2021年9月号 | Monthly sati! September 2021 |
今月の内容 |
巻頭ダンマトーク:『病気になったら』(2) -熱帯の光の中で・・・- | |
ダンマ写真 |
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Web会だより:『心と向き合って -赦し、懺悔、そして慈悲の修行へ-』(3) | |
ダンマの言葉 | |
今日のひと言:選 | |
特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (4) | |
読んでみました: マシュー・サイド著『失敗の科学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン 2016年)(前) |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
巻頭ダンマトーク:『病気になったら』(2) -熱帯の光の中で・・・- |
*心身一如 良い瞑想をするためには意識の透明度が何よりも重要で、その良否を決める最大の要因は体調です。私が断食マニアになったのも、栄養学を勉強したり、食事に細心の心配りをするようになったのも、全ては体調のため、瞑想のためでした。 子供の頃は人並みに病気をしたし、冬になれば風邪の一つや二つは普通に引いていました。頑強でもなければ病弱でもなく、健康に関してはごく普通だったのに、年々歳々、健康状態は右肩上がりになり、痩せてはいるものの心身にエネルギーが満ちている毎日です。 私がこれほど元気になれた要因は5つあります。 ①酒や煙草、ジャンクフード、暴飲暴食、偏食、等々、マイナス要因を徹底的に排除してきたこと。 ②玄米・もち麦・押麦・蕎麦粉・燕麦、野菜・キノコ・海藻類、各種乳製品など、食材も栄養バランスも健康に良いものを摂取してきたこと。 ③蚊もゴキブリも生け捕りにして逃がすほど、殺生戒を厳しく守ってきたこと。 ④慈悲の瞑想を実践してきたこと。 ⑤定期的に断食をしてデトックスを心がけてきたこと。 この世的な執着を手放していくテーラワーダの寺では、ヨーガは健康志向と見なされ、苦行である断食は禁止扱いされている印象を受けましたが、私の修行履歴と瞑想理論からは、どちらも瞑想の最重要ファクターです。 意識の透明度のみならず、身体感覚が心に与える影響は甚大なものがあり、過食をして体が鈍重になれば全てが億劫になるし、慢性的な痛みが続けば人の心を暗転させるでしょう。 同様に、一瞬の心の状態が怒りや欲望や恐怖のホルモンを分泌させ、人を好きになれば肌が輝いたり、不安やストレスが胃の表面に潰瘍を形成したりします。心身の状態は一如であり不可分だからこそ、高度な瞑想の意識状態を招来するために体を整えなければならないと考える訳です。 原始仏教に出会うまでは、「ヨーガ・スートラ」を中心に瞑想修行をしていたので、<善行→戒律→調身→調息→調心→>の流れでサマーディを完成していくヨーギ達は、体の調整を気にかけないブッディストよりも有利ではないかと思ってきました。どこの森林僧院でも、私が断食に入るのを良しとしないのを感じていましたが、在家修行者なので黙認されてもきました。 *胃痙攣 荒んでいた20代には吐血するほど体を痛めましたが、その後大きな病気はしたことがなく、強いて挙げれば、胃痙攣に苦しんだことが何度かありました。 最初に胃痙攣に襲われたのは20代後半でしたが、真夏に脂っこいものを食べ、さらにアイスクリームやかき氷などでお腹を冷やしたせいか、自室で七転八倒の痛みに襲われ呻き声を上げました。 いったい何が起きたのか訳が分からず、得体の知れない妄想が化け物のように肥大していったのです。それもその筈、「エクソシスト」というホラー映画を観て帰宅した夜に強烈な痛みに襲われたのだから、悪しき妄想抑え難しだったのです。 床に転がり悶えながら、救急車を呼ぶべきか否か、いや、その前に・・と私がしたのは、腹ばいながら本棚に近づき百科事典と医学事典のページをめくって思い当たる症状を調べ、病名を突き止めようとしたのでした。 インテリ気取りでいた当時の私らしい振舞いだったと苦笑いしますが、痛みに顔を歪めながら「胃痙攣」だと探り当てると、不安妄想が急速に雲散霧消していきました。痛みは相変わらずでしたが、悪霊を恐怖する妄想で押しつぶされそうになっていた危機は脱したのでした。 眼前の事態や事象が何なのか見極めないと、人は妄想で自滅する、という持論は科学的態度に一脈通じるものがあり、後年ヴィパッサナー瞑想に専念し「事実をあるがままに観る」修行の発端となっていたのかもしれません。 *タイの海辺の寺で その後、重症も軽度の時も含めて何度か同じ症状に襲われましたが、最大級の痛みに万策尽きたのはタイの海辺の寺で修行していた時でした。体がねじれるような激痛が始まり、のたうちながら「痛み」「痛み」とサティを入れて耐えていましたが、痛みの針が振り切れて臨界点に達すると、もはやラベリングは虚しく空回りして役には立たないことを思い知らされました。 私のクーティ(修行者の独居住宅)から隣のクーティまでは相当離れていて、英語の通じる人も極めて少なく、誰もが寝静まった夜更けの真っ暗闇の中で、たった独り、激痛にのたうちながら、頼みの綱のサティの技法も効かない情況でした。 サティが無力になれば妄想は出っ放しとなり、熱帯の異国で誰にも知られることなく客死するのか・・などという妄念が過ぎっていきました。 「地獄へ堕とされたら堕とされたで、サティを入れればいいんじゃないですか・・」とへらず口を叩いていた馬鹿者もいましたが、苦痛が最大級になればサティなど入らなくなり、つまり地獄に堕ちたら修行どころではない、と痛感させられていました。 