月刊サティ!

2018年1月号      Monthly sati!     January 2018


 今月の内容

 
  巻頭ダンマトーク  ~広い視野からダンマを学ぶ~

        今月のテーマ:慈悲の瞑想自己否定観を越えて-(1)
 
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~

            
今月のテーマ:ヴィパッサナー瞑想の基本(2)
  ダンマ写真
  Web会だより『素晴らしきヴィパッサナー瞑想との出会いに感謝!』
  ダンマの言葉
  今日のひと言:選
  読んでみました『また同じ夢を見ている』住野よる著                

                     

『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。  

    

   巻頭ダンマトーク ~広い視野からダンマを学ぶ~

今月のテーマ:慈悲の瞑想 -自己否定感を越えて-(1)  

 1.はじめに
  慈悲の瞑想は、サティの瞑想と並行して習得していかなければなりません。
  慈悲というのは仏教の究極の概念です。慈悲の瞑想が完璧にできるようになることが、ヴィパッサナー瞑想の究極の目標にもなっています。
  慈悲の心を育てるとは、具体的には慈悲喜捨という4つの心を成長させ完成させていく修行です。しかしこれを完全に体現することは、悟るのと同じくらい難しいことなので、完成は遠い目標として、できるだけ近づいていこうということになります。
  慈悲の瞑想とサティの瞑想には、どんな関連性があるのでしょうか。
 まずサティの瞑想は、現在の一瞬一瞬に気づくことによって、事実をあるがままに観ていく修行です。これがうまくいくと、先入観や思い込みがカットされ、情報が編集されたり歪曲されなくなるので、事実が正確に観えてきます。また、心の癖で反射的に反応してしまうのが抑えられます。ものごとを正確に観ることと、心の反応パターンを組み換えることで、心の清浄道に繋げていこうという修行です。
  人の心は千差万別なので、自分がこれまで培ってきた心の傾向、つまり心の反応パターンがサティのクオリティに深くかかわってきます。もし反応系の心がこれまでと何も変わらなければ、サティの技術によって反応を一時停止させることは上達しても、心はあまり成長していないという感じが否めないでしょう。ネガティブな反応が立ち上がるのを止めているだけでは、自分の心の汚染に気づきづらくなりかねません。
  サティの修行というものは、自分の心が真っ黒に汚染されていることを自覚して衝撃を受けることによって、心の清浄道を推し進めるものなのです。そして、反応系の心が少しでも善い方向へ向かうことによって、慈悲の瞑想が深まっていくことになります。

2.慈悲の心を育てるポイントは怒りの超克
  慈悲喜捨の基本的説明は拙著を参照していただくとして、ここでは、どうしたら慈悲の心が育っていくかということについて考えてみたいと思います。
  慈悲の心が育つために一番大事なのは、怒りを乗り超えていくことです。慈悲の心の正反対は、怒りなのです。だから怒りが超克されれば優しくなれるし、慈悲の心が育ってくるという流れです。
  怒りというのは「対象を嫌う心」と定義されるように、怒り系のグループにはさまざまな心が含まれています。「嫌悪する」「激怒する」「嫉妬する」「後悔する」、「悲しみ」も「物惜しみ」も、すべて怒りから派生している心です。
  「悲しみ」を例にあげれば、愛する人を失ってしまったが、どうしてもその状況が受け容れられない。この状態は嫌だ。否定したい。打ち消したいが、どうにもならない。でも嫌だ、と現状を厭う心が怒りなのです。愛する人を奪ったのが人為的な事故や事件などであれば、加害者に怒りをぶつけることもできるでしょう。しかし自然災害や、本人の意志による失踪や自死であれば、怒りのやり場がありません。誰にも怒りをぶつけることができず、ただただ情けなく、悲しい・・と怒りが陰に籠った表われ方になるのが「悲しみ」です。受け容れるしかどうしようもないのだが、嫌だし、否定したいが、それもできない無念さが、「悲しみ」として怒り系の心に分類されるのです。
  優しく慈しみ、調和させ、まとめる働きが慈悲の心です。壊すエネルギーが本質の怒りとは正反対なので、怒りをいかにして乗り超えるかという問題に取り組まないと、慈悲の心が発露しづらいということです。

