2020年10/11月合併号 | Monthly sati! Oct./Nov. 2020 |
今月の内容 |
巻頭ダンマトーク『死が輝かせる人生』 (4) | |
ダンマ写真 |
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Web会だより:『仏教聖地巡礼 インド・ネパール七大聖地の仏跡巡り』 (3) |
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ダンマの言葉 | |
今日のひと言:選 | |
読んでみました:小笠原文雄著『なんとめでたいご臨終』 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
第4章 輝く命、消えゆく命・・・ *感動すること |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
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3.第3日目 地図:アイコンをクリックすると、写真を見ることが出来ます
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☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。 |
K.U.さん提供 |
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小笠原文雄著『なんとめでたいご臨終』(小学館2017年) |
日本在宅ホスピス協会の会長でもある著者は、1989年に内科を開院して以来1000人を超えて、なかでもひとり暮らしでは50人以上の在宅による看取りをしてきた。特にがんの場合には在宅での看取りが95%以上にのぼる。本書のカバー内側にはこうある。
「『最期まで家で暮らしたいけど・・・』 お金がない?家族に迷惑がかかる?一人暮らし? 大丈夫ですよ。安心してください。誰しも、たった一度しか死ねません。どうせなら『めでたいご臨終』してみませんか」 本書は6章で構成され、著者が関わったケースとその考えが示される。なかでも、第5章における事例は人ごととは言えない。 第1章:家なら最期まで好きなことをして過ごせる 第2章:余命宣告をくつがえす患者さんたち 第3章:一人暮らしでも、お金がなくても大丈夫 第4章:看取った直後に、家族がピース 第5章:在宅医療に失敗ってないの? 第6章:いのちの輝き いずれも背景として「在宅ホスピス緩和ケア」があり、著者それを次のように説明する。 「在宅ホスピス緩和ケアの『在宅』とは、暮らしている“処(ところ)”。『ホスピス』とは、いのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。『緩和』とは、痛みや苦しみを和らげること。『ケア』とは、人と人とが関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧いて、力が漲ることです」 人として最期まで暮らしの中に生きている“処(ところ)”でのこうした対応によって、「生活の質」を意味するQOL(Quality of life)とともに、ADL「日常生活動作」(Activities of daily living、食事や排泄、歩行や入浴などの生活の基本的動作のこと:編集部)を向上させようとする。そしてそれが、QOD(Quality of death)「死に方の質」を左右して、著者の言う「希望死・満足死・納得死」に繋がり、「安らか・大らか・朗らか・清らか」と4つの“らか”を実現する。それが出来たなら、たとえ離別の悲しみはあっても、「遺されたご家族も同じように清らかな気持ちで送り出せることを教えてくれ」、その結果、「なんとめでたいご臨終」となるし、またそうであれば、かりに誰もそばにいない時に亡くなった場合でも、それは決して孤独死ではないのだと言う。 