サマーディ脳の基礎:瞑想的没入の神経科学
ジェレミー・ヤマシロ
2018年3月~2018年8月
はじめに
マインドフルネスへの科学的、臨床的な関心は過去10年間で劇的に増加をしている。一方で、マインドフルネスの臨床家やマインドフルネス研究者が、伝統的な仏教文献を深く研究すること稀である。本稿では、まず瞑想的没入として訳されている意識状態のサマーディ(samādhi、禅定)について述べられ、古典的なテーラワーダ仏教の枠組みを要約される。
次に、サマーディの段階が伝統的な現象学的観点から議論され、認知的、神経画像的、および神経心理学の文献が紹介され議論される。それらの文献から、深い瞑想時に生じるサマーディの主観的な経験と、その際の脳の働きについて考究される。
そして、これらに関係する研究が解釈され、将来の方向性について提示される。最後に、瞑想実践の長期的な効果について述べられる。
キーワード :瞑想、サマーディ、脳の基礎、可塑性、意識、変容した意識、 ジャーナ
本稿では、認知神経科学と、アビダルマとして知られる体系化された仏教の現象論という、二つの非常に異なる学術的な伝統が、並列的に検討される。それにより、瞑想における没入について分析するのが本稿の試みである。
これら二つの捉え方は、その方法論において実質的に異なっている。認知科学者と神経科学者は意識に対して存在論的な立脚点から「客観的に」アプローチするが、仏教の伝統では意識に対して現象論的にアプローチする。すなわち、科学的伝統が「意識とは何か?」と問うのに対して、仏教的な伝統では実践者を苦しみから解放したり、正しい生活を送るといった意識を作り上げていく。こうした違いにも関わらず、これら意識についての二つの視点から得られる相互理解は、非常に意義深い。
紀元前3世紀にインドで始まった知識体系であるアビダルマは、現代においては ミャンマーとスリランカに集中している1)が、瞑想中の意識経験について極めて正確で、かつ技術的、現象論的な説明をしている。そのため、アビダルマは意識体験について容易に理解出来る下地となっている。また、アビダルマでは、どのようにその体験を導き出すかについても説明されている。
「マインドフルネス」は現代の非宗教的な瞑想実践であるが、その実践と研究では、瞑想をストレスを軽減させる方法としてのアプローチとして比較的単純に捉えられる傾向があるしばしばある。2)しかし、精巧で洗練された一連の仏教文献に見られる心の構成要素は、意識体験を研究し、意識を変容させて苦しみからの解放に活用したいと願う科学者にとって、価値あるものとなり得るだろう。そういった願いを持つ科学者であるVarela's 3)は、主観的な意識経験と、客観的な神経学的活動を関連づける「神経現象学」のためのツールを的確に集めた。これは西洋の学者と仏教実践者が協働して心を科学するための興味を喚起するものであった。
数十年の間、仏教の理論と実践は心の科学に浸透してきたが、アビダルマはスリランカと東南アジアの伝統的な学術センターの外にはほとんど知られていなかった。その理由はおそらく、専門的で気後れさせるようなその性質によるためと、基本的な英語文献が比較的最近まで手に入らなかったためであると考えられる。
Lutzら4)は、仏教の瞑想における神経科学的な研究の状況について、幅広く分析をした。
その結果、彼らは「瞑想」という用語が非常に不正確に使用され、それは幅広い実践と現象を表すために、研究者たちが正確にどの種類の活動を研究しているのか特定することが困難であると訴えている。
Lutzらの訴えに基づいて、本稿では、アビダルマで説明されている瞑想的没入の段階に関連する一連の現象にかかわる神経学的な活動に厳密に焦点を当てている。つまり本稿は、パーリ語でサマーディと言われる瞑想的没入について言及するものである。
アビダルマの伝統では、サマーディは一連の段階を通して達成される。そしてそれぞれの段階は、質的に異なる意識状態を表している。これらの段階はジャーナ(jhāna、禅定)と呼ばれる。本稿の範囲では、心の科学と仏教の伝統で扱われている意識のモデルについて完璧な議論はできないが、将来の研究のためのモデルとなることを望んでいる。つまり本稿では、ジャーナ時における神経活動の相関を調べるが、そのような意識体験のメカニズムを理解する糸口を見つけることが期待される。また瞑想的没入がなぜその順序で、そのような形で、そして主観的な質を帯びるのかという理解への糸口を見出すことが期待されている。
アビダルマにおける秘伝的な文脈を除いて、それ以外の知識が実践に適用され得るなら、ジャーナをもたらすやり方は習得されるべき技術である。しかしそれは、通常における神経学で扱われる個人の範囲を超えるものではないであろう5)。そのような道を開くことは、臨床家と同じように、認知科学者や神経科学者にとっても興味があるはずである。
瞑想的没入のための基本的知識
