2017年8月号 | Monthly sati! August 2017 |
今月の内容 |
巻頭ダンマトーク ~広い視野からダンマを学ぶ~ 今月のテーマ:受け入れから「赦しの瞑想」へ(1) |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 今月のテーマ:内観へ行く時の心得(2) |
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ダンマ写真 |
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Web会だより 『やっと出会えたヴィパッサナー瞑想』 | |
ダンマの言葉 | |
今日の一言:選 | |
読んでみました 『ルポ 希望の人びと』生井久美子著 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
巻頭ダンマトーク ~広い視野からダンマを学ぶ~
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今月のテーマ:受け入れから「赦しの瞑想」へ(1) |
1.はじめに
今日は「赦し」のための瞑想についてお話しようと思います。 ヴィパッサナー瞑想のキーワードは、あるがままに観ていくことです。快情報も不快情報も、快感も苦痛も、どちらにも等しい距離感を保って、淡々とサティを入れていくことです。苦楽に反応しないで静観し続けるということは、どのような現象もありのままに受け入れていくのと同じでもあります。これが、サティの瞑想の基本です。 しかし、一瞬一瞬心に届いてくる情報というものは、どちらかというとネガティブで不快な情報が多いのです。瞑想中であれば、うるさい音が聞こえる。足が痛くなる。お腹が空いてくる。血糖値が下がればとろーんと眠気に襲われる。さらに心を過る雑念や妄想も圧倒的にネガティブなことが多く、嫌なことを思い出せば心は暗くなります。 このように、私たちの日常生活では、ネガティブで不快な情報が多く、「一切皆苦」と言いたくなるのも無理からぬことです。苦を嫌うのは当たり前だし、受け入れたくはありません。苦はイヤだし、排除したいし、否定したいのです。人間にとってこの否定する心というのは、ほとんど基本搭載ではないかと思われます。 実際に、「嫌悪」の数を朝から晩まで数え続けた人がいます。どんなわずかでも嫌悪の気持ちが立ち上がったらカチッ、カチッとカウントしていきました。すると、朝の目覚めから「起きたくない」と嫌悪が出る。寒ければ嫌悪、暑くても嫌悪、腹が減れば嫌悪、食べ過ぎたと後悔し嫌悪、一日中嫌なことだらけで、道を歩いても電車に乗っても膨大な数の嫌悪がラッシュで出てきたそうです。 もちろん、時には嬉しいとか、楽しいとか、気持が良い、など幸せを感じる快感系の情報もあります。そんな情報にはつい執着してしまいますが、実際にカウントするまでもなく、私たちの周りには不快に感じる情報の方が圧倒的に多いのです。 私たちの瞑想の現場ではどうでしょう。不快な情報が入ってくれば「音」とラベリングしながらも「うるさいな」という気持ちが入っているし、「眠気」とラベリングしながら実は眠気にイライラしているという具合に、とてもニュートラルな心で苦楽を等価に観じきっていくどころではありません。一応サティは入っていても、反射的なエゴの反応が立ち上がり、執着も出れば嫌悪も出ていて、純粋にセオリー通りのヴィパッサナー瞑想にはなっていないことが多いのです。 このような面からも、ネガティブな現象を受け入れるというのは大きな課題であり、今回のテーマである「赦し」がたいへん重要になってくるのです。 2.「赦し」について 「ゆるし」にはいろいろな字があります。まず許可するという意味の「許し」があります。「恕」という言葉もあります。寛恕というように、心が寛く(広く)過ちを咎め立てないでおおらかに「ゆるす」という意味で使われています。カルナー(悲)の本質である憐れみの優しさが入っているようにも思われます。情け深くて思いやりがあり、どんな子でも受け入れてしまう母性の優しさのように、相手を憐れんで「ゆるす」というニュアンスの時にこの恕を使うようです。 一方、恩赦とか赦免という言葉で使われる「赦」の方は、罪科などマイナスの度合いが強いものを「ゆるす」という意味合いが濃いように思われます。これは、ヴィパッサナー瞑想の根本にも関わることで、非常にネガティブで嫌なことをいかに「赦せるか」、つまり受け入れられるかというのは、怒りの煩悩を根本的に乗り超える課題にも直結しています。 対象を嫌い、否定し、赦せない、受け容れられないというのは、怒りが強烈に働いているということです。つまり、他人を赦し、自分を赦し、あらゆるネガティブなものを受け入れる「赦し」の瞑想は、怒りの煩悩を根絶やしにする修行でもあり、仏教の究極とも言うべき煩悩をいかに滅尽させるかのテーマに通じているのです。 3.ネガティブなことに対する反応について ところで、ネガティブなことに対して人はどのように反応するかというと、大きくは逃避、代償、赦しという三つがあると思います。まず逃避と代償について観てみましょう。 (1)逃避 一つ目の逃避。嫌なことがあった時に、それを直視して受け入れるという厳しい選択をするよりも、そこから逃げてしまえば傷つかないし、心は平安で落ち着いていられる、それは結構なことだということで人は逃避します。 この逃避反応が典型的に現れるのは抑圧している場合です。ネガティブな現実に対する嫌悪感は自分の心の中のことですから逃げ出すことはできません。ですから抑圧して無いふりをします。そうすると、一応、表面上では心の傷などは顕わには観えていない状態になりますが、これも逃避の一形態に過ぎません。 逃げ続ける人生というのはある程度は可能でしょうが、どこまでも逃げ切ることはできず、やはり最終的には不可能です。真実の状態に目を背けながら逃げていれば、当然苦の度合いは増していきます。そして、ついに逃げ切れなくなり、負債も利子もまとめて強制徴収されるかのように、どうしようもない苦境に陥っていくのです。無責任に逃げ続けてきたツケはどこまでも追いかけてきますから、返すべき負債はきちんと返し、やるべきことは必ずやらなくてはならなくなるの業の世界です。自分では気づかずに、あるいは気づきながらも抑圧することで逃避する人が少なくないのですが、長い目で見ればまことに愚かな選択をしてしまっていると言えるでしょう。 (2)代償 二つ目は代償です。受け入れがたい嫌なことがあり、解決もつかないし逃避もできないとなると、それに取って代わる価値あるものを手に入れて「良し」とする発想です。 例えば、運動神経が劣っているというコンプレックスがあるとしましょう。そこで勉学の方で頑張って見返すことができたとしても、スポーツが不得意という劣等感そのものが完全に乗り超えられたわけではありません。もちろん勉強を頑張ること自体はたいへん結構なことですが、それでスポーツで負けた悔しさや屈辱感が根本的に無くなったかというと、そういうわけにはいかないのです。それはスポーツ以外の何か優勝劣敗のある世界で勝利を得たという話であって、運動コンプレックスが根底から解放されたわけでもなく、やはり最終的な解決とはなり得ません。 この代償を求める行為は非常に多くの人が行なっている茶飯事で、いくらでも例を挙げることができるでしょう。本当にイヤだと思っているコンプレックスやネガティブな現実は結局受け入れることができず、過ぎ去ったことでも終りにできません。肝心のことに終止符が打てないまま、その代わりの代償をいくら得ても、それで本心が納得するはずもなく、自分は幸せなのだと思い込ませることはできないでしょう。程度の差はあれ、誰でもこうした代償の経験があるのではないでしょうか。 心の底から完全に解放された状態にならない限り、心が翳り、本当の幸福を味わうことができません。代償によって勝利感や達成感や優越感に浸っても、虚しさが残り、心の中の傷は癒えないままだからです。やはり代償は正解にはなり得ません。 ① マリリン・モンローの場合 かつてダンマトークでマリリン・モンローの例を取り上げたことがあります。彼女は皆さんもご存じのように歴史に残る大女優で、ケネディ大統領やその弟の司法長官からも愛されました。2度目の結婚相手はジョー・ディマジオというベーブ・ルースに並ぶ野球の殿堂入りをした大リーガーで、50試合以上連続ヒットなどの記録を打ち立てた名打者です。 また彼女は、アーサー・ミラーという有名な劇作家とも結婚し、多くの浮き名を流した銀幕の歴史に残る女優として大成功を収めました。けれども私は、結局彼女は幸福な人生ではなかったのではないかと思っています。 それは、彼女の生い立ちに起因していると言えるかもしれません。お父さんが誰だかわからないような父無し子的な要素もあり、また母親が精神病院に入ってしまって彼女の養育がうまく出来なかったせいもあるでしょう。そのために、あちこちに養子に出され、しかもそこで虐待があったり性的な暴力があったり、あるいは養子に対する政府からの補助金目当てに次々とたらい回しにされたようです。これでは幸せな少女時代とは言えません。しかも15歳でレイプされ最初の子供を産んだという説さえあります。16歳で結婚して4年ほどで別れ、その後は苦労しながらやっと大スターにはなりました。 大スターになってからも、彼女は狂ったように役柄に没入したようです。自分ではない者になろうとする情熱ゆえに一途に努力し、結果的に女優としては成功したのかもしれません。 印象的なエピソードですが、彼女が自分の母親と非常に境遇が似ている役をやった時のこと、1シーン撮るたびに吐いていたそうです。演じるたびに思い出して吐き気を催して吐くという、それほど嫌だったということでしょう。それくらい母親のことを受け入れていなかったのです。これによって、彼女が母親に対してどのような認知を持っていたかは想像がつくというものです。 最期は自殺と言われていますが、そうではなく殺された、口封じをされたとも言われました。表面の華やかさとは裏腹に、本当の幸福からは見放された、一種哀れな人生だったようにも思えます。 いくら有名になっても、どれだけ喝采を浴びても、本当の自分と折り合うことができなければ、自信も自己肯定感も得られません。あるがままの自分を肯定し受け容れることができなければ、人と心から愛し合うこともできないでしょう。