月刊サティ!

2020年7月号      Monthly sati!  July 2020 


 今月の内容

 
    巻頭ダンマトーク『死が輝かせる人生』 (2)
   ダンマ写真
   Web会だより『仏教聖地巡礼 インド・ネパール七大 聖地の仏跡巡り』(1)
   ダンマの言葉
   今日のひと言:選
   読んでみました近藤誠著『眠っているがんを起こしてはいけない』      

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  


     

 
 

 巻頭ダンマトーク『死が輝かせる人生』 (2)

                               地橋秀雄

                                                            
 
 
 第二章

*神様の藤
  死を覚悟した人の心象が見事に描き出された映像がもう一つ、保山さんの故郷、奈良春日大社の朝まだきの藤棚の美が感動的でした。
  藤の季節の一時期、春日大社の藤棚は神秘的なかそけき美しさを醸し出すらしいのです。一年に一度だけ、日が昇る直前、暁の闇が破れて薄っすらと空が白み始め、金星と月はまだ視界に残るが、他の星は姿を隠したような束の間、空は明るみ地上は薄暗い、そんな瞬間に藤はひっそりと咲き始めるのだそうです。
  暁の薄闇の中で咲き始めたほんの5分か10分間だけ、春日大社の藤は特別な美しさを放つのです。夜が終わり朝が始まろうとする狭間で、人しれず花開いた藤が、わずか数分間だけ自ら微光を放って輝く・・・。まさに「神様の藤」と言われる稀有な映像が映し出されていました。
  そんな繊細な一瞬に目が吸い寄せられるように、保山さんは風の匂いや温度や湿度の感じから、その日の直感で今日はどこに行けばいいのかを察知しているようです。自分が撮っているのではなく、何かに撮らされているようだと言ってましたが、とても偶然とは思えない本当に美しい一瞬の風景を逃さないで撮影しているわけです。
  迫りくる死を覚悟すると、自ずから我執が落ち、無我の感覚が強まるのでしょうか。エゴの計らいや欲で狙っても、このような美の瞬間には到底立ち会うことはできないだろうと思われました。

*投げ返されてきたボール
  保山さんは、こうした美しい映像を「時の雫」というタイトルで毎日、インターネットのYouTubeにアップロードしているのです。すると、当然のことですが、いろんな人からメールが届くようになり、大きな反響が得られるようになりました。彼は自分が末期癌であることを公表しているため、同じ病を得て余命宣告をされた人からもメールが届き、
  「保山さんの映像で励まされました」
  「いま病気で健康な時と同じようなことはできないけれども、そんな自分でもいいんだよって言ってもらえたような気がした・・・」
  と共感を伝えてくるのです。
  あるいは、「一日嫌なことがあったけど、保山さんの映像を見たら全部忘れて、幸せな気持ちで眠れました」
  「東京で毎日働いて、夜遅く帰宅して保山さんがその日撮影した奈良の風景を眺め、故郷の美しい景色に癒されました」と、そんなメールが来る。
  保山さんにとっては、遊び半分で戯れに始めたスマホの動画撮影は、死の恐怖を忘れさせてくれるものでしかなかったのに、いつの間にか世間に評価され、多くの人の励みになっていることが知られたのです。そんな手応えが感じられたら、もう止められなくなったと述懐するのも当然でしょう。
  ここで保山さんは極めて重要なことに気づきました。自己有用感です。当初は「癌にすべてを奪われた。悔しい、悔しい、悔しい・・・」と書き記すことしかできなかったのに、自分の存在は無価値ではなかった。何もかも失ったはずの自分が今、ささやかながら人様のお役に立てていると感じられる・・・。これはすごく大事なポイントです。

*愛着と自己有用感
  自分は存在する価値があるのだろうか。自分のような者が、生きていてよいのだろうか・・・。そんな自問自答が絶えず繰り返され、自己否定感覚に苛まれている人が少なくありません。もしこの世に誰ひとり自分の存在を認めてくれる人がいないと思えば、その孤独感や無価値感は耐えがたいものとなり、生きる力が失われていくでしょう。
  自分に自信が持てず、人間関係が苦手な人たちは、いつからそうなったのでしょうか。ほとんどの場合、そうした傾向や資質は幼少期に端を発しています。母親など重要な養育者との間に健全な愛着形成がなされないと、いわゆる「愛着障害」と呼ばれる問題が発生します。
  赤ちゃんと特定の養育者との間には、強い心理的な信頼関係や絆が生まれ、他者とのコニュミニケーションの第一歩となる対人関係の原型や基盤になっていきます。ところが、母親が不在であったり毒親だったり、頻繁に養育者が替わったり、何らかの不具合や不安定要素が生じると、愛着障害が起きてしまいます。乳幼児の母親自身が発達障害や愛着障害を抱えている場合は、同じ問題がコピーされ世代間連鎖になることもしばしばです。
  生まれてから母親に一度も褒められたことがない。この歳まで、母親に褒められたのはたった3回だけです・・・などと洩らす方に、瞑想の指導を通して何人も会いました。
  幼い子供にとって一番大事な人が、自分の存在を常に見守り、励まし、褒めてくれ、絶対的に丸ごと肯定してくれる。愛されていると確信できる。そうした体験が繰り返されなければ、情緒が不安的になり、自分の存在には何の価値もない、と慢性的な自己否定感覚と無価値感に苦しむことになるのが人間です。
  赤ちゃんが最初に出会う「重要な他者」である母親との間に安全・安心・信頼が十二分に形成されなければ、自信も、自尊感情も、人を信頼することもできなくなるのです。不完全では存在している資格がないし、誰にも認められないし、なんの価値もない。愛情と安全と安心を得るには、がんばって頑張って、完璧でなければならない・・・と、子供は考えてしまうようです。
  自己肯定感が低いので、人から認めてもらいたい、必要とされたい、褒めてもらいたい、と承認欲求が強くなり、次々と難しい資格を獲りまくり、お免状や証明書や免許が山積みになっていく資格マニアも珍しくありません。揺籃期の愛着障害が根本原因なので、どれほど難関の資格をゲットしても常に不全感が残り、心底から自分を承認しきることができないのです。
  恋愛相手に体当たりで愛を求め、承認を求め、永遠の愛を誓わせることを繰り返す人もいます。「おまえは、重い!」と疎まれ、深く傷ついて次の恋に臆病になり、心やさしい人に出会っても、心を閉ざし、自我防衛の体制を布いてしまうこともあります。
  愛着障害は、人間関係の根本に関わる問題です。自己肯定感が持てないので、自信がないし、他人も自分も信頼できず、人との関係を上手に築けない障害です。
  どうしたらよいのでしょうか。
  愛着障害は回避型・不安型・混乱型など、いくつかのタイプに分かれるし、根本治療は専門家に任せるべきです。自分が愛着障害であることに気づかぬまま、ただ人生が苦しくて瞑想にたどり着くケースも少なくありません。私の仕事は、瞑想のできない人に瞑想ができるようになる道を示すことです。これまでの経験から、愛着障害全般に有効性のある対処法が3つあると考えています。
  ①は安全基地の代替えになる存在を見つけること、②はトラウマの解消と過去の受容、③は善行です。ここでは本稿のテーマに関連する③の善行についてお話します。