人の経験は神経組織によって媒介され伝達される。私たちが心や身体、また他との関係性において何らかの認識が生じるのは、大脳新皮質の活性化と抑制という動的パターンを介してである6)。意識による経験はさまざまに揺れ動くが、それは仏教徒がドゥッカ(dukkha、苦)と呼ぶものを経験している限り、誰にでも起こっていることである。
ドゥッカは通常「苦しみ」と英訳されるが、パーリ語では「不満」に近い意味の言葉である5)。仏教の伝統においては、苦しみと不幸の根源的な分析は、四つの聖なる真実(四聖諦)として描かれている。
1.全ての意識ある生き物はドゥッカ(苦)を経験する。
2.ドゥッカは全ての現象が一時的なものに過ぎないことへの無知と、本質的で永久的な自己は存在しないことを認識できないことが原因である。
3.ドゥッカから解放される方法が存在する。
4.ドゥッカから解放される方法は八正道に描かれている。
八正道の要素の一つがサマーディ、すなわち瞑想的没入である。これが実現されると、通常の意識は明らかな寛容さと集中という安定を経験する形で変容する。実践者はこのような意識状態を検証することによって、繰り返しドゥッカを引き起こすパターンから抜け出すために必要な洞察を得ることもある。
サマーディ
サマーディは、正確に余すところなくアビダルマの文献に記述されている。アビダルマでは、仏教の教義が綿密に組織化されている。そのなかにおいて仏教現象についての知識は「系統的に組織されて、そして細心に集計され、分類され、細かく定められている」1)。アビダルマで述べられているサマーディの技術的な面に関するまとまった知識は、特に認知科学における見解を検討し合う助けとなる。それはまさに、主観的な経験を神経学的に関連する現象と結びつけるために役立つ素材になる7)。
サマーディはジャーナと呼ばれる瞑想的没入の複数の段階に分かれる8)。各々のジャーナは特定の現象学的な特性の有無によって定義される。それらはジャーナ要因と呼ばれており、対応する認知科学的な構成概念と共に、標準的な英訳9)を附して表1に示した。ジャーナ間の移行は、実践者がこれらの要因のうちの1つ以上をなくすか加えることによって達成される。
表1 ジャーナ要因と標準的な英訳、認知科学の構成概念
パーリ語・仏教用語
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標準的な英訳
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認知科学の構成概念
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ヴィタッカ(Vitakka、尋)
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Movement of the mind onto the objet(心を対象に向ける動き)
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注意を向ける
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ヴィチャーラ(Vicāra、伺)
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Retention of the
mind on the object(心を対象に向けることの維持)
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表象へとフォーカスする注意の維持
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ピーティ(Pīti、喜)
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Joy(喜び)
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身体的感覚に関する快
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スカー(Sukha、楽)
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Happiness(幸福)
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ポジティブな情動
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エカーガター(Ekaggatā、一境性)
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One-Pointedness(一点集中)
