月刊サティ!

2019年10/11合併月号      Monthly sati!  Sep.Oct. 2019


 今月の内容

 
 
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~

       
今月のテーマ:欲望を回避する ―4―
  ダンマ写真
  Web会だより:『真っ黒い心を吐き出したら』
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
 
読んでみました:
『方丈記』(詠嘆的無常観)から『徒然草』(自覚的無常観)へ             ~芥川龍之介と夏目漱石に触れつつ~                

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  

    

おことわり:『ヴィパッサナー大全』執筆のため、今月の「巻頭ダンマトーク」はお休みさせて頂        きます。ご期待下さい。


     

  ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 
                                                             地橋秀雄
  
   今月のテーマ:欲望を回避する -4-  
                     (おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 

 Aさん:楽しいことや快楽を追求することが、なぜ苦しみにつながるのですか。

アドバイス:
★苦を避けて快楽を求めていくのが生命の基本的原理です。快楽原則と言いますが、どんな下等動物や単細胞生物も、生きとし生けるものは苦の感覚を嫌い快の感覚を求めるものです。しかし悲しいことに、快楽はやがて苦痛に帰着していくのです。なぜ快楽原則に従うと苦しみに至るのか、3つの理由が考えられます。 (【1】~【3】:編集部)

【1】生命世界の残酷な構造

  この世は、全ての動物や生き物が仲良く、楽しく、みんなそろって幸せになれるようにはできていないのです。誰かが笑えば誰かが泣く弱肉強食の原理が働いているからです。この世界を作ったのが神であれば、構造的欠陥を持った失敗作と言わなければなりません。
  自分が生きるために他の命を殺さなければならない世界。自分の子供を育てるのに、他の動物の子供の小さくて柔らかい肉を食べさせる世界なのです。自分が条件の良い縄張りで、美味しいものを食べ、楽しく満足して生きようとすると、誰かが条件の悪いところへ追いやられ、餌食にされて苦しむのです。
  獲物を襲って食べる快を求め、敵に襲われる苦を避ける構造です。苦しみから逃れたい、安定したい、豊かになりたい、もっと上を目指したい、贅沢したい・・・と、自分達の快楽と幸福を最大化しようとして他の動物に苦を与え、他の国や部族にまで襲いかかって資源や富を収奪し、その余剰エネルギーと時間で科学や文化を発達させてきた人間の歴史もあります。
  生は残酷なシステムであり、生きようとすると他者に苦を与えてしまう構造があることを知らなければなりません。

*苦を耐え忍んでいく大地
  仏教では、この世を娑婆と言いますが、「娑婆」の原語は「サハ―(sahā)→大地」を意味し、耐え忍んでいく大地の意味で「忍土」「忍界」という漢訳もあります。
  ライオンも豹もチータもハイエナも日々、アフリカのサバンナで殺しに明け暮れて生涯を終えます。獲物を捕食するだけではなく、競合する敵から獲物を奪い取り、それぞれの幼獣を見つけしだい容赦なく咬み殺すのが常なのです。
  「プライド」という名のハーレムの王として君臨するボスライオンも我が世の春を謳歌できるのはほんの数年で、野心と力にみなぎった若い放浪オスとの戦いに敗れ、群れから追放され、多くの場合は負傷して野垂れ死にします。最強の王が年老いて、若い兄弟オスとの1対3の闘いに敗れるドキュメンタリーを観たことがありますが、背後から噛まれて脊髄を折られる鈍い音がいまだに耳に残っています。しかしそれも致し方ないことで、自分もまったく同じやり方で群れを乗っ取り、老いたボスライオンに死の苦しみを与えてきたのです。
  地上でも水の中でも空を飛ぶ鳥や昆虫の世界でも、この世の現象の世界には、苦を与えれば苦を受ける因果の理法が貫かれています。快楽原則に従って生きていく限り自動的に苦を発生させてしまう非情な世界なのです。ただ生きようとして、苦を逃れようとして、快楽を追い求めようとして、他の生命に苦を与えてしまい、否応なくその報いを受けて苦しむ世界。・・・一切皆苦と言われる所以です。

【2】不満足性の苦(ドゥッカ)
  快楽の瞬間が存在するのは確かなことで、痺れるような快感にときめくことが生きる原動力になっているとも言えます。快楽を求めることが幸福だと考えていると、やがて失望し、苦に見舞われ、不幸な結末に至るでしょう。
  どうしてかと言うと、要因が3つあります。 “①エスカレートする。 ②執着する。 ③飽きる”です。

①エスカレートする。
  まず、「エスカレートする」のは快楽追求路線上、避けられませんね。楽しくて、快くて、気持ちいいことはまたやりたくなるし、繰り返したくなるのが快楽原則です。ところが、ここに落し穴があります。
  そもそも快感を感じるのは、脳内の報酬系に快感ホルモンが分泌される瞬間です。エンドルフィンやドーパミンなどが代表的ですが、快感は強い興奮状態なので生体防衛機構が働いて、快感ホルモンを受容する受け皿を減少させて調節するのです。例えば、初乗りのジェットコースターでキャーキャー大騒ぎして、楽しいのでもう一度乗るとそれほど楽しくなかった・・・。よくあることですが、これは、同じ快感ホルモンが分泌されても受け皿が減少したため色褪せたものに感じられる現象です。二度目は楽しくなかったと失望し、幻滅し、不満足の状態に陥り、苦に帰着したことになります。
  すると次に何が起きるか。刺激をドギツクさせるのです。もっと興奮する仕掛けや装置を施して、快感ホルモンの分量を増やす。すると最初と同じようにキャーキャー興奮できるでしょう。しかし次には受容体が減少し、いちだんと神経伝達物質を増量しなければならなくなる。・・・こうして強い快感をもたらしてくれるものに依存症が成立していくのです。アルコール依存、ゲーム依存、ギャンブル依存、買物依存、薬物依存・・・。快楽はエスカレートし、無限に満足することはできず、「ジャンキー」と呼ばれる末期的依存症になれば自力更生は不可能となり、廃人となり苦が極まる構造です。
  なぜ人は、自らを死に追いやるまで快楽を求めてしまうのでしょうか。