サティが絵に描いた餅となったとき、危機を救ってくれたのは、ダンマの理解でした。なぜか「始まりがあったものには、必ず終わりがある」というフレーズが浮かび、無常の真理が確認されたのです。 どんな幸福も、苦しみも、胃痙攣も、やがて必ず終わりがやってくる。この苦しみが永遠に続くことはないのだ・・と覚ると、乱心乱想のパニック状態は鎮まっていきました。 心が落ち着いてくると、ふと、胃部を温めてはどうだろうかという考えが浮かび、ペットボトルに魔法瓶の湯を注いで湯たんぽ替わりにして腹部を暖めました。人肌のような温もりと、肥大していく妄想が鎮まったのと、まさに身体と心の双方向から安らぎを覚え、安息感に包まれていくうちに、さしもの胃痙攣の激痛も終焉を迎えました。 身を整えれば心が安らぎ、心がととのえば、身体の本来のあるべき機能が全うされていく・・・。 *食中毒 熱帯の猛暑の国では、朝食が放置されれば昼には饐えた腐敗臭が漂うこともあります。タイやミャンマーの僧院で、連日水のような下痢が7回も8回も続き、クーティにひとり衰弱した体を横たえ、ひたすら癒えるのを待ったことが幾度あったでしょうか。 どれほど細心の注意を払っていても、食材は浄らかで何の問題もないのに、調理担当者の手指などから食中毒菌が侵襲するのを免れないのです。 もとより嗅覚も味覚も五感のセンサーは敏感なので、わずかな異臭も違和感のある味覚も見逃さない自信がありました。しかし予想だにしなかった新鮮な果物から食中毒になることもあるのか、と驚いたこともあります。徹底的に原因を究明した結果、なんとグレープフルーツが原因だったと突き止めたことがあったのです。 食事は「ピント―」と呼ばれる金属製円型ランチボックスに、白飯・スープ・おかず・デザートなどが手提げのついた5段重ねになって届けられます。ある日、厨房の尼さんか在家者の誰かが、親切心からグレープフルーツの薄皮をきれいに剥いてデザートに添えられていたことがありました。粒々の実に触れながら皮を剥く手指の動作が目に浮かび、嫌な予感がしました。薄皮は自分で剥いた方が清潔だろうに、とありがた迷惑な気がしたのですが、注意深く味覚にサティを入れ、何も異常を感じなかったので、トロピカルな気候に適したフルーツを完食しました。 果たして5~6時間も経過した頃から、水のような下痢が始まり、トイレを重ねる度に衰弱していき、気息奄々、脱力感に喘ぎながらベッドに横たわるしかなくなったのです。 そんなことが何度経験されたでしょうか。団塊世代の生まれた終戦直後の時代にタイムスリップしたかのような気がしました。お腹を壊すので、子供は井戸の生水ではなく湯冷ましを飲むのが通例だったし、回虫などの寄生虫も多く、食中毒も日常茶飯事だった時代でした。 *ミャンマーの孤独 熱帯の異国ならではの食あたりに何度も見舞われてきましたが、とりわけ重症だった食中毒は、ミャンマーの山深い森林僧院で修行していた時でした。 下痢の度合いも、衰弱の度合いも、かつてない最大級の激しいものでした。高熱にうなされ、脱水症状で意識は朦朧となり、歩くこともベッドから起き上がることもできないほど弱り果て、もとより医者はおろか、寺のどこにも薬箱ひとつない密林にたった一人で横臥していました。 沈黙行に徹した瞑想者同士が友人関係になることはなく、寺男のような在家者はほとんど英語が喋れず、面接も週に2回程度で、孤独もここに極まれりという環境を楽園のように見なして修行にいそしめたのは、自らを拠りどころに独り犀の角のように歩めるだけの元気と健康に恵まれていたからです。しかるに突然の病を得て、頼れるものは何もない、絶対的に孤独な病者になり下がってしまったのでした。 この寺はピント―方式ではなく、食事の鐘が打ち鳴らされると、三々五々、瞑想者が各自のクーティから一堂に会し、数人ごとに黙々と円卓を囲むスタイルでした。明日は断食ゆえに食事は不要と伝えた日に下痢が始まったので、誰も私のクーティに訪ねてくるはずはなく、木造の小屋に独り転がっていました。 *不思議に続くサティ 群れを作らない孤独な獣が深手を負い、物陰にただ身を潜めているかのような連想が浮かびましたが、「妄想」と自動化されたサティが力なく入りました。 これほど衰弱しきれば、もはや修行どころではあるまい、と思われましたが、何もやることがないのです。生きている限り、覚醒時には人の妄想が止まることはありません。 妄想には2種類あり、明確な考えごとをする普通の妄想もあれば、ほとんどの人は気づかないでいますが、意識の伏流のように微弱な妄想が絶えることなく流れ続けてもいるのです。 衰弱すれば心を一点に集中させる力は失われ、ただ意識に強く触れたものに気づきを伴わせる六門開放型のサティしか入りません。その受け身に徹しきったサティが延々と続いていくことに静かな感動を覚えていました。 入れようとしてもなかなか続かないサティが、なぜこれほど弱った病人なのに、切れ目なく続いていくのか謎でした。「不可思議」とそれにもサティが入ったというか、思考も考察も展開させるエネルギーがまったくないので、ただ気づきが伴っただけで消えていったようでもありました。 *サティの構造 淡々と続いていくサティが肉体の苦受をただ苦受だけに止め、心には憂いや怖れが微塵もありませんでした。窓から差しこむ熱帯の光の中に、無数の微粒子がキラキラと金色に輝いているのを、高熱で朦朧とした眼でただ純粋に「見ている」とサティが入っていました。眼識に接触したものを、「美しい」という印象につないで享受している余裕などまったくありません。 「・・マバタキ(一瞬の視覚の遮断に対して)→(頭が)熱い→(氷枕か氷嚢が欲しい)と思った→連想(子供時代の病床を)→(眼を)開いた(マブタの感覚を感じながら)→見た(網膜に何かが接触した感覚)→見ている(光線の微粒子を)・・・」とサティが入り続けていきます。 