月刊サティ!

2021年3/4合併号  Monthly sati!  Mar./Apr. 2021


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク『死が輝かせる人生』 (6)
  ダンマ写真
  Web会だより:『仏教聖地巡礼 インド・ネパール七大聖地の仏跡巡り』(5)
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
  読んでみました:佐藤由美子『戦争の歌がきこえる』

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  


  
 お知らせ :2021年2月号は休刊とさせていただきました。  
  

     

   巻頭ダンマトーク『死が輝かせる人生』()  -死後の生の検証-
  輪廻転生は原始仏教の最重要テーマですが、その是非を科学的に証明することは難しく、事実をありのままに観るヴィパッサナー瞑想の根幹にも関わってきます。ブッダの悟りとは、果てしなく繰り返される輪廻転生から解脱することであり、ヴィパッサナー瞑想はその唯一の方法論として提示されたものでした。(大念住経)
  死後の世界や輪廻が存在しなければ、原始仏教もヴィパッサナー瞑想も根柢から崩れ去ってしまうので、「人生を輝かせる死」に直結するこの問題を考えてみましょう。

*死ぬ瞬間から、死後の世界へ・・
  死後の世界や輪廻転生などまったく信じていなかったロスが、なぜ実在することを確信するようになったのでしょうか。当時の医学界では、命を救うことしか教えられていない医者の側に、死にゆく者の苦しみを救おうとする発想もノウハウもありませんでした。死が定まった患者は、医者から真実を告げられずに死の恐怖と絶望に苦しみながら見捨てられたも同然だったのです。
  苦しむ人を救わずにはいられないロスは、現実をありのままに観察するリアリストでもありました。死が迫った患者に寄り添い、その声に耳を傾け、思いやりと慰めの言葉をかけ、やがてそれは「死の受容の5段階モデル」に結実します。
  「カルナー()」の精神がロスを死にゆく患者に寄り添わせ、事実をありのままに観るリアリストの精神が膨大な死の事例を集積させ、科学する精神が個別性・具体性の中に一貫する法則性を抽出したと言うこともできるでしょう。
  こうした業績によって、ロスは終末期医療を確立した死の看取りの達人として名を残すこともできたでしょう。しかし宿命に導かれるように、ロスは死んだ後の世界の真実を極める方向に歩を進めます。

*開かれた霊能
  きっかけは、ロス自身に霊視する能力が開けてきたからでした。
  ある日、エレベーターの前で同僚の牧師に語りかけた瞬間、10ヶ月前に亡くなったS夫人が現れ、ロスは凍りつきます。牧師には見えないのに、ロスには半透明のS夫人の姿が見えたのです。霊的存在なのか、幻覚なのか、「S夫人」はロスの研究室のドアを自分の手で開けると、病院を辞めないで死のセミナーを続けてほしいと懇願します。
  精神科医のロスは、ヴィパッサナー瞑想者と同じ方法で幻覚なのか現実なのかを確認します。瞑想中に集中が高まって、ニミッタと呼ばれるさまざまなヴィジョンが見えることがあります。そんな時の対策は、意識的に外界の音を聞いたり、目を開いて「見た」とサティを入れて現実感覚を取り戻すことです。
  同じようにロスも、机や椅子などに触れて現実であることを確認します。さらに、「S夫人」の肌が冷たいのか温かいのか触ってみたり、科学的証拠として、紙とペンを渡して伝言を書き残すように言いました。すると、S夫人は微笑みながら紙を取り、ペンを走らせ「これでご満足いただけましたか?・・・ロス先生、(セミナーの継続は)約束ですよ」と念を押し、「分かったわ、約束する」とロスが答えると消えていったのです。

*霊的存在の証拠
  こうしてロスは、科学の検証が難しい霊的な世界に足を踏み入れていきますが、物理的な現実を優先する科学者としての姿勢は一貫しています。S夫人の手書きメモは物的証拠として残り、別のケースでは霊的存在の写真を撮影したこともありました。
  「もし(ロスの)守護霊がいるなら、次の写真に姿を現して・・・」と念じてシャッターを切ると、背が高く筋肉質で、ストイックな顔をした先住民の男が腕を組み、真っすぐにカメラを見つめている姿が撮影されていました。やはり本当なんだ、とロスは狂喜し、この写真はロスの宝物になりました。しかし後年、ロスの自宅が放火らしき原因で全焼した際にあらゆる研究資料と共にこの写真も灰燼に帰してしまいます。
  合成写真もフェイク動画も巧妙に捏造できる現代では、物的証拠も疑わなくてはなりません。まして本人の証言しか証拠がない場合には、その人格や人間性や正直さを信頼するしかありません。ロスのように信頼に足る人格だからこそ、彼女の言葉を基にして考察を続けることができるのです。

*輪廻転生はあるのか?
  ロスの意志とは関係なく、突然襲いかかった霊的体験によって、ロスの人生の流れは変わります。スピリチュアルな世界に傾倒したことで、愛する夫も名声も研究の拠点だった自宅も失っていきますが、真実を追求する精神が何よりも勝っていました。
  どのような事象にも生起してくる原因があり、変化するのも滅していくのも、いかんともしがたい必然の力によって、そうなるべくしてなっていくのです。自由意志で新たな方向を選ぶことも多少はできますが、どんな人も過去に組み込んだ業の集積エネルギーが押しやる力に逆らうことはできないのです。
  この世に誕生した瞬間の健康も、美醜も、貧富も、賢愚も、親の愛も虐待も、あまりにも違い過ぎる千差万別は、当人が過去世に組み込んだ業の結果であり、仏教ではこれを「宿業」と言います。過去世が存在するからこその宿業であり、輪廻転生が大前提になっているのは言うまでもありません。
  仏教では、全ての生きとし生けるものは死後、六つの領域のどこかに転生するのを繰り返しており「六道輪廻」と呼ばれています。原始仏教の悟りとは、この果てしない輪廻の流れから解脱することなので、もし輪廻が否定され、過去世も宿業も存在しないことになれば、仏教は成り立たなくなります。輪廻を惹き起こすカルマも因果論も崩れ、輪廻が妄想なら、その輪廻からの解脱も寝言・戯言になるでしょう。妄想を離れよ、物事をあるがままに観よ、と悟りの修行システムを説いたブッダ自身が、実在しない輪廻の妄想に捉われていた馬鹿者だったことになり、そんなブッダを信じて修行してきた私たちは大馬鹿者ということになり、全てが総崩れになってしまいます。
  果たして、輪廻転生はあるのか、死んだらどうなるのか、死後の真実はどうなのかを考えていきましょう。