*利他行
  善行とは、人のため世のために善い行ないをすることです。他人を利する行為なので「利他行」とも言います。ささやかな小さな善行から始めると定着しやすく、例えば、座席を譲る、コンビニの募金箱に釣銭を寄付する、路上のゴミを拾う、ボランティア活動、何もしてあげられなかったら、心のこもった挨拶や慈悲の瞑想だけでもよい・・・等々。
  英国のホームレスの老人が語っていました。「一番うれしいことは、道行く人が挨拶をしてくれた時だね」。
  まるでそこには何も存在していないかのように無視する通行人ばかりなのに、挨拶の言葉を投げかけてくれる人は、少なくとも自分の存在を認めてくれたということです。そんなささやかなことが一番嬉しいと感じる人がいるのです。
 
 ありがた迷惑だったり、上から目線の善行が却って相手を傷つけたり、心から人に喜んでもらえる善行は、なかなか見つからないものです。お金もないし時間もないし善行など出来ないという人も少なくありません。しかし、雑踏の路上で一言挨拶するだけで、こんな風に受け止めてくれる人がいて、素晴らしい双方向の善行が成り立つのです。

  自分のためになることよりも利他的行為の方が、心理学的には幸福度が高くなると言われます。欲しいものが手に入り願望が実現すれば、誰でも嬉しいものですが、所詮、それは欲が満たされた満足感に過ぎません。しかるに、人のお役に立てたり、喜んでもらえたり、他者の幸福に貢献できたときの満足感は、自分の人格全体に関わってきます。まして相手から感謝をされたりすれば、それは、あなたのお蔭で助かりました→あなたの存在は私にとって掛けがえのない価値あるものでした、と自分の人格や存在全体が認められ感謝されたような印象になります。
  これが善行の気持ちよさです。自分のような者でも、人のお役に立てる。無価値な存在ではないのだ、と自分を肯定し、自分を信頼できるようになる訓練の一環なのです。
  愛着障害を本格的に乗り超えようとすると、自己否定感覚の発端となった直接原因に向き合い、トラウマやネガティブな過去を受け容れる難しい仕事に取り組まなければならないでしょう。抜本的な認知の転換が必要です。
  しかし問題の深刻さは千差万別、程度もピンからキリまでです。善行などの新しい反応パターンが上書きされていくだけでも、傷ついた旧い反応系が色褪せて、いつの間にか風化していく場合もあります。善行の爽やかさが繰り返されていくにつれ、ある日、生きるのが苦しくなくなっていたと気づくことも少なくありません。
  話がちょっと横道にそれたので戻しますが、保山さんが愛着障害だと申し上げているのではありません。余命宣告をされて仕事もなくなり、誰とも心が通じていない孤独感は、自己否定感覚や無価値感につながっていたのではないか。自分は無用の存在ではないかと苦しんでいたさ中に、見知らぬ人たちから思わぬレスポンスがあり、自己有用感が確かめられたことは生きる力を奮い立たせてくれたことでしょう。自分も人のお役に立てる有用な存在だと感じられたことは、病気だけど生きるに値するのだとストレートに確かめられたはずです。善行の価値に目覚めた保山さんに、新たな生き甲斐が生まれたのです。

