月刊サティ!

ブッダの瞑想と日々の修行 ~理論と実践のためのアドバイス~

慈悲の瞑想(1)

<慈悲の瞑想のやりかた>
Aさん:慈悲の瞑想はいつどのようなかたちでするのが良いでしょうか。またそのポイントはどこにありますか。

アドバイス:
  慈悲の瞑想は集中して実感を込めてするのが理想です。それも涙が出るくらいに心から。これがポイントです。これはサマタ瞑想のやり方と同じと言えます。
  まず定番通りにやりまして、その後に誰か特定の人の名前を主語にして、「〇〇さんが幸せでありますように」「〇〇さんの悩み苦しみがなくなりますように」とやってもよろしいですし、「私と親しい人々が・・・」というようにしてもかまいません。
  また、慈悲の瞑想は普段の生活の中にもぜひ取り入れて欲しいと思います。私の場合には、バスに乗った時、電車に乗った時には必ずすぐにやるようにしています。例えば、「このバスに乗っているすべての人が幸せでありますように。悩み苦しみがなくなりますように。願う事がかなえられますように・・・」というふうにです。このように心の中で唱えるには一分もかかりません。
  どなたにでも中途半端な時間というのはけっこうあるはずです。電車が来るのを待っている間とか列に並んでいる時、サティが入らない時などには慈悲の瞑想だけでもやると良いのです。何もしなければ、ただもの思いをしたりイライラしたり、煩悩的な反応に流されていることが多いのではないでしょうか。
  ただ、そのような時の慈悲の瞑想は、やはり実感は込めにくいでしょう。たとえ言葉だけになってもかまいません。慈悲の意味を持つ言葉が頭のなかを通っていくだけでも一瞬にして心は変わるものです。善なる言葉が意識されればそのように心の反応は始まります。逆にネガティブで不善なる言葉が通過すればそのようになっていきます。結局、心は言葉によって大きな影響を受けるということです。
  この慈悲の瞑想というのはどなたにとっても取り入れやすく、また、やればやるほど心は確実にきれいになっていきます。ですから、瞑想会などでは修行の一環として行なっていますが、やれる時にはいつでも慈悲の瞑想を心がけてください。

<慈悲の瞑想のはたらき>

Bさん:何年もお付き合いのある人なのにある時なぜかすごくぶっきらぼうで、「何だこいつ」と思ったんです。それで、次に会う前に一所懸命慈悲の瞑想をしたら全然違っていました。

 アドバイス:
  相手が不機嫌だったり苛ついている時、その場で心の中で慈悲の瞑想をするとガラッと奇跡のように変わるという報告は本当に多いです。これは誰がやっても同じ結果が出ます。家族に対しても職場の人に対しても同様で、日常的にいろいろな場面で実践できます。
  もちろんなかには、とことん論議を尽くした上で互いに痛みを伴いながらも改めていくべきというケースもあるでしょう。しかし、そこまで行かずに、ただちょっとした感情的なこと、表面的なことでもつれていることもけっこう多いのではないでしょうか。そのような時には、慈悲の瞑想でこちらのモードを変換してしまう方が、かえって速く問題の解消に向かうことができます。ぜひ続けてやってください。

Cさん:仲が良かった友人が突然疎遠になった時、自分ではまったく理由が分からず先生から慈悲の瞑想を勧められて毎日やっていました。そうしたら、あるきっかけから彼女が急に「何か顔つき変わったねー」「あんた変わったよなあー」という言葉をかけてきて、その時それまで満載していた<嫌ってる>オーラが消えていきました。今は、前と同じではありませんが、いい距離感を保ちながら友だち付き合いは復活できています。そんな言葉も嬉しくて、やっぱり変わるもんなんだなあって思いました。

アドバイス:
  そうですか、良い話ですね。怒りは壊すエネルギーですが、慈悲の瞑想をする人からは調和させる、和合させる、まとめるというエネルギーが出ています。バラバラのものをくっつけてまとめていくことを慈悲と呼ぶこともありますので、実にそのままの話ですね。
  一度壊れてしまったものは、普通はなかなか元には戻らないことが多いのですが、こちらからそういう調和的なまとめるエネルギーを出していると、結果的にはやはり仲直り出来るようなムードになってくるのです。
  また慈悲の瞑想を普段やっている方は、やはり和やかで穏やかな優しい波動が必ず出ていますので、やはり雰囲気が変わるんですね。逆に、常に怒りを抱えている人はやはりそういうオーラをメラメラ出していますから、当然ながら人は近づき難くなります。そういう相関関係はハッキリしています。
  一人で小さなお店を開いている30代の女性にこのあいだ聞いたことですが、マンションの下にゴミ集積所があって、そこをもう14年くらいずっとゴミの後片付けを続けている年配の女性がいるそうです。それもいい加減ではなく、ものすごく丁寧にやるのだそうです。それで、「なんかいいオバチャンだな」と思って、「お疲れ様」とか「いつもありがとうございます」とか、よく挨拶していたそうです。
  そうしたら、先日ちょっと立ち話をした時に、その方から「いつもあなたがお出かけになる時、心の中でどうぞご無事でお帰りください。あなただけは無事に帰ってきて欲しいですって祈ってたんです」みたいに言われてちょっと感動しました、そんな話でした。
  家族でも、「行ってらっしゃい、気をつけてね」という言葉は言いますけれど、決まり文句みたいなもので、なかなかそこまでの気持ちは入らないというのが普通でしょう。ところが、そのゴミ集積所をただ掃除している方に、無事にお帰りになってくださいと心から毎日祈っていましたみたいに言われたということで、私も「すごいね!その話は」と感動して聞きました。
  でもその先にも話があって、その30代の女性の方はお客さんが来ると、ちょっとイヤなお客でも、また、買っても買わなくても、必ずお店を出て行く時に「本当にありがとうございました。どうぞご無事でお帰りください」みたいなことをルールとして心に決めて祈っていたというのです。
  この場合、同じような出力をしたからそのような結果を得たという解釈が妥当かなとは思ったのですが、ただ、ことさら縁の深い訳でもない人との間にこのような心温まる関係が生まれたということを考えると、やはり常々慈悲の瞑想を熱心にやっている方だったので、根本はそこだと思われます。
  この世界は基本的に同じものが響き合う世界ですから、トラブルがあって壊れた関係になればお互いに喧嘩の波動になって壊れてしまいますし、逆に慈悲の瞑想は和合させる素晴らしい効果があるということです。
  「優しいオーラが出てる」って言われたんですね。何よりじゃないですか。最高ですよ。頑張ってやってくさい。