*霊的存在の検証
  10ヶ月前に亡くなったS夫人は、どこかに転生し霊的存在としてロスの前に現れたのでしょうか。ドアを開けたり紙に字を書き残したからには、S夫人はニュートリノなどの素粒子よりは粗大な物質で構成された生類なのでしょう。写真フィルムに姿が撮影されたロスの「守護霊」も、光を反射して感光させるだけの微細な物質が存在していた証しと言えるかもしれません。少なくともロスの妄想や勘違いではなく、現実の外界に何ものかがいたようです。
  通常これは「幽霊」と呼ばれ、命の流れが死後に引き継がれたスピリチュアルな存在ということになりますが、仏教では死後の輪廻転生は6つの領域に分類されています。下から、地獄・餓鬼・畜生・人間・修羅・天(神霊)の六道輪廻です。動物と人間以外の生類はほとんどの人には知覚されないし、幽霊を視認できる人も少ないでしょう。
  人間のセンサーで知覚できるのは、音なら20ヘルツ~20,000ヘルツが可聴範囲なので、犬笛もコウモリやイルカの超音波も人間には認識されず「存在しない」のと同じです。また、人間が知覚できる視覚は赤外線と紫外線の間に限定され、昆虫には見える4番目の原色も人間には見えず、三原色しか存在しないことになります。知覚できなければ、存在しないことになり、無いものとして扱われるのが通例です
  科学は、誰が検証しても同じ結果が確認されるので法則性として成立するものです。稀に、五感のセンサーが突出して敏感な「超感覚的知覚」(ESP)や神通力の持主がいて、ブッダやモッガラーナ(目連)がその達人だったと伝えられていますが、常人とは共有されないので科学の対象にはなりません。
  「霊視」など霊的存在の知覚も特殊ケースなので、自然科学を拠りどころにした立場からは幻覚と見なされがちです。現に、統合失調症患者の語る幻覚と霊能者が語る霊的世界は、物的証拠や客観証拠が出しづらく識別が難しいでしょう。S夫人を霊視したロスの最初の反応は、自分も幻覚を見る患者の側になってしまったかという疑念でした。
  万人の共通感覚と厳密な物的証拠で客観性を保証する科学の精神は、事実無根の宗教的妄想で苦しむ暗黒時代から人類を解放してきました。しかし物質のレベルに還元されないものは、存在していても無いことにされてしまう危うさもはらんでいます。
  大気圏外のハッブル宇宙望遠鏡や電子顕微鏡などで知覚が増幅され、物的証拠が得られた結果、宇宙の膨張もダークマターも細菌やウイルスの存在を実証したのは科学の手柄です。しかしカミオカンデで観測されるまでは、ニュートリノも幽霊粒子扱いされていたのです。
  万人の五感で共有できる証拠が示せなければ否定されるのが科学ですが、新たな検証方法で実証された途端に、声高に否定していた人が肯定し始める変わり身の早さも科学の世界では当たり前です。真理と信じられていたものが誤解や勘違いだったと修正され、書き換えられていくのが科学の歴史です。

*死後の六道
  ロスが視認したS夫人はどこから来たのか考えてみましょう。
  死んだ後に再生する世界に関しては、インドのヒンドゥー教全般、仏教、古代ギリシャ思想、正統派ユダヤ教、北米ネイティブアメリカン、神智学などにさまざまな考え方があります。キリスト教とイスラム教が死後の輪廻転生を否定する立場ですが、永遠の天国や地獄に一度は再生する考えです。仏教の最上層の天界に住する梵天は、その寿命のあまりの長さに永遠と錯覚してしまうとも言われます。極楽浄土を永遠と誤解するのも、タイムスケールの巨大さ故にでしょう。
  ともあれ、古代の人類の多くが世界各地で信じていたのは、死後の世界が存在する肯定論でした。考えてみれば、自然の生態系をありのままに観察すると、あらゆる生命が必ず死んで土に還り新たな命が育まれ、餌食にされた命は捕食者やその幼獣に受け継がれていきます。生命現象も存在の世界も、エネルギーが不滅に循環しているのが見て取れるのですから、多くの民族が輪廻思想を抱いたのも理にかなっているように思われます。
  死後の世界構造を説明する各民族の神話には、幼稚な空想の域を出ないものもありますが、仏教の六道輪廻を簡単に見てみましょう。S夫人の幽霊が死後、何ものかに転生したスピリチュアルな存在としてロスの前に現れたのだとすれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六層構造の領域のどこかです。
  六道の最下層、地獄は間断なき苦痛に満ちた世界なので、絶叫する以外には瞑想したりこの世にアクセスする余裕はないでしょう。餓鬼は激しい飢餓状態に苦しみ続ける世界ですが、ピンからキリまで多層構造に棲み分けられています。人の祈りや回向を受け取ることができるのは上層部の餓鬼(ペータ)に限られますが、この餓鬼道の霊が地上の人間と最も頻繁に交渉していると言われます。修羅は闘争系の生類が分布し、天界は徳の高い方々が集積した善業の力で再生していく領域ですが、業が尽きれば他の世界に転生しなければならないと言われます。天界も大きく三層構造に分かれ、上層の無色界天や中間層の色界天はサマーディを完成した神々、下層の欲界天は眼耳鼻舌身の五感の情報を楽しむ世界と言われます。
  なぜ六層なのかという疑問が浮かぶかもしれません。私が妄想するに、階層構造は分類の問題であり、要は、同じ波動のものが共振する法則は物理も心理も変わらないだろうということです。暴力や怒りの破壊的傾向も(地獄)、貪る傾向も(餓鬼)、慈愛や利他的傾向も(天界)、類は友を呼び、同質で同類の波動が惹かれ合い響き合って棲息する領域を、仏教では六種類に大別したのではないか。
  この世でもあの世でも、自分と同じ波動の者が自然に群れ集うのです。指名手配された凶悪犯罪者たちも、新興宗教の青年部の信者の集団も、競馬場から一斉に帰途につく群衆も、みな同じ顔をしているでしょう。同じ考えや同じ欲望や望みの同じ心の者たちは、顔も似てくるし、死ねば、自分とそっくりの人が群れている所へ再生すると考えればよいのではないか。そうか、俺と同じなら、みんな凄えヤツらだ、と全員が自己陶酔している群れに行く人もいるでしょう。()

*ブッダが語ったのは・・
  後世に創作された大乗経典とは異なり、最古層の「スッタニパータ」は確実にブッダが語った言葉と学問的にも認められていますが、その中には神霊も登場するし、生々しい地獄の描写も出てきます。同様の「サンユッタ・ニカーヤ」は「神々との対話」と邦訳されています。ブッダが悟りを開く前から涅槃に入る直前まで干渉したマーラという悪魔は、欲界天に帰属するとも言われ「サンユッタ・ニカーヤ」の後半は「悪魔との対話」と訳されています。
  もし輪廻も地獄も神霊も存在しなかったら、こうした経典を残したブッダはハリーポッターのような空想力豊かなファンタジーの語り部だったことになり、そのブッダの瞑想に命を懸けてきた私はお伽噺の妄想を信じたオタンコナスということになるでしょう。
  死後の生も輪廻も存在しないとすれば、誰もが絶命した瞬間、全員おしなべて存在の流れが絶え果てた涅槃と同じ状態になるはずです。解脱した聖者も悪の限りを尽くした犯罪者も、煩悩の人生も修行に命を懸けた人生も、キリストもヒットラーも、肉体の死と同時に完全に同じ状態になるという訳です。
  現代の認知科学も凌駕するヴィパッサナー瞑想の緻密なシステムを提示したブッダが、在りもしない死後の輪廻についてデタラメな空想世界を喋りまくっていたとは到底考えられないのです。しかしブッダの言葉を信じて仰ぎ奉れば、「私の言葉を信じるな、自らのこの眼、この手で検証せよ」と説いた教えに反するでしょう。ブッダが言うのだから多分そうなのだろう、と有力仮説の一つに止めておくしかありません。