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集中された表象の活性化が比較的高く、持続されているので、意識は表象のみを知覚する。その他の表象は脱活性化される(初期は抑制され、後期は生じなくなる)
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ウペッカー(Upekkā、捨)
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Equanimity(平静)
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意欲的な表現は全く顕著ではなく、注意が拡散しているため、接近と回避のどちらの動機も生じない状態
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これらの要因に基づいて四つのジャーナが示される(注1)。 そしてそれらの瞑想的没入の段階は、現象学的な説明としてアビダルマでは示されている。アビダルマの文献では、ジャーナは純粋に意識経験のあり方として構成されている。
ジャーナに見られる意識の変容状態は、仏教的な洞察、あるいはヴィパッサナーそれ自体を表しているわけではない。そうではなく、それらはむしろ不穏な感情がなく、穏やかで明晰かつ柔軟性のある意識経験をもたらす手段としてであり、仏教的な洞察を培う仕事をするのに最適化の状態を作り出す。
ただし、洞察を培うのは別の話題であって、それはサマーディを培うという仏教的の特徴的な主題であるため、本稿では扱わない。
最初のジャーナでは五つの要因すべてが存在し、瞑想が深まるにつれてそれらが落ちていく。具体的に言えば、最初のジャーナでは、ヴィタッカ(vitakka、尋)、ヴィチャーラ(vicāra、伺)、ピーティ(pīti、喜)、スカー(sukha、楽)、エカーガター(ekaggatā、一境性)が存在し、二番目のジャーナではピーティ、スカー、エカーガターのみが存在する。三番目のジャーナではピーティが脱落しスカーとエカーガターは残る。四番目のジャーナではエカーガターが残り、ウペッカー(upekkhā、捨)が現れる9)。(注2)
伝統的な文献および瞑想実践によれば、ジャーナは順番通りに誘発される。理想的には、僧は森林の間の小舎などできるだけ感覚への刺激が少ない所で独居する。彼は蓮華座(結跏趺坐)という坐り方をする。手を膝に置いて体をまっすぐ起こし、緊張をほぐして鼻孔の先端における吸気と呼気の感覚に注意を集中させる。この呼吸へのマインドフルネスは、アーナパーナ・サティ(ānāpāna-sati)(注3)と呼ばれる。
ジャーナの開始はウパチャーラ(upacāra:近行定)(注4)がその起点となる。これは一般的には「アクセス意識」と訳され、呼吸の感覚が、注意を向けた認識の唯一の中身となったときに起こる10)。この一点への鋭い集中が一旦達成されたなら、最初のジャーナが始まるだろう。
各段階のジャーナは、それぞれの集中が継続的に移り変わっていくことによって起こされる9)。ウパチャーラが現れる第一の転機は、外部からの刺激に対する反応を抑制し、呼吸へと意識を集中することによってもたらされる。ウパチャーラによって起きている気持ちの良い温かさの感覚に集中することによって、瞑想者に最初のジャーナが始まる。
こうして注意を一点に留めることで起こることの1つは、運動系がその注意の対象に対して動く準備をすることであろう11)。よって、このように随意運動を厳しくコントロールすることは、注意の焦点化を妨げ、逆にそれを広げ拡散させるのを助けるかもしれない。
対象に対して注意の方向づけを止めること(すなわちヴィタッカを解放すること)と、また対象に対して注意の集中を止めること(すなわちヴィチャーラを解放すること)の2つによって、瞑想者は第1から第2のジャーナに移る。
第2から第3ジャーナへの移行においては、身体的感覚による喜び(ピーティ)はなくなる。Hagerty12)らは、後に議論する通り、第2のジャーナにおいて身体的感覚の喜びがなくなるのは、強い解放に続いて一時的にドーパミンが減少することによると示唆している。最後に、第3から第4ジャーナへの移行においては、ポジティブな情動(スカー)がなくなり、平静と一点集中の気づきだけが残る。
ジャーナに伴って、脳神経ではどんなパターンが起こるのか? 意識体験の体系的な変容には、やはり、意識を支える脳の基本構造の組織的な変容が必要となる。仏教学の2500年に及ぶ生きた伝統は、意識経験において非常に高度な知識・技術の体系化を生み出し、そしてジャーナに導く瞑想実践を生み出してきた。それに比べて認識神経科学者は、最近になって瞑想における没入について調査研究を始めただけにすぎない。しかしながら、これらから得られる知見には今後の期待が見込める。
ウパチャーラの発生のために示された神経メカニズム
