ってはいけないことを言ってしまったと、今でも後悔しています。
  中学生になった頃、反抗期になる時期でもあったとは思いますが、母親にきつい言葉をかけるようになりました。何故かしら苛立って腹立たしく母親に反抗していました。弟からは「あの頃の兄貴はおふくろに対して酷い言葉を浴びせていた」と言われました。思い返せば、弟が母親にきつい言葉をかけるのを見た記憶はありません。高校生、大学生の頃は、中学生の頃の様なきつい言葉を浴びせることは無かったのですが、心はやるせない寂しさに包まれた感覚がつきまとっていました。大学を卒業して就職・結婚と歩みましたが、素直に母親に接することはできませんでした。親孝行してあげないといけないと思いながらも、素直に言えない、何か気持がぎこちない、そんな感覚でした。
  この様な幼少期の家庭環境や親子関係を経て、母親に対する怒り(優しくして欲しかった)・父親に対する怒り(祖母と母親に挟まれた自分を何とかして欲しかった)・祖母に対する怒り(母親に優しくしてあげて欲しかった)・祖父に対する怒り(家族の関係を何とかして欲しかった)等が根底で巣くっていて、愛着障害が心の反応パターンを作り上げていると納得するに至りました。
  それから、幼少期に愛情を得られないことによる影響(愛着障害)がいかにその後の人生に影響を与え続けるものかということも痛感しました。(続く)

       



春爛漫

 先生提供)
 






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ダンマの言葉


                   覚りの道への出発

  1月号より、2008年2月号から連載されましたアチャン・チャーによる1978年レインズでのリトリートの半ば、夕べの読経の後に行われた新参の修行僧を対象とした非公式の法話を掲載しています。今月はその第3回目です。

  3.たゆまぬ努力
  心の働きを止めることが出来るようになるまで、そして静寂に達するまでは心はただ前と同じことをくり返すだけです。だから師(ブッダ)はおっしゃったのです。
  「とにかく続けなさい。修行し続けなさい」(以上3行は2018年1月号に掲載しました)
  私たちはこのように考えるかもしれません。
  「私たちがまだ正しく理解していないとしたらいったいどうやって修行が出来るのでしょうか」
  正しく修行が出来るまでは智慧は生まれません。だから修行を続けるのです。私たちが留まること無く修行を続ければ自分がしている行為について考え始めるでしょう。修行について深く考え始めるでしょう。
  何ごともすぐには起こりません。だから始めは修行しても結果が出ないのです。この点についてはちょうど良い喩えがあります。私は二本の木の棒を擦りあわせて火を点けようとしている男の喩えをよく使います。その男は独り言を言います。
  「こうすれば火が点くって言っていたな」
  そして熱心にこすり始めます。休むこと無くこすり続けますが辛抱が続きません。男は火を点けたいと望みます。望み続けます。でも火は点きません。がっかりして手を止めしばらく休みます。そしてまたこすり始めますが、火はなかなか点きません。それでまた休みます。そのうち熟は冷めてしまいまいます。男は十分こすり続けなかったのです。何度もこすりますがそのうち疲れてこすることをすっかり止めてしまいます。疲れただけで無く、落胆がいっそう強くなり、すっかり締めてしまいます。
  「火なんか点かないぞ!」
  実際はちゃんとやることをやってはいたのですが、火を点けるに十分な熱が無かったのです。いつでも火をつけることは出来たのですが火が点くまでこすり続けなかったのです。
  修行においてもこの種の経験は瞑想者を落胆させます。そして瞑想者は修行法を次から次へと変えていきます。私たちも修行の中で同じような経験をします。誰でも同じです。なぜでしょう。なぜなら私たちは未だに煩悩に基づいているからです。ブッダにも煩悩はありましたがこの点に関してはたくさんの智慧を持ち合わせておられました。ブッダも阿羅漢方も俗世間の人間であったうちは私たちと同じだったのです。
  私たちが俗人である限り正しく考えることは出来ません。それで欲求があってもそれに気付かず、欲求がなくてもそれにも気付きません。時に私たちは心かき乱され、また別の時には充足を感じます。欲求のない時は充足感を得ますが、混乱も同時に生まれます。欲求のある時にはまた別の種類の充足感と混乱が生じます。このようにして混ざりあってしまうのです。