だれもがいずれは直面する可能性のあるこの重い課題について、著者の考え、主張をたどってみよう。 まず第1章、一級建築士の遠藤さん(男性62歳)の場合。仕事も出来なくなり副作用もあるという抗がん剤治療を断った。「がんが治るなら抗がん剤を使います。でも、たった1か月しか延命できないなら、仕事がしたい」と小笠原内科の緩和ケア外来に通院し、痛みを取って心のケアを受けつつ自宅で仕事に専念した。その傍ら、家族と過ごす時間もとても大切にし、以前から行きたかったお寺参りに夫婦で行ったり、離れて暮らす子どもたちが集まって孫と遊ぶ時間も増えたと言う。そして宣告された3か月という余命もいつの間にか過ぎ、さらに2か月後には体力が落ちて通院することが出来なくなったので在宅ホスピス緩和ケアに切り替えた。 亡くなる8日前、訪問診療に行くと遠藤さんは嬉しそうに、「先生、私が設計した家のお客さまからりんごを頂いたんだよ。妻の作るりんごジュースはとっても美味しいから、先生たちも一緒に飲もうよ」とりんごゴジュースを出してくれ、そしてりんごジユースを片手に嬉しそうな遠藤さんと、みんなで「笑顔でピース」の記念撮影をしたそうである。そして、「死ぬのは怖くないですよ。怖いのは不安があるからでしょ。不安はありません、幸せですよ。充実しているから。上手な死に方っていうのはおかしいけれど、上手な生き方っていうのかな。がんは案外、いいもんですね」と言った遠藤さんは、1か月しか延命できない抗がん剤治療ではなく、仕事を選んだ7か月間を笑顔で過ごしたのち、家族に見守られながら穏やかに旅立っていった。 抗がん剤はどのような時に必要なのか?必要でない場合とは?抗がん剤を止めるのはどういう時なのか? 多くの人はがんが見つかった時点で治療を開始する。早期発見が出来て手術で取り除ければそれが最善であろうが、手術ではどうにもできない状況になった時にはどうなのか。著者は、「抗がん剤をつかって治る見込みのある患者さんには抗がん剤は必要」としながらも、あまり効果がないと見込まれるのに抗がん剤を使うのは、むしろ苦しみにつながるのではないかと問いかける。 「手の施しようがない末期がんの人が、それでも闘い続けることが果たして幸せなのか」「勝てない相手に挑んで最期まで苦しむのなら、早いうちに気持ちを切り替えて、残りの人生を笑顔で長生きできるように在宅ホスピス緩和ケアを選択するのも一つだと思います」と。 次は伊東さん(女性70歳)のケース。 本当は入院したくない。でも最期は家族に迷惑をかけないようにと緩和ケア病棟へ入院の予約に行った。その時彼女はその病棟の先生から、「ここへ入院する時は人工肛門を作ってから来てくださいね」と言われたそうである。しかし、小笠原内科での検査では人工肛門を作っても意味がないという診断が出、その日の夜ご家族に小笠原内科へ来てもらったと言う。 説明を聞いた家族は、「先生のおっしゃることはわかるけれど、入院したほうがいいのでは・・・」と半信半疑だった。 そこで著者は、今は伊東さんの人生を左右する大事な局面だと感じ、「『入院したらお母さんの笑顔が消えてしまうんですよ。お母さんは今、とても嬉しそうでしょう。ご飯が食べられなくても、家にいるだけで幸せなんです。モルヒネの持続皮下注射やサンドスタチンという腸閉塞の特効薬を使えば、痛みも出ないし、何も心配いりませんよ』と、2時間ほどかけて説得」したと言う。 その結果、家族も“母を入院させてはいけない”という気持ちになり、翌日往診に行くと、「伊東さんの表情が今まで見たことがないほどの満面の笑みに変わって」いた。 著者はこれを次のように推測する。 「・・・私はこう思います。伊東さんは退院し、自宅で暮らすことができました。でも心のどこかで、“腸閉塞になったら入院しなくてはいけない”とか“人工肛門を作ったら緩和ケア病棟に入ろう”“家族が望むなら入院しよう”と思っていたのです。家で暮らせる幸せを感じる一方で、いつかその幸せを失うのではないかという不安を抱き、心はいつも定まっていなかったのでしょう。 