3.怒りとグリーフケア
  グリーフケアという言葉があります。グリーフという英語は、深い悲しみや苦悩を表わす言葉です。例えば、愛する家族やかけがえのないものを失ったり、災害や大事故などで家屋や財産、これまで築き上げてきたものが一瞬にして崩壊してしまったり、自分のせいで子供を死なせてしまったという罪悪感など、非常に強烈な、埋めようもない深い悲しみに襲われて圧倒されてしまう状態です。
  そんなグリーフに打ちのめされた人達が立ち直れるように支援する営みを、グリーフケアと言いますが、そういう仕事に携わっている方々がいます。例えば、カトリックのシスターで、グリーフケアの第一人者と言われる高木さんという女性です。この方は、阪神大震災で家具が倒壊し即死寸前のところを助かって、それがきっかけでグリーフケアを始めたらしいです。
  この方が紹介されていた事例に、ある婦人が夫を亡くして深い悲しみに暮れている時、ご近所の方が慰めてくれるというシチュエーションだったのですが、「あなたなんか、まだいいほうよ。夫なんかどうせ赤の他人なのだから、代替えがきくわよ。・・私なんか子供を喪ったのよ。子供は、もう帰ってこないのよ。取り換えがきかないのよ」と言われてしまったというのです。だから、そんなに嘆くことはないのだ、というようなことを言われ、ものすごいショックを受けたというのです。
  そう言い放った方は、子供を亡くしてから123年経っているのだそうです。123年経っても自分の中のグリーフという悲嘆が終わりにできず、怒りが渦巻いていたのです。悲しみが昇華されず、怒りのエネルギーとしてこういう冷たい態度になってしまうこともあるのです、と高木さんは語っていました。
  一昔前なら大家族が普通だったし、地域の共同体がお互いに声をかけ合い、助け合う社会システムだったので、深い悲しみというものをちゃんと聞いてくれる人や受け止めてくれる人がいて、グリーフケアがうまく機能していました。しかし今は、個人主義が嵩じた閉鎖的な集合住宅や、核家族、お一人様が多数派となり、人のつながりや絆が希薄になって、殺伐としたご時世です。孤立した家族や個人がかってに群れている社会で、かけがえのない人を喪ったり、圧倒的な悲嘆や不幸に襲われると、たった一人で抱え込んでしまった悲しみを乗り超えるのが難しくなっているのです。それゆえに、そうした方々のために新たなシステムとして、グリーフケアをやっていかなければいけないのではないかということです。そうした活動の先駆者とも言うべきお一人が高木さんという方なのです。
  高木さんは、あまりにも深い悲しみに襲われている方には慰めようがなく、見守るしかないようにも言われていました。むしろ下手に慰めの言葉をかけると、逆にキレてしまうとか怒りを誘発してしまうのだそうです。
  私自身が直接お話を伺ったースでも、ほぼ同じような印象でした。50代で突然、夫を亡くした方が、娘さんに連れられて瞑想会に来られたことがあります。その方が仰っていたのですが、いろいろな人が慰めてくれたけれど、誰に対しても怒りが出たと言ってました。何を言われても、「あんたに何がわかるのよ!」と感じたそうです。
  ただ、そんな全員討ち死に状態の中で、一人だけ怒りが込み上がらなかった人がいて、その方はこのようなことを言ったそうです。
  「私には経験がないから、あなたがどんな悲しみにくれているのかわからない。どうして良いかわからないから、想像するしかありません。あなたの気持ちは決して私にはわからないけれど、本当に大変なことだと思います」と。
  こう言われた時だけは怒りが出なかったと、この未亡人は言っていました。
  結論を申し上げますと、重度の悲しみは一人では乗り超えづらく、悲しみの深さを分かってもらいたい、共感してもらいたい、あるいは、自分の人生を誰かに肯定してもらいたい、という思いがあるのです。そして、もしその悲しみが完全に受容でき、乗り超えられたならば、逆に、普通の人以上に優しさが現れてくるというのがだいたいのパターンだと言われています。
  悲嘆に限らず、劣等感やトラウマなど、強いネガティヴな情念が手放せない状態になると、人は優しくなれない法則があり、真の慈悲の発露が難しくなるのです。
  優しさからエゴが引き算されると慈悲になっていくのですが、慈悲が体得されるためには、グリーフという悲嘆も含めた怒り系の心をすべて乗り超えていくことが求められます。怒りが手放されていく度合いに比例して、究極の優しさである慈悲が露わになっていくでしょう。

4.人を癒すセラピー犬、チロリ
  セラピードッグという介護犬がいます。「日本アニマルセラピー協会」など、訓練された介護犬の癒しの仕事を支援している団体があるのです。誰に対しても完全に心を閉ざしてしまった孤独で意固地になった介護施設の老人が、セラピー犬とジーッと目を見つめ合いながらアイコンタクトを取っているうちに、いつの間にか笑い出したり、犬の頭をなで始めたり、動物ならではの癒しの仕事を立派にやり遂げてしまうのです。
  人間同士だったら、一定秒数以上の長いアイコンタクトは無意識に避けてしまうものですが、犬だけはジーッと瞳の奥をいつまでも見詰め続けてくれるのです。視線が合っただけでドーパミンなどの快感ホルモンが分泌されることも知られていますが、犬には、人間にできない不思議な癒しの仕事ができるのです。あらゆる家畜化された動物の中で、犬以上に人間と心を通わせ合える動物はおりません。
  アメリカや英国の刑務所や少年院で、虐待された犬のドッグトレーニングを更正プログラムの一環としているのをテレビでご覧になった方もいると思いますが、こうしたことは非常に難しいことなのです。なぜなら、人間でも犬でも、幼い時に虐待などの悲惨な目に遭うと、どうしても優しさとは正反対の怒りタイプになってしまうものです。しかし、そうしたネガティブ体験を乗り超えることができると、今度は逆に、素晴らしいセラピー治療のできる癒しの達人のような犬に生まれ変わるのです。