結婚離婚を何度繰り返しても真の安息は得られず、華やかに言い寄られいくらチヤホヤされても、心は渇いたまま孤独なのではないでしょうか。名声を得ても巨万の富を手中におさめても、それが何かの代償である限り、心底から満足することも、与えられた全てに感謝することも、真の幸福感を味わうこともできないのではないでしょうか。 ② ジェーン・フォンダの場合 -1- 摂食障害 もう一人似たような境遇ですが、マリリン・モンローとは対称的なハリウッド女優、ジェーン・フォンダの場合を見てみましょう。彼女のお父さんはヘンリー・フォンダという名優で、弟はピーター・フォンダという俳優です。 映画界のサラブレッドのような家族で、弟のピーターは『イージーライダー』という一世を風靡したアメリカの若者に熱狂的に支持された映画に出演、ジェーン自身もアカデミー主演女優賞を2回取っています。他にもゴールデン・グローブ賞などたくさんの賞を取っていて、押しも押されもせぬ超一流の女優として大成功をおさめています。 そのほか、世界でベストセラーになるほど膨大な本数のエクササイズのビデオテープを製作する一方、ベトナム反戦運動などの政治的、社会的な活動もしています。離婚したものの3回結婚し、子供も産み、誰が見ても圧倒的に輝かしい個人史を持つ女性です。 ところが、そんな大スターの彼女は、40歳を過ぎても食べては吐く、食べては吐くの繰り返しをしていたそうです。なぜそのようなことをするのか、彼女自身がこのように言っています。 「私の摂食障害は完璧という不可能を求めていたことの裏返しで、食べ物を体に『入れる』ことで、自分の中の空虚を埋めようとしていたのだ」(『ジェーン・フォンダ わが半生』下 ソニー・マガジンズ、2006) とにかく自信がない。これだけの業績をあげてあらゆる分野で大成功をおさめていても、自信がないのです。虚しいので食べ、いくら体に食物を詰め込んでも虚しさは埋まらず、その心の空虚感を埋めようとしてさらにまた食べては吐く、食べては吐くという繰り返しになる。そんな食べ吐きを12歳で覚えて、40歳を過ぎてもやっていたというわけです。 彼女の摂食障害の原因の一つは父親との関係にあります。父親であるヘンリーは結婚を5回もしていて、ジェーンに対してまったくと言っていいほど無関心だったそうです。それでよくある話ですが、お父さんに認めてもらいたい、完璧にならなければ愛されないと思い込んだ。それが、彼女が完璧主義になった原因です。彼女の生きづらさには父親に愛されたいという欲求が大きな要因としてあるように思われます。 二つ目の原因は、母親との関係です。彼女の母親は躁鬱病などの精神病で入退院を繰り返していたような人で、ジェーンが12歳の時に入院していた病院から一時帰宅で家に帰ってきます。その時ジェーンは弟のピーターと2階でお手玉のような遊びをしていたのですが、なぜか母親に会いに行きませんでした。その間に、一人になったお母さんはカミソリで自殺してしまったのです。母親が自殺して亡くなっていくその2階で彼女は遊んでいた・・という衝撃的な事実もトラウマになっていたそうです。 母親の自殺の原因は父親の浮気だったそうです。そのため父親との関係もまたこじれてしまいました。母親に対する罪悪感と父親に対する不信感があいまって、「自分はダメな人間だ」「完璧にならなければ愛されない」という思い込みを抱くに至ったのです。 結局、62歳までこの問題は乗り超えられませんでした。逆に言えば、62歳で乗り超えられたことになります。この例からも、どれだけ成功しても、自分自身を赦し受け容れることができなければ幸せではないことがわかります。ジェーンの成功も代償に過ぎなかったのです。 ジェーン・フォンダとマリリン・モンローが似ているのは、生い立ちが与えた影響です。幼少期の幸せとは言えない家庭環境や、そこで受けたネガティブな体験を完全に受け入れて乗り超えることができないまま、存在の確証と真の自信の替わりに賞賛と喝采を求め、銀幕の大スターになっていきました。 私たち一般人には、アカデミー主演女優賞を2回も取り、経済的にも大きな成功をおさめ、子供も生み、社会活動にも参画し、富も名声も美貌もゲットしている輝かしい完璧な人生にしか見えないのに、そのいずれもが、もっと大事なものの代償でしかなければ、心は渇いたまま満たされず、自分の無価値感と戦いながら食べ吐きをやめられなかったのだ・・と嘆息が洩れます。代償は虚しいものだという事例としてこの二人の女優を挙げました。(続く) |
今月のテーマ:内観への心得(2) |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