4.己を知り、他者を知る
  ブッダは私たちの体を対象にして瞑想することを教えられました。例えば頭髪、体毛、歯、皮膚など・・・休全体を対象にします。どうぞ見て下きい。今ここで探究するようにと教えられています。私たち自身の中に、これらの体の構成要素をあるがままに明瞭に見て取ることができなければ自分以外の人々について理解することも無いでしょう。
  しかしもし自分の体の性質を理解し、明瞭に見ることができれば、他の人々に対する疑いや迷いは消えるでしょう。なぜなら体と心(名と色)は誰でも共通だからです。世界中の人のすべての体を調べる必要はありません。御存じの通り他の人々は私たちと変わるところは無く、私たちも他の人々と変わるところはありません。このように理解すれば私たちが背負う重荷はずっと軽くなります。このような理解が無ければ私たちが何をしても重荷を増やす結果となります。自分以外の人々の事を知るために世界中の人間の所に赴いて調べることも出来なくはないでしょう。でもそれは極めて困難です。すぐにあきらめることになるでしょう。
  私たちの戒律(Vinaya)もこれと同じです。Vinaya(修行僧の守るペき規範)を見ると私たちはとても難しいと感じるのです。私たちは全ての戒律を守り、これを学び、自分の修行が戒律に適っているかどうか吟味しなければなりません。戒律のことを考えると「ああ、これは不可能だ」と思うのです。
  無数の戒律条項の意味を読み取りますが、戒律についての私たちの気持ちに単純に従えば、すべての戒律を守るのは私たちの能力を超えていると思っても仕方がないでしょう。同じように戒律に取り組む者は誰でも同じ気持ちを抱きます。とにかく戒律条項が多いのです。
  経典によれば私たちはすべての戒律条項それぞれに照らして自らを吟味し、またそれらを厳格に守らなけれぼならないとされています。私たちはすべての戒律を知って完璧に注意を払わなければならないのです。これは他者を理解するためには全ての人間の所に赴いて徹底的に調べなければならないと言うのとまったく同じです。これは大変厳しい考えです。そして伝えられたことを文字通りに受けとるからこのようなことになるのです。もし教本に従うならば私たちの進むべき道はこれ以外にありません。指導者の一部はこのように教えます。経典に書かれていることを厳格に順守しなさいと。しかしこのようなやり方はうまくいきません。
  実のところ、このような理論を学んでしまうと私たちの修行はまったく進まなくなるでしょう。実際私たちの「信」は消え去り、正しい道への信心は壊れてしまうでしょう。なぜなら私たちはまだ正しく理解してはいないからです。智慧があれば全世界の人々はただこの一人の人間に集約すると理解するでしょう。
  すべての人々はまさにこの生命と同一なのです。だから私たちは自らの体と心について学び、熟考します。私たち自身の体と心の性質を理解することですべての人々の体と心を理解することになります。こうすることで修行の重圧は軽くなるのです。
  ブッダは自分自身を教え導くようにと説かれました。自分以外の誰も私たちを教え導くことはできません。私たち自身の存在の性質を学び理解することで、すべての存在の性質を理解することになります。実際、存在するものはすべて同じです。私達はみな同じ“造り”で、人類という同じ集団から出てきています。違うのはただ色合いだけ、ただそれだけです。先ほどお許した“Bort-hai”と“Tum-jai”(タイの薬)とよく似ています。どちらも鎮痛剤で同じ働きをします。でも一つは“Bort-hai”と呼ばれ、もう一は“Tum-jai”と呼ぼれます。実際は何の違いもありません。
  あなた方がものの見方を一つにまとめあげるにつれて、物事を理解するのがより一層容易になってくるでしょう。私たちはこれを“手探り”と呼びます。私たちはこのように修行を始めます。いずれこのような物の見方に熟達するようになるでしょう。修行を続ければやがて理解に到達するでしょう。そしてこの理解が生じた時に真実をはっきりと見て取ることになるのです。

       

 今日の一言:選

(1)怒りを捨て去るのは難しい。
  欲望を手放すのはさらに至難の業である。
  無知であることは自覚すらできない。
  貪・瞋・痴の煩悩のみならず、生存欲まで手放していく究極の引き算の果てに・・・。

(2)「苦楽を等価に視る」などと妄想で納得することも、受け売りを語ることもできるだろう。
  だが、切れば血の出る人生の現場で辛酸をなめ、歓楽を極めて腹に落とし込まれたことしか役に立たないのだ。
  哲学する者はすればよい。
  自分は、瞑想の実践、人生の現場を離れまい、と決心してきた。

(3)苦は苦とし、楽は楽として、ただサティを入れ、この世のいかなる事象も達観し、因果法則に縛られ無常に変滅していく存在の世界から離脱していく・・・。

(4)熱を帯びた信念で強く望んだことは、やがて具現化してくる業(カルマ)の世界。
  エゴの猿知恵で願望を実現させても、恐るべき執念で勝者になっても、実は不幸を引き寄せていただけかもしれない・・。
  宿業を受け入れるべきか。
  新たな業を作って、現象を動かしていくべきか・・・。

(5)修行を来世につなぐ他なかった人。
 人生が花開こうとする年齢でこの世を捨て、修行の日々に入っていく人・・・。

(6)ブッダは言う。
  「朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない」
  「私は若いと思っていても、死すべきはずの人間は、誰が自分の生命をあてにしていてよいだろうか。若い人々でも死んでいくのだ。ー男でも女でも、次から次へとー」(『感興のことば』より)


       

      特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (10)
  本記事は「アビダンマッタサンガハ」の解説書“Comprehensive Manual of Abhidhamma”(Bikkhu Bodhi監修) を「アビダンマの解説と手引き」として翻訳されたもので、翻訳者各位のご厚意により本誌月号より掲載しております。掲載にあたってのお知らせは6月号をご覧ください。
      

  アクサラ(不善業をもたらす)チェータスィカ:5通り

13節 分析

  (i)アクサレース パナ モーホー アヒリカン アノッタッパン ウッダッチャチャー ティ チャッターローメー チェータスィカー サッバークサラサーダーラナー ナーマ サッベース ピ ドゥヴァーダサークサレース ラッバンティン 
  (ii)ローボー アッタス ローバサハガテースヴェーヴァ ラッバティ 
  (iii)ディッティ チャトゥース デッティガタサンパユッテース 
  (iv) マノー チャトゥース デッティガタヴィッパユッテース
  (v)ドーソー イッサー マッチャリヤン クックッチャン チャ ドゥヴィース パティガサンパユッタチッテース
  (vi)ティーナン ミッダン パンチャス ササンカーリカチッテース
  (vii)ヴィチキッチャー ヴィチキッチャーサハガタチッテー イェーバ ラッバティー ティ