②執着する
  どこまでも求めてエスカレートしていくのは、妄想が原動力になっています。自然界の動物は、もはやこれまで・・・とわかると潔く諦めるように見えます。我が身を襲った出来事を受容する能力が人間以上に高いようです。潔さは、余計な妄想をするか否かしだいです。人間は、妄想する能力を手にしたがゆえに苦の根本原因である「渇愛」の問題にぶつかりました。「渇愛」は「執着」と同じ意味で、断じて諦めず、執拗に追い続け求め続けるのです。

例えば、動物達は満腹すれば食べるのを止めます。血糖の値など血液成分比が上昇すると視床下部の満腹中枢が刺激され、もうイイと感じるからです。

ところが、それでも止めないで食べ続けるのが人類です。妄想する能力を得てしまったが故に、体の情報を無視してもっと、もっと、と貪り続けるのです。激怒する人も、執着する人も、貪る人も、その脳内では、妄想が激しく飛び交っています。食べ吐きをする人達は、次の食物に目をやりながら、過度のストレスを与えてくる人のイメージ、どうしても手放せないコンプレックスのイメージ、不安で不安で押し潰されそうな暗澹たる将来像・・・など、ネガティブな妄想を打ち消そうとして食欲の快感に逃避する構造があります。動物達はそんなことをしないし、余計な妄想をする脳が備わっていないのです。

*諸刃の剣
  ものごとを概念化し、言葉で情報を伝達し、互いにコミュニケーションを取ることができるようになった人類は、力を合わせて集団を形成し、文明を発達させ、圧倒的な豊かさを手に入れることができました。
  しかし、自由に概念操作する能力が自らを苦しめることになり、過ぎ去ったことを悔やみ、明日を思い煩い、人と比べ、自虐モードに陥り、動物たちのように一瞬一瞬「無心に」生きることが難しくなったのです。自然の摂理による信号を無視して食べ続け、挙句の果てに、お金と時間と膨大な資源をトイレに吐き出して自己嫌悪に駆られ、それを忘れようとしてまたコンビニへ買物に行ってしまう。
  妄想するシステムを搭載した人類は、苦の元凶である「渇愛(=執着)」と果てしないバトルを続けなくてはならなくなりました。
  しかし今さら、大昔の単純な脳に戻すことができるでしょうか。進化は後戻りがきかないという特徴があるのです。こうして人類には妄想をコントロールしなければならない切実な必要が生じ、苦を乗り超える四聖諦の瞑想が必須アイテムになってきたと言えるでしょう。四聖諦とは、「苦→苦の原因(渇愛=執着)→苦の超越(悟り)→方法論(八正道)」という原始仏教の根幹をなす公式です。

③飽きる
  限度を無視して貪るのは、妄想が作り出す偽の欲望に操られているからです。苦しみの原因である「渇愛」は、妄想が諸悪の根源だったのです。それだけではありません。楽しかった現実が色褪せてしまうのは、なぜでしょうか。あんなにワクワク胸をときめかせてくれた人も、物も、環境も、出来事も、急につまらなくなり、魅力的に見えなくなってしまうのも、妄想の仕業なのです。
  飽きる。興醒めする。退屈する。幻滅する・・・。
  手に入れるまでは、到達するまでは、結ばれるまでは、完成するまでは・・・、あんなにワクワクさせてくれたものが、夢が現実になり、Dreams  come  true.(ドリームズ  カム  トゥルー)となった瞬間、未知のものが既知となり、気の抜けた炭酸水のように、脱ぎ捨てられた靴下のように、甘美なゴールの妄想が終焉し、崩れ去っていくのです。脳内の幻が滅していく瞬間、文字通り「幻滅」の構造が露わになっています。目に貼り付いていた妄想のウロコが剥がれ落ちた瞬間、ただの現実に向き合うしかないのです。この「幻滅」という言葉ほど、ヴィパッサナー瞑想の「サティの瞬間」を見事に表現しているものはないでしょう。

*快楽ではなく、渇愛ホルモン
  妄想を止めない限り、現実をあるがままに観ることはできません。妄想が出っぱなしの人間の脳は、いつでも現実に妄想やイメージを投影していることに気づきづらいのです。ドーパミンというホルモンは快楽を司るホルモンと考えられてきましたが、快楽を味わうのではなく、何かイイことありそうだ・・・と欲望を刺激し、人を行動に駆り立てている働きをしていることがわかってきました。「快楽ホルモン」ではなく、「渇愛ホルモン」と言ったほうが正確です。
  ドーパミンによって、バラ色の未来を夢見てワクワクし、欲しいものが手に入った瞬間の快楽を想像します。やりたい、行きたい、欲しい、楽しみたい・・・と妄想に駆り立てられてがんばり、夢が具現化した瞬間、現実に目を叩かれるのです。妄想は甘美だが、現実はどこかに不完全な要素があり、何よりも刻一刻と変化していく無常の法則に支配されています。