Aさん: いま子育て中ですが、先生に「内観に行ったほうが良い」と言われて行って参りました。自分の中でものすごい変化があって、本当に行って良かったです。 祖父はもう他界していますが、私の中ではずっとわだかまりがあったので、それが変わりました。また母に対しても、私がこんななのは母の育て方が悪かったからとか思っているところがありました。内観へ行くまでは、こちらもこの歳だし「まぁいいかなぁ」と思っていたのですが、やはり心の奥底にはくすぶるものがあったようでした。お蔭さまで根本のところから変わったような感じがしました。 母に対してあまり良くない態度を取ってきたことを謝ることができましたし、そういう気持ちになれたのが本当に良かったです。 アドバイス: それは何よりでしたね。人生のさまざまな悩みや苦しみの源をたどっていくと、遠因はとどのつまり親子関係に帰着すると言ってよいでしょう。その人の感受性のパターンや、人との接し方など、あらゆるものがどのように形成されていったかを究めていくと、幼少期から最も接触の多かった両親や「重要な他者」と呼ばれる人たちとの関係性に求められるものです。 問題は、幼い頃から今に至るまで、人生経験がどのように認識され、その人の認知ワールドを形成していったかです。同じ一つの事実が、100人いれば100通りの認識となり、どのようにでも変化し変貌してしまうものだからです。 もう一つ、立派に成人した大人でも、エゴが編集した誤解や錯覚だらけの認識世界を作り出してしまうのですから、いわんや子供であれば幼稚な思い込みやエゴ的な見方で経験を歪めてまとめてしまうことがいくらでもあり得ることです。大人も子供も、賢者のような正確なものの見方はできません。その結果、自分の勝手な認知ワールドの中で傷ついたり、恨んだり、一人相撲で苦しんだりするのが避けられなくなります。 こうした間違いだらけの認識が大きく変わることを私は「認識革命」と呼ぶのですが、これが起きると同じ事実が全く違った輝きを放って見えてくるでしょう。 しかし棚からぼた餅が落ちてくるように認識革命が起きることはありません。何もせず、デタラメな固定観念で親との関係をとらえてしまうと、自分が親になった時にその影響が表面化し、多くの方が子育てで悩むことになります。祖父母と両親の間で、両親と自分の間で、そして自分と自分の子供たちとの間で、同じような誤った認知から同型の問題が発生してしまいます。これを世代間連鎖と称しますが、もし自分の親子関係を整えることができれば、それは間違いなく自分の子育てに反映するでしょう。これがセオリーです。 ですからAさんの場合も、内観がうまくいって「認識革命」が起きれば、今までとは違った角度から親子関係を見直すことができるので、ネガティブな印象で固まっていた両親との関係性が一変する道理です。プラスに変わったことによって、子育ても本当に変わってくるでしょう。 ずーっと頭痛が続いていた男の方がいます。父親との確執がその原因になっているのは本人も薄々分かっていて、私もそのようにインストラクションしていました。その方の場合は内観ではなく、真剣に父親と向き合って話をしようと決意し、それを実行したその日から頭痛が完璧に消えましたというレポートがありました。 父親に対して大きな怒りの抑圧を抱えていて、それが頭痛という形で表れていたのです。そこで、いろいろと話し合いをし、お互いの誤解を解いて認識を改めていくことで抑圧されていた怒りは解放されるのです。解放されたことで頭痛という形で警告を出す必要もなくなるという、こういう話はたくさんあるわけです。 私たちの場合、あらゆる対人関係の基本になっているのは、自分がどのような親子関係、家族関係のなかでどのように自我形成をしてきたかということです。ですから、現在の対人関係を整えようと思ったら、その元になっている自身の親子関係や家族関係の歴史をもう一度正しく調べ直し、整え直して認識を改めることをしなければならないのです。私たちは無かったことをあったかのように、あったことを無かったかのように頭の中で都合よく編集をかけ、そういった誤った捉え方を背景にして恨んだり怒ったりしているわけですから。それを是正することによって子供との関係や親子関係が変わっていくだろうと期待されるのです。 Aさん: あと、小さい頃から空虚な、生きていてもしょうがないというような思いがずっとしていたのですが、今回の内観で、虚しさの解放みたいなのが自分の中で起きたように感じます。 アドバイス: 虚しいとか生きていてもしょうがないというのは、ある意味では寂しさの別表現とも言えます。 内観では父親、母親、祖父母らにどれだけ愛されてきたか、お世話になってきたかという事実の確認をしていきますね。そうすると、私は姉より愛されなかったとか、弟は私よりもっと愛されていたとか、長年そんなふうに思っていたとしても、実は自分もちゃんと愛されていたという事実はいくらでも出てくるはずなのです。 そうすると、自分が本当にどれだけ愛されてきたか、大事にされてきたかという事実に圧倒されてしまうでしょう。すると、虚しいから消えてしまいたい、死にたいという発想は浮かばなくなる可能性が高いのです。幼少期の親の愛情表現が拙劣だと、子供は自分の存在全体を丸ごと愛され受け容れられているという確証に疑いを持ったりしがちです。すると自己肯定感やただ生きているだけで「○」なんだ、という基本的自尊感情に翳りが出たりします。これが長じてから、生きていくことの虚しさや、自分という存在の無価値感につながることがよくあるのです。 そうしたいわば子供の目の偏見が、内観という正確な事実確認によって正され、払拭されていくのです。つまり正しい客観的認知によって、自分はどれだけ親の愛情を受け、愛情の海の中でここまで育てられてきたのか思い知ることになります。