6/7月合併号 | Monthly sati! June/July 2016 |
ブッダの瞑想と日々の修行 ~理解と実践のためのアドバイス~ 今月のテーマ:瞑想修行の時に(1) -サティの対象- |
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ダンマ写真 |
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翻訳シリーズ 『瞑想は綱渡りのように』 -39- |
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Web会だより 『生きていていいんだ。ここにいていいんだ』 |
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読んでみました 『死のメンタルヘルス』 |
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お知らせ |
<『月刊サティ!』は、地橋先生の指導をもとに、広く、客観的視点の涵養を目指しています> |
ブッダの瞑想と日々の修行~理解と実践のためのアドバイス~ | |
地橋秀雄 |
今月のテーマ:瞑想修行の時に (1) -サティの対象- |
(おことわり) 編集の関係で、(1)(2)・・・は必ずしも月を連ねてはおりません。 |
Aさん:坐る瞑想をしていて気分が悪くなりました。食事や身体的なこともあったのではないかと思ったのですが、思い当たることもなく、車や酒に酔っているような感じです。その時は「気持ち悪い」「焦っている」「イライラしている」とラベリングしましたが、それで良いのでしょうか。 アドバイス: Bさん:身体の凝りが激しいです。 アドバイス: Cさん:生理的な欲求が生じたとき、例えばくしゃみをしたいと、そういうときに限って気づきが出てきて、『・・・したい』『・・・したい』とパパパとサティが入る。そんなので良いのでしょうか。 アドバイス: アドバイス: |
~今月のダンマ写真~ |
ミャンマー、アーナンダ寺院と仏像 |
N.N.さん提供 |
翻訳シリーズ | |
瞑想は綱渡りのように -39- | |
-ペーマスィリ長老と語る瞑想修行- | |
デイヴィッド・ヤング |
(承前) ペーマスィリ長老:身体に対する気づきの瞑想により、全ての行動を善、すなわちサティ(sati:念)する方向に変えていきます。これを成し遂げるための訓練には複数あります。
・呼吸に対する気づき、アーナーパーナサティ(ānāpānasati:出入息念)
身体に対する気づきの瞑想、カーヤーヌパッサナー(kāyānupassanā:身随観)とは、自分の身体の動きを知ること、そして物質としての身体の真実を知るという意味です。身体に対する気づきの瞑想をする時には、私たちは現在に留まっています。真理は過去にはありません。未来にもありません。真理はたった今の瞬間にしかありません。何かをしている時に、それをしている事を知ります。お茶を飲む時には、お茶を飲んでいることを完璧に気づきます。ペンを手に取る時には、ペンを手に取っている事を知ります。ペンを動かしている時には、ペンを動かしている事を知ります。ペンを置くときには、ペンを置いていることを知ります。私たちは現在に留まります。過去は過ぎ去っています。様々な訓練を通して私たちは現在に留まります。 二番目の訓練は姿勢に対する気づき、イリヤーパタです。歩く時に、歩いていると気づきます。立っている時に、立っていると気づきます。坐っている時に、坐っていると気づきます。横になっている時に、横になっていると気づきます。 三番目は気づきを伴った明瞭な理解サティ・サンパジャンニャです。身体の動きに気づく際、同時に身体の動きに没頭することで、明瞭な理解のトレーニングを行います。前に進む時には、前に進んでいると気づきます。後退する時には、後退していると気づきます。手足を曲げたり伸ばしたりする時には、曲げたり伸ばしたりしていることに気づきます。前方を見るときには、前方を見ていることに気づきます。あちこちを見るときには、あちこちを見ていると気づきます。振り向く時には、振り向いていると気づきます。瞬きする時でさえも、気づきながら行います。気づきながら食べたり飲んだりします。食べ物を嚙み、味わい、飲み込むことに気づきます。身体を洗う時も、トイレに行く時も、用事を済ませる時もそれに気づきます。 明瞭な理解を丹念に続けることにより、私たちは全ての身体の動きを高いレベルの気づきとともに、そして明瞭な理解、サンパジャンニャ(sampajañña:正知)とともに行う習慣を育てます。身体の動きを明瞭に理解することで私たちは全ての動きを善で有益なものへと変え、完璧な善の中で、サティ とともに暮らすことが出来ます。 四番目の訓練は(1)地、(2)水、(3)火、(4)風、という四つの物質の要素の分析、ダートゥ・マナシカーラです。明瞭な理解をもって瞑想することにより、自分の身体が四つの物質の要素から成り立っていることが分かるようになります。この四つの物質の要素が現われては消えるのが身体であると分かります。