月刊サティ!

2021年8月号  Monthly sati!  August  2021


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク:『病気になったら・・』(1)
  ダンマ写真
  Web会だより:『心と向き合って -赦し、懺悔、そして慈悲の修行へ-』(2)
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
   特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (3)
  読んでみました: 内柳広司著『太平洋食堂』(小学館 2020年)

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  
  

   


                巻頭ダンマトーク『病気になったら・・』(1)
                          地橋秀雄
 

現在休止中ですが、かつては10日間の瞑想合宿を定期的に行なっていました。ある合宿の時に、一人の瞑想者の具合が悪くなり、病床に臥せてしまったことがありました。合宿が始まってから風邪を風邪を引いたり体調を崩した方は、それまでにも何人かいましたが、この方はかなり深刻でした。
  合宿前夜の23時にニューヨークから帰国し、時差ボケに過労が重なった最悪の状態で参加された男性の方でした。
  良い瞑想をするためには、事前に体調を整えて合宿入りするのが望ましいのですが、在家の悲しさ、直前までヘトヘトになって休暇の段取りをつけなければならないのが実情です。せっかくの瞑想合宿が始まったのに、最初の一日二日は頭の中で世俗の残響音が鳴り続けて妄想が氾濫、ダンマモードになかなか切り換わらない人も少なくありません。
  この瞑想者はそれどころではなく、身体レベルにまで無理が及んで、2日目の午後から発熱と嘔吐、頭痛、全身の倦怠感に襲われダウンしてしまいました。体調不良や風邪程度なら瞑想で治す方法があるのですが、この方は、そのような瞑想ができる状態ではなかったのです。そこで、飲料水以外に何も口にしない短期の断食を試みてもらったところ、予想にたがわず約48時間後にはほぼ完治し、瞑想修行を再開することができました。

*断食
  私は、50時間ほどの短期の断食なら年間40回も繰り返すような断食マニアだったので、その効能も危険性も心得ているつもりでした。のみならず、そんな道場主に倣って、多くの瞑想者が合宿最中に一日断食を試み、体の浄化をはかったものでした。その結果、断食の進行も、反応も、身体の個人差というものがどれほど大きいものか、期せずしてデータが集積されていきました。
  断食の最初から最後まで、何事もなく瞑想修行を続けながら終了する人もいれば、まる二日間寝てばかりで、まったく修行にならない人も実にさまざまなのです。しかしほぼ全ての人が、やらないよりは断食をやって良かったという感想を述べました。長期間の断食になるほど効能も危険度もいや増し、終了後の復食期に死亡する人さえいるのですが、短い断食ならどんな荒っぽい解き方をしても死ぬことはありません。
それでも、他人の身体には予想もつかない事態が起き得るので、この瞑想者には非常に神経を使い、消灯後、深い瞑想に入って痛切に回復を祈りもしました。ハラハラしながらも結果的には、断食のデトックス効果が見事に現れて、彼の体はきれいに浄化され、意識も冴え渡り、長らくの課題だったヴィパッサナーのサマーディ体験まで得られて合宿を終えることができました。

*病気に謝る瞑想
  病気が軽症だった場合には、まず慈悲の瞑想を試してみるとよいでしょう。
  慈悲のコンセプトを確認するだけでも、心身にもたらされた不調和が是正される可能性があります。どんな病気にも心理的要因があり、思い違い心得ちがい考え違いに気づいて、認識が改まるだけで身体症状に影響が及び始めるものです。これは私自身が何度も検証を重ねて確認してきたことです。そこで、合宿で風邪を引いた人や体調を崩した人には、まず慈悲の瞑想をやりなさいとその意義を念入りに説明します。
  もし身体が外界の環境と完全に調和して命の営みがなされているなら、人は基本的に健康であり、不具合が生じたり病むことはないのです。大自然の宇宙的現象の必然の流れで発生してきた生命は、本来的に自己完結しているはずだからです。
  しかるに実情はどうでしょうか。宇宙の摂理に反する諸々の愚行を繰り返していることに気づかず、暴飲暴食を重ね、自分自身を傷つける考え方や心理状態を放置していなかったでしょうか。病むのも健やかなのも、どのような事象にも生起する原因があり、具合が悪くなったからには必ずその病因があったはずです。
  だから、まず自分の体に謝りましょう。愚かにも自分で自分の体を傷つけ、負荷を与え続けてきた監督不行き届きを自分の体に謝るのです。細胞の一つひとつに対して申し訳なかった、苦しめてしまってゴメンナサイ、大変だったね、悪かったね、とお詫び申し上げるのです。このように自分自身に対して心から懺悔と慈悲の瞑想をして、さらに周囲の人にも、有縁無縁の全ての人々にも、慈愛のバイブレーションを及ぼしていくのです。
  一切の私語が禁じられた沈黙行に徹する瞑想合宿で一人病んでいる時に、このようなことを言われると大抵の方は心に沁みるものがあり、反省モードお詫びモードになります。そして懺悔モードから慈悲モードになって瞑想が深まっていくと、翌日には治りました!元気になりました!と目を輝かせて報告され、こちらが驚くほどでした。

*病の床でのサティ
  病床でのオーソドックスなサティの瞑想はどうやればよいのでしょうか。
  気づきのテクニックは基本的に変わりませんが、中心対象を定めない「六門開放型」が推奨されます。病を得れば気力・体力が衰えるので、注意を一方向へ注ぎ続けるのが難しくなるからです。心は基本的に散乱しやすく、一点集中にはエネルギーを要します。努力して集中力を高めていくサマーディよりも、受動性に徹するサティを重視した方がよい所以です。中心対象は設定せずに、とにかくサティが続けばよしとして、眼・耳・鼻・舌・身・意のどの門からの情報にも必ず気づきを伴わせていくのです。体が動けば必ず影も動くように、です。
  意識に触れたものは全て無差別平等にサティを入れる。
  たとえ気力も体力も落ち込んで集中する力が萎れてしまった時でも、なんとかこの仕事だけはやれるものです。例えば、「触れている(背中が)。触れている(ふくらはぎが)。聞いた(物音を)。痛み。不安。連想。(リタイアして帰ろうか)と思った。熱い(体が)。寝返り。当たった。重い(布団が)。ねじる。圧迫感・・・」といった具合です。
  病気になれば力んだり気負ったりするエネルギーも無くなるので、受け身に構えて淡々と観じきっていくサティが平素よりやりやすくなるかもしれません。弱々しいサティであっても<現象→サティ→現象→サティ→>の持続・維持だけに特化すれば、思いの外きれいにサティが続いていくものです。

