月刊サティ!

2018年7/8月合併号      Monthly sati!  July, August 2018


 今月の内容

 
 
「サマーディの脳の基礎:瞑想的没入の神経科学」の連載を終えて(後)
    
                                 
 
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~

            
今月のテーマ:人間関係をめぐって(3)
  ダンマ写真
  Web会だより:『瞑想を始めて3年』
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
 
読んでみました:『母よ嘆くなかれ』(前)
                

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  

    

「サマーディの脳の基礎:瞑想的没入の神経科学」の連載を終えて(後)                                        鈴木孝信                         アダムズ州立大学大学院
                                                 東京多摩ネット心理相談室
(承前)
エカ―ガター
  エカーガター(Ekaggatā、一境性)は「集中された表象の活性化が比較的高く、持続されているので、意識は表象のみを知覚する。その他の表象は脱活性化される(初期は抑制され、後期は生じなくなる)」と認知科学では考えられます。エカ―ガターは、いわゆる集中している状態です。その対象に注意が注がれており、体験の多くがその対象由来のものになります。心理臨床で例えると、注意の対象が過去の辛い記憶だったりすると、その記憶かが単に意識にのぼるだけではなく、しっかりと感じ始めます。
  こういった「処理されるべき情報の記憶」が突然現れ強く再体験される現象を、臨床心理ではフラッシュバックと呼び、心的な外傷体験の後に顕著に現れます。エカ―ガターでは、注意の抑制が十分に機能しており、注意の対象以外の対象は抑制され、後に他の注意の対象が生じなくなっていきます。
  呼吸への意図的な注意の集中(ヴィタッカ、ヴィチャーラ)が、へブ則により、その後の脳活動に影響を与えるとしたら、身体の集中から(対象は不明であっても、それらの「処理されるべき情報の記憶」の身体的な情報処理が終わるので)情動、そして当初の対象に自動的に戻るのではなかろうと推測します。かなり大胆で的外れかもしれませんが、意図的な集中の要因が脱落すると、脳活動はよりデフォルトモードへと移行していきます。
  このデフォルトモードは、実は記憶と深く関係しており、記憶を引っ張り出し、自己と関連させ、ストーリーを作り出していく役割があります。脳が情報を十分に処理できない出来事はたくさんあるかと思いますが、その処理されていない記憶がデフォルトモード・ネットワークが活動する際に引き出され、処理が行われる際に(後述しますが)身体・情動・認知の順番で処理が体験されます。つまりスカートエカ―ガターのみを含むジャーナの段階では、何かしらの処理されていない情報が引き出され、その身体的な処理が終わり情動の処理が行われている状態ではないかと推測します。
  上記の個人的な推測をAさんの例で少しお話させてください。Aさんは、仕事で単純でそれ程重要ではないミスを犯し(報告書の数値の間違い)その件で上司の指導を受けます。受けた直後は、ショック状態に陥り、とにかく謝るしか出来ず、すぐに次の仕事に意識を向けなければなりませんでした。Aさんは上司から指導のみを受けましたが、上司の心情を裏読みし、実は酷評をされているのではと、その日の仕事が終わってからとても心配なり、それが頭から離れません。
  帰宅後、Aさんは瞑想をしようと決め家族が寝静まってから、暗いリビングで静かに坐りました。最初の10分は不安反芻が酷く(ああだったらどうしよう、こうだったらどうしよう)不安と身体の興奮もある状態でした。そうしているうちに、段々と呼吸への注意が安定し始め、注意を集めようとしなくても呼吸を体験出来るようになりました(ヴィタッカ・ヴィチャーラの脱落)。Aさんにとっても意識上では上司から指導を受けたことは全く体験されていませんが(無意識化で記憶が引き出され、その身体レベル・情動レベルの情報処理が行われ)瞑想終了後にふと「ああ、上司に言われたことはもっともだ。次は気をつけよう」という考えが生まれ、上司がどう評価しているかという心配は一切なくなりました。

ウペッカー
  スカーとエカ―ガターの要因が脱落すると、次のジャーナの段階へと体験は移行します。次のジャーナの段階ではウペッカーのみが体験として存在します。ウペッカー(Upekkhā、捨)は認知学的には「意欲的な表現は全く顕著ではなく、注意が拡散しているため、接近と回避のどちらの動機も生じない状態」です。つまり、注意が一点に注がれることがなくなり「気が散っている」状態です。ただ一般的に言う「気が散る」と違うのは、対象に対して「接近も回避もない」ということです。気付いているけど、どうでもいい。そういった感じでしょうか。
  これは推測ですが、脳活動の話で言うと、前述のデフォルトモード・ネットワークと腹外側前頭前皮質を中心とした実行機能を司るネットワークが協調して働いている状態だと考えられます。瞑想の脳画像研究では、長く瞑想をした被験者ではデフォルトモード・ネットワークの構造が崩れ、課題陽性ネットワーク(目的を達成する活動をするときに働く実行機能を司るネットワーク)とつながっている構造になっていると示唆されています。もう少し現象学的な表現で言うと、何もしようとしていない状態に注意が注がれている、と言った感じだと私は推測しています。
  ジャーナ要因とその脱落に伴うジャーナ段階の移動は、カウンセリング(特にブレインスポッティングを用いたカウンセリング)の現場で生じることから考えてもとても理にかなっています。来談者はカウンセラーと共同して語り始めることで、まず意図的に対象(問題)に注意を注ぎます。
  この時来談者の脳では主に腹外側前頭前皮質を中心とした実行機能のネットワークが活性化しています。そしてカウンセラーがその語りに理解を示し、共感し、来談者の中で理解されたという感覚が得られると、安心し、段々とデフォルトモードの脳状態が混ざってきます。来談者は身体感覚や感情体験をし、それらが体験されるがままにすることで癒しが起きるのですが、中には深く穏やかに静かな体験をされる方もいます。様々なジャーナの要因が脱落し、ウペッカーの要因のみが存在しているジャーナの段階に陥っているかのようにも思える報告をされる来談者の方も少なくはありません。