  私がこれまでに最も深い感銘を受けたのは、日本初のセラピードッグとして活躍したチロリという介護犬でした。この犬は子連れの捨て犬だったのですが、後に国際セラピードッグ協会の会長になった大木トオルさんという方にめぐり合って、運命が変わりました。大木さんは、アメリカと日本を半々に二重生活をしているブルースシンガーでした。アメリカではセラピードッグのような活動が盛んなので、大木さんも共感して自費でセラピードッグの訓練センターを運営していました。
  ある日、捨て犬だったチロリを廃墟の裏で子供たちが世話しているところに、大木さんが通りかかりました。放っておけず、大木さんもドッグフードを与えたり子犬の里親探しをしたりしていたのですが、とうとうチロリが野犬狩りにあってしまったのです。保健所では5日の間に引き取り手がないと殺処分になってしまうそうなのです。
  大木さんが気付いた時にはもう4日目の夜で、明日必ず引き取りに来ますから処分しないでくださいという張り紙をしておいたそうです。そこの犬たちは捕獲された日によって仕分けられていて、1日目はただもう混乱して騒いでいますが、2日目、3日目になると次第に死に近づいているというのがわかってきて、4日目、5日目となるともう絶望的な感じになるそうです。犬というのは実に正確に状況を把握するのですね。
  チロリは、今日殺されるという檻にいて恐怖で震えていたらしいのですが、大木さんが来たのを見つけたら尾っぽをちぎれるように振ったそうです。チロリはぎりぎりのところで助かりました。
  チロリは雑種で短足でしたが、優しいかわいい顔をしていて、大木さんはチロリを飼ってあげたいとは思ったのですが、すでにシベリアンハスキーという大型犬を10頭くらい飼ってセラピードッグの訓練をしていたのです。そこへ野良犬だったチロリを一緒にするのは難しいと思われたようですが、とりあえず連れて帰りました。
  大木さんが飼っていた犬の中のボスは、アメリカのドッグショーでチャンピオンになったほどのハスキー犬なのですが、チロリを犬舎に入れたところ、他の犬たちがワンワン吠えたのに、そのボスだけはおまえを受け入れてやるみたいに尾っぽを振って、仲間に入れてくれたといいます。そうすると、チロリはメス犬なのですがとても統率力があって、いつの間にかそこにいるハスキー犬の7割くらいを子分にしてしまい、その上にチャンピオン犬がいるという状況になってしまったそうです。
  やがてボスのハスキー犬が癌になってしまいました。そしていよいよ死期が近づいた時に、このチロリが、ボスが歩くと一緒に歩き、止まると止まって、完全に寄り添って介護しているような動きを見せたのです。どこへ行く時でも付き添って励ましてやっているような様子を見た大木さんは、チロリにはセラピー犬としての才能があるのではないかと感じました。
  セラピードッグはしつけ、訓練、服従という三要素からなる40科目くらいの訓練をクリアーしなければならず、どんなに優秀な犬でも1年くらいかかるそうなのです。ところがチロリはすごく頭が良くて、訓練を始めてみたら5か月で終了してしまい、日本初のセラピードッグとして認定されたということでした。
  このチロリが大木さんにセラピードッグとしての才能を見出されるきっかけとなったのが、自分を初めて受け入れてくれるきっかけとなったボスが癌で死んでいく時に示した行動でした。大木さんはそこに、いわば犬の恩返しのようなものをどうしても想像してしまうということでした。もし、ボスが認めなければ、チロリはとうてい仲間に入れてもらえなかったのですから。
  犬の世界というのはとても厳しいのです。実際、私がタイのお寺で修行をしていたときに目撃したのですが、寺に住みついた野犬グループの中にはリーダーを筆頭に明確な序列があります。もしそこに新しく野良犬が入っていこうとすると、リーダーを頂点とした群れの承認が得られないと仲間に入れません。毎日のように噛み合ったり吠え合ったり、強さによる順位の確認がなされ、餌を食べる時には厳然たる上からの順番となっています。最下位の犬は哀れなもので常に噛まれたりして、餌はほとんど無くなっていますから腐りかけたゴミを漁って、運が悪ければ食中毒で死にかけたりします。その苦しそうな悲しい鳴き声は本当に哀れな、凄まじいものでした。
  それでも群れに入れなければ餓死するかも知れず、何よりも群れの仲間と共に生きていきたい本能のある犬にとって、孤独地獄は耐えがたい過酷なものなのです。ですから、チロリがボスに認められ受け入れられたことはすごくありがたい話で、それ故にチロリは懸命にボスの介護をしたようなのです。
  遡って、大木さんがなぜチロリの世話をしようと決断したかを考えると、大木さん自身の境遇がチロリの境遇と重なってしまったというのです。小学校の時、大木さん自身が吃音のためにいじめにあって、家に帰ると飼い犬だけが尾っぽを振って自分の帰りを待っていてくれていました。そこに心の交流があって、どれだけ癒されたかわからないと言われています。また、12歳の時に一家離散の状態になってしまって、おじさんやおばさんのところにタライまわしにされ、ご飯をおかわりするにも遠慮がちというような子供時代を送られたということです。
  つまり、少し足を引きずって、虐待のあとも残る捨て犬のチロリを見殺しにしたりせず、受け入れてあげる決断は、自分の少年時代の境遇と同じだというところから来たのです。どこにも行くところがない時の悲しみや苦しさ、自分自身のいろいろな体験が想起され、大変だけど引き取ろうという判断につながったわけです。
  このように、トラウマがあったりマイナスの経験をした人が優しくなれるというのは、自分自身の痛みを通して他者の痛みや苦しみが理解され共感される構造になっているからだと考えられます。自分自身が傷ついてきたからこそ、苦しんでいる者への優しさにスイッチが入るきっかけになっているわけです。大切な人との死に別れの経験があれば、同じ経験をしている人に対して、ああ、この人は今あの悲しみを経験しているのだ・・とわかるのです。これは、上から目線の強者の憐れみや慰めではない、心の底から共感できる力の源になっていると思われます。

5.悲嘆を乗り超える道筋
  チロリも大木さんも、マイナスの体験を見事にプラスの切り札に転じていった癒しの達人のような存在になりました。しかし、いきなりそうなれる訳ではありません。他者を癒す力は、自分自身の悲しみや心の傷に向き合い、そのネガティブ体験を完全に乗り超えて癒される体験をしなければ得られるものではありません。
  ブッダが「自ら浄められてから、他を浄めよ」と説いているように、深く傷ついた悲しみや苦しみや絶望にしっかり向き合い、あるがままに受け容れ、共感してもらい、癒され、解放されていく自然な流れに沿って、自己回復物語を完結させていかなければなりません。悲しみは必ず癒され、優しさの原点にもなり得るものですが、それなりのコストや時間が必要なのです。
  悲嘆に繋がるような突然の出来事に遭遇した人は、ショックのあまりただただ呆然としてしまう時期があります。例えば、シスターの高木さんが看てきた事例では、若い母親が4歳の娘と横断歩道で信号待ちをしていて、いつもは幼い娘の手をしっかり握っているのですが、その時はたまたま荷物を持っていて子供の手を離していたのです。すると、まだ信号が赤なのにその女の子が飛び出してしまい、その途端にバイクにはねられ、3メートル近く飛ばされて母親の目の前で即死してしまいました。母親は完全に茫然自失、能面のように何の感情も出せない状態になってしまい、その後に続くお通夜やお葬式を、涙ひとつ流せないロボットのような感じで送られたそうです。
  それからひと月ほど経った頃、高木さんと対面したこの母親は自分の心のすべてをぶつけて、娘は今どこにいるのでしょうか!?と訊いたそうです。高木さんはカトリックのシスターなので「私にはマリア様にしっかり抱かれて守られているように感じられるから大丈夫ですよ」と答えました。「見えているわけじゃないのですが、私にはそう感じられるのです」と。
  そうしたら「本当ですかー!」と、若い母親はその場に泣き崩れ、号泣慟哭したそうです。この大泣きが大事なのですね。泣くべきところで、ちゃんと泣いて、情念を発露させ、解放する心のプロセスを経ないと、悲しみが抑圧されたまま心の奥底で凍結してしまうのです。そうすると、いつまで経っても心は冷たいまま、自覚に昇らない悲嘆という名の怒りが渦巻いて行き場がなくなるのです。
  ですから、まず自身の悲しみに正面から向き合い、承認し、泣いて感情を吐露し、それを誰かに理解してもらい、受け止めてもらって、優しさを受けて癒される体験が必要不可欠なのです。自分をちゃんと受け入れてくれる存在との共感性の中で、悲嘆にトドメが刺され、真に癒され、自己回復物語が完結していくプロセスがあるのです。
  悲嘆というのは非常なショックを受けると、そののち強い喪失感が襲い、閉じこもり状態を経て再生していくというふうに言われていますが、そうした流れのなかで共感というか、自分の存在を認め、自分の人生を肯定してくれる人に出会わないと、孤独と絶望を抱えたまま出口なしの心理状況になってしまいます。そうすると12年経っても、「あんたなんか、たいしたことないわよ」と口にするようになってしまうのです。
  グリーフ(悲嘆)が乗り超えられないと、人は冷たくなる、と高木さんは言っていました。この冷たさは、悲嘆という名の怒りがいつまで経っても手放せないまま、心の深層で凍結して立ち往生している状態です。

