2018年1月号 | Monthly sati! January 2018 |
今月の内容 |
巻頭ダンマトーク ~広い視野からダンマを学ぶ~ 今月のテーマ:慈悲の瞑想 -自己否定観を越えて-(1) |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 今月のテーマ:ヴィパッサナー瞑想の基本(2) |
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ダンマ写真 |
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Web会だより『素晴らしきヴィパッサナー瞑想との出会いに感謝!』 | |
ダンマの言葉 | |
今日のひと言:選 | |
読んでみました『また同じ夢を見ている』住野よる著 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
巻頭ダンマトーク ~広い視野からダンマを学ぶ~
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今月のテーマ:慈悲の瞑想 -自己否定感を越えて-(1) |
1.はじめに 慈悲の瞑想は、サティの瞑想と並行して習得していかなければなりません。 慈悲というのは仏教の究極の概念です。慈悲の瞑想が完璧にできるようになることが、ヴィパッサナー瞑想の究極の目標にもなっています。 慈悲の心を育てるとは、具体的には慈悲喜捨という4つの心を成長させ完成させていく修行です。しかしこれを完全に体現することは、悟るのと同じくらい難しいことなので、完成は遠い目標として、できるだけ近づいていこうということになります。 慈悲の瞑想とサティの瞑想には、どんな関連性があるのでしょうか。 まずサティの瞑想は、現在の一瞬一瞬に気づくことによって、事実をあるがままに観ていく修行です。これがうまくいくと、先入観や思い込みがカットされ、情報が編集されたり歪曲されなくなるので、事実が正確に観えてきます。また、心の癖で反射的に反応してしまうのが抑えられます。ものごとを正確に観ることと、心の反応パターンを組み換えることで、心の清浄道に繋げていこうという修行です。 人の心は千差万別なので、自分がこれまで培ってきた心の傾向、つまり心の反応パターンがサティのクオリティに深くかかわってきます。もし反応系の心がこれまでと何も変わらなければ、サティの技術によって反応を一時停止させることは上達しても、心はあまり成長していないという感じが否めないでしょう。ネガティブな反応が立ち上がるのを止めているだけでは、自分の心の汚染に気づきづらくなりかねません。 サティの修行というものは、自分の心が真っ黒に汚染されていることを自覚して衝撃を受けることによって、心の清浄道を推し進めるものなのです。そして、反応系の心が少しでも善い方向へ向かうことによって、慈悲の瞑想が深まっていくことになります。 2.慈悲の心を育てるポイントは怒りの超克 3.怒りとグリーフケア 4.人を癒すセラピー犬、チロリ 5.悲嘆を乗り超える道筋 |
今月のテーマ:ヴィパッサナー瞑想の基本(2) |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
Aさん:ヴィパッサナー瞑想の上達のコツを教えてください。 |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
仏像とストゥーバ:ミャンマーの寺院にて |
N.N.さん提供 |
『素晴らしきヴィパッサナー瞑想との出会いに感謝!』
磯崎 富士雄 |
この『月刊サティ!』の読者の皆さんの中には、瞑想に出会って人生が変わったという方が多いのではないかと思います。実は私もその例外ではありません。なぜ瞑想に興味を持つようになったのか、その経緯を振り返ってみたいと思います。
子どものころから、一人っ子でカギっ子という家庭環境の中、一人で物思いにふけることが多い時間を過ごしました。やがて、中学生になり、フロイトの著書やシュールレアリズム絵画に触れ、「人とは何か」「人の心の奥底には何があるのか」「自分はいったいどこから来てどこへ行くのか」、そんなことに疑問を抱きながら、青春時代を過ごしました。 大学生の時、1970年代末から1980年代初めにかけて、ちょうど世の中は精神世界ブームと言われる状況で、平河出版社から雑誌『メディテーション』が創刊され、青山にメディテーションセンターがオープンしました。自分もこの時初めて瞑想を体験しました。当時、山田孝男の著書『瞑想入門』(現在『瞑想のススメ』と改題改訂して出版されている)が瞑想における座右の書でした。また、大学の哲学の講義で、プラトンやニーチェと並ぶ哲学者の一人としてブッダが紹介され、初めて原始仏教に触れることができました。中でもマッジマ・ニカーヤ(中部経典)に記された「筏のたとえ」が鮮明に記憶に残っていますが、「お釈迦様」として神格化されない人間ゴータマ・シッダールタの存在に大きな衝撃を受けました。また、原始仏教が「葬式仏教」と揶揄される日本の仏教とはかなり違うという印象を持ちました。 