まるで眼を叩かれたような衝撃を受け、号泣する人も少なくありません。 もし何らかそのようなことがあなたにも起きていたなら、内観を終えた今、虚しさは解放され、私は生きていてよいのだ。私の命は生きていくに値するものだ・・という健全な基本的自尊感情を回復した状態になっていて不思議ではありません。とても良い内観の修行ができたようですね。 Aさん: 最後の日は屏風の中で、シャワーのようにエネルギーが満たされているようで、それからずっと温かさを感じていました。ただ暑いだけ、体温が上がっているだけかと思ったらそうではなく、寒いところに行ってもずっと温かく、それは何なのかと思っています。 アドバイス: 私も内観はわりとうまくいきました。そしたらものすごく身体が軽かった。本当に空を飛べるのではないかと本気で錯覚するくらいに軽い、そして何を見ても綺麗に見える、輝いて見えるのです。それは要するに、無意識のところでネガティブな感情とかドロドロが渦巻いていたのが、綺麗に晴れてしまえば、もう世界はすばらしい、美しいというふうに感じてしまうのは当然ということです。一番ヒットしてうまくいった状態をポップコーンになるとか言うらしいのですけれど、ま、そういう感じではなかったでしょうか。 目の曇りが一掃されて、全身の細胞が喜んでいる・・。それは心から来ていることだと思われます。その身体感覚のレポートを伺うと、内観そのものが本当にうまくいっていた明確な証拠のような感じがします。なかなか初めての内観ではそこまで行かないのですが、本当にうまく行ったのだなと思います。良かったですね。 Aさん: ほんとうに良かったです。もう一生に一度かなと思っていましたから。でもまた行けるのだったら行きたいなとは思っています。 アドバイス: そうですね。今後のことですが、集中内観の強烈な感動は時とともに必ず色褪せていきます。いつの間にかゼンマイのネジが巻き戻されてしまう人も少なくないのです。1週間内観に集中したということは、実は、内観の提示している発想の型を我が身に体得させるための期間だったと考えましょう。 内観の最重要ポイントは、2つに絞ってよいでしょう。両親や重要な他者に限定されることなく、友人も部下も上司も誰に対しても、真っ先に、その人からこれまでお世話になったことは何だろう、と列挙してみることです。これがポイントの1です。 次に、自分はどんなお返しをしたのだろうと考えても良いのですが、これは省略しても構いません。大事な2番目のポイントは、その人に対して自分はこれまでどんな迷惑をかけてきたのか、と詳しく思い起こし調べることです。 この発想のパターンがいつでも瞬間起動するように、心にしっかりセットすること。そのために1週間の特訓をしてきたのだと考えてください。ご近所さんも会社の同僚もサークルの先輩やクライアントの方も、自分が日々出会う全ての方々に対して、この2つの発想が立ち上がれば素晴らしい人格の革命が起きてしまうでしょう。 自分がかけられた迷惑を調べないでかけた迷惑だけを調べるという、内観特有の発想は非エゴ的な視座を組み込む強力な手法です。エゴはこれとは真逆の発想で、自分はどれだけ迷惑をかけられたか、自分がどれだけやってあげたかしか考えないのです。だから、自己中心的な者同士が激突して苦しい人生を展開させている世の中では、正反対の視座をリセットしなければ問題がこじれ続け、最後は戦争にまで発展いかねないのです。エゴの正反対の視点をいかに導入していくかは、人類全体の存続に必要不可欠と言っても過言ではないでしょう。 内観は、伝統的な上座仏教の修行メニューではありません。しかし私がヴィパッサナー瞑想の一環として取り入れているのは、ネガティブな過去から解放されるための「懺悔の瞑想」として、明確な具体的手法が確立しているからです。 さらに、エゴを乗り超え、無我の修行を完成させていく仏教の真髄に直結する行法にもなり得ているからです。私のささやかな修行経験からの個人的印象ですが、タイ、ミャンマー、スリランカのどこのお寺に行っても、完成したシステムとして懺悔の瞑想を紹介していただいたことがあまりないのです。いろいろな寺へ行きましたが、具体的な方法論として弱いと感じたのです。これでは、センスの良い才能ある瞑想者はよいが、そうでないわれわれはどうすればよいのか。私はお坊さんではありませんし、わずかな経験しかないのですから、何を生意気な・・と言われたらグウの音も出ません。ただ及ばずながら、瞑想修行に命を懸けてきましたので、私なりに弱点を補完しながら必要な修行をしてきたつもりです。 内観が懺悔の瞑想の一環としてテーラワーダ仏教に公認されている訳ではまったくありませんが、清浄道の瞑想理論から、内観の技法は懺悔の瞑想を強力に推し進めるものと確信しています。理論的にも整合性があるし、何よりもこれまで多くの瞑想者の方々が検証し、大きな成果を挙げ、人生の苦しみから解放されてきました。自己中心性が改められ、無我の完成に向かってささやかな一歩を踏み出すことができたのです。長年苦しんできた過去から解放された感動を報告してくださった方も大勢いらっしゃいます。 ブッダも「いかなる教え、どのような戒律であっても、八正道さえあれば悟る人が現れる。