*山頂には、下り道しかない
  もし願いがかない夢が現実になれば、それ以上期待で胸を高鳴らせることはできません。達成されてしまった現実はそれ以上の甘美な妄想を形成する力を失うのです。大量に放出された快感ホルモンが退き始めると、たちまち満足感が急降下していきます。何度も妄想を反芻して楽しもうとする人は、そうでない人より長引くでしょうが、獲得してしまったものは必ず当たり前になり、命がけで求めていたワクワク感は失われます。
  素敵な結婚相手も、マイホームも、新しいパソコンやゲーム機も、二度目に行くレストランも、どんなものも渇愛の妄想が投影されなくなると青ざめ、快感が萎れて「飽きる」というドゥッカ()になるわけです。

*ニンジンと馬
  同じものの繰り返しはつまらなくて嫌なのです。珍しいもの、新しいもの、おもしろいものが飛び込んできた瞬間、キャッ、キャッ、と興奮したくて仕方がないのが人の脳の特性です。「新奇探索性」と呼ばれます。手に入れたものにはすぐに飽きてしまい、何か新しい獲物を見つけて甘美な快楽を夢見て、欲しがり求め、焦らされればますます欲しくなり、妄想すればするほどエスカレートし、何がなんでもと執着し、やっと手に入れた感動はたちまち色褪せ、幻滅し、また新たな欲望を作り出して、馬が鼻先のニンジンを得ようとして走り続けるように、ゲットする→次の欲望→ゲットする→次の欲望→・・・と弄ばれながら、随所で悪いカルマを作りながら歳をとって死んでいくのです。

【3】変滅する苦
  ヴィパッサナー瞑想のようなシステムの力を使わないと、妄想を離れてあるがままに観るのは至難の業です。仮にそのようなことができる人がいたとすると、愚かな妄想をして自ら苦しみを作り出すことは激減するでしょう。快感や楽受の瞬間がすぐに崩れ去って消滅しても、快楽に執着する妄想をしないので、失われていったものを嘆くことも苦しむこともないでしょう。苦しみを滅ぼす心のシステムを確立している聖者たちに近づいていると言えます。
  しかし、妄想で苦しみを作り出す凡夫の負のスパイラルから抜け出しても、残念ながら苦(ドゥッカ)は残るのです。この世に存在するものは全て無常の法則に支配されています。物は劣化し、どんなに美しい人も愛する家族も歳を取り老いていくし、業があれば事故に遭い病を得て死んでいくのです。
  体にも心にも苦受を受けた瞬間、解脱していないわれわれ凡夫はドゥッカ()を経験するでしょう。妄想を離れる度合いに比例して苦しみは無くなりますが、それでも、母親の臨終や死んでいく我が子の末期を看取る瞬間、心が痛むのではないですか。悲惨な苦しみは徳を積みカルマを善くしていくことによって乗り超えられますが、完璧にという訳にはいかないでしょう。あらゆる徳を積み、波羅蜜を究極まで高めてブッダになられた尊い御方ですら、時に下痢をし足に棘を刺し、異教徒に罵倒され、公衆の面前で「こいつに妊娠させられた」などと嘘をつかれて危うい瞬間もあったのです。
  つまり、過去の不善業を全て無化することは誰にもできないということです。不善業があれば必ず苦受の瞬間があります。それが限りなく少なくても、老いていくし、死んでいかなければならないし、幸福だった愛する人が病み、転落し、不幸な境遇に陥っていくのをどうしようもなく見ていなければならなくなることもあるのです。
  苦受も嫌だが、楽受が失われていくのも苦しいのです。生きている限り、この変滅する苦、無常の苦をなくすことはできません。永遠に続く楽受の連続はない・・・。これが、なぜ楽が苦になってしまうのかの究極の答えです。

Bさん:欲望をどう抑制していくかについてお伺いします。たとえばサティを入れて食欲をコントロールしようとするのですが、結局は負けてしまって自己嫌悪という結果になることがあります。食欲に限らず、このようなことはどう解決していけばよいのでしょうか。

アドバイス:
  生存に直結した食欲のコントロールはとても難しく、負けてしまうのは当然というか、自然なことです。もし簡単なら、世の中に肥満の人がいなくなるでしょう。人類の歴史は飢餓との戦いであり、存分に食べられるチャンスに食欲を抑制する機構など備わっていないのです。人は食べ過ぎるように作られていて、ブッダの時代の比丘達ですら例外ではなかったのです。

*ブッダの戒め
  「食べ過ぎるな」と、経典のあちこちでブッダは繰り返し戒めています。同じことを何度もブッダに言わせてしまうほど、過食する弟子が多かったということでしょう。食べ過ぎを抑止するのが難しいのは、2500年前も今も変わらないのです。
  望ましいことではないが、過食は避けがたいので、時に食べ過ぎても自虐モードに陥らないようにしましょうと、まず申し上げたいですね。貪って過食したことが第一の毒矢なら、後悔し自虐モードになるのは第二の毒矢です。毒矢を2本受けるより、1本だけにすべきです。さらに愚かな人は、自己嫌悪に陥ったことにムカついて第三の怒りの毒矢に打たれます。
  食べ過ぎてもいいんですよ。()  ただその後で頭がボーッとして、瞑想はできないし、経典の学習もダンマトークの聞法中も睡魔に襲われ、衣類に涎のシミを作って笑われる。これが、罰と言えば罰です。
  過食は本当にダメなんだ、と思い知り、心底から小食を決意しない限り、最強の欲である食欲をコントロールすることはできません。そう覚って、そういう気持ちになれるまでは性懲りもなく食べ過ぎるしかないのです。()・・・と偉そうに言ってますが、私も何度食べ過ぎて自分の愚かさぶりに溜息をついたかわからないんですよ。()