しかし、“私が家で最期まで暮らすことに家族が賛成してくれた”という安心感と幸福感が、伊東さんを満面の笑みに変えたのです」と。そして、「『ところ定まれば、こころ定まる』とは、まさにこのことなんですね」と言い、「この言葉をぜひ覚えておいてもらいたいと思います」と言うのだ。 痛みとそれへの不安を解消するためにはPCA (Patient Controlled Analgesia:自己調節鎮痛法)という「魔法のお弁当箱」が使われる。これは、24時間投薬し続けることができる弁当箱サイズの医療機器で、痛みがある時にボタンを押すとモルヒネが1回分投与されて痛みが取れ、約4時間効果が持続するという。痛みが出たら何回でも本人の意思でボタンを押せることで、我慢する必要がなく、安心感が得られると同時に痛みを感じにくくさせる好循環が生み出される。 しかも、「PCAは、ボタンを一度押すと、その後15分間はどれだけ押しても投薬されないように設定できます。仮に必要以上に押してしまった場合でも、眠気が出たり、数時間眠るだけのことで、死ぬわけでは」なく、伊東さんは、「ありがとう。PCAは命綱。これさえあれば私は最期まで家で過ごせる」と何時も言っていたそうである。 第2章、大野さん(女性72歳)は退院したら5日の命と言われていた。そこで小笠原内科のスタッフが主治医をなんとか説得して退院した後、4年10か月後の小笠原内科のクリスマス会に参加、あまりにイキイキしていたので腫瘍マーカーの値を測ってみたところ正常に戻っていたと言う。 病院には患者を助けるという責任感、使命感があり、たとえいつ亡くなってもおかしくないような患者本人が退院の希望を持っていても、もし病院にいた方が長生き出来るという判断があると退院させにくいそうだ。 悪性リンパ腫で主治医から、「抗がん剤ももう限界まで使ってしまったから、もうこれ以上治療することも出来ないし、状態も落ち着いているから、今なら退院できるよ」と言われた平井さん(男性88歳)は、10年目を笑顔で暮らしている。 「いつ死ぬかわからない」と言われた鈴木さん(男性68歳)は1年もの間自宅で穏やかに過ごしたし、余命8か月と宣告されたためにがん患者の会にも「末期は入会できない」と言われた花田さん(女性64歳)は、1年以上延命して遺影を2回撮り直したという。 このように、在宅医療を選択したことにより、余命宣告を大きく超え、しかもQOLやADLを満足させつつ生を全うしたケースが多く見られるのは、「人は、ひとりでは生きていけません。最期の時もひとりではないのです。必ず誰かと関わり、お世話になったり、協力し合ったり、そういったコミュニティの中で生きています」とする著者の言葉からもよく理解できる。 たしかに、病院における医療に携わる人々の存在は安心感をもたらす。しかしその反面、患者一人ひとりにはなかなか手が回らないほど忙しいのも現実ではないだろうか。それゆえかえって孤独感を生んでそれが免疫力の低下に繋がる、そんな可能性も全くないとは言えないのではないかと思う。 1~2か月と言われた安藤さん(女性87歳)が在宅に切り換えて1年半以上経ったとき、痛み止めの薬を飲み忘れたために痛みが出たそうである。そのため、「痛い、痛い」との訴えを聞いた息子に入院を勧められて再入院したところ、1か月後に亡くなったと言う。これは「病院のほうが孤独死なのかもしれないという現実」を教えてくれたのではないかと著者は言う。 第3章では、2000年に出来た介護保険制度のおかげで、ひとり暮らしでも最期まで自宅にいられるという事例を紹介している。もちろん、病状や住居環境などの条件、また本人の望みの内容によって在宅医療にかかる金額は変わってくるが、示されている自己負担額の一覧表(本書p.116:以下同じ)によれば決して高くはない。 そのほか、訪問看護費が無料になること(p.135)や、夜間はしっかり眠って朝が来ると目覚めるという人間らしく生きるための「夜間セデーション」(p.136)、また目の不自由な河合さん(女性80歳)のケースでは、指で触れると24時間対応の介護事務所につながる「タッチパネル式テレビ電話」を導入したという。