2017年1月号 |
Monthly sati! January 2017 |
今月の内容 |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ |
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『月刊サティ!』は、地橋先生の指導のもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています。 |
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ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ |
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地橋秀雄 |
今月のテーマ :感覚の取り方のヒント (2) |
(おことわり)編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
Aさん:歩く瞑想のとき、足を上げて前に進める時には足裏の感覚が取りにくくなります。そのときには、膝とか太股に意識を移しても良いのでしょうか。 アドバイス: Bさん:歩く瞑想で、「進んだ」というのはこういうセンセーションなんだと自分で思いながら今までやっていました。先生から「車が急ブレーキをかけた時に、先に進んでその反動でまた元に戻るような感じだ」と言われ、そうかなと思ってその感覚に注意を向けたら、「今までのは違っていた。これなんだ」というのが非常に明確に分かるようになりました。 アドバイス: Cさん:歩行の時にはずっと目を閉じていなければいけませんか。 アドバイス: |
~ 今月のダンマ写真 ~ |
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タイで最も貧しい山岳民族カレン族の集落を行く比丘。 |
地橋先生提供 |
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Web会だより |
『サティで消える幸福感』(前半) T.H. |
以前から行きたいと思っていたタイ、チェンマイの森林僧院で修行してきた。グリーンヒルの法友が出家して修行しているので、連絡を取ってみたら快諾してもらえた。日本人になじみのないサンガの実態を理解できるようにお坊さんと同じような生活をしてみたらどうかと言われて、その提案に乗ってみた。 毎日、夜11:00ごろ就寝し、朝3:30ごろ(外は真っ暗)に起床するという生活を送った。必ずこの時間に起きると決めて就寝すると、朝はまだ真っ暗なのに、不思議と寝坊しない。 朝4:00から全体瞑想+読経を行い、6:00から托鉢をする。托鉢は村まで30分くらいの距離を裸足で歩いていく。道中では妄想が頻発したり、逆に歩行感覚に集中できたりと様々なことが起こる。托鉢コースは決まっていて、村人たちが家から出てきて野菜や炊いたご飯などをお坊さんの鉢に入れてゆく。私の役割は托鉢で受け取った食物の荷物持ちだ。ちなみに季節は9月の雨季で、強い雨が頻繁に降った。強い雨が降っても托鉢は傘をさして決行される(裸足で)。 7:30くらいに寺に戻ってきて、朝食の準備をし、8:00くらいにそろって食事を開始する。朝食の後は午後4時くらいまで自由に瞑想した。午後4時から日本人比丘2人と話をするのが日課だ。彼らが出家に至る経緯を聞いたり、私のことも話してみたり。ちなみにもう1人、日本人のアチャンがいたが、20日間のリトリートに入っており、最終日に話をしたのみだった。 夕方6:30からお堂にて一同そろっての読経+瞑想がある。寺には蚊がかなりいて、虫除けを塗っていても、坐る瞑想中に何匹も蚊が刺してくる。最初の数日は蚊に対して嫌悪が出ていたが、途中からやや諦めの気持ちが出てきて、「生きているとこういう苦しみは避けられない」とか思うようになって、だいぶん気が楽になった。 6日目の瞑想では読経を聞いているうちに集中が深くなってきて、その後の坐禅で鋭いサティが続くような瞑想になった。お腹の感覚、(蚊による?)かゆみ、足の痛みなどに意識を集中して、詳細に感覚を取ることができた。そのうち気持ち良くなってきた。「気分が良い」などとサティを入れたが、消えなかった。 瞑想が終わると、なんとなく誇らしい気持ちになり「自分がいい瞑想できた雰囲気が他の人にも伝わったりしてないかな」とか、恥ずかしい妄想が出てきた。全体的に、夜にそろって瞑想するときに集中が深くなることが多かった。