月刊サティ!

             Good question good answer    

                       ―仏教を正しく理解するために― 
                                                          SDhammika 長老 

20121月号~6月号)

10.比丘と比丘尼

Q.仏教では僧院が重要とされています。比丘と比丘尼を定めた目的は何でしょうか。彼らは何をしなければならないのでしょうか。

A.ブッダが比丘と比丘尼の集団を設立したのは心を成長させるのが比較的容易な環境を整えるためです。
  在家信者たちは比丘、比丘尼に食べ物、衣服、住処、薬などの生活必需品を提供します。これにより出家僧は法の学習と実践に専念できます。
  秩序だった簡素な僧院での生活様式は内的な平穏をもたらし、瞑想が容易になります。見返りとして比丘と比丘尼は自分が得た知識を地域社会と共有し、善い仏教徒のモデルとなることが期待されます。
  実際は、この基本的な使命は、当初ブッダが意図したものをはるかに越えています。今日では、比丘や比丘尼が学枚の先生になったり、社会福祉、芸術、医療に関わったりすることがあります。時には政治に関わることさえあります。仏教を普及するためであればそのような仕事をしても問題ないと主張する人たちがいます。
  一方でそのようなことをすれば比丘も比丘尼も俗世間の問題にいとも簡単に巻き込まれ、そもそも何のために出家して僧院に入ったのかを忘れてしまう、と指摘する人もいます。

Q.悟りを得るためには出家して比丘、比丘尼にならなければならないのでしょうか。

A.もちろん違います。ブッダの弟子の中で最も修行が進んだ人たちのなかには在家の信者もいます。
  心が十分成長していたため比丘に指導した人もいます。仏教では理解がどの段階に進んでいるかが最も大切であり、黄色い衣をまとっていようが、ジーンズをはいていようが関係ありません。出家も在家も関係ありません。
  ある人は利点、欠点を踏まえた上で、僧院での生活が心の成長に最適の環境であると考えるかもしれません。別の人は喜怒哀楽にまみれた在家の生活が最良であると思うかもしれません。この点は人それぞれです。

Q.なぜ比丘、比丘尼は黄色い衣をまとっているのですか。

A.古代のインド人たちはジャングルの様子を詳しく調べる時、どの葉が落ちそうか葉の色で判別していました。
  黄色、オレンジ色、茶色になったら、その葉はまもなく落ちます。その結果インドでは黄色を出家者の色に定めたのです。比丘と比丘尼は黄色い衣を着ることで執着せず、手放し、諦めることの大切さを常に思い出すのです。

Q.比丘や比丘尼が頭を射るのは何のためですか。

A.私たちは普通自分の外観、特に髪の毛に大変な気を使います。女性は良いヘアスタイルを重視し、男性は禿にならないことに大変な関心を払います。髪の毛を良くみせるためには大変な時間を要します。頭を剃ることで比丘も比丘尼も、真に大切な事により多くの時間を割くことができます。剃髪はまた、外観よりも内的な変化により多くの注意を払う、という考えを象徴します。

Q.比丘になることは大変良いことだと思いますが、すべての人が比丘になってしまったらどうなりますか。

A.その質問はどの職業にもあてはめることができます。「歯医者になるのは大変良いことだと思いますが、すべての人が歯医者になってしまったらどうなりますか。先生も、料理人も、タクシーの運転手もいなくなってしまうのではないですか」「先生になるのは大変良いことだと思いますが、すべての人が先生になってしまったらどうなりますか。歯医者などがいなくなってしまうのではないですか」
  ブッダはすべての人が比丘、比丘尼になれとは言っていません。もちろん現実にはそのようなことはあり得ません。しかし、簡素な出家生活に心ひかれ、何よりもブッダの教えに楽しみを見いだす人たちはいつの時代にもいます。
  そして歯医者や先生と同じように特別な技術と知識を身につけて自分が居住する地域社会に貢献できるようにするのです。

Q.物を教えたり、本を書いたり、社会活動をする人はそうかもしれません。でも何もせずただ瞑想ばかりしている比丘や比丘尼の場合はどうでしょうか。彼らは地域社会にとって何の役にたつのですか。

A.瞑想する比丘は科学者に例えることができます。社会は、実験室の中で実験に専念する科学者を支援します。
  やがてその科学者が何かを発見ないし発明して、それが社会全体に恩恵をもたらすだろうという希望があるからです。
  同様に仏教社会は、瞑想する比丘(彼の必需品は簡素なものですが)を支えます。やがて彼が智慧と洞察を得て社会全体に恩恵をもたらすことを期待しているからです。
  しかし洞察や智慧を得るまでにいたらなくても、あるいは全く得ることができなくても、瞑想する比丘は他者に利益をもたらします。
  現代社会の一部ではお金持ちや有名人の生活様式、ぜいたく、浪費、道楽が、目指すべき理想の姿あるいは少なくとも羨望の対象となっています。瞑想する比丘が模範となって、豊かにならなくても満足した生活を送れる、ということを思い出させてくれます。優しく簡素な生活様式が多くの利点を有することを示してくれます。