*気をつけておれ
  ブッダは、この問題の対処法をどのように考えていたのでしょう。経典のあちこちで、ブッダは繰り返し「よく気をつけておれ」と言ってます。また、「怒らないことによって怒りに打ち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て・・・」とも言ってます。この2つの言葉は、ブッダの方法の基本となるものでしょう。
  10年間サマタ瞑想に専念し行き詰まっていた時代の私の眼に、この言葉は突き刺さってきました。なるほど、怒らないことによって怒りに打ち勝ち、貪らないことによって貪欲に打ち勝つしかないのか。それは、「よく気をつけることによって」なされるのか・・・。
  このあまりにも当たり前な2つの言葉に吸い寄せられて、私は原始仏教の深遠な世界に分け入り、遂にヴィパッサナー瞑想にめぐり逢ったのです。「気をつけておれ」とは、後にサティのことだと判明しましたが、煩悩を抑止する魔法のような切り札は存在しない。常に、一瞬一瞬よく気をつけて、サティを入れ続け、善いことによって悪いことに打ち勝っていくしかない。それが、煩悩を滅尽させていくブッダの方法なのだと腹に落ちました。

*揺るぎない決意
  食欲という強敵に打ち勝つには、「よく気をつけて」「貪らないこと」をブッダは示唆しているようです。瞑想の修行用語としては、「サティ」と「決意(アディッターナ)」が大事ということになるでしょう。成しがたいことをやり遂げるには、特に「決意」が重要です。
  「必ず食欲を制する!」「どんなに微かでも、怒りの心が反応した時には必ずサティを入れる!」
  このように、修行目標を明確化し、必ずやる!やり遂げる!と決意すると、心の諸々のエネルギーが動き始めるのです。心というものは、強く命じられると何とかそうしようと頑張るものです。決意がブレなければ、業の法則上からもやがて具現化していくでしょう。
  何があろうともブレずに、揺るぎなく堅持される決意は「智慧」の力に支えられています。なぜそれが必要か、その目的が遂げられるとどうなるのか、たとえ成就しなくても悔いのない生き方になるのか・・等々、十分に考察し検証されて確立した決意は不動のものになるでしょう。
  この揺るぎない心を「信(サッダー)」と言います。智慧に支えられていない「信」は、愚かな盲信になりかねません。過去を正確に分析し考察し、あり得る可能性を想定し、経験的に検証されて得られていく実証的な智慧。その智慧に必要不可欠なのが「サティ」であることは言うまでもありません。
  「決意」は強力な意志(チェータナー)の別名であり、業を形成していく根源的な力です。決意が全てを変えていく所以です。
  断固たる決意は、必ず苦のない人生を実現させるでしょう。決意は「信」に支えられ、「信」は「智慧」に支えられ、「智慧」は事実の検証に支えられ、その現場は「サティ」によって取り仕切られていると言ってよいでしょう。

*なぜ食べる?  なぜ生きる?
  となると、なぜ食欲をコントロールしようとするのか、その目的や動機をもう一度確認した方がよいでしょう。
  なぜ食欲を抑制するのか。良い瞑想をしたいから。なぜ良い瞑想をしたいのか。心を浄らかにしたいから。なぜ心を浄らかにしたいのか。欲望と怒りと愚かさに汚れた心は不善業を作り、人生が苦しくなるから。今の自分の人生の苦しさを絞り込んでいくと結局、何が問題なのか。それは何に由来するのか。それを乗り超えるにはどうしたらよいのか。人に苦しみを与えないために戒をより厳密に守るのか。他人に善行をなすのか。それでも乗り超えられなかったら、どのように受け止めればよいのか・・・。
  こうしたことを徹底的に考察し、腹に落とし込み、今夜帰宅して必ずやるべきことを明確に自覚して夕食に臨んでください。スポーツ観戦しながらダラダラくつろいで寝るだけなのか。瞑想をするのか。クリエイティブな頭の使い方をする時と、重い荷物を二階に上げなくてはならない時では、腹七分にすべきか、満腹が良いのか、調整すべきです。
  やらなくてはならない大事なことがあり、小食にすべきなのはわかっているが、それでも美味いものを存分に食べなければオサマラナイ時もあるでしょう。何もかもわかりながら、また同じことを繰り返しますか。100回同じことをやり、100回後悔したなら、ここはサティを入れるべきでしょう。何にムシャクシャしているのか、自覚すべきです。ヤケ食いを始める前に、漠然と感じているストレスをきちんと整理して、不快な出来事をものを食べる快感獲得によってウヤムヤにしようとしているのではないかと、ありのままに知るべきです。分析も、考察も、究明も、できないし、やりたくない時こそ、苦しいからこそ、瞑想をやるべきです。思考を停めれば、お粗末なエゴの反応も鎮まり、見えなかったものが閃く瞬間が訪れるものです。
  食べることが、生きることです。仕事をすることも、家族とくつろぐことも、歩くことも、瞑想することも、生きることです。
  マインドフルに、よく気をつけて食べることが、自分の人生をどのように生きていくか、人生観や価値観を問い直すことにもなっていくでしょう。食欲ときちんと向き合うことによって、なぜ生きるのか、何を目指して、どのように生きていくのか、自分は何をやりたいのか、何をするために生まれてきたのか、を問うことに繋がります。何を、どのように、何のために、どのくらい食べるかを賢く決めることが、生きることそのものであり、その一瞬一瞬が良い瞑想の因となり、鋭い明晰な気づきの瞬間が、変哲もないただの日常を輝かせてくれるのです・・・。(文責:編集部)