瞑想とカウンセリング
  長くなりましたが、ちょっと違った視点から、ジャーナについての本稿の解説をしました。解説の際に、個人的な推測だとか私の考えだとかあえて述べましたが、現代であっても、まだまだ脳のことについて十分わかっている段階には至っていません。将来的に、瞑想中の脳活動(特に今回触れたジャーナ)についての知見が増え、それらが有意義な形で瞑想者の元に情報として届くと良いなと思っています。
  ここからは本稿の内容から少し離れて、瞑想と私の専門である心理臨床/カウンセリングの共通点と違いについての私見を述べさせて頂けたらと思います。
  瞑想とカウンセリングというと、ずいぶんと違う活動のように思えるかもしれませんが、脳の活動についてはきっと同じようなことが起きているのではないか、と私は考えています。
  ジャーナの解説でも少し触れましたが、脳は情報を常に処理をしている臓器です。私たちは、時に情報の処理が難しい場面に直面します。人によって様々ですが、いわゆる心的外傷体験(トラウマ)が誰でも情報の処理に困る一例です。私はトラウマ治療の専門家として、様々な困難な場面の話を伺ってきましたが、話を伺っていると、脳の働きが追い付かなくなる事柄は、日常生活にも多く潜んでいるのでは、と考えるようになりました。つまり、日常体験レベルでも情報の処理が困難になり場合もあるということです。
  Aさんの例のように、上司からの(捉えようにとって意味が変わるような)発言等でも、脳の情報の処理が困難になります。それは状況というよりも、もしかしたら次から次にやることに取り組まないといけない、忙しい現代社会と生活のペースが原因なのかもしれません。Aさんの例では、失敗に対して上司から指導を受けた後、落ち着いてそれに浸る時間があれば、しっかりとそのことは整理できたのかもしれません。ただ、仕事中に上司に何かを言われたからと言って手を止め、一人でくつろげる場所に移動して、そのことに浸って脳の情報処理を終わらせることはちょっと想像できませんよね。
  こういったことから、私は個人的な意見として、現代社会に生きる私たちは、誰でも日常的に「処理されるべき情報の記憶」を抱えていると考えています。そしてこの記憶を処理するためには、脳が「デフォルトモード」である必要があります。つまり、外的な刺激をある程度遮断して、内的な処理にエネルギーを費やす状態です。瞑想ではこれが起きます、というかこれを起こします。つまり、忙しくするのを止め、ただ坐ることだけをするからです。
  注意を呼吸に集めたとしても(課題陽性ネットワークの活性)、その後自然と脳はデフォルトの状態になっていくのはジャーナの解説で見てきたとおりです。デフォルトの状態では、過去の記憶を引き出し、それを自分と結びつけて、未来を予測するという一連のストーリーを作り上げます。
  ここで重要なポイントとなるのが、過去の記憶が引き出される際に、心身の反応も同時に引き出します。あまりにも衝撃的な記憶が引き出されてしまうと、強い反応のため、処理が進むどころか、不快な心身の活性が伴う再体験をすることになります。Aさんの例では、上司の言葉が思い出され、抑うつ不安反芻という形で、後悔や不安を強める形で再体験をしました。なので「処理されるべき情報の記憶」を処理する際には、安心して落ち着いた状態である必要があります。
  脳のデフォルト状態が強くなると「処理されるべき情報の記憶」は処理され始めます。意識に生じるか生じないか(気づくか気づかないか)は別の話です。
  脳の構造上、脳の最下部(脳幹等)と脳の中心部(辺縁系等)の活動は、それぞれ無意識、前意識の活動として考えられています。つまり意識できる活動ではないのです。脳の上部(新皮質)の活動のみ、意識できる活動となります。脳がデフォルトの際に生じている脳幹や辺縁系の活動は、それぞれ身体や情動の調整を体験として生じさせます。瞑想中に(もっともな理由もなく)眠くなったり、ソワソワしたり、気分が落ちたり、イライラしたり、あるいは身体的な不調が現れたりはデフォルトの状態で生じている記憶の処理の産物として生まれる身体と感情の反応であるように私には思えます。
  一方カウンセリングでは、より積極的にこの情報の処理を促していきます。伝統的には言語を用いますが、言語を限定された形でしか使わず、主に身体の処理を促していく方法も最近では生まれてきています(ブレインスポッティングもその一つです)。
  カウンセリングでは、一人でいる瞑想の状況とは違って、支持的で理解をしてくれる他者が目の前にいることで(理想的には)より安心して落ち着いた状態で処理を行っていきます。そのため意識的に「処理されていない情報の記憶」を語ったとしても、その再体験で終わることは少ないでしょう。ブレインスポッティングは、この「処理されていない情報の記憶」への集中を高め「素早く」「深く」処理を完成させることを目的としています。
  以上、私の個人的見解をまとめますと、瞑想もカウンセリングも、忙しい現代社会で必然的に起きてしまう「処理されない情報の記憶」を処理することに役立っていると考えています。瞑想は一人で手軽に必要に応じて実施できるメリットがある半面、臨床レベルのトラウマを処理すること難しいように思えます。一方でカウンセリングは、色々な意味で敷居が高いデメリットがありますが、(セラピストの力量により)より安全より困難な「処理されていない情報の記憶」を処理することに役立ちます。