Q.仏教では比丘尼は途絶えてしまったという話を聞いたことがありますが。

A.ブッダご在世の時には比丘尼の集団を作り、500600年にわたって比丘尼が仏教の布教と発展に重要な役割を果たしました。
  しかし理由は定かではありませんが、比丘尼が比丘と同じ尊敬を得たり、支援を受けたりすることは決してありませんでした。
  そしてインドや東南アジアでは比丘尼の系譜が途絶えてしまいました。
  しかし、台湾、韓国、日本では比丘尼は今でも栄え続けています。今日、スリランカでは台湾から比丘尼を招待し、比丘尼の伝統を復活させようという動きがありますが、保守的な人たちはあまり乗り気ではないようです。
  しかし、ブッダのもともとの意図に従えば、女性が男性と同じように僧院で生活するチャンスを得て、その恩恵を受けるのは全く問題ないと思います。

11.仏典

Q.ほぼすべての宗教に何等かの聖典や聖書があります。仏教における聖典は何ですか。

A.仏教の聖典は三蔵と呼ばれています。パーリ語という古代インドの言葉で書かれています。パーリ語はブッダご自身が話されていた言葉に近いとされています。三蔵は膨大な量があり、英訳は40巻近くになります。

Q.三蔵の意味は何ですか。

A.三蔵(tipitaka)は三を表すtiとカゴを表すpitakaの二つが組合わさったものです。
  前半の三は仏教聖典が三つの部分からなることを指しています。
  第二部は経蔵と呼ばれ、ブッダの教義の全てと悟りを得た弟子たち数人の教義が収載されています。経蔵に収められた経典は極めて多岐にわたり、ブッダが説かれた真理が様々な人々に伝わるようになっています。ブッダの教えの多くは説法の形をとっていますが、対話形式のものもあります。
  ダンマパダのように詩を使ってブッダの教えを表現しているものもあります。
  また別の例をあげると、ジャータカでは動物を主人公とした愉快な物語が語られています。三蔵の第一部は律蔵です。比丘、比丘尼の規範と行動様式、僧院管理運営についての助言、僧院集団初期の歴史が書かれています。
  第三部は論蔵で、個々の生命存在の構成要素を複雑かつ洗練された形で分析、分類しようと試みています。論蔵は経蔵、律蔵よりも少し歴史が浅いのですが、内容的に矛盾するところは全くありません。

  pitaka(カゴ、蔵)についてはどうでしょうか。
  古代インドの建設労働者はカゴをリレーすることで建設資材を運搬していました。カゴを頭に乗せてある距離を運び次の人に手渡す、この作業を繰り返すのです。
  ブッダの在世当時は、文書は単なる伝達手段に過ぎず信頼性の点で人間の記憶に劣ると考えられていました。本はモンスーンの湿気の中で腐ったり、シロアリに食われたりしてしまうこともありえます。
  このため比丘、比丘尼たちはブッダの教えを記憶にとどめ、建設労働者が土やレンガを手渡しで運んだように人から人へと伝えていったのです。
  仏典がbasket(カゴ、蔵)と呼ばれるのはこのためです。仏典は数百年にわたりこのように保存され、最終的に紀元100年スリランカで文書化されました。

Q.仏典がそんなにも長い間人の記憶で伝えられたとしたら、ほとんど信用できないはずです。ブッダの教えの大半は失われたり、変更されたりしたことも考えられると思います。

A.仏典の保存は比丘、比丘尼たちが総力をあげて行いました。定期的に参集して三蔵の一部あるいは全部を唱和しました。これにより内容の変更や追加は事実上不可能となります。
  こんな風に考えてみてください。100人の人がある歌を覚えていて、そらで歌うことができたとします。皆で合唱しているときに誰かが歌詞を間違えたり、新しい歌詞を追加したりしたらどうなるでしょうか。正しい歌詞を知っている全員が、歌詞を変えさせないようにするでしょう。
  もう一つ大事なことは、当時はテレビや新聞や広告など、心をそらしたり乱したりするものはありませんでした。
  また比丘も比丘尼も瞑想者であり、記憶力は抜群でした。書物が普及するようになって久しい今日でも三蔵全体を暗唱できる比丘がいます。ビルマのメンゴン・セヤドゥもその一人で、世界一の記憶力としてギネスブックにのっています。