*仮作された苦、真実の苦
  ここで最も重要なポイントは、気づきの矢印を生理的・肉体的実感のみに向けていくことです。事実から来るセンセーション(身体的実感)と、思考やイメージ、感情など心の想いがごちゃごちゃに投影された苦痛(心理的印象)との質的差異を感じ分け、見究めることがポイントです。すると、現実の感覚にダブって付随している心理的混乱や不安、恐怖などの妄想部分がきれいに分離され、識別され、剥がれ落ちて雲散霧消していきます。
  病気の苦(ドゥッカ)が超克できるか否かは、実にこの一点に懸かっています。
  肉体的苦痛をただ苦受のみに止めて、心理的・精神的な苦の要因を介入させないことが眼目であり核心です。悟りを開いた後に病を得た阿羅漢の聖者たちが、その病苦をどのように見送って凌いでいたのかもここから推察できるかもしれません。

*病という修行現場
  具合が悪くなれば、ヘラヘラ笑ったり、にやけている余裕はなくなり、誰でも真剣に病状と向き合わざるを得ないでしょう。身の随観をする絶好のチャンスです。身体が無常に変滅していくものであることを否応なく痛感させられ、なぜ体調を崩したかに思い当たる節があれば、身体現象の無常性のみならず因果性も検証することになるでしょう。
  それまで健やかでいられたのは、無量無数の幸運な条件に恵まれていただけであり、一瞬にして崩れ去っていくものでしかなかったことが思い知らされるのです。
  人を苦しめるのは、病の身体的苦痛ではなく、心の中で化け物のように膨れ上がっていく不安と恐怖の妄想です。どうしよう、どうしよう、と心配や怖れでパニックになれば、痛みが固定的な実体として存在し続け、永遠に、死ぬまで苦しみ抜くのではないか・・と妄想してしまうのが、巨大な脳を搭載した人間の宿命です。
  どんなに衰弱し、どれほど意識が朦朧としても、目覚めている限り、人の妄想は止まることがありません。「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」のです。
  それが人の心というものです。心は心の論理と法則によって、妄想は次の妄想を生み、心の反応パターンが叩き出す連想が必然の力で次の連想に繋がっていきます。
  だが、心得ておきましょう。ヴィパッサナー瞑想の真価が発揮されるのは、まさにこんな時にです。毎日、毎夜、たとえ時間は短くても、野生の暴れ馬のようにワイルドな心を制御し、調教し、浮かんでくるどんな妄想にもサティを入れ、淡々と見送っていく訓練を重ねてきたのではないですか。
  熱病も、激しい痛みも、胸苦しさや息苦しさも、苦痛の肉体的実感だけを純粋に知覚し、最強の痛点部分を確かめ、その一点に痛みが生起してくる一瞬と、滅し去る一瞬にサティを入れ、その痛覚の質や度合いが変滅していく過程を観察し、検証していくのです。
  その現場で本当に起きているのは、何なのでしょう。高熱や苦痛に喘ぐ『ワタシ』が本当に存在しているのでしょうか。それとも、苦痛の感覚を知覚する心と、その事実を認知するサティの心だけが、刹那刹那に生滅しているだけなのでしょうか・・・。(この項続く)




 今月のダンマ写真 ~
    
グリーンヒルから出家した比丘愛用のクーテイ

先生より

    Web会だより  

『心と向き合って -赦し、懺悔、そして慈悲の修行へ-』 (2)

                                                               匿名希望

(承前)
  実はこんなこともありました。赦しの瞑想を始めたころ、集中してやり終わった後に心は軽くなったのですが、何故か自分がとても無防備なってしまった感じで、心細いような怖いような気分になったことがあるのです。例えるなら、今まで憎い相手に対してこちらも敵愾心をもって刃(やいば)を手にして立ち向かっていたのに、急にそれを捨ててしまったような感覚です。相手を赦すのは良いけれど、それを機会に憎い相手が自分に攻撃をしかけてくるのではないか? 敵愾心や憎しみを捨ててしまって自分の身を本当に護れるのだろうか? そのような恐怖感でした。そんな気持ちになったのは初めてでしたが、それでも私はそのまま赦しと懺悔の瞑想は続けていきました。

変化

  変化が現れたのは、会社での人間現関係においてです。
  以前なら、これは絶対にムカムカしたり嫌っていたに違いない他者の行動を、反応せずに受け流し、手放すことができる頻度が増えてきました。ちょっとしたことに対して刃を向けて戦闘態勢に入っていた自分が、その刃を鞘に納めたまま自分と他者を観察できるようになってきたイメージです。それはまた、他者の行動に反応し、蒸し返して怒り続けるよりも、手放した方がはるかに自分にとって楽なのだという視座が新たにインストールされたような感じでした。
  もちろん、まだすべての状況でそうしたことが観察できるわけでなく、嫌悪や怒りが出てしまうこともありますし、また、「戦闘態勢にならなくて大丈夫かな?」という恐怖感や違和感も少しは残っています。ですが私は、こうした恐怖感を自覚することで、他者を赦す修行をする以前には「赦し」という鞘をもたずに怒りという刃をいつも手にして家族や職場の人たち、そして友人ともずっと接してきたのだなとわかり、ショックを受けました。
  また私はこれまで、この人は優しくて素敵だなと感じたり、また仲良くなりたいと思った時に、なぜか空回りしてしまってうまくコミュニケーションが取れなかったことが多くありました。なぜそうなったか。それは、特定の誰かに怒りの刃を向けながらそれを手にしたまま、それとは関係ない人とも接していたのだな、また、潜在意識のレベルでは向けるべきでない相手にも怒りの刃を向けてしまっていたのではないか、と気づきました。そのため、私が仲良くなりたいと思った人でも誰かを憎んで刃を握っている私に気づき、自ずと距離を置くようになってしまっていたのだと思い至りました。まだ完璧に刃を捨てるまでにはなっていないのですが、赦しの修行を実践することで怒りの刃を鞘に納めた状態で他者と接することもできるようになり、自分自身が楽になったと最近では実感しています。
  このように、憎んでいた特定の人に対して赦せるようになっていったことで、そうでない人とも接しやすくなり、また自分が楽になったのを実感できたことも、私がこの赦しの修行をもっと深めていきたいと思う強い動機になりました。
  でも、赦しの瞑想に取り組めば取り組むほど、今まであえて観ないようにしていた憎しみや嫌う心にサティが入ります。そのことからも、これは短期間で終わる修行ではなく、これからの人生を通して10年、20年と続けていかなければいけない修行だと痛感しています。

