(承前)
ウパチャーラの発生のために示された神経メカニズム
サマーディの最初の段階としてのウパチャーラ、すなわちアクセス意識(access consciousness)の特徴は、自我の消滅である10)。自己意識に関する神経学的基礎に関する幾つかのモデルでは、内側前頭前皮質(mPFC)が「主観的に感じる」ということを示唆している。別の言い方をすれば、内側前頭前皮質はホムンクルス(脳の中に住んでいると考えられた小人)的な認識に関与することが示唆されているのである。「ホムンクルス的に認識する」というのは、認知とメタ認知との区分に関して使われる表現である。デカルトが「我思うゆえに我あり」(cogito)と唱えたあと、この「認識する者」は「デカルト的なホムンクルス」としばしば呼ばれる13)。
内側前頭前皮質は自己に関係する判断に関連している14)。また自伝的記憶の想起15)、および感情的な自己内省16)にも関連している。換言すれば、内側前頭前皮質には、自己の心を理解しようとする働き(self-meltalization)をサポートする働きがある。
Baars、Ramsoy、Laureys17)は、自己に関連する前頭皮質において、より後方の感覚野からの情報を解釈する際に、どの領域で意識的な知覚が起こるのか、その場所についてのモデルを提示している。
しかし、Goldberg、Harel、Malach18)は、BaarsらとCrickとKoch‘s13)の予測とは対照的に、内側前頭前皮質と後方の身体的感覚領域との間には相互的な関係性があることを発見した。
Goldbergらの研究では、被験者たちは、fMRI(注5)に入った状態である映像を見た。自己内省を課題とするグループでは、被験者は映像からどんな気持ちが喚起されるか感じ取るよう指示され、良い感情と悪い感情を感じるときにそれぞれのボタンを押すよう指示された。感覚分類課題(注6)のグループでは、被験者は映像を見て、その視覚情報が動物か動物でないかを判別してそれぞれのボタンを押すことになっていた。それらの2つの映像は同一の条件によって構成されていた。感覚分類課題はさらに速い課題と遅い課題に分けられ、速い課題はより困難な課題であった。
自己内省の課題の間、被験者は左の内側前頭前皮質、上前頭回、前帯状回、傍帯状回(paracingulate)の選択的活性化を示した。内省課題と感覚における遅い分類課題では、被験者は後帯状回、楔部溝と頭頂葉下部(IPC)で活性化を示した。このネットワークは、Raichleほか19)によって発見されたデフォルト・モード・ネットワーク(注7)に大きく重なっていた。
目的志向的な活動をしない時は、被験者の脳活動のパターンは、自分自身について考える、または内省的になっていた。したがって、明確な内省的課題の場合、同じネットワーク内においては活性化が選択的になるのは驚くことではない。困難でない感覚分類課題においても同様で、そこには心が自由にさまよう余裕がある。
しかし感覚分類課題、なかでもより困難な速い課題については、被験者は前頭皮質の抑制と、階層的な視覚処理と関連する後方領域において選択的な活性化を示した。後方領域の選択的な活性化は、一次視覚野から外側後頭複合体(LOC)、頭頂骨、運動前野と運動野までであった。
Goldberg等の研究18)を私たちの議論に関連させると、二つのことが考えられる。
一つ目は、自己の意識に対する気づきには、自己を観察すると考えられたホムンクルス的な存在は必要ないということである。内側前頭前皮質を基盤とすると、外側後頭複合体の領域で感覚的な表象を「知覚」しそれを意識するためには、後頭頭頂葉の活性化のみで十分なのである。つまり、それ以上に前頭前皮質で知覚情報が処理される必要はないのである。
CrickとKoch13)またはBaarsら17)によると、意識できる知覚は「自己」の基盤である前頭前皮質と感覚野とのやり取りで生じると仮定されるのだが、Goldbergらの結果はその仮定と矛盾している。自己を意識するということには意識の上での気づきは不必要なのである。
二つ目は、Goldbergらの研究の結果は、Kinsbourneの統合的場の理論(Integrated Field Theory)に沿っているということである。統合的場の理論においては、気づきながら視野が移動する場合、皮質上競合する下位ネットワーク間の活性化の強さを変化させることになる。Kinsbourneの枠組み19)を正しいと仮定すると、Goldbergらの結果の示唆するところは、自分の心を理解するのは主に脳前部の活動であり、課題への指向や感覚運動に関しては脳後部の活性である、ということであろう。
Kinsbourneによる半側空間無視における取り組みでは、右脳から左脳への活性化の移動とそれに伴う左側の視野の無視について詳しく述べられているが、Goldbergらの研究結果も同様な脳活動の変化を示唆している。具体的には、難易度の高い感覚運動の課題においてそれに集中する際に、脳前部のネットワークから脳後部のネットワーク、またそれと関連した自分の心を理解する脳活動から、感覚課題に対する意識への脳活動に移行するのである。
