2017年9月号 | Monthly sati! September 2017 |
今月の内容 |
巻頭ダンマトーク ~広い視野からダンマを学ぶ~ 今月のテーマ:受け入れから「赦しの瞑想」へ (2) |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 今月のテーマ:修行上の質問 実践編(3) ―姿勢― |
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ダンマ写真 |
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Web会だより 『怒りと恐怖と調和と: ヴィパッサナー瞑想の「見えざる手」と繋がって ―1―』 |
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ダンマの言葉 | |
今日の一言:選 | |
読んでみました 『楽しい縮小社会』森まゆみ、松久寛著 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
巻頭ダンマトーク ~広い視野からダンマを学ぶ~
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今月のテーマ:受け入れから赦しの瞑想へ (2) |
③ ジェーン・フォンダの場合 -2- 自伝 彼女が60歳を過ぎて書いた自伝を読むと、おそらく彼女は「赦しの瞑想」をやり遂げることができたのではないかという感じがします。マリリン・モンローとは異なり、彼女は自分の過去を受け入れるという非常に難しい仕事ができた人だと思われます。 ジェーン・フォンダは5年ほどかけて自伝を著しましたが、その本に自分のすべてを書こうとしました。光よりも闇を暴き出すように、我が身に起きたすべてを包み隠さずありのままに書くと決めて、相当悩みながらもそれを実行したのです。 その頃彼女は、テッド・ターナーというCNNの創始者である大富豪と3回目の結婚をしていたのですが、自伝の執筆が契機となり最終的には離婚に至ります。真実のジェーンを受け止めきれなかったのです。 彼女が最初に結婚したフランスのヌーベルヴァーグの映画監督ロジェ・ヴァディムは、彼女と同じベッドに娼婦を連れ込んだりするような男でした。当然のことながら彼女は嫌がったのですが、ノーと言えませんでした。「捨てられたくない」とか「男に捨てられたらお終いだ」と感じていたからです。自信の無さがそう思わせていたと彼女は自伝に赤裸々に書いており、インタビューで訊ねられた時にもできれば書きたくなかったと述懐しています。 ではなぜ書いたのでしょうか。それは、過去の嫌なことを書かなかったら、今の自分を語ることも受け容れることもできないからです。ネガティブなことを誰にも言えない、書けない、表現できないということは、黒いドロドロしたものをどこにも吐き出すことができず、心の奥底に抱え続け、否定し続け、葛藤し続けるということを意味します。 本当に嫌なことは、誰かに語ることによって心の奥底から外に吐き出され、話すことによって対象化され、客観的に語ろうとして自ずから整理され、また相手に理解してもらい、共感してもらうことによって癒され、手放され、完全に終りにすることができるものです。 トラウマに終止符を打つとは、そういうことです。トラウマから目を背けるのではなく、直視することによって正しく理解し、納得して受け容れることができるので完全に乗り超えていけるのです。 それゆえ彼女は、固い決意をした上で、多大なエネルギーを費やして自分のすべてをさらけ出し、自伝を書くという作業に立ち向かったのでした。普通ならそんなことまで書くことはしないでしょう。誰だってネガティブな過去は人には見せたくないし秘めておきたいものです。しかし口に出すことも書くこともできないまま、ドロドロしたものを独りで抱え続け抑圧していれば、いつでも誰かに恫喝されているような怯えを感じながら自分の怒りに押し潰されていくでしょう。 比較的軽症のトラウマなら、忘れたフリをし続けることもできないことはないかもしれません。しかし、反吐が出るほど嫌な経験や深刻なトラウマを秘めたままにしていては、完全に忘却することも終りにすることもできないのです。心の奥底で葛藤に悶々とし、抑圧することにヘトヘトになり、苦しい人生から解放されないでしょう。問題の真相に向き合うことから逃げ続けている限り、完全に解放され満ち足りた人生にはならないのです。 問題に終止符を打ち、完全に終りにするためには、本当は何が起きていたのかを正しく理解し、事実を事実としてすべて認め、承認する仕事に立ち向かわなければならないでしょう。直観的にそれが分かっていたジェーン・フォンダは、勇気を出して自伝を書く決意をし、ありのままに真実を語り、書き表わしていく作業に取り組んだのです。グチャグチャなまま嫌悪し目を背けていた事実を事実として冷静に、客観的に認め、その意味を新たな視点からとらえ直し、受け止め直していけば、心に落とし込むことができ、事の全容を納得了解して解放されていくからです。 