*アラン・サリバンの体外離脱
  ともあれ、死んだS夫人がロスの前に現れたのです。S夫人の死亡は確定しており、物的証拠のメモを残したり、意味のある会話がロスとの間になされているので、S夫人のアイデンティティ(自己同一性)を保った何らかの意識体が肉体の死後に存続していると考えられます。ドアを開けたり、ロスの網膜に視覚像を結ばせるS夫人の微細身は、臨死体験で体外離脱する幽体と同じものだろうかという疑問も浮かびます。
  幽霊は言うに及ばず、体外離脱も脳内幻覚に過ぎないと否定する医者や科学者が多いのですが、「プルーフ・オブ・ヘブン」の著者エベン・アレグザンダーのように高名な脳外科医自身が激烈な臨死体験に襲われて以来、意識現象は脳に限定されたものではなく、肉体の死後も意識が存在し続けると確信するようになった人もいます。
  幽霊も体外離脱する幽体も妄想だとする脳内幻覚説を一蹴する鮮やかな事例があるので、立花隆「臨死体験」から紹介しましょう。
  心筋梗塞で臨死体験をしたアランという運送業の男性が、麻酔で昏睡状態だった自分の様子を上空から眺めて正確に描写し、その全てが事実と符合していたことが執刀医や同僚によって証言されています。懐疑派の立花がアラン本人と執刀医に直接取材しているので、この事例は脳内幻覚説を強く退ける証拠能力が高いものです
  アランは手術を受けた経験も手術室に関する知識も皆無で、手術室に搬送されるや直ちに麻酔をかけられたので、その場で観察することも不可能でした。しかるに意識不明のアランが、執刀医や副主の医師、看護婦の正確な位置関係、服装、白い帽子、特殊なブーツなどを正確に描写し、全てその通りでした。
  さらに体外離脱したアランが上から見ると、自分の両目が変なもので覆われていたので、この検証の時に執刀医に訊ねると、誤って目を傷つけないように卵形のアイパッチをテープで固定したものでした。これで、麻酔が途中で弱くなり、意識を取り戻して辺りの様子を目視した可能性はなくなりました。
  その他、手に細菌が付着しないように執刀医が肘で指示するゼスチャー、黒い特殊な拡大鏡、ライトの位置、巨大な人工心肺装置、血が大量に流れていると思いきやほとんど流れていなかったこと、取り出された心臓が白っぽい紫色で血の気がなかったことなど、聴覚や他の感覚器官から得た情報を脳内でまとめたイメージとは考えられない証拠が次々と上げられます。
  この事例の明白さには、私も驚きました。麻酔による昏睡状態では意識不明なのだから、こうした見聞が成り立つはずはないのです。脳神経細胞の電気的やり取りから意識が生まれ、その脳細胞が死ねば、意識も絶滅する。心が絶え果てるのだから、死後の再生などあり得ない、という輪廻転生の否定論は大きく崩れるのです。
  幽体かエネルギー体かはさておき、体外離脱している何かが実在することは疑いを容れません。問題は、この意識体がそのまま輪廻するのか、S夫人の微細身と同じ材質なのかです。体外離脱した意識体が、この世の手術室を正確に目視していることは、このような物的証拠で証明できます。しかし、体外離脱してあの世を垣間見てきた報告事例は膨大に存在するものの、物的証拠で立証することは難しいのです。果たして、あの世は存在するのか・・。

*死後の世界か
  アランが体外離脱した事実、手術室を物理的に見ていた事実は実証されたと言ってよいでしょう。エベン・アレグザンダーの主張するように、意識現象は脳に限定されず、脳や肉体が死滅しても存続する可能性は極めて高くなります。
  この鮮やかなアランの事例の後半を見てみましょう。手術台の上で切り裂かれている自分を眺めているのに飽きたアランは、さらにトリップして闇の中に入っていったのです。すると死神のような気配が感じられ、『こっちへ来い』と執拗に言うのを退け、やがて明るく光り輝く場所に出ました。
  そこは全く次元の違う世界で、愛と安らぎに満ち溢れ、光とエネルギーが渦巻き、美しい音が鳴り響いていました。アランはそこで7歳の時に死に別れた母と会い、言葉を介さずに気持ちや考えを伝え合い、アランのどんな疑問にも直ちに答えが与えられ、知らないものはなくなったというのです。さらに3年前に亡くなった義兄にも会い、後半の見聞は手術室から一転、あの世に再生していた死者との遭遇を報告したものです。
  この別次元の世界に関する物的証拠はないので、アランの主観的体験談を信じるか否かです。しかし、体外離脱したアランの手術室の描写は現実のものだが、こちらの別次元世界の描写は幻覚で、寝言戯言だと言い張るのは難しいでしょう。手術室をあれほど正確に見ていたアランなら、この異界での体験も現実の知覚だったと解釈するのが妥当ではないかと思われます。

*科学的反証
  臨死体験や体外離脱を否定する科学的根拠は、脳幹幻覚説も再起動説も精神病理も快感ホルモン分泌も、エベン・アレグザンダーやラウニ・キルデなど実際に臨死体験をした一流の科学者に退けられています。それでも脳内幻覚説に与する科学者が強調するのは、臨死体験者の経験の多くはそれに対応する脳領域が特定されており、その領域を電気刺激したりすると臨死体験と同じような現象が再現できるというものです。
  さまざまな試みがなされていますが、臨死体験を惹き起こしている脳領域がいくら見つかっても反証にはならないのです。例えば、体外離脱は大脳のシルヴィウス溝が司っていることが、カナダのペンフィールドによって何十年も前に見出されています。シルヴィウス溝に電気刺激を与えれば、体外離脱が錯覚として経験される。だから幽体離脱など幻覚に過ぎない、と否定しているのですが、それは変でしょう。
  人の顔を認識する脳神経細胞も、ピーマンや唇を認識する脳細胞も特定されており、顔認識細胞が損傷すれば人の顔が見分けられなくなります。ピーマンを認識する神経細胞に電気刺激を与えれば、ピーマンの視覚像が出現します。
  当たり前のことです。ピーマンを認識する神経細胞が遂に見つかったぞ!ピーマン細胞がちゃんと存在するのだから、畑でピーマンを見たなどと言っている人は脳内現象を現実と錯覚しているに過ぎないのだ!
  「世界中でピーマンが実在するなどと言っている人達がおりますが、体外離脱が幻覚に過ぎないように、ピーマンも脳内幻覚を現実体験と見誤っているのだ、と脳科学の立場からは言わなければなりません」などとコメントするのでしょうか。
  ピーマンを見ることは日常茶飯事であり、あまりにも頻繁に認識するのでピーマンを認識する神経細胞が割り当てられたのではないでしょうか。ピーマンが厳然と存在するから、ピーマンを認識する脳細胞が必要になってきたのです。ピーマンを認識する神経細胞を見つけて批判するのは滑稽でしかありません。
  死に瀕した時には誰もが体外離脱を体験し、この世からあの世への移行を納得し了解しながら死んでいかなければならない。だから、人類700万年の歴史のなかで、シルヴィウス溝のような専属の領域を搭載する必要に駆られ、必然の力で生み出された順番ではないか、と私は推測というか妄想しております。
  それとも、突然変異か何かである時シルヴィウス溝が偶然作られてしまい、それ以降多くの人が体外離脱体験をするようになったのでしょうか。死後の世界なんか存在しないのに、たまたま出来てしまったシルヴィウス溝を使ってみんながよく遊ぶようになったので、退化させることも廃用性委縮も起こさず今に至るまで多大なエネルギーを使いながらシルヴィウス溝を温存させてきたのでしょうか。脳は、そんな無駄なことをやっている暇などありません。不要なものはサッサと刈り込まれ、捨てられていくのです。
  臨死体験に相当する脳機能が発見されたということは、メカニズムの解明に寄与した功績があるだけで、臨死体験を否定する科学的根拠になどなり得ないということです。