Q.仏教徒にとっての仏典の重要性はどれほどのものでしょうか。

A.仏教とは三蔵を絶対的な神の啓示、そのすべてを信じなければいけないものとはみなしていません。
  仏典は偉大な人間の教えの記録であり、説明、助言、手引き、勇気付けなどを記しています。思慮深く敬意を持って読むべきものです。
  目標は三蔵の教えを理解することであり、やみくもに信じるものではありません。ですから、ブッダの言葉は常に自分の経験に照らし合わせて検証すべきものです。
  仏教徒の仏典に対する姿勢は、科学者の科学雑誌に対する態度になぞらえることもできるかと思います。科学者は実験をし、その発見した事実と結論を雑誌に掲載します。他の科学者たちはその論文を読み、敬意をもって扱いますが、追試して同じ結果がでるまでは妥当性や権威を認めることはありません。

12.歴史と発展

Q.仏教は現在多数の信者を抱え、様々な国で信奉される宗教となっています。どのようにしてここまでたどりついたのですか。

A.ブッダの般涅槃後150年までにブッダの教えは北インド全体の広い範囲に広がっていました。
  その後紀元前262年ごろ、インドのアソーカ王が仏教に改宗し、王国全体にダンマ(法)を広めました。
  ブッダの崇高な倫理基準、特にヒンドゥー教のカースト制度を批判する姿勢に多くの人々が心ひかれました。
  アソーカ王はまた大きな集会を開き、近隣諸国、遠くはヨーロッパまで伝道のため比丘を派遣しました。特にスリランカでの伝道は大成功となりました。島全体が仏教徒になり、以後それが今日まで続いています。他にも南インド、西インド、カシミール地方、南ビルマ、タイ半島などにも伝道団が送られました。
  その後100年少々経つとアフガニスタンと北インドの山岳地帯も仏教圏となりました。その地域の比丘や商人が中央アジアから中国へと徐々に仏教を持ち込みました。
  その後は中国から韓国、日本へと広がっていきました。興味深いことは中国に根付いた海外思想は仏教だけです。
  12世紀頃にはビルマ、タイ、ラオス、カンボジアの最大宗教となりましたがこれは主にスリランカからの比丘の尽力によるものです。

Q.チベットはいつ、どのようにして仏教国になったのですか。

A8世紀頃、チベットの王様がインドに特使を派遣し、比丘たちを自国に招き、また経典を持ち帰らせました。仏教は人気を得ましたが、土着のボン教の反対もあり、主要な宗教にはなりませんでした。
  11世紀にインドから多数の比丘、指導者たちがチベットに入国し、ついに仏教は不動の地位を獲得しました。以来、チベットは世界で最も仏教に熱心な国になりました。

11.仏典 - 2

Q.仏教はたいへん広い範囲に広まったのですね。

A.はい。しかし、それだけではありません。仏教が広まる過程で土着の宗教を迫害したり、あるいは征服した軍隊が仏教を強要したりするようなことは全くありませんでした。
  仏教は一貫して柔和な生き方を説いています。仏教徒は力ずくで信条を強要することを嫌います。

Q.仏教が広まった国々はどのような影響を受けたのですか。

A.比丘たちが仏教伝道のため他国に入る時は、ブッダの教えだけでなく、インド文化の最も良いところを同時に持ち込むのが常でした。
  比丘たちは時に医学に堪能で、今まで医療技術が乏しかった地域に新しい医療の概念を伝えました。また、スリランカ、チベット、中央アジアの一部では比丘たちが紹介するまで書物はありませんでした。そしてもちろん書物の導入によって、それらの地域に新しい知識や考え方がもたらされたのです。
  仏教が伝来する前、チベット人やモンゴル人は野蛮で無法な人々でしたが、仏教により柔和で文化的な民族に変わりました。インド国内でも仏教のおかげで動物の生け贄が下火になりました。カースト制度も少なくとも一時的には厳しさを和らげました。
  今日でも仏教はヨーロッパやアメリカに広がり、現代の西洋心理学は、人間の心に対する仏教の洞察に影響を受けはじめています。

Q.なぜインドでは仏教が途絶えてしまったのですか。

A.この不幸な展開について満足できる説明はいまだかつてなされていません。ある歴史家は、仏教があまりにも堕落したため人々の心が離れてしまったからだと説明しています。
  仏教がヒンドゥー教からあまりにも多くの概念を取り入れたため、徐々にヒンドゥー教との区別がつかなくなったからだと言う人もいます。
  また比丘たちが、王族が支える大寺院に集まるようになり、仏教が一般の人々から遠ざかってしまったからだという説明もあります。
  理由はどうあれ、8世紀から9世紀には既にインドの仏教は深刻な衰退に見舞われ、13世紀にイスラム教がインドを席巻した際の混乱の中で完全に消滅してしまいました。

Q.でも今でもインドには仏教徒はいるのではないですか。

A.はい、います。そして20世紀の半ばから仏教が再び栄え始めています。1956年、インドのカーストの一つである不可触賤民(※)のリーダーが仏教に改宗しました。
  ヒンドゥー教のカースト制度のもとで、仲間が大変な苦しみを負っていたからです。その後、仏教徒の数は約800万人に達し、今でも増え続けています。(※:今日の観点から見れば考慮すべき訳語ではありますが、あえて言い換えはせず、原文に忠実に訳しました)

