2019年7/8月合併号 | Monthly sati! July, August 2019 |
今月の内容 |
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 今月のテーマ:仕事・職場でのサティと慈悲の瞑想 |
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ダンマ写真 |
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Web会だより:『十年目の私の瞑想修行』 | |
ダンマの言葉 | |
今日のひと言:選 | |
読んでみました:『ヒトに問う』倉本聰著 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
今月のテーマ:仕事・職場でのサティと慈悲の瞑想 |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
Aさん: アドバイス: |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
N.N.さん提供 |
私は、グリーンヒルの瞑想会に参加し始めてもうすぐ十年目になります。修行の一つの節目であり、これまでの歳月を振り返って、学び得たことについて書き留めておきたいと思いました。 私は一人息子を持つ母親ですが、ヴィパッサナー瞑想に出会うきっかけとなったのはこの息子のことでした。息子は、幼い頃から持病のアトピーがあったのですが、それが悪化し浪人時代に最悪の状態に陥りました。それまで何の疑問もなく使い続けていたアトピーの薬の副作用が噴き出して、息子はもがき苦しむことになったのです。とても人間の肌とは思えないまでに荒れて爛れ、目も白内障になりかかって本を読むことすらできなくなりました。アトピーの激烈な痒みに、四六時中苦しむ息子を目の当たりにした私は、もう受験どころではない。この子は社会で生きていけないのではないかという危機感さえ覚えました。 そのような絶望のどん底に落とされた時、息子の苦しみをアトピーの薬のせいにしてはいけない。これは、息子に重圧をかけてきた母親の私のせいだと認めざるを得なくなったのです。いったんそう認められたら、すぐに自分の気持ちを息子に伝え土下座して謝っていました。そして毎日毎日、お仏壇に手を合わせて「自分の命が短くなってもかまわないから息子を助けてください。息子の体を元通りにしてください」と祈り続けました。 奇跡が起こったのは、それから間もなくのことでした。これ以上酷くなりようがないとさえ感じていた息子の肌が日に日に良くなり始め、半年後にはすっかりきれいな肌に生まれ変わりました。予備校にはほとんど通えなかったのにもかかわらず、大学も希望通りのところに合格できました。その半年間は、何か人智を超えたものに突き動かされているような感じがしていました。 その頃のことを改めて思い出してみると、あの「奇跡」を起こしたのは、私自身が自分が毒親だったことに気づき、それを認めて心から息子に謝ったからだとわかりました。もちろんそれまでにも、自分のやってきたことは全て息子のためと思いながらも、本当は自分のプライドを満足させるために息子の教育に必死になっていたのではないか・・・と薄々は感じていたのです。しかし自分の子育てを否定することは自分の人生が否定されるのと同じであり、どうしても自分は正しいという信念を捨てることができませんでした。 例えば、これからは英語が必要な時代になるからと、幼い頃から英語の勉強を強制する母親の気持ちになんとか添おうとする健気な息子の姿を見て、私は一生懸命に子育てをしている立派な良い親だと思い込もうとしていたのです。しかし、母親の期待に応えようとして長年抑圧してきたものが、浪人生活のプレッシャーが極まった時についに決壊し、あの恐ろしいまでの姿に変わったのだと思いました。息子の全身の爛れた肌は、「もう嫌だ!」という声にならない叫びであり、私自身のエゴの心を映し出す鏡だったのです。まるで地獄図のような光景を否応なしに見せられることによって、私の頑強なプライドは木っ端微塵に粉砕されざるを得ませんでした。 