*なぜ心が変わるのか
  臨死体験で光明世界を見てきた人達はおしなべて人格が変容しています。この世的な欲望が少なくなる傾向が顕著で、物質的・経済的欲望も名誉欲も他人の思惑を気にすることも少なくなります。
  それに替わって、人を助けたい、人世のためになりたい、他人を理解し受け容れて上げたい、など利他的精神や寛容な心が増大しています。全ては一つであるという全一感や、高次の意識を得たいという欲求が強くなるのも特徴的です。
  なぜでしょうか。光明世界に入った臨死体験者の多くが、超越的な光の存在に受け容れられ、絶対的に許され、愛されているという強い実感を感じていることが一因でしょう。
  身勝手なエゴイストの生き方をしていた米国のハワード・ストームの臨死体験でも、光に包まれて浮き上がり上昇しながら、力と愛に心が満たされるのを感じると、それまでの生き方が恥ずかしくなり慙愧の念に堪えられなくなります。そして光の存在が量りしれない愛情で自分を受け入れてくれていることが実感されると号泣が止まらなくなります。以来、ハワードの生き方は一変し、聖者のような人間になってしまい、ブレることがないのです。
  「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、受け入れられ、許され、完全に愛しぬかれている。これが愛の極致なのだ」と表現した鈴木秀子やエベン・アレグザンダーを始め、あまりにも多くの臨死体験者が同じ愛と赦しと受容の体験をして、その後の生き方に強烈な影響が及んでいます。
  人の心が根柢から変わるのは滅多に起きることではなく、変わっても、時間が経てばゼンマイが巻き戻されるように凡夫に逆戻りしてしまうものです。
  なぜ、臨死体験者達はブレないのでしょうか。彼らの心の変容が本物だったからではないか。真正の体験だけが、人の心を根底から変えるのです。この点に、私は、臨死体験が脳内幻覚ではない根拠を見出します。
  幻覚が人の心を永久に変えることはないと断言できるでしょう。覚醒剤によるハイテンションも、感動的な小説や映画も、もの凄い明晰夢も、知的納得感も、概念やイメージによる脳内現象は一時的な昂揚をもたらしますが、人の心を根底から変える力はないのです。真の悟り体験に後戻りはないが、サマーディの力で悟りの似非体験をした瞑想者は、やがて化けの皮が剥がれて凡夫に戻った自分に愕然とするのです。

*地獄篇
  臨死体験者が報告する光のトンネルや光り輝く光明世界は天国を予見しているのでしょうか。臨死体験が転生予定地の下見だとすると、こんなに簡単に誰でも天界に行けるのかという疑問が浮かびます。仏教の六道輪廻によれば、天界は聖者の如く徳を積んだ稀有な人が赴く領域のはずです。
  調べてみると果たして、臨死体験の地獄篇も数多く見出されます。こちらは震え上がるような怖ろしい世界で、絶対に行きたくないと誰もが思うでしょう。死後、人間から人間に再生することは極めて稀だとブッダは言明しています。ほとんどの人は煩悩に耽り、五戒を破って悪業を重ねているのですから、欲のタイプは餓鬼の世界へ、怒りと悪のタイプは地獄へ、武闘派は修羅の世界へ、愚かなタイプは畜生界へ再生することになります。光明世界への再生は少なく、地獄や餓鬼の世界への再生がはるかに多いと覚悟しておくべきでしょう。
  臨死体験は飽くまでも死に瀕した体験であり、死そのものではありません。真の転生が未完だからこそ、この世に帰還できるのでしょう。死後の世界に真に再生してしまった人は戻って来られないし、巻き戻せる無常はないのです。

*死近心
  死の本番では厳然たる再生のメカニズムが働くので、死に方を心得ておかなければなりません。生前どれほどの悪をなそうが、徳を積もうが、「死近心」が次の再生を決定すると原始仏教では説かれています。死ぬ瞬間の心を「死心」と言い、その直前に、今世で業を作る最後の心が生滅します。これを「死近心」と言い、その内容が怒りなら地獄、貪りなら餓鬼、というように善心か不善心かによって次に再生する世界が決まるといわれています。
  善行を重ね、徳を積むだけでは間に合わないのです。死ぬ瞬間にもよく気をつけて、仏を憶念し、不善心所モードで死んで地獄や餓鬼など悪趣に堕ちないように心がけなければなりません。死ぬ瞬間までサティを入れる覚悟で日々の修行に取り組めるでしょうか。

*ロスの死に方
  苦しむ人に救いと癒しをもたらす生涯だったキューブラー・ロスも、仏教の死と再生のメカニズムからは、天界への片道切符を持っている訳ではないのです。怒りが強く反抗的だったロスの「死近心」が嫌悪や怒りだったら悪趣に堕ちるしかありません。果たして、ロスはどんな死に方だったのでしょうか。
  脳卒中になり神を呪ったロスでしたが、晩年、最愛の孫を可愛がり、娘のバーバラはそんな母を見て幸せに感じ、息子のケネスは最後の10年間を、子供の頃にできなかった母との触れ合いを埋め合わせる時間だったと語ります。
  やがて最期の時が近づき、「旅立ちの準備はできた?」と友人が訊ね、「まだよ」とロスが答えます。
  「どうやって、行く準備ができたとわかるの?」
  この問いに対するロスの答えに、私は感動しました。
  「旅立とうという準備ができた時には、頭の先からつま先まで体中で、全身でわかるわ」
  こんな名答は、1万人以上の死者を看取ったキューブラー・ロスにしかできないでしょう。
  やがて、駆けつけた娘のバーバラが「私たちここにいるのよ」と言い、母の背中を息子が抱き、娘が手を握り、親子は3人で環のようにつながりました。
  後日、バーバラが述懐します。
  「あれ以上うまくはできないという看取りでした。それは、母がいちばん望んでいた理想の死に方でした」
  ロスの死近心は、間違いなく最高の善心所だったように思われます。
  あれほど人のために生涯を捧げきったロスには、どうしても天界に再生してもらいたいと思わずにはいられません。
  解脱するまでには、まだハードルをいくつも越えなければならないのは確かですが、死の真実について、彼女ほど私たちに多くを教えてくれた人はいないでしょう。
  200484日、ロスは78年の生涯を閉じ、輪廻していきました。
  「死を怖れることはないのだ。死とは別の存在への誕生であり、死は事実上、存在しない」と、ロスはいまだに私たちに力強く語りかけ、誰もが立ち向かわなければならない死を安らかなものにしてくれているようです。(この項続く。以下次号)


 今月のダンマ写真 ~
 
タイ森林僧院の伽藍
先生より

    Web会だより  
『仏教聖地巡礼 インド・ネパール七大聖地の仏跡巡』(5)H.Y.
5.第5日目
  この日はブッダが入滅を宣言されたヴェーサーリに向かいます。第5日目から7日目までは、インドのビハール州という地域であり、この州は2016年から州内への酒の持込・飲酒が法令で禁止されています。官憲は外国人に対しては賄賂を渡せば見逃してくれるそうですが、現地住民に対しては社会基盤維持の為、酌量の余地なく逮捕するなど厳しい運用を行っているとのことです。
  途中、ケーサリアというところに立ち寄りました。ここはブッダが入滅宣言の地ヴェーサーリから涅槃の地クシナーラーに向かう最後の旅の際に、ブッダが立ち寄ったところです。ケーサリアは、語感がケーサプッティヤーから変化した可能性があります。その場合、ケーサプッティヤー村というのが経典の有名な一節に出てきます。ケーサプッティヤー村には各宗教の人達がやってきては、各々の教えの正当性を主張していました。その為、村人達は何が正しいのか分からなくなっていました。そこにブッダが現れ、村人達が各々の教えを疑うことは正しいと言います。人が言ったから、伝統や聖典に書かれているからと言って鵜呑みにせず、きちんと自分で物事を確認することの重要性をブッダが説いています。
  現在のケーサリアは、周りに民家も無いところにあり、小山のような大きいストゥーパがただあるのみです。ちなみに、このストゥーパは世界最大の大きさです。ここでもストゥーパの周りを1周しました。
  次にレリック・ストゥーパというところに行きました。ブッダがラマバール・ストゥーパで荼毘に付された後、ブッダの骨は8つに分けられました。その内の1つがリッチャヴィ族に譲り渡されました。このレリック・ストゥーパはリッチャヴィ族が受け取ったブッダの骨を安置していると言われています。現在は雨風を避けるように御椀型の屋根が設置されています。ここでも1周しました。
  それからヴェーサーリに向かいました。ヴェーサーリは八大聖地の一つであり、ブッダが入滅を宣言された場所です。経典ではブッダはご自身で寿命を決めることができるとされています。ただし不老不死という訳ではなく、身体は老い衰えた状態で寿命が延びるそうです。
  ブッダはヴェーサーリの地で、アーナンダ尊者にブッダの寿命を延ばすか否かを暗に問いかけます。アーナンダ尊者は、以前にも似たような別の会話をブッダと話したのを覚えていました。その為、このときのブッダの隠れた意図を見抜くことができず、ありきたりな回答を行います。そしてブッダはアーナンダ尊者に退席するよう命じます。その後、悪魔(ヤーマ)が現れ、ブッダに涅槃を勧めます。ブッダはヤーマに従ったという訳ではありませんが、最終的に涅槃を宣言されます。
  その直後に天変地異が起こりました。何事かと驚いたアーナンダ尊者がブッダのもとに駆け寄ります。ブッダが天変地異はブッダの生誕、成道、涅槃の宣言、涅槃に入ったときに起こるものだとアーナンダ尊者に答えます。即座に状況を理解したアーナンダ尊者がブッダに宣言の取消をするよう懇願します。しかしブッダは、一度放棄した寿命の力は二度と戻らないことをアーナンダ尊者に伝えました。
  現在のヴェーサーリは、大きなアーナンダ・ストゥーパがあり、アショーカ王の石柱も設置されています。石柱の上には獅子が完全な形で残されており、現存するものでは唯一の完璧な獅子の形の石像です。ここでも聖地をぐるっと周りました。
  その後はガンジス川を渡り、パトナという地方都市に宿泊しました。