  (i) アクサラ(不善業をもたらす)チェータスィカのうち、モーハ(真理が分からず混乱した状態)、アヒリカ(不善な行為を恥じないこと)、アノッタッパ(不善な行為を恐れないこと)、ウッダッチャ(不穏、興奮)の四つは、チェータスィカーサッバークサラサーダーラナー(不善業を作るチッタ全てに付随するチェータスィカ)と呼ばれ、アクサラ(不善業を作る)チッタ12種類全てに付随します。  
  (ii) ローバ(欲)はローバを伴う8種類のチッタにのみ見られます。
  (iii) ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)はティッティを伴うローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタ4種類に生じます。
  (iv) マーナ(自惚れ・傲慢)はディッティ(聖なる真理にそぐわない誤った見解)が付随しないローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根)を持つチッタ4種類に生じます。
  (v) ドーサ(怒り)、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔)はパティガ(嫌悪)が付随するチッタ2種類に生じます。
  (vi) ティーナ(怠惰)、ミッダ(無気力)は5種類のササンカーリカ(駆り立てるものがある)チッタにみられます。
  (vii) ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)はヴィチキッチャーが付随するチッタにのみ生じます。

13節へのガイド

  チェータスィカーサッバークサラサーダーラナー(アクサラチッタ全てに付随するチェータスィカ):ここに挙げられている四種類のチェータスィカは全てのアクサラ(不善業を作る)チッタに普遍的にみられます。何故なら、アクサラ(不善業を作る)チッタは全て、邪悪な行為の危険性が見えないこと(モーハ)、邪悪な行為を恥じないこと(アヒリカ)、邪悪な行為を恐れないこと(アノッタッパ)、そしてその根底を流れる興奮(ウッダッチャ)を含んでいるからです。

  ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)、マーナ(自惚れ・傲慢):
  この二つのチェータスィカはローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタにのみ生じます。何故なら、大なり小なり、パンチャッカンダ《生命を構成する五つの塊:ナーマ(物質)、ヴェーダナー(感受)、サンニャー(認知)、サンカーラ(意思形成)、ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)》に対する執着を含んでいるからです。しかしながら二つのチェータスィカの性質は正反対です。従ってこの二つのチェータスィカが同じチッタの中に同時に生じることはありません。
  ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)は認識対象を誤って理解する、つまり対象を事実と反して解釈することから生じます。
  一方、マーナ(自惚れ・傲慢)は自己評価、つまり自分が他者よりも優れているか、同等か、劣っているかと評価することから生じます。
  ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)を伴うローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタは四つあり、必ずディッティ(真理にそぐわない誤った見解)が存在します。
  一方、ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)が付随しないローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタ四つには、必ずしも、マーナ(自惚れ・傲慢)は付随しません。
  マーナ(自惚れ・傲慢)はディッティ(真理にそぐわない誤った見解)を付随しないローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタにしか生じませんが、ローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタはマーナ(自惚れ・傲慢)が無くても生じ得ます。


  ドーサ(怒り)、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔):この四つのチェータスィカはパティガ(嫌悪)を伴うチッタにしか生じません。ドーサ(怒り)はパティガ(嫌悪)の同義語であり、パティガ(嫌悪)を伴うチッタには必ず見られます。
  一方、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔)の場合は、パティガ(嫌悪)を伴うチッタに見られるかどうかは状況によります。この三つのチェータスィカは全て嫌悪という側面を持っています。イッサー(嫉妬)は他人の成功に対する拒絶が関係します。マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)の場合は自分の所有物を他人に分け与えることを嫌がる状態が関係します。そしてクックッチャ(後悔)は、自分がしたこと、しなかったことに対する非難が関係します。

  ティーナ(怠惰)、ミッダ(無気力):この二つのチェータスィカがあるとチッタは鈍く、緩慢になります。ですからアサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタには生じません。アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタは当然ながら鋭く、活発だからです。ササンカーリカアクサラ(駆り立てるものがある、不善業を作る)チッタにのみティーナ(怠惰)、ミッダ(無気力)が生じます。

14節まとめ

  サッバープンニェース チャッターロー ローバムーレー タヨー ガター

  ドーサムーレース チャッターロ ササンカーレー ドゥヴァヤン タター
  ヴィチキッチャー ヴィチキッチャーチッテー チャー ティ チャトゥッダサ
  ドゥヴァーダサークサレースヴェーバ サンパユッジャンティ パンチャダー

  (アクサラチェータスィカのうち)(1)4種類は全てのアクサラ(不善業を作る)チッタに生じます。(2)3種類はローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタに、(3)4種類はドーサムーラ(怒りという、チッタを安定させる根を持つ)チッタに、(4)そして2種類はササンカーリカ(駆り立てるものがある)チッタに生じます。(5)ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)はヴィチキッチャーを伴うチッタに見られます。このように、14種類のアクサラチェータスィカが組になって生じるのは、アクサラ(不善業を作る)チッタ12種類だけです。そしてその組み合わせは(以上の)5通りです。

  ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカ:4通り

15節分析

  (i)ソーバネース パナ ソーバナサーダーラナー ターヴァ エークーナヴィーサティメー チェータスィカー サッベース ピ エークーナサッティ ソーバナチッテース サンヴィッジャンティ
  (ii)ヴィラティヨー パナ ティッソー ピ ロークッタラチッテース サッバター ピ ニヤター エーカトーヴァ ラッバンティ ローキイェース パナ カーマーヴァチャラクサレースヴェーヴァ カダーチ サンディッサンティ ヴィスン ヴィスン 
  (iii)アッパマンニャーヨー パナ ドゥヴァーダサス パンチャマッジャーナヴァッジタマハッガタチッテース チェーヴァ カーマーヴァチャラクサレース チャ サヘートゥカ カーマーヴァチャラキリヤチッテース チャー ティ アッタヴィーサティチッテースヴェーヴァ カダーチ ナーナー フトゥヴァー ジャーヤンティ ウペッカーサハガテース パネーッタ カルナー ムディター ナ サンティー ティ ケーチ ヴァダンティ 
  (iv)パンニャー パナ ドゥヴァーダサス ニャーナサンパユッタ カーマーヴァチャラチッテース チェーヴァ サッベース パンチャティンサ マハッガタ ロークッタラチッテース チャー ティ サッタチャッターリーサ チッテース サンパヨーガン ガッチャティー ティ