懺悔の瞑想
  赦しの次に私が取り組んだのは懺悔の瞑想でした。
  実は、その懺悔の瞑想と並んで心随観の瞑想をしている時に、不善心に鋭くヒットした気づきがあったのです。それは「自己欺瞞」という言葉でした。
  坐っているうちになんとも言えない重苦しい気持ちになり、サティを試しているうちにハッと衝撃を受けたのがこの言葉です。「自分は、自分を抑圧し偽っていた」こうはっきり理解しました。この言葉が出てきたのは、自分の思うところでは、懺悔、悔い改め系のキリスト教関連のウェブを読んでいたこと、そして朝カルで聞いた「アングリマーラ経」の法話の影響が大きいのではないかと考えています。
  ではなにをもっての「自己欺瞞」なのか、なぜその言葉がヒットしたのだろうか、です。それはおそらく、仏教から離れてしまって段々と心が汚れていき、煩悩を抑制しようとしないまま身口意で不善業をおかしたりしたこと、そしてまたそれから目を背けたり誤魔化したりしていた自分自身の在り方だったと思います。致命的に世の中の法に触れるような悪事を行ったわけではなくとも、再び瞑想を始めたことで、振り返って「あれは不善業だったよな」というような過去の行動が数多く思い出されてきました。
  当然ではありますが、仏教から離れていたころの私の人生は、緩(ゆる)やかに苦に満ちた方向に向かっていっていました。そのころには、実は頭ではこちらが悪いとわかっているのに、「あの時は周りがああいう態度をとったからだ」とか、「自分だけではなく外部の環境にも原因がある」と誤魔化していたのです。「自分は悪くないし汚れてもいない」「たとえ汚れていたとしても周りも一緒だし・・・」「自分よりもっと汚れている人もいるじゃないか」と。
  しかし仏縁を戻そうと決心し、朝カルを受講して仏教を学べば学ぶほど、本当は不善なカルマを作っている自分のせいで心が汚れていったために人生が苦しくなっていったのだと洞察され始めました。もちろん客観的な観方がきちんとできていたなら素直にそれを認めなければなりません。でもその時は、それでもなおエゴが抵抗して抑圧していました。
  ブッダに帰依したアングリマーラが改心し、未来へ向けて善を積んでいく法話が心に響いたのはその時でした。
  「愚かな自分を認めてしまおう。そして、悔い改めよう」「アングリマーラのように仏教に信を定めてからは、罪を犯していませんと言えるような人生に変えていきたい」と思うようになりました。
  また、「赦しよりも懺悔の瞑想のほうが大変なんですよ」という先生の言葉も自分を後押ししてくれました。それまでは、「自分が汚れるのは成育歴や環境のせいであって、それを赦さなきゃ」という考えにとらわれていた構造もわかってきました。 (続く)
       

沼底から花開く

Y.U.さん提供)
 






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ダンマの言葉

 「月刊サティ!」20063月号、4月号に、アチャン・リー・ダンマダーロ師による「みんなのダンマ」が掲載されました。これは、「パーリ戒経」中にある仏教徒が自らを善き人間に鍛える実戦の指針で、6つの項目に分けられています。今月は6回目です。

  六番目の指針adhicitte ca āyago (アディチッテ チャ アーヤゴ 心に関することどもにつとめはげむ)とは、自己満足になるな、ということです。adhicitte、すなわち「心を高める」よう、精進して禅定の実践をしなさい。しばしば禅定を実践し、仲間の人たちの手本となるよう所に触れて高い集中力の中で坐りなさい。
  話をするときは、瞑想の課題をいかに発展させるか、助言を求めなさい。禅定によって得られたことについて話し合いなさい。心から障害(*訳注)を取り除く訓練をしなさい。こうしたことを行えば、「心を高める」という原則に従っていることになります。
  「心を高める」ことのもう一つの段階は、心が障害から解放され、一切揺らぐことのない禅定に入った時です。それは堅固で頑丈、強固で、何物にも汚されません。これが「心に関することどもにつとめはげむ」こと、つまり「心を高めることへの誓い」です。ですから自己満足にならないでください。このように修行し続けてください。
  etam buddhāna-sāsanam. (エダン ブッダーナ サーサナン これがもろもろのブッダの教えである)とは、あなたがこのように行えばお釈迦さまの教えに沿っている、ということです。これらはお釈迦さまが実際におっしゃった言葉です。ですから私たちは皆、自分の中にこうした原則が生まれてくるように修行していかなければなりません。
  正直に誠実に、この教えを自らの中にしっかり確立するならば、たとえ苦しみから完全に心を解き放たれなかったとしても、少なくとも正しい方向に自分を尊いていることになります。日に日に悪い習慣はなくなり、代わりにこれまでなかったような善い習慣が生まれてくるでしょう。すでに持っている善い習慣はさらに育っていくでしょう。
  さあ、この話をみなさんお聞きなのですから、どうぞ実践してみてください。お釈迦さまの説法に則って行動するよう、自らを鍛えてください。そうすれば、その教えに沿って実践するにつれ、幸福と繁栄に出会うことでしょう。

*訳注:障害とは五蓋(感覚への欲望、瞋恚、惛沈睡眠、掉挙、疑)のことを言っていると思われる。

       

 今日の一言:選

(1)イジメも劣等感も受験も就職も恋愛も結婚も子育ても親の介護も闘病も死んでいくのも……大変なことだ。 
   だが、一度死んで生き返ったおまけの人生と考えれば、「一所懸命、淡々と」生きられないだろうか……

(2)六門から情報が入る。
  見た・聞いた・匂った・感じた……と知覚される。
  最初の連想が浮かび、次のイメージや思考が連鎖していく中で、ムカッと怒りのスイッチが入る。
  嫉妬や高慢や欲望に巻き込まれていく最初の引き金を引いたイメージがあり、一言がある。
  それにサティが入ると、その心の反応パターンが自覚される。 
  受容し、乗り超え、手放していく……

(3)人の心はやっぱり変わらないよ、三つ子の魂百まで……
  と、諦めた瞬間に出力される心が未来を作る。
  絶望した瞬間の心、断念した瞬間の心が業を形成し、「不可能」という結果がやがて実現されていく。
  決意したことは、いつの日か必ずそうなっていく、と心得る。
  人は、望んだとおり、なりたい者になっていく……


       

       特別掲載:『アビダンマの解説と手引き』 (3)

  本記事は「アビダンマッタサンガハ」の解説書“Comprehensive Manual of Abhidhamma”(Bikkhu Bodhi監修) を「アビダンマの解説と手引き」として翻訳されたもので、翻訳者各位のご厚意により本誌6月号より掲載しております。掲載にあたっての「お知らせ」は6月号をご覧ください。