6.第6日目
  この日は竹林精舎で知られるラージャガハに向かいます。途中、ナーランダー大学に立ち寄りました。
  ナーランダー村に大学が設立されたのは、智慧第一と言われたサーリプッタ尊者の故郷であったのが理由と言われています。大学と言っても、現在は遺跡群で世界遺産になっています。西遊記で有名な三蔵法師も実際に学んだとされ、桁違いの頭脳でなければなかなか入学できなかったそうです。ナーランダー大学はかなり広大な遺跡群で、全てを発掘できておらず、未だに全容解明はできていません。敷地内にはサーリプッタ尊者の大きなストゥーパがあります。また三蔵法師が瞑想で使ったと言われている小部屋もありました
  次に、八大聖地の一つで竹林精舎で知られる、ラージャガハに行きました。ここはコーサラ国と並ぶ大国であったマガダ国の首都で、国王であるビンビサーラ王はブッダと旧知の仲でした。王は竹林精舎を寄進し、祇園精舎と並ぶ教団拠点の一つとなります。
  現在のラージャガハの入口には竹林が植えられており、竹林精舎の名を裏切らないものでした。しかし昔からこんなにうまく竹が生えていたのかなと疑問を持ちました。竹林精舎内は一部工事が行われており、おそらく管理者が巡礼者の為に気をきかせて、綺麗に植えてくれたと思いました。また竹林精舎の中には池が佇んでいます。聖地にくると1周していましたが、ここにはストゥーパはないため1周するものがなく、来た道をそのまま帰りました。
  竹林精舎の近くには七葉窟があります。ブッダが涅槃に入られてから3か月後に、ブッダの教えを確認する為に500人の阿羅漢が集まりました。これを第一結集といい、七葉窟で行われました。バスの車窓から見たのですが、洞窟らしきいくつかの穴は分かりましたが、どれが七葉窟かよく分かりませんでした。
  それからビンビサーラ王の牢獄址に行きました。王にはアジャータサットゥ王子という息子がいました。王子はデーワダッタにそそのかされて、父親を引退させ王の座に座ります。それだけではおさまらず、父親を牢獄に入れてしまいます。しかし、牢獄でも父親が生気を保てた理由の一つが、歩きの瞑想でした。そこで父親の両足を切断し、これが原因で前王は死んでしまいます。ビンビサーラ王のように国王でありながら預流果に覚るというのは、非常に恵まれたような気がしますが、このような寂しい運命をたどるのは何か釈然としない感じがしました。
  現在の牢獄址はほとんど何もなく、レンガが四方に積まれているだけのものです。今の姿は、悲しい逸話と対照的で、これも無常の一つなのかと勝手に思いました。
  次に霊鷲山(りょうじゅせん)に行きました。ここはブッダが登った山で、デーワダッタがブッダを死に至らせようと石を投げ落とした逸話が残されています。大乗仏教ではブッダが法華経を説かれた地とされています。実際に歩くと約15分で山頂に到着します。辺りの風景を一望でき、眺めが良いところです。少し自由時間があったので、しばらく座ってサティを入れてみました。
  バスで移動し、夜にはブッダガヤーに到着しました。ブッダガヤーの大菩提寺(マハーボーディ・マハーヴィハーラ)は外部からのライトアップ鑑賞のみでしたが、明日内部に行くことができると思うと、心が楽しくなってきました。
  この日の聖地巡りが終わり、ブッダガヤーのホテルに宿泊しました。夕食にホテルでスジャータの粥が出されたので食べてみると、ミルク粥で結構美味しかったです。

           地図:アイコンをクリックすると、写真を見ることができます  

           https://www.google.com/maps/d/embed?mid=1sEkGHJAawn8PYy-C7-KdzdtT6ClfNNwG


       

湖面の桜吹雪   (K.U.さん提供)
 






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ダンマの言葉

「月刊サティ!」20063月号、4月号に、アチャン・リー・ダンマダーロ師による「みんなのダンマ」が掲載されました。これは、「パーリ戒経」中にある仏教徒が自らを善き人間に鍛える実戦の指針で、6つの項目に分けられています。今月は2回目です。

  二つ目の指針anupaghāto (アヌパガート)「害〔そこな〕わず」とは、憎しみ合うようなことはしない、ということです。人が一緒に暮らしていると、行動に差が出るのはごく自然のことです。行儀のいい人もいれば、粗暴な人もいます――それは、邪悪なということではなく、ただ振る舞いが荒っぽいということです。
  肉体的にも、精力的でよく働き強靭な人もいれば、虚弱で病気がちな人もいます。言葉を使うにも、言葉巧みな人もいれば、そうでない人もいます。たくさんしゃべる人もいれば、ほとんど何もしゃべらない人もいます。
  世俗のことを語る人もいれば、法について語る人もいます。間違ったことを語る人もいれば、正しいことを語る人もいます。人は同じではない、ということです。
  そうであるなら、少なくともある程度まで対立や衝突はやむをえないということになります。同じく法を学び、ともに生活する私たちの間でもこうした対立や衝突が起こるのであれば、私たちは恨みを抱かないようにすべきです。互いを許しあうべきであり、そうした心の汚れを拭い去る必要があります。なぜでしょうか。
  なぜならそれが憎しみや敵意に変わるからです。許す行為は「許しの贈り物」と呼ばれます。それによってあなたは、ものごとに執着しない、ものごとを持ち歩かない、ものごとに巻き込まれない――恨みを生み出さないような人間になることができます。
  ときどき過失や間違いが起こったとしても、私たちはお互いに許し合わなくてはなりません。周りのみんなに対して、できる限りの慈愛、優しさ、親切心の感覚を持つべきです。これを「害わず」といいます。在家者であろうと、修行者であろうと、これは等しく仏弟子としての訓練の一部をなします。

       

 今日の一言:選

(1)雪原を渡っていく風の中に、全ての葉を落とした小さな木立が寄り添うように屹立している……水墨画のような写真だった。
  背後の樹林は鉛色の
塊りのように霞んで、微かに吹雪いている粉雪の中に融け込んで朦朧としている。
  さらにその背景は、空なのか山容なのか雪原なのか風に舞い飛ぶ雪片なのか、現実なのか幻なのか、全てが終息した世界と現象の世界とが渾然一体となったかのように境界が失われている……
  一瞥しただけなのに、なぜ、この水墨画のような雪山の風景に心を惹かれたのだろうか……