Dさん:最近は焦りや怒りに対してはかなりサティが入るようになってきました。ところが、慈悲の瞑想をしてもひとりよがりで慈悲の心がなくなってくる時は、決まってそのあと仕事上の問題が起きてきます。

アドバイス:
  
慈悲の瞑想は基本的には上書き効果ですから、心のベクトルがどうであろうと上書きしていくことで煩悩による現象を抑える効果があります。
  ですが、パソコンの世界とは違って、心の場合は上書きが効くものと効かないものとがあります。あまり根深くない問題はこれで怒りなどを減少させることが出来ますが、しっかり原因があって何度も再生産されるようなものは、慈悲の瞑想やサティによって一時的には抑えられたとしてもまた浮上してくるのです。
  やはり上書きというのは一時的に目を逸らしている対症療法的なものであって、その下にある情報は完全に消えているわけではありません。慈悲の瞑想は驚くほどの効果はありますけれども、心の奥底の根深い問題まで解消させるというわけにはいかないのです。
  そのような場合には、慈悲の瞑想一本槍ではやはり根本的な解決には至りませんから、自分の心の正体を観ていく覚悟をして、きちんと心を随観する必要があります。自分で因果関係がきちんと理解でき、心の底から得心がいけばそこでようやく終了に向かって踏み出せるのです。

<慈悲の瞑想と自己肯定感>
Eさん:慈悲の瞑想で、「自分が幸せでありますように」という「自分の幸せ」というのが言葉だけで実感が伴いません。「自分の幸せ」の本当の中身を知らないからこうして仏教を習っていると思うと、その時は一時的に実感が生まれますが長続きしません。自分のことは興味が無いと言うような感覚です。それでも良いのでしょうか。

アドバイス:
  
仏教には「自ら浄められてから他を浄めよ」という明確な方向性があります。どんなにきれいごとを言っても、人は自分が一番可愛いのです。それが生命のありのままの姿です。自分が真から幸せでないにもかかわらず、100パーセント心から他人の幸せを祈ることは、聖者でない限り出来ません。もし「私は自分のことは全く顧みず100パーセント他人の幸せだけを祈っています」と言う人がいたら、その人はどこか勘違いしているに違いありません。順番として「私が幸せであれ」が最初なのです。
  では、自分の幸せ感はどこから生まれてくるかと言うと、それは自己肯定感から生まれてきます。エゴから生まれる慢による自己満足とは違う、あるがままの自己を受け容れる肯定感です。
  そうすると、「自分の幸せ」を実感するためには、自己肯定感を持ちましょうということになります。もし、ある人が自己肯定感が乏しいと感じているのであれば、その人は自分を受け容れるより自己を否定する感覚が勝っているからそうなのだと言えます。
  一般的に言って、自己を否定する感覚の因ってくるところは親子関係に求められます。例えば、親が褒め上手で良い意味での自尊感情を持てるような育て方をしていれば良いのですが、いつもお前はダメだみたいな叱り方をしたり、励ますにしてもネガティブな側面ばかりに焦点を当てたりすることもあります。
  例えば、何らかの理由で親が学力ばかりに執らわれて、テストで頑張って90点を取ったのに、100点に届かなかったことを叱責されたら、自尊感情、自己肯定感を持てなくなるだけでなく、心の奥では反発する感情も積もっていくでしょう。 自己肯定感が乏しいケースで、親子関係が過去も素晴らしかったし今も素晴らしいとい うことは恐らくありません。つまり、原因があって結果が生じる、いま自己肯定感を持てないのは過去にそのようにプログラミングされたから、それに最も深くかかわっているのが親子関係なのです。
  顧みて私たちは父や母のことを心から尊敬してきたでしょうか。親子関係に問題は無かったでしょうか。今は大人になったわけですし、表面的にはうまくいっているように見えても、心に無意識の傷としてそれが治らないまま残っていることも多いのです。(Eさんへのアドバイス:は次号に続きます) (文責:編集部 )

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