  さて、セラピードッグになるため、チロリは大木さんの訓練を他のどの犬よりも早くをクリアーしていったのですが、致命的な欠陥が露わになりました。それはステッキ状のものへの恐怖です。セラピー犬として、車椅子同様、松葉杖やステッキなど歩行の必需品に対する恐怖があれば致命傷です。おそらくチロリは、棒やステッキで虐待されたことがある、とにらんだ大木さんは、毎晩チロリを抱いて自分のベッドで一緒に眠りました。しかもチロリと自分の間には、恐怖の源であるステッキを置いたのです。
  最愛の大木さんに抱かれているが、その間には恐怖のステッキが横たわっている。愛と優しさと恐怖が同時に存在しているのです。感銘を受けました。なんと見事な手法で、チロリの恐怖を抜き、人の優しさを伝えていったことか・・と胸が熱くなりました。チロリの最大の難関は、このように突破されていったのです。この時の大木さんから受けた愛と優しさと心底からの共感が、チロリの心の傷を完全に癒したのではないかと思われます。
  こうしてチロリの自己回復物語は完結し、晴れて日本初のセラピードッグとなりました。数えきれない多くの人に癒しを与えたチロリは、癌で亡くなる直前まで、フラフラになりながらも癒しの仕事に出かけるのを止めず、最後の瞬間まで優しさを発露しながら見事な生涯を閉じたのです。
  人はさまざまな個人史のなかで、トラウマや劣等感もすべて含めたネガティブな体験をいかにして乗り超えるかという課題を負っています。その成否を決定づける要因は、自分の悲しみの深さに共感してくれる人との出会いにあります。自分の存在を丸ごと受け止め、肯定してもらえる人との関係性の中で癒され、自分を取り戻し、それが他の誰かに対する新たな優しさと癒しの発信に転じていくということではないでしょうか。(続く)


     

  ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 
                                                             地橋秀雄
  
今月のテーマ:ヴィパッサナー瞑想の基本(2)   
                     (おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 

Aさん:ヴィパッサナー瞑想の上達のコツを教えてください。

アドバイス:
  今回が初めての方ですね。

  瞑想はスポーツや芸事と同じで、少し練習しただけですぐに上達できるというものではありません。毎日
10分間以上は必ず瞑想してください。やり方のポイントは、まず足やお腹の感覚をしっかり感じることに集中してください。

  歩く瞑想の場合でしたら、足の感覚を丁寧に観ていきます。例えば、足先が離れた瞬間には接触感が消えていくという印象があるでしょう。その直後に、今度は、足指の肉が微妙に戻る感覚が生じてきます。その微細な感覚の変化まできちんと感じ取ろうとすると、自ら集中が高まりますから、余計なことを考えている暇などなくなります。

  感覚がしっかり感じ取れたら、その感覚に対して「離れた」とラベリングします。そして次の動作に対して、動き出す最初の瞬間の感覚を逃さないように集中をかけます。動き出す
足が前に進んでいく感覚
止まった瞬間の微細なブレまで、一瞬も逃さない意気込みで丁寧に感じていくのです。すると、ここまで徹底してセンセーションの変化に注意を注いでいくと、中心対象外に注意が逸れる余地がなくなり、思考もイメージも出なくなるはずです。
  初心者は瞑想中に必ず雑念に悩まされますので、まずセンセーションに没入して集中を高め、雑念や妄想が入らない状態でサティが連続するのを確かめていただきたいのです。このやり方は、集中の要素と気づきの要素が同時並行的に訓練できるように設計されています。

  この「法の確認のサティ」は、中心対象に絞り込み、顕微鏡モードで観察するやり方なので、普通の日常生活でサティを入れる時にはふさわしくありません。普段の生活では、今自分が何をしているのか、ざっくり自覚できれば良しとする肉眼モードのサティになります。これは「自覚のサティ」と呼ばれます。ざっくりでも、今自分は何をしているか、に気づいていれば客観視ができているのだから良しとするやり方です。

  日常では、中心対象を定めず、ランダムに「見た」「感じた」「思った」と、意識に強く触れたものは全て気づいていくやり方です。ただ、中心対象無しは初心者には少し難しいかもしれません。やはり、初めのうちは一つの中心対象に絞り込むマハーシ・システムがやりやすいでしょう。
  サティの瞑想の最も大事な基本ポイントは、妄想と事実の識別です。思考でまとめ上げた概念世界と、概念化されていない、純粋な事実の世界とをゴッチャにしないことです。

  自分がとらえている世界は、先入観が投影した思い込みの世界であって、ありのままの事実ではないという自覚があれば、あまり問題は起きてこないでしょう。ところが、自分の思い込んだ世界が事実そのものなんだと錯覚すると、さまざまな人生苦が発生してくることになります。

  事実に反応しているのではなく、自己中心的な思い込みに反応して憎んだり、貪ったりした揚げ句、苦しい人生になっていくのを無明の状態と言います。妄想で眼が曇って真実が見えなくなっているのだから、事実を正確に、ありのままに観る技法を訓練するのです。それが、気づきの瞑想であり、妄想を排除し、ものごとを正確に、ありのままに観ていく観察の瞑想です。