  (i)まず、ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカのうち、ソーバナサーダーラナ(道徳的に美しいチッタ全てに普遍的に付随する)チェータスィカ19種類は59種類あるソーバナ(道徳的に美しい)チッタ全てに見られます。
  (ii)3種類あるヴィラティ(節制)は、三つが一体となって全てのロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタに生じます。しかしローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)におけるカーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタの場合は、個別に時々現れるだけ(8+8=16)です。
  (iii) アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカは28種類のチッタに時々生じます。またその生じ方は一定しません。28種類のチッタとは、(1)ジャーナ(禅定)の第一~第四段階のチッタが12種類(それぞれに、クサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)があるので4×3=12となります)、(2)カーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタ8種類、(3)カーマーヴァチャラサヘートゥカキリヤ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、チッタを安定させる根を持つ、機能だけの)チッタ8種類(12+8+8=28)です。しかしカルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うチッタには生じないという人もいます。
  (iv)パンニャー(物事をありのままに見る智慧)は47種類のチッタと対になります。その47種類とは(1)ニャーナ(洞察の智慧)に関連するクサラ(善業を作る)チッタが12種類、(2)ジャーナ(禅定)のチッタとロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタ合わせて35種類です(12+35=47)。

15節へのガイド

  3種類のヴィラティ(節制):ロークッタラマッガパラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における道・果の)チッタにおいてはアーリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)の一部であるサンマーヴァーチャー(正しい言葉)、サンマーカンマンタ(正しい行い)、サンマーアージーヴァ(正しい生計)という形で、この3種類のヴィラティ(節制)が常に生じます。
  しかし、前にも説明したように、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域における)チッタの場合、意図的に誤った行為を慎む時にしか生じません。人が意図的に邪悪な行為を避ける時には、道徳的な罪を犯しそうになっていることに気づいていなければなりません。ですからローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は、カーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、善業を作る)チッタにしか生じません。
  またルーパーヴァチャラ(物質を対象とした禅定に関連する意識の領域における)チッタ、アルーパーヴァチャラ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する意識の領域における)チッタの場合は、ニミッタ(禅定の中で生じる集中対象のイメージ)を認識対象とするため、やはりローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は生じません。
  カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタも、不善行為を慎むという機能がないのでローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は生じません。
  アラハント(輪廻からの解脱を果たした悟りの最終段階)のマハーキリヤ(偉大なる機能だけの)チッタにもローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は生じません。アラハントは道徳的な罪を犯そうとする心の癖を全て克服しているので節制する必要がないからです。

  ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタには、必ず三種類のヴィラティ(節制)が生じます(ニヤタ)。マッガ(道の)チッタの場合、八正道の道徳のグループとして、それぞれ誤った言葉、誤った行動、誤った生計に傾く心を根絶します。パラ(果の)チッタの場合は、マッガ(道の)チッタにより完成した、道徳的に穢れのない正しい言葉、正しい行動、正しい生計という形で再び三つのヴィラティ(節制)が現れます。
  言葉、行動、生計の点で道徳的な罪を犯す場合、それぞれの意識の領域は異なります。したがってローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域における)チッタの場合、三つのヴィラティ(節制)は互いに排他的な関係にあります。言い換えれば、一つのヴィラティ(節制)が生じた場合、他の二つのヴィラティ(節制)は生じません。
  さらに、どのヴィラティ(節制)が生じたとしても、それは節制の対象となる道徳的な罪の内容に応じた部分的なものになります。例えば命を奪う機会が生じた場合、「命を奪うこと」だけを慎むヴィラティ(節制)が生じます。同様に盗みを働く機会が生じた場合「盗みを働くこと」だけを慎むヴィラティ(節制)が生じます。
  一方、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタにヴィラティ(節制)が生じる場合は、常に三つのヴィラティが同時に生じ、同時に存在します(エーカトー)。そしてヴィラティ(節制)の働きは全ての範囲におよびます(サッバター)。つまり、サンマーヴァーチャー(正しい言葉)が生じると、あらゆる形のミッチャーヴァーチャー(誤った言葉)へ向かう心が取り除かれます。
  サンマーカンマンタ(正しい行動)が生じると、あらゆる形のミッチャーカンマンタ(誤った行動)へ向かう心が取り除かれます。サンマーアージーヴァ(正しい生計)が生じると、あらゆる形のミッチャーアージーヴァ(誤った生計)へ向かう心が取り除かれます。

  アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカ:アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)とタトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度)はそれぞれメッター(慈しみ)、ウペッカー(他の生命の置かれた状況を業の結果として冷静に受けとめること、全ての生命を平等に見ること)というアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカにもなりえます。そしてどちらも全てのクサラチッタ(善業を作るチッタ)に生じます。
  一方、全部で四つあるアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカの残りの二つ、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)はふさわしい状態にあるチッタにしか生じません。カルナーが生じるのは苦しんでいる他の生命を不憫に思う時です。またムディターが生じるのは他の生命の幸運を喜ぶ時です。