息も絶え絶えなのに不安はなく、ただ苛酷な肉体のドゥッカ(苦)とサティが続いていることに対する微かな<喜(ピーティ)>があるだけで、心は静かに落ち着いていました。ではなぜ、その時に不安や恐怖の妄想が浮かんでくることもなく、またそれがサティの対象とならなかったのでしょうか? 現在の瞬間に切れ目のない気づきが連続すると、想念の連鎖する余地がなくなって思考は停止します。眼耳鼻舌身の知覚対象と意門に浮上する妄想をひたすら受け身に徹して認知していく。これがサティの基本的な働きで、対象に反応したりコントロールすることはサティの仕事ではありません。 外界から六門に飛び込んでくる刺激情報(対象と意識の接触:パッサー)→認知(サティ)→<?>←ここに何が起こるのか? 例えば、「考えた」とサティを入れても、思考内容に執着があれば、次の心が再び類似の想念を浮上させることになります。もし怒りっぽい人なら「怒り」とサティを入れても、また怒りや嫌悪が蒸し返され、そのつどラベルを貼って見送ることの繰り返しになるのです。つまり、心のプログラムを組み替えなければ、類似妄想の再浮上は止まらないということです。 *因果を心得、因果を超越 なぜ異国の森林僧院で病に喘ぐ私に、不安や恐怖の妄想が浮かんでこなかったのでしょうか・・・。 5つの要因が考えられます。 ②医学的知識から一応の病状を把握していた。 ③原因が不明でも断食で治らぬ病気はほとんどない、という確信があった。 ④及ばずながら過去に積んできた善業(比丘に対する薬の供養etc.)がよい方向で現象化するであろう、という基本的楽観主義。 ⑤身体的衰弱も脱力感も、断食では毎回経験され精通していたので不安や恐怖の対象にはなり得なかった。 想念レベルでのソフトを入れ替えれば、心のプログラムは変わっていきます。これが、<智慧>の修行であるヴィパッサナー瞑想の前に<戒>が十全でなければならない所以です。さらに重要なのは、現れてきた現象に対する正しい理解が生じるので、愚かな妄想が浮上しなくなるということです。それが<気づき→観察→洞察>と成長していくサティの真骨頂でもあります。 一瞬一瞬襲ってくる肉体の苦受も想念も眼識も・・対象として生起する全てのものがサティの認知と同時に滅し去っていく。これは怖るべきことです。 どのような対象も必ず瞬滅していく。 始まりがあった一切のものには終りがあるという真実。 どのような痛みであれ、生じたものは必ず変滅していくこの真実相に対する一貫した理解の伴ったサティは、心配や不安という心の構成因子を生起させないのです。 病気も怪我も肉体的苦受は、すべからく殺生戒系の不善業の結果と理解すべきです。業があれば、必ずわれわれの身に襲来するし逃げようもないのです。怖れても怖れなくても結果は同じであるならば、甘んじてそれを受け、苦受を感じる瞬間に業が消えていくのだと心得ることによって、心はむしろ安らぎさえ覚えるでしょう。 病気さん、ありがとう。お蔭さまで不善業が一つ消えました、と感謝を表明すべきなのです。 病気になりたくなければ、生きものの命を大切にすることです。人間に対してはもとより、鳥獣虫魚の命も大切に守ってあげることにより、かつての不善業を相殺させることにも繋がります。 ミャンマーの森林僧院を去る前に、立派な収納ケースに納められた諸々の薬一式をまとめてお布施したことは言うまでもありません。 どこの寺に止宿しても、<食事・衣・薬・住居>の四資具のお布施は定番なので必ず奉納してきました。 徳を積むことはこの上なく楽しいことであり、心を健やかに明るくしてくれるものであり、それらの集積が波羅蜜となって解脱を完成させる最大要因になっていくのです。 (この項続く。以下次号) |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
『心と向き合って -赦し、懺悔、そして慈悲の修行へ-』(3) |
(承前)
確かに、人は親や周囲の影響によって作られると説く文献は多くあります。でも私は、その悪い環境や人に対して赦しの瞑想を心の底から続けているうちに、「なんだ結局悪かったのは自分ではないか」と思い知り、まさに、「ついにバレてしまった」というような心境になりました。「やはり、自分の汚れた心を作っているのは自分でしかなかった。そのことを知りたくないとエゴが抵抗していたのだな」と悟ったのです。 「サティからも反応系の修行からも遠ざかり、受けた刺激に煩悩のまま反応していた期間があったんだから、そりゃカルマは悪くなるよな」 「刺激を与えたのは他者や外部環境でも、その反応は自分がしたものだし、人にさせられたわけではないよな」 このことは、朝カルで、六門から受まではブッダも誰でも同じ、そこからの反応が違うのだという基本を再確認した時にも思いました。環境にどう反応するのかは、周囲でなく自分自身なのだと。 仏教に縁を戻そうと修行に真剣に取り組んでいなければ、なんとなく誤魔化しながら生きていけたかも知れません。でも、修行を重ねているうちに、もうこれ以上自分を誤魔化せないぞと理解され、それが「自己欺瞞」という言葉に繋がっていく流れになったのだな、と、今文章を書いていて再び強く感じます。また、文言を繰り返すだけでも「赦し」と「懺悔」の瞑想を毎日続けていたのが功を奏したのだなとも思いました。 こうしたことに気づいた後、私の懺悔の瞑想の文言は次のように変わりました。 「私は自分の弱さから仏教を離れたのを、周囲の人や環境のせいにして身口意で不善なことを沢山しました。また、仏教の法や因果論に疑いを持ちました。愚かな私をどうかお許しください。