  初心者の場合、最初は中心対象の感覚をしっかり取る身随観から始めます。感覚に没入できると、余計な妄想をシャットアウトできるので、妄想や概念の世界と、あるがままの事実の世界との識別が明確になります。具体的な方法の詳細は『ブッダの瞑想法
ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』の第四章を参照してください。
  瞑想を開始する前にテキストをよく読んでポイントを押さえ、実践した後、もう一度テキストを見直してチェックします。このようにすると自己流に流れたりせず、セオリー通り正確にレッスンできるので間違いも起きにくくなります。独習の大事なコツです。

  ポイントをマスターし完全に体得するには、毎日必ず
10分間以上は瞑想修行をやりましょう。一度頭に入ったことでも、だんだん曖昧になるのが人の認知や記憶ですから、繰り返しテキストを読み込んで厳密に修行すると上達が早くなります。
  他にお薦めできるものとして、映像付きの『
DVDブック』があります。これはグリーンヒルで長年瞑想をやっていた方がモデルとなって実演しているので、どこでラベリングするか、どこで間を入れるかなどの要点を画像でしっかり確認できます。直接瞑想指導を受けられない方のために製作されています。
  ラベリングや間の取り方などポイントがあやふやなままで行なうと、「次に何をやるんだっけ?」というふうに混乱してきますので、集中どころではなくなってしまいます。瞑想中に妄想が多発するのは、技術的な理解が不徹底だからです。これには、テキストを繰り返しおさらいすることです。

  技法がよく理解され、体調が整っていても、家庭や仕事など人生上の悩みを抱えている時には必ず妄想に巻き込まれます。この場合は、思考モードで結構ですので、きちんと対策を講じてから瞑想するのが順番です。問題解決の仕方は千差万別ですが、五戒を守り善行をする基本が普遍的な対応となるのを検証してください。


 Bさん:先ほど瞑想していたとき、のどがいがらっぽくなってきて、「いがらっぽい」とか「のどが痛い」とか、中心対象のお腹以外の体の中の感覚にいろいろ気がつきました。

アドバイス:
  ラベリングがきちんとされていたなら
OKです。
  起きた現象自体はあまり問題にはなりません。関係ないと考えて結構です。ヴィパッサナー瞑想では体の感覚であれ外乱の刺激であれ妄想であれ、優勢の法則に従って淡々とサティが入っているか否かが問われます。何があっても、どんなことが起きても、必ずそれを対象化して観る練習をすることによって、怒りや欲望に巻き込まれたりパニックに陥ったりしなくなります。現象に無我夢中でのめり込み巻き込まれていく時に問題が起きます。あらゆる事象を客観視する、気づきの力が働けば、冷静に落ち着いて物事に対応できるようになってきます。
  また、瞑想中にいろいろな感覚が起きてきますが、常にフィフティー:フィフティー5050
の原則を優先することが大事です。何かが優勢に感じられたのは、潜在意識も含めて自分がそちらに最も多くの注意を注いだ結果なのです。自分自身の真の姿が映し出される重要な瞬間と言ってよいでしょう。意識に強く触れたものには必ずサティを入れ、中心対象に戻すことを繰り返していけば、ヴィパッサナーのやり方としては大丈夫です。


 Cさん:怒りを内に秘めたままで瞑想を続けることはあまり効果があるとは感じられないのですが。そういう場合には、怒りそのものの内容に注意を向けるか、あるいは、取りあえず中心対象に意識を向け直すかでいつも迷っています。

アドバイス:
  この問題も、まず優勢の法則が最優先です。その瞬間の状態をよく観て、怒りのモヤモヤ状態と中心対象の感覚のどちらが明確で優勢なのかを見極めて、そちらにラベリングするのが原則です。

  怒りの内容に注意を向ければクローズアップされてきますが、そこから思考モードに陥り、怒りの原因をまさぐり始めたりすると、瞑想としては脱線です。思考での探索モードにならないように気をつけましょう。

  「今、自分は怒っている」と自覚されるのは気づきであり、サティが入っています。サティが入れば、そこでブレーキがかけられて怒りのボルテージは半減したり激減します。怒りそのものがなくならず、くすぶっていても、怒りが抑止できていれば、サティが機能している状態です。取りあえずこれでOKです。

  そこから先は、認知の問題となるでしょう。

  怒りが出るのは、何か理不尽なことが我が身に起きていると認識しているからです。基本的には、そのような認知の仕方が変わらない限り、怒りは治まりません。人は怒りを露わにするのは恥ずかしいと感じるため、取りあえず我慢して抑え込もうとします。そうすると、表面的には怒りがないように見えるのですが、本心には怒りが抱え込まれているので、このままで怒りが根絶されることはないでしょう。サティの抑止力が強烈なら、問題は何も発生せず、うまくやり過ごすことができるでしょうが、根本解決に導くためには、反応の仕方を変えなければなりません。反応を変えるとは、認知の仕方を変えることです。問題のとらえ方や情況把握の仕方が怒りの結論に導かれていくのを変えなければなりません。

  人は、さまざまな理由で怒りを覚えます。ここで大事なのは、なぜ怒りの状態になるのかをよく知ることです。同じ立場に置かれたとしても、怒りの出る人もいれば出ない人もいます。もし「嫌なことになってしまったが、ま、こうなるのも当然だ」とか「自業自得なのだから、この状態は自分にふさわしい・・」と考えられたら怒りは生まれません。つまり、怒るべき現象があるわけではなくて、その現象についての認識の仕方がポイントだということです。

  自分は何ひとつ悪いことをしていないのに、不当な扱いをされていると思えば、当然怒りが出るでしょう。確かに、その出来事だけを見れば、まったく自分に非が無いと考えられるかもしれません。しかし
1週間前、1ヶ月前、半年前から振り返ってみれば、自分も相当身勝手なことをしていたり、挑発的な言動があったりしませんか。今日に限って自分に落ち度はないが、お互い様という理解の仕方になるかも知れません。人は、自分に都合の悪いことはさっさと忘れるものです。いつの間にか自己中心的なものの見方に傾いてしまい、また、そのことに気づきづらいものです。ヴィパッサナー瞑想が必要不可欠な所以です。