(2)輝いて、生きる。
  美しく、きれいに生きる。
  歳月が流れ、現役を引退する。
  仕事も、責任も、ストレスも、何もなくなり、眼に力も輝きもなくなって、呆然と日を送りながら、老いていく。
  逝去する……
  輪廻転生し、業に従い引き当てた人生の再スタートボタンを押す。
  さまざまな苦しみを乗り超え、また上手くいけば、輝いて、生きる……


(3)容姿も能力も環境も欠点も、自分に与えられているものを全て受け容れることができたなら……
  「私は、この私で生きていこう」と、心から思えたなら……

  人は、輝く……


       

   読んでみました
 佐藤由美子著『戦争の歌がきこえる』(柏書房 2020年)
  米国認定音楽療法士としてホスピスケアの音楽療法を専門としてきた佐藤由美子氏は、戦争によって心に重大な傷を負ってきた人たちの存在を知った。それはまさに「日本人が知らない『もうひとつの戦争』の記憶」であった。
  著者によれば、音楽療法(Music Therapy)とは、臨床かつエビデンスに基づき、「クライエントの身体的、感情的、認知的、精神的、社会的なニーズに対応するために、音楽を意図的に使用する」療法であり、「終末期の患者さんやご家族の場合は、音楽を通じての精神的サポート(不安、怒り、うつ状態の軽減など)、社会的サポート(孤立や孤独の軽減など)、身体的サポート(痛みや息切れなどの症状の緩和)などが中心」になると言う。
  本書は、著者の祖父について書かれた第7章を除いて、ホスピスでの経験を元にしている。それらの事例は次のようなものだ。
  ・日本兵を殺したことを、日本人の私に告白した退役軍人。
  ・フィリピンで日本兵に親友を殺され、その後、広島で焼け野原を見た男性。
  ・罪悪感に悩まされつづけた原爆開発の関係者。
  ・ドイツ系アメリカ人として、「自由」 のためにナチスと戦った兵士。
  PTSDに悩まされた退役軍人と結婚した女性。
  ・ホロコーストの記憶に悩まされつづけた三人の患者。
  ・日本占領下の中国で生まれ、日本からもアメリカからも忘れられた人・・・。