預流果の聖者、一来果の聖者・・云々」と仰っています。であれば、ガチガチの超厳密な伝統に縛られ過ぎることはないのではないか。仏教の真髄を外さなければ、修行現場の具体的テクニックは本質的な問題ではないのではないか・・と、在家の一瞑想インストラクターは愚考するわけです。 ともあれ、内観は人生の苦しみをなくしていく極めて効果的な行法なのでトライしてみてください。 Bさん: 内観というのを初めて聞きました。それが自分に必要なことなのかどうか迷っています。 アドバイス: そうですね。もし今何か問題が起きていて苦しいことがあるとすれば、その原因は必ず過去にあります。人間関係もそうですし、生活の上でもそうです。 これまでの人生の歩みのなかで100%完璧な人格が形成されてきたとしたら、何の問題も起きようはずはありません。しかしそんな人は一人もいません。親子関係、家庭環境、イジメにあったり、逆に自分が傷つけてしまったり、必ず何らかのトラブルに巻き込まれ心を汚してきたはずです。 そのような心の汚染は、つまるところ情報処理の仕方と反応の仕方の問題です。そうした心のあり方はどのように形成されてきたかというと、どなたの場合にも決定的に重要なのは幼少期の親子関係なのです。もしそこにまったく問題がなかったら、人生が苦しいとかうまくやれないということはあり得ないでしょう。 先ほどの繰り返しになりますが、赤ちゃんが人間になっていく上で、どう生きていけばよいのか、その全てが親や養育者とのやり取りの中で育まれ、その子なりの生きていく流儀が組み込まれていきます。問題の発端はここから発生しているのであって、失恋も失業も不登校も万引きも後の話です。悟っていない凡夫の親や孫破産する溺愛タイプの祖父母が、自己中心的な幼児を育てるのです。問題が起きないはずはなく、それが心の基本パターンとして組み込まれていくのです。階層構造、多層構造になって心が固まっていくうちに、やがて生きることに躓き始めるのは当然でしょう。それゆえに、そのことを自覚し問題の病根を一掃して、苦しみを寄せつけない心の再構築をしていくのです。その具体的なメソッドが内観であり、ヴィパッサナー瞑想なのです。内観は記憶を時系列で調べ直し、誤解を正し、まちがった認識を修正していきますので、これがうまくいくと劇的な自己変革もあり得るのです。これまでに多くの方が苦しい人生を一変させてきました。 この内観のやり方は回想モードで行われますから、概念の世界に一切入らないサティの瞑想とは構造的に異なります。しかし、反応系の心の汚染をきれいにするイチ押しの行法であり、心の清浄道の一翼を担うものとしてお勧めしています。 たとえ今、人生上のこれといった問題を抱えていなくても、心に汚染のない方はいらっしゃらないので、誰でも一度は内観の修行をやるべきではないかと考えています。過去の人生を総点検する心の人間ドックとして、病状が悪化する前に、問題の根を引き抜いておくことは賢明だと思います。本屋さんにも内観のコーナーがありますし、インターネットでも検索すれば様々な情報が得られます。今は静岡の内観研修所を薦めていますが、栃木にもあるし全国にあります。本を読んでやり方をしっかり頭に入れてから研修所に入所されるのが効果的でしょう。 もう一度、簡単にやり方をお話しすると、例えば、会社で嫌な人がいるとします。瞬間的に嫌なことがラッシュで思い浮かんでくるはずです。するとたちまち嫌悪感に巻き込まれていくので、まず、その嫌な人からお世話になったことを想起するのです。これは断固として、その課題に回答する形で3つでも10個でも思い出します。自分が入社したばかりの頃はどうだったか、些細な事だがあれをしてもらったではないか、これもしてもらった。その頃はまだ自分に対して十分好意的だったではないか・・等々。 そして次に、その人に自分はどんなお返しをしたか一応調べます。これは簡単でよいし、省略してもかまいません。 次の3番目が一番重要なのですが、その人に対して、自分がかけた迷惑を具体的に調べていきます。その人からかけられた迷惑が山のようにあり、それが反射的に思い浮かぶので嫌いになっているはずなので、それは断じて調べません。思い出しても考えてもいけないのです。視座をグルリと自分自身に向け、自分がその人にどんな迷惑をかけたかを精査するのです。 この視座の転換が内観のハイライトと言ってもよいでしょう。自己中心的な見方を、まさに逆転させて、自分を観察する。自分の至らなかった点、汚れていた心を自覚し、反省し、浄化していくのが内観であり、ここで内観の修行とヴィパッサナー瞑想が一直線につながってくるのです。 今の瞬間の自分自身に気づくヴィパッサナー瞑想と、過去の自分の所業に気づく内観。どちらも自己客観視をして、心を浄らかにととのえていく行法です。心の汚染を自覚し、改めていくのです。 どうでしょうか。こうして、嫌な人にお世話になったことと、自分がかけた迷惑だけを調べたらどうなりますか。印象が一変していくでしょう。それまでは正反対で、自分がやってあげたことと、かけられた迷惑だけで頭の中がいっぱいになっていて、それでとんでもない奴だと嫌って、憎んで、恨んで・・・と不善心所のオンパレードをしてきたのではないでしょうか。 もし内観の筋道に従って視座の転換と発想の転換ができたなら、完全に相手の印象が変わるでしょう。傲慢の鼻がへし折られ、恨みが感謝に変わり、まさに認識に革命が起きるのです。 さらに新しく知り合った人に対しても、このような見方で接していけたなら、犬猿の仲になどなりようがありません。こうした発想のパターンを身に付けていくことが、清浄道の瞑想者として飛躍的に修行を進ませていくのです。それに比例して、人生の苦しみは激減していくでしょう。ぜひ経験してみてください。 (文責:編集部) |