これからは悔い改め生活を正して生きていきますので仏教から離れないようにお導きください」 本当にそう思います。 ある日懺悔について調べていると、キリスト教の「懺悔・悔い改め」の教えが見いだされ、それもまた心に響きました。その解説では、キリスト教の懺悔というのは、①.罪に気づき認める、②.罪を告白する、③.罪について悲しむ、④.罪を繰り返さないと悔い改める、⑤.罪を悔い改めた行動を実行する、⑥.罪を悔い改めた行動を維持する、ここまでがセットだそうです。 懺悔とは生き方を変えること、悔い改めることであって、罪を犯したことに対して悲嘆に暮れることではないと言うのです。悔い改めることこそが重要なのだとそのキリスト教の教えには書かれていました。これは、地橋先生の法話の、懺悔し、視座を変え、善の総力戦で生き方を変えるアングリマーラの話とセットで私の心に衝撃を与えました。 私は悔い改めたいと心の底から思いました。 「汚れてしまった生き方と心を綺麗にしたい、あきらめたくない、心から懺悔して生き方を変えたい。変えなければ、このままズルズルと汚れを隠し、なんとなくは幸せだけどすっきりしない人生を送って死ぬだけだ」という恐怖感も生まれました。また、倫理的にも正しく生きていきたいと思いました。 「再度仏縁に触れたことで今は認知の視座が変わってきている。それを身口意の行動レベルで現さなければ意味がない」とも考えました。そして、「そこから離れずに維持していきたい」と。 自分の非を懺悔して、生き方を変えようと強く思った時に、心が爽快になり、すっきりし、軽くなった気がしました。当然、瞑想にも以前に比べて身が入るようになり、幸せだなと感じることが増えていきました。 執筆へ その後、参加させて頂いた1day合宿で、これまでの経験をふまえてレポートにまとめて報告したところ、先生から褒めて頂き、同時に「Web会だより」への執筆を依頼され、二つ返事で快諾いたしました。その時は褒められた嬉しさもあり、「文章を書くのは嫌いじゃないから大丈夫! 今は苦も減ってとても幸せだし、きっといい文章が書けるはず」と当初は考えていました。 しかしいざ書こうとすると、なんだか気分が乗らないなという思いが起こり、ズルズルと書くのが先延ばしになって、締め切りの日が近づいて来てしまいました。で、思い直して、「よし書こう!」と書き始めてみても、どうしても途中で何かが違う感じとなり、書けなくなってしまう日々が続きました。書きたくないわけではないのに、書こうとすると筆が止まってしまうのです。 そんな状態でも私は、この心のありようを深く洞察することを避けてしまいました。そして、これは自分に執筆するだけの徳がないからだと考えたのです。 「私は自分の苦をなくすことばかりを考えて修行をし、利他業をして徳を積んでこなかった。そうだ執筆は徳を積んでからにしよう。そしてそのことを書かせて頂こう」と思いました。そして先生には、「書いてみたい」という本心から目を背け、執筆のお断りのメールを書きました。 先生から、返ってきた答えは、 「徳を積んだ自分の体験を書きたい。それは典型的な劣等感からくる自己承認欲求の現れです。自分の自慢話をするようなクサイ話を書きたいのですか?」という厳しくも的確な指摘でした。 この厳しい言葉を受けた時、ショックと同時に何故かスッと腑に落ちる感覚を覚えました。おそらくそのころの私は、力を込めて赦しと懺悔の瞑想をしていた結果、次第に周囲との関係が調和的になってきたため、心理学者マスローによる欲求階層説の、いわゆる社会的欲求が満たされつつある状況だったのだろうと思います。 そして次には、「何か価値あることをしたい!」「自分の達成した成果を認めてほしい!」という自己承認や自己実現の欲求が表出し、そこから、苦と向き合いながらもがいていた過去の自分は褒められるようなものではないし、もうあまり見せたくないという、どこか慢に通じるような心が生まれて執筆を中断してしまったのだと痛感しました。そして自分の心の中を冷静に見つめてみると、執筆するならこの修行の取り組みを価値あるものとして書きたいという自己顕示欲があること、また潜在意識ではそれに気づいていて、「それは違うだろう」という葛藤のようなものが生じており、心が揺らぎ続けていたのだと理解できました。(続く) |
(Y.U.さん提供) |
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今月号より、2006年5月号から連載されました比丘ボーディによる法話、「縁起」を再掲載いたします。今月はその第1回目です。 |
特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (4) |
本記事は「アビダンマッタサンガハ」の解説書“Comprehensive Manual of Abhidhamma”(Bikkhu Bodhi監修) を「アビダンマの解説と手引き」として翻訳されたもので、翻訳者各位のご厚意により本誌6月号より掲載しております。掲載にあたってのお知らせは6月号をご覧ください。 第12節 ソーバナ(道徳的に美しい)チッタ:59ないし91種類 イマーニ アッタ ピ サヘートゥカカーマーヴァチャラヴィパーカチッターニ ナーマ サンカーラ(駆り立てるもの)の有無による分類 |
マシュー・サイド著『失敗の科学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)(前) |
普通に生きている限り、私たちは誰だって失敗はしたくないだろう。でもこれまで一度も失敗した経験のない人というのも、おそらく誰もいない。ああしておけばこうしておけば、どうしてあんなことになったのか・・・!