「連載を終えて」おわりに
  最後になりますが、本稿の連載も含め数か月にわたって読んで頂きありがとうございました。この場を借りまして、今回の企画を快く受け入れてくださった地橋秀雄先生、そして「月刊サティ」の編集者のみなさまにお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
  今回の経験で瞑想に対する認識が深まり、更にこれからも瞑想の実践と研究を続けていきたい、そう改めて心に誓うことが出来ました。とても感謝をしています。また今回の連載が読者のみなさんにとって少しでも役立ち、みなさんと瞑想の関係がより親密で豊かになる一つのきっかけになってくれたことを願っています。(完)


     

  ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 
                                                             地橋秀雄
  
今月のテーマ:修行上の質問:人間関係をめぐって(3)  
                     (おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 
Aさん:
  先日カウンセラーの先生に罪悪感があるのではないですかと言われ、それで思いついたことがあります。

  中学校の時のクラスに、今考えるとちょっと知的障害があったような子がいました。友達もなくて私にくっつこうとしてきて、最初は付き合っていたのですが話しも面白くないしウジウジするしで、電話がきたりもしたのですが離れちゃったのです。そしたらその子はクラスで孤立してしまって・・・。今はすごく酷いことをしたって思っています。もしその子に会えれば謝りたいけれど、もう一生会う機会もないだろうと思われるし、どうしたら良いのかって言うことです。

  それからもう一つ、瞑想している時にサティをするのがすごく苦しくなってきて、まるで孫悟空の頭の輪のような感じがしてググーっと押さえつけられているような気がする時があります。
  私は正しく修行の道を歩んでいるのでしょうか、間違ってないでしょうか。


アドバイス:
  まず、頭の締めつけの問題ですが、おそらく心に原因のある現象だと思います。サティを入れるのが苦しくなるということは、事実をありのままに観るのが苦しいということです。実際、孫悟空の頭の締めつけ状態では瞑想どころではないでしょう。まともなサティが入ろうはずもなく、結果的に事実から目を背けることになります。
  オーソドックスなサティの瞑想はできなくても、事実から目を背けている現実を自覚することができれば、「あるがままの事実」に気づくことができたとも言えます。

  コジつけのようですが、自分には、目を背けて抑圧している何かがあると認め、その問題に向き合っていければ、あなたは「正しく修行の道を歩んでいる」と言ってよいでしょう。真実を見ようとせず、目を背け続けることが、道を踏みはずし、間違っている状態です。
  
では、いったい何から目を背けているのか、それを見出すことがなすべき仕事です。そして、その答えの一つが、今おっしゃられた知的障害の子の一件かもしれません。
  中学生のことですから、優しくなりきれなかったご自分を過度に責めることもないとは思いますが、孤独になっていく友を見捨てたかのような痛みを感じている事実があるのですから、放置しておかずに完全に終わりにすべきでしょう。

  どうしたら良いでしょうか。

  これは、現実に探し出して詫びを入れるという問題ではありません。「酷いことをしてしまった。会えるものなら会って謝りたい」と忸怩たる思いに独り苦しんでいるあなたの心の中をきちんと整理して、過去に終止符を打つ修行をやるべきです。つまり後悔を終わりにするための「懺悔の瞑想」がやるべきタスクです。

  懺悔の瞑想のポイントは、大きく3つあります。

  ①素直に自分の非を認め、謝ること。
  ②自分はひどいことをした悪い人間だと自分を責めるのではない。ダンマ(理法)を知らなかった自分の愚かさを恥じ、無知だったことを詫び、懺悔する。
  ③これからは五戒を守り、きれいに生きていくことを誓って赦しを乞う。二度と同じ過ちを繰り返さない、と未来志向のエンディングで締めくくる。
  具体的な文言を考えてみましょう。

  「**君、中学生の時に君を孤立させてしまったことを謝りたい。済まなかった、赦してくれ、と心からお詫びしたいのです。あのクラスでは、君には僕以外の友達は誰もいなかった。君に残されたたった一人の友だったのに、僕は君を孤独に追いやってしまった。付き合うのが何となく面倒になり、結果的に君を一人ぼっちにさせてしまい見殺しにしてしまったのだ。なんて酷いことをしてしまったのだろう。どんなに君は寂しく、孤独な思いをしていたのだろう・・と、あの時の君の心中を推察して、本当に申し訳ないことをしてしまったと心から悔やんでいる。

  赦してください。愚かだった僕がやってしまったことを今、心からお詫び申し上げたい。あの頃は、仏教のダンマも知らなかったし、因果論も慈悲の瞑想も何も知らなかったのです。無知ゆえに犯してしまった、愚かで冷たい仕打ちを、どうぞ赦してください。