      

アヘートゥカチッタ(チッタを安定させる根を持たないチッタ):18種類

 第8
  アクサラヴィパーカチッタ(不善業の結果として生じるチッタ):7種類
  (1)ウペッカーサハガタン チャックヴィンニャーナン;タター
  (2)ソータヴィンニャーナン;
  (3)ガーナヴィンニャーナン;
  (4)ジヴァーヴィンニャーナン;
  
(5)ドゥッカサハガタン カーヤヴィンニャーナン;
  (6)ウペッカーサハガタン サンパティッチャナチッタン;
  (7)ウペッカーサハガタン サンティーラナチッタン チャー ティ イマーニ
   サッタ ピ アクサラヴィパーカチッターニ ナーマ

  (1)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、眼のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(2)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、耳のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(3)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、鼻のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(4)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、舌のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(5)ドゥッカ(苦しみ)を伴う、身体のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(6)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、サンパティッチャナ(対象を受けとめる)チッタ、(7)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、この七つがアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタです。

 第8節へのガイド

  アヘートゥカチッタ(チッタを安定させる根を持たないチッタ):

  アヘートゥカはヘートゥ(チッタを安定させる根)が無いという意味の言葉です。ヘートゥ(チッタを安定させる根)という精神的要素が無い種類のチッタがこれに当てはまります。18種類あるこのクラスのチッタはローバ(欲)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理がわからず混乱した状態)という三つのアクサラ(不善業を作る)ヘートゥ(チッタを安定させる根)を含みません。そして、アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、アモーハ(正しい生き方を目指し、智慧がないため真理が分からず混乱した状態から離れること)という三つのクサラ(善業を作る)ヘートゥ(チッタを安定させる根)も含みません。アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、アモーハ(正しい生き方を目指し、智慧がないため真理が分からず混乱した状態から離れること)はクサラ(善業を作る)である場合もあれば、クサラ(善業を作る)でもアクサラ(不善業を作る)でもない場合もあります。ヘートゥ(チッタを安定させる根)はチッタの安定性を築く要素であり、ヘートゥ(チッタを安定させる根)を含まないチッタはそれを含むチッタよりも弱いとされています。18種類あるこのクラスのチッタは三つのグループに分かれます。アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタ、クサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)チッタ、キリヤ(機能だけの)チッタ、の三つです(表1.3.参照)。

  アクサラヴィパーカチッタ(不善業の結果として生じるチッタ):
  
  アヘートゥカチッタ(チッタを安定させる根を持たないチッタ)の最初のカテゴリーはアクサラカンマ(不善業)の結果として生じる七つのチッタからなります。この種のチッタは、それ自体はアクサラ(不善を作る)ではありません。カルマ(業)の観点からはアクサラ(不善業を作る)でもクサラ(善業を作る)でもありません(アビャーカタ)。ここではアクサラカンマ(不善業)の結果として生じたという意味でアクサラ(不善)という言葉を用いています。したがってアクサラ(不善)はチッタそのものではなくチッタが生じる元となったカンマの性質を示しています。

  チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識):

  アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じた)、クサラヴィパーカ(善業の結果として生じた)どちらのグループも、最初の五種類のヴィパーカチッタ(業の結果として生じるチッタ)は眼、耳、鼻、舌、身体に感覚を生じさせる物質(パサーダ)に基づくチッタです。これら10種類のチッタを合わせて、ドゥヴィパンチャヴィンニャーナ(五つのヴィンニャーナが二組)と呼ばれています。チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)はチャックパサーダ(眼の感覚)を基にして生じます。その機能は単に見ること、つまり視覚対象を直接かつ即座に認識することです。他のタイプのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)もそれぞれの感覚に基づいて生じ、その働きはそれぞれの感覚対象を認識すること、すなわち音を聞き、臭いを嗅ぎ、味を味わい、触れたものを感じ取ることです。アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じた)チッタの場合は、感覚対象は不快で望ましくないものとなります(アニッタ)。しかしながら、最初の四つの感覚器官については、感覚対象の印象が弱いため、随伴する感受はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)となります。しかし、アクサラヴィパーカカーヤヴィンニャーナン(不善業の結果として生じる、身体に感覚を感じたという意識)は身体という感覚器官に対する感覚対象の印象が強いため、ドゥッカ(身体の痛みという苦しみ)が伴います。

  サンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめるチッタ):

  たとえば眼に見える形など感覚対象が五つの感覚門のどれかに衝突すると、その感覚対象に意識を向けるチッタが生じます。直後に、その形を見ることで視覚が生まれます。この見るという行為は心の時間単位(チッタッカナ:一つのチッタが現れてから消えるまでの時間)一個分というごく短い時間しか続きません。その直後に今度は視覚によって見た対象を補足するないし受けとめるチッタが生じます。これがサンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめるチッタ)です。そしてこのチッタはチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)を作り出したのと同じ業の結果として生じます。

  サンティーラナチッタ(感覚対象を調べるチッタ):

  これはもう一つのアヘートゥカヴィパーカチッタ(チッタを安定させる根を持たず、業の結果として生じるチッタ)で、サンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめるチッタ)のすぐ後に生じます。その働きはチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)などのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)により認識され、サンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめるチッタ)により受けとめた感覚対象を調査、吟味することです。サンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめるチッタ)も、サンティーラナチッタ(感覚対象を調べるチッタ)もともに感覚器官にしか生じません。そしてどちらも過去のカンマ(業)の結果です。

  第9

  クサラアヘートゥカヴィパーカチッタ(チッタを安定させる根を持たず、善業の結果として生じるチッタ):8種類

  (8)ウペッカーサハガタン チャックヴィンニャーナン;タター
  (9)ソータヴィンニャーナン;
  (10)ガーナヴィンニャーナン;
  (11)ジヴァーヴィンニャーナン;
  (12)スカサハガタン カーヤヴィンニャーナン;
  (13)ウペッカーサハガタン サンパティッチャナチッタン;
  (14)ソーマナッササハガタン サンティーラナチッタン;
  (15)ウペッカーサハガタン サンティーラナチッタン: チャー ティ 

  イマーニ アッタ ピ クサラヴィパーカーヘートゥカチッターニ ナーマ

  (8)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、眼のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(9)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、耳のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(10)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、鼻のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(11)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、舌のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(12)スカ(身体の楽しみ)を伴う、身体のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、(13)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、対象を受けとめるチッタ、(14)ソーマナッサ(精神的な喜び)を伴う、対象を調べるチッタ、(15)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴う、対象を調べるチッタ、この八つがクサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)チッタです。