「世間体のいい大学なんて入らなくてもいい、何年浪人してもいいから、とにかく体を治そうね。生きていてくれたらお母さんはそれでいいから」と言うと、息子は眼を潤ませながらうなずいてくれました。今でも、あのときの息子の顔を思い浮かべると涙がこぼれそうになります。そして、それ以降、私は本当に変わろうと決意しました。この機会に変わらなくては、私のせいで家族共々不幸になる。今度のことで、息子も自分も一度死んだはずの命だから、もうつまらない見栄なんかに振り回されるのは終わりにしたい。これ以上、息子に迷惑をかけたくないと真剣に願ったのです。 そうはいっても、言うは易く行なうは難しで、実際に変わるのは文字通り死ぬほど大変でした。なぜ私は、こんなに教育ママになってしまったのか。いつも私を何か世間的に立派とされる目的に向かってせき立てているのは何なのか。それが怒りだとしたら、その怒りの根源はどこにあるのか。そういうことを徹底的に知らなければ、根本的には変われないような気がしたのです。そこから私の心の改革の遍歴が始まりました。 心理学や精神分析などの分野の本を読みまくって、少しでも興味をそそられるものがあったら、その著者や団体の話を聴きに出かけたりしました。お金もいっぱいかかったけれど、そんなことを気にかけていたら心の変革などできないと思って、気のすむまでやろうと決めました。そして、いろいろな経験を踏まえたあげく、最終的に行き着いたところがグリーンヒル瞑想研究所の瞑想会だったのです。 地橋先生の瞑想会に来て、最初に感じたのは、「ここは他のところと決定的に異なるものがある」ということでした。それが何かはその時には曖昧でしたが、ようやく、自分が求めていた場所はここなのだとはっきり直感することができたのです。「この先生を信じられなかったら、私はもう行くところがない」とさえ思いました。なぜ、そんな直感が得られたのか、その時はよくわかっていなかったように感じます。でも、今ならはっきりわかります。同じヴィパッサナー瞑想なのですが、地橋先生は、心の反応系の修行を何よりも重要だと強調され、エゴが一番嫌がる内観の修行をすすめられていたからなのです。 私たちは、自分が傷つけられたり苦しめられた記憶を繰り返し思い出しては、しょっちゅう怒ったり恨んだりばかりしています。でも内観では、自分が迷惑をかけられた記憶は思い出すことが禁じられ、逆に自分が両親を苦しめたことや家族にかけた迷惑だけを克明に思い出すことが求められるのです。私は被害者だと喚くのではなく、自分こそ大切な家族に苦しみを与えてきた加害者ではないのかと黒い自分に向き合わされる辛い修行です。 「私の親は毒親だった」とか、「私は毒親に育てられたから、自分も毒親になったのだ」という話はよく聞きますが、「すべては自分のせいなのだ」と責任の鉾先を自分のみに向けることをうながした本は見当たりません。そんな本があったら、誰も買いたくないし売れないでしょうから。でも、先生は徹底して、内観を勧められてきたのです。 私も最初は、内観にはどうしても行きたくなくて、内観よりもいい修行が他にもあると思っていました。自分以外のものに責任を負わせようと躍起になっていたのです。それで、いろんな理屈をこね回しては先生に抵抗していました。でも、先生は逃げようとする私に、「内観に行かないのであれば、これ以上はあなたには教えられない」とはっきりおっしゃったのです。その厳しさに何度泣いたことか。この先生は底意地が悪いのではないかと、恨んだことも何度もありました。だけど、私のためを思ってあえて憎まれ役になってくださっていることも、本心ではわかっていたため、重い腰を上げて九州の佐賀にある内観研修所に行くことにしました。 そこでの修行は、一瞬一瞬が自分のエゴとの戦いの日々であり、途中で逃げ出そうとも思ったほどの過酷さだったのです。内観の先生が厳しかったわけではありません。自分との戦いが苦しかったのです。エゴにとって、すべての苦しみの根源を自分だと認めることが、どれほど難しい行為なのかをいやというほど痛感しました。内観は、自分のエゴと向き合い、欲と怒りと我執の元凶を滅ぼそうとする仏教の修行の本質に通じるものだと感じたのですが、1週間でそんな大仕事ができるはずもなく終りました。 