  今どうしているのか知る由もありませんが、幸せな良き人生であることを心から祈りたいです。そして、自己中心的で、優しくなれなかった自分の愚かさと無知を、心から謝り、赦してくださいと土下座したいのです。ごめんなさい。

  今後二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓います。これからはブッダのダンマを拠りどころにして、殺さない、盗まない、不倫をしない、嘘を吐かない、酩酊しない、と五戒をしっかり守り、きれいに正しく生きていくので、無知ゆえに犯した自分の仕打ちを赦してください。申し訳ありませんでした・・」

  これは思いつきのサンプルにしか過ぎないので、この文言をそっくり真似る必要はまったくありません。これと同じような意味になる言葉をご自分で考えて、納得できる懺悔の文言を作ってください。

  真剣に、感情を込めて、少しウルウルしながら謝るくらいがよいでしょう。懺悔の瞑想は、自責の念や後悔を情緒的に解放することが主たる目的ですから、心から実感を込めて納得するまで真剣に行うのです。すると「もういい。これだけ謝ったんだから、これは終わりにして良い」と腹の底から感じられるようになるでしょう。謝って、謝って、謝まり抜けば、過ぎ去ったことは終わりにしてよいのだ、という気持ちに自然になれるのです。だから、過去から解放される修行と呼ばれるのです。

  例えば、私たちが何か重大な被害を受けたとして、加害者がそれを謝りに来たとしましょう。その人が本気で土下座し、泣きながら「申し訳なかった。・・赦してください」と、心の底から謝っていることが伝わってきたらどうでしょうか。ああ、この人は本気で、心の底から謝っているのだ・・と感じられれば、たいていの人は赦すのではないでしょうか。

  あなたの場合も、その知的障害の方に心の底から謝って、真剣に幸いを祈らせていただけば、その誠心誠意が必ず伝わるだろうし、赦されるだろうと思います。こちらの気が済むまで、終わりにしていいと心が納得するまで、懺悔の瞑想をおやりになるのです。中途半端なやり方では蒸し返しが起きてしまいますが、徹底すれば必ず過去から解放されるでしょう。

  もしそれでも、どうしても気が済まないのであれば、知的障害者の施設などへボランティアに行き、そこで出会った方を、かつての友だと思って言葉をかけ、お世話するのもよいでしょう。同じ人に対してやれなくても、カルマ的にはそれで償いになると考えてよいのです。

  懺悔の瞑想はヴィパッサナー瞑想の一部です。サティの瞑想も、慈悲の瞑想も、一点集中のサマタ瞑想もヴィパッサナー瞑想の一部です。過去に捕われていない人はいないのですから、この機会に、懺悔の瞑想をしっかり修行することをお勧めします。


Bさん:
  瞑想会には初めての参加ですが、これまで本で読んだりして瞑想の実践は日常生活でもしてきました。それで、欲のようなものはけっこう抑えられていると思うのですが、今度は世間とのズレのようなものを感じるようになってきました。例えば、食べることにしても、世間では欲を刺激するような情報が溢れていますが、私はそれに全然魅力を感じないとか。そんなズレ、違和感が最近どんどん強くなってきているのですが。


アドバイス:
  「類は友を呼ぶ」と言いますね。同じ波動のものが互いに響き合い惹きつけ合うという法則ですから、波動がズレてしまうと群れることは自然になくなります。こちらが煩悩路線で生きていればそれに相応しい人と知り合い親しくなるし、正反対のダンマ的な生き方を始めれば煩悩フレンドとは自然に縁が切れていきます。考え方が変わり、生き方が変われば、自分を取り巻く人の流れも変わるし、好みも価値観も全て変化していくのは当然なのです。

  私は20年余年、多くの瞑想者を見てきましたが、生きるのが苦しくなって瞑想にたどり着いている方がとても多いのです。その苦しみが何に由来しどこから来たのかと言えば、自己中心的な考え方や煩悩路線で生きてきたことに起因しているわけです。そこで瞑想を始める、心がきれいになっていくし、仏教の考え方にも共感の度が深まっていきます。悪を避け善をなし、アンチ煩悩の浄らかな生き方に変わってくるにつれ、苦が減ってきます。人生観も価値観も生きていく拠りどころが変わってくるので、観るものも読むものも出かけるところも当然変わってくるし、今までの煩悩路線の友人とは波動が合わなくなり、ズレてくるし違和感が強まっていくのが自然な流れです。

  これは誰にも避けられない通過点であり、あなたの修行が順調に進んでいる強力な証しと言ってよいでしょう。瞑想をきちんとやり、仏教を学びながら、これまでの煩悩世界に完全に順応しながら面白おかしくやれるとしたら、そちらの方が変なのです。あなたは修行が正しく進んでいるとレポートされていると言ってよいでしょう。

  グルメやバイキングで満腹するまで食べ放題をやりながら酒を飲み、良い瞑想ができる・・。そんなことはあり得ません。瞑想するということは、身と心を律していくことであり、欲望の論理で展開するこの世とソリが合わなくなるのは当然であり、苦しみを寄せつけない人生を生きるためには不可避の道と仏教は考えています。