サマーディの最初の段階としてのウパチャーラ、すなわちアクセス意識(access consciousness)の特徴は、自我の消滅である10)。自己意識に関する神経学的基礎に関する幾つかのモデルでは、内側前頭前皮質(mPFC)が「主観的に感じる」ということを示唆している。別の言い方をすれば、内側前頭前皮質はホムンクルス(脳の中に住んでいると考えられた小人)的な認識に関与することが示唆されているのである。「ホムンクルス的に認識する」というのは、認知とメタ認知との区分に関して使われる表現である。デカルトが「我思うゆえに我あり」(cogito)と唱えたあと、この「認識する者」は「デカルト的なホムンクルス」としばしば呼ばれる13)。
内側前頭前皮質は自己に関係する判断に関連している14)。また自伝的記憶の想起15)、および感情的な自己内省16)にも関連している。換言すれば、内側前頭前皮質には、自己の心を理解しようとする働き(self-meltalization)をサポートする働きがある。
Baars、Ramsoy、Laureys17)は、自己に関連する前頭皮質において、より後方の感覚野からの情報を解釈する際に、どの領域で意識的な知覚が起こるのか、その場所についてのモデルを提示している。
しかし、Goldberg、Harel、Malach18)は、BaarsらとCrickとKoch‘s13)の予測とは対照的に、内側前頭前皮質と後方の身体的感覚領域との間には相互的な関係性があることを発見した。
Goldbergらの研究では、被験者たちは、fMRI(注5)に入った状態である映像を見た。自己内省を課題とするグループでは、被験者は映像からどんな気持ちが喚起されるか感じ取るよう指示され、良い感情と悪い感情を感じるときにそれぞれのボタンを押すよう指示された。感覚分類課題(注6)のグループでは、被験者は映像を見て、その視覚情報が動物か動物でないかを判別してそれぞれのボタンを押すことになっていた。それらの2つの映像は同一の条件によって構成されていた。感覚分類課題はさらに速い課題と遅い課題に分けられ、速い課題はより困難な課題であった。
自己内省の課題の間、被験者は左の内側前頭前皮質、上前頭回、前帯状回、傍帯状回(paracingulate)の選択的活性化を示した。内省課題と感覚における遅い分類課題では、被験者は後帯状回、楔部溝と頭頂葉下部(IPC)で活性化を示した。このネットワークは、Raichleほか19)によって発見されたデフォルト・モード・ネットワーク(注7)に大きく重なっていた。
目的志向的な活動をしない時は、被験者の脳活動のパターンは、自分自身について考える、または内省的になっていた。したがって、明確な内省的課題の場合、同じネットワーク内においては活性化が選択的になるのは驚くことではない。困難でない感覚分類課題においても同様で、そこには心が自由にさまよう余裕がある。
しかし感覚分類課題、なかでもより困難な速い課題については、被験者は前頭皮質の抑制と、階層的な視覚処理と関連する後方領域において選択的な活性化を示した。後方領域の選択的な活性化は、一次視覚野から外側後頭複合体(LOC)、頭頂骨、運動前野と運動野までであった。
Goldberg等の研究18)を私たちの議論に関連させると、二つのことが考えられる。
一つ目は、自己の意識に対する気づきには、自己を観察すると考えられたホムンクルス的な存在は必要ないということである。内側前頭前皮質を基盤とすると、外側後頭複合体の領域で感覚的な表象を「知覚」しそれを意識するためには、後頭頭頂葉の活性化のみで十分なのである。つまり、それ以上に前頭前皮質で知覚情報が処理される必要はないのである。
CrickとKoch13)またはBaarsら17)によると、意識できる知覚は「自己」の基盤である前頭前皮質と感覚野とのやり取りで生じると仮定されるのだが、Goldbergらの結果はその仮定と矛盾している。自己を意識するということには意識の上での気づきは不必要なのである。
二つ目は、Goldbergらの研究の結果は、Kinsbourneの統合的場の理論(Integrated Field Theory)に沿っているということである。統合的場の理論においては、気づきながら視野が移動する場合、皮質上競合する下位ネットワーク間の活性化の強さを変化させることになる。Kinsbourneの枠組み19)を正しいと仮定すると、Goldbergらの結果の示唆するところは、自分の心を理解するのは主に脳前部の活動であり、課題への指向や感覚運動に関しては脳後部の活性である、ということであろう。
Kinsbourneによる半側空間無視における取り組みでは、右脳から左脳への活性化の移動とそれに伴う左側の視野の無視について詳しく述べられているが、Goldbergらの研究結果も同様な脳活動の変化を示唆している。具体的には、難易度の高い感覚運動の課題においてそれに集中する際に、脳前部のネットワークから脳後部のネットワーク、またそれと関連した自分の心を理解する脳活動から、感覚課題に対する意識への脳活動に移行するのである。