本書はそれに応えようとする。人は組織はなぜ失敗するのか?その要因はどこになるのか?では対処法は?本書の核心は<失敗に学べ>と言うことだ。どんな事情、どんな心の働きが失敗を引き起こすのか。それらを頭の隅にでも入れておけば、気づきの訓練を重ねる上でもかなり役立つのではないかと思う。 ただ、本書にはおびただしいエピソードが含まれ、また分野的にもかなり広範に及んでいる。そこでエピソードを絞りつつ2回に分けて紹介することにしようと思う。 著者はイギリス『タイムズ』紙のジャーナリスト。卓球の元オリンピック選手で、巻末の謝辞には次のようにある。 「私は人生で何度も失敗をした。卓球をしていた頃はとくにそうだった。だから本書の主題は私自身にとっても大事な問題だ。執筆のきっかけは、成功を収めた人々や組織が持つある共通点に気づいたことだった」 はじめに各章を簡単に紹介する。 第1章は、失敗を未然に防ぐためのシステムの重要性と、それに対するクローズド・ループ現象という心の抵抗。 第2章は、失敗を認めようとしない認知的不協和という心の働き。 第3章は、データによるフィードバックの重要性と、データを取り方、正しい検証の仕方について。 第4章は、失敗から学ぶやり方一つとしての小さな改善の積み重ねについて。この章はむしろ第5章、第6章のあとの方が良いのではないかと思った。 第5章は、失敗に対する心の傾向としての単純化と犯人捜しのバイアスについて。 第6章は、失敗したときに現れる脳波の測定から、私たちには二つの傾向があることについて。 終章は、失敗を克服するための私たちが心得、対処すべき諸々の方策について。 第1章では、まず航空業界と医療業界の例をあげ、二つの業界の失敗に対する姿勢の違いを際立たせる。 航空業界では事故が起きると徹底的な原因の究明と対策に取り組み、その結果は圧倒的な安全記録の達成として現れてきた。例えば、2014年のジェット旅客機の事故率は100万フライトに0.23回にとどまり、「失敗から学ぶプロセスを最も重視していると言われるIATA加盟の航空会社に絞れば、830万フライトに1回」となっている。 しかし、医療業界では事情は大きく異なる。2013年に“Journal of Patient Safety”に掲載された論文によると、回避可能な医療過誤による死亡者数は年間40万人以上と算出されていると言う。このような事態に至った原因はどこにあるのか。先ずは医療プロセスの複雑さによるミスの可能性の大きさ、次に資金や人手の不足、そして医師は常にとっさの判断が迫られていること、これらが思い至るが、それより根本的な原因は組織文化そのものにあると著者は主張する。 それは、ミスの多くには一定のパターンが見られることから窺えるという。つまり、ミスすることはそもそも不名誉な事柄であり、そのため個人的にも社会的にも隠されやすいと言うことだ。そのため、ヒトや社会はあらかじめ言い訳や逃げ場を無意識のうちにも用意するとされる。その典型として著者があげるのはかつて行われていた瀉血法だ。それで患者が回復すれば「瀉血で治った」とし、もし死んでしまったならそれは「よほど重病だったに違いない」と。医者もそう信じ込んでいたために、当然ながら治療法についての検証もされなかった。 このような、失敗がそのままにされ進歩につながらない状態を「クローズド・ループ現象」と呼び(その反対は「オープン・ループ」と呼ばれる)、医療業界ではこれが起きやすいと言うのだ。医療には「完璧でないことは無能に等しい」という考え方があって、ミスはあくまで「偶発的な事故」「不測の事態」とされてきたからだ。それでも、この章で取り上げられた医療機関では次第に改善が見られるようになっているという。 一方、航空業界はどうか。事情は全く違う。先ずミスの報告は処罰されない。そして、調査のための強い権限を持つ独立の調査機関があり、失敗は「データの山」となって関係者すべてにとって「貴重な学習のチャンス」とも意識されている。しかも、調査結果を民事訴訟で証拠として採用することも法的に禁じられていることから、当事者もありのままを語りやすくなり、それも情報の開示性を高めている一因となっている。 ところで、ここで示された二つの事例の調査から、注目される共通性が浮き彫りになったと言う。それは第一に、機長と医師が極度の集中によって時間感覚を失ったため副操縦士や看護師長から発せられた情報を把握できなかったこと。第二に、再度の声かけをためらった副操縦士も看護師長も、有無を言わせぬ上下関係があるためにチームワークを働かせられなかった点である。ここで注目すべきとされるのは、調査によって判明したこれらの事実への対応である。なぜなら、それがユナイテッド航空173便の事故は航空業界の分岐点だと言われている理由だからだ。 ボイスレコーダーによると、「航空機関士は燃料不足の危険を察知して、何度も機長に問題を示唆し、状況が悪化するにつれて、燃料が切れ始めていることを直接的に言及している。(略)航空機関士の声のトーンが次第に緊張感を帯びていくのがわかった。