 今月のダンマ写真 ~
                  

行列する上座仏教の

比丘の方々

 
N.N.さん提供
    Web会だより  
『真っ黒い心を吐き出したら・・・』H.T.
  地橋先生のご著書から朝日カルチャー講座に出会い、1Day合宿に参加し出してから1年半ほどになります。
  現在私は55歳ですが、ブッダの瞑想法に興味を持ったのは30代後半でした。その頃はヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の違いなどまったく知りませんでした。動機は願望をかなえるため、何か超人的な能力をつけたい、成功したいといった欲が心を占めていました。

  38歳の時にそれまで勤めていた会社を辞めて独立し、スピリチュアル療法を中心とした心理セラピーを開催すべく相談ルーム・セミナールームが確保できるビルのスペースを借りて事業を始めました。動機は自らの知名度の向上や金銭欲を満たすためであり、サラリーマンから脱出したことだけで満足を得ているようなどうしようもない自分でした。真面目に宣伝活動をするわけでもなく、技を磨くわけでもなく独立した自分に酔い、それをブログに投稿し、知人が反応してくれることで優越感を満たす、といった毎日でした。当然事業はうまくいきません。1年も経たずに事務所閉鎖に追い込まれ、後に残ったのは借金と尻切れとんぼになった人間関係でした。

  妻はそのころ精神的な苦しみのどん底であったといいます。3人の子供を育てるための生活費がどんどん消えていくことに心を痛め、夜眠れない日々が続いたといいます。
  私はと言えば、そんな妻の苦しみにはまったく気づかず、ただただ自分が有名になればいい、と思っていたのです。

  会社員に戻ったことでやがて家計はもとに戻りましたが、私の中で成功願望はずっとくすぶっていました。「自分は世に出て名声を得る特別な人間だ」といった意識がずっとありました。

  私は20代の頃よりスピリチュアル療法や成功実現技術といったものに興味があり、本やセミナーなどを通じて様々な手法に出会いました。自己啓発詐欺も体験しました。ブッダの教えにも出会ってはいたのですが、ブッダの教えは「人生は苦」であり、成功してお金持ちになりたい私とは相容れない思想であると捉え、当時はなじめませんでした。

  私には訳もなく急に激怒する、という課題がありました。特にそれは妻に対して出ていました。妻と普通に会話をしているときに、妻の何かの言葉をきっかけに、突然怒りが爆発し、コントロールできなくなるのです。しばらく時間がたって怒りが治まった後、振り返ってみてもなぜあんなに怒りを爆発させたのか理由がよくわかりません。怒りを爆発させた後は決まって気分が悪くなり、この癖をなんとか止めたいと思っていました。

  怒りの爆発が原因で、仕事で取引先への出入りが禁止になったり、知人との関係が破綻することも何度かありました。痛みを味わうと反省はするのですが、しばらくするとまたやってしまうのです。

  52歳を過ぎて、子供3人のうち2人が社会人として独立、子育てが完了に近づくにつれ心もすこしずつ静かになっていったようでした。そんな折に、スマナサーラ長老の本に出会い、原始仏教、ヴィパッサー瞑想を知り、興味を持って調べていくうちに地橋先生の講座にたどり着きました。

  講座に何度か通ううちに、怒りの原因は、自分の心の歪みの問題ではないか?と思うようになりました。ただ、具体的にどう対処すればいいのかわからずにいたときに、地橋先生から内観を勧められました。内観については40代のころから興味はあったのですが、7泊8日の間、屏風の内側にこもりっきりで修行するというプログラムを完遂する自信がなく、申し込みに躊躇していました。

  地橋先生に推薦されたとき「いよいよ実施する時がきた」という思いが浮かんだので、素直にそれに従い、年末年始の休みを利用し静岡の内観研修所に行きました。

  7泊8日の内観研修の前半は内観することが難しかったのですが、なんとかこの機会に怒りの原因を知りたいと真面目に取り組んでいたところ、4日目くらいから気づきが深まり出しました。

  もう少し詳しく説明しますと、最初の3日間は母と父と妻に関して①「していただいたこと」②「して返したこと」③「迷惑をかけたこと」を順番に振り返りました。そこそこの気づきはあったのですが、心が揺れ動くところまではいきませんでした。

  4日目から「嘘と盗み」というテーマで振り返りを始めてから、気づきが深まっていきました。嘘と盗みについては、本当にどんどん出てくるわけです。子供の頃もいろいろ出ましたが、仕事を開始してからは、仕事で経費をごまかしたこと、仕事をさぼったこと、人との約束を守らなかったこと、妻に嘘をついたことなどなど、出るわ出るわ、とめどもなく出てきて、自分の人生は嘘と盗みで出来ているのか!と思えたほどです。

