月刊サティ!

2020年5月号  Monthly sati!  May 2020


 今月の内容

 
 
認識論のモデルを活用した人材開発手法の体系化に関する一考察
(3)

 ―サティの技法、内観法とフラクタル心理学を中心として―
                                  (加藤雄士氏論文)

  ダンマ写真
  Web会だより:『父への怒りと内観と』
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
 
中野信子、鳥山正博著:

 
『ブラックマーケティング ―賢い人でも、脳は簡単にだまされる―             

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  

    

 

         <お知らせ>

  今月号は、加藤雄士氏による論文『人材開発手法の体系化に関する一考察 ――サティの技法, 内観法とフラクタル心理学を中心として――』の第3回です。
  本論文掲載の経緯については3月号をご覧ください。
(編集部)


     

  認識論のモデルを活用した
人材開発手法の体系化に関する一考察(3)

 ―サティの技法、内観法とフラクタル心理学を中心として―
                                                                              加藤雄士
 
                                                             
(承前)
3 フラクタル心理学の事例からの機序の考察
  ここではフラクタル心理学の事例を紹介し, その機序についてさらに考察する。1990年に渡米し,
92年からアメリカでハリウッド女優として活動をするNさんは, 華やかな世界に身をおく一方, 家に帰る
と, 自分は取るにたらない, 生きている価値のない人間だという思いに苛まれて, 自信を失い, 過食嘔
吐を繰り返す摂食傷害に陥った時期もあったという。そのNさんの事例を考察する(下線は筆者, 以下
同じ)。

        フラクタル心理学の初級講座のワークで, 最初にその思いを抱いた子どもころの意識を見
      こととしました。誘導瞑想をすると, ある状況が浮かんできたのです。そこには, 母を独り占
      めしたくて, 母が姉や弟に使う時間を横取りしたり, 成績が良いのを父に褒められたくて, 父の
      仕事の邪魔をして叱られたりしている私がいました。そのとき, 私の深層意識のなかの未熟
      な自己であるインナーチャイルドは「私は親に愛されていない」と思い込み, 「自分を褒めてく
      れない人や, 欲しいものはすべて敵」という信じ込みをもったという。(「TAW PRESS」NO. 50,
       pp. 1-2.)

  Nさんは, 子ども時代に「私は親に愛されていない」「自分を褒めてくれない人や欲しいものはすべて
敵」という信じ込みを持ち, 大人になってもこれが影響していたが, その前のシーンに戻ると, 自分がほ
かの兄弟に意地悪をしたり, 父親の邪魔をしたりしている自分を見つけた。本当の原因はこれだったよ
うだ18)

        アメリカに来て女優の仕事をするようになると, 役者の世界は競争も厳しく, 厳しい評価を
      受けることも多いため, 子どもの頃につくったこの信じ込みが発動したのでしょう。オーディシ
      ョンではいつもまわりは敵だらけと感じ, まるで敵陣に斬り込みにいくように, 憤りと恐怖が入
      り混じった感情に飲み込まれました。(中略)
        私のなかのインナーチャイルドは, まわりに敵をつくり, 「欲しいものを得るためには戦わな
      くてはいけない」と信じ込み, 戦ってでも手にいれようとしてきたのです。(「TAW PRESS」NO.
      50, pp. 1_2.)

  Nさんは, 子ども時代に作った思い込み, 信じ込みがプログラムとなって発動し, 大人になっても同じ
感情をもち, 同じ行動をとり続けてきたことに気づいた。そして, Nさんは修正文を繰り返し読む修正法
により, 思い込み, 信じ込みを変えていったという。

        深層意識のインナーチャイルドの思い込みや信じ込みを解いて思考が変われば現象も変
      わると講師から言われ, フラクタル心理学の修正法を使って深層意識を変えていきました
      両親と姉や弟へは, 傲慢な態度をとってきたことを悔い, 心の中で謝罪し続けました。特に,
      母に対して「ごめんなさい! 許してください!」と唱え続けると, 目から鱗が落ちるように, 両
      親に対して抱いていた, たくさんの思い込みが剥がれ落ちて, 私がいかに両親から愛されて
      大切にされていたかを思い出したのです。(「TAWPRESS」NO. 50, pp. 1_2.)