状況が逼迫する中、機長に危険を気づかせようと切羽詰まっていく様が伝わってくる。しかし航空機関士は結局、上司である機長に対して強く出ることはできなかった」という。 つまり、問題は当事者の熱意や熟練度などではなく、人間の心理を考慮しないシステムにあったのだ。そのため航空業界は、慎重に検証しつつ、クルー間の効果的なコミュニケーションのためにただちに新たな訓練法を取り入れた。「最も効果を上げたアイデアは、さっそく世界中の航空機に導入された。こうした改革により、173便の事故をはじめとする1970年代の一連の惨事のあと、航空事故率は下がり始めた」のである。 さらにこの章には、失敗から学ぶことは最も「費用対効果」が良いことと、目の前に見えていないデータも含めたすべてのデータを考慮に入れなければならないことが強調される。また09年1月の有名なハドソン川着水の顛末についても、「失敗があったからこそ、成功が生まれたのである」と述べ、最後に、失敗を公にし、ミスの報告を一気に増やすことに成功したバージニア・メイソン病院の例をあげている。この病院は2013年には世界で最も安全な病院のひとつにあげられ、同年には、「優秀臨床安全賞」「優秀患者経験賞」を受賞している。 第2章はよく知られている認知的不協和が取り上げられる。この心理から離れない限り私たちが失敗から学ぶことは難しい。 最初に取りあげられているのが、検察がいかに自らの誤りを認めないかの実例である。レーガン政権下で司法長官を務めたエドウイン・ミースは、「実際問題として、無実の容疑者はいない。矛盾しているじゃないか。無実なら、そもそも容疑者にはならないのだから」と言ったというのだ。 “異なる2人のDNAが一致する確率はおよそ10億分の1”というDNA鑑定法が80年代後半に実用化された結果、2005年までに300人を超す受刑者の無罪が確定した。しかしこれは犯人の体液が保管されていたケースであり、DNAがない場合の冤罪はカウントされていない。それどころか、ここで例にあげられた容疑者は13年の服役を経た後にDNA鑑定で無実が証明されたが、その後釈放されるまでにはその後6年間も刑務所で過ごすようになったという。それはなぜか。 ここで著者は研究者による観察および実験例を三つ示す。 一つは、終末予言が外れた時のカルト信者集団の反応の観察だ。信者たちは教祖を詐欺師と認めず、「自分たちが預言を流布したからこそ神が世界を救ってくれた」と考え、「歓喜に酔いしれ」、集団を抜けるどころかさらに布教に出る者もいたという。人は多くの場合、自分の信念に反する事実を突き付けられると、信念を貫くために都合のいい解釈を紡ぎ出したり、忘れたふりをしたり無視したりする。 二つ目は、A、B二つのグループに分けた学生に、あるテーマについて客観的にはかなり退屈な討論会のテープ録音を聴かせる実験。 学生がその実験に参加する資格を得るためには一つの課題をクリアーする必要があり、Aグループにはストレスのかかるかなりハードな課題、Bグループには簡単なものが与えられる。そのあと討論会のテープを聞いての感想を聞くと、Bグループの学生は「つまらなかった」と「正直に」答え、Aグループの学生は刺激的で興味深かったと答えたという。ハードな課題を乗り越えてまでして聞いたテープが「つまらなかった」と言うのでは、自尊心が脅かされてしまうからだ。 三つ目は、どちらも筋金入りの死刑賛成派と反対派のグループに二つの研究報告書を読ませた実験。一つは死刑制度を支持するデータを集めたもので、もう一つは死刑反対の意見を裏付ける主張である。先入観を持たずに読むとどちらも説得力が感じられ、最後まで読めば両派は多少歩み寄るのではないかと思わせるものだったが、結果は正反対となった。双方とも自分の信念に当てはまるレポートを説得力があると賞賛し、反対側のレポートを穴だらけでお粗末と否定した。同じものを読んだのに両派の溝はますます深まり、どちらも自分の信念に都合のいい解釈を続けたという。 つまり、「人は自分の信念にしがみつけばつくほど、相反する事実を歪めてしまう」ということだ。先の実験に参加したAグループの学生は、種明かしをされて認知的不協和について詳しい説明を受けた後でも、討論会テープを気に入ったことと課題のハードさとは何の関係もないと懸命に訴えたという。 さらに始末が悪いのは無意識にする欺瞞である。ミスの隠蔽を一番うまくやり遂げるのは、意図的に隠そうとしている人たちではなく、むしろ「隠すものなど何もない」と信じている人たちで、無意識に自分自身をも欺いているうえにそれを自覚していない。 この例は、アメリカ国内の金融・経済分野の専門家23名が公開書簡でFRBの経済政策についての予測が大外れした時にとった反応である。もちろん予測の公開は勇気ある行動に違いない。しかし外れたとしても、それは本来なら自分たちの理論や仮説をより正していく良い機会であったはずなのだが、そうはならなかった。 取材に対して複数の専門家は、「公開書簡の内容はあの通り正しかった」「それらはすべて現実のものとなっている」と答え、「まだ現実化していないだけで、間もなくそうなる」というのもあった。