  第9節へのガイド

  クサラヴィパーカチッタ(善業の結果として生じるチッタ):このカテゴリーに入る8種類のチッタはクサラカンマ(善業)の結果です。第8節で説明したアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタの場合はアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)という言葉が名前に含まれていません。なぜなら、アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタはどれもヘートゥ(チッタを安定させる根)を伴わないからです。しかしながら後に示すように、クサラヴィパーカチッタ(善業の結果として生じるチッタ)の場合はヘートゥ(チッタを安定させる根)を伴う場合があります。例えばカルマ(業)の観点からはアクサラ(不善業を作る)でもクサラ(善業を作る)でもない(アビャーカタ)、ソーバナ(道徳的に美しい)ヘートゥ(チッタを安定させる根)を伴うことがあります。ヘートゥ(チッタを安定させる根)を伴わないクサラヴィパーカチッタ(善業の結果として生じるチッタ)とヘートゥ(チッタを安定させる根)を伴うクサラヴィパーカチッタ(善業の結果として生じるチッタ)とを区別するために名前にアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)とう言葉が入っています。

  八つのクサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)チッタのうち七つはアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタにも同じ名前のものがあります。しかし、アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタは望ましくない対象に関連して生じるのに対し、クサラヴィパーカ(善業の結果として生じるチッタ)は好ましい(イッタ)ないし極めて好ましい(アティイッタ)対象に関連して生じるという違いがあります。最初の四つはどちらのグループもウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴います。しかしクサラヴィパーカカーヤヴィンニャーナン(善業の結果として生じる、身体に感覚を感じたという意識)は身体という感覚器官に対する感覚対象の印象が強いため、スカ(身体の楽しみ)が伴います。

  アへートゥカクサラヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たず、善業の結果として生じる)チッタ二つのうちの一つであるソーマナッササハガタンサンティーラナチッタ(精神的な楽しさを伴う、対象を調べるチッタ)についてはアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)アクサラ(不善業を作る)チッタの中に、それに相当するものはありません。アクサラカンマ(不善業)の結果として生じるサンティーラナチッタ(対象を調べるチッタ)は常にウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴いますが、クサラカンマ(善業)の結果として生じるサンティーラナチッタ(対象を調べるチッタ)には2種類あります。そこそこに好ましい対象に関連して生じる場合はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)が伴い、とりわけ好ましい対象の場合はソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴います。したがってこのクラスのチッタ、クサラアヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たず、善業の結果として生じる)チッタは合計8種類となります。一方、前節で説明したアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタは7種類です。

  第10節 アヘートゥカキリヤチッタ(チッタを安定させる根を持たない、機能だけのチッタ):3種類


  (16)ウペッカーサハガタン パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナチッタン;タター
  (17)マノードゥヴァーラーヴァッジャナチッタン;
  (18)ソーマナッササハガタン ハスィトゥッパーダチッタン; チャー ティ 
  イマーニ ティーニ ピ アヘートゥカキリヤチッターニ ナーマ
  イッチェーヴァン サッバター ピ アッターラサーへートゥカチッターニ
  サマッターニ

  (16)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴い、パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)にアーヴァッジャナ(注意を向けること)するチッタ;

  (17)マノードゥヴァーラ(意門)にアーヴァッジャナ(注意を向けること)するチッタ;

  (18)ソーマナッサ(精神的な喜び)を伴う、ハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタ

10節へのガイド

  アヘートゥカキリヤ(チッタを安定させる根を持たない、機能だけの)チッタ:アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタに属する残りの3種類のチッタはカンマ(業)の結果ではなく、キリヤ(機能だけの)と呼ばれるカテゴリーに分類されます。この種のチッタはカンマ(業)の原因でも結果でもありません。キリヤ(機能だけの)というカテゴリーに属するチッタの中で、ここで述べる3種類はへートゥ(チッタを安定させる根)を持たず、この後で説明する残りの8種類はへートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます。

  パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ:外部の感覚対象が五つの感覚器官のどれかに衝突すると、その感覚対象に応じた「感じたという意識」が生じます。例えばある形を見たときにはチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)が生じます。しかし「感じたという意識」が生じる前にもう一つのチッタが現れます。それがパンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタです。その働きは、パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)のどれかに対象が現れた際にそれが何であれ意識をその感覚門に向ける(アーヴァッジャナ)ことです。このチッタは対象を見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触感を感じたりすることはありません。ただ、対象に意識を向けて、直後に「感じたという意識」が生じるのを可能にするだけです。

  マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(意門に注意を向ける)チッタ:この種のチッタは眼、耳、鼻、舌、身体という五つの感覚門における認識過程、意門での過程どちらにも生じますが、その働きは両者で異なります。五つの感覚門の場合はヴォッタパナ(対象を決定する)チッタと呼ばれ、意識によって認識された対象が何であるか決定し、定義するという働きをします。五つの感覚門における認識過程ではヴォッタパナ(対象を決定する)チッタはサンティーラナ(対象を調べる)チッタの後に続きます。サンティーラナ(対象を調べる)チッタが対象を調査した後に、ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタがそれを識別します。意門の認識過程、すなわち内部の思考機能を通して生じる認識過程の場合、同じチッタが別の働きをします。意門に現れた対象に注意を向ける働きです。この役割を担う場合はマノードゥヴァーラーヴァッジャナ(意門に注意を向ける)チッタという名前で呼ばれます。

  ハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタ:このチッタはアラハント(完全なる覚りを得て輪廻からの解脱を果たした者)にしか見られません。ブッダ達もパッチェカブッダ(ブッダと同じ覚りを得ながらそれを誰にも語らずに生涯を終える人)達もアラハントですのでこのチッタが生じます。カーマーヴァチャラ(感覚の喜びを追い求める意識の領域)においてアラハントに微笑をもたらすチッタです。アビダンマによればアラハントが微笑む場合は次の5種類のチッタのうちの一つを伴うとされています。ソーバナカーマーヴァチャラキリヤチッタ(感覚の喜びを追い求める意識の領域での、働きのみの、道徳的に美しいチッタ)4種類とここで説明しているハスィトゥッパーダチッタ(微笑を作り出すチッタ)の五つです。

11節 アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタのまとめ

  サッタークサラパーカーニ プンニャパーカーニ アッタダー 

  クリヤーチッターニ ティーニー ティ アッターラサ アヘートゥカー

  アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じるもの)七つ、クサラヴィパーカ(善業の結果として生じるもの)が八つ、クリヤー(機能だけのもの)が三つ、従ってアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たないもの)は18種類になります。