*役割なしの者なし
  こう言うと、人のために善行のできる保山さんは結構だが、寝たきりで人に介護されながら暮らしている者は役立たずで生きるに値しないのか。どこを探しても自己有用感など見出せない者はどうなのだ、という疑問が出るかもしれません。そういうことではないのです。100%お世話されるだけの赤ちゃんが、周りのみんなの生きる拠りどころになっているように、無力な弱者の存在が周囲の人に優しさや「悲(カルナー)」の心を発露させていることも多々あるのです。
  重度の障害者が扇の要になって、家族全員を一致団結させている事例も数多く見てきました。一見すると周囲の人に迷惑をかけながら、ただ介護されている無力な人たちにも立派な存在理由があり、何らかの役割を果たしているのです。
  アイヌには、「天から役割なしに降ろされたものはなし」という格言があるそうです。美しい言葉だと感銘を受けました。弱者も強者も、悪に悪を重ねて破壊しまくる者も、遠大な視野におさめて眺めれば、見事にそれぞれの役割を果たしながら調和の相の下にあることが知られるでしょう。
  人の体の中では日々、骨を破壊する破骨細胞と新しく作り出す骨芽細胞が同時進行しています。創造と破壊は同格で、壊れなければ新しいものは生まれてくることができないのです。災害で破壊し尽くされた直後は悲劇以外の何物でもありませんが、必ず立ち直っていくし、復興が完了した時には改善や新しい価値でバージョンアップされた街並みが現れるものです。
  害毒を垂れ流すだけの悪者は皆殺しにして、この世から抹消すべきだという考えは間違っています。「社会の悪」と決めつけ取り締まって排除しようとするのは、自己中心的な視座から滑稽な理想を掲げる愚か者です。この世は、健康で美しい善人だらけにすべきなのでしょうか。傲慢なエゴの視座から発想された強者の論理です。どんなものも一時的な存在に過ぎず、あらゆるものは無常に変滅していく真理にも盲目的です。
  ヒットラーは害虫のユダヤ人を600万人、ポルポトは都市部の知識人を中心に300万人、スターリンは自分の政敵や危険分子を2000万人も虐殺したと言われます。もとより正確な数字は不明ですが、悪を滅ぼせ!という妄想に同調する者たちが実行者になっていくのです。
  では、ヒットラーのような大量虐殺者こそ抹消されるべきでしょうか。巨悪を犯した極悪人にも存在理由があり、反面教師として何らかの役割を果たしていたはずです。終戦になるや否や、軍部にダマされていた、と自分達は被害者であるかのような態度を取る人の多かった国もあるようですが、戦後ドイツは様相を異にします。ナチスを容認し、支持してしまったのは自分達の責任だとして、国民レベルで懺悔モードになり、二度とナチスを輩出させないシステムを作りました。
  ヒットラーを経由することによって、ドイツが進化し成熟したのであれば、歴史的に存在した意味があるのかもしれません。
  無益と観るのも有益と観るのも、しょせん小賢しいエゴの猿知恵です。やれ賤しいの貴いの、下流の人だ上流だ、凡夫だ聖者だ、とつまらぬエゴの判断を差しはさむ視座を超えなければならない。
  荘子なら万物斉同と言うでしょうが、仏教では「捨(ウペッカー)」の心で万物を等価に観る、と言います。善も悪も何もかも、存在しているものは全て正しい、と私は言いたいですね。あらゆる価値判断を超越し、万物を捨の心で眺めれば、ただ「あるがまま」に存在しているだけであり、心底からそのように観られるのはエゴの視座を捨て去り、無我の境地とそこからの視座を体得している人たちでしょう。
  そのような心境に達すれば、死を超越した領域に参入し得るのでしょうが、残念ながら保山さんも私たちと同様、まだそこまでは到り得ていないようです。

*国際映画祭への出品
  自己有用感を持てないままネガティブ妄想に圧し潰されるように自滅し、孤独死する人が後を絶ちません。保山さんも際どいところでしたが、偶然という名のカルマの良さから、無力な自分になってもできることを見出して、無償の行為として積み重ねていくことで活路が開かれていきました。
  奈良の風光を無心に撮影した動画がしだいに評価され、保山さんの映像作品の上映会が開かれるようになったのです。やがて病と向き合う自らの心の内を描いた作品が奈良国際映画祭に出品され、2018年に春日大社に奉納する形で上映されるまでになりました。「映像詩、春日大社ー私の命と春日の神様」という作品です。
  迫りくる死の足音を聞きながら、万感の想いを込めて撮影していった春日大社の美しく、はかなく、森厳な風光の一瞬一瞬が切り取られているのです。・・・春日の森、朱塗りの本殿、藤の花、水谷川、氷柱と霜に凍てついた手水舎の柄杓、万燈籠、二の鳥居・・・。いずれも、保山さんの瞬間の美学に貫かれた珠玉の映像でした。
  何を撮るべきか。今日しか撮れないものが、必ずある。今日しか撮れないものが、一番美しいはずだ。本当に美しいものは、その瞬間にしかない・・・。そう語る保山さんの美学が完璧に盛り込まれた傑作と感じました。静かで、はかなく、鬼気迫る映像が一つの無駄もなく連続する様に、死の迫った者が見る最期の光景を残そうとする覚悟が伝わってくるようでした。
  その峻厳さと、かそけさと、美しさに見事にマッチしたBGMが、川上ミネの独奏する繊細なピアノでした。保山さんの心情を何もかも心得たかのように、ピアノ独奏が紡ぎ出す透明な美と、燦めきと、鋭さと、静けさが、映像と音の類まれなるハーモニーを生み出しているのに感銘を受け、個人的には川上のピアノだけでも繰り返し聴きたくなる傑作だと思いました。

*言葉と、映像と、音の、最期の饗宴・・・
  この作品には、映像の合間に字幕が現れてきます。
  「余命を宣告されて、5年後に生きている確率は10パーセントだと告げられる。でも、今は生きている」
  と、白い文字が闇の中に音もなく提示されるのです。そして、枝垂桜の一枝が静かに浮かび上がり、川上のピアノが鋭く、静かに鮮烈な響きを奏で、朱塗りの拝殿に石灯籠、枝垂桜の大木、と美しい絵が続き、再び暗転し、
  「生きるのも、死ぬのも、怖くてたまらない」
  と沈黙の中に文字が白く浮かび上がります。さらに、朱塗りの鳥居のかたわらに屹立する銀杏の大木から、風もないのにハラハラと雪が降るように金色の落葉が舞い落ち、辺りは一面銀杏の落葉で埋め尽くされている。古色蒼然とした石灯籠の上にも黄色の落葉が重なり、水谷川の水底に張り付いた銀杏の葉の上を清冽な急流が流れ続け、再び暗転し、
  「でも、私は生きている。その意味を探し続けた・・・」
  と字幕が浮かび上がり、真冬の白いガラス破片のような霜の鋭さと、そのかたわに佇む鹿の体から湯気が立ち昇る・・・といった塩梅です。
  春日大社の折々の風光と川上の鮮烈なピアノだけでも、観る者に瞬間の美と、滅していくもののはかなさと、死を連想させる厳粛さを十分に感じさせるでしょう。その一因は、保山さんが捉える被写体のはかなさです。・・・朝靄に薄っすらと煙る池、樹々の葉の上に束の間ふくらんで光っている水滴、舞い落ちていく落葉、水面に反映する色鮮やかな紅葉、不意に風が立ち、さざ波とともに崩れ去っていく紅葉の色彩・・・。
  保山さんの眼がはかなく消滅するものに吸い寄せられていくのは、自身に迫り来る死を覚悟しているからに他ならないでしょう。映像の力だけでも十分に伝わるのですが、字幕の言葉が決定的に観る者の認識を、死とは何か、死と隣り合わせながら生きるとは何か・・・に向かわせます。保山さんの視覚と、川上の音と、どこにも逃げ場のない強制力で言葉が問いかける、死と、生と、瞬間と、美・・・。