瞑想の実践者がサマーディの際に、自己の心を理解しようとする(self-mentalization)働きが消えたと報告するのだが、Goldbergらの発見は、その理由を与えてくれるように思われる。
一般的には内省と瞑想は似たような使い方をされているが、これらの二つの活動は全く異なるものである。アーナパーナ・サティあるいは呼吸へのマインドフルネスは、感覚運動としての課題である。Goldbergらの研究では視覚や聴覚が強調されているが、アーナパーナ・サティは自己受容性の感覚、あるいは触覚の感覚に関する課題である。
実際、アーナパーナ・サティの課題はGoldbergらの感覚分類課題に似ているが、それは単なる偶然だとは考え難い。感覚分類課題においては、被験者は視覚(あるいは聴覚)を刺激され、その刺激を分類した。一方、自己内省課題の被験者たちは、視覚刺激を感じ取った後に、その刺激から生じる感覚について快か不快かを判別した。そして感覚分類課題の段階においては、感覚的な内容や概念的な判別について注意が必要とされる。
アーナパーナ・サティにおいても、感覚を取るという課題については基本的には同じである。瞑想者は呼吸に伴う鼻の先と上唇、あるいは下腹部といった身体的な感覚に十分に注意を向けなければならない。そして自己の視点からの価値判断をしないよう、単にそれを経験するよう教示される10)。
Goldbergらによると、前頭前皮質と後頭部の感覚運動野の相互的な活性化パターンは、抑制の唯一のパターンではないことが示唆されている。異なる感覚器官を一つの課題に関与させると、自己の心を理解しようとするネットワークを抑制するのと同じ抑制を作り出す。したがって、価値判断をしない自己受容性感覚、あるいは触覚に関する課題に取り組むことで、デフォルト・モード・ネットワークの前頭前皮質による抑制を引き起こしていると考えてよいだろう。Czikszentmihalyi20)は、例えばダンスや運動競技等の身体的な課題を行なっている際に自己意識の感覚が消失すると述べている。ただ、脳画像による根拠がないうちは確証はできない。
Goldbergらの研究に参加した被験者たちが感覚分類課題に集中した時には、デフォルト・ネットワーク内においてある程度の抑制が示された。この価値判断を伴わない課題への集中は、Czikszentmihalyiが「フロー」と呼ぶ現象に関連する主観的な体験である。したがって、呼吸に伴う身体感覚の高い活性化と、自己の心をそのまま受容することによるデフォルト・モード・ネットワークによる脳活動の抑制が、ウパチャーラ、あるいは心の集中を作り出す可能性がある。つまり、脳のこの部位における活動が安定化すると、瞑想者の内的体験は自己を離れた状態で、より穏やかで安定し、ジャーナ体験へと誘われていくように思われる。
ジャーナ
Hagertyら12)の研究は、fMRIを使ってジャーナの状態を調べた最初の試みである。彼らの唯一の事例である被験者は、スリランカの伝統であるテーラワーダ仏教にて訓練を受け、17年間で累計6000時間の瞑想経験を持つ55歳の男性であった。
この研究で被験者は、ジャーナへと体験が移り変わる際にボタンをクリックするように指示を受けた。Hagertyらはこの研究において、サマーディに関するこれまでの現象学的な報告を元に、五つの予測を立てていた。
1.外界の現象への気づきは薄い。
2.内的な言語化はない。
3.個人の境界線の感覚が変容する。
4.瞑想者は瞑想の対象に対するとても強い集中を示す。
5.喜びの感覚が増す。
実験では、これらの予測通りの結果がもたらされると同時に、日常における憩いの状態にある時の脳活動と比較して、ジャーナを体験している際には瞑想者の視覚野と聴覚野の活動が低下していることが発見された。
具体的に言うと、ブロードマン17-19野、41-42野の活動が低下していたのである。これはHagertyらの第1の予測である視覚と聴覚の情報処理の低下を支持している。
さらにブローカ野(BA44、45)とウェルニッケ野(BA39、40)の活動低下をも示しており、それらは内的な会話が静まっていることを示唆している。頭頂部の皮質は、身体感覚の主観的な形象化に関連するとされていた21)が、ジャーナの間はこの部位の活性化も低下していた。
この上頭頂小葉への神経回路の遮断は、被験者の身体境界線の感覚が変容していたこと、具体的には物理的な境界線のない意識感覚になっていたことを示している。この結果はBeauregardとPaquette22)によって再現された。彼らはキリスト教修道院による報告書「神との神秘的な一体化(mystical union with God)」(p.187)において、視床後外側核から上頭頂小葉への伝達の遮断について報告している。