  ツイッターにも書いたことですが、「人は自分が正しいと思っている時に最もよく怒る」傾向があります。自分と相手の認識は基本的に違いますし、そもそもそういうトラブルに巻き込まれること自体が自分の不善業の結果だという見方もできます。

  視座の転換を練習していけば、多角的なものの捉え方が自在になされるようになり、怒りのカードを本気で切るようなことはなくなっていくものです。例えば、嫌な出来事に遭遇した時には、これで不善業が一つ現象化して消えていくのはありがたい、と解釈する発想もあります。苦受を受けるということは、苦受を受けるだけの原因を過去に作ったわけですから、その原因が具現化して消えていったのは誠に慶賀すべきことで、ありがたいという考え方もできるのです。

  このように、怒りの理解の仕方を多角的に変えていくことが大切です。自分の価値観だけに縛られていたのではないかと気づければ、とたんに視野が拡がり、怒りを手放す方向に向かうのです。 怒りに限らず、グリーンヒルではネガティブなことがあったら、「祝いコーヒー」と言っているのですね。五戒の不飲酒戒の関係で「祝い酒」は飲めないので、「祝いコーヒー」なのです。嫌な出来事に腹を立てるのが世間の常識ですが、瞑想者たちは、怒りの正反対の発想で祝ってしまうのです。

  反応系の心の修行というものは、こうして自在に発想を転換し、認知を一変させて、あらゆる現象を捨の心で悠々と受け容れていくのです、


Dさん:あるがままに受容するとはどういう意味なのでしょう?


アドバイス:

  現象をあるがままに受容するという、このあるがままという言葉はとても誤解されやすいものでもあります。世間では「あるがままでいいのね」と、煩悩まみれの自分の存在をそのまま容認してしまう勘違いが多いのです。何にでもすぐに腹を立て、怒りを思いっきり爆発させてしまうと、今度はだらだらと後悔する、そんな自分が嫌でどうしようもないと思って苦しんできた人が、「あるがままでいいのよ」と言われて救われたような気になって嬉しくなってしまう・・。そういう感じですね。
  しかし原始仏教では、怒りや欲が強くてもそれがあるがままなのだからそれで良いと居直ることはあり得ません。怒りや欲の存在は事実なのだから、ありのままに認めるが、それで結構と容認してしまう発想はまったくありません。

  あるがままと言うのは、現象世界のどんなものも眼耳鼻舌身意の対象として存在するのだから、それに手を加えたりすることなく、ただありのままに認知する、そういう意味なのです。例えば、自分の心に怒りが生まれた瞬間、怒りは良くないからすぐに消そうと考える前に、ただ「怒り」とサティを入れます。怒りがなかったフリはせず、怒りが出たのは事実だから仕方がないと潔く承認するのです。ありのままに認めることができれば、それが純粋なサティですから、怒りは消えます。そしてその次の心で、私は怒りを離れた者になろう、と静かにきっぱりと決意するのです。あるいは欲を離れた者になろう、貪瞋痴を離れた者になろうという決意です。

  サティを入れる瞬間、煩悩の心を叩き潰そうとするのではなく、いったん不善心が出た事実を客観的に認めなくてはならないということです。自分にはまだ煩悩の心がある。その事実を潔く認めるからこそ、必ず無くしていくし、乗り超えていくという決意が揺るぎなくなるのです。怒りの心が生起した事実を、怒りの伴ったサティで叩き潰すのは、不純なヴィパッサナーです。

  このように、原始仏教では煩悩を「あるがまま」に放置しておいてよしとするものではありません。嫌悪や怒りの心で叩き潰してやるという態度も、あるがままから離れていきます。白い事実も黒い事実も正確に、あるがままに認めた上で、「悪を避け善をなす」心に組み替えていく。これが正解です。


Eさん:「うまくいかない」とか「うまくいっている」とかも考えるのも、よくないと言うことですか。

アドバイス:
  よくないと言うよりも、「おお、うまくいってるぞ」「あ、ダメだ、うまくいってない」という心がすでに起きてしまっているのですから、「判断している」「評価している」と、その瞬間のあるがままの状態にサティを入れれば良いということです。サティの瞑想をしながら、あれこれ判断を差しはさむのは本来ではありませんが、それが良い悪いと言うよりも、判断したり評価したりしていたのだから、その事実にサティが入れば、そこでパタッとおしまいになるのです。瞑想にとって好ましいことであっても、好ましくない何が起きても、その直後にそれを対象化し客観視する気づきがあれば、内容は何であれ離欲している心があったのです。
  もしサティが入らなければ、「考えてはいけない」「判断するのは悪い」・・と展開し、ヴィパッサナー瞑想から逸脱していくことになります。妄想の中身に入り込み、やるべきではないことをやってしまった、という後悔が生じ、心に葛藤が始まるでしょうから。

  何度も繰り返し申し上げていることですが、本当に何が起きてもいいのですよ。どんな現象も無差別平等に対象化できればそれでいい。起きたことは起きたことです。ブッダの瞑想法に基づいている限り、悪を避け善をなしていくことは揺るぎない基本方向なのですから、どんな事実もありのままに承認し、堂々と人生を生きていけばいいのです。ヴィパッサナー瞑想を続けていく限り、いついかなる時でも正しい反応ができるようになっていきます。

(文責:編集部)

 今月のダンマ写真 ~

       

