2017年2月号 | Monthly sati! February 2017 |
今月の内容 |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 今月のテーマ:ラベリング(2) -言葉と認識- |
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ダンマ写真 |
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Web会だより 『サティで消える幸福感』(後半) |
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短期集中連載『決意されていく心』(2) |
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翻訳シリーズ 『瞑想は綱渡りのように』 -46- |
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ダンマの言葉 |
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今日の一言:選 |
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読んでみました『外来種は本当に悪者か?』 |
『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ |
地橋秀雄 |
今月のテーマ: ラベリング (2) ― 言葉と認識 ― |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
◎ラベリングの言葉
Aさん:良くないラベリングとはどのようなものでしょうか。 アドバイス: |
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~ 今月のダンマ写真 ~ |
バガン近くの寺院で仏像の修復をする人々
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イラワジ川から寺院群を望む
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N.N.さん提供 |
『サティで消える幸福感』(後半) T.H. |
タイ森林僧院で迎えた7日目は、午前2時ごろに目が覚めた。起き上がって、歩行瞑想を始めることにする。しばらくすると手足に激痛が生じてきた。激痛は同じ部位で長く続くのではなく、短い時間間隔で激痛が体の様々な箇所に現れるという具合だった。原因はよく分からない。あまりに痛いので、このまま集中を深めるともっと痛くなるのではないかと不安が頻出して、足裏の感覚に集中できなくなった。痛みは結構長く続いた。朝食も痛みに耐えながら取った。それでも痛みが永続するわけではなく、次第に消えていった。印象的な体験だった。おかしな話だが、その後帰国してから、また激痛を体験したいという気持ちが出てきた。理由は、どうも激痛のことを集中が深くなった証と考えているからのようだ。まさか激痛に執着するとは。 9日目の午後に日本人のお坊さんと話していると、アチャン・チャーの法話集「無常の教え」(訳: 星飛雄馬)の一節を読んでくれた。ある比丘がアチャン・チャーに「私は静けさを得たいのです。瞑想をし、自分の心を平安にしたいのですが」と言うと、それに対してアチャンは「そらそうじゃろう、お前さんは何かを得たいのじゃな」と返答した。それを聞いて、自分も何か興味深い瞑想体験を得たいと思っていたなと深く納得した。夜6:30からの全体瞑想のときに、坐禅をしながら次々と現れる瞑想に対する欲に注意してサティを入れていった。すると瞑想への欲が治まっていき、平静になっていく。そのうち息苦しくなってくる。何が起こっているのかと調べてみると、お腹の膨らみ・縮みに集中しているときには、呼吸が止まるようになっているのだった。お腹の感覚を取るのはやめて、意識的に呼吸すれば 楽になるのだが、再びお腹の感覚に戻ると呼吸が止まってしまい、息苦しくなる。これを何度も繰り返した。印象的な体験だった。瞑想中の心は平静で気分は良くも悪くもなかったが、呼吸のおかげで身体的には苦が多かった。今でもこの体験を思い出すことがあるが、また同じような体験をしたいという気持ちは出てこないようだ。 10日目は出発日で、準備や掃除で忙しかった。午後になって、20日間のリトリートを終えたばかりのアチャンと話をした。アチャンの話の中で印象的だったのが「心随観が深まっていくと、心の深くにあるネガティブな感情が見えてくる(不好正念)、そのためにはまず心地よい現象にサティが入る(好正念)必要がある」というものだった。それを聞いて6日目の夜の坐る瞑想を思い出して、「気分が良くなったときにサティを入れても気分の良さが消えなかった」と言ったら、アチャンは「それはサティが未熟だからだ」というような説明をされた。サマーディの力で現象の無常をよく理解すれば鋭いサティが入ると言っていた。その話を聞いて私が思ったのは、気持ち良さに執着しながらサティを入れていたので現象が消えなかったのではないかということだった。 その後、夜行バスでバンコクに向かい、観光にも興味がなかったので空港に直行した。空港では待ち時間が15時間くらいあった。その間にドロドロに眠くなったり楽しくなったり、心が様々に変わった。暇だったので空港内を歩いていると、ふと幸福感を感じたので、注意しながら「幸福感」とサテ
ィを入れてみる。その結果をよく見ようと思って「観察している」とラベリングをして(このラベリングを抜かすと妄想に流れる傾向がある)、心と体を観察していくと、なんと幸福感が消えていた! アチャンの言った通りだった。同じようなことがあと何回も起こった。印象的な体験だった。 |
☆1月より、最近のダンマトークから編集部がまとめたものを、適宜「短期集中連載」として掲載しています。ご期待ください。 |
「決定されていく心」-2 |
地橋秀雄 |
5.姿勢が心に及ぼす影響 6.環境が心に与える影響 6.姿勢とホルモンの関係 7.決意の力 ?意志の力 |
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翻訳シリーズ |
瞑想は綱渡りのように -46- |
-ペーマスィリ長老と語る瞑想修行- |
デイヴィッド・ヤング |
ペーマスィリ長老: |
次に述べる日々の訓戒はブッダが弟子達に与えたもので、解放の達成に至る「六つの稀な条件」の価値を強調しています。 |
『外来種は本当に悪者か?』フレッド・ピアス著(草思社 2016年) |
日本には古来おびただしい数の動植物が持ち込まれてきた。近ごろテレビでよく取り上げられるのは、飼育目的で持ち込まれた動物が野生化し、それが元々の生態系を乱すばかりではなく、在来種を絶滅の危機にさらしたり、農産物にまで被害をもたらしたりという情報である。本書は、そうした次元を越えて、はたして「生態系は安定が基本で、変化は異常」という思い込みは誤りであると、島という閉じた空間から、湾や湖、都市の荒廃地に至るまで、じつにさまざまな事例を駆使して考察し主張する。
知る限りではあるけれども、カスタマーレビューの多くは「☆」の数の分布(AMAZONによる)がどちらかに偏っているけれど、本書は現時点で21件が「☆」五つ(10件)と一つ(6件)とに分かれ、二~四つは計5件しかない。そのような意味から、紹介するかどうか少々迷ったが、評価が分かれた「悪者か?」どうか、の部分には触れずに、これまで疑問も持たずにいたことを再認識させてくれ、なるほど「無常」とはこういうことでもあるのだと気づかせてくれた部分についてのみ記してみたい。 これまで学校で極相林と言うことを教わった時、それはもうこれ以上変化しない安定したものとして覚え、理解したように思う。しかし少し考えてみれば、それでも気候や自然災害によって影響を受け、変化していくであろうことは容易に推測できる。したがって、現在では極相と言えども、より適切には動的な平衡状態にあるという視点から森林の姿を理解するようになってきている。 本書ではもう一歩進んで、生き物同士の接触、侵入とそれが及ぼす影響について検討していく。そしてそれは、「他種類の生き物がいる成熟した生態系は『飽和』していて、もう入る余地がない」のではなく、「外来種がたくさんいる環境には、在来種も多」く、「自然を乱すという概念がそもそもない」ので、「生き物の出入りも激し」く、「『在来』『外来』の区別もほとんど意味がなくなりつつある」という結論に至る。つまり、「ダイナミズムと変化こそ自然本来の姿なのだ」との主張、これが本書のバックボーンとなっている。 「無常」のことわりはこの世のすべてに当てはまる。絶滅していくもの、絶滅を食い止めようとするもの、どちらも包含したまま濁流のように変滅していくのが残酷な無常の真理ではないか、と「無常=苦」の理解に思いを新たにした。このことを忘れずに、本書をきっかけにして自己の「ダイナミズムと変化」にも期待しよう。(雅) |
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