Q.仏教が初めて西洋に伝来したのはいつですか。

A.最初に仏教徒になった西洋人は、おそらく紀元前3世紀にアレクサンダー大王が東征した後、インドに移り住んだギリシャ人だと思われます。最も重要な古代仏教徒の書籍の一つはmilindapañhaで、インドの比丘、ナーガセーナとインド―ギリシャの王であるミリンダの対話から構成されています。
  新しくは、19世紀末に学者たちが仏典を翻訳し、仏教についての書物を書くようになってから西洋社会でも仏教が称賛と敬意を博するようになりました。1900年代初頭には少数の西洋人が仏教徒を自称するようになり、一人か二人は比丘になりました。1960年以降、仏教徒の数は着実に増加しており、今日では多くの西洋諸国で仏教徒が重要な小集団を形成しています。

Q.異なる種類の仏教がありますが、少し教えていただけますか。

A.絶頂期には仏教はモンゴルからモルジブ、バルフからパリへと広い地域に広がり、このため多くの異なる文化の人々に合わせて変容しました。
  さらには何世紀にもわたって伝えられ、人々の社会活動、知的活動が発展するにつれ、それを取り込み、あるいはそれに合わせなければなりませんでした。
  その結果、ダンマ(法)の本質は同じですが、外見的には大きく変化しました。今日、仏教にはテーラワーダ、大乗、金剛乗の三つの大きな流れがあります。

Q.テーラワーダとは何ですか。

A.テーラワーダとは長老の教えという意味で、主にパーリ三蔵に基づいています。テーラワーダは他の流れよりも保守的で、僧院での活動を中心に置いています。
  ダンマの基本を強調し、より簡素にそして厳しくアプローチします。今日では主にスリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアでテーラワーダ仏教が実践されています。

Q.マハーヤーナ(大乗仏教)とは何ですか。

A.紀元前1世紀ごろ、ブッダの教えの一部がより深く探求されるようになりました。
  同時に社会も発展し、より現代的な新しい解釈が求められるようになりました。このような新しい展開と教義の解釈から多くの学派が設立され、マハーヤーナ(大乗仏教)と呼ばれるようになりました。
  マハーヤーナとは大きな乗物という意味で、俗世間から出家した比丘、比丘尼だけでなく、すべての人に関連する仏教であると主張しています。
  インドでは最終的にマハーヤーナ(大乗)が主流となり、今日では中国、韓国、台湾、ベトナム、日本で実践されています。テーラワーダ仏教徒の一部は、大乗仏教がブッダの教えを歪曲していると言っています。
  一方で大乗仏教徒は、変化は全ての真理の中で最も基本的なものであることをブッダも認めていると指摘し、大乗仏教におけるダンマの解釈の変容は樫の木がどんぐり(樫の実)の変形であるというような些細なものだと言っています。

Q.ヒーナヤーナ(小乗)という言葉をよく耳にしますが、どんな意味ですか。

A.マハーヤーナ(大乗)が発展すると、それ以前の仏教と区別する必要が生じ、自分たちの教義をマハーヤーナ(大乗)、大きな乗物と呼ぶようになりました。
  そしてそれ以前の仏教をヒーナヤーナ(小乗)、小さな乗物とあてこするようになりました。
  したがって、ヒーナヤーナ(小乗)という言葉は大乗仏教徒がテーラワーダ仏教につけた少し偏狭な用語です。

Q.ヴァジラヤーナ(金剛乗)についてはどうですか。

A.この種の仏教は6世紀から7世紀にかけて、インドで始まりました。当時のインドではヒンドゥー教が再興し、大きく栄える途上にありました。
  これに応じて仏教徒の一部がヒンドゥー教の一面、特に神々の信仰、手の込んだ儀式の影響を受けました。ヴァジラヤーナ(金剛乗)は11世紀にチベットで確立し、さらなる発展を遂げました。
  ヴァジラヤーナとはダイアモンドの乗物という意味で、破ることができないと仮定されている論理、ヴァジラヤーナ仏教徒が自分たちの考えを正当化し擁護するための論理について言及しています。
  ヴァジラヤーナは伝統的な仏典よりもタントラと呼ばれる文献に重きを置いており、タントラヤーナと呼ばれることがあります。ヴァジラヤーナ(金剛乗)は現在、モンゴル、チベット、ラダック、ネパール、ブータン、そしてインド在住のチベット人に普及しています。

