2018年6月号 |
Monthly sati! June 2018 |
今月の内容 |
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『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
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「サマーディの脳の基礎:瞑想的没入の神経科学」の連載を終えて(前) |
はじめに |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ |
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地橋秀雄 |
今月のテーマ:修行上の質問:実践編 (7) |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
Aさん:日常生活でサティを入れると余計なことを言えなくなったのはよいのですが、理論的な説明をする時にも言葉が出づらくなってきた感じです。 |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
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祈り! |
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T.O.さん提供 |
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Web会だより |
『真実に向き合う力を得て・・』S.S. |
19歳から36歳の現在に至るまで、人生のおよそ半分を過食嘔吐という摂食障害と共に生きてきました。この摂食障害を完治させることが、私がヴィパッサナー瞑想を始める一番の目的でした。 2016年10月から瞑想の実践を始めて1年3カ月が経ちます。始める前と後での大きな違いは、摂食障害が自分から排除したい汚点から、自分の一部として受け入れられるようになったことです。摂食障害だったからこそ、時間をかけて自分と向き合いながら少しずつ人生を軌道修正してこられたのだと気づきました。 またこの症状について自己開示ができるようになったことには、自分でも驚いています。摂食障害はまだ完治していませんが、学ぶことがまだあるのだろう、学びきったら自然と症状は消えるだろうと今は思います。 ここ半年ほど、毎月1day合宿に参加しています。それまで瞑想は一人でするものと思っていましたが、私の場合は実践されている方と定期的にお会いすることが瞑想の質の深まりやエゴを手放す大きな糧となっています。参加者は性別も年齢もバラバラですが、一番目を背けたい自身のネガティブな部分と真摯に向き合おうとする強さと柔軟性をお持ちの方が多く、お話を伺うたびに本当にたくさんの気づきや刺激をいただきます。そして同時に自分の凝り固まったものの見方や悩みのちっぽけさなんかも再確認します。 瞑想を始めるきっかけは摂食障害でしたが、不思議と生活全般、自身との関係を含めた人間関係においても幸福度が増している実感があります。大きな幸せというよりは、視座の転換による日々の小さな幸せに気づけるようになった感じです。 思い起こすと、私は、「家の外で」自分の外面と内面が人からどう見られているかに執着し、完璧な自分を演じ、その演じられた部分だけが本当の自分だと思っていました。そして私の基準から外れたことには怒り、周りのせいにして勝手に苦しんでいました。傍からは、カッコつけだし、こだわりが強くて付き合いにくいと思われていたこと間違いなしです。また外で頑張る分、家では超わがままな怠け者でしたが、そんな自分の存在には見向きもしてきませんでした。今は良好ですが、当時夫婦関係が破綻していたのも今なら納得です・・。 ヴィパッサナー瞑想でこんな自分に衝撃を受けてから、普段こだわっていることを、できそうなことから敢えて手放す試みを始めました。例えば、私はくせ毛が嫌で高校時代からストレートパーマは欠かせませんでしたし、毎朝時間をかけて生えてきたくせ毛を引っぱり続けてきました。毎日髪型を気にしていました。そのこと気づいた時、幸運にも旦那さんがいますし、髪型にこだわることを一度やめてみようと思いきって地毛のままのショートカットにし、白髪もあえてそのままにしてみました。綺麗な女性からはほど遠いですが、周りの反応も上々で、朝の準備も自分をつくろう手間も省けて楽になりました。気をよくしてその後スポーツ刈り級の短髪にしたら、なにを目指しているのか、出家するのかと数日間行く先々で質問攻めにあいました。自分でも似合っていないと思ったのでさすがにやりすぎたと思いましたが、どんなに見た目にこだわろうとも他人の見た目への関心は数日程度だという収穫がありました。 お蔭さまで瞑想は順調に深まっており、数か月前には2週間ほど禅定状態を味わう経験もできました。しかしその後は見事に禅定どころか良い瞑想すらできず、仕事も忙しくなりイライラ期に突入しました。そして数日前に理不尽な仕事が降ってきた際、ちょうど上司が不在だったこともあり、不満を口にし始めたら仕事そっちのけで不平が止まらなくなってしまいました。自分のキャパシティー以上に頑張ることで出来る自分を装い、ありのままの自分に目を背けてきた結果でした。この状況を自覚したその晩、昔大好きで通っていた音楽がガンガン流れているジムに直行してノリノリで汗を流しながら運動をすると、すっきりしましたし何よりとても楽しんでいる自分がいました。そこで私は所詮こんなものだと受け止めることができました。 今の私は強烈な苦を感じた時、欲界の一時しのぎでしかまだ対処できません。その対処法で一番身近で即効性のあるものが過食嘔吐です。今の私はこの段階にいます。それなのに瞑想が順調だったこともあり、解脱候補者気分でおおらかな自分を装っていました。良い瞑想ができないことも仕方がないと思えるようになりました。 私の苦しみのほとんどは慢と我欲から生じる怒りです。私はこんなにやっている、こんなにしてあげているという自己中心的な視座からものを見て、そこから強情にも動こうとせず、周りに理解しろ、評価しろ、動けと非難しています。今まで自分が正しいと思い込んでいたので気づきもしませんでしたが、最近は少しずつこのことに気づける回数が増えています。 また人間関係において1日にイラっとする機会は数えるほどしかない恵まれた環境にいることも認識し始め、少しずつですが謙虚さも出てきた気がします。そして数度しか起きない怒りに固執しているちっぽけな自分を滑稽に思い、時間はかかりますがこのよう視座の転換の連鎖反応により、考えを手放せるようになり始めました。 この一年、ありのままを見ることで今まで見えてこなかった問題の本質に多く触れ、日々が刻々と変化していることを実感しています。摂食障害の克服の鍵も、現状を受け止め執着せず、無理な部分は智慧を使って脱するところにあるように思えます。つくづく今の自分にはありのままを観る瞑想の練習が必要だなぁと思う今日この頃です。 最後になりましたが、このようにアウトプットする機会をいただけたことに大変感謝をしております。ただ思っているのと開示するのでは雲泥の差があり、日々の変化により集中することができました。誠にありがとうございました。 |
☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。 |
世俗を捨てなさい。世俗とは今のあり様です。世俗が心に生じ、意識を支配することをあなたが許してしまうと、心は曇り、心は自分自身を見ることができ無くなります。ですから、心に何が生じようとも、ただこう言いなさい。「これは私には関係無い。これは無常であり、苦であり、無我である」と。(『月刊サティ!』2005年3月号、「私たちの真の家―死の床にある老在家信者への法話」より(アチャン・チャー長老法話集) |
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『ダイアモンド博士の“ヒトの秘密”「動物のコトバ、ヒトの言語」』を観て |
2018/1/17にNHKで放映された『ダイアモンド博士の“ヒトの秘密”「動物のコトバ、ヒトの言語」』を観た。この番組は、『若い読者のための第三のチンパンジー』(ジャレド・ダイアモンド著)をベースにしながら野外講義という形をとったもので、今回の内容はその本の第6章にあたる。 |
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