内観の修行に行ってきたことを報告した途端に、先生は「次はいつ行くの?」と訊かれたのです。ええーっ!また、行かされるの!?何でわかっちゃうの?と思いましたが、私が何も変わらないで帰ってきたことをたちまち見破られてしまったのです。愕然としましたが、アトピーで死にかけた息子のことが頭に浮かんだら、ここで後には引けないと思い直し、間を置いて再び九州まで内観の修行に行ったのです。 二度目の修行に入り、なぜ1回目では成功しなかったのか私なりに省みて、母に対する感謝の気持ちと裏腹に、体の弱かった母は入退院を繰り返して幼い私との接触が乏しかったことに怒りの感情があることに気づきました。これがセオリー通りの内観の修行を阻んでいたのではないかと思い、まずそれを吐き出してから内観の修行に入りました。後日これはロールレタリングの技法に通じるものだと気づくのですが、ネガティブなもやもやした感情が整理されてからの2回目の内観は手ごたえがありました。 人のせいにしたくなるエゴの誘惑をふりきることは身を切られるようにつらいことでしたが、最後の最後は、やはり自分が元凶だったと認めざるを得なくなったのです。それを認めてしまったら、自分が根本から崩壊するのではないかという恐怖にも襲われました。崖から身を投じるような怖ろしさでしたが、それをやりきったと思えた瞬間、心が一気に解放されるのを感じることができたのです。それまでは逃げ出したくて、本当に苦しかったけれど、そうなってはじめて、先生のこれまでの指導に納得することができました。 内観は原始仏教のオリジナルな修行法ではないのに、なぜ先生がこれを「反応系の心の修行」という呼び方で私たちに勧めてこられたのか。トコトン自己中心的な醜い自分の姿をありのままに直視しない限り、エゴの息の根を止めることなどできる訳がないし、心の清浄道もあり得ないからです。 この修行をやりたがらない瞑想者がなぜ悟れないのか。それは、高慢な人ほど内観を嫌がる傾向があり、汚い心を抑圧したまま高度な瞑想をやろうとしているからではないかと思いました。たとえルーツが大乗仏教の「身調べ」の技法でも、それが有効な修行法として機能するなら、ヴィパッサナー瞑想に取り込んで補完させて良いとするのが地橋先生のやり方なのだと思いました。脳科学も認知心理学も精神分析も、どんな知見や技法も、ヴィパッサナー瞑想に役立つなら総動員して修行の完成に向かうべきだという考え方なのだとわかりました。 私が先生の瞑想会にうかがう前に、自分の心の改革のために出かけていったところは、キリスト教系の講演会やスピリチュアル系の講演会などでした。そういうところでも、勉強になるお話はたくさん拝聴できたと思っています。でも、そこで語られることは、「あなたは悪くありません」「あなたは今のままで愛されているのです」「すべては宇宙の営みにゆだねればいいのです」等々の癒し系の言葉ばかりでした。そういう自己肯定感をあおるような言葉からは、確かに感動をもらえ、その時はありがたい感じがするのですが、しばらく経つと、また日常の出来事や人間関係に対して怒りが出るという悪循環しかありませんでした。そのため、ここにいても何も変わらないと見限ることの繰り返しだったのです。「おまえがすべての元凶なのだ」「全部おまえのせいなのだ」「おまえの心が一番腐っているから苦しいんだ」なんて言ってくれるところなどは皆無でした。そのような失望体験を積み重ねていたからこそ、先生の瞑想会しか私の苦しみは手放せないと直感できたのだとだんだん明瞭になっていったのです。 大勢の人が瞑想会に来られますが、最初は先生の瞑想会に熱心に通っていてもいつの間にか消えてしまう人も少なくありません。 それは、苦しみの原因である真っ黒な醜い自分の心を直視させようとする先生の実践の厳しさに耐えられなくなったからなのではないでしょうか。エゴを無くすというのは、プライドも自信も希望的観測もズタズタにされ、エゴ=私が殺されるような恐怖に耐え抜かないと、明るい光の世界が開かれてこないのですから。私も耐えられなくなって止めようとしたことが何度もあります。でもその度に、多くの法友が私を叱咤激励し支え続けてくれました。