  真っ黒な自分を見せつけられ、途中かなりしんどくなったのですが、ここはなんとか踏んばって、ごまかさずに、自分がやってきた嘘と盗みを全部吐き出そうと思い、ひとつひとつ丁寧に思い出しました。嘘と盗みを一通り吐き出したあと、再度母と父に対する内観に戻りました。

  この後半の内観中に大きな気づきが来ました。

  他界した母については元々感謝の思いがあったのですが、今回の内観に参加できたのも、実は母の死という導きがあったという事実に気づけました。

  父についてはできる限り接触を避けてきた自分がいました。その父が若い頃、当時の父を取り巻くある事情によって大変な苦労・苦しみを味わってきたことに思いをはせることができ、それを実感できた時は、心からの労いと私を育ててくれたことへの感謝の涙を流すことができました。内観の福田先生も一緒に泣いてくださいました。

  7日目、8日目と幾度か懺悔と新たな事実の気づきへの感謝の涙をこぼし、8日目終了時点ではとても爽やかですっきりしている自分がいました。

  内観を通じて怒りの原因がひとえに自分のモノの見方が逆さまであったこと(自分は周りのおかげで生かされてきたのに、まるで自分が周りを生かしてきたかのごとく思い込んでいたという本末転倒の見方)であったと深く気づくことができました。

  内観から帰宅し妻の姿を見たとき、土下座をして過去の怒りの行ないを詫びました。その時、私の内面はとても素直でした。

  それからはさらに精進しようと思い、ヴィパッサナー瞑想に真剣に取り組むようになりました。以前は気が向いたときに時々瞑想するといった程度でしたが、毎日実践するようになりました。

  それから8カ月ほど経ちました。妻に怒りをぶつけることはもう無くなりました。以前だとムカッと来ていたような場面でも怒りを出さずに、穏やかに対処している自分がいました。それまで毎日外か家で飲んでいたお酒もまったくと言っていいほど飲まなくなっていました(私が発するアルコール臭に悩まされていた妻も喜んでいます)。妻や子供も前より私に接しやすくなったようで、ペットの犬も以前より私になつくようになっていました。

  怒りが爆発していた時は「イライラの元」とも言えるものがお腹の奥に実感として存在していました。そのイライラの元に触れられると、「イラッ!」として怒りが出てくるのです。触られるとイタッ!となる皮膚にできる「痛いおでき」のようなものです。それが今は、消えました。実感として存在しなくなったのです。
  仕事においても生活においても感情が揺れ動いたときに、サティ(気づき)を入れて、「今不愉快に感じている」「それはどんな心だろうか?」と探るようになりました。例えば、心が穏やかではない状態のときに「怒り・イライラ」とサティを入れても、心が静まらないときに、さらに心を探っていくと「さみしさ」というサティが入り、それによって心がスーッと治まっていくこともありました。ああ、自分がイライラしていたのは、実は人にかまってもらえず寂しさを感じていたのか、と。何度かそのように実践していくうちに、自分の感情が乱れるパターン・癖があると気づけるようになりました。エゴが前に出てきて力を増すと、偏った思考を展開することにも気づけるようになりました。

  地橋先生からは「内観を通じて人生の流れが変わるような大きな気づきが起こり、その後も瞑想修行が続き、具体的に行動が変わって成果が出ていますね、素晴らしい」と言われ、うれしく感じました。

  長年にわたり私自身も苦しめていた原因不明の怒りが沈静化し、今は毎日穏やかに過ごせています。以前はいつ自分の怒りが爆発するかと思うと、気が気ではありませんでしたが、今はサティを入れることで、怒りの後続切断ができるとわかりました。原因と対処法がわかり、自分が楽になっていることにも気づけました。

  まだ短い期間ですが、地橋先生が推薦されるヴィパッサナー瞑想を実践してきて、大事だと思った点を5つあげます。


1. 五戒を守る
  まだまだ油断できませんが、とても重要です。最初はどうしてもお酒が止まりませんでしたが、飲まないでいると頭がクリアになり、心も静寂になることがわかってからだんだんと飲まなくなりました。先ほど述べたイライラの元とアルコールは関係があります。イライラの元があると怒りや痛みがしょっちゅう出てくるので、それらをアルコールで麻痺させようとしてしまうのです。ほかの4つもとても重要だと感じます。地橋先生がおっしゃる通り、五戒を守らずして瞑想が深まることはないと感じます。


2. 毎日の生活そのものにサティを入れる
  瞑想の時間だけにサティを入れるのではなく、実生活においてサティを入れること。とても難しいことですが、実生活こそがサティの本番と自分に言い聞かせています。


3. できる限り放逸しないで生活すること
  前回の1Day合宿の時、前々日に見たTVビデオの音楽が頭の中で鳴り続けていて、瞑想に集中できませんでした。ブッダは音楽の視聴も禁止していますが、理由がわかりました。TVなどの視聴の時間を意識的に減らし、食事も多くを食べないようにすること(食を抑えることは難しく、今後の私の課題です)、無駄話に気を付けることなどが心を整えることにつながります。


4.とにかく毎日瞑想態勢に入る
  瞑想がうまく進むときもあれば、気乗りしないときもあります。特に気乗りしないときでも、なんとかして歩き瞑想か座り瞑想を始めてしまうこと。