  Nさんは, 子どもの頃, 両親や姉弟に傲慢な態度をとってきたことに気づき, その思考回路を修正し
たところ, 親から愛され大切にされてきたことを次々と思い出したという。自分の欠点をごまかすために
作った「過去のかわいそうなストーリー」を, 「正しい記憶」へと塗りかえることができた。

4 本章の考察
  本章では, フラクタル心理学のインナーチャイルド療法を一般的なインナーチャイルド療法と比較す
るとともに, Nさんの事例を紹介することでその特徴と機序について考察してきた。フラクタル心理学は
0_6歳の間の思考回路が大人になっても似たような現象を引き起こすと考え, とくにトラウマの前にあ
る未熟な思考回路に根本的な問題があるとする
。その思考回路を修正することにより現象を変えるこ
とを目指す。新しい認知回路を通ることで, 今までなかった新しいニューロンをつなげることができ, 「親
には必ず愛がある」世界を出現させることができ, 視野が狭く子どもだった部分を成長させることができ
る。
  地橋の反応系の心の3層モデルで説明すると, ①後天的な学習全般で作成されたプログラムと②
刷り込みのプログラム(特に②)19) の修正に相当するものと考える。内観法の考察でもふれた「子ども
の頃から同じ思考回路で現実に対応するために, 同じことを繰り返す傾向にある」という考え方と類似
しているが, フラクタル心理学はトラウマ以前に存在する不適切な思考回路を重視する。2つの手法は
全く異なるものの, 考え方は類似している。


お わ り に
  本稿は, 地橋の認識論のモデルの入力(受容) 系の心と反応系の心という枠組みに沿って, 人材開
発手法を体系化しようと試みた。まず第Ⅰ章で本稿のテーマについて説明した後, 第Ⅱ章で地橋の認
識論のモデルを紹介した。地橋のモデルは, 入力系の心と反応系の心の二種類に分けている。第Ⅲ章
では, 入力(受容) 系の心の修正法として, ヴィパッサナー瞑想の「サティ」の技術を紹介した。「サティ」と
は, 身体の動きに伴いセンセーション(身体的実感) が生じた時に, 「見た」「聞いた」とラベリングすること
をいう。これにより, 思考を止め, 妄想の連鎖を断ち切ろうとする。
  地橋は, 力(受容) 系の心の修正をするためにヴィパッサナー瞑想のサティの技術を指導しながら,
「反応系の心」の修正も同時並行的に取り組むことを推奨する。そちらの修正は総力戦となり, 特に内
観法が効果的だと言う。
  そこで, 第Ⅳ章で内観法(集中内観) について考察した。集中内観では, ①していただいたこと, ②し
て返したこと, ③迷惑をかけたことという3つのテーマについて集中的に調べていく。日ごろの自分の視
点ではなく, 他者から見た自分の態度, 行動を感情を切り離し, 事実を客観的にとらえて想起していく。
子供の頃から同じような行動を繰り返し同じような迷惑をかけているとしたら, 子供の頃から同じ思考回
路で現実に対応するためである。内観法は, 前述の3つのテーマに関して, 繰り返し調べていくことで身
についた思考のクセを修正してく。
  第Ⅴ章では, 反応系の心の2つ目の修正法として, フラクタル心理学についても考察した。フラクタ
ル心理学のインナーチャイルド療法は, 0_6歳の間の思考回路が似たような現象を創りだしている(フラ
クタル構造に現象が創られている) と捉える。そこで, 誘導瞑想を行うことによって, 子ども脳の感情的
な回路を自主閉鎖し, そして大人(他人)の視点に立つ。そして, 大人の脳で当時の出来事を調べなおし,
そのとき持っていた未熟な回路や, トラウマとなった出来事によって作られた誤った思考回路を修正す
ることができる。また, 修正文を唱えることで, 今までなかった新しいニューロンをつなげ, 「親には必ず
愛がある」世界を出現させ, 視野が狭く子供だった部分を成長させることが期待できる。
  内観法とフラクタル心理学は, その手法こそ異なるものの, 考え方が似ており, 両方とも子どもの頃
に作った誤った思考回路を修正することが期待できる。2つの手法とも, 地橋の反応系の心の3層構造
のうち, ①後天的な学習全般で作成されたプログラム(人生観・世界観・価値観・ものの見方) と, ②刷り
込みのプログラム(決定的な環境因子によって刷り込まれた反応パターン) の2つ(特に②, 脚注19も参
照されたい) を修正していく方法と考えることができる。これらを, スキーマ療法20) の「早期不適応スキ
ーマ」の概念を使って説明することもできるだろう。早期不適応スキーマとは「人生の早期に形成された
当初は, 適応的だったかもしれないが, その後のその人の人生において, むしろ不適応的な反応を引き
起こしてしまうスキーマの総称」である。そして, スキーマ療法は, 18の不適応スキーマと4つの治療戦
略を有している21)。この療法と比較して考察することは, 今後の研究課題としたい。
  また, 他の人材開発手法を, 今回紹介した入力系の心と反応系の心という枠組でどのように位置づ
けることができるのかという点も興味が沸く。例えば, 筆者が前稿(2018a)で取り上げたNLP (神経言語
プログラミング) のビリーフ変容のアプローチや認知行動療法の「7つのコラム」については, 言語化さ
れた後の変形プロセスに焦点をあてた手法であるため, 地橋のモデル図では, 反応系の心の修正に該
当するものと考える。これらをコージプスキーの一般意味論のモデル図(図表5参照) 22)を使って考察
すると, メタ言語の言い換えについて修正する手法と考えることができる。