ミャンマーの寺院
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N.N.さん提供 |
『やっと出会えたヴィパッサナー瞑想』(ピーマン) |
私は、ヴィパッサナー瞑想の指導を、今年の4月から朝日カルチャーセンターで受け始めたばかりです。まだ全くの初心者なので瞑想について十分に知識も持っていませんし、実践においても本当に少しの時間しか行っていません。でも、こんな短い時間でも随分と人生が楽になりました。私がどのようにヴィパッサナー瞑想に出会ったか、そしてどんな変化があったかを書きたいと思います。
私は一人娘として神戸で生まれ育ちました。父は独裁者みたいな人で、私はとても苦手でしたが、会社経営に忙しくてあまり家にいることがなく、ほとんど関わらずに済みました。そのかわり、近所に住む母の大親友が頻繁にやって来て、ほとんど家族同然、私には母が二人いる感じで、なんの不満もなく楽しい満ち足りた毎日でした。 二十歳の頃、バレエで痛めた膝と腰のリハビリのために始めたヨガで瞑想のことを知りました。今まで知らなかった深遠な精神世界が新鮮で合宿にも参加しましたが、対象にうまく集中できない→集中しようと頑張るとなぜか眼が痛くなる→苦しい、の繰り返しでいつしか疎遠になってしまいました。 そして結婚。でもその1年後、神戸の中心部で阪神淡路大震災に遭い、私は最愛の母を亡くしました。母の遺体を引き取りに行こうにも、街が壊れていて車も出せず、ようやく警察のご厚意で遺体と対面したときは既に悪臭が漂っている状態でした。急ピッチで作られた母の棺とともに火葬場に行きましたが、そこは火葬の順番を待つ人たちの長蛇の列で、悪夢のような光景でした。 ほんの数日前までは永遠に続くかのような楽しい毎日だったのに、元気だった母は亡くなり、美しい神戸の街は壊れ、周囲の人々は泣き悲しんでいる。私は世の中のはかなさを痛いほど感じました。それと同時に、こうして生かされているからには明るく生きていこうと決意したのです。 震災から4年後に息子を授かりました。変わった考え方をする子で、私は結構気に入っています。でも学校に通うようになってからは先生や同級生に誤解されることも多く、いじめにも遭い、私は対応にくたくたになりました。息子も段々と頑なになっていき、トラブルの最中には彼がデビルに見えたこともありました。そして、「何で私だけこんな目に!」とひがむことも。 私は、以前のような明るい生活を取り戻すため、海外の豪華リゾートに行ったり、ホテルでランチしたり、バーゲン巡りをしたりをするようになりました。そしてそのうち、もっと豪華なところ、もっとおいしい食事、もっと素敵なお洋服、と、もっと、もっと、もっと・・・、どんどんエスカレートしていきました。でも、その時には楽しく笑っていながら、心の奥底では乾いた虚しさも感じていました。世の中にはもっと透明で深遠な世界があったはずなのに・・・。あれ?こんなんじゃなかった?なんだったっけ? そんな状態が続いているうちに、だんだんと周囲の人との関係も良くなくなり、体調まで崩すことが多くなっていきました。健康には人一倍留意していろいろなボディワークを行い、高い漢方薬を飲んで鍼灸にも通っていたのに、です。「これはひょっとすると精神的な問題?」と感じ始めたころ、私は原因不明の病気になり寝たきりになってしまいました。その時、瞑想のことを思い出したのです。 Googleで採用されたマインドフルネス瞑想のことが気になっていたので、ヴィパッサナー瞑想の翻訳本を取り寄せてみました。そして、最初の数ページ読んだだけで、これが私の探していたものだと解かりました。 私は早速実践してみることにしました。病気の症状による背骨の痛みでゆっくりしか動けない為、かえって痛みの観察とラベリングには最適でした。また、先の見えない状態から心は不安でいっぱいでしたが、すぐにその不安も少なくなって痛みも和らいでいきました。 |
☆お知らせ:<スポットライト>は今月号はお休みです。 |
慈しみをもって対応すると、弱さを見せることになるのではないかと私たちは怖れがちです。しかし、そのような弱さがあると考えるのは、誤りです。なぜなら、慈しみは私たちに、弱さではなく、強さを与えるものだからです。 ・・・慈しみが単独の感情として心のなかにあり、それによって心が育成されるならば、心は岩のように強くなります。ある人が護られるのは、その人自身の心の清浄さによって護られるのです。(『月刊サティ!』2004年8月号、「四人の友」アヤ・ケーマ尼より) |
『ルポ 希望の人びと』生井久美子著(アサヒ出版社 2017年)
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「ここまできた認知症の当事者発信」という副題の本書は、文字通り、認知症の人びとが自ら発信し、同じ目線に立つ人びとの交流を通して生き抜いている姿を克明に綴ったルポである。そこから発信される生きがいと誇りのメッセージには自ずから姿勢を正される。 著者は90年から医療や介護、福祉などいのちの現場取材を続け、『私の乳房を取らないで』『付き添って』『介護の現場で何が起きているのか』『人間らしい死を求めて』『ゆびさきの宇宙』(出版社略)などの著書がある朝日新聞の記者である。 認知症というと、「もう何も出来ない」「人生終わり」という先入観があるが、それは周囲から見た偏見に過ぎず、それは、社会がそれまでそのように見てきただけにすぎない。認知症と診断された当事者が落ち込んでしまうのは本人もその見方の影響を受けているためで、事実は決して「人生終わり」なのではない。記憶に問題があって出来なくなったこともあるけれど、それは他の病気も同じ、この世の病の一つに過ぎない。ただそれだけのことなのだ。 「徘徊」「妄想」と言われる行為にも必ず理由がある。線路に入って事故にあった男性の長男は記者会見で、「自宅を出て元の勤務先、実家に向かうことがあった。父は目的をもって歩いていた。『徘徊』とは違う」「事故の日はトイレを探していたんだと思う」と語っている。 アルツハイマーと診断され、脳年齢115歳で本を書き上げながら講演に飛び回るオーストラリアの女性クリスティーンを始めとして、外国での例やそれに携わった人びとの来日講演と並行しながら、日本においても当事者同士の対談や講演、国際会議、その他の活動と、幅広く実情が訴え続けられている。 「皮膚の衰えは見えるけれど、脳の衰えは見えません。見えない苦しみや困難に関心をもって、もっと話に耳を傾けてほしい」「元気そうねと言われるのがつらい。・・・元気そうに見えても、頭のなかはグジャグジヤで混乱しているんです」「思い出せずに苦労していると、『私にもよくあることよ』となぜ言うのでしょう? がんの人に『実は私も~』と言いますか?なぜ、認知症の場合だけ、病気と闘い、懸命に生きようとする努力に敬意を払わないのでしょうか?」 ある当事者は言う。「テレビ局の取材をうけたとき、『認知症らしくないから撮り直し』 って言われてね。道に迷ったりウロウロしたりしているところを撮影したいって・・・。『フザケルナッ』 って、怒ったんだよね」。まさにメディアによる偏見の助長である。「認知症の人はこれはできない、と勝手に決めつけないでほしい。生き生きと暮らすために何をどうするか」というところに支える側の力量と「人間性と社会の成熟の尺度」が問われているのだ。 認知症は理性を失って、その人の真の姿を露わにすると言われている。しかし、「認知症はひとつの贈り物かもしれない。認識という外側の殻をはがされ、その下に守られていた感情もはがされ自由なスピリットで『今』を大切に生きている。病気を抱えた『重荷』でなく、何よりもまず、一人の人間として心を通わせてくれるようにお願いしたいのです」という当事者に、著者は、クリスティーンの、「存在の核が失われるわけではなく、本来の私になってゆく」「覚えているかと開かないでください。覚えていることがそんなに大切でしょうか?私は、今を、この瞬間をこんなに楽しんでいるのに。そのことが大切だと思うのに」との言葉を重ね深く共感する。 本書の内容はとても本欄では紹介し切れないほどの豊富さだが、最後に、クリスティーンがある講演で示した、残された能力を最大限に引き出してその人らしく生きることを“可能”にしてくれる(イネブル:英語のenable)ための箇条書きにしたメッセージを紹介したい。 ◆私たちこそが専門家。私たち当事者ぬきに決めないで ◆患者ではなく、一人ひとり特別な人間として、認知症とともに生きる旅路をあゆむひとりの人間です ◆共感し、苦をともにしてください。支援と理解を必要としています ◆懸命に生きる私たちに寄り添って、応援してください ENABLING (イネーブリング) ×ケアを与えること ×私がやれることを代わりにやってくれること ×ケアの対象物 ○できなくなってしまったことではなく、まだできることに着目 ○日々小さな達成感を得られるよう支援する 『ぼくが前を向いて歩く理由 事件、ピック病を超えて、いまを生きる』を著した若年性認知症の中村成信さんは、次のように言っている。 「もちろん、病気にならなければ良かったと思うけれど、得られたこともたくさんあったと思います。本の題名の通り、過去を振り返るばかりでなく、前を向いて行こうという気持ちになれたし、その決意も含めて出させてもらいました」。 本書には、当事者、非当事者を越えて、確実にこれからの日本社会が直面する課題に対して、個人として社会としてどう向き合っていくべきなのか、たくさんのヒントが含まれている。まさに、視座の転換をもたらす一つの見本であるとも感じられる。とくに、身近にかかわりのある方々には、ぜひ一読を勧めたい一冊であった。(雅) |
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