私にとって法友こそが宝物であった、と万感の思いがします。常に適切なご指導をしてくださった地橋先生をはじめ、私に関わってくださった法友の皆様に対して、心からお礼を申し上げたいと思います。 内観も含め反応系の心の修行は、しょせん概念を操作して心を整えていく行法でしかありません。死ぬほど難しいと言われるサマーディも完成させなければならないし、何よりも妄想を止めてサティを連続させていくことが苦手な私にとって、道は果てしなく遠い遥かはるかの彼方です。それでも、反応系の修行に私なりに命がけで取り組むことができたお蔭で、この世の苦しみは激減させていただきました。だから、どんなに瞑想が苦手でも、この道を最後まで歩み抜いていきたいと思うのです。 ヴィパッサナー瞑想を始めて十年、過ぎ去ってみれば夢のようであり、進むことができたのはわずか一歩か半歩に過ぎませんが、これからも皆さまと互いに支え、支えられ、共に歩んでいけますよう願っております。ありがとうございました。 註1:内観は、吉本伊信によって開発された自己の内面を観る方法。 母親や父親など自分と深い関係のある人物に対して「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の三つに焦点をしぼって内省するやり方。全国各地に、一週間かけて集中的に行うための内観研修所もある。 註3:文中にある九州の佐賀内観研修所は、指導者の先生の引退により現在は閉鎖されています。 |
☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。 |
私達は盲目の人々と一緒に生きる盲目の人間のようなものです。私達は自分自身のことが分らないし、他の人のことも分かりません。どちらもお互いに分かっていません。それでいて、どちらも自分は分っていると思っています。そう思い込んでいます。それに間違いないと決めつけています――互いに内なる目の見えないもの同士が、互いに言い争って犬のように噛み合っています。ブッダとその弟子達のような洞察の目は持っていません。 |
倉本 聰著『ヒトに問う』(双葉社 2013年) |
言うまでもなく著者は、数々の名作を生み出してきた有名な脚本家である。本書は発刊されてからかなり経っているが、中身はいささかも古びていない。それどころか、昨今のこの社会はますます著者の至言が当てはまる状況になってきていると感じられる。そこで、本誌(『月刊サティ』)の文脈とはやや違う角度ではあるが重なる部分も大きく、あえてここに紹介したいと思う。
内容の一節が記された帯にはこう書ある。 「本気で想像してみて欲しい。些細な私欲、倫理を忘れた成功の快感。僅かな金銭につながる欲望。そうしたものが今福島の原発施設から、小さいセシウム、微量のヨウ素の一粒となって日本を、全世界を脅かしているということを」「地位、立場、身分、民族、国家など、あらゆる束縛を排除した、地球上の何億という命の中の微小な存在としての人類というヒト。その一人としての『あなた』に、いま真剣に考えて欲しい」。 原発事故を起点として著された本書には、この主張が一貫してつらぬかれている。ただ、そこには著者の国民学校時代の経験が原点にある。 天災と人災、もちろん原発事故は人災には違いない。しかしそれより著者が重きを置くのは、その後の関係者の姑息な行動がもたらした部分である。「事実の隠蔽、責任逃れ言い逃れ、世論を操作しようとする電力会社のやらせメール、原子力安全・保安員のやらせ質問、エトセトラ」などなど、まさに重要な任務に伴うはずの誇りをも弊履の如く投げ捨てたありさまについての絶望感である。その絶望感は昭和19年、国民学校4年生だった時、その頃始まった学校配属制度による将校の、「特攻に志願する者、一歩前へ!」にまつわる経験を蘇らせた。詳細をここで紹介する余裕はないが、原発事故後の事態の中に、「僕は組織にしがみついて身を守ろうとする、あのときの僕とまったく同種の人間心理の弱さをどうしても見てしまう」と。 そうした洞察を踏まえ、著者は私たちが何気なく使う言葉に改めて問いを投げかける。そしてさらに、生きることの本質への再考を迫る。 例えば「想定外」。