           

  人材開発については, その必要とされる場面や, その手法は無数といえるほどに多様であるが, そ
れらの手法について体系的に捉えることができれば, 適切な手法の選択ができ
るようになるだろう。筆
者の各手法の理解の不十分さにより, 誤った考察もあるだろうが,さらに各手法の理解を深め, 人材開
発手法の体系化の研究をする意義はあるものと考える。


1) 筆者(加藤) は, 日本内観学会会員であるとともに, フラクタル心理カウンセラーである。
2) 地橋秀雄(2006) p. 76.
3) 加藤雄士(2016) に一部加筆。地橋(2006) p. 76 をもとに, 筆者が作図した。
4) 地橋秀雄(2006) p. 93.
5) 地橋秀雄(2006) p. 93.
6) 地橋秀雄(2006) p. 201.
7) 「それと並行して, 衆善奉行に徹して, あらゆる善行を実践する積み重ねによって, 新しい浄らかなプ
ログラムを古い心に上書きする作業を進める。」(地橋, 2006, p. 92)
8) ヴィパッサナー瞑想は, 原始仏教の瞑想法(修行法) であり, ブッダが悟りを開いた時に最終的に拠
り所にした瞑想法として, そのまま伝えられたものである。「ヴィパッサナーという言葉は『詳しく観察す
る』『さまざまなモードでよく観る』という意味のパーリー語である。」(地橋, 2006, pp. 3_4, 筆者一部修正)
9) 「サティ」の技術について, 地橋は次のように説明する。「ヴィパッサナー瞑想は, まず体の動きに気
付くことから始める。心の現象よりも体の動きのほうが簡単に気付けるからである。この重要な目的の
一つは, 妄想を離れることだが, 妄想は止めようと思っても止められない。私たちの心は, 何を見ても聞
いても, 必ず連想や妄想が浮かんでしまう。だから, 一瞬一瞬の体の動きに注意を釘づけにしてしまう。
(中略) 体が動く。センセーション(身体的実感) が生じる。気づきを入れる。この『気づき』をパーリ語で
『サティ(sati)』と言う。現在の瞬間を取られる心である。このサティを連続させていくことが, 思考や妄想
を止めて『真実の状態』を観る技術である。」(地橋, 2006, pp. 125_126, 筆者一部修正)
10) 地橋秀雄(2006) p. 236, 下線は筆者。
11) 地橋秀雄(2006) p. 206, 229.
12) 大阪における瞑想会(2015年1月) での発言である。
13) 橋本(2018)。
14) 筆者の経験(2016年3月, 瞑想の森内観研修所で集中内観を体験した) でも, 4日目くらいから, 自
分が他人に迷惑をかけっぱなしできたことに驚き, 自分の過去の記憶が塗り替えられるようになった。
これは「他人に対しての自分」であり, 自分から自分を見るという視点とは全く異なる。
15) 「というのは, そもそも暴力的な性質から脱したいという悩みを持つのは, 反対側の『愛』が成長して
いるためである。その「愛」を父親に投影できるからである。」(一色, 2016, p. 59)
16) 「脳の回路は体験すればするほど(使えば使うほど) 太く強固になり, 使わない回路は衰退していく
という原則がある。」(沼田, 2015, p. 84)
17) 沼田(2015) p. 89 と一色真宇氏からの示唆を参考に, 筆者が図示した。
18) 図表4の解説, この解説, 次頁のNさんの事例の解説, Ⅵ章の「おわりに」の解説は一色真宇氏に
直接ご示唆をいただいた。さらに次のコメントもいただいた。「Nさんは, 一見, 子ども時代につくった『愛
されない』という信じ込みがプログラムとなって怒りが発動しているように思える。しかし, 実は姉弟に
対して抱いていた敵対心を, 大人になっても仕事のライバルたちに抱いていることに気づいた。つまり,
『愛されない』原因となった欠点は, 現在にもあるのである。」
19) 一色氏によると, これらに加え, 「もって生まれた性格の修正」が加わるという。
20) 米国の心理学者であるジェフリー・ヤングが構築した, 認知行動療法を中心とした統合的な心理療
法である。
21) 伊藤(2018)。
22) 加藤雄士(2018b)。コージプスキーの一般意味論のモデルを筆者が図示し, 地橋のモデルと比較し
た。