しかし、この時に原始仏教への理解がさらに深まることはなく、ユング心理学やインド哲学、特にウパニシャッド哲学に傾倒していきました。時折、瞑想はしていても当時はサマディや神秘体験を意識した瞑想、すなわちサマタ瞑想にしか心惹かれませんでした。とはいえ、最近知ったことではありますが、日本にヴィパッサナー瞑想が広く知られるようになったのは、意外に歴史が浅く、日本ヴィパッサナー協会が瞑想センターを開設し、スリランカからスマナサーラ長老が来日された1989年以降のことのようです。 仕事では、異文化に興味があったことから、大学卒業後に専門教育を受け、日本語教師になりました。その1年目の夏休みに憧れの地インドを初めて訪れました。首都デリー、タージマハルで有名なアグラ、ガンジス河中流の聖地ベナレス、ブッダの初転法輪の地として知られるサルナート、そして、ビートルズもその足跡を残すガンジス河上流の聖地、リシケシュへと足を延ばしました。リシケシュではガンジス河畔のアシュラム(ヒンドゥー教の僧院)に数日間滞在し、ガンジス河を眺めながら瞑想をするという最高の時間を過ごすことができました。その後、人の体を治療する仕事に興味を持ち、鍼灸や気功を学びました。仕事も日本語教師から鍼灸師へと移り変わっていきましたが、仕事に没頭する傍ら、瞑想に対する熱意も次第に冷めていきました。 10年余り鍼灸師の仕事を続けてきましたが、40代になって人の体に関わることだけでは飽き足らず、人の心に関わる仕事をしていきたいと思うようになりました。そして、大学院に行って心理学を学び、その後、職場の心理相談という今の仕事に就きましたが、同時に瞑想への関心が再び湧いてきました。そして、自宅近くの禅寺で坐禅を始めました。何年か坐禅に通いましたが、回数を重ねるにつれ、日本の伝統的な仏教に対する疑問を抱くようになりました。 坐禅の時にも唱え、日本の仏教、特に密教や禅宗で重要な経典とされる『般若心経』の内容が知りたくなり、調べてみました。すると、『般若心経』はブッダの死後に作られた経典であり、ブッダ本来の教えとは大きく違うものだということを知りました。そして、原始仏教の流れを汲み、スリランカや東南アジアに広まったテーラワーダ仏教と、日本を含め、東アジアに広まった大乗仏教とは、大きく異なることがわかりました。ブッダが伝える本来の教えが知りたい、瞑想を極めたいという思いが強くなりました。気が付けば、世の中は大学時代以来の精神世界ブームとも言える、マインドフルネスがブームとなっていました。 そんな中、その存在を知ったのがマインドフルネスの起源であり、テーラワーダ仏教が伝えるヴィパッサナー瞑想です。サマタ瞑想以外の瞑想法があること、そして、ブッダはヴィパッサナー瞑想をより重視していたことも知りました。人は過去のことを悔やんだり、悩んだり、未来のことに不安を感じたりして苦しみます。それを解決するためには、思考を止め、エゴ中心の見方から離れる必要があります。自分を客観的に、ありのままに観るヴィパッサナー瞑想はそれを可能にしてくれるものです。常に冷静でありたいと願う自分にはピッタリな瞑想法だと思いました。これからの人生を進むための羅針盤(今風に言えば、GPSでしょうか)を得たかもしれない、そんな思いになりました。このヴィパッサナー瞑想が、職場からほど近い朝日カルチャーセンターで学べることを知りました。その講師が朝日カルチャーセンターで20数年来指導を続ける地橋秀雄先生です。早速、地橋先生の著書『ブッダの瞑想法』を読み、去年の春から講座に通い始めました。 ここで講座の内容を少しご紹介しましょう。講座は、まずダンマ・トーク(法話)から始まります。内容はテーラワーダ仏教の教えにとどまらず、最新の脳科学や心理学などの科学的知見をまじえた幅広いもので、瞑想の実践だけではなく、日常生活を送る上でもとても参考になります。後半は参加者全員で瞑想を行いますが、同じ場を共有するグループでの瞑想は、とても一体感を感じ、瞑想のモチベーションが高まります。 講座は最後に地橋先生から参加者全員へのインタビューで終わりますが、初めて参加された方のコメントもリピーターの方からのコメントも気づかされることが多々あります。ブッダは法友の大切さを強調していますが、志を同じくする人々との交流はとても刺激を受けます。谷中でのワンデー合宿にも参加させていただきましたが、寺町の静かな環境の中、日常生活ではなかなかできない、朝から夕方まで瞑想を続けるという貴重な時間を経験することができました。地橋先生はもちろん、講座で出会い、学ぶ機会を与えていただいた参加者の皆さんに改めて感謝したいと思います。 講座に通い、ヴィパッサナー瞑想についての理解が深まるにつれ、日常生活がどんなに自分本位で、怒りやイライラの感情に振り回されているかということに気づくようになりました。ヴィパッサナー瞑想が目指す「自分を客観的に、ありのままに観る」ことは、正に「言うは易く行うは難し」で、そう簡単にできるものではありません。瞑想を続けていても、日によって集中できる日もあれば、あまり集中できない日もあります。とはいえ、「継続は力なり」、続けることが一番です。これからも地橋先生がおっしゃるように1日最低10分でも毎日瞑想を続けていきたいと考えています。 以上、僕の人生における瞑想との関わりについて振り返ってみました。