Q.これってひどく混乱するのではないですか。仏教を実践したいと思ったらいったいどのタイプの仏教を選べば良いのですか。

A.川に例えてみましょう。川の水源に行き、次いで河口に行って見てください。まるっきり違ったものに見えると思います。でもその川を水源から辿ってみてください。丘や谷をくねくねと曲がって流れ、滝になり、数々の小さな流れが合流し、やがて河口へたどり着きます。
  この様子を見ればなぜ水源と河口が全く違ったものに見えるのかがわかると思います。
  もし仏教を学びたいと思ったら、まず最も古い基本的な教え、四聖諦、聖なる八正道、ブッダの生涯などから始めてください。それからこれらの教えが、なぜ、そしてどのようにして展開したかを学んでください。
  そして最も魅力的と感じる仏教を実践してください。このようにすれば、川の水源は河口よりも劣る、あるいは河口は水源を歪曲したものであると言うことはできなくなると思います。

13.仏教徒になるには

Q.これまでのお話は、大変興味深いと思もいました。どうしたら仏教徒になれますか。

A.昔、ウパーリという名前の人が、ブッダの教えに感銘を受け、弟子になろうと決心しました。しかし、ブッダは次のように言いました。

  「まずは、自分自身でよく検証しなさい、ウパーリよ。あなたのような名の知られた人には、自分でよく検証することがふさわしいと思います」(中部経典Ⅱ.67

  仏教では理解することを強調します。そして、理解には時間がかかります。理解は一定の過程を経て、最後に得られるものです。だから、衝動的に仏教に飛び込むことはやめてください。時間をかけ、質問をして、慎重に考え、それから結論を出すようにしてください。
  ブッダは、弟子を増やすことには興味がありませんでした。人々が自分で注意深く検証し、事実を考慮した結果として、ブッダの教えに従うことを期待されていたのです。

Q.おっしゃる通りにして、仏教に納得し、仏教徒になろうと思ったらどうしたら良いですか。

A.良い寺に属し、あるいは良い仏教徒のグループに加わって、それを支え、また周囲の人たちに支えられて、ブッダの教えをより深く学ぶのが最善と思います。
  そして、準備が整ったら、三帰依をして正式な仏教徒になります。

Q.三帰依とは何ですか。

A.帰依所(避難所)とは、人々が困難に陥ったり、安全や保証が必要になったりした時に行く所のことです。避難所には多くの種類があります。
  人が不幸になった時、友人を頼るのも避難のひとつです。ブッダは、次のようにおっしゃっています。

  「ブッダ、ダンマ、サンガに帰依し、真の理解とともに四聖諦、すなわち苦しみと苦しみの原因と、苦しみの超克と、苦しみの超克に至る聖なる八正道を知ること、これこそが安全な帰依であり、最高の帰依であり、全ての苦しみから解放される帰依です」

  誰でもブッダと同じように、完全なる悟りを得て、人格を完成することができるという事実を、確信をもって受け入れること、これがブッダに対する帰依です。
  四聖諦を理解し、聖なる八正道を基にした生活を送る、これがダンマに対する帰依です。
  聖なる八正道を歩む人々から支援と、啓発と、導きを得る、これがサンガへの帰依です。こうして仏教徒になり、淫楽への第一歩を踏み出すのです。

Q.最初に三帰依をしてから、あなたの生活はどのように変わりましたか。

A.この2500年の間の数え切れない仲間たちも同じだと思いますが、ブッダの教えが理にかなっており、困難なこの世から救い出してくれるものであると分かりました。
  意義深い人生とはどのようなものか、教えてくれました。人生の道標となる人間的で、共感的な倫理を与えてくれました。どのようにして心の清浄を成し遂げるか、またいかにして来世でそれを完成させるかを示してくれました。
  古代インドの詩人がブッダについて次のように書いています。

  「ブッダに帰依すること、ブッダを譜える詩(または偈)を唱えること、ブッダを尊敬すること、ブッダの説かれた真理に従って生きること、それは理解して行動することです」

  この言葉に全く同感です。

Q.友人の一人がいつも私を改宗させようと躍起になっています。実際のところ、彼の信じる宗教には興味がありませんし、そのように話したのですが、あきらめてくれません。どうしたら良いでしょうか。

A.その人は、真の友達ではないとまず理解してください。本当の友人なら、ありのままのあなたを受け入れて、あなたの希望を尊重するでしょう。
  その人は友達のふりをして、あなたを改宗させようとしているのではないでしょうか。自分の意思を他人に押し付ける人は、友人ではありません。

Q.でも、被は自分の信じる宗教を私と分かち合いたいと言います。

A.宗教を他の人々と分かち合うことは良いことです。でも、あなたの友達は分かち合うことと、押し付けることの違いが分かっていないのではないでしょうか。リンゴが一つあって、その半分をあなたに差し出して、あなたがそれを受け取る、これが分かち合うということです。
  「ありがとう、でも私は既に別のリンゴを食べたので、いりません」とあなたが言うのに、私がリンゴを半分押し付けて、無理やり食べさせるとしたら、これは分かち合いとは言えません。
  あなたの「友人」のような人は、「分かち合う」、「愛」、「証言する」などの言葉で、自分の良くない行動を包み隠します。
  しかし、どのような言葉を使ったとしても、彼らの行動は粗野で、マナーに反し、利己的です。