「想定とは、ある一定の状況や条件を、想像によって定めることを云う」が、今回の大津波を上回る貞観の大津波の記録が古文書に記されているにもかかわらず、「想定外」としてスルーしてしまう姿勢は、まさに科学者としての怠慢と表裏をなすものと言えそうだ。 はたして空気の中にセシウムが入っているかも知れないと言うのは、本当に「想定外」なのか。人が生きる根本は呼吸であることを忘れ、環境省を経済や景気より低い位置に置いるこの国で、「僕は紛れもない愚者だと自認するが、ものごとの根本を忘れた賢者は愚者にも劣る『バカ』である」と。 5年で19兆円という復興予算の財源は、もちろん税の内からである。確定申告にその枠があるのをご存じの方も多いだろう。しかしその予算に便乗して、震災とは関係の無い流用が話題となった。例えば、沖縄の国道整備(34億円)、反捕鯨団体の妨害対策(23億円)、首都圏の税務署などの耐震改修工事、刑務所での職業訓練拡大、青少年交流事業、等々・・・。「一体どういう神経をもって」という著者の言葉にまさに同感、災害にかこつけるにもほどがある卑しさを見せつけられたとしか表現のしようもない。つまりは、「被災地の現実を見ていないのだ」。 かつて富良野塾で塾生40人に今生活に欠かせないものを列挙させたら、1位:水、2位:火、3位:ナイフ、4位:食料となったそうだ。ところが同じことを渋谷で遊ぶ同世代の若者に挙げさせたら、1位:金、2位:ケイタイ、3位:テレビ、4位:車となった。「ヒトが生きる為には何が必要か、根本の思考がもはや若者には出来なくなっている」のではないかと、著者の慨嘆が聞こえてきそうだ。 また800の客席が満員となった宮津市の講演会場で選択の道を問うてみたと言う。一つは、「これまで通り、経済優先の便利にしてリッチな社会を望む道」、もう一つは、「今を反省し、現在享受している便利さを捨てて、多少過去へと戻る道」である。(点は筆者。以下同じ))一階は一般市民、2階は全て高校生。先ず一般市民に問うと、「何と90%が、過去へ戻る道」、高校生は、「70%が、今の便利を続ける道。30%が便利を捨てる道」だったそうだ。そしてこの問いを全国民に投げかけたいと結ぶ。 著者は本書で、自らの著作『北の国から』の一節を紹介している。 「電気がない!? 電気がなかったら暮らせませんよ!」 「そんなことないですよ」 「夜になったらどうするのッ!?」 「夜になったら、眠るんです」 ・・・夜は眠る為の時間、そして仮に、今の社会生活の活動時間を大規模に変えて自然のリズムに合わせると、消費するエネルギー量はどのような変化を遂げるだろうか、と問いかける。もちろん、それに対する回答は重要であるけれど、私はここで筆者の最も言いたかったのは次の言葉であろうと受け取った。それは、 「そうはいっても――と云ってはならない!変革の前ではそれは禁句である」ということである。 他にも、さまざまなテーマをめぐって数々の警鐘が鳴らされ、それらは私たちの日常と繋がりながらも広い視点を提供してくれる。では、本書で述べられている意見を個と言う単位にまで戻した時、私たちに出来ることは何だろうか。 それは二つに絞られるのではないだろうか。その一つは、いま私たちはこの社会を客観的に正確に捉えることが出来ているかどうかと言うことである。何が虚で何が実か。虚実ない交ぜになった情報が乱れ飛ぶ中で、本当の姿を見抜ける智慧を身につけるために出来ることは? その第一歩は、エゴを排した視点をもつ訓練をする以外に無いように思う。 そして第二には、まさに「引き算の美学」である。著者の言に従えば、「ヒトの欲望を抑えること」以外に無い。「欲しいものを減らしてしまうことである。受容そのものを減少させてしまうことである。需要仕分けをすることである」と。数々の共感を呼ぶ本書の中でも、今置かれている条件の中でも少しは出来るのではないか、と思わせられるのがこれである。 生という限られた時間の中で、ブッダの説かれた教えと社会との接点を理解しつつ後悔することなく生きるために、本書のような著作からは学ぶべき点が多い。(雅) |
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