  ここで語られている12種類のジャーナ(禅定)に関連するチッタとは、ジャーナ(禅定)の第一~第四段階のチッタのことで、それぞれがクサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)という三つの側面を持っているので全部で12種類になります。
  カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)、そしてメッター(慈しみ)というアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカは、ジャーナ(禅定)の第五段階のチッタには生じません。なぜなら、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)、ムディター(他の生命の幸せに対する喜び)、メッター(慈しみ)は必ずソーマナッサ(精神的な楽しみ)に結びつきますが、ジャーナ(禅定)の第五段階ではソーマナッサ(精神的な楽しみ)はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)に置き換わっているからです。
  一部の指導者はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うカーマーヴァチャラチッタ(感覚的楽しみを追い求める意識の領域におけるチッタ)にアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカは生じないとしています。アビダンマッタサンガハの著者は「しかしながら、一部の指導者は」という言葉を使っており、そうした指導者の見解を認めていないことが読み取れます20。


  パンニャー(物事をありのままに観る智慧):パンニャーはそれが生じたチッタに応じて性質が変わります。しかし、ニャーナヴィッパユッタカーマーヴァチャラ(洞察の智慧が付随しない、感覚的楽しみを追い求める意識の領域における)チッタを除いた全てのソーバナ(道徳的に美しい)チッタは大なり小なりサンマーディッティ(真理にかなった正しい見解)を含みます。

16節 まとめ

  エークーナヴィーサティ ダンマー ジャーヤンテークーナサッティスタヨー ソーラサチッテース アッタヴィーサティヤン ドゥヴァヤン パンニャー パカースィター サッタチャッターリーサヴィデース ピ サンパユッター チャトゥーデーヴァン ソーバネースヴェーヴァ ソーバナー

  19種類のチェータスィカが59種類のチッタに生じ、3種類のチェータスィカが16種類のチッタに生じ、2種類のチェータスィカが28種類のチッタに生じます。
  パンニャー(物事をありのままに見る智慧)は47種類のチッタに生じます。このように、ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカはソーバナ(道徳的に美しい)チッタにのみ生じます。その結びつき方は4通りあります。



   読んでみました
平塚柾緒編 太平洋戦争研究会著
『証言 我ラ斯ク戦ヘリ 兵士たちの戦争秘史
』(ビジネス社2021年)ほか (前)
  本書をこの欄に取りあげるのが適当かどうかやや躊躇するところがあったが、直接の戦争体験をほとんど聞けなくなりつつある現在、たとえそれが加害と被害との目を背けたくなるようなものであってもやはり知っておくべきと思い、あえて紹介することにした。とくに私たちは、仏教を学んでいるという面からも、「こころ」の奥にひそんでいるものを直視しなくてはならないと思う。ただ、私見ではあるが、本書を読み進むうちに、早くおしまい(敢えて言えば敗戦を迎えること)に進んで欲しいとの思いが浮かんできたのは事実である。
  先の戦争に対してはさまざまな視点から、出版物だけに限っても数え切れないほどのものがある。しかし本書はその中でも、おそらくきわめて貴重なものではないかと思われる。なぜなら本書は、戦場から辛くも生還された元兵士をはじめ、戦場における住民の人々、捕虜、そして従軍看護婦ほかの女性たちの生の声を取りあげているからだ。
  当時(昭和45年)これを執筆したグループには軍隊の経験者は一人もいなかったが、次のような約束事をして取材を開始したという。それは、
  (1)取材相手は一般兵士を中心とする。
  (2)執筆にあたっては、証言者は実名を基本とし、できるかぎり生の声を反映させる。
  (3)特定の史観にとらわれず、事実を伝える。
というものであった。
  そして、その証言者の体験が「たとえ『悪』であっても、それが事実なら書くべきである」と言う信念で取材を進めた結果、なによりも明らかとなったのは、「戦争とは醜く、おぞましく、卑劣で、格好の悪い」「人と人との殺し合い」という現実であった。
  本書の基になったのは、『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)の昭和46年の新年号から1年間、51回にわたって掲載された記事である。そのきっかけは、70年安保や学園紛争等の激動の時代に、その社会の中心にいた当時50歳前後の壮年層がなぜか沈黙気味で、その沈黙と戦場経験は何か関係があるのではないかとの漠然とした疑念からだったという。
  では、なぜ兵士を中心にしたのか。それは、「将校など元指揮官クラスの人からは、なかなか本当の話は聞けないのではないかと思った」からだった。なぜならそれらの人々は職業軍人として「いわば国家公務員、官僚」であって、「決して自分や軍が不利になることを言わないよう訓練されて」おり、また「同期を中心とする横の連携は強固で」あることも知られていたからである。
  「はじめに」の最後にはこうも断言している。
  「昨今は太平洋戦争も含めた十五年戦争を、あたかも日本の“正義の戦争”だったかのように装おうとする人たちがいる。戦争を美化しようとする人たちもいる。戦争には正義も美もない。それは、本書に収めた証言記録をお読みいただければ、一目瞭然であると思う」
  本書の内容は、これまで断片的に理解してきたものを遙かに超えるものだった。また量的にも紹介しきれるものではないため、やむなくごく一部だけを取りあげるにすぎない。ただ、各章の全ての項目(各章末に記した)も記したこと、また合わせて他の文献からも引用したく思ったので、やむなく2回に分けることにした。
  本稿ではとくに悲惨な面を取りあげているように思われるかも知れないが、今も世界に絶えない戦いの生々しくも悲惨な実態を少しでも直視するためと了解してほしい。
  なお今回に限らず、「雅」の署名で紹介した文献は、すべて公立の図書館での借りることが出来ること、つまり購入する必要は無いことを付記しておきたい。また、漢数字はローマ数字にあらためた。