Q.それでは、とうやってやめさせたら良いのですか。

A.簡単です。まず、あなたがどうしたいのかをはっきりと心に決めます。
  次に明確に、そして手短に自分の希望を彼に告げます。
  三番目は、「これについてのあなたの信仰は何ですか」「私と一緒に集会に出てみませんか」。彼がこのように尋ねたら、明瞭に、丁寧に、そして断固として、自分の思いを繰り返します。
  「お誘いありがとうございます。でも私は行きません」「どうしてですか」「あなたには関係ありません。私は行きません」「おもしろい人がいっぱいいますよ」「確かにそうでしょう。でも私は行きません」「あなたのことが心配だから誘っているのです」「心配してくれてありがとう。でも私は行きません」
  きっぱりと、根気強く自分の思いを繰り返し、あなたを議論に巻き込もうとするのを許さなければ、彼もやがて諦めるでしょう。あなたは恥ずかしく思うかもしれませんが、自分たちの信仰を他人に押し付けることはできないと、彼らが学ぶことは大切です。

Q.仏教従は、ダンマ(法)を他の人々と分かち合うべきなのでしょうか。

A.その通りです。誰かが仏教について尋ねたら教えてあげてください。
  尋ねられなくとも、ブッダの教えを伝えてかまいません。しかし、相手が言葉やしぐさで興味がないことをほのめかしたら、その気持ちを受け入れ、尊重してください。
  説教するよりも、身をもってダンマ(法)を示した方がはるかに効果的だということも大切です。
  いつも思慮深く、親切で、寛容で、正直で、そして誠実であるように努めてください。そうすることで、ダンマを人々に示してください。言葉や行動を通して、ダンマ(法)を輝かせてください。
  私たち-人一人がダンマ(法)を知り尽くし、完璧に実践し、惜しむことなく、他者と分かち合えば、自分自身も他の人々も多大な恩恵を享受することができるのです。

14.ブッダの言葉

  智慧は道徳により清まり、道徳は智慧により清まります。智憲がある所にはいつも道徳があり、道徳がある所にはいつも智慧があります。道徳のある人には智慧が備わり、智慧のある人には道徳が備わります。智慧と道徳が一緒になった時、それはこの世で最も優れたものと呼ばれます。(長部経典Ⅰ.317

  心は全ての物事に先んじます。心は全てを支配します。全ては心から作られます。清らかな心で話し、行動する人には決して離れない影のように、幸福がついてまわります。(ダンマパダ2

  いかなる理由があろうと他者を咎めたり、蔑んだりしてはなりません。怒りや敵対心から他者の苦しみを望んではなりません。(小部経典スッタニパータ148

  大海がただ一つの味、塩の味を持つように、ダンマ(法)は一つの味、自由の味を持ちます。(ウダーナ5545)布薩)

  他者の過ちを見るのは容易ですが、自分自身の過ちを見るのは困難です。人は籾殻のように、他人の過ちを吹き散らす一方で、隠れ家に身を隠す猟師のように、自分自身の過ちを隠します。他者の過ちを見れば怒りが増すだけです。自分の中の良くない面が増大し、それを打ち砕くことは、到底かないません。(ダンマパダ2523

 一輪の花が集まってたくさんの花束ができるように、たった一人でも多くの善行を為すことができます。(ダンマパダ53

  人に話をする時、ふさわしい時に話をすることもあるし、ふさわしくない時に話をすることもあります。事実に基づいて話す時もあれば、事実に反して話すこともあります。穏やかに話すこともあれば、厳しく話すこともあります。的を射た話をすることもあれば、的外れの話をすることもあります。怒りに満ちた心で話すこともあれば、慈愛に満ちた心で話すこともあります。自分自身を次のようにしつけるべきです。

  「邪悪な心を持たず、悪い言葉を使わず、親愛の情と共感を持って話そう。怒りがなく、慈愛に満ちた心で暮らそう。まず一人の人間に対して、慈愛を満たすことから始めて、世界全体を慈愛で満たそう。限りなく広がり、すみずみまで行き渡り、計り知れず、怒りも敵対心もない、そのような慈愛を」
  このように自分自身を訓練するべきです。(中部経典Ⅰ.227

  賢者は三つの事柄で見分けることができます。その三つとは何でしょうか。賢者は自分の過ちをありのままに見ます。賢者は自分の過ちを見て直そうと努力します。賢者は他者が自らの過ちを認めたらそれを許します。(増支部経典Ⅲ.4