5年の歳月をかけてジェーンはこの難事業を最後までやり遂げ、自伝を完成させることができました。そして「私はダメな人間だ 完璧にならないと愛されない・・」と思い込んできた彼女が、62歳でこ自伝を出すことによって初めてありのままの自分を受け容れることができたのです。「一番大きかったのは、許す気持ちになれたことよ。自分自身をね」 また、彼女は優秀な人でしたから、自分の経験に普遍性があることもわかっていたようです。つまり、自分はジェーン・フォンダという大成功をおさめた者ではあるけれど、そういう成功者であっても過去には食べ吐きをやっていたという事実、コンプレックスを抱え、自分の無価値感と戦いながらこれほどまでに苦しんでいたという事実の普遍性です。 たとえ大女優と思われていても、自分に対して自信がない人生の実情はこんなものでしたよということを明らかにする、その影響力というのも考えていたのです。どれだけ多くの人が劣等感や自信のなさで苦しんでいるか知る由もありませんが、正直に自伝を書くことは、代償を求める人生はダメだというメッセージを力強く伝えることにもなるわけです。 そして彼女は、自分の真実をすべて語ることによって、仮面の人生に終止符を打ったとも言えるでしょう。私はジェーン・フォンダを演じていただけで、私の本当の人生を生きていなかった。だから幸せではなかった、と言っているのです。なぜなら、いくら成功をおさめても、心には常に空虚感があって食べ吐きを止められず、自己否定感覚に苛まれていたわけですから。 彼女は2005年の「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で次のように語りました。 「すべてを話すための勇気を出すのに2年かかった。そして話した。結果、独りになった。最愛の夫は受け止めきれなかった。大切な結婚生活が終わってしまったが、本当の自分であることの方が大切だし、自分にも子供たちや友人にも正直に生きたなら、人生をひとりで終えたとしても後悔しないとわかっていた。つらかったが、正しいことだとわかっていた・・」 ④ ジェーン・フォンダの場合 -3- 父親との映画出演 彼女が本当に自分の過去を受け入れることができた、赦しの瞑想が成功したと思える証しのエピソードを一つ紹介します。 彼女の父親ヘンリー・フォンダは名優だったのですが、その頃彼はアカデミー賞をまだ一度も受賞していませんでした。ジェーン自身は主演女優賞を2回も取っているので、そういう意味では父親を乗り越えてしまったのですが、彼女は父親にもアカデミー賞を取らせたかったし、また父親もそれを望んでいることを知っていました。 そこで彼女は『黄昏』という映画の版権を自分で買い取って、自分でキャスティングして父親を主演にした上で、キャサリン・ヘップバーンと自分も出演して、この映画によって父親にアカデミー賞を取らせたのです。 アカデミー賞の受賞の時は、ヘンリーはもう死にかかっていて式には出られなかったのですが、ジェーンが代理で賞を受け取ってその足で病院に駆けつけ「愛しているわ、パパ。苦しめてごめんなさい。精一杯やってくれたわ。感謝してる」と声をかけたのです。そして、父親に尽くしてくれた奥さんは永遠に自分の家族だと約束し、父親は泣き崩れたということでした。 それは作られた美談かもしれないという疑いも残ると言えば残るのですが、彼女はインタビューで「天国があるとして、もし自分が天国に行けたとしたら、神様に何と言って迎えられたいか」という質問をされた時に「『両親がお待ちだ』と神様に言ってもらいたい」と答えていました。これには感動しました。 このエピソードからは、彼女は完全に父親も母親も受け入れることができ、確執は本当に終わったのだな、という印象を受けます。つまり、彼女は相当に難しかったけれども、自分の過去を完全に受け入れる仕事ができたのではないかと感じられるのです。実際に父親と和解することができ、アカデミー賞を取らせて、心から感謝を述べ、父親は泣いて、天国で待っている両親に「両親がお待ちだ」と神様に言ってもらいたいということが語られるということは、タテマエの綺麗事ではなく本当に乗り超える仕事ができていたのではないかという印象を受けました。 4.認知の歪み ジェーン・フォンダの人生は素晴らしいと思うのですが、彼女はなぜこの赦しという困難を極める仕事ができたのでしょうか。それは、彼女がこれまでの一つ一つの経験をありのままに自伝に記すことによって、ヴィパッサナー瞑想の本質である事実そのものを客観的に観るという作業が実行されたからだと思います。その結果、人生の流れが変わるほど大きな認知の変化が起きました。エゴの立場から一方的に眺めていた視座が変わって、自分自身を赦し受け容れることができたとき、父親との長年の確執が終わり、全てを受け容れることができたわけです。 では、どうすればこうした認知の変化がわれわれの身にも起きるのか、ということが問題になります。 人は、ネガティブな経験が激烈であればあるほど、認知全体がそれに圧倒されてしまう傾向があります。