お坊さんと一緒に瞑想するという環境の力もあるのだろうか? 蚊がとても多かったので、自由時間のほとんどはクティ(独居住居)で瞑想していた。あてがわれたクティには寝室とトイレ・シャワーまで付いており、予想していたよりも快適だった。ただ森林僧院なだけあって、部屋の中に蚊、アリ、芋虫などがよく出没し、まれに大トカゲ、ヘビ、ゴキブリも出た。 最初は虫に嫌悪が出ていたが、だんだん慣れてきて、親しみを感じるようになった(ヘビ・ゴキブリを除く)。蚊がクティに入ったときにはまず腕か手に留まらせてから、静かに玄関のドアを少し開け、腕をドアのすき間に近づけ、ふっと息を吹いて蚊を外に出して、素早くドアを閉めた。 戒律を受けていないから午後に食事をしても良いと言われたので、朝食を多めにもらって半分クティに持ち帰り、午後2時くらいに食べた。朝食が8時なので、このくらいの時刻にお腹が減ってくるのだ。少し甘いものを置いておくとたちまちアリの行列ができるので、飲み物・食べ物の管理には工夫が必要だ。 長期で修行していると決まって出てくる、おなじみの煩悩が今回もしっかりと出てくる。3日目あたりになると、過去の瞑想体験と比較して今の瞑想はたいしたことないという自責が頻発するようになる。今回は一人で瞑想することが多かったので、他人と比べての劣等感はほとんどないのだが、過去の自分との比較は避けようもない。また集中が深くなると、もっと集中したいという欲が出て、なかなか消えないこともある。これらの煩悩は手ごわいのでサティを入れて一発で解決!とはならない。さらに7日目になると、手足に思いもよらない激痛が生じてきた。(続く) |
☆今月より、最近のダンマトークから編集部がまとめたものを、適宜「短期集中連載」として掲載することになりました。ご期待ください。 |
「決定されていく心」-1 |
地橋秀雄 |
1.瞑想ブーム 2.瞑想と脳科学 3.意志決定のメカニズム 4.「触(パッサー)」について |
瞑想は綱渡りのように -45- |
-ペーマスィリ長老と語る瞑想修行- |
デイヴィッド・ヤング |
(承前) ルーパジャーナ(rūpa-jhānas:色界禅定)の第一段階 ペーマスィリ長老: ・微細な物質からなる世界における第一段階の心の没入状態、パタマッジャーナ(pathamajjhāna:第一禅定) ・微細な物質からなる世界における第二段階の心の没入状態、ドゥティヤッジャーナ(dutiyajjhāna:第二禅定) ・微細な物質からなる世界における第三段階の心の没入状態、タティヤッジャーナ(tatiyajjhāna:第三禅定) ・微細な物質からなる世界における第四段階の心の没入状態、チャトゥッタッジャーナ(catutthajjhāna:第四禅定) 表1を見てください。 表1 四分類法によるジャーナ |
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アビダンマ(Abhidhamma:論蔵)ではジャーナは四段階ではなく五段階としています。パタマッジャーナ(第一禅定)では五つのジャーナの要素全てが働いているのは同じです。しかしながら、次いで取り除かれるのはヴィタッカだけです。
表2を見てください。 表2 五分類法によるジャーナ |
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デイヴィッド: ペーマスィリ長老: |
昨日とは昨夜の夢 明日とは今夜の夢 今日とは白昼夢 「感覚の喜びとは、夢のようなものである。人は夢の中で、美しい公園、森の中の沼地、すばらしい風景や池を見るけれど、目覚めた時にはそれらの跡形もない。まさに、感覚の喜びとは、夢のようなものであったのだ」と目覚めた方、ブッダはおっしゃっています。(月刊サティ2006年1月号:「混乱から智慧へ(三)」ニャーニャナンダ長老、より) |
(1)愛は命を生み出していく本能の営みだが、慈悲が発露するには、努力と修行によってエゴを削り落としていかなければならない……。 (2)「現場・現物・現実、て言うけど、現場なんかいくら見たってダメですよ、固定観念や先入観念があれば、本当の状態は見えませんから」 (3)心が折れそうになってきたら、まだ残っている力でささやかな善行をする。
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映画:『奇跡がくれた数式』を観て (今月は映画の紹介です) |
この映画を観るまで、天才数学者ラマヌジャンの存在を知りませんでした。 |
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