*この世とあの世をつなぐ虹
  春日大社に奉納する映像詩がほぼ完成し、締め切りが間近に迫ったある日、春日大社の宮司さんが今まで聞いたこともない話をされました。
  自分には彩生(サキ)という名前の女の子がいて、三歳の時に小児癌を発症したというのです。一番かわいい盛りに小児癌を宣告されたが、治療の甲斐があり奇跡的に5年間生きながらえて亡くなったというのです。その5年間、サキちゃんは天真爛漫に生きて、逆に両親や家族を始め学校の友達や先生、周囲の人たちを喜ばせ、楽しませ、勇気づけ、みんなに生きる希望をばらまいて短い生涯を閉じたということでした。
  その話を聞いた保山さんは、これはアカン、もっと自分をさらけ出さなければダメや、と思ったのです。全部さらけ出して神様に見てもらうのが奉納作品ではないか。宮司さんの遺児サキちゃんに捧げるような映像を加えて製作し直さなければならない。〆切までに残された時間はわずかだが、やってみよう、と。
  そこで閃いたアイデアは、御蓋山(みかさやま)に虹がかかる光景を撮影できないだろうかということでした。宮司さんは、「あの子は、ほんまに春日大社の好きな子やった。飛火野のベンチに座って、いつも御蓋山を見ていた」と洩らしていたのです。それなら、サキちゃんの大好きだった御蓋山に虹がかかるのを撮影して、あの世にいるサキちゃんをびっくりさせてやりたいと考えたのでした。
  さらに保山さんには、虹はこの世とあの世を繋ぐ懸け橋のようなイメージがありました。宮司さんのためにも、あの世のサキちゃんとこの世を繋ぐ懸け橋の虹を撮りたかったでしょう。そして、その虹は、遠からずこの世を去り行く自分とあの世を繋いでくれる象徴にもなるだろうと秘かに思うところがあったのではないか、と私には感じられました。

*死者からの激励
  虹がいつ出るかなど予測もできないことでしたが、可能性が1%でもあったらやってみよう、と保山さんは飛火野に日参したのです。サキちゃんの愛用ベンチに座り続けて待つこと1週間から10日、ついに一瞬だけ、わずか10秒間ぐらい虹のかかった瞬間を見逃しませんでした。淡い、うすい、はかない虹が御蓋山に束の間かかるのを、保山さん以外だれも気づかなかったでしょう。でも、カメラに収められた稀有な映像が作品を見事に飾ってくれたのです。
  一度も会ったことのない宮司さんの遺児、サキちゃんと一瞬心が通じて、虹を撮らせてもらえたのではないか、と保山さんは思いました。
  「御蓋山にかかる微かな虹。そこにはあるけれど、見ようとしなければ見えない一瞬」
  という字幕が現れました。
  あの世にいてる人に、これだけ影響を受け、励まされ、自分の持っている力以上のものを出させて頂いた。この世にはいない、あの世にいてるサキちゃんと繋がることができたという、凄い喜びがあったのです。何が喜びかというと、自分も死を意識して毎日過ごしているが、死んだ後も、こういう風にいろんな人と繋がれるということが体験されたことでした。死んだところで終わりじゃないんだ、という事実が心に響いて残ったのです。
  考えてもみてください。サキちゃんがいつも座っていた飛火野の愛用ベンチから、御蓋山にかかる虹を撮影したいと願い、終日ベンチに座って待ち続けているのです。いつとも知れない虹の出現する瞬間を、来る日も来る日も、どんな緊張と集中で待ち続けていたのでしょう。そして、わずか十秒間くらいの本当に微妙な虹の出現を見逃さなかった保山さんの一瞬に懸ける覚悟と、運の良さに感銘を受けました。残された命を、一瞬一瞬、全力投球で生きているという迫力が伝わってくると同時に、なぜ私たちは、この保山さんのように生きられないのだろうかと溜息を吐きたくなりました。

*完全燃焼
  19歳で亡くなった書家の作品に感動した保山さんは、歩くのも辛いほどなのに、その書家の額が掲げられた寺からその年の桜をどうしても撮りたくなりました。
  「いつかは止めな、ダメって時が来ると思うので、今年が最後の桜やと思っています」
  その最後の力を振り絞るように、カメラを通して向き合った「桜」と「命」の作品は多くの人の心を動かしたものの、やりきった! 桜を撮れました!とは思えなかったそうです。砂時計の残余の砂がどれほど残されているのか神のみぞ知るですが、このままでは終われない。終わりたくないと思い、「石にかじりついてでも続けて、もう1年がんばります」と語っていました。
  このようにリアルに死を覚悟した者でなければ、本気で、一瞬一瞬に全てを懸けることは出来ないことを誰もが知っています。保山さんの人生は、死と向き合わざるを得なくなった時から輝き始め、完全燃焼しながらの今が最も充実しているのではないでしょうか。
  「散ったあとの花なんか、誰も見いひんかも分からへんけど、目を凝らしてよく見ると、思いもしなかったような美しいものがそこにある」
  と述懐する保山さんは、もう来年は到来しないかもしれないと覚悟しているようにも思われます。最後まで力を尽くして生き切ろうとする意志と、静かに死を受容しようとする思いが相克しながら去来しているのでしょう。仏教的な究極ではありませんが、見事な人生の最終章ではないでしょうか。