瞑想の実践者がサマーディの際に、自己の心を理解しようとする(self-mentalization)働きが消えたと報告するのだが、Goldbergらの発見は、その理由を与えてくれるように思われる。
一般的には内省と瞑想は似たような使い方をされているが、これらの二つの活動は全く異なるものである。アーナパーナ・サティあるいは呼吸へのマインドフルネスは、感覚運動としての課題である。Goldbergらの研究では視覚や聴覚が強調されているが、アーナパーナ・サティは自己受容性の感覚、あるいは触覚の感覚に関する課題である。
実際、アーナパーナ・サティの課題はGoldbergらの感覚分類課題に似ているが、それは単なる偶然だとは考え難い。感覚分類課題においては、被験者は視覚(あるいは聴覚)を刺激され、その刺激を分類した。一方、自己内省課題の被験者たちは、視覚刺激を感じ取った後に、その刺激から生じる感覚について快か不快かを判別した。そして感覚分類課題の段階においては、感覚的な内容や概念的な判別について注意が必要とされる。
アーナパーナ・サティにおいても、感覚を取るという課題については基本的には同じである。瞑想者は呼吸に伴う鼻の先と上唇、あるいは下腹部といった身体的な感覚に十分に注意を向けなければならない。そして自己の視点からの価値判断をしないよう、単にそれを経験するよう教示される10)。
Goldbergらによると、前頭前皮質と後頭部の感覚運動野の相互的な活性化パターンは、抑制の唯一のパターンではないことが示唆されている。異なる感覚器官を一つの課題に関与させると、自己の心を理解しようとするネットワークを抑制するのと同じ抑制を作り出す。したがって、価値判断をしない自己受容性感覚、あるいは触覚に関する課題に取り組むことで、デフォルト・モード・ネットワークの前頭前皮質による抑制を引き起こしていると考えてよいだろう。Czikszentmihalyi20)は、例えばダンスや運動競技等の身体的な課題を行なっている際に自己意識の感覚が消失すると述べている。ただ、脳画像による根拠がないうちは確証はできない。
Goldbergらの研究に参加した被験者たちが感覚分類課題に集中した時には、デフォルト・ネットワーク内においてある程度の抑制が示された。この価値判断を伴わない課題への集中は、Czikszentmihalyiが「フロー」と呼ぶ現象に関連する主観的な体験である。したがって、呼吸に伴う身体感覚の高い活性化と、自己の心をそのまま受容することによるデフォルト・モード・ネットワークによる脳活動の抑制が、ウパチャーラ、あるいは心の集中を作り出す可能性がある。つまり、脳のこの部位における活動が安定化すると、瞑想者の内的体験は自己を離れた状態で、より穏やかで安定し、ジャーナ体験へと誘われていくように思われる。
ジャーナ
Hagertyら12)の研究は、fMRIを使ってジャーナの状態を調べた最初の試みである。彼らの唯一の事例である被験者は、スリランカの伝統であるテーラワーダ仏教にて訓練を受け、17年間で累計6000時間の瞑想経験を持つ55歳の男性であった。
この研究で被験者は、ジャーナへと体験が移り変わる際にボタンをクリックするように指示を受けた。Hagertyらはこの研究において、サマーディに関するこれまでの現象学的な報告を元に、五つの予測を立てていた。
1.外界の現象への気づきは薄い。
2.内的な言語化はない。
3.個人の境界線の感覚が変容する。
4.瞑想者は瞑想の対象に対するとても強い集中を示す。
5.喜びの感覚が増す。
実験では、これらの予測通りの結果がもたらされると同時に、日常における憩いの状態にある時の脳活動と比較して、ジャーナを体験している際には瞑想者の視覚野と聴覚野の活動が低下していることが発見された。
具体的に言うと、ブロードマン17-19野、41-42野の活動が低下していたのである。これはHagertyらの第1の予測である視覚と聴覚の情報処理の低下を支持している。
さらにブローカ野(BA44、45)とウェルニッケ野(BA39、40)の活動低下をも示しており、それらは内的な会話が静まっていることを示唆している。頭頂部の皮質は、身体感覚の主観的な形象化に関連するとされていた21)が、ジャーナの間はこの部位の活性化も低下していた。
この上頭頂小葉への神経回路の遮断は、被験者の身体境界線の感覚が変容していたこと、具体的には物理的な境界線のない意識感覚になっていたことを示している。この結果はBeauregardとPaquette22)によって再現された。彼らはキリスト教修道院による報告書「神との神秘的な一体化(mystical union with God)」(p.187)において、視床後外側核から上頭頂小葉への伝達の遮断について報告している。
またNewbergとInverson23)は、この後頭頂葉部への回路が閉ざされて網様核の高い活性化が起きる際に、視床後外側と膝状体へ放出されたγアミノ酢酸(GABA)の増加について調べた。さらに彼らは、この視床における活性化と、それに伴って起こる後頭頂皮質へのシグナル伝達の抑制は、ウパチャーラからサマーディの段階へ移行する時のように、2番目のジャーナを通じて自発的に強く生じる右側の前頭前皮質の活性化によって引き起こされると仮定した。