(続く)  


   読んでみました
柳広司著『太平洋食堂』(小学館、2020年)

  「『目の前で苦しんでいる人から目を背けることは、どうしてもできん』
  山と川と海に囲まれた紀州・新宮。この地に誰からも愛された男がいた――。大石誠之助(享年43)
  (略)1904(明治37)、紀州・新宮に西洋の王様がかぶる王冠のような看板を掲げた一軒の食堂が開店した。『太平洋食堂』と名付けられたその食堂の主人は、『ドクトル(毒取る)さん』と呼ばれ、地元の人たちから慕われていた医師・大石誠之助。アメリカやシンガポール、インドなどに留学した経験を持つ誠之助は、戦争と差別を嫌い、常に貧しき人の側に立って行動する人だった。やがて幸徳秋水、堺利彦、森近運平らと交流を深めた誠之助は、主義者として国家から監視されるようになっていく――
  このように主人公が紹介されている本書は小説にはちがいない。むろん登場人物の会話には作者の創作もあるだろう。しかし、徹底して読み込まれた膨大な資料が縦横に駆使されていて、その台詞に違和感を感じさせない。
  主人公の理想とする社会主義とは。権力とは。日露戦争とは。足尾鉱毒事件とは。そして大逆事件。本書は学校の教科書で扱われてきた事柄の根っこを掘り下げていく。中学時代に「60年安保」に遭遇した世代として、読み始めてすぐに中江兆民、幸徳秋水、堺利彦、管野須賀子、大杉栄らが実名で出てきたことに「オッ!」となった。また、与謝野鉄幹が主人公と接点があったとか、北原白秋、吉井勇、茅野蕭々、若山牧水、木下杢太郎、佐藤春夫、あるいは新聞で消息を伝える記事を見たことのある荒畑寒村など、一世紀以上前の歴史がとても身近に感じられた。
  ネットのレビューにも概要がかなり書かれているので、ここでは特に印象深かった点について紹介していきたいと思う。
  著者は最後に、「20181月、大石誠之助を名誉市民とすることを決議した新宮市議会に敬意を表します」と結んでいる。ちなみに、202012月、高円寺にある「座・高円寺」で、主人公をモデルにした創作劇「太平洋食堂」が上演されるとあった。(122日「毎日新聞朝刊」による)
  余計なことかも知れないが、著者は人名を中心として難読の語にルビを振っている。なかでも「他人事」に(ひとごと)と振られていて大変好感を持てた。おそらく日常でも、「ガッツリ」などとは決して言わないものと勝手に想像している。
  先ず日露戦争について。著者は「日露戦争はもともと、日本国民の多くが望んで始めた戦争であった。日本政府は懸命に国民をなだめようとしたが、結局押し切られて戦争に突入した――少なくとも当時日本に滞在していた外国人たちはそう見ていたようだ」として、ドイツの医学者、エルウイン・フォン・ベルツの日記を紹介している。本稿では「岩波文庫版」から引用する。
  <新聞紙や政論家の主張に任せていたら、日本はとくの昔に宣戦を布告せざるをえなかったはずだ。だが幸い、傑出した桂内閣の下にあってすこぶる冷静である。政府は日本が海陸共に勝った場合ですら、得るところはほとんど失うところに等しいことを見抜いているようだ>(明治36915日)
  <日本の新聞の態度もまた厳罰に値するものといわねばならない。(略)交渉の時期は過ぎ去った、すべからく武器に物を言わすべし――と。しかしながら、勝ち戦であってさえその半面に、いかに困難な結果を伴うことがあるかの点には、一言も触れようとしない>(明治36925日)
  桂内閣が傑出していたかどうかは別として、やむなく戦いに踏み切ったというのは事実らしい。当時、国内で戦争反対を唱え続けたのは、一部のキリスト教徒と社会主義者だけだった。著者は誠之助が、「戦争が嫌いであったから社会主義者を名乗るようになった」のではないかと推測しているが、おそらくその背景には、アメリカに5年半、インドに医学のための1年有余の留学経験があるのではないかと思う。なにせ、日露戦争のまっただ中に“平和の海”を冠した「太平洋食堂」を開いたのだから。
  本書にはないが、日本の戦力が尽きかけていることを知る児玉源太郎が、奉天会戦ののちに内地へ帰り、伊藤博文や山本権兵衛らとともに政府を早期の講和へと導いたことは有名である。
  次は江戸時代のイメージについて。著者は徳川政権下の「封建的身分制度」を徹底的に批判する。
  著者は秀吉を例に上げ、「史書を播けば、室町末から江戸初期にかけて、この国の人々はむしろきわめて自由に職業や居留地を選んで生活していたことがわかる」としつつ、「武士階級などというものは、かつてこの国に存在しなかった」と言う。しかし、世が乱れて、「一部の農民が武装し、もしくは武装した他所者を雇うという事態」となったが、「戦国の世が終わり、世が平らかになると、武士(用心棒)の存在意義は失われ」、「『封建的身分制度』という、それまでありもしなかった物語をでっちあげた」としている。「『農民より武士の方が身分が上』などというのはそれまで誰も聞いたことがない話だった」と。
  たしかに、著者の述べるような現実はあったと思う。しかし、「『士』が一番、『農』が二番というような単純な話では」なく、江戸時代も後期になると「金上侍(かねあげざむらい)」という言葉が登場するように、武士の身分をお金で売る藩まで登場した」し、「困窮して身分を売った武士」や、「先祖代々の武家を廃業して越後屋を創業することで成功した人物もいる」。また、移動の自由は制限されていながらも、「中期以降は庶民の旅ブームが起こ」っていて、中でもお伊勢参りは人気で、「『伊勢講』という旅費の積み立て組織には1777年で440万人が加盟していた」という。
  だが一方で、18世紀の天明の大飢饉では全国的に100万人以上の人口減少を招いたとされ、「1783年秋から翌年春までに、弘前藩だけで10万人以上、八戸藩でも約3万人が飢饉の影響で命を落としたという」。
  また、「1721年に3128万人だった人口は、1822年になっても3191万人」と人口増加はストップし、その原因を「歴史人口学者の鬼頭宏は、都市が『人口調整装置』の『蟻地獄』であったと説明」しているが、それは、土地を増やせず長男にしか家を継がせられない農村から若者が出てきた都市が危険な場所であったことを意味しているという。つまり治安の面でもそうだし、定期的に流行した感染症によって身体を壊して命を落としたり、「都市へ方向に出た若者のうち、実に4割が方向の終わる前に死んでいたというデータもある」そうだ。(注)