  死をいかに受容するか、は輪廻転生からの解脱に直結します。その問題はさておき、保山さんの物語から痛感するのは、死がリアルに迫らないかぎり、人は本気になれず、ダラダラ生きてしまうということです。癌にならなくても、どうしたら保山さんのように、一瞬一瞬に命を懸けて輝いて生きられるのでしょうか。その素晴らしい答えの一つを次号で紹介しましょう。(続く)

 今月のダンマ写真 ~
 

タイ森林僧院のクーティを望む

先生より


    Web会だより  

          

 

今月号より、「Web会だより」としてH.Y.さんによる『仏教聖地巡礼 インド・ネパール七大聖地の巡り』を数回にわたって連載いたします。ご期待ください。

『仏教聖地巡礼 インド・ネパール七大聖地の仏跡巡り』(1) H.Y.

 ブッダの教えを学んでいく中で、ブッダはどのような場所で生まれ育ち、覚りをひらいたのか興味が次第に増していきました。そしてインド・ネパールにはブッダにまつわる八大聖地というものがあると知り、一度は行ってみたいと思っていました。今回、インド・ネパールの七大聖地に行ってきましたので、ご報告させて頂きます。

0.事前準備
 せっかく行くのであれば、八大聖地全てを周りたいと思いました。しかし八大聖地のツアーを探してみたところ、ツアーの取扱いが非常に少なく、あっても15日間のような長期ツアーしかありません。半月も仕事を休む訳にもいかず途方にくれましたが、幸運にも9日間の七大聖地のツアーを見つけました。行く聖地が一つ少なくなってしまうのですが、八大聖地に固執して行かないほうが一生後悔すると思い、参加することにしました。
 それから、七大聖地はどのような場所なのかを調べることにしました。スマナサーラ長老の『ブッダの聖地』という文庫本を購入し、旅行前に読んで学びました。原始仏教の観点で書かれており、長老が聖地各地で説かれた説法も収録されています。旅行中も読み返し、聖地をより深く理解する上で、大いに役に立ちました。
 インドとネパールは入国に際し、ビザが必要です。単純往復であれば到着ビザでも入国可能ですが、聖地巡りではインドとネパールを陸路で出入国する必要があるので、事前にマルチビザを申請する必要があります。インドのビザ申請は5×5cmの写真が必要で、背景については白色以外は不可など、細かい規定があります。その為、写真屋で撮影してもらい、旅行会社経由でビザ申請を行いました。
 荷物は通常の海外旅行と同じですが、今回は坐布とマットを持っていくことにしました。坐布とマットがあれば、ホテルの部屋で座りの瞑想と歩きの瞑想ができます。また今回のツアーは、聖地の一つであるブッダガヤーで坐禅の時間が組まれていました。是非、本場の聖地で自分の坐布を使って座りの瞑想を行いたいと思い、スーツケースに詰め込みました。

1.第1日目
 航空会社はエアインディアというインドの国営会社で、成田空港からの出発です。
 通常であれば航空機の搭乗開始は約30分前ですが、エアインディアは約1時間前からの開始です。搭乗ゲート前でツアー客全員に対し、添乗員さんからの簡単な説明を聞いた後に、航空機に乗り込みます。
 成田からインドの首都デリーまでは約9時間のフライトです。長距離のフライトなので、機内ではドリンクサービスや昼食及び軽食がありました。普段、お酒は飲み会以外は一切やめていますが、空の上でお酒いかがですか言われると飲みたい誘惑にかられます。しかし、この聖地巡りの間は酒一滴も飲まないぞ、と決意してきたのでジッと我慢です。お酒の代わりに、のどが乾いたので紅茶を頼んだのですが、なかなか出てきません。これがインドの航空会社の接客レベルかなと思いましたが、あまりイライラしないようにしました。映画や音楽などの機内サービスは使わず、終始「ブッダの聖地」を読み返して、聖地への思いを新たにしました。
 デリーに到着したのが日本時間で午後9時、現地時間で午後5時半です。日本との時差が3時間半なので、腕時計を現地時間に合わせます。この日は空港近郊のホテルに宿泊しました。