5. ダンマに触れ続けること
  地橋先生の講座でのダンマトークや法友との会話が良い刺激になり、継続力を与えてくれます。

  私はもともと本を読むことが好きですが、ダンマ関連の本に毎日触れることで、新鮮さを保てると感じています。一人だとついサボりそうになりますので、ダンマの言葉に触れることで自分に活を入れることができます。
  瞑想を長い期間継続するには、なんらかの形で常にダンマに触れ続けることが大切だと思います。触れないでいるとダンマから遠ざかっていく自分がいます。

  ブッダの智慧を緻密に、分かりやすく、実践的に伝えてくださる地橋先生のガイダンスを軸に、今後も瞑想を続けていきます。長期間続けていったその地平線の彼方の先に何が見えてくるのかとても楽しみです。ご縁に感謝いたします。 H.T

☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。
 

 K.U.さんより

     
 






このページの先頭へ

『月刊サティ!』
トップページへ


 


ダンマの言葉
  誠実に、熱心に努力を続ける人には、あらゆる成功の望みがあります。より高い特質を備えることができるこの素晴らしい機会を利用できない人がいるとしたら、本当に残念なことです。というのは、そのような人は遅かれ早かれその人自身の悪いカルマの犠牲となり、地獄、動物、ペータ(餓鬼)という悪趣に引きずり落とされます。そこでの寿命は、数百年、数千年、数百万年も続きます。したがって、ブッダの教えに出会うことは、道戒(マッガ・シーラ:magga-sila)と果戒(パラ・シーラ:phala-sila)に精進する唯一の機会なのです。マハーシ・サヤドー『サティの確立とヴィパッサナー』月刊サティ200611月号より転載)

       

 今日の一言:選

(1)思い込めば、何でも、そのようになってしまう……
  眼からウロコが落ちる日も来るだろうが、そのままになることもある。

  どちらも、人生だ……


(2)クセになっている遺伝的・反射的な反応に無自覚に従えば、エゴ的振る舞いになるだろう。
  それゆえに、クサビを打ち込むように、ものごとを認知する一瞬一瞬にサティを入れ、自動化された反応を止めていく……

  エゴのサイズを小さくし、無我の感覚にたどり着くブッダの方法論……


(3)愛する家族や恋人や親友に対してなら、真剣に、心から慈悲の瞑想を捧げることができるだろう。
   苦手な人やあまり好きになれない人に対して、同じあたたかい気持ちで慈悲の瞑想ができるだろうか……
  その温度差が、自分のエゴのサイズと心得る。


       

   読んでみました
    『方丈記』(詠嘆的無常観)から『徒然草』(自覚的無常観)へ
                 ~芥川龍之介と夏目漱石に触れつつ~

  およそ100年を前後し生きた鴨長明と吉田兼好。
  彼らが生きた鎌倉時代、「飢饉」「火事」「台風」「地震」などが立て続けに起こり、その惨状が凄まじい。「わびしれたるものども、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地のつら、道のほとり、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。くさき香世界に満ちて・・・。母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳を吸ひつつ、臥せるなどありけり」。大火事においては、都の半分近くが灰燼となり、数百人が一夜にして死んだ。「吹き切られたる焔、飛ぶが如くして、一、二町を越えつつ移りゆく。煙にむせびて倒れ伏し、或いは焔にまぐれて忽ちに死ぬ」。
  またこの時代は宮廷王朝が滅び武家社会へと移りゆく大動乱時代でもあり、人心は闇に沈んだ。当時の人々の様子を『二條河原落書』に見ると、「このごろ都にはやるもの、夜盗、強盗、生首、成らず者、にせ綸旨(偽文書)、早馬、虚騒動、還俗・・・」という叙述が続く。
  次々と起こる大災害、人心の乱れ。目の当たりに、まさに人の世の無常、苦を突きつけられた長明と兼好。彼らはその実感を吐露する。