一度の離婚、二度の大きな転職を経験しても、幸か不幸か、これまで僕は人生にそれほど苦(ドゥッカ)を感じませんでした。しかし、50代後半を迎え、高齢の両親を次々と看取る中、考えが変わってきました。両親が老い、病を患い、そして、死を迎える姿を見て、いわゆる四苦の「老病死」を強く意識するようになりました。どんなに若くて、どんなに美しくても、やがて人は老い、病を患い、死んでいくのです。自分も若い時はいつまでも自分の健康が続き、自分の夢や希望は必ず叶えられるのだと信じていました。しかし、歳を重ねるにつれ、それはエゴが作る幻想に過ぎないのだと気づくようになりました。まさにブッダが説くように一切皆苦、諸行無常であるということが実感できたのです。 心理学者のユングは、40歳を人生の正午と表現しました。これによると、私の人生は午後5時40分を回ったところです。煩悩も多く、まだまだ穏やかな人生を送れそうにありませんが、これからもヴィパッサナー瞑想を通して心の清浄道に励み、残された人生で少しでも涅槃(ニルヴァーナ)に近づけていければと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 |
☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。 |
心の働きを止めることが出来るようになるまで、そして静寂に達するまでは心はただ前と同じことをくり返すだけです。だから師(ブッダ)はおっしゃったのです。 |
住野よる著 『また、同じ夢を見ていた』 (双葉社 2016) |
主人公は、なっちゃんという十歳の女の子です。自分のことを「かしこい」と公言し、もっとかしこくなりたいと思っています。なっちゃんの口ぐせは「人生とは・・・」。漫画の『ピーナッツ』が大好きだからです。スヌーピーの相棒のチャーリーはこう言います。「人生はアイスクリームみたいなものさ、なめてかかることを学ばないとね」。だからなっちゃんは、「人生ってリレーの第一走者みたいなものよ」と言ったりします。「自分が動き出さなきゃ何も始まらない」のです。
教室でなっちゃんは、桐生くんというクラスメイトとペアになり、「幸せとは何か」という課題に取り組みます。桐生くんは絵を描くのが好きなのですが、級友にばかにされたため絵のことをひた隠しにしています。なっちゃんは、不当な言いがかりをはね返さない桐生くんを歯がゆく思っています。弱いものいじめをする「ばかな男子」もゆるせません。 ある日、桐生くんのお父さんが万引きをしてつかまり、桐生くんは学校に来なくなりました。正義感に燃える「かしこい」なっちゃんは、いくじなしで「弱っちい」桐生くんのために、クラスで代理戦争をしてしまいます。その結果、桐生くんからは「小柳さん(なっちゃんのこと)が一番きらいだ」といわれ、教室では無視といういじめにあうはめになりました。 なっちゃんには、変わった友だちが三人います。自傷行為をする高校生の南さん、人間関係がうまくいかず行き詰っている若い女性、人生の山や河を越え今はおだやかに暮らしている「おばあちゃん」です。なっちゃんは三人から人生のヒントをもらい、幸せについて考えを深めていきます。 自分は敵ではなく味方であると伝えるため、なっちゃんは桐生くんに会いに行きました。息子を傷つける者は入れないぞと物語の門番のように立ちはだかったのは、桐生くんのお母さんです。なっちゃんは、相手に受け容れてもらうにはありのままを正直に言う以外にない、と心に決めます。これは「不妄語」の実践にほかなりませんが、なかなかできることではありません。 お母さんの信頼を得たなっちゃんは、ドアを挟んで桐生くんと向き合います。話していくうち、最大公約数的な幸せがあるわけではない、その人その人の幸せがあり、相手の考えを認めた上で理解しあい、思いあうことが大切だと気づいていきます。なっちゃんは考えに考えに考えてこうした結論に至りましたが、これが智慧でなくて何でしょう。それまではかしこい自分が正しく、ばかな相手が間違っていると思っていたのです。なっちゃんは粘りづよく考えました。考えるのをやめたり、やけになったり、諦めたりしたら、智慧が現れるはずがありません。ずっといた暗闇(無明)、そこを出た時広がった未体験の風景。おそらく闇の中でさまざまな気づきがあり、それは無意識のヴィパッサナー瞑想になっていて、「認知の書き換え」が起こったのだと思います。 年上の友だちは「また、同じ夢を見ていた」と言います。それぞれが自分の子ども時代の夢を見ていたのですが、夢の中の子どもはなっちゃんにそっくりです。なっちゃんはやがて、南さんみたいな高校生になり、人間関係に悩む若い女性になり、数々の試練をのりこえて「おばあちゃん」みたいな晩年に至るかもしれません。でも、人生は書き替えられるのです。 この小説の作者は原始仏教を知っていたのでしょうか。それはわかりませんが、なっちゃんはこう言います、「人生とはダイエットみたいなものね」と。「むちむちじゃ、ちゃんと楽しめないのよ、ファッションもジョークも」。確かに、ムチムチ(肥満)で無知無知では楽しめませんね。(桐葉) |
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