またNewbergとInverson23)は、この後頭頂葉部への回路が閉ざされて網様核の高い活性化が起きる際に、視床後外側と膝状体へ放出されたγアミノ酢酸(GABA)の増加について調べた。さらに彼らは、この視床における活性化と、それに伴って起こる後頭頂皮質へのシグナル伝達の抑制は、ウパチャーラからサマーディの段階へ移行する時のように、2番目のジャーナを通じて自発的に強く生じる右側の前頭前皮質の活性化によって引き起こされると仮定した。
こうした回路が遮断される程度は、被験者たちが瞑想対象(BeauregardとPaquetteの場合は神のイメージ)に注意を持続する度合い、また2番目のジャーナに移行する際、僧がヴィタッカやヴィチャーラを放っていく際に生じる対象なき集中の度合いと対応しているのである。
2番目のジャーナへ移行するような場合には、回路の遮断はより完全となる。頭頂葉が空間における身体の経験を作り出すという通常の情報処理を行わせないことで、この回路の遮断は、覚醒した中においても自己に拘束されない、通常でない意識体験を作り上げるのである。
瞑想中には、視床から頭頂葉そして後頭葉にかけてのγアミノ酢酸性の活動増加が生じるが、そのさらなる影響として、感覚情報に対して鋭さが高まることが挙げられる。これは集中力を邪魔する心の作用が少ないこと示す明確なサインである24)。
NewbergとIversonはさらに、後頭頂皮質の回路の遮断と右の海馬の活性に関係性を見出した。それは海馬と皮質活動において調整的な関係性があるということである。瞑想中に右の海馬が刺激されると、右の扁桃体にも活性化が広がる25)。そして右の外側扁桃体への刺激は、腹内側の視床下部を活性化させ、副交感神経系を活性化させる26)。この副交感神経系の活性化は、サマーディ、特に4番目のジャーナに生じるウペッカー、あるいは平穏の要素と関連したリラクゼーションと深い静寂を説明し得るであろう。
Hagertyら12)は、ウパチャーラと1番目のジャーナの際に、前部帯状回が比較的活性化していることを見出した。このことは、これら初期の段階では、意図的な集中が必要であることと一貫性がある。しかし、彼らは2番目から4番目のジャーナにおいては、前部帯状回の活性化が基準値と比較して低下していることも発見した。これも同様に、これらの段階では瞑想における注意の対象(呼吸)が集中すべき対象ではなくなり、注意が解き放たれることと一貫している。
またHagertyらは1番目と2番目のジャーナにおいて、側坐核と内側眼窩前頭皮質の活性化が高まることも発見した。彼らはそれらの活性化を、食物、セックス、金銭、その他の快を伴う外的な刺激によって最も活性化するドーパミン報酬システムとして挙げている。Hagertyらの被験者は、外的な要因なしに、内的な要因によってドーパミン報酬システムを刺激できるようでもあった。
側坐核および内側眼窩前頭皮質の活性化は、自己報告されるピーティ(喜)、すなわち身体感覚の強い快であると考えられる。Hagertyらは、瞑想者が2番目から3番目のジャーナに移行する際にこのピーティが終わると、側坐核や内側眼窩前頭皮質の活性化が通常の基準値まで戻ることを観察した。
1番目と2番目のジャーナにおける強い快は、瞑想実践の最終目標ではない。RatherとHagertyらの被験者はウパチャーラの時に、外的な対象への意図的な注意の集中から自然に解放されたのだが、その後の1、2番目のジャーナの際に、ピーティ(喜)とスカー(楽)は、どんな刺激に対してもそれに近づいたり避けたりする必要性を感じさせない強い満足感を促す役割を果たしたと報告している。
この平等感あるいはウペッカー(捨)は、4番目のジャーナへ移るサインでもある。4番目のジャーナでは、この平等感覚と一点への気づきのみが残る。これがサマーディの絶頂である。注意には定まった方向性がなく、快も嫌悪もない。感情的な満足感はなくなり、残るのは覚醒と鮮明な一点に集中した平等な意識である。この状態から瞑想者は、洞察の瞑想であるヴィパッサナーの取り組みを始めるのである。
瞑想における没入の効果
伝統的にサマーディは、宗教的な生活に関与する仏教徒の訓練の一つである。巧妙さ、落ち着き、心地よい意識状態、注意の熟達、感情的反応の制御を培うことは、仏教の伝統における真の目的につながる。仏教における真の目的とは、苦しみの源に関する洞察を得ることで苦しみを超克することである。
この宗教的な背景にもかかわらず、あるいは時代精神的に適切なものとしての延長にあるのかもしれないが、仏教瞑想の「精神的な技術」は仏教文化に触れてこなかった多くの人々にも受け入れられている。それには西洋の修道院や心理臨床家、科学者、そしてマインドフルネスに価値を見出す一般の人々が含まれている。
過去10年間、認知神経科学の研究の爆発的な拡大によって、アナパーナ・サティの瞑想あるいはマインドフルネスの、神経学的な、感情的な、そして認知的な効果が検証された27)。サマーディの状態で培われた心のあり方は、瞑想者がその意識変容の状態から抜け出た後にも、その後の体験の仕方に影響を与える。したがって、伝統的な仏教瞑想の実践は、世俗的な目的に適応されることに労力が注がれている28)。