第1章 日本軍「快進撃」の真実
  いきなりだが、シンガポール攻略から。
  中国戦線で火野葦平とおなじ部隊にいて中国を転戦していた大神文和さん。芥川賞を受賞した火野はやがて除隊になり、南方作戦に動員され、大神さんは当時第114連隊第7中隊の曹長だった。
  「シンガポールに渡り、テンガー飛行場を攻撃しているとき敵にぶつかり、闇のなかの白兵戦になりました。夜だから銃に弾丸をこめておらず、軍刀でわたりあいました。間違いなく二人の敵を斬り倒したのですが、私も右腕をやられ、つぎに胸を突かれて倒れました」
  痛くはなかったが、これで終わりだろうと思ったそうだ。しばらくして衛生兵が包帯をして注射を一本打ったのも「気安めだなあ」と観念したという。
  軍医が診療してくれたのは、負傷してから2日後だったが、「銃剣で腎臓を突き破られていたんですが、なんと腕に4発と首筋に8発、弾丸が入っていました。いつやられたか、全然覚えていないんです」。
  血尿を流しながら高台にある野戦病院のベッドでうめいていた大神さんが窓の下を見ると、海岸に並ばされた男たちがなぎ倒されているのが見えた。それも白人ではなく黄色い肌をした人たち。ゲリラ掃討の名のもとに、華僑の大量虐殺が行われていたのだ。
  戦後におこなわれた戦争犯罪裁判で、イギリス陸軍大佐シリル・ヒユー・ダリンプ・ワイルドが証言した。
  本書の記すところでは、「ワイルド大佐は、イギリスが降伏する3日前に、赤十字旗をかかげた陸軍病院が襲撃され、手術を受けている最中の患者と軍医が刺殺されたのをはじめ、病兵200人が銃殺されたことなどを証言」している。
  さらに大佐は、日本軍側が降伏後に作成したという『捕虜調査委員会』の報告書を証拠として提出した。そこには、「『抗日華僑名簿』や探偵局資料や警察署犯人名簿など、さらに救出された在留邦人の申し立てを参考に」した日本軍が6800人を検挙し、うち2000人が釈放されたほかは“厳重処断”されたという。
  そのほか、「マレー半島でも約3500人が連行されたといい、とりわけ混血児は老若男女を問わず“敵性”として殺害された」とされている。
  しかしながら、日本本土ではもちろん虐殺について何ひとつ報道されていない。
  216日の『読売新聞』は、――萬歳・シンガポール陥落/大東亜に歓呼あがる!/驕りし英崩壊の第一歩 と、大見出しをかかげている。
  全ページが戦勝記事のなかに、東京府がお祝い特配として一世帯3合の酒、子どもには10銭相当の菓子を配ることを決め、また“戦果”のハンコを押した地下足袋やゴムマリなどのマレー産ゴム製品も特配になることが書いてある」

  次に、「死の行進」で有名なバターン半島の攻略戦。
  8万人の米比軍と、26000人の一般市民が立て寵っていたバターン半島。日本軍は米比軍の降伏によって一挙に10万人近い捕虜を抱えることになったが、その準備はまったくしていなかった。そこで、とりあえず60キロ後方のサンフェルナンドまで移送し、そこからマニラ周辺に設けた捕虜収容所に収容することになった。
  トラックなどの移動手段も欠き、水や食糧も満足には用意がなかったので、サンフェルナンドに徒歩で向かう途中に捕虜がバタバタと倒れだした。なかには殺害命令によって殺された捕虜もいたという。結局、捕虜76000人のうち、収容所にたどり着けたのは54000人、難民や住民にいたってはその数字さえつかめていないと言う。
  大山正五郎さんの研究会宛の手記。
  「いずれも骨と皮ばかり、よろよろと一歩歩いては倒れ、二歩歩いては倒れて、この行列は一刻も休みなく、15日間もわたしの前を通ったのです。
  炎天下40度のアスファルトの路上、ついに力つきて動けなくなった人々の群れが三々五々、道路の側に死を待つばかりで、遠く地平線の彼方までつづいていたのです。トボトボと歩く人々のなかに、いたいけな幼女が素足の足首から血をだしているのを見ても、クツもホータイも与えられません。
  ある日、5人連れの家族がたどりついて休ませてくれといい『キャプテン、ケースが欲しい』と父親らしい男が頼みます。段ボール箱を一個与えて、何に使うかと見れば、ああ、惨たり、末の女児が絶命。それを入れて出た夫婦が埋葬より戻れば、ああ、惨たり、次男絶命したり、長男正に落命寸前」
  その後長男も他界したという。

  第1章の全項目:「真珠湾奇襲攻撃隊員の告白」「開戦前夜、南方で繰り広げられた隠密戦」「1日20キロ、驚異のマレー半島縦断作戦」「血で染まるジョホール水道渡河作戦」「(特別座談会)シンガポール華僑虐殺事件の真相」「マッカーサー軍を追いつめた比島攻略戦」「バターン半島攻略戦と『死の行進』」「見よ落下傘、バレンバン奇襲攻撃」「ジャワ・スマトラ謀略戦を演出した『F機関』」「ジャワ攻略戦にもあった捕虜集団虐殺」

第2章 敗走の飢餓戦線
  「餓島」と言われたガダルカナル島の悲劇はよく知られている。昭和178月から翌年2月までの日本軍の戦死者は22000人、しかし戦闘での戦死者は約8000人で、あと餓死また飢餓が原因の病死だった。そのころ、次のような五段階の「寿命の計算」がなされていた。だいたい当たったという。
  自分で立てる者:余命30日。②身体を起こして座れる者:余命20日。③寝たまま大小便する者:余命3日。④もの言わぬ者:余命2日。⑤瞬きをしない者:翌朝まで