仮に100のうち98は問題なく愛されていて、嫌なことは2ほどだったとしても、その「2」がどうしようもなく嫌なことであったら、絶対に赦せないと思い込んでしまいます。たった一つのネガティブ経験のせいで、大切に養育され愛されてきたはずの98がブッ飛んでしまい、頭の中ではそれだけがリフレインのように繰り返され、恨みや怒りを持ち続けるといったことが起きてしまうのです。 普通の考え方をしている限り、私たちは「良いことは空気のように当たり前、嫌なことは一生恨んでやる」といった自己中心的な傾向になりがちなのです。 そのくらい認知の歪みというのはありきたりに起きていますから、自分の考えに執着して頑として譲らないとなると、ネガティブな過去を怒りと恨みで捉える認知も一向に変わりませんから、赦しや受け入れなどという話にはまったくなりません。 しかし、もし事実を客観的に視ることができたなら、双方の言い分を精査し、過去の事実をあったがままに正しく眺め、今の一瞬一瞬を正確にありのままに客観視して、自分にばかり好都合な自己中心的な事実認識を改めていくことができたなら、ネガティブな経験は100分の2に過ぎなかったことが分かってくるでしょう。そうすれば、一方的に偏った認知にとらわれて受け入れようとしなかったものが赦せるようになり、怨みや怒りといったものが手放せる可能性があります。 この怨みや怒りを手放して「赦し」に至るプロセスが心の清浄道の真骨頂です。嫌だったものが嫌でなくなっていくプロセス、絶対に赦せないと怒っていたものが赦せるようになり、拒絶していたもが受け容れられるようになっていくときの心の変容・・。それが認識革命であり、ものごとの見方、事の意味を理解し解釈する仕方、納得の仕方、受け止め方、どのように反応するかその反応の仕方・・等々に決定的な変化が生じるのです。起きてしまった事実がまったく異なった様相で意識に映じてくるとき、人生の苦しみも乗り超えられていくのです。ヴィパッサナー瞑想の真髄とも言うべきものです。 とはいえ理念に賛同はできても、いざ自分の人生の現場でこれを実践するとなると途端に難しくなり、言うは易く行なうは難しの現実に愕然とするのが通例です。よほどのドゥッカ(苦)に叩きのめされた人たちが、もはや他に選択の余地もなくこの困難な仕事をやり遂げていく傾向が見られます。まさに身につまされるように、四聖諦の真理が浮かび上がってくるかのようです。 「苦の現状の真理(苦諦)」→「苦の原因の真理(集諦)」→「苦が超越された真理(滅諦)」→「苦を超越する具体的な8つの方法論の真理(道諦・八正道)」の公式です。この苦を乗り超えていく八正道の一つが、正しいものの見方であり「正見」と呼ばれます。因果法則と四聖諦の構造を心得て、事実を正確にありのままに観じていくサティの修行によって得られる「如実智見」が体得された状態です。 ジェーン・フォンダは自らの血を流して自伝を書き切ることによって、事実をありのままに観る「如実智見」の一端に触れていたのかもしれません。(続く) |
今月のテーマ:修行上の質問 実践編(3) -姿勢- |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
Aさん:瞑想で歩いたり坐ったりしていると、そのうち背中が丸くなって姿勢が悪くなってくるのが感じられるのですが、そうならないようにするにはどうしたらいいでしょうか。 |
タイの寺院にて
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沙弥の少年たち
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N.N.さん提供 |
『怒りと恐怖と調和と: ヴィパッサナー瞑想の「見えざる手」と繋がって -1- 』 (Abe-chan) |
1 感謝 |
☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。 |
読者の方より |
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身体(ルーパ)というのは何から作られているかと言うと、アビダルマでは四つの要素を取り上げています。一つ目はカルマ(業)、二つ目は心、三つ目は時節、そして四番目は食物です。(ダンマトーク「ある出家者の修行から」より)
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『楽しい縮小社会』森まゆみ、松久寛著(筑摩選書 2017年) |
<個から社会まで「少欲知足」という発想への転換>を促すのが本書の主旨だと思う。今の日本で、なんとなくそういうものかと思っている(思わされている)発想のパターンは果たして望ましいものなのかもう一度考え、身近なところから踏み出してはどうかという数々の提言がなされている。
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