参考文献
一色真宇(2016) 「フラクタル心理学― 一元論に基づいた新しい心理学の効用」『トランスパーソナル学
  研究』第14号。
一般社団法人フラクタル心理学協会(2017) 「フラクタル心理学TAW PRESS」NO. 50.
伊藤絵美(2018) 「スキーマ療法入門」(第19回日本認知療法・認知行動療法学会研修会資料)
加藤雄士(2016) 「認識論のレビューに関する一考察-人材開発の手法の理解に役立てるために-」
  『産研論集』第43号。
加藤雄士(2018a) 「ビリーフの形成・変容に関する一考察-クリスティーナ・ホール博士の手法を中心
  として-」『ビジネス&アカウンティングレビュー』第21号, 関西学院大学経営戦略研究科。
加藤雄士(2018b) 「認識論教育に関する一考察-5つの理論と2つのシートを中心として-」『ビジネス  &アカウンティングレビュー』第22号, 関西学院大学経営戦略研究科。
ジェフリー・E・ヤング, ジャネット・S・クロスコ, マジョリエ・E・ウェイシャー著, 伊藤絵美監訳(2008) 『ス
  キーマ療法-パーソナリティーの問題に対する統合的認知行動療法アプローチ』(株)金剛出版
高橋美保(2018) 「内観療法の作用機序他の精神療法との比較において」(第41回日本内観学会大会
  /第7回国際内観療法学会大会・第1回学会研修会資料)。
地橋秀雄(2006) 『ブッダの瞑想法ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』春秋社。
地橋秀雄(2015) 「ブッダの瞑想と日々の修行-理解と実験のためのアドバイス-」『月刊サティ!』月
  刊サティ編集部。
長山恵一, 清水康弘(2006) 『内観法―実践の仕組みと理論』㈱日本評論社。
橋本章子(2018) 「病院との連携リワークプログラムでの活用」(第41回日本内観学会大会/第7回国際
  内観療法学会大会・第1回学会研修会資料)。
沼田和子(2015) 『フラタクル心理学のインナーチャイルド療法アメリカの心理カウンセリング事情とフラ
  クタル心理学の特長』アクエリアス・ナビ。
村瀬孝雄編著(1993) 『内観法入門-安らぎと喜びにみちた生活を求めて』㈱誠信書房。
森下文(2018) 「内観体験談と内観療法の紹介」(第41回日本内観学会大会/第7回国際内観療法学会
大会・第1回学会研修会資料)。



 今月のダンマ写真 ~
 
     