つまり、当否にかかわらず信念は変わっておらず、予測は正しかったと思いたいのだ。これを称して<保身の罠>と言う。 さらにこの章では、認知的不協和は「外発的な動機付け(評価や賞罰などの外部要因)」によって起こるだけではなく、「内発的な動機づけ(バイアスなどの内部要因)」にもあること、またルイセンコの行動からイデオロギーが科学を殺すこと、記憶は「編集可能な」思い込みであることも述べている。 そしてこう言う。「認知的不協和は足跡を残さない。(略)決して誰かに無理強いされるわけではなく、すべては心の中で起こる。まさに、自分で自分を欺くプロセスだ。その欺瞞はときに悲劇的な結果をもたらす」と。 第3章には大きく二つのテーマがある。いずれも失敗に学ぶためのシステムで、一つは「累積淘汰(累積的選択)」と呼ばれる適応の積み重ね、二つ目は「ランダム化比較試験」である。 一つ目は「考えるな、間違えろ」として洗剤などを生産するユニリーバの例から始まる。噴射ノズルに目詰まりが起こり、粒子の大きさが一定に揃わないという問題を抱えていたこのメーカーは、当初、流体力学や高圧システムに詳しい一流の数学者チームに依頼して新たなノズルの開発を目指した。しかしそれは成功しなかった。 そこで今度は、著者に言わせると「ほとんど破れかぶれ」で自社の生物学チームに助けを求めたという。彼らは流体力学も「相転移」(例えば液体から固体や気体などに物質が変わること)も知らなかったけれど、ただ「成功と失敗の関係性」については深く理解していた。 彼らは先ず、ひとつずつわずかな変更を加えた目詰まりするノズルの複製を10個準備してテストした。つまりあえて「失敗」をしてみたのだ。すると、そのうちのひとつが小さな結果を出したという。今度はそれをモデルに少しずつ違う変更を加えた型を10種類作ってテスト。同じことを繰り返し、「45世代のモデルと、449回の失敗を経て、チームは『これだ!』というノズルにたどり着いた」が、それは、「どんな数学者も予測し得ない形をしていた」という。 これはまさに進化のプロセスに符合すると著者は言う。また自由市場にもこれが当てはまることを述べ、計画経済がなぜ破綻したか、そして、現実の複雑さを踏まえた上での経験的知識や発明は理論に先立つこと、また、そのためには質より量が重要であり、そこにおけるフィードバックがなにより大切なことを強調している。つまり、頭で考えたアイデアがどれほど秀逸でも、成功のためには実際の試行錯誤が欠かせないということだ。 二つ目のテーマ、「『物語』が人を欺く」では有名なティーンエイジャーによる犯罪防止のための「スケアード・ストレート」という刑務所訪問のプログラムが語られる。日本でもその様子が放映されているので紹介は省くが、その効果について世間における賞賛とは相容れない結果が出されている。つまり、「のちの厳密な検証によって、刑務所を訪問した子どもたちの再犯率は高くなることが明らかになった」と言うのだ。 なぜそのような結果が示されたのだろうか。 1979年3月には、「このドキュメンタリー番組は全米200都市で劇場公開され、(略)翌月にはアカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。スケアード・ストレート・プログラムはアメリカ全土で実施され、カナダ、イギリス、オーストラリア、ノルウェーもそれに続き」、そして、「プログラムの効果を示す統計データには目を見張るものがあった」し、世間には賞賛の嵐が吹き荒れたというのに。 実はこのプログラムには重要な検証法である「ランダム化比較試験」(注)が行われていなかったのだ。 ※注:ランダム化比較試験Randomized Controlled Trial(RTC)」とは、対象を、「介入群(治療群)」と「対照群」など、複数のグループにランダム分けて比較することで結果に及ぶ影響が少なくなると考えられている研究手法。(編集部) ランダム化比較試験が行われなければ、客観的な評価は望めないし、一度間違った判断を下すとそのままいつまでも主観的な評価を続けることになってしまう。ただ、この試験は万能の解決策ではない。なぜなら、「状況によっては実施が困難だったり、試験を行うこと自体が倫理に反するとみなされる場合もある」からである。このような注意点を念頭に置いた上で行われれば、ランダム化比較試験は綿密な検証を行う強力なツールとなる。 しかし残念なことに、検証を意識的にまた無意識的に拒んでいるクローズド・ループ現象は、この社会のどこでも起きている。「スケアード・ストレート・プログラムも、適切な検証がなければ、あと何十年、もしかすると何世紀も持てはやされ続けていたかもしれない」と言うのだ。 では、スケアード・プログラムの成果に対する評価にはどのような問題点があったのか。 1999年、このプログラムの20年後を捉えたドッキュメンタリーがアメリカ国内で放送され、そこには期待通りに見える大人になった17人の姿があった。