 仏像とストゥーバ:ミャンマーの寺院にて

N.N.さん提供


    Web会だより  
      『素晴らしきヴィパッサナー瞑想との出会いに感謝!』
                                                           磯崎 富士雄
  この『月刊サティ!』の読者の皆さんの中には、瞑想に出会って人生が変わったという方が多いのではないかと思います。実は私もその例外ではありません。なぜ瞑想に興味を持つようになったのか、その経緯を振り返ってみたいと思います。
  子どものころから、一人っ子でカギっ子という家庭環境の中、一人で物思いにふけることが多い時間を過ごしました。やがて、中学生になり、フロイトの著書やシュールレアリズム絵画に触れ、「人とは何か」「人の心の奥底には何があるのか」「自分はいったいどこから来てどこへ行くのか」、そんなことに疑問を抱きながら、青春時代を過ごしました。
  大学生の時、1970年代末から1980年代初めにかけて、ちょうど世の中は精神世界ブームと言われる状況で、平河出版社から雑誌『メディテーション』が創刊され、青山にメディテーションセンターがオープンしました。自分もこの時初めて瞑想を体験しました。当時、山田孝男の著書『瞑想入門』(現在『瞑想のススメ』と改題改訂して出版されている)が瞑想における座右の書でした。また、大学の哲学の講義で、プラトンやニーチェと並ぶ哲学者の一人としてブッダが紹介され、初めて原始仏教に触れることができました。中でもマッジマ・ニカーヤ(中部経典)に記された「筏のたとえ」が鮮明に記憶に残っていますが、「お釈迦様」として神格化されない人間ゴータマ・シッダールタの存在に大きな衝撃を受けました。また、原始仏教が「葬式仏教」と揶揄される日本の仏教とはかなり違うという印象を持ちました。
  しかし、この時に原始仏教への理解がさらに深まることはなく、ユング心理学やインド哲学、特にウパニシャッド哲学に傾倒していきました。時折、瞑想はしていても当時はサマディや神秘体験を意識した瞑想、すなわちサマタ瞑想にしか心惹かれませんでした。とはいえ、最近知ったことではありますが、日本にヴィパッサナー瞑想が広く知られるようになったのは、意外に歴史が浅く、日本ヴィパッサナー協会が瞑想センターを開設し、スリランカからスマナサーラ長老が来日された1989年以降のことのようです。
  仕事では、異文化に興味があったことから、大学卒業後に専門教育を受け、日本語教師になりました。その1年目の夏休みに憧れの地インドを初めて訪れました。首都デリー、タージマハルで有名なアグラ、ガンジス河中流の聖地ベナレス、ブッダの初転法輪の地として知られるサルナート、そして、ビートルズもその足跡を残すガンジス河上流の聖地、リシケシュへと足を延ばしました。リシケシュではガンジス河畔のアシュラム(ヒンドゥー教の僧院)に数日間滞在し、ガンジス河を眺めながら瞑想をするという最高の時間を過ごすことができました。その後、人の体を治療する仕事に興味を持ち、鍼灸や気功を学びました。仕事も日本語教師から鍼灸師へと移り変わっていきましたが、仕事に没頭する傍ら、瞑想に対する熱意も次第に冷めていきました。
  10年余り鍼灸師の仕事を続けてきましたが、40代になって人の体に関わることだけでは飽き足らず、人の心に関わる仕事をしていきたいと思うようになりました。そして、大学院に行って心理学を学び、その後、職場の心理相談という今の仕事に就きましたが、同時に瞑想への関心が再び湧いてきました。そして、自宅近くの禅寺で坐禅を始めました。何年か坐禅に通いましたが、回数を重ねるにつれ、日本の伝統的な仏教に対する疑問を抱くようになりました。
  坐禅の時にも唱え、日本の仏教、特に密教や禅宗で重要な経典とされる『般若心経』の内容が知りたくなり、調べてみました。すると、『般若心経』はブッダの死後に作られた経典であり、ブッダ本来の教えとは大きく違うものだということを知りました。そして、原始仏教の流れを汲み、スリランカや東南アジアに広まったテーラワーダ仏教と、日本を含め、東アジアに広まった大乗仏教とは、大きく異なることがわかりました。ブッダが伝える本来の教えが知りたい、瞑想を極めたいという思いが強くなりました。気が付けば、世の中は大学時代以来の精神世界ブームとも言える、マインドフルネスがブームとなっていました。
  そんな中、その存在を知ったのがマインドフルネスの起源であり、テーラワーダ仏教が伝えるヴィパッサナー瞑想です。サマタ瞑想以外の瞑想法があること、そして、ブッダはヴィパッサナー瞑想をより重視していたことも知りました。人は過去のことを悔やんだり、悩んだり、未来のことに不安を感じたりして苦しみます。それを解決するためには、思考を止め、エゴ中心の見方から離れる必要があります。自分を客観的に、ありのままに観るヴィパッサナー瞑想はそれを可能にしてくれるものです。常に冷静でありたいと願う自分にはピッタリな瞑想法だと思いました。これからの人生を進むための羅針盤(今風に言えば、GPSでしょうか)を得たかもしれない、そんな思いになりました。このヴィパッサナー瞑想が、職場からほど近い朝日カルチャーセンターで学べることを知りました。その講師が朝日カルチャーセンターで20数年来指導を続ける地橋秀雄先生です。早速、地橋先生の著書『ブッダの瞑想法』を読み、去年の春から講座に通い始めました。
  ここで講座の内容を少しご紹介しましょう。講座は、まずダンマ・トーク(法話)から始まります。内容はテーラワーダ仏教の教えにとどまらず、最新の脳科学や心理学などの科学的知見をまじえた幅広いもので、瞑想の実践だけではなく、日常生活を送る上でもとても参考になります。後半は参加者全員で瞑想を行いますが、同じ場を共有するグループでの瞑想は、とても一体感を感じ、瞑想のモチベーションが高まります。
  講座は最後に地橋先生から参加者全員へのインタビューで終わりますが、初めて参加された方のコメントもリピーターの方からのコメントも気づかされることが多々あります。ブッダは法友の大切さを強調していますが、志を同じくする人々との交流はとても刺激を受けます。谷中でのワンデー合宿にも参加させていただきましたが、寺町の静かな環境の中、日常生活ではなかなかできない、朝から夕方まで瞑想を続けるという貴重な時間を経験することができました。地橋先生はもちろん、講座で出会い、学ぶ機会を与えていただいた参加者の皆さんに改めて感謝したいと思います。
  講座に通い、ヴィパッサナー瞑想についての理解が深まるにつれ、日常生活がどんなに自分本位で、怒りやイライラの感情に振り回されているかということに気づくようになりました。ヴィパッサナー瞑想が目指す「自分を客観的に、ありのままに観る」ことは、正に「言うは易く行うは難し」で、そう簡単にできるものではありません。瞑想を続けていても、日によって集中できる日もあれば、あまり集中できない日もあります。とはいえ、「継続は力なり」、続けることが一番です。これからも地橋先生がおっしゃるように1日最低10分でも毎日瞑想を続けていきたいと考えています。
  以上、僕の人生における瞑想との関わりについて振り返ってみました。一度の離婚、二度の大きな転職を経験しても、幸か不幸か、これまで僕は人生にそれほど苦(ドゥッカ)を感じませんでした。しかし、50代後半を迎え、高齢の両親を次々と看取る中、考えが変わってきました。両親が老い、病を患い、そして、死を迎える姿を見て、いわゆる四苦の「老病死」を強く意識するようになりました。どんなに若くて、どんなに美しくても、やがて人は老い、病を患い、死んでいくのです。自分も若い時はいつまでも自分の健康が続き、自分の夢や希望は必ず叶えられるのだと信じていました。しかし、歳を重ねるにつれ、それはエゴが作る幻想に過ぎないのだと気づくようになりました。まさにブッダが説くように一切皆苦、諸行無常であるということが実感できたのです。
  心理学者のユングは、40歳を人生の正午と表現しました。これによると、私の人生は午後540分を回ったところです。煩悩も多く、まだまだ穏やかな人生を送れそうにありませんが、これからもヴィパッサナー瞑想を通して心の清浄道に励み、残された人生で少しでも涅槃(ニルヴァーナ)に近づけていければと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。