  このターニングポイントの過渡期で人の流れが大きく変わり、これまでの悪友・ポン友・煩悩フレンドとは縁が切れ、友達が誰もいなくなるのも多くの方が経験することです。寂しくなってしまいますが、心配ありません。昆虫でも変態といって、芋虫から蛹になりさらに蝶になる時は大変なのです。醜い芋虫が美しい蝶になるには、それなりの苦しみの代価を支払わなければなりません。大変ですが、孤独は一時的なものです。遠からず、新しい良き友が得られます。価値観も生き方もお互いに共感し合える素晴らしいダンマフレンドと縁ができるでしょう。これは誰もが経験する通過儀礼のようなものだと思ってください。

  この世は基本的に強く思っていることが現実化してくる業の世界ですから、善き友に出会いたい、法友に恵まれてよかったと常に思っていれば必ずそうなってきます。キリスト教でも「求めよ、さらば与えられん」と言っていますが、ブレないで求めれば必ず得られる法則です。そういう強い意志、専門用語ではチェータナー(cetanā)と言いますが、明確な強い意志を出力し続ければ必ず現象化し、具現化してくるということです。この世の、現象が生じて滅していく世界はそのような基本構造になっていますから、心のきれいな素晴らしい法友に恵まれて嬉しい!といったイメージを持ち続け、常に善心所モードで生きていくことが大事です。頑張りましょう。


Cさん:
  受容する力はどのようにしてつけていけるのでしょうか。


アドバイス:
  受容する力というのは、ネガティブなものをいかに受け容れることができるかという能力です。

  楽しいこと、幸せなこと、気持ちの好いことを受け容れるのに努力は必要ないし、それを受容する力などという表現はあり得ません。嫌なこと、困ったこと、ネガティブなこと、受け容れられないことを突きつけられた時に、さあ、どうするか、という受容の問題が出てきます。

  嫌なものを遠ざけ、気に食わないものを叩き潰し、困ったことから逃げ出せるなら、そうしても良いでしょう。動物たちも皆そうしています。しかし、いくら頑張ってもあがいても、逃げることも抵抗することもニッチもサッチもいかない状態にハメられ困却することが、人生にはどうしてもあるのです。業が噴き出るというか、業の力で生起してくる事象からは逃げようにも逃げられないという印象があります。こうなると行き詰まって、どん底状態の絶望感に襲われるのが普通です。

  どうしたらよいでしょうか。

  それは、逃げ切れなかったら、受けきっていくのです。いかんともしがたく、手の打ちようがないのですから「認知を変えるしかない」と悟ることです。法としての存在はただあるがままで、それを苦と受け止めるのも楽と受け止めるのも認知の問題です。頬を思いっきり平手打ちされるのはいかがですか?痛いし、とんでもなく嫌なことだし、苦ですよね。でも、一発叩かれるたびに100万円くれると言われたらどうですか?お金に困っている時なら、何発でも喜んで叩いてもらいたくないですか。苦であるはずの痛みが、舞い上がりたくなるような楽になりませんか。認知を変えるとは、例えばこんな具合です。頬を平手打ちされる行為も、その瞬間の痛みも、何も変わらないのに、苦楽が逆転することもあるのです。


Cさん:
  逃げて良いケース、逃げるに逃げられないケースというのはどのようなことでしょうか。


アドバイス:
  基本的に、どんな人に出会うのも、どのような事象に遭遇するのも、それ相応の原因があり、業の力が働いていると考えられます。生命というものは、不快なものを避け、快なるものを求めるように設計されているので、嫌なものや苦を与えるものに対する反応は、攻撃するか逃げるかのどちらかです。だから、逃げられるなら逃げてもよいし、わざわざ苦しい人生を選択する必要もありません。古来から「君子危うきに近寄らず」とも言われてきました。

  しかし、避けようにも避けられず、逃げようにも逃げられないのが、業の力でありカルマです。微弱な業は縁がつかないように回避することもできるでしょうが、強力な重たい業にはいかんともしがたい力が働いてしまうのです。そうなったら、腹をくくるしかありません。

  例えば、すごく嫌な人が家族だったり、絶対に辞めたくない会社の直属の上司だったら、顔を合わせない訳にはいかないでしょう。夫婦だったら離婚することもできますが、親子だったらもっと別れづらいですね。どうしてもソリの合わない上司を嫌って転属願いを出し、翌年希望通り逃げ出すことに成功した人がいます。ところが、その目の上のタンコブだった上司も転属となり、その行き先がなんと、同じ新しい部署だったという話があります。

  逃げることのできない因縁というか、長い人生の中ではそういう事態に追い込まれることもあるのです。あるいは、背が低いとか高いとか、女に生まれたのは嫌だとか、そういう条件をいくら嫌がっていても、努力でどうにかなるものではありません。逃げられないのです。

  また、若い頃には「醜形コンプレックス」という、自分は醜いのではないかという思い込みに囚われる人もいます。鏡で自分の顔も見られなくなってしまうこともあるようです。変えようのない先天的資質を欠点として否定してしまえば、苦しみ続けることになってしまいます。その苦しみを乗り超えるには、嫌っているものを好きになるよう、認知を変えるしかないでしょう。