2.第2日目
 この日から七大聖地巡りが本格的に始まります。最初は祇園精舎で有名なサヘート・マヘートに向かいます。早朝午前7時のエアインディアの国内線で、デリーからラクナウというインド北部の地方都市まで移動です。前日に添乗員さんからモーニングコールが午前3時半と言われ、ずいぶん早いと思いながらも、実際に電話が鳴ったのは午前3時でした。添乗員さんの話だと、ホテルのフロントが時間を間違えて電話してしまったのだそうです。さらに午前7時起床の他のツアー客にもモーニングコールがかかるなど、日本であればクレームになりそうな対応です。このようないい加減な対応や接客は、インド滞在中に頻繁に発生しました。しかし聖地巡りに来ているのに、インド人の接客態度に腹を立てて不善業を作ってはいけないと思い、極力気にしないようにしました。
 早朝にホテルを出ると、空気がなんだか曇っています。最初は霧かなと思いましたが、大気汚染で曇っているとのこと。近年の経済発展で、中国以上にデリーも大気汚染が進んでいました。バスで到着したデリーの空港は、人で混雑しています。空港内は搭乗券を所持している人だけが入場できるシステムです。このツアーでは航空会社のチェックインは個人ごとに行う為、受付カウンターで窓側の座席を希望しました。ラクナウまでは約1時間のフライトです。フライト中はヒマラヤの山々を見ることができ、ブッダもこの山々を見て生まれ育ったのかなと思いを馳せました。
 ラクナウ到着後、ツアーのバスに乗車します。バスには添乗員と現地ガイドのほかに運転手とヘルパーの計4人が乗務します。運転手さんは運転のみで、ヘルパーさんが車内の維持管理全般と車外の交通整理を担当します。日本だと運転手さん一人で充分だと思いますが、インドの交通事情は悪く、他の車両の急な車線変更や路上で暮らしている野良牛や野良犬がバスに飛び込んできそうになったとき、ヘルパーさんが追い払う役割があります。乗ったバスは外国人観光客向けのバスですが、座席のシートベルトが壊れていたり、バスのクラクションを交換して昔の暴走族が鳴らしているような大きな音に改造したりと、最初は日本との大きな違いにびっくりしました。しかし、次第に慣れてくると、これがインドスタンダードだと思い込み、不思議と気にならなくなりました。
 バスで約4時間ほどで、サヘート・マヘートに到着しました。サヘートとは祇園精舎のことで、マヘートとは舎衛城でコーサラ国の首都を指します。二つ合わせて一つの聖地で、八大聖地の一つとされています。
 ちなみに仏教の聖地は、四大聖地と八大聖地にグループ分けされています。四大聖地はブッダの生誕・成道・初転法輪・涅槃の4つの聖地で、ブッダが定めたものです。八大聖地は四大聖地に加え、後世の人々がブッダゆかりの4つの場所を聖地に追加して、八大聖地として定めたものです。
 1)ルンビニ     :ブッダ生誕の地
 2)ブッダガヤー   :ブッダ成道の地
 3)サールナート   :初転法輪の地
 4)ラージャガハ   :竹林精舎(マガダ国)
 5)サヘート・マヘート:祇園精舎・舎衛城(コーサラ国)
 6)サンカッサ    :ブッダ昇天・降臨の地
 7)ヴェーサーリ   :ブッダ入滅宣言の地
 8)クシナーラー   :ブッダ涅槃の地
 今回のツアーで行かなかった聖地はサンカッサです。サンカッサはブッダが兜率天にいる生母マーヤー王妃に説法する為、ブッダが昇天・降臨した場所です。他の聖地は史実に基づいていますが、サンカッサだけは史実になく、伝説上の聖地とされています。仏跡ツアーの中でも、サンカッサに行くツアーはかなり少ないとのことです。聖地の中ではあまり重要度が高くないこと、他の聖地からかなり離れており大幅な移動時間を要することが、通常の仏跡ツアーから除外されている理由と考えられます。(つづく)

         地図:アイコンをクリックすると、写真を見ることができます

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☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。
                 

雨上がりの行田古代蓮の里

 Y.U.さん提供
 









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ダンマの言葉

・・・・・・心を探求するときには入念な上にも入念に、何度も何度も調べ直して理解し、十分に確信がもてるところまで何回でも調べなくてはなりません。すると、心は自然につかんでいるものを手放します。調べ方が不十分であると、いくら手放そうとしてもどうにもなりません。
  ちょうど食べることに似ています。ある程度のところまで食べなければもの足りません。匙に一杯や二杯では腹一杯になりようがなく、もっと食べないとどうにもなりません。そして、もういいとなると、自然に食べるのは止まります。もう腹が一杯だからです。

  この真理は心を調べることについても同じです。
   十分に分った段階に達すると心は自然に手放します。即ち、「身体や感受、名づけること、思いの形成、認識」に対するすべての執着を手放します。一歩一歩、最終的には心の中まで貫くように洞察力を持って理解すると、ほんとうに回る車輪のような「回転する心」は、粉々になって跡形もなくなります。まさにそこが煩悩との戦いの苦悩が終わるところです。一切が終わり、涅槃へ行きたいという願いも終わるところなのです。(20081月号より「砂の一粒一粒にも」アチャン・マハブア)

  

 今日の一言:選

(1)怒らなかったら、貪らなかったら、恋に落ちなかったら、遊びたがらなかったら、怠けたがらなかったら……、人間ではないやないか……

 ギンギンギラギラの煩悩でたくましく生きて、しっかり痛い目に遭うのが、一切皆苦の現象世界……

(2)何かが終われば、何かが始まる。

 無始無終の現象世界で果てしなく繰り返されていく死と再生……

 エンドレスの生と滅……

(3)心の底から手放せた瞬間に業が尽きるのか、業が尽きたので手を離すことができたのか……

 もう微塵も望んでいなければ、自然に終息していくだろう。


       

   読んでみました
近藤誠著『眠っているがんを起こしてはいけない』 飛鳥新社 2019
  著者は『がん放置療法のすすめ』など、数々の著書で有名な近藤誠医師。1983~2014年慶應義塾大学医学部講師、13年に『近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来』を開設、5年間に8000組み以上の相談に応えている。(カバー解説より)
  がんといえば検診、早期発見、抗がん剤、手術と普通はすぐに連想されるし、本書ももちろんそれらに対する評価を否定しているわけではない。しかしケースによってはQOLを第一にすべきではないか、それこそが本物の医療だとするぶれない姿勢が見られ、その意味では首尾一貫しているところに惹きつけられる。
  なかでも印象に残ったのは、抗がん剤の毒性と手術によって眠っていたがん細胞を目覚めさせてしまうという、その危険性について数多くのケースをあげながら述べていることだ。さらには、最近注目されている新薬についてもその現実について論じている。
  また本書を特に際立たせているのは、いわゆる有名人についてのケースが冒頭より実名を挙げて取り上げられていることであろう。かなり知られている名前があがっており、読者が、「ああ、あの時の」と記憶が呼び起こされる。それが身近にも感じられる結果となって、はからずも著者の主張の説得力を増すことになっている。
  本書は9章からなるが、第1章の「著名人は、なぜ急死するのか」から、すでにかなり衝撃的である。何人もの著名な人たちが、抗がん剤治療、手術の後あまり間をおかずに亡くなっている。思わず、「え!。何で?。そうなの・・・!」と言うような気持ちさえ浮かばせられる。抗がん剤は特定の臓器に対してかなり毒性を発揮するし、手術は「休眠がん細胞」を起こしてしまう危険性が多いと言うことなのだそうだ。
  また、コラムで述べていることも、「確かに。言われてみればそうなんだな・・・」と感じる。がんそのものが毒を生み出しているのではない。食事が摂れずに栄養失調になったり腎不全で尿毒症になったり、あるいは転移によるさまざまな作用で臓器が損傷を受けるために死に至るのだと言う。例えば、「がんが胃袋にしか存在しなければ、栄養が摂れているかぎり、がんでは死なないものです」と。