サンパジャンニャにより気づきます。身体にあるこの四つの物質の要素と、それを知る心があるだけです。 例えば、私たちは身体の中の地の要素、硬いという感触に気づきます。ただそれを知ります。身体に硬いという感触があることを単純に知ります。その経験を不快に感じるわけではありません。地の要素にただ気づき、地の要素には硬いという感触があることに気づくだけです。私たちはそれを知ります。あるいは、私たちは身体の中の水の要素、流動性という感触に気づきます。汗をかき、唾液が口の中に流れ込むことを知り、それが水の要素であることを知ります。また、私たちは熱感という形で身体の中の火の要素に気づきます。熱を感じます。身体の中に火の要素があり、身体の中に火の要素があると知る心があります。そして風の要素です。息を吸うときにそれを知り、それに気づきます。息を吐くときにそれを知ります。そして息を吸って吐く動作に伴う感触が風の要素であると知ります。私たちは身体に気づくのです。 あなたは、ノートに文章を書いています。書こうという気持ちが生じ、そして書いています。そして今、あなたは自分が書いていることに気づいています。気づきとともに書いています。私が言ったことに疑問が生じてあなたはノートにクエスチョンマークを書きます。完璧に気づきながら書くことは身体に対する気づきの瞑想です。 一日の大半を、呼吸への気づき、姿勢への気づき、物質の要素の分析など身体に対する気づきの瞑想を行いながら過ごすことで私たちは身体に対する気づきを確立します。気づきのモードで暮らします。途切れることなく、繰り返し、繰り返し、身体の真実に気づく訓練をします。身体を動かす時、それを知りながら、身体の真実に気づきながら行います。そして、こうすることにより私たちは身体を巧みな方向へと変えることが出来ます。サティの方向へと変えます。これが身体に対する気づきの瞑想、四つの気づきの土台の一番目です。 身体に対する気づきの瞑想を実践している最中に、これは良い、これは悪いという思考が生じます。身体に関して観察したものを喜んだり、嫌がったりします。これは、感受という心の要素(心処)が優勢となっており、サティパッターナ スッタ(Satipawwhāna sutta:念処経)に説かれている感受に対する気づきの瞑想、ヴェーダナーヌパッサナー(vedanānupassanā:受随観)に属します。身体に対する気づきの瞑想には入りません。身体に対する気づきの瞑想を行うと同時に感受を経験し、それに気づきます。こうした経験と気づきがいつ、どこで生じるかは微妙です。気づきの土台の一番目から気づきの土台の二番目へと変わります。身体を対象にした気づきの瞑想が感受に対する気づきの瞑想へと変わります。実際のところ、感受に対する気づきの瞑想は身体に対する気づきの瞑想とともに進みます。これを直接の経験として知ること、パジャーナーティ(pajānāti:了知)には大変鋭いサティが必要です。 あなたにお話しする時も、私は感受に対する気づきの瞑想を経験しています。お話ししていることがうまく翻訳されて、あなたに理解してもらえているだろうかと心配しているからです。たった今、この瞬間に、私が教えていることをあなたが理解しているかどうかに関連した感受を経験しています。教えていることがうまく訳されて、あなたが理解していると思えば、なんだか嬉しいという感受を経験します。感受に対する気づきの瞑想が存在しています。対象を経験する中に感受が存在しています。 身体、感受、心の状態、心の対象、を対象にした気づきの瞑想、四つの気づきの土台は相互に不可分の関係にあります。例えば身体に対する気づきの瞑想は、身体に対する気づきの瞑想から始まりますが、他の三つの気づきの瞑想へと進んでいきます。何らかの行為をする時、身体動作があることを知り、安楽である、苦しいといった動作に伴う感受があることを知り、この二つの異なる部分があることを知る心に気づきます。心の状態に対する気づきの瞑想とは、その経験を知るのが心であるということを知ることです。心の対象に対する気づきの瞑想、ダンマーヌパッサナー(dhammānupassanā:法随観)とは、精神的な経験が生じそれが生じたとたんに消え去ることを知ることです。(つづく) |
Web会だより | |
『生きていていいんだ。ここにいていいんだ』 N.H. |
1日10分の瞑想、クーサラ、慈悲の瞑想に毎日きちんと取り組むようになって数カ月、私は以前とは比べものにならないほど落ち着いた心で日々を過ごせるようになりました。たくさんの気づきが立て続けに起こり、生きることが劇的に楽になりました。その中でも最も大きな気づきについてご報告したいと思います。 |
読んでみました | |
『死のメンタルヘルス』 中澤正夫著(岩波書店、2014) |
著者は「風化仏教徒」を自称する1937年生まれの精神科医。扉にフツーの人がフツーに死んでいくための終活の書とあり、原発事故、原爆被爆者、多くの患者の死、自らの心筋梗塞、そして対談を通して「死」に関する考察を進めていく。 |
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