Cさん:
  では自分の性格についてもそのまま受容するのでしょうか。


アドバイス:
  性格については、変えられるものもあれば、そのまま受け容れて活かすべきものもあるでしょう。例えば、発達障害や自閉症スペクトラムに起因する性格傾向に関しては、変更できない先天的資質として受け容れるのが原則です。もちろん輪廻転生を視野に入れた長期的展望で努力すれば変更可能ですが、今世で変えることはできません。

  後天的に繰り返した反応パターンに由来する性格は、断固たる決意をもってブレずに取り組めば、望むように変われるでしょう。この世のことは、煎じつめれば業の所産であり、万物が無常に変化するのですから変わらないものはありません。

  しかし何事も適材適所ですから、あるがままの自分で輝ける場所が必ずあるものです。例えば、細かな小さなことにこだわる性格の人は、几帳面さを要求される仕事では素晴らしい才能を発揮するでしょう。その反対に、おおらかで人に好かれるのですが、大雑把なザルのようなタイプだったら緻密な仕事には向きません。細かなミスも許さない完璧主義者は敬遠されることもありますが、そうでなければ芸術の分野ではいい仕事ができないかもしれません。

  このように、美点と欠点は表裏の関係です。どんな性格であっても輝ける場所が必ずあり、ものごとの表と裏の二面性を観ることができれば、認知を変えやすく受容力があるということになります。自分の性格や資質を気に入らないと感じている人が少なくありませんが、そのように評価しているのは何者で、何を根拠にそのように判断しているのかを問わなければなりません。エゴの猿知恵で愚かな評価をしていないか・・ということです。
  長年に渡って多くの瞑想者に接してきましたが、どうしてそんなつまらないことを気にするのだろうと思うことが多々ありました。本当に些細なことにこだわって、悩んだりコンプレックスにしている人が多いのに驚いています。自分を客観的に正しく評価することがいかに難しく、エゴの視点や視座を柔軟に変えるためにはヴィパッサナー瞑想をやるしかないと感じてきました。

  他人に迷惑や苦しみを与えていないのであれば、自分に与えられているものに満足するのは才能であり、幸福になれる秘訣です。眼前の対象が問題なのではなく、それをネガティブなものとして認知してしまう精神が問題なのです。自分に与えられている身体的特徴や性格傾向というものは、長い輪廻の中で自分が作ってきた業の結果なのだと心得なければなりません。そして生まれてこの方、何を思い、何を話し、何を行なってきたのかが新たな業を作るし、これからそれを強化することも変更することも可能なのだと自覚しなければなりません。そのために瞑想と仏教の学びがあるのです。
  どんな失敗にも無限の学びがある・・と理解されてくれば、変えるべきものとありのままに受容すべきものも自ずから見えてくるでしょう。

 今月のダンマ写真 ~

 

      ミャンマーの仏塔と仏塔群

N.N.さん提供


    Web会だより  

『瞑想を始めて3年』Y.J.

   瞑想を始めて3年が過ぎました。
  
私は何となく、瞑想と出会いました。もともと興味をもっていた仏教について調べていくうちに、上座部仏教を知り、瞑想をスタートしました。瞑想のやり方について詳しく知りたいと本を読んでいた所、このグリーンヒルにたどり着きました。
  瞑想で特別な体験があるわけでもありません。日常生活においても、瞑想を始めてから、自分ではそこまで大きな変化を感じていませんでした。けれども先日、20年来の親友と3年ぶりに会い食事をした別れ際、こんなことを言われました。
  「お前はずいぶん変わったな。これで5年後に会ったら、どうなってるんだろうと思うよ」
  この言葉が、自分の来し方やこの3年間を振り返るきっかけとなりました。

  私はルールを守らないことや、マナー違反に対して激しい怒りを感じるたちでした。理不尽だと思ったことはすぐに口に出し、相手を攻撃することが多くありました。電車で騒いでいる子供を見れば、その保護者へ聞えよがしに「こんなのが大きくなって、みんなが苦労するんだよ」と言っていました。歩きタバコをする人の後ろからチッと舌打ちをして「煙たいんだよ。副流煙で肺ガンになったらどうするんだ」と因縁をつけ、喧嘩も辞さないといった様子でした。通行人の多いところを通る自転車に、わざと当たりに行ったこともあります。いつでも怒るタイミングを見計らっていたように思います。
  さらに、心身に障害を抱えている人を見下し、嘲笑していました。私が小学校4年生の時、友達として接していた自閉症の子供がいました。ある時、その友達がふざけて私を階段の上から押しました。落下することはありませんでした。しかし、落下するかもしれないという恐怖が、怒りに変化しました。「心身に障害があるからといっても、やっていけないことはやってはいけない。そっちがその気なら、もう友達でもなんでもない。ふざけるな」もとより、その子に対してさげすみの心があったのでしょう。それ以来、そのような方々を嫌悪し、蔑視するようになりました。