1章「良い戦争という幻想」はこうして始まる。
  著者はある日、音楽療法士であると同時にグリーフカウンセラーでもあるスーパーバイザーのジムからこう言われて驚く。
  「ひとつだけ心配なことがあるんだ。きみがここで出会う患者さんの中には、第二次世界大戦で戦った人や戦争で大切な人を失った人がいる」「日本人という理由で嫌な思いをすることがあるかもしれない。もしそういうことがあったら、いつでも言ってほしい」
  著者が問題意識を持ったきっかけはこの言葉だった。そしてこう記す。
  「第二次世界大戦を生き抜いたアメリカ人は、人生の最期に何を語ったのか?日本人である私に対して、どのような気持ちを抱いたのだろうか?彼らのほとんどはもう、この世にはいない。私が受け取った言葉を、ひとりでも多くの日本人に届けられたら幸いだ」
  アメリカでは、第2次世界大戦は彼らにとって最も大切な民主主義の理想をかけた戦いであり、“just war”とか“good war”と呼ぶそうである。(対してベトナム戦争は“bad war”)
  帰還した兵士たちはヒーローとして迎えられ、新しい人生を築いていった。少なくともそれが、「この地で繰り返し語られる物語」であり、今日オハイオ州の高校で使用されている歴史の教科書にも、「アメリカの歴史上、最もよく戦った戦争」と書かれているそうである。
  しかし・・・
  働き始めて1年ほど経った夏の日の午後、75歳で末期の肝臓癌を患うロンの病室で演奏が終わると、もともと口数の少ない彼が、「戦争中、中国人の女性に出会ったことがあるんだ。とてもよくしてもらった。もしかすると、きみも中国人?」と言った。
  「『いいえ、日本人です』
  私がそう答えた瞬間、ロンは丸い目を大きく見開き、ハッと息を吸いこんだ。そのまま呼吸が止まってしまうのではないかと思えるほどだった。表情もこわばっている。(略)明らかな緊張が見てとれた。そしで彼は、絞り出すような声で言ったのである。
  I killed Japanese soldiers.
  その言葉は、彼の中にずっとしまわれていたものが、期せずして外に飛び出てしまったような響きをもっていた」
  「『彼らは若かった。僕も若かった・・・。彼らの家族のことを考えると・・・』
  それ以上は言葉が続かない。リクライニングチェアの上で、彼の痩せ細った体が激しく震えはじめている。泣き出しでしまったのだ」
  しばらくしてふたたび口を開いたロンは、
  「『本当に申し訳ない・・・』
  いくら押し殺そうとしでも、感情を抑えきれないようで、涙はとめとなくあふれてきた。(略)奥さんが知っていたのは、彼が『サイパンで戦った』と言うことだけだった。彼は戦争について、それ以外はなにも語らなかったという」
  年齢からすると、彼がサイパンに到着したのは19歳。その戦闘ではアメリカ兵の死者数は3144人、日本兵や民間人は合計55300人。韓国人や島民も犠牲になったがその数は定かではないという。
  この章にはほかに「硫黄島の星条旗」に写された6人の兵士のその後が記されている。アメリカの1945年から47年にかけての離婚率は史上最高、なかでも退役軍人は一般人の2倍だった。また、何らかの心理的問題を抱えた兵士がおよそ230万人、今で言うPTSDの症状を呈した退役軍人は非常に多かったという。そしてその苦しみを忘れるための酒への依存症。つまり「良い戦争」などどこにもない、まして兵士たちにとっては。
  著者はその後、静岡県三島市での野外イベントで、3歳の時に父が徴兵されたという白髪交じりの女性に出会う。
  「たくさんの兵隊さんの中に、何度も後ろを振り返った私をじっと見ている人がいたわ。それがお父さんだったの・・・」
  唯一わかっているのはサイパンで戦死したことだけ。漁港のそばで育った彼女は、よく散歩する浜辺で浜千鳥を見つけた時、自分は「浜千鳥」の歌のように父を探していることに気づいたと言う。
  「愛する人を失った人たちにとって、戦争は終わることのないものである。ロンの戦争が人生の最期まで終わることのなかったように、それは、今も確かに、続いているのだ」
  2章、末期癌の妻アナさんの夫ユージーンは、1943年の秋19歳で入隊し、44年にフィリピン戦線へ送られた。殺すか殺されるかという暗闇のジャングルの接近戦では誰が敵か味方かわからない状況もあった。そうしたなか、意気投合したジョージが戦死、彼も負傷を負って病院で終戦を迎える。
  「『日本人に怒りはないのですか?』
  『ノー』彼は首を振り、少し考えてからこう言った。『いや、もしかすると最初は・・・。でも、日本に行って気持ちが変わった。僕は日本を愛している』」
  戦争が終わって数ヵ月後、彼は広島で信じられない光景を見る。
  「『すべてが焼け焦げていた。焼け死んだ子どもの死体・・・、溶けた電球・・・。そんな光景、信じられる!?』
  『それまで、仲間の死体や怪我した兵士たちをたくさん見た。でも、広島で見た光景はそれとは全然違った・・・』
  『子ともたちの目が忘れられない。ゴミ箱のゴミを食べたりしていた・・・。本当にかわいそうだった』
  彼の目には、先日と同じょうに涙があふれていた。
  『でもある日、幼い男の子と女の子たちが一緒に歌を唄っている光景を見た。子どもらしくはしゃいでいて、それが唯一の希望に感じられたんだ』」
  日本での滞在中に地方を訪れたユージーンは、植物が青々と茂り牧歌的な田園風景が広がる日本の自然とそこで暮らす人々の姿を見た。
  「『日本の人々や文化がとても印象に残った。日本人も僕らも、そんなに変わりはないと知った』
  『戦争に送られる前、日本人はアメリカ人とまったく違うと教えられていたから・・・。でも、実際にはそうではなかった』
  『日本兵は命令されたことをやった。それは僕らだって同じだ。それだけのことなんだ』」
  アナさんの葬儀のあと、いろいろなことを共有してくれたユージーンに簡単にお礼を言うと、彼は手を伸ばして著者に握手を求め、強く手を握ってこう言った。
  Please don’t forget
  3
  「『原爆の開発だよ・・・。でも知らなかった。あんなことになるとは、本当に知らなかったんだ・・・!』
  『ああ、犠牲になった人たち・・・子どもたちのことを考えると・・・』
  彼は首を何度も横に振り、目を閉じた。頬には涙が伝っていた。
  『誇りには思っていない』
  そう言って、サムは静かに泣き出してしまった」
  若い頃マンハッタン計画にかかわったサムは93歳で末期の大腸癌だった。プロジェクトには60万人以上が関与したというが、その目的を知っているのはほんのわずか。彼は事情を知らなかったが、それでも彼は自分を責め続けてきた。
  反応はふたつに分かれた。「これで戦争が終わるかも知れないと歓喜した人々と、多くの命を奪った原爆への恐怖に囚われた人たち。サムは後者だった」。
  著者によると、プロジェクトの引き金になったルーズベルト大統領への手紙にサインしたアインシュタインはのちに後悔して、「もしドイツが原爆開発に成功しないとわかっていたら、サインしなかった」と言ったという。また、かのオッぺンハイマーも、終戦2か月後に初めてトルーマン大統領と面会した際、「私の手は血で汚れているように感じるのです」と言ったそうだ。
  またこの章には18歳で徴兵され、ベトナムで枯れ葉剤を撒いた50代の筋ジストロフィー末期の患者ヘンリーのことが描かれる。
  「『ベトナム戦のことをずっと考えているんだ・・・』
  『僕はベトナムで枯葉剤を撒いたんだ! 当時は枯葉剤がなんなのか知らなかった』
  『あなたはまだ18歳だった。戦争がどんなもので、何をさせられるかさえ知らなかったでしょう』
  『司祭にも同じことを言われた。でも僕は、自分のしたことが許せないんだ』」
  ヘンリーは死が近づくにつれ自分を責め続け、同じストーリーを何度も繰り返し、ますます動揺するようになった。著者は、「ヘンリーとサムが抱いた強い罪悪感は、本人たちにしかわからないものだ。感情とは、必ずしも道理にかなうものではないのだ」と知る。
  そしてこの章をこう結ぶ。
  「サムは、最期に自分を許すことができたのだろうか、と私は今でも考えるときがある。博物館でエノラ・ゲイを見たときもそのことが頭に浮かんだ。
  もちろん答えは本人にしかわからない。ひとつ言えるのは、サムは、過去を変えることはできないのだと、受け入れたということだ。過去が違ってさえいれは、あるいは、違っていてくれたならば――そんな希望を、手放したのだ。もしかすると、自分を許すとは、そういうことなのかもしれない」
  4章、欧州戦線に派遣されたウォルターとの出会ったのは2006年の秋、テレビからはイラク戦争のニュースが流れていた。
  「『テレビを消してくれる? これはひどい・・・。もう見たくない』『こんな戦争を始めてしまうなんて・・・。戦地に送られた若者たちのことを思うと・・・』」
  1945年のある日、仲間たちと乗ることになっていた搭乗機に、直前になって彼の代わりに別の人が搭乗することになった。ところがその機は離陸してすぐ墜落、激しい炎に包まれて親友たちが亡くなってしまう。その光景は今も忘れられず、仲間と一緒に整備した航空機の模型を見ながら、「これを見ていると、親友たちのことが目に浮かぶ。彼らは僕の心の中に今もいるんだよ・・・。どういうわけか、僕は九死に一生を得た。なぜかはわからないが・・・。でもあの日、心に誓ったことがある。もしこの戟争から生きて帰ることができたら、シンプルで幸せな人生を送ろう、ってね」。
  1945年、約3年ぶりに戦争から故郷のシンシナティに帰った日の出来事を彼は話してくれた。
  「帰還した僕を見て、母が言ったんだ。『大変だったわね。でも、私たちも大変だったのよ。お砂糖がなかなか手に入らなかったんだから!』って。そのとき、自分たちが経験したことは、一般市民には理解できないことなんだと思った。だからその後、戦争の話はしないことにしたんだ」
  5章は退役軍人の夫を支え続けてきた女性キャサリンの話。子ども時代に両親を失い、叔母さん夫婦に育てられた彼女には、長い間心を許せる人がいなかったという。そして、背が高く、運動が出来、社交的で彼女とは正反対の大切な人ボビーと出会い結婚した。
