2017年3月号 | Monthly sati! March 2017 |
今月の内容 |
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 今月のテーマ:生き方をめぐって (1) |
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ダンマ写真 | |
Web会だより 『変わりゆく人生の流れ』 |
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スポットライト 『決意されていく心』(3)(「短期集中連載」を改称) | |
翻訳シリーズ 『瞑想は綱渡りのように』 -47- | |
ダンマの言葉 | |
今日の一言:選 | |
読んでみました『介護のススメ』 三好春樹著 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ | |
地橋秀雄 |
今月のテーマ: 生き方をめぐって (1) |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません
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~ 今月のダンマ写真 ~ |
ブッダが多くの時間を過ごしたラージャガハ(王舎城)近郊の霊鷲山の頂上のカンダクティ(香堂)。
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現在のインド、ウッタルプラデシュ州のシュラヴァスティーという小さな街にある、祇園精舎(ジェータワナーラーマ)内にある説法堂址。
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T.O.さん提供 |
『変わりゆく人生の流れ』(匿名希望) |
私は、十代の頃は肩や首の痛みや円形脱毛等、様々な身体の症状を持っていましたが、それに苦しむという事はあまりありませんでした。 今から当時の事を振り返ってみると、両親は多額の借金を含む財産の問題で対立しており、また兄は、父から「母親は財産を弟(私)に全て与えるつもりのようだ」等と聞かされ、兄が父のスパイとして私を監視し、私が母のスパイとして兄を監視するような状態の中で思春期を過ごしていました。 親が正式に離婚し、兄を含む大半の親族との緑が切れて落ち着くまで、私の心は「苦しい」「辛い」等の感覚を麻痺させてやり過ごしていたのかもしれません。自分のこころが悲惨な状態である事実に気づきはじめた時は、間もなく成人を迎える頃でした。 大学生の頃、私は同級生達からだいぶ浮いた存在だったようです。こころでは穏やかに、平静に努め、利他的であろうとしていたのですが、肩にずっと力が入っており、目つきは険しく、何を考えているのかよく分からない状態であったため、友人や教員からは、「危ない人間」「何かの拍子で自殺してしまいかねない人」として見られていたようでした。 また授業やアルバイトの途中で、何の脈略もなしに過去の記憶、特に父親より「お前の母親の旧姓は、部落出身者が多い」等と言われた事が勝手に想起され、ずっと風邪をひいたような状態が続いていましたが、私の様子を見た母からは「甘えで病人のふりをしているのではないか」と思われ、真剣に取り合われない状況が何年も続きました。 そんな中で、私は自分の心身の状態をどうにか健康に近づけようと様々なものに手を出しました。 身体を鍛えたり、断食をしたり、霊能者の訓練を受けたり、心理治療を受ける過程で、「日常生活の中で継続が出来るもの」「目に見えない世界よりも人格の成長に主眼をおいたもの」「科学か、長い歴史によって効果が示されているもの」等の基準を徐々に自分の中で築いていき、最終的にヴィパッサナー瞑想にたどり着きました。 しかし、私が「ヴィパッサナー瞑想がとても良い」という事を頭で理解してから、継続的に実践が出来るようになるには時間がかかりました。 地橋先生の講座に通うようになり、ダンマ・トークを聞いたり、他の瞑想を学び実践している方々とも交流し、瞑想会だけでなく、できるだけ日常生活の中でも気づきを心がける中で、心身の分裂も段々となくなってきました。 なかでも、慈悲の瞑想を習慣化していった成果なのではないかと思うのですが、大学生の頃の私を知らない人からは、「明るくて元気な人」「幸せそうな家庭で育った人」と思われることも増え、どのような仕組みが働いたのか驚くばかりです。 今、私は人間関係に恵まれています。かつて私を「危ない人間」だと距離を取られていた友人とも仲良くする事が出来、私に、結婚式での挨拶を依頼してくる親友も出来ました。また、自分が憧れていた職業に就いた上に、職場でも深い人間性を持つ上司や同僚に恵まれ、対人関係のストレスなく仕事が出来ています。父や兄とは今でも絶縁したままですが、過去の家族生活を、切り捨てるだけのものとしてではなく、父は私に身体的な暴力を振るう事がなかった事や、兄は兄なりに心配していた事など、冷静に振り返れるようになってきました。 私は、瞑想を継続し「自分が幸福な状態にもなりうることを認める」ことが出来るようになったと思います。 かつての私にとって、残りの人生は辛い過去の出来事の残滓に過ぎませんでした。しかし、自分の出来る範囲で利他を心がけ、またヴィパッサナー瞑想や慈悲の瞑想を続けた事で、幸せに対する感受性が養われてきているのだと思います。 自分にはまだまだ乗り越えなければならない心の中の障壁がありますが、年々と心身の不調が減る実感を持てています。以前は風邪を引きやすく、また慢性的な疲労感から殆ど横になって休日を過ごしていたのですが、坐った状態で腹部の感覚に注意を集中すると、疲労感がだいぶ軽減するようなことが何度もあり、心身の不調を気にしないで人生を送れるようになった事は信じられないような心地がします。 今後、私自身も瞑想や利他の実践を深めると共に、他の人にヴィパッサナー瞑想の事を勧めるなど、微力ですが、苦しみに思い悩む人を減らせるように貢献していきたいと思います。 このような執筆の機会を与えてくださり、まことにありがとうございました。 |