  グリーンヒルと出会い、一番に意識したことは、因果論についてです。良いことも悪いことも、自分が出力したことは、縁に触れて自分に帰ってくる。自分が理不尽に怒りをもって相手に接すれば、相手からも理不尽な怒りをぶつけられる。
  以前は、わけのわからない怒りをぶつけられることが多くありました。突然、道から飛び出してきた自転車がぶつかりそうになりました。運転手は私に気付くと舌打ちをして、暴言を吐いて通り過ぎていく。脇見運転の車にぶつけられること、2回。朝、何気なく職場の掃除をしていたら一番上の上司から「私のポイントを稼ごうとしてやってるんでしょ」と難癖をつけられる。思い返せば、きりがありません。その時は「こいつら何て性格が悪い奴らだ」と思っていましたが、何のことはありません。全て自分がやってきたことです。
  「その人がそのような行動をとってしまうのは、仕方のない流れがあってそのように行動してしまうのだ。行動した瞬間を切り取るのではなく、なぜそのように行動してしまったのかを俯瞰してみる」
  因果論の話を何回か聞くうちに、そのように考える癖が付きました。
  3年ぶりに会った親友は、文句ばかりでろくに自分の仕事をしない職場の同僚を批判していました。
  「その人もさ、そうなっちゃうだけのことがあったんじゃない? 今、オレは仕事で自閉症の人に接する機会が多いんだけど、すごく勉強させてもらってるよ。みんな、自分なりのベストを尽くしてやってるんだよ。でも・・そうなっちゃうんだよ」
  なぜか目をうるませて、見ず知らずの人を擁護する私を見て、親友は少し狼狽していました。受け売りの因果論の話を、私の3年間の体験談とを交えて語るうちに、親友の目の奥が湿っぽくなってきました。
  瞑想のやり方を深く知ろうとして、グリーンヒルの門を叩きました。瞑想が深まっている実感は、あまりありませんが、性格は変化しているような気がします。瞑想でのゴールを人格の完成と考えれば、少しの進歩はあるのかもしれません。まだまだ暗中模索のような状態ですが、あわてず騒がず、一日一日、瞑想を続けていきます。



☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。

     
 






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ダンマの言葉

仏陀は三つの布施について語りました。乞食の布施、友達の布施、王子の布施、です。
  「乞食の布施」とは、家の中に散らかっているものを片付けたいときそうするように、いらないものを与えることです。何も与えないよりはましですが、いらないから与えるというのは、あまり寛容とはいえません。形はどうあれ、欲や執着をなくしていないからです。
  「友達の布施」とは、私たちが持っているものを分かち合うことです。私たちが出会う多くの人々と共有します。いくらかを手元に置き、いくらかを与えて等しく分かち合います。
  「王子の布施」とは、私たちが持っている以上に与えることです。これは非常に稀なことです。たいていの人々はこうはいきません。(アヤ・ケーマ尼『Being Nobody, Going Nowhere』を参考にまとめました。<月刊サティ2003.1>より)

       

 今日の一言:選

(1)あるがままの自分を赦すことができれば、人に優しくなれる……

(2)理想を求め、厳しい注文をつけ、ダメ出しと否定を何度も繰り返しながら向上していくのが本道なのかもしれない。
 だが、上手くいかず、失態を演じてしまってもよいではないか。
 いや、仕方がないではないか。
 すべてをそのままで良しとして是認する発想からも、無限に学ぶことができる……

(3)「ウペッカー()」の理念が知的に理解されるのではなく、その実質を体現した状態になるには、見るべきものを目の当たりにしなければならない。
 ……どれほど遠い道のりであっても、断じて諦めなければ、必ず到達する日がやってくる。


       