この利用料は1か月1610円、緊急出動をしてもらうと1回580円(2006年当時の金額)だそうである(p.145)。 また、THPという医療・看護・介護などの多職種が関わる際に適宜対応する実力を持ったキーパーソンと、そのために開発された情報共有アプリとしての「THP+」を使った体制によって、連携ミスが起きないようにしている(p.146)。 (THPはToral Health Planners:トータル・ヘルス・プランナーの略。医療・看護・介護などの多職種が関わる際に適宜対応する実力を持ったキーパーソン。THP+はそのために開発された情報共有アプリ。教育的在宅緩和ケアとは知っていることは教え、知らないことは教えてもらう医師の連携:編集部) 第4章は、末期がん患者にとっての1日がどれほどの重みを持つか、高木さん(女性86歳)の例。 金曜日に家族が、「先生、末期がんの姑が『家に帰りたい』と言うので、月曜日に退院させることにしました。急に悪くなって、いつ死ぬかわかりません。退院したら往診に来てもらえませんか?」と頼んできた。 「もちろん往診はするけど、急に悪くなって今にも死にそうなのに、月曜日の退院でいいの? 3日後、生きてるの? もしも亡くなったら、病院の裏玄関から出て行くっていうことだよね。そうなったら、あなたたちは後悔しない? 退院させてあげたいなら、今日の午後にでも緊急退院できるんだよ」と著者。 「えっ!? 今日、退院できるんですか? あ、でもまだ家の掃除が・・・」 「掃除なんて、ささっとすればいいし、しなくてもいいんだから」 そんなやり取りの末に、高木さんは4時間後に表玄関から緊急退院。そののち家での治療の結果、痛みが取れ、表情はどんどん穏やかになっていった。翌日の土曜日の訪問診療では高木さんは嬉しそうにして、「よく寝られたよ。嬉しいわ」と言ったそうだ。 「ありがとうございます。おばあちゃんも笑顔だったし、よかった」と家族。心の準備と覚悟ができて最期の時間を過ごしたが、日曜日には意識がなくなり、往診したところすぐにも亡くなりそうであった。 「月曜日まで入院していたら、家に帰れなかったかもしれないよ。緊急退院させてよかったね」 ところが火曜日。 「『あれ、どうしたのかなぁ。もう全員集まったんだよね』と私が聞くと、息子さんが周りを見回して言います。 『あっ、そういえば、東京のひ孫がまだ来てない』 『じゃあ、きっとひ孫を待っているんだね』」 東京から水曜日に曾孫が到着したあと、高木さんは穏やかに旅立った。そして高木さんを囲んで治療スタッフも一緒に家族みんなで笑顔でピース。このような写真は本書には何枚も掲載されている。 「その時」を見計らったようなこのような旅立ちは、まさに著者の言う「めでたいご臨終」なのだ。人の死はやり直しがきかない。もし笑顔での旅立ち看取りを望まれるなら、患者本人に合った診療所や在宅ケアの医師を選ぶことが大事だと著者は語る。 第5章では失敗した例。 残念ながら医師のスキルにも差があり、また最初から高いわけでもない。在宅医療を始めて28年になる著者自身、初めの頃には後悔することもあった。そこで、患者の願いと医師選びの参考にしてもらい、さらに在宅ホスピス緩和ケアのスキルを身につけることの大切さを後輩の医師に伝えようと、著者自身の例を挙げる。 家族に「絶対に本人に言わないで!」と懇願され、副鼻腔がんで最期まで苦しい思いを者ながら亡くなった西さん(男性59歳)には、家族への説得と告知後のフォローが出来るスキルを磨くことの重要さを教えられた。 また、廣瀬さん(女性85歳)は最期まで家にいたいという願いが家族の反対で叶わなかった。「いいところがあるから見に行こう」と、「こんなところ(グループホーム)に置き去りにされた」と悲痛な声で訴えた廣瀬さんは、おそらく、そのためにタコツボ症候群となってしまって無念の最期になってしまったのではないか。