  注:「『士』が一番」から「データもある」までは古市憲寿『絶対に挫折しない日本史』(新潮社)を参考にした。
  享保元年(1716)夏には江戸で熱病が大流行し1か月で8万人を超える死者、安政5年(1858)のコロリ(コレラのこと)の流行では江戸だけで3万人以上(人口比3%以上)が亡くなった。(以上今井秀和他『安政コロリ流行記』現代書館より)
  また他にも、
安政2年(1855)の大地震では70001万人(圧死者10万との説も)が、さらに明暦3年(1657)の大火では10万人以上、明和9年(1772)では15000人、文化3年(1806)の大火では1200人の死者が出たとされている。

  明治政府がことさら前の時代を暗黒の時代と貶めるような政策(廃仏毀釈など)を採ったこともあり、現在では二百数十年という長期にわたる平和、そして文化の成熟を評価する見解も多く出されている。しかしものごとには幾多の側面があるのが現実であり、いずれもたしかな裏付けが必要だろう。その点、戦後にある人物によって思いつかれた「江戸しぐさ」なる事実無根のフィクションが数年前にまことしやかに喧伝され、今でも一部によって信奉されているのは実に無責任な話と言わざるを得ない。
   たしかに宗教に関しても、一向一揆に代表される民衆の反乱を未然に防ぐため、新宗派の設立を認めないかわりに「寺請制度」を設けるという、アメとムチの政策によって安定がはかられた。身分だけではなく、住む場所も移動や移住を許されなかったし、それは武士であっても同様であった。平賀源内も他の藩には仕えないという条件で浪人を許されたそうだ。(なだいなだ『江戸狂歌』岩波書店より)
  つまり、「生まれた土地で死ぬこと」を義務づけられた人々が、その閉塞性を当たり前と思い込まされた時に統治体制は完成し、そのシステムは「相互監視」と「差別意識」の二つをもととし、人間存在への軽蔑を基礎とした唾棄すべき統治概念であったと著者は言う。

  政権が明治政府に交替した時点でこうした虚構は一掃すべきものとなり、天皇を戴いての「四民平等」が謳われた・・・はずだった。しかし、長く人々の意識下に刷り込まれた感覚は一朝一夕に拭い去られるものではない。庶民にとっては「殿様」が「陛下」に変わっただけで、「お上が存在しない社会」や「差別の廃止」など思いもよらなかった。私は明治11年生まれの祖母が「お上」という言葉を普通に使っていたことを思い出す。
  明治6年に起きた新政反対一揆の美作東北条郡32箇村の要求の中には、「五ヵ年貢米免除」「断髪従前通り」「徴兵廃止」「穢多従前通り」「屠牛の廃止」「田畑への桑草木の植え付け廃止」、そして「御政治向き、旧幕府に立ち戻り」があったという。(藤野裕子『民衆暴力』中公新書より)
  しかし、明治初期にアメリカに渡った者たちは、そこに<王が存在しない社会>があることを目のあたりにする。アメリカに滞在していたころ誠之助が携えていた手帳には、「・・・このくにには日本の旦那衆の如く横柄な者はなく、また日本の奉公人の如く不自由な者はいない」「王(支配者)なしでもこの社会はやっていける。それも、結構楽しくやっていける」といった覚え書きが残されているそうだ。
  次は社会主義について。
  著者はここで、明治40年の日刊『平民新聞』の「予は如何にして社会主義者となりし乎」という題に寄せられた回答のいくつかを紹介する。そして、「当時の人々の社会主義への理解がかいま見られて興味ぶかい」としているが、「かれらの文章を読み、話を聞くかぎりでは、何をもって社会主義とするのか、いよいよもってわからなくなる感じである」とも言っている。
  ただ注意すべきは、この時代、「民主主義」という言葉は国民主権を意味し、それは君主主権を否定する危険思想として取り締まりの対象だったことだ。吉野作造が「デモクラシー」の訳語として提唱した「民本主義」でさえ言葉狩りの対象となっていたという。つまり、当時は「社会主義」の方が「民主主義」より許容されていたので、著者は、「現在なら民主主義に含まれるべき概念も社会主義の名の下に表明されていて、混乱を招いたのは否めない」としている。
  ちなみに、中江兆民は発布された明治憲法全文に目を通した後、「ただ苦笑するのみ」であったという。社会契約論の紹介者である彼の目には、「国民を『天皇の臣民』と位置づけ、人権は天賦ではなく君主(天皇)から下賜されたもので、君主の意向で自由に制限することができる、と定めた憲法など、“失笑もの”以外の何物でもなかったのだろう」と著者は付言している。
  大石誠之助の場合は、幸徳秋水らと同様に、極端な貧富と格差の問題を少数の資本家(金持ち)と多数の労働者(貧乏人)の利益対立の構図で捉え、その上で階級闘争を支持している。なぜなら、目の前の飢えたる母子を救うにはそれが唯一の方法だと考えたからである。
  その結果誠之助は、「我々が社会改革のために階級闘争の手段を採るのは、やむを得ぬ次第である。我々はこの目的を達するまでは、博愛とか公共の利益とかいうようなことを、しばらく言葉の上に預けておき、貧乏人の利益のために金持ちの利益を犠牲にする民主政治というものを要求するものである」と宣言する。
  さらに彼は、「闘争などと言えばたちまちにして眉を寄せ、社会改良の方策としてそんな乱暴な策を用いる必要が本当にあるのか?温和な手段を用いて富者の義務心に呼びかけ、彼らを説得する方がよいのではないか、と言い出す人が必ず出てくる」と冷静に現状を分析し、その上でなお、「――けれども、それは駄目である」「――到底不可能である」と断言、「もし金持ちの心に爪の垢ほどの義務心でも起こり得るものとせば、彼らがまず自分から金持ちであることを辞めるのが第一の義務であろう。それができるならひとしおのお慰みであるが、我々の方ではそんなことを望むのは、あたかも盗まれた人が泥棒に対してお情けを願うようなものである。宗教的説教としてはやってみるのもよいが、政治的運動としては全然無意味な話で、まず当てにせずに待っているより外はない」と、明快に主張している。
  さらには、「――我々社会主義者が(無政府主義者の如き)暴力的手段を採らぬは、畢竟現社会の状況に照らし見て、それが得策と思うがゆえのみ。場合によっては実力行使も辞さない。少なくとも、その覚悟を示さなければ金持ち連中が既得権益を手放すはずがない。社会改革などできるわけがない」と。
  著者はこれを、「当時の社会を鑑みたリアリストとしての認識」であると評価している。
  また当時世間で、元帝国大学総長加藤弘之が学士院に提出した『吾国体と基督教』なる論文をきっかけに、国体をめぐる問題がとりざたされていたと言う。加藤弘之はこの論文で、日本の国体は「全く世界万国に絶えてない所の無比のものである」と主張したが、それに対して誠之助はあっさりと、「我が国体は世界中ほかに類がないから貴いとか、一番長く続いているから有り難いというような説を立てる者があるが、(略)そもそも過去や歴史を鼻にかける、広告するというのは、自信がない者がすることだ」と一蹴している。自国の文化に誇りを持つのは良いが、そもそもそれはお互い様だろう。日本礼賛の本やテレビが近頃やたらに目につくのは、むしろこちら側の問題を明らかにしているようにさえ感じられる。
  また本書では足尾銅山事件に一章をあてている。しかしここでは、後世に「亡国演鋭」として名を留める明治33217日の田中正造の帝国議会での演説の要点のみを紹介する。
  「民を殺すは、即ち国家を殺すことである。法を蔑ろにするのは、即ち国家を蔑ろにすることである。これらは皆、国を毀つ所業である。然るにいま、政府は財用を濫り、民を殺し、法を乱して事件に当たる。而して国の亡びざるなし。政府、これを如何とするかお答え頂き度く。右質問に及び候」
  「政府回答は、『質問の趣旨、その要領を得ず。以て答弁せず。 内閣総理大臣 山県有朋』と、文字どおり“木で鼻をくくった”ものであった」ため、田中正造は議員を辞職、天皇への直訴を試みることになった。
  さらに本書は幸徳秋水が訳したクロポトキンの『麺麹(パン)の略取』(発刊同時に発禁となった)を扱い、それをもとに、アナーキズムを次のように纏めている。
  「アナーキズムは日本語では一般に『無政府主義』と訳され、これが誤解のもととなっているが、本来は、国家という中央集権的な権力の枠組みにとらわれることなく、労働運動や婦人運動などの自律的な活動を通じて“世界市民相互の連帯可能性”を模索する政治思想だ。アナーキズムにおいて、暴力革命は必然ではない。アナーキストが暴力革命を支持するのは、あくまで暴力装置(軍や警察)を独占する強大な国家に対抗する手段としてだ。より有効な手段が他にある場合は、それを用いるべきである――」
  この『麺麹の略取』に関して著者は、幸徳秋水に次のように言わしめる。
  「政府の迫害を恐れて、有益な知識を世に広めることができない。そんな社会が、はたして文明国といえるでしょうか?私は、この国がだんだん野蛮に帰っていくようで、ときどき怖い気がします」
  当時は演説会での「弁士中止!」がまかり通る時代であったのだ。
  また、明治41年に発生した赤旗事件について、著者は原敬の日記から、「赤旗事件発生直後、山県有朋が『社会主義者取り締まりの不完全な旨』を天皇に上奏した」と記され、(略)「『山県の陰険は実に甚だしと云うべし』と、日記中、他に類を見ない激しい表現で山県有朋を非難して」おり、「さらに、『徳大寺(侍従長)も山県の処置を非難するの語気あり』と、山県の動きを不快かつ不自然に感じているのは自分だけではない、とわざわざ証言している」ことから、「原が、――この事件は何かいやな感じがする。と後世に伝えようとしたのは明らかである」と記している。
  ところで、山県は大正112183歳で亡くなり、9日には国葬が営まれたが、弔意を示す国民はほとんどいなかったという。東京日日新聞は、110日に亡くなった大隈重信の葬儀(国民葬)と比べ、「大隈候は国民葬。きのうふは〈民〉抜きの〈国葬〉で幄舎の中はガランドウの寂しさ」と報じている。
  また、当時東洋経済新報社の記者だった石橋湛山は、「先日大隈侯逝去の場合にも述べた如く世の中は新陳代謝だ。急激にはあらず、しかも絶えざる、停滞せざる新陳代謝があって、初めて社会は健全な発展をする。人は適当の時期に去り行くのも、また一の意義ある社会奉仕でなければならぬ」とし、山県が政治的に最後まで大きな力を振るったのは、「国家を憂うる至誠の結果」であり、「宮中某重大事件と称せらるるものの如きも、公は全く皇室を思い、国を思いてしたことと確信する」としつつも、「しかしいかに至誠から出で、いかに考えは正しくも、一人の者が、久しきにわたって絶大の権力を占むれは、弊害が起こる」と記している。(大正11211日『小評論』のコラム、『石橋湛山評論集』岩波文庫)
  ただ、嫌われ方にも信念が感じられるとの評価も最近ではあるようだ(筆者)。