   読んでみました
  『パール・バック著『母よ嘆くなかれ』
                   (法政大学出版局 1993年)を読んで(前)
  ノーベル文学賞の受賞者で『大地』などの名作によって世界中に名の知られているパール・バックに知力にハンディキャップのある娘さんがいたことを知ったのは友人からのメールに添付されていたサイトの情報からだった。
  そのサイトに紹介されていた本の抜粋に、私の目は射抜かれたのだ。それは、次の文章だった。
  「もしわたしの子どもが死んでくれたら、どんなにいいかと、わたしは心の中で何べんも叫んだものでした!このような経験のない人たちにとっては、これは恐るべきことのように聞こえるにちがいありません。でも同じ経験をもっている人たちには、おそらくこれはなにも衝撃を与えるようなことではないのです。わたしは娘に死が訪れることを、喜んで迎えたでしょうし、今でもやはりその気持ちに変わりはないのです。もしそうであれば、娘は永遠に安全であるからです」
  私は、30年近く前に、心臓に重度の障害のある子どもを産んだことがある。
  健康に生まれたと信じていたわが子が明日をも知れぬ命だと知った時、私はあまりのショックから混乱状態に陥った。
  そしてその時に、「なぜこの私がこんなひどい目に会わなければならないのか?私にはこんな子どもは育てられない。親としての情が移ってからこの子に死なれたら私は生きてはいけないだろう。まだ何もわからない生後間もないうちに死んでほしい」という思いが心を去来したのだった。
  結局、次男は生後4カ月目に手術を受けて、術後感染のため命を落とすことになったのだが、その時に自分が心の中で思ったことが息子に伝わり、そのために親に迷惑をかけたくないと思って死んでしまったような気がした。そしてそれからの私は、たとえ心の中であっても、わが子に死んでほしいと願った最低の母親だという自責の念に苛まされることになった。
  私が地橋先生の瞑想会にたどり着き、そこで特に心の反応系に重きをおいた修行を積み重ねてきたのも、このような経緯による。
  自分が次男の命を奪ったという罪悪感を手放せない限り、私は死ぬに死ねないという思いがあったからである。そして、ヴィパッサナー瞑想の明確な修行システムの中で、自分なりに必死で鍛練を繰り返した甲斐があって、ようやくその課題を克服できつつあると実感されてきた今日この頃、私の目に飛び込んできたのがこのパール・バックの言葉であった。
  「私だけじゃ、なかったんだ!パール・バックのような偉大な女性さえ、自分の子どもに死んでほしいと思ったことがあるんだ!」
  パール・バックの赤裸々な告白の言葉は、私には次男からの赦しのメッセージのように感じられ、思わず涙がこぼれたのだった。この本をすぐに取り寄せて、貪るように読むことになったのはいうまでもない。
  パール・バックの子どもは、身体的にはとても健康に生まれたように見えたのだが、3歳になっても言葉を話すことができなかった。外見的には、まったく問題のないどころか、むしろ飛び抜けた美しさを持つわが子が、ひょっとしたら何か発育上の問題を抱えているのかもしれないという疑念は日に日に大きくなり、彼女はその原因の解明のため、娘と一緒に名医を求めて世界中を探し回ることになる。それは、長く悲しい旅の始まりだった。
  当時(1920年代)の医療水準は、現在ほどは発達していなかったせいもあり、どこに行ってもはっきりとした病名もわからず、それゆえに治療法の手がかりさえつかめないままに、途方に暮れるしかなかった。しかも、どの医者も診断の最後には、「回復の希望はないことはないと思いますので、諦めることなく養育を続けてください」というようなことを言う。この言葉に残されたわずかな希望を胸に、彼女は厳しさを増す経済事情の中、なりふり構わず各地をたずね歩く破目になったのだ。
  しかし、その苦悩の旅も、ある冬の日に終わりを迎えることになる。それは、ミネソタ州のある病院で、これまでと何も変わらない曖昧な診断結果を知らされた後、診察室を出てホールの方へ歩いて行った時に起こった出来事だ。その病院に勤務していた別のドイツ人の医師が部屋から出てきて、彼女に助言を与えたのだった。パール・バックにとっては、「生きている限り、感謝しなくてはならない一瞬が、幸運にも訪れたの」である。
  私にはこのくだりが、本の中では最も印象に残ったところでもあるので、その部分を詳しく書き出したい。
  「『わたしの話すことをお聞きください』と、そのお医者さんは、命令するように、こういわれました。『奥さん、このお嬢さんは決して治りません。空頼みはおやめになることです。あなたが望みを捨て、真実を受けいれるのが最善なのです。でなければ、あなたは生命をすりへらし、家族のお金を使い果たしてしまうでしょう。お嬢さんは決してよくならないのです。おわかりですか。わたしにはわかるのです。わたしはこれまでにこのような子どもを何人も何人もみてきました。アメリカ人はみな甘すぎるのです。しかし、わたしは甘くはありません。あなたがどうすればよいかがわかるためには、苛酷なほうがよいのです。
  この子どもさんは、あなたの全生涯を通し、あなたの重荷になるはずです。その負担に耐える準備をなさってください。この子どもさんは決してちゃんと話せるようにはならないでしょう。決して読み書きができるようにはならないでしょう。よくて4歳程度以上には成長しないと思います。奥さん、準備をなさってください。とくに、お嬢さんにあなたのすべてを吸い取ってしまうようなことをさせてはなりません。お嬢さんが幸福に暮らせるところを探してください。そしてそこにお子さんを託して、あなたはあなたの生活をなさってください。わたしはあなたのために本当のことを申しあげているのです』」
  一見しただけでは、残酷きわまりないこの助言が、パール・バックには絶望から希望への大転換となった。パール・バックはその時の自分の内面の変化を次のように表現している。
  「わたしはそのときのわたしの感情を筆で表すことはできません。同じような瞬間を通ってきたことのある人には、語らずともわかっていただけるでしょうし、またその経験のない人には、たとえどんなことばを使ってみても、わかっていただけないことですから。それを表現する道があるとすれば、ただそのとき、わたしの心は絶望して血を流している、そんな感じであったと、申しあげるより他ありません。
  娘は広いところに出たのがうれしかったのでしょう。跳んだり、踊ったりしていました。そして涙にゆがんだわたしの顔を見て、大きな声を立てて笑うのでした」
  「これはすべて遠い昔に起こったことでしたが、しかし、わたしが生きている限り、わたしはことが終わったなどと思うことはできないのです。あのときのことは、今でもわたしのもとにとどまったままなのです。
  わたしはもちろん、あの小柄なドイツ人がわたしにいってくださったことばによって、すべて諦めたわけではなかったのです。
  でも、あのとき以来、わたしの心の奥底では、あのお医者さんのいわれたことは正しかったのであり、もはや望みはないのだ、ということがわかっていたのです。
  あの最後の審判が下ったときにわたしはそれを受け入れることができました。すでにわたしは無意識のうちにそれを認めていたからです。
  わたしは、娘を連れて、また中国の家に帰ったのです。
  お名前も存じ上げないあのお医者さんにたいするわたしの感謝の気持ちは決して消え去ることはないでしょう。あのお医者さんは、わたしの傷を深く切開しましたが、その手際は鮮やかで、しかもすみやかでした。わたしは一瞬のうちに、避けることのできない真実に直接顔を合わせることになったのでした」
  なぜこの場面が私の心に最も響いたかというと、それこそがヴィパッサナー瞑想の本質だと直感されたからである。(続く)(K.U.)
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