(※個別の事例であって、グループホーム自体が悪いというわけではない:著者) また、ご主人が入院することになった古川さん(女性72歳)本人は、車椅子を使いながらもヘルパーに頼んで買い出しも料理も出来ていた。しかし、離れて暮らしていた息子は心配して、「ひとり暮らしなんてダメだ。父が入院している間、母にも入院してもらう」と言う。著者は、「ひとり暮らしでも大丈夫ですよ。お母さんは足が悪いだけだし、何も心配いりませんよ。お母さんが『家がいい』と言っているのだから、家にいさせてあげたらいかがですか?」と説得した。 その時は「わかりました」と言ったので、納得してもらえたと思ったが、なんとその夜、息子は何の連絡もせずに入院させてしまった。おそらく息子は、「小笠原先生の話はわかったけど、自分の意見とは違う。入院させたほうがいい」と思ったのだろうと著者は推測している。 古川さんは入院して2日後に亡くなった。おそらくタコツボ症候群であった。 「患者さんとご家族の意見が対立した時、ご家族に対し、患者さんの想いはしっかりと伝えますが、いくら主治医でも『家にいさせるように』と強制はできません。 しかし、14年間も古川さんの主治医をしていた私は、その性格をわかっていました。あの時、息子さんに納得してもらえるスキルがあれば・・・と後悔するのと同時に、私以上に母親の性格を知っていた息子さんだからこそ、気の弱い母親のひとり暮らしを心配したのかもしれないと、胸が張り裂けるような思いがしました」 そしてその後は、患者だけでなく、ご家族も後悔しないように、説明する時には患者さんの性格を踏まえ、過去の事例もお話ししながら1時間でも2時間でも粘り強く説得するようになったと言う。そして、 「この事例は、子どもが考える最善の選択が、必ずしも親にとって最善ではないこと、それを大切な人の死をもって気づくのでは遅いということを教えてくれました。これは親子だけに限った話ではないと思います。なぜなら、死が迫っていない人には、死ぬ人の気持ちがわからない。自分がもうすぐ死ぬと思っている人は、残りの人生が決まると覚悟した上で一つひとつの選択をしている。家族は、患者がそれだけの重みを感じながら選択しているということを知るべきだろう」と言う。 医療従事者は患者のために最善と思う医療・ケアを選択する。それは在宅ケアでも同じだが、松尾さん(女性80歳)の場合は優しさが裏目に出てしまった事例だ。 ALSでは、最終的に呼吸が出来なくなった時には、自然の流れに任せて死を受け入れるか、人工呼吸器をつけて延命するか、選択を迫られることになる。彼女は前者の選択をしていたが、旅立ちの時が近づいてきたその時、駆けつけた息子さんが救急車を呼んでしまったそうである。そのため彼女は1年間も人工呼吸器を付けたまま病院で亡くなった。 人工呼吸器をつけている患者の多くは、苦しさのあまり呼吸器を外そうとする。そのため多くの病院では、筆談の時以外は苦肉の策として患者さんの手を縛ることがある。著者が救急搬送の報告を受けて病院へ行くと、彼女は文字盤を使いながら、「は・ず・し・て」と涙ながらに訴えるだけだったと言う。 このことから著者は、「何かあったら救急車を呼ぶ」という発想が日本の常識になっていることを痛感したという。 また、退院時に医師や看護師は、「何かあったら、すぐ病院に来てね」と言うが、それは患者さんを安心させるために言っている場合も多く、「本当に入院が必要な時だけ来てね」というのが真意であって、安易に救急車を呼んでしまうと苦しい延命治療をされたり、最期まで家にいたいという願いが叶わなくなったりと、地獄の苦しみを味わいかねないという。 助かる人はもちろん助けるべきである。しかし、末期がん、老衰、認知症で自分の意思を表明出来ないなど、たとえ助からないとわかっていても最期まで苦しい延命治療をされてしまうことが多い。こういう悲劇に遭わないためには、ACP(Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング)といって、患者や家族がTHPや医師、訪問看護師、ケアマネージャーなどを交えて、「延命治療をするかしないか」「救急車を呼ぶか呼ばないか」など、予め決めておくことが必要となる。