  「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどまるためしなし。」(長明)
  「人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしと掛けて、つかの間も忘るまじきなり」(兼好)
  そうした無常な世においては「人の営み、皆愚かなる中に、宝を費やし心を悩まず事は、すぐれてあぢきなけてぞ侍る」(長明)
  「人はおのれをつづまやしやかにし、奢りを退けて財を持たず、世を貪らんぞいみじかるべき」(兼好)など「捨」の心も自ずと生じていったようだ。
  やがて長明は小さな方丈の草庵へと籠居していく。一方、兼好は特に定めて常住することなく、いくつかの寺院を渡っていく。二人は出家の心持ちをそれぞれ次のように述べている。
  「いづれの所を占めて、いかなるわざ得てか、しばしもこの身を宿し、たまゆら心を休むべき」「今、方丈の草の庵、よく我が心にかなへり。故に万物を豊にして、憂れはしき事、さらになし。」(長明)
  一方、「実の大事は、たけき河のみぎり流るるが如し。しばしもとどこほらず、ただちに行ひゆくものなり。されば、真俗(出世間・俗世間)につけて、必ず果たし遂げんと思はん事は、機嫌をいふべからず。とかくのよひもなく、足を踏み止むまじきなり」(兼好)
  長明は出家草庵生活に没入し、兼好は必ずしもそこに留まらない。
  ここより、さらに両者を対比していくが、ここで『方丈記』が影響を与えたと言われる芥川龍之介に触れてみる。
  実は、芥川龍之介は『方丈記』の相当な愛読者だった。龍之介の母が「いつもポケットに入れている本、何だえ、それは?」と尋ねると「これですか?これは『方丈記』ですよ。僕などよりもちょっと偉かった人が書いた本ですよ」。小説『羅生門』の冒頭など、『方丈記』「養和の飢饉」の描写然としている。龍之介は、長明から描法はじめ思想においてもかなり影響を受けていたようだ。その龍之介は、とてつもない厭世状態からくる神経症の渦中、自殺したことは知られる通り。
  自殺に関して、原始仏教では、「嫌悪や不満は人を自己破壊へ導く病気」(『沙門果経』サンガ文庫のスマナサーラ長老より)と捉えている。龍之介はその最たるところへ自らを追いやった。思うに、龍之介が傾倒する長明が何かしらその背中を押してしまったことも少々あろうかと。
  長明は、その生涯を収めるべく、方丈庵で隠遁生活に入った。そこで『方丈記』を著わすが、そこで、厭世気分に見舞われた、なすすべもない姿が垣間見られる。「今、草庵を愛するも、閑寂に著するも、さばかりなるべし(そうなるべくしてなったものだ)」。このくだりは、元の俗世間に戻ることはないという意思表示。それは精進故ではなく、草庵への執着からに他ならない。この草庵において「要なきこと(世の中のあれやこれや不要なこと)を述べて、あたら時を過ごしたり」と『方丈記』を結んでいる。そこでは、無常を傍観し嘆くだけの不満げな遁世者の姿が見えてくる。そんな長明の有り様は龍之介の厭世感をひたすら鬱積していくだけだっただろう。
  一方、兼好も出家し草庵に入った。しかしながら、次のように語る、「世をそむける草の庵には、閑かに水石をもてあそびて・・・いとはかなし。閑かなる山の奥、無常の敵競ひ来たざらんや(死がやって来ないことあろうか)。死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ(死に直面していることは、武士が戦陣に進んでいるのと同じである)」。長明とは草庵中の思いが大きく異なる。すなわち、草庵は生死の戦いの前線だと。
  「世は定めなきこそ、いみじけれ。」(兼好)という言葉に、無常を腹に落とし込む凜とした姿を見てしまう。「人、死を憎まば、生を愛すべし」。無常の認識に徹する時、生きる尊さが照射されてくる。さらに「一日の命、万金よりも重し」と語る。原始仏教では「人は成長すべきである、とは仏教の基本的なスタンス。成長の頂点は解脱に達すること。」(『沙門果経』サンガ文庫のスマナサーラ長老より)と言う。兼好は、この尊い一日一時を、仏道に生きることを唱える。
  兼好は出家に際して、「吾が生既に蹉陀たり(起こるべきして起こった苦あり)。諸縁(世俗の縁)を放下(捨て去る)すべき時なり」と、迷いない言葉を吐く。「おなじ心ならん人、さる人あるまじ」の語りは、ブッダの「一人犀の角のごとく歩め」の体だ。
  夏目漱石に触れたい。漱石も『方丈記』を読み、親友の正岡子規に書簡を送っている。「此の頃は何となく浮き世がいやになり、どう考えても直してもいやでいやで立ち切れず、人生は夢幻の如しといふ位な事は疾から存じて居ります。知らず、生まれ死ぬる人、何方より来たりて何方へ去ると長明の言は記憶すれど、悟りの実は迹方なし(悟りの実相はない)」と。長明の言を借りて、世の儚さ無常を嘆く漱石がある。この後、漱石は『三四郎』『それから』『門』と三部作を著す。そして、この物語は、主人公が最後に仏門を叩いていくところで終わる。無常、苦の認識は、いかなる時代でも仏道へと向かうのか。そうして、『明暗』へ、「則天去私」へ展開。これは、因果の流れに身を処す仏道の「全託」のあり方ではないか。この姿が、兼好に重なってくる。
  「命は瞬間、瞬間消えていゆく」(ブッダ)。兼好は、無常を自覚し、仏道を歩み、その生き様を因果の流れに委ねていく。長明のように、無常の詠嘆に留まらない。兼好は、無常を冷徹に自覚する。そして「瞬間」を生き抜き、その因果を受け、次の「瞬間」を生き抜き、次のその因果を受け切っていく。無常から遁世せずに、無常にうろたえずに、「瞬間瞬間」立ち向かう。あとはあるがまま、とのメッセージを発しているようだ。「一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる」。「人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり。さらば、などかこの世の濁りも薄く、仏道をつとむる心もまめやかならざらん(真剣にならないことがあろうか)」(兼好)
  とはありながら、肩肘張らず、軽やかにもあれ、楽しめとも言っている。「人事(いろいろなこと)多かる中に、道を楽しぶ気味深きはなし(仏道精進を楽しむような味わい深いものはない)。この実の大事なり」。無常であるこの世だからこそ仏道を楽しめ、とは逆説的だが、まさにそうだろう。スマナサーラ長老もよく言うことだ。世の無常はネガティブに見える。ところが、認知を変え、ポジティブに見ればそう見えてくる。どちらがいいか。兼好の次の言葉で締めくくりたい。
  「折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ」「万の事も、始終(生滅)こそをかしけれ」 「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」。(Y.T.)
 このページの先頭へ
 『月刊サティ!』トップページへ
 ヴィパッサナー瞑想協会(グリーンヒルWeb会)トップページへ