前節では、ジャーナの段階を経てサマーディに達する際に即座に生じる神経学的な変化について論じてきた。この結びの節では、サマーディに関する長期的な神経学的基盤の変化と、認知的な機能について述べる。本節は、仏教の枠組みに対しての科学的、臨床的な興味の根拠を示すことになるだろう。
Bishopら29)は、マインドフルネスを注意と経験に関する心の方向づけ(注8)の自己制御と定義づけている。研究者たちはマインドフルネス、あるいはアナパーナ・サティ実践の認知機能における効果を様々な尺度で再現している。6週間の瞑想実践を行なった被験者においては、認知的柔軟性の向上がストゥループ・テスト(注9)で、また情報処理の速度、規則順守、パフォーマンスの質向上がd2注意耐久性テスト(注10)で示された30)。
一日20分間の瞑想を2週間続けた被験者は、ワーキングメモリ(注11)の能力が高まりGRE(The Graduate
Record Examinations)の読解の点数が向上した。この研究の被験者たちは、余計な考えに邪魔されなくなったと報告している31)。
MacLeanらの研究32)によると、1日5時間の瞑想を3カ月間続ける瞑想リトリートに参加した瞑想者は、視覚の敏感さ、覚醒度合い、視覚的ワーキングメモリの精度、注意の持続が、対照群と比較して向上していた。つまり瞑想により、より短期的な認知的影響が生じる可能性もある。
Zeidan、Johnson、Diamond、DavidとGoolkasian33)は、一日20分4日間の瞑想をした群において、連想語検査、指標追跡とワーキングメモリの検査である数字モダリティ―検査(SDMT:The Symbol Digit Modalities Test )、Nバック課題(注12)でのパフォーマンスの向上、また疲労と不安の減少を見出した。
これらの認知課題におけるパフォーマンスの変化は、神経ネットワークに関連した長期的な構造の、または機能的な変化を示唆しており、実際この様な可塑性は複数報告されている。
Lazarら34)はMRIを用いて、平均して1日40分の伝統的なヴィパッサナー瞑想を9年以上続けている瞑想者の皮質の厚さを調べた。対照群と比較すると、右の中前頭と上前頭溝、右の前部島、後頭皮質から側頭皮質にかけての視覚皮質、また注意、内受容感覚、感覚情報の処理に関するとされていた部位の厚さが増していた。年齢が高い被験者においては、厚さの差が特に顕著であった。これは瞑想には加齢による皮質の希薄化(薄くなること)を相殺する効果があるという可能性を示唆している。
Luders、Toga、Lepore、およびCaserの研究35)では、日本の禅、チベットのサマタ、タイのミャンマー瞑想、スリランカのヴィパッサナーのように、さまざまな仏教伝統からの被験者が含まれていたが、サマーディはそれら全ての瞑想で同じような形で教えられ実践されていた。彼らは1日10から90分間、5から46年間にわたり瞑想を実践していた。
それらの瞑想者の脳では、対照群と比較して右の眼窩前頭皮質、右の視床、左の下側頭回で灰白質の質量増加、そして右の海馬で灰白質の質量が大きく増加していることが分かった。瞑想者たちは、感情の調整と反応のコントロールの実践によって、これらの部位を使っていたのであろう。Lazarらの研究25)において右の海馬が、腹内側の視床下部を介して副交感神経の活動と関係しているという結果から考えて、Ludersら35)の結果は予測されるものである。このような構造的な変化は、感情的落ち着きの能力の根本的かつ特性的な変化を示唆している。
結論
本稿はサマーディ、そしてジャーナの現象学的な描写と、現段階で分かっているこの意識変容の体験に関する神経学的な知見を関連させる試みであり、仏教のダンマ、認知心理学、認知神経学の視点からサマーディについて論ずるものである。また瞑想の没入に関する神経学的なメカニズムを明確にするための神経脳画像についての知見について述べた。そして最後に、短くではあるが、サマーディに関する認知的、感情的、また神経学的な効果に関する知見を述べ、このような現象への研究的意義についてその理由を挙げている。
私見ではあるが、この分野においては継続的な研究への準備は整っていると思われる。それは仏教のアビダルマがとても正確で技術的な現象学的描写の基盤を提供しているからである。そしてそれは、変容した意識状態、そしてその応用としての人間の美徳の向上と苦しみの軽減を目的とした、今後の神経科学的な検討のための理想的な基準点となると考えている。
翻訳:鈴木孝信(東京多摩ネット心理相談室)、南和行(カウンセリングルームすのわ)
(編集部:注)
1.第一禅定から第四禅定までの四禅定のこと。
2.仏教では始めの禅定(第一禅定、初禅)を支える要素として尋・伺・喜・楽・一境性があげられている。
3.呼吸による気づき。