  第2章、「休眠がん細胞が暴れる」は、すい臓がんの切除手術をめぐる話から始まる。切除した翁長雄志氏の場合、手術時にはないと言われた肝臓転移がわずか3か月で増大して亡くなられた。著者はこれを「『がんが暴れる』ひとつの典型」と言っている。
  「転移しているけれども眠っていて、それ以上は分裂しない」がんが数多くあるのは「いまや医学会の常識」であって、それは「胃がん、肺がん、乳がんなど、すべての固形がんに」当てはまるそうである。そしてこれは、転移ばかりではない。「初発病巣も休眠している」ケースさえ報告されているという。
  なぜ休眠しているがん細胞が手術をきっかけにして暴れ出すのか。そのメカニズムを著者はこう述べる。転移するような性質のがんは、血液中にすでに細胞が漂っているが、それが血液中にある間は休眠していて暴れ出さない。しかしそれが手術によって分裂を開始するのは、がんの手術が「大けが」であるからだと。
  つまり、私たちがけがをすると白血球から「成長因子」とか「増殖因子」という物質が放出され、組織を正常に戻そうとする。そこから言えば、手術というのは人工的に起こされた体内の大けがなので、そのため増殖因子も大量に分泌されるわけだ。がん細胞は正常細胞から分かれたものなので、「この増殖因子に反応して活発に分裂を始める」が、「これら増殖因子は、血流に乗って全身にまわるので、休眠がん細胞がからだのどこにあっても、分裂を始めさせることができる」ということなのだ。

  第3章、「抗がん剤の闇」では抗がん剤の強烈な副作用についてである。抗がん剤の毒性が蓄積して他の臓器の働きを阻害してしまうケースである。
  「最近は、副作用のない、いい抗がん剤があります」という言葉は医師の甘言だと言う。副作用がないのではなく、それはむしろ、「副作用をとめる点滴のおかげ」なのだと。抗がん剤の種類によっては、その前に「ステロイド」をたっぷり使うことでだるさが軽減される。これは「いい抗がん剤が開発された」わけではなく、「体感される副作用が減っただけのこと」なのだ。副作用を体感しないか、あるいはそれが弱いことが抗がん剤の使用を続けることにつながるので、かえって毒性の蓄積につながるのだと言う。
  著者は、かつて乳がんの抗がん剤治療に携わった経験から、その延命効果に疑問を持ったという。そこで、抗がん剤のない時代における余命との比較してみたところ、むしろ抗がん剤を使うことによってそれが短くなっていることをグラフによって明らかにしている。「そしてこれは、抗がん剤でがん種瘤が最も縮小しやすい乳がんについての話なので、大腸がん、肺がん、前立腺がんなどにも当てはまるのは当然です」と結んでいる。
  またこの章のコラムでは、臓器転移とリンパ節転移とを区別することが大切であると述べ、リンパ節をゴッソリ切除する手術「リンパ節郭清」は無意味であることを付け加えている。
  「がんが消える」と題する第4章は、「がんは放っておくと必ず大きくなって命とりになる」と信じ込まされて、「がん」と告げられると「いやおうなく治療に引きずりこまれてしまう」のを再考するために設けたと言う。著した『がん放置療法のすすめ』(2012年)の後の観察によって発見した最大のものは、「転移が消える」現象だったそうである。
  著者の経験したケースは、抗がん剤治療を断られたという「特殊事情」があったためだが、普通は、抗がん剤治療を断ると、担当医からは、「それなら、この病院ではもう診ることは出来ない」「どこかよそへ行ってください」と言われてしまうそうである。これは、特殊ではなく「普通事情」なのであって、大学病院でもがん専門病院でも同じであると言う。
  医学雑誌にもがんが消滅した事例が載せられており、それが紹介されている。ただ、医学世界の流儀では、一度掲載された事例と似たケースはその後論文として採用・掲載されにくくなるため、ここに示された事例の背後には数多くの類似ケースがあると著者は推測している。
  さらに、劇的に消滅したケースではないが、著者のセカンドオピニオン外来であった長年にわたり肺がんが大きくならなかった事例、抗がん剤中止による転移がんの消失、分子標的役中止による転移がんの消失などを紹介している。
  なぜがんが消えるのか。それは「がん細胞が自滅する」ためであって、「アポトーシス」と言われる。そもそも、すべての細胞には「自滅するための仕組み」がそなわっており、がん細胞にも「自滅装置」があって、そのスイッチが入ったためであると考えられるが、何がそのスイッチを入れたのかについては、ケースによってそれぞれであってはっきりしていない。
  第5章、「人間ドックとがん検診」では、はじめにアメリカの検診結果が紹介されている。日本では、人間ドックのみならず、どの検診においても比較試験が実施されていないと言う。「世界の医学誌のなかで、『もっとも良心的』かつ『権威ある』とされている『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』」に載った論文のタイトルは、「なぜこれまで一度も、がん検診による救命が示されていないのか」であった。
  問題は日本における情報の格差だと言う。次の5項目のうちいくつを知っているかを問いかける。(一部省略してある)