 
 タイ僧院白亜堂の脇侍仏

        先生より

  Web会だより 
『父への怒りと内観と』 Y.T.
  私が今回、瞑想を始めたきっかけは、強い背部の痛みでした。以前より疲れた時などに出現していましたが、生活に支障が出るほどではありませんでした。それが2年前より急に痛みが強くなり、生活に支障が出てくるまでになりました。2度の精密検査でも異常はなく、当時仕事でストレスを強く感じていたため仕事を辞め、旅行などをしてストレスの解消をしていましたが、痛みは変わりませんでした。他にもヨガ、鍼灸、ストレッチなどをしても同じでした。
  そうしているうちに、以前教わったヴィパッサナー瞑想を思い出し、行なってみると瞑想後に少し楽になりました。そこで、またきちんと教わろうと令和元年11月に1DAY合宿に参加しました。そこで地橋先生との面接で「私も今までたくさん話を聞いてきたけど、あなたのお父さんのような例は初めてですね。その痛みは、お父さんへの怒りが関係していると思いますよ」と言っていただきました。しかし私の父への恨みは当たり前のことでしたので、その2つを結びつけることはありませんでした。
  父は2年前に90歳で安らかに老衰で亡くなりましたが、亡くなった時、まったく悲しみはなく、「ホッとした。やっと終わった」というのが実感でした。父の葬儀には、親戚も友人も知人も参会者はゼロ、たった一人、息子の私だけが焼香する異様なものでしたが、その後も恨みは薄れることなく、逆に、「あれだけ好き勝手にやって家族に迷惑をかけたのに、なぜ安らかな最期を迎えられるのか?やったもん勝ちかい!」と恨みは増強してしまいました。亡くなった時に父の兄弟に連絡したところ、「おかしいな~兄貴は苦しんで死ぬはずなんだけどな~」と言われ、「ぼくもそう思います」と答えたことからしても、俺は間違っていないと確信していました。
  1Day合宿の最後のまとめの時間に、隣に座っていた方から「内観は良かった」との報告がありました。内観については、以前ビジネスホテルの部屋に置いてあった内観の本を少し読んだとき、「親孝行が大切」と書いてあったので、「俺には合わない。冗談じゃない」と思い、すぐに本棚に戻したことがありました。そこで地橋先生に、「ぼくはどうでしょうか?」とお聞きしたところ、「絶対にいい。行ったほうがいい」と断言していただいたので、とりあえず、良いと言われたものはやってみようと思い、半信半疑ながらお勧めの静岡の福田先生の所へ12月中旬に申し込みました。
  12月に静岡の福田先生のところへ伺いました。内観は一週間、屏風に囲まれた畳半畳の所でひたすら自分の過去と向き合うということをする、と説明されていたものの、「はたしてできるかしら?」と不安がありました。
  そしてその時は、幸か不幸か参加者は私一人ということを知り、「大丈夫かな~。でも対人関係のストレスはゼロなのでまっいいか」ということでスタートしました。
  内観の二日目:「瞑想は今の現実を観ていくことだと思うが、内観は過去の自分を観ていくものなのかな?だとしたら瞑想と内観は相性がいいのかもしれない」と思いました。
  四日目:父の内観中、自分の考えていた自分の年表あるいは履歴が、どうも違っているようだと感づいてきました。それは父と私あるいは母との険悪な期間は思っていたほど長い年月ではないかもしれない。また仲の良かった時期も存在しているということに、否応なしに気づかされました。とてもショックでした。福田先生のお話し中に「チョット待ってください!どうもおかしい。ずいぶん違うような気がする」と失礼ながら先生のお話をストップさせてしまったくらいです。
  悪いことはよりワイドに、良いことはその陰に隠して、事実を捻じ曲げ、今日までそれを発展させてきたことに気がつきました。
  六日目:自分の愚かさにも気が付き、かなり落ち込んでしまい、父への恨みどころではなくなってしまいました。
  内観の間に体験者の録音を流してくれるのですが、その中でオーストリアでの内観がありました。この時のオーストリア人の女性が「私の母の愛は無償の愛ではなかった」と言って母親への憎しみを訴えたお話がありました。「さすがにヨーロッパ人の苦しみの根源は違うな~」などと呑気に聞いていたところ、その担当の先生は、「有償だろうと無償だろうと、あなたは愛を受けたのでしょう?してもらった事実だけを観てください」 とお答えになったのを聞いて、「これだよな~。これが大切なんだよな~」と目から鱗が落ちた感じでした。
  七日目:すっきりとした気持ちで終了することができましたが、「よく号泣して打ち震える人もいる。体でわかるということです」と初日に言われたことを思い出して、「さすがにそれはなかったな。残念だが頭でしか理解出来なかったということだろうな」と思い、残念さも残しながら帰宅しました。
  ところが、帰って三日目のことですが、突然、常時存在していた父親に対する憎しみがスーと消えていく感覚が出現し、重い荷物を下ろしたように体全体が軽くなって、体がぽかぽかと温かく、何とも言えない気持ちよさにつつまれました。「これが体で分かることなのか!」と実感しました。それ以来、父に対する憎しみ怒りは消失しました。ただ事実としての不満が残っているだけです。
  父は家族からみて、他人に父の話をしたとき、「そんなひといるの~、それはひどいね~、つらかったでしょう?」と同情されるようなことはしていたので、いいネタ話にはなっているけど、「もうちょっと、どうにかならなかったのかな~」「父親は自分に対し父親なりの愛情をもって俺に接してくれた。それには感謝しているし、それに対して恩返しが出来なかったのは申し訳なかったと思っている。しかし親子としての相性はよくなかったな~。生まれ変わったらまた親子で、なんて勘弁してほしい、隣の変なおじさんくらいにしてほしい」というような感じに激変してしまいました。
  そして2月、重度の認知症のため、もう僕のことも何もわからなくなって久しい母親に会いに施設に行って、母に向かって、「お父さんの墓参りに行ってきたよ。いろいろ有りすぎたけど、三人ともがんばったよね!」と声をかけました。
  母は無反応でしたが、こんなことが言えたことがよかったと思いました。そして背中の痛みも次第に軽くなっていき、このところ全くなくなってしまっています。
  以上、内観の体験とそれによって経験したことでした。この機会を与えてくださった地橋先生と福田先生に感謝いたします。
☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。
 


生命の二重ラセン(榛名湖)

Y.U.さん提供





 
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 ダンマの言葉

  私たちの心のなかには、呼び出されるのを待っている「四人の友」がいます。しかし同時に、機会があればいつでも飛び出そうとしている五人の敵(五蓋)もいます。その敵は決してじっとしていません。問題は、私たちがそうした敵を退けて友人だけと親しむほど、つねに気を配ってはいないという点にあります。友人との親交を育むのは、ふさわしいことであり賢明なことです。しかし私たちには、友と敵を見分ける方法がはっきりと分かっていないのです。
  私たちの友とは、四無量心のことです。つまり「慈悲喜捨」です。私たちは、自分のなかに四無量心が欠けていて、そのせいでみずからが損なわれることが分かれば、四無量心を発達させるために何らかの策を講じることになるでしょう。(アヤ・ケーマ尼「Behg NobodyGoig Nowhere」から。『月刊サティ!』20047月号より)

       


 今日の一言:選

(1)どのような生き方を選び、どの道を行こうとも、その先に得るものもあれば、失うものもある……

(2)物事が認知されていく厳密なプロセスを心得れば、法と概念が仕分けられ、「あるがまま」の世界が知られる……

(3)混沌とした無明の世界を切り裂く一瞬のサティ。

(4)命のある間しか、瞑想はできない。
    生きている間しか、ダンマの仕事はできない。
    命の輝ける時は短く、諸々の条件が美しく調和するのも長くはない。


