2022年1月号 | Monthly sati! January 2022 |
今月の内容 |
巻頭ダンマトーク:『懺悔物語 極悪の聖者- アングリマーラの光と闇 ③』 |
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ダンマ写真 |
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Web会だより ー私の瞑想体験-:『怒りの根源の発見』(1) | |
ダンマの言葉:『悟りの道への出発』(1) | |
今日のひと言:選 | |
特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (8) | |
読んでみました: ターリ・シャーロット著『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』 (白楊社 2019) |
【お知らせ】
「Web会だより」は今月号より「Web会だより -私の瞑想体験-」といたしました。なお、検索の便宜のため、バックナンバーについては変更を加えておりません。
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
巻頭ダンマトーク 『懺悔物語 極悪の聖者-アングリマーラの光と闇 ③』 |
●殺人鬼と化していたアングリマーラの人生は偉大な師との出会いにより劇的な回心をとげ、新たな仏弟子としての修道生活に入ることができた。しかし血まみれの惨劇を繰り返した彼の心がいかばかりであったかが「テーラガータ887」の偈(詩句)にいみじくも表現されている。 「あるいは森の中に、あるいは樹の下に、あるいは山の中に、あるいは洞窟に、いたるところで、わたしはその時、おびえた心をもって立っていた」これは、アングリマーラの瞑想修行が破綻していた表現として読めるだろう。どうしても瞑想に集中できず、「森の中に、樹の下に、山の中に、洞窟に・・・」と必死で座所を替え、心機一転しようとしている姿が髣髴とする。 瞑想が上手くいかないのは劣悪な環境のせいだと、近隣の生活音や目障りな修行者を敵視し、座る瞑想→歩く瞑想→喫茶の瞑想・・と、せわしなくやり方を換えたりする人に何人も出会ってきた。 物が壊れていたり、何か不具合が見つかった瞬間、「誰だ!やったのは・・」と、まず最初に他人を疑い、自分のせいだとは思わない傾向も普遍的である。 人の心は、真っ先に内省や懺悔をするようにはできていない。生まれた時から自己中心的な視座が設定されており、意識的に修行しない限り、自分を対象化したり客観視したりはしないものだ。長じて痛い目に遭いながら、外界が思い通りにはならないのだと覚った時に初めて、意識の矢印を自分自身に向けてみるのが順番である。瞑想が上手くいかないのは、場所が悪いのではなく、自分の心に問題があるのではないか・・・と。 捨て置けば風化していくかすり傷の自責の念もある。痛くても、辛くても、根本原因に向き合い、根っこから引き抜かなければならない深傷の罪業感もある。 その感受性には個人差があり、微罪を怖れる人もいれば、相当の悪をしながらふてぶてしく居直るタイプもいる。表面意識のエゴ感覚と深層の本心は常に乖離する傾向があるが、アングリマーラほどの極悪がなされれば徹底した懺悔の瞑想をしない限り、自己客観視を旨とするヴィパッサナー瞑想の修行を進めることは不可能だったはずである。 幼かった頃、人差し指の付け根に棘を刺し、すぐに抜いたが途中で切れてしまい、根っこを残したままカサブタが固まってしまった。やがて魚の目が形成され日増しに巨大化し、ついにメスでえぐり取る外科手術の激痛に泣き叫ぶことになった・・・。 一点集中型の瞑想なら、強引な集中力の荒業で乱心を鎮めることができる者もいない訳ではない。しかし、それとても一時的に抑圧が功を奏しているに過ぎず、サマーディが解ければ心の闇に苦悶するのは必至である。 アングリマーラがサイコパスだったなら、平然と瞑想修行を続けたのではないか・・という仮説は成り立たないだろう。大胆不敵を通り越し、人を殺しても白菜をザク切りにするようにしか感じない、先天的に恐怖心の欠如したサイコパス脳の持主が「怯えた心」で苦しむことはないからだ。 アングリマーラの犯してきた悪行の凄まじさは、眼を背けたり抑圧できるレベルのものではない。「テーラガータ」に史実として垣間見えるのは、己の罪業に怖れおののき怯えた心で立ち尽くしている姿である。そんな罪深い心が、懺悔の行なしに煩悩を滅尽させ、究極の清浄心である阿羅漢果に到達することはない。 いったいアングリマーラはどのような懺悔の修行をしたのだろうか・・・。その具体的なやり方は杳として知れないが、中部経典第86「アングリマーラ経」 に次のような出来事が記されている。 ・・・ある日、アングリマーラは托鉢の食を乞うサ-ヴァッティの街で、難産に苦しむ婦人を見た。そのとき彼に憐れみの心が生じ、こう思った。 <ああ、人々はドゥッカに苦しんでいる。実に、生きるものは苦にあえいでいる・・・> このような所感が得られたからには、アングリマーラの懺悔の修行はこのときほぼ完了していたのではないか、と推測することができる。