       
 






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ダンマの言葉

心の働きを止めることが出来るようになるまで、そして静寂に達するまでは心はただ前と同じことをくり返すだけです。だから師(ブッダ)はおっしゃったのです。
  「とにかく続けなさい。修行し続けなさい」(『月刊サティ!』20083月号、「覚りの道への出発」より(アチャン・チャー長老法話集)

       

 今日の一言:選
(1)事実をありのままに認める潔さがあれば、変わることができる。
  立派な自己イメージにしがみついたまま死んでいく人も多い……

(2)正確な認識のために、サティの瞑想がある。
  「ガチャリ」と音が聞こえた瞬間、金属音が耳に入った事実のみを確認して「音」 とサティを入れる。
  ドアノブのイメージが浮かんでも、推定要素が残るかぎり、決めつけることはしな い。
  (ドアノブだ)と思った」とサティを入れて、推定した事実だけを確かめておく。

(3)愕然として、打ちのめされるだろう……
  プライドが傷つき、落ち込む人も珍しくない。
  自分の心を、あるがままに観ていく瞑想なのだ。
  実態が直視されれば、傲慢ではいられない……


       

   読んでみました
  住野よる著 『また、同じ夢を見ていた』 (双葉社 2016
  主人公は、なっちゃんという十歳の女の子です。自分のことを「かしこい」と公言し、もっとかしこくなりたいと思っています。なっちゃんの口ぐせは「人生とは・・・」。漫画の『ピーナッツ』が大好きだからです。スヌーピーの相棒のチャーリーはこう言います。「人生はアイスクリームみたいなものさ、なめてかかることを学ばないとね」。だからなっちゃんは、「人生ってリレーの第一走者みたいなものよ」と言ったりします。「自分が動き出さなきゃ何も始まらない」のです。
   教室でなっちゃんは、桐生くんというクラスメイトとペアになり、「幸せとは何か」という課題に取り組みます。桐生くんは絵を描くのが好きなのですが、級友にばかにされたため絵のことをひた隠しにしています。なっちゃんは、不当な言いがかりをはね返さない桐生くんを歯がゆく思っています。弱いものいじめをする「ばかな男子」もゆるせません。
   ある日、桐生くんのお父さんが万引きをしてつかまり、桐生くんは学校に来なくなりました。正義感に燃える「かしこい」なっちゃんは、いくじなしで「弱っちい」桐生くんのために、クラスで代理戦争をしてしまいます。その結果、桐生くんからは「小柳さん(なっちゃんのこと)が一番きらいだ」といわれ、教室では無視といういじめにあうはめになりました。
  なっちゃんには、変わった友だちが三人います。自傷行為をする高校生の南さん、人間関係がうまくいかず行き詰っている若い女性、人生の山や河を越え今はおだやかに暮らしている「おばあちゃん」です。なっちゃんは三人から人生のヒントをもらい、幸せについて考えを深めていきます。
  自分は敵ではなく味方であると伝えるため、なっちゃんは桐生くんに会いに行きました。息子を傷つける者は入れないぞと物語の門番のように立ちはだかったのは、桐生くんのお母さんです。なっちゃんは、相手に受け容れてもらうにはありのままを正直に言う以外にない、と心に決めます。これは「不妄語」の実践にほかなりませんが、なかなかできることではありません。
   お母さんの信頼を得たなっちゃんは、ドアを挟んで桐生くんと向き合います。話していくうち、最大公約数的な幸せがあるわけではない、その人その人の幸せがあり、相手の考えを認めた上で理解しあい、思いあうことが大切だと気づいていきます。なっちゃんは考えに考えに考えてこうした結論に至りましたが、これが智慧でなくて何でしょう。それまではかしこい自分が正しく、ばかな相手が間違っていると思っていたのです。なっちゃんは粘りづよく考えました。考えるのをやめたり、やけになったり、諦めたりしたら、智慧が現れるはずがありません。ずっといた暗闇(無明)、そこを出た時広がった未体験の風景。おそらく闇の中でさまざまな気づきがあり、それは無意識のヴィパッサナー瞑想になっていて、「認知の書き換え」が起こったのだと思います。
   年上の友だちは「また、同じ夢を見ていた」と言います。それぞれが自分の子ども時代の夢を見ていたのですが、夢の中の子どもはなっちゃんにそっくりです。なっちゃんはやがて、南さんみたいな高校生になり、人間関係に悩む若い女性になり、数々の試練をのりこえて「おばあちゃん」みたいな晩年に至るかもしれません。でも、人生は書き替えられるのです。
   この小説の作者は原始仏教を知っていたのでしょうか。それはわかりませんが、なっちゃんはこう言います、「人生とはダイエットみたいなものね」と。「むちむちじゃ、ちゃんと楽しめないのよ、ファッションもジョークも」。確かに、ムチムチ(肥満)で無知無知では楽しめませんね。(桐葉)
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