       
   読んでみました
中野信子、鳥山正博著『ブラックマーケティング
        -賢い人でも、脳は簡単にだまされる-(KADOKAWA 2019年)

  今日までのマーケティング理論は、「自分で意思決定が出来る消費者」が前提となっていた。しかし、現実には、その前提から外れている購買行動も多く、そうした現象を扱わずに「『正しいこと』だけを述べる“規範の学”」を、本書では「よい子のマーケティング」と呼んでいる。そもそも購買行動には個人差があり、一人の人間でも時と場合によって異なった行動をとるからだ。
  本書はそのような、「標準から外れた少数派の消費者や、モラルから逸脱した手法」を取り上げ、これまであえて対象としてこなかった現象について、売り手の側の戦略と消費者側の心の癖や行動との関連は如何なるものかを論じている。読んで後には、これから先何かを買いたいと思った時に、かなり客観的な判断が出来るのではないかという心境にさえなった。
  中野氏は脳科学者、鳥山氏は経営学者ならびにコンサルタントとして、ともに著名である。本書は取り上げられたテーマをめぐる対話をもととして整理されており、それぞれの専門からの知見がわかりやすく、しかも自身あるいは見聞きした経験からけっこう心当たりのある事例をあげながら解説している。
  構成は中野氏による序章と鳥山氏による終章に加えて5つの章から構成される。序章によると、「第1章から第3章では、ヒトの行動を左右する神経伝達物質を手掛かりに、脳のメカニズムを検証」し、「第4章では『操られやすい』という脳の脆弱さを明らかに」し、第5章では、「最新の遺伝子研究の知見とあわせて、脳の男女差や地域差、『国民性』に踏み込んで」いく。また「要点」と示された文章それ自体に赤線が引かれており、理解に便宜が図られていることも本書を特徴付けている。ここではそれらを参考にしながら、それぞれの章で興味をもった点をあげていこうと思う。
  第1章、「焦りをかきたて判断力を奪う商法にご用心 ―セロトニン×不安を煽るマーケティング―」では、先ず、「いくら稼いでいるか」よりも「周囲と比べてどれだけ稼いでいるか」のほうが幸福感につながりやすいというイギリスの研究をあげる。さらに、常に幸福感を求め続けることが、「生活に困らないだけの十分な収入がありながら、怪しい儲け話に乗って大金を騙し取られてしまう」事件が後を絶たない理由ではないかと言う。
  また、CMなどによって困りごとを作り出して不安を煽ることで「ニーズ」から「ウォンツ(欲しい)」に顕在化させるやり方を「点検商法」と言う。これは将来の不安を武器に手遅れの恐怖を喚起させるもので、「霊感商法」や「開運商法」と相似する。これらは「最初から“焦り”や“不安”を感じやすい人」をターゲットにすることで、「その気」にさせることも容易であって、そのような詐欺まがいに会ってしまう例もよく聞く話である。
  第2章、「『ハマリたがる脳』を刺激する罠の数々 ―ドーパミン×依存させるマーケティング―」では、パチンコに熱中してわが子を車の中に放置してしまうほどのドーパミンの快楽の恐ろしさから始められる。カナダにおけるラットを使った研究によって、ドーパミンによる依存形成による欲求は、生物の基本的な生理的欲求(空腹、渇き、発情期の異性が近くにいるなど)よりも強いことが明らかにされたと言う。
  また、ギャンブルは、「消費者は損をしたら学習し、同じ商品やサービスには二度と手を出さない」という従来のマーケティングの前提とは相容れない。これはヒトばかりではなく、サルやハトによる実験からもわかっていて、つまりは「『出るか、出ないか、わからない』という状況がドーパミンの動態を変化させ、出るまでやめられなくなるという習性が、一定数の固体には備わっている」と言えるそうである。
  さらにはソーシャルゲームに付随する「もったいない」と「みっともない」という消費者心理が巧みに利用され、それに対して依存性が高じていく過程の解析、テレビ通販番組で年間4000万円もの開封されていない商品が家の中に山積みになっている知り合いの女性の例などが述べられる。テレビの通販番組では、司会者の使ったフレーズおよび商品の特徴のアピール点とを、電話の鳴った回数と結びつけながらリアルタイムで進行役に指示しているそうだ。
  参考までに、本書に挙げられている依存症の国際基準を列挙する。
     対象への強烈な欲求・脅迫感がある
     禁断症状がある
     依存対象に接する量や時間などのコントロールが出来ない
      依存対象に接する頻度や量が増えていく
     依存のために仕事や通常の娯楽などを無視または制限する
     心や体に悪いことを知っていても続けている
である。
  そして、「これら6項目のうち、過去1年以内に3つ以上を繰り返し経験したかもしくは1か月以上にわたって3つ以上の症状が同時に続いた場合、専門的な治療が必要な依存症と診断」される。