  ここでは、ニューギニア飢餓戦線の座談会から。
  「梶塚:僕ら前線ではね、ジャングルを行軍しとると上からぽとりとヒルが落ちて吸いつく。はじめは気味が悪いから払いのけるけど、だんだん待ち遠しくなって、ぽとりと落ちてくるのを、ぽいと口のなかに放りこむ(笑)。ゴムみたいで、噛みきれるもんじゃないけど、樹液を吸いこんどるから味がある。
  小沼:ジャングルのなかで、現地人がコソコソやりよるんで近付いてみたら、糞に湧いたウジをつまんで食べよる。われわれは一応は洗って妙って食べたけど。
  梶塚:いや、しまいには妙るのももどかしがって、生で食いよったでしょう。いつだったか、僕が負傷して傷口にウジが湧いた。部下が割り箸でウジをつまみ出してくれるとき、『おい食えよ』といったら、『いや、糞のウジなら食いますが、隊長の膿を吸ったウジはどうも』とぬかしやがった(笑)」
  127000千の将兵が湿地とジャングルと山岳地帯に散開したニューギニア。補給をたち切られて飢餓と疫病に苦しめられて死者は115200人、生還できた者はわずかに11800人という。
  戦陣訓によって捕虜になることを禁じられている以上、残された道は自決しかない。
  「自決がニューギニアほど多かった戦場はほかにないでしょう。あらゆる面でニューギニアは悲惨だったと思いますが、自決ばかりはなんといっていいか・・・」(梶原喜久夫さん、少尉、小隊長)
  梶塚さんらは、中隊長をはじめとする負傷者や重病人らの自決を見ている。中隊長の切腹の描写はとても本稿には記せられない。「驚きました。まもなく手榴弾がドーンドンと鳴りはじめた。中隊長の死にかたを見て、みんな俺も俺もとやりだしたわけですね。(略)いやあ、三島由紀夫なんてもんじゃないな、本物の切腹は・・・」。この話は、「嘘だ」といって信じないからあまり話さないけれど、どうしても忘れることが出来ない記憶になっているという。
  本書にはこう書かれている。
   「捕虜になるくらいなら死を選べ、と教えられた将兵はすべて敢然と自決したのであろうか。そうではない。梶塚さんの話にも出てくるように、自決に恐怖しながら処刑された兵隊も多いのだ。あるいは、もし、日本軍が勝利を収めたとき処罰されることになるからと、投降を思いとどまった人も多いのである。
  名前を出さない約束で、ニューギニア生還者の一人は次のようなケースを話してくれた。
  『敵前逃亡だといって、裁判にもかけられずに処刑された人が多いんですよ。まっ暗なジャングルのなかで、もの音ひとつたてないように行動しているうちにはぐれて、ようやく部隊に戻ったら逃亡の汚名ですから。それだけじゃないです。敗戦になって収容所生活をはじめてからも、お前たちがいまごろノコノコ現れたのは戦争が終わったのがわかったからだなという調子で、一方的に決めつけて中隊長以下7人も処刑されましたよ』
  梶塚さん自身、右肩と左胸に一発ずつ自動小銃の弾丸を受け、それはまだ体のなかに残っている。この負傷のとき、もはやこれまでと切腹をはかったが、部下の准尉に止められた。
  止めるとき、准尉は梶塚さんの軍刀をつかんで指を落とした。そして皮肉にも指を落としてまで止めた准尉は、1カ月後の戦闘で死んだのである。
  238連隊の将校で生き残っとるのは、私だけです。みんな死んだのに私だけ生き残ったのは、誰かが生き残らなければ犬死になる、生きてニューギニア戦の真相を伝えてくれという戦友の怨念が、そうさせてくれたんじゃないかと考えています。だから、戦後二度ほど遺骨収集に行ったし、連隊の戦記を自費出版して遺族の方にお配りしたりしておるんですが・・・」

  第2章の全項目:「餓島と化した『さまよえるガダルカナル島』」「人肉をむさぼるガ島の『幽霊』部隊」「ガ島に放棄された日本兵の『捕虜日記』」「(座談会)ガ島の“泥棒部隊”かく生き残れり」「生きることを拒否された地獄の戦場ニューギニア」「(座談会)ウジ虫が救ったニューギニア飢餓戦線」「密林をさ迷うニューギニアの従軍看護婦」