他者のドゥッカ(苦)に憐れみの心が生じたからには、自分自身の後悔や自己呵責の苦しみからはほぼ解放されていただろう。己の真っ黒い心に打ちのめされている者の口から「実に、生きるものは苦にあえいでいる」と達観する言葉が洩れるはずはないからだ。 独力で懺悔の行を見出したのか、ブッダの指導があったのか。そのプロセスを伝える典籍は不明だが、「テーラガータ890」のアングリマーラの言葉には「邪悪の根本を吐き出した」という表現が見られる。 「邪悪の根本」とは、罪業感や自責の念など自身に向けられた怒りも、怒りのルーツである無明の闇も、ドゥッカ(苦)の因となるドス黒いものはことごとく吐き出された・・という意味だろう。アングリマーラの懴悔の修行がやり遂げられ完了したことの証左と言える。 「アングリマーラよ、それではもう一度サ-ヴァッティへ行くがよい。行って、その婦人にこのように告げるがよい。婦人よ、私は生まれてからこのかた、故意に生き物の命を奪った覚えがない。このことの真実によってあなたに安息のあらんことを、胎児に安らかさあらんことを、と」 「それでは嘘になります。私は故意に多くの人の命を奪いましたから」 「では、アングリマーラよ、<私は聖なる者に生まれ変わって以来このかた、故意に生き物の命を奪った覚えがない。この真実によってあなたに安息のあらんことを、胎児に安らかさあらんことを・・・>と言うがよい」 アングリマーラが仰せの通りにすると、婦人は安らかになり、胎児は安らかに生まれた。 |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
『怒りの根源の発見』(1) K.M. |
これまでの人生を振り返ると、何か寂しい気持に覆われて、そこから逃れたくてもがいていているような感じでした。そんな気持ちがあったからでしょう、何かに救いを求めておりましたが、幸いにも変なものに騙されることもなく、大乗仏教を経てヴィバッサナー瞑想に出会うことができました。 ◆仏教との出会い 私が生まれた頃は高度成長期であり、幼稚園と言えばお寺が経営している事が多く、私や近所の同級生や同世代の子供たちは家が近所のお寺の檀家でありましたので、そのお寺の幼稚園に通っていました。幼稚園に行けば毎朝本堂に集められて念仏を唱えて仏像を拝み、天女の絵画を見ては「仏様はあの世(極楽)にいるんだぁ。あの世には綺麗な女の人がいるんだぁ」と信じていましたが、「あの世はきらびやかな世界だけど、死なないと行けない世界なので怖い」と仏教に関しては、憧れる反面、恐れを含んだ想いの感覚を持っていました。 進学した高校が浄土真宗系の学校だったので、体育館の壇上に阿弥陀様の仏像があり、節目の学校行事の際には、パーリ語の三帰依文を唱えていました。入学式の時に初めて聞いたパーリ語の三帰依文には、「何語?どこの国の言葉?」と不思議な感覚を覚えたものです。 週に1回宗教の授業があり、八正道等の代表的な仏教教学を学びましたし、日本史が好きなこともあり、各宗旨宗派の事を興味を持って学びました。 幼稚園の頃から何故かしら「不安・寂しさ・虚しさ・悲しさ・焦燥感」を感じてしまう事が多く、小学生の頃もそんな心の状態は変わることなく、中学生になるとその「不安・寂しさ・虚しさ・悲しさ・焦燥感」のせいか、訳のわからない事が気になる傾向(机の横に掛けている学生カバンの開閉止め金具を何度も開けたり閉めたりする)等の、今考えれば精神的におかしいのではないかと思うような拘りが顕著になってきました。高校生になっても「不安・寂しさ・虚しさ・悲しさ・焦燥感」が無くなることは無かったですし、性格的には相手に気を遣う反面、些細なことから突然喧嘩になる傾向がありました。 そんなやるせない精神状態から救われたい解放されたい願望は常にあり、大学生になる頃にある密教系の教団の本を目にして「これで今までの問題が解決できる」と思い入信しました。 以上のような経緯で仏教(大乗仏教)と縁があり、仏教教学・仏教史を学ぶようになりました。そこで初めて大乗仏教には仏陀直説のパーリ仏典を依経とする宗派がないことを知り驚愕したものです。 ◆ヴィバッサナー瞑想との出会い 密教系の教団に入った頃には、「これで社会でも成功して幸せな人生が送れる」と思っていましたが、なかなか自分が思い描いていたような人生とはならず、社会人になり結婚をして娘が一人出来ましたが、自分の不徳故に娘が成人した頃に離婚しました。 「仏陀の教えを知りたい。苦しみから解放されるのは仏教しかないはずだ」との思いはありましたが、仕事に忙殺される日々が続き仏教に関わる機会が薄い期間を過ごしていました。 このままでは悔いが残る人生になってしまうと悶々と思っていた頃、母親が肝臓がんで亡くなり、数か月後には軽トラックの荷台から誤って後頭部からコンクリートの床面に転落、頭部を強打し半年間入院する程の大怪我をしました。 離婚、母親の死、大怪我による長期入院等を経験し、これからの人生どうしたものかと千思万考している折に、知人から日本に原始仏教を布教する日本テーラワーダ仏教協会があるという事を教えてもらいました。