  第3章、「理性を麻痺させ『欲しい』と思わせる仕掛け ―オキシトシン×愛情マーケティング―」では、なるほどと思わせられたのが、女性のイメージが強いオキシトシン男性(例えば任侠の世界の)にも多い可能性があると言うこと、また分泌量が多い人は「妬み」の感情を抱きやすくなるということであった。これは「仲間の絆」や「愛情の裏返し」とも言えるが、その反面、仲間以外に対する「排外性も強くなるという傾向がある」とされ、確かにその通りだと納得させられた。
  オキシトシンには不安やストレスを軽減させ、痛みを緩和したり免疫力を高める効果があるが、マーケッティングに関係する重要なポイントはそれが人間関係に影響を及ぼすことである。例えば、オキシトシンがたくさん出ると初対面でも恐怖を感じず、積極的にコミュニケーションを取れるようになり、またそれによって得られた情報も強く海馬に記憶されるそうである。
  しかし、その愛情の深さを逆手にとっての詐欺師の暗躍もまた現実なのだ。中野氏は著書『シャーデンフロイデ』のなかで、「詐欺事件は愛情と信頼に基づいた性善説的な社会基盤が形成されている国に多発するのではないか」と洞察しているそうである。
  この章にはこのほか、「新製品普及会」の頭文字をとったSF商法という悪質な催眠商法、押し売り、マルチ、内集団バイアスを応用した商法などが挙げられる。握手券、投票券などを一部の熱狂的フアンの「消費者余剰」に結びつけるやり方は、「承認」よりも「好きな相手に影響を及ぼしたい」という「関与」の(充足感)の方が快感が大きいことを示している。また、返報性の原理に通じる『後妻業』(直木賞作家黒川博行氏の作品)や、フェイスブックの「いいね!」のやりとり、出会い系アプリの闇なども論じられる。
  このように、自らが選んだという意識(自己効力感)、そしてその選択は正しかったと思いたい消費者の心理を伴いつつ、「他者からの愛を欲している限り、ヒトの脳は、『だまされるリスク』から逃れることはない」とも言う。オキシトシンは自分自身が癒される環境にいるならば分泌が促され、それはまた周囲に伝播していく愛と絆のホルモンであることは間違いない。しかし、愛情を食い物にする手口が世の中にあふれている限り、これからはその「働きなどへの正しい理解は、一般の人にとっても必要な時代になっている」のではないかと言っている。
  第4章、「五感を使って他者を操る手法とは ―前頭葉機能×刷り込みマーケティング―」では、前頭葉と消費の関係を述べる。
  「賢い買い物」をする時には前頭前野が非常に重要な働きをするのだが、その働きを低下させることで購買に向かわせるというやり方を取り上げる。たとえば、倫理的消費と呼ぶ社会貢献を打ち出した商品を好んで買う行為は、冷静で合理的な判断よりも情動が決め手となることがあるが、それを悪用した手口の典型が便乗商法である。東日本大震災でも同様の例が多々見られた。
  ストーリー・マーケティングと言う言葉があって、商品に何らかの物語をつけると売り上げが伸びると言う。本書では、「力をあわせて・・・」などのコピーとともに家族の写真とを表示したトマト、無農薬栽培をアピールする曲がったキュウリ、ツイッターで告白することでピンチを乗り切った例などがあげられている。自分では理性を働かせて購買したつもりでも、実は何らかの情報に“流されて”判断している場合がけっこうある。
  また例えば、負荷の高い自由な絵より塗り絵の方が脳は怠けることが出来るのだが、自分で色を決めることで自己効力感も満足できる。しかし、青い空、緑の草原、黄色いキリン、赤いりんごなど、ほとんどは同じような色使いになる。この効果を応用した仕掛けをプライミング(呼び水、事前刺激)と言うが、これと同様に、買い物客の五感を刺激して誘導する工夫はいろいろな場面で見られるようだ。 
  例えば、水着売り場にココナッツオイルやトリピカルフルーツの香り、高級なワイン売り場に流れるクラシック、高級ブランド店と量産店の照明の違い、等々。「ヒトの脳が下す判断や評価は絶対的なものではなく、いろいろな要素によって“揺らぐ”ものなのだ。
  このほか、嫌でも耳に入って連想を引き起こす「イヤーワーム」現象、速い思考と遅い思考の相違、ストレスを感じずに選べる選択肢の数は5~9個、二者択一というやりかたで断られにくくする「デートの誘い方」、「これさえあれば」と思わせるミラーニューロンの働き、Iメッセージが相手を感動させる、「普及学」と「見せびらかしの消費」などが取り上げられているのが面白い。
  日本は他者の意見を気にする社会とはよく言われるが、おどろいたのは、口コミの影響が圧倒的に顕著なのだそうだ。筆者(私)はツイッターとは無縁であって、「つぶやく」ようなこともさっぱり思い浮かばないけれど、「地球上で毎日つぶやかれている言語の約4分の1は日本語」だそうだ。びっくりした。
  このこととも関連していると思われるが、レビューの数や星の数でどんどん他者の意見が可視化されることで、結局、「サイバー空間では自分だけの判断よりも、多くの他人が下した評価のほうが重要な尺度として機能している」と言うことには思い当たる。