  そして最後は捏造された「大逆事件」。
  明治の刑法には、本来誰にもわかるはずのない「未来」についての条文があった。それは次の文言である。
  第七十三条:天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、又は皇太孫に対し危害を加え又は加えんとしたる者は死刑に処す。
  刑法とは本来過去形のはず。本憲法でも他の条には、「人を殺したる者は死刑または無期、もしくは三年以上の懲役に処す」とあり、また、「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、又は皇太孫に対し不敬の行為ありたる者は三月以上五年以下の懲役に処す」となっており、もちろん過去形である。
  著者は言う。「片言隻句をとらえて『あの時お前はこう思っただろう。そうにちがいない』と決めつけるのは、小説家の仕事であって、法律家のなすところではない」し、「歴史を振り返ればわかるように、不完全であいまいな法律(言葉)はしばしば恐るべき厄災を人類にもたらし」「その厄災が誠之助の身に」降りかかったのだと。
  そしてこう述べる。「この事件における主人公は人ではなく、条文そのものであった。どんな危険な言葉(条文)も発動されるまでは何でもない。白い紙に印刷された単なる黒い染みだ。だが、恣意的窓意的な運用が可能な法律条文刑法第七十三条という“怪物”がひとたび目を覚ますと、事件関係者の理性を食らい、暴れまわり、世界をなぎ払い、打ち壊して別のものに変えてしまうまで決して静めることができない。
  すべてが終わった後、事件に関係した者たちは、なぜこんなことになったのかと呆然とすることになる。 曖昧な法律条文(言葉)がもつ恐ろしさを、私たちは正確に知るべきだ」と。
  本書をはじめ、その時代を描写するさまざまな著作物を読むと、近代化を目指した明治政府の功罪や以降の歴史にはいろいろな見方、受け止め方が出来ることが知られる。ただ少なくとも、なにごとによらず広い視野を持つことが肝要であり、「衆人皆酔へり」(平賀源内)というような状況、歴史観に染め上げられる社会になってはならないと思わされた。(雅)

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