それで協会のHPやスマナサーラ長老の本を読んでヴィバッサナー瞑想があることを知りました。そして、その知人から地橋先生のご著書「ブッダの瞑想法ヴィバッサナー瞑想の理論と実践」を勧められました。この様な経緯で私はヴィバッサナー瞑想と出会うことが出来ました。 テーラワーダ仏教を学ぶとヴィバッサナー瞑想で解脱、悟りに至る事が出来る。苦から解放されるのはやはり仏教しかない。また、そのことを地橋先生は論理的に説明されており、正に苦からの解放は仏教しかないとの思いに至りました。 ◆瞑想への着手 スマナサーラ長老のご著書、地橋先生のご著書を読み、ヴィバッサナー瞑想のやり方を学び実践に着手しました。本だけでは我流に陥る可能性があるので、2019年2月に初心者講習会に参加して初めて地橋先生の指導を受ける事が出来ました。次のステップの瞑想会も考えていましたが、遠方(広島)ということもあって機会を逃している中、コロナウイルス感染拡大という状況に至り、その後瞑想会に参加することなく幼稚ながらも瞑想実践に取り組んでいました。 瞑想により煩悩を減らして、心を清らかにして、苦を無くしていこうと、少しずつでも取り組んでいました。以前に比べ、煩悩(貪瞋痴)を制御出来ているような気はするものの、幼い頃からある、何か得体のしれない「不安・寂しさ・虚しさ・悲しさ・焦燥感」が常に靄の様に心を覆っている感じが拭えず、心随観でその心の状態を観ようとしても、その心の状態を嫌って目を背ける傾向がありました。 怒ることは不善心であり善くない事と頭ではわかっているのですが、職場やプライベートでも激怒してしまうことが出てしまい、煩悩(貪瞋痴)を滅尽させるために瞑想をしているのに怒ってしまう。時には怒ることを楽しんでいるかのように怒ってしまう。何のための瞑想か?自分には瞑想のセンスが無いのか?やり方が間違っているのか?本気でやる気があるのか?等々紋々と考えしまう事が続いていました。(続く) |
(K.U.さん提供) |
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1.自然な心を読む |
特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (8) |
本記事は「アビダンマッタサンガハ」の解説書“Comprehensive Manual of Abhidhamma”(Bikkhu Bodhi監修) を「アビダンマの解説と手引き」として翻訳されたもので、翻訳者各位のご厚意により本誌6月号より掲載しております。掲載にあたってのお知らせは6月号をご覧ください。 第4節 アクサラ(不善な)チェータスィカ IV.(1)サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する確信)、(2)サティ(今の瞬間に対する気づき)、(3)ヒリ(不善な行為を恥じること)、(4)オッタッパ(不善な行為を恐れること)、(5)アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、(6)アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、(7)タトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度)、(8)カーヤパッサッディ(関連するチェータスィカの集合体が静まった状態)、(9)チッタパッサッディ(チッタが静まった状態)、(10)カーヤラフター(関連するチェータスィカの集合体が軽くなった状態)、(11)チッタラフター(チッタが軽くなった状態)、(12)カーヤムドゥター(関連するチェータスィカの集合体が柔軟になった状態)、(13)チッタムドゥター(チッタが柔軟になった状態)、(14)カーヤカンマンニャター(関連するチェータスィカの集合体がブッダの教えを受け入れやすくなった状態)、(15)チッタカンマンニャター(チッタがブッダの教えを受け入れやすくなった状態)、(16)カーヤパーグンニャター(関連するチェータスィカの集合体の能率が向上した状態)、(17)チッタパーグンニャター(チッタの能率が向上した状態)、(18)カーユッジュカター(関連するチェータスィカの集合体が清廉潔白で真っ直ぐなこと)、(19)チットゥッジュカター(チッタが清廉潔白で真っ直ぐなこと) この19種類のチェータスィカがソーバナサーダーラナ(道徳的に美しいチッタの全てに見られるチェータスィカ)と呼ばれます。 |
ターリ・シャーロット著『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』 (白揚社 2019年) |
著者は認知神経科学を専門とするユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの教授。すでに『脳は楽観的に考える』(2013年 柏書房)が出版されている。 |
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