  しかし、戦争で彼はまさに「別人」になってしまった。キャサリンは、彼がバルジの戦いでドイツ軍の捕虜となって戦争終結まで収容所に入っていたことだけしか知らない。
  生涯その記憶に苦しみ、「お酒を飲んでいるときだけ、悪夢を忘れられる」と言った彼は、まだ戦場で戦っているような行動をとった。キャサリンがつぶやいた。「彼にとって戦争が終わることはなかった。私たち家族にとっても・・・」「喪失やグリーフ、・・・こういうことは、経験するまでわからないことだと思うの」と。
  もういないのにどこかで生きているような気がするのとは逆に、彼女の場合はボビーが目の前にいるのに精神的にはもういない人という感覚だったのではないかと著者は考えている。
  「『離婚を考えたことは?』『ええ、あるわよ。でも、できなかったの。私のボビーは戦争に行って、戻ってこなかった・・・。でも、彼に起こったことは、彼のせいじゃない』彼女は涙をぬぐうと、顔をそむけた」
  6章は、アウシュビッツで家族を殺されて一人生き残り、解放された時に17歳くらいだったマリー、強制収容所を解放したアメリカ軍のジェリー、ドイツ軍兵士として戦ったレイモンドである。
  マリーは解放後アメリカに移民してシンシナティ郊外で農業を営む。彼女の部屋には、子どもや孫、彼女自身の笑顔の写真がたくさん飾られていたが、精神状態が日に日に悪化、音や光や触れられることなど、あらゆる刺激が彼女に恐怖をもたらした。カーテンを閉めた暗い部屋で過ごすマリーは、目を覚ますと、「ナチスが来る!」「助けて!」と泣き叫んで震え出す。彼女は死の直前まで、ホロコーストがふたたび起こっていると信じ込んでいるようで、「彼女の最期は私が見た死の中で、最も悲惨なもののひとつだった」。
  出会ったときにアルツハイマー型認知症の末期だったドイツ系アメリカ人ジェリーは、自分の名前以外はほとんどわからない状態だったが、いつでも機嫌がよく愉快な人だった。ある日、突然今までに見たことのない表情で何かを指差した。それは第2次世界大戦の写真集。開かれたページにはブーヘンヴァルト強制収容所の光景。有刺鉄線の向こうからこちらをじっと見ているストライブのパジャマを着た骨と皮だけのユダヤ人の男性たち。隣には死体が山積みされたトラック。それを目の前にしたアメリカ兵たち。ジェリーはそこに居合わせた兵士の一人だった。「あー、あー」と必死に何かを言おうとしている彼の「瞳には恐怖と驚きが宿っていた」。
  娘のハナは一度だけ父から聞いたと言う。
  「・・・45歳ぐらいの小さな男の子が地面にうずくまっていたらしいの。その子を抱きかかえたとき、とても軽かった。痩せていて、皮だけで、もう死んでいるのかと思ったら、目を開いて父のことを見たらしいの・・・。でも、次の瞬間にうめき声を出して、父の腕の中で亡くなったそうよ。そのことがずっと忘れられなかったみたい。そのことを泣きながら話してくれことがあったわ・・・」「人間になんでこんなことができるのかわからない、って父がよく言っていたわ」
  「あの日、彼の目が私に訴えかけていたのは、この悲劇から目を背けないように、ということだったのかもしれない」と著者は感じている。
  「きみ、日本人!?」と訊いたレイに「そうです」と答えると、彼は両手を伸ばして著者の左手を強く握ってきた。
  「『僕はドイツ兵士として戦争を戦ったんだ・・・。僕たちの国は味方同士だった・・・』
  彼は急に泣き出した。泣き止むことができない子とものように声をあげている。今までずっとこらえていたものがこらえられなくなった、そんな泣き方だった」
  母は反対したが、彼は10歳のころヒトラーユーゲントに入る。同年代の子どもたちの多くが参加しており、ごく普通のことだと思った。仲間とともに歌を唄うと一体感が強まり、陶酔感さえ味わう。「ドイツは素晴らしい国」「ドイツ人はほかの民族より優れる」と教えられるままに信じ込んでいた。
  10代の終わりころにロシアの前線に送られる。そこで目にしたのが「暗い森」の光景、あたりには死体が転がっていた。
  「『気づくと僕の顔に雪が降りかかってきていて、それで急に穏やかな気持ちになったのを覚えている。周りは静かで、物音ひとつ聞こえない。そのとき、母さんは正しかった、自分は間違っていた、と気づいたんだ』」
  自らの過去を語った日、彼は最期にこうも言った。
  「『ホロコーストみたいなことは、また起こる可能性があると思う。人間はそんなに変わってはいないから』」
  2020127日の「国際ホロコースト記念日」の2日前、ワルシャワで暮らす96歳の生存者の言葉。がニューヨークタイムズ紙に掲載されたと言う。
  「私は(ホロコーストが)二度と起こらない、とは言えない。今日の指導者たちは、危険な野心、誇り、そしで他人よりも優れているという感覚をいまだにもっている。それがどんな結果を生む可能性があるか、私たちは知っているのだ」
  7章は、戦争の終わりころに南方に送られそうになった著者の祖父の話である。もし送られていたら生還する確率はかなり低かったに違いない。
  著者が12歳のころ、祖父母の家の近くの寺で軍服を着た若者の写真が並んでいるのを見た。戦死した人たちに違いない。母に尋ねると祖父の2歳下の弟が戦死しているという。当時29歳、硫黄島だった。その戦いの数か月前に彼の第一子が誕生していた。
  祖父が亡くなる3年前、帰国して祖父母の家に立ち寄った時、急に思いがけないことを話しはじめた。
  「『近所の娘さんがドイツ人と結婚したんだ。ドイツ人と聞いて驚いたが、その人はいい人らしい。・・・もしも由美子がそのうち結婚したいと思う人に出会ったら、その人の国籍は関係ないんだよ。・・・大切なことはそういうことじゃない』そう言って、祖父はにっこりと笑った」
  「それから数年後、今の夫と出会ったとき、まっさきに思い出したのはこのときの祖父の言葉だった」
  8章は「集合的記憶」の考察から始まる。これは、ある事柄についてそれぞれが持っているイメージ、記憶、意味、ストーリーの違いを集団に拡大した考え方である。
  例えば、第二次世界大戦と聞いた時、私たちが浮かべる具体的な出来事のイメージと、アメリカ人とのそれとはかなり違っているだろう。これを「集合的記憶」と言うが、そこには避けがたい問題があると著者は言う。それは、「その記憶が、その記憶を形成した社会においてのみ役に立つ」という点であり、加えて、相手との結びつきを強めるには「役に立たない場合が多い。むしろ障壁になることさえある」からである。
  そこから著者は、「自分とは異なる記憶を持つ人たちと出会ったとき、私たちはその相手と、どのように関係性を築いていけるのだろうか?」という問題に至る。そしてそれについて、リーさんという中国からの移民がそのヒントを与えてくれたと言う。
  中国福州(1938年から46年まで日本軍に占領されていた)で生まれたリーさんは、1946年、14歳のとき両親と妹とアメリカに来たが、政治的な理由で中国には帰れなくなってしまう。
  また息子のケビンによれば、リーさんが幼いころ暮らした香港で、叔母が1941128日の「香港の戦い」に巻き込まれて亡くなったという。イギリス軍が降伏して日本軍の占領が始まったクリスマスの日に「患者、医療者、イギリス人の負傷兵などが殺され」、香港ではこの日を「ブラック・クリスマス」と呼んでいるそうである。日本では真珠湾攻撃は知られていても、この戦いはあまり知られていない。
  こうしたことから、著者が中国における戦争に関連する情報を検索した。
  「私が驚いたのは、このような出来事についで、自分がほとんど何も『知らない』ということだった。中学・高校の歴史の授業で、私は何を学んだのだろう?」
  著者はその後「社会的忘却」という言葉を知る。
  それは、その名のとおり「集団で忘れる」ことを指すが、何かを「思い出せない」だけではなく、「意図的に無視(度外視)する」というニュアンスも含まれる。なぜなら、「社会や集団にとって恥ずべき出来事や都合の悪い記憶ほど心理的な抑圧が働きやすい」からであって、「記憶の穴」と表現されることもあるという。
  ただ、「社会的忘却」は「個人の記憶」と共存することがある。それは、社会のほとんどの人は忘れても、ある人たちは覚えているという場合だ。そして、その個人の記憶は社会的に共有され認識されることもあれば、抑圧され隠されてしまうこともある。
  そして著者はこう危惧する。「私たちが『あったこと』を忘れているのだとしたら、そこに事実と異なる過去を植えつけることは、想像以上に容易なことに思われる」。それに関連して、2016年にオバマ大統領(当時)が広島を訪問した際のスピーチの一部を紹介している。
  「国家は、犠牲と協力において人々を団結させるストーリーを語り、優れた功績を可能にしてきました。しかし、その同じストーリーが、自分とは違う人々を抑圧し、非人間化するためにも頻繁に利用されてきたのです」
  ある機会にリーさんに、「ホスピスの患者さんになってから6ヵ月が経ちますね。そのことについてどう思いますか?」と聞いてみたところ、彼はしばらく宙を見つめ、“It’s something I have to get through.”(通り抜けなければいけない道だ)と言ったそうである。
  エピローグで著者は本書の意図を次のように語る。
  「この本では、日本で生まれ育った私が抱いてきた『集合的記憶』とはかなり異なる記憶をもった人たちのストーリーを紹介してきた。この本を執筆しようと思ったのは、日本の読者にも、日本の外からの視点で、あの戦争を見つめ直しでみてほしいと思ったからだ。
  国籍も置かれた境遇もまったく異なる人たちがもつ記憶をたどることは、自分たちの過去を知ることはもちろん、それをよりよい未来につなげていくことにもつながるはずだ。
  そのためにも、私たちは、ときに『忘れられた記憶』を発掘し、保存していかなければならないし、『向き合いたくない記憶』と向き合い、語り継がなければならない。そして、それこそが大切なのだと、もうここにはいない彼らが言っている気がするのである」
  知識、知見を広く客観的に求めつつ、目を背けずに事実を直視することのみが本当の理解、平安に繫がるということを肝に銘ずることがなにより大切なのだと思う。(雅)

 
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