4.禅定の前段階の心の集中。upacāra-samādhi、近行定。
5.核磁気共鳴を利用して、脳や脊髄の活動に関連する血流動態反応を視覚化する方法。
6.被験者は先ず視覚(あるいは聴覚)を刺激され、そしてその刺激を感じ取り、それに対して快不快を判別する課題。
7.安静時の脳の活動状態
8.マナシカーラ(manasikra、作意)に通じる。
9.習慣化した動作を意識的に 耐えなければならない認知調節力テスト。
10.選択および持続的注意および視覚的検索速度の神経心理学的測定。“The
d2 Test of Attention is a
neuropsychological measure of selective and sustained attention and visual
scanning speed.”
11.作業記憶。“working
memory”短い時間に心の中で 情報を保持し,同時に処理する能力のこと。
12.脳機能イメージングなどの分野で実験参加者の脳・活動を調べる際や心理実験などでよく用いられる持続処理課題。“n-back task”“Continuous Performance
Task”
(参考・引用資料概略)
1.Bhikku Bodhi(2000)
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7.Varela(1996)
8.Nyanaponika Thera(1976)
9.Shankman(2012)
10.Bhikku Nanamoli(2010)
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34.Lazarら(2005)
35.Luders、Toga、Lepore、Caser(2009)
(原注)
Appendix
Glossary of Pali terms
Abhidhamma – a
systematized body of literature organizing and tabulating phenomenological concepts
from the Buddhist sutras. The Abhidhamma is composed of seven books, not all of which have been
translated into English. Sri Lanka and Myanmar have traditionally been the
centers of Abhidhammic scholarship.
Apanasati –
mindfulness of the breath
Dukkha –
dissatisfaction, or suffering
Ekaggataa –
one-pointed attention
Jhana – a stage of
meditative absorption. There are either four or nine jhanas, depending on the
source. Each jhana is characterized
by the presence or absence of each of the six jhana factors.
Pali – the language of
the Buddhist cannon. Pali was a lingua franca in north India in the third century BCE,
but is now a dead language and used only to access the Buddhist texts.
Piiti – joy, or pleasure
Samadhi –
meditative absorption
Sati - mindfulness
Sukha - happiness
Theravada – form
of Buddhism dominant in southeast Asia and Sri Lanka. Widely regarded as the
oldest and most authentic school of Buddhism.
Upacaara –
“access consciousness,” where the sensation of breathing is the only object of consciousness
Upekkha -
equanimity
Vicaara –
retention of the mind on the object
Vitakka –
movement of the mind onto the object
(原参考・引用資料)
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