第3章 戦場に生きる女性たち
  昭和39年の厚生省の資料によると、フィリピンでの防衛戦では、各諸島での掃討戦も含めて日本軍の63万人(陸海軍)のうち死者は498600人を数えるという。また、米軍の死者7933人、さらに、太平洋戦争のフィリピン人犠牲者は、ゲリラ部隊を含め約100万人とされている。
  赤十字の看護婦として昭和17年から従軍した中川久子さんは当時伝染病棟勤務だったが、「伝染病棟の患者さんは、入ってくるばかりで、出て行く人がいません。どんどん死んで・・・そのあとに入った人もすぐあとを追」ったと言っている。
  石引みちさんは昭和17年からバギオ市内の第74兵站病院に勤務していたが、空襲が激しくなったため、近くの金山の坑道に疎開した。
  「患者が1000人くらいでしたかね。坑道でカンテラ下げて、毎日毎日、足を切断してました。すぐ化膿するから、切るしかないんです。金山には3カ月くらいいましたけど、今度はもっと山奥へ逃げることになって・・・」
  バギオ撤退では、自決できぬ者を補助するとの名目で、多くの患者が殺されていったという。「最後の残留部隊になるもんじゃない。血の涙が出ます」と言っていた衛生兵もその多くは補充兵で、山奥への行軍では体格も貧弱なうえ中高年であるため、女性より先に死んでいったという。
  ルソン島北部では蚊の多い谷を避けて建ててある崖の上で、現地人の家を病院としていた。
  半分は看護で半分は食糧さがし。「いろいろ食べたけど、油虫なんかも油という字がついとるのは脂肪分が多いからや、とかいうたりしてね。ネズミなんか、動きが早いからよう捕まえられん。私が41度くらい熱を出したとき、朝日さん(看護婦)がとってきてくれたオタマジャクシを煮て食べたけど、そのおいしかったこと」(中川さん)。
  中川さんは語気を強めて言った。
  「兵隊さんは、みんな乾パンをくれ、乾パンをくれいうて、お亡くなりになりました。誰一人天皇陛下バンザイなんて言いません。だから、フィリピンで亡くなった方々のご遺族の皆さん、ご命日にはなんでもいい、食べものを供えてあげてください」
  この章にはまた、「その名が示すように、戦地の将兵たちを慰める“軍事要員”である」慰安婦菊丸さんの戦後が描かれていることも特に付記しておきたい。

  第3章の全項目:「戦場に結ぶフィリピン娘と一等兵の恋」「ボルネオの王女を妻にした日本兵の涙」「中国共産党軍に従軍した日本人看護婦」「敗走のフィリピンに生きた従軍看護婦」「前線基地トラック島で将兵を慰安した19歳の青春」

第4章 泥沼の戦場・中国戦線に生きる
  敗戦時の日本陸軍の総兵力は547万人、そこから本土、千島・南樺太、朝鮮、台湾を除くと純粋な海外駐屯兵力は約2531000人、そのうち中国戦線には1056000人という全陸軍の約42%が駐屯していた。
  ここでは目も当てられない残酷な描写はとてもここに書けないので、直接本書をお読み頂くか、類書を参照して欲しい。本欄では、召集令状を破り捨てた僧侶の体験だけ取りあげることにした。
  富士山麓の山中湖にある虚空蔵院という禅寺、ここの釈神仙和尚がその人だ。
  僧侶にも次々と召集令状がきた時代、吏員の目の前で赤紙を破ったため憲兵に逮捕され、1年にわたって大阪の憲兵分隊の留置場の独房でほとんど毎日拷問を受けた。しかし取り調べは、「どうだ召集に応じる気になったか」という質問が繰り返されるだけだった。
  「陛下がこんな戦争に同意なさるようなバカなことはありえない」と言ったら、「貴様、陛下をバカ呼ばわりしたな。不敬罪だ!」と憲兵がいきり立ったそうだ。
  一年後、和尚の父親に経済援助を受けたこともある憲兵分隊長によって釈放されたが、その翌日には従軍僧の辞令が渡され、中国の戦地へ行くことになった。おそらく厄介払いに違いない。しかし従軍僧は軍属で佐官待遇、そして武器は持たずに済んだ。
  徴兵拒否の危険人物として憲兵も監視の目を光らせていたが、佐官待遇でもあり憲兵もよけいな口出しはできない。和尚はさりげなく病院から出た。
  「上陸三日目でしたよ、上海市内へ通じるガーデンブリッジを渡ったのは。橋のところに海軍の陸戦隊がいて、ゲリラに気を付けてください、なんて声を掛けるのをもっともらしく聞いてね。それからヤンチョ(人力車)を拾って、俥夫に『お寺へ連れて行ってくれ』というて、有り金を全部やった」。俥夫は和尚を堂念院に運んだ。
  拷問の傷跡と禅の教えを乞うひたむきさが通じ、峨眉山へ行かせてやろう、ということになった。「なんというか中国人のはかり知れない度量の広さに、救われたんだなあ」と和尚は言う。
  峨眉山への旅の約2年半、その途上でつくづく次のような点を痛感したという。
  「いったん中国側に立って見ると、日本という国がいかに好戦的で、弱い者いじめに徹しているかを痛感させられたもんです。中国大陸の点と線を確保しているにすぎんのだが、とにかく、ありとあらゆるメチャクチャをやりよる。軍律らしいものがあったのは、まあ、南京の手前までだったなあ」
  南京を通りかかった昭和14年の夏、その1年半前の大虐殺のツメ跡がまだ生々しく、クリークが白骨で埋まっている光景も見られたという。
  太平洋戦争の突入を重慶で知る。
  「雨が降っていたのを覚えとる。なんとまあ、中国という泥沼に足つっこんでおいて、手だけで米英を相手にするのかい、となさけない思いでしたよ」
  暗澹たる思いの和尚は、峨眉山入口の虎谷の橋を、再び生きて日本に戻ることもあるまいと考えながら渡り、断食を始めたという。
  和尚についてのほかに、この項にはさらに、捕虜収容所のなかに逃亡兵が混じっていたこと。そして厭戦的な兵隊が続出していた太平洋戦争に入って以来の中国戦線の実情が書かれている。

  第4章の全項目:「殺戮の現場を証言する従軍カメラマン」「南京大虐殺をめぐる目撃者たちの証言」「『虐殺』で対立する南京攻略戦の兵士たち」「戦場で有能な兵士とはなんであったか?」「召集令状を破り捨てた従軍僧の抵抗」「日本軍の残虐に悲嘆する脱走従軍僧」「『焼き、奪い、殺せ』三光政策の八路軍索敵部隊」
「『三光政策』を実行した小隊長、殺戮の回想」「(座談会)地獄の大陸戦線に流れた暴虐の血」

(続く)

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