こうした回路が遮断される程度は、被験者たちが瞑想対象(BeauregardとPaquetteの場合は神のイメージ)に注意を持続する度合い、また2番目のジャーナに移行する際、僧がヴィタッカやヴィチャーラを放っていく際に生じる対象なき集中の度合いと対応しているのである。
2番目のジャーナへ移行するような場合には、回路の遮断はより完全となる。頭頂葉が空間における身体の経験を作り出すという通常の情報処理を行わせないことで、この回路の遮断は、覚醒した中においても自己に拘束されない、通常でない意識体験を作り上げるのである。
瞑想中には、視床から頭頂葉そして後頭葉にかけてのγアミノ酢酸性の活動増加が生じるが、そのさらなる影響として、感覚情報に対して鋭さが高まることが挙げられる。これは集中力を邪魔する心の作用が少ないこと示す明確なサインである24)。
NewbergとIversonはさらに、後頭頂皮質の回路の遮断と右の海馬の活性に関係性を見出した。それは海馬と皮質活動において調整的な関係性があるということである。瞑想中に右の海馬が刺激されると、右の扁桃体にも活性化が広がる25)。そして右の外側扁桃体への刺激は、腹内側の視床下部を活性化させ、副交感神経系を活性化させる26)。この副交感神経系の活性化は、サマーディ、特に4番目のジャーナに生じるウペッカー、あるいは平穏の要素と関連したリラクゼーションと深い静寂を説明し得るであろう。
Hagertyら12)は、ウパチャーラと1番目のジャーナの際に、前部帯状回が比較的活性化していることを見出した。このことは、これら初期の段階では、意図的な集中が必要であることと一貫性がある。しかし、彼らは2番目から4番目のジャーナにおいては、前部帯状回の活性化が基準値と比較して低下していることも発見した。これも同様に、これらの段階では瞑想における注意の対象(呼吸)が集中すべき対象ではなくなり、注意が解き放たれることと一貫している。
またHagertyらは1番目と2番目のジャーナにおいて、側坐核と内側眼窩前頭皮質の活性化が高まることも発見した。彼らはそれらの活性化を、食物、セックス、金銭、その他の快を伴う外的な刺激によって最も活性化するドーパミン報酬システムとして挙げている。Hagertyらの被験者は、外的な要因なしに、内的な要因によってドーパミン報酬システムを刺激できるようでもあった。
側坐核および内側眼窩前頭皮質の活性化は、自己報告されるピーティ(喜)、すなわち身体感覚の強い快であると考えられる。Hagertyらは、瞑想者が2番目から3番目のジャーナに移行する際にこのピーティが終わると、側坐核や内側眼窩前頭皮質の活性化が通常の基準値まで戻ることを観察した。
1番目と2番目のジャーナにおける強い快は、瞑想実践の最終目標ではない。RatherとHagertyらの被験者はウパチャーラの時に、外的な対象への意図的な注意の集中から自然に解放されたのだが、その後の1、2番目のジャーナの際に、ピーティ(喜)とスカー(楽)は、どんな刺激に対してもそれに近づいたり避けたりする必要性を感じさせない強い満足感を促す役割を果たしたと報告している。
この平等感あるいはウペッカー(捨)は、4番目のジャーナへ移るサインでもある。4番目のジャーナでは、この平等感覚と一点への気づきのみが残る。これがサマーディの絶頂である。注意には定まった方向性がなく、快も嫌悪もない。感情的な満足感はなくなり、残るのは覚醒と鮮明な一点に集中した平等な意識である。この状態から瞑想者は、洞察の瞑想であるヴィパッサナーの取り組みを始めるのである。
翻訳:鈴木孝信(東京多摩ネット心理相談室)、南和行(カウンセリングルームすのわ)
(編集部:注)
5.核磁気共鳴を利用して、脳や脊髄の活動に関連する血流動態反応を視覚化する方法。
6.被験者は先ず視覚(あるいは聴覚)を刺激され、そしてその刺激を感じ取り、それに対して快不快を判別する課題。
7.安静時の脳の活動状態
(参考・引用資料概略)
10.Bhikku
Nanamoli(2010)
12.Hagerty(2013)
13.Crick
and Koch(2003)
14.Kelley、 et al(2002) Johnson
et al(2002)
15.St.
Jacques(2012)
16.Schmitz、Kawahara-Baccus、 Johnson(2004)
17.Baars、Ramsoy、Laureys(2003)
18.Goldberg、Harel、Malach(2006)
19.Kinsbourne(1988)
20.Czikszentmihalyi(1990)
21.Bucci, Conley, &
Gallagher(1999)
22.BeauregardとPaquette(2006)
23.NewbergとInverson(2003)
24.Elias,
Gulch, & Wilson(2000)
25.Lazar,
et. Al(2000)
26.Davis(1992)
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