もし意思決定能力がなくなっても、自分の想いを語ったり書き残していれば、それは尊重されるべきなのだ。さらに、 「日本の救急車が無料であるがゆえに起こる悲劇もお伝えします。近年、軽傷でも救急車を呼んでしまう人が急増し、本当に緊急を要する人が利用できなくなるという事態が起きています。その結果、助かるはずの人が助からなかったり、状態がひどくなったりするのです。救急車をタクシー代わりに使うなどもってのほかです。本当に必要な人が必要な時にだけ利用することで、こういったことが起こらないように願っています」 (毎日新聞2020年1月11日朝刊によると、2019年1~11月に全国の警察が対応した110番通報は829万9775件で、うち18.4%が緊急性のない内容だったという。前年同期の19.2%と比べ、やや改善したが、「免許更新の方法を教えて」「子どもが言うことを聞かないので警察官が叱って」「「家の中にゴキブリがいる」など相談や警察対応が不要な内容もあった:編集部) 第6章では、教育的在宅緩和ケアという、小笠原内科のスタッフと遠距離のサポート医師とで行われる遠距離の在宅緩和ケアを紹介している。この章には、35歳2児の母が見せた最期まで生き抜く姿のほか、朗らかに生きて笑顔で旅立っていった亡くなった方々、そして遺族に生まれた温かな想いが描かれている。 見送る側にとっても見送られる側にとっても実感できるような「希望死・満足死・納得死」のための小笠原内科が考案したシステムは次の5本柱である。 ① THPケアシステム・・・多職種が連携できるような体制 ② THP+・・・患者に関わるすべての人が情報共有できるアプリ ③ 連隔診療・・・いつでもどこでも診察できるテレビ電話 ④ 退院調整・・・退院希望の患者に合う在宅医を探し、退院させること ⑤ 教育的在宅緩和ケア・・・医師同士が教え合うこと 小笠原内科は、100km離れたケースも含め、岐阜県を中心に88例の教育的在宅緩和ケアを行なってきた。在宅ホスピス緩和ケアのできる医師が増えることは、それだけ多くの地域で多くの人が笑顔になれるということだ。「笑う門には福来たる、そんな在宅ホスピス緩和ケアが望まれ」ている。 「あとがき」での著者の言葉。 「“最期までここで暮らしたい”という願いが叶い、自然の摂理の中で『希望死・満足死・納得死』ができた時、ご遺族は離別の悲しみで涙を浮かべながらも、笑顔でお別れをします。そんな場面に立ち会うと、『おやおや、みんなピースしているねぇ。じやあ私も笑顔で旅立とうか』という亡くなった方の声が聞こえるような気がします。 『ご愁傷さま』ではなく『笑顔でピース』。今の日本の常識では考えられないかもしれませんが、『笑顔で死ねる、笑顔で看取れる』としたら、なんとめでたいご臨終でしょう」 最後に、本文では書ききれなかった本書に掲載の情報、データを紹介したい。 ・お別れの日に向けて ~安らかな看取りのために~ のパンフ・・・p.28~29 ・モルヒネの使い方で知るべきこと・・・p.80 ・あくび体操・・・p.108 ・園部さん(男性79歳)の場合の自己負担額(2ケース)の比較・・・p.116 ・上村さん(女性82歳)の場合の自己負担額・・・p.153 ・抗がん剤を使うかどうかを見極めるコツ・・・p.194~195 ・旅立ちの日が近づいたサイン・・・p.196 ・教育的在宅緩和ケアなら遠距離でも大丈夫の組織図・・・p.251 ・著者が徳島県から送ったTHP+・・・p.275 ・森さん(男性76歳)が旅立たれた直後に家族が書いたTHP+・・・p.276 ・鎌倉にいた著者がテレビ電話で350km離れた柏原さん(女性91歳)の遠隔診療・・・p.293 ・THPケアシステムで患者を支える(連携・共同・協調+介入)の組織図・・・p.311 機会があればぜひ一読されたらと思う。 |
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