  邪悪な行為を止め、善なる行為を学び行い、心を清める、これが諸仏の教えです。(ダンマパダ183

  水を見たら次のように学びましょう。山あい、峡谷では細流が騒々しくほとばしり出ます。しかし大河の流れは静かです。中身が無いものは昔を立て、中身が満ちたものはもの静かです。愚者は半分満たされた水瓶のようであり、賢者は深く静まり返った湖のようです。(小部経典スッタニパータ725726

  低俗な犯罪者が、ノコギリであなたの手足を一本ずつ切り落としたとしても、心を怒りで満たすようであれば、私の教えに背くことになります。(中部経典Ⅰ.232

  嫉妬深く、我儘で、不誠実な人間はたとえ弁舌に優れて、端麗な容姿をしていたとしても、魅力的ではありません。嫉妬、我儘、不誠実を清め去り、怒りの無い者、それが真に美しい人です。(ダンマパダ2623

  自らを戒めることも、調御することも、満足させることもできない者が他者を戒め、調御し、満足させることは不可能です。しかし自らを戒め、調御し、満足させた人が他者に手を差し伸べて、自分と同じようにさせることは全く可能です。(中部経典Ⅰ.87

  満足は最高の宝です。(ダンマパダ204

  他人が自分や、ダンマ(法)や、サンガを非難したとしても怒りを覚えたり、拒絶したりしてはなりません。怒りや拒絶は判断を誤らせ、その人から言われた事が正しいのか、誤っているのか、わからなくさせます。非難されたら、相手の批判がどのように間違っているのかを、次のように説明してください。
  「これは間違いです。あれは正しくありません。これは私たちのやり方ではありません。私たちは、これはしません」
  同様に、他人が自分やダンマ(法)やサンガを称賛したら、自慢したり、慢心したりしてはなりません。自慢や慢心は判断を誤らせ、その人から言われたことが正しいのか、誤っているのか、わからなくさせます。だから誰かから称賛されたら、その称賛が当を得ていることを次のように説明してださい。
  「これは正しいです。これは正確です。これは私たちのやり方です。これは私たちに当てはまります」(長都経典Ⅰ.36

  言葉が五つの条件を満たしていれば、それは悪い言葉では無く、良い言葉です。五つとは何でしょうか。時宜にかない、内容が正しく、優しく話し、的を射ており、慈愛をこめて話す、これが五つです。(増支部経典Ⅴ.198

  深い湖が波立たず、澄み切っているように、賢者はブッダの教えを聞き、完全なる平穏を享受します。(タンマパダ82

  財産を失うのは瑞末な事です。しかし、智慧を失うのは大変な事です。財産を得るのは、取るに足りないことです。しかし、智憲を得ることは素晴らしいことです。(増支部経典Ⅰ.7879

  聖典をそらんじるだけで、そこに書かれている内容を実践しない人は、他人の牛を数える牛飼いのようなものです。聖者の生活の恩恵を逃してしまいます。(ダンマパダ19

  母が一人子を命をかけて守るように、この世の全ての生命に限りない愛を注いでください。(小部経典スッタニパータ149

  他人に忠告したくなったら、次のように考えてみてください。
  「私は身体と口の行為を完全に清らかにしているだろうか。そのような特質が私に備わっているだろうか」
  答えがノーであれば、「まず、自分から身体と口の行為を完全に清らかにしたらどうですか」と人に言われてしまうことは間違いないでしょう。
  また、他人に忠告したくなったら、次のように考えてみてください。
  「私は悪意から離れ、他者に対して慈愛を育んでいるだろうか。そのような特質が私に備わっているだろうか」
  答えがノーであれば、「まず、自分から慈愛を実践したらどうですか」と人に言われてしまうことは間違いないでしょう。(増支部経典Ⅴ.48

  徳行を朝も昼も夜も実践している人は、朝も昼も夜も幸福を得る。(増支部経典Ⅲ.19

  誰かがあなたを罵り、打ちのめし、石を投げつけ、棒や刀で襲ったとしても、俗世間の欲や考えは忘れ、次のように考えてください。
  「私の心は動じない、悪い言葉は使わない、恨みをいだくことなく、すべての生命に親愛と共感を絶やさないようにしよう」
  このように考えてください。(中部経典Ⅰ.224

  潅漑職人が水を引き、矢羽根職人が矢柄を曲げ、大工が木材をかたどるように、賢者は自らを形作ります。(ダンマパダ80

  世の中には4種類の人がいます。4種類とは何でしょうか。自分の幸福にも他人の幸福にも関心が無い人、他人の幸福には関心があるが自分の幸福には関心が無い人、自分の幸福には関心があるが他人の幸福には関心が無い人、自分の幸福にも他人の幸福にも関心がある人です。この4種類の中で、自分の幸福にも他人の幸福にも関心がある人が一番で、最も気高く、最高で、最善です。(増支部経典Ⅳ.94