☆1月より、最近のダンマトークから編集部がまとめたものを、適宜「スポットライト」として掲載しています。ご期待ください。 |
「決定されていく心」-3 |
地橋秀雄 |
7.決意の力 ?意志の力(続き) 仏教では、決意はアディッターナといいますが、他に意志を意味するチェータナーという言葉もあります。チェータナーがカルマであると仏教は考えていて、業を作るのは意志であるとブッダも明言しています。このように強い意志や決意には、現象を動かす力があると考えられています。 |
翻訳シリーズ |
瞑想は綱渡りのように -47- |
-ペーマスィリ長老と語る瞑想修行- |
デイヴィッド・ヤング |
(承前)
デイヴィッド: アルーパジャーナ(arūpa-jhāna:無色界禅定) ペーマスィリ長老: ペーマスィリ長老: |
入ってきた情報を思考レベルで纏める段階を踏んで、しかも、それを直接知覚というレベルで検証したうえで出てくる智慧、それによる理解があってはじめて生き方を100%変えることが可能となります。(ダンマトーク「ある出家者の修行から」より) |
『介護のススメ』 三好春樹著(ちくまプリマー新書 2016年) |
「希望と創造の老人ケア入門」という副題のこの本の著者は、1950年生まれ。1年以上働いて失業保険で生活しながら職業を転々としたあげく、その時の仕事に飽き飽きしていた時に舞い込んできた「介護現場で人を探している」という話、何も知らないまま飛び込んだという。それが今では、介護という仕事にこそこれからの若者が働く希望があると話す。「私は思う。うつやノイローゼになる前に介護の世界を覗いてみないか。『命より金』という現在の価値観を覆したアナザーワールドが見つかるだろう」。(PR誌『ちくま』2017年1月号より)
今、日本のあちこちで著者の考えに共鳴した若者が小規模ではあれどもデイサービスを起業している。そこはなんと老人たちが元気になっていく、「生活復帰」「人間復帰」の現場なのだ。それは「老人の置かれた状況と気持ちを考え」て「老人が嫌がることはしない」結果、自然と優しくなったことが老人を元気にしているのだ。 介護というのは地獄のようなもの、そしてもし認知症になったらもう人生は終わりだと思っている人が多い。しかし、「でもそれは大変な間違いです。だって私はこれまでの40年以上の介護経験で、深い認知症がありながら、ちゃんと落ち着いて暮らしている人を何百人も見てきたんですから。さらに、いつも人に気を遣って笑顔を見せて、周りから尊敬されている人もいっばいいました」と著者は言う。 息子が孫を連れて訪ねてきたある人は、嬉しそうな笑顔を見せながらも誰なのかははっきりわかってない様子。帰って15分くらい後に職員が「今日はお孫さん来てよかったね」と声をかけても「えっ来たか?」というくらいの物忘れだったという。ところがある日、主任生活指導員が会話の中で、「吾郎さんは歳いくつになったの?」と尋ねたところ、「うーん、ナンボになるかのお」としばらく考え、こう言ったという。「あんた、どうしても知りたけりや、役場へ行って聞いてみてくれ」。 「私は感心しましたね。あっ、彼は、自分が歳もわからなくなっているということをちゃんと認識しているんだと。そしてここからです。そんな自分を隠そうとしません。そして、自分はよくわからないから、わかっている人に聞いてくれ、と言うんですよ。すごいじゃないですか。考えてみると私たちはみんなこうして生きてました」。 分からない自分を恥ずかしいと思わずに、ちゃんと訊いて、「あ、そうか」と受け取れるなら問題は起こらない。それは認知症の問題と言うよりも、周りの人を信じられるかどうかということに帰するのだという。本書では、このエピソードを始めとして、老いるということが人間の基本に返っていくことを、介護の現場でのさまざまな場面を通して語られている。 最後に著者は、若い人が少しでも自己肯定感を得られるために二つのことをアドバイスしている。一つは、人生はいくらでもやり直しができるということ。たとえ幼少時に母子関係で心的外傷を負ったとしても、成長につれての人との出会いの中で修復は十分できるはずだし、高齢で要介護になっても、今度は介護職との関係でもそれはあり得ることだと言う。 そして二つめは、毎日の生活の中で身体感覚を賦活させることで自己肯定感を取り戻そうということ。例えば、「おいしいと感じて三度の食事をし、快適な排泄を喜び、風呂に入ってホッと」すること、そしてそれを共有して人へとつながっていくことだと言う。 「考えてみると、介護がやっている仕事って、老人の、世界への信頼感と自己肯定感を作り出すことなんです。だって、おいしく楽しく食べてもらって、気持ちよく出してもらって、風呂に入って、『ああ生きてて良かった』なんて言ってもらう。これを毎日やってるんだからね。そんな普通の、日常的な、なんでもなさそうなことの中に、どうやらいちばん大切なものがあるらしい」 「きつい」「汚い」「危険」にならって、介護は「危険」に替わり「給料が安い」が入る職場と呼ばれている。しかし筆者は介護の3Kを「感動」「健康」「工夫」と言い直し、若者に「過労なんかで死んじゃだめだ」と呼びかける。介護には「『命より金』という現在の価値観を覆したアナザーワールドが見つかるだろう」「老人介護をする若者は、老人から元気と希望を受け取るのだ」と。 本書は本来の介護のあり方を示すとともに、若者への応援のメッセージであった。(雅) |
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