「彼らのほとんどが、20年前にローウェイ州立刑務所で過ごした3時間が自分の人生を変えたと話して」いたし、参加した青少年の80~90%が更生したという統計も示されて、「これは従来の更生方法では成し得なかった、すばらしいサクセス・ストーリー」というナレーションもあった。 しかし、プログラムに本当に効果があるかどうかを知りたいと思ったラトガース大学法科大学院のジェームズ・フィンケナウア一教授は、1978年4月(オリジナル版放送の1か月後)に、統計データに誤認がないかどうかを明らかにするためにRCTによる検証に乗り出した。 まずプログラムに関わる既存データを徹底的に調査したところ、「80~90%の更生率」という数字プログラムに参加した子どもたちの親や後見人へのアンケートから得たものだったことがわかる。 アンケートの質問は次の4間。すべて「はい」か「いいえ」で答える形式で、コメント欄もあった。 ・刑務所を訪問したあと、お子さんの行動に目立った変化はありましたか? ・刑務所を訪問したあと、お子さんの行動に小さな変化はありましたか? ・お子さんにとって再訪問は必要だと思いますか? ・ご自身、またはお子さんのことで、私たちが援助できる点は何かありますか? 「目立った変化」「小さな変化」ではどのようにも解釈が可能だろう。 また、彼の調査によれば、ローウェイ州立刑務所を訪問した子どもたちの多くは非行少年でも非行予備軍でさえもなく、アンケートは訪問から数週間以内のケースが多く、行動の変化の判断に十分な期間があったとは言えなかった。加えて、統計はアンケートに回答のあった家の子どもたちだけのもので、答えのなかった家のものは含まれていない。これではとても正確な結果は把握出来ない。 なかで最も深刻なのは、プログラムを実施していなかった場合にどうだったかという反事実の検証がなかったことである。あるいは地域経済や学校の動向、その他別の要因という可能性が全く無いとは言えないということもある。 フィンケナウアーは、非行歴のある若者をランダムに介入群(プログラムに参加)と対照群(未参加)との二つのグループに分けて検証を行った。その結果は劇的だったという。プログラムに参加した子どもたちの再犯率は、参加しなかった子どもに比べて高いことが判明したのだ。 彼は、世間がプログラムの成功を確信したのは、厳しい現実を知った子どもたちが更生するという内容が感情に訴えるものだったからだろうと言う。しかし、非行や犯罪の要因はさまざまで、実態をとらえるのは簡単なことではないし、落ち着いて考えれば、「たった3時間の刑務所訪問でそんな問題を解決するのは無理な相談だとわかるはず」だとも。また、もちろん囚人たちは善意で参加したのだろうけれど、「しかしあの番組は彼らが思いもしない結果をもたらしました。子どもたちにとって、ああやって怒鳴り散らされた経験は、心に傷を残したようです。『怖くなんかなかった』と仲間や自分自身に証明するため、わざわざまた罪を犯した子どもも少なくありませんでした」と言っている。 しかしこの検証結果に対して、プログラム支持者たちは猛然と抗議を始め、さらには認知的不協和の典型で、以前にも増してプログラムの有効性に確信を持つようになったとまで反論した人もいる。1980年代に入ってもアメリカ各州で実施され、またイギリス、オーストラリア、ノルウェーへと広がっていった。 その一方で、アメリカ全土でのRCTによる検証で、「効果なし」「子どもたちの心を傷つけるケースが多い」という反証データも次々と提出されてきた。ただそれにもかかわらず、司法省が発行する公報で推賞されたり、1996年には、ローウェイ州立刑務所を訪問するオリジナル・プログラムの参加者が過去最高を記録したという記事がニューヨーク・タイムズに出たりした。 しかし2002年に、「キャンベル共同計画」が行った分析によってスケアード・プログラムには効果がなかったばかりか、逆に犯罪を助長した結果が出たという。これは、「検証実験に関する啓蒙活動を行う世界的な非営利組織で、RCTによるあらゆる検証データを収集し、メタ解析を含む系統的な分析を行って、その情報を公開している」もので、「物事の有効性を評価する上で、科学的な根拠に基づく決定的な判断基準と」なっている。この結果では、非行青少年の再犯率が28%も上昇したというデータも複数見られたそうである。そしてこれによる報告は次のように締めくくられる。 「この種のプログラムは、有害な影響を及ぼして再犯率を上昇させる可能性が高い。(中略)青少年をプログラムに参加させるより、何も実施しないほうが状況の改善につながったと思われる」 この章ではこの後、20年後のドキュメンタリー番組に出演して37歳で家庭的な父親と紹介されていたアンジエロが、刑務所訪問の4年後の1982年に19歳の女性を殺害していた事実を記している。また、すでに圧倒的な反証データが揃っていたにもかかわらず、スケアード・ストレート・プログラムを擁護し続けたドキュメンタリー制作者に厳しい批判を寄せている。(つづく) |
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