  ブッダ、ダンマ、サンガに帰依すれば、恐れることも震え上がることも無くなります。(ダンマパダ190192

  善い考えを持ち、善い言葉を話し、善い行いをする者は自分自身の最良の友です。たとえ「自分のことは気にしない」と言っても、やはり自分自身の最善の友です。なぜでしょうか。なぜなら、善い友だちであればするであろう善い事を、自分自身にするからです。(相応部経典Ⅰ.115

  善を軽く考えて、「私はそのようにはなれない」と言うのはやめましょう。一滴の水がやがて水瓶を満たすように、賢者は少しずつ自らを善で満たすのです。(ダンマパダ122

  その時、一人の比丘が赤痢にかかり、自分の部屋で倒れて、動けなくなってしまいました。ブッダとアーナンダが、彼の部屋を訪れました。
  ブッダは「比丘よ、どうされましたか」と尋ねました。
  「赤痢に罹りました」
  「誰か世話をする者はいないのですか」
  「いません、尊師」
  「それでは、なぜ他の比丘たちはあなたの世話をしないのですか」
  「私は、彼らの役に立たないからです」
  すると、ブッダがアーナンダに言いました。
  「水を汲んできてください。この比丘の身体を洗いましょう」
  それで、アーナンダは水を用意し、ブッダが水を注いで、アーナンダが比丘の全身を洗いました。その後、頭と足を持って、比丘をベッドに寝かせました。
  その後、ブッダは比丘たちを集め、尋ねました。
  「なぜ、病気の比丘の世話をしなかったのですか」
  「その比丘は、私たちの役に立たないからです」
  「比丘たちよ、あなた方には世話をしてくれる母も父もいません。お互いに世話をしなかったら、誰が世話をするのですか。私の世話をするつもりで、病人の世話をするようにしなさい」(律蔵大品365

  法施はすべての布施に勝る。(ダンマバダ354

  時に触れ、自分の過ちについて考えるのは善いことです。
  時に触れ、他者の過ちについて考えるのは善いことです。
  時に触れ、自分自身の徳について考えるのは善いことです。
  時に触れ、他者の徳について考えるのは善いことです。(増支部経典Ⅶ.78

  善行を為す者は、今世で楽しみ、来世で楽しみ、両世で楽しみます。自らの善行について考え、楽しみ、幸福になります。(ダンマパダ16

  悪を断ちなさい。悪を断つことは可能です。もし不可能なら、そうしなさいとは言いません。可能だから、「悪を断ちなさい」と言うのです。
  悪を断つことで、何かを失ったり、悲しんだりすることになるのなら、そうしなさいとは言いません。
  しかし、悪を断つことで、福利と幸福が得られるから、「悪を断ちなさい」と言うのです。
  善を育てなさい。善を育てることは可能です。もし不可能なら、そうしなさいとは言いません。可能だから「善を育てなさい」と言うのです。
  善を育てることで、何かを失ったり、悲しんだりすることになるのならそうしなさいとは言いません。しかし、善を育てることで、福利と幸福が強化されるから、「善を育てなさい」と言うのです。(増支部経典Ⅷ.19
  生き物は全て暴力を恐れ震えています。命はどんな生命にとってもかけがえのないものです。だから、他者の立場に立ち、殺生したり、殺生を容認したりしないようにしましょう。(ダンマパダ130
  ヒマラヤのように、善は遠くからでも光り輝きます。闇夜に放たれた矢のように、悪は見えにくいものです。(ダンマパダ304
  ブッダがお尋ねになりました。「そなたはどう思うか。鏡は何のために使うのか」
  ラーフラが答えました。「自らを映す(顧みる)ためです」
  すると、ブッダがお答えになりました。「身体、言葉、心で行為を為す前に、慎重に顧みるようにしなさい」(中部経典Ⅱ.109

  ガンジス川が東へと流れ、東へと曲がり、東へと向かう、まさにそのように、聖なる八正道を養い、発展させる人は涅槃へと流れ、涅槃へと曲がり、涅槃へと向かいます。(相応部経典Ⅳ.244

  「彼は私を罵った」「彼は私を打ちのめした」「彼は私を苦しめた」「彼は私の物を盗んだ」と考え続ける人は、怒りを鎮めることはできません。そのような考えを捨て去った人は、怒りを鎮めることができます。
  この世においては、怒りを更なる怒りによって鎮めることはできません。慈愛だけが怒りを鎮めることができます。これは永遠の真美です。(ダンマパダ35

著者について
  シュラワスティ・ダンミカ長老は、オーストラリアの生まれで、1976年にインドで比丘になられました。
  長老はスリランカ、シンガポールに長年滞在され、仏教および仏教関連の著作を数多く出版されています。
  ダンミカ長老は、この本でよくある仏教についての質問130以上に対して、明確で思慮深く、生き生きとした答えを出されています。
                                                                            (終)
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