  1.比較試験で「検診で肺がん死亡が増えてしまう」という結果が出たため、欧米諸国は、肺がん検診の導入をやめた。
  2.大腸がん検診は、比較試験をしたら、総死亡数が増えてしまった。
  3、マンモグラフィも、乳がん死亡数と総死亡数が増えた。そのため、欧米諸国ではマンモグラフィの推奨をやめ、スイスでは国の機関が「乳がん検診の廃止」を提言。
  4.PSAは前立腺がんによる死亡数を減らせないことがわかった。見つけているのは、放っておいても死なないがんだった。アメリカでは2012年に政府の予防医学作業部会が「前立腺がん検診への“反対”を推奨する」つまり「検診を受けるな」と表明。
  5.日本では第2次大戦後、子宮頸がんによる死亡率は下がる一方だった。ところが死亡率が底を打ったあたりで子宮がん検診が開始され、その後、死亡率は上昇の一途。
  
第6章の「やせてはいけない」では、特に危険性が高いと言う食事両方と免疫療法について解説している。
  食事療法とされる代表的なものは、「肉断ち」や「糖質断ち」と言うもので、それを始めると人はみるみるやせていくが、しかしそれでは命を縮めてしまう。かつて治療法のない時代の胃がんや食道がんの直接的な死因は、食事が摂れないための栄養不足だった。「手術や抗がん剤による栄養不良に、食事療法による栄養の欠乏が輪をかける」危険性が高いのだ。
  がんは「遺伝子の病気」であって、食事療法によってはがんの性質を変えることは出来ない。また増殖しようとするするがん細胞を押さえつける抵抗力は正常細胞の頑丈さによるものであって、やせてしまえばその抵抗力を弱めることになる。感染症に対する抵抗力も弱めてしまうのだ。
  免疫療法については著者の言葉をあげておきたい。
  「『日本で』『有料で』実施されている免疫療法はすべて根拠がありません。有料なのに根拠がないというのは、言いかえれば『詐欺療法』ということです」。
  第7章、「新薬の闇」では、つぎつぎに登場する新薬、なかでも数が多い「分子標的薬」でもっとも売上高が多い「アバスチン」をとりあげ、その効果について論じている。そして、「アバスチン」に限らず、新薬の開発・承認にまつわる製薬会社、医師、病院などの関係を記し、がん新薬の論文が「有効」「効果あり」「延命」のオンパレードになる事情を解説する。著者の言葉をそのまま引用したい。

 「要するに、製薬会社が資金を提供した比較試験の結果は、原則として、すべて『信用できない』とみなして排斥するのが正しい態度」なのだが、「現実には、日本を含む各国政府は、すべて『信頼できる』として新薬を承認」しているので、「患者・家族は、そういう薬は『飲まない』『打たない』と拒否するしか対抗手段はありません」。
  ただし、製薬会社が実施した比較試験であっても、『試験の結果、無効だった』という内容・結論の論文は例外的に信用できると言う。
  第8章の「オプジーポ」でも、「結論から言うと無効・有害」であるとする。免疫チェックポイント阻害剤のオプジーポは、メラノーマに対する治療効果が顕著であるとする比較試験のデータによって世界各国で承認されたのだが、実は、他の比較試験では抗がん剤と似たり寄ったりのデータしか現れなかった。ともに製薬会社によって実施されたものだが、第7章にあるように、信用出来得るのは後者であって、前者は信用できない。その後に行われた2つの比較試験の結果もまた、オプジーポの抗がん剤以上の有効性は否定されている。
  そしてさらに深刻なのはオプジーポの副作用であり、ある意味では抗がん剤以上だと述べている。それによって正常細胞が害を受けた時には、原則として回復することはなく、たとえばすい臓が壊れてインスリンが出なくなったら、たとえ処置が適切で死ななかったとしても、一生インスリン注射をしなければならなくなるということである。
  いずれにせよ、オプジーボなどの免疫チェックポイント阻害剤の投与は、「ロシアンルーレット」に似ていて、いつ即死するかわからないほど危険なものだと言う。
  第9章にはまとめとして「がん放置療法」を述べているが、その原則は、「とりたてて自覚症状がないうちは『何もしない』こと。元気で食事がおいしいと思っている人が「健康診断や人間ドックを受けて見つかったがんは、放置」して、「がんと診断されたことを忘れ、その後の定期検査も受けないでふつうに」暮らすのがよいと言うことである。
  ただ自覚症状がある場合、その種類と程度によって対処法も異なってくる。いずれにしても臓器の切除や抗がん剤は極力避けて、鎮痛剤、放射線治療、腹水の除去などを組み合わせて症状の緩和をはかり、「症状が和らげば、からだも心も軽くなり、生命力が回復して、延命効果も得られる」結果となる。ただし、一部における放射線の「四次元ピンポイント照射」については大きな疑問を呈している。
  著者はあとがきで著書『患者よ、がんと闘うな』から引用した一文を載せている。
  「がんは老化現象ですが、それは言いかえれば“自然現象”です」
  「しかしそれは、がん治療が一切無意味、というわけではありません。小児急性白血病など一部のがんは、治すことも出来ます。モルヒネや放射線などによって、痛みや苦しみをとることもできます。しかし残念ながら、治療で治せるがんはごく少数なのです」
  「わたしたちにとって大切なのは、自由に生きる、何者にもわずらわされずに生きる、ということではないでしょうか」
  「やまいは気からというように、やまいは自然現象につけられた名称であって、わたしたちの頭のなかや観念のうちにしか存在しない、と見ることも可能です」
  「もしわたしたちが、がんを自然現象としてうけいれることができるなら、がんによる死はふつう自然で平和ですから、がんにおいてこそ、やまいという観念から死ぬまで解放されるのではないでしょうか」

  これもウペッカーのひとつと思った。(雅)

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