  さらに関連しては、SNSの闇と名付けてその依存性の例に、アメリカミシガン大学の研究チームによる論文、「フェイスブックを利用する頻度が高くなるほど幸福度が低下する」をあげる。そして、「幸福度が下がるほどフェイスブックを見ずに入られなくなるという悪循環が、SNS依存症に拍車をかけているかも」知れないと言う。
  この章の最後に、ネット社会の「メシウマ」というスラングを取り上げる。これは「他人の不幸で今日もメシがうまい」という言葉から来ているらしい。「ヒトの脳には他者の痛みに共感する回路があるだけでなく、もともと他人の痛みに快感を覚える回路が備わっている」とされる。その例を、ネットなどで人をバッシングすることにハマっている状態をあげる。これは、“正義”執行している快感によって前頭前野の理性の領域に麻痺が起こっているのであって、ヒトのなかにすでにそのような悪魔的な性質が棲んでいるということなのだ。
  第5章、「だまされやすさは遺伝子で決まる? ─遺伝子に操られる脳」では、まず市場における日米の消費者行動の違いがどのようなものかが語られる。たとえば、少々傷があっても売れる(アメリカ市場)か、少々高くても傷一つない方が売れる(日本市場)という具合である。そしてそういった国民性はどこから来ているのかと。
  結論的には、脳科学によって説明される。ただし、生得的な遺伝子配列だけではなく、その現れ方の違いによるものも大きく、「遺伝子の働きは『生まれ』だけでなく、『育ち』にも影響を受け、脳の“個体差”は」遺伝子の発現を制御・伝達システムに拠っているというものである。これを示すラットの仔を使ったストレス耐性の実験が紹介されている。
  それによると、仔をよく舐める母親とよく舐めない母親の仔を取り替えることで、舐めない仔のストレス耐性が高まったと言う。「遺伝ではなく、舐められるという後天的な要素によって変化が起きた」ということである。しかも、「後天的に獲得した気質が一見、次の世代に引き継がれるように」見えることから、環境や風土と文化や国民性との関係にもそうしたことを考慮に入れることが必要ではないかとしている。
  さらに、セロトニントランスポーター(セロトニンを回収して再利用するたんぱく質)の量によって遺伝子の型があり、「不安を感じやすい」「緊張しやすい」「不公平感を抱きやすい」日本人に多い型と、「不安を感じにくく」「緊張しにくく」しかも「やや楽観的すぎる」アメリカ型という傾向が双方の市場の違いの要因である可能性も指摘している。また、南欧の人々にみられる冒険心と情熱、マーケットで男女別や年齢別は最近ではアテにならいこと、右脳人間・左脳人間、あるいは男脳・女脳と現象的な男女差と個体差、等々、ここでは詳細に触れないが興味を惹かれる話題が提供されている。
  最後に日本人の文化と風土に触れる。世界の陸地面積のわずか0.2%に過ぎない日本で、世界の災害被害総額(どのような換算方法かは不明)の約2割、つまり5分の1を占めているそうである。そうした自然環境の圧力に生き延びてきた子孫が今の日本人であって、そこには集団の意思を尊重する助け合いがあったとされる。これは、畑作に比べて集団に合わせることが重要な稲作中心の村落共同体におけるしきたりも大いに影響していると考えられる。
  日本人にはCOMTというドーパミン分解酵素の活性が高いタイプの人が多いと言う。それによって欧米人に比べて「自分で決めた」という快感が生まれにくく、そのため「他者が決めた方向性やルールに従う傾向が強くなる」とされる。このような自然および文化的な環境圧力に適応した遺伝子が優位な個体が生き延びることで、最初はその率がわずかであっても、何代も続くことで大きな割合を占めるようになった。
  ただ、新規なものや開拓など、リスクを負ってもチャレンジする遺伝子もまったく消えたわけではない。なぜなら、日本には稲作に適さない土地も多いし、また日本のメーカーはアメリカよりも新商品を活発に作っているからである。またイグノーベル賞では、イギリスやアメリカとともにトップを争っているそうである。
  つまりは、プレッシャーのない状態が、持てる能力を発揮するためにはいかに大切かと言うことになる。最後に日本の教育機関、ことに大学におけるシラバス(講義計画)のあり方をはじめ数々の問題点を指摘しているが、まったく同感である。
  中野氏は第一に主張したいこととして、「いかなるルールを設計する時も」、それが「人々にどんな行動を奨励することになり、結果的にどんな秩序を生み出してしまうかをもっと考えるべきだ」と述べる。
  以上読んできて、人の心の弱点の背景や意味を知ることが、自らをより客観視した